著者 反田 実樹
雑誌名 同志社大学歴史資料館館報
号 19
ページ 53‑74
発行年 2016‑10‑31
権利 同志社大学歴史資料館
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015517
今出川キャンパス整備に伴う立会調査成果(2009〜2012年度)
反田実樹
A.はじめに
同志社大学では今出川キャンパス整備事業計画に伴う建物の建設を進め、同時にインフラの整備も 行った。建物の建設に伴う発掘調査の成果は報告書に譲り、ここではインフラ整備に伴って実施した 立会調査部分(2009年度〜2012年度)の主要な調査成果を報告する。烏丸通の西側に位置する室町駐 車場は、この整備事業計画の一環として駐輪場に変更する事となり、街灯設置の工事に伴い立会調査 を行った。
B.立会調査地点
今出川キャンパスは、烏丸通と今出川通の交差点の北東部に位置する。京都市上京区相国寺門前町、
御所八幡町、岡松町、新北小路町、玄武町に相当し、主に「相国寺旧境内」として遺跡名が登録され ている。2009年度から2012年度にかけて継続的に立会調査を行った。室町駐車場は、京都市上京区御 所八幡町、築山北半町に相当し、室町キャンパス寒梅館の南側に位置する。この一帯は、室町幕府第 三代将軍足利義満が開いた「室町殿跡(花の御所)」として遺跡名が登録されている。立会調査地点 のトレンチは、図1に白抜きで示した。緊急の立会調査の都合上、調査地点の正確な位置とトレンチ の形状を図化できなかった調査地点は、おおまかな範囲を白丸で示した。
図1 立会調査地点位置図(白抜き部分)
C.調査の概要
以下では、各地点名と調査を行った年月日を記した後で、主要な調査の成果について報告する(地 点番号は図1と対応)。遺物については後述する。
(a)2009年度調査
1地点……2009年12月25日
現地表面(以下、GL と表記)から−0.6ⅿまで掘削を行った。表土下に遺物を含む茶褐色の土層
(厚さ0.4ⅿ程)が堆積していた。その下層で埋管が数本確認できた。この層は二次的に移動した攪乱 層と考えられる。
3地点……2010年3月6日
インフラ不明管の立会調査である。GL−1.2ⅿまで掘削を行った。埋管やハンドホールの埋設によ り、GL−1.2ⅿまで攪乱を受けていた。GL−0.3ⅿ〜−0.4ⅿ程に茶褐色細粒砂(焼土含む)が堆積 していた。遺構面残存部分で江戸時代の陶磁器、瓦片が出土した。その他の部分では、ほとんど遺物 は出土しなかった。
(b)2010年度調査
4地点……2010年8月11日
南北1.0ⅿ×東西1.2ⅿ四方のトレンチを設定し、GL−1.6ⅿまで掘削を行った。GL−1.1ⅿ程で遺 構を検出した。トレンチ南西部から大甕、土器片、多量の瓦片が出土した。
6地点……2010年8月12日
2010年に解体工事が行われた醇厚館から南に2.5ⅿ程の地点に、南北0.6ⅿ×東西1.0ⅿ四方のトレ ンチを設定した。GL−1.6ⅿまで攪乱を受けていた。
(c)2011年度調査
8地点……2011年9月5日
トレンチ北部は GL−1.5ⅿまで掘削を行った。トレンチ中央部では GL−0.7ⅿ〜−1.0ⅿ程に焼土 が堆積し、被熱した近世の瓦が多く出土した。またトレンチ中央部では南北方向にガス管が走り、そ の周辺の攪乱層から土器、陶磁器が多く出土した。
9地点……2011年9月10日
GL−1.5ⅿまで掘削を行った。トレンチの最下層は炭化物を多く含んでいた。トレンチの中央部か ら南部にかけて攪乱を受けており、遺構は検出できなかった。
10地点……2011年8月16日
トレンチ全面が埋管による攪乱を受けており、遺構は検出できなかった。トレンチ北東部の埋管下 の攪乱層より、陶磁器と桟瓦が出土した。江戸時代後期のゴミ穴の可能性がある。
11地点……2012年3月12日
GL−1.7ⅿまで掘削を行った。トレンチ北部は、GL−0.6ⅿ程で埋管による攪乱を受けていた。
GL−0.8ⅿで貝が多量に廃棄された土坑を検出した。トレンチ中央部では GL−1.0ⅿ程で瓦溜りを 確認した。トレンチ中央部の東壁では GL−0.25ⅿ〜−0.4ⅿ程まで10YR3/3暗褐色細粒砂(細礫少
量含む)が堆積し、GL−0.4ⅿ〜−0.5ⅿ程まで10YR3/2黒褐色細粒砂(細礫、焼土少量含む)が堆 積していた。GL−0.5ⅿ〜−0.6ⅿ程で10YR2/3黒褐色細粒砂(中礫、焼土、炭化物少量含む)の土 層を確認し、その直下の GL−0.6ⅿ〜−0.8ⅿ程で10YR3/1黒褐色極細粒砂(細礫、焼土多量に含 む)の土層を確認した。また GL−0.5ⅿ〜−0.8ⅿ程で10YR2/2黒褐色細粒砂(中礫、炭化物少量含 む)の土坑を断面で確認した。GL−0.5ⅿ〜−0.8ⅿ程では2.5Y3/2黒褐色細粒砂(細礫少量含む)
の土層が、前述した土層と土坑により掘削されていた。GL−0.8ⅿ〜−1.0ⅿは、10YR3/3黒褐色細 粒砂(中礫含む)が堆積していた。トレンチ南部では GL−1.7ⅿまで攪乱を受けていた。
12地点……2012年3月14日
トレンチ北部では GL−1.2ⅿ程で土坑を検出した。トレンチ中央部の西壁では、GL−0.3ⅿ〜−
0.75ⅿ程まで10YR3/3暗褐色細粒砂(細礫、中礫少量含む)が堆積し、GL−0.75ⅿ〜−1.0ⅿまで 10YR4/2灰黄褐色極細粒砂(細礫、中礫含む)が堆積していた。トレンチ南部の GL−0.8ⅿ程で焼 土を伴う土坑を検出した。
13地点……2011年8月13日
GL−0.6ⅿ程で漆喰製の水路状遺構を検出した。漆喰を含む土層は、10YR2/2黒褐色極細粒砂
(細礫、焼土少量含む)である。水路の東側の面は固く締まっていた。トレンチ南部で石列を検出し、
少なくとも3つの石が東西方向に並ぶ。トレンチ中央部では0.4ⅿ×0.5ⅿ程の面を持つ石(4㎝×5
㎝の加工痕あり)が1つ出土した。出土遺物は上層と下層に分けて取り上げを行った。
14地点……2012年3月6日
トレンチ北部の北東壁では GL−1.7ⅿまで掘削を行った。GL−0.1ⅿ〜−0.6ⅿ程まで10YR3/3暗 褐色細粒砂(中礫含む)が堆積しており、埋管による攪乱を受けていた。GL−0.6ⅿ〜−1.3ⅿ程ま で10YR3/2黒褐色細粒砂(細礫含む)が堆積しており、GL−1.3ⅿ〜−1.7ⅿで地山の層を確認した。
トレンチ南部では GL−1.0ⅿまで掘削を行った。GL−0.2ⅿ〜−1.0ⅿまで10YR3/2黒褐色細粒砂
(中礫少量含む)が堆積しており、埋管による攪乱を受けていた。
15地点……2011年9月8日
弘風館北端に設定した南北方向に延びるトレンチである。トレンチ中央部の西壁では GL−1.2ⅿ 程まで土層にレンガ片が混じっており、近現代に攪乱を受けていた。GL−1.2ⅿ以下は暗灰褐色シル ト混じりの礫層で、少量の土師器片を含んでいた。トレンチ南部の西壁では GL−0.4ⅿ程まで近現 代に攪乱を受けていた。GL−0.4ⅿ〜−1.6ⅿ程まで一部攪乱を受けているものの、被熱した瓦と炭 を多量に含む層が堆積していた。GL−1.6ⅿ以下で地山と思われる礫層を確認した。
16地点……2011年9月9日
東西方向に延びるトレンチである。GL−2.1ⅿまで掘削を行った。トレンチ東半部は GL−1.7ⅿ 程まで、トレンチ西半部は大部分が攪乱を受けていた。
17地点……2011年8月25日
クラーク記念館の南側に設定したトレンチである。本調査地点において出土した遺物と鋳型検出遺 構については、馬渕一輝2012「2011年度同志社大学今出川キャンパス整備に伴う立会調査⎜鏡鋳型の
出土事例報告⎜」『同志社大学歴史資料館館報』第15号、12〜18頁参照。「現地表面より1.0ⅿ程掘り 下げた地点で長方形の配石土坑が確認され、炭化物の多く混じった灰色土(土坑埋土)の中から鋳型、
坩堝、陶磁器片などが出土した。廃棄土坑と考えられる」(馬渕2012)。GL−1.2ⅿで地山と思われる 黄色の土層に達した。トレンチ南部では GL−0.9ⅿ程で土器片を含む桟瓦の廃棄土坑を検出し、
GL−1.3ⅿで地山と思われる礫層に達した。トレンチ東壁では、GL−0.5ⅿ〜−1.1ⅿ程で焼土層と GL−0.5ⅿ〜−1.2ⅿ程で焼土が混じる層を確認した。
18地点……2012年2月22日
トレンチ北部では GL−0.6ⅿ程で近代のごみ穴と思われる土坑を検出した。この土坑から大きな 火鉢が出土した。相国寺通地点のトレンチ北壁は、GL−0.2ⅿ程までコンクリートで整地され、
GL−0.2ⅿ〜−0.8ⅿ程で10YR3/3暗褐色細粒砂(細礫少量含む)が堆積し、GL−0.6ⅿ〜−0.8ⅿ程 で部分的に10YR4/4褐色極粗粒砂を含んでいた。水が流れていたと思われる褐色極粗粒砂層からは、
しじみなどの貝が出土しており二枚貝は閉じたままのものが大半を占めていた。GL−0.8ⅿ〜−1.0
ⅿ程では10YR4/3にぶい黄褐色中粒砂(細礫少量含む)が堆積し、GL−0.8ⅿ〜−0.9ⅿ程で部分的 に10YR4/2灰黄褐色粗粒砂が堆積していた。
19地点……2012年2月20日
今出川御門から相国寺正門にかけて延びる通りの立会調査である。トレンチ中央部で南北方向に幅 0.65ⅿの石畳を検出した。出土した土器は近世後期に比定される。石畳の石が抜けた場所は下に小石 を詰めて固めていた。御用水の溝の底と思われる。遺構は西側が一部破壊されていた。出土遺物より 幕末から19世紀に廃棄された溝と考えられる。慶応4年(1868)に描かれた絵図「改正京町御絵図細
図2 19地点平面・断面図、前景写真(南から)
①10YR4/3にぶい黄褐色細粒砂(細礫・中礫含む)
②10YR3/2黒褐色細粒砂(細礫・中礫含む)
③10YR4/4褐色細粒砂(細礫少量含む)
④10YR2/3黒褐色中粒砂(中礫含む)
⑤10YR3/3暗褐色極細粒砂(中礫少量含む)
⑥10YR3/2黒褐色中粒砂(細礫少量含む)
⑦10YR4/2灰黄褐色細粒砂(細礫少量含む)
⑧10YR4/3にぶい黄褐色シルト(中礫少量含む)
見大成」の年代とも矛盾しない。絵図については、同志社大学歴史資料館2010『相国寺旧境内発掘調 査報告書⎜今出川キャンパス整備に伴う発掘調査第1次〜第3次⎜』13頁参照。
20地点……2012年2月17日
トレンチ北部(ハンドホール部)の東壁では GL−1.0ⅿ程まで攪乱を受け、GL−1.0ⅿ〜−1.1ⅿ 程まで暗褐色の遺物包含層が堆積し、GL−1.1ⅿ以下では明黄褐色の遺物包含層を確認した。トレン チ南部の東壁では GL−0.8ⅿまで攪乱を受け、その下に黄褐色の層を確認した。
22地点……2012年3月16日
トレンチ中央部では、GL−0.3ⅿ〜−0.6ⅿで南北約4ⅿにわたって焼土を含む土坑を検出した。
23地点……2011年4月6日
GL−1.5ⅿまで掘削を行った。トレンチ北部と南部は攪乱を受けていた。トレンチ中央部で東西方 向に畦を残し断面を観察したところ、GL−0.35ⅿ〜−0.6ⅿ程では10YR2/3黒褐色細粒砂(細礫、
中礫少量、炭化物含む)が堆積していた。GL−0.6ⅿ〜−1.0ⅿ程にある遺構の上面で1.0ⅿ×1.3ⅿ 程の円形土坑を検出した。土坑には数種類の貝が含まれていた。土坑の断面には、GL−0.6ⅿ〜−
0.75ⅿ程で部分的に10YR3/3暗褐色極粗粒砂(中礫含む)が含まれていた。GL−0.6ⅿ〜−0.95ⅿ 程に堆積していた10YR3/2黒褐色極細粒砂(細礫、中礫含む)と GL−0.95ⅿ〜−1.15ⅿ程に堆積し ていた10YR2/2黒褐色細粒砂(細礫、炭化物少量含む)の上層は、土坑によって掘削されていた。
GL−1.15ⅿ〜−1.5ⅿまで10YR3/4暗褐色極細粒砂(細礫少量含む)が堆積し、GL−1.3ⅿ〜−1.5
ⅿ程では部分的に2.5Y3/2黒褐色中粒砂(細礫多量に含む)が堆積していた。
24地点……2011年5月24日
GL−0.5ⅿまで暗灰褐色礫混じりシルトが堆積し、現代の攪乱を受けていた。
25地点……2011年4月27日
GL−1.0ⅿまで掘削を行った。大部分が攪乱を受けていた。GL−0.1ⅿ〜−0.4ⅿ程で10YR4/2灰 黄褐色細粒砂(細礫少量含む)が堆積し、GL−0.4ⅿ〜−0.6ⅿ程で10YR3/2黒褐色極細粒砂(中礫 少量含む)が堆積し、GL−0.6ⅿ〜−1.0ⅿ程で10YR3/3暗褐色細粒砂(中礫含む)が堆積していた。
26地点……2011年4月27日
GL−1.0ⅿまで掘削を行った。7つの石を検出したが、遺構の輪郭は確認できなかった。石は不規 則に並び、6つの石は長軸0.2ⅿ以下で、残りの1つは0.2ⅿ×0.4ⅿを測る。トレンチ西壁では、
GL−0.15ⅿ〜−0.45ⅿ程で10YR3/1黒褐色極細粒砂(中礫、炭化物含む)が堆積していた。GL−
0.45ⅿ〜−0.6ⅿ程で7.5YR3/3暗褐色極細粒砂(中礫含む)が堆積していた。その一部は掘削され た後、GL−0.45ⅿ程まで7.5YR3/3暗褐色極細粒砂(中礫含む)が堆積していた。GL−0.6ⅿ〜−
1.0ⅿ程で7.5YR3/1黒褐色極細粒砂(細礫、中礫含む)が堆積していた。その一部は掘削された後、
GL−0.6ⅿ〜−0.9ⅿ程で7.5YR4/3褐色細粒砂(中礫、炭化物含む)が堆積していた。GL−1.0ⅿ程 で10YR5/3にぶい黄褐色極細粒砂(炭化物含む)が堆積していた。
27地点……2011年4月28日
GL−1.0ⅿまで掘削を行った。GL−0.2ⅿ〜−0.45ⅿ程で10YR3/3暗褐色粗粒砂混じりシルトが堆
積していた。GL−0.45ⅿ〜−0.55ⅿ程で10YR3/3暗褐色シルトが堆積し、層の上面に漆喰片を含ん でいた。GL−0.6ⅿ以下では、10YR3/4暗褐色中粒砂混じりシルトが堆積し、層の上面に瓦片を含 んでいた。
28地点……2011年4月27日
GL−1.0ⅿまで掘削を行った。トレンチ南東隅の GL−0.4ⅿ程で井戸の遺構上面を検出した。
GL−0.2ⅿ〜−0.55ⅿ程で2.5YR3/2黒褐色中粒砂(細礫含む)が堆積していた。この層を掘削する 形で、GL−0.2ⅿ〜−0.4ⅿ程で10YR2/3黒褐色極細粒砂(細礫少量、炭化物含む)が堆積していた。
GL−0.2ⅿ〜−0.3ⅿ程で部分的に焼土層を確認した。GL−0.55ⅿ〜−0.75ⅿ程で10YR3/3暗褐色極 細粒砂(細礫少量含む)、GL−0.75ⅿ〜−1.0ⅿで10YR2/2黒褐色極細粒砂(細礫少量、炭化物含 む)が堆積していた。これらの層を掘削する形で、10YR3/4暗褐色細粒砂(細礫多量に含む)が堆 積していた。GL−1.0ⅿで焼土面を検出した。本調査地点では2層の焼土層が確認できた。
29地点……2011年4月28日
GL−0.2ⅿ〜−0.6ⅿ程で7.5YR4/3褐色礫混じりシルトが堆積し、GL−0.6ⅿ〜−1.0ⅿ程で7.5 YR4/3褐色中粒砂混じりシルトが堆積していた。これらの層を掘削して、7.5YR4/3褐色細粒砂(中 礫、炭化物含む)が堆積していた。中世の土器片を含む。
(d)2012年度調査
30地点……2013年2月7日
トレンチ北部から中央部にかけて GL−0.4ⅿ程まで掘削を行った。遺構は検出されなかったが遺 物の包含層を確認した。トレンチ南部は GL−1.5ⅿ程まで掘削を行った。トレンチ南東部では GL−
1.0ⅿ程で瓦が集積し、トレンチ南西部では GL−0.5ⅿ程でレンガが集積していた。
32地点……2013年2月6日
2011年度に立会調査を行った旧厚生館地点(図1の22地点)の南側で立会調査を行った。GL−1.0
ⅿ程で石室と思われる長方形の石組を検出した。遺構検出面は、暗褐色細粒砂(細礫含む)の層であ る。石組は、西辺を除く3辺がトレンチ内で検出され、トレンチ内で確認できる規模は南北1.0ⅿ×
東西1.2ⅿであった。
D.出土遺物
地点番号はC.調査の概要と同じく、図1と対応する。
(a)2009年度調査
1地点 1は染付磁器碗である。肥前(有田)。外面に麻葉文と菊花文を描く。菊花文は5弁だけ残 存する。禁裏御用品。18世紀後半。2は染付磁器碗である。肥前。外面に若杉文と丁子文を描く。18 世紀後半。3は染付磁器碗である。肥前系。外面に文様あり。18世紀後半。4は染付磁器碗である。
肥前系。外面は丸文の中に山水文を描き、周りを四方襷文で埋めている。見込みに水・岩・東屋・樹 木文を描く。焼継あり。1820〜1860年代。5は染付磁器小広東形碗である。肥前系。外面と見込みに 寿字文を描く。1780〜1810年代。6は染付磁器小碗である。瀬戸・美濃系。外面に葵文を描く。文様
を線彫りで表現し、その上に呉須を塗って透明釉を掛ける。見込みに文様あり。幕末。7は染付磁器 筒型碗である。肥前系。外面に七宝繫ぎ・折松葉文、内面に四方襷文を描く。1780〜1810年代。8は 染付磁器望料形碗である。肥前系。外面に波・蓮弁文、見込みに手描きで五弁花文を描く。18世紀第 4四半期〜19世紀初め。9は染付磁器広東形碗である。肥前系。外面に文様あり。見込みに火焔宝珠 文を描く。1780〜19世紀第1四半期。10は磁器染付鉢である。肥前。外面に蛸唐草・蓮弁文、見込み に環状松竹梅文を描く。18世紀第4四半期〜19世紀初め。11は染付磁器朝顔形猪口である。肥前。外 面に文様を描く。高台内に銘あり(「大明年製」か)。1690〜18世紀前半。12は染付磁器蓋である。肥 前。外面に草文を描く。18世紀後半。13は色絵磁器香炉。肥前(有田)。赤色と紫色を使用。外面に 菊花文(推定11〜12弁)を描く。欠損しているが獣足形の三足付と考えられる。底部内面は熔着を防 ぐため砂を塗っている。18世紀。14は染付磁器小皿である。肥前(有田)。外面は花の部分が如意頭 の唐草文、内面に葡萄文などを描く。口縁部に口銹。高台内に「大明年□」(欠損しているがおそら く「製」)の銘あり。18世紀第4四半期〜19世紀初め。15は磁器染付手塩皿である。肥前系。内面に 唐草文を描く。18世紀第4四半期〜19世紀初め。16は染付磁器手塩皿である。肥前(有田)。内面に 墨弾きで雷文、見込みに山水文を描く。型打ち成形で作る。焼継あり。19世紀前半。17は陶胎染付磁 器皿である。肥前系。見込みに蛇の目釉剥ぎを施す。18世紀後半〜19世紀初め。18は陶器小杯である。
京・信楽系。18世紀後半。19は陶器碗である。肥前。内面は全面に鉄釉を掛けている。17世紀第2・
3四半期。20は陶器碗である。京・信楽系。内面に鉄分が付着する。21は陶器急須の蓋である。白泥 を刷毛塗りする。摘みは亀形に成形する。裏面に糸切痕が残る。22は陶器盤である。瀬戸・美濃であ る。底部に泥漿、内面に白色の釉薬を掛けた後、外面は胴部から口縁部にかけて、内面は部分的に緑 色釉を掛け流す。三足付と思われる。23は泥面子である。三つ銀杏文を押す。24は板塀瓦である。側 面に「与」の刻印あり。
2地点 25は染付磁器望料形碗の蓋である。肥前。29の碗と対になる蓋である。外面は丸文の中に 青海波、流水、花、蓮弁文、内面に四方襷文を描く。蓋裏に文様あり。焼継あり。18世紀第4四半期。
26は染付磁器望料形碗の蓋である。肥前。外面に鶴文など、内面に四方襷文、蓋裏に飛雲文を描く。
18世紀第4四半期。27は青磁染付碗の蓋である。肥前。外面のみ青磁で、内面に四方襷文、蓋裏に五 弁花文を描く。18世紀後半。28は染付磁器合子の蓋である。肥前。外面に草花・蝶文を描く。18世紀 第4四半期。29は染付磁器望料形碗である。肥前。外面は丸文の中に青海波、流水、花、蓮弁文、内 面に四方襷文を描く。見込みに文様あり。18世紀第4四半期。30は染付磁器筒型碗である。肥前。外 面に雪輪散らし、雨龍もしくは唐草文、内面に四方襷文を描く。見込みにコンニャク印判で五弁花文 を施す。1780〜1810年代。31は染付磁器筒型碗である。肥前。30と同じ意匠である。外面に雪輪散ら し、雨龍もしくは唐草文、内面に四方襷文を描く。見込みにコンニャク印判で五弁花文を施す。
1780〜1810年代。32は染付磁器筒型碗である。肥前。外面にコンニャク印判で羽子突きの羽子を描く。
見込みにコンニャク印判で五弁花を施す。1780〜1810年代。33は染付磁器筒型碗である。肥前系。外 面は氷裂文の中に菊花文、内面に四方襷文、見込みに手描きで五弁花文を描く。1780〜1810年代。34 は染付磁器広東形碗である。肥前系。外面に雲・岩・草花文を描く。見込みに文様あり。1780〜19世
紀前半。35は青磁小瓶である。肥前。底部は露胎する。被熱あり。17世紀中葉〜末。36は軒桟瓦であ る。近世。
3地点 37は染付磁器小丸碗である。肥前系。外面に矢羽根文を描く。見込みに「寿」の字を書く。
1780〜1810年代。38は染付磁器広東碗である。肥前系。外面に文様あり。崩れているが、見込みに
「寿」の字を書く。1780〜19世紀前半。39は染付磁器碗である。肥前。見込みに蛇の目釉剥ぎを施す。
18世紀第2・3四半期。40は擂鉢である。丹波。外面体部下半に指圧痕が残る。17世紀。
(b)2010年度調査
4地点 41は土師器皿である。内面は「の」の字状にナデを施す。口縁部外面にヨコナデ。口縁部 に煤が付着する。色調はにぶい橙色(7.5YR7/4)、口径は7.6㎝、器高は1.4㎝を測る。42は土師器 皿である。体部内面から口縁部外面にかけてヨコナデ。色調は灰白色(10YR8/2)、口径は11.0㎝
(復元)、器高は1.9㎝を測る。43は土師器皿である。体部内面から口縁部外面にかけてヨコナデ。色 調はにぶい橙色(7.5YR7/4)、口径は11.8㎝(復元)、器高は1.8㎝を測る。44は染付磁器碗である。
肥前(有田)。外面に亀甲繫ぎ・鶴・松文を描く。焼継あり。18世紀末〜19世紀前半。45は染付磁器 蓋物の鉢である。肥前(有田)。外面は花菱繫ぎ、丸文散らしで中に梅・萩・菖蒲などを描く。焼継 あり。18世紀末〜19世紀前半。46は呉須絵陶器小碗である。瀬戸・美濃。外面に菊花・斜め格子文、
見込みに花文を描く。18世紀末〜19世紀初め。47は染付磁器皿である。肥前(波佐見系)。外面に唐 草文、内面に草花・雪輪文を描く。見込みにコンニャク印判で五弁花を施す。高台内に渦福を書く。
被熱あり。18世紀後半。48は染付磁器皿である。肥前系。外面に唐草文、内面に竹文、見込みに花文 を描く。蛇の目凹型高台を持つ。焼継あり。18世紀末〜19世紀前半。49は陶器皿である。瀬戸・美濃。
50は土瓶のミニチュアである。三足あり。京・信楽系。外面は口縁部から胴部下部にかけて全面に白 化粧、一部に緑色釉を施す。二つの持ち手は穿孔されている。注ぎ口は欠損している。51は窯道具の サヤである。信楽。胎土に長石を含む。底部に穿孔があり、植木鉢に転用したと考えられる。52は軒 桟瓦である。中心飾は三葉文に珠点を配する。近世。53は軒桟瓦である。中心飾は扇の中心に菊花を 配する。近世。54は陶器甕である。植木鉢もしくは便槽として使用されたか。内面に少し付着物あり。
外面に牡丹唐草文を施す。55は土製玩具類である。モチーフは不明。型合わせで成形する。全面に褐 色釉を施す。56は土製玩具類の蓋である。型作りで15弁の花文の装飾を施す。上半部のみ透明釉を施 す。57は土人形の扇持ち人物である。型合わせで成形する。58は泥面子である。鶴の丸文を押す。59 は泥面子である。丸に蔦文を押す。60は泥面子である。丸の中に「ユ」字を押す。
5地点 61は土師器皿である。内面はナデ、外面には多数の指圧痕が残る。内外面に煤が付着する。
色調は明黄褐色(10YR7/6)、口径は5.4㎝、器高は1.4㎝を測る。62は土師器皿である。内面はナデ、
外面に指圧痕が残る。色調はにぶい橙(7.5YR7/4)、口径は5.5㎝、器高は1.3㎝を測る。63は土師 器皿である。体部内面から口縁部外面にかけてヨコナデ。底部内面に一方向ナデ。内面に煤が付着す る。色調はにぶい橙(7.5YR7/4)、口径は10.2㎝、器高は2.0㎝を測る。64は土師器皿である。体部 内面から口縁部外面にかけてヨコナデ。底部内面は不定方向ナデ。口縁部に煤が付着する。色調はに ぶい橙(7.5YR7/4)、口径は12.8㎝、器高は2.0㎝を測る。65は染付磁器碗である。肥前。コンニャ
ク印判で外面に松文と菊文を交互に施す。18世紀前半。66は染付磁器小鉢である。肥前系。八角形を 呈している。外面は区画した中に牡丹と菖蒲を交互に配し、内面に梅文と墨弾きで鶯文、見込みに山 水文を描く。焼継あり。19世紀初め〜幕末。67は陶器碗である。京・信楽系。内外面に飛翔する鷺を 描く。68は陶器大皿である。肥前。直線と波線が1本ずつ交互に入る三島手である。見込みと高台部 に砂胎土目の痕跡が残る。17世紀第4四半期〜18世紀初め。69は土製玩具類の紅皿のミニチュアであ る。内面全体と外面の一部に緑色釉を施す。型押しで成形する。70は土人形の頭部である。恵比寿を 象ったものか。型合わせで成形する。71は土製玩具類の五鈷杵である。外面に漆喰が付着する。型合 わせで成形する。72は土人形である。鳩を象ったものか。手捏ねで成形する。
6地点 73は染付磁器広東形碗の蓋である。肥前。外面に竹・雪輪文、見込みに宝珠文を描く。
1780〜1810年代。74は青磁染付磁器碗である。肥前。見込みに手描きで五弁花文を描く。高台内の二 重方形枠内に描き込まれた銘は、窯場名の「筒江」である。筒江は武雄領の窯場で山内町の筒江山を 指す(大橋康二1989『肥前陶磁』ニュー・サイエンス社、79〜80頁参照)。山内町は2006年に合併し、
佐賀県武雄市山内町となった。18世紀後半。
7地点 75は土師器皿である。体部内面から口縁部外面にかけてヨコナデ。底部内面は不定方向ナ デ。色調は灰白色(10YR8/2)、口径は12.5㎝、器高は2.0㎝を測る。76は染付磁器筒型碗である。
肥前。外面に屋敷・水仙文を描く。18世紀後半。77は染付磁器広東形碗である。肥前系。外面に牡丹 文を描く。1780〜19世紀前半。78は陶器端反形碗である。京・信楽系。口縁部に緑色釉を掛ける。高 台内に墨書で「岩」と記す。19世紀前半。
(c)2011年度調査
8地点 79は土師器皿である。体部内面から口縁部外面にかけてヨコナデ。内面は「の」の字状に ナデを施す。色調は浅黄橙色(7.5YR8/3〜8/4)、口径は6.8㎝、器高は1.4㎝を測る。80は土師器皿 である。体部内面から口縁部外面にかけてヨコナデ。底部内面に一方向ナデ。色調は灰白色(7.5 YR8/2)〜浅黄橙色(7.5YR8/3〜8/4)、口径は9.8㎝、器高は1.7㎝を測る。81は土師器皿である。
体部内面から口縁部外面にかけてヨコナデ。底部内面に一方向ナデ。色調は橙色(7.5YR7/6)、口 径は12.4㎝(復元)、器高は2.1㎝を測る。82は染付磁器碗である。肥前。外面に八つ橋文を描き、周 りを草花文で埋めている。高台内に「大明年製」の銘あり。18世紀前半〜中葉。83は染付磁器筒型碗 である。肥前系。外面は雨龍・宝文を描く。見込みにコンニャク印判で五弁花文を施す。1780〜1810 年代。84は染付磁器皿である。肥前。外面に文様あり。内面に雪輪文などを描く。見込みにコンニャ ク印判で五弁花文を施す。高台内にハリ支えの痕跡が残る。1690〜18世紀前半。85は青磁鉢である。
肥前。見込みに印章あり。1630〜1640年代。86は陶器溝縁皿である。肥前。外面体部から内面にかけ て施釉。畳付に糸切痕が残る。87は瓦質製品である。硯か。88は軒丸瓦である。右巻き三つ巴文で1 本の圏線を持ち、11の珠文が残存する。瓦当面に離れ砂付着。凹面には布目と吊り紐痕が残る。中世。
9地点 89は土師器皿である。体部内面から口縁部外面にかけてヨコナデ。底部内面に一方向ナデ。
色調は灰白色(10YR8/1〜8/2)〜浅黄橙色(10YR8/3)を呈す。口径は10.8㎝(復元)、器高は1.9
㎝を測る。
10地点 90は染付磁器碗である。肥前。外面に竹垣・草花文を描く。高台内に渦福を書く。18世紀 第2・3四半期。
11地点 91は色絵磁器掛花生である。肥前(有田)。外面に藤花を描く。被熱あり。18世紀中頃。
12地点 92は土師器皿である。体部内面から口縁部外面にかけてヨコナデ。底部内面に一方向ナデ。
口縁部に煤が付着する。色調は橙色(7.5YR7/6)、口径は10.4㎝(復元)、器高は1.6㎝を測る。93 は染付磁器である。火入れか。外面に竹・東屋・山水文を描く。94は陶器四耳壺である。信楽。いわ ゆる腰白茶壺である。外面上部に明黄褐色(10YR6/6)〜褐色(10YR4/4)の鉄釉を施し、その上 からオリーブ黄色(5Y6/4)〜オリーブ色(5Y5/4)の釉を部分的に垂らす。体部から底部にかけて 透明釉を掛ける。95は瓦器鉢である。下半部は回転ナデ後、暗文を施す。底部に糸切痕が残る。96は 染付磁器碗である。肥前(有田)。外面に蛸唐草・蓮弁文、内面に四方襷文を描く。被熱あり。18世 紀第4四半期。97は陶器四耳壺である。信楽。肩部の一部のみ残存している。内外面上部に黒色
(N1.5/)の釉薬を垂らしている。胎土は、にぶい黄橙色(10YR7/2)色を呈する。
13地点 98は染付磁器碗である。肥前。外面に草花文を描く。高台内に崩れた「大明年製」の銘あ り。18世紀第2・3四半期。99は軒丸瓦である。左巻きの三つ巴文で圏線が1本あり、巴文の尾が接 する。珠文が4つ残存する。中世末期。100は青磁皿である。肥前(波佐見)。見込みに蛇の目釉剥ぎ を施す。17世紀後半。
14地点 101は染付磁器望料形碗である。肥前。外面は窓絵の中に山水文、牡丹・波頭文、内面に 四方襷文、見込みに草花文を描く。18世紀後半。102は軒丸瓦である。右巻きの三つ巴文で、7つの 殊文が残存する。瓦当面にキラコ付着。近世。
15地点 103は土製玩具類の皿である。内面全体に透明釉を施し、緑色釉で3か所に丸い文様を描 く。
16地点 104は染付磁器端反形碗である。肥前系。外面に捻りの区画を描く。内面と見込みに文様 あり。1820〜1860年代。105は染付磁器水滴である。肥前。側面に宝文、上面に山水文を描く。型押 し成形。18世紀末〜幕末。
17地点 106は染付磁器碗である。肥前(波佐見系)。外面に二重網目文を描く。18世紀後半。107 は染付磁器碗である。肥前(波佐見系)。外面に梅・雪輪文を描く。高台内は崩れた「大明年製」の 銘か。18世紀後半。108は染付磁器蓋物の鉢である。肥前。外面に水仙文を描く。18世紀後半。109は 染付磁器碗の蓋である。肥前(有田)。外面に蔓草・渦文、内面に卍繫ぎ、見込みに梅の折枝文を描 く。18世紀中葉〜後半。110は染付磁器皿である。肥前(有田)。外面に梅花唐草文、内面に松葉文と 16弁の仙洞菊文を描く。被熱あり。禁裏御用品。18世紀第4四半期。111は染付磁器皿である。肥前
(有田)。外面に梅花唐草文、内面に菱繫ぎと16弁の仙洞菊文を描く。被熱あり。禁裏御用品。体部内 面に溶着痕あり。18世紀第4四半期。112は染付磁器手塩皿である。肥前(有田)。見込みに葦文を描 く。糸切り細工で作る。17世紀後半。113は青磁である。三田。内面に唐草文を施す。19世紀。114は 青磁小香炉である。肥前(有田)。体部に3条の竹節状の突帯を有す。三足付と思われる。釉は明緑 灰色(10GY7/1)で、胎土は灰黄色(2.5Y7/2)である。17世紀中葉。115は土製玩具類である。モ
チーフは不明。透明釉を施し、部分的に緑色釉を掛ける。116は染付磁器小広東形碗である。肥前。
外面と見込みに寿字文を描く。1780〜1810年代。
117は染付磁器望料形碗の蓋である。肥前。外面に瓢箪文。体部に四方襷文、見込みに山水文を描く。
18世紀第4四半期。118は鋳造関連の甑炉である。屛風のみ残存する。119は土師器皿である。体部内 面から口縁部外面にかけてヨコナデ。底部内面に一方向ナデ、墨書で「様」「寺」などが残る。外面 底部にも墨書で「福」などが残る。色調は浅黄橙色(7.5YR8/3〜8/4)、口径は11.5㎝、器高は1.6
㎝を測る。
18地点 120は染付磁器碗である。肥前。外面に若松・渦文を描く。18世紀後半。121は染付磁器碗 である。肥前。外面に松・竹・雪輪文を描く。高台内に渦福を書く。18世紀第2・3四半期。122は 染付磁器猪口。肥前。口縁部は輪花状に成形する。外面に葦雁文、見込みに環状松竹梅文を描く。18 世紀後半。123は泥面子である。蛇を象っている。
19地点 124は染付磁器小碗である。瀬戸・美濃系。外面に文様あり。見込みに千鳥文を描く。口 縁部に口銹。幕末。125は灯火具である。穿孔部付近に煤が付着する。126は軒桟瓦である。桟部が残 存し、左巻きの三つ巴文を有する。近世。
20地点 127は染付磁器碗である。肥前。外面に竹・松文を描く。18世紀第4四半期。128は一石五 輪塔である。空輪と風輪は欠損。火輪・水輪にはそれぞれ「火」「水」の梵字が入り、地輪には「地」
の梵字と「寛永廿一年 明胤俊公首座 二月廿四日」の文字を刻む。
21地点 129は土師器皿である。内面は回しナデを施し、圏線は見られない。底部内面に一方向ナ デ。内外面に煤が付着する。色調は橙色(7.5YR7/6)、口径は9.4㎝(復元)、器高は2.1㎝を測る。
130は青磁皿である。肥前。見込みに蛇の目釉剥ぎを施す。17世紀後半。
22地点 131は隅切軒平瓦である。中心飾に五葉文、左右に唐草文を配する。焼土土坑より出土し、
被熱している。中世末期から近世初頭。132は軒平瓦である。複線唐草文を有する。焼土土坑より出 土し、被熱している。中世末期から近世初頭。133は軒平瓦である。中心飾は支葉が内側に向き合う 形で、左右に唐草文を配する。焼土土坑より出土し、被熱している。中世末期から近世初頭。134は 軒丸瓦である。左巻き三つ巴文と13の珠文を有する。被熱あり。近世。135は瓦質不明品。器種不明。
23地点 136は土師器皿である。内面は回しナデを施し、右方向になで上げている。色調は橙色
(7.5YR6/6)、口径は8.3㎝(復元)、器高は1.3㎝を測る。137は土師器皿である。体部内面から口縁 部外面にかけてヨコナデ。底部内面に一方向ナデ。色調は橙色(7.5YR7/6)〜灰白色(10YR8/2)、
口径は11.7㎝、器高は1.9㎝を測る。138は土師器皿である。体部内面から口縁部外面にかけてヨコナ デ。底部内面に一方向ナデ。色調は橙色(7.5YR6/6)、口径は12.7㎝、器高は2.0㎝を測る。139は 色絵陶器碗である。京・信楽系。外面に菊花文を描く。18世紀。140は陶器碗である。京・信楽系。
外面の口縁付近に鉄絵を描く。18世紀。141は染付磁器碗である。肥前。外面に松竹梅文を描く。18 世紀前半。
24地点 142は鳥衾瓦である。右巻き三つ巴文で、12の珠文を有する。瓦当面にキラコ付着。近世。
143は菊丸瓦である。16の花弁を有する。近世。
25地点 144は軒桟瓦である。唐草文を有する。近世。
26地点 145は軒桟瓦である。くびれを持つ唐草文を有する。近世。
27地点 146は軒桟瓦である。中心飾は三葉文に珠文を配したもので、左右に唐草文を有する。瓦 当面にキラコ付着。被熱あり。近世。
28地点 147は土師器皿である。体部内面から口縁部外面にかけてヨコナデ。底部内面に一方向ナ デ。口縁部に煤が付着する。色調は橙色(7.5YR7/6)、口径は11.9㎝、器高は2.0㎝を測る。
29地点 148は染付磁器広東碗である。肥前。18世紀後半から19世紀前半。149 は染付磁器皿であ る。肥前。外面に唐草文、内面に草花を描く。見込みにコンニャク印判で五弁花文を施す。高台内に 文様あり。畳付に砂付着。
(d)2012年度調査
30地点 150は陶器である。水滴か。三つ巴文を描いた太鼓を持つ人物を象っている。
31地点 151は土師器皿である。内面は回しナデを施し、右方向になで上げる。色調は浅黄橙色
(10YR8/3)、口径は9.8㎝、器高は1.9㎝を測る。152は染付磁器蓋物の小鉢である。肥前。外面に帆 掛け船・桜・流水文を描く。18世紀中葉〜末。
32地点 153は軒丸瓦である。1本の圏線を持つが、文様は不明。瓦当面に離れ砂付着。中世。
33地点 154は土師器皿である。内面は回しナデを施す。色調は浅黄橙色(10YR8/4)、口径は8.8
㎝、器高は1.7㎝を測る。155は染付磁器鉢である。肥前系。外面は型紙摺りで牡丹・唐獅子・蓮弁文 を描く。明治〜大正。156は染付磁器小碗である。瀬戸・美濃。外面に文様あり。見込みに千鳥文を 描く。口縁部に口銹。幕末頃。157は染付磁器端反形碗である。肥前系(砥部か)。外面は花散らしに 圏線文、内面に圏線文を描く。1820〜1860年代。158は陶器小杯である。京・信楽系。外面に鉄釉で 鳥を描く。高台内は反時計回りの削り痕が残り、墨書で「力」を書く。
その他
159は陶器油壺である。薩摩(龍門司系)。相国寺旧境内第5次調査で出土した。出土地不明。18世 紀〜幕末。
【主要参考文献】
明石市立文化博物館2005『明石焼と兵庫のやきもの―古窯から現代陶工までの名品展―』
愛媛県歴史文化博物館2008『掘り出されたえひめの江戸時代―くらし百花繚乱―』
大成可乃2011「東京大学構内遺跡出土陶磁器・土器の分類(2)」『東京大学構内遺跡調査研究年報』7、
223〜313頁
大橋康二1989『肥前陶磁』ニュー・サイエンス社 大橋康二1994『古伊万里の文様』理工学社
大橋康二2004「将軍家献上以外の特別な意味をもつ肥前磁器二題―禁裏御用陶器と梅干用壺―」『研究紀要』
第3号、佐賀県立九州陶磁文化館、1〜62頁 大橋康二監修・執筆2011『そば猪口図鑑』青幻舎 神崎勝2006『冶金考古学概論』雄山閣
九州近世陶磁学会2000『九州陶磁の編年―九州近世陶磁学会10周年記念―』
九州近世陶磁学会2002『国内出土の肥前陶磁―西日本の流通をさぐる―』
京都市埋蔵文化財研究所編2004『平安京左京北辺四坊』京都市埋蔵文化財研究所調査報告第22冊 高澤等(千鹿野茂監修)2008『家紋の事典』東京堂出版
坪井利弘1986『図鑑屋根瓦―改訂版―』理工学社
東京大学埋蔵文化財調査室2011『東京大学構内遺跡調査研究年報』7
同志社大学歴史資料館・同志社女子大学2010『常盤井殿町遺跡発掘調査報告書―近世二條家邸を中心とする 調査成果―』同志社大学歴史資料館調査研究報告第8集
同志社大学歴史資料館2010『相国寺旧境内発掘調査報告書―今出川キャンパス整備に伴う発掘調査第1次
〜第3次―』
鍋島藩窯研究会編2002『鍋島藩窯―出土陶磁に見る技と美の変遷―』
長谷川眞2007「近世丹波焼の生産と流通」『近世丹波焼の研究』大手前大学史学研究所オープン・リサー チ・センター研究報告第3号、26〜46頁
畑中英二2003『信楽焼の考古学的研究』サンライズ出版
馬渕一輝2012「2011年度同志社大学今出川キャンパス整備に伴う立会調査―鏡鋳型の出土事例報告―」『同 志社大学歴史資料館館報』第15号、12〜18頁
山崎信二2008『近世瓦の研究』同成社
※今回の報告にあたっては足立千春氏・辻川智代氏・北澤英子氏・高村夏氏・浜中邦弘氏から多大なご協力 を得た。
※肥前陶磁器については、大橋康二氏よりご教示を得た。
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