要 旨
筆者は近代的書物の重要な構成要素の一つであるページ付けを研究している。本稿では,
16
世紀にページ付け印刷本が最も多く刊行されたフランスにおけるその開始と発展につい て,16世紀前半のパリとリヨンの出版事情を調査した。フランス最初のページ付け本はリヨンで
1511/12
年に印刷されたヴェネツィアのアルド版ホラティウスの海賊版であった。リヨン
2
番目のページ付け本は1526
年に刊行されたパグニーニ『ヘブライ語提要』であり,そし てバーゼルの影響を受けたグリフが1528
年に人文主義書の印刷に着手して大量のページ付け 本の刊行を始めたことで発展した。一方,パリではバーゼルの影響下でレシュによって1519
年に最初のページ付け本フッテン『宮廷対話』が刊行されたが,1520年代末までその発展は 緩慢であった。リヨンではグリフの影響の下でドレやトゥルヌをはじめとする多くの印刷業 者が盛んにページ付け印刷を行った。一方,パリでは人文主義印刷家ロベール・エチエンヌ とウェシェルがページ付け印刷に積極的に取り組むが,他の業者はあまり積極的でなかった。その結果,全体の出版点数ではパリが圧倒的に多かったが,ページ付け印刷本の点数ではリ ヨンがパリを凌駕して,ヨーロッパでページ付け印刷本を最も多く出版する都市となった。
Summary
The author researches on pagination that is one of the important elements composing modern book form. This paper contributes to the beginning and development of pagination in France, where paged books were published most in 16th-century Europe. The first paged book in France is Horace’s Poemata, one of the Lyons counterfeits of the Aldine edition, printed in 1511/12. The second paged book in Lyons is Pagnini’s Hebraicas institutiones printed in 1526, and then S. Gryphe began to print many paged books under the influence of Basel in 1528, when he started humanism publications. On the other hand, the first paged book in Paris is Hutten’s Aula dialogus published by C. Resch in 1519 under the influence of Basel. However, pagination was not developed in Paris until the end of the 1520s. In Lyons, some printers such as E. Dolet and J. de Tournes developed pagination under Gryphe’s influence. The Parisian humanist printers, R. Estienne and Ch. Wechel, printed comparatively a lot of paged books, but other
フランスにおけるページ付け印刷の 開始と発展について
雪嶋 宏一
printers in Paris were not so active. As a result, Lyons was superior to Paris in printing paged books, although Paris was overwhelmingly superior to Lyon in the total number of publications.
Lyons became the biggest city publishing paged books in the first half of the 16th century.
1.研究の目的
近代的書物の構成要素は,標題紙(title page),imprint,目次(table of contents),索引(index),
ページ付け(pagination)等の印刷出版者側が作成したペリテクスト(peritext)と,編者・訳者・
推薦者等によって執筆された前書き(preface)等からなるパラテクスト(paratext),そして著者 自身が執筆した本文 (text)等である1。これらの要素の多くは,15世紀末までにヨーロッパで活 版印刷された印刷本(インキュナブラincunabula)の中に個々バラバラに登場したが,それらの多 くの要素が1冊の本を構成するようになったのは16世紀以降である。このことから,近代的書物 形態は16世紀に始まると考えられる。近代的書物形態の構成要素の中で重要であるが今日まであ まり研究が進んでいない問題がページ付け印刷の発展過程である。
この問題を解明するために,筆者は最初に,ヨーロッパ各地で構築されている16世紀印刷本の 主要な書誌データベースであるEDIT 16,ESTC,USTC,VD 16に基づいて2,16世紀に印刷業が 発展したイタリア(ヴェネツィア,ローマ,フィレンツェ,ミラノ),スイス(バーゼル,後にジュ ネーヴを追加),ドイツ(シュトラスブルク,ケルン,マインツ,ライプツィヒ,ヴィッテンベルク,
アウクスブルク,ニュンベルク,フランクフルト・アム・マイン),フランス(パリ,リヨン),低 地諸地方(アントウェルペン,レーフェン),イングランド(ロンドン)等の都市で出版された印 刷本の書誌データを編年順に検索し,都市毎に毎年の出版点数とそのうちのページ付け本の点数を 調査して,統計学的な研究を行った。
その結果,ページ付け印刷本はヴェネツィアから始まるが,16世紀前半にページ付け本が都市 の印刷本全体の50%を超えたのはスイスのバーゼルであり,続いて16世紀中葉にリヨン,ケルン の印刷本において50%を超えた。続いて16世紀末までにパリ,アントウェルペン,ロンドンでも ページ付け本の比率が高まった。しかし,16世紀末に至ってもイタリアとドイツ南部・東部では ページ付け本の比率が比較的低く,発展は遅かった。また,どのような分野の本にページ付けが行 われたのかという点では,16世紀前半はエラスムス(Erasmus, Desiderius, 1466-1536)をはじめ とする人文主義者の編著書と,古代ギリシア・ローマ古典にページ付けが行われたが,聖書を除く キリスト教教義書,神学,法学等の伝統的な分野ではほとんどページ付けは見られなかった。とこ ろが,16世紀末までにこのような伝統的な分野の本や政府刊行物等にもページ付けが普及していっ たことが判明した3。
統計学的な研究と並行して,最初にページ付けの印刷を行ったヴェネツィアのアルド・マヌー ツィオによるページ付け本の研究を行った。彼はギリシア・ローマ古典と人文主義者の著作17版
にページ番号を印刷している。彼はページ番号の印刷位置を,見開きで左ページではヘッドライン 左端,右ページではヘッドライン右端(タイプA),左右ページともヘッドライン中央(タイプB),
左右ページともヘッドライン右端(タイプC)の3種類を1508年までに試みて,最終的にタイプ Aを採用した4。
次に,アルドの影響を受けて人文主義書の印刷を開始したバーゼルのヨハン・フローベン
(Froben, Johann, 1460頃-1527)のページ付け印刷本とバーゼルの同時代の印刷業者の印刷本を調 査した5。フローベンは1515年からエラスムスの著作を中心にして,ギリシア・ローマ古典にも 積極的にページ付けを行った。フローベンのページ付けはアルドのタイプAであった。彼の印刷 出版活動はバーゼルの他の印刷業者に大きな影響を与え,ページ付けがバーゼルで発展したこと が明らかになった。一方,同じライン川流域にある印刷中心地で,バーゼルからも地理的に近く,
バーゼルと同年の1515年からページ付けが開始されたシュトラスブルクでは,ページ付け印刷が その後あまり発展しなかった。その原因を知るために,シュトラスブルクの印刷業者ごとのページ 付けの比率を算定すると,シュトラスブルクではページ付けに取り組んだ業者はほぼミューラー
(Müller, Kraft)だけであったことが判明した。また,もう一つの原因は,ゴシック体活字による神 学,法学書,ドイツ語書の印刷が多く,ローマン体活字やイタリック体活字を使用した人文主義書 の出版が比較的低調であったことも挙げられる6。
このような研究に続いて,本稿では16世紀にページ付け本が最も多く出版されたフランスにお けるページ付け印刷の開始と発展の事情を明らかにしたい7。特に,ページ付け本の比率が高まっ たリヨンと,ページ付け本の比率は高くないが,出版点数が他の都市と比べて圧倒的に多いために,
実際にはページ付け本も多数刊行されていたパリにおけるページ付け印刷の実態を解明する。
2.研究における問題点
16世紀のフランスはヨーロッパで最も印刷出版業が発展した地域であった。特にパリはヨーロッ パの学問の中心地として栄え,ヨーロッパ最大の印刷都市であった。また,リヨンは交通の要所で あることから古くから大市が開催される商業都市として栄え,16世紀にはパリ,ヴェネツィアに 次ぐ印刷出版センターとして多くの業者が軒を連ね,ヨーロッパ各地に印刷物を販売していた。パ リとリヨンの出版物で16世紀フランスの全出版物の90%を占めていると言われてきた8。しかし ながら,16世紀フランスの印刷本の総合的な書誌データベースは未だ構築されておらず,英国の セント・アンドリューズ大学で構築されているUniversal Short Title Catalogue (USTC)が現状で は唯一16世紀のフランス全体を見渡せるものとなっている。しかし,USTCは英国ではあまり評 判が芳しくない。その理由は,データの重複が多く,書誌の記述が不正確であるとのことである。
一方,フランス国立図書館で構築が始まったパリ印刷本のデータベースBP 16: Bibliographie des éditions parisiennes du 16e siècle9と,カナダの書誌学者ケンプ(Kemp, William)が中心と なって構築している15-16世紀のリヨン印刷本書誌データベースLYON 15-16: Bibliographie des
éditions lyonnaises 1473-160010が利用可能となっている。前者は,フランスの書誌学者ルヌアー ル(Renouard, Philippe, 1862-1934)が収集したパリ印刷本のデータをモロー(Moreau, Brigitte,
1930-1994)が整理して,1550年までのデータを年代別にまとめて書誌11としたものを基にデータ
ベース化したものである12。まだデータ入力の途上にあるため,16世紀後半のデータはほとんど入 力されておらず,対照事項(collation)もほとんど記述されていないため,本研究には有効ではな い。一方,LYON 15-16は,リヨン印刷本の書誌では対象事項も相当に入力されており,大変有益 である13。
USTC,BP 16,LYON 15-16に搭載されている書誌データ数を年代別に調査すると収録点数に差
があることがわかる(図1)。パリ印刷本の収録点数には大きな差が見られる。その原因はBP 16 がデータ入力の途上であるためである。一方,リヨンについてはLYON 15-16の数値がUSTCに 比べて大きいが,1530年代後半以降はUSTCがLYON 15-16を上回っている。全体的には概ね近 い数値を示している。
また,リヨンにおける印刷業者別の出版書誌がギュルトリンゲン(Gültlingen, Sybille von)に よってまとめられている14。対照事項もおおよそ記述されており,本研究では個別の書誌の確認に 有効である。しかし,ギュルトリンゲンは採録した書誌データを統計学的に調査していないため,
USTC,LYON 15-16の統計データと比較することができない。
このようなそれぞれのデータベースの構築事情を鑑みて,本稿では16世紀のフランス全体を見 渡すことができる現時点で唯一のデータベースであるUSTCを基礎にして,それぞれの書誌につ
いてはBP 16とLYON 15-16,及びギュルトリゲンでデータを補正していくことにした。
0 100 200 300 400 500 600 700 800
15 01 15 03 15 05 15 07 15 09 15 11 15 13 15 15 15 17 15 19 15 21 15 23 15 25 15 27 15 29 15 31 15 33 15 35 15 37 15 39 15 41 15 43 15 45 15 47 15 49
Paris (BP16) Paris (USTC) Lyon (Lyon15-16) Lyon (USTC)
図
1 BP16
とUSTC
に収録された16
世紀前半のパリとリヨンの出版点数の比較3.フランス最初のページ付け印刷本
今回のフランスのページ付け印刷本の調査で,これまで知りえなかった早期のページ付け印刷
本をLYON 15-16で見つけることができた。それは,アルド・マヌーツィオの8折判古典シリー
ズを模倣した海賊版を刊行していた印刷業者の一人であるバルテルミー・トロ(Trot, Barthélemy, -1535)が1511年2月26日(旧暦)に刊行した古代ローマ詩人ホラティウス(Horatius Flaccus, Quintus, 65-8 B.C.)の『ホラティウス詩集』(Q. Horatii Flacci poemata)(LYON 15-16 10060)で ある(図2)。アルドは1501年5月にアルド初版となる『ホラティウス詩集』(Horatius)を8折判 古典シリーズの2冊目として刊行した(EDIT 16 CNCE 22672)。アルド初版の『ホラティウス詩集』
にはフォリエーションもページ付けも行われていなかった。リヨンの印刷業者バルタザール・ド・
ガビアーノ(Gabiano, Balthasar de, -1517?)とバルテルミー・トロは直ちに原本同様にフォリエー ションもページ付けもなく,また奥付もない海賊版を1502年頃に刊行した。ところが,アルドが 1509年3月30日以降に8折判『ホラティウス詩集』(アルド第2版)をページ付け本(タイプA)
で刊行したため15,トロもこの版を模倣してページ付けした海賊版を1511年に刊行した16。アル ド版にはアラビア数字でページ番号が印刷され,誤植は比較的少ないが,トロ版にはアラビア数字 のページ番号に誤植が散見する。また,アルド版には錨とイルカの商標がタイトルページにあり,
巻末にはコロフォンと海賊版印刷業者への警告文が印刷されているが,トロ版にはもちろん商標 も警告文もなく,巻末のコロフォンには ‘Exactum Anno domini milesimo quingentesimo undecimo.
図
2 リヨン最初のページ付け本『ホラティウス詩集』Barthélemy Trot, 1511/12,
タイトルページ(Horatius, Q. Horatii Flacci poemata, Lyon: Barthélemy
Trot, 1511/12.)©British Library Board (11385.b.1., 1r, title page).
Die vero .XXVI. Februarii.’ (主の年1511年2月26日に刊行された)とだけ記された。LYON 15-16 での対照事項は, ‘In-8˚, (24) f., 310 p., (1) f. bl., sign. 18 28 a-u8 x4(k=K; u1 et u3 mal signé t1 et t3;
a7-8 et x4 bl.)’ である。
本書はアルドの影響のもと,リヨンで最初に印刷年が記されたページ付け本であり,同時にフラ ンス最初のページ付け本となる。そして,リヨンがヴェネツィアに次いで史上2番目のページ付け 本印刷都市であることが判明する。筆者はこれまでページ付け本印刷の2番目の都市をフィレン ツェ(1514年),3番目を1515年のバーゼル,シュトラスブルクとしてきたが17,ここで訂正しな ければならない。ところが,リヨンでは1511年版ホラティウスが直ちにページ付け本の印刷を促 すことはなかった。
4.リヨンにおけるページ付け本印刷の本格化
リヨンにおけるページ付け本印刷が本格化する契機は,アントワーヌ・デュ・リィ(Ry, Antoine du, -1533)が1526年に刊行したパグニーニ(Pagnini, Sante, あるいはPagnino, Santi, 1470-1541)
の『ヘブライ語提要』(Hebraicas institutiones. 4to. USTC 145767)初版である(図3)18。パグニー ニはフィレンツェ出身の聖職者・神学博士で,ギリシア語とヘブライ語をマスターした後,ローマ でこれらの言語を教えた。教皇レオ10世(Leo X, 在位1513-21)没後にアヴィニョンを経てリヨ ンに至り,リヨンの医師・人文主義者のシャンピエ(Champier, Symphorien, 1471-1538)等と親交 を持ち,ホメーロス(Homerus)を研究した人文主義者でもあった19。本書はヘブライ語をラテン
図
3 リヨン 2
番目のページ付け本パグニーニ『ヘブライ語文法』Antoine du Ry,1526. タイトルページ.(Pagnini, Sante, Hebraicas institutions, Lyon: Antoine
du Ry, 1526)©British Library Board (621.i.7., 1r, title page).
語で解説した文典である。本文がラテン語にもかかわらず,ヘブライ語が右から左へ進むことを考 慮して,ページ付けも右ページから左ページへ進む。そのため,本書は右綴じである。また,本書 のタイトルページの最下段にギリシア語活字によって3行のギリシア語文が印刷されている。英国 図書館が公開するデジタル画像20とリヨン公共図書館所蔵資料(Bibliothèque municipal de Lyon, Rés. 104639)を調査すると,第1折丁A1rにタイトル,A1vからA3rに前書き,A3vからA7rまで Index(実際には目次),A7r-A8rに正誤表がある。正誤表では, ‘Pagina.5.colu(m)na.1.linea.9.’ と訂 正箇所が示されている。つまり,リヨンでは2番目のページ付け本から ‘pagina’ という言葉が「ペー ジ」の意味で使用されていたことになる。そして,B1rから2欄組(コラム)の本文が始まる。本 文はラテン語であるため,コラムは左コラムから右コラムへ進む。ページ番号は表ページ(recto:
左ページ)でヘッドライン左端から4〜6文字程度内側に,裏ページ(verso: 右ページ)でもヘッ ドライン右端から4〜6文字程度内側にアラビア数字で印刷されている。ページ番号の位置はアル ドのタイプAに準じる。本文はゴシック体活字で印刷されているが,折記号にもページ番号にも アラビア数字が使用されている。
本書のページ番号は混乱を極めている。折記号の校合式は,4to, A-Z 2A-2C82D6($4),ページ 番号を印刷された通りに示すと次のようになる。1-47, 84, 49-84, 81, 86-156, 141, 158-161, 163, 151, 164-177, 188-194, 177, 196-198, 200, 200-216, 127, 218-222, 230, 224-225, 227, 227-229, 223, 231-238, 293, 240-256, 267, 258-272, 281, 274-275, 275-276, 278-285, 268, 287-301, 202, 303-317, 3118, 319-327, 308, 329-340, 3xlj, 342, 342, 344-351, 3j2, 353-363, 354, 365, 366, 375, 368-373, 274, 375-381, 282-283, 384-405, 410, 407-410, 413, 412-413, 402, 415-421 [1]。ページ番号166はヘッド ライン右側に印刷しなければならないところが左側に印刷され,171は左側に印刷しなければな らないところが右側に印刷されている。ページ番号341はアラビア数字とローマ数字が混在して,
‘3xlj’ と表記され,352は ‘3j2’ と表記されて間違ったローマ数字が混在する。そして,最終ページ
(2D6v)にはコロフォンがある。このように,リヨン最初のページ付け本には大量のページ番号の 誤植が含まれており,リィにはページ番号を順序通り正確に印刷する技術が未熟だったことを物 語っている。
印刷業者リィは1516年からリヨンで印刷業を始めて,1531年までに神学書や法学書78版を書 籍商シモン・ヴァンサン(Vincent, Simon)やジャック・ジュンタ(Giunta, Jacques, 1486-1546)
等の出資で印刷した21。リィは本書のためにリヨンで初めてヘブライ語の活字を製作し,また本書 のためにギリシア語活字も製作した。リィにとって本書は唯一のヘブライ語とギリシア語活字を使 用した本であり,また唯一のページ付け本であることから,本書の刊行には著者パグニーニの意向 が働いていたと考えられるが,パグニーニがどこでページ付け本を知ったのかは不明である。
LYON 15-16の書誌(Lyon 15-16, 11552)には本書の印刷事項が次のように記載されている。
リヨンの書籍業者ジャック・ジュンタ(Giunta, Jacques, 1486-1546)と「5つの聖痕仲間」(la Compagnie des Cinq plaies)の出資でリィが印刷した(Antoine Du Ry pour Jacques Giunta et la
Compagnie des Cinq plaies)。その証拠の一つが,本書のタイトルページを飾る木版の四辺縁飾 り(four-sided border)である。この木版は1525年にベヌア・ボニン(あるいはボナン)(Bonyn,
Benoît)が自身とジャン・プランフォワ(Planfoys, Jean)及び「5つの聖痕仲間」の出資で印刷
刊行したダ・ヴィーゴ(Da Vigo, Giovanni, 1450-1525)『実践と解剖学』(S’ensuit la pratique &
cirurgie)(Gültlingen, IV, p. 168, 5)のタイトルページに使用されたものである。つまり,木版が 1525年から26年の間にボニンからリィに移譲されていたことになる。このような木版のやり取り は親しい印刷業者の間でしばしば行われていた。そのことで,リィとボニンが「5つの聖痕仲間」22 の同僚であった可能性がある。
リヨン3番目となるページ付け本は1528年にジャン・クレスパン(Crespin, Jean, -1543)が印 刷したエラスムス校訂ヒエロニュムス(Hieronymus, S., 347-420)『書簡集』(Opus epistolarum una cum scholiis. 4to.)と,同年にセバスチアン・グリフ(Gryphe, Sébastien, 1493-1556)が刊行 したエラスムス等の人文主義書14版である。
前者は,LYON 15-16によれば,クレスパンが印刷しブーエ(Boullé, Guillaume)が出版した本 文3巻と,クレスパンが単独で刊行したTabulae(索引巻)からなる。本文3巻にはページ付けが あるが,Tabulaeにはページ付けがない23。本書は,バーゼルのヨハン・フローベンが1524-26年 にかけて刊行した10巻本『ヒエロニュムス全集』(VD 16 H3483)を底本にしたものであるため,
バーゼル版と同様にページ付けが模倣されたと考えられ,本書の印刷がバーゼルの影響で行われた とみなすことができる。ただし,フローベン版は2折判でギリシア語とラテン語対訳版であるが,
クレスパン版は4折判でラテン語のみである。
ギュルトリンゲンによれば,クレスパンは1524-43年までの印刷出版事業で141版(LYON
15-16では204版)を刊行したが,そのうち彼が刊行したページ付け本は本書を1版と数えるとわ
ずか5版にすぎない24。クレスパンはゴシック体活字を使用した法学書および神学書を得意とした 印刷業者であるが,ページ付け本の印刷にはいずれもローマン体活字を使用した25。
グリフは1528年に印刷業者として独立して,イタリック体,ローマン体,ヘブライ語,ギ リシア語の活字を使用して人文主義者の著作とギリシア・ローマ古典の刊行を始めた。LYON
15-16によれば1528年だけで26版を刊行し,そのうちの14版がページ付け本である。エラスム
ス5版(3-7),エラスムス編ヨセフス(Flavius Josephus, 37-100)3版(8-10),ポリツィアーノ
(Angelo Ambrogini, detto Poliziano, 1554-94)2版(13-14),シャンピエ(Champier, Symphorien, 1471-1539)(1)(出版年推定),エラスムス編キュプリアヌス(Cyprianus, 200頃-258)(2),エラ スムス編ルキアヌス(Lucianus Samosatensis, 125頃-180以降)(11),パグニーニ(12)の各1版 である(表1)。これら14版のうち先行する版がバーゼルのフローベンによって刊行されていた ものは,2,6,8-11の6版であり,いずれもページ付け本である。一方,1については英国図書 館所蔵本(774.b.9 (2))を確認する限り,出版事項が本に記載されていないが,グリフに帰せら れている版であり,初版である。3はケルンのゾーター(Soter, Johann)による1524年版があり
(VD 16 ZV 12091),4はコリーヌによる1528年版があるが,どちらもページ付け本ではない。5は フローベンも1528年にページ付け本を刊行している。7はハーゲナウのアンスハイム(Ansheim,
Thomas)によるページ付けされた1522年版がある(VD 16 E 3251)。12は前述した1526年版の
簡略版(後述),13-14は1498年のアルドによるヴェネツィア版(ページ付けなし)のみである。
これらの中でフローベン版が比較的まとまっていることはグリフへのフローベンの影響を見逃すこ とができない。
グリフが1528年に刊行したページ付け本の中で,エラスムス著『オウィディウス「クルミ」の 注釈』(Commentarius in Nucem Ouidij. 8vo. USTC 121998)(表1, 3)では,タイトルページに著者,
書名,印刷地,印刷者,印刷年が記載され,コロフォンをもたない。折記号とページ番号にアラビ ア数字が使用されて,第2葉表(a2r)から3ページの番号が印刷され,ページ付けに誤植はない。
印刷位置はアルドのタイプAである。これによって,グリフは1528年当時すでにタイトルページ
表
1 グリフが 1528
年に刊行したページ付け本No Author Short title Format Collation
*USTC No
1 Champier,
Symphorien Symphonia Galeni ad Hippocratem,
Cornelii Celsi ad Avicennam 8 46 p. [1] f. 146000
2 Cyprianus, Thascius
Caecilius Operus tomus primus [-secundus] 8 [24] f., 456 p., [18]
f.; 457 [1] p., [16] f. 121996 3 Erasmus, Desiderius Commentarium in Nucem Ovidii, ad Joannem Morum, Thomae Mori filium. 8 111, [1] p. 121998
4 Erasmus, Desiderius De recta Latini Graecique sermonis pronuntiatione, dialogus. 8 303 p. 145920 5 Erasmus, Desiderius Epistola consolatoria in adversis 8 14 p., [1] f. 155786
6 Erasmus, Desiderius Opus de conscribendis epistolis quod quidam et mendosum, et mutilum
aediderant 8 349 [1] p., [1] f. 145977
7 Erasmus, Desiderius Parabolae, sive similia 8 104 p., [4] f. 155802 8 Josephus, Flavius De antiquitatibus Judeorum libri
decem posteriorum 8 546 p., [1] f. 122005
9 Josephus, Flavius De bello judaico, libri septem. 8 [12] f., 605 p., [2] f. 155772 10 Josephus, Flavius Opera quaedam Quorum catalogum
proxima pagella indicabit 8 [40] f., 578 p., [1] f. 145971 11 Lucianus
Samosatensis Opuscula quaedam 8 526 p., [1] f. 145979
12 Pagnini, Sante Institutionum Hebraicarum abbreviatio 8 [8] f., 287 [1] p. 155796
13 Politianus, Angelus Operum tomus primus 8 [8] f., 675 p. 145975
14 Politianus, Angelus Alter tomus operum 8 [8] f., 647 p. 155759
*
Collation
(対照事項)についてはLYON 15-16
のデータに準拠した。に著者名,書名,出版地,出版者,出版年といった出版事項を記載して,近代的なタイトルページ を実現していた。タイトルページに出版事項を記載するため,巻末にコロフォンを付ける必要がな くなり,グリフの印刷本ではコロフォンが減少していった。
また,パグニーニ『ヘブライ語提要略』(Institutionum Hebraicarum abbreviation. 8vo. USTC
155796)はリィの1526年版の簡略版であり,やはり右綴じである。タイトルページはラテン語,
ギリシア語,ヘブライ語の3か国語で記載されていることから,出版にはパグニーニが関与して いることは明らかである。タイトルページに続く前付け葉はイタリック体で印刷され,4葉裏に
‘INDEX HVIVS | OPERIS’ (この作品の索引)という目次があり,ページ数が ‘pagina’ で示されてい る。8葉表からヘブライ語の正誤表があり,訂正位置が ‘Pagina’, ‘linea’ でページ数と行数が示され ている。そして,折記号aから本文が始まり,1ページからページ番号がアルドのタイプAで印刷 されている。折記号もページ番号もすべてアラビア数字が使用されている。4か所ほどページ番号 の誤植があるが,リィの1526年版のような大量の誤植はなく,はるかに熟練した技術でページ番 号が印刷されていたことがわかる。本文は1欄組でリィの版よりはるかに読みやすい。
リヨンではヨハン・シャプラー(通称ヴァッテンシュネエ)(Schabler, Johann, ditto Wattenschnee,
-1540頃)が書店を開設してバーゼルの印刷本を販売し,その店をパルマンチエ(Parmentier,
Michel)が引き継ぎ,Ecu de Bâle (ラテン語Scutum Basiliense,「バーゼルの紋章」)を掲げて販 売を行ったことから,バーゼルの影響が見られた26。グリフも1528年にバーゼルからローマン体 を購入している27。一方,グリフがエラスムスの印刷に使用したイタリック体活字は,前述のアル ド・マヌーツィオの8折判古典の海賊版を印刷するために作られたイタリック体活字を引き継いだ ものであると考えられてきたが,ケンプはバーゼルから購入したものとみなしている28。
グリフがエラスムスの著作を刊行し始めたのは,1527年にエラスムスの著作の最大の出版者で あり,エラスムスのバーゼル生活を支えたヨハン・フローベンが亡くなり,その後1年を経て印 刷所がヘアヴァーゲン(Herwagen, Johannes, 1497-1558),フローベンの息子のヒエロニュムス
(Froben, Hieronymus, 1501-1563)と娘婿のエピスコピウス(Episcopius, Nicolaus, 1501-1564)の 共同経営に移ったことが一つの契機であろう。また,リヨンでも1523年からイレール(Hyllaire,
Laurent)等がエラスムスの著作を刊行したことへの対抗意識がもう一つの契機であろう29。グリ
フは1530年までにエラスムスの主要な著作のほとんどを刊行した30。ギュルトリンゲンの書誌に 基づけば,グリフは生涯に1,375版を刊行したが,そのうち9.4%に当たる129版がエラスムスの 著作とみなされる。LYON 15-16で一次著者「Erasmus」,印刷者「Sébastien Gryphe」の条件で検 索すると187件がヒットする。また,二次著者「Erasmus」,印刷者「Sébastien Gryphe」ではエラ スムスの編書等が62件ヒットする。都合249件がLYON 15-16に収録されたグリフが刊行したエ ラスムス関係書であると思われる。LYON 15-16におけるSébastien Gryphe刊行書は1,759件であ るから,エラスムスの著編書はその中の14.2%を占めていることになる。
フローベンが1514年にエラスムスの『格言集』(Prouerbiorum Chiliadas. fol. VD 16 E 1933)を
出版したことがきっかけで人文主義印刷家として大成したことと,バーゼルの影響を受けてグリフ が『格言集』(Adagiorum opus. 1528. fol. USTC 145888)を含むエラスムスの著作の出版したこと で印刷家として成功したことは,非常によく似ている。しかもそれらの大半がページ付け本であっ たことは注目すべきであろう。
5.パリのページ付け本の開始
筆者は先にパリのページ付け印刷の嚆矢は1525年にヴィドゥエ(Vidoué, Pierre, -1543)が印 刷したプリニウス(Plinius Secundus, Gaius, 後23/4-79)『博物誌』(Historia naturalis. fol. USTC 184504)であるとした31。ところが,2019年にUSTCを再度検索したところ,1519年にコンラー ト・レシュ(Resch, Conrad, -1552)の出資でピエール・ヴィドゥエが印刷したフッテン(Hutten, Ulrich von, 1488-1523)『宮廷対話』(Aula dialogus. 4to. USTC 145088)にページ付け印刷が行われ ていたことが判明した。そのため,パリにおけるページ付け印刷は1519年にレシュとヴィドゥエ によって開始されたと改めなければならない。1519年版の『宮廷対話』は,その前年の1518年に バーゼルのフローベンが印刷した版(VD 16 H 6297)を底本にしている。1519年版の第1葉裏か ら第2葉表には1518年版にフローベンが認めたトマス・モア(More, Thomas, 1478-1535)への書 簡が掲載されている。両版とも本文はローマン体活字が使用されているが,1518年版は8折判で,
ページ番号はアラビア数字が使用され,1519年版は4折判でページ番号はローマ数字が使用され ている。両版ともアルドのタイプAである。1519年版はパリ最初のページ付け本としてはページ 番号の誤植が比較的少ない。ヴィドゥエがローマ数字を使用した理由は定かでないが,レシュが バーゼルからもたらしたローマン体活字のセットにアラビア数字の活字が揃っていなかったのか,
パリではまだゴシック体活字が主流であったからかのいずれかであろう。
本書を刊行したレシュは,バーゼルで書籍業を起こして,パリ,リヨンにバーゼルの支店を開設 したシャプラーの弟子である。レシュはバーゼルで修業した後に1516年までにパリに赴き,「バー ゼルの紋章」を掲げて有力な出版人となった人物である。当時パリの印刷業界の中心にいたジャ ン・プチ(Petit, Jean, -1533),ジョス・バード(Bade, Josse, Jodocus Badius Ascensius, 1461/2- 1535),アンリ・エチエンヌ(Estienne, Henri, -1520)等に出資して出版を行った。レシュによる出
版物はBP 16では37版が記録されているが,そのうち28版がヴィドゥエによる印刷であることか
ら32,ヴィドゥエの印刷本がレシュの出版物の中核をなしていたことは明らかである。
シャプラーについて詳細な研究を行ったビーテンホルツ(Bietenholz, P. G.)によれば,レシュ はエラスムスと親しく,仕事の関係上各地を飛び回っていたため,エラスムスの書簡を各地に配 達する役目も負っていたという33。しかし,エラスムスと対立するヨハン・エック(Eck, Johann,
1486-1543)等の著作も同時に出版して巧みな販売を行っていた34。
ヴィドゥエはパリの大手の印刷業者で,USTCによれば1510年から1543年まで活動して,480 版を刊行している35。1519年にはローマン体活字をフランス語テクストに導入し,1523年からイ
タリック体活字を使用していた。ギリシア語やヘブライ語の活字も使用して,宗教書ばかりでなく,
ルター(Luther, Martin, 1483-1546),エコランパディウス(Oekolampadius, Johannes, 1482-1531)
等の宗教改革者やエラスムス等の人文主義者の著作とカエサル(Caesar, Gaius Julius, 前100-44),
キケロ(Cicero, Marcus Tullius, 前106-43),デモステネス(Demosthenes, 前384-322)等の古代 ギリシア・ローマ古典を印刷した36。
パリの2番目のページ付け本もレシュとヴィドゥエが1520年に刊行した古代ローマの文法家ア スコニウス・ペディアヌス(Asconius Pedianus, Quintus, 前9頃-後76頃)『弁論集』(Q. Asconii Paediani in Orationes. fol. USTC 181959)である(図4)。アスコニウス・ペディアヌスはキケロの 注釈を行った学者であり,本書がフランスでの初版となる。タイトルページには木版の四辺縁飾り が使用され,その内側に黒と赤のインクで著者名,書名,内容,特認,レシュの商標,最下段に出 版地と出版者を示す「バーゼルの紋章」が印刷されている。本書のページ付けもローマ数字が使用 され,ページ番号の印刷位置はタイプ Aである。本書の最初の折丁にある索引では ‘folio’ という言 葉を使用してページ番号を示している。パリではまだ ‘pagina’ という言葉が使用されていなかった ことの証拠となろう。
パリ最初のページ付け印刷がレシュとヴィドゥエによって行われたことについては,すでにラ バール(Labarre, Albert)が「パリにおけるページ付けは,1520年代に,バーゼルのモデルを模倣 して印刷を行ったコンラード・レシュとピエール・ヴィドゥエの例の中にしばしば現れる以外には ない。」と述べているが,彼は具体的な版を明記しなかった37。
図
4 1520
年ヴィドゥエ刊行アスコニウス・ペディアヌス『弁論集』,タイトルページ(英国図書館所蔵)Asconius Pedianus, Q. Asconii Paediani in Orationes,
Paris: Pierre Vidoué, 1520)©British Library Board (11396.dd.4., 1r, title page).
3番目のページ付け印刷本は,ゴドゥール(Gaudoul, Pirre)とグロモール(Gromors, Pierre)
の出資でヴィドゥエが1524/5年1月19日に刊行したプリニウス『博物誌』(fol. USTC 209727)で ある。本書のタイトルページには前述のアスコニウス・ペディアヌスで使用された同じ四辺縁飾り が使用されており,黒と赤のインクで,著者名,書名,内容,読者への言葉,出版地,出版者(ゴ ドゥールの名前のみ),出版年,特認が印刷されており,近代的なタイトルページの要素を備えて いる。本書のページ番号もローマ数字であり,ページ番号の位置はアルドのタイプAである。本 書の第3葉(a3r)から5葉(a5r)には ‘III-V’ というローマ数字による葉番号が印刷されているが,
本文が始まる第6葉裏(a6v)からローマ数字 ‘VI’ というページ番号が印刷され,7−8葉で ‘VII-X’
というページ番号が振られており,葉番号とページ番号が混在している。また,第4葉表(a4r)
からアラビア数字で ‘1−60’ の行番号が内側のマージンに印刷されている。そして,第2折丁の b1rには ‘XI’ のページ番号が振られている。本書の巻末の索引では,前述のアスコニウス・ペディ アヌスと同様に ‘folio’ を用いてページ番号を示している。
本書のタイトルページには出版年がアラビア数字で ‘1524’ と明記されている(図5)。しかしな がら,上述の1525年版『博物誌』はこの版と同じ可能性がある。USTCでは両者を別な版として 登録しているが,当時のパリの新年はイースターから始まり,イースター前の1月から3月はその 前年であった。書誌記述では1月から3月をしばしば新暦で記述することがある。新暦では旧暦 の1524年1月が1525年1月となるため,USTCが混乱している可能性がある。その証拠にUSTC
図
5 1524
年版プリニウス『博物誌』,タイトルページ(ケンブリッジ大学図書館所蔵)(Plinius, Historia naturalis, Paris: Pierre Vidoué, 1524. Cambridge
University Library, (U
*.3.30 (B), title page). Reproduced by kind permission
of the Syndics of Cambridge University Library.
209727とUSTC 184504の対照事項はともにff. I V pp. [1] VI XXIV [=XXII] [6] CCCCCXXXVI [=
CCCCCXXXVII] [1] [189]となる。当時の印刷事情から考えて,このような大冊の対照事項が全く
同一になるケースは稀である。パリの16世紀印刷本を調査したルヌアール(Renouard, Philippe)
も1524年版について「no.886(1525, p. 266)を見よ」と参照しており,1525年版と同一であると した38。
4番目のページ付け本もプリニウス『博物誌』である。1526年にジロー(Ambroise Girault)の 出資でサヴァチエ(Savetier, Nicolas)が印刷した版(fol. USTC 145768)であり,第1折丁(a8) には上述の1524/5年版と同様に葉番号 ‘II-V’,それに続いてページ番号 ‘VI-X’ が振られている。第 2折丁(b8)には番号付けがなく,第3折丁(c8)の第2葉表(c2r)から始まる第2書からタイプ Aによってページ番号 ‘I-XIIII’ がローマ数字で印刷されている。プリニウスの第1書は全体の目次 であるためページ番号を付さなかったと思われる。ページ番号には多くの誤植が含まれており,印 刷者がページ印刷に不慣れな様子がわかる。本書でも第4葉表から行番号が1−60まで印刷されて いる。巻末の索引では,ページ番号が前記と同様に ‘folio’,行番号が ‘linea’ で示されている。つま り,本書は1524/5年版を模倣して印刷されたとみなされる。
第5番目のページ付け本は1528年にジョス・バードが印刷したキケロ(Cicero, Marcus Tullius, 前102-43)『ヘレンニウスへの弁論』(Rhetorici ad Herennium libri quatuor. 4to. USTC 145988)で ある。本書は人文主義印刷家バードの最初のページ付け本である。本書は2部構成となり,第1部 が96ページ,第2部が135ページのページ番号が振られている。巻末に索引があり,ページを ‘Pa.’
で示している。パリ最初のアラビア数字によるページ付けと, ‘pagina’ という言葉の登場である。
しかし,アラビア数字でページ番号が印刷されたが,索引ではローマ数字が使用されている。アラ ビア数字よりローマ数字のほうがまだ馴染みがあった証左であろう。
しかし,バードはページ付けにあまり関心がなかった。BP 16によれば,バードは1502-36年の 間に771版39のギリシア・ローマ古典とエラスムスをはじめとする人文主義者の著作を刊行してい るが,彼単独のページ付け本は1528-36年の間にわずか6版のみである40。彼の印刷本の多くでは むしろローマ数字によるフォリエーションが行われていた。
第6番目のページ付け本は,シモン・ド・コリーヌ(Colines, Simon de, 1480頃-1546)による ガレノス(Galenus, Claudius, 129-216頃)の『人体の部分の使用について』(Opus de usu partium corporis humani. 4to. USTC 145923)である。本書にはギリシア文字の折記号α-β8という前付け 16葉があり,索引を含む。コリーヌは索引の説明で ‘pagina’ と ‘linea’ という言葉を使用している。
そして,本文にはアラビア数字のページ番号と,5行おきの行番号が内側のマージンに印刷されて いる。コリーヌはそれ以降,索引を備えた本については,ページ番号にはアラビア数字を使用して,
行番号を5行おきに印刷している。
コリーヌは1520年から古代ギリシアの医学を集大成したガレノスの刊行を始め,1528年からそ の出版を本格化している。BP 16によればコリーヌは1528年だけで12版もガレノスの著作を刊行
している。以降,精密な索引を備えたガレノスの著作を毎年のように刊行した。彼は生涯に約800 版を刊行したが41,ページ付け本は57版であり42,そのうち18版がガレノスであることから,彼 のページ付け本の中心はガレノスであった43。彼は索引を備えるべき本については,検索の便を考 慮してページ付けと行番号付けを行ったが,索引を備えない本についてはページ付けではなく主に 葉番号を付けていた。
以上のように,パリでは1519-28年の10年間に登場したページ付け本は現時点の調査では6 版 に過ぎず,その発展はリヨンと比較して緩慢であった。
6.リヨンにおけるページ付け印刷の発展
パリとは異なって,前述のようにリヨンでは1528年からグリフによってページ付け印刷が積極 的に行われるようになった。グリフは図6に示すように1556年まで盛んにページ付け本を刊行し た。彼は生涯に1,375版を刊行したが44,筆者の調査では,そのうち1,107版がページ付け本であ り,80.1%に達し,16世紀前半のヨーロッパの印刷業者の中で最も多くのページ付け本を刊行した 業者とみなされる。彼がページ付けで刊行した本の主な著者は表2の通りである。グリフが主に独 立前に刊行に関わったバルトルス(Bartolus de Saxoferrato, 1313-57),ニコラス・デ・トゥデスキ ス(Nicolas de Tudeschis, 1386-1445),イアソン・デ・マイノ(Jason de Mayno, 1435-1519)とい う法学者も上がっているが,1528年からは,エラスムス,アルチアート(Alciato, Andrea, ラテン
語Andeas Alciatus, 1492-1550),メランヒトン,ヴァッラ,ポリツィアーノ,ティクシエ(Tixier
de Ravisi, Jean, 1470-1542)等の人文主義者,キケロ,オウィディウス,テレンティウス,リウィ ウス,ホラティウス,サルスティウス等のギリシア・ローマ古典を大いに刊行した。
1 2 1 1 1 2 3 1 3 1 2 1 5 1 8 2 1 1 1 1
9 8 9 15 2 4
23 12 4 4 6 1 1 3 1 2 1 1 1 3 4
6 10 2
3 5 5 4 4 4 5 3
1 8 4 2 1 1 1
1 2
2 2 0
13 5 14
21 19 22 40
32 53
29 45
44 48
70 82 57 48
32 62
45 52 31
38 58 27 16
43 44 1 1 17
2 2 1 4
1 4
3
4
2 3
2 1
1 1
1 1
0 1 3
0 10 20 30 40 50 60 70 80 90
1524 1526 1528 1530 1532 1534 1536 1538 1540 1542 1544 1546 1548 1550 1552 1554 1556 Column Foliation No number Pagination Unknown
図
6 リヨンのグリフが刊行したページ付け本の年代別の数量(ギュルトリンゲンの書誌に基づく)
グリフがページ付けを積極的に行った影響で,リヨンの他の印刷業者もページ付けに取り組ん でいる。表3に示すように,チボー・ペイン(Payen, Thibaud)は1550年までに62.87%に当た る171版のページ付け本を刊行した。そのうち,1540年代に8折判で刊行したアリストテレス19 版が顕著であり,以下キケロ11版,エラスムス9版等の人文主義書,エラスムスに異を唱えた ティーテルマンス(Titelmans, François, 1502-1537)6版等がある。次のマセ・ボノム(Bonhomme,
Macé)は1550年までに54.81%の74版を刊行した。その中には,アルチアート7版,シモン・
ヴァンサン(Vincent, Simon)の後継者と共同で1538年頃に刊行したアリストテレス7版等があ る。そして,人文主義者であるが無神論者として逮捕され,さらに扇動的な文書を印刷した廉で火 刑に処せられたエチエンヌ・ドレ(Dolet, Etienne, 1509-46)は刊行した94版中94.68%がページ 付け本であった。その中には15版に及ぶ自著があるが,その他に『聖書』及び聖書の各編6版,
表
2 グリフが刊行したページ付け本
の主な著者
Author Editions
Erasmus, Desiderius 129 Cicero, Marcus Tullius 115
Bible 41
Ovidius Nso, Publius 40
Andeas Alciatus 34
Terentius Afer, Publius 28 Bartolus de Saxoferrato 27 Nicolas de Tudeschis 23
Jacques Sadolet 21
Jason de Mayno 21
Philipp Melanchthon 20
Laurentius Valla 18
Titus Livius 17
Johannes Oldendorp 16
Horatius Flaccus, Quintus 14 Sallustius Cripus, Gaius 14
表
3 グリフ以降の 16
世紀前半のリヨンの印刷業者によるページ付け本の比率
Printer Years Editions Paged
books
%Gryphe, Sébastien 1528-50 1153 995 86.30%
Trechsel, Gaspar &
Melchoir 1529-40 126 47 37.30%
Portonariis, Vincent 1529-42 302 20 6.62%
Vincent, Antoine 1533-50 123 16 13.01%
Payen, Thibaud 1534-50 272 171 62.87%
Bonhomme, Macé 1535-50 135 74 54.81%
heritiers, Simon 1535-50 84 15 17.86%
Barbou, Jean 1536-45 116 46 39.66%
Frellon, Jean &
François 1536-46 137 68 49.64%
Dolet, Etienne 1538-44 94 89 94.68%
Sabon, Sulpice 1541-45 39 27 69.23%
Arnoullet, Balthazar 1542-50 107 87 81.31%
Tournes, Jean 1542-50 186 182 97.85%
Pullon, Jean 1543-50 49 40 81.63%
Beringen, Godefroy &
Marcellin 1544-50 57 47 82.46%
Rouillé, Guillaume 1545-50 179 64 35.75%
Frellon, Jean 1547-50 54 36 66.67%
Rollet, Philiber t, &
Barthélemy Frein 1548-50 47 39 82.98%
ガレノス6版,低地諸地方の人文主義者ムルメリウス(Murmellius, Johannes, 1480頃-1517)とエ ラスムスが各3版,さらにラブレー(Rabelais, François, 1494-1553)が2版ある。さらに,トゥル ヌ(Tournes, Jean I, 1504-1564)に至っては97.85%に達しており,ほとんどすべてをページ付け で刊行したと言える。トルゥヌは,グリフがラテン語書の印刷を主にしたのとは異なり,16折判 のフランス語を中心とした俗語書の印刷を推進した。デーヴィス(Davis, Natalie Zemon)の算定
では俗語63%,ラテン語・ギリシア語37%である45。その中には,リヨン初版となるダンテ(Dante
Alighieri, 1265-1321)とペトラルカ(Petrarca, Francesco, 1304-74)をはじめとして,詩人のデュ・
ムーラン(Du Moulin, Antoine, -1551)7版,ルメール・ド・ベルジェ(Lemaire de Belges, Jean, 1473-1525)5版,フランソワ・アベール(Habert, François, 1510頃-61)8版等の文芸作品が含ま れている。その他の印刷業者では,ピュロン(Pullon, Jean)が81.63%,ベリンゲン兄弟(Beringen, Godefroy & Marcellin)が82.46%,ローレとフレン(Rollet, Philibert, & Barthélemy Frein)が
82.98%であり,リヨンで1540年代から印刷業に従事した業者の中には人文主義書をページ付け本
で刊行することが多かったことから,ページ付け本の比率が非常に高くなった。ちなみに,ドレは 印刷家になる以前にはグリフ印刷所から著作を刊行し,グリフ印刷所で校正係を務めた46。トゥル ヌもグリフ印刷所で6年間働いた後に印刷業者となっている47。両者ともにグリフの影響下で印刷 技術を身につけていた。
7.パリのページ付け本の発展
パリでは1520年代にはまだページ付け本は極めて限られていたが,1529年以降徐々にページ 付けを積極的に行う印刷業者が登場する。その中心がクレチアン・ウェシェル(Wechel, Chrétien, -1554)とロベール・エチエンヌである。
ウェシェルは1518年頃にパリに至り,レシュの店で修業をした。そして,1526年にレシュか ら「バーゼルの紋章」の店を譲り受けて出版人として独立した。彼はシモン・デュ・ボワ(Bois, Simon du)印刷所に出資してエラスムスやレオニチェノ(Leoniceno, Niccolò, 1428-1524),メラン ヒトン(Melanchthon, Philipp, 1497-1560)等の人文主義者の著作を出版した。1529年にはデュ・
ボワの印刷所を買い取って,印刷,出版,販売を手掛けるようになった。この年にテオフラストス
(Theophrastus)『植物誌』(De causis plantarum libri VI. 8vo. USTC 146023)を刊行した。これがウェ シェル最初のページ付け本である。本書は2部構成で,第1部は本文が始まるa1rからアラビア数 字で1ページが始まり,誤植がほとんどなく343ページまで印刷されている。第1部の末尾にラテ ン語・ギリシア語の対照表があるが,索引ではない。第2部は本文がA2vから始まって, ‘2’ のペー ジ番号が振られている。つまり,第1ページ目は第2部の前書き末尾のページを指しており,2ペー ジ目以降との連続性がない。しかし,ページ番号には誤植はほとんどない。巻末にギリシア語・ラ テン語対照表があるが,やはり索引ではない。本書のタイトルページにはすでに著者名,書名,出 版地,出版者,出版年の情報が記載されているが,第2部末尾(Et6r)にコロフォンが印刷されて
いる。
ウェシェルは,翌年にはガレノス『瀉血治療法』(De curandi ratione per sanguinis missionem.
8vo. USTC 146025),1530年にはアイスキネス(Aeschines, 前389-314)等のギリシア・ローマ古 典をページ付け本で刊行し,さらに翌年には宗教改革者ハーゲンドルフ(Hegendorph, Christoph, 1500-1540),神学者ボナード(Bonade, François)等の多様な著者の著作12版をページ付け本で 刊行した。BP 16によれば,ウェシェルは16世紀前半に766版を刊行しているが,筆者の調査に よれば,そのうち34.2%にあたる262版がページ付け本である。ウェシェル刊行本の書誌データに は対照事項が不明なものが多数含まれているため,実際にはもっと多くのページ付け本を印刷して いたと考えられる。
一方,ロベール・エチエンヌは1526年に独立し,1529年にアイソポス(Aesopus)『伝記と寓 話』(Vita et Fabulae a viris in Latinam lingua versae. 8vo. USTC 184824),タンストール(Tunstall, Cuthbert, 1474-1559)『計算法について』(De arte supputandi libri quatuor. 4to. USTC 146021),
ヴァレリアーノ(Valeriano, Pierio, or Bolzanio, Pieri, 1477-1558)『ウェルギリウス講義の批判と 相違』(Castigationes et varietates Virgilianae lectionis. fol. USTC 181166),ロレンツォ・ヴァッラ
(Valla, Lorenzo, 1406頃-1457)『ポッジョへの対抗』(In Pogium Florentinum antidoti. 4to. USTC 146052)といった人文主義書をページ付けで刊行した。翌年には,古代ローマの修辞学者ルティリ ウス・ルプス(Rutilius Lupus, Publius),エラスムス,神学者で人文主義者のコルディエ(Cordier, Mathurin, 1479頃-1564),そしてロベール・エチエンヌ自身の著作(Sententiae et proverbia ex omnibus Plauti et Terentii Comoediis. 4to. USTC 184992)の4書をページ付けで刊行した。
ロベール・エチエンヌの初期のページ付け本の例として,ヴァッラ『ポッジョへの対抗』のペー ジ付けを調査すると,第1葉表(*1r)はタイトルページで,著者,書名,出版地,出版者,出版 年が明記されている。第2折丁(a)から本文が始まり,1ページからアルドのタイプAでページ 番号が印刷されている。ところが,折丁mではページ番号が177-182 187 [188] 189-192となり,
183-186ページが欠落して,187ページからページ番号が続く。つまり,本書の実際のページ数は
ページ番号よりも4ページ少ない。ロベールのページ付け本にはこのようなページ付けの不備が 時折見られる48。しかし,彼がパリで印刷出版活動をした1550年までに641版を刊行しているが,
そのうち45%にあたる289版がページ付け本であった。エチエンヌの書誌データにも対照事項が
不明なものが多いため,実際にはもっと多くのページ付け本があるとみなされる。
表4に示すように,16世紀前半のパリでは1520年代以前から印刷業を行っていた古参の業者は ページ付けには消極的であったが,ロベール・エチエンヌとクレチアン・ウェシェルが登場した 1520年代後半以降に印刷業に参入した業者の中でページ付け印刷が徐々に広まっていったことが わかる。
8.まとめ
16世紀前半のフランスおけるページ付け印刷の開始とその発展について調査した結果を以上の ように述べてきたが,リヨンとパリにおけるページ付け印刷の発展には大きな違いがある。リヨン ではアルドの影響でページ付けが1511年に模倣されたが,その後アルドの影響とは別に1526年に リィによってページ付け本が印刷され,さらにバーゼルの影響でグリフが人文主義書の印刷の際に 積極的にページ付けを行った。そして,彼の影響のもとで1530年代にページ付けに取り組む業者 が次々と登場し,リヨンは16世紀前半に最も大量のページ付け本を刊行する都市になった。リヨ ンではページ番号は最初からアラビア数字であり,1526年からpaginaという言葉が使用された。
また,リヨンではタイトルページに著者名,書名,出版(印刷)地,印刷者,印刷年を早くから記 載して,近代的なタイトルページを実現し,コロフォンが消滅していった。
一方,パリではページ付け印刷がバーゼルの影響で1519年に始まったが,その発展は遅く,
1520年代末以降に人文主義印刷家エチエンヌとウェシェルが比較的積極的に取り組んだが,ペー ジ付けを積極的に行う業者は決して多くなかった。パリでは最初はページ番号にローマ数字が使用 され, ‘pagina’ は使われず, ‘folio’ という言葉で表現していた。
リヨンとパリのページ付け本の比率を図7に示す。パリはリヨンに比べて出版量が圧倒的に多 かったが,ページ付け本の比率と数量でパリはリヨンに及ばなかった。フランスの出版史はパリを 中心に語られてきたが,本研究によって近代的な書物形態の発展について考える場合には,リヨン はパリより重要な役割を果たしていたことが明らかになった。
表
4 16
世紀前半パリの主な印刷業者によるページ付け本の比率Printer Year Editions Paged books
%Jean Petit 1501-40 1635 8 0.49%
Josse Bade 1502-36 771 8 1.04%
Pierre Vidoué 1510-43 399 24 6.02%
Charlotte Guillard 1519-50 167 15 8.98%
Simon de Colines 1520-46 800 57 7.13%
Chrestien Wechel 1526-50 766 262 34.20%
Robert I Estienne 1526-50 641 289 45.09%
Antoine Augereau 1532-34 50 10 20.00%
Michel de Vascosan 1533-50 371 57 15.36%
Jean Loys 1534-47 422 116 27.49%
Jean de Roigny 1536-50 334 14 4.19%
Nicolas du Chemin 1540-50 54 16 29.63%
謝辞
本稿を執筆するにあたり次に掲げる方々から大変貴重なご意見とご支援を賜りました。2019年 度にロンドンとリヨンで研究を行うにあたって全面的に支援してくださったロンドン大学ウォー バーグ研究所図書館長ラファエル・ムーレン(Mouren, Raphaële)氏,フランス国立情報・図書館 学高等研究院教授ドミニク・ヴァリー(Varry, Donimique)氏とマルコム・ウォルズビー(Walsby, Malcolm)氏,筆者の研究を後押ししてくださった英国図書館元館員のウィリアム・ショー(Shaw,
William)氏,データベースLYON 15-16の使用を許可してくださった書誌学者ウィリアム・ケン
プ(Kemp, William)氏,ロンドン生活を常に支えてくださった英国図書館元館員のジョン・ゴー ルドフィンチ(Goldfinch, John)とモラーグ・ゴールドフィンチ(Goldfinch, Morag)夫妻に,こ こに記して感謝の意を表します。
付記
本稿はJSPS科研費JP17K00454の助成を受けたものです。
[注]
1 ペリテクスト,パラテクストの定義は,ジェラール・ジュネット著,和泉涼一訳『スイユ:テクストから書物へ』
水声社,2001年,参照。
2 利用した主な書誌データベースは,EDIT 16, URL: Censimento nazionale delle edizioni italiane del XVI secolo, URL:
http://edit16. iccu.sbn.it/web_iccu/imain.htm (accessed 2019/9/18),ESTC, URL: Eglish Short Title Catalogue, 図
7 16
世紀前半のパリ,リヨンのページ付け本の数量と比率0 10 20 30 40 50 60
0 50 100 150 200 250
Paris Pagination Lyon Pagination Paris % Lyon %
URL: http://estc.bl.uk/F/?func=file&file_name= login-bl-estc (accessed 2019/9/18),USTC, URL: Universal Short title Catalogue, URL: http:// ustc.ac.uk/index. php/search (accessed 2019/9/18),VD 16, URL: Verzeichnis der im deutschen Sprach-bereich erschienenen Drucke des 16. Jahrhunderts, URL: https://opacplus.bibbvb. de/TouchPoint_
touchpoint/start.do?SearchProfile=Altbestand&Search Type=2 (accessed 2019/9/18)。
3 拙稿「西洋におけるページ付けの起源と発展過程について」『学術研究(人文科学・社会科学編)』66号,2018年,
pp. 67-83。
4 拙稿「ページ付けの起源とアルド・マヌーツィオ:新しいぶどう酒は新しい革袋に入れ」『書物学』15号,2019年,
pp. 13-21。
5 フローベン印刷のページ付け本の研究として次の拙稿を発表した。「1525年バーゼル版プリニウス『博物誌』につ いて」『早稲田大学図書館紀要』65号,2018年,pp. 1-29。
6 拙稿「16世紀前半バーゼルにおける近代的書物形態の発展について」『学術研究(人文科学・社会科学編)』67号,
2019年,pp. 71-84。
7 拙稿「西洋におけるページ付けの起源と発展過程について」,p. 76-77。
8 Martin, Henri-Jean, Jeanne-Marie Dureau, Années de transition : 1500-1530, Histoire de l’edition française, t. 1, Paris : Promodis, 1982, p. 217.
9 BP 16, URL: http://bp16.bnf.fr/ (accessed 2019/9/18).
10 LYON15-16, URL: http://www.lyon15-16.org/ (accessed 2019/9/18).
11 Moreau, Brigitte, Inventaire chronologique des éditions parisiennes du XVIe siècle d’après les manuscrits de Philippe Renouard, Paris : Imprimerie Municipale, 1972-2004.
12 Bibliographie des éditions parisiennes du XVIe siècle, URL: https://www.data.gouv.fr/fr/datasets/bibliographie-des- editions-parisiennes-du-xvie-siecle/ (accessed 2019/9/18).
13 LYON 15-16の利用については,W. Kemp氏から許可をいただき詳細な検索を行うことができました。
14 Gültlingen, Sybille von, Bibliographie des livres imprimés à Lyon au seizième siècle, t. 1-14, Baden-Baden : Valentin Koerner, 1992-2015.
15 拙稿「ページ付けの起源とアルド・マヌーツィオ:新しいぶどう酒は新しい革袋に入れ」,p. 14。
16 アルドの8折判古典シリーズの海賊版の出版はリヨンが中心地となり,16世紀初頭のリヨン印刷史の問題点として 多くの研究がある。例えば,Audin, Marius, L’imprimerie à Lyon, Lyon : M. Audin, 1923, pp. 25-29 ; Shaw, David, The Lyons counterfeit of Aldus’s italic type, in Denis V. Reidy (ed.), The Italian book 1465-1800 : studies presented to Dennis E. Rhodes on his 70th birthday, London : The British Museum, 1993, pp. 117-133.リヨン刊行の海賊版は約190版に及 ぶが,今後も新たに発見される可能性があり,ページ付けを模倣した版が今後も発見される可能性は否定できない。
参照:The Aldine Press : catalogue of the Ahmanson-Murphy collection of books by or relating to the press in the Library of the University of California, Los Angeles incorporating works recorded elswhere, Berkeley : University of California Press, 2001, pp. 501-528.なお,この目録では,1511年版ホラティウスは新暦1512年2月26日として登録されている
(p. 514, 1143)。
17 拙稿「西洋におけるページ付けの起源と発展過程について」,pp. 70-71.
18 Schwarzfuchs, Lyse, L’hébreu dans le livre lyonnais au XVIe siècle : inventaire chronologique, Lyon : ENS Éditions,
2008, p. 54. なお,USTCには,リィが1520年に刊行したとされる8折判のパグニーニ『ヘブライ語提要』
(USTC 155465)が登録されているが,これは誤りであろう。
19 Davis, Natalie-Zemon, Society and culture in early modern France: eight essays, Stanford : Stanford University Press, 1975, p. 30.
20 The British Library, Main catalogue, URL: http://explore.bl.uk/ (accessed 2-19/9/18).
21 Gültlingen, Sybille von, Bibliographie des livres imprimés à Lyon au seizième siècle, t. 3, Baden-Baden : Valentin Koerner, 1995, pp. 175-202. LYON 15-16では101版である。
22 リヨンではパリに先駆けて印刷・出版「仲間」(compagnie)が作られて,出版・印刷に関わる様々な協力や規制 が行われていた。Davis, Natalie-Zemon, op. cit., pp. 4-10 ; ditto, Le monde de l’imprimerie humaniste : Lyon, Histoire de l’édition française, t. 1, Paris : Promodis, 1982, p. 262.
23 ギュルトリンゲンによれば,t. 1 : (28),343,(1)pp. ; t. 2 : 387,(1)pp. ; t. 3 : 274,(2)pp. ; Tabula :(43, 1 bl.)