価 値 法 則 ” 人 口 法 則 と 労 働 法
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(2) 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶. 二. 所有者から構成される自由・平等の同市民的外観を保持しているからといって︑かかる外観を資本主義的生. 基づく単純商品の﹁等価﹂交換なるものの想定によって行なわれている︒かくの如き方法は︑﹁近代市民法﹂が等質 的労働. 産関係の生み出す階級隠蔽的仮構として曝露するのでなく︑むしろそのまま経済的︵旺小生産者的︶実体として許容 ヤ マルクスもなお︑﹁自己労働にもとづく所有権﹂論︵小ブルジョア自然法イ してしまうものであり︑この限りでは︑. デオ・ギー︶から自由でなかったといって過言でない︒また︑市民法の内実を私的︵個人的︶所有権から私的︵資本. 家的︶所有権への転変として説明する領有法則転回論的﹁法範疇発展論﹂の手法や︑所謂﹁否定の否定﹂論にもとづ. く社会主義の単純商品生産社会化腿﹁社会主義市民法論﹂等の主張も︑かかる﹁交換過程﹂的法把握の踏襲による徒. 一章三節︑三︑四章︶こそを︑商品. 花であったことは今日周知のことであろう︒ ハ ロ かかる理論の限界を克服するために︑さきに筆者は︑﹃資本論﹄体系から﹁交換過程﹂を追放し︑宇野経済学の業 績を踏んまえ︑むしろ商品の価値形態を端緒とする流通形態論の展開︵W←G←K ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. め. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ヤ. ち. ヘ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 構造的に究明するものとして展開してきた︒即ち流 ち. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 単一かつ共通の﹁意思関係﹂の普遍化を完成する︒ー此処こそが︑マルクスが. ヤ. 労働力の商品化︵四章三節︶を媒介とする資本の生産過程︵五章〜︶こそが︑人間の個別的意思行為を最終. ヤ. ヤ. 所持者矩貰窪富ω冒Rの能動的個別的意思が払拭され︑漸次的に等質的普遍的な市民法的主体︵私的所有権者. ヤ. ギ貯彗o碍窪慈ヨ①﹃︶に転化してゆく論理的成立過程を解析的. ヤ. 通論の終点. ヤ. 的に払拭し︑物 化 さ れ た 抽 象 的 意 思. ﹁交換過程﹂でいみじくも述べた︑﹁契約を媒介として﹂﹁商品所持者が相互に相手を私的所有権者として認めあう﹂ ヤ ﹁意思関係﹂︑即ち市民法的権利義務関係の絶対的根拠であり︑しかも銘肝さるべきは︑かかる﹁意思関係﹂は﹁法.
(3) ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヘ. ︵1︶. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 律的に発展していなくても﹂それ自体で﹁経済的関係︵に生産関係︶がそこに反映している﹂﹁法的関係﹂である︑. という物神的性格の具有性にある︑ーとするものであった︒ ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヘ. ヤ. ところが﹃資本論﹄のもう一つの重大な疑問点は︑かかる資本主義的﹁生産関係﹂︵土台︶に照応する上部構造と. しての﹁法的関係﹂︵腫市民法︶の最も完壁な論証の場であるべきはずの﹁資本の生産過程﹂の︑まさにそのドマンナ ヤ. ヤ. ヤ. カに突然﹁階級闘争﹂←﹁国家﹂←﹁法律O①ω①日﹂制定の問題が登場してくる点にある︒しかも従来の公認マルク. 社会法制定の原理的根拠として偏重しているのであり︑等閑に付すわけにはゆかな. ス主義法学は︑かかる﹁資本の生産過程﹂を︑﹁意思関係﹂としての市民法の必然性の論拠としてではなく︑全く逆. に市民法の限界の露呈←労働法. い︒本稿は︑﹃資本論﹄に於ける法の原理的規定である﹁意思関係日法的関係﹂︵四章一二節︶と︑﹁労働日﹂を中心とす. るかかる労働法論︵八章︶の連関を姐上にのぽすことによって︑﹁経済原論に対応する原理としての法体系﹂︵宇野︶構. ﹃資本論﹄に於ける労働法. 三篇八章 ﹁ 労 働 日 ﹂ の 法 律 論. 二. 築のための橋頭塗をさらに一歩踏み固めんとするものである︒. 1. ﹃資本論﹄三篇五章以下では︑一〜四章の流通過程が生産過程を包摂することに於いて成立した﹁資本主義的生産 ち 関係﹂が︑完成した形態に於いて個々人の意思から独立して自立的に運動する態様︑及び︑人間の意思過程がこれに一 ヤ. ヤ. ヤ. 人口法則と労働法︵青木孝平︶. 三. 方的に規定される法イデオ・ギーとして現出する根拠が示される︒ー﹁世界商業と世界市場﹂の発展に規定され︑ 価値法則.
(4) 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. 封建的その他の身分的拘束ならびに生活 ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 四. 生産手段からの﹁二重の意味で自由﹂を獲得した労働力︵原理的には説き. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. えない︶を基礎にもつと︑﹁資本主義的生産過程それ自身の進行によって労働力と労働条件の分離を再生産する﹂︒生. きた人間の個別的意思に基づく経済外的支配賭強制関係をも排しつつ︑自立的に﹁資本主義的生産過程は⁝⁝ただ商. 品だけでなく︑ただ剰余価値だけでなく︑資本関係そのものを︑一方には資本家を︑他方には賃労働者を︑生産し再. 生産する﹂︒こうして資本家と賃労働者の階級関係自体は︑﹁彼︵賃労働者︶の自己販売の周期的更新や彼の個々の雇い. 主の入れ替りや労働の市場価格の変動によって︑媒介されていると同時に蔽い隠されて﹂しまう︒﹁このような現実の. 関係を目に見えなくしてその正反対を示す現象形態にこそ︑労働者にも資本家にも共通な法観念国8算ω<03冨ぎ梶 ︵2︶ ・⁝はもとづいているのである﹂︒. ヤ. ヤ. 利潤率均等化法則︶によりすっ. ち ヤ この﹃資本論﹄の叙述に示される如く︑資本主義社会の﹁法観念﹂は︑労働力商品の販売と賃金による労働生産物 ヤ. の買戻しの反復を基礎に︑市場価格の変動を通じつつ貫徹する経済法則︵価値法則. ぽり包摂された社会関係のイデオ・ギー的表現として︑﹁労働者にも資本家にも共通な﹂霊一〇亀冨譲としてのみ現. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 出する︒このことはまた︑マルクスが﹁自由︑平等︑所有︑ベンサム﹂の支配する﹁天賦の人権の本当の楽園﹂を︑. ﹁交換過程﹂︵二章︶に於いてではなく︑﹁労働力の売買﹂︵四章三節︶ではじめて展開している点に最もよくあらわれて ち ち いるといってよい︒即ち近代市民社会では︑相互的な所有・契約・人格の尊重が︑単なる商品交換の場に於ける個別的 ヤ ヤ な意思の合致としてではなく︑根底的な﹁商品による商品の生産﹂に基づき︑資本家であろうと労働者であろうと︑全. 人格的かつ普遍的絶対的な規範として内面化腔当為化されるということであり︑それゆえかかる物神的規範の侵害11.
(5) 秩序破壊が諸個人の表象それ自体で︿悪﹀として観念されるということである︒. かかる方法的視座のもとに︑﹃資本論﹄は﹁階級支配の機関としての国家﹂を論理体系から積極的に捨象しつつも︑. なお三篇五章以下﹁資本の生産過程﹂では頻繁に﹁意思関係﹂としての﹁法的関係幻03房奉旨巴3一ω﹂︑﹁法即8算﹂. を登場させることになる︒かかる﹁法﹂は︑したがって︑現実の国家制定法としての﹁法律O①︒D①9﹂の如く︑経済過. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 主観的法であり︑資本主義的生産関係が直接無媒介に生じめる社会規範. ヤ. 行為規範としての上. 程への具体的介入 反作用はおろか︑軍事・警察力を頂点とする国家のωき&9に裏付けられた外的強制力を有す ︵3︶ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ ︑ ︑ る能動的概念ではありえない︒むしろ﹁法律的に発展していな﹂い労働力商品化 価値法則の人格的表現として︑そ ヤ. ︵3︶. のまま権利義務関係. ︑. ︑. ︵4︶. 部構造である︒これが︑ラードブルフH橋本文雄以来の定説である︑類型化され平均化された抽象的人間の自由を価. 値原理とする﹁個人法としての市民法法理﹂に一致するものであることはさしあたり言を待たないであろう︒とこ. ヤ. ヤ. ち. ろが︑﹃資本論﹄三篇八章﹁労働目﹂を中心に︑かかる﹁法幻8算﹂とは若干容相を異にした範疇としての﹁法律 O①ω①言﹂が登場してくる︒. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ﹁市場では彼︵労働者︶は﹃労働力﹄という商品の所持者として他の商品所持者たちに相対峙していた︒つまり商. 品所持者に対する商品所持者としてである︒⁝⁝取引がすんだ後で発見されるのは︑彼が少しも﹃自由な当事者﹄で. はなかったということであり︑自分の労働力を売ることが彼の自由である時間は彼がそれを売ることを強制された時 ヤ. ヤ. 間だということであり︑実際彼の吸血鬼は﹃まだ搾取される一片の肉︑一滴の血でもあるあいだは﹄手放さないとい. 五. うことである︒彼らを悩ました蛇に対する﹃防衛﹄のために︑労働者は団結しなければならない︒そして彼らは階級と 価値法則睡人口法則と労働法︵青木孝平︶.
(6) ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶ ち. ヤ. 六. ヤ. ヤ. ヤ. して︑彼ら自身が資本との自由意思契約によって自分たちと同族とを死と奴隷状態に売り渡すことを妨げる一つの国 ヤ. ち. ヤ. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. 法ω貫簿詔Φ器9を︑超強力な社会的障害物を︑強要しなければならない︒﹃売り渡すことのできない人権﹄のはで. な目録に代って︑法律によって鴨ω9昌9制限された労働日という地味な大憲章があらわれて︑それは﹃ついに︑ ︵5︶. 労働者が売り渡す時間はいつ終わるのか︑また彼自身のものである時間はいつ始まるのか︑を明らかにする﹄のであ. ち. ヤ. ヤ. る︒なんと変りはてたことだろう!﹂. ヤ. ヤ. ヤ. 此処では︑商品所持者としての労働者による労働力の販売から不断に外化されるはずの﹁自由な当事者﹂の﹁自由. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ヤ. 意思契約﹂︑﹁売り渡すことのできない人権﹂︑﹁私的所有権﹂という市民法イデオ・ギーに対して︑この労働力の使用. 法. 市民法の﹁はでな目録に代わ. 価値たる﹁労働﹂の限界を巡り︑労働者の﹁団結﹂による階級闘争にもとづく労働日を制限する﹁国法ω富讐詔①8旨﹂. の成立が峻別的に叙述されている︒即ち︑かかる﹁法律Ooω①言﹂は︑﹁法勾8鐸﹂. って﹂制定されるもの︑市民法の実現を﹁妨げる﹂﹁超強力な社会的障害物﹂として︑抽象的普遍的﹁意思関係 ヤ. や. ヤ. も. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 的関係﹂と謂わば対立的な︑部分社会の生きた人間の集団的能動的行為の所産たる位置におかれることになる︒それ ヤ. ヤ. はまさに抽象的人間の自由を価値原理とする﹁市民法﹂に対して︑特殊 集団的人間の把握︑一般的経済的自由の制. 約︑社会的結合関係の国家による意識的規制等々という所謂﹁社会法﹂の原理的必然性の﹃資本論﹄に於ける唯一の. 提起であるといってもよい︒なお資本の生産過程に於いては︑その他表題だけ見ても三篇八章中︑﹁搾取の法律的一畠巴. 制限のないイギリス産業部門﹂︵三節︶︑二四世紀半ばから一七世紀末までの労働日延長のための強制法N名き鵯鴨−. ω09﹂︵五節︶︑﹁強制法によるN毛き鴨鴨ω9慧9労働目の制限︵標準労働日のための闘争︶一八三三〜一八六四年.
(7) ヤ. ヤ. のイギリス工場立法評酵涛鴨器日鴨評凝﹂︵六節︶等々の﹁法律﹂が登場する︒これらは歴史的には︑厳密な意味. での﹁労働法﹂ ﹁社会法8N巨器9ε範疇に包括されない︑その前史的な個別 社会立法ωoN芭鴨ω9囲oゴ轟 ︵6︶ としての﹁労働者法﹂﹁工場法﹂にすぎないが︑それにしても︑﹁具体的な社会化された人間﹂︵ラードブルフ︶︑﹁階 ︵7︶ ︑︑︑︑︑. 級的存在としての人間﹂︵ジンツハイマー︶の社会的現実的利害に直接符合した国家制定法が︑かかる絶対的剰余価. 値生産の基礎となる労働条件・労働日に関して集中的に登場することは非常に興味深いことである︒. だがそもそも︑資本主義的商品経済を根底的に価値法則の支配に服属せしめ︑市民法的意思関係を普遍化せしめる. べき根幹である︑労働力の価値規定と不可分の労働条件・労働日の決定が︑階級闘争にもとづく﹁国家制定法﹂に委. ねられるというのであれば︑マルクス自身︑﹁労働力の売買﹂を基抵にした資本主義的生産関係の自立性に対応して︑. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 労働日︶. ヤ. 抽象的人間労働量にもとづく価値法則は貫徹されず︑諸. 必要労働部分の買い戻しによる労働力の価値規定もありえない︒結局︑か. 労働の大きさ︶を決定するなら︑この﹁法律﹂なくして価値形成 増殖の必然性はなく︑したがって資本家の剰. ヤ. 商品所持者の市民法的主体化を論証したことに対する背馳ではなかろうか︒けだし︑﹁法律Ooωo言﹂が﹁労働日﹂. ︵. ヤ. 社会立法に依拠せねば︑労働時間︵. ヤ. 余価値取得はおろか︑労働者の生活手段. かる労働. 個人の物化・等質化︵意思関係としての法幻oo馨︶はありえないことになる︒この点はまた︑四章三節﹁労働力の売. 買﹂に於いて︑マルクスは︑労働力の価値規定をせっかく﹁労働者の生活において消費される生活資料の量﹂に求め. ながら︑この必要﹁生活資料の量﹂を﹁一国の文化段階﹂及び﹁その国の自然的特色﹂によって定まるもの︑あるい. 人口法則と労働法︵青木孝平︶. 七. は﹁自由な労働者階級が⁝⁝どのような習慣や生活要求をもって形成されるかによって定まる﹂ものとして︑﹁歴史 価値法則.
(8) ︵8︶. 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶. ヤ. ヤ. 八. 的︑精神的な要素﹂に還元してしまっていることと不可分の関係にある︒まさに﹁階級闘争﹂←﹁法律﹂の上部構造. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 性を放棄し︑それを単に民族国家の﹁文化﹂﹁習慣﹂﹁自然﹂として与件化してしまい︑最終的にこの﹁歴史的︑精神. 的な要素﹂によって労働力商品の価値を決定するということは︑価値論と科学としての史的唯物論︵土台ー上部構造. 関係︶のマルクス自身による否定であり︑つまるところヴェーバー的﹁精神﹂主義︑さらには法曹社会主義的法律万. 能主義への堕落の道を開くことにもなりかねない︒ ︵9︶ この点は︑大河内 岸本を中心とする所謂﹁社会政策の本質論争﹂とも不可分の問題であり︑即断はできないが︑. ともかくも我々は︑﹃資本論﹄の如き原理論から︑直接︑国家制定法としての労働︵立︶法ないし社会︵立︶法の根 拠を展開すること自体に根本的な疑問を禁じえない︒. 2 所謂﹁市民法から社会法へ﹂に就いて ヤ ヤ さて︑かかるマルクス労働立法論の限界の解明の前に︑﹃資本論﹄に依拠しつつ本格的なマルクス主義労働法 社. ヤ. 橋本以来の個人法と社会法の単なる法理としての人間像の対比の限界を超え︑かつ. ヤ. 会法論の構築に着手した法学者として︑我々は沼田稲次郎の業績を検討しておこう︒. 沼田は︑戦前の ラ ー ド ブ ル フ. 菊池勇夫による経済法の社会法への包摂を批判するという実践的課題に規定されつつ︑﹁社会法﹂を︑﹁市民法原理の. もとで事実上資本主義社会の圧迫をうけざるをえない特殊的部分社会に所属する社会的人間を予想し︑その生存権を. 顧慮するところの社会的正義を法的原理として﹂﹁市民的自由の原理を保護の原理によって修正せんとする法﹂とし.
(9) てとらえる︒そして﹁労働運動すなわち労働者階級の組織と闘争こそ︑資本制社会の悪を︑したがって市民法の虚偽. を意識的に曝露し︑ブルジョアジーとその政府にたいし社会問題をたえず押しつけることによって︑社会法の発展を. 促進する決定的な運動に他ならない﹂︑として︑此処に︑①部分社会としての体制的被害者集団を主体とし︑②その. 資本制経済社会に基づく内在的矛盾の諸形態の ︵11︶. 社会法を﹁市民社会. 生存権を価値原理とし︑③しかも労働運動←労働法をその中核とする︑今日の通説的﹁社会法﹂論の体系化の先鞭が ︵10︶. きられることになる︒それは同時に︑労働法. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 法的反映﹂︑﹁市民法の︵単なる︶反省形態男梓忽9留首を超えぬ法﹂として把え︑その意義と限界を明確にした. 加古祐二郎の業績を継承するものとして︑﹁社会法形成の根本的な力﹂を﹁経済法則・てのもの︵?︶に求める﹂﹁唯物. 史観法学︵法の生成・発展論︶﹂の一つの﹁成果﹂を示すものといってもよかろう︒. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. だが見られるとおり︑沼田闘﹃資本論﹄三篇八章には︑﹁経済法則﹂を﹁恰も永遠にくり返すかの如く﹂展開する. ことをつうじて︑近代市民法が全階級関係を隠蔽する唯一の普遍的上部構造として現出する根拠を示す︑という﹃資. 本論﹄二篇四章三節的把握は全く欠落している︒謂わく︑﹁自由意思契約﹂や﹁売り渡すことのできない人権﹂︑﹁私的. 所有権﹂は︑労働者階級その他無産者大衆にとっては外的かつ疎遠なイデオ・ギーであり︑しかも﹁労働者階級の組 ヤ. ヤ. 織と闘争﹂は︑かかる﹁資本制社会の悪を︑したがって市民法の虚偽を意識的に曝露﹂し︑﹁社会法﹂の形成に向う︒. 即ち︑団結目階級闘争←国家を媒介とする市民法から社会法への移行自体が︑﹁経済法則﹂︵?︶の展開による労働者. その他の﹁生活苦と自由平等の喪失﹂︵沼田︶︑﹁死と奴隷状態﹂︵マルクス︶という﹁経済的必然性﹂に規定せられた. 九. 上部構造である︑というのである︒十九世紀中葉英国産業資本の﹁まだ搾取される一片の肉︑一筋の腱︑一滴の血の 価値法則 人口法則と労働法︵青木孝平︶.
(10) 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶. 一〇. あるあいだは手離さない﹂苛酷な状況と︑それに抵抗する労働者集団のラッダイッ的秩序破壊を目のあたりにしたマ. ルクスにとって︑﹁標準労働日を定める法律﹂が資本家の譲歩を媒介として成立した時︑それが市民法的﹁自由・平. 等・所有﹂を部分的に修正するものとして映じたとしても驚愕にあたらない︒だが問題は︑後代の理論家・法律家が. これを︑純粋資本主義の構造分析としての﹃資本論﹄体系に不協和なまま組み込んで解していることにある︒. おそらくそれは︑﹁経済学批判プラン﹂の﹁生産一般﹂論的端緒規定の方法的残津︵肥﹃資本論﹄冒頭価値実体規 ヤ ヤ 定︵一章一節︶︑労働の二重性論︵二節︶︑物神性論︵四節︶︶の必然的帰結である直接的労働生産物交換の想定 価値 ヤ. ち. ヤ. ヤ. も. ヤ. ヤ. ヤ. 法則の等価交換化︵二章︶と相侯って︑労働力の商品化を媒介とする価値増殖過程←﹁剰余価値の法則﹂なるもの︵五. 章︶が︑抽象的人間労働←価値形成労働←﹁価値法則﹂︵一章︶から悟性主義的に分離されて設定されていることと無. 関係ではあるまい︒即ち﹁交換過程﹂に見られた如き︑市民法の単純交換法化に対応して︑マルクスの統一的な二層の. ヤ. ︑ ︑ ︑ ︑ ︑︵12︶. 価値を超える絶対的剰余価値生産が奴隷制・封. 移行論が導入される︒しかもこれに伴う﹁価値法則﹂と﹁剰余価値の法則﹂の﹁歴史﹂主義的切断闘フリワヶにょ. ヤ. 生産過程︵①価値形成過程︵一章二節︶②価値増殖過程︵五章︶︶の連関の問題にも︑単純商品生産から資本家的生産への. 発展. ︑ ︑ ︑ ︑. って︑剰余価値実現・取得 搾取関係が収奪関係化され︑必要労働. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ヤ. 建制社会と基本的に同質の剰余労働の暴力的強制過程として描かれることにもなる︒かくてマルクスに於いては︑剰. 余労働の大きさ・強度は価値法則←市民法によって規定されず︑結局︑階級闘争←国家←標準労働日・労働条件の立 ヤ. 法に委ねられるというのであるが︑なお注意すべきは︑かかる﹁剰余価値の法則﹂論なるものが﹁資本主義的蓄積の. 一般法則﹂︵七篇二+三章︶に於ける資本蓄積の増進←相対的過剰人口の累進的増加←労賃水準の絶えざる下落という.
(11) ︵13︶. 所謂﹁絶対的窮乏化﹂論と不可分の禍害をなしているという点である︒それは即ち︑労働力商品を根幹とする循環的. ヤ ヤ ヤ ヤ. ヤ. ヤ ヤ. 価値法則︵睦人口法則︶の論証の否定に基づく過剰人口の現役軍への吸収過程解明の欠落︑つまり労働者賃金の絶え. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ざる価値以下への下落に基く被救憧的窮民増加を媒介として︑自由・平等の一般的喪失←生存権理念に基づく消費過. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ﹁市民法﹂は非資本主義的な単純商品生産∬交換的小ブルジョア法イデオ・ギーと見徴され︑完. 広義の無産者の生存権保護法としてのトータルな﹁社会法﹂論を形成しているといってよかろう︒かくて︑マ. ヤ. 程に於ける大衆の生活保護立法として敷衛され︑もってさきの生産過程に於ける労働諸立法とともに﹁体制的被害 者﹂ ルクスに於いては︑. ヤ. ヤ. ヤ. 成された資本主義社会の賃労働者を中核とする無産者は︑むしろ生産−分配−消費の過程に於ける市民的自由・平等. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ち. ヤ. の実質的喪失者として︑国家制定法としての﹁社会法﹂を資本家階級に強要する主体とされることになる︒ ︵14︶. ︵15︶. なお︑体系としての社会法の歴史的登場が﹁独占資本主義段階﹂であるという﹁歴史﹂的事実に阿ね︑﹁独占資本. による最大限利潤の追求﹂︵スターリン︶こそを労働者の困窮←階級闘争←社会法の根拠とする説︵例えば宮川澄等︶ ︵16︶. が存在する︒しかしかかる主張も︑史的唯物論の﹁生産力と生産関係の矛盾論﹂のエンゲルス的歪曲である﹁生産の. 歴史﹂的単純上向論に依拠したものであり︑かかる意味では﹁社会法﹂を未だ. 社会的性格と所有の私的性格朋資本主義基本矛盾論﹂の展開によって︑直線的に自由競争←資本集中←独占として資 本主義の発展過程さえも説く﹁論理. ヤ. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. め. ヤ. ち. 段階論的に区別して解明するものとはいえず︑むしろ﹃資本論﹄の﹁剰余価値法則﹂﹁窮乏化法則﹂なるものに基づ ヤ. ヤ. く社会立法の量的拡大・全般化を︑﹁最大限利潤法則﹂←﹁社会法﹂なるものとして﹁弁証法的﹂︵?︶に質的差異化. 人口法則と労働法︵青木孝平︶. 二. しているにすぎない︒そもそも常に資本家は個々的に最大限利潤を追求するからこそ︑競争←価格変動を媒介して利 価値法則.
(12) 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶. 一二. 潤率は均等化され価値法則は貫徹されるのであり︑ けっして﹁最大限利潤の追求﹂ が市民法的自由・平等を破壊する. 人口法則・市民法・労働法. 三 純粋資本主義と労働法. 労働者貧窮の根拠であるとはいえないのである︒. 1. しかし︑マルクスや労働法学者等がいうように︑﹁市民法﹂とは︑圧倒的多数者としての労働者の意識に﹁虚偽﹂. として映るほど根の浅いものか︒それは﹁資本の生産過程﹂の中枢 ﹁絶対的剰余価値の生産﹂に於いて限界を露呈 ヤ. 階級・階層の直接的意思の発展←立法化を導入することは︑一章三節﹁価値形態論﹂に於けるが如き︑. ヤ. するほど︑資本主義にとって非本質的なイデオ・ギーであろうか︒考えてもみよ︒﹃資本論﹄へ相互に対立する﹁部. 分社会﹂. ︑. ヤ. ヤ. ヤ. ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑. ︑. ︑ ︑. ︑. ︑. ︵17︶. ︑. ︑. ︑ ︑. ヤ. ヤ. ︑. ヘ. ﹁商品所持者﹂の欲望による主観的価値表現←経済法則への不断の吸収︑したがって無数の個人的・集団的な意思行. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. も. ヤ. ヤ. ヤ. ﹁競争﹂を︑それゆえ賃労働者の﹁闘争﹂を不可欠の. 意思論は︑一般商品の所持者と同様に労働力の所持者にも該当せねばならないのであり︑したがって. 為の均衡化・無化腔﹁私的所有権者﹂の﹁意思関係﹂化︑という方法的鉄則を曖昧化する︒むしろ︑かかる価値形態論 ヤ. としての人間. 資本主義的生産関係の解明に於いては︑﹁個々人の意思行為﹂. 主観的与件としつつも︑客観的運動の総体としてはこれを捨象する必然性に貫かれるものとしなければならない︒か. かる﹁鉄の必然性をもって作用する法則性﹂による労働法の科学的基礎づけを放棄し︑なにがなんでも階級闘争の成 ︵B︶ 果として空論するのは︑﹁存在する全ての社会の歴史は階級闘争の歴史である﹂という︑﹁革命家マルクス﹂の階級闘.
(13) ヤ. ヤ. 争史観の宿痢というべきではなかろうか︒我々は︑﹁階級的立場﹂からではなく︑全く逆に︑﹁運動体としての商品﹂ ︵19︶ 自体をして︑﹁法律Ooωo言﹂が闘争の所産とされる階級的イデオ・ギーの根拠をこそ語らしめよう︒. 即ち︑労働過程に関する法律とは︑﹃資本論﹄の規定とは根本的に異なり︑﹁労働賃金と共に︑基本的には労働力な. 価値法則に照応する意思関係目市民法の特殊的. る特殊な商品の売買を決定する︑資本主義に特有なる人口法則のもとに展開される︑資本の蓄積過程のうちに歴史的 ︵20︶. に決定されるもの﹂︵宇野弘蔵︶︑換言すれば︑資本主義的生産関係. 領域をなすもの︑といわねばならない︒具体的にいえば︑市民法は資本主義的商品経済総体の規範的表現であるのに. 対し︑﹁労賃﹂﹁労働日﹂を定める法律は︑資本家的に生産しえない特殊な商品︑唯一の単純商品たる労働力の消費ー. 再生産に照応する︒いうまでもなく︑この労働力の価値規定こそが︑一切の人間関係を物化せしめ︑それを抽象的普. 遍的な市民法的関係たらしめる要石であるが︑しかしこの商品こそは︑﹁その生産を資本の移動によって調整せられ. ︑. ︑. ︑. ︑. ︵21︶. るというものでなく︑産業循環の過程において︑生産方法の改善による相対的過剰人口の形成と資本の蓄積による吸. 収を基礎にしてはじめてその価値規定を与えられる﹂︵宇野︶しかない︒即ち︑資本は好況期に於いては︑現存の固. 定資本のままで既定の有機的構成を維持しつつその規模の量的拡大をおこなうが︑これと比例して労働力の吸収←相. 資本蓄積過程として実現され. 人口法則︶︒それは信用関係形成による利潤率に対する利. 対的過剰人口の減少←労働力価格の騰貴をもたらす︒他方︑不況期の固定資本の変革による有機的構成の高度化は︑. 相対的過剰人口の増大←労働力価格の下落に作用する︵. 子率の自律的規制機構に補完されることを通じて︑周期的恐慌を媒介とする景気循環. 二二. 循環の総体として結果的に人口法則←価値法則は貫徹され︑労働力の価値規定ばか 人口法則と労働法︵青木孝平︶. るのであるが︑かかる価格変動 価値法則.
(14) 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶. 一四. りか︑この労賃による生産物買い戻しを通じ︑究極的に全商品経済を価値の自立的運動体と化し︑もつて市民法イデ オロギーの全権的支配を可能ならしめるのである︒. しかもかかる労働力価格のシステムと同様に注意さるべきは︑資本主義社会で﹁労働日﹂として具体化される資本. 増殖過程五章二節︶は︑それ自体︑普遍的﹁経済原則﹂としての労働 生産過程︵五章一節︶. 歴史的実現形態たるはずである︑という点である︒たしかにマルクスのいうごとく︑労働力の再生産に条件. の生産過程︵価値形成. の特殊 ︵22︶. づけられた労働者の肉体的・精神的限界に基づく﹁労働日﹂は︑﹁非常に弾力性のあるものであり︑きわめて大きな. 変動の余地を許す﹂ものであるが︑それにしても超歴史的におよそ人間が労働すれば︑技術的生産方法に規定せられ. 蓄積過程は︑人口法則により︑労賃と同様︑労働条件・労働日をも好況期には改善・短縮し不. た経済原則的な必要労働プラス剰余労働総体のおおよその大きさは与えうる︑としなければならない︒かかるものと して資本の景気循環. 闘争の人口法則的無化は︑﹁時間賃金﹂. 況期には改悪・延長する過程を反復しつつ︑全体として経済原則的労働過程を﹁標準労働日﹂として︑労働者・資本 ︵23︶ 家双方の市民的規範意識のうちに包摂し実現していくものといえよう︒ さてかかる労働力価格︑労働日︑労働条件に関する労働者の階級的意思. ち. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ﹁出来高賃金﹂という所謂﹁労働賃金形態﹂︵第六篇︶によって補強される︒即ち︑﹁後払関係﹂を媒介として︑賃金. ︑. ︑ ︑. ︑ ︑. ︑ ︑ ︑ ︑ ︑. ︵24︶. が労働力の価格ではなく労働の報酬とされ︑労賃による必要労働部分の買い戻しが︑他の諸階級と同等の労働目全体. の﹁労働﹂という商品の提供に対する分配H所得として擬制されると︑全労働収益的な①﹁商品所有権−所得﹂︑②. ﹁自己労働にもとづく所有権﹂という市民法イデオ・ギーが最終的に完成される︒また資本家に於いても︑賃金支出.
(15) ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 企業者活動に基づく﹁企業者利得﹂に分割される︒この分割に対応. n投下労働の費用価格化に基づき︑剰余価値の分配形態にすぎない利潤が︑商業資本を介し①貸付資本と同様の資本. ヤ. 所有一般の生み出す﹁利子﹂と②資本家の個別. ﹁土地の商品化﹂の根拠を形. して︑①資本は投下部門や運動形態にかかわらず所有すること自体で利子を生むという物神的観念←擬制資本として の株式資本形式による﹁資本の商品化﹂と︑地代収入の利子還元による土地価格形成. ち. ヤ. ヤ. や. ヤ. ヤ. 成し︑労働者に於ける﹁労働ー賃金﹂←﹁商品ー所得﹂という擬制とともに﹁資本ー利潤﹂﹁土地−地代﹂を︑抽象 ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. 的普遍的な﹁商品所有権1︵利子︶所得﹂という三位一体的﹁意思関係﹂として確立することになる︒②他方︑利子. ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︾ ︑ ︑ ︑ ︑. ︵25︶. を上回る利潤超過分が﹁企業活動−企業者利得﹂と見倣され︑さきの﹁賃金−労働報酬﹂的擬制と相侯って︑単一の. 人格︶としてのみ幻想されるばかりか︑マルク. 平等なる﹁労働にもとづく所有権﹂という小生産者的法イデオ・ギーに隠蔽されることになる︒この二つの過程を通 ︵26︶. じ︑最終的に労働者は資本家と同一の市民法的主体︵私的所有権者. ︑. ︑. ︵28︶. 法理論のイデオ・ギー的. スの所謂﹁搾取する﹃労働﹄﹂と﹁搾取される労働﹂も同一の﹁労働﹂として観念され︑単に流通過程のみならず︑ ︵27︶ 生産・分配過程に於ける階級関係も完全に市民法的形態のうちに溶解・処理されてしまうことになるのである︒実に ︑ ︑. ﹃資本論﹄二章﹁交換過程﹂に基づくパシュカーニス以来の小ブルジョア的単純商品交換 根拠も︑此処にはじめて完全に曝露されることになる︒. ︵29︶. ︑. かかる流通−生産−分配の総プ・セスを通じ︑ドイッ系労働法学者の好んで用いる︑雇傭労働者の資本家への階級. ︵30︶. 的従属を基礎とする﹁労働の従属性論>げ湿轟碍ぎ騨O段>き虫叶﹂ないしは﹁直接的生産過程内における階級支配. 人口法則と労働法︵青木孝平︶. 一五. 法本質規定﹂︵藤田勇︶なるものも成立の論拠が完全に否定される︒この点は﹃資本論﹄第四篇﹁相対的剰余価値 価値法則.
(16) 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶. ヤ. ヤ. 一六. 単純労働化を推. の生産﹂の観点からみても︑協業︵十一章︶←分業とマニュファクチュア︵+二章︶←機械と大工業︵十三章︶という生産. ヤ. 力H労働方法の発展過程を通じ︑資本主義は必要労働時間の短縮のみならず︑職人的技術性の剥脱. 従属﹂なる唯物史観イデオ・ギーは︑抽象的人間労働により衡量された価値形成 増殖過程として. 進し︑資本家を単なる特別剰余価値追求の主体として生産過程に外在化して︑資本の労働に対する支配を︑機械の自 ヤ 動的体系への﹁物化された労働﹂の非人格的服属に代位させることにも明確なはずである︒むしろ﹁生産過程内にお ける階級的支配. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. 労働過程の編成. ︑. の﹁資本の生産過程﹂の未確立を意味するにすぎないといえよう︒なお付言しておくと︑﹁比較的大規模の直接的に社 ︵31︶. 会的または共同的な労働﹂に於いて︑工場主あるいは生産・労務管理者としての使用者が労働条件. を決定し︑労働者がこれに従うという関係︵組織的・技術的従属説︶や︑工場内でかかる管理者の指揮・命令・監督. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑ ︑. ︵3 2︶. 超歴史的. に個別労働者が服従するという関係︵人格的従属説︶は︑かかる管理機能が同時に資本の機能を担っている点を度外. ︑. 視すれば︑それ自体︑﹁資本によって購買された労働力﹂という形態規定性のうちに実現された︑普遍的 ︵33︶. ︑. ︑. な労働力の消費過程編成の技術的社会的条件としての一生産方法︵目生産様式ギo身騨δ霧名蝕器︶にすぎない︒こ. 協業関係︵経済原則︶の一分肢を構成するものであり︑特殊. ヤ. ヤ. 歴史的な階級関係. ヤ. 生産関係ギo身辟一9零R−. ヤ. の意味で︑かかる﹁従属﹂は︑﹁多かれ少なかれ全ての社会形態にあてはまる﹂労働過程︵五章一節︶内部の作業場内分. 業. 薮一3一ωに照応する法律関係︵従属←労働法︶の根拠となしえないことはいうまでもなかろう︒. ヤ. ヤ. ヤ. こうして︑労働者が生存権要求に基づく階級闘争によって︑資本家に﹁超強力な障害物﹂として強要したかにみ. えた︑労賃︑労働日︑労働条件を規定する﹁法律﹂とは︑労働者・資本家双方の商品所持者譲貰窪げ8冒震とし.
(17) ヤ. ヤ. ち. ての欲望・利害を前提とし︑かつ絶えず吸収・無化して貫徹する価値法則の﹁意思関係﹂的表現︵私的所有権. ギ貯象①蒔窪言ヨを基軸とする市民法︶を超えるものではありえない︒むしろ︑かかる﹁法律﹂は︑原理的には﹁市. 民法﹂のうちに表現せられる資本主義的生産関係の自立性を︑その基抵に於いて支える労働力商品形成の法則 人口 ヤ. ヤ. ヤ. 法則に照応する意思関係といえよう︒即ち︑価値法則の労働力商品への単なる具体的貫徹形態として人口法則がある. のでなく︑価値法則はその展開のなかで自己の絶対的存立基盤としての人口法則を絶えず貫徹していかねばならない. ということ︑この関係こそが︑法範疇としての﹁市民法﹂と﹁労働に関する諸立法﹂の関係を最終的に明確にしてくれ. る︒つまり︑かかる労働諸規範は︑﹁自由︑平等︑所有︑ベンサム﹂を﹁妨げ﹂たり︑それに﹁代って﹂︵マルクス︶登. 場したりするものではない︒むろん﹁保護の原理によって修正﹂︵沼田︶するものでもありえない︒﹁従属者の生存権﹂. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ←﹁社会法﹂として法律構成をうける労働諸規範は︑まさに﹁私的所有権者﹂の権利の行使として先ず存在しうるば. ヤ. ヤ. ヤ. かりでなく︑逆に︑一般的な市民法的権利関係自体︑労賃・労働日など労働力の販売・消費関係を規範として内包して ち. のみはじめて現実化しうるのである︒かかる意味では︑賃労働者の規範意識こそがブルジョア所有権法の原基形態で. ある︑というパラドクシカルな関連にある︒この限りでは︑所謂﹁労働法 法社会学論争﹂時の渡辺洋三の発言も正鵠. をえている︒i﹁労働者の生存要求は︑資本に付与された労働力商品の私的所有者という資本主義的形態のもとに. 包摂され︑かかる形態規定をうけたものとして︑商品交換法としての労働法のなかに自己を実現してゆく︒この意味. 人口法則と労働法︵青木孝平︶. 一七. で生存権原理は︑即自的にも︑労働法の原理たりえない︒⁝⁝やはり︑労働法は資本主義労働法である限り︑労働力 ︵34︶ 商品交換の法であり︑法学的には財産法の範疇に入るといわなければならない﹂︒ 価値法則.
(18) 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶. 2法勾①o算と法律OΦω①冒の位相 しかし︑間題は未だこのさきにある︒. 原理的に﹁私的所有﹂を基軸にする法幻①o洋. 一八. 市民法イデオ・ギーによって階級関係は完全に隠蔽される以上︑か. かる市民的労働諸規範が特殊﹁国家制定法ω欝讐路8①9﹂として発現する余地はどこにあるのか︑という点である︒. 実際︑本来は物化 商品化しえない労働力を商品化することによって︑﹁資本家的生産様式は︑ほぼ一〇年周期の恐 ︵35︶ 慌をとおして︑労働者の生活や意識までも︑標準労働日維持の︵市民的ー引用者︶傾向へと陶治し訓化してゆく﹂︒. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ち. 市民法形態のうちに経済原則︵人間の相互的使用価値充. ヤ. 即ち︑生産過程を内部に包摂しつつ︑GlWiG︵資本の一般的定式︶という流通形態的総括のうちに資本家と労働. ヤ. 者の階級関係も再生産されてゆく︑換言すれば︑価値法則. 足 肉体の再生産︶に照応する広義の生存権的理念が自動的に達成されてゆく︑ということであって︑少くともそれ. ヤ. ヤ. ヤ. 以前の階級 身分社会と異なり︑特定の支配階級の意思を表現する国家−法律は必要とされるはずがない︒したがっ. ヤ. ち. てまた︑労働者という被抑圧階級が︑特殊的階級意思の法制化をことさら生存権として支配階級に強要する根拠も存. ヤ. ち. ヤ. 資本の商品化︶による﹁諸階級﹂︵三巻七篇五+二章︶の商. ヤ. 在しない︒このことは︑﹁商品﹂にはじまり︑商業資本・信用制度の確立を前提とする︑利潤の利子と企業者利得へ ち. の分離←所謂﹁利子生み資本形態での資本関係の外化﹂︵ ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 品形態的隠蔽によって閉じる︑﹃資本論﹄の構造的な自立的円環的体系性に最もよく表現されているはずである︒ ︵36︶ ﹁プラン﹂論争に立ち入る余裕はないが︑例えば﹃資本論﹄第. 今日詳細な研究がなされている﹃資本論﹄の方法. 一巻に先行する﹃経済学批判要綱﹄﹁序説・経済学の方法﹂︵一八五七年︶あるいは﹁ラサールヘの手紙︵一八五八年.
(19) ︵37︶. 二月二十二日付︶﹂︑﹁エンゲルスヘの手紙︵同年四月二目付︶﹂の段階では︑マルクス自身︑未だ﹁2ブルジョア社会. の内的編成をなしていて基本的な諸階級がそれに立脚している諸範疇﹂としての﹁資本︑賃労働︑土地所有﹂を︑商. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︵38︶. 品形態のうちに実現される生産関係として自立的完結的に分析するのでなく︑相互に対立的な関係として︑﹁1生産一. 般﹂からの上向過程としての﹁3国家の形態でのブルジョア社会の総括﹂に直接委ねることを夢想していた︒かくて. 3の﹁﹃不生産的﹄諸階級︑租税︑国債︑公信用︑人口︑植民地︑移住﹂以下4の﹁国際的関係﹂等々は︑﹁国家﹂を. 媒介しつつも︑﹁本来の経済学の基礎的展開﹂たる三大階級関係の直線的上向 外延上に措定されることになるので. あるが︑かかる方法から類推すると︑おそらく﹁法的関係即①9冨語旨巴9冨﹂も︑階級関係の自己完結的隠蔽による ︵39︶ 単一的﹁意思関係﹂としてでなく︑むしろヴィシンスキーの﹁法の定義﹂式に﹁国家権力によってサンクションをう. けた﹂﹁法律O①ω①言﹂としてのみ分析されることになったであろう︒しかしながら︑前述の如く現行﹃資本論﹄︵一 ヤ ヤ ﹁法律的・.⁝.発展﹂から一応区別された位相で﹁意思. 八六七年〜︶は諸々の欠陥・疑問点を含みつつも︑﹁国家﹂. 関係﹂論の展開を確立しえている︒それはまさに︑一八五九年︑一八六三年を頂点とする五度以上のプランの変更・ ︵40︶. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. 拡充を経て︑対象としての一八世紀英国産業資本の成果を方法的に模写しつつ︑﹁従前の経済的状態の残津による資. 本主義的生産様式の不純化と混合を⁝⁝除去﹂︵マルクス︶した純粋資本主義想定の確立を示すものといわねばなら ヤ 原理論としての﹃資本論﹄の論理からは︑特殊に非商品経済的要因や具体的国家間関係 ない︒こうして︑社会科学. に規定され進展する﹁一国に於ける資本主義の発生・発展・没落の過程﹂は捨象される︵例えば仏語版に於ける本源. 一九. 的蓄積の歴史過程︵八篇!︶の﹁資本蓄積過程﹂︵七篇︶からの分離を見よ︒︶のであり︑﹁プラン﹂に不純なまま混清 価値法則旺 人 口 法 則 と 労 働 法 ︵ 青 木 孝 平 ︶.
(20) 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. 二〇. ヤ. し︑﹃資本論﹄に部分的残津を残す﹁国家の形態でのブルジョア社会の総括﹂︑したがってその実体的内容たる﹁国家. ち. 制定法ω富舞茜8Φ言﹂は︑不必要なものとして意図的に排除されねばならないのである︒. もっとも︑いうまでもないが︑﹃資本論﹄体系から直接に抽出される意思関係としての市民法規範が︑ただちに資. 本主義の各発展段階の法現象の一切を包括した規定であるというわけにはいかない︒およそ各段階の資本主義は︑商. 品経済で律しきれない階級形成関係︵←本源的蓄積︶や相互に異なった蓄積様式をもつ各国の影響︵例えば後進国に. 於ける有機的構成の高度化した先進国資本闘生産力の移入←帝国主義︶を反映して︑特殊に﹁国家の形態でのブルジ. ︵41︶. ︑. ︑. ョア社会の総括﹂のタイプが存在するのであり︑したがって各々の﹁法幻9算﹂の﹁法律O①ω09﹂化のプ・セスは︑. ﹁支配的資本の形態に対応した直接的経済過程に於いて展開される政策﹂を媒介としてまず顕現することになる︒か. ヤ. ヤ. かるものとして労働政策←労働立法こそは︑原理的に市民法規範のもとに熔解され解決された﹁労働力商品の特殊. ヤ. 原理論. に措定されてある. 性﹂が︑資本蓄積様式のタイプ的差異︵商人資本︑産業資本︑金融資本︶を通じて再度露呈するものとして︑段階論 ち. 国家f法律論の基抵をなすといえよう︒けだし﹁資本主義経済の﹃根本矛盾﹄として. ︵42︶. ものが労働力の商品化であったことからすれば︑︵段階論の︶基軸はあくまで労働力商品市場政策を中軸とするく労. 働政策V﹂︵中西洋︶でなければならず︑①重商主義︑②自由主義︑③帝国主義の政策的指標は︑単に﹁農業︑工業︑. 商業︑金融︑交通︑植民等々の︵経済︶政策﹂︵宇野︶の網羅でなく︑﹁①旧来の生産関係を破壊し︑労働力商品化の. 前提をつくりつつある段階︑②労働力の商品化を周期的な景気循環過程を媒介としつつ︑つねに適合的な関係のうち. に維持しつつある段階︑③生産力の過度な発展によってたえず構造的過剰人口をかかえながら発展せざるをえない段.
(21) ︵43︶. 階﹂︵降旗節雄︶としての﹁労働力商品の特殊性﹂に基づく矛盾の各々の処理策. ち. ヤ. ヤ. ヤ. や. ヤ. 労働政策←立法を基準に解明され. ヤ. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ねばならない︒即ち︑具体的には価値法則目人口法則により﹁労賃﹂﹁労働日﹂﹁労働条件﹂の法理も含め抽象的個人. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑︵44︶. 的な市民法的主体に吸収された原理的労働者像を基準に︑此処からは捨象されていた労働者の集団性目﹁労働力商品. 取引組織﹂としての﹁団結性﹂こそが︑労働力消費﹂資本蓄積の段階論的解明の前提として労働力再生産の公的保. 障←﹁国家i法律﹂論の媒介項に位置づけられる︒英国法制史に即していえば︑①絶対王制とブルジョア革命による. 国家権力を積桿とする本源的蓄積←一七九九・一八○○年法を中心とする労働者の団結禁止︑②市民法的自由権によ. る労働者集団の法律構成←一八二五年法による労賃・労働時間に関する団結の消極的容認︑③重工業的生産力の金融. ヤ. ヤ. 資本的処理に基づく経済法則の部分的変騎←一八七五年法〜一九〇六年法による団結活動の積極的容認保護︵ストラ ︵45︶ イキの刑事・民事免責︶︑という所謂﹁団結法Ooヨげぢ昌9︾9ω﹂系列がこれに該当するのであり︑かつまたさき ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. にみた労賃・労働目・労働条件の特殊 法律化︵①救貧法・労働者法②工場法③社会政策立法化︶のプ・セスも︑こ. ヤ. ヤ. ヤ. め. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 労働者保護法は︑一九世紀中葉の英国. の﹁団結﹂の水準を媒介としてはじめて﹁闘争の成果﹂であるかの如く主観化され現出することになる︒ ヤ. 付言しておくと︑帝国主義段階に於ける労働時間・労働条件の権力的規制. ヤ. ヤ. ヤ. の自由主義的工場法と異なり︑労働者と生産物の過剰←慢性的不況化による大量解雇︑独占価格の形成︑貧窮的小経営. の残存その他金融資本による産業の独占的組織化の弊害に対する失業者・消費者・小生産者の生存権保護の社会政策. 二一. 市民法形態に委ねておき︑したがって支配的. 社会立法と相即して所謂﹁社会法﹂を構成するものといってもよい︒しかしながら︑かかる労働立法 社会立法は. 未だなお︑労働力の販売と労働生産物の買い戻しを基本的に価値法則 価値法則 人口法則と労働法︵青木孝平︶.
(22) 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶. ︵46︶. ヤ. ヤ. 二ニ. 資本の利害を前提としながら︑単に人口法則の部分的偏騎化により労働力の消費過程のみを外部から非法則的H権力. 的に調整するものにすぎない︒即ち︑金融資本腿国家の経済政策の枠内に於ける矛盾の発現の隠蔽・回避策︵形骸化. 反作用的能動性を有しつつも︑未だ原理的な経済法則に照応する社会. 行. された市民的権利の実質化・回復策︶にすぎない点において︑帝国主義的 社会政策的労働立法も︑資本主義の発展 に対し促進あるいは阻害するという特殊. 為規範としての﹁市民法﹂を揚棄しえないものとせねばならない︒此処に工場法から社会政策までを含む広義の労働立. 法が︑社会的生存権的側面︵段階論︶と市民的自由権的側面︵原理論︶の二面性を有しつつも︑基本的にブルジョア市民. 法H所有権法イデオ・ギーを凌駕しえない限界性が明確にされるはずである︒むしろ労働法に就いても﹁法律O①ωo言﹂. 論は﹁法勾①魯£の特殊 歴史的実現形態として︑各段階の典型国の個別腿実証的な研究に委ねられねばならない︒. 四 小結−現代労働法解明のためにー. 筆者は︑﹁経済原論に対応する原理としての法体系﹂構築の前提的作業として︑﹃資本論﹄に於ける労働立法論の展. ヤ. ヤ. ヤ. 現代法と. 開を批判し︑またその段階論的解明のための方法的視座をも多少とも示唆してきた︒かかる課題はまた︑段階論的労. ヤ. 働諸立法とりわけ帝国主義段階の労働者保護法と論理的に峻別された地平に於いて︑国家独占資本主義法 ヤ. 管理通貨制によるインフレ政策は︑近代市民法の予想した自由・. しての労働法ー労働基本権の解明をも可能ならしめるはずである︒. けだし︑貨幣の価値尺度機能の国家による代位. 平等の個人法理の支配を積極的に揚棄し︑なかんずく資本と労働力の交換関係そのものへの国家介入←最低賃金制︑.
(23) ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. も. ︑. ヤ. ︵47︶. ヤ. ヤ. 人口法則に. 労働基本権付与による﹁労働者の自主的なる組織的批判﹂を前提とし︑金融資本の利害を超えた﹁国. 完全雇用︑社会保障の達成︑他方で株式の大衆化・労働者の中産階級化の意識的操作を可能ならしめ︑もって労働運. 動助成政策 ︑. 家﹂自身による反独占的な﹁資本主義の組織化﹂追求に帰結する︒かくて︵現代︶労働法は︑価値法則. よる自由権的市民法体系と整合的にその地位をみいだせず︑むしろ一九一七年ソ連邦成立を契機とする﹁社会主義を. ﹁現代法﹂の根幹を占めること. 前にした資本主義﹂の全般的危機的自己保存政策︑即ち社会資本︑公共事業︑住宅建設︑農業保護その他﹁福祉国家﹂. 的な国家による資本主義の組織化政策の体系化としての階級融和的大衆民主主義法 ヤ. も. 階層としての﹁勤労者. ヤ. 国民﹂の生活. 生存権達成︵賃上げ︶の. になる︒即ち︑イソフレとフィスカル・ポリシーにより︑団結権皿団体交渉権を基礎とする労働基本権を︑農漁民・. 中小企業主・俸給生活者と全く同一の社会的弱者. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 現代法︶の. 道具に解消し︑かかる官許の国民運動的﹁労働﹂運動の団結による批判を不可欠の体制安定装置としてその基礎にも ヤ. ヤ. つことで︑市民法体系に代わる社会的弱者の生存権保護を理念とする﹁公共の福祉﹂的国家政策体系︵. ヤ. め. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 現代法﹂論としてはじめ. ヤ. 実現も可能となるのである︒かくて現代労働法の解明は︑原理的な市民法的意思関係を基準とし︑その特殊領域とし ヤ. ての労働諸立法の段階論的解明を媒介とし︑かつそれと区別された視座︑所謂﹁現状分析 ヤ. 二三. ﹁価値形態論と交換過程論に於ける法の物神性ー法学原理論・序説ωー﹂︵早大法研論集十七号︶ なお本稿はこの続. て可能となるはずであるが︑これは後日の課題といわねばならない︒. ︵−︶. 人口法則と労働法︵青木孝平︶. マルクス﹃資本論﹄︵M目E全集刊行委訳・大月︶第一巻二分冊七五〇〜七五二頁︒. 編したがってー法学原理論・序説③ーをなす︒ ︵2︶. 価値法則.
(24) ︵3︶. 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶. 二四. 勾9窪とOoωo言の区別については︑①大薮龍介﹁資本論に於ける国家と法﹂7ルクス︑エソゲルスの国家論﹄︵現代思. 区別は︑所謂﹁戦後法社会学論争﹂に於ける﹁行為規範﹂と﹁裁判規範﹂︑﹁生ける法﹂と﹁国家法﹂の関係を巡る諸論争の. 潮社︶所収を参照︒なお︑②同﹁資本論と国家論の位相﹂﹃国家論研究﹄︵論創社︶一七号も参照のこと︒ーなお︑かかる. 最終的かつ最もマルクス的な決着でもあろう︒さしあたり︑藤田・江守編﹃文献研究・日本の法社会学﹄︵日評︶所収の川. マルクス﹃資本論﹄一巻一分冊三九七頁︒. ①ラードブルフ﹁法に於ける人間﹂﹃ラードブルフ著作集﹄︵東大出版会︶②橋本文雄﹃社会法と市民法﹄︵有斐閣︶. 島武宜︑山中康雄その他の諸論文を参照されたい︒ ︵4︶. ラードブルフ﹁個人主義法から社会法へ﹂﹃前掲著作集﹄八巻︒. ︵5︶ ︵6︶. ジンッハイマー理論については︑①片岡昇﹁ドイッ労働法学における団体法理論Ieジンツハイマーについて﹂﹃法学. 参照︒. 沼田稲次郎﹁市民法と社会法﹂﹃社会法理論の総括﹄︵勤草︶八一︑八四︑八五頁︒なお︑同﹃労働法論序説﹄︵同︶. 輔章. 大河内一男の社会政策論を巡る論争とその批判に関しては︑さしあたり︑宇野編﹃資本論研究五﹄︵筑摩︶一七五頁以下. 一頁以下参照︒. マルクス﹃資本論﹄一巻一分冊二二四頁︒なお批判としては︑字野弘蔵﹁恐慌論の課題﹂﹃宇野著作集四巻﹄︵岩波︶四一. 論叢﹄六〇巻三号︑②同﹁労働法における人間﹂﹃季刊労働法﹄四八号︑を参照︒. ︵7︶. ︵8︶. ︵9︶. ︵10︶. 加古祐二郎﹁法的主体より見たる社会法﹂﹃近代法の基礎構造﹄︵日評︶二九八頁︒. も参照︒. 梅本克己﹁搾取の論理と収奪の論理﹂﹃社会科学と弁証法﹄︵岩波︶をさしあたり参照︒. ︵11︶. ︵2 1︶. ベルソシュタイソ. スターリγ﹁ソ同盟に於ける社会主義の経済的諸問題﹂﹃スターリソ戦後著作集﹄︵大月︶二四八頁︒なお︑宇野﹃資本論. ︵ミネルヴァ︶を参照︒なお︑宇野﹁いわゆる窮乏化の法則について﹂﹃著作集四巻﹄一一一頁も参照︒. カウッキー論争を発端とする所謂﹁窮乏化論争﹂に関しては︑さしあたり遊部久蔵﹃資本論研究史﹄. ︵13︶. ︵4 1︶.
(25) 一四八︑一七〇頁等々︒. ①エンゲルス﹃空想より科学へ﹄︵岩波文庫︶六九頁︒②同﹃反デューリング論︵下︶﹄︵岩波交庫︶一九八頁以下参照︒. 宮川澄﹃市民法と社会法﹄︵青木︶ 一二六︑. の経済学﹄︵岩波新書︶七七頁の批判を参照︒ ︵5 1︶. ①宇野弘蔵﹁価値形態論の課題﹂﹃著作集三巻﹄所収その他﹁価値論﹂を参照︒fなお︑②清水正徳﹃人間疎外論﹄︵紀. ︵16︶. ︵17︶. ﹁資本主義的生産の自然法則から生ずる社会的敵対関係の発展度の高低がそれ自体として問題になるのではない︒この法. マルクス︑エンゲルス﹃共産党宣言﹄︵国民文庫︶二六頁︒. 伊国屋︶③滝沢克己﹃現代への哲学的思惟﹄︵一三︶④梅本克己﹃マルクス主義における思想と科学﹄︵同︶もぜひ参照︒ ︵18︶. 一四四頁の︑﹁生産過程における労働者の主体的抵抗←階級闘争による標準労働日決定﹂という反対説もある︒なお︑③降. この点に関しては︑①鈴木鴻一郎編﹃経済学原理論︵上︶﹄︵東大︶一一八頁︑②岩田弘﹃マルクス経済学︵上︶﹄︵風媒社︶. マルクス﹃資本論﹄一巻一分冊三〇二頁︒. 宇野弘蔵﹁経済学方法論﹂﹃著作集九巻﹄二四六頁︒なお﹁恐慌論﹂﹃同五巻﹄もぜひ参照されたい︒. 宇野弘蔵﹃経済原論﹄︵岩波全書版︶七〇頁︒. 一分冊九頁︒︶. 則そのもの︑鉄の必然性をもって作用し自分をつらぬくこの傾向︑これが問題なのである﹂︒︵﹃資本論﹄第一巻序文ー一巻. ︵19︶. ︵20︶. ︵21︶. ︵2 2︶ ︵23︶. 一巻二分冊六九二頁︒宇野﹃︵旧版︶経済原論︵上︶﹄. ︵世良晃志郎還暦記念論文集下巻︶﹄︵創文社︶所収︑をも参照のこと︒ マルクス ﹃ 資 本 論 ﹄. 宇野﹃同︵下︶﹄二八六頁以下参照︒. マルクス﹃資本論﹄三巻一分冊四八○頁︒. 一四二頁︒. 二五. 国家に関する論. 8号︶⑤大内秀明﹁資本論と国家論﹂﹃社会科学と諸思想の展開 4︑1 3︑1 6︑1 7︑1 2︑1 争︵﹃同﹄3︑4︑6︑8︑10︑11︑1. ﹃同﹄誌上に於いて現在なお継続中の鎌倉孝夫︑川上忠雄︑内山節︑坂内仁︑等々の資本主義と階級闘争. 2号の反批判︑④その他 旗節雄﹁宇野理論と政治学﹂﹃国家論研究﹄3号︵論創社︶︑同﹁マルクス国家論の構造﹂﹃同﹄1. ︵24︶. ︵26︶. ︵25︶. 価値法則目人口法則と労働法︵青木孝平︶.
(26) 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶. 二六. 宇野﹃前掲書︵下︶﹄三〇三頁以下﹁資本主義の階級性﹂︒なおこの点については︑鎌倉孝夫﹁原理論における階級論﹂﹃資. 整理を参照のこと︒. 降旗︵前掲論文︶の反批判も参照︒. 経済的従属︑人格的従属︑階級的従属については︑さしあたり沼田﹁労働の従属性﹂﹃社会法理論の総括﹄︵勤草︶所収の. をなすべきか﹄︵国民文庫︶四八頁︶というレーニンの指摘は正当であろう︒. この点︑﹁労働者大衆自身が彼らの運動の行程それ自体のあいだに独自のイデオ・ギーをつくりだすことはできない﹂︵﹃何. ﹁市民社会﹂的隠蔽の限界←ブルジョア国家成立の根拠とする説も存在する︒宇野. 本論とマルクス主義﹄︵河出︶の︑原理に於ける擬制資本による資本の商品化の﹁理念性﹂ 非現実性こそを︑階級関係の. ︵27︶. ︵28︶. ︵29︶. 藤田勇﹃法と経済の一般理論﹄︵日評︶三〇八頁︒この批判としては︑①馬場宏二﹁経済・法・国家﹂﹃社会科学の方法﹄. 七五年五月号︵御茶の水︶︑②﹁法と経済の一般理論をめぐって﹂﹃法律時報﹄七六年六︑七︑八︑九月号の柴垣和夫の発. ︵30︶. 言︑③柴垣﹁書評・現代法と経済﹂﹃社会科学研究﹄一八巻二号︒なお︑④梯明秀﹁法と経済の中間領域にある若干の間題﹂. ﹃資本論﹄の﹁生産様式. マルクス﹃資本論﹄一巻一分冊四三四頁︒. ﹃立命館経済学﹄二二巻三︑四号も参照されたい︒ ︵1 3︶. 収︑②大内秀明﹃宇野経済学の基本問題﹄︵現代評論社︶二一九頁︑③渡辺寛﹃レーニンとスタ!リン﹄︵東大出版会︶一〇. 生産方法﹂概念の混乱と整理については︑①宇野弘蔵﹁社会主義と経済学﹂﹃著作集+巻﹄所. ︵32︶. も︑近藤哲夫と共に︑﹁生産力と生産関係の統一 マルクス ﹃ 資 本 論 ﹄ 一 巻 一 分 冊 二 三 三 頁 ︒. 生産様式﹂なるスターリン的俗説を批判して︑正当な﹁生産様式﹂範疇理. 九頁以下を参照︒なお︑④芝田進午﹃人間性と人格の理論﹄︵青木︶︑⑤芝原拓自﹃所有と生産様式の歴史理論﹄︵青木︶. 渡辺洋三﹁法社会学と労働法学﹂﹃法社会学研究七巻法社会学の課題﹄︵東大出版会︶一六七頁︒iなお渡辺は︑﹁社会. 解に基づく歴史分析を大胆に提起している︒ ︵3 3︶. 保障の権利﹂をかかる﹁労働者の権利﹂と峻別し︑前者こそを財産法と対立する﹁生存権﹂←﹁社会法﹂理念に合致するも. ︵4 3︶. セ. じ. セ. 生活費を含んでいることか. のとする︒たしかに社会保障法その他公的扶助の体系的解明は︑現状分析 国独資論の対象であろう︒しかしその基抵にあ. る﹁扶助の権利﹂の権利性自体は︑労働力の価値規定が妻子の他非生産者たる失業者の養育.
(27) ヤ. ち. ち. ち. む. ち. ヤ. ち. 労働賃金によって負担されるもの﹂であり︑したがって人口法則による失業者. 被扶助者の吸収・排出を不可欠の与件と. ら︑ひとまず原理的に考察されねばならない︒即ち︑所謂﹁産業予備軍中の受救貧民﹂に対する﹁空費﹂も︑﹁原理的には. し︑全体として﹁好況期に向上した生活水準が不況期には低下しつつ一定の生活水準を形成﹂︵宇野︶する機構を媒介とし も. オ・ギーとしての市民法ないし財産法と﹁全く性質を異にする﹂︵渡辺︶とはいえない︒なおこの点は所謂﹁宇野. も. 梅本論. て︑生活扶助も価値法則←市民法関係のうちに実現されるものとしなければならない︒この限りでは﹁社会保障﹂も︑イデ. 降旗節雄. 前掲﹁宇野理論と政治学﹂五四頁︒. 争﹂の争点の一つでもある︒とりわけ︑宇野﹁資本制生産の基本的矛盾とその解決﹂﹃社会科学と弁証法﹄︵岩波︶を参照︒ ︵35︶. ︵36︶プラン論争は︑①久留間鮫造︑②高木幸二郎︑宮本義男︑③佐藤金三郎等による詳細な文献学的論議として争われている. が︑さしあたり︑遊部久蔵﹃資本論研究史﹄︵ミネルヴァ︶を参照︒なお︑国家論との連関に就いては︑原田三郎編﹃資本. 同﹃経済学批判要綱1﹄︵大月︶三〇頁︒. マルクス﹃経済学批判﹄︵国民文庫︶三二一一︑三一六頁所収︒. 主義と国家﹄︵同︶一篇も参照︒ ︵7 3︶. ︵38︶. マルクス﹃資本論﹄一巻一分冊一〇頁︒. て﹂﹃法政 研 究 ﹄ 二 〇 巻 二 ︑ 三 ︑ 四 号 を 参 照 ︒. ︵39︶①藤田勇﹃ソビエト法理論史研究一九一七〜一九三八﹄︵岩波︶四三〇頁︒②柳春生﹁ヴィシンスキーの法の定義につい. ︵40︶. 中西洋﹁経済学と社会科学の全体像﹂﹃思想﹄一九七八年八月号一二二頁︒なお︑同﹁日本における﹃社会政策﹄H﹃労. ︵41︶ 宇野﹁経済学方法論﹂﹃著作集九巻﹄五〇頁︒. 渡辺洋三﹃前掲書﹄一七五頁︒. 降旗節雄﹁宇野理論ーその方法的核心をめぐって﹂﹃経済学批判・宇野追悼号︵七七年九月︶﹄︵社会評論社︶一三四頁︒. 働問題﹄研究の現地点︵2︶﹂﹃東大経済学論集﹄三七巻二号も参照︒. ︵42︶. ︵44︶. ︵43︶. 人口法則と労働法︵青木孝平︶. 二七. ︵45︶①中西﹃思想﹄前掲論文中の︿労働政策としての国家﹀論の体系的展開を見よ︒もっとも帝国主義段階の社会立法の解明. 価値法則.
(28) 早稲田法学会誌第二九巻︵一九七八︶ セ. ヤ. も. 二八. はイギリスだけでは決定的に不充分であり︑後進国ドイッをこそむしろ典型とせねばならぬことは言をまたない︒②なお渡 ち. ち. む. む. ち. む. ち. 辺洋三﹃現代法の構造﹄︵岩波︶も︑﹁労働力商品の特殊性一般から直ちに労働基本権の成立を論理的に説明することはでき ち. む. ヤ. も. ち. ち. や. い. ち. ち. ない﹂という原理的把握を前提としたうえで︑﹁労働力商品の特殊性が︑資本主義発展の各歴史的段階において︑どのよう. にあらわれたかという歴史的分析をつうじて労働基本権をみる﹂︵八二頁︶という︑団結権の段階論的解明のすぐれた方法 を提起して い る ︒. ︵46︶ 渡辺洋三﹃同﹄一六八頁︒なお︑大内力﹃国家独占資本主義﹄︵東大出版︶二七九頁も参照︒. 大内力. 渡辺洋三の国独資. 現代法論を参照されたい︒. ︵47︶ さしあたり︑①宇野﹁経済政策論﹂補記﹃著作集七巻﹄︑②同﹁資本主義の組織化と民主主義﹂﹃著作集八巻﹄③その他︑.
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