地域における書く実践に関する研究
─「ふだん記」みちのくグループを対象として─
川原健太郎
キーワード:社会教育史、メディア、書く実践、自分史、東日本大震災
【要 旨】本研究は草の根の人々が自らのことを書き、読み合う文章執筆運動である「ふだん記」を各地で 実践している各地グループを対象とした地域における書く実践に関する研究である。八王子の実践家・橋本 義夫により1960年代後半に創始された「ふだん記」は、「下手に書きなさい」を標榜し、人々に内在する書 くことへの思いなどを受け止めながら、執筆者(「ふだん記」では文友と呼ぶ)を増やしていった。活動の 広がりの分岐点の一つとなったのが、全国で「ふだん記」を実践する各地グループの誕生である。橋本の言 葉である「その土地よかれ その人よかれ」を重んじながら、活動を広げていった。
研究対象は、宮城県仙台市を中心に1980年代から活動を行っている「ふだん記」みちのくグループである。
本研究では戦後日本の書く実践が地域で刻んできた歩みの一側面として、みちのくグループの実践の歩みを 解き明かすとともに意義や役割を明らかにすることが本研究の目的である。
1.では、1980年代の文化運動に関する先行研究や、地域を記録するという側面を意識し震災の記録に関 する先行研究を概観した。2.ではみちのくグループの歩みに焦点をあて、活動の足跡を明らかにした。3.
では、「ふだん記」の文友をとりあげ、「ふだん記」への参加の契機や執筆した作品から、率直な文章記録の 場や文章を通じた親交の場であることを示した。4.では2011年3月の東日本大震災に焦点をあて、震災に 直面しながらも、その地域に暮らしている市井の人々の記録を残しつづけてきた意義や、記録を本にするこ とで遠方であっても、他者を知り支えあう場となる意義があることを見出した。
みちのくグループの意義と役割は以下の2点である。第一は、書く実践の中での、「ふだん記」各地グルー プおよびみちのくグループの特色と意義である。その中でも各地グループの特色は、「ふだん記」の理念で ある「下手に書きなさい」に基づいたふだん着で飾らない文章執筆の場になってきたことである。とりわけ、
みちのくグループの意義はみちのくに暮らす人々が自身の歩みや生活を書き残す場であることと同時に、み ちのく以外の人びとにその姿を伝えていることと位置付けられる。第二は、大震災以後のみちのくグループ の果たした教育役割である。文章を書く行為そのものによる学びのみならず、文章を通じ他者の生を知るこ と、他者を支えようとする思いを持つこと、さらに当時の記憶を新たな人々に伝えていくことなどさまざま な役割を果たしていることがうかがえた。
はじめに
本研究は草の根の人々が自らのことを書き、読み合う実践を行う文章執筆運動である「ふだん 記」(ふだんぎ)を各地で実践している各地グループを対象とした地域における書く実践に関す る研究である。1960年代後半に東京西部・八王子において橋本義夫(1902−1985年)により創始 された「ふだん記」は、「下手に書きなさい」を標榜し、草の根の人々に内在する書くことへの
思いなどを受け止めながら、執筆者(「ふだん記」では文友と呼ぶ)を増やしていった。その活 動の広がりにおいて、分岐点の一つとなったのが、全国のさまざまな地で「ふだん記」運動を展 開している、1970年代後半における「ふだん記」の各地グループの誕生である。「ふだん記」で は運動が広がる中で、橋本の言葉である「その土地よかれ その人よかれ」を重んじているが、
「ふだん記」に共感をする人々により作られた各地グループの活動が広がっていくにつれ、さま ざまな地で「ふだん記」運動が全国に展開されていった。
各地グループの誕生から半世紀に亘り、「ふだん記」の各地グループは40年ほど活動を行って いるが、さまざまなグループの成立と休止の変遷を経ながらも、2019年3月現在もなお北海道か ら九州までさまざまなグループが「ふだん記」の実践に取り組んでいる状況にある。こうした執 筆による文化運動を本研究では取り上げる。戦後70年を経過した中、戦後日本における地方の文 化運動がいかようであったのか、庶民が自らのことを書き記す書く実践に焦点をあて、実証的に 明らかにすることが本研究のテーマである。さらに、「ふだん記」のような書く実践を行う活動 が書き手や地域にとりどのような意義を持つのかもまた、本研究の課題に設定したいと考える。
「ふだん記」に関する先行研究では、色川大吉による1974年に発表された「現代の常民─橋本 義夫論 昭和精神史序説1」を契機として、創始者の橋本義夫と「ふだん記」に関して様々な視 角から研究が取り扱われてきた。中でも、歴史学の分野で取り上げられた研究2や、社会学の分 野から取り上げられた研究3、橋本の思想や人物に焦点を当てた研究4など、橋本や「ふだん記」
には一定の研究の蓄積がある。一方で未達の分野も少なからずあり、その一つが「ふだん記」各 地グループに関する研究である。文友と呼ばれる「ふだん記」の書き手自身の手による記録5な どがこれまで多く残されているものの、各地グループに関する研究は解明されていない点が少な からずあり、本研究で対象とするみちのくグループについてもまた、先行研究の中で取り上げら れることはなかった。そのため、各地グループの活動が活発になる1970年代以降の「ふだん記」
の研究が待たれている状況にある。
そうしたことを踏まえ、本研究に関する研究として、これまで北九州グループ、あいちグルー プの調査を行い、さらに北海道にある各地グループ、全6グループの調査も実施している6。各 地グループはいくつかのグループの設立や活動休止などを経て、2018年9月現在、約20のグルー プが活動を行っている(〈みちのくふだんぎ〉75号、ふだん記みちのくグループ、2018年9月)。
各地に暮らす人々が自らの来歴(「自分史」)や身の回りのこと、ふだんの暮らしの中で感じたこ となどを書き記しながら、その地での文化の歴史を積み重ねてきたのである。
研究対象は、宮城県仙台市を中心として1980年代から活動を行っている「ふだん記」みちのく グループである。本研究では、戦後日本の書く実践が地域で刻んできた歩みの一側面として、み ちのくグループの実践の歩みを解き明かすとともに意義や役割を明らかにすることが本研究の目 的である。
本研究では、主に二つの研究方法による研究を実施した。第一はみちのくグループの文友への インタビューである。窓口を務めている小野征子への個人インタビューと文友へのグループイン タビューの二つを実施している。第二は、機関誌である〈みちのくふだん記〉の全号の調査及 び、みちのくグループ文友が個人または複数で執筆した「自分史」の単行本の文献調査である。
構成は以下の内容で論じる。1.先行研究及び調査の概要、2.みちのくグループのあゆみと 活動概要、3.みちのくグループ文友の学びと変容、4.みちのくグループが地域にもたらした 影響。
1 先行研究及び調査の概要
(1)先行研究の整理
戦後、日本各地でさまざまな学習文化運動が展開されてきた。中でも全国規模で広がった書く 実践に目を向けると特に1950年代の生活記録運動及び共同学習は特筆すべき運動であり、豊富な 研究の蓄積がある7。一方で、本研究で対象とするのはそれからもう少し時代を経た、1980年代 に活動がはじめられた書く実践に関する仙台を中心に活動をしている「ふだん記」の各地グルー プによる実践である。
みちのくグループの活動が始まった1980年代は1990年代の地方分権に関する論議が進みつつあ る時期であった8。この1980年代の地方文化運動に係る社会教育における研究に関しては、日本 社会教育学会年報編集委員会編(1994)『地方自治体と生涯学習』の自治体と社会教育に焦点を 当てた研究がある9。そこでは、例えば、80年代を対象にしたものでは、酒匂(1994)による東 北地方の80年代の産業構造の転換から自治体における生涯学習をとらえた研究や姉崎、左口、田 村(1994)による80年代英国のリ・プラン事業を対象にした社会的不利益層の生涯学習の研究な どもみられる10。
他にも、玉野(2000)による1970年代から1980年代にかけての女性文化センターや家庭教育学 級自主グループの活動に焦点を当てた研究もある11。
これらからみられるように、本研究で対象とする1980年代の地方文化運動に関しては、少しず つ明らかにされつつある。しかしながら、まだ30年強の年数を経過したばかりであり、必ずしも 先行研究の蓄積はそれほどみることができないように思われる。今後、より一層のさまざまな実 践の掘り起こしが待たれる状況にあることをうかがうことができる。
さらに、本研究のテーマに係る東北地域における記録やその意義を対象にした研究では、2011 年3月の東日本大震災以降、特にさまざまな機関により記録を残す試み及び、その方法が模索さ れている。東北6県のブロック紙である新聞社、河北新報社(2011)では、河北新報の東日本大 震災当時における発行をめぐるドキュメンタリーを記し、まとめている12。この書では震災下の 新聞、特に地方紙の報道のあり方に実例から迫っており、報道のプロでありつつも、被災者に近 い立場からみた当時の事象を伝える意義を読み取ることができる。他にも公的機関による震災の 記録に関する事例では、宮城県東松島図書館による
ICT
地域の絆保存プロジェクトがある。こ のプロジェクトは、写真やチラシなどの震災資料、さらに市民の被災体験談などをデジタル化し アーカイブする取り組みである13。国レベルの取り組みに関しては、国立国会図書館において、国立国会図書館東日本大震災アー カイブ(愛称:ひなぎく)が公開され、2015年12月末現在で40機関45のデータベースとの連携 により合計318万件のデータが検索できるようになっている14。また、震災に係る語りに着目を した研究もみられる。山本・平尾(2014)の研究では、東日本大震災被災地における看護職の
語りに焦点が当てられ、震災下に看護の職務に関わることの意味をまとめている15。他にも黒崎 他(2014)では、東日本大震災の被災地住民による語り合いにより、思い出の共同想起をするこ とで、前向きな気持ちになれるようアクションリサーチ的に試みている実践的な研究もみられ る16。
東日本大震災に限ってみても、地域に関わる記録・記憶を残すためにさまざまな方法が試みら れている状況がうかがえる。本研究で対象とする「ふだん記」においても、書き手が自ら書く文 章の形で、地域の記録が収められている。しかしながら、書き手の「自分史」や日常生活のこと など、形態はそれぞれの文章により違っており、上記で取り上げた事例とは異なった方法で記録 されたものである。
このように多様な取り組みが進められていることを鑑みると、地域において記録を残していく という観点でも書く実践は何らかの役割を担い得るのではないかと推察される。東北における書 く実践をみることはまた、現代的な意義を帯びているのではないかと思われる。
(2)研究調査の概要
本研究に係る調査では質的研究の方法を中心に行った。「ふだん記」みちのくグループに対す る具体的な調査は、みちのくグループ窓口への個人インタビュー(インタビュー1)、及びみち のくグループ文友5名へのグループインタビュー(インタビュー2)の二つのインタビューであ る。それぞれの内容は以下の通りである。
〇みちのくグループインタビュー調査概要
インタビュー1:みちのくグループ窓口への個人インタビュー
・日時 2016年12月9日(金)
・場所 宮城県仙台市
・対象 個人インタビュー(聞き手:川原健太郎)
・内容 「ふだん記」との出会い、「ふだん記」への参加のきっかけ、「ふだん記」創始者の橋本 義夫との出会い、「ふだん記」で執筆したことから得たことなどのライフストーリー。
みちのくグループの立ち上げの概要とあゆみ。東日本大震災時に発行された機関誌〈み ちのくふだん記〉60号・あゆみ(2011年3月)、61号(2011年9月)発行当時の状況や 経緯など。
インタビュー2:みちのくグループ文友へのグループインタビュー
・日時 2016年12月9日(金)
・場所 宮城県仙台市
・対象 文友5名グループインタビュー(+窓口同席)(聞き手:川原健太郎)
・内容 「ふだん記」との出会いと「ふだん記」参加後のライフストーリー。「ふだん記」で書く ことの思い、書くことで得られたこと。「ふだん記」で震災の記録を綴ることへの思い など。
インタビュー1は、みちのくグループ窓口の小野征子への個人インタビューである。窓口と は、「ふだん記」各地グループにおいて各グループを代表し、主に機関誌発行や各種の文友間の 交流会、連絡調整に係る業務等の中心的な役割を果たす人物である。他の各地グループとの連絡 に関する業務などにも従事しており、会の運営の要諦となる一人と位置付けることができる。そ のことを踏まえ、窓口には各地グループを立ち上げる以前の自身のライフストーリー及び、「ふ だん記」との出会い、創始者・橋本義夫との出会い、みちのくグループ立ち上げの経緯などのグ ループ立ち上げに至るまでの経緯や活動史に関しての聞き取りを行っている。さらに、「ふだん 記」みちのくグループの活動の概要も確認している。
なお、インタビュー1においては会の歴史や概要の調査とあわせて、みちのくグループの機 関誌〈みちのくふだん記〉のうち、東日本大震災直後の時期にも継続して発行されている60号
(2011年3月)、61号(2011年9月)に関して、発行に至る経緯や当時の状況に関しても聞き取っ ている。
インタビュー2は、みちのくグループの文友(「ふだん記」執筆者)5名を対象にしたインタ ビューである。グループによるインタビュー形式で実施しているが、個人の体験などに関しては それぞれに個人ごとに話もうかがう形を組み合わせたインタビューである。インタビューの主な 内容は、ライフストーリーを交えながら、どのライフステージで「ふだん記」と出会い、書くこ とで何を得たかである。さらに、震災直後に発行された60号、61号に鑑み、震災を記録すること への思いについても問うている。このグループインタビューでは、みちのくグループ窓口にも同 席を頂く形で実施をしており、文友それぞれがみちのくグループの活動の中で感じていること等 も調査している。
1,2いずれのインタビューにおいても、方法は半構造化インタビューで実施しており、前 述の内容を含めつつ、自由に「ふだん記」に関して語る形式をとっている。あわせて、インタ ビューの実施に先立ち、調査紙による事前アンケートへの協力を依頼し、「ふだん記」に関わっ た経緯などや「ふだん記」との出会いに関して書面でも回答を得ている。
2 「ふだん記」みちのくグループのあゆみと活動概要
(1)「ふだん記」みちのくグループの活動概要
「ふだん記」みちのくグループは、1982年に立ち上げられた。みちのくグループの機関誌であ る〈みちのくふだんぎ〉は1982年10月に創刊されて、おおよそ年2回(3月、9月頃)の間隔で 発行しており、2018年9月現在75号(2018年9月)の発行を重ねている。なお、この機関誌の発 行の特筆すべき点の一つに、2011年3月の東日本大震災下においても発行の継続を続けている点 を挙げられる。みちのくグループは2011年3月に〈みちのくふだん記〉60号の発行を行ってい る17。
〈みちのくふだんぎ〉の執筆は、みちのくグループ文友の他、みちのく以外の各地グループ の文友も行っている。内容は主に、文友各自が執筆した文章、創始者・橋本義夫による巻頭言
(1985年の没後は橋本義夫の残した言葉)、「ふだん記」にまつわる話や各地からみちのくグルー プに寄せられた手紙等で構成されている。みちのくグループでは特にテーマを設けた構成をとっ
ておらず、書かれている文章は、自己紹介、書き手の日常のこと、書き手の「自分史」などが文 集形式で自由に書かれている。
なお発行部数は120部程度、みちのくグループを中心と活動している文友の数はおおよそ27名 ほどである。
みちのくグループ発行の機関誌には、年2回の〈みちのくふだん記〉誌のほか、創刊15年・30 号記念(1996年3月)、創刊25年・50号記念(2006年3月)、創刊30年・60号記念(2011年3月)、
創刊35周年・70号記念(2016年3月)にそれぞれ、記念誌である〈みちのくふだん記のあゆみ〉
も発行している。記念誌には〈みちのくふだん記〉各号の表紙、巻頭言、総目次及びあとがきが 収載されており、みちのくグループの歩みを振り返ることができる。
窓口は小野征子、主著に自身の「自分史」本である小野征子『跳躍のある飛行─ ある若い東 北女性(おんな)─』(ふだん記新書158、ふだん記みちのく・全国グループ、1985年)がある。
みちのくグループの創設当時から小野が窓口を務めており、現在に至っている(なお、この間に はみちのく11号は沼崎武子が窓口を、12号から14号までは結城桂子が担当している)。
活動内容は上記のような雑誌及び書籍の発行の他に、機関誌の発行ごとに実施している文友 のつどい(「発行記念会」)がある(おおよそ機関誌発行の翌月に実施)。さらに、機関誌は読み あった後、ハガキや手紙を通じて感想等を通じた交流を文友それぞれで行っている。ハガキや手 紙を用いた形式にとらわれない文友同士のやり取りは、「ふだん記」を特徴づける活動である。
特に、みちのくグループでは機関誌に、みちのくグループへ届く多くの手紙の抜粋を収載してい るため、直接のやり取りとともに、誌上を通じて作品の感想を交換することも可能となってい る。
以上の活動内容をまとめると、二つに大別することができる。第一が文章の執筆、機関誌等各 種発行物執筆のような文章執筆・出版活動であり、第二は対面や誌面・手紙などによる文友相互 の意見交換などである。
(2)みちのくグループ前史
みちのくグループは1982年に創立、同年10月に機関誌の創刊号が発行されている。これは「ふ だん記」が創始者の地元の東京八王子で創刊されたのが1968年であることから、おおよそ15年弱 が経過した時期にあたる。ここでは窓口・小野征子へのインタビューや小野の「自分史」本を参 照しつつ、みちのくグループの立ち上げまでの前史を述べる。
1940年代中頃、終戦直前に福島県会津で生まれ青年期を過ごした小野は、結婚後配偶者の転勤 に伴い、猪苗代町、青森市、弘前市、仙台市と東北各地を移り住んでいる。その間3子を設けて いるが、弘前市で主婦として生活を送っている当時の小野が30代の時、1980年に「ふだん記」と 出会っている18。1980年当時は、〈ふだん記・津軽〉創刊号が1980年4月に創刊されたばかりで あり、弘前に「ふだん記」津軽グループができ、「ふだん記」運動が東北に芽生えたばかりの時 期であった19。
小野と「ふだん記」との出会いは、小野自身が〈ふだん記津軽〉誌に自身で書き綴った作品が 残っている。その記述によれば子どもの骨折の治療のため、接(整)骨院へ赴いたときに、待合
室のタウン誌に掲載されていた「ふだん記」津軽創刊の紹介記事を読んだことがきっかけであっ たという20。タウン誌に掲載された当該記事には、「ふだん着でつき合い、ふだん着で話し、ふ だん着でものを書こう─ というわけで、『ふだん記・津軽』が創刊された。(……)日常の身の 回りを見渡して、拙くてもいいから一文に残すという『大人の生活綴方』運動は家庭の主婦から 学生などに幅広く広がりつつある21」と書かれており、「ふだん記」津軽グループへの参加を呼 び掛けるものであった。この記事はいわゆる町の情報を紹介するもので、「ふだん記」を必ずし も大きく取り上げた記事ではなかった。
では、なぜこの記事を読んだ小野は「ふだん記」に参加しようと思い立ったのか、インタ ビューの中で次のような言葉で語られている。
「何かやりたいという意欲はいろいろあって、(……)いろんなサークルに入っても結局は、だ んなが転勤になれば、付いて行かなきゃなんないから、そこまで培ってきたものが、線を引い て、さよならをしなきゃなんないと。ところが、『ふだん記』というのはどこに行ってもできる し、はがきが原動力っていうか、はがきで書けばどこでもつながっていけるし、これは転勤族に は持ってこいじゃないのかって自分で思って。結局やり始めたら、いろんな知らない人からはが きが来るっていうのがすごくうれしくて22」。
「ふだん記」は文章の執筆をするとともにハガキ・手紙などによる文通を行う運動であるが、
対面でなくとも書面で通じ合えるという「ふだん記」ハガキ・手紙の側面に意義を見出している ことがうかがえる。また、「ふだん記」に文章が初めて掲載された〈ふだん記・津軽〉4号(1981 年1月)の感想は自身の著書の単行本に以下のように記している。
「『津軽四号』に初めて文が載り、新しい世界がひらけた様でうれしかった。『ふだん記』は
「下手でも真実を書けばいい4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4」という言葉に励まされ、気ままに自由におもいつくまま書いてい る。(……)下手な文字で、思い出や雑感を綴った下手な文にもかかわらず、『投稿ありがとう』
と載せて下さって、『ふだん記』を送ってくださる。感謝の気持ちでいっぱいである23」。
こうした言葉からは字や内容の巧拙を問われることなく自由に文章を書き、そのことが掲載さ れ反応があることに喜びを見出していることがうかがえる。
さらに、小野のみちのくグループ創設に至るまでの過程にもう一つ重要と思われるのが、「ふ だん記」運動の創始者である橋本義夫との出会いである。1981年11月、「ふだん記」が創設され た地である八王子で開催された「ふだん記」の大会(「会う日、話す日」)に小野は出席をするが 次のように振り返っている(なお、当時小野は「ふだん記」津軽グループの文友であり、窓口の 水木幸夫の代理としての参加であった)。
「忘れもしませんって。あの頃の本当に、会う日、話す日の熱気っていうのは、(……)遠くか らの人とか新人とか、そういう方をみんなして大事にするから、本当に最高に気持ち良くなっ ちゃって。(……)あの先生(橋本義夫:引用者)の雰囲気はね。すごく壇上で熱弁、ドンドン と興奮してくると、テーブルたたいて、『いいですか、下手に書けばいいんだ、下手に』なん て24」。「ふだん記」の掲げる理念の一つである「下手に書きなさい」を述べる橋本の様子を交え つつ、その衝撃を語る。このような綴ることとつながることというあり方に加え、橋本義夫との 邂逅を経て、「ふだん記」という実践そのものへの関心を持ったことが、まさにみちのく窓口の
小野の「ふだん記」の出発点であったと考えられる。
(3)「ふだん記」みちのくグループの創立とその後の経緯
みちのくグループの創立は、それから1年を経た1982年10月である。これは、グループを創立 した窓口・小野の配偶者の転勤に伴う仙台への引っ越し(1982年7月)にともない、転居先でも
「ふだん記」の実践を続けたいと考えたためである。みちのくグループの機関誌〈みちのくふだ ん記〉創刊号は手書き、24ページのコピー誌であり、相当に小さい規模での出発であった。創刊 号では「百の説明より、まずみんなで書いてみるのが一番と 拙速主義 にのっとり軽い気持ち で初めてみました25」と書かれており、活動を始めるために特別な重みを感じたものではないよ うに読み取れる。
「ふだん記」の新たなグループを始めるに際しての気持ちに関しては、インタビューにおける 当時の振り返りの中でもこう語られている。「立ち上げるという意識はなかったんですけども、
やっぱり友達がほしかったのかな。津軽のようなつながりっていうか(……)やっぱりこれ、先 生の言葉が大きいんです。『おやんなさい』って26」。文章を書く活動を通じた文友の存在をつく ることへの意識、創始者・橋本義夫の言葉などの支えを受けながら始めていることがわかる。ま た、橋本からはグループへの喜捨もあったという。
さらにインタビューの後日「当時は創立というほどの大きいものではなく、小さい本を創刊し ただけなんです」、と小野は振り返りつつ「小さく生んで大きく育てる」という橋本義夫の言葉 の後押しがあり、行動を起こすバックボーンとして支えられたことにも言及している27。グルー プを始めることは大きいことではなく、あくまでも「ふだん記」流の自然なことであり、いわば ふだん着の出発であったようだ。
出発当初は、手書き・コピー誌であった〈みちのくふだん記〉は徐々に体裁が整えられてお り、創刊号は手書き・コピーホチキスどめ、2号(1982年12月)から5号(1984年2月)まで は、手書き印刷製本(4号は一部活字タイプ含、5号は手書きワープロ併用)で
B
5版型だっ たものが、1984年8月発行の6号からはA
5版のタイプオフセットへとなり、その後に続いて いる28。橋本義夫のみちのくグループに関する期待は、橋本の〈みちのくふだん記〉への寄稿文からう かがい知ることができる。例えば、初めて巻頭言を寄せた2号では、「東北の『ふだん記』は、
既成観念からの飛躍ができ、結局全本州を動かすのではないかと思う29」と記されている。ここ にみられる既成観念からの飛躍の詳細は、その後の橋本の言説からも読み取ることができる。み ちのくグループの活動初期の時期のうち、機関誌〈みちのくふだん記〉の9号の巻頭言は橋本義 夫の絶筆であり(橋本は1985年8月4日に没するが、〈みちのく〉誌巻頭言の執筆は7月26日で ある)、みちのくグループにとっては元より「ふだん記」の実像を探るうえでも重要な文章であ る。
この巻頭言では「表現を大きく、表情は豊かに それが文明の方向である」と表題がつけら れ、「表現やゼスチャーは明るく誰にも解る様に、文章などでも最早過去や文士輩などを模範に することなく、自らの表現法を手作りにすべき時が来たようである30」との文言がみえる。ここ
には、文章は近代までのような一部の専門家によるものではなく、自由な表現で文章を書くこと を期待する橋本義夫の「ふだん記」に対する考えが読み取れる。前述した既成観念からの脱却と いう理念にも通じる。橋本義夫がみちのくグループに寄せていた期待はここからも読み取ること ができる。
3 文友からみたみちのくグループ
(1)文章を書き残す場としての「ふだん記」
本節では、「ふだん記」を執筆する文友に焦点をあて、文友の側面からみちのくグループを論 じたい。「ふだん記」の実践のあり方を示している重要な言葉が、創始者橋本義夫の「下手に書 きなさい」である。言葉通り、文章の上手い下手、文字の巧拙などを気にせずに自由に文章を書 こうとする理念である。みちのくグループ窓口の小野はこう語る。「下手に書け、恥をかけって いうか、やっぱり、今まで書くことは作家とかそういう特別の人のものだったんだけども、日 本語話せんだら誰でも書けるんだよっていう、それが一番尊いんだっていうような言い方をさ れて。別に何も、思ったことを、ただ書けばいいんだって、すごく気が楽になったっていうか、
(……)書くことに対して別に抵抗はなかったですね31」。こうした理念を掲げられていることは また、さまざまな文友を「ふだん記」に惹きつける要因と思われる。
最初に取り上げるのは、1920年代半ば生まれの女性、沼崎武子のケースである。初めて「ふだ ん記」への投稿は、沼崎の著書『人の旅』によれば1983年3月、59歳の時である32。きっかけは 新聞記事であった振り返る。「『ふだん記』は新聞を見たんだと思いますよ。新聞か何かに出てい て3号から入ったんですよね。(……)(新聞記事の内容は)覚えてませんね。何しろ文書くのが 好きだったから、そういう新聞だってちょっとしたとこ見て、ああ文章書けるんだ、書く場所が あるんだと思ってすぐそれに入ったんです33」という。
「ふだん記」の実践ではみちのくグループ以外にも地元のミニコミや新聞に取り上げられる機 会が少なからずあり、例えばふだん記みちのくグループにおいても、結成と創刊号発刊の紹介、
問合せ先などは、創刊号発刊後の読売新聞に掲載されている34。沼崎がこうした新聞記事に呼応 したのは、「ふだん記」と出会う前から文章を書きたいとする思いがあったためと考えられる。
これは、例えば学生時代の体験に関する沼崎の次のような語りがみられることからもうかがえ る。「女学校時代から文章書くのは大好き。(……)女学校で作文書かせられたんです。(……)
私が当時の作文書いたら、生徒さんかなりいたんですけど、私の作文だけがちゃんと教室に貼っ てあって、(……)作文って面白いんだなってその頃から文書くの大好きになりました35」。
このように語る沼崎は「ふだん記」の実践に取り組み始めてから2冊の著書を執筆している。1冊 がみちのく文友8名による共著によるそれぞれが「自分史」・家族史などを記した本『みちのく 女八人集 こぼれ萩』、もう1冊が沼崎による単著の「自分史」・エッセイ集『人の旅』である36。 前者の『こぼれ萩』の執筆に関しては「文章を書くことに燃えていた頃、何か書き残したい、
それには先ず自分の両親や祖父母、つまり仙台の人人のことを書かねばと思い、当時気持ちの ぴったり合った仲間八人で『こぼれ萩』を発刊する。一九八六年合同文集ながらこの世に初めて 出した本に感動した37」と、書き残した文章が本になることの感動を綴っている。こうした心情
は、同書の著書の文友の一人である栗林美智子も「出来上がった時の喜び、私のページが一冊の 1/8ある、とびら表紙に自分の題があり、そして目次も。一人一人が自分なりに考えて作った 本、それが八人八様に書いているのです。八人で書いた一冊の本38。」と文章が本の形になるこ との喜びを記していることなどからも見出すことができる。
なお、沼崎は「自分史」を収めた単著の単行本については、「一九九五年には、今までふだん 記に書き留めたものを軸に『人の旅』と題して、念願の自分史を出すことができた。(……)私 の人生最大の宝物を残すことができた39」の表現で、綴った文章が形になることの意義を綴って いる。これらの語りや記録からは、自らの書いた自身の歴史が文章になり、形になることの喜び を、文友たちが「ふだん記」の運動を通して得ていることがわかる。
他にもそれまであまり活字の読み書きをしなかったが、「ふだん記」に入ったことを契機に文 章を書くことを目標にしたと語る文友もいる。1940年代半ば生まれの女性、松本一子が「ふだん 記」と出会ったのは2006年、60代の時期であった。〈みちのくふだんぎ〉の50号発行を紹介する 新聞記事40を読んだことがきっかけであったという。出会いについては、次のように綴っている。
「三月二十九日の新聞で『ふだん記五十号に』の記事を目にし、なんとなく興味があったので しょうか、その記事を切り抜きテーブルに置いておきました。(……)活字を書いたり、読んだ りすることが知らず、知らず億劫になり遠ざけていることに焦りを感じていた矢先の新聞記事で した。何故か仲間に入れて頂いたことにホッとし、生活の中に 書く という目標が出来たこと が嬉しくなりました41」。
さらに、松本は「ふだん記」に参加した心情を次のように語っている。「新聞でたまたまこれ 見たときに、年齢的にものを書くとかそういうことが少なくなるから、(……)自分なりに下手 でも何でも書くっていうか、そういうことができるんじゃないかなっていうことで、(みちのく グループ窓口:引用者)小野さんにお電話してここに入らせていただいたんです。(……)原稿 締め切りまでっていうのがありますけど、でもやんなくちゃいけない、書かなくちゃいけないっ ていう気持ちで、そういうものがいいんじゃないかなって自分自身に思って、それで今まで続け させていただいています42」。ここに見出されるのは、自分なりで書ける活動であることで、か つ何かできることをと思い参加した文友の心情である。できる範囲で何らかの活動に関わること で、自らを力づける機会としているようにうかがえる。
さらに、「ふだん記」に参加した意義を次のようにも語っている。「日常生活の中でいろんな生 活していると、今度こういう原稿を書こうかなとかって、もしそういうことがなかったらただ ぼーっと日にちを追ってたと思うんですけど、こういうことがあるんで、やっぱりいろんなもの に神経使うっていうかそういうものはありましたね43」。「ふだん記」に書くことをきっかけに、
日々の生活の気づきにつなげるようにしているというのである。
こうした語りからは、「ふだん記」に参加し執筆することが自らの日々の生活の充実につな がったととらえている文友の姿を見出すことができる。
(2)他者とのつながりの中で書き、他者の文を読む場としての「ふだん記」
一方で、「ふだん記」を他の人々との関わりあいの機会ととらえつつ参加している文友の姿も
多くみられる。1940年代後半生まれの文友、阿部厚子が「ふだん記」と出会ったのは1990年、40 代の頃である。契機となったのは、近所に住む文友(『こぼれ萩』共著者の一人である結城桂子)
からの紹介であった。「趣味の会でずっと30年ぐらいご一緒だったんです。『ふだん記』のことを よくお話してました、そのとき。私も時々地元の新聞紙に投稿とかしてまして、それを結城さん が読んでまして、阿部さんも『ふだん記』に入ったらどうですかって声をかけていただいて44」 と、元来書くことに興味を持っていることもあり、紹介を受けたと阿部は語る。
「ふだん記」の他の文友に関して阿部は種々な形で語っているが、「ふだん記」に参加すること で得られた点を、次のように綴った言葉もみられる。
「無我夢中で書いた原稿、不安と緊張で出席した初めての記念会、皆さんの温かい拍手と手の 温もりは今でも忘れられません。ふだん記に入っていろいろな人生があることがわかりました。
そして人はひとりでは生きていけないこと、たくさんの人たちに支えられて生きていることも改 めて知りました45」。ここにみられるのは他者の書く文章に込められた人生から、人の生き方を 改めて学んでいることである。他者との直接なつながりはもとより、機関誌に収められた文章を 通じて間接的にも生き様を学んでいる。阿部の書く「ふだん記」のテーマは母の死、子の大怪 我、入院など家族に関わる大きな出来事が少なくない46。他者の人生を読むとともに、自らの人 生を綴っている。
文章を読みあいながら、「ふだん記」ではハガキや手紙を送りあうが、文友からの手紙に対し て、「いいですね、本当に。返事が必ず返ってくるので、やっぱり私の気持ちを分かってくれ、
それが一番の支えです。いろんな人いますけれども、文友さんの中でも自分と同じ考えだったり こういうふうに思ったほうがいいよとかって、本当に心から分かってくれる人が必ず文友さんの 中にいますので、そういう人たちに本当に救われましたね47」とも語る。こうした綴り、語りか らみえるのは文章を通して他者を知り、自己を知ってもらうことによる信頼の醸成である。
他者との関わりという側面でみると、他者の書いた文章に関心を持ち参加した文友もいる。そ れが1930年代前半生まれの文友、吉田光子である。吉田は新聞に掲載された〈みちのくふだん 記〉の書評をみて興味をもったといい、「まずは読みたいと思った。自分で書くなんてあんまり 思わなかったです48」と語っている。その後「ふだん記」を知ってから2年ほど経過したのち、
〈みちのくふだん記〉19号(1990年9月)に初投稿をしており、知った当時の気持ちを書いてい る49。文章を読みたいと思ったきっかけは、同郷の女学校時代の先輩の書いた文章を目にしたこ とがきっかけという。
ハガキをだすことを当初はためらっていたというが、「その後小野さんから贈られたふだんぎ の中の一文に引き付けられむさぼる様に読んだ。そこには私の故郷の祭りの情景が情緒たっぷり に書かれて居る。ああ!たちまち鼻の奥がツーン50。」と感激したこともあり、その先輩にハガ キを書きやり取りをつづけ、のちに直接対面を果たした経験を書き残している。
また、吉田と同じボランティア活動に参加していた縁により、「ふだん記」に誘われ参加をし た文友は、1920年代後半生まれの文友の船山あきこである。初投稿は52号(2007年3月)、70代 後半の頃である。船山は「こういう本が出ているのを見せていただいて、その本の中に下手でよ いというのが気に入った51」と語り、「下手に書きなさい」という言葉の印象を肯定的に振り返っ
ている。このことをうけて、日常のことを書き綴っている52。自然体での「ふだん記」に参加し ているとする船山は、ふだん記みちのくグループに参加したことを次のように綴っている。
「文友さんに誘われるまま『下手に書きなさい、恥をかきなさい』を自分なりに解釈してみち のくふだん記に拙文を書き、それが本になり感激でした。お仲間入りして、年二回の記念会に出 席して、文友さんと何十年も前からのお友達のようにお話がはずみ、毎度『あっ』という間に時 間になり、別れを惜しんで二次会に行ったりして、楽しい記念会です53」。
書き手が自分の文章が本になることへの喜びを持つとともに、それを対面で語り合う喜びを書 き残していることがみえる。
本節で取り上げた文友たちの文章や語りから、文友たちは主に2点のことをみちのくグループ での実践から得られていることがうかがえた。第1は文章を書き、発表する場である。「ふだん 記」みちのくグループに参加する文友は、何らかの活動への活動を希望している者や元来より書 くことが好きな者など活動することに関心を持っていることがうかがえた。これらの人々は文章 が形になり、「ふだん記」の機関誌が発行されることの喜びを綴り、語っている。こうした経緯 から「ふだん記」は人々の文化活動をしたいと望む熱意を昇華する場としての意義を有している 存在であると考えられる。
第2は他の文友との関わりの場である。「ふだん記」の実践の中では文章を読みあうと同時に、
ハガキ(手紙)を出しあい、語り合うが、「ふだん記」の文友たちはこのことを書くことの励み にするなど、その良さを語っている。なお、「ふだん記」におけるハガキの交流は、「コンニチハ ハガキ」といわれる「ふだん記」流のハガキである。拝啓・敬具などの語を使わず、「こんにち は」で書き出す自然な文体の便りである。こうした敷居を下げたハガキにより積極的な交流が生 み出されている。間接、直接を問わず文友たちは作品や手紙を通じて支えあってきており、こう したそれぞれを支えあう場となっていることもうかがえる。
4 震災の記録と〈みちのくふだん記〉
(1)震災直後の時期における〈みちのくふだん記〉発行の経緯
みちのくグループでは、機関誌の創刊以後書き手それぞれが体験してきた経験や考え方を共有 しながら、自らのことを書き記し紡いできた。自らを書くことは、暮らしている地域の歴史や今 を映すことにつながっており、「ふだん記」の機関誌はまさにその積み重ねとしての成果物であ ると思われる。こうした草の根の人々が歴史を積み上げる意義については、みちのくグループは もとより、他のさまざまな「ふだん記」各地グループにおいてもみることができる。
そのような状況下、みちのくグループが記録することで地域にもたらされた意義の一つに思わ れるのが、2011年3月11日に発生した東日本大震災に関する記録である。前述のとおり、〈みち のくふだんぎ〉誌は、2011年に〈みちのくふだんぎ〉60号(2011年3月発行)、〈みちのくふだん ぎのあゆみ60号記念号〉(2011年3月発行)、〈みちのくふだんぎ〉61号(2011年9月発行)の3 誌が発行されている。震災からおおよそ半年の時期に発行された〈みちのくふだんぎ〉誌では、
日常生活の記録とともに、東日本大震災にさまざまな形で直面した文友のさまざまな記録が多く 収められている。こうした本は、どのような状況下から出されたのだろうか。2011年3月に発行
された〈みちのくふだんぎ〉60号及びみちのくグループ創刊30年と60号を記念して発行された記 念誌〈「みちのくふだん記」のあゆみ〉の2誌の発行の経緯を、みちのくグループ窓口へのイン タビューと、61号に収載されている記録などからみていく。
みちのくグループは3月と9月の年2回に機関誌を発行しており、2011年3月はまさに60号の 発行月と重なる。発行は地元宮城県、岩沼市の武田印刷株式会社が担当している。発行に関して は、60号と〈みちのくふだん記のあゆみ〉の2誌を並行してすすめたようだ。3月10日には印刷 所からの最終校正確認依頼、3月11日の午前中(震災発生前)にはファックスで最終校正の返 信、4月14日両誌の納品の連絡があり、納品は4月20日に行われた54。本来予定されていたみち のくグループの創刊30年・60号発行記念の集まりである「感謝の集い」は中止の措置をせざるを 得なかったが、機関誌の発行は継続できることとなった。
「感謝の集い」の中止からは、当時の東北の厳しい状況が浮かび上がる。4月24日に宮城県仙 台市の秋保温泉で開催予定であったこの集いは、上記の記念のためふだんの出版記念会と異な り、全国のふだん記文友に呼びかけ開催する予定のものであった。しかしながら、震災の影響で 中止となったようである。一方で、こうした状況にも負けないようにとの励ましもみられた。北 九州グループの文友・山本久江は開催中止に対して、3月30日付で次のメッセージを寄せてい る。「征子さんとは、同じ頃に『ふだんぎ』に入り、以来三十数年間、ずっと『こんにちは』し て来た。『北九州ふだんぎ』の集いにも、仙台からきて下さったことがある。悲しい時、辛い時、
どんな時でも私をハガキでさり気なく支えてくれた征子さん。何時か、必ず逢いに行くよ。待っ ててね55」。震災直後の厳しさの中、力強く支えあう気持ちを述べていることがわかる。なお、
「感謝の集い」は数年を経た2014年4月19日、みちのくふだん記発行32年にあたる年に改めて開 催された。参加した文友は62名、〈みちのくふだん記〉を発行している印刷会社からもゲストと して参加している56。
窓口の小野は機関誌に関して、すぐの発行は難しく年内に発行ができればと考えていたようだ が震災直後の時期に発行ができたことを取り上げ、「最終的にはどんなでも、人と人が作るもの だから」と印刷所の担当者との信頼関係の大きさに言及しつつ、さらに「『ふだん記』どころじゃ ないっていうときこそ、『ふだん記』があったから、いろんなものが乗り越えてこられたこと、こ れ、実感としてありますね。私自身も。(……)『ふだん記』どころでないときこそ、『ふだん記』
があったから救われました57」と「ふだん記」が自らに及ぼした影響を述べている。文章を綴る こと、本を出版することが作り手にとり、ポジティブに作用したことをうかがうことができる。
(2)「ふだん記」における震災の記録とその意義
2011年9月に発行されたのが〈みちのくふだんぎ〉61号である。続いて、本項では2011年9月 15日発行の61号で綴られた震災の記録を取り上げ、その意義を考察する。すでに震災前に入稿が 終えられていた60号と異なり、この61号は震災後半年を経た9月発行であることから、「ふだん 記」の文友の視点でとらえた震災の記録が多く収められている。
「復興再生号」の副題がつけられたこの号は、橋本の残した言葉を収めた巻頭言の他、文友の 書く「ふだん記」を収めた「記録として」、震災当時の〈みちのくふだんぎ〉の発行経緯やふだ
ん記みちのくグループへ寄せられた手紙などを掲載した「〜明日へ〜」の2節立ての構成になっ ている。テーマの定めなく自由題で書いている「ふだん記」が収められた「記録として」の節中 の作品67本のうち51本が何らかの形で震災に言及されており、震災の記録が多く収められている ことがうかがえる。
なお、巻頭には「ふだん記」を創始した橋本義夫が生前に残した短言、「記録のみが、消えゆ くものを不死なものにする58」を掲載しており、「ふだん記」運動が残してきた記録する行為と 震災を記録することの連関を意識していることをうかがうことができる。震災を記録していくこ とへの視点は、61号の発行に際しての文友への投稿呼びかけ文、「『ふだん記』どころじゃない。
と言う状況の方もおありかと思います。強制はしませんが、是非あなたの『今』を『ふだん記』
に書き残しましょう!あの3
.
11を経験した『今』だからこそ─59」からも読み取れる。書き手が 自らの現在を書き、記憶を綴ることにより、当時のことを記録として積み重ねていこうとする意 志をみることができる。具体的な記述をみると、震災に関係する記録には主に①震災当時の記録、②共感の表明の2種 類の作品がみられる。
第一は震災当時の記録や、数か月後の執筆当時の記録を納めた①震災当時の記録である。〈み ちのくふだんぎ〉誌では感想の手紙のやり取り等のため、書き手の住所が収録されている。そこ で執筆者の地域をみると、みちのくグループ窓口の所在地である宮城県仙台市の他にも、福島県 福島市、宮城県多賀城市、宮城県石巻市、宮城県塩釜市などの文友の作品が収められており、書 き手それぞれによる震災の記録が綴られている。
被害が甚大な地域の一つ、多賀城市の船山あきこの記録を見ると次のようにある。
「近くの小学校に人や車が避難して来る。何がどうなっているか分からないまま、とにかく暗 いし、寒いので家で皆で『ザッコ寝』をして夜を明かす。だんだん見えてきたのがあの大惨事で した。多賀城市の市街地の三分の一が未曽有の大津波に遭遇したのです60」。
他にも、仙台の文友遠藤くに子は、震災発生時にボランティアをしていた病院の様子を克明に 綴っている。「日常的に使用する、白い両壁がくずれおちて白い噴煙が、部屋中に広がった。道 路を挟んでいる窓ガラスが、大きな音を立てて、細い破片となって、風圧で部屋の中に飛び散っ た。(……)5F建の建物が、鈍い音を静かに立てて、ズズーと左横に引きずられて動いていく のが分かった。私は、もうここで、命は終ると思った。とても長い揺れだった61」。
さらに、石巻市の文友、三浦恵美の記録は次のようにある。「その夜、懐中電灯の灯と石油ス トーブで暖をとり、余震に怯えながら、夫と娘の家族四人と我が家の居間で毛布にくるまってラ ジオに耳を傾けてその長い不安な夜を過ごした62」。
いずれの文章からも当時書き手が直面している状況が率直に示されていることがうかがえる。
ここに記されている「ふだん記」の震災記録は草の根の人々の手による記録である。それぞれの 書き手自らが体験し感じたことを書いた文章を積み重ねることで「ふだん記」の運動が進められ てきたが、こうした記録は震災に際しても記憶を形にしている。
第二にみられるのは、②共感の表明である。「ふだん記」の各地グループの機関誌は、当該グ ループ所属の文友だけでなく他グループの文友の寄稿も掲載される。〈みちのくふだんぎ〉にも
東北以外の地域に暮らす人々からのメッセージを多くみることができる。
例えば、愛知県の文友である新矢久男は、被災地の友人に必要な援助を問い、必要とされた新 鮮な野菜を送った経験を書きながら、「私としては今後も、『貧者の一灯』でもいいから、命永ら えている者の一人として、微力ながらも被災者のために尽くしたい63」と綴り、自ら可能な形で 協力をしたいとする心持ちを綴っている。
さらに、山口県の文友・相原百里江は自身の配偶者を海底炭鉱の出水事故で亡くした経験を綴 りながら、「確認の出来ないままで命の消えたことを認めるという悲しさを、今回の被害でどれ だけ多くの人達が味わうことになるのかを考えると悲しくてやりきれない思いが込み上げる64」 と、自身と重ね合わせながら共感的な思いを書いている。
このような、震災に関する作品に対する感想は、次号にあたる62号(2012年3月)に掲載され ている反響の手紙からみることができる65。「いろいろな思いが込められて書いた文を読み涙を し、又よかった!とほっとしたり、北から南から寄せられた皆さん、思いは同じですね」、「執念 の61号入手しました。何もかも夢中のあの時期どんなにかと感謝の気持でいっぱいです」、「表紙 に胸痛みお一人ずつの文はまさに先生(「ふだん記」創始者橋本義夫:引用者)の『事実を知ら せるのだ』ですね」など、それぞれの文を共感的に読んだことを伝えあっているのである。
こうした共感に関しては、書かれた文章に対するものの他にも、震災の直後2011年3月に発行 された〈みちのくふだん記〉60号に関するさまざまなメッセージにも表れている。各地グループ の窓口から寄せられた手紙66をみても、「大震災を乗り越えられて、ただただ貴女とみちのくの 皆さん武田印刷さんの一念があふれる記念誌、立派ですね」(留萌グループ窓口・佐藤恵美子)
や「4/23 60号・あゆみ届きました。ありがとうございました。大震災の大変な折によく発刊 されました。あらためてお祝い申しあげます。そしてお見舞い申し上げます」(所沢グループ窓 口・前野信子)、「『60号』私は奇跡を手にしたような気持でした」(北九州グループ窓口・川原洋 子)といった言葉が寄せられており、機関誌の投稿が、違う地域に暮らす文友相互の支えあいに なっていることもうかがえる。
このような紙面や手紙を通じたやり取りに関しては、みちのくグループの文友へのインタ ビューにおいても言及されている。「この当時は本当にあっちこっちの文友さんからお見舞いの はがきから何から来て、本当にありがたかったです。その中でも北九州の川原(北九州グループ 窓口川原洋子:引用者)さん、あの人たちのグループからは本当にお見舞いから何から送ってい ただいて、前に1、2回書いてたんですけど、お礼の意味も含めてまた北九州に書くようになり まして。(……)お返しは文を書くのが自分としてお返しだなと思って、また書くようになりま した67」と語るのは、みちのくグループの吉田光子である。北九州に、というのは北九州グルー プの機関誌〈ふだんぎ北九州〉のことである。例えば、2012年7月発行の北九州34号には、震災 のことを詠んだ孫の句に関する作品を投稿している68。文章執筆を通じたつながりを踏まえ、文 を書き返すことで感謝を表現しているとのことであった。
こうしたみちのくグループが残してきた記録に対しては、朝日新聞(2011年10月28日付)の記 事では「市井の人々が見聞きしたこと、どのように困難を乗り越えたかが記されている69」と、
市井の人々が震災に立ち向かった記録であるとする見方を示し、また宮城県図書館長は、みちの
くグループに対して「61号二部保管活用に意を尽くします70」と言葉を寄せ震災の記録の持つ意 義を示している。以上の〈みちのくふだんぎ〉における震災の記録からは、市井に生きる人々が 直面した率直な記憶を積み重ねることで、その地域の歴史を残すという意義がうかがえ、また
「ふだん記」の文友たちにとっては、他の人々の「自分史」を知り、共有し支えあう力となって いることをうかがい知ることができる。
まとめ
本研究では、戦後日本の書く実践が地域で刻んできた歩みの一側面として、「ふだん記」みち のくグループの実践の歩みを解き明かすとともに意義や役割を明らかにすることが本研究の目的 であった。1.では、1980年代の文化運動に関する先行研究や、地域を記録するという側面を意 識し震災の記録に関する先行研究を概観しつつ、今後1980年代の文化運動の解明が待たれる状況 にあることなどをみた。2.ではみちのくグループの歩みに焦点をあて、その活動の足跡を明ら かにした。3.においては、「ふだん記」の執筆者である文友をとりあげ、「ふだん記」への参加 の契機や執筆した「ふだん記」の作品をみつつ、率直な文章記録の場や文章を通じた親交の場で あることを示した。4.ではみちのくグループの記録の中でも、特に2011年3月の東日本大震災 時に焦点をあて、震災に直面しながらも、その地域に暮らす市井の人々の記録を残しつづけてき た意義や、記録を本にすることで遠方であっても、他者を知り支えあう場となる意義があること を見出した。
これらを踏まえ、まとめとして二点を述べる。第一は、書く実践の中での、「ふだん記」の各 地グループおよびみちのくグループの特色と意義である。戦後日本において、多くの書く実践が 展開されてきたが、1950年代の生活記録運動は全国に広がる書く実践として知られる。「ふだん 記」もこうした草の根の文章執筆運動の流れを汲むものであり、「ふだん記」は、1950年代の生 活記録の隆盛期の後も全国に文章を書く実践が息づいていることを示すものである。その中でも 各地グループの特色は、「ふだん記」の理念である「下手に書きなさい」に基づいたいわばふだ ん着で飾らない文章執筆の場になってきたことである。とりわけ、みちのくグループの意義はみ ちのくに暮らす人々が自身の歩みや生活を書き残す場となっていたことと同時に、みちのく以外 の人びとにその姿を伝えていることと位置付けられる。
第二は、大震災以後の「ふだん記」みちのくグループの果たした教育役割である。本論文では みちのくグループの歩みから、他者を知り支えあう場、震災に直面しながら生きる人々の姿を残 す役割を果たしていたことを見出すことができたが、こうしたみちのくグループが果たした教育役 割もまた大きい。それは、文章を書く行為そのものによる学びのみならず、文章を通じ他者の生 を知ること、他者を支えようとする思いを持つこと、さらに当時の記憶を新たな人々に伝えていく ことなど、他を知り成長するに至るさまざまな役割を果たしていたことがうかがえたためである。
なお、本研究で取り上げたのはみちのくグループの多くの文章の積み重ねのごく一部である。
本研究においてはそれら執筆された文章のさらなる分析を行うこと、「ふだん記」で実践を行っ ている他の各地グループとの比較など、依然研究すべき点が多くある。それらの研究分析がこれ からの課題であると考えている。
注
1 色川大吉「現代の常民─ 橋本義夫論 昭和精神史序説」、〈中央公論〉89(8)、中央公論新社、
1974年8月、
pp.
123-
152。2 色川大吉『ある昭和史─ 自分史の試み』中央公論社、1975年、椚國男『土の巨人』たましん地域 文化財団、1996年など。
3 小林多寿子「書く実践と書く共同体の生成:初期『ふだん記』運動の場合」、〈生活學論叢〉3、
1998年、
pp.
59-
70、小林多寿子「書く実践と自己のリテラシー『ふだんぎ』という空間の成立」、桜井厚編『戦後世相の経験史』せりか書房、2006年、
pp.
240-
261など。4 小倉英敬『八王子デモクラシーの精神史 橋本義夫の半生』日本経済評論社、2002年、橋本鋼二
『万人に文を 橋本義夫のふだん記に至る道程』揺籃社、2017年など。
5 川原洋子『筑紫の山脈・遠賀川』ふだん記新書253、ふだん記北九州グループ・全国グループ、
1993年のような、文友の手による単行本が挙げられるが、それぞれの各地グループが発行してい る多くの雑誌は各地グループの活動を知ることのできる重要な資料となっている。
6 拙著「1980年代における戦後地方文化運動に関する研究─『ふだん記』北九州グループ、あいち グループを対象として─」、〈早稲田教育評論〉32(1)、早稲田大学教育総合研究所、2018年3月、
pp.
35-
54。北海道には全6グループの各地グループが活動をしており、筆者はこれまで、旭川グルー プ、札幌グループ、江別グループを2016年度に、自分史とふだん記・さいはてグループ(北見市)、帯広ふだん記の会、留萌グループを2017年度にそれぞれ調査を行っている。
7 青柳伊佐雄、草野滋之「青年の学習論」、日本社会教育学会編『現代日本社会教育の創造 社会教 育研究30年の成果と課題』東洋館出版社、1988年など。
8 石見豊「戦後日本における地方分権論議の変遷─80年代分権論議と90年代改革を中心に」、〈社会 科学〉(64)、同志社大学人文科学研究所、2000年、
pp.
1-
35。9 日本社会教育学会年報編集委員会編『地方自治体と生涯学習』日本の社会教育(38)、東洋館出版 社、1994年。
10 酒匂一雄「産業構造の転換と自治体生涯学習─ 東北地方に変革の底流と方向をさぐる─」、日本 社会教育学会年報編集委員会編『地方自治体と生涯学習』日本の社会教育(38)、東洋館出版社、
1994年、
pp.
38-
52。姉崎洋一、左口真朗、田村佳子「社会的不利益層と生涯学習─80年代英国リ・プラン事業を中心に(地方自治体と生涯学習)(特論)」、日本社会教育学会年報編集委員会編『地 方自治体と生涯学習』日本の社会教育(38)、東洋館出版社、1994年、
pp.
178-
187。11 玉野和志「地域女性の教育文化運動」、〈人文学報〉(309)、東京都立大学人文学部、2000年、
pp.
27-
57。12 河北新報社『河北新報のいちばん長い日』文藝春秋、2011年。
13 加藤孔敬「
ICT
地域の絆保存プロジェクト『東日本大震災を語り継ぐ』プロジェクト震災資料(デ ジタル写真)を気軽にアーカイブ化していく取り組みについて」、〈図書館評論〉(55)、図書館問題 研究会、pp.
35-
44。14 「国立国会図書館東日本大震災アーカイブ(愛称:ひなぎく)」、〈国立国会図書館月報〉(659)、国 立国会図書館、2016年3月、
pp.
12-
13。15 山本加奈子、平尾明美「東日本大震災被災地における看護職の震災に関する語りの記述とアロマ セラピーによるリラクセーションケアの意味」(研究報告)、〈日本赤十字広島看護大学紀要〉(14)、
日本赤十字広島看護大学、2014年。
16 黒崎雄介、泉朋子、仲谷善雄「被災地住民の思い出共同想起による復興計画支援の実験結果報 告」、〈情報処理学会第76回全国大会〉講演番号5