「ソ連およびロシアのフィギュアスケートにおける男性性」
5020019 総合国際学研究科 世界言語社会専攻 言語文化コース 2 年
谷平 早希子
目次
序章 研究目的 先行研究 本論文の構成
フィギュアスケート競技の概要
・フィギュアスケートの歴史 ―発祥と競技化―
・ロシアにおけるフィギュアスケートの歴史 ・競技会の概要 ―内容、採点法、ルール―
第1章 フィギュアスケートとジェンダー
Ⅰ-1 フィギュアスケートとジェンダー・イメージ
Ⅰ-2 プログラムのジェンダー・ステレオタイプ
Ⅰ-3 北米のフィギュアスケートにおける男性性
・女性化された領域における男性
・The Macho Turnへの歩み
第2章 プログラム分析
Ⅱ-1 芸術への志向 ―コヴァリョフからボブリンへ―
Ⅱ-2 ソ連におけるナショナルスタイル
Ⅱ-2-1 ハイ・アートとフィギュアスケート ―バレエとの関わり―
Ⅱ-2-2 ウルマノフとハイ・アート ―芸術面での追求と挑戦―
Ⅱ-2-3 民族舞踊の取り入れ
Ⅱ-2-4 ナショナル・アイデンティティーの表象
Ⅱ-3 ソ連崩壊後の多様化
Ⅱ-3-1 欧米文化の導入 ―クーリックとアメリカ―
Ⅱ-3-2 アプトのプログラムにおける文化圏、男性性の多様化
Ⅱ-3-3 ヤグディンの“Macho Turn”
Ⅲ-3-4 プルシェンコによる新時代のナショナルスタイル
第3章 考察
Ⅲ-1 男性学の概要
Ⅲ-2 ロシアのジェンダー史
Ⅲ-3 国家の権威と男性性
Ⅲ-4 社会主義スポーツ体制
Ⅲ-5 社会的現象としてのフィギュアスケート
―ジェンダーとナショナル・アイデンティティーの観点から―
結論 参考文献 一次資料
1 序章
本論文では、20世紀後半から21世紀はじめのフィギュアスケート競技のソ連、ロシア代 表男子シングル選手のプログラムにおいて表現されている「男性性」を分析し、北米をはじ めとした西側諸国の状況と比較しながらソ連、ロシアにおける男性性の特徴と変遷を明ら かにする。
研究目的
本論文の目的はソ連、ロシアの男子フィギュアスケートにおける男性性の変遷と特徴を 明らかにすると共に、20世紀後半から21世紀はじめのソ連、ロシアの男性性をフィギュア スケートという新たな視座から考察することである。
フィギュアスケートを対象とした先行研究は、単にスポーツ科学の分野のみにとどまら ず、さまざまな領域に及んでいる。この背景にあるのがフィギュアスケートのスポーツと しての特殊性である。1908年より冬季オリンピック種目として採用されているフィギュア スケートは、スポーツであると同時に舞踊、演劇的要素を含んだ一種のパフォーミング・
アーツであるとも言える。町田(2020)はフィギュアスケートが本質的に有す「スポーツ」
と「アート」の両義的性格とその不可分性を指摘し、「競技規則が選手に芸術性の発揮を 課しているスポーツ」という意味の「アーティスティック・スポーツ」と定義している。
また、相原(2015)は「個々のスケーターのために創作されるプログラム(演技)を披露する フィギュアスケートは、パフォーミング・アーツの中でも独創性を発揮しやすい性質を持 ち、競技としての規定を満たすことを前提としても、多様な表現を生み出す可能性を秘め ていると言える」(p.113)と述べている。つまり、フィギュアスケートにおいて選手、また は振付師はアスリートとして競技的な成功を目指すと共に、パフォーマンスを通じて自身 の思想やアイデンティティを表現することができる。そのため、フィギュアスケートのプ ログラムは作品として創造性とある程度の独立性を持ち、映画や演劇、舞踊などと同様に 分析可能なテクストと位置付けることが可能である。
このようフィギュアスケートを「テクスト」として捉えた研究においてしばしば用いられ るのがジェンダーの視点であり、選手がプログラムの中で表現する男性性、女性性に注目が 集められることが多い。そして、男女シングルスケーティングのパフォーマンスでは社会的 に奨励される男性像、女性像の理想美を再生産するかのようにステレオタイプ化されてい るという相原(2015)の指摘の通り、フィギュアスケート競技ではプログラム(演技)の技術面、
芸術面双方において定型化された男性性(masculinity)と女性性(femininity)、いわゆるジェ ンダー規範が存在する。このジェンダー規範は時にジェンダー・バイアス1として選手のパ
1 相原(2015)は「社会が規定する男性性、女性性を表現することを要請すること」として いる。
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フォーマンスに制限を与え、フィギュアスケートの発展の過程において強い影響力を有し てきた。また、一般的にフィギュアスケートが女性的な競技として認識されることから、男 子選手、特にシングル競技の選手はよりジェンダー・バイアスの影響を受けやすい。特にこ の傾向が顕著な欧米では、男子選手がパフォーマンスにおいて表現する「男性性」は社会的 に関心を集め、Adams(2011)は男子フィギュアスケートの歴史は男性性の支配的なバージ ョンとの関係の歴史でもあると指摘している。フィギュアスケートのジェンダー研究は Kestnbaum(2003)や中川(2004)、Adams(2011)、相原(2015)、岡田(2019)などが存在し、ジ ェンダーの考察を主軸としながら、フィギュアスケートが競技スポーツとしての統一的な 枠組みの中でそれぞれの国や地域の文化や歴史、社会情勢を反映しながら独自に、時には相 互に影響を与えながら発展してきたことが示されている。特にAdams(2011)、相原(2015)、
岡田(2019)は男性性に焦点を当てており、フィギュアスケート界における男性性の変遷が 他のスポーツや政治、社会情勢といったフィギュアスケート界以外のコンテクストとの比 較、検討を踏まえて考察されている。しかし、これらの研究での主要な対象地域はいずれも 欧米やアジアであり、ロシアに特化した研究は行われていない。ロシアはソ連時代の社会主 義スポーツ体制やバレエなどに代表される芸術文化の伝統を強みに技術力と芸術性を兼ね 備えたフィギュアスケートの強豪国となり、フィギュアスケート界において重要かつ独自 の地位を築いてきた2。
また、ロシアは政治体制やイデオロギーのラディカルな変化を背景に、ジェンダーの面で も西側諸国と異なる特殊な変遷を辿ってきた。特に1980年代以降の政治体制の過渡期にお ける経済状況の悪化や社会秩序の変化を起点に生じた男性のアイデンティティーの揺らぎ は「男性性の危機」として認識され、文化、芸術の領域ではソ連の男性性への悲観的見解や 時代への適合に苦労する男性の描写が散見された3。
本論が研究対象とするのは1979/1980年シーズンから2004/2005年シーズンまでの期間 であるが、1980 年代はフィギュアスケート界、特に西側諸国の選手の男性性にも変化が訪 れた時期である。Adams(2011)は、1980 年代後半から 2000 年代初頭に欧米の男子シング ル選手の間で起こったステレオタイプ的な男性性を強調する傾向を“The Macho Turn”と呼 び、競技スポーツとしての発展の過程で女性的なイメージを付与されたフィギュアスケー トの歴史におけるひとつの転換点かつ男子シングル選手の新たな演技スタイルであるとし ている。本論文では、欧米におけるこの“The Macho Turn”の時期のカウンターパートとし ておよそ同時期のソ連およびロシアの男子シングル選手のプログラムの分析を行い、ソ連 およびロシアのコンテクストにおけるフィギュアスケートの男性性の変遷を西側との比較、
2 ソ連勢の活躍を支えた優秀なコーチや振付師の一部はソ連崩壊を契機に北米をはじめと する海外に活動拠点を移し、世界中のスケーターの活躍と各国のスケート界の発展に貢献 した。
3 Hashamova(2006)、Zdravomyslova, Temkina(2012)などが存在する。
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当時の社会情勢やフィギュアスケート以外の文化、芸術で表現された男性性の影響を加味 して考察する。
ジェンダー研究全体の傾向と同様に、ソ連、ロシアを対象としたジェンダー研究において も男性性に焦点を当てた研究は女性学研究に比べて不足している。本論文はフィギュアス ケートというロシア、ソ連が特殊性と伝統を持つ「スポーツ」と「アート」が融合したユニ ークなテクストを題材にすることで、ソ連、ロシアの男性学研究に多様性をもたらすことが できるだろう。
先行研究
フィギュアスケートにおける男性性を考察した例として以下の先行研究が存在する。い ずれもフィギュアスケートの女性的な競技としての認識が前提となっており、フィギュア スケート競技における男性選手の存在と男性性が注目されている。
Kestnbaum(2003)は、フィギュアスケートにおいて選手がパフォーマンスを通じて外部 に伝達する文化的な意味とその受容をフィギュアスケートの成立過程やムーブメント、衣 装、音楽などパフォーマンスを構成する諸要素、選手の発言やメディアの報道を通じて考察 している。フィギュアスケートのパフォーマンスを特徴付ける要素のうち、最も顕著なもの としてジェンダーを中心的に取り上げている。競技としての発展やメディアの報道を通じ て形成された女性的なイメージ、それに付随して生じた男子スケーターへのネガティブな 認識に対し、フィギュアスケート界および男子選手が行った方策やフィギュアスケートの 諸要素から読み取れる男性性が北米の文脈を軸に論じられている。
Adams(2011)は、フィギュアスケートのジェンダー的な変遷を北米の男子シングル選手 の男性性、そして男子選手とパフォーマンスにおける芸術的要素の関係に焦点を当てて分 析している。選手のパフォーマンスや発言、メディアの報道に加え、ジェンダーやセクシュ アリティに関する社会的事件についても深く考察し、社会の潮流とフィギュアスケート界 の動向に相関関係を見出している。
相原(2015)は男子シングルにおいては力強いスポーツ性、女子シングルでは優美な芸術 性が求められる傾向を指摘し、21 世紀の男子シングルにおいて実施されたクロスジェンダ ー・パフォーマンス、つまり男子シングルの場合は女性性、中性性が表現された演技を地域 を限定せず列挙し分析している。選曲や振付、衣装といった芸術的要素として大別されるも のに加え、ジャンプやスピンといったスポーツ的性格が強い必須エレメンツの内容にも着 目し、21世紀の男子選手のパフォーマンスにおけるジェンダー的な多様化を検証している。
また、クロスジェンダー・パフォーマンスの例としてロシアのプルシェンコのプログラムを 挙げており、男性が架空または実在の女性や両性具有的な人物を演じるクロスジェンダー・
キャラクター・パフォーマンスと細別している。
岡田(2019)は、女性的な競技というイメージが持たれやすいフィギュアスケートにおけ るマスキュリニティ概念の世界的な変化を、セクシュアリティや人種に着目しながら考察
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している。その中で2000年代以降の日本をはじめとした東アジア男子選手の台頭に言及し ているが、背景として挙げられているのが文化的価値観における地域的相違である。英語圏 において否定的に認識される非マッチョ的、もしくは中性的な男性像が日本では好意的、少 なくともニュートラルに受け入れられているとし、マスキュリニティ、つまり男性性に関す る感覚は文化圏によって差異が生じるとしている。これはロシアに主眼を置いた局地的な マスキュリニティ分析を行う本論文にとって重要な指摘であると言えよう。
以上の先行研究はジェンダーを軸にフィギュアスケートが持つ「スポーツ」「アート」の 両要素にアプローチしており、ジェンダーが顕在化する社会的領域の一つとしてフィギュ アスケートに学術的研究上での価値を見出している点でも大変意義深い。だが、ロシアやソ 連については部分的、またはその他地域に関する理論を基にした推察的な言及を除いて地 域的に特化した考察は行われていない。フィギュアスケートのジェンダー研究をより精緻 なものにするためには、長年の強豪国であり各国のフィギュアスケートの発展に影響を与 えてきたロシアの状況を該当地域の文脈に即し実証的に考察することが不可欠であろう。
本論文はソ連およびロシアのフィギュアスケートにおける男性性を多角的に検証し、その 変遷と特徴を明らかにすることで、フィギュアスケートの男性性研究に地理的な広がりと 発展をもたらすことができる。
本論文の構成
第1章ではフィギュアスケートにおけるジェンダーについての詳細を述べると共に、欧 米のフィギュアスケート界での男性性の変遷を Adams(2011)が論じた“The Macho Turn”
を中心に説明する。第2章では筆者が行ったプログラムの分析結果について述べ、第3章 の考察ではソ連およびロシアの社会、文化における男性性や社会主義スポーツ体制につい て言及した上でソ連、ロシアのフィギュアスケートの男性性の変遷と特徴、そしてフィギュ アスケートから見たソ連とロシアの男性性を論じる。
フィギュアスケート競技の概要
本論に先立ち、フィギュアスケートを競技スポーツとしての変遷や制度面に焦点を当て て概観する。
・フィギュアスケートの歴史 ―発祥と競技化―
アイススケートの歴史は古く、フィギュアスケートとして成立する以前からイギリスや オランダなどの北ヨーロッパを中心に移動手段や冬季の娯楽として存在していた。16 世紀 のドイツやオランダでは老若男女問わずさまざまな人々がスケートを行う様子が描かれた 絵画が残されている。17 世紀~18 世紀頃は少年と裕福な男性が中心的な担い手となった。
僅かな力でスムーズかつスピーディーに移動が可能なスケートは、優雅さや気品といった
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上流階級的なイメージや行動様式、高貴な男性が持つべき「男らしさ」と親和性が高く、貴 族や王族にも親しまれた。このように、19 世紀のはじめ頃までスケートは上流階級の男性 が自身のステータスと男性性を体現できる娯楽として定着した。また、余暇活動としての浸 透と同時に技術的な開発や基準化も行われ、これに寄与した存在のひとつがスケーティン グクラブである。スケーティングクラブは18世紀中ごろにエディンバラに誕生したのを皮 切りに、その後19世紀にかけてヨーロッパや北米の各地で開設され、技術的な熟練が目指 された4。
競技としての土台となる技術的な発展が進む一方で、スケートの芸術面に注目する動き も生じた。フランスやオーストリアではバレエ文化やワルツの流行を背景に、音楽との調和 や動きの優美さなどスケートにおいても芸術性を重視する傾向が見られた。この潮流はウ ィーン・スタイル、またはインターナショナル・スタイルと呼ばれ、後に成立した競技会の ひな型となった5。そして、芸術性の追求において重要な人物が、アメリカ出身でパフォー マンススケーターとして 19 世紀の欧米で活躍したジャクソン・ヘインズ(1840-1875)であ る。バレエの素養を持つヘインズは、ボディラインや腕や脚のポジションの美しさ、シアト リカルな衣装や音楽、キャラクターの表現を取り入れた。こうした芸術性、エンターテイン メント性の高いパフォーマンスはヨーロッパ各地で人気を博したものの、「道楽的なスケー ト(fancy skating)」との批判も受けた。特に、実践的かつ科学的なアプローチでのテクニカ ルな探求がさかんで、イングリッシュ・スタイルと呼ばれるスケーティング技術を重視する 潮流が定着していたイギリスでは、芸術性の追求はフィギュアスケートの正統に反するも のとされた。しかし、国際的な競技化の過程でイギリスにもインターナショナル・スタイル が流入し、イングリッシュ・スタイルに取って代わったことから、競技的な発展過程におい て芸術性はフィギュアスケートを構成する重要な要素として維持されることが選択された とわかる。
このような技術面、芸術面双方での発展に加え、ブレードの改良、人工氷による屋内リン クの普及もフィギュアスケートの競技化を後押しした。19 世紀半ばまでには各地で非公式 のローカルな競技会が開催されていたとされるが、現在の国際的な競技形式の先駆けとし ては1882年にウィーンで開催された競技会が挙げられる。コンパルソリーフィギュア、ス ペシャルフィギュア6、フリースケーティングの3つのフェーズでスケーティング技術と芸 術性が競われた。そして1892年、ヨーロッパ各国のフィギュアスケート、スピードスケー
4 一定以上のスケート技術を持った者にメンバーシップが付与されたが、対象は基本的に 上流階級の男性に限定されていた。
5 フランスのガルシンはスケートをダンスと同様の一種の芸術とみなし、腕や脚のポジシ ョンの優美さを追求を唱えた。
6 スペシャルフィギュアは規定された図形の正確なトレースが課題とされた点でコンパル ソリーフィギュアと類似していたが、より精巧で複雑な図形が規定された。
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トの団体が集まり、国際スケート連盟(ISU)が発足した。ISUによって国際競技としての制 度化が進められ、1896年にはロシアのサンクトペテルブルクで初の世界選手権が開催され た7。当初競技への参加は男子のみであったが、1906年の女子大会が別途開催され、のちに 男子の試合と統合された。さらにペアスケーティングが加えられたフィギュアスケートは 1908年にオリンピック種目としても採用され、ロンドンオリンピックでは男女シングル、
ペアスケーティング、スペシャルフィギュア8が実施された。また、現在も男女シングル、
ペアスケーティングに並ぶフィギュアスケート競技の種目として国際的に実施されている アイスダンスは1952年に世界選手権、1976年にオリンピックに導入された。
・ロシアにおけるフィギュアスケートの歴史
ロシアでのスケートの歴史は、ピョートル 1 世がヨーロッパからスケート靴を持ち帰っ たことに始まるとされる。1838 年には体操教師であるГ.М.パウリがロシア初のフィギュ アスケート教本となるЗимние забавы и искусство бега на коньках(「冬の娯楽とアイススケ ートの技術」)を著した。このタイトルから、同時代の欧米と同様にロシアでもスケートは 冬季のレジャーとみなされていたと推察される。ロシアの初期のフィギュアスケートは首 都であるサンクトペテルブルクを中心に発展した。1865年、サンクトペテルブルクのユス ポフ庭園に公共のスケートリンクが開設され、1878年にはロシア初のフィギュアスケート の競技会が開催された。また、先述の通り初の世界選手権も開催され、2名のロシア人選手 が参加した。他にもサンクトペテルブルクでは1877年に発足したペテルブルクスケート愛 好者協会(Петербургское общество любителей бега на коньках)がロシアにおけるスケートの スポーツとしての発展に貢献し、20 世紀に入るとロシア初の人工氷の屋内スケートリンク も開設された。フィギュアスケートが国際競技として普及する中で、ロシア勢として台頭し たのがニコライ・パニン=コロメンキン(1872-1956)である。1901年から1903年までのロ シア選手権で優勝したほか、1908年のロンドンオリンピックではスペシャルフィギュアで 1位となり、フィギュアスケート競技の初代オリンピックチャンピオンとなった。パニンは スケート教本の執筆やスケート靴の開発などでもフィギュアスケートの発展に尽力した。
中でも大きな功績として挙げらるのはレニングラード体育大学(Ленинградский институт физической культуры имени П.Ф. Лесгафта)へのフィギュアスケート科(отделение фигурного
катания)の設立である。ここでは現代ソヴィエトフィギュアスケートの基盤が作られたとさ
れ、スタニスラフ・ジュークやイーゴリ・モスクヴィン、タマラ・モスクヴィナ、アレクセ イ・ミーシンなど著名な指導者を輩出した。
革命後はパニンらによってフィギュアスケートのスポーツセクションが設立され、ソヴ
7 コンパルソリーフィギュアとフリースケーティングで構成された。
8 オリンピックでのスペシャルフィギュアの実施は1908年大会のみである。
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ィエト時代もフィギュアスケートの発展は継続した。ソ連勢として最初に国際的な活躍が 見られたのがペアスケーティングである。1958年から1960年のヨーロッパ選手権で2位と なったニーナ・ジューク/スタニスラフ・ジュークを皮切りに、リュドミラ・ベルソワ/オレ グ・プロトポポフ、イリーナ・ロドニナ/アレクサンドル・ザイツェフなどのソ連勢が長年 にわたりオリンピック、世界選手権を制覇した。ペアスケーティングに続いてソ連勢が強さ を発揮したのがアイスダンスである。国際的な舞台への参加は遅かったものの、1976 年の インスブルック大会でアイスダンス初代オリンピックチャンピオンとなったリュドミラ・
パホモワ/アレクサンドル・ゴルシコフをはじめイリーナ・モイセーワ/アンドレイ・ミネン コフ、ナタリヤ・リニチュク/ゲンナジー・カルポソノフなど複数のチャンピオンを輩出し た。このようにペア、アイスダンスとカップル競技で強豪国となったソ連であったが、シン グルにおいては長年欧米勢に水をあけられていた。パニンの後、男子シングルで海外トップ 勢と渡り合ったのが1972年の札幌オリンピックで銀メダルを獲得したセルゲイ・チェトヴ ェルヒンである。その後の1970年代から1980年代はウラジーミル・コヴァリョフ、ウラジ ーミル・コーチンなどのちにロシアフィギュアスケート界の重鎮となるチャイコフスカヤ 門下のスケーターの活躍が見られた。女子シングルは、1983 年の世界選手権でエレーナ・
ヴォドレゾワがソ連勢初の表彰台となる銅メダルを獲得するまで目立った活躍は見られな かった。
ソ連崩壊後はスポーツ体制の変化や経済不安、指導者らの国外流出などにより苦境に立 たされたものの、男女シングル、ペア、アイスダンスの各競技カテゴリで複数回にわたりオ リンピック金メダリストを輩出するなど、現在もロシアはフィギュアスケート強豪国のひ とつとして位置付けられている。
・競技会の概要 ―内容、採点法、ルール―
19世紀末に開始してから現在まで、フィギュアスケートの国際競技会はISUにより内容 やルール、採点法などに数々の変更が加えられながら実施されてきた。ここでは本論文で取 り上げる20世紀後半から21世紀はじめの競技会の概要を、当時の競技会の内容、運用さ れていた採点法、ルールの観点から説明する。なお、本項で述べる内容の一次資料としては 策定元であるISU が公開する資料が望ましいが、度重なる更新により該当時期のものが入 手できなかったため、Kestnbaum(2003)、竹内(2007)、Hines(2011)を参照した。
スポーツの枠組みにおいて、フィギュアスケートが持つ代表的な特徴が勝敗の決定方法、
つまり採点競技という点である。フィギュアスケートの歴史の中で、採点法は主に二つに分 類される。一つ目が2001/2002年シーズンまで運用されていた6.0システムと呼ばれる方 式。二つ目が2002/2003年シーズンから現在まで用いられているISUジャッジングシステ ムである。両者はそれぞれ旧採点方式、新採点方式の通称も持つ。6.0システムは、採点基 準に基づき 9 名のジャッジが選手を技術点と芸術点それぞれ最大 6.0 の範囲内で相対評価
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し順位が決定される。一方、ISUジャッジングシステムは技術点、演技構成点、減点の合計 得点により順位が決定される。6.0システムに比べ採点項目の細分化が特徴であり、審判団 が選手の行うエレメンツの認定を行うテクニカル・パネルとエレメンツの内容や全体的な 演技を評価するジャッジ・パネルに分かれているなど採点の客観性も重視されている。以上 の採点法の下、フィギュアスケート競技会は下記の複数のフェーズにより構成される。
コンパルソリーフィギュア 規定の図形をリンク上に描く課題が実施。1989/1990 年 シーズンをもって廃止された。
ショートプログラム 1973年に導入。一時はオリジナルプログラムまたはテク ニカルプログラムとも呼ばれていた。フリースケーティ ングに先立って実施され、要求されたエレメンツを規定 数遂行することが求められる。ジャンプ、スピン、ステッ プシークエンスで構成。
フリースケーティング 別名ロングプログラム。ISU が行うフィギュアスケート 競技会においては常に実施されてきた。規定の範囲内で 自由にエレメンツを遂行可能。ジャンプ、スピン、ステッ プシークエンスなどで構成。
また、競技会においてはいくつかの特徴的な禁止事項が存在する。代表的な例としては歌詞 入りの音楽の使用9やバックフリップ、小道具の使用などが挙げられる。また、衣装につい ては男子選手にはフルレングスのズボンの着用と胸を露出させないネックラインを持った 衣装の着用が義務付けられている。タイツやノースリーブは不可とされている。
9 長年アイスダンスでのみ歌詞入りの楽曲の使用が認められていたが、男女シングル、ペ アスケーティングにおいても2014/2015年シーズンより使用が解禁された。
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Ⅰフィギュアスケートとジェンダー
本章ではフィギュアスケートとジェンダーの関わりについて論じる。先述の通り、フィギ ュアスケートを題材にしたジェンダー研究は多く存在するが、これはフィギュアスケート が成立過程や競技上の特性において非常にジェンダー化された競技であるという点に起因 する。フィギュアスケートに付与されたジェンダーイメージや選手が遂行するジェンダー について、欧米を中心に考察した先行研究を参照して整理する。
Ⅰ-1 フィギュアスケートのジェンダー・イメージ
スポーツはジェンダーと結びつけて語られることの多い文化の一つである。岡田(2010) は、スポーツは1970年代よりジェンダー、セクシュアリティ研究の対象として浮上するよ うになったと指摘し、スポーツがジェンダー研究の対象とされる要因として以下の2点を 挙げている。1点目はスポーツが当初より男性による実践を前提としたホモソーシャルな 領域、つまり男性ジェンダー化されていること。2点目は身体を用い、そのパフォーマンス によって優劣が可視化される数少ない身体文化であることである。スポーツは近代化によ り女性への普及が進む中で、競技ごとにジェンダー化されたイメージが付与されるように なった。強い筋力や身体的接触を含む競技は男性的、柔軟性や芸術性を求められる競技は女 性的というように、競技上の特性によってジェンダーが識別され、野球やサッカー、ボクシ ングは男性のスポーツ、新体操やアーティスティックスイミングは女性のスポーツと認識 されやすい。フィギュアスケートは後者のカテゴリ、つまり女性的な競技とする認識が優勢 だろう。しかし、序章で述べた通り、発祥した当初は上流階級の男性が行う娯楽であり、競 技としての初期においても中心的な競技者は男性であった。このように、フィギュアスケー トは男性ジェンダーの領域であるスポーツの一種であるという前提に加え、少なくとも成 立当初は男性を中心に実践されるホモソーシャルな身体文化であった。では、フィギュアス ケートはどのようにして「女性化」されたのだろうか。フィギュアスケートのジェンダー的 な変遷について、欧米の文脈で詳細な考察を行った Adams(2011)を参照し整理する。
Adams(2011)は、フィギュアスケートが今日の北米で女性的なスポーツとして認識されて いることを指摘し、競技化、普及の過程で当初の「紳士の芸術(Gentlemen’s Art)」から「女 子のスポーツ(“Girls’ Sport”)」へと変化したと述べている。フィギュアスケートは本格的に 競技化した20世紀始めまで男性中心に行われてきたが、欧米では1860年代末までには女 性の参加も増加した。女性への普及の要因としては、中上流階級での余暇活動の拡大、健康 への関心の高まり、都市部でのリンクの開設増加などがある。さらに、従来男性に限定され ていたスケーティングクラブへの女性の加入解禁や女性限定の競技会の開催など10、女性へ
10 フィギュアスケート発展の中心地の一つであったウィーンでは1875年に女性のみの競 技会が開催されている。
10
の門戸の開放や、娯楽としての枠組みを超えた技術を追求するスポーツとしての普及も観 測された。そして、20 世紀に入りフィギュアスケートの女性的なイメ―ジの形成を加速さ せたのがノルウェーの女子シングル選手のソニア・ヘニー(1912-1969)である。ヘニーは世 界選手権での10度の優勝、2大会連続でのオリンピック金メダルなど、数々のタイトルを 獲得した20世紀はじめの女子フィギュアスケートを代表する選手である。芸術面でも高い 才能を発揮したヘニーはアイスショーへの出演も積極的に行い、競技引退後は知名度と恵 まれた容姿を活かし、複数のハリウッド映画への出演も果たし大きな人気を得た。当時の女 子フィギュアスケートの象徴としてのヘニーの存在と多方面での活動は、大衆の女子フィ ギュアスケートへの関心、フィギュアスケートのエンターテインメント性や芸術的要素の 前面化、そして女性が行う活動としてのフィギュアスケートのイメージ形成に多大な影響 を及ぼした11。こうしたヘニーの人気やそれに付随したフィギュアスケートの女性的なイメ ージの形成により、20 世紀前半にフィギュアスケートの女性競技人口はさらに大きく増加 した12。一方で、男性の競技人口は第二次世界大戦の影響もあり減少し、1940年代のはじめ 頃までには北米を中心にフィギュアスケートの「中流階級の白人の少女のスポーツ」という イメージが定着したとされる。
このように、北米を中心とした欧米においてフィギュアスケートはフィギュアスケート 界内部と社会という外部の情勢の変化により女性化が進展した。一方で、ロシアにおけるフ ィギュアスケートのジェンダーイメージは上記の地域と同様に女性的なスポーツとしての 認識が一般的なようである13。しかし、女子シングルの普及が比較的遅かったことや初期は ペアやアイスダンスなど男性が参加するカテゴリが活発に行われたことから、北米ほど強 固な女性的イメージ、少なくとも20世紀の前半においては「少女のスポーツ」というイメ ージは形成されていなかった可能性がある。ロシアおよびソ連でのフィギュアスケートの ジェンダー・イメージについては第3章にて言及する。
1-2 プログラムでのジェンダー・ステレオタイプ
採点競技であるフィギュアスケートの主体をなすのが選手のパフォーマンス、つまりプ ログラムである。序章での説明の通り、フィギュアスケートにおいてプログラムは単に選手 がアスリートとしての修練を発揮するだけでなく、音楽や衣装、振付、表情などを通じて個 人のアイデンティティーや思想を表現しうる創造的な領域である。一方で、競技スポーツと
11 彼女が着用した短いスカートの衣装や白いスケート靴なども少女が行うスポーツとして のフィギュアスケートのイメージ形成に影響したと考えられている。
12 スケート靴の改良による価格の低下はフィギュアスケートの競技人口の増加の一助とな ったとされる。
13 Sudakova(2009)、Damadaeva(2011)は現代ロシアのスポーツとジェンダーを論じる中 でフィギュアスケートは女性的なスポーツの一つであるとしている。
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しては当然であるが、さまざまな規則が選手のパフォーマンスに一定の制限を与える。
ルールや採点上の評価基準など、明文化された要素のほかに選手のパフォーマンスに影 響を与えるのがジェンダー規範である。このジェンダー規範は、衣装やエレメンツの規定な どの明文化されたルールと重なる部分もあるが、これらの規定も男性と女性に対する認識 の相違、つまりジェンダーに起因して定められたものである14。プログラムでのジェンダー 規範の根底にはステレオタイプ的な「男らしさ」「女らしさ」が存在し、男子選手は高い身 体能力や筋力を生かした力強くたくましい、ダイナミックなパフォーマンスを、女子選手は ボディラインの美しさや柔軟性を発揮したしなやかで優美なパフォーマンスを行うのが望 ましいとされる。15プログラムにおけるジェンダー規範は、前項で述べたジェンダー・イメ ージと連動して形成されていったと考えられ、ヘニーの活躍した1920年代以降より顕著に なっていく。男子シングルでのジェンダー規範に関して重要な存在であるのがアメリカの ディック・バトン(1929-)である。1948 年、1952 年のオリンピックで連覇を達成したバト ンは、難易度と質の高いジャンプやスピンなどのエレメンツを武器に活躍した。16彼のアス レチック要素での卓越とその追求は男子シングルにおける理想とされ、その後の男子シン グル選手にはアスレチック要素の過度な強調が見られた(Adams, 2011: 158)。
このように、ヘニーやバトンらのような各時代を象徴するようなトップ選手によってジ ェンダー規範は明確化、蓄積されていき、ジャッジや選手、コーチ、振付師の間で広く共有 されるようになった。しかし、このジェンダー的ステレオタイプの潜在的な要求に相反する パフォーマンスを行う選手が20世紀後半から21世紀を通じ一定程度登場してきた。女子 シングルでは、日本の伊藤みどりやフランスのスルヤ・ボナリーなどが高難度ジャンプに挑 戦し、女子シングルの技術的な発展に貢献した。男子シングルにおける代表的選手としては、
1976 年インスブルックオリンピック金メダリストのイギリスのジョン・カリーや 1990 年 代に活躍したアメリカのルディ・ガリント、2000年代に活躍した同じくアメリカのジョニ ー・ウィアーらが挙げられる。彼らは優美な所作や柔軟性、曲線的なボディラインといった フィギュアスケートにおいて女性的とみなされる要素を多く取り入れたパフォーマンスを 行った。セクシュアリティに関する内容を含む数々のバッシングに遭いながらも自らのス
14 かつて女子選手にはパンツタイプの衣装の着用が認めらていなかったことや、柔軟性が 求められるスパイラルが男子シングルでは必須要素とされてこなかったことなどが例とし て挙げられる。
15 プログラムでのジェンダー規範は性別を基に形成されるが、同性への規範であっても競 技カテゴリにより多少の相違がある。たとえば、ボールルームダンスを基に成立したアイ スダンスにおいては、女子選手のみならず男子選手にも芸術性が多分に要求される。
16 バトンは自伝にて幼少期にフィギュアスケートを行うことでジェンダー的な偏見を受け た経験を告白しており、高難度のエレメンツへの挑戦は「少女のスポーツ」というレッテ ルへの反証の意もあるだろう。
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タイルを固持した彼らの存在は、芸術面での進化やパフォーマンスの多様性の促進などの 観点からフィギュアスケート界の発展に大きく寄与した。
このように、フィギュアスケートのプログラムにおいて、選手は技術面、芸術面の双方 でジェンダーに基づく制限、つまりジェンダー規範の影響下にある。これは選手のパフォ ーマンスを画一化したり、規範に沿わないパフォーマンスを排除するような意図や権力は 有しておらず、あくまでフィギュアスケート界に普遍的に存在する認識の一つである。し かし、ジャッジの採点により順位が決定する点や芸術的要素の保有などの特性上、選手や コーチ、振付師にとっては競技的な成果を目指す中で看過できない要素と言えよう。
1-3 北米のフィギュアスケートにおける男性性
ホモソーシャルな身体文化として発祥しながらも、その発展過程において女性ジェンダ ー化されたフィギュアスケートにおいて、男子選手はしばしば周縁化され、競技者としての アイデンティティーの形成やパフォーマンスの遂行について葛藤を抱える様子も散見され てきた。本節では、本論文の主題であるソ連およびロシアの男子フィギュアスケート選手の 男性性をより詳細に検討するため、フィギュアスケート競技の主要地域であると同時に男 性学研究の先進地域でもある欧米、特に北米の先行研究を基に、フィギュアスケートをはじ めとした女性ジェンダー化された身体文化における男性性について整理する。
・女性化された領域における男性
ジェンダーと本質的な連関を持つ身体文化において、ジェンダーの視座に立った議論や 研究は枚挙に暇がない。フィギュアスケートと同様に女性的な競技とされるチアリーディ ングにおけるジェンダーについて調査したGrindstaff, West(2006)は、女性的とされるスポ ーツに従事する男性は、ジェンダーやセクシュアリティに関する偏見を打開するためにア ス レ チ ッ ク 性 を 強 調 す る 傾 向 が あ り 、 こ れ を 「 代 償 性 の 超 男 性 性(compensatory hypermasculinity)」と呼んでいる。先述のバトンとも類似が見られるこうしたアスレチック 要素の強調は、スポーツ以外の身体文化でも行われる。その一例として、フィギュアスケー トと同様にパフォーマンスにおけるジェンダー的な差異が明確で、フィギュアスケートの プログラムやトレーニングでもそのレパートリーやメソッドが頻繁に用いられるバレエに 関する研究を取り上げる。Haltom, Worthen(2014)は、バレエが女性ジェンダー化された活 動であるという前提の下、アメリカの大学生の男性バレエダンサーにアンケート調査を行 い、男性バレエダンサーがどのようにジェンダーを遂行しているかを考察した。そこで「男 性バレエダンサーは、女性的なものとして烙印を押されたダンスの形式を実行しながら、男 性としてのアイデンティティを交渉する必要がある」と述べており(Haltom, Worthen, 2014: 2)、男性バレエダンサーが「男性」としてのアイデンティティを明示するために行う こととして主に以下の3点を挙げている。1点目が「スポーツとの比較」である。これはバ
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レエがスポーツに匹敵する高度な身体能力が求められるアスレチックな活動でもあるとい う認識で、女性のリフトや高さのあるジャンプなどバレエで男性に与えられる役割や特徴、
そしてその際に発揮される筋力や身体能力などの要素を通じ、一般的な男性性への適応を 試みているとみられる。2点目が「異性愛者の特権(heterosexual privilege) の強調」である。
これはステージ外を含めた場面での異性との交流を通じ、異性愛者としてのセクシュアリ ティをアピールすることで「男性バレエダンサーはゲイである」という偏見を否定する意図 がある。3点目が「エリートの芸術形式としての分類」である。しばしば男性バレエダンサ ーは、バレエはスポーツと芸術が融合している点でアスレチック要素のみで構成された他 の活動よりも高位にあり、それに従事する自身をエリートであると自認することでスティ グマに対処するとされる。
このように、女性ジェンダー化された身体文化で活動する男性は、さまざまな方策で自身 の「男らしさ」を示すことにより、ジェンダーやセクシュアリティに関する偏見を打破しよ うとする傾向にある。特に、スポーツ的要素の強調は、男性性を前面化する手段として女性 的なイメージを付与されやすい身体文化において広く用いられている。また、上述したバレ エやチアリーディングなど、男女が共同でパフォーマンスを行う活動は性別に基づいて役 割が分担されていることや異性愛的含意のあるムーブメント17が存在する点で男性的な要 素が表面化しやすいとみられる。しかし、単独でパフォーマンスを行うフィギュアスケート の男子シングル競技では女性を伴った相対的な男性性の表現が行いにくいという点で相違 がある。フィギュアスケートにおいて男性はどのように「男らしさ」を証明しようと試みて いるのか。Adams(2011)と Kestnbaum(2003)を参照し、具体的な事例を用いながら北米の フィギュアスケートと男性性の変遷と特徴を次項で概観する。
・The Macho Turnへの歩み
ヘニーの登場などによりフィギュアスケートに対する女性的、少女的なイメージが固定 化するにつれ、課題として顕在化していったのが男性への競技の普及である。Adams(2011) は、「少なくとも 1940 年代から、フィギュアスケート界の関係者は男子スケートのイメー ジを刷新し、少年や男性により魅力的なスポーツにするために多大な努力をしてきた」と述 べている(Adams, 2011: 29)。そして、「男子フィギュアスケートの芸術的側面を犠牲にスポ ーツ的な側面を強調しようとしてきた」(Adams, 2011: 29)とあるように、フィギュアスケ ートも先述のチアリーディングやバレエと同様、アスレチック要素の強調を具体策として 男性的なイメージの獲得に取り組み18、先述のバトンはこうした試みを競技の中で体現した
17 Haltom, Worthen(2014)は、パ・ド・ドゥは異性愛規範と調和するムーブメントである
と指摘している。
18 Adams(2011)は近年のスポーツ的要素を強調した取り組みの例として、2009年にカナ
14
先駆者と言える。バトンに始まる「高いスポーツ性の発揮」という男子シングルスケーティ ングに定着した一種のスタンダードは、その後北米を中心とした欧米でさらなる普及と高 まりを見せる。1980年代後半以降、北米を中心とした欧米の男子フィギュアスケートでは、
ジャンプやスケーティングのスピードなどスポーツ的要素のさらなる追求、選曲、振付、音 楽など でステレオタ イプ的な 男性性を強調 する傾向 が高まった(Adams, 2011: 34)。
Adams(2011)はこれを“The Macho Turn”と呼び、フィギュアスケートの歴史における新潮 流であったと指摘している。この“The Macho Turn”の代表的な選手として、カナダのカー ト・ブラウニングやエルビス・ストイコ、イギリスのスティーブン・カズンズ、フランスの フィリップ・キャンデロロ、アメリカのクリストファー・ボウマンやマイケル・ワイスなど が挙げられている。彼らの多くのプログラムでは、女性的な含意を持つ要素を排除し、男性 的な印象を与えることに主眼が置かれている。具体的な取り組みとしては、剣術や空手、レ ーシングカーの運転を模した振付、兵士や王、剣闘士を表した衣装の着用などがある(Adams, 2011: 34)。音楽に関しては、歴史映画やアクション映画のサウンドトラックを使用するケ ースが相次いだが(Kestnbaum, 2003: 187)、これはキャラクターが持つ勇敢さやリーダーシ ップ、自己犠牲といった精神的要素を含む特徴の表現も意図しているとみられる。また、T シャツやゆとりのあるシルエットのズボンなどのストリートウェアに近い衣装や、パーカ ッシブなポップ器楽曲の使用で、アグレッシブな男性のセクシュアリティを連想させる試 みもあった。
他に特記したいのが男子スケーターに関するメディアの報道である。従来の男子フィギ ュアスケートのステレオタイプに該当しない“The Macho Turn”の選手はメディアの大きな 注目を集め、「フィギュアスケーターでありながらもいかに男性的であるか」というような 肯定的な論調で報じられた。メディアの関心は選手の生い立ちや私生活にも及び、パフォー マンス以外の場面での女性的、ゲイ的なイメージと反する男らしさも取り上げられた。19
こうした過度とも言える男性性の強調が北米を中心とした欧米の選手に散見されるよう になったのはなぜか。その要因として主に3つの要素が挙げられる。1点目は北米の文化的 背景である。「芸術的な表現の重視はフィギュアスケートを女性的に見せすぎてしまい、そ
ダ・スケート協会が行ったキャンペーンを挙げている。しかし、これは男性への限定的な 訴求を意図したものではなく、あくまで大衆全般に向けたニュートラルなものであったと も述べている。
19 ブラウニングに関し、Adams(2011)は「彼のマッチョなアイデンティティーは、ほとん どの場合、アルバータ州の田舎でカウボーイの息子として育ったという事実に魅了された ジャーナリストたちによって生み出されたものだった」(p.34)としている。また、
Kestnbaum(2003)は現役中に結婚したワイスとその家族に対するメディアの注目にも言及 し、これはフィギュアスケートのイメージに基づく大衆のセクシュアリティに関する誤解 を防ぎたいというワイス、メディア双方の意図があったとみている。
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のため真の男性的な関心を集めるにはあまりにも『ゲイ的』であると思われる」(Adams, 2011: 29)とあるように、北米において芸術的な活動は女性的ないし同性愛者的な含意を持 つ傾向にある。“The Macho Turn”の選手のステレオタイプ的な男性性の強調は、フィギュ アスケートという芸術的要素含む活動に従事することで生じる可能性のあるジェンダー、
およびセクシュアリティに関する誤解や偏見を防ぐことを意図して行われていると思われ る。2点目は欧米での男性性の隆盛である。第二次フェミニズム運動へのバックラッシュや エイズ・パニックへの反応として、1980年代頃からは北米を中心とした欧米社会でホモフ ォビアやヘテロノーマティブな風潮が高まった20。「1990年代のはじめには多くの著名なス ケーターのエイズ感染による死亡が大きく報道された」(Adams, 2011: 35)とあるように、
エイズ・パニックの影響はフィギュアスケート界にも及び21、過熱した男子スケーターのセ クシュアリティに関する憶測や偏見は、ステレオタイプ的な男性性の表現、時にはヘテロセ クシュアリティの表明22など、反動的な動きに結びついた。また、北米でのフィギュアスケ ートの商業性の高さにも言及したい。アイスショーがさかんな北米では、競技会のオフシー ズンやアマチュア引退後にプロとして活動するスケーターが多い。「ここ数十年の男性スケ ーターは、自分のジェンダーを満足に演じることで競争力を高め、最終的には商業的なプロ としての報酬を得るために、様々な戦略を用いてパフォーマンス・ペルソナを作り、氷上で 自分を正当な男性として見せようとしてきた」(Kestnbaum, 2003: 185)とあるように、スケ ーターにとって大衆からの支持は看過できない要素であり、ステレオタイプ的な男性性の 顕示はその達成のための手段であった。
このように、欧米、特に北米において男子スケーターのジェンダーやセクシュアリティは 大衆の強い関心を誘ってきたと同時に、競技生活と社会生活を円滑に行う上で選手にとっ ても重要な事項であった。こうした状況の下で登場した“The Macho Turn”は、欧米、特に 北米の社会情勢や文化的風土が反映された地域的な潮流であると言える。その内容に関し ては、前項で述べたチアリーディングとバレエでのケースと同様のスポーツ的要素の強調、
つまり「代償性の超男性性」や異性愛者としてのセクシュアリティの表明や強調が実行され ている。また、男子シングルスケーティングでは女性を伴ったパフォーマンスが行えない代 わりに、衣装や選曲での自由度の高さを活かし、男性性を明示的に表現するテーマや要素を 導入することで大衆にとって身近で明瞭なかたちで男性性を表現することが可能であった
20 Adams(2011)は、「ランボー」などに代表される、1980年代のハリウッド映画で出現し
た「ハード・ボディ」な男性性の流行は当時の世論を反映したものだと言及している。
21 HIV感染やHIV関連の疾患による死亡が報道された男子フィギュアスケート選手として
はカナダのマッコールやポッカー、イギリスのカリーなどが挙げられる(Adams, 2011: 35)。
22 ブラウニングは自伝にて異性愛者であることを表明したが、これは世界選手権優勝後、
メディアからセクシュアリティに関する問い合わせが相次いだためであると主張した (Kestnbaum, 2003: 203)。
16 とみられる。
本章で整理したように、欧米のフィギュアスケートの男性性について精緻な研究がなさ れているのは、フィギュアスケートがジェンダーと密接な連関を持ちながら変遷したこと に加え、欧米でジェンダー研究および男性学研究がさかんであり、さまざまな分野で女性性、
男性性が問題として顕在化しやすかったことが要因である。一方、ロシアはジェンダー研究 において発展途上であるものの、欧米と同様にフィギュアスケートとジェンダーは不可分 の関係であったと推察する。次章では、選手のプログラム分析を中心に、本章で整理した欧 米の情報との比較を踏まえながらロシアおよびソ連のフィギュアスケートにおける男性性 について論じる。
17
Ⅱ プログラム分析
本章では、筆者が行ったソ連、ロシアの男子シングル選手のプログラムの分析結果につい て論じる。本論文においてソ連およびロシアの男子シングル選手は分析、考察の主たる対象 であると同時に、西側における“The Macho Turn”の時期のカウンターパートとしても位置 付ける。そのため、北米およびヨーロッパのフィギュアスケート界の潮流との影響関係の有 無を考察するため、分析対象とするプログラムの実施時期を“The Macho Turn”の前後であ
る1979/1980年シーズンから2004/2005年シーズンに拡大することとする。対象とする選
手は1979/1980年シーズンから2004/2005年シーズンの間でソ連選手権およびロシア選手
権の優勝経験者かつ演技の映像が視聴可能な者で、シニアクラスの競技会に本格的に参加 したシーズン以降のショートプログラム(以下SP)、フリースケーティング(以下FS)を対象 とし、ジュニアクラスの競技会への参加があったシーズンのものは含めない。アレクセイ・
ヤグディンはソ連選手権、ロシア選手権での優勝経験はないものの、総合的な戦績から本研 究の分析対象に加えることは必須であると判断し追加した。また、ヴィクトル・ペトレンコ はキャリアの大半をソヴィエト体制の下で過ごしたことを考慮し分析に加えたが、ソ連崩 壊後の1992年以降はウクライナ代表として競技に参加した。分析を行った選手と対象とし たプログラムの期間23は下記の通りである。
イーゴリ・ボブリン 1978/1979-1981/1982 ウラジーミル・コーチン 1981/1987-1987/1988 アレクサンドル・ファデーエフ 1982/1983-1989/1990 ヴィクトル・ペトレンコ 1985/1986-1993/1994 アレクセイ・ウルマノフ 1990/1991-1997/1998 イリヤ・クーリック 1994/1995-1997/1998 アレクサンドル・アプト 1995/1996-2003/2004 アレクセイ・ヤグディン 1996/1997-2001/2002 エヴゲニー・プルシェンコ 1997/1998-2004/2005
分析項目としてプログラムを構成する「衣装」「音楽」「振付」「エレメンツ」の4つを設 定した。なお、本論文において「振付」はエレメンツ以外の時間で実施される動作、および エレメンツ中の副次的な要素24を指すこととし、「エレメンツ」の項目では男子シングル競
23フィギュアスケートのシーズンは9月または10月から3月までであるため、1シーズン につき2つの年を表記する。なお、本文中のプログラムの実施年の表記は、シーズン途中 にプログラムが変更された可能性等の理由から分析に用いた映像の競技会実施年とする。
24 たとえば、スピン中の手指のかたちやステップでの上半身の動きやは技術的な評価にお
18
技の必須要素であるジャンプ、スピン、ステップとその種類についてのみ言及する。
いて中心とされる要素ではないが、エレメンツやプログラムの審美性を高め、プログラム のテーマやストーリーを表現する工夫として行われている。
19
Ⅱ-1 芸術への志向 ―コヴァリョフからボブリンへ―
序章で言及した通り、フィギュアスケート男子シングル競技におけるソ連勢の国際舞台 での台頭は1960年代末以降のセルゲイ・チェトヴェルヒン25、ウラジーミル・コヴァリョ フ26まで待たなければならない。チェトヴェルヒンのプログラムはモノトーンのスーツ風の 衣装やクラシック音楽の使用、閑雅な所作やスケーティングへの注力に伴う上半身の動き の少なさなど、「紳士の芸術」と呼ばれた初期のフィギュアスケートと類似した特徴が見ら れる。チェトヴェルヒンの後に活躍したコヴァリョフのプログラムには若干の変化がある。
一部のプログラムには衣装の装飾や色彩の豊かさ、全身を使ったムーブメントなど現代の フィギュアスケートに近い要素が含まれており、これは後述のコーチであり振付師のエレ ーナ・チャイコフスカヤの影響であると見られる。
イーゴリ・ボブリンはコヴァリョフと同時期および後に活躍したスケーターである。ボブ リンのプログラムは衣装や音楽の面でチェトヴェルヒンらと類似点が存在する。衣装に関 しては、分析を行ったいずれのプログラムでも黒のジャケットとスラックス、白いシャツを 着用しており、装飾も見られない。音楽面では、1979年SP、1980年SPのようにフィギュ アスケートにおいて伝統的に用いられるクラシック音楽を選択しており、チェトヴェルヒ ンまでのスタイルを踏襲していることがわかる。一方で、1981年FSでのリック・ウェイク マンや1982年FSのアンドレ・ギャニオンといった海外の現代のミュージシャンの楽曲も 使用していることから一定程度の多様性も認められる27。そしてボブリンの最大の特徴であ り、チェトヴェルヒン、コヴァリョフとの明白な相違点はエレメンツと振付を通じた芸術性 と独創性の追求である。まず、エレメンツにおいて注目すべきなのがジャンプとスピンであ る。通常ジャンプでは両腕を広げた体勢で着氷するが、ボブリンは一部のジャンプで腕を交 差させた姿勢で着氷しており、スピンでは回転中に音楽のフレーズに合わせて手や腕を動 かすなど工夫がなされている。これらは技術的な難易度やエレメンツ自体の評価を上げる というよりも、審美性の向上や音楽との調和などの付随的な芸術面での効果が強く意図さ れていると思われる。また、振付面で特筆すべきなのがマイムの取り入れである。1980年 SPと1981年、1982年のFSで取り入れられており、プログラムのストーリーや演じてい るキャラクターを表現していると見られるムーブメントが確認できる。たとえば、ボブリン の代表作とされるラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」を使用した1980年SP
25 1972年の札幌オリンピック銀メダリスト。1967年以降のソヴィエト選手権で6度の優
勝を経験を持つ。
26 1976年インスブルックオリンピック銀メダリスト。1972年、1977年のソヴィエト選手
権で優勝。
27 1975年にソ連選手権を制したユーリー・オフチンニコフは1973年のFSにて映画「ウ
エストサイドストーリー」のサウンドトラックを使用している。当時のコーチであるイー ゴリ・モスクヴィンはボブリンも師事した。
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では、タクトを振る指揮者を思わせる動きが見て取れる。このプログラムはキーロフ劇場の 振付師であるユーリー・ポチョムキンが関与しており、当時のバレエの要素が取り入れられ ていると思われる。また、ボブリン自身のバレエや演劇などの舞台芸術との関わりもプログ ラムの演劇性の高さに寄与したであろう28。ボブリンが用いるマイムは概ね抽象性が高く、
動きが表す具体的な意味や全体的なストーリーは解釈し難いものの、彼の芸術面への高い 志向が伺える。
このように、チェトヴェルヒン、コヴァリョフ、ボブリンと1970年代以降のソ連の男子 スケーターは男子シングルスケーティングの伝統的なスタイルから徐々に多様性を発揮し ていったことがわかる。特にボブリンに見られるエレメンツ、振付での独創性と芸術性の追 求は、フィギュアスケートのプログラムが単にエレメンツを実施するプラットフォームと しての存在から、スケーターの志向やアイデンティティを表現する創造的な空間へと変化 する過程の一端であると言える。また、この芸術的要素への注力はスケーター自身のパーソ ナリティのみならず、1970 年代に活躍したカリー(英)、クランストン(カナダ)らフィギュ アスケートの持つ芸術性を重視した欧米勢の存在もバックグラウンドにあったと考えられ る。彼らが振付において曲線的なボディラインや動作の優美さを前面化したのに対し、ボブ リンのプログラムでは直線的でスピーディーな上肢の使い方や演劇的なマイムが用いられ たように、一口に芸術性の追求と言えどもそのアプローチには相違がある。ボブリンと舞台 芸術の関係の詳細については不明点が多いが、いずれにせよフィギュアスケートに存在す る身体表現としての芸術的な可能性に目を向けたボブリンは舞台芸術と密接に関わりなが ら発展するソ連およびロシアのフィギュアスケートの歴史において重要な存在である。
Ⅱ-2 ソ連におけるナショナルスタイル
1980年代頃になると、欧米では競技スポーツとしての普及や技術的な発展を背景に「紳
士の芸術」としてのフィギュアスケートに新たな要素が加えられるようになる。当時流行し ていったジャズ、ディスコ、ショーダンスのプログラムへの取り入れや、ジャンプに適した ボディスーツやビジュー、スパンコールなどの装飾、カラフルな衣装が増加するなど、初期 から継続した典型的なクラシカルで貴族的な特徴に代わってより現代的で日常的な要素が 積極的に取り込まれるようになった。そして、1980年代後半になると先述の“Macho Turn”
の時代が到来し、男子シングルスケーティングは劇的な変化を迎えることとなる。こうした 状況の欧米と時を同じくして、ソ連でもパフォーマンスのスタイルに変化が生じたが、その 内容は欧米で起こったものと相違がみられる。本節では、1980 年代から 1990 年代に活躍 したウラジーミル・コーチン、アレクサンドル・ファデーエフ、ヴィクトル・ペトレンコ、
アレクセイ・ウルマノフのプログラムの分析を基に、ソ連およびロシアの男子フィギュアス
28 1982年のFSの解説にて“He is very active in Russian theatre.”とボブリンの演劇界への コミットメントが言及されている。
21 ケートに起きた変化と特徴を明らかにする。
Ⅱ-2-1 ハイ・アートとフィギュアスケート ―バレエとの関わり―
「各国のスケーターの競技プログラムでは、伝統的にヨーロッパのハイ・アートの音楽が 採用されてきた」(Kestnbaum, 2003: 186)とあるように、クラシック音楽やバレエ、オペラ など西洋の古典的な劇場文化を発祥とする楽曲は、競技化の初期から現在に至るまでフィ ギュアスケートのプログラムにおいて世界的に最も頻繁に採用される音楽ジャンルである。
1980年代に入り、欧米で芸術的要素に起因するフィギュアスケートへの偏見が加速し、選 曲に多様性が生じる中、ソ連においては上記のジャンルの楽曲の使用は主流であり続けた。
これはソ連の文化的背景が要因として考えられ、「ソヴィエトのスケーターにとって、クラ シック・バレエのトレーニングを披露したり、バレエやオペラのレパートリーや音楽、テー マを使用することは、欧米のような女性的な意味合いではなく、むしろ国の文化的な成果に 対する誇りの表現となっている」(Kestnbaum, 2003: 189)と指摘されるように、ソ連のスケ ーターにとってバレエやオペラ、クラシック音楽のような芸術文化は特別な意味合いを持 っていたとみられる。特に顕著なのがバレエの取り入れである。1980年代以降はプログラ ムにおけるバレエ的要素が段階的に増加し、バレエの特定のレパートリーの音楽や衣装、振 付、ストーリーなどの要素を引用しフィギュアスケートのプログラムとして氷上で再生産 するようなケースが散見されるようにまでなった。また、Kestnbaum(2003)が指摘する「ク ラシック・バレエのトレーニングの披露」、つまりバレエの素養を感じさせるような所作や バレエにインスパイアされたとみられる身体表現やムーブメントは、バレエ音楽を用いた プログラムのみならず比較的幅広いジャンルのプログラムで頻繁に取り入れられており、
ロシアのフィギュアスケートの特徴を語る上で欠かせない要素となっている。前節で取り 上げたボブリンのプログラムにみられた高い演劇性や抽象性はモダン・バレエの特徴に近 いと言えるが、1980年代以降のソ連、ロシア勢のプログラムで主に取り入れられたとみら れるのはクラシック・バレエ29である。クラシック・バレエ的要素はどのような過程をたど りソ連、ロシアのフィギュアスケートに取り入れられるようになり、プログラムの代表的な スタイルとして台頭したのか。
クラシック・バレエの要素を取り入れた先駆的スケーターとして挙げられるのがウラジ ーミル・コーチンである。コヴァリョフと同じエレーナ・チャイコフスカヤに師事していた コーチンは、全身を大きく使用したムーブメントとクラシック・バレエを思わせる曲線的で 繊細なボディラインを見せる振付が特徴的である。上半身の動きやラインへの注力が散見
29 19世紀末にロシアで確立されたバレエの様式。ドラマ主体のバレエに物語とは関係の ない踊りを取り入れたスタイルであり、19世紀前半にフランスで成立したロマンティッ ク・バレエと比べより高度なテクニックが開発された(大木、2010: 30)。