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日本書紀の用語よりみた巻々の特色についての二、

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日本書紀の用語よりみた巻々の特色についての二、

三の考察 : 特に景行四十年条、神武即位前紀戊午 年及び天孫降臨段本文条

その他のタイトル On the Verbal Characteristics of Some Books of the Nihonshoki (日本書紀)

著者 横田 健一

雑誌名 関西大学東西学術研究所紀要

巻 1

ページ 13‑24

発行年 1968‑03‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/16136

(2)

継体

廿 三年 四月 条

宜 化 元 年 五 月 条 自 私 血 中 之 帝 殆

1‑

子 朕

1

応神天皇は他の場所では誉田別皇子︵神功紀 三 年 正 月 条 ︶ ︑ 誉 田 別 忍

︵ 神

功 紀

四 十

七 年

四 月

条 ︑

応 神

即 位

前 紀

︑ 脊田天皇︵神功摂政前紀 ︑

十 二

自 払

皿 中

天 皇

置 ー

ー 内

官 家

日本害紀の用語よりみた巻々の特色についてニ ・

三 の

考 察

︵ 横

田 ︶

右 継体六年

十 二月条 授

i

記胎

誉田天皇

自 己

之帝置官家之国

あるかを考えさせられる︒ 日

本書紀を通読していると

︑ 非常に特異な熟語が

︑ ある巻々 ︑ ある

いはある巻の中でも特定の部分に集中して︑見られることがある︒

そういう場合に私は

この部分の筆者はなぜ好んで

こういう特異 な熟語を使用するのか

︑ ひいては ︑

その筆者がいかなる系統の人で 特異な熟語の

︑ ある巻に集

してみられる例を若

干 あげてみよう︒

胎中の帝とは応神天皇のことであるが

こ の

﹁ 胎中﹂の語は巻

七にのみ四か所みられる︒他の巻にはみられない︒

特 定 巻 に 集

す る 特 異 語

特 に 景 行 四 十 年 条

I

・  

欽明二年七月条

右 同

且 夫

妖 祥

所 ー

ー 以

戒 祐

行 ︒

且 夫

信 ー

一 敬

天 皇

という言葉は巻 十 九にのみあらわれる︒

特定の語の集

的にあらわれる他の

一 例をあげてみる︒ 位前紀︶等とよばれているのである︒ 月

︑ 応神即位前紀 ︑ 継体即位前紀 ︑

白 雉

元 年

正 月

条 ︶

このことから

︑ 巻 十 七の筆者が ︑

応神天皇について記した他の巻

の筆者と異っていると考えられはしないか︒

ところで ︑

ただちに読者から反撃を受ける問題がある︒すなわち

巻 十

七継体

位前紀の冒頭に

︑ ﹁男大迩天皇︒誉田天皇五世孫﹂と

あり ︑ 巻 十七 の筆者は ﹁ 胎

中 ﹂

と ﹁ 誉田 ﹂ と 両 方 用 い て いるではな

ヽ > と ︑

> カ

﹁ 且

夫 ﹂

いうことである ︑ したが っ て ︑ これは巻 十

七の筆者が一人

であるか ︑

複数であるかが問題である︒あるいは一人であ

っ て

また史料が異

っ た熟語を用いていて ︑

それを書紀編者がそのまま採

用し て

書いたのかもしれない︒継体紀の史料と編者の問題は改めて

別に論じたい︒

い パ

. .   り ぷ : ︐ ヽ ・ ' s i か ¥ 甘

Aパ

1 x . ,

. ー を

神 武 即位前紀

戊午 年及び 天 孫 降 臨段 本

文 条 ー

│l

日本書紀の用語よりみた巻々の特色についてニ・三の考察

t , t ' ・

r'

・ , L

誉田

別 神︵応神即

••

1 ,

も h

J R A ' J t . 1

・ '  

(3)

六年二月条

巻七 巻

霧 強 行 ︒

神武即位前紀戊午年六月条︒

七の二か所にみられる︒

六 十 五 年 条

同 巻七 .

. .

.  泣悲標拇

時大鯵船尊擦据判哭゜ 天皇聞之︒ 同

の二か所にのみみられる︒

︵ ミ

ム ネ

ウ チ

タ マ

フ ︶

という稀な難語は巻七と十 巻 十

る ︒

例えば﹁捷﹂は巻十一と十二にわたってみられる︒

料原文のまま引用したことを察せしめるのである︒

同 同

四年十一月条

且 夫

任 那

者 為

ー ー

溺 国

之 棟

梁 ︱

十 三 年 十 月 条 且 夫 遠 自

a 天竺奎箔ぎ三韓︱

この最後の条は有名な仏教伝来の条で

百済聖明王上表文の中に

ある ︒ この語が ︑

欽明紀の中でも

ほぽ前半の百済関係の箇所にあ らわれることは

百済関係のある史料に独自な語を︑香紀編者が史 ところで集中はしていても

二巻にまたがってあらわれる語があ 仁徳四十年二月条

四十三年九月条

五 十

三年五月条

乃語之日︒執

i

捷鵠競与伍隼︒日︒隼捷也︒

酒君対言︒此烏之類多在ー一百済↓

. . .

.   亦捷飛 之 掠 諸 烏 百 済 俗 号

1

此 烏

1 ー ー

倶 知 ↓

直 強 力 者 目 旨 衝 軽 捷 猛 幹

飛騨国有二人臼ピ宿僕一

. . .

.   力多以軽捷

腹 中 妾 兄 鷲 住 王 為

> 人 強 力 軽 捷

・ 右の五例中︑前二例は猛禽に︑後三例は強力者に関する形容詞で 共通性をもつ文章であり

同一人が書いたとしてよさそうである

巻十一と十二の筆者については

︑ 別 に論ずる機会があろう︒

連続した二巻にわたるもの一例﹁丈夫﹂をあげよう︒

神代下天孫降臨段本文︒︵武棄槌神︶

神 独

為 ー

ー 丈

l

而吾非丈夫︳者哉︒

此神進曰︒岩陥経津主

曰 ︒

慨 哉

︒ 大

丈 夫

被 如

竪 於

礎 手

一 ・

・ ・

﹁丈夫﹂という語は多くありそうで︑害紀中にこの二例しかない︒

このことは天孫降臨段本文と神武即位前紀の筆者について

ある示 唆を与える︒この両条の類似性については

更に他の語例によって

後述する︒

以上のように︑連続した二巻に特異な語の出現する場合

その両 巻は同一の編者ないし筆者によって雹かれた可能性を示唆するが

非常に飛びはなれた巻に特異な語がみられる場合はどうであるか︒

例えば﹁標拇﹂

景行四十年歳是条 巻十一仁徳即位前紀 もう一例は

もっと長い熟語﹁乃棲退不知其所祓渉﹂で

巻三と 而皇師欲涵空中洲↓而山中険

絶︒無二復可伝行之路科〜摸退不如炉其所毎姦竺時夜夢︒天照大神 訓 手 天 皇 日

︒ 朕 今 禅 頭 八 慇 烏 ブ

・ ・ 泉行四十年是歳条︒後日本武尊・・・

・ 時︵胆吹︶山神之興

5

雲 緊氷峯据谷喘︒無復翌行之路乃棲退不砧心口其所弘竪距然凌︶

右の二例の如きは珍しい語や長い熱語であって

︑ 別 の筆者が別々

巻 神 武 即 位 前 紀 戊 午 年 五 月 条 時 五 穎 命

: ・

乃撫乙如而雄諾之

一 四

(4)

せることは困難であるかもしれない︒ はあるまいかと推論したのである︒ 瑞珠盟約段第二の一書および第三の 一 書に各一っと ︑巻三神武 即位

前紀戊午年六月条の熊野高倉下伝説︑すなわちすぐ前にあげた﹁乃

捩追不知其所祓渉﹂の直前の四つの二か所あることをあげた︒これ

も離れた巻に稀な使用例の語かある例である︒しかし

︑ こ

の両者は

は措いて論じなかった︒ただ後者の高倉下伝説の﹃予﹄は先代旧事

本紀巻五天孫本紀の尾張氏築記に同文の 引用 があり ︑そ の両者の出

典は尾張氏の祖先伝承であろうかと推定した︒そして ︑ これを書紀

に 記 載せしめたのは ︑尾張大 海宿称菰蒲を 壬生部 とする天武天皇で

いま﹁乃棲追不知

. . .

.   ﹂の語が神武即位前紀戊午年条の高倉下伝

説のつづきの場所にあることから︑ただちにこれも尾張氏と関係さ

しかし崇行四十年是歳条の﹁乃棲邁不知・・:﹂の箇所の直前の話

は ︑日本 武婆が信浪坂より尾張に遠り ︑ 尾張氏の女宮賓媛を姿って

ひさしく留って月をこえたが︑是に於いて近江の胆吹山に荒神あり

と聞いて云々と話が胆吹山へうつって行く︒胆吹山を降りてからは

尾張にかえり宮簑媛の家にかえらず ︑ 伊勢へ行くことになっている

日 本

奢 紀

の 用

語 よ

り み

た 巻

々 の

特 色

に つ

い て

ニ ・

三 の

考 察

︵ 横

田 ︶

直接関連のある理由を見出せなかったので ︑ 前者瑚珠盟約段の﹃予﹄

て ﹂ 同一人が書いたのではないか︑検討に値する︒ ︑離れ た巻にみられることは に使用する可能性もないではないが ︑

私は別猪﹁神武紀熊野高倉下伝説における第一人称﹃予﹄につい

︵史泉第三五号︶において︑この﹃予﹄の代名詞が︑巻二神代上︑

中 心 と して

一 丘

景行 紀四十年条

の若 干 の語を なければならない︒ が ︑この尾張宮袈媛 の箇所は尾張氏の祖先伝承の臭が強い︒全体と

して景行紀の日本武慈説話には草雉剣︑すなわち尾張年魚市の熱田

神宮に置かれ︵

景 行

十一年八月条︶神体となった剣の話をはじめと

して︑廿七年冬十月条に尾張田子之稲置︒乳近之稲置が日本武慈の

熊襲征伐にしたがった話など︑尾張氏の祖先伝承から出たもしれな

い話が多い︒そうとすると︑神武即位前紀戊午年六月条と景行四十

年条とは ︑ともに尾張氏祖先伝 承から出たことになるわけで ︑共通

の熟語があっても差支えない︒しかし僅かの語例をとらえて ︑そこ

まで論議するのは危険であろう︒ほんの推測にとどめておきたい︒

神武紀の場合 ︑﹁乃接 退不知 .

. . .  

﹂の旬の続きの部分は頭八思烏の

説話で︑頭八胞烏も巻三神武紀のみにしか出ない語であるか︑これ

は二年条によると ︑ その苗裔は葛野主殿県主部だというから

︑ こ

説話が ︑葛野主殿県主部 の祖先伝承から出た疑がないではない︒ま

た︑さらに頭八應烏説話につづいて︑是時大伴氏之遠祖 日臣命が大

来をひきい 云 々の説話があり ︑大伴氏の祖先伝承 が史料とな

っ た

もしれないのである︒それ故に ︑ど の史料から出たとの断定を避け

私は以上の考察において︑離れた巻々の共通な特異語の存在する

場合︑特定の氏族伝承を出典としたのではないか ︑ という考え方で

(5)

右の文章にはいろいろむつかしい熟語がある︒例えば﹁條﹂

国史大系本及岩波古典文学大系本による︶の字は書紀中にこれのみしか

ない︒この字は﹁條﹂の俗字で ︑ すみやか︑たちまち等の意である

が︑これも﹁隆﹂を本字とする︒朝日新聞社本は北野神社本︑熱田

神宮本に拠ってこれを採用している︒これは﹁條﹂の方が本字だけ

︵ 日

本 武

腺 ︶

編者などになるような人であろう︒ の机上の作文の感が強いからである︒学者といえば︑

︵ 今

例えは景行四十年是歳条の﹁標抑﹂をふくむ文章をあげてみよう︒

既而崩

5

一子能褒野謡時年州︒天皇聞之︒寝不込ご席︒食

不泊よ味︒昼夜喉咽泣悲擦据︒因以大歎之曰︒我子小碓王︒昔熊

襲 叛

之 日

︒ 未

油 紅

撼 角

万 盆

竺 征

伐 謡

砂 而

恒 在

ー ー

左 右

一 ︒

補 ー

ー 朕

不 玉

及 祓

蕃 ︿

夷願動︒勿袖炉討者巧少愛以入袖巫境二日之無沃不砿顧︒是以朝夕進

退︒行結埠速日↓何禍今︒何罪分︒不意之間︒條 そ 亡

我 子 一 自 / ^

以 後

︒ 与

ー ー

誰 人

一 之

込 綸鴻業一耶︒即詔二翌卿盗型百寮試臨竺於伊勢国

能 褒 野 陵

すなわち魯紀 傾祖県犬掟連大伴鞍馬一

界是︒軍ー一金綱井乏時︒高市郡大

領高市県主許梅︒僑忽口閑而不知即言也︒ 三 日之後︒方著袖神

以言︒吾者高市社所居︒名事代主神︒又牟狭社所居︒名生霊

神者也︒乃顕之曰︒於ー一神日本磐余彦天皇之陵

1

ー ー

馬 及

種 々

器葎窯幻言︒吾者立

1

一皇御孫命之前後和盆笠奉干不破釜凜逸︒今

且立官軍中而守設之

0 .. 

( 中 略 ︶

. .  

是以便遣

1

許 梅

一 而

拝 ー

ー 祭

陵 苗

合 以

奉 ー

ー 馬

及 兵

器 一

最後の例文を繁をいとわず引用したのは︑この箇条に︑神日本磐

余彦天皇すなわち神武天皇陵のことが出てくるからである︒﹁隆﹂

の字が欽明紀は別として︑巻三の神武紀と巻廿八天武紀に 二

か 所

とくにその最後のものが神武に関係があることは︑看過できないの

で あ

る ︒

い うまでもなく︑壬申の乱は天武天皇の生涯中︑もっとも

重大な事件であり︑巻廿八は︑その記録として独立の一巻を立てて

いる︒その中に神武天皇が天武を守殿するものとして︑まつられた 同 七月壬子条

巻 廿 八 天 武 元 年 六 月 甲 申 条

含む抽象的な文章で︑実用的な文書からとったというよりは ︑ 学者 た語を含む文章全体が︑伝説の内容は別として︑難かしい語を多く 巻十九欽明十四年十月条而燻之際︒聞ーー鼓吹之声苓心昌乃大驚︒ 者中の学者がひねり出した可能性が強いからである︒ 一体にこうし

火 一 脈 忽 之 間 出 ー 一 其 不 芦 竺 則 破 之 必 也

不知其所祓渉 ﹂ というような一般に使用されない語の場合︑醤紀緬

•.•

• •••

神武即位前紀戊午年 十 有一月条取ー一菟田川水 b 釜翌其炭 論法をも放棄してはならないであろう︒特に ﹁ 擦癖 ﹂

と か

﹁ 乃 捩 退 な い

例が少なくても︑

書紀の編者のうちの誰かが使用した語と考える推としても︑書紀の中で︑その使用例は左記のごとく︑

他に四例しか 議論をすすめて来た ︑ しかし ︑ これは危険であって︑ いかに稀語で によいかもしれぬ︒

19

← ヰ 更t

ー ︑‑1

いずれにしても意味は同じことである︒もし傾

一 六

(6)

十年是歳条と天武即位前紀と同語を使用している点が注目される︒

しかし景行四十年条と﹁乃棲追:﹂を共にした神武即位前紀戊午 ことが出て来るのは︑天武が平素から神武を崇敬して祈っていたこ

そして傾が巻三神武紀に出て来ることも偶然ではあるまい︒欽明

紀の用例は別である︒

天武が巻廿八壬印の乱を特に留意して訳紀緬者に緬纂せしめた︑

年条と共通の ように︑巻三の神試紀も特別に留意して網築せしめたことが推測さ れはしまいか︒そして屈行四

十 年是栽条に ︑ 巻三神武即位前紀皮午

﹁乃棲退不知其所祓渉﹂があり︑また︑

﹁ 倫

﹂ があるのである︒ただし

︑ これも余り強謂断定はできない︒

娯行四十年条に﹁経綸澳業﹂の語がある︒虫ぃ紀の中で鴻業の語は

この他に二か所ある︒

巻十三

允恭即位前紀 人 弗

乱 芯 弐 忍 臣 ・

天武即位前紀 とを 賠が

し て い る

夫天下者大器 也 ︒帝位者鴻業也︒目民之

父母

︒ 斯則聖賢之職︒登下忍之任乎︒更遥衰王面翌立突︒森

搭 廿 八

︵ 天 糾

︶ 天 學 劾 東 宮 函 翌 泥 菜

右にみるように ︑ 允恭紀などは典型的に抽象的な机上の 作 文が文

箪であるが ︑ 天武紀のものは簡潔で要を得ている︒ここでも梨行四

年六月条はどうかというと

︑ さきにあげた頭入閉烏条につぎの記事

があり ︑ ﹁基業﹂の語が使用されている︒

︵ 神 武 天

m む

時夜夢

︒天照 大神訓手天皇曰︑朕今逍ーー頭八應烏苓芸空郷避者苗不

日 本 苫 紀 の 用 語 よ り み た 巻 々 の 特 色 に つ い て ニ ・

三 の

考 察

︵ 横

田 ︶ ︵ 倹 ︶

巻五 ︑ 崇神即位前紀

一 七

他に﹁天業 ﹂ および ﹁ 大業﹂の用例を求めると︑天業は 我皇祖天照大神欲

'J

助 ︳

一 成

基 業

一 乎

︒ 是

時 大

伴 氏

之 遠

祖 :

なお﹁基業 ﹂ は書紀中もう一か所ある︒

巻三神武即位前紀戊午年九月戊辰条

香山滅 g

取 ー

ー 其

瓶 土

一 而

可 二

来 旋

一 芙

よませているものの︑

基 業 成 否

︒ 当 以 江 汝 為 正 占

. . 

﹁ 鴻

業 ﹂

﹁ 基業﹂も似た語であるが ︑ 後者は巻 ︱ 二 ︑ それも戊午

年条のみにみえ︑この年の条の筆者の特色なのであろうか︒それと

も︑これは未だ帝位につく前なので︑同じく古訓はアマッ ヒ ッ ギ と

しかし ︑ 巻三神武紀では同義語に大業を用いている︒あるいは ︑

これは天業かもしれない ︒すな わち神武即位前紀甲寅年条に

抑又聞 ー 一於塩土老翁白︒東有

1

美 地

↓ 青

周 ︒

其 中

亦 有

品 乗

ー ー

天 磐

船 ︸

飛降者上︒余謂︒彼地必当る足臼盆竺弘大業泣 心

2

宅天下

L °

蓋六合之中

心乎 ︒蕨 飛降者︒謂是饒速日敗︒ . . 

とある条である︒国史大系本は寛文九年本を底本としており ︑ 底本

は﹁天﹂としているが︑内閣文庫所蔵伊勢本 ︑ 熱田神宮本 ︑ 北野神

社本︑三条家本︑紀略 ︑ 釈紀︑先代旧事本紀︑等によって﹁大﹂と

改めたとしている︒岩波古典文学大系本も﹁大 ﹂ としている︒佐伯

有義博士校訂朝日新聞社本は ﹁ 天﹂としている︒いま ︑ 書紀の中で

天 皇

・ 識性聰敏 : したのであろうか ︒ ﹁基﹂という字で ︑ 即位前であることをしめ

有諏八旭烏百

I

空 翔

降 ︒

天 皇

日 ︒

而 勅 之 曰

︒ 宜 汝 二 人 到

︱ ︱ 天

此 烏

之 来

自 叶

一 澁

姑 手

大 哉

赫 突

(7)

同 同

継体廿四年二月丁未朔条︒

詔 曰

水間城之 ﹁ 帝 業 ﹂ が

あ る

三 例

あ る

茂 ︒

奉 五

麟 天

下 ↓

陛 下

正 統

︒ 業 上

0 恒有函竪綸天業一之心塩四 ︑︑︑︑︑︑︑︑ 巻七︑景行四十年七月条

綸 天

業 示

' 七

絶 ー

一 宗

廟 一

乎 ︒

. .   巻十五︑顕宗元年正月条

与 舌 寮 辞 訣 ゜

是定天悠朕不叡゜ 且国不泣平︒令

F

経 ︱

巻 九 ︑ 神 功 摂 政 元 年 三 月 条 ︑ 然 則 君 王 登 ー 一 天 業 ー 以 安 > 席 高 > 枕 専 制 万

機 ︒

巻十一︑仁徳即位前紀太子菟道稚即子譲ーー位干大鱈鶴慈玉か即

1

ー 帝

位菰 3

諮 :

今 我

也 弟

之 且

文 献

不 レ

足 ︒

何 敢

継 ー

一 嗣

位 森

ぎ 天

業 一

乎 ゜

と以上のように巻十一までで︑第十二巻以後はなく︑比較的書紀

のはじめの方に偏している︒大業の用例は三か所ある︒

巻十四︑雄略廿三年八月丙子条︒天皇疾弥甚゜

遣詔︒:好子孫足和堪負

i

荷大業‑:

大臣︒大連等奏言︒皇太子億計聖徳明

当 玉

ぎ 鴻

緒 一

・ ・

宜 五

奉 ー

ー 兄

命 蓋

ぶ 統

年二月条詔日︒:升ーー纂大業ー︒

このように﹁大業﹂は巻十四︑十五に集中している︒ゆえに︑神

武紀のそれは︑大業よりも天業の方がよいかもしれない︒類似語に

巻十七︑継体元年正月甲子条︒大伴金村大連更薔議曰︒男大迩王

性 慈 仁 孝 順 可 云 承 ー ー 天 緒 ↓ 翼 慇 懃 勧 進 ︒ 紹

1

一隆帝業一物部痙鹿火

大連 ︒ 許勢男人大連等餃日︒妙=簡枝孫賢者証 g 男大迩王也︒

自磐余彦之帝

詔 日

︵ 詳

右にみるように﹁帝業﹂の語は巻十七︑十九に集まり︑大業の巻

十四︑十五より︑さらに後の巻々にあることは注意してよい︒

さらに同義語に﹁洪業﹂があるが︑用例は一例しかない︒

巻廿七︑天智十年十月庚辰条︒天皇疾病弥留︒勅喚二東宮面ぞ人臥

内ー︒詔日︒:於是再拝称>疾固辞不受日︒請奉ー一洪業社よ属大

l o

なおこの天智が重態の時に弟大海人︑天武に皇位を譲ろうとした

箇条として巻廿八の天武即位前紀があり︑既に前に引用したが︑そ

こには﹁鴻業﹂の語が用いられていた︒それが︑ここでは﹁洪業﹂

となっている︒鴻も洪も同音同義である︒同じ史料を用いて書いた

ものであろうが︑巻廿七天智紀と巻廿八天武紀とは︑記述の文章の

スタイル︑用語など異っていて︑編者が別のように思われる︒

細は別に論じたい︶

またほぼ 同義語に聖業

が あ る ︒

巻五︑崇神七年二月条

高︒王風転盛︒:

しかし︑ことではむしろ鴻基の方がアマッヒッギの意味をさきに 広被︒至徳魏魏゜

昔 我

皇 祖

大 啓

ー ー

鴻 基

ー ︒

其 後

聖 業

巻十九︑欽明舟一年四月条詔日︒朕承ーー帝業ーー若干年:登非一徽猷

王薔楓博物之臣︒明哲之佐

1

︒故道臣陳涵誤而神日本以盛︒ :

及ーー乎継体之君ー︒欲も芸中興之功者︒昂常不涵竺賢哲之誤謀︱

乎°・登匪明佐一︒朕丞帝業ー︒諮今廿四年︒天下清泰︒

. .  

一 八

(8)

其長生之

遂 不

涵 空

継 業

また巻廿五孝徳大化二年三月丙午条に﹁国業﹂がある︒

阜太子使征奉語月昔在天皇等棋゜

分離失業。〗藝: 混斎天下面治︒

及涵

Q 干

今 ↓

I J

れは分註であるから︑中大兄皇太子の奏請の原文ではなく︑魯

以上﹁鴻業﹂と﹁基業﹂の比較論から同義語を探り︑横道に入っ

てしまったが︑まとめると景行四十年条の﹁鴻業﹂と神武紀の﹁基

業﹂との相途は魯紀編纂時の巻々の編者の相迎に帰すべきであろう

か︒﹁天業﹂の巻五︑七︑九︑十一︑﹁大業﹂の巻の十四ー十五︑

﹁帝業﹂の巻十七ー十九︑と巻を追うて同義異語を用 いているより

考えさせられる︒しかし﹁鴻業﹂のように巻六︑十三︑廿八と飛ん

ない︒同じ事件を別にしるした場合﹁洪業﹂と﹁鴻業﹂の違いが出

て来るから︑異筆者があったことは︑ほぼ確かであろう︒

景 行 四 十 年 是 歳 条 の

﹁ 王

﹂ 景行紀を読んでいて︑景行

四十年是歳条にいた り ︑文章の調子が それ以前と違うこ とに 気がつく︒それは 日本武尊とそれまでしるし

日 本

碧 紀

の 用

語 よ

り み

た 巻

々 の

特 色

に つ

い て

ニ ・

三 の

考 察

︵ 横

田 ︶

でいる場合もあり︑ 一概に一筆者が一語を用いたとのみはいいきれ 紀編者のものであることは明かであろう︒ 前紀の前文に﹁継業﹂がある︒ なお ︑ アマッヒッギに関して業を用いた語としては前引尤恭即位 あらわしている︒

一 九

ていたのに︑以後﹁王﹂という語で記すようになるからである︒

四十年是歳条に なってからも ︑﹁日本武慈﹂ が 二度しるされ︑そ の次から﹁有椒王之賃︑戸

5 ‑

︳畔本﹂とあり︑王の意味を註してい

る︒それ以下にも︑ ﹁日本武尊﹂の文字は巻七景行紀の巻末まで九

か所あらわれる︒しかし︑﹁王﹂は十八か所にわたって﹁日本武尊﹂

景行紀には四十年是歳条以前に全然﹁王﹂字を使用しないわけで

はない︒景行即位前紀に︑丹波道主王があり︑元年条の﹁大碓皇子﹂

と﹁小碓尊﹂がふたごで生れた箇条に﹁号其二王日ーー大碓小碓也﹂と

しるしている︑また四年条に﹁故当込﹁時一謂ー一諸国之別一者︑即其別

王之苗裔焉﹂とある︒それ以外︑多数の天皇の皇子は全部﹁皇子﹂

ところが四十年条の終の方に﹁我子小碓王﹂とあるのをはじめと

し︑五十一年条に日本武態の王子達が皆王をもってしるされている︒

これは日本武尊が天皇ではないのでその子等を皇子と記し得ない

からであろう︒五十三年条でも小碓王としるされ︑五十五年条でも

彦狭島王が孝霊天皇の皇子であるにもかかわらず︑皇子としるされ

ず︑王とされている︒この王は巻四孝霊紀では彦狭嶋命としるされ

ている︒大体︑垂仁十五年条までは︑皇子皇女はみな﹁命﹂の尊称

をつけてしるされているのである︒垂仁廿三年条に誉津別王︑誉津

別皇子の両方がしるされて︑調子がかわってくる︒その後は﹁命﹂ らわされている︒ ﹁皇女﹂をもって表現され︑若干の皇子や貴族は﹁命﹂をもってあ の代りに用いられている︒

(9)

労を省くような姑息な手段をとったとは考えられない︒やはりこれ

は 以行紀の史料の相迎ではないだ ろ

う か

娯行紀四十年条から蝦夷征伐の記事に入る︒ それまでは 熊製征伐

の記事が主である ︒ この両者は史料が相迅す ると思われる ︒

四 十

条に入ってから冬十月までの是歳条以前は ︑抽 象的な机上作文が大

邪分 である︒したが って純粋の蝦夷東国征 討伝説記事は﹁是歳 ﹂ か

らはじまる︒

それでは史料とは何か︒私は前節で一是歳﹂条の史料の一っに尾 張氏祖先伝承の存在を推定した︒熱田神宮の縁起や伊勢神宮の縁起

のごときものも推測される︒日本武恕の従者には吉備武彦があり ︑

吉備氏の伝承も考え得る

し︑難の妃 に穂稼 氏忍小宿 顧の

女弟橘媛

いるから ︑穂積氏の

祖先伝承も使用されたかも

し れ

ない︒また 日 本 字に変えたのであろうか︒私には態々たる正史の編者が ︑ そうした

﹁ 日

武 淋

の文字が頻出するので ︑ 面倒に なって 簡 平な﹁王 ﹂ の 娯行紀の箪者は ︑ 四十年是栽条 まで肉きすすんだとき ︑ 余りにも れ ︑ むろん 日本武将は ﹁ 日本武柊 ﹂と し るされている︒ 娯行四十年条に入ってからでも︑ 同七月条には大碓五子としるさ ﹁恥子﹂としるされて

い る

こともあるのである ︒ 何故晶子を使用しな いのか ︒ 日本武啓も廿七年条では﹁日本武畠子﹂ 紀は途 中 で﹁王﹂の 呼称 が出現して来る ︑ 原因は何故てあ ろうか ︑ 娯行五十 六 条こ彦狭船王の 子 の御諸別正がみえる

︑ ︱

を附 けられるものもあるが ︑ 貼子がふえてくる ︒

こ うして娯行 武作の 子 孫である犬上君︑武部君等またその名代部である﹁武部﹂

の伝承もあ ろう︒五十 一年条はそれを示している ︒

査 十三条は膳大伴部の伴造で あ る麻橋氏の麻橋氏文︵ 本

o o 月令 筈所

引︶と一致する ︒ゆ えに高橋氏の氏族伝承を史料としていることが

考え

ら れ

る ︒

五十五年 ︑五十六 年条の彦狭粕王 ︑ 御諸 別 王の史料は上毛野君 ︑

下毛野君など毛野氏系の祖先伝承であろう︒

こ れ

ら に

対して︑四十年条以前︑とくに熊製征伐伝説の史料は何

で あ

る か

十二年 条 ︑十八年条等に は西海道風土記の逸文に一致す

るものがあり ︑風土氾 が大きな史料涼となっていることが察せられ

る︒むろん氏族祖先伝承も十二年条に氏族の祖名が出ている諸氏 ︑

多臣 ︑ 国前臣︑物部君 ︑中 臣 氏︑火 国造 ︑十三年条の日向 国造 ︑ 十

八年条では諸県君︑山部阿弾古︑水沼県主廿七年条では尾張田子稲

置︑乳近稲置等々の諸氏が考えられる︒

しかし熊襲征伐も蝦夷征伐も両方とも氏族伝承を史料としたとし

ても﹁皇 子﹂から﹁王﹂に 変 っ た説明はつかない︒

私は前に四十年条から文章の調子が変るといった︒それは

単 に

﹁ 皇

﹂ か ら

﹁ 王

へ 変

化した だけではない︒文章の調 子 が四十年

条から ︑急に抽 象的なむつかしい漢語を多く文章に使用する︒その

炭語の熟語の数例を前節にとり あ げて考えてみたところ︑同じ語や

類語の他の巻に 出て いる例でも ︑ やはり神 武即位前紀戊午年条をは

じ め

︑ 崇神 ︑ 仁徳 ︑ 允恭 ︑ 継体 ︑ 天智 ︑ 天 武紀等何れも即位前紀や 二 0

\ 

` 

_~,. ,.

(10)

それ以外でも詔勅などが多く ︑

該箇所をしるしてみる︒

高皇産霊尊更会五盟竺選出=涵翌於菟原中国一者 "0

経津主神是将佳 也

︒ :

︵ 中

︶ :

武 甕

槌 神

神 独

為 丈

夫 一

而 吾

非 ー

ー 丈

夫 者

︒其辞気煉慨゜

ニに十五か所︑巻︱︱一と巻六に各一か所づつで

あ る

であげないが︑巻三のそれは ︑ 神武即位前紀戊午年六月条の熊野高

倉下伝説の条である︒

・ ・由 y 是皇軍子能如ー復振 一 。時彼処 有~人。号日=熊野高倉下砧心夜夢。

日 本 書 紀 の 用 語 よ り み た 巻 々 の 特 色 に つ い て ニ ・

三 の

考 察

︵ 横

田 ︶

四 巻 三 神 武 即 位 前 紀 戊 午 年 条 と 巻 二 天 孫 降 臨 段 と の 比 較

一々煩わしいの 愈

日 ︒

: ︵

中 略

いかめしい抽象的︑形式的な ︑

む つ

かしい熟語をつらねた文章が多い︒これは蝦夷その他東国征伐の伝

承部分を︑書紀綱纂時代に近いもっとも新しい年代の頃に ︑ ある漠

文に熟達した学者が文を練ったのであろう︒私は四 十年条以 前と以

後とで景行紀編者が異るのではないかという疑をもっている︒

私は本縞の最初の方に︑連続した二巻に同じ熟語があらわれる例

の第四番目に ︑ 巻三神武即位前紀戊午条と天孫降臨段本文にみられ

る﹁大夫﹂の例をあげておいた︑この両者には他にも共通した特異

な用語がいくつかみられる︒少し重複するが ︑ 天孫降臨段本文の当

此 神

進 曰

登唯経津主

故 以

即 配

︱ ︱

経 淫

主 神

金 平

盃 早

原 中

国 ↓

いま惹原中国という言葉をとりあげてみると ︑巻一に六 か所 ︑巻 とある条であって︑ 夫葦原中国猶聞喧援之智焉︒宜汝更往

の字は異るが︑同一神が 出 ていることは注目すべきことである︒

なお巻六のそれは垂仁廿五年 三月 条の割註に一云として引かれた

条にみえる︒これは天照大神と倭姫命に祭らせた祭祀伝承の一説で

神武紀戊午年条と共通で

あり︑巻一や二の装原中国の出て来る条は天照大神の名が語られて

いることが多い︒巻一の 四神出 生段第

十 一 の 一

書 ︑瑞珠 盟約段第 三

の一書 ︑ 宝鏡開始段本文 ︑同段 第 三

の 一

書 ︑

二 か所等がそれである︒

巻二︑天孫降臨段本文には天照大神には六か所茉原中国がしるさ

れているが ︑ 天照大神はあらわれて来ず ︑ 高皇産霊尊が天孫に対す

る最高司令神としてしるされている︒天孫のことが出ているのであ

るから天照大神もしるされねばならぬところだが ︑ 高皇産霊尊が最

高司令神として文章を記 述しているためその蔭にかくされているの

である︒この段の第一の一害では蓑原中国が 三 か所他に葦原千五百

秋之瑞穂国がしるされ︑天照大神が最高司令神とされている︒第二

の 一 書には葦原 中国が三か所しるされ︑天神が経津主神︑武甕槌神

の 二 神を葦原中国の平定に遣すとな

っ て

い て

天神﹂とは誰か明ら

かではない︒しかし後段では高皇産霊態が二神を遣した記述となっ

ている︑さらに後段の天津神籠を薙原中国へ天児屋命と天太玉命に

持たせくだす条には天照大神がみえる︒同段第六の一書では葦原中 あって︑やはり天照大神の出ている点で 葦原中国のみならず ︑ 武甕雷︵槌︶の神のッチ 而征之︒武甕雷神対曰︒雖ー一予不 全 行 天照大神謂武甕雷神白︒

(11)

武甕槌 ︵雷︶神と経津主神は皇室の宝とする剣ないし矛の精神格 困へ天稚彦を降す司令者は翡畠 産 紺浪になっている ︒

菟原中国はほとんどす べ て︑このように天照大神か高星産霊尊の

神話に附して用いられている ︒ 只︱つの例外は巻一宝剣出現段第六

の 一 計で︑大己負命と少彦名神の国造りに関して語られている︒

以上で み ると﹁萩原中国﹂の語は︑大体高天原神話といわれる皇

室祖先神話を造作した所伝に用いられていることがわかる︒故に皇

室の氏族神話 ︑祖先伝 承なのであるが ︑唯一の例外であ る大己貴神

の話に菟原中国が語られている理由はなぜであるか︒

これはこの第六の一書をよめば︑この大己賀神は大 三輪神 であり

この神の子が甘茂君︑大三輪君であり姫踏鞘五十鈴姫命である︒事

代主神が八尋の熊鰐となって三嶋溝織姫に通って生んだ児が姫踏鞘

五十鈴姫命で ︑ これを神日本磐余彦火火 出 見天皇すなわち神武天皇

の后となすなりとある︒事代主神は大己貴神のこととなるわけであ

る︒これによって疑問は氷解する ︑ やはり皇室の氏族神話であると

同時に大 三 輪氏の氏族神話︑祖先伝承として 語 られていたのである ︒

究原中国の出て来る箇所は皇室の氏族伝 承 として根幹をなす部分

であるが︑これに神武即位前紀戊午年条の如く︑熊野高倉下という

尾張氏の祖先︵天孫本紀尾張氏纂記参照︶が出て来るゆえんはなぜか

そこにおそらく︑尾張氏の所伝が皇室神話にある時代に挿入さるべ

きチャンスがあったのである ︒ これを私は天武天皇と尾張大海宿禰

菖蒲との関係から別に推論したことは前述した︒ はなくシナのことである︒他に 本武慈がたてまつった蝦夷が さ わ ぐ

の で

戊午年四月甲辰条 ︒

皇 師

勒 面

兵 歩

趣 ー

ー 竜

田 一

. .  乃遠更欲

" 東

躁 ー

ー 胆

駒 山

1

而入

3

︒時長髄彦聞之日︒ :

同年六 月丁巳条 既 而皇師欲趣

1

一 中 洲 希 匹 山 中 瞼 絶 無 ー ー

可 云 行 之 路 ‑

乃 棲

追 不

> 知

ー ー

其 所

森 詮

竺 ・

己未年三月丁卯条自ーー我東征秘か滋六年︒

. .  

服 ↓

この﹁中洲﹂の語は和文調の長い菟原中国の語を漢文調のキビキ

ビし た文章に入れ難いので ︑ 伝承文の中の装原中国を漢文調に述作

した書紀緬者の新たに造ったものであろう︒

中洲に同義語に中国がある ︒ 娯行五十一年八月条に伊勢神宮 へ 日

スマシメウチック︱︱‑[

﹁ 難 住

ー ー

中 国

︱ ﹂

ある箇所と巻廿五孝徳白雉元年二月戊寅条にあるが︑後者は日本で

他に巻十四雄略七年八月条および同八年二月条に﹁中国﹂がしる

され︑ミカドと訓じているところがある︒これは日本をさすが︑新

羅に相対するものとして使用されていて︑今問題にしているような 洲 ﹂

と 化であろう ︒ そして︑もと物部 氏 が武器を神として石上神宮をはじ

め鹿島 ︑ 香取神社等でいっきまつることと閲係があったろう︒尾張

氏のごとく物部氏と関係深い氏族の伝承に︑物部氏系の伝承が入っ

ていることは自然である︒

莱原中国を論じて来ると注窟されるのは ︑ これと同義語の﹁中

︵ウチックニ︶が巻三神武即位前紀に三か所みえることである︒

而中洲之地無複風

(12)

日 本

書 紀

の 用

語 よ

り み

た 巻

々 の

特 色

に つ

い て

ニ ・

三 の

考 察

︵ 横

田 ︶

巻数

歴 代

上 下 武 化 神 仁 務 哀 功 神 徳 康 略 賢 烈 体 化 明 達 峻 古 明 極 徳 明 智 武 武 統 開 成 庭 安 仁 宜 崇 代 代

〜 蛸 行 中 恭 寧 閑 明 神 神 神 緩 崇 垂 景 仲 神 応 仁 履

允 雄 清 武 継

欽 敏 用 推 舒 皇 孝 斉 天 天 天 持

1 2

3 4

5 6

7 8

9 1

0 1

1 1

2 1

3 1

4 1

5 1

6 1

7 1

8 1

9 2

0 2

1 2

2 2

3 2

4 2

5 2

6 2

7 2

8 2

9 3

0  

感 百

皆云 皆言

皆称 餃日 皆日

3 1  

ー ー 2  ー ー たものが ︑

2  2  ー 2 

次 に

示 す

背にしてたたかおうというところで﹁疲日然﹂とある︒ これはミナイハクとよむが ︑ 巻三神武戊午年 四月 条︑五瀬命が孔舎

術坂で流失にあたり皇師進 み 戦うこと能わなくなった条で︑ 天皇が

日神の子孫として日 に 向

っ て

阻を征うは天道に逆らうから ︑ 日神を

巻二天孫降臨段には実に三か所も用いられている︒これは菟原中

国平定の神として誰を遣すべきか 八 十 諸神を召集 して問 うこと三回 これをみると巻三 ︑十 三 ︑十四︑十七 などのように 同一巻の中で 次に神武紀と天孫降臨段の深い関 係 をしめす語に﹁痰日﹂がある のそれに近いように ︑私 には思えるのである︒ 伝承から出たものか不明であるが ︑ 害紀 中の場所からいえば尾張氏 尾張氏祖先伝承から出たものか ︑ あるいは佐伯部の祖先 する伝承であることは興味深い︒これが伊勢神宮の縁起伝承から 出 景 行五十一年条のみであるが︑

J

れ が

︑ 日本武慈と伊勢神宮に関連 究原中国という意味からは遠い︒故に﹁中国﹂で問題になるのは ︑

2  ー

ー に及ぶ条である︒その結果ついに武甕槌神と経津主神がつかわされ ることになる︒他に巻 二 海宮遊幸段で海神が大 小の魚をあつめ釣鈎

をもと める条にある︒あ

と巻十四雄略十四年四月条巻十七︑継体

元年正月 条 ︑同廿一年 六 月条︑孝 徳白雉 元年 二 月 条であ る︒白 雉 元

年条も ︑ いろいろ 問題の文章に共通の 語があり ︑注目さ

れ る

これらを通じてみると雄略紀の記事などは 一寸他の条と 関係がう

すいようであるが ︑他 は 概 して︑抽 象的形式的かつ荘重な漢文体の

箇所であって ︑ 学者の机上の作文の感が

強 い

ところばかりである︒

﹁念日﹂というむつかしい特殊ないい方を好んで使う雷紀絹者の

手が一人とはいえないが︑少数いたことが考えられる︒

なおミナイハクについては他の語もある︒今 こ れを 一 覧表にして

(13)

二莉類以上の用語が入られるから

︑ こなの第者が固一人で ︑

用語を 統一したとはいえない

これは原史料の文章の迎いによる場合も考

えられる C

この閥題をはじめとして検村す

べ き問題も多いが

本論 文の提出期限となったので

︑ すべて後考にまちたい︒

以上要 するに結論は断定的なものは出さずに

︑ いかに特異少数の

用語が巻々に用いられ︑集中されているが

そうした語を含む文章

︑巻を 異にしていても

︑ いかによく似ているかを示そうとした︒

神武即位前紀戊午年条と娯行四十年是歳条および

最後の天孫降臨 段と神武即位前紀戊午年条の類似のごときかそれである︒

ニ 四

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