シンポジウム報告
ことばに主体はどのようにあらわれるか
―フランス語と認知言語学―
日 時:2009
年5
月23
日10
:00
-12
:30
場 所:中央大学理工学部後楽園キャンパス5
号館5534
室 パネリスト:武本雅嗣・阿部宏・鍋島弘治朗 司 会:大久保朝憲 はじめに 平 塚 徹1990
年の国際認知言語学会(ICLA
)設立とMouton de Gruyter
社のCognitive Linguistics
誌創刊から,20
年の歳月が過ぎた.日本では,2000
年に設立された日本認知言語学会が,2009
年9
月に設立10
周年記念大会を 開催した.同大会では,さまざまな異分野からパネリストを迎えて,「認知言 語学の科学的・哲学的基盤」というテーマでシンポジウムが行われた.1998
年11
月号で「[入門]認知言語学」という特集を組んだ『月刊言語』が,休 刊を前にした2009
年10
月号では「[実践]認知言語学」という特集を組んだ のも,日本における認知言語学の展開に一区切りが付いたという印象を強めた. フランスにおいても,2005
年にフランス認知言語学会(AFLiCo
)が設立さ れるに至っている.以前には「新しいパラダイム」と言われていた認知言語学 ももはや定着した観がある. そもそも,生成文法は,言語を記号表示に対する演算の体系として捉えよう としていた.それは,自律的なシステムであり,言語を使用する人間の「主体 性」が捨象されていた.認知言語学は,そのような自律的言語観に対するアン チテーゼとして,言語を主体の認知プロセスによって動機づけられたものとし て分析するという立場を取る. そこで,今回のシンポジウムでは,特に,言語に主体がどのようにあらわれ るかというテーマでシンポジウムを企画した.武本氏には,主体の表れの代表的な例である虚構移動表現について,従来の英語や日本語の研究に加え,フラ ンス語・ドイツ語・中国語も比較対照する発表をして頂いた.阿部氏には,主 観性には「望ましさ」に関するものもあり,それが無意味文や省略文などに表 れているという発表をして頂いた.メタファー研究を行ってきた認知言語学者 であり,
2007
年度に1
年間パリのR
ecanatiのところで研究された鍋島氏に は,認知言語学とR
ecanati理論との比較をして頂いた. (京都産業大学)1.
虚構移動表現と主体化 武 本 雅 嗣 虚構移動表現の一種である範囲占有経路表現では,様々な言語において経路 移動動詞が用いられる.(
1
)Cette route
va à Lyon.
それに対して,様態移動動詞の使用の可否は言語によって異なっている. (
2
)a.
The road {
runs / *walks } along the river.
b.
道路は川に沿って{
走っている/ *
歩いている}
.c.
La route {
court / *marche / chemine } le long de la rivière.
d.
Der Weg {
(?
)läuft / verläuft / geht } am Fluß entlang.
e. *
那条路(在)沿着河{
跑/
走}
. 移動動詞のプロトタイプ的用法では,もっぱら客体的関係が表され,認知主体 の側からの関係性は背後に潜んだままであるが,主体化用法の場合には,客体 的な意味が消えて,認知プロセスに基づいた主体的な意味が顕在化している. 範囲占有経路表現で用いられるフランス語のcheminer
は,marcher
とは違っ て,経路移動動詞的な主体化用法をもっており,ドイツ語のgehen
(歩く・行く) は,laufen
(走る)以上に多様な主体的意味を表す.一方,中国語では,「走」 (歩く)だけでなく「跑」(走る)も単独では用いられず,それ自体に主体化は 関与していない. また,英語のrun
は,日本語の「走る」(「走っている」)とは異なり,点の 線状化の結果状態と捉えられない次のような帯状の存在にも用いられる.(
3
)A scar
runs from his wrist to his elbow.
(La nga cker 2008: 538
) このような移動動詞の使用は認知主体の視覚的走査に動機づけられていると考えられるが,フランス語では,
courir
のほかにs’étendre
が,英語のextend
よりもよく用いられるようである.今後次のような伸長を表す動詞の虚構的事 例についても考察する必要がある.(
4
)Une vaste plaine
s’étend devant nous.
(
5
)Le sentier
prolonge la route.
[参考文献]
La nga cker , R.W.
(2008
),
Cognitive Grammar: A Basic Introduction,
Oxford University Press.
(山口大学)
2.
主観性と文法化・無意味文・省略文阿 部 宏 最近の認知言語学においては,主観性(主体性)の関与の問題が最大の関
心テーマとなってきている.ところで,主観性には基準点の提示機能(
moi
,ici
,maintenant, etc.
)や対照研究において指摘されるような視点のあり方の 相違(日本語=状況密着的,英語=状況外的)など以外に,話し手の判断に 関わるものがある.この中でも,「真実性」,「望ましさ」,「実現祈願」の三種 は主要な機能であるように思われる.「真実性」については,認知意味論以前 からモダリティ研究の主要な考察対象となってきたが,他の二つについては,Br unot
,B
allyなどの指摘にもかかわらず,その存在すらいまだ十分に認 識されていないのではなかろうか? これらの主観性は基本的には潜在的な性質のものであり,語彙的意味や文法 機能の陰に隠れて通常は目立たないが,顕在化する場合がある.その様相につ いて,「記号素の主観化」,「無意味文」,「繰り返し」,「省略」などのケースを 考察した.例えば「望ましさ」主観性については,以下である. ・「記号素の主観化」(数量が~だけはある→「望ましさ」が~だけはある) (1
)Paul n’est pas très intelligent, seulement il a pu résoudre cette
question.
・「無意味文」(文の情報価値をゼロ化して,主観性表明の枠組みにする)
前の男が「望ましい」)
(
3
)【矛盾文】Notre professeur n’est pas un professeur ! Pas digne de
respect, il n’est qu’un petit enfant.
(ぼくらの先生には「望ましさ」 がない)・「繰り返し」(重複により情報価値をゼロ化して,主観性表明の道具にする) (
4
)la
musique des musiques
(「望ましい」音楽)・「省略」(あえて情報を欠落させて,主観性の関与を促す) (
5
)(水を飲んで)De l’eau !
([解釈の一つとして]この水は「望ましい」) (東北大学)3.R
ecanati の理論と認知言語学 鍋 島 弘治朗 本研究ではR
ecanati の理論と認知言語学を比較し,2
点の類似性(文脈 による意味の変容,自己中心的世界認知)と1
点の相違(構成性の原理に 対する考え方)を指摘した.まずはじめに,用例を挙げながら,R
ecanati (2004
)Literal meaning
における文脈主義が認知言語学の考え方と整合性が 高いことを指摘した(用例は原文では英語).①under-determination
と呼ば れ,句や文の意味が未決定な例(le livre
de Jean / Jean a fini un livre.
).②文脈(常識)による限定がないと無意味な文になる例(
J’ai pris mon
petit-déjeuner. / Tout le monde est allé à Paris.
).③modulation
などと呼ばれ, 語の意味が文脈によって大きく変容する例(Elle { mange / porte } du lapin.
/ Le distributeur de billets a avalé ma carte de crédit. / Il y a un grand lion
au milieu de la place.
).④前項と同様だが,先行する節によって後続する 節の意味が変容するまたは詳細化されることがディフォルトとなる例(Il est
allé à la falaise et a sauté. / L’agent de police a levé la main et arrêté la
voiture.
).用語は異なるが,文脈によって,語や文全体の意味が変容することは,認知言語学が早くから指摘してきたことであり,両理論は非常に整合性 が高いことを主張した.
次に,主に,
R
ecanati(2007
)Perspectival thought: A plea for moderate
relativism
を取り上げ,その中のimplicit
De se
と,explicit
De se
の区分5-38
)の主観化に関する区分,池上(2003
)「言語における〈主観性〉と〈主 観性〉の言語的指標(1
)」(『認知言語学論考』3: 1-49
)の主観的把握と客観 的把握の区分と合致することを指摘した.また,explicit
De se, implicit De
se
にDe re
を加えた3
項の関係を示した図(R
ecanati2007:193
)は,池上 (2003
)の3
区分と合致する.最後に,
R
ecanati の理論と認知言語学の現時点での大きな相違点として,構成性の原理に対する両者の立場を検討した.
R
ecanati(未発表原稿) “Semantic Flexibility: the Case of Adjectives
”は,構成性の原理を支持する立場を表明しているが,同時に構文にまつわる文脈的意味の存在を指摘して いる.構文に固有の文脈的意味を認めることは,構成性の原理と矛盾する可能 性が高いことを指摘した. (関西大学)