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「水甕」表紙の古筆学的意義−古今集について−

著者 村山 美恵子

雑誌名 國文學

巻 98

ページ 33‑47

発行年 2014‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/9227

(2)

序 ﹁水尭﹂表紙の古筆学的意義

l古今集についてI

先生の筆を更に私が印刷出来るように模寓して木版にした

ので︑原字の古雅風韻を害する事甚だしいが︑l略l

と記されてある︒﹁印刷所の都合﹂とは︑十月号後記に

未曾有の大震災で︑開東地方はさんざんな状態となって

しまった︒l略l水喪に関係してゐた一噌印刷所も焼けた︒

堀江製本所も焼けた︒l略l

とあり︑関東大震災によって従来の印刷方法がとれなかったこ

とが知れる︒しかし︑同時に︑通常の表紙は︑柴舟による古筆

の透写であったことが明らかにきれているのである︒

﹁水蕊﹂大正八年六月号に︑﹁仮名の発達﹂と題した尾上柴舟

による水翌五周年記念の講演記録がある︒柴舟は︑平安朝の時

代と仮名の変遷を語っているのであるが︑その前に﹁水翌﹂の

表紙に掲載の古筆切の説明をしている︒

村 山美恵子

3 3

尾上柴舟によって大正三年に創刊された短歌誌﹁水蕊﹂の表

︵1︶

紙は︑創刊の翌月︑大正三年五月号より六年末まで長谷川潔の

版画であった︒潔の渡仏後︑大正七年一月号より柴舟が選び︑

透写為し得た古筆切が︑柴舟没年の昭和三十二年迄︑四十年間

に亘り掲載されている︒

古筆切の透写については︑﹁水翌﹂大正十二年十二月号︵十一

月合併号︶﹁編集後記﹂に岡野直七郎によって

十月雛と本競とは表紙の燈裁も愛つた︒これも印刷の都

合で致方ないのである︒従来の表紙は︑尾上先生が古書の

文字そのままに透篤せられたものを寓填で縮めて石版刷に

したのであるが︑篤填も石版刷も出来ないので︑致方なく

(3)

次のは寸松庵色紙でこれも前のとはまたちがってをりま

すが︑おかまひなしに貫之の筆といふ︒l略1次のは縄色

紙といふので道風の筆としてあります︒次のは古今集の断

片でこれも道風といふもの︑次のはl略l全罷漢文であり

ますが︑その終りには恨名を交へて書いてあります︒ここ

に面白味があってこれが本物の道風とおもはれます︒次の

は古今集で佐理の筆といはれ︑次にこれは宮中にある桂宮

寓葉集で源順の筆といふ︒I略1次は名がつかぬので五首

︵2︶

一紙といひます︑行成の筆といふので美しい︒次のは古今

集l略lかやうに種々ありますが構はず行成の筆とせられ

てをります︒次のは古今集で紫式部の筆といふのでありま

す︒l略1

次のは糟色紙といふもの︑公任の筆といふのであります

が︑それよりも以後の定信の筆らしい︒次のは藍紙菖葉集

で︑力が強い︒公任といふのでありますが讃擦がありませ

ん︒次のは普通に西行の筆といはれるもの︑次のは俊頼の

筆と普通いはれるもの︑次のは俊成の祖父さんの俊忠の筆

といふのでありますが誼擦がありません︒次のは俊成の筆

といふのであります︒これは填物とおもはれます︒

次のは鎌倉時代の宗尊親王の筆といふのでありますが︑

34

さて水翌の表紙の暇名は平安朝時代のであってそれ以前

のはない︒l略l今年になっては主として三十六人集を出

しました︒これは本願寺のもので︑字も立派ですが又地紙

が最も立派であるので︑凝るのに都合がい︑からでありま

す︒

すべて水翌へはこれらを断片的に出したので前後の開係

も或は御わかりにならないと思ひますから︑それを系統的

に御話してみたいのであります︒こ︑に標本を出しますが

責物ではありません︒篤興でありまして篤興は虞を蔦すと

いふのではありますが︑かげであって線からおこる情緒︑

墨色︑紙と墨との閥係︑紙の光津等が出ませんからつまり

ませんが︑ないよりはい︑と思って持って参りました︒

と︑﹁水蕊﹂表紙に料紙が優れている西本願寺蔵三十六人集を掲

載した事と︑持参した標本は本物ではないことを断わった上で︑

標本を一枚ずつ示し︑以下のように解説している︒

最初に出しますこれは︑高野切といって古今集を書いた

もの︑去年の雛の最初のもので︑古今集の一部貫之の筆と

いふことになってをりますが︑l略1次のものはやはり貫

之の筆といはれて︑l略1以上の三つが皆貫之︑同じ様な

字ではなくて同じく貫之とは愛ではありませんか︒

(4)

と︑初年度は高野切︑関戸本︑元永本の古今集が過半数の七首

を掲載している︒次年より順次︑高野切第三種も挙げ︑古今集

の他には︑柴舟が高野切と同筆︑類筆と見た︑御物︑近衛本︑

関戸本等の和漢朗詠集︑藍紙本︑金津本︑桂宮本︑元暦校本︑

尼崎本等の万葉集︑勅撰集では︑古今集の他に︑後撰集白河切︑

拾遺集切及び拾遺抄切︑詞華集右術門類切︑千載集日野切︑後

拾遺集中院切︒そして三十六人集︑歌合切︒経典︑僻聖武天皇

辰翰賢愚経︑類緊古集︑その他︑堤中納言集︑源氏物語給巻等

等︑毎月異なった古筆切が掲載されているのである︒

但し︑柴舟が昭和二十年の第二次大戦東京空襲に催災後の

﹁水喪﹂の表紙古筆切は︑変化に乏しくなっている為に︑昭和二

十年迄の﹁水蕊﹂の表紙と︑現存古写本や断簡を照合してみる

ことにした︒

この﹁水斐﹂表紙の古筆切について︑大正十一年以降は柴舟

の解題が掲載されていて︑参考としたが︑解説のないものや︑

解説に古筆切名のないものは︑表紙の和歌を﹁新編国歌大観﹂

︵3︶

及び﹁新編私家集大成﹂CD・ROM及び﹁古筆学大成釈文﹂

等で探して︑その上で現存古筆切との照合を果たした︒

本論では︑その中の古今集関係の古筆の検証を試みることに

する︒

3 5

どうもそれよりは古いのであります︒次のは同じ宗尊親王

の筆で元暦寓葉でありますl略1

以上︑特徴を一部略したが︑柴舟は︑伝えられている筆者の

ほとんどに疑問を呈しつつ︑二十二葉の古筆切を示している︒

﹁水斐﹂掲載の大かたの写真について︑比較研究していた様子が

推測される︒ここで︑まず︑大正七年の﹁水蕊﹂表紙の古譲の

種類を﹁新編国歌大観﹂CD・ROMに於ける歌番号と共に挙

げて見ると︑ 一月号高野切第一種としのうちに 二月号貫之集一四五いつれをか 三月号高野切第一種四○七あまのはら 四月号高野切第二種三七○かへるやま 五月号三十六人集中務集二九三うきなから 六月号筋切伝佐理筆六一七つれ・・ 七月号関戸本古今集一○八六あふみ路や 八月号三十六人集鰐恒集四四八なつとあきと 九月号大字和漢朗詠集七一二いつはりの 十月号元永本古今集巻十九末天るつきを 十一月号高野切第二種三七○かへるやま 十二月号高野切第一種一○七○しもとゆふ

(5)

では︑古今和歌集の種別に﹁水蕊﹂掲載年月と歌番号を挙げ

る︒掲載年月は算用数字︑歌番号は漢数字で示すこととする︒

1︑高野切古今和歌集 九九八︵あしたづの︶︑昭和3年n月号九四○︵あはれて ふ︶︑昭和7年1月号一○一一︵むめのはな︶︑昭和胆年9月 号九八○︵おもひやる︶︑昭和旧年7月号一○一三︵いく ばくの︶︑昭和皿年3月号九五一︵よにふれば︶︑九五二︵い

かならむ︶︑昭和Ⅳ年4月号九九三︵なよたけの︶︒

以上︑第一種は七葉八首︑第二種は五葉︵但し大正7年4月

号と同年n月号は同筆︶︑第三種は十一葉︵但し大正九年四︑五

月号は同筆︶で︑高野切古今和歌集は二十三葉二十四首の掲載

があった︒これらの中で︑注目すべき歌を挙げてみたい︒

○昭和十二年五月号掲載の第一種二五番歌の﹁水翌﹂表紙は

わがせこがころもはるさめふるときのべのみどりぞいろま

さりける

であり︑柴舟は﹁表紙字の解題﹂に

古今集春上に載れるものなるが︑第三句︿ふるとき﹀に

ては調べをなさず︿ときに﹀の︿に﹀を脱したるなり︒

と記しているが︑前田育徳会蔵の当該歌には﹁ふるときハ﹂と︑

料紙下端の文字﹁き﹂と料紙の余白との間に平たくカナの﹁ハ﹂

︵4︶

が記されていて︑﹁古今和歌集綜覧﹂の釈文も﹁ときハ﹂となっ

ている︒

貞応二年本︑嘉禄二年本︑元永本︑筋切︑寸松庵︑亀山切は︑

3 6

A第一種

大正7年1月号一︵としのうちに︶︑大正7年3月号四○

七︵あまのはら︶︑大正7年廻月号一○七○︵しもとゆふ︶︑

大正n年1月号一○七四︵かみがきの︶︑昭和3年2月号六

︵はるたてば︶︑昭和6年1月号一九︵みやまには︶︑二○︵あ

づさゆみ︶︑昭和皿年5月号二五︑︵わがせこが︶︒

B第二種

大正7年4月号三七○︵かへるやま︶︑大正7年n月号三七

○︵かへるやま︶︑大正n年7月号一五七︵くるるかと︶︑︵解

説は一五八番歌︶︑昭和2年6月号三七九︵しらくもの︶︑昭

和週年吃月号四○五︵したのおびの︶︒

C第三種

大正9年4月号一○五一︵なにはなる︶︑大正9年5月号一

○五一︵なにはなる︶︑大正廻年3月号九八五︵わひびとの︶︑

大正迫年2月号一○五七︵なげきをば︶︑昭和2年8月号

(6)

その中︑十八︑十九の二巻は︑いはゆる第三種に属し︑品

位の高き︑筆鯛の清き︑他の二種を凌ぎて除りあるものな

り︒何人の手に成れるか詳にすること能はざるは遺憾なれ

ども︑その人の風懐より容姿までも想像して心性かしむる

は︑この筆の力なり︒

と︑筆者の風貌にまで想像が及ぶ︒そして︑翌年の昭和十三年

七月号には

温雅にしてしかも力ある線峰︑豊浦にしてしかも暢達あ

る形貌︑類するものまことに少なし︒古筆中︑姿態と品位

とともに備はるもの︑これを第一位に推すべし︒

と︑高野切第三種の古筆としての順位をはっきり一位としてい

る︒通常︑古筆切については︑その種別や表記について検討さ

れているが︑柴舟は筆致にまで言及が及んでいるのである︒

︵5︶

なお︑柴舟は﹁日本名筆全集古今集﹂に︑高野切第三種を一一

十二葉収録しているが︑そのうち九八○︑九九八︑一○一一︑

一○一三番歌の四首を﹁水斐﹂の表紙にも掲載している︒

大正u年5月号序︵巻頭文︶︑昭和4年3月号序七四七︵月 2︑巻子本古今和歌集

37

共に﹁降ることに﹂︑であることによって︑柴舟は﹁に﹂の脱字

とみたのであろう︒柴舟の解説には﹁いはゆる高野切の一片に

して第一種に属せるものなり︒﹂ともあり︑高野切第一種である

ことに間違いない筈であるが︑柴舟所持の高野切にはない﹁ハ﹂

が︑何時︑どこで加えられたものか疑問が残る︒

なお︑寸松庵色紙は︑﹁水蕊﹂昭和十七年二月号の表紙︵後

述︶に掲載されている︒

○大正七年三月号掲載の第一種四○七番歌の

あまのはらやそしまかけてこぎいでぬとひとにはつげよあ

まのつりふれ

の初句﹁あまのはら﹂は︑高野切古今集以外は︑如何なる古今

集も︑又︑和漢朗詠集に収録の古今集歌も﹁わたのはら﹂であ

り︑高野切のみが﹁あまのはら﹂と表記されている︒

従って﹁新編国歌大観﹂及び﹁新編私家集大成﹂には本歌の

記載がなく︑柴舟は解題を付すこともなく︑珍重な一枚を﹁水

蕊﹂表紙に掲載している︑と言えそうである︒

○高野切第三種に関して︑柴舟は大正十年以降に掲載の解題毎

に賛辞を惜しまず︑昭和十二年九月号には

古今和歌集を蔦せる古本︑いはゆる高野切よりすぐれた

るはなし︒高野切は現存するところ三種の書盟を含めるが︑

(7)

大正7年n月号巻凹末︵天るつきを︶︑大正8年6月号一○

七三︵しはつやま︶︑大正Ⅲ年8月号八六三︵わがうへに︶︑

大正n年u月号九○六︵住吉の︶︑大正胆年n月号九三三

︵よのなかは︶︑昭和4年5月号六八︵みるひとも︶︑昭和7年

2月号巻廻末︵いかにして︶︑昭和Ⅲ年6月号一五三︵さみ

だれに︶︑昭和吃年1月号三︵はるがすみ︶︒

以上元永本古今和歌集は九葉九首であった︒注目すべきこと

を次に記す︒

○昭和七年二月号と大正七年十月号掲載の歌を次に挙げる︒

いかにしてこひをかくさむくれなゐのやしほの衣まくりで

にして

三恒

天るつきを遊みはりとしもいふことは山の葉さしていれば

なりけり この二首は︑元永本のみに入集の歌であり︑伊達家旧蔵本を

底本とする﹁新編国歌大観﹂には未収録歌である︒従って歌番

号はない︒位置として巻十九の巻末︑一○八六番歌﹁よをいと

ひ﹂に続いて置かれた三首の二︑三首目である為に本稿では﹁巻 3︑元永本古今和歌集

3 8

やあらぬ︶︑八七九︵おほかたは︶︑昭和7年3月号序一一一

○︵わがせこが︶︑昭和9年吃月号四一○︵唐衣︶︑昭和n年

5月号九六一︵おもひきや︶︑昭和n年3月号六一六︵起も

せず︶︑昭和週年9月号四一七︵ゆふづくよ︶︑昭和u年7月

号六五○︵名取川︶︑六五一︵よしのがは︶︑昭和旧年9月号

六六八︵わが恋を︶︒

以上︑巻子本古今和歌集は九葉十一首であった︒

○﹁序﹂から三葉掲載しているが︑大正十四年五月号の解題に

古今和歌集の古篤本の中︑平安朝時代のものにして︑書

︵6︶

篤の時日の確実なるは︑三井家蔵の元永一二年七月の明記あ

るに過ぎたるなし︒それと同様の筆致形態を有し︑更に同

様の文様をも有するは︑この一巻なりこの一巻は序のみ

なるが︑一の訣字なく︑鉄行なく︑l略l元永書篤のそれ

と共に︑古今和歌集古写本の双壁として尊重すべし︒但し

筆者を源俊頼といへど︑確証なきこと猶前者の如し︒

と︑まず元永本との区別と︑筆致の美しさを評価し︑両者共に

俊頼筆と伝わるが確証のない事を述べている︒

(8)

﹁女房歌集切﹂︑﹁拾遺集切﹂︑﹁金漂本菖葉集﹂︑﹁十五番歌

合﹂︑﹁安宅切﹂等がある︒

と俊頼筆と伝えられる古筆切の種類を示し︑各葉の説明をして

いる︒古今集切については

二種あって︑一は序文及び本文の一部を博へ︑他は全部

博へて居る︒二者を比較すると︑小差があるのみである︒

料紙の色彩によって︑字形を大きくし︑或は小さくして︑

技巧を蓋して居る︒

と︑現存の巻子本及び元永本の形態を示しているが︑﹁和様概

︵胸︶

説﹂には伝俊頼筆古今和歌集について

この人の晋のことが特に博へられては居ないが︑古筆家

は︑この人の風として多くを云って居る︒その中の主なも

のは︑﹁古今和歌集﹂である︒これには︑一は冊子︑他は巻

物の二種がある︒この雨者は︑一方が漢字であるところが︑

他方は仮名であったり︑またはその反封であったりして︑

一致はして居ないのであるが︑筆致形態︑全く一様である

から︑同人の筆であらう︒その冊子本の方には︑多くの嬰

化が施されて居る︒乃ち軍調に陥るのを恐れて︑ある虚は

︵皿︶

猫草的にし︑またある虚は散らし書にし︑また更に料紙の

色に麿じて淡紅や純白には細い線を使ひ︑浅紫や深紫には

39

⑲末﹂と記しておいた︒影印は︑小松茂美編の﹁国宝元永本

青#︶︵8︶

古今和歌集﹄︑及び久曾神昇編﹁古今和歌集綜覧﹂中のグラビ

ア等には見出せるが︑珍重な二首である︒

○昭和十二年一月号表紙の元永本三番歌は

はるがすみた︑るやいづこみよしのの吉野山にゆきはふり

つつ

であり︑柴舟の﹁解題﹂に

現行本︑皆﹁たてる﹂なるが︑﹁たたる﹂となれるなど︑原

本の趣を努潔せしむるに於いて︑更に賓貴すべきなり︒

と︑記されている︒確認したところ︑高野切は﹁た︑る﹂貞応

一一年本と嘉禄二年本は﹁たてる﹂︑筋切は﹁た︑る﹂︑昭和切は

﹁たてる﹂︑と﹁た︑る﹂の﹁繭﹂と﹁て﹂の併記や︑﹁たてる﹂

の﹁て﹂に﹁た﹂が併記されたり︑様々な表記であった︒

ところで︑巻子本及び元永本古今和歌集は︑伝俊頼筆と云わ

れていることを︑柴舟は︑前記の大正十四年五月号の解題に於

いて否定しているが︑﹁水喪﹂の表紙には︑伝俊頼筆の古筆が多

︵9︶

く︑柴舟の﹃日本書道史﹂には︑俊頼について︑その出自と金

葉和歌集の撰の説明の後

伝俊頼筆と云ふものに︑﹁古今集切﹂︑﹁東大寺切﹂︑﹁民部

ママ

切﹂︑﹁小町集切﹂︑﹁朗詠繕色紙﹂︑﹁高光集切﹂︑﹁拾遺集切﹂︑

(9)

太いのを用ゐて居る︒

と︑冊子本︑巻子本の筆致の差について詳細に説明し︑冊子本

については︑更に

線峰は流暢で︑優雅で︑形態は暢達で︑むしろ修長にさ

へ傾いて居る︒資に酒脱な風︑意気な形は︑前の博行成筆

の﹁朗詠集﹂などの端麗整脅なのと違って︑別様の趣を示

して居る︒

と︑伝行成筆﹁朗詠集﹂との比較に及んでいる︒

﹁水蕊﹂の表紙には︑伝行成筆の古筆が多く︑柴舟は行成好み

︵吃︶

であると︑同誌特集号で特筆されているが︑柴舟は︑その行成

の筆と比較しつつ︑伝俊頼筆の古今集にも関心を持っていたこ

とが知られよう︒それはまた後述の︑大正十一年に柴舟が冊子

本︑即ち元永本古今和歌集翻刻の折に︑筆法を一字一字確認し

た結果でもあろう︒

4︑関戸本古今和歌集 三︵さみだれに︶︑昭和n年7月号一六五︵はちすばの︶︑昭 和n年4月号一一○○︵ちはやぶる︶︑昭和巧年2月号三二

︵をりつれば︶︒

以上関戸本は八葉八首であった︒特徴ある歌を以下に挙げる︒

○大正七年七月号一○八六番歌

あふみ路のかがみの山をたてたれぱかねてぞみゆるきみが

ちとせは

の初句は︑貞応二年本︑嘉禄二年本︑高野切共に﹁あふみのや﹂

であり︑関戸本のみが﹁あふみ路の﹂である︒柴舟はこの貴重

な一葉を解題なしで水蕊に掲載しているのである︒

なお︑作者大友黒主の名が関戸本は﹁おほとんのくろいし﹂︑

嘉禄二年本は﹁おほともくろいし﹂と仮名書きで︑貞応二年本

は﹁大伴くるいし﹂と仮名と漢字の混用︑高野切は﹁大伴黒主﹂

と全て漢字で︑それぞれ表記が異なっている︒

○昭和十一年四月号一一○○番歌の関戸本は

ちはやぶるかものまつりの姫小松万代ふともいろはかはら

であるが︑貞応二年本と嘉禄二年本は︑第二句が﹁かものやし

ろ﹂である︒嘉禄二年本は︑次のように三句が﹁ひめこ松﹂四

句は﹁よろづ世ふとも﹂と仮名混じりの表記になっている︒

40

大正7年7月号一○八六︵あふみ路や︶︑大正Ⅲ年Ⅲ月号

二○七︵秋風に︶︑大正胆年5月号一○九五︵つくばねの︶︑

大正旭年8月号一六九︵あききいと︶︑昭和8年6月号一五

(10)

ちはやぶるかものやしろのひめこ松よるづ世ふともいろは

かはらじ

第二句は︑初句の﹁ちはやぶる﹂が﹁賀茂の社﹂の枕詞であ

り︑歌意からしても姫小松にかかる語として﹁やしろ﹂が自然

であるようであるが︑四月の葵祭に対しての冬の神事を指すこ

とから関戸本は﹁まつり﹂となっているのではあるまいか︒な

お︑元永本︑高野切も共に﹁まつり﹂である︒

5︑筋切・通切 ○昭和五年二月号一○八三番歌

みまさかやくめのさらやまさらさらにわがなはたてじよる

づ□までに

の解題に

いはゆる筋切通切の一節にして︑藤原佐理の筆と穂せら

るるものなり︒佐理の筆といふに護左なくして却って元永

年中瞥篤の古今集と酷似せり︒以て平安期末期の書篤たる

を推すべし︒線牒の流麗︑形態の暢達ともに見るべし︒た

だ﹁よ﹂の一字を鉄けたるは惜しむべし︒

と︑掲載歌が筋切通切と呼ばれる古筆であることと︑佐理の筆

と伝わることについての否定︑及び﹁よ﹂の欠字を記している︒

︵旧︶

﹁よ﹂の欠字については︑﹁古筆学大成古今和歌集巻第1﹂所

収の筋切写本の写真にもその痕跡が明らかである︒また︑古筆

切の種類をここでは﹁筋切通切﹂と記しているが︑昭和七年五

月号解題では︑

紙上に縦に界線を有するより筋切の名あるものの一部こ

れなり︒筋切は通切と同一にしてただ表裏の差あるのみ︒

と︑﹁筋切﹂の呼称についての説明を附している︒そして︑線候

の流麗さについては︑毎回強調しながら︑伝佐理筆については︑

確証がなく佐理の時代より下っていることを主張している︒

41

大正7年6月号六一六︵おきもせず︶六一七︵つれ・・の︶︑

大正胆年4月号三八︵きみならで︶︑昭和5年2月号一○八

三︵みまさかや︶︑昭和7年5月号序︵夫和歌者︶︑昭和8年

皿月号一○○二︵ちはやふる︶︑昭和n年廻月号三三八︵わ

がまたぬ︶︑昭和Ⅳ年廻月号一○九四︵こよるぎの︶︑昭和吃

年3月号五九一︵冬かは︑五九一一︵たぎつせに︶︒

以上八葉であり︑昭和七年五月号の表紙は︑﹁序﹂の書き出し

の部分で歌はないが︑大正七年六月号と昭和十二年三月号には︑

二首ずつあり︑歌の掲載は九首である︒

注目すべき一首を挙げる︒

(11)

6︑本阿弥切

昭和胆年6月号一六二︵郭公人︶︑一六三︵むかしべや︶︑昭

和四年3月号三四三︵わがきみは︶︒ 言えよう︒ ○大正十一年四月号四二二番歌の解題には

古今和歌集の古篤の断片残存頗る多きが中に︑ことに老

蒼の筆致著しきはこの一種なるべし︒本阿禰光悦嘗てこれ

を所有せるより世に本阿弼切といふ︒前掲の﹁山水の音に

のみきく﹂とあると連繍すべきものなり︒而して前掲のは

雑の終にしてこれは物名の初なり︒l略l筆者の道風とい

ふに徴誼なし︒料紙より考ふれば︑本願寺蔵三十六人集の

と類似せるより︑猶元永保安を距ること遠からざる時代の

書篤たるを推すべし︒

と︑本阿弥切の呼称の所以︑古今集における﹁山水の﹂と﹁心

から﹂の二首それぞれの置かれる位置を示している︒今日のよ

うに歌番号の付されていない時代のことである︒又︑前掲作の

﹁解題﹂に続き道風筆を否定し︑道風︵八九四〜九六六︶の時代

より下って元永保安附近の書写であることを主張している︒

7︑昭和切

42

大正n年7月号一○○○︵山みづの︶︑大正u年4月号四二

二︵心から︶︒

本阿弥切は左の二葉二首のみであるが︑柴舟の解題を見るこ

とにする︒

○大正十年七月号掲載の一○○○番歌

山みづのおとにのみきくももしきをみをはやながらみるよ

しもがな

について︑柴舟の解題は

この一片偲小野道風筆世に本阿禰切と云はれて︑珍重せ

らる︑ものなり︒然れども︑道風といふ徴護なし︒歌は伊

勢の作︒l略l﹁山みづの﹂は︑流布本には﹁山川の﹂と

あり︒l略l

︵脚︶

とあり︑確かに﹁古今和歌集綜覧﹂に於ける﹁流布本﹂や﹁日

︵焔︶︵肥︶

本古典文学大系古今和歌集﹄︑﹁新潮日本古典集成古今和歌集﹂

等の活字本は﹁山川の﹂である︒高野切は﹁やまかはの﹂︑貞応

二年本︑嘉禄二年本︑元永本は﹁山河の﹂であり︑表記は異な

るが読みは﹁やまかわの﹂である︒本阿弥切のみが﹁山みつの﹂

となっていて︒柴舟は珍重な一葉を﹁水蕊﹂に掲載していると

(12)

昭和u年n月号九○六︵すみよしの︶︑昭和四年5月号九○ 8︑畳殊院切 九︵たれをかも︶︒ 二葉二首である︒ ○昭和十四年十月号の解題には

京都隻殊院に蔵するより︑隻殊院古今の名あり︒古今集

の古篤本なるが︑散在して︑現在三十一首を存せり︒l略l

とあり︑昭和十九年五月号の解題に︑再び

線状の繊巧にして鋭利に︑形鰻の整脊にして豊艶なる︑

他に類なきものなり︒l略l識語には三十九首︑現存は三

十一首︑何時しか八首を供せるなり︒遺憾といふくし︒

と︑散逸して現存の少ないことを嘆いている︒

大正n年6月号三四九︵さくらばな︶︒

○一葉一首のみであるが︑柴舟の解題には

この一紙古今和歌集の賀歌を書けるものなれば該集の断

簡なるべく想像せらるれど小序も作者名も鉄きたればただ

その歌のみを抄篤せるものの一片なるべきか源俊頼の筆と

いへども徴誼なし︒

と写本名はなく︑﹁2﹂の巻子本及び﹁3﹂の元永本とも別種ら 9︑伝俊頼筆

43

昭和切は藤原俊成の筆であり︑二葉三首が掲載されている︒

○昭和十五年六月号の解題にある俊成の筆法評は次のように

中々厳しい︒

藤原俊成の筆は現存少なからず︒その比較的若年の書と

見ゆる御家切は︑品格は下れども︑法性寺様を楚ひて︑穏

雅の趣に富めり︒しかし︑進んでこの昭和切に到ればすで

に自流を立て︑︑筆鋒を露出し︑瞳抜怒張︑見る眼も痛き

感あり︒

しかし︑昭和十九年三月号に至っては

俊成の平安より鎌倉期にかけての歌界の棟梁たりしは何

人も知れるところなるが︑その歌に比してその書は頗る下

れるが如し︒然れども︑雄勤奇抜︑力あり︑勢あり︑常人

のよくすべきものにあらず︒富時にあっては︑確かに能筆

者として目すべきなり︒

と︑俊成を﹁歌界の棟梁﹂と評し︑その筆跡を好意的に︑力強

く個性的であると評価している︒

(13)

︵あしたづの︶︒

寛弘期の巨匠藤原公任の子定頼の筆と僻ふる古今和歌集

の断世に大江切と呼ばるるものこれなり︒流布本には﹁西

河におはしましたりける日鶴漂にたてり﹂とあるもの︑こ

の本には﹁西河原におはしましたりける日鶴漂にたてり﹂

とあるが異なれり︒然れども歌には﹁たてるかはく﹂と

で︑終わっている︒歌が﹁かはく﹂であるから﹁西河原﹂が正

しいと言いたいのであろう︒ 昭和3年廻月号九一九︵あ ○一葉一首であるが︑解題は

︵灯︶

し/︑︑﹁古筆学大成古今和歌集巻第1﹂も同様に﹁伝俊頼筆﹂ とあるのみであるところを見ると︑その後も不明のままである とみえる︒

桐︑民部切 加︑大江切

大正n年9月号六二二︵秋ののに︶︒

○一首一葉であるが︑解題には 大正8年n月四七三︵おとはやま︶︒ 昭和6年n月号一○八六︵あふみのや︶︒ ○一首一葉であり︑解題には

古篤古今集の残鉄多きが中に︑勤健の致豊かなるものの

一として︑尊重すべきはこれなり︒l略l料紙の美なるを

見れば︑寛弘以後元永附近のものたるは論なし︒

と︑ここにも珍重な一葉であることを記し︑伝定頼筆を否定し

つつ︑料紙の美しさから寛弘元永附近のものであろうとしてい

る︒

古今集懸部の一片にして︑世に民部切といふものこれな り︒源俊頼の筆と稲すれど徴護なし︒l略

と︑民部切の呼称及び俊頼筆の否定を記している︒﹁解題﹂に

は︑続いて︑元永本の書体と通じるところがあり伝俊頼筆と云

われているのであろう︑という推測も記されている︒

旧︑色紙型古今集 吃︑伝定頼箪下絵

44

(14)

柴舟の解題未掲載で︑古筆切との照合のみとする︒

M︑寸松庵色紙 以上︑﹁水蕊﹂表紙に古今集の古筆切は︑十四種六十九葉七十

四首が掲載されていた︒

各古筆切毎に纏めたが︑それぞれの筆致の相違を知り︑その

中で特に珍重な古筆切が掲載されていて︑他本との表記の異同

も知ることとなり︑古筆学的に見て資料たり得る表紙と言える

のではなかろうか︒即ち﹁水尭﹂の表紙は︑古筆学的意義を供

えていると見倣されよう︒

﹁水爽﹂大正十二年十月号︵十一月合併号︶の﹁編集後記﹂に

よると︑尾上柴舟は︑関東大震災に於いて自宅は無事であった

が︑奉職先のお茶の水高等師範学校の全焼によって二十年間の

研究書や資料の総てを失っている︒以後は意識的に﹁水翌﹂の

表紙に︑古筆資料的意義をもたらそうとしたのかもしれない︒

ところで︑関西大学図書館に︑大正十一年に柴舟翻刻の元永

︿肥﹀

本古今和歌集が収蔵されている︒表題は﹁古今和歌集﹄であり︑

編集者発行者は﹁田淵乗好﹂とある︒巻末に﹁元永書写古今和

歌集の印行に就て﹂と題して︑元永本翻刻のいきさつが記述さ

れ︑文末に﹁沓し了って涙自づから涛柁たり︒/大正十一年五

月六日尾上八郎識﹂とある︒ 結び

45

昭和Ⅳ年2月号二五︵わがせこが︶︒

前記︑高野切第一種の昭和十二年五月号にも二十五番歌はあ

り︑ここでは表記の異同を記す︒

○寸松庵色紙は

つらゆき

わがせこがころもはる/さめふるごとにのべ/のみどりぞ

いろまさ/りける

と︑歌が四行書きであり︑第三句が﹁ふるごとに﹂となってい

て︑高野切の﹁ふるときハ﹂と異なる︒柴舟は︑この﹁解題﹂

に伝えられる貫之筆を否定しながら︑

然れども︑高古俊逸の致は︑後人の及ぶ能はざるところ︑

ことに︑その散布の︑意を用ゐずして︑自づから千載の規

範となれる如き︑金植に蔵して猶足らざるものあり︒

と︑その筆致について賛辞を惜しまない︒

(15)

大正十一年に︑柴舟は︑三井家蔵の元永本古今和歌集を手に取

って自ら翻刻していたのである︒

﹁水翌﹂表紙掲載の︑元永本への柴舟の心入れも推測為し得る

ところである︒

﹁水喪﹂表紙には﹁序﹂に列挙した以外にも数多くの古筆切が

掲載されている︒今回は古今集のみであったが︑順次現存古筆

と照合を続けたいと念じている︒

︹注︺

︵1︶長谷川潔︵一八九一〜一九八○︶版画家︒第一次大戦直

後の大正七年に渡仏し︑生涯帰国することなく︑没年迄フラ

ンスで木版︑石版︑銅版の他様々な技法を研究し︑レジオン・

ドヌール勲章︑フランス文化勲章他多くの賞を受賞︒日本に

於いても勲三等瑞宝章を受章︒

︵2︶﹁五首一紙﹂は︑一葉に賀の歌五首が書かれていたのであ

るが︑昭和九年に︑一首ずつ五葉に切断されて︑以後は各葉

を﹁蓬莱切﹂と呼ぶ︒

︵3︶小松茂美編﹁古筆学大成釈文巻第妬〜犯﹂二九八九年

一月〜一九九三年一一月講談社︶

︵4︶久曾神昇編﹁古今和歌集綜覧﹂昭和一三年二月七篠

46

一部を引用すると

明治四十三年一月︑三井男爵︑この書の一部を木版に附

して︑知友に寄贈せられたり︒輔巧の模刻︑殆んど原本と

異ならず︑骸目すべきものあり︑好古者はその渇望を盤し

たりといへども︑一巻中たぎ二三葉に過ぎず︑その全燈を

知悉すること能はず︑畢者の遺憾限りなかりしかば︑男爵

は更に︑我師大口周魚先生に卿して︑全般を活字に綴して︑

世に公にすべく企劉せられたり︒然れども︑先生勿忙これ

に従ふこと能はず︑しかも俄に病を得て逝去せられたり︒

故に荏再時を経て︑昨大正十年に及くり︒年の初よりして︑

男爵病淋に在り︑再び全部を印刷に附し︑更に流布本と封

校して︑その異同をも合せて世に知らしめむとし︑余に喝

するに此の事を以てせられたり︒余乃ち除暇を以て︑田淵

乗好氏と事に従ひ︑貞懸︑嘉緑の二本を左右にし︑鋭意封

照し︑検校し︑而して印刷に附せり︑

と︑師大口鯛二に代わって貞応︑嘉藤古今集と校合しつつ翻刻

したことが記されている︒印刷本は貞応︑嘉藤本と表記の異る

語は傍書している︒

今日では︑昭和五十五年五月刊行の﹁国宝元永本古今和歌

︵四︶

集﹂︵全一二冊︶にて全貌を知ることが可能であるが︑六十年前の

(16)

年一○月岩波書店︶ E︶校注佐伯梅友﹁日本古典文学大系古今和歌集﹂︵一九八○ 年一月講談 ︵皿︶注4に同 ︵吃︶春日真木子

復刻版特集号︶

︵過︶小松茂美編 ︵8︶注4に同 ︵9︶尾上柴舟﹁日本書道史﹂︵昭和五年七月雄山閣︶ ︵Ⅲ︶尾上柴舟﹁和様概説﹂︵昭和六年二月雄山閣︶ ︵u︶﹁独草的﹂は独草体的書き方を示すのであろう︒﹁独草体﹂

は︑一宇一宇を繋げずに切り離して沓いた草普を表す普道用 ︵6︶三井家蔵元永 ︵7︶小松茂美編﹁一

五年五月講談社 書房 ︵5︶尾上柴舟著﹁日本名華全集古今染﹂︵昭和六年二月雄

山閣︶

︵6︶三井家蔵元永本古今和歌集は現在は東京国立博物館蔵

︵7︶小松茂美編﹁国宝元永本古今和歌集﹂︵全三冊︶昭和五

︵肥︶校注奥村恒哉﹁新潮日本古典集成古今和歌集﹂︵昭和五三

壷叩︒

小松茂美編﹃古筆学大成古今和歌集

月講談社︶ ﹁柴舟の粘神美﹂︵﹁水翌﹂昭和弱・8大正期

巻第1﹂︵一九八九 年七月新潮社︶ ︵Ⅳ︶注田に同 ︵肥︶編集者発行者田淵乗好﹁古今和歌集﹂尾上柴舟翻刻︵大

正一一年五月文詳堂印刷所︶

︵⑲︶注7に同

︵むらやまみえこ/本学大学院生︶

47

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