1
パ
パ
リ
リ
か
か
ら
ら
見
見
え
え
る
る
こ
こ
の
の
世
世
界
界
U UnnrreeggaarrddddeePPaarriissssuurrcceemmoonnddee 第 第3377回回 「魂「魂のの医医者者」」エエピピククロロスス:: そそのの哲哲学学とと生生きき方方 「わたしは幸福を求めはしない。わたしに必要なものは、幸福ではなく真理に近付くこと、 すなわち哲学することである」 ――マルセル・コンシュ 若き日に、お前はエピキュリアンだと言われたことがある。当時は、酒池肉林を思 わせる快の追求を生活の中心に置く快楽主義者というネガティブな認識しかなかった が、そう形容した相手の方もそういう含みでこの言葉を使っていたのではないかと想 像している。その後、フランス語を始めてから知り合ったフランスの友人からもこの 言葉で形容され、エピクロス(Epicurus, 341 BC-270 BC)という古代ギリシャの哲学者 に興味が湧き、少しだけ調べたことがある。そうすると、これまでの認識が誤りであ るだけではなく、哲学が古くから抱えている心と行いをどう結び付けるのかという問 題に向き合った人間が浮かび上がってきた。先日、日本に帰国した折、大学院生にエ ピキュリアンという言葉について訊いてみたが、彼らの辞書には存在しないことが分 かった。エピクロスは独自の物理学も展開したが、今回は彼の倫理学に焦点を合わせ ながら、長い間異端とされたこの哲学者の人生にも想いを馳せてみたい。 エピクロスは、紀元前 341 年にエーゲ海のトルコ沿岸に浮かぶサモス島に生まれて いる。この生年を当時の有名な哲学者の没年と比較すると、ソクラテス(Socrates, c. 469 BC-399 BC)は半世紀前、プラトン(Plato, 428/427 BC-348/347 BC)は 6 年程前、そし てアリストテレス(Aristotle, 384 BC-322 BC)はエピクロスが 21 歳の時に亡くなって いる。このことから、若い時にはソクラテス、プラトン、アリストテレスの哲学を感 じながら生活していたことが想像できる。エピクロスは、若き日にエーゲ海周辺を動 き回っている。18 歳の時、サモス島からアテナイに移動し、20 歳まで滞在。アテナイ での兵役に服するためと言われている。この時は特に大きな精神的発展は見られなか ったようだが、劇作家のメナンドロス(Menander, 342 BC-292/291 BC)などと知り合 いになっている。兵役を終えた後、政治状況からサモス島に戻ることができず、対岸 のコロポン(Colophon)に滞在している。そこで、原子論を唱えたデモクリトス (Democritus, c. 460 BC-c. 370 BC)の哲学を語るテオスのナウシファネス(Nausiphanes)2 の話を聴き、その後展開することになる自らの自然観に影響を受けたとも言われてい る。30 歳の時、コロポンの北にあるミティリーニ(Mytilene)、その 1 年後にはランプ サコス(Lampsacus)に移り、自らの哲学を教えている。そして、35 歳を迎えてアテナ イに落ち着き、友情を最大の価値とする「楽園」を建設。72 歳で亡くなるまでの 35 年余りの時を仲間と共に過ごした。独学を誇りとし、当時の主流だったソクラテス、 プラトン、アリストテレスの哲学からも霊感を受けることはなかったとされている。 エピクロス エピクロスの哲学は生存中から意図的に誤解、歪曲され、死後も長い間に亘って排 斥されることになった。「楽園」での生活様式も評価に影響を与えたのかもしれない。 17 世紀フランスの数学者、天文学者にして哲学者のピエール・ガッサンディ(Pierre Gassendi, 1592-1655)は、エピクロスを「古代で最も誹謗中傷された哲学者」とし、エ ピクロス哲学の復権を自身の大きな仕事とした。その後、エピクロスの哲学は見直さ れ、現代では有力な信奉者も現れている。その一方で、未だに誤解されたままである と感じる時も少なくない。最初に植え付けられたイメージを払拭し、人間を復権する ことが如何に難しいかを示す歴史的な証左でもある。 エピクロスを高く評価したニーチェ(Friedrich Nietzsche, 1844-1900)は、次のような 言葉を残している。 「豊穣の哲学者:小さな園、イチジク、チーズ、そして数人の良き友。それこそがエ
3 ピクロスの豊穣であった」 「ある人たちはこのように生きたのである。休むことなく、常に彼らの内と外の世界 における生を感じていた。その中にあって、この男は最も偉大な人間の一人であった。 英雄的であると同時に牧歌的な哲学のやり方を発明した男。それがエピクロスであっ た」 この言葉は、エピクロスが自身の内的世界と外的世界において十全に在ることを人生 の一瞬一瞬で感じ、そのことに悦びを見出していたことを的確に伝えている。外的世 界を十全に生きるということは、自らの感覚器を研ぎ澄まして外界の情報を取り込み、 それによって内的世界を変容させ、充ちたものにすることである。エピクロスがこの 関係を意識しながら生きていたことを想像させる。エピキュリアンという言葉を発し た件のフランス人は、「カルペ・ディエム」(carpe diem)という言葉をわたしに贈って くれた。古代ローマの詩人ホラティウス(Horatius, 65 BC-8 BC)の詩から採られた言 葉の原意は「その日を摘み取れ」ということで、「明日のことは心配せず、その日を充 分に味わい、楽しみなさい」という意味になる。その友人は、「いま・ここ」から最大 限の悦びを引き出せと言ったエピクロス主義者の言葉こそ、これからフランスに向か う人間には相応しいと思ったのかもしれない。 膨大な作品を著したとされるエピクロスだが、現在読むことのできる作品は僅かで、 その全貌は岩波文庫の『エピクロス ―教説と手紙―』(1959)で目にすることができる。 その中の『ヘロドトス宛ての手紙』では、この世界の成り立ち、自然についての見方 が語られ、『ピュトクレス宛ての手紙』は特に気象現象を扱っている。そして、『メイ ノケウス宛ての手紙』では幸福な人生とは如何なるものかについての哲学が語られ、 これが多くの誤解と誹謗中傷を生む原因にもなってきた。この他、彼の思想の断片が 集められた『主要教説』と 1888 年にバチカンで発見された『バチカン断片』がある。 古代の哲学者を知る上で欠かせない三世紀のディオゲネス・ラエルティオス(Diogenes Laërtius)による『ギリシア哲学者列伝』(岩波書店、1984、1989、1994)では、第 10 巻がエピクロスに充てられている。 さて、誹謗中傷、排斥されることになるエピクロスの哲学とは、一体どのようなも のだったのだろうか。彼は欲望そのものを否定せず、幸福な人生には快楽の追及が必 須であると主張した。人間の欲望を分析して自然なものと無益なものに分け、さらに
4 自然な欲望には幸福を得るために必須なものとそうではないものがあると考えたので ある。無益な欲望の中には富、栄光、名誉、不死などが含まれる。自然な欲望には性 的享楽なども入るが、それは必須ではないとした。それがなくとも他の活動で遣り過 ごせると考えるのである。人生の究極の目的は幸福であり、そのために自然で必須な 欲望に従うことこそがエピクロスの言う快楽の追求であった。快楽という言葉を聞い て想像するのはプラスの快だが、彼が求めたのはマイナスに働く不快がない状態であ った。具体的には、精神的な悩みや心配事がなく、心が深い平静にある状態 (ataraxia) であり、身体的苦痛が全くない状態(aponia)を指していた。換言すれば、過度の快 楽を得ることではなく、不快を除いた凪のような状態を快楽としたのである。エピク ロスの快楽追求が抑制的なものであることが見えてくる。その状態の中に在る時には 快であることに気付き難く、そこからの逸脱があった時に初めてそれ以前が幸福だっ たと分かることになる。過度の快楽はその時はよいが長続きせず、それが終わった後 には苦痛が訪れる可能性があることを知っていたのだろう。同じように快楽の追求を 主張するヘドニストと言われる人たちがいる。彼等はプラスの快を最大にしようとす るあまり幸福の持続を難しくしている可能性がある点で、エピキュリアンとは一線を 画している。 『メイノケウス宛ての手紙』には、次のような言葉がある。 「快楽を生み出すものは、終わりなき饗宴でもなければ、少年や女性との戯れでもな く、すべての選択と拒否の原因を探求する冷静な思考である」 酒池肉林的な世界をエピキュリアンの願望だとする見方を強く否定し、状況によって はパンと水だけでも最上の快を味わえることも訴えている。その上で、どのような行 いが苦痛のない状態に導くのかということを冷静に分析し、取捨選択しなければなら ないと言っている。 さらに、こんな記述もある。 「したがって快楽が目的であるとわれわれが言う時、われわれの教義を知らない人間 や教義に反対したり曲解する者が描く快楽ではなく、享楽を求める者の快楽や度を越 した性的快感の中にある快楽のことを言いたいわけでもない。われわれが言う快楽と は、身体の痛みと精神の乱れのない状態のことなのである」
5 この言葉から、エピクロスが存命中からいろいろな理由により誤解され、賤しめられ ていただけではなく、それに冷静に反論しようとしていたことが分かる。と同時に、 彼が唱える幸福に導く快楽の本質は、飽くまでも上述の ataraxia と aponia にあるこ とを明確に示すものである。 ソルボンヌ・フランス文明講座の説明会 ソルボンヌ大学リシュリュー講堂にて (2010 年 7 月 5 日) この辺りのエピクロス哲学の本当の姿を世界の若者は理解しているのだろうか。そ のことを直接確かめる機会が2010年に巡ってきた。さっぱり上達の兆しがないフラン ス語を学び直すため、ソルボンヌ・フランス文明講座(Cours de Civilisation Française de la Sorbonne)に3ヵ月程通った時のことである。このコースには本人が選んだテーマに ついてプレゼンテーションする時間が設けられており、エピクロスの哲学を選んで話 したのである。エピクロスと聞いて何らかのイメージが浮かんでくるものと予想し、 それが逆転する驚きを期待して話を組み立てた。しかし、ほとんどの若者はその名前 さえも知らなかったため、わたしの目論見は冒頭から裏切られるという苦い思い出が 蘇ってくる。 エピクロスは人間が幸福に至る4つの処方箋(tetrapharmakos)を提唱している。そ
6 の第一は、神は現実世界に手を出さないので恐れるに足らないこと。これは理神論 (deism)に近い立場になるのだろうか。第二は、死は永遠の眠りのようなもので、そ の時には感覚はないので心配の種にはなり得ないこと。これらの処方箋は神がすべて を決めていると考えられていた時代の精神的苦痛に対するものだが、それだけに勇気 を要しただろうことを想像させる。第三は、幸福を齎す最小限のものは弄さずに手に 入れることができるので、それ以上を求めないこと。第四は、激しい苦痛は一時的な ものなので容易に耐えられることであった。 エピクロスが生きた時代の主流の哲学は、人間を政治的動物と見做し、ポリスへの 貢献、政治への参加を求めた。しかし、彼は政治への参加だけではなく、家庭を持つ ことも勧めなかった。それは必ずしも非政治的な選択ではなく、伝統的な政治から距 離を取りながらも友情を基にしたコミュニティを構築し、そこでの共同生活の中に快 を求めたのである。彼は哲学を普通の生活の中に持ち込まなければならないと考えて いた。しかし、それは単なる知的愉しみのためでも社会での競争を有利にする手段と してのものでもなく、仲間との良い関係を作るためのものとして捉えていたように見 える。 『バチカン断片』の中に、次の言葉が残されている。 「われわれは同時に笑い、哲学し、家事をとり、他の営みもしなければならない。そ して、真の哲学の教えを伝えることを決して止めてはならないのである」 現代フランスのエピキュリアンである御歳 92 歳のマルセル・コンシュ(Marcel Conche, 1922-)氏は、エピクロスの教えを超え、すべてを犠牲にして哲学に没頭してきたとい う。90 代に入ってからのインタビューで、次のように語っている。 「この歳になり真理を発見したと思うかと問われれば、答えは“ウィ”である。ここ で言う真理は、わたしの真理ではなく絶対的真理である。わたしがやってきた形而上 学において重要になるのは、証明ではなく力強い理論構築である。その成否を決める のは、自由なのである」 哲学の営みにより、この人生において絶対的真理に到達したとあっさり答えることが できる人を見ることは、感動的でさえある。しかも、幸福を求めていなかったにもか
7 かわらず、その営みの中に至福の時を味わってきたという。稀ではない逆説をここに 見る。そして、われわれが思考する時、ある枠の中に在ることを常に意識し、自らを そこから解き放ち、真理に向けて思考を自由に羽ばたかせることの大切さに改めて思 い至る。 エピクロスの『メノイケウス宛ての手紙』は、次の有名な一節で始まっている。 「若いからと言って哲学することを後回しにしたり、年老いているからと言って哲学 することを蔑にしてはならない。なぜなら、誰であれ精神の健康を守るのに早すぎた り遅すぎたりすることはないからだ。そして、哲学する時はまだ訪れていないと言っ たり、その時は過ぎ去ったと言う者は、幸福である時がまだ来ないとか、最早ここに はないと言う者に似ている」 「哲学するのは今!」として、すべての人を哲学へ誘っている。古代ギリシャの哲学 者が「魂の医者」としての役割を強く自覚していたことが、このことからも窺える。 わたし自身は、最早「体の医者」になる機会はないだろう。しかし、エピクロスに触 れる時、「魂の医者」を目指して研鑚せよと促されるようにも感じる。魂の癒しは体 の癒しにも繋がる。医学が「癒しの技術」であることを考えれば、その研鑚は長い科 学での生活の後に医学本来の道に入ることを意味しているのかもしれない。 (2015 年 1 月 8 日) * * * これまでお読みいただいたエッセイですが、編集部のご了解を得て、暫くお休みをいただくこと になりました。今秋には再開できることを願っております。ご理解のほど、よろしくお願いいたし ます。