第 4 章 社会開発の課題
― クミッラ県ダウドゥカンディ郡の女性と子ども―
第1節 はじめに
第2節 ジェンダー格差と女性の貧困化 第3節 基本的人権としての識字・就学 第4節 子どもの労働
第5節 章括
第 1 節 はじめに
前章でも見たように、日米主導による援助は、貧富格差の拡大や生態系の破壊といった新たな問題を 引き起こしているが、そのしわよせは、とりわけ貧困女性や子どもたち及んでいると考えられる。これ らの具体的な状況を、ダウドゥカンディ郡での調査(2000年8月30世帯、2002年8月30世帯、2004 年12月及び2006年3月追調査)から明らかにする。
バングラデシュにはパルダという慣習があり、とくに農村に居住する貧困女性は1日を家屋とバリ周 辺で過ごすことが一般的である。そうした1日の生活時間の中で、家事労働は、男性のバザールでの買 物や家族成員各自の洗濯を除いて、女性が一手に負わされ、中でも、炊事には相当な時間を要するので ある。だが、各家庭で女性が食事を摂取するのは最後となっている。また、女性の就業機会は、マイク ロクレジット事業による自己雇用を除くと、政府関係や現地NGO等学歴を有する女性に限定されてい る。そのため、貧困女性の多くは、経済的に男性に依存せざるを得ない状況を余儀なくされてきた。そ れゆえ、高齢の単身女性世帯や母子世帯はより脆弱性を抱えており、やむなく物乞いをして生存を維持 している女性も見られる。さらに、ダウリーや早婚といった社会問題は若年女性とその家族に深刻な問 題を押し付けることもある。一方、諸外国主導による家族計画は当該地域にも浸透しているが、これら 手術の対象とされる貧困女性の中には、避妊手術がもたらす意味を正確に理解していない人もいる。
そこで本章では、先ずもって「ジェンダー格差と女性の貧困化」に焦点をあて、問題の所在を概観した うえで、①高齢の単身女性による物乞い、②ダウリー、③自己決定によらない避妊-非識字による不利、
④貧富格差の象徴-P村、ユニオン評議会議長宅でメイド(住み込み)として労働する最貧困女性の生 活状態を同郡での調査から明らかにする。
次に、社会開発を進めるうえで重要な鍵となり得る「識字」に焦点をあてる。現地では、農村に居住 する女性の識字率が最も低くなっている。このことは、これまで農村に居住する貧困女性・女児の問題 がなおざりにされてきたことを示している。こうした状況に対して、1991年以降、バングラデシュ政府 は子どもの就学・識字への取組みに力を注いでいる。また、1993年以降、とりわけ女児の就学・識字の 向上に取り組み始めた。大多数の保護者が非識字であるという状況の中で、政府による政策は、子ども たちの就学・識字にどのような影響を及ぼしているのであろうか。この点について、同郡での調査を通 して明らかにする。
さらに、貧困ゆえに労働を余儀なくされている子どもの現状に焦点をあてる。世界的に子どもの労働 が禁止へと向かっている中で、この問題は、現地でも顕在化しにくい問題となっている。そのため、具 体的な現象は必ずしも明らかにされてこなかった。ここでは、バングラデシュにおける子どもの労働に ついて概観したうえで、同郡での調査から、①保護者に同伴して労働する子どもと家族、②N村のユニ オン評議会議長宅でメイド(住み込み)として労働する子どもと家族並びに雇用主に焦点をあて、援助・
開発による影響を踏まえながら、それぞれの生活状態を明らかにする。そして、子どもの労働問題に取 り組む現地NGOの活動状況を考察する。
第2節 ジェンダー格差と女性の貧困化
2.1 問題の所在-ジェンダー格差西川潤は、世界の大多数を占める南の諸国の女性が、三重の支配によって人権を抑圧され、社会的貧 困の中に閉じ込められていることを指摘している。その支配とは、①資本制、②中心・周辺(北南問題)
制、③家父長制をさしている。そして、中心-周辺システムを成年男性が担っている理由の1つとして、
資本制が資本蓄積のために生産と効率を重視していることを指摘している。そのため「女性は、体力が 男性より劣るとみなされるとともに、女性独自の体力である出産、哺育などの機能はむしろ生産、効率 にとってマイナスであると考えられる。ここに女性が『第二の性』として、資本制労働市場では補助労 働力として扱われる理由がある」と述べている。また、「この中心-周辺、または支配-従属システムは、
その発展の過程で必ず格差や差別を生み出す」と述べ「この差別の対象となるのが『社会的弱者』、とり わけ女性や被支配民族、被差別カースト・部落など」であることを論じている(西川、2002年:80-104 頁)。
さらに、松井やよりは、アジアの何億人という女性たちが、①先進国の経済的・政治的・軍事的支配、
②勤労者階級としての自国の独裁政治や特権階級による抑圧・搾取、③家父長制の伝統の中での男性に よる性差別といった三重の抑圧に苦しんでいると述べている(松井、1987年:9頁)。
バングラデシュの農村に居住する貧困女性の生活状態に目を向けると、貧困女性、とりわけ単身女性 世帯や母子世帯は、まさにこうした支配や抑圧の中におかれている。それは、基本的な指標だけ見ても 顕著となっている。
ここで、結婚に関する統計数値を見てみよう。表4-1は、2002年に個別訪問調査を行ったP村と、
その村を包括していたユニオン(1991年当時)、そしてダウドゥカンディ郡における既婚女性の年齢と 10~14歳人口(男女別)について見たものである。この統計数値から、10~14歳で結婚している女児 について見ると、郡全体で706人、ユニオン全体で26人、P村全体で17人となっている。これらが、
それぞれの同年齢人口に占める割合は、それぞれ2.7%、2.2%、2.4%となっている。一方、既婚男性の 年齢別統計数値は記載されていない。
また、ジェンダー格差は、未婚者総数と配偶者との死別もしくは離婚総数を見ても顕著である(表4-2 参照)。未婚者の中には、10~14歳の子どもも含まれるが、女性の未婚者総数は郡全体で3万8144人
(13.0%)、ユニオン全体で1,839人(14.4%)、P村全体で1,113人(15.0%)となっている。これに対 して男性の未婚者数は、郡全体で6万4113人(21.8%)、ユニオン全体で3,196人(25.1%)、P村全 体で1,774人(23.9%)となっている。つまり、未婚者は女性と比較して男性に多く見られるが、こう したことはバングラデシュ全体に共通していることである。バングラデシュの農村では「女性は 10 代 のうちに結婚すべき」「女性は結婚して子どもを産む存在」といった固定観念が浸透している。そのため、
結婚後に子どもを産めない女性は辛酸をなめるようになる。というのも、子どもが出来ない原因はおお むね女性側にあると考えられているからである。
また、配偶者と死別している人の数は女性に多い。このことは、配偶者と死別した後に再婚する男性 が多くいるのに対して、女性は再婚の道が閉ざされていることを示している。そのうえ、離婚に至って は、郡全体で女性388人(0.1%)に対して男性89人(0.07%)と、女性の離婚者数が約4.4倍になっ ている。さらに、GauユニオンとP村では、男性の離婚者数がいずれも0人となっている。これらの背 景には、複数の女性と夫婦関係を持ちながら、誰とも正式な離婚手続きをしない男性の存在がある。2000 年と2002年の調査内容を見ると、「夫には、自分を含めた妻が2人いる」という女性が複数見られたが、
彼女たちは夫に対して抗議することさえ出来ずにいる。しかも、離婚は男性(夫)から言い出すもので あって、女性から決して口にするものではないといった慣習があるため、辛い思いをしながら離婚さえ できないといった女性も見られる。さらに、結婚時に多額のダウリーを女性側に要求し、結婚後にも金 品の提供を要求する男性も見られる。そのうえ、貧困家庭では、夫から妻への暴力が正当化されている こと、女性の側もそれらの暴力に抵抗せずに自らに否があると受止める傾向があること等が先行研究で
表4-1 : 既婚女性の年齢と10-14歳人口-ダウドゥカンディ郡、Gauユニオン、P村(1991年)
単位 : 人(%)
既婚女性の年齢 10-14歳人口 合計 10-14歳 15-44歳 45歳以上 女児 男児
96,838 706 74,808 21,324
全体
100.0% 0.7 77.3 22.0
26,358 30,409
95,431 698 73,607 21,126
農村
100.0% 0.7 77.1 22.1
25,899 29,885 1,407 8 1,201 198
ダ デ ウ ィ ド 郡 ゥ カ ン
都市
100.0% 0.6 85.3 14.1
459 524 3,740 26 2,842 872
Gau
ユニオン 100.0% 0.7 76.0 23.3
1,168 1,410 2,248 17 1,689 542
P村
100.0% 0.8 75.1 24.1
707 801 注1:各村の人口に関する公式的な統計値は、このデータが最新のものとなっている。
注2:割合は、データに基づき算出している。
出所 : Bangladesh Bureau of Statistics, Bangladesh Population Census, 1991, Zila:Comilla, August,1995, p.184.
p.186, p.231, and p.234.
表4-2 : 既婚もしくは未婚者数-ダウドゥカンディ郡、Gauユニオン、P村(10歳以上、1991年)
単位 : 人(%)
女 性 男 性 男女
合計 合計 未婚 既婚 死別 離婚 合計 未婚 既婚 死別 離婚 294,457 147,524 38,144 96,838 12,154 388 146,933 64,113 81,962 769 89 全
体 100.0% 50.1 13.0 32.9 4.1 0.1 49.9 21.8 27.8 0.3 0.06 289,241 145,253 37,467 95,431 11,971 384 143,988 62,757 80,389 754 88 農
村 100.0% 50.2 13.0 33.0 4.1 0.1 49.8 21.7 27.8 0.3 0.06 5,216 2,271 677 1,407 183 4 2,945 1,356 1,573 15 1
ダデ ウィ ド郡 ゥ カ ン
都
市 100.0% 43.5 13.0 27.0 3.5 0.07 56.5 26.0 30.2 0.3 0.02 12,744 6,034 1,839 3,740 441 14 6,710 3,196 3,484 30 0 Gau
ユニオン 100.0% 47.3 14.4 29.3 3.5 0.1 52.7 25.1 27.3 0.2 0 7,426 3,611 1,113 2,248 243 7 3,815 1,774 2,022 19 0 P村
100.0% 48.6 15.0 30.3 3.3 0.1 51.4 23.9 27.2 0.3 0 注 : 割合は、データに基づき算出している。
出所 : Ibid., p.231. and p.234.
指摘されている1。農村では、女性が現金収入を得られる機会が限られていることもあり、多くの女性た ちは、経済的には男性に依存せざるを得ない状況下におかれ続けてきた。そして、「自らの足で立つ」と
1 この点について、貧困女性から直接話しを聞くことはタブー視された。これらの問題については、Ameed , 2005, Begum, 2000、有川、2001年3月:1-5頁、ロキア、2002年が参考になる。ロキア(1926年~)は、
大学で22年間歴史学を講義してきたが、1976年に辞職し、フォリドプール県の農村で貧困女性のためのプ ロジェクトを開始した。そこでは、貧困女性の組織化を通して、女性の意識化、識字教育、収入向上プログ ラム等が行われてきた。だが、1999年5月30日をもって、このプロジェクトは地元のNGOに引き継がれ た。その理由は、彼女の後継者が見つからないこと、資金不足等による。
いうのではなく「いかに条件の良い相手と結婚をするか」ということに重きがおかれてきた。それゆえ、
「自らの人生を自分らしく生きる」といった価値観は後景におかれてきたのである。
そのような状況の中で、家事労働全般は、買い物やそれぞれが着用している衣類の洗濯を除いて女性 の仕事となっている。中でも、炊事は火起しから始めなければならないのであるが、牛糞をこねて燃料 を作るのも女性の仕事である。その他、水道、電気・電化製品なども整備されていないため、炊事には 相当な時間と労力を費やさなければならない。にも関わらず、貧困家庭の中で食事を摂るのは女性(母 親)が最後である。
ただし、これらは、女性全般に及んでいることではない。ダッカで高いレベルの教育を受けている女 子学生たちは、青春を謳歌したり、恋愛を楽しんだりもしている。そのような女性たちの家庭では、お おむねメイドが雇用されている。そして、結婚後には、それらの人々が貧困家庭の女性もしくは子ども をメイドとして雇用し、家事労働全般を負わせるようになる。つまり、現地では、ジェンダー格差のみ ならず、女性間格差も拡大されているのであるが、そこでの支配や重圧は、とりわけ貧困女性に重くの しかかっているのである。
2.2 女性の貧困化-ダウドゥカンディ郡での調査
(2000年8月、2002年8月、2004年12月-05年1月、2006年3月)
バングラデシュ国内には、女性を抑圧や差別から解放するための法律や制度が存在する。独立直後の 1972年に制定された共和国憲法では「全ての市民は法の前に平等であり、等しく法の保護を受ける権利 を有する」(第27条)、「国家は単に宗教、人種、カースト、性、誕生地を理由に市民を差別してはなら ない」(第28条1項)、「国家や誕生地の全ての領域で、女性は男性と同等の権利を有する」(第28条第 2項)、と規定している。また、1974年にはムスリム結婚・離婚登録法、1980年にはダウリー禁止法が 制定されている。さらに、1972 年に女性復興局(Women Rehabilitation Board)が設置され、1974 年に女性の復興と福祉団(Women Rehabilitation and Welfare Foundation)として再編された (Economic Adviser’s Wing Finance Division, June 1998:p.71.)。今日では、女性と子どもの問題省
(Ministry of Women and Children Affairs)や保健・家族福祉省(Ministry of Health and Family Welfare)が設立されている。
だが、上述したように、バングラデシュではさまざまな格差が拡大しており、そこでのしわよせは、
とりわけ農村に居住する貧困女性や子どもに及んでいる。ここでは、2000年8月と2002年8月にダウ ドゥカンディ郡行った貧困層の個別訪問調査から女性の貧困化に焦点をあて、①高齢の単身女性による 物乞い、②ダウリー、③自己決定によらない避妊-非識字による不利、④貧富格差の象徴-P村、ユニ オン評議会議長宅でメイド(住み込み)として労働する最貧困女性の生活状態を明らかにする。
(1)物乞い・高齢の単身女性世帯
第3章でも述べたように、2000年8月に個別訪問調査を行った30世帯の中で、母子世帯は6、父子 世帯は0、その他 24 が父母のいる世帯となっている。母子世帯となった理由は、いずれも夫の病死に よるものであるが、6世帯の母親の中で3人は高齢であり、なおかつ単身で生活している。これら3人 の母親は現金収入を得る術もなく、家族による経済的支援も期待できない。そのうえ、マイクロクレジ ット事業に参加するためのメンバーにもなれず、貧しすぎるゆえに借金をする相手さえ見いだせない。
それゆえ、夫が他界した後にはたちまち現金収入を得る途が閉ざされてしまう。そのため、彼女たちは 物乞いで生命をつないでいるが、僅かながらでも支援の手をさし伸べているのは近隣に居住している 人々である。ただし、それらの人々は既得権益集団ではない。以下、これら3世帯の生活状態を概観し てみよう。
① S(65歳)の生活状態(BolユニオンGa村、2000年8月-事例23)
母(本人):65歳 マドラッサ1-2年まで就学、文字の読み書き・計算は出来ない 父 :年齢不詳、1999年他界、生前は竹細工をしていた
長男:40歳、クラス1まで就学、竹細工をしているが、1ヵ月の現金収入は500~600タカ前後 子どもは女児2人と男児2人
長女:38歳、クラス5まで就学、家事労働、夫は指輪の行商、子どもは女児2人と男児3人 二女:36歳、不就学、家事労働、夫は日傭の農業労働者、子どもは女児1人と男児3人
二男:34歳、クラス6、竹細工をしているが1ヵ月の現金収入は1,000タカ前後、妻は家事労働、
子どもは3人で、長男・クラス7、長女・クラス2、二男・クラス1に就学中
1996~98年までマレーシアで建設作業に従事、1日の現金収入は、8~15時までの7時間労 働で420タカ、さらに5時間の残業労働に対して700タカが支給されていた
ⅱ 土地所有 屋敷地 : 1/30クニ
農地 : なし(二男のマレーシア出稼ぎ費用工面のため、夫が所有していた農地を7万タカで売却)
ⅲ 生活状態
二男の出稼ぎ費用工面のため、1995年頃農地を7万タカで売却した。二男は1996年から1998年に かけてマレーシアで建設作業に従事した後に帰国した。だが、2年間で得られた現金収入からマレーシ アへの出稼ぎ諸費用を差し引くと、利益は殆どなかった。その後1999 年に夫が他界してから、彼女が 現金収入を得られる途が閉ざされてしまった。それ以降、1 日に2~3 度の食料摂取もままならず、体 調が悪化しているが、病院に行くような経済的ゆとりはない(彼女の身体はやせ細っている)。
2000年8月現在、かつて夫が所有していた屋敷地・家屋で単身生活をしている。狭い家屋内はベッ ドの他少しの衣類と食器が整然と並べられている。近隣に居住する長男(40歳-竹細工)が彼女の生活 を気遣っているが、1ヵ月の現金収入は500~600 タカ前後であり、母親に生活費や食料を渡すほどの 余裕はないということであった。こうした状況から、2000年8月現在、近隣居住者が1日に1回彼女 に食事を提供している。
② Kの生活状態(BolユニオンGa村、2000年-事例24)
ⅰ 家族成員
母(本人): 年齢不詳、不就学、文字の読み書き・算数は出来ない 父:年齢不詳、不就学、1999年他界
長女:35歳、不就学、家事労働、夫は竹細工をしているが低収入、子どもは女児4人と男児2人 二女:33歳、マドラッサ2年まで就学、家事労働、夫は日傭の農業労働者、1996年にマレーシア出
稼渡航の準備をしていたが、4万タカをブローカーに収奪され、マレーシア行きは実現しなか った。子どもは女児2人と男児2人、
ⅱ 土地所有 屋敷地 : なし
農地 : なし(二女の夫のマレーシア出稼ぎ費用工面のため、屋敷地1クニと農地3クニを4万タカで 売却)
ⅲ 生活状態
二女の夫のマレーシア出稼ぎ費用工面のため、1999年頃、屋敷地1クニと農地3クニを4万タカで売 却した。その後1999年に夫が他界してから、彼女が現金収入を得られる途が閉ざされてしまった。2000 年8月現在、屋敷地・農地とも所有していないため、2人の娘と村人の家を転々としている。娘たちは 母親の生活や健康状態を案じており、出来るだけ長く滞在して欲しいと考えている。ごく稀にではある が、現金を手渡してくれることもある。だが、娘たちの夫は低収入であり、それぞれに家族成員(長女 は計9人、二女は計6人)を抱えていることを考えると、長居するには気が引けると彼女は話している。
そのため、農村内の貧困層の家を転々と泊まり歩いているが、彼女自身が高齢であるため、そこでメイ ドの仕事を強要されることはない。また、宿泊先を見つけられず、路上で寝泊りしたという経験も一度 もない。
③ Bの生活状態(GauユニオンP村、事例11)
ⅰ 家族成員
母(本人):推定55歳前後、クラス4まで就学 父: 年齢不詳、1971年に他界
長男:40歳、不就学、リキシャ引き、妻は2人で、それぞれ家事労働
1人目の妻との子どもは3人(結婚直後から行方不明であったが、12年後にP村に戻ってきた)
2人目の妻との子どもは以下5人
長男-16歳・クラス6まで就学、テンポ・ヘルパーをしており、1日の現金収入は30~50タカ、
労働時間は6~20時頃までで、途中休憩をとっている 二男-12歳・クラス2まで出就
三男-10歳・クラス1就学中 四男-8歳・クラス2就学中 長女-6ヵ月
二男:38 歳、不就学、リキシャ引き(前妻との間に子どもが出来なかったため、2 人目の妻と生活、
前妻は、別の村で生活している)
2人目の妻との子どもは以下5人
長女-12歳・クラス2まで就学、家事労働(母親の手伝い)
長男-10歳・クラス1まで就学
二男-5歳、障がいがあり、話をすることは出来ない 三男-3歳
四男-5ヵ月、障がいがあり首が座らない
(母親と子ども全員に足に障がいがある。母親は、自分たちの足は写真に収めて欲しくないと話 していた)
長女:年齢不詳、不就学、15~16歳頃に生き別れる。その後探し出したが、2000年6月に他界 三男:35歳、不就学、リキシャ引き、妻は家事労働、子どもは女児1人と男児1人
ⅱ 土地所有
屋敷地 : 家屋3件分を購入したが、息子家族に取り上げられてしまった(西側は水たまりに隣接して いるため条件が悪い)
農地 : なし
ⅲ 生活状態
彼女が6歳の時に父親が他界し、孤児院(日本では児童養護施設)に預けられた。そこから学校に通 い、クラス4までの就学経験がある。だが、読み書きはできない。その孤児院で 12歳頃まで生活した 後に母親と生活したが、母親は精神を煩っていた(その母親は、彼女の結婚後に他界した)。その後、父 親の兄が結婚相手を探してくれたが、1971年の独立戦争時に夫は他界した。それ以降、彼女はありとあ らゆる仕事をこなしながら子どもたち4人を育ててきたが、経済的理由から子どもたちを就学させるこ とは出来なかった。また、1人娘の長女は、15から16歳頃、現金収入の得られる仕事を求めてダッカ に単身で出向いた後、行方不明になった。母親は娘を探すためにダッカに行き、警察やシェルターをま わってこの長女を見つけ出した。農村に帰ってから、長女は他人の家でメイドの仕事をしていた。その 後、長女の結婚相手を見つけたが、かなりの年長者で、その男性には、前妻及び子どもがいた。そして 2000年6月、長女は病気で他界してしまった。
さて、彼女はかつて行商をしたことがあり、そこで得られた現金収入で屋敷地3軒分を購入した。そ の場所に、母親と三男、長男家族、二男家族がそれぞれ家屋を構え、生活を営んでいた。ところが、結 婚直後から行方不明になっていた長男の1人目の妻が、子ども3人を連れて突然P村に戻ってきた。そ して、三男が結婚した後(三男は別な場所に居住)、母親を家から追い出してしまったのである。そのた め、母親は屋敷地の横に雨露さえ凌ぐことのできない小屋を建てて生活している。リキシャ引きで生活 を営んでいる長男(40歳)、二男(38歳)ともに母親に生活費を渡していない。2人とも2つの家族があり
(長男は計11人、二男は計8人)、生活費がかさんでいると言う(彼らは、母親への気遣いにも欠けて いるように思われた)。そのうえ、長男の1人目の妻は、人目もはばからず大声を出してこの母親を邪魔 者扱いしている。母親は「ここは私の家屋だから」と主張したこともあるが、「あなたが出ていけばいい でしょう」と怒鳴られたと言う。そして、屋敷地の中でも最も条件の良い場所を占有している(こうし た例は、今回の調査対象者の中では特異であった)。
これに対して、二男の2人目の妻は、彼女の健康状態を気遣っている様子が見て取れた。まれにでは あるが、食事の際に声をかけることもあると言う。だが、彼女の夫(二男)にも2つの家庭があり、また、
彼女は生後5ヵ月でいまだ首の座らない乳児のほか4人の子どもたちを抱えているため、常時この母親 の世話をすることは困難である。
こうした状況の中、時折ではあるが、唯一母親に現金収入を渡しているのは、孫にあたる長男の2人 目の妻の子ども(男児、16歳、テンポ・ヘルパー)である。この孫が「おばあちゃん、身体の調子はど うですか」と声をかけてくれることが彼女の救いになっている。日常的には、近隣居住者が1日に1食、
調理した食料を彼女に提供している(夕方になると、「食事が出来ましたよ」と近隣居住者が迎えにくる)。 そして、それらの人々も既得権益集団ではない。夫が他界した後、懸命に仕事をしてきた彼女が、高齢 になって息子家族から邪険にされている状況を農村居住者は心配している。
(2)ダウリー
ダウリーの起源は、ヒンドゥー教徒の日常生活を記した『マヌ法典』に記載されている(大橋、2003 年:17頁:松井、1987年:150-151頁)。「この考え方は現在でもヒンドゥー社会に強く残っていて、
女性は、低い地域に押しとどめられ、結婚のときのみならず日常生活においても、社会的制約と差別を 受けている」(大橋、2003年:17頁)。こうしたダウリーに対する批判はイギリス植民地時代からあり、
1961年に「ダウリー禁止法」が制定された(大橋、2003年:17頁)。だが、ダウリーは違法で贈り物 はよしとされ、その後両者の区別はなくなり、またインドでは、1970年以降深刻な社会問題へと拡大し た。松井は、ダウリーの要求額がエスカレートしている要因として、近代化や経済開発によって消費文 化がインドをおおうようになり、物質主義的価値観が広まったことを指摘している(松井、1987 年:
152頁)。
また、ダウリーはイスラーム教徒の間でも行われるようになり、問題は大きくなっていることが指摘 されているが(大橋、2003年:17頁)、バングラデシュ社会でもダウリーの慣習が拡がっている。この ことについて、当該地域の農村居住者も「ダウリーはもともとヒンドゥー教徒の慣習で、バングラデシ ュの中でも、ヒンドゥー教徒が多く居住している地域から徐々に広まってきた」と回答している。
前述したように、バングラデシュ国内にもダウリー禁止法(1980 年)は存在するが(Economic Adviser’s Wing, 1998:pp.71-73.)、今日では、ダウリーはバングラデシュ社会に深く根付いてしまって いる。そのため、前章でも見たように、ダウリーを用意するために土地を売却したり、借金をしたりす る貧困層も見られる。そして、ダウリーに関連する社会問題の深刻化は、経済のグローバル化や近代化 とも密接に関係している。ここで、2000 年8月に行った個別訪問調査から、このことに関連する事例 を取り上げ考察してみよう。
ⅰ 家族成員(GauユニオンP村、2000年8月-事例30)
母 : 年齢不詳、不就学、文字の読み書き・算数は出来ない
父 : 年齢不詳、クラス3まで就学、1990年に他界、生前はジュート行商をしていた
長男 : 28歳、クラス5まで就学、出稼ぎのためマレーシアに滞在中、一時期刑務所に入れられた
長女 : 25歳、クラス1-2まで就学、夫は運転手でダッカ在住(別居中)、結婚に際してダウリーを渡 したが、結婚後も執拗に金品を要求されている
二男 : 16歳、クラス9まで就学、車輌運転の練習中 二女 : 12歳、クラス6就学中
ⅱ 土地所有 屋敷地 : なし
農地 : 2カニ(3カニの農地を所有していたが、長男のマレーシア出稼ぎ費用工面のため、1カニを 4万タカで売却)
ⅲ 生活状態
父親は、生前ジュート行商をしていたが、ジュートの需要は年々減少傾向にあった。また、父親が病 気がちであったことから、長男はクラス5で就学を断念し、日傭の農業労働や牛の世話等の仕事をして 家族の生活を支えてきた。そして、1990年以降、長男はより多くの現金収入を得ようとマレーシアに出 稼ぎに出ている。長男の仕事内容は知らされていないが、その後数年間は定期的にマレーシアから仕送 りがあり、二男と二女を就学させ、トタン製の家屋を建設することも出来た。母親にとって、自慢の親 孝行息子であった。
ところが数年前、突如として長男からの音信が途絶えた。その後1度だけ、バザールで長男と電話で 話をした(バザール内では電話のビジネスをしている人がいる。その日、長男から電話が入るのでバザ ールで待機するようにと、農村居住者が伝言してくれた)。長男の第一声は「お母さんお元気ですか?」
というものであったが、母親は「一体全体何をしているの? こんなに心配をかけて」と怒りを向けてし まった。そこで電話が切れ、それ以降、長男からの連絡はいっさいなくなってしまった。その後母親は、
長男が正規のビザを所有していなかったために刑務所に入れられたという話を聞かされた。母親は、息 子への電話での対応を後悔している。何よりも、それ以降長男のことが心配で眠れない夜が続いている と言う。
一方、長女が結婚した当時、長男からの仕送りで生活状態が上向きだったこともあり、先方にダウリ ー5万 5000タカを渡すことが出来た。通常よりもはるかに高い要求であったが、これで娘を大切にし てもらえるのであればという気持ちも働き、その要求に応じた。ところが、結婚後も長女の夫は執拗に 金品の提供を要求してくる。長男からの仕送りが途絶えるようになってから生活が困窮していること、
食費のために母親の兄から1万タカの借金をしていること等を何度も伝えた。しかし、長女の夫はそう した事情を一向に理解しようとせず、妻(長女)に生活費を全く渡さなくなってしまった。困り果てた 長女は、1歳の男児を抱えて故郷のP村に逃げ帰っている(この男児を、11歳で叔母となった二女がよ く抱きかかえていた。この甥に声がけをしても叔母の傍を離れようとはしなかった)。執拗なダウリーの 要求は、長男からの仕送りがあった頃の生活状態とも関係しているが、母子世帯であるために、こうし た要求を突きつけやすいのではないか、と母親自身は話している。
さて、この世帯が所有している2カニの農地は、他人に貸し、地代として収穫物(じゃが芋のみ)の 半分を毎年受け取っている。栽培のための費用一切は、借り手が負担している。ここで得たじゃが芋は、
販売向けではなく自家消費に当てているため、現金収入はない。子どもたちの就学を継続させるために は現金収入が必要になるので(文具、試験代や衣類)、母親と長女は、現金収入を得られるような仕事に 就きたいと考えているが、P村でそうした職業を見出すのは困難である。こうした状況下で、二男(16 歳)がクラス9で就学を断念し、車輌運転の練習を始めた。二女(12歳)はクラス6に就学中している ため、奨学金が支給されている(女子中学生の奨学金については、後述参照)。母親は、この二女の就学 だけは何とか継続させたいと考えている。
2002年8月、この家族に再会したが、母親は心労が重なり、健康状態が悪化しているということで あった。2000年には率先して農村内を案内してくれた二女の笑顔も消え、眼を合わせようとさえしなく
なっていた2。2年前に撮影した写真を手渡したが、すぐさま自宅へと走り去ってしまった。これらの状 況が、この世帯の生活の厳しさを物語っていた。一方、3歳になった長女の1人息子は、相変らず、若 い叔母の傍を離れることはなかった。その後、二女は経済的理由からクラス8で就学を断念したという ことを2004年12月に同村の居住者から聞いた。
(3)貧困と自己決定によらない避妊
第2章でも見たように、対バングラデシュへのアメリカODA(2004年)の約半分(46.8%)は基礎 保健で占められている。中でも家族計画に占める割合が高く、全体の約 3 割(27.1%)となっている。
日本ODAは、こうしたアメリカの影響を受けている。また、世界銀行は、バングラデシュ政府に対し て、人口増加を抑制することを援助条件の一つとしてきた(アクタル、2001:21頁)。こうした背景か ら、現在バングラデシュには、国際機関や諸外国による援助として大量の避妊薬が持ち込まれている。
こうした家族計画に関連する事項は、通常「リプロダクティブ・ヘルス・ライツ」の枠組みでとらえ られるであろう。しかし、バングラデシュの農村に居住する貧困女性は、このような権利を有している と言えるであろうか。農村に居住する貧困女性の多くが非識字であり、家族計画や避妊薬、延いては避 妊手術の意味を正確に理解しているとは言えない。農村では、市民社会によるプログラムを除くと、彼 女たちが家族計画に関する研修等に参加し、将来を選択するといった過程を見出すことは困難である。
ここで、2000年8月に行った個別訪問調査から、このことに関連する事例を取り上げ考察してみよう。
ⅰ 家族成員(BolユニオンGa村、2000年8月-事例24)
母(本人):30-35歳(推定)、不就学、文字の読み書き・算数は出来ない
父 : 年齢不詳、1999年、心臓発作により他界、生前は日傭の農業労働者 日当は40-50タカ 長女:6歳、クラス1就学中
長男:4歳
ⅱ 土地所有
屋敷地 : 数クニ(借金の抵当に入っている)
農地 : なし
1994年頃、2.5/30クニを2万タカで売却
ⅲ 生活状態
母親(本人)の話では、「夫は日傭の農業労働者としてただただ仕事をしてきた。数年前から心臓の調 子が悪かったのであるが、経済的理由から充分な治療が受けられなかった」ということである。その夫 が他界してから、彼女が現金収入を得られる途が閉ざされた。そこで勧められたのが不妊手術である。
その際、サリー1枚と100タカを受け取った。彼女は、どうしても生活費が必要だったと話している。
このことについて、近隣居住者は、「彼女のような貧困女性が生活するためには、再婚相手を見つけるよ り他に方法はないだろう。でも、手術を受けたことで、再婚の途も閉ざされてしまった」と話している。
だが、彼女自身は、女性の身体の仕組みやこの手術がもたらす意味について、正確に理解していない。
2000年8月現在、彼女は近隣でメイド(通い)をしているが、不払い労働であり、なおかつ仕事が あるのは1ヵ月に2週間程度となっている。農村では、メイドの労働に対してこのような不払い労働が 一般的となっていて、その代わりメイドへの食事が提供されている。彼女の場合、特別に子どもの分の 食事も提供されている。また、彼女が労働する日には、亡き夫の母親が子どもたちの面倒を見ている。
2 この少女に限らず、数年の間に女児の態度が変化している様子は、農村ではよく見られる。生き生きと農村 内を走り回っていた女児でさえ、控えめな女性へと変化させられている。とりわけ貧困家庭にあっては、女 児は少女から母親へという過程を経ることを余儀なくされがちである(そこには、思春期という通過点が存 在しないかのようである)。
さらに、近隣居住者は彼女の困窮状態を理解していて、必要に応じて母子3人分の食事を提供している。
一方、彼女は1万タカの借金を抱えている。貸し手は高利貸しで、同じ村に住む地主である。この貸 し手が、執拗に借金の返済を迫っている。そのため、双方でしばしば争いになっている。このままでは 屋敷地と家屋を剥奪されてしまうのではないかと近隣居住者は話している。無論、彼女もこうした困窮 状態を把握しており、長女を労働に出さなければならないのではないかと憂慮している。というのも、
前述したように、このような貧困家庭にあっては、既得権益集団が保証人を介在させて「子どもをメイ ド(住み込み)に出さないか」と声をかけてくることがあるからである。このことについて、彼女は「子 どもには就学を継続させたいし、出来れば労働には出したくない。でも、家族の死に関わるような事態 に直面した時には、子どもを労働に出さざるを得ないかもしれない」と話している。
(4)貧富格差の象徴-ユニオン評議会議長宅でのメイド(住込み)
バングラデシュの首都ダッカやチッタゴンに住む都市中産階級以上の家庭ではもちろんのこと、都市 労働者階級でも多くの家庭でメイドを雇用している。メイドの労働形態は住み込みと通いに大別される が、住み込みで労働しているメイドの殆どが子どもであり、なおかつ農村の最貧困層の出身である(後 述参照)。また、通いのメイドは貧困層の成人女性であることが多く、労働への対価として現金が支給さ れている。
こうした都市の状況に対して、農村で常時メイドを雇用しているのは一部の既得権益集団のみとなっ ている。農村内での状況を見ると、最も裕福な家庭に最貧困層の家族成員が住み込みでメイドの労働を 行うといった構造が見てとれる。だが、成人メイドの労働への対価として、おおむね現金は支給されて いない。メイド(住み込み)の労働特性は、雇用主と複数の家族成員から一日中指示を受け、そのコン トロール下で多種多様な家事・雑事をこなさなければならないということ、イード際の後を除いて休日 がないということ等で、他の職種よりも長時間労働となっている3。そのうえ、雇用主と家族成員から暴 力や性的虐待を受ける等、自らの人権を侵害されているメイドがいることも指摘されている4。また、メ イドは各家庭でそれぞれに雇用されているため、雇用主から不当な扱いを受けたとしても、友人と悩み を共有しあったり、団結して雇用主に交渉したりといったこともできない。まして、個人で面と向かっ て雇用主に不満や要求を表明することなど出来ない状況下におかれている。そこには、バングラデシュ が抱える社会経済的不平等が色濃く反映されている。
前章で見たように、貧富格差の大きいP村のユニオン評議会議長は援助・開発との関係で何らかの利 益を得ているが、そこで住み込みのメイドとして労働しているのは、この村でも最貧困層の女性である。
ここで、彼女の生活状態に焦点をあて、具体的な状況を見てみよう。なお、ユニオン評議会議長の生活 状態は、第3章に記載している。
ⅰ 家族成員(GauユニオンP村、2002年-事例36)
母(本人):年齢不詳(30-35と本人は言うが、長女は既に30歳に達している)、 不就学、文字の読み書き・算数は出来ない
父:再婚して他の村に居住
長男:不明、クラス2、20年前から行方不明
長女:30歳、不就学、家事労働、夫はベビー・キャブ運転手(ダッカ)、女児1人、男児1人 二男:28歳、不就学、リキシャ引き、妻は家事労働、女児3人
三男:26-27歳、不就学、革製品扱い、妻は家事労働、男児1人
二女:24歳、不就学、家事労働、夫は日傭の農業労働者(ダッカ)、女児2人
3 Shoishab Bangladesh(現地NGO)スタッフからの聞き取り調査及びスタッフ同伴で行った子どものメイ ドと雇用主の個別訪問調査による(1999年8月23~26日、2000年8月31日、9月2日、5日、2002年8 月24日)。
4 現地での聞き取り調査による。
三女:22歳、クラス3、家事労働、夫は他人の店手伝い 四女:14歳、クラス3まで
四男:10-12歳 クラス4就学中
ⅱ 土地所有
屋敷地 : 3ショトク 農地 : なし
ⅲ 生活状態
夫が別な女性と再婚してから、彼女が現金収入を得る道が閉ざされてしまった。その際、近隣に居住 しているユニオン評議会議長が、住込みのメイドとして労働しないかと声をかけた。労働内容は、家事 労働いっさいをしながら、議長の娘(三女・4歳)の子守を担っている。議長の家にはユニオン評議会 議員の他、来客が多いので忙しくしている。とりわけ、イード祭には通常以上の仕事がある。1年を通 して特別な休日はないが、議長と家族全員が外出する際に自由時間を持てることもある。議長の娘は、
子育てに携わらない実母よりも彼女を慕っている。議長夫妻の写真撮影に際して実母は娘を抱きあげた のであるが、娘はメイドのほうがいいと泣き出してしまった。そこで彼女がこの娘を抱くと、すぐさま 泣き止み笑顔を見せた。だが、彼女は「年をとっているので、家事労働全般をこなしながら、いつも親 代わりとなって幼い子どもをあやすには苦労が多い」と話している。彼女の労働への報酬としては食事 が支給されているが、何も残らない日には空腹のまま眠りに就くと言う5。このことについて、彼女は「ベ ンガル人としての誇りがあるのだから、食料のことについて多くは話したくない。このことは理解して 欲しい」と告げた。
また、彼女には8人の子どもがいるが、長男は20年前から行方不明である。その他5人は結婚して P村を離れているが、二男と三男及び3人の娘たちの夫は、リキシャ引き、ベビー・キャブ運転手、日 傭の農業労働等、いずれも自己雇用を通して僅かな現金収入を得ている。そのため、母親への仕送りは 期待できない状態にある。残り2人は四女(14歳)と四男(10-12歳)であるが、四女は父親が家を出 たことからクラス3で就学を断念し、議長の弟宅でメイド(通い)を始めた。彼女は仕事の合間によく 顔を出していたが、就学を断念したという陰りも見せず、終始笑顔であった。ダッカで労働している子 どものメイドと比較すると、家庭内に閉じ込められているわけではなく、自由時間は保障されている様 子であった。また、多忙な母親に代わって議長の娘の相手をすることもあるが、特別に気を遣っている 様子は見られなかった。そして、大人のいない家屋で、この四女と四男が 2 人で生活している。「夜間 に危険なことはないのか?」と尋ねると「近隣居住者がいるのに何が危険なの?」と問い返された。この 地域では家屋が密集しており、なおかつ、近隣居住者は2人の生活を気にかけてくれていると言う。つ まり、近隣居住者の眼が行き届いているため、家を留守にするうえで心配はないということであった。
日中も、子どもたちの様子はよく目にしている。
ところで、この世帯からの聞き取り調査は議長宅の玄関前で行った。議長は席をはずしていたが、彼 女の生活状態を考えると、多くを聞くことはできなかった。何よりも彼女自身が神経を使っている様子 が言動に表れていた。
そして、2004年12月28日の日没後、灯のないP村の細い道を歩き始めるやいなや、2002年に道案 内をしてくれたS(事例 19 の二男)が駆けてきた。議長の家屋には南京錠がかけられていた。その後 N(事例6の長女)が彼女の家に招きランプを灯してくれた。狭い室内は多くの子どもたちで溢れかえ っていたが、議長の留守中(家族全員が クミッラ市のレストランで夕食)に休憩をとっていた母親が顔 を出してくれた。そこで、かつてないほどの勢いで「神様が私たちを再会させてくれた!」と、村人を 代表するかのように訪問を歓待してくれた。その表情や態度は、議長宅でのものとはまるで異なり、生 き生きとしていた。議長の弟宅でメイドの仕事を続けている四女は、相変わらず笑顔であった。(彼女の
5 この議長に限らず、メイドの食事についてさほど気にかけていない雇用主は多く見られる。とりわけ、大勢 の来客への接待等で多忙な日ほどメイドの食事は忘れられやすい。
笑顔を見たのは、この日が初めてであった。翌29日、議長宅で再会した彼女は相変わらず緊張気味で、
議長に気を遣い全く話しをしなかった)。 2.3 小結
日米主導による援助や開発は、貧富格差の拡大や生態系の破壊といった新たな問題を引き起こしてい るが、そのしわよせは、とりわけ貧困女性や子どもたち及んでいる。援助・開発によって商品・貨幣経 済が浸透してきた中で、貧困女性が現金収入を得られる機会は極めて限定されている。とりわけ農村に 居住する貧困女性の就業機会は、マイクロクレジット事業による自己雇用を除くと、政府関係や NGO スタッフ等学歴を有する女性に限定されている。そのため、貧困女性の多くは、経済的には男性に依存 せざるを得ない状況を余儀なくされてきた。それゆえ、夫が他界したり、生活費を渡さなくなったりし た際、彼女たちが現金収入を得る道は閉ざされてしまう。
こうした現状を明らかにするために、2000年8月、2002年8月、2004年12月~2005年1月、2006 年3月に行った個別訪問調査の中から、①高齢の単身女性による物乞い、②ダウリー、③自己決定によ らない避妊-非識字による不利、④貧富格差の象徴-P村、ユニオン評議会議長宅でメイド(住み込み)
として労働する最貧困女性に焦点をあて分析している。
先ず「物乞い」をしている3人の高齢女性(事例23、事例24、事例11)であるが、彼女たちの夫は 既に他界している。この中の2人(事例23、事例24)は、かつて夫が相続した土地を所有していたが、
家族成員(事例23は二男、事例24は二女の夫)のマレーシア出稼ぎ渡航費用を工面するために売却し ている。だが、事例23の二男が出稼ぎ労働を通して得られた利益はごく僅かであった。また、事例24 の二女の夫は、4 万タカ以上をブローカーに収奪され、現地に行くことさえできなかった。これまでも 見たように、当該地域では雨季の労働需要が減少しており、この時期に借金を抱える貧困層は多く見ら れる。そのため、不安定就労者・失業者が滞留している農村を離れ、海外での出稼ぎ労働で現金収入を 得たいと考えている人は多く見られるのであるが、海外での労働に就くためには、高額の諸費用を用意 しなければならない。そこで、彼らの家族が土地を売却したり、借金をしたりすることによって必要諸 経費を捻出しているが、貧困・非識字といった貧困層の弱みにつけこみ、それらを収奪してしまう悪質 なブローカーも存在する。そのため、当該地域では、海外出稼ぎ労働を試みてより生活状態が困難にな ったという貧困層も見られる。そして、それらのしわよせは、事例23、事例24で見たように、高齢の 単身女性に及んでいるのである。彼女たちは物乞いを通して生存を維持しているが、事例 24 の女性は 屋敷地、家屋とも所有していないため、2人の娘と農村居住者の家を転々としている。そして、これら 高齢単身女性を支援しているのは、既得権益集団ではない。
次に、「ダウリー」についてであるが、そもそもヒンドゥー教徒の間で行われていたこの慣習は、今日 ではバングラデシュ社会にも深く根付いてしまっている。そして、ダウリーの要求額は、経済のグロー バル化や近代化とともに引き上げられ、貧困層、とりわけ女性たちを抑圧している。
事例30の長女は、結婚に際して5万タカものダウリーを要求された。その頃、彼女の世帯(父親他 界により母子世帯)では、マレーシアで出稼ぎ労働をしていた長男から定期的に仕送りがあったため、
先方の要求に応じた。その後長女夫妻は、商品・貨幣経済の進行が勢いを増しているダッカで生活を始 めたが、長女の夫は結婚後も執拗に金品を要求してきた。そして、P村では数台しかない家電製品まで 要求するようになったと言う。その渦中にあって、長男からの仕送り・連絡が途絶えてしまった(正規 ビザを所有していなかったため、刑務所に服役中となっている)。それ以降、母親は借金をして生活費を 工面するようになったが、長女の夫はこうした事情を一向に理解しようとせず、ついに長女に生活費を 渡さなくなってしまった。困り果てた長女は、1歳になる息子を連れて実家のあるP村に逃げ帰ってい る。そして、2000年8月、この家族を支えるために二男(16歳)がクラス9で就学を断念し、車輌運 転の練習(見習い)を始めた。その後、二女も経済的理由から、クラス8で就学を断念した。
さらに、国際機関や諸外国主導によって進められてきた「家族計画」は、当該地域の農村にも徐々に ではあるが普及している。こうした家族計画に関連する事項は、通常「リプロダクティブ・ヘルス・ラ イツ」の枠組みでとらえられるであろう。しかし、バングラデシュの農村に居住する貧困女性は、この
ような権利を有していると言えるであろうか。農村に居住する貧困女性の多くが非識字であり、家族計 画や避妊薬、延いては避妊手術の意味を正確に理解しているとは言えない。貧困女性の立場から家族計 画を進めるのであれば、貧困女性の参加を前提とした研修等の開催が不可欠となるであろう。
事例24 の母親は、夫他界後に現金収入を得る道が閉ざされてしまった。そこで勧められたのが、避 妊手術であったと言う。彼女は、サリー1枚と数百タカの支給と引き換えに、何の知識もないままにこ の手術に応じている。そして彼女自身は、この避妊手術が彼女の身体や将来にもたらす意味を正確には 理解していない。
最後に「ユニオン評議会議長宅での住み込みのメイド」についてであるが、農村で常時メイドを雇用 しているのは、一部の既得権益集団のみとなっている。そして、農村内では、最も裕福な家庭に、最貧 困層の女性もしくは女児が住み込みのメイドとして労働するといった構造がまま見られる。その際、富 裕層の多くは扶助の意識を表明しているが、貧困層には現金収入は支給されていない。そのうえ、メイ ドの労働は、貧困層のwell-being向上につながらないばかりか、過重労働や性的虐待等、さまざまな人 権侵害に及ぶこともある。
事例36 の母親は、夫が他の女性と再婚してから現金収入を得られる道が閉ざされてしまった。彼女 は、貧富格差の大きいP村に居住しているが、近隣に居住するユニオン評議会議長が「住み込みのメイ ドとして労働しないか」と声をかけた。彼は、援助・開発によって何らかの利益を得ているが、自らが 声をかけて雇用しているメイドに対して現金は支給していない。そこでの労働内容は、家事労働の他、
議長の娘(三女・4歳)の子守となっている。その他、ユニオン評議会議員等の接待に追われることも ある。にも関わらず、何ら食料が支給されない日もある。また、彼女の8人の子どもの中で、6人は既 にP村を離れている。残された2人の子どもたち(四女、四男)の中で、四女はクラス3で就学を断念 し、議長の弟宅でメイドの仕事(通い)をしている。
第3節 基本的人権としての識字・就学
1991 年以降、バングラデシュ政府は子どもの就学・識字への取組みに力を注いでいる。また、1993 年以降、とりわけ女児の就学・識字の向上に取り組み始めた。大多数の保護者が非識字であるという状 況の中で、政府による政策は、子どもたちの就学・識字にどのような影響を及ぼしているのであろうか。
ここでは、バングラデシュの識字率を基本統計より概観したうえで、ダウドゥカンディ郡で行った調 査から、①成人女性・男性の識字と就学状況、②保護者の識字・就学に対する考え方と子どもの就学状 況を明らかにする。そして、保護者の識字・就学状況や、上述した政府の取り組みが、保護者の考え方 や子どもの識字・就学状況にどのような影響を及ぼしているのかを事例を通して考察する。
3.1 政府による取り組み
先ず、識字・就学に関連するバングラデシュの国内法及び制度について概観してみよう。バングラデ シュ独立後の1972年に制定された共和国憲法の第15条及び17条では、子どもが基礎教育を受ける権 利を認め、すべての子どもに無償の教育を提供することが国家に課せられた責務である、と規定してい る。その後1981年から普遍的初等教育計画(Universal Primary Education Programme)が10年に わたって企画されたが、就学率はさほど上昇しなかった。政府が初等教育に力を注ぎ始めたのは、1990 年代に入ってからである。それは、ジョムティエン(タイ)で開催された「World Conference on Education for All」への参加(1990年3月)、ニューヨークで開催された「子どものための世界会議」
(1990年9月)でThe World Declaration on Survival, Protection and Development of Children に 署名したこととも関連している。また、1990年に子どもの権利に関する条約を批准した。
具体的な施策の一環としては、1990年に初等教育義務化計画の法案が成立し、1992年1月から68 郡で、1993年には全国で施行されるようになった。さらに、1993年から初等教育(クラス1~クラス 5)のための食糧プログラム(Food for Education Programme)、そして1994年からは、女子中学生
(クラス6~クラス10)を対象とした奨学金プログラムが実施されている。前者は、初等教育機関に就
学している貧困世帯の子どもを対象としており、前月の出席率が 85%以上の子どもの親に、1 カ月に 15kg の小麦を供与するものである。これは、保護者が子どもを就学させることを目的に始められたも のであるが、一方では、村落間や村落内での利権争いや配給時の不正も指摘されている(シャプラニー ル、1996年:10-11頁)。後者は、女児の就学率、識字率の向上を目的としたもので、①75%以上の出 席率、②45%以上の成績、③未婚、という条件を満たしている女子中学生に奨学金を支給する制度であ る。支給は半年毎に1回となっていて、支給額は、クラス6-150タカ、クラス7-180タカ、クラス8
-200~210タカ、クラス9-600~610タカ、クラス10-310タカとなっている。この他、SSC試験 前に1,700タカが支給されている。
次に、ダウドゥカンディ郡における初等教育機関の形態及び数(括弧内)であるが、政府による公立 小学校(173)の他、私立登録小学校(56)、私立無登録小学校(6)、コミュニティ・スクール(23)、 サテライト・スクール(7)がある6。サテライト・スクールは、クラス1、2の子どもたちのみを対象 としている。この学校は、子どもたちの通学距離や生徒数等に配慮して建設されており、予算は政府か ら支給されている。クラス2を終えると、子どもたちは初等教育機関のクラス3に進級する。この他に も、マドラッサやBRACによる初等教育機関がある。
さらに、バングラデシュでは、各学年に進級するための試験が実施されており、基本的には各科目(学 年により異なる)で30%以上の成績を収めなければ次学年に進級することはできない。だが、退学率等 に配慮し、クラス1、2に関しては、寛大に対応するよう働きかけているということである7。というの も、退学を理由に学校から遠ざかってしまう子どもも見られるからである。また、中等教育は、クラス 8までが前期、クラス10までが後期とされている。高等学校に進学するためには、クラス10まで在籍 した後、SSC試験に合格しなければならない。そして、大学に進学するためには、高等教育機関に2年 間在籍した後、HSC試験に合格しなければならない。だが、公教育の環境は決して十分なものとは言え ない。その一方で、ダッカには、高い教育レベルを誇り、富裕層を顧客とする私学も存在する。また、
農村では教育が遅れるからと、姉妹兄弟や親戚に子どもを預けたり、家族でダッカに移住したりという 人も見られる8。こうした人々は、子どもにより高い教育を受けさせることが、子ども自身、延いては家 族の幸福につながるのだと力説する。そうした家族を乗せた車輌の横で、不就学の子どもたちが、小銭 を求めて手を伸ばしている。このように、現地では教育格差も顕著となっている。
3.2 貧困層(成人女性・成人男性)の識字・就学状況
(ダウドゥカンディ郡P村-2002年個別訪問調査、34世帯の保護者計66人)
表4-3は、バングラデシュに全体の15歳以上識字率(2002年)について見たものである。この統計 数値によると、平均識字率は49.6%となっているが、女性43.4%、男性55.5%となっており、女性のほ うが低くなっている。また、農村と都市では格差があり、前者が 45.3%、後者が 66.5%となっている。
こうしたことから、農村ではいまだ半数以上の人々が非識字の状態におかれていることが分かる。その うえ、農村に居住する女性の識字率はいまだ39.1%に止まっている。これに対して、都市に居住してい る女性の識字率は66.4%に達しており、農村女性の約1.7倍となっている。このような識字率だけとっ て見ても、農村と都市、あるいは女性と男性では格差があり、農村に居住する貧困女性が最も脆弱性を 抱えていることが分かる。
次に、ダウドゥカンディ郡で行った調査から、成人女性・男性の識字と就学状況を見てみよう。2000 年8月にダウドゥカンディ郡7村で行った個別訪問調査では「文字の読み書き、計算は出来ますか」と いう質問項目を設定した。だが、こうした質問項目は抽象的すぎることが貧困層からの聞き取り調査を
6 クミッラ県教育事務所長からの聞き取り調査による(1999年8月19日)。
7 同上。その他、ダッカ市内の初等教育機関での聞き取り調査による(1997年8月)。
8 農村で生まれ育ち、現在はダッカで生活している友人の多くは「ダッカは住みにくいところだ。物価は高く、
空気は悪い。治安や交通事情も悪く、子どもを戸外で遊ばせられない。農村に一時帰省すると、子どもは喜 んで遊んでいる。子どもの教育の問題さえなければ、農村のほうが生活しやすい」と話している。
表4-3 : 15歳以上の識字率(2002年)
単位:%
全国 農村 都市
49.6(平均) 45.3(平均) 66.5(平均)
女性 男性 女性 男性 女性 男性
43.4 55.5 39.1 51.4 60.7 72.2 出所 : Bangladesh Bureau of Statistics, Statistical Yearbook of Bangladesh 2002, November 2004, p.630.
通して明らかになった。そこで、2002年8月の個別訪問調査では、読み-ショレオ・ショレア9、名前、
手紙、新聞、書き-ショレオ・ショレア、名前、手紙、算数(計算)、という質問項目を設定し、貧困層 から一つずつ確認した。表4-4は、その調査内容を見たものである。調査対象者は、ダウドゥカンディ 郡P村の貧困層34世帯の保護者で、総数66人となっている10。この中で、既に5人(女性1人、男子 4 人)は他界していることから、彼女・彼らの識字・就学状況は、それぞれの配偶者が代わりに回答し ている。
調査対象者66人の就学状況を概観すると、就学経験があるのは女性6人、男性12人の計18人とな っている。また、これら 66 人の中で、全ての質問項目に対して「できる」と回答しているのは僅か 6 人(女性2人、男性4人)となっている。これら6人はいずれも就学経験があり、女性はクラス5(1 名)とクラス7(1名)、男性はクラス5(2名)、6(2名)となっている。つまり、いずれもクラス5以 上となっている。これに対して、クラス1もしくは2までの就学経験しかない人々は、「ショレオ・ショ レア」や「名前の読み書き」ができる程度に止まっている。
また、女性34人の中で、12人がマイクロクレジットによる研修事業に参加した経験がある。これら 12人の中で、就学経験のない女性は9人である。そして、これら9人の中で、7人が「自分の名前の書 き方」を習得している(残り2人のうち、1人は視覚障がいがあることから、融資を受ける際は、近隣 居住者が代わりにサインをしている。その他、近隣居住者がこの家族を支援している。第5章参照)。
これに対して「読み書きが全くできない」と回答したのは21人(女性11人、男性10人)で、調査 対象者のちょうど3分の1に相当する。これら22人には全く就学経験がなく、自分の名前を書いたこ とさえないと言う。これらの貧困層は、無力であったり、判断能力が欠如していたり、という人々では ない。農村居住者の中には「私は文字の読み書きは全く出来ない。でも、何が正しくて何が間違ってい るのかということの判断は出来ているつもりだ」と回答している人も見られる。だが、非識字であるが ゆえに、社会的な不利を被ることがある。そのことを、これら貧困層は身をもって経験している。この ことについて「自分の名前も書けず、人にサインを依頼するたびに恥ずかしい思いをしている。また、
個人的な手紙であっても、誰かに読んでもらわなければならない。文字の読み書きができたらどれほど 良いだろう」と回答している。また、マジャジョンから借金をする際、用紙に記載されている数字さえ 読めず、サインもできないということがどれほど危険なことなのかを貧困層は認識している。
9 日本語の「あいうえお」に相当する。
10 事例32と事例42の夫は、P村を離れ、別な女性と生活している。そのため、彼らの識字に関する詳細は 聞いていない。
表4-4:保護者の識字・就学状況-ダウドゥカンディ郡P村(2002年8月、34世帯・66人)
読み 書き 計算 事例 年齢 就学状況
ショレオ 名前 手紙 新聞 ショレオ 名前 手紙
母 不明 不就学 × × × × × × × 出来ない 1(31)
父 35 C2かC3 ○ ○ × × ○ ○ × 苦手
2(32) 母 35 不就学 研修
× ○ × × × ○ × 苦手 母 30 C2
研修
× ○ ○ × ○ ○ × 簡単な計算が出来る 3(33)
父 40 不就学 ○ ○ × × ○ ○ × 出来る 母 20 C8 ○ ○ × × ○ ○ × 少しだけ出来る 4(34)
(父25) C4 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 出来る
母 25 不就学 × ○ × × ○ × × 出来ない 5(35)
父 35 C1 × ○ × × × × × 出来ない
6(36) 母 50? 不就学 × × × × × ○ × 出来ない
母20-25? 不就学 × ○ × × ○ ○ × 出来ない
7(37)
父30-40 不就学 ○ ○ × × ○ ○ × 少しだけ出来る
母 35 不就学 研修
○ × × × ○ × × 少しだけ出来る 8(38)
父 48 不就学 ○ × × × ○ × × 少しだけ出来る
母30-35 不就学 × × × × × × × 出来ない
9(39)
父 40 不就学 × × × × × × × 少しだけ出来る 母 33? 不就学 × × × × × × × 簡単な計算が出来る 10(40)
父 34 不就学 × × × × × × × 出来る
11(41) 母 60 不就学 × × × × × × × 少しだけ出来る
父 75 不就学 × × × × × × × 出来ない 母 35 C2
研修
○ ○ × × ○ ○ × 出来る 12(42)
父 55 不就学 × × × × × × × 少しだけ出来る 母 60? 不就学 × × × × × × × 少しだけ出来る 13(43)
父 70 不就学 × × × × × × × 少しだけ出来る 母 35 不就学 × × × × × ○ × 少しだけ出来る 14(44)
父 37 不就学 × × × × × × × 少しだけ出来る
母60-65 不就学 研修
× ○ × × × ○ × 少しだけ出来る 15(45)
(父60-65) 不就学 × × × × × × × (分からない)
母 70 不就学 × × × × × × × 出来ない 16(46)
(父) 不就学 × × × × × × × 出来ない 母 30 不就学
研修
× × × × × ○ × 少しだけ出来る 17(47)
父 50 不就学 × × × × × × × 出来ない 18(48) 母 32 不就学
研修
○ ○ × × ○ ○ × 簡単な計算が出来る