キャリア教育と「私」の形成について~身体・自我・社会の関係世界の構築~
校長 菅原康之 「キャリア形成の考えの出もとは、エリクソンの自我同一性(アイデンティティー)の 確立にあります。」と木村宣孝先生(平成 29年度札幌高等養護学校校長)がお話しされた ことがあります。人間は常に自分が果たしている社会的役割や価値について、家族の中で、
学校生活の中で、社会的階層の中で、職業生活をとおして、さらに、どんな人間になろう としているか、あるいは、他者からどのように見られているのか、について問うまたは問 われる存在です。エリクソンは自我の水準を8つの段階に分けて、自我形成が段階ごとの 危機をどう乗り越えるかによって自我の統合(自我同一性)に成るかどうかが決まると述 べています。その中でも特に「永続的な自我同一性は、最初の口唇期の信頼がなければ存 在し始めることさえできない。」(エリクソン「幼児期と社会」)と述べ、人生の初期におけ る信頼関係の成功がその後の人生を決定するとして重視しています。
そのような自我はどのようにできるのでしょうか。そのことについて浜田は「子どもを 単にひとつの個体として見定めて、そのなかに自我意識がどう目覚めていくかを見るので はなく、子どもが、まさに他者との関係のなかで他者との境を見出し、個体になっていく 過程を追う・・・」(浜田寿美男 ワロン/身体・自我・社会から)と述べています。
つまり、人間は初めから他者との全体的な関係にあって、その上で他者との境界、区別 による違いが自我の形成の始まりであることをワロンの説に沿って論じています。
さらに、「人間は、個体発生、系統発生のいずれにおいても、まず、諸事物をよく弁別し、
これらを概念的に再編成し、個体間の交通関係を発展させてから、そののちはじめて、自 らを社会や世界から区別し、そこにある程度の自律性を得ることができるのです。」(前書 掲載)として、いろいろな物や人をそれぞれ区別していくこと、それを概念的に再構成し ていくことによって、人とのコミュニケーションが始まり、他者と違う自分を知る 過程が
「私」になる道筋だと述べています。この過程は、まさに学校教育の道筋に合致します。
この2年間の研究成果の一例として、本校で取り組みだした車いすマラソンについて紹 介します。
一人の生徒が車いすマラソンで自分の力を精一杯出してこぎ出したのですが、どうして も途中で息が切れ、ゴールできないことがありました。そこで、教師の助言を受け、一周 にかかる時間を算出し、そのペースで周回すれば、目標の時間までに完走できることを知 ったのです。つまり、今の自分の力を知ったのです。彼は、それを自覚した上で、一周の 時間を短くすることを新たな目標にしました。その結果、目標の時間を更に短くゴールす ることができたのです。
この過程における教育的な意味は、生徒が環境と自分の能力を言葉や数値に置き換えた ことにより、自分の力を知ったこと、そして、自分にとって達成可能な目標が見えやすく なり、ペースを守るためにこれ以上の力を出さないように自分を律したことです。
また、教師の助言が生徒の目標達成に繋がったことが意味するのは、生徒の目標を叶え させたいと願う教師の目標が生み出されたことです。このことにより、生徒と教師の目標 は時間内ゴールをめざすだけではなく、教師と生徒がお互いに相手の期待に応えようとす る関係までも高めたのです。
その結果、生徒(自我)が自分の身体を環境に対して調節し(身体)、自己と他者との価 値の共有(社会)によって自己実現を果たしたのです。このことがきっかけとなり、彼の 生活は見通しを立てた行動に変わってきました。
キャリア教育の原点は、子どもたちの輝く姿にあり、私たちは子どもたちとともにその 姿に数多く出会うために日々実践と研鑽に励まなければいけないのだと心を新たにしてい るところです。