和
田
性
海
師
伝
藤
田
清
一 、 略 歴 1 、 逆 旅 人 和 田 性 海 師 は 、 そ の 喜 寿 の 祝 の 記 念 に 、 み ず か ら 編 集 し て 回 顧 録 ﹃ 逆 旅 人 ﹄ を 出 版 し 、 そ の 自 序 の 中 で 一 生 を 回 顧 し て 次 の よ う に い つ て い る 。 こ こ に 余 自 身 の 一 生 を 顧 る と 、 ま こ と に 東 西 南 北 に 漂 泊 彷 復 し 、 交 通 の 途 上 と 、 旅 宿 の 起 臥 と に 大 半 の 日 月 を 消 過 し 、 全 く 逆 旅 人 で あ っ た と い う 感 慨 が 、 ひ し ひ し と 胸 に 迫 る の で あ る 。 こ の 小 冊 子 に ﹃ 逆 旅 人 ﹄ と 名 付 け た の は 、 そ の 標 示 に 過 ぎ ぬ の で あ る 。 ま た そ の 心 境 を 、 弘 法 大 師 の ﹁ 三 界 は 客 舎 の 如 し 、 一 心 は 是 れ 本 居 な り ﹂ に 、 あ る い は 李 白 に 、 あ る い は 芭 蕉 に く ら べ な が ら 、 古 人 の 高 く 潔 き 、 偉 大 な る 後 ろ 影 を 拝 し て 、 七 十 年 の 生 涯 を 、 徒 ら に 牛 事 馬 事 の み に 消 磨 し 、 空 し く 諸 縁 の 起 伏 に 追 随 し て 、 正 に 生 死 岸 頭 に 立 ち て 、 一 個 半 個 も 獲 る 所 が な か っ た 、 酔 生 夢 死 の 一 老 禿 を 顧 る と 、 そ ぞ ろ に 、 除 夜 の 鐘 我 が 上 堂 の 影 う す し 、 の 感 な き を 得 ぬ の で あ る 。 と 述 懐 し 、 更 に 続 け て 自 分 の 一 生 を 次 の よ う に 略 述 し て い る 。 強 い て 弁 解 す れ ば 、 余 が 一 生 を 左 右 せ し 精 神 的 衝 動 は 、 青 年 時 代 に 東 都 に 遊 び 、 新 仏 教 同 志 と 共 に 、 旧 仏 教 の 改 革 を 志 し 、 仏 教 徒 と し て 社 会 改 善 の た め に 、 一 個 の 良 心 的 戦 士 た ら ん と 決 意 し 、 爾 来 真 言 宗 の 一 伝 道 者 と し て 発 和 田 性 海 師 伝密 教 文 化 足 し 、 こ れ が 今 日 ま で の 半 世 を 支 持 し 、 且 つ 貫 徹 し て い る の で あ る 。 と 、 そ の 仏 教 者 と し て の 一 生 を 貫 徹 す る も の を 明 ら か に す る と と も に 、 今 一 つ は 夙 に 根 岸 子 規 庵 を 訪 い 、 和 歌 、 俳 句 の 同 人 と 交 遊 し た の が 半 世 の 趣 味 生 活 を 支 え 来 っ た の で あ る 。 と 、 そ の 趣 味 的 半 面 を 説 明 し て い る 。 更 に そ の 仏 教 者 と し て の 活 動 に つ い て は 、 余 は 弘 法 大 師 の 一 末 徒 と し て 、 そ の 真 精 神 を 把 握 せ ん と し 、 多 年 大 師 主 義 を 唱 道 し た が 、 そ の 中 心 生 命 と し て 、 国 民 道 徳 の 浄 化 向 上 を 念 願 し 、 宗 教 信 念 と 、 社 会 道 義 を 一 如 な ら し む る 点 に 全 勢 力 を 傾 注 し 、 以 て 荘 厳 仏 国 の 聖 業 と 信 じ て 来 た の で あ る 。 と 述 べ て い る 。 ま た 和 歌 、 俳 句 に つ い て は 、 中 頃 三 十 年 間 、 根 岸 派 同 人 と も 殆 ん ど 関 係 を 絶 ち 、 特 に 研 究 切 瑳 す る 余 暇 も な く 、 唯 だ 随 時 即 興 の 誠 詠 に 過 ぎ ぬ 、 と い い な が ら も 、 余 も こ の 嗜 好 が あ っ た た め 、 他 の 一 切 の 遊 戯 か ら 遠 ざ か り 得 た 余 徳 が あ っ た と 考 え て い る 。 と い い 、 秀 歌 妙 句 の 得 ら れ ぬ の は 当 然 で あ る と し な が ら 、 ﹁ 同 時 に こ れ 正 し く 余 の 生 活 の 歌 、 生 命 の 声 で あ っ て 、 決 し て 作 る た あ に 作 っ た も の で な い ﹂ と み て い る の で あ る 。 和 田 性 海 師 に は 、 生 前 数 冊 の 著 書 が あ り 、 こ と に 晩 年 に は ﹃ 逆 旅 人 ﹄ に 続 い て ﹃ 和 田 性 海 講 話 集 ﹄ と ﹃ 不 可 得 随 想 集 ﹄ と が あ っ て 、 前 者 に は 伝 道 者 と し て の 文 章 を 集 め 、 後 者 に は 主 と し て 趣 味 的 な 小 品 、 詩 歌 俳 句 を お さ あ て い る 。 そ の 内 容 の 選 択 は す べ て 師 の 手 に な る も の で あ る が 、 こ の 二 部 を 別 っ て 刊 行 し た こ と に も ﹃ 逆 旅 人 ﹄ の 序 で 回 顧 し た と こ ろ の 伝 道 者 と し で の 自 覚 と 、 趣 味 の 人 と し て の 側 面 と が 明 確 に う か が え る の で あ る 。 2 、 少 年 時 代 師 は 、 そ の ﹃ 和 田 性 海 講 話 集 ﹄ の 巻 末 に み ず か ら そ の 略 歴 を 草 し て い る 。 し ば ら く こ の 略 歴 の 順 序 に 従 っ て 師 の 略 伝 を 考 え て 見 よ う 。 元 高 野 山 真 言 宗 管 長 、 金 剛 峯 寺 座 主 和 田 性 海 大 僧 正 は 、 明 治 十 二 年 八 月 二 日 、 兵 庫 県 佐 用 郡 幕 山 村 ( 現 上 月 町) 大 垣 内 一 番 地 に 和 田 桂 次 の 六 男 と し て 生 ま れ た 。 母 は 作 東 中 嶋 の 安 藤 氏 の 出 で あ る 。 師 の 家 は 宍 粟 郡 安 志 、 小 笠 原 藩 下 の 地 方 庄
屋 と し て 栄 え 、 幕 末 か ら 明 治 に か け て 、 祖 父 五 十 七 、 父 桂 次 と 相 続 し た 。 し か し 父 君 の 代 に い た り 、 事 業 に 失 敗 し て 、 終 に 倒 産 す る に 至 っ た 。 師 の 兄 弟 は 男 子 の み 九 人 を 数 え た が 、 天 折 す る も の が 多 く 、 そ の た め 精 根 つ き た も の か 、 母 は 四 十 二 才 、 父 は 四 十 七 才 で 病 死 し て い る 。 家 産 の 衰 頽 に 加 え て 、 肉 身 の 死 去 が 相 次 い だ た め 、 父 君 の 死 亡 し た 時 は ま こ と に 惨 憺 た る あ り さ ま で あ っ た と い う 。 師 は 還 暦 の 時 、 往 時 を 追 懐 し て 次 の よ う な 詞 書 を 付 し て 数 首 の 和 歌 を 詠 ん で い る 。 吾 父 上 は 病 を 義 兄 な る 、 隣 村 の 片 岡 医 院 に 養 ひ し が 、 薬 石 空 し く 明 治 廿 三 年 五 月 二 日 終 に 逝 き 給 へ り 。 当 時 吾 漸 く 十 二 才 な り し が 、 十 七 才 な り し 家 兄 と と も に 、 遺 骸 を 載 せ た る 篭 に 従 ひ 、 五 月 雨 降 り し き る 未 明 の 田 舎 道 を 家 に 還 り た り 。 そ の 悲 惨 な り し 状 景 今 猶 昨 の 如 く 永 く 忘 る 能 は ず 。 亡 き 父 の 篭 を 守 り て 早 苗 田 の つ ば め 飛 び 交 ふ 路 を 帰 り ぬ あ さ ま だ き た ど る 田 舎 路 五 月 雨 れ て 小 田 の 蛙 も な き つ 父 け た り 五 月 雨 の 間 な く し 降 れ や 年 ご と に 父 の み こ と の 悲 し き 思 ひ 出 早 く 両 親 に 死 別 し た こ と が 、 師 の 信 仰 生 活 に い か に 深 刻 な 影 響 を 与 え た か に つ い て は 、 後 で 触 れ る こ と に す る 。 父 君 は す こ ぶ る 寛 弘 の 風 が あ っ て 村 人 に 慕 わ れ 、 大 垣 内 の 戸 長 と し て 種 々 尽 捧 す る と こ ろ が あ っ た 。 そ の 家 底 教 育 は 、 一 面 自 由 放 任 で あ り 、 ま た 他 の 一 面 は す こ ぶ る ス パ ル タ 式 で 、 負 け る よ う な 喧 嘩 を す る な と い う 風 で あ っ た か ら 、 負 け て 門 ま で 泣 い て 来 て も 、 涙 を ぬ ぐ う て 家 に は い っ た と い う こ と で あ る 。 3 、 青 年 時 代 師 は 母 の 死 後 十 二 才 で 、 明 治 二 十 三 年 二 月 十 七 日 に 旦 那 寺 で あ る 本 郷 の 正 覚 寺 、 加 賀 美 隆 賀 氏 の 許 へ 入 寺 し た 。 当 時 加 賀 美 師 は 正 覚 寺 へ 入 寺 し て 間 の な い 二 十 三 才 の 青 年 僧 で あ っ た 。 し か し 師 は 間 も な く 退 寺 さ れ た の で 、 和 田 少 年 は 二 十 六 年 二 月 、 佐 用 郡 久 崎 村 の 清 林 寺 の 伊 達 義 禅 師 の 許 へ 転 籍 し て い る 。 そ こ で 得 度 し て 度 牒 を 受 け た の で あ る 。 そ の 後 淡 路 の 持 明 寺 桂 義 性 師 に つ い て 四 度 加 行 を 勤 修 し 、 二 十 八 年 に は 真 言 宗 淡 路 中 学 林 を 卒 業 し た 。 次 い で 三 十 二 年 七 月 、 東 京 哲 学 館 哲 学 科 に 入 学 し 、 三 十 五 年 七 月 に 卒 業 し て い る 。 こ の 哲 学 和 田 性 海 師 伝
密 教 文 化 館 生 活 こ そ 、 師 の 一 生 の 方 向 を 決 定 し た 重 要 な 時 期 な の で あ っ て 、 三 十 三 年 三 月 か ら 正 岡 子 規 の 根 岸 短 歌 会 に 出 席 し 、 三 十 四 年 五 月 に は 新 仏 教 徒 同 志 会 へ 加 盟 し て い る 。 師 が 哲 学 館 を 卒 業 し て 帰 郷 す る と 、 そ の 恩 師 伊 達 義 禅 師 は 、 直 ち に 清 林 寺 を 勇 退 し て 高 蔵 寺 へ 転 住 さ れ た の で 、 三 十 六 年 七 月 二 十 七 日 師 は そ の 後 住 に 任 ぜ ら れ て い る 。 伊 達 師 は 師 を 愛 す る こ と 深 く 、 高 蔵 寺 へ 転 住 の 後 も 、 す べ て に わ た っ て 師 を 推 し て 、 こ れ に 代 行 せ し め ら れ た 。 師 は 終 生 伊 達 師 の 法 愛 を 感 謝 し 、 ﹃ 逆 旅 人 ﹄ の 中 に お い て も ﹁ こ の 肉 親 以 上 の 愛 情 に 対 し て 、 終 生 何 の 酬 ゆ る 所 の な か っ た こ と は 、 余 が 老 後 に 至 っ て し み じ み と 痛 感 し 嘆 息 す る 所 で あ る ﹂ と 記 し て い る 。 七 か し 帰 郷 早 々 二 十 四 才 と い う 若 さ で 檀 家 五 百 戸 の 一 寺 の 住 職 と な っ て み る と 、 ま た い ろ い ろ の 苦 悩 が あ っ た 。 そ の 間 の 消 息 を 師 は 次 の よ う に の べ て い る 。 私 は 東 京 哲 学 館 在 学 中 に 境 野 黄 洋 、 高 嶋 米 峯 氏 等 の 唱 道 す る 新 仏 教 同 志 会 に 加 入 し 、 又 当 時 勃 興 し た 社 会 主 義 思 想 な ど を 研 究 し 、 合 理 的 新 思 想 と で も い う 考 え を 持 っ て 居 っ た の で 帰 郷 し て 住 職 は し た が 、 普 通 の 寺 院 生 活 と 、 旧 習 慣 に 囚 わ れ た 行 事 に は 満 足 す る こ と が 出 来 ず 、 快 々 と し て 悩 ん で 居 っ た 。 4 、 信 仰 的 開 眼 た ま た ま 隣 寺 慈 山 寺 の 住 職 箸 蔵 秀 岳 師 が 、 師 の 苦 悩 に 深 い 理 解 を 持 ち 、 た め に 相 た ず さ え て 四 国 霊 場 を 巡 拝 す る こ と を 発 案 さ れ 、 三 十 九 年 の 十 月 か ら 十 二 月 に か け て 実 行 さ れ た 。 こ の 巡 拝 は 師 の 信 仰 に 深 い 影 響 を 与 え た も の で あ り 、 み ず か ら ﹁ 余 が 信 仰 に 就 い て の 開 眼 は 、 廿 八 才 の 秋 、 四 国 巡 拝 を し た 時 か ら 、 初 ま っ た と も い へ る ﹂ と い っ て い る 。 師 が そ の 後 四 十 余 年 を へ て 当 時 の 巡 拝 記 ﹃ 聖 跡 を 慕 う て ﹄ を 出 版 さ れ た の も 、 そ の 信 仰 に つ い て の 開 眼 を し の ん だ も の で あ ろ う 。 同 書 に よ れ ば 、 そ の 巡 拝 に よ っ て 体 験 し た こ と の う ち に は 次 の よ う な こ と が あ る 。 一 つ は 薬 王 寺 の 下 で あ っ た 遍 路 の こ と で あ る 。 髪 は 抜 け 、 顔 は 腫 れ 上 り 、 眼 は 片 眼 、 鼻 も 形 が わ か ら ぬ 醜 い 五 十 ば か り の 遍 路 に 、 合 掌 し 礼 拝 さ れ た の で あ っ た 。 こ の こ と か ら の 反 省 と し て 、 か の 醜 き 遍 路 を ば 、 善 巧 方 便 に 依 る 大 師 の 生 身 と 思 い 定 め た こ と が 、 後 来 ﹁ 人 々 礼 拝 説 ﹂ を あ し ず り 唱 道 す る 原 因 に な っ た と い う 。 今 一 つ は 蹉 駝 山 で の 体 験 で あ
る 。 蹉 駝 山 で の 体 験 に つ い て は 師 が 度 々 筆 に さ れ て い る が 、 そ の 大 要 は 次 の 通 り で あ る 。 蹉 駝 山 で で あ っ た 母 子 三 人 の 遍 路 の う ち 、 子 供 二 人 が レ プ ラ で あ っ た 。 母 親 の 話 で は 全 快 の 御 利 益 を こ う む る ま で は 、 た と え 何 年 か か っ て も 、 国 へ は 帰 ら ぬ 決 心 で 、 こ の 春 以 来 す で に 三 回 目 の 巡 拝 で あ る と い う 。 そ の 夜 半 、 大 師 堂 の 方 か ら 海 と 山 と に ふ き す さ ぶ 風 に 和 し て 、 何 と も い え ぬ 悲 痛 の 声 が 聞 こ え る 。 よ く き く と 、 そ れ は 二 児 を 寝 さ せ て お い て 、 夜 を 通 し て 祈 る 母 の 叫 び で あ っ た 。 師 は い う 。 母 の 愛 と 仏 陀 の 慈 悲 と 、 此 二 つ は 実 に 人 生 救 済 の 二 大 偉 バ ン コ ク そ そ 力 で あ る 。 余 は 薄 命 な る 母 子 に 、 万 斜 の 涙 を 濃 ぐ と 共 に 、 又 此 二 大 偉 力 を 握 っ て い る 母 子 に 、 無 限 の 祝 福 を 感 じ て 、 信 仰 に 依 っ て 活 く る 者 の 、 最 後 の 慰 安 を 悟 っ た の で あ る 。 (中 略) 余 は 幼 に し て 父 母 を 失 い 、 其 愛 を 受 く る こ と 短 く 、 従 っ て 寺 に 入 っ て 以 来 も 、 兎 角 父 母 の こ と を 忘 れ 勝 で あ っ た が 、 蹉 毘 山 の 寒 夜 に 、 一 遍 路 の 深 刻 な る 母 性 愛 に 接 し て 余 等 数 人 の 愛 児 を 遺 し て 逝 き 給 ひ し 時 の 父 母 の 御 心 を 愕 然 と し て 悟 る こ と が 出 来 、 血 涙 千 行 止 む こ と を 知 ら な か っ た 。 爾 来 師 は 仏 前 に 向 う ご と に 、 必 ず 父 母 の 菩 提 を 念 願 す る 心 が 起 き る よ う に な っ た と い う こ と で あ る 。 そ の 時 の 感 慨 を 詠 ん だ 次 の 数 首 の 和 歌 に も 、 師 の 体 験 し た と こ ろ の も の を う か が う こ と が で き よ う 。 お さ な ご 癩 を 病 む 稚 子 二 人 連 れ て 行 く 女 よ な れ は 母 と 云 ふ か も こ も 篭 り 屋 に 子 を 眠 ら せ て 母 一 人 夜 す が ら 祈 る 祖 師 堂 の 縁 ご う ご う と 吹 く 海 風 と ま 悲 し く 子 を 祈 り 泣 く 声 に 夜 く だ つ 人 の 母 の 悲 し き 祈 り そ の 声 の 亡 き た ら ち ね に 似 て 聞 え 来 も ち よ ろ ず 千 万 の 母 千 万 の 子 を 思 ひ 千 万 の 死 の 悲 し み に 逢 ふ か ゆ 幼 く て 離 れ に し 母 よ 今 ぞ 我 逝 き ま せ し 日 の 御 心 を 知 る 智 も 富 も 死 を も て す ら も 償 へ ぬ 悩 み を 救 ふ か ぎ り な き 慈 悲 夜 も す が ら 子 を 祈 る 声 た え だ え に 鶏 鳴 け ど な ほ 止 ま ら ず き よ 御 仏 の 深 き め ぐ み を さ な が ら の 尊 き 聖 き 母 の 御 姿 和 田 性 海 師 伝
密 教 文 化 5 、 布 教 師 と し て の 道 程 四 十 年 二 月 十 六 日 に は 京 都 御 室 派 庶 務 心 得 と な り 、 翌 四 十 一 年 に は 庶 務 主 任 、 更 に 四 十 二 年 三 月 五 日 に は 同 派 伝 道 部 主 任 に 任 ぜ ら れ 、 雑 誌 ﹃ み の り ﹄ を 発 行 し て お り 、 六 月 三 十 日 に は 権 少 僧 正 に 補 せ ら れ て い る 。 次 い で 四 十 三 年 八 月 三 等 布 教 師 に 補 せ ら れ 、 真 言 宗 各 派 巡 回 布 教 師 に 任 ぜ ら れ 、 備 中 北 部 、 西 部 、 東 部 支 所 下 を 受 持 つ こ と と な っ た 。 師 が 布 教 界 で 活 躍 す る 端 緒 は と い う と 、 真 井 覚 深 師 が 巡 回 布 教 を 辞 し て 宗 務 所 入 り を す る に つ い て 、 そ の 後 任 と し て 推 薦 せ ら れ 、 こ れ に 加 え て 土 宜 法 竜 門 跡 の 勧 請 に よ る も の で あ っ た 。 し か し そ れ ま で に も 師 は 、 尼 崎 市 外 の 外 嶋 癩 病 々 院 に 月 々 慰 問 布 教 を 続 け て い た の で あ る 。 一 た び 布 教 師 と な る や 師 の 布 教 師 と し て の 名 声 は 大 い に あ が り 、 三 等 布 教 師 と な っ た 翌 年 早 く も 二 等 布 教 師 と な っ た 。 当 時 二 等 布 教 師 と い う の は 宗 内 僅 か に 数 名 に 過 ぎ ず 、 師 の 昇 補 は 破 格 の も の で あ っ た 。 こ の 後 の 師 の 布 教 師 と し て の 活 動 は 、 国 内 は も と よ り 、 台 湾 、 満 州 、 朝 鮮 、 中 国 に 及 び 、 更 に 晩 年 に は ハ ワ イ 、 米 大 陸 に 巡 教 し 、 そ の 間 大 正 八 年 一 月 か ら 月 刊 ﹃ 慈 悲 の 光 ﹄ を 戦 前 ま で 発 刊 、 戦 後 は 管 長 職 を 退 い て 間 も な く 昭 和 二 十 九 年 五 月 、 月 刊 同 人 誌 ﹃ 全 人 ﹄ を 発 刊 、 三 十 五 年 十 二 月 ま で に 八 十 号 を 数 え た 。 今 略 歴 に よ っ て そ の 一 般 を し る す こ と に す る 。 師 が み ず か ら 逆 旅 人 を 以 て 任 じ た ゆ え ん を 、 う か が う こ と が で き よ う 。 明 治 四 十 四 年 、 東 播 、 淡 路 支 所 下 巡 教 。 大 正 元 年 、 春 秋 伊 予 。 二 年 、 随 化 布 教 師 と し て 北 海 道 。 十 一 月 八 日 、 淡 路 千 光 寺 に 転 住 す る 。 三 年 、 徳 島 県 、. 高 知 県 。 四 年 、 大 阪 府 下 、 広 島 県 。 五 年 、 九 州 、 沖 縄 。 六 年 、 九 州 、 河 内 支 所 下 。 七 年 、 北 海 道 、 青 森 、 秋 田 二 県 。 八 年 、 朝 鮮 全 道 。 十 年 、 一 等 布 教 師 。 先 山 復 興 完 成 記 念 大 法 会 執 行 。 十 一 年 三 月 、 真 言 宗 連 合 総 裁 土 宜 法 竜 師 の 随 化 布 教 師 と し て 、 全 国 八 大 都 市 の 講 演 会 に 出 席 。 十 二 年 、. 北 陸 道 。 十 四 年 二 月 、 高 野 派 学 務 部 長 。 十 二 月 、 古 義 真 言 宗 学 務 部 長 。 十 五 年 九 月 、 都 講 、 主 教 に 補 せ ら れ る 。 昭 和 二 年 、 宗 務 所 学 務 部 長 辞 任 、 続 い て 渡 台 巡 教 。 三 年 、 徳 島 県 、 筑 豊 炭 坑 地 域 。 四 年 、 筑 豊 炭 坑 地 域 。 五 年 、 古 義 真 言 宗 宗 機 顧 問 当 選 。 六 年 、 高 野 山 大 学 学 監 兼 教 授 就 任 。 八 年 、 四 月 よ り 真 言 口 宗 全 書 刊 行 。 九 年 、 高 野 山 大 学 長 就 任 。 十 四 年 、 大 学 長 辞 任 。 十 五 年 、 朝 鮮 各 地 。 十 六 年 、 北 支 、 中 支 。 こ の 年 古 義 真
言 宗 宿 老 に 補 せ ら れ る 。 十 七 年 、 夏 、 上 海 、 秋 、 北 中 支 。 二 十 四 年 、 金 剛 峯 寺 座 主 、 高 野 山 真 言 宗 管 長 に 推 挙 せ ら れ 各 地 親 教 。 二 十 五 、 二 十 六 年 と も に 全 国 各 地 に 親 教 。 二 十 七 年 、 管 長 を 辞 し 、 随 心 院 に 引 退 。 、同 年 四 月 二 十 八 日 よ り 十 月 五 日 ま で 、 ハ ワ イ ニ カ 月 、 米 大 陸 三 カ 月 巡 教 。 二 十 九 年 、 五 月 よ り ﹁ 全 人 ﹂ 誌 発 刊 。 三 十 三 年 高 野 山 真 言 宗 布 教 研 究 所 々 長 。 以 上 は 長 期 間 に わ た る も の か 、 内 容 的 に 見 て 主 要 な も の の み を あ げ た の で あ っ て 、 こ こ に あ げ な か っ た 短 期 間 の も の に い た っ て は 恐 ら く 無 数 と い う 外 は な い で あ ろ う 。 し か し 老 師 の 活 動 は 更 に 宗 政 、 教 育 等 の 面 に も 及 ん で お り 、 何 れ の 方 面 に お い て も 顕 著 な る 成 績 を あ げ て い る の で あ る 。 6 、 宗 政 面 の 活 動 宗 政 面 に お い て は 、 大 正 三 年 に 始 め て 真 言 宗 各 派 連 合 宗 会 議 員 に 当 選 し 、 十 一 年 再 度 当 選 、 十 四 年 一 月 、 高 野 派 の 暫 定 的 独 立 に 際 し て は 総 務 庄 野 琳 真 、 学 務 和 田 性 海 、 財 務 長 岡 秀 賢 の 諸 師 に よ っ て 内 局 を 組 織 し 、 大 師 教 会 本 部 は 学 務 部 が 管 掌 す る こ と と な っ た 。 つ い で 同 年 十 二 月 二 十 日 、 高 野 派 、 御 室 派 、 大 覚 寺 派 が 合 同 し て 古 義 真 言 宗 が 成 立 し 、 泉 智 等 大 僧 正 を 管 長 に 、 執 行 長 総 務 庄 野 琳 真 、 執 行 庶 務 部 長 蓮 生 観 善 、 執 行 会 計 部 長 釈 法 伝 、 執 行 教 学 部 長 和 田 性 海 等 の 諸 師 に よ っ て 内 局 が 組 織 さ れ た の で あ る 。 こ の 三 派 合 同 を も っ と も 強 烈 に 推 進 さ れ た の は 、 庄 野 、 和 田 両 師 の コ ン ビ で あ っ て 、 そ の 親 交 は 終 生 か わ る こ と な く 、 和 田 老 師 の 遷 化 に あ た っ て は 、 庄 野 師 が そ の 導 師 を つ と あ ら れ た の で あ る 。 庄 野 師 の 談 に よ れ ば 、 表 に 立 っ て 宗 政 面 か ら 推 進 し た の が 庄 野 師 で あ り 、 こ れ が 理 論 を た て 策 を 練 る に 当 っ て は 、 和 田 師 の 努 力 が 大 き く 影 響 し た の で あ る 。 な お 和 田 師 が こ の 三 派 合 同 を 推 進 す る に い た っ た の は 、 す で に 東 都 遊 学 時 代 か ら 、 一 宗 が 小 派 分 裂 し て お っ て は 布 教 、 興 学 の 進 展 も 、 社 会 事 業 の 発 達 も 望 め ぬ と 考 え 、 合 併 を 切 望 し て い た と い う こ と で あ る か ら 、 諸 派 の 合 同 は い わ ば 終 生 の 念 願 で あ っ た と い っ て よ い 。 教 学 の 面 に お い て も っ と も 見 る べ き も の は 、 高 野 山 大 学 に 関 す る も の で あ ろ う 。 師 は 昭 和 六 年 四 月 九 日 、 高 野 山 大 学 学 監 兼 教 授 に 就 任 し て い る 。 次 い で 高 岡 隆 心 学 長 が 九 年 六 月 高 野 山 管 長 に す す ま れ る や 、 六 月 十 八 日 そ の 後 を 覆 う て 大 学 長 に 就 任 し 、 十 四 年 二 月 辞 任 し た が 十 五 年 五 月 十 日 更 に 名 誉 大 和 田 性 海 師 伝
密 教 文 化 学 長 の 称 号 を 贈 ら れ た 。 7 、 教 育 者 と し て の 道 師 と 大 学 と の 関 係 は 、 学 監 就 任 以 前 か ら 学 務 部 長 と し て 極 め て 密 接 で あ り 、 こ と に 大 正 十 五 年 四 月 の 高 野 山 大 学 の 大 学 令 に よ る 大 学 へ の 昇 格 に 際 し て は 、 庶 務 の 庄 野 、 財 務 の 徳 守 二 師 と 相 謀 っ て 、 他 か ら は 無 謀 と 目 せ ら れ た 昇 格 に 適 進 し て 、 天 野 観 明 氏 等 を 接 渉 さ せ て 実 現 せ し め た の で あ る 。 ま た 学 監 兼 教 授 と な っ て か ら は 、 伝 統 的 な 宗 学 、 仏 教 学 の 基 礎 学 の 外 に 現 前 の 諸 宗 教 、 仏 教 は も と よ り 神 道 、 キ リ ス ト 教 等 ま で を 研 究 さ せ て 、 学 徒 の 視 野 を ひ ろ げ て 他 日 の 教 化 上 の 応 用 に 資 せ し め る こ 艦と と し 、 み ず か ら は 布 教 学 の 一 課 を 設 け て こ れ を 担 当 し た の で あ る 。 そ の 他 、 月 に 十 六 日 、 二 十 一 日 、 二 十 八 日 、 三 日 の 報 恩 日 を 設 け て 、 規 律 の 粛 正 と 信 念 の 獲 得 に つ と め る と と も に 、 図 書 館 の 充 実 、 寄 宿 舎 の 建 築 、 仮 講 堂 の 移 転 、 学 生 ホ ー ル の 開 設 、 校 門 の 建 立 等 に 尽 力 し た 。 し か し 何 と い っ て も 師 が 学 監 当 時 全 責 任 を 負 う て 着 手 し た 真 言 宗 全 書 三 十 六 巻 、 追 加 六 巻 、 解 題 一 巻 、 索 引 一 巻 の 完 成 は 特 筆 す べ き も の で あ ろ う 。 本 全 書 の 刊 行 は 、 当 時 高 野 山 大 学 教 授 で あ っ た 小 野 玄 妙 博 士 の 懇 切 な 勧 奨 と 、 す で に 真 宗 全 書 や 禅 宗 全 書 等 の 刊 行 せ ら れ て お っ た の に 鑑 み て の こ と で は あ っ た が 、 責 任 者 と し て の 師 の 決 意 も な み な み な ら ぬ も の が あ っ た 。 初 め 本 山 の 援 助 が 得 ら れ ず 、 着 手 費 用 を 自 弁 せ ね ば な ら な く な っ た た め 、 出 発 当 初 の 経 費 の 出 所 に 窮 し 、 山 内 寺 院 の 一 二 カ 所 へ 一 万 円 の 貸 与 を 依 頼 し た と こ ろ 、 某 前 官 が 承 諾 せ ら れ た の で 拝 借 に 行 く と 、 会 長 で あ る 高 岡 学 長 に 連 判 さ せ よ と の こ と で あ る 。 し か し 師 は 副 会 長 で は あ る が 、 全 責 任 を 負 う て 立 っ て い る の で あ る か ら 、 学 長 に 累 を 及 ぼ す こ と を 潔 し と せ ず 、 退 い て 若 松 の 親 戚 某 氏 を 別 府 の 転 地 先 に 訪 う て 借 り 受 け た と い う 。 そ の 一 般 を 察 す る こ と が で き よ う 。 し か し 結 果 的 に は 学 内 は も と よ り 宗 内 、 宗 外 各 方 面 の 全 面 的 な 援 助 を 得 て 、 終 末 は 非 常 な 好 結 果 で 、 最 後 に 印 刷 所 で あ っ た 東 京 大 蔵 出 版 社 へ 未 製 本 の 書 籍 五 十 部 を 謝 礼 と し 、 大 学 出 版 部 へ 製 本 済 五 十 部 を 寄 付 し 、 尚 残 金 一 万 余 を 出 版 部 へ 寄 贈 す る こ と が で き た 。 文 部 省 の 当 時 の 宗 教 局 長 下 村 寿 一 氏 は ﹁ こ の 出 版 は 、 御 遠 忌 事 業 中 、 最 大 の 意 義 が あ る ﹂ と 礼 讃 さ れ て い る 。
8 、 千 光 寺 の 復 興 師 は ま た 自 坊 の 復 興 に お い て 顕 著 な 成 果 を あ げ て い ら れ る 。 最 初 清 林 寺 の 住 職 に 就 任 し た の は 哲 学 館 を 卒 業 し た ば か り の 二 十 四 才 当 時 で あ っ た 。 清 林 寺 は 明 治 二 年 に 焼 失 し 、 師 の 当 時 は 、 応 急 に あ る 在 家 を 買 取 っ て 建 て ら れ た も の で あ っ た 。 仏 殿 、 客 殿 、 居 間 等 相 当 広 い も の で は あ っ た が 、 も と よ り 寺 院 と し て は 不 充 分 を 免 れ ず 、 先 住 の 伊 達 師 以 来 再 建 の 志 が あ っ た 。 師 は 先 ず 三 十 九 年 秋 、 四 国 霊 場 巡 拝 を 終 っ て 帰 山 す る や 、 そ の 記 念 と し て 、 寺 背 の 山 に 八 十 八 カ 所 霊 場 を 開 設 し た 。. し か し 肝 心 の 再 建 の 話 は 容 易 に す す ま ず 、 ま た 有 力 な 檀 徒 惣 代 の 間 に も 意 見 の 対 立 が あ っ て 、 折 角 た て た 計 画 も 無 期 延 期 と い う こ と に な っ た 。 そ の 中 に 淡 路 の 千 光 寺 へ 転 住 の 話 が 持 上 り 、 遂 に 在 任 中 に は 実 現 で き な か っ た 。 千 光 寺 へ 転 住 の 話 は 、 櫟 圭 巌 師 の 病 気 退 職 の 後 任 と し て 法 類 惣 代 、 信 徒 惣 代 の み な ら ず 淡 路 寺 院 代 表 の 招 請 に よ る も の で あ っ た 。 清 林 寺 に は 五 百 の 檀 徒 が あ っ た が 、 師 は 住 職 以 来 八 年 間 、 本 山 に つ と め た り 、 布 教 活 動 に 従 事 し た り し た た め 、 と か く 檀 務 を 役 僧 や 小 僧 ま か せ に し て 、 檀 徒 間 に は 相 当 の 不 平 が で て い た 。 困 っ た あ げ く 内 々 何 処 か 、 檀 徒 の な い と こ ろ へ 転 じ た い と 思 っ て い た 矢 先 の こ と で あ る 。 再 建 の 話 は 進 ま ず 、 ま た 惣 代 の 中 に は 木 南 保 之 助 氏 の ご と く 、 こ の 土 地 で は 何 事 も で き ぬ 、 将 来 の こ と を 充 分 考 え る よ う に と 忠 告 す る も の も あ り 、 遂 に 転 住 を 決 意 し た の で あ る 。 大 正 二 年 転 住 当 時 の 千 光 寺 は 代 々 の 住 職 の 努 力 に も か か わ ら ず 荒 廃 を ま ぬ が れ ず 、 庫 裡 客 殿 は 風 雨 暴 漏 の た め に 、 屋 根 替 な ど に 困 難 し て い た 。 し か し 転 住 後 四 力 年 間 は 全 国 布 教 の た め に 外 出 勝 で あ っ た が 、 大 正 七 年 に い た っ て い よ い よ 大 改 築 を 決 意 し 、 全 国 各 地 の 淡 路 出 身 者 と 、 全 淡 各 町 村 と の 寄 付 勧 募 に 着 手 し た の で あ る 。 復 興 事 業 は 結 局 三 期 に 分 か れ 、 第 一 期 事 業 と し て 、 大 正 七 年 五 月 か ら 十 年 五 月 ま で に 成 就 し た の は 、 一 、 開 山 塚 二 、 休 憩 所 三 、 大 師 堂 四 、 庫 裡 五 、 東 西 茶 屋 六 、 鎮 守 堂 七 、 弁 天 堂 八 、 大 師 堂 前 の 石 階 等 こ れ ら が 主 た る も の で あ っ. た 。 十 年 五 月 一 日 か ら 十 日 間 、 先 山 開 創 一 千 年 に 因 み 、 高 野 山 管 長 土 宜 法 竜 大 僧 正 を 迎 え て 落 慶 大 法 会 を 営 み 、 福 来 友 吉 文 学 博 士 、 高 橋 慈 本 僧 正 に 請 う て 山 上 な ら び に 全 淡 各 地 に お い て 大 講 演 会 を 開 催 し た 。 和 田 性 海 師 伝
密 教 文 化 第 二 期 事 業 は 引 続 き 発 表 着 手 し た が 、 昭 和 四 年 に 至 っ て 完 成 し 、 五 月 二 十 日 よ り 三 日 間 藤 村 密 瞳 大 僧 正 を 迎 え て 、 淡 路 西 国 開 創 四 百 五 十 年 大 法 会 を 執 行 し た 。 こ の 間 に 出 来 た も の は 、 一 、 図 書 館 二 、 桂 上 人 銅 像 (大 東 亜 戦 に 供 出 、 今 不 動 尊 像) 三 、 岩 戸 神 跡 改 修 四 、 行 者 堂 改 修 五 、 護 摩 堂 増 築 六 、 新 西 国 霊 場 並 び に 十 五 霊 場 勧 請 七 、 修 行 大 師 建 立 等. 大 体 以 上 の よ う で あ る 。 し か る に 昭 和 九 年 の 大 風 水 害 と 十 二 年 の 大 水 害 と は 、 山 上 の 各 堂 宇 を 破 損 、 ま た は 倒 壊 さ せ 、 そ の 上 伽 藍 の 東 側 を 大 崩 壊 さ せ て 、 樹 木 多 数 を 倒 し た 。 こ の た め 大 石 垣 の 建 設 と 、 植 林 と を 必 須 と す る に い た り 、 第 三 期 事 業 に 着 手 せ ざ る を 得 な か っ た の で あ る 。 そ の 内 容 は 、 一 、 絵 馬 堂 改 築 二 、 行 者 堂 再 建 三 、 鐘 楼 堂 補 修 四 、 客 殿 建 築 五 、 鬼 子 母 神 堂 新 築 六 、 伽 藍 東 側 石 段 建 設 等 そ の 成 就 に と も な い 、 延 期 し て い た 高 祖 大 師 一 千 百 年 御 遠 忌 大 法 会 を 十 三 年 五 月 二 十 日 か ら 三 日 間 、 嵯 峨 門 跡 谷 内 清 厳 大 僧 正 を 迎 え て 奉 修 し た の で あ る 。 第 一 期 計 画 を 発 企 し て か ら 実 に 廿 有 余 年 、 か く し て 先 山 山 上 に 堂 塔 伽 藍 の 完 備 を 見 た の で あ る 。 こ の 間 の 全 経 費 は 、 材 木 の 大 半 と 石 材 全 部 を 山 上 で 取 材 し て な お 二 十 五 万 余 円 を 要 し た の で あ る 。 も と よ り こ の 事 業 を 推 進 し 協 力 し た 無 数 の 檀 信 徒 、 こ と に 直 接 の 工 事 関 係 者 の 努 力 を 忘 れ て は な ら ぬ の で は あ る が 、 し か し そ れ を 敢 え て 可 能 な ら し め た も の は 、 一 に 師 の 徳 望 と そ の 絶 大 な る 努 力 の た ま も の で っ た 。 9 、 社 会 事 業 大 会 師 は 青 年 時 代 か ら 、 教 学 の 向 上 、 布 教 の 発 展 、 社 会 事 業 の 施 設 が 宗 門 存 立 の 要 務 で あ る と 信 じ て い た 。 そ の 大 正 十 四 年 に 金 剛 峯 寺 執 行 、 学 務 部 長 と し て 一 宗 の 教 学 を つ か さ ど る に 至 っ て 、 庄 野 総 務 、 徳 守 財 務 部 長 と 談 合 し て 、 一 は 大 学 を 単 科 大 学 に 昇 格 せ し め る こ と 、 二 は 大 師 教 会 の 布 教 方 針 を 御 遠 忌 奉 讃 伝 道 に 統 制 す る こ と 、 三 は 社 会 事 業 協 会 を 組 織 す る こ と の 三 件 を 、 教 学 部 の 根 本 方 針 と 定 め て 、 着 々 実 行 を 進 め た の で あ る 。 次 で 古 義 真 言 宗 が 成 立 す る や 、 師 は ま た 教 学 部 長 と な り 、 大 学 の 昇 格 を 実 現 し 、 大 師 教 会 は 久 保 観 雅 師 を 大 師 教 会 本 部
長 に 推 薦 し て 、 こ れ に 委 ね る に い た っ た 。 こ こ に お い て 、 師 は 全 力 を 傾 倒 し て 社 会 事 業 協 会 の 設 立 に あ た る こ と と な っ た 。 か く て 十 五 年 四 月 、 社 会 事 業 協 会 創 立 委 員 会 を 開 き 、 六 月 二 十 五 日 、 協 会 規 則 を 発 布 し 、 七 月 二 十 八 日 、 役 員 を 推 薦 し 、 任 命 し た 。 社 会 事 業 協 会 を 創 立 し た 目 的 は 、 従 来 宗 門 人 は 時 勢 の 要 求 に 応 じ て 、 各 地 に 種 々 の 社 会 事 業 を 経 営 し 、 病 院 、 女 学 校 、 日 曜 学 校 、 幼 稚 園 、 托 児 所 等 は す で に 百 数 十 カ 所 に 達 し て お り 、 宗 務 所 で も 応 分 の 補 助 は し て い る が 、 積 極 的 に こ れ を 統 制 し 、 指 導 す る 方 法 が と ら れ て い な い 。 今 後 は こ れ ら を 連 絡 協 調 さ せ 、 統 制 し て 、 科 学 的 に 研 究 し て こ れ を 指 導 す る た め に 、 年 々 研 究 会 を 開 き 、 一 面 書 籍 、 パ ン フ レ ッ ト 、 絵 画 、 歌 謡 等 を 作 っ て 頚 布 し 、 補 助 奨 励 の 道 を 開 く こ と 、 ま た 大 師 教 会 本 部 と 提 携 し て 巡 回 布 教 師 に よ っ て 、 地 方 の 事 業 を 視 察 奨 励 す る こ と 等 で あ っ た 。 同 年 十 月 二 十 七 日 、 第 二 宗 会 の 開 会 せ ら れ た の を 期 に 、 大 師 教 会 で 発 会 式 を 開 催 し た 。 決 定 し た 役 員 は 、 総 裁 は 古 義 真 言 宗 管 長 泉 智 等 、 会 長 総 務 庄 野 琳 真 、 副 会 長 教 学 部 長 和 田 性 海 、 同 大 師 教 会 本 部 長 久 保 観 雅 (以 下 略) 等 で あ っ た 。 超 え て 昭 和 二 年 四 月 十 三 日 よ り 三 日 間 、 大 阪 市 西 区 新 町 鉄 商 倶 楽 部 で 古 義 真 言 宗 社 会 事 業 大 会 を 開 催 し た 。 こ の 大 会 は 大 阪 寺 院 の 白 熱 的 努 力 で 未 曽 有 の 盛 会 と な り 、 多 大 の 効 果 を あ げ た 。 し か し 、 そ の 時 す で に 昭 和 元 年 (大 正 十 五 年) 十 二 月 廿 六 日 未 明 の 山 上 の 大 火 の た め 庄 野 内 局 は 責 任 を と っ て 交 代 し 、 藤 村 密 瞳 師 が 組 局 せ ら れ て い た 。 藤 村 内 局 擁 護 の た め に 止 む を 得 ず し て 一 時 留 任 し た 師 は 、 こ の 社 会 事 業 大 会 の 開 催 を も っ て い さ ぎ よ く 退 任 さ れ た の で あ る 。 10 、 明 石 病 院 こ の 社 会 事 業 大 会 を 推 進 し て い る 頃 、 師 は 明 石 病 院 の 設 立 計 画 を 進 め て い た 。 こ の 病 院 は 明 石 大 蔵 谷 の 高 台 に あ り 、 交 通 事 故 で 経 営 者 を 失 っ た 天 川 病 院 を 買 受 け て 開 設 し た も の で あ る 。 天 川 氏 は 師 が 最 初 に 貰 わ れ て い っ た 加 賀 美 隆 賀 師 の 本 家 に あ た る 家 の 人 で あ っ た た め 、 師 は そ の 往 年 の 恩 義 に 報 い 、 か つ は 当 時 推 進 し て い た 社 会 事 業 協 会 の 運 動 を み ず か ら 実 践 し よ う と す る 意 志 も あ っ て 、 こ の 病 院 を 譲 り 受 け て み ず か ら 経 営 せ ん と し た も の で あ る 。 和 田 性 海 師 伝
密 教 文 化 か く で 神 戸 市 の 法 類 真 福 寺 伊 達 隆 諦 、 清 林 寺 辻 竜 禅 二 師 の 協 力 と 、 冨 岡 俊 二 郎 、 吉 川 久 七 、 大 谷 吟 右 衛 門 氏 等 の 特 別 援 助 を 得 て 、 医 学 博 士 小 沢 能 雄 氏 を 院 長 、 そ の 親 友 花 野 敏 雄 、 三 浦 憲 二 の 両 医 学 士 を 医 員 に 迎 え て 、 内 科 、 婦 人 科 、 小 児 科 の 三 科 を 置 く 高 野 山 明 石 病 院 と し て 発 足 す る に い た っ た の で あ る 。 昭 和 二 年 三 月 十 日 の 開 院 式 は 、 特 に 荒 木 京 大 総 長 の 臨 席 を 乞 う て 盛 大 に 挙 行 せ ら れ た 。 ま た 兵 庫 駅 前 に 分 院 を 設 け 、 日 々 の 内 診 と 、 本 院 へ の 入 院 者 勧 誘 に 努 め る 等 大 い に 積 極 的 経 営 方 法 を と っ た の で あ る 。 と こ ろ が 一 年 を 経 過 し て 見 る と 、 各 方 面 か ら 種 々 困 難 な 問 題 が 籏 出 し て 来 た 。 し か し 何 と い っ て も 、 先 の 天 川 病 院 が 肺 病 々 院 と し て 経 営 し て い た た め 、 市 民 に そ の 先 入 観 が あ っ て 往 診 患 者 も 肺 病 に 限 ら れ る 傾 向 が あ っ た こ と と 、 モ ラ ト リ ア ム で 経 済 界 に 大 混 乱 を 生 じ 、 予 定 し た 資 金 の 援 助 が 得 ら れ な く な っ た こ と が 決 定 的 に そ の 運 営 を 困 難 に し た 。 師 は 八 方 奔 走 、 頽 勢 の 挽 回 に つ と め た の で あ る が 、 最 後 は 医 師 と 事 務 長 と の 感 情 の 疎 隔 に よ る 内 争 の た め 、 遂 に 会 議 の 末 、 三 年 九 月 を 以 て 閉 鎖 す る こ と と な っ た 。 こ の 間 、 師 は 高 野 山 教 学 部 長 奉 職 中 で あ っ た が 、 月 二 回 は 下 山 し て 病 院 を 見 舞 い 、 院 内 職 員 、 入 院 患 者 に 法 話 を し 、 ま た 患 者 一 々 に つ い て 慰 問 と 、 祈 願 療 法 を 続 け る こ と に し た 。 さ ら に 六 月 に 入 っ て 退 職 下 山 し て か ら は 、 特 別 要 務 の な い 限 り は 毎 週 一 回 病 院 を 訪 問 す る こ と に 定 め て い た 。 ま た 病 院 を 訪 問 す る こ と に 肺 病 患 者 が 多 か っ た に も か か わ ら ず 、 平 気 で 患 者 に 対 し 、 病 状 や 家 庭 の 事 情 な ど も 聴 き 取 り 、 患 部 を 撫 で さ す り 、 祈 念 す る と 、 患 者 は 非 常 に よ ろ こ ぶ の み な ら ず 、 そ の 後 両 三 日 は 病 気 が 安 ら か に な り 、 中 に は 退 院 す る に い た っ た も の も あ る と い う 。 師 は こ の 効 験 に つ い て は 非 常 な 自 信 を 持 っ て い ら れ 、 ﹁ 若 し 余 が 当 時 病 院 に 入 り 込 ん で 、 祈 祷 者 に 成 り 切 っ て い た ら 、 多 数 の 患 者 を 治 癒 し 得 た か も 知 れ ず 、 ま た そ れ に よ っ て 患 者 は 日 々 に 増 加 し 、 容 易 に 病 院 を 経 営 し 得 ら れ た で あ ろ う ﹂ と い っ て い る 。 こ れ ら の こ と は 今 日 キ リ ス ト 教 方 面 で 行 な わ れ て い る 、 病 院 カ ウ ン セ リ ン グ を 思 わ せ る も の が あ る 。 し か し 幸 か 不 幸 か 、 師 は 従 来 の 習 慣 か ら 布 教 伝 道 方 面 に 志 が あ り 、 病 院 に 専 心 す る こ と が で き な か っ た 。 か く し て 、 そ の 念 願 の 社 会 事 業 は 、 発 企 者 た ち が 多 額 の 負 債 を 負 っ て 閉 鎖 す る の や む な き に い た っ た の で あ っ た 。
11 、 管 長 就 任 昭 和 二 十 四 年 三 月 二 十 八 日 、 師 は 高 野 山 管 長 座 主 推 鳶 会 で 全 会 一 致 で 推 薦 せ ら れ 、 宗 会 で も 決 議 せ ら れ た 。 師 は 委 員 と し て 出 席 し 、 み ず か ら は 金 山 穆 紹 師 を 推 薦 す る つ も り で 、 親 近 者 に も 伝 え て お い た の で あ っ た が 、 開 会 初 頭 に 無 記 名 投 票 と い う こ と で 決 定 し た 。 管 長 選 挙 と い う こ と で は 、 師 に は 苦 い 経 験 が あ っ た 。 そ の こ と は 師 み ず か ら ﹁ 余 が 生 涯 中 で 一 番 の 黒 星 ﹂ と い っ て い る と こ ろ か ち も う か が わ れ る 。 そ れ は 昭 和 十 四 年 末 か ら 十 五 年 一 月 へ か け て の 管 長 選 挙 の 失 敗 で あ る 。 高 岡 隆 心 管 長 の 遷 化 に と も な う 、 後 任 管 長 選 挙 に 六 十 一 才 の 若 さ で 庄 野 琳 真 、 松 尾 孝 順 両 師 ら の 強 い 要 請 の た あ 、 敢 え て 立 候 補 し た こ と で あ る 。 今 日 で は 六 十 一 才 は 必 ず し も 若 い と は い え ぬ が 、 当 時 の 仏 教 界 に あ っ て は 驚 く べ き こ と で あ っ た 。 そ の こ と に つ い て 師 は 後 年 、 次 の よ う に い っ て い る 。 ﹁ 余 は 平 生 持 前 の 野 人 性 か ら 、 管 長 職 と て そ の 職 に あ る 人 に 依 る の で 、 管 長 そ の も の が 尊 い と は 云 え ぬ 。 さ れ ば 管 長 選 挙 に 狂 奔 す る の は 、 つ ま ら ぬ こ と と 考 え ま た 云 う て い た 。 そ れ に 此 時 何 故 に 出 馬 し た の で あ ろ う か ﹂ と 。 し か し 師 に は 師 と し て の 出 馬 の 理 由 が あ っ た 。 一 つ は 国 家 の 時 局 が 緊 迫 し て い る か ら 、 管 長 に 就 任 し て 畢 生 の 勇 を 鼓 し て 全 国 を 巡 回 し 、 国 事 に 奉 仕 し よ う と い う の で あ る 。 今 一 つ は 当 時 軍 の 統 制 主 義 で 、 文 部 省 が 各 宗 と も 、 そ の 宗 派 を 統 合 す る 方 針 を と り 、 真 言 新 古 十 派 も 統 一 す る 気 運 が 起 こ り つ つ あ っ た 。 し か し 、 明 治 以 来 の 歴 史 に か え り み る と 、 こ う し た 統 合 は た と え 一 時 は 成 功 し た よ う に 見 え て も 、 ま た 分 裂 を く り 返 す も の で あ る 。 若 し 統 合 し て 次 に 分 裂 す る と な る と 、 今 の 三 派 合 同 よ り も な お 弱 体 化 す る お そ れ が あ り 管 長 に 就 職 し て こ れ を 食 い と め よ う と 考 え た の で あ る 。 し か し 、 こ れ ら の こ と も ﹁ 落 選 後 に な っ て 考 え て 見 れ ば 、 む し ろ 高 野 山 大 学 長 、 否 一 宗 徒 と し て こ れ を 主 張 し た 方 が あ る い は 効 果 が あ っ た か も 知 れ ぬ 。 や は り 管 長 の 虚 名 に 崇 ら れ た の だ と 自 問 自 答 せ ざ る を 得 ぬ ﹂ と い っ て い る 。 当 時 師 の 知 己 の 中 に は 、 和 田 は 魔 が さ し た の で あ ろ う と い っ て い た も の も あ っ た と い う 。 か く し て 師 は 大 学 を 辞 し て 下 山 し 、 加 藤 諦 見 師 と 当 落 を 争 う こ と に な っ た の で あ る 。 当 時 、 高 野 山 大 学 教 授 秦 野 武 国 氏 は こ の 時 の こ と を 次 の よ う に 詠 ん で い る 。 和 田 性 海 師 伝
密 教 文 化 管 長 の 後 任 は あ れ ど 学 長 の 後 任 な か ら む こ の 人 去 り な ば こ の 選 挙 は あ た か も 山 上 と 山 下 、 老 者 と 壮 者 と の 抗 争 の 観 を 呈 し 、 愈 々 実 戦 に 入 る と 加 藤 派 は 甚 だ し く 人 身 攻 撃 と 悪 宣 伝 に つ と め た の は 、 こ と の ゆ き が か い 上 止 む を 得 ぬ 手 段 で あ っ た の で あ ろ う 。 開 票 の 結 果 は 二 百 余 票 の 差 で 敗 北 に 帰 し た 。 こ の 時 の 心 境 を 師 は 次 の よ う に い っ て い る 。 ﹁ こ の 敗 北 は 余 を 試 錬 す る た め に 、 仏 祖 か ら 与 え ら れ た も の で 、 今 日 宗 門 か ら も 社 会 か ら も 葬 ら れ 、 そ の 間 の 名 利 を 失 い 去 る こ と は 却 っ て 大 な る 真 生 活 を 与 え ら れ た の で は な か ろ う か ﹂ と 。 千 光 寺 の 自 坊 に 帰 住 し て か ら は 、 朝 鮮 を 巡 錫 し 、 ま た 、 十 六 、 七 年 の 冬 期 に 北 中 支 を 巡 錫 し た 外 は 、 年 三 回 淡 路 篤 農 会 を 開 い て 、 食 料 増 産 問 題 を 研 究 し 、 特 に 山 上 に 一 反 あ ま り の 野 菜 畑 を 開 い て 食 料 自 給 の 方 法 を 講 じ 、 悠 々 自 適 の 生 活 を 続 け る こ と 約 十 年 の 長 き に 及 ん だ の で あ る 。 こ の 十 年 の 間 に 時 勢 は 一 変 し て い た 。 敗 戦 と い う こ の 前 古 未 曽 有 の 国 難 を 先 山 山 中 に 過 ご し て 、 昭 和 二 十 三 年 に は 師 は す で に 齢 古 稀 に 達 し て い た 。 た ま き は る 命 生 く れ ど な に ご と も な す に も の 憂 し 老 い に け る は や み 仏 の 恵 み 尊 と し 朝 夕 の 飯 乏 し け ど 我 餓 ゑ ず 居 り こ の 頃 、 洲 本 市 公 安 委 員 会 を 新 設 す る の で 、 月 に 二 回 ぐ ら い 下 山 し て 貰 え ば よ い 、 是 非 引 受 け よ と の こ と で あ り 、 毎 月 警 察 署 員 に 法 話 が で き る と い う 話 か ら 終 に 承 諾 し た 。 こ こ ら あ た り に も 布 教 師 と し て の 面 目 が う か が わ れ よ う 。 し か る に 翌 二 十 四 年 三 月 、 突 如 と し て 高 野 山 管 長 座 主 推 薦 会 で 推 薦 せ ら れ た の で あ る 。 推 薦 委 員 会 に 出 席 中 で あ っ た た め 、 決 定 と と も に 急 い で 自 坊 へ 帰 り 、 何 の 準 備 す る 暇 も な く 、 四 月 八 日 に 金 剛 峯 寺 へ 仮 入 山 す る と 、 翌 日 は 下 山 、 高 崎 市 大 観 音 へ の 親 教 で あ る 。 管 長 座 主 の 仕 事 は 春 秋 の 山 上 の 法 要 と 、 全 国 各 地 の 諸 法 会 に 臨 席 す る の が 殆 ん ど す べ て で 、 冬 季 極 寒 の 間 の み は 山 上 で 休 息 す る こ と が で き る 。 師 の 在 任 中 の 心 境 は 、 こ れ を そ の 折 々 の 短 歌 に う か が う こ と が で き よ う 。 在 山 の 時 は 、 高 祖 大 師 の 後 を 嗣 が れ た 真 然 大 徳 の 御 影 堂 で 毎 朝 夏 は 五 時 、 冬 は 六 時 に 修 法 す る の が 定 規 で あ っ た 。 を う が 大 祖 師 に 事 へ し 君 を 朝 な さ な 拝 み 居 れ ば 親 し さ ま さ る 折 々 は 夢 に も 告 げ よ す た れ た る 法 を 興 さ ん 術 は 如 何 に と
あ め が 下 し た し み 合 へ と 朝 な さ な 愛 染 法 を 我 が 修 す る か も 君 と 今 語 り あ い つ つ 大 祖 師 に 仕 へ ま つ る と 思 ふ か し こ さ ゆ た だ 恕 る せ 寒 さ き び し く 手 も 凍 り 言 も 出 で ね ど 運 ぶ 心 を 十 月 に 入 っ て 山 上 の 古 格 に 従 い 、 精 義 明 神 を 迎 え る こ と に な り 、 修 法 の 度 を 加 え る こ と に な っ た 。 在 山 の 時 の 夕 方 に は 、 必 ず 壇 上 の 御 社 に 参 詣 し た 。 明 神 の 桜 も み ち し 昨 日 今 日 を う が む 袖 に み だ れ 散 り し く 御 社 の 桜 の 紅 葉 ち り 過 ぎ て 老 木 神 寂 び 風 寒 み か も 御 山 守 る 四 社 明 神 の 大 前 に い の る 夕 暮 み ぞ れ 降 り し く 管 長 座 主 の 任 期 は 三 力 年 で あ る か ら 、 廿 七 年 三 月 に は 退 職 す る つ も り で い た と こ ろ 、 突 然 廿 六 年 の 十 一 月 山 林 事 件 が 勃 発 し た 。 こ と は 、 大 学 の 教 え 子 で あ り 、 同 郷 の 出 身 者 な る 三 枝 某 子 を 過 信 し た こ と に 発 す る 。 某 子 は そ の 経 営 す る 女 学 校 ( 後 の レ ン ト ゲ ン 学 校) の 経 営 に つ い て 大 和 の 某 山 林 業 者 を 師 に 紹 介 し た 。 そ の 山 林 業 者 に 師 が 三 枝 某 子 の た め に 後 援 を 依 頼 し た の を 三 枝 某 子 は 極 度 に 利 用 し 、 業 者 は ま た 金 剛 峯 寺 の 山 林 を 目 あ て に 大 金 を 融 通 し た こ と と て 、 そ の 間 の 師 の 辛 労 は 誠 に い た ま し い も の が あ っ た 。 こ の 事 件 が 大 阪 新 聞 に 報 道 せ ら れ た 即 日 、 師 は 、 西 室 院 の 明 神 講 で 出 席 せ ら れ て い た 恵 光 院 近 藤 師 、 安 養 院 大 原 師 に 事 情 を 語 っ て 辞 意 を 漏 ら し 、 続 い て 庄 野 総 務 と 謀 っ て 宗 会 を 急 い で 開 く こ と に し た が 、 手 続 が 延 引 し て 二 月 二 十 五 日 に い た り 、 漸 く 金 剛 峯 寺 を 辞 し て 、 随 心 院 へ 移 っ た 。 12 、 米 布 教 化 し か し 随 心 院 へ 退 い て 一 応 落 付 く と す ぐ 米 布 巡 錫 が 待 っ て い た 。 あ た か も 日 米 平 和 条 約 が 発 効 し た 陽 春 四 月 二 十 八 日 に 、 高 野 山 の 祖 廟 に 参 拝 し て 下 山 し 、 五 月 四 日 羽 田 空 港 を た っ て 、 ホ ノ ル ル へ ( 日 本 の 五 日) 着 陸 し た の で あ る 。 こ の 巡 錫 は 、 ハ ワ イ 真 言 宗 監 督 鳥 取 密 明 僧 正 の 斡 旋 、 旧 高 野 山 大 学 の 門 下 生 の 熱 望 、 北 米 開 教 総 監 高 橋 成 通 師 の 尽 力 に よ る も の で あ り 、 親 王 院 の 中 川 善 教 師 が 同 行 さ れ た 。 従 っ て そ の 巡 教 の 目 的 も 、 単 に 戦 後 流 行 の 渡 米 熱 に う か さ れ て の そ れ で は な く 、 或 い は 海 外 信 徒 か ら の 募 財 を 目 的 と す る も の で も な い 。 ハ ワ イ は 開 教 区 全 開 教 師 の 決 議 に よ る 特 招 で あ り 、 北 米 は 在 米 信 徒 の 烈 々 た る 特 請 の 熱 意 に 応 え ん と す る も の で あ っ た 。 和 田 性 海 師 伝
密 教 文 化 師 ら の ハ ワ イ 滞 在 は 五 月 四 日 か ら 七 月 四 日 ま で 、 丁 度 満 二 ヵ 月 。 そ の 間 ほ と ん ど 休 養 ら し き 休 養 も と ら ず に 、 馬 畦 、 布 畦 、 オ ア フ 島 、 加 畦 の 各 島 に わ た っ て 、 各 種 機 関 へ の 公 式 訪 問 、 各 種 法 要 、 布 教 、 視 察 、 特 殊 信 徒 へ の 面 接 、 歓 迎 会 か ら 揮 毫 ま で 、 極 め て 元 気 に す ご し 、 七 月 五 日 ホ ノ ル ル を た っ て 翌 六 日 オ レ ゴ ン 州 ポ ー ト ラ ン ド 空 港 に 着 い た 。 そ れ か ら 北 米 巡 教 の 旅 は 十 月 四 日 日 本 に 帰 着 す る ま で 三 ヵ 月 、 ひ ろ く 北 米 各 地 に わ た り 西 部 は も と よ り 中 部 、 東 部 に 及 ん で 布 教 に 努 め ら れ た こ と は 全 く ハ ワ イ と 同 じ で あ る 。 帰 朝 後 そ の 巡 錫 中 の 説 教 の 草 稿 、 印 象 の 記 録 、 和 歌 俳 句 等 を 集 め て 昭 和 二 十 八 年 に ﹃ 米 布 を 巡 り て ﹄ を 出 版 し た 。 13 、 ﹃ 全 人 ﹄ の 刊 行 し か し 、 そ の こ ろ か ら 師 は す で に 次 の 計 画 に と り か か っ て い た 。 す な わ ち 、 亀 位 宣 雄 、 平 井 巽 、 藤 田 清 ら 三 人 と 共 に 、 ﹁ 全 人 社 ﹂ を 興 し 、 月 刊 雑 誌 ﹃ 全 人 ﹄ を 発 行 し て 、 文 筆 と 講 話 と に よ っ て 同 人 の 力 の 限 り 社 会 に 貢 献 せ ん と す る に あ っ た 。 全 人 運 動 の 思 想 と 目 的 と は 左 記 の 綱 領 に よ っ て こ れ を う か が う こ と が で き よ う 。 綱 領 一 、 人 類 平 等 の 原 理 に よ り 、 東 西 思 想 を 融 和 統 一 し 、 平 和 世 界 の 達 成 を 期 す 。 一 、 皇 室 を 中 心 と し て 、 同 胞 愛 を 充 実 し 、 日 本 民 族 の 平 和 的 発 展 を 期 す 。 一 、 人 格 徳 性 の 完 成 を は か り 、 最 高 な る 宗 教 道 義 の 実 践 を 期 す 。 全 人 誌 の 刊 行 は 伝 道 家 と し て の 師 が そ の 最 後 の 情 熱 を 傾 け た 布 教 活 動 で あ っ た 。 三 十 五 年 十 二 月 の 終 刊 に い た る ま で 凡 そ 七 年 通 巻 八 十 号 、 た だ の 一 回 も 休 む こ と な く 毎 月 四 百 字 詰 の 原 稿 紙 で 三 十 枚 前 後 を 執 筆 さ れ 、 老 来 ま す ま す 円 熟 し た 境 涯 に あ っ て 説 き 続 け た の で あ る 。 そ の 中 に は 数 カ 月 乃 至 十 数 カ 月 に 及 ぶ 長 篇 の 論 文 も す く な く な い 。 す で に 八 十 才 の 師 が い か に 努 力 し 、 精 進 さ れ た か が う か が わ れ よ う 。 し か し 、 三 十 五 年 に い た っ て や や 体 力 に 衰 え を 見 せ る に い た り 、 十 二 月 遂 に 終 刊 と な っ た 。 し か し 、 こ れ に 先 だ っ て 師 は 全 人 誌 に 連 載 し 九 ﹁ 思 い 出 の 記 ﹂ を 整 理 し 、 こ れ を 中 心 と し て 三 十 一 年 喜 寿 記 念 出 版 ﹃ 逆 旅 人 ﹄ を 刊 行 し 、 更 に 三 十 四 年 五 月 に は ﹃ 和 田 性 海 講 話 集 ﹄
を 、 引 続 い て 十 月 に は ﹃ 不 可 得 随 想 集 ﹄ を 出 版 さ れ て い る 。 講 話 集 は A 5 版 で 約 一 〇 〇 〇 頁 、 師 の 壮 年 時 代 か ら 最 晩 年 に い た る 法 話 の 主 た る も の が 、 師 み ず か ら の 手 で 編 集 さ れ て お り 、 随 想 集 は 前 著 に も れ た 短 篇 法 話 と 随 筆 、 紀 行 、 長 詩 、 短 歌 、 俳 句 等 を の せ て い る 。 こ の 両 書 を も っ て 師 の 生 涯 の 著 述 は ほ ぼ そ の 主 た る も の を 網 羅 し た と い え る で あ ろ う 。 な お 師 は そ の 遷 化 に い た る ま で 高 野 山 真 言 宗 布 教 研 究 所 長 で あ っ た 。 ま こ と に 真 言 宗 の 布 教 家 と し て 終 始 一 貫 せ ら れ た 生 涯 で あ っ た 。 し か し 師 が 最 後 に 志 し て 、 遂 に な ら な か っ た も の に 明 治 以 後 の 真 言 宗 の 布 教 史 の 編 纂 が あ る 。 師 は み ず か ら が 生 け る 布 教 史 で あ り 、 そ の 絶 倫 の 記 憶 力 に よ っ て 統 一 あ る 内 面 的 な 布 教 史 が 期 待 さ れ た の で あ る が 、 遂 に 完 成 を 見 な か っ た 。 資 料 も 可 成 手 も と に あ つ ま っ て い た こ と で も あ っ て 、 せ め て 口 述 に よ っ て あ る 程 度 ま と め て お い て は と い う 希 望 も あ っ た が 、 急 激 な 体 力 の お と ろ え は そ れ を も 許 さ な か っ た の で あ ろ う 。 ﹃ 全 人 ﹄ を や め て 後 の 最 晩 年 の 師 は 全 く 悠 々 自 適 そ の も の で あ っ た 。 七 ば し ば 筆 者 に も ら さ れ た ﹁ わ た し は 極 楽 に い る よ う な 気 が す る ﹂ と い う 感 懐 は 、 す で に な す べ き こ と を な し 終 え た と い う 安 ら ぎ と 夫 人 や そ の 周 辺 の ゆ き と ど い た 介 抱 に 対 す る 感 謝 と 、 そ う し て 恐 ら く は そ の 真 言 人 と し て の 安 心 か ら お の ず か ら に 出 た 言 葉 で あ っ た ろ う 。 師 の 旧 知 の 人 々 の 間 で は ﹁ 和 田 老 師 は し あ わ せ な 人 で あ る ﹂ と い う 言 葉 を よ く 聞 く こ と が あ っ た 。 師 が 晩 年 も っ と も 親 し ま れ た の は 書 の 揮 毫 で あ っ た 。 昭 和 三 十 六 年 は 、 と か く 病 床 に し た し み が ち で あ っ た が 、 病 閑 に は 必 ず と い っ て よ い 位 書 を 揮 毫 し た 。 そ の 書 も 枯 淡 の 上 に 洒 脱 の 趣 を 加 え 、 特 に 意 図 す る と い う よ う な と こ ろ が な く 全 く 自 然 で あ っ た 。 慈 雲 尊 者 の ﹃ 十 善 法 語 ﹄ に 傾 到 さ れ た 師 で あ っ た か ら 、 尊 者 に な ら っ て 書 を 有 力 な る 教 化 手 段 と 考 え ら れ た も の で あ ろ う か 。 書 の 揮 毫 こ そ 師 の 最 後 ま で 続 い た 教 化 活 動 で あ っ た と い え よ う 。 二 、 思 想 と 文 芸 1 、 思 想 的 展 開 先 に も 一 言 し た よ う に 、 師 の 一 生 を 左 右 し た 精 神 的 衝 動 は 、 青 年 時 代 に 東 京 に 出 て 哲 学 館 に 学 び 、 新 仏 教 徒 同 志 会 に 和 田 性 海 師 伝
密 教 文 化 属 し た こ と で あ り 、 ま た そ の 頃 根 岸 子 規 庵 を 訪 う て 和 歌 俳 句 の 同 人 と 交 遊 し た こ と が 、 そ の 半 世 の 趣 味 生 活 を 支 え た の で あ る 。 新 仏 教 徒 同 志 会 は 明 治 三 十 三 年 に 発 足 し 、 同 年 六 月 、 ﹁ 新 仏 教 ﹂ 誌 第 一 号 を 発 刊 し た 。 同 会 は 哲 学 館 出 身 の 境 野 黄 洋 、 高 嶋 米 峰 、 田 中 治 六 氏 等 が 中 心 と な り 、 当 時 の 仏 教 界 が 旧 態 依 然 、 新 時 代 に 対 す る 何 等 の 方 策 を 論 ぜ ぬ の を 憤 慨 し 、 警 鐘 を 乱 打 す る に い た っ た も の で あ っ た 。 そ の 綱 領 は 次 の 通 り で あ る 。 一 、 我 徒 は 仏 教 の 健 全 な る 信 仰 を 根 本 義 と す 。 二 、 我 徒 は 信 仰 及 道 義 を 振 作 普 及 し て 社 会 の 改 善 を 力 む 。 三 、 我 徒 は 宗 教 の 自 由 討 究 を 主 張 す 。 四 、 我 徒 は 迷 信 の 剃 絶 を 期 す 。 五 、 我 徒 は 従 来 の 宗 教 的 制 度 及 儀 式 を 保 持 す る の 必 要 を 認 め ず 。 六 、 我 徒 は 宗 教 に 対 す る 、 政 治 上 の 保 護 干 渉 を 斥 く 。 新 仏 教 徒 同 志 会 の 運 動 は 、 仏 教 近 代 化 の 歩 み の 上 に お い て 、 雑 誌 ﹃ 精 神 界 ﹄ に よ っ た 清 沢 満 之 等 の 精 神 主 義 運 動 等 と な ら ん で 特 筆 せ ら れ る べ き も の で あ っ だ 。 師 は 当 時 哲 学 館 二 年 生 で あ っ た が 、 教 授 で あ っ た 境 野 氏 か ら 勤 あ ら れ て 入 会 し た 。 そ れ は 師 が 正 岡 子 規 門 で 和 歌 や 俳 句 を 作 っ て い た こ と か ら 、 そ の 和 歌 や 新 体 詩 を 新 仏 教 誌 上 に 寄 稿 さ せ る の が 目 的 で あ っ た 。 し か し そ の う ち 編 集 に も 関 係 し 、 講 演 に も 出 席 し 、 論 文 や 雑 筆 な ど も 書 い た 。 当 時 新 仏 教 徒 は 、 新 思 想 家 群 と し て 社 会 主 義 者 と 誤 認 さ れ 、 米 峰 な ど も 久 し く 警 視 庁 か ら 要 視 察 人 と し て と り 扱 わ れ た の で あ る 。 日 露 の 戦 雲 急 な る に 及 ん で や が て 雑 誌 も 振 わ な く な り 、 運 動 そ の も の も 次 第 に 衰 え て い っ た が 、 雑 誌 は 大 正 四 年 七 月 ま で 続 い た 。 明 治 三 十 四 年 哲 学 館 三 年 生 の 時 、 今 日 や か ま し い 公 害 問 題 の 発 端 と も い う べ き 足 尾 銅 山 鉱 毒 問 題 で 、 師 は 田 中 正 造 の 運 動 を 助 け る た め に 組 織 さ れ た 帝 都 各 大 学 の 学 生 に よ る 、 学 生 鉱 毒 救 済 会 の メ ン バ ー の 一 人 と し て 活 躍 し た 。 師 は 哲 学 館 グ ル ー プ の 小 石 川 方 面 の 隊 長 と な り 、 義 摘 金 募 集 の た め に 各 所 の 寺 院 を か り て 演 説 し て ま わ っ た の で あ る 。 と こ ろ が こ う し た 学 生 の 動 き が 全 都 に 及 ぶ よ う に な る と 、 警 視 庁 も こ れ を 重 大 視 す る よ う に な り 、 遂 に は 刑 事 が 師 の 下 宿 を 訪 ず れ る よ う に な っ た 。 こ の 運 動 は 、 哲 学 館 主 井 上 円 了 博 士 か ら の 勧 告 に よ っ て 打 切 ら れ た の で あ る が 、 そ の 後 十 年 間 、 明 治 四 十 五 年 に い た る ま で 師 は 社 会 主 義 者 と し て の 嫌 疑 を う け 、 警 察 の 要
視 察 人 の ブ ラ ッ ク リ ス ト に 載 っ て い た と い う こ と で あ る 。 こ の 二 つ の こ と が ら 、 す な わ ち 新 仏 教 同 志 会 と 学 生 鉱 毒 救 済 会 の 運 動 は 、 師 が 常 に 社 会 の 批 判 者 で あ り 、 革 新 者 で あ ろ う と し て い た 一 面 を 物 語 る も の と し て 注 意 さ れ る べ き で あ ろ う 。 し か し 師 が 単 な る 社 会 運 動 家 で な く 、 真 言 宗 の 僧 侶 と し て 宗 教 者 と し て 終 始 し 得 た の は 師 の 信 仰 に よ る の で あ る 。 師 が 清 林 寺 に 住 職 し て 後 信 仰 的 に 動 揺 を 生 じ 、 四 国 霊 場 の 巡 拝 に よ っ て 安 心 を 得 た こ と に つ い て は す で に し る し た と う り で あ る が 、 こ の 体 験 を 通 し て 師 は ﹁ 大 師 主 義 ﹂ の 信 念 に 徹 す る に い た っ た 。 ﹃ 和 田 性 海 講 話 集 ﹄ の 自 序 に よ る と 、 師 は ﹁ 巻 初 の 大 師 主 義 は 柄 が 布 教 道 の 中 心 生 命 と し た も の で 、 講 話 集 全 部 を 読 了 せ ら る る な ら ば 、 こ の 集 全 篇 が 、 大 師 主 義 の 布 演 と も い え る こ と が 諒 解 せ ら れ 得 る と 信 ず る の で あ る ﹂ と い っ て い る 。 そ の 大 師 主 義 と は 単 に 大 師 を 彼 方 に お い て 尊 崇 す る こ と で は な か っ た 。 師 が そ の 巻 頭 に 曽 我 部 俊 雄 、 真 井 覚 深 の 二 師 と の 共 著 ﹃ 大 師 主 義 三 十 講 ﹄ (昭 和 八 年 刊) の 中 か ら と っ て ﹁ 大 師 に 還 れ ﹂ を 載 せ た こ と は 、 こ れ こ そ 師 の 一 代 の 布 教 の 根 本 精 神 で あ っ た か ら で あ る 。 師 は 大 正 十 二 年 一 月 自 坊 千 光 寺 か ら 発 行 し て い る ﹃ 慈 悲 の 光 ﹄ 新 年 号 の 巻 頭 に お い て ﹁ 大 師 に 拠 っ て 起 た ん ﹂ と 題 し て 次 の よ う に い っ て い る 。 一 、 我 等 は 弘 法 大 師 の 絶 対 包 容 主 義 に 則 っ て 、 所 有 宗 教 の 教 義 に 聴 き 、 更 に 大 な る 覚 眼 を 開 か ね ば な ら ぬ 。 二 、 我 等 は 大 師 の 文 化 至 上 主 義 に 則 っ て 、 現 代 物 質 文 明 を 向 上 せ し め 、 精 神 的 真 花 を 開 か し め ね ば な ら ぬ 。 三 、 我 等 は 大 師 の 実 生 活 救 済 主 義 に 則 っ て 、 悪 平 等 、 醜 差 別 の 両 思 想 を 斥 け 同 胞 双 愛 の 楽 天 地 に 活 き ね ば な ら ぬ 。 " 四 、 我 等 は 大 師 の 尊 皇 愛 国 主 義 に 則 っ て 、 国 体 を 万 世 に 擁 護 し 、 日 本 民 族 を 無 窮 に 発 展 せ し め ね ば な ら ぬ 。 五 、 我 等 は 大 師 の 霊 肉 一 致 の 実 証 主 義 に 則 っ て 、 神 人 同 -の 実 修 養 を 遂 げ 、 宗 教 的 人 格 の 完 成 を 期 せ ね ば な ら ぬ 。 こ こ に 見 る 大 師 主 義 は 、 大 師 の 真 精 神 を 体 し て 現 代 に 即 応 し て ゆ く に あ る の で あ り 、 そ こ に 大 師 に 生 く る の 意 趣 が あ る こ と は い う ま で も あ る ま い 。 大 師 に 還 る 方 法 と し て 師 が 先 ず 考 え た の は 、 大 師 伝 の 研 究 で あ る 。 し か し そ れ は 単 な る 研 究 で は な く し て 、 大 日 経 、 金 剛 頂 経 の 実 義 は 、 高 祖 大 師 の 体 験 に よ っ て 日 本 真 言 宗 と し て 和 田 性 海 師 伝
密 教 文 化 成 立 し た も の と 確 信 し 、 大 師 伝 の 徹 底 し た 研 究 、 そ の 身 読 を 実 践 せ ん と す る に あ っ た 。 ﹁ 大 師 の 偉 徳 ﹂ 、 ﹁ 大 師 の 宗 教 ﹂ 等 の 長 篇 の 諸 講 話 は 全 く こ の 精 神 に 出 た も の で あ り 、 師 の 信 仰 の 拠 り ど こ ろ で あ っ た と い わ ね ば な ら な い 。 こ の 見 地 か ら 師 は 、 大 師 の 鎮 護 国 家 の 精 神 を 精 神 と し て 終 生 愛 国 の 情 熱 を 燃 や し 続 け た の で あ る 。 晩 年 ﹁全 人 ﹂ 運 動 を 展 開 す る に 当 っ て そ の 綱 領 と し て 、 ﹁ 皇 室 を 中 心 と し 、 同 胞 愛 を 充 実 し 、 日 本 民 族 の 平 和 的 発 展 を 期 す ﹂ と い う 一 項 を 掲 げ ら れ た こ と も 、 師 の 一 貫 せ る 精 神 を う か が う に 足 る で あ ろ う 。 師 が 新 仏 教 徒 同 志 会 以 来 常 に 国 民 の 道 義 高 揚 を 念 願 と し て い た こ と は す で に 言 及 し た と こ ろ で あ る が 、 こ と に 弘 法 大 師 の 提 唱 せ ら れ た 十 善 戒 を 重 視 し た 。 全 人 誌 上 に 年 余 に わ た っ て 連 載 さ れ た ﹁ 新 十 善 戒 論 ﹂ は 慈 雲 尊 者 の ﹃十 善 法 語 ﹄ を 更 に 現 代 的 に 展 開 し た 長 篇 で あ り 、 十 善 戒 研 究 の 上 で 重 要 な 意 味 を 持 つ も の で あ ろ う 。 し か し 師 に つ い て 特 に 顕 著 で あ っ た の は 、 そ の 時 局 論 で あ っ た 。 講 話 集 の ﹁ 和 光 同 塵 篇 ﹂ に あ つ め ら れ た 文 章 が ほ ぼ そ れ に あ た る 。 実 際 の 法 話 は 、 そ れ ら の 文 章 に く ら べ て し ば し ば は る か に 時 局 論 の 性 格 を 持 っ て い た 。 そ の た め あ る 場 合 に は い わ ゆ る あ り が た い 法 話 を 期 待 し て 集 っ た 聴 衆 の 中 か ら 、 ま る で 政 談 演 説 を 聞 く よ う な 気 が す る と い う 批 判 を 受 け る こ と も あ っ た と い う 。 そ れ ら の 時 局 論 は 、 か え っ て ﹃ 不 可 得 随 想 集 ﹄ の 中 の ﹁ 短 章 法 話 篇 ﹂ に そ の 面 影 を う か が う こ と が で き る か と 思 う 。 師 は 老 年 に 及 ん で も 常 に 時 局 に 関 心 を 持 っ て い た 。 単 に 時 局 に 関 心 を 持 つ だ け で は な く 、 そ れ を 批 判 し 、 そ れ に 対 す る 高 処 大 処 か ら の 対 策 を 考 え る の を 常 と し て い た 。 そ れ ら の 時 局 論 は 事 情 の 全 く 異 っ た 今 日 か ら 見 て も 、 深 く 反 省 せ し め る も の が あ る が 、 師 の 論 が 常 に 仏 教 に 根 抵 を 持 つ も の で あ っ た か ら で あ ろ う 。 し か し 師 は 単 に 時 局 問 題 を 論 じ る だ け で は な く 、 時 あ っ て は み ず か ら 挺 身 し て こ と に あ た っ た こ と は 、 足 尾 銅 山 事 件 以 来 の こ と で あ る 。 昭 和 四 年 の 秋 、 淡 路 銀 行 の 破 綻 に 際 し て は 、 み ず か ら 被 害 者 の 一 人 で あ り な が ら 卒 先 し て 全 淡 真 言 宗 寺 院 住 職 の 先 頭 に た っ て 慰 問 と 救 済 に つ と め た の で あ る 。 師 も 当 初 は ﹁ 淡 路 評 論 ﹂ に お い て ﹁ 責 任 観 念 に 就 て ﹂ と 銀 行 関 係 者 の 責 任 を 説 く と こ ろ が あ っ た が 、 銀 行 の 再 興 の 望 み が た き を 知 る や 、 む し ろ 衆 心 の 安 定 を 図 る こ と が 大 切 で あ る と 考
え ﹁怨 み な き 心 ﹂ と 題 し て 各 地 に 講 演 す る と と も に ﹃ 怨 み な き 心 ﹄ 、 ﹃ 変 に 処 す る 覚 悟 ﹄ の ニ パ ン フ レ ッ ト を 二 万 部 各 地 に 印 施 し た の で あ っ た 。 そ の 講 演 会 の ご と き 昼 夜 二 回 宛 、 連 続 五 十 回 に 及 び 、 一 回 二 百 人 以 上 五 百 人 と い う 聴 衆 に 向 っ て 毎 回 一 時 間 半 以 上 に わ た っ て 講 演 し た と い う 。 そ の 時 局 に 対 す る 烈 々 た る 気 魂 を う か が う こ と が で き る 。 2 、 文 芸 活 動 師 が 子 規 直 門 の 俳 人 で あ り 、 歌 人 で あ っ た こ と に つ い て は 、 師 も そ の 随 想 集 の 中 で た び た び 触 れ て い る 。 最 晩 年 と い っ て も 三 十 五 六 才 の 正 岡 子 規 か ら 受 け た 影 響 は 老 師 の 終 生 忘 れ る こ と が で き ぬ 程 の も の で あ っ た 。 そ の こ と は 、 新 仏 教 同 志 会 と の 因 縁 が 短 歌 を 通 し て の も の で あ っ た こ と に も よ る で あ ろ う が 、 む し ろ 子 規 の 人 格 に う た れ た た め と い っ た 方 が 当 を 得 て い る で あ ろ う 。 子 規 は 哲 学 館 を 終 え て 西 帰 せ ん と す る 若 き 弟 子 の 此 め に 、 特 に 筆 を と っ て ﹁ か ま き り ﹂ の 絵 を か い て こ れ に 彩 色 し ﹁ 勇 猛 心 ﹂ と 大 き く 、 細 字 で ﹁ 臥 病 十 年 か ま き り の ご と き 腕 に 筆 を 握 り て 子 規 子 ﹂ と し る し 、 外 に 二 葉 の 短 冊 を か い て わ た し て い る 。 こ の 気 塊 こ そ 師 が 老 年 に い た る ま で 子 規 を 敬 仰 し て や ま な か っ た 理 由 の 一 つ で あ っ た 。 師 の 思 想 と 師 の 文 芸 と に は 極 め て 深 い 関 係 が あ り 、 先 に あ げ た 蹉 駝 山 の 体 験 を 詠 じ た 短 歌 の 連 作 の ご と き も 、 そ の 宗 教 的 体 験 は 短 歌 に よ っ て 如 実 に こ れ を う か が う こ と が で き る 。 こ の 点 師 は 理 知 の 人 と い う よ り も む し ろ 情 愛 の 人 で あ っ た よ う に 思 わ れ る 。 し か し 師 を 知 る 多 く の 人 は 、 師 は 大 局 を 見 る 明 の あ る 極 め て 頭 脳 明 晰 の 人 で あ っ た と い う 。 恐 ら く そ う し た 一. 面 が あ っ た こ と は 否 む べ く も な い が 、 し か し 師 が 多 数 の 弟 子 を 養 成 し 得 た こ と な ど に か ん が み て も 、 夫 人 の 内 助 の 功 も さ る こ と な が ら 、 そ の 人 柄 に お い て 情 愛 深 い と こ ろ が あ っ た か ら で あ ろ う 。 そ の こ と は 晩 年 八 十 才 に な ん な ん と し て 、 遠 く 伊 予 路 に 十 一 人 に 及 ぶ 故 友 の 墓 参 り を し て ま わ っ た こ と に も う か が え る よ う に 思 う 。 そ の み ず か ら 称 し て 一 生 涯 の 黒 星 と す る 事 件 の ご と き も 、 あ る い は 友 人 の 熱 意 に ほ だ さ れ 、 あ る い は 弟 子 へ の 情 に ま け て の 上 の こ と で あ っ た よ う に 見 え る 。 師 が 子 規 に 師 事 し た の は 、 子 規 の 死 に 先 立 つ 両 三 年 間 の こ と で あ る が 、 そ の 影 響 は 終 生 に 及 ん だ 。 と い っ て も そ れ は 師 が 歌 人 と な り 俳 人 と な っ た と い う こ と で は な い 。 師 は あ く ま 和 田 性 海 師 伝