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二輪自動車産業における寡占体制形成(7)

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Academic year: 2021

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11)鈴木自工編,前掲書,265頁。 12)海外活動は次のごとくである。 本田技研。59年6月:ロサンゼルスにアメリ カ・ホンダ設立。61年5月:西独逸にヨーロッ パ・ホンダ設立。同8月:台湾へノックダウン 輸出(64年海外生産開始)。62年9月:ベルギー にホンダモーター S.A 設立(63年海外生産開始)。 同12月:スペインのヂィアマント社とノックダ ウン輸出契約締結。 鈴木自工。61年5月:ロンドン駐在員連絡事 務所開設。同8月:台湾へノックダウン輸出(63 年海外生産開始)。62年1月:輸出部新設。同6 月:シンガポール駐在員事務所開設。同10月:U. S.スズキ設立。 ヤマハ。58年9月:ヤマハ・デ・メヒ コ 設 立 (SKD 方式による輸出)。60年6月:ロサンゼル ス市に TIC 設立。67年タイで海外生産開始。68 年10月:アムステルダム市に YMENV 設立。 川崎。66年海外生産開始。 3.中・大型車市場における競争 (1)126∼250cc クラス(軽二輪車) 本田技研が量産メーカーとして足場を固める ことのなるのは「ドリーム SA」(55年5月発売) と「ベンリイ JC56」(55年11月生産開始)によ ってであろう。それに至る過程で,本田は1954 年の不況期に逆境に直面している。すでに記し たように同年春に「ジュノオ号の予想外の問題 発生」「主力製品であるカブ号の売り上げ下降」 「200cc から220cc にパワーアップしたドリーム 号のクレーム」に対処する緊急体制がとられた。 この体制は実施後1ヵ月後には解除されたが, 膨大な設備投資の返済をしなければならない状 態にあって,経営的には不安定であった。1) こ のような中で,生産体制の整備が進められてい る。浜松製作所葵工場の完成(54年4月)と野 口工場と山下工場を閉鎖して葵工場に業務を移 管している。 本田技研は,2ストロークの「ドリーム D 型」はパワーの点で4ストロークより不利であ るので,それを解消しかつ高級感を出すために 4ストロークエンジンを開発することにした。 ここで取り上げる「ドリーム SA」は,次のよ うな発展過程の下に誕生したのである。 原動機付第二種(4ストロークは150cc まで, 2ストロークは100cc まで) 「ドリーム号 E 型」(4サイクル,57×57mm, 146cc,5.5,5ps/5,000rpm,70km/h。51 年10月発売)。2) 「ドリーム D 型」の3.5馬力を E 型5.5馬力にアップしたこととエンジンが静 かなことが受けて,E 型は初めから大量の注文 が来た。当時は浜松製エンジンを板橋工場で車 体に組み付けていた。このやり方では当初予定 した生産台数300台を上回る900台をこなすのが やっとであった。そこで,1953年4月に完成し た白子工場で3E は集中生産されることになる。 軽自動二輪車(54年から軽自動二輪車は2・ 4ストロークとも,250cc までとなる) 2E 型(E 型エンジンのボアを60mm にアッ プした。60×57mm,159cc,6ps/5,000rpm,2 段変速)。 3E 型(159cc,3段 変 速。53年8月 生 産 開 始)。3E は,プレスチャンネルフレームの両 側に5本の細いクロームめっきのモールディン グを配して高級感と走るイメージをシンボライ ズ,大型のツールボックスを持つ完成された外 観を持っていた。ドリームシリーズの中で,こ の3E が最も多く作られてドリームの声価を高 め,本田技研の基礎を築いた。3) 5E 型(65×57mm,189cc,6.2ps/5,000rpm, 80km/h)。 4E 型(70×57mm,219.4cc,8.5ps/5,000 rpm,90km/h。53年12月生産開始)。 6E 型(200cc,53年9月生 産 開 始。こ れ は 5E 型を4E 型と同じ外観にしたもの。6E 型 と4E 型がドリーム E 系の最終モデル)。

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