大学日本語日本文学研究 23巻第1号(通巻第
42号)
成三十年十一月三十日発行)
河竹黙阿弥論
―「いき」の構造と成立―The fiction of KAWATAKE Mokuami : on "IKI"
葛 綿 正 一
KUZUWATA Masakazu
炎にせよ小川にせよ、これらの形態そのものはいずれも美であるという
わけではないが、しかし自由な遊びを営んでいるので、構想力にとって
はやはり一種の魅力になる。(カント『判断力批判』第一章)
前稿では鶴屋南北について火の試練という観点から論じたが(本誌四一号)、本稿では水の浄化という観点から河
竹黙阿弥について論じてみたい。流麗な語りが特徴的だが、火によって蒙った汚辱を水によって浄化するところに黙
阿弥の演劇があるように思われる。そのことが「いき」の成立に関係するのではないかというのが本試論の仮説である。
あらかじめ本稿の構成を述べると、まず黙阿弥における水の浄化を確認し、次に「いき」の構造と成立について考
察する。さらに幕末期の歌舞伎をめぐって崇高と美学について考察し、最後に南北から黙阿弥への転換を確認する。
それは南北的な火の凄惨から黙阿弥的な水の抒情へという流れにほかならない。なお、『三人吉三廓初買』は日本古
典集成、『小袖曾我薊色縫』は日本古典文学大系から引用したが、他の引用は『黙阿弥全集』(春陽堂)による。
主な先行研究としては河竹繁俊『黙阿弥』(弘文堂、一九五五年)、河竹登志夫『黙阿弥』(文芸春秋、一九九三年)、
渡辺保『黙阿弥の明治維新』(新潮社、一九九七年)、吉田弥生『黙阿弥研究の現在』(雄山閣、二〇〇六年)などがある。 河竹黙阿弥論 ―「いき」の構造と成立―
The fiction of KAWATAKE Mokuami : on "IKI"
葛 綿 正 一 KUZUWATA Masakazu
一 黙阿弥における水の浄化――三人吉三を中心に
黙阿弥の代表作『三人吉三廓初買』(安政七年)では川から浚ったものが強調されている。名刀庚申丸が見つかっ
たのは川浚いによってである。
与九 川浚いの人足が、川の中から掘り出したと私に見せましたが、すこし見所がござりますから、なにはなし
に二分で買ひまして、すこし研いでみますると、金色といひ焼き刃といひ、一通りの物ではないと思ひま
して、当時の目利きでござりますゆゑ、木屋文蔵に見せたところ、五十両なら引き取ると申しますゆゑ、
二分のものが五十両、すぐにその場で売りました…(第一番目序幕・松金屋座敷の場)
川から浚ったものが百両で売れることで、ドラマが生まれるのである。その百両を落とした十三郎は身投げをする
が、伝吉に救われる。「金を失ひ言ひ訳なく、川へ身を投げ死なうとせしを、伝吉さまに助けられ、夕べから御厄介」
と語っており、十三郎はいわば川から浚ったものである。水死人を供養する土左衛門伝吉の役割は重い。
伝吉 考へてみりや一飯でも、もらふ恩を忘れずに、門戸を守る犬の役、殺した己は大きな殺生。その時鼻アが
はらんでゐて、産まれた餓鬼は斑のやうに、体中に痣があるので、初めて知つた犬の報い。一部始終を女
房に話すとすぐに血が上がり、産まれた餓鬼を引つ抱へ、川へ飛び込み非業な最期。それから悪心発起し
て、罪滅ぼしに川端へ、流れ着いたる土左衛門を、引き上げちやア葬るので、綽名になつた土左衛門伝吉。 (第一番目三幕目・葛西が谷夜鷹宿の場)
安森家から庚申丸を盗み出し、犬を斬り殺した後、川に捨てたのは伝吉であった。その報いで、伝吉の女房は川へ
飛び込んでしまった。後悔した伝吉は、それ以来、改心したという。江戸歌舞伎を継承する黙阿弥自身が、この伝吉
に限りなく近いであろう。なぜなら、黙阿弥もまた川を浚って水の中から歌舞伎の魅力を蘇らせる作家だからである。
その代表作が白浪物と呼ばれるのは偶然ではない。
節分の宵、女装したお嬢吉三は夜鷹のおとせから百両を奪って、大川に突き落とす。おとせもまた川に落ちた存在
であり、十三郎と親しく結ばれる必然があったといえる。
十三 思へばいつぞや身を投げて、死ぬる命を助かつたも、伝吉さまのお蔭ゆゑ。
とせ 私もその折死ぬところ、今日の今まで生きたゆゑ、十三さんと夫婦になり、あの世へまでも手に手を取り、
いつしよにゆくがこの身の仕合はせ。(第一番目三幕目・御輿が嶽吉祥院の場)
実は二人は双子の兄妹であり、伝吉は後で因果の恐ろしさに驚くことになる。節分の宵、百両を奪ったお嬢吉三、
その場を見咎めたお坊吉三、中に割って入った和尚吉三、三人は義兄弟の契りを結ぶ。百両を預かった和尚吉三はそ
の金を父伝吉のところに持っていくが、伝吉はお坊吉三に殺される。かつてお坊吉三の安森家から庚申丸という刀を
盗み出したのが伝吉であり、その刀の代金が十三郎の所持していた百両である。和尚吉三は畜生道に落ちたおとせと
十三郎を殺し、お嬢吉三とお坊吉三の身替わり首にするが、逃げ切れず本郷火の見櫓の下で、三人が差し違える(火
の見櫓は江戸への郷愁となるだろう)。
軍蔵 川へ沈んだ短刀が、回り回つて己が手へ入るといふも、これも縁の深いのだ。 (第一番目序幕・松金屋座敷の場)
これが因果というものだが、黙阿弥の因果は「水」を通過していなければならないのである。
武兵 ……今夜は一番流れの身にも、塵芥のねへ所をそそぎ上げ、水際を立つてもらひたい。 (第二番目序幕・丁子屋二階の場)
遊女に求められるのも、水の清冽さであろう。
飛鳥 泣き顔をするは悪いから、泣くまいと思ひましても、つい涙が出てなりんせん。
花巻 もうもう、そんな事をお言ひでないよ。私なぞは泣き虫だから、すぐに涙が流れて困りんす。
花琴 オヤ、お前、涙が流れるかへ。
(第二番目二幕目・丁子屋別荘の場)
「すぐに涙が流れて困りんす」とあるが、涙とはまさに水の叙情性にほかならない。
源次 私も網打ちの七五郎が、死霊の祟で親子とも、非業に死んだところから、漁に出るのも怖くなり、ちやう
ど体も悪いから、御覧なせへ。(第二番目三幕目・御輿が嶽吉祥院の場)
水への恐怖があるがゆえに、水の叙情がもたらされるようにみえる。水の流動性は不安と恍惚をともにもたらす。
源次 さつき湯へいくと言つて出られたが、もうおほかた帰られましたらう。
(第二番目三幕目・御輿が嶽吉祥院の場)
流動性があるゆえに、水による浄化が可能となるのであろう。
和尚 …向後己も悪事をやめれば、二人も生まれ変はつたつもりで、心を入れ替へ堅気になり、いづくの浦に居
ようとも、こいら二人を不便なと、思ひ出す日があつたなら、すぐにその日を命日に、水でも手向けてや
つてくれ。(第二番目三幕目・御輿が嶽吉祥院の場)
「水でも手向けてやつてくれ」
、これこそ黙阿弥において最重要の台詞であろう。黙阿弥の人物は決まって水に救わ
れるからである。
二 黙阿弥劇と水の動き――十六夜清心、鋳掛松、縮屋新助
次に『小袖曾我薊色縫』(十六夜清心、安政六年)を検討してみたい。極楽寺の僧清心は、遊女十六夜と稲瀬川に
身を投げる。「西へ向ひて合はす手も氷る余寒の川淀へ、ざんぶと入るや水鳥の浮き名を後に」、川に飛び込む。しか
し、清心は水で死ぬことができない。
清心 あ、いくら死なうと思つても身体が浮いて沈まれず、此身は下総行徳生れ、幼い時より海辺に育ち習ふと
なしに覚えた水練、それが今の害となり死におくれたか、あ情けない。…
それに引き替へ十六夜は水に溺れて死んだであらう、いまだ形は定まらねど、腹に宿りし我が胤も…
(序幕・元の百本杭の場)
この後、殺される求馬と殺す清心、独語でありながら交差する二人の台詞に注目してみよう。「今打ちしは後夜の鐘、
宵のうちにと思うたに俄の雨に雨具はなし、傘を求めて思はぬ暇入り」、「あ、人の嘆きも知りをらず、面白さうな遊
山船、死なうと覚悟しながらも耳へ入つて黄泉のさはり」。遊山船を目にして、二つの人生が交差する。それは水に
濡れる人生と水から這い上がる人生にほかならない。
清心の台詞は人生の三つの可能性を示す。「あれあのやうに面白う芸者幇間を伴うて、騒いで暮らすも人の一生」、「そ
の日の煙りも立て兼ねて、襤褸を纏ひ門に立ち手の内乞ふも一生にて」、「又このやうに身を投げて、死なうといふも
これも一生」。ここでは火に満たされた人生、火のない人生、水の人生が示されるのである。
清心は遊山舟の遊興を見て心変わりし、通りかかった寺小姓求女を殺し金を奪う。盗賊鬼薊清吉となって、大江家
重宝の短刀を盗むが、そのため紋三が切腹する。俳諧師白蓮に救われた十六夜すなわち、おさよは清吉と再会し、白
蓮を強請る。清吉の父はかつて鬼薊と呼ばれた盗賊だが、実は白蓮が清吉の兄であり、殺された求女はおさよの弟で
あった。役人に追われた清吉夫婦は、清吉の父が墓守をしていた無縁寺に逃れる。
さよ ああ苦しい、水を一つ飲ましておくれ。
清吉 手負に水を飲ませちやあ、しかし、どうで死なにやあならねえ身体、この世の別れ水盃、心残さず一ぱい
飲みやれ。
さよ ああ嬉しうござんす。 (三幕目・名越無縁寺の場)
二人は自害するが、「心残さず一ぱい飲みやれ」とある通り、ここでも水が救いとなっている。
次に『船打込橋間白浪』(鋳掛松、慶応二年)を検討してみよう。「川の傍へ来り水をすくつて火を消し、手など洗
ひながら船の中の様子を見てゐる」主人公は、女に金を手渡す男を目にして心変わりする。
松五 かう見たところが江戸ぢやあねえ、上州あたりの商人体だが、横浜ででも儲けた金か、切放れのいい遣ひ
ぶり、あれぢやあ女も自由になる筈、鍋鎌鋳掛をしてゐちやあ、生涯出来ねえあの栄耀、あああれも一生、
これも一生、(序幕・花水橋の場)
鋳掛の松五郎は仕事道具を捨て悪事へと走る。「あああれも一生、これも一生」とあるが、この心変わりは揺れる「水」
と無縁ではないだろう。
松五郎が盗みに押し入った妾宅で出会うのは、かつて川船で知り合った女である。
松五 高金出した囲ひ者、それを人に盗まれたら、切らうといふのは尤もだ。いかにもわつちやあ間男だが因縁
のあるこの女、お前は知らねえ事だけれど、五年後に関宿から乗つた夜船で色になり、夫婦にならうと約
束をしたのも利根の水となり、又枝川の分れ分れに互ひに行衛も知らなんだが水の流れと人の末思ひがけ
なく出会し、旦那のあるも合点でお咲と枕交したのは、深い浅いを言はずとも間男にやあ違えねえが、真
水と汐の道筋を分けて言やあお前よりわつちあ先の悪足だ、(二幕目・元の妾宅の場)
女を囲っていた島屋文蔵は女の実兄であり、同じ盗賊であったことがわかる。文蔵の計らいで松五郎とお咲は結婚
するが、川船という水の縁で、幸福がもたらされたことになる。しかし、恩人の森戸屋宗次郎に恵んだ金が公金であっ
たため宗次郎は捕まり、松五郎は切腹し罪を詫びる。結局のところ、鋳掛け松の変容は破滅をもたらすのである。
次に『八幡祭小望月賑』(縮屋新助、万延元年)を検討してみよう。八幡祭の人出で永代橋が落ちたと聞き新助は
舟で乗り出し、深川芸者の美代吉を助け、その際、自らの思いを打ち明ける。水は人の心を不安定にするといってよ
い。人の心を落ち着かせるが、また人の心を思い切り揺るがす。だから、新助は水の上で、美代吉に思いを打ち明け
るのである。「情人になってくださりませ」と口にするのは、「陸と違って川中」だからである。
新助 情人になつて下さりませ。〈ト言つて顔をかくす〉
みよ ええ。〈トびつくりして呆れし思入〉
新助 ささ、そのびつくりは尤もだが、言ふに言はれぬ新助が心の内の切なさを、これおみよ様まあ一通り聞い
て下され。…今日又橋から落ちる時怪我させまいと抱き留め、気を失ひしを介抱なし、正気に復れば煩悩
の思ひ切られぬ身の因果、きつとした情人のあるも合点で、言ひだすからはよくよくなことと思つておみ
よ様どうぞかなへて下さりませ。 (二幕目・稲瀬川波除の場)
災害とは善悪を越えた崇高であり、災害を生き延びた瞬間は楽園に入り込んだかにみえる。しかし、それは死を先
延ばししているにすぎない。
みよ どうぞ放して下さんせいなあ。
新助 いいや放さぬ、放しはせぬ。折角私が助けた命、何で死なうとさつしやるのだ。
(二幕目・稲瀬川波除の場)
美代吉は新助と結ばれることはない、この死を先延ばししているだけなのである。
新助 あれあれ、向うへ流るる死骸。
みよ ええ気味のわるい。 (二幕目・稲瀬川波除の場)
二人が生きる先には不気味な「死骸」しかない。新三郎に思いを寄せている美代吉は新助を愛想尽かしする。
みよ あい、陸と違つて川中の船の中にて唯二人、厭と言うたら手籠にもしなさり兼ねぬ素振故、ほんのお前の
気休めに、ああ言うたのはみんな偽り、それが苦界の仕掛文庫、打明けて言や偽りを真実と思ふは舟水の
まだ味知らぬお前故、手鍋提げよと口には言へど、実は乗りたい玉の輿と、唄に唄へどありやうは、玉の
輿より味噌こしを提げても好いたその人と、添はうと思ふが苦界の楽しみ、身の詰りとは知りながら、浮
名巽の中裏で噂になつた新三さん、袿は元より看板の櫛笄も入上げて、金八さんから損料で借りて座敷へ
出るやうに、なつても襟につかぬが情、例へて言はば船よりも駕籠は丈夫なものなれど、乗りかへられぬ
が仲町育ち…(四幕目・化粧坂仲町の場)
「陸と違つて川中の船」、これこそが黙阿弥劇に変容をもたらす。しかし、「舟水のまだ味知らぬ」男と「船よりも
駕籠は丈夫なものなれど、乗りかへられぬ」女は、一緒になることができないのである。妖刀村正を手にした新吉は
美代吉を惨殺し、二人が実は兄妹の関係であったがわかる。無惨な結末だが、近親相姦の罪を回避することができた
という点だけが救いであろう。
「さつぱり洗ひ落し/沖に漂ふ」
(『人間萬事金世中』)、「義貞太刀流し…」(『北條九代名家功』)、「水を吹き…」(『土
蜘』)、「廻る水車」(『風船乗評判高閣』)、「平家一門の入水」(『浪底親睦会』)など黙阿弥における水のレトリックは
夥しい。『国性爺合戦』や『妹背山女庭訓』で川上から川下へと縦に流れ出した激しい水流が、黙阿弥においては高
さを伴うことなく水平に流れる(『青砥稿花紅彩画』稲瀬川勢揃いの場)。『夏祭浪花鑑』の本水は溜まって淀んでい
たが、黙阿弥の水は悠々と水平に流れるのである。髑髏と卒塔婆が流れ着いたのが明治の累物だといえる(三遊亭円
朝『真景累ヶ淵』)。『与話情浮名横櫛』の場合は海に飛び込むことになる。
三
「いき」の構造と成立――明治期の黙阿弥
本試論では南北における焼け焦げたもの、黙阿弥における浚われたものについてみてきたが、九鬼周造『「いき」
の構造』(一九三〇年)の議論と接続させてみたい。同書の結論はよく知られている。
「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の関係に立っている。運命によって「諦め」を得
た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由
に向って悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。「いき」
の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たの
である。(六 結論)
安森家の御曹司、お坊吉三は武士道の理想主義を体現するはずであった。しかし、庚申丸というファロスが奪われ、
安森家は断絶する。お坊吉三は理想主義を諦めるほかない。水死体を供養する土左衛門伝吉の息子、和尚吉三は非現
実的な仏教の理想主義を体現している。死者をいくら供養してみても、それは生者には届かず、諦めの理想主義でし
かない。そもそも、和尚吉三は破戒僧であり、破門された町人である。女装の貴公子、お嬢吉三は女性美の理想主義
を体現しているかにみえる。しかし、所詮は男性であって、一種の諦めがある。それは女性の存在しない野郎歌舞伎
の本質ともいえる。諦めつつ意気地によって生きるのが歌舞伎の女形だからである。
幕藩体制という身分社会において人々は「諦め」つつ「意気地」に生きるほかない、そこに生まれたのが「いき」
であろう。お坊吉三は武士道の理想主義、和尚吉三は仏教の理想主義、お嬢吉三は歌舞伎の理想主義を体現している
が、いずれも諦めの理想主義にほかならない。諦めつつ意気地に生きるところに「いき」が生まれるのである。もと
もと、町人にとって武士道の理想主義とは迷惑なものであろう。武士道の理想主義は町人の享楽である歌舞伎を否定
しかねないからである。仏教の理想主義も町人にとっては迷惑なものだといえる。仏教の禁欲は町人の現世的欲望を
否定するからである。
三人吉三は狐拳のようなものかもしれない。お坊の武士道に和尚の仏教が勝ち(彼岸的救済において)、和尚の仏
教にお嬢の歌舞伎が勝ち(此岸的享楽において)、お嬢の歌舞伎にお坊の武士道が勝つからである(現実的体面にお
いて)。逆もまた成り立つ。お嬢の歌舞伎に和尚の仏教が勝ち(彼岸的救済において)、和尚の仏教にお坊の武士道が
勝ち(現実的体面において)、お坊の武士道にお嬢の歌舞伎が勝つからである(此岸的享楽において)。しかし、三人
が重なったとき全員が死ぬことになる。
「いき」の語誌については、
「男性に対して使われていたこの言葉が男女の別のなく使われるようになり、化政期を
すぎると、女性の美しさを表わす言葉の一つとして一種の色っぽさを示すようになる」とされる(『日本国語大辞典』
第二版)。ここでは黙阿弥の歌舞伎を特徴づける生き方として「いき」を考えてみたい (1)。
明治期の黙阿弥作品を概観してみよう。明治十四年『天衣紛上野初花』は主人公が化けているように、江戸のフェ
イクといえる。河内山宗俊は上野の法親王の使僧に化け、弟分の直侍を供侍に仕立て、松江家上屋敷に乗り込み、上
州屋の娘浪路を助け出す。三千歳を身請けしようとした市之丞が実はその兄であることがわかり、二人は近親相姦に
陥ることはない。島屋の手代が賭博で取られた二百両を奪い返したことで、追われる身となった直侍は恋人の三千歳
と別れ、宗俊とともに捕縛される。
まず宗俊が上州屋に乗り込むところを見てみよう。
しげ いえいえ、お通し申されませぬ。
宗俊 ええ、邪魔をせずと、退いて居ろ。
まき そのおいでには及びませぬ、只今それへ参りまする。これは河内山さま、ようおいでなされました。
宗俊 いつもながら壮健ぢやの。
まき いえも、苦労をいたしまするせゐか、年ばかり寄りまして、とんと意気地はござりませぬ。
(序幕・上州屋見世先の場)
回りが反対するにもかかわらず、老いたる女主人は率先して宗俊に面会し、堂々と渡り合う。意気地はないと謙遜
しているが、これこそ「いき」であろう。上州屋の娘を救い出す手助けをするよう直次に持ちかける場面も興味深い。
直次 そりや何ういふ筋立てだね。
宗俊 世話へ時代を持込んで、名代の鶴屋南北も、三舎を避ける名趣向だ。
直次 悪い方ぢやあ立作者、定めてうまい仕組だらう、早く本読を聞きたいが、何ぞわツちに役があるか。
宗俊 おおあるともあるとも、麻上下に大小といふ役をして貰ひてえのだ、何しろ一夜附の新狂言、今夜根岸の
桜井の家で、本読の後が直稽古だ。
直次 それぢやあ一緒に行かうかね。 (二幕目・三千歳部屋の場)
悪しき芝居であることを自覚しつつ自ら引き受ける、そこに「いき」があるようにみえる。黙阿弥劇とは南北劇の
自覚的反復ではないだろうか。限界があることを知りつつ、その枠内で意気地を見せるところに自由があり、南北劇
の血と暴力は自覚的に制御されるのである。南北劇の火の残酷さが黙阿弥的な水の抒情によって制御されるといって
もよい。南北劇が時代に世話を持ち込み、様式性を破壊し過激化するのに対して、黙阿弥劇は世話に時代を持ち込み、
様式性を作り出し叙情化しているのである。
松江家上屋敷から上州屋の娘を助け出して帰ろうとするところ、北村大膳に呼び止められる。「おとぼけあるな宗
俊殿、日頃お城の使ひを勤むるこの大膳を見忘れられしか、お数寄屋坊主の其の内でも、頭と呼ばるる河内山、何で
身共が見忘れませうや」。しかし、小左のほうは引き止めようとはしない。
小左 はツ、相違あらざる御使僧なれば、此の上ともに内分に、いやさ、何分共に御前よろしう。
宗俊 むむ、流石は大家の御家老職、お取計らひ感心いたす。
大膳 此の儘返さば君の上意が… (三幕目・玄関先の場)
知っていることをそのまま語る大膳は野暮にみえる。むしろ、知っていても知らないふりをする小左のほうに「い
き」が感じられる。「何卒お立ち下されい」と小左は大膳を促すが、ここから遡って『勧進帳』の名高い場面に「いき」
を見出すこともできるだろう。知っていて食い止める男は野暮で、知っていて逃がす富樫は「いき」だったのである。
宗俊の奇計が露見した後、直次は逃亡を余儀なくされる。
三千 そんなら殺して下さんすか。
直次 何でそなたが殺されよう。
三千 そんなら、連れて逃げて下さんすか。 (六幕目・大口寮座敷の場)
恋人の三千歳は直次にいっそ殺してくれと懇願するが、それが無理だということをわかっている。それが「いき」
ではないだろうか。
直次 三千歳。
三千 直さん。
直次 もう此の世では、逢はねえぞ。 (六幕目・元の座敷の場)
誰かのせいで逢えないのではなく、自ら逢わない。逢えないことをわかって自ら引き受ける、それが「いき」なの
である。直次と競っていた市之進もきっぱりと三千歳を諦める。
市之 一旦武士の意地を立て、身請けはしたが直次郎に、命を捨てても添ひ度いとは、さりとも見下げ果てた奴、
色も恋もさめたゆゑ、そちはふツつり思ひ切つた。
(六幕目・元の座敷の場)
市之 嫌はれるのを承知にて武士の意気地に身請けなし、遺恨重なる直次郎に鼻を明してやらうと思ひ、金策な
して親元の藤五郎へ掛合つて委しく素性を尋ねしに、聞いてびつくり驚きしは、腹は替れど三千歳は肉身
分けし我が妹。(大切・浄心寺裏手の場)
「武士の意地」は口実にすぎないが、それをわかって自ら引き受けるのが「いき」である。
「武士の意気地」は儀式
として愛想尽かしをするための虚構であろう。近親相姦の破滅を逃れる方法が、そうした「いき」の実践だったよう
にみえる。
悪事の数々が露見した宗俊は覚悟を決めている。
宗俊 此の外種々な悪事をして只取る金で、贅沢をしぬいた上にその科で、尋ねられると噂を聞き高飛びをして
逃げようとは、あんまり虫が好過ぎるだらう、奉行へ下知が廻つたらもうそれまでと覚悟して、上の仕置
を受けるがいい。(大切・池端宗俊妾宅の場)
自ら仕置きを請けること、それが「いき」なのである。血と暴力による破滅を逃れる方法が、そうした「いき」の
実践だったといえる。
ところで、『天衣紛上野初花』もまた水の流れる世界になっている。それは金銭の世界の「流れ」であり、日常的な「水」
の流れである。
音助 もし番頭さん、まだ此の質は八ケ月だから、流すには早うございます。
伝右 いやいや八ケ月なら流れの口ぢや、元利を持つて請けに来ても、出して遣つてはならぬぞよ。
(序幕・上州屋見世先の場)
さら 大家さんのおかまどん、水を汲むなら爰へお出し。
かま 有難うござりまする、今わたくしが汲みます。
(四幕目・裏長屋の場)
これらは危険な「水」となり、和解をもたらす「水」ともなる。
直次 ……今度行けば切られるか軽くて伊豆か佐渡ケ島、危ねえ船に乗らにやあならねえ、さうした日には約束
も水の泡ゆゑさつぱりと、綺麗に縁を切つた上、見掛けた山もねえけれど、笹子を越えて甲府に居る大恩
受けたお袋に、逢つてそれから上方へ高飛びをするおれが了簡…
(六幕目・大口寮座敷の場)
幸兵 …さあ有体にそれを言はば、此の場のことは此の儘に、今降る雪の解け易く、水にいたして遣はさう。
九兵 此の場の事を此の儘に、水にいたして下さるは、それは何より忝けないが、丈賀の金は覚えもないこと。 (六幕目・浅草観音裏手の場)
「水の泡ゆゑさつぱり」
「今降る雪の解け易く、水にいたして」など、黙阿弥が「水」の修辞法を駆使していること
は明らかであろう。
『水天宮利生深川』
(明治十八)には前近代と近代の落差が見て取れる。士族船津幸兵衛は妻と死別し子育てしなが
ら、筆を売って暮らしている。荻原良作の家で恵まれた金を取り立てられ発狂し、水天宮へ奉納する碇の額を持って
深川の海に身投げするが、水天宮の御利益で助かる。ここには水の恩寵が訪れるのである。
保守 そなたが居らずば親子共、水死致す所であつた。
三五 先刻逆上て気が違ひ、とつても付かねえことをいつて、内を駈出しなすつたから、直にわつちが後を追ひ
かけ、捉まへようと思ふ内に、どんぶり川へ飛込んだから、南無三宝と宙を飛び、直に川へ飛込んで、お
前を救ひ上げたのだ。(二幕目・海辺河岸の場)
盗賊の小天狗要次郎は吉原の遊女小雛のもとに通い詰め、金に困って質屋へ押し入り、居合わせた荻原良作に取り
押さえられる。二人は兄弟であることが判明するが、兄は弟を警察に突き出さざるをえない。ここには水の恩寵が訪
れないのである。前半と後半を分けているのが、蝋燭屋の登場である。
蝋燭 蝋燭屋でござい。
千五 此町内で泥坊の目掛ける内は爰のお店、夜番の者へも別段に心付けて下さるから、其気で此方も気を付け
るのだ。
仁兵 千五郎さんの言ふ通り、地獄の沙汰も金次第で、心付のある家は気を付けるのが人情だが、併しそれも火
の番ばかりだ。 (三幕目・裏手の場)
前半は水によって救われる世界であり、後半は火が唆す盗みの世界である。「発狂なして入水せし/危い命も助か
りて/所々の恵みで苦を忘れ/楽になりしは神の加護/それに引替へ悪心故/仏も助けぬ/身の罪科/実に懲悪の、
いましめぢやなあ」という結末の一節は、緩やかな許しの世界と厳しい懲悪の世界を示している。だが、小天狗は決
定的な破滅からは免れているのである。改心を勧める言葉に注目してみよう。
良作 …一度徒罪に参りし者満期になれば又直に、悪事の友をかたらひて、窃盗なせしも凶器を持ち強盗なすに
至るといふは、是忠信孝貞の誠の道を知らざる故なり…先非後悔致しなば、真もつて改心なせ。
要次 …栄耀がしたさに止められず、小天狗といふ渾名を取ります程の賊となり、悪事を致してをりましたが、
是に付けても此間途中で乗つた車屋が、以前佃で一つに居て同じ鎖で繋がれた三五郎といふ者で、今は堅
気に立返り車を曳いて居りましたが、骨が折れても気が楽だから、悪事を止めて堅気になれと、それに異
見をされたので止める心になりましたが、又友達の義理づくでしなけりやならぬ場合になり、今夜忍び込
みましたが… (三幕目・奥座敷の場)
ここでの改心は水のイメージによるものではない、車のイメージによって改心が示されている。したがって、改心
から悪心へ容易く回転してしまうようにみえる。しかし、小天狗が実の弟であることを知った良作は断固として許そ
うとしない。「他人なれば慈悲を以て許し遣はす賊なれど、我弟なる上は縄掛けて差出さねば、百人有余の門弟を預
る荻原良作故、道を立てねば師範がならぬ」。弟だから許すのではなく、弟だからこそ許すことができない、この論
理がケジメであり「いき」というものであろう。
では、「いき」でないのはどのような人物か。それは幸兵衛から力ずくで金を奪い取る金兵衛である。
小雛 それがお前の極りでござんす、まあ二階へ上りなさんせ。
金兵 厭だの。
安蔵 いや二階へ上るのは賛成だ。野暮を言はず上りたまへ。(序幕・千歳楼の場)
金兵衛とともに金の返済を幸兵衛に迫る安蔵もまた「いき」ではない。
金兵 抵当物を己に渡すか。
幸兵 さあ、
安蔵 入金するか。
幸兵 さあ、 (二幕目・幸兵衛内の場)
「以前が士族といふことだが、ええさりとは意気地のねえことだ」と突き倒す安蔵は「野暮」や「意気地」をたや
すく口にする点で、むしろ野暮な人物といえる。
『島千鳥月白浪』
(明治十四)をみてみよう。明石の島蔵は松島千太とともに質屋の福島屋へ押し入るが、我が子の
怪我をきっかけに改心する。
お常 ええめつたなことをおつしやりますな、人に情を掛ける者が、何で盗みを致しませう。
お仲 きつとさうとは思はねど、ただ恰好が似てゐる故。
清兵 いや、仮にも左様なことはいふな、かかる情のある人を。
お常 盗人などと疑がうては、
清兵 天道様へ済まぬわえ。
~善か悪かは白浪の、果は後にぞ… (四幕目・福島屋の場)
文化十二年『杜若艶色紫』(全集五)にある通り「人とたばこのよしあしは/けむりとなつて後の世にしる」のが
南北の考え方だとすれば、「善か悪かは白浪の果」にしかわからないというのが黙阿弥の考え方であろう。「人に情を
掛ける者」が盗みを働くのであって、白浪は最後まで善か悪か識別不能なのである。
かつて親しくした芸者お照が望月輝の妾となったことを知った千太は強請に出かけるが失敗し、再び島蔵を盗みに
誘う。しかし島蔵は断って千太を改心させる。「お前も四十にならねえが、豪気に焼きが廻つたな」と島蔵を罵るが、
焼きが廻っていたのは千太のほうであろう。
千太 ここに打て寄る人々は、
徳蔵 浜の真砂の窃盗より、
島蔵 沖を越したる強盗の、
千太 気の荒波も引汐に、
輝 忽ち善に返る浪。 (五幕目・招魂社の場)
黙阿弥の人物は、結局のところ「善に返る浪」となるのである。明治期の黙阿弥には、それがとりわけ顕著である。
四 強請、いき、改心――幕末期の黙阿弥
強請、いき、改心の関係を検討するために幕末期の黙阿弥作品を振り返ってみたい。まず『蔦紅葉宇都谷峠』(文
弥殺し、安政三年)をみてみよう。盲目の少年文弥は姉が吉原に身売りした金を持って、座頭の官位を取りに京都へ
向かう。鞠子の宿に泊まった十兵衛は、胡麻の蠅仁三に狙われた文弥を宇都峠まで送っていき、主人のため金を貸し
てくれと頼むが、断られると文弥を殺してしまう。十兵衛は妻しづとともに、その怨霊に悩まされる。本作でも、ま