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 「ちりめん本」で日本文化を海外へ発信する

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Academic year: 2021

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ニッポナリアと対外交渉史料の魅力

(10)

あら すじ

長谷川武次郎、 文明開化期に

 「ちりめん本」で日本文化を海外へ発信する

  

――稀覯書展示会へのいざない 奥 正敬

法で絵を描き、さらに、その絵と英語文を木版 に彫って、版画の技術で印刷する。そして製本 も糸を使った和綴じで行うというものでした。

 この計画には、翻訳にあたる外国人のほか、

絵を描く絵師、絵や英語の文字で木版を作る彫師、

馬連を使って印刷する摺師、さらに和綴じに製 本する折屋など所謂、摺場

(2)

(印刷・製本所)

の協力が必要になります。幸い、これらの本を 作る技術は江戸時代から、少年少女に向けた絵 入講談本である所謂「赤本」などを作ってきた 技術として引き継がれていましたが、最も難し い問題はお伽噺や童話、民話を翻訳する外国人 にあったと思われます。

多彩な顔ぶれの外国人が翻訳

 明治時代になって横浜や東京に居住する外国 人で武次郎が交際した人たちは幅広く、政府や 公的機関が西洋の学術、文化を導入・普及する ために招いていた「お雇い外国人」も含まれ、

その職業的な性格から知識欲の旺盛な人たちで あったと考えられます。

 この人たちの中で、武次郎の計画に加わり翻 訳を担当した人にはアメリカ長老派の宣教師デ ビッド・タムソンや同じく宣教師でヘボン式ロ ーマ字を開発したジェームズ・ヘボン、また小 泉八雲として知られるラフカディオ・ハーン、

さらに東京帝国大学の教員カール・フローレン ツなどがいました。しかし、彼らが武次郎の求 める日本のお伽噺や童話、さらには民話などの 知識を持っていたとは思えません。ただ、 1871 

(明治 

4

 )年にはイギリス人であるアルガノン・

ミットフォードによって日本の民話を纏めた書 物

3

がロンドンで刊行されており、その後に来 日した外国人が日本の所謂、伝承文学に対して の知識が全く無かったと断じることもできません。

おそらく、武次郎はこの計画を共に進める外国 人に自らが知っていた伝承文学の粗筋を説明し、

また、一つの物語が全国で伝承されてきた中で、

粗筋に微妙な違いがあることなども教えていた ことと考えられます。

「日本昔噺」シリーズで成功

 明治 

18

(   

1885

 )年、武次郎は英語版のちりめ ん本「日本昔噺」シリーズの刊行を始めました。

このシリーズは第 

1

 巻の『桃太郎』を先頭に、 『舌 切雀』 、 『猿蟹合戦』 、 『花咲爺』 、 『勝々山』 、 『鼠 はじめに

 明治時代の初期は「文明開化」という言葉に 表現されるように、近代化や欧化主義の導入が 優先され、日本の伝統的な文化や技術は顧みら れることが少なくなっていたのではないでしょ うか。しかし、江戸時代の鎖国体制の中で脈々 と培われてきた国内の文化は、明治時代に入っ ても絶えることはありませんでした。特に紙を 作る技術や本を作る技術は、明治時代に入り大 量生産を可能とする洋式の製紙法や印刷・製本 技術が流入しても、なおその技法は受け継がれ、

新時代の思潮を伝達する手段としても使われて いました。その技術を使って、これからご紹介 をする「ちりめん(縮緬)本」が作られること になるのです。

江戸末期から明治初期に外国人が多数来日  時代は少し遡りますが、江戸時代末期の安政

6

( 

1859

 )年に徳川幕府は神奈川、長崎、函館 の三港をロシア、イギリス、フランス、オランダ、

アメリカに開港しました。これは、アメリカの ペリー提督が浦賀に来航して 6 年後のことでした。

この開港によって、特に江戸に近い横浜へは多 くの外国人が訪れるようになりました。この中 には、宣教師や学者、在外公館員、軍人も含まれ、

明治時代に入るとその数も年々増えていきました。

長谷川武次郎、外国人の学識と日本文化を結合  この頃、東京や横浜を拠点に活動する外国人 に着目した一人の日本人がいました。名前を長 谷川武次郎と言います。彼は嘉永 

6

 ( 

1853

 )年 に江戸の西宮という家に生まれ、のちに母方の 長谷川家に養子に入った人物ですが、貿易業で ある生家で育ったためか英会話を習う中で、少 年時代から多くの外国人と接し、明治時代初期 の日本人としては国際感覚が大変に豊かであっ たようです

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 このような武次郎は明治 17  ( 1884 )年頃に出 版業を興します。その社名を「長谷川弘文社」

と言います。最初は美術書や語学書を刊行して いたようですが、この頃から大きな計画を立て ました。日本に伝わるお伽噺をはじめ、童話や 民話を外国人によって英語に翻訳させて絵本を 作り、発行した絵本を外国人に売る商売です。

しかも、その本は日本の伝統的な和紙をちりめ ん状に加工して、江戸時代から続く浮世絵の画

とぎばなし

まと ば れん

参照

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