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目霊目目田田田田召霞田目田目

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(1)

目 霊 目 目田 霞田

□□□□□□

□ □ 吼

Ⅲ 藤 原 京 の 調 査

□ □

□ □

□ □

□ □

□ □

□ □

□ 囲

□□

37‑18

日ヽ1

41‑13

□ □

□ □

□ □

北 京極 大路

(一)

一条 大路 (二)

二 条大路

(二)

三条 大路 (四)

四条 大路

(五)

五 条 大路

(六)

,1ヾ条大路

□□□□ □□ □□

□□□□ □□□□

□ □

□□□□ □□□□

回□□□ □□□□

□□□□ □□□□

巳圏目目 □□□□

□□□□

田 圏目 旨

□□□□

圏 田田 目

□□□□

(七)

と条 大 路

(八)

八 条 大 路

(九 条)

九 条 大 路

(1条)

「条大路写

(トー 条)

十 一 条 大路

(十二 条)

市 京極 大路

西

西

西

西

第 8図 藤原京 内調査位置図 (1:20000,網 目は既調査地,条坊は模式図)

I

I

I==

‑26‑

(2)

右 京 二 条 三坊・ 三 条 三 坊 の調 査 (第39・

43次

)

(第39次 ,1984年 1月4月 ,第43次 i1984年 6月8月)

この 調 査 は 国 道 165号 線 橿 原 バ イパ ス の 建 設 工 事 に 伴 う発 掘 調 査 で あ り,同

バ イパ ス関 連 の調 査 と して は第

4次

・ 第

6次

目 に あ た る 。

今 回 は 藤 原 宮 第25次調 査 地 (概 報

10)の

北 側 に続 く縄 手

,醍

醐 地 内 か ら国 鉄 桜 井 線 に 至 る延 長 300mの 区 間 が 対 象 と な っ た 。 藤 原 宮 の 条 坊 呼 称 に したが う

と,右京 二 条 三 坊 東 南 坪 と二 条 三坊 東 北坪 に相 当 し

,各

坪 の 中 軸線 の東 側 を南 北 に貫 通 す る道 路 予 定 地 の 西 半 部 に調 査 区 を設 定 した。 な お,南半 を第39次,

北半 を第43次 と して 三 度 に わ た って調 査 を行 な ったが

こ こで は 一 括 して概 要 を述 べ る こ と にす る。

調 査 地 の 層 序 は

,耕

,床

,暗

茶 褐 色 土.黒褐 色 土

,黄

褐 色粘 上 の順 で あ る。 黒 褐 色 土 は 弥生 式 土 器 の包 含層 で あ り

この上 面 で 藤 原 京 関連 の遺構 を検 出 して い る。 黄 褐 色 粘 土 は地 山 で あ り

,一

部 の遺 構 は この地 山 上 で 検 出 した。

検 出 した主 な遺 構 は 古 墳 時 代,藤原 宮 期 〜 中世 の 各 期 に わ た って い る。

藤 原 宮 期 の遺 構

二 条 大 路

,掘

立 柱 建 物 13棟

,塀

6条

,溝

2条

,土

壊 な ど が あ る 。 二 条 大路

SF 3200は

道 路 幅 152mあ り

,両

側 溝 を伴 う。 北 側 溝SD3567は幅

1.Om,深

02mで

,南側 溝

SD 3565は

0,9m,深

さ0.2mで あ る。 両 側 溝 間 の心 々距 離 は 16.2mある。 なお,両側 溝 に は杭 穴 とみ られ る小穴 が 多 数 認 め られ た。 この他 に条 坊 関 係 の遺 構 と して 溝SD3793・ SD3540が あ る 。 東 西 溝SD3793は調 査 区 の北 端 か ら南 へ35mの ところに位置 し,幅

04mで

藤 原 宮 期

の 浅 い土 壊 状 の広 が りを 切 って掘 削 して お り

,二

条 条 間 路 北 側 溝 の 可 能 性 が 高 い。

SD 3540は

調 査 区 の南端 に あ る東 西 溝 で あ る。新 しい溝 に よ って南 側 が壊 され て お り

,現

存 で 幅

1lm,深

0.2mあ

る。 そ の位 置 か らみ て三 条条 間 路 の 北 側 溝 と半1断 され る。

二 条 三 坊 東 南 坪 の遺 構 に は掘 立 柱 建 物

8棟

と塀

4条

が あ る。 坪 の ほ ぼ 中央 に あ る

SB 3590は

桁 行

7間

,梁行

4間

の南 北 棟東 西 庇 付 建物 で

,建

物 の 北 半 部 は

‑27‑

(3)

NA

IVig。

00

SA3542    170 3 5

9       10      29m

第 9図 39・ 43次調査遺構配置図 (1:500)

‑28‑

(4)

10図 S B 3590周辺 調査遺構配置図 (1:300)

中 世 の上 墳S K 3761に よ って壊 され て い たが,身舎 部 分 の柱 掘 形

3個

と 柱 痕 跡

1が

確 認 され た。 柱 間 寸 法 は 桁 行 2.65m,異行 は身舎部分が 2.65

m,東

3.5m,西

32mで

あ る。

S B 3590の 西 側 柱 と一 部 重 複 して これ よ り古 い南 北方 向柱 列

6間

分 を 検 出 して い る。 各 柱 間 は北 か ら

4間

まで が 各 3.Om, 5・

6間

が 各 2.7

mあ り,柱掘 形 の形 状 と埋 上 の差 な どか ら

,梁

3間

の東 西 棟 建 物

SB

3595と

果 行

2間

の 東 西 棟 建 物

SB

3580を

想 定 した。 坪 の 南 半 部 に あ るS B 3572は異 行

2間

(柱間23m),

桁 行

3間

(柱

2.3m)以

上 の 東 西 棟 建 物 で あ る。 塀

4条

の うち

, SA

3581は

S B 3580の 東 妻 に と りつ く 東 西 塀 で, 3間分 を検 出 して い る。

柱 間 は

2.5m等

間 で あ る。 な お,同

位 置 に あ るS A 3582は S B 3580の 廃 絶 後 に設 け られ た東 西 塀 で

,柱

間 は

2.lm等

間 で あ り, 4間分 を検 出 し て い る。SA3585は

3間

(柱間 2.4

m)の

南 北 塀 で あ り

,SA3581,SA

3582と

の切 り合 い関係 は な い が,埋 上 の差 か らSA3582よ り新 しい可 能

性 が 高 い 。SA3575は 坪 の 四 等 分 線 上 に近 い位 置 に あ る東 西 塀 で

3間

‑29‑

(5)

(柱

2.6m)を

検 出 した。

S X 3570は 二 条 大 路 北 側 溝 の北

4.5mの

と ころ に あ る幅

4.5m,深

さ 3 cm程 の浅 い溝 状 の 遺 構 で

,藤

原 宮 期 の上 器 を 出上 して お り

,道

路 と宅 地 を しき る区 画 溝 と も考 え られ る。

坪 の北 半 部 に は建 物

4棟

と土 壊

1が

あ る。 な お

,北

半 部 に つ い て は後 世 の 削 平 が 著 し く

,柱

掘 形 は下 底 部 を僅 か に残 す 程 度 で あ った。 建 物 は い ず れ も東 西 棟 とみ られ

,妻

柱 を確 認 で き た の は

1棟

の み で あ る。S B 3765は S B 3590の

8.4mの

位 置 に あ り,桁行

4間

以 上 で,柱間 は

2.1〜

2.4mと や や 不 揃 い で あ る。 異 行 総 長 は

4.5mで

あ る。S B 3765の 北 に接 して あ るS B 3760は 身 舎 の桁 行

2.6m,果

行 2.Omで

,南

2.2mの 庇 を もつ桁 行

3間

以 上 の東 西 棟 建 物 で あ る。SB3760の北

6mに

あ る

SB 3770は ,桁

3間

以 上,梁

2間

の 東 西 棟

建 物 で

,北

半 部 で 唯 一 妻 柱 を検 出 した建 物 で あ る。柱 間 は桁 行 2.Om,梁行

22

mで

あ る。

SB 3775は

柱 穴 が 削 平 され てい るが,桁行4間以 上 の東 西 棟 建 物 で, 柱 間 は桁 行 2.2m・ 梁 行 1,7mで あ る。 北 半 部 の建 物 間 に は 直 接 の 切 り 合 い 関係 は認 め られ な い が

,S B 3760・ 3765は

側 柱 心 々 で 棟 間 間 隔 が 1.6mと 近 接 して い る こ と と

,柱

筋 が 異 な る こ とか ら

,時

期 を異 に して い る とみ られ る。

他 の建 物 配 置 との 関係 か ら

,最

2時

期 に 分 つ こ とが で き よ う。

S K3790は

浅 い土 壊 で 藤 原 宮 期 の上 器 を少 量 検 出 した。S K 3790は 二 条 条 間路 北側 溝 と考 え られ るS D 3793に 切 られ て い る。SD3793よ り北 側 で は この 時 期 の遺 構 は検 出 され て い な い 。

三 条 三 坊 東 北 坪 の遺 構 に は掘 立 柱 建 物

5棟

,溝

1条

,塀

3条

な どが あ る。

SB 3545は

坪 の 南 端 近 くに あ る桁 行

6間

の南 北 棟 建 物 で

,西

側 柱 筋 の み を 検 出 した。 柱 間 は2.Omの 等 間 で,中央 の柱 掘 形 に は直 径20 cmの柱 根 が あ り,

北端 の掘 形 を除 く各 掘 形 の柱 位 置 に は板 石 を敷 き込 ん で い る。 この建 物 の北 に は東 西 方 向 の塀SA 3551(柱 間

1,9m)が

あ り,さ らに これ に接 して 東 西 棟 建 物SB3550が あ る。 桁 行 1間 の み しか検 出 して い な い が

,梁

行 総 長 は

4.5mで

あ る。SB3555は桁 行

2間

以 上

,果

2間

の総 柱 建 物 で

,異

行 柱 間 は2.lmで

あ る。SB3561は坪 の南 北 三 分 割 線 上 に あ る建 物 で あ る。 桁 行

3間

以 上 の東 西

‑30‑―

(6)

棟 建 物 で,直径15 cmの柱 根 が2ケ所 で 遺 存 して い る。

溝SD3560は幅

lm前

後,深 0.2mの 東 西 溝 で,藤原 宮 期 の上 器 が 出土 し て い る。 二 条 大 路 南 側 溝 心 との 心 々距 離 は64mあ る。SD3560は二 条 大 路 南 側 溝 と二 条 条 間 路 北 側 溝 間 の心 々距 離 の三 分 の 一

(605m=173尺

)よ

4m程

南 に位 置 す るが

,溝

の南 側 に は塀 SA3559があ り,こ の 組 み 合 わ せ は三 条 条 間 路 北 側 溝

SD 3540と

そ の北 側 のSA 3542(柱 間

2.lm)と

の 関係 と相 似 す る こ とか ら, SD3560は坪 の南 北 を三 分 す る区 画 溝 で あ る可 能 性 が 高 い。 な お

SA

3542は

同 じ位置でSA3543に つ く りか え られ る。

平 安 時代 の 遺 構

この 時 期 に属 す る遺 構 と して は建 物

4棟

が あ る。 と くに ま とま っ た配 置 は な い が,いず れ も建 物方 位 が 北 に 対 して

,東

あ る い は西 に 内 外 の振 れ が あ る こ とが 共 通 して い る。SB3554は桁 行

3間

の 南 北 棟 建 物 で

,果

行 柱 間 は

18m,

桁 行 柱 間 は中 央 間 が

1.5m,両

脇 間 が2.lmで あ る。

SB 3553は

SB3554の廃 絶 後 に つ く られ た

1間

四方 (柱間

21m)の

小 建 物 で あ る。SB3563は桁 行 3

,果

2間

(柱間

1.8m)の

南 北 棟 建 物 で あ り

,桁

行 柱 間 は S B 3554と 同 様 に中 央 間 が

13mと

狭 く,両脇 間 が 1.5mと や や 広 い。SB3578は妻 柱 を検 出 して い な い が

,桁

3間

の南 北 棟 と考 え られ る建 物 で

,方

位 は北 で 西 に振 れ て い る。 桁 行 柱 間 は 1.5〜 1.7mと 不 揃 いで

,総

長 は

5mあ

る。

中世 の遺 構

調 査 区南 半 部 で は井 戸

1基

,建

2棟

を検 出 した。 井 戸

SE 3573は

1.3m,

深 さ

lmの

円形 掘 形 を持 ち,中央 に 曲 物 を抜 取 っ た と み られ る痕 跡 が あ り, 抜 取 痕 跡 か ら瓦 器,刀子

1が

出土 した。 井 戸 屋 形SB3574は

,桁

1間

(39

m),梁

1間 (3.Om)の

規 模 で

,西

南 隅 に は径10 cmの柱 根 が 残 って い る。

S B 3562は桁 行

1間 (3.3m),異

1間

(2.lm)の

小 建 物 で あ る。

北 半 部 に は建 物

4棟 ,溝 5条 ,石

組 井 戸

2基 ,土

損 が あ る。SB3771は南 と

北 に庇 を持 つ桁 行

2間

以 上

,梁

4間

の東 西棟 建 物 で

,柱

間 は身舎 の桁 行 2.1

m,果

20m,北

庇 の 出

1.5m,南

庇 の 出

2.lmで

あ る。SB3771の柱 穴 に は柱 根 を残 す もの が あ る。

SB 3773は

桁 行

3間

以 上,梁行

2間

の東 西 棟 建 物 で

‑31‑

(7)

ヨ L

11図 右京二条二坊 。三条三坊・三条三坊周辺図 (1:

‑32‑

二条三坊東南坪

2000)

(8)

西 か ら1間 目 に は 間 仕 切 りが あ る。 柱 間 は桁 行

2.lm,梁

行 1.8mで あ る。

SB3781は桁 行

3間

以 上

,梁

2間

の東 西 棟 建 物 で,西か ら1間 目に 間 仕 切 り を もち

,桁

行・ 異 行 と もに

22mで

あ る。土 壊・ 溝 か らは多 量 の 瓦 器・ 土 師 器 が 出上 し

,溝

SD3785か らは漆 器 椀 が 出上 した。

古 墳 時代 の 遺 構

南 半 部 に は古 墳 時 代 中 期 の竪 穴 式 住 居

2棟

が あ る。 い ず れ も方 形 とみ られ,

SB 3577は

一 辺 が 2.9mで ,深 さ10 cmあ

,小

型 丸 底 壺 が 出土 して い る。

 SB

3579は

一 辺 が

3.6m,深

さ 7 cm前 後 で あ る。 な お,柱痕 跡 は なか った。

遺 物

藤 原 宮 期 の各 遺 構 か らは少 量 の上 器 が 出土 して い るが,ま とま っ た もの は な か った。 瓦 類 は藤 原 宮 式 軒 瓦

2点

が 中 世 の溝

,土

壊 か ら出上 して い る。 ま た,

布 留 式 上 器 が 北 半 部 の上 壊SK3780で 出上 して い る。

ま とめ

藤 原 宮 の 西 に接 す る地 域 で は

165号

線 バ イパ ス に伴 う

1〜

5次の調査 によ り, 四条 条 間 路 以 北 か ら二 条 条 間 路 の 間 で,東西 方 向 の条 坊 と西 三 坊 坊 間路 が 検 出 され て い る。 そ こで これ まで 藤 原 宮 の 西 辺 部 の 調 査 に よ って検 出 した条 坊 遺 構 と今 回検 出 した遺 構 とを合 わ せ て み る と,右京 二 条 三 坊 東 南 坪・ 三 条 三 坊 東 北 坪 は第H図 の よ うに 大 略 の復 原 を行 な う こ とが で き る。

二 条 三坊 東 南坪 の調査 区 は,坪 の 南 北方 向三 分 割 線 の東 約30mお よ び西 二 坊 大 路 の 西 約30mに位 置 し,そ こ は坪 の東 西 の 四分 の 一 の付 近 に あ た る。 同坪 内 で検 出 した建 物 は

8棟

に お よ び

,建

物 相 互 の 切 り合 い関係

,配

置 関係 か らみ る と

,最

低 二 時 期 に分 け る こ とが 可 能 で あ る。 古 い時 期 の東 西 棟 建 物

SB 3595は

東 妻 の 梁 行

3間

を検 出 したに す ぎ な い が,さ らに北 に

1間

の び て庇 を想 定 す る

,北

の側 柱 筋 は東 西方 向 の 中軸 線 に ほぼ合 致 す る こ とに な る。 SB3595は,

前 殿 と想 定 で き る S B 3580と あ わ せ て

,宅

地 内 の 中 心 的 な建 物 で あ る と考 え ら れ る。 なおSB 3580・

3595の

東 妻 は 南 北 中 軸 線 か ら東 約20mに位 置 す る。

新 しい 時 期 に な って も,引 き続 き 同 区域 に大 規 模 な建 物 が造 営 され て い る。

東 西 両 面 に庇 を有 す る南 北 棟 建 物

SB 3590は

桁 行 の ほ ぼ 中 央 が

,坪

の東 西方 向

‑33 ‑―

(9)

の 中軸 線 に合 致 し,占地 的 に み て も

,宅

地 内 の 中 心 的 な建 物 群 の 一 画 を形 成 し て い た こ とが 推 定 で き る。

上 記 の よ うに新 旧 二 時 期 と もに

,坪

の 中 軸 線 上 に中 心 的 な複 数 の建 物 が存 在 す る こ とか ら

,右

京 二 条 三 坊 東 南 坪 は

,二

時 期 に わ た って 南 北 に

2分

割 され る

こ とは な く

,一

連 の 宅 地 割 りで あ った こ とが推 定 で き る。 さ らに,中心 的建 物 の坪 内 の位 置 か ら考 え る と東 西 に も分 割 され て い なか っ た よ うで あ り

,一

坪 を 占地 した宅 地 で あ っ た と推 定 して も大 過 は なか ろ う。

tt SA3575は

そ の位 置 が 坪 の 南 か ら四分 の 一 に あ た るが

,小

規 模 で あ る こ とか らみ る と

,宅

地 割 の境 界

と考 え る よ りはむ しろ宅 地 内 を 区 画 す る施 設 と考 え る こ とが で き よ う。

つぎに三条三坊東北坪で は発 掘 面 積 も狭 く,建 物配 置 も二 条 三 坊 東 南坪 よ りも,

さ らに不 明確 で あ る。 しか し

,東

西 方 向 の坪 三 分 割 線 上 に は柱 間

7尺

の 小規 模 な東 西 棟 建 物S B 3561が建 つ。

tt SA3551は

坪 の 南 を画 す る塀SA3542の北 約

25mに位 置 し

,宅

地 内 の 区 画 施 設 と考 え られ る。 塀SA3559は東 西 二 分 割 線 の 約

5m南

に位 置 し

,北

側 に溝 SD3560を伴 って い る。 この塀 は坪 を 南 北 に三 分 す る施 設 で あ る可 能 性 もあ る。 三 条条 間路 北 側 溝

SD 3540の

15mに

は東 西 塀

SA 3542が

存 在 し

この塀 は坪 の外 周 を区画 す る塀 と推 定 され る。 藤 原 京 内 で はす で に第 17次・ 19次 調 査 (概報 6・

7)等

で 同 様 な遺 構 を検 出 して い るが 明確 な遺 構 が な い こ との方 が 多 い。 宅 地 を外 側 と区 画 しな いで使 用 す る とい う

こ とは考 え が た く,掘立 柱 塀 が な い場 合 に は

,築

地 塀 な どの施 設 が 考 え られ よ う。

今 回 の調 査 は道 路 敷 内 の 限 られ た範 囲 で しか 行 な って は い な い が

,右

京 二 条 三 坊 東 南坪 内 に お け る一 町 の宅 地 割 が 想 定 で き る結 果 を得 た こ とは多 大 な成 果 で あ る とい え よ う。

藤 原 京 内 の宅 地 の実 態 を解 明 す る作 業 は,開発 の進 展 と もか らん で 急 務 で あ る。 しか し,い ま だ坪 内宅 地 を 大 規 模 に発 掘 調 査 した例 は少 な く,宅地 内 の様 相 に つ い て は,ま だ 不 明 な と こ ろ が 多 い。 今 回 の調 査 で 検 出 した二 時 期 に わ た る大 規 模 な建 物 は

,今

,藤

原 京 内 の 宅 地 の あ り方 を考 え る うえ で 重 要 な資 料 とな る もの で あ る。

‑34 ‑―

(10)

右 京 七 条 一 坊 (日 高 山

)の

調査

(第 40次

)

(1984年 3月 〜4月)

今 回 の調 査 は

,橿

原 市 市 営 住 宅 の 改 築 工 事 に伴 う事前 調 査 と して 実 施 した。

調 査 地 は

,藤

原 宮 朱 雀 門南 方 に位 置 す る小 さ な丘

日高 山 の 上 に あ り

,藤

原 京

条 坊 で は右 京 七 条 一 坊 東 南 坪 に あ た る。 発 掘 総 面 積 は約

870雷

,調

査 の結果, 墳 丘 を失 っ た古 墳

1基

(日 高 山一 号 墳)を検 出 した。

調 査 対 象 地 は現 在 運 動 場 で

,北

北 西 に舌 状 に延 び る 日高 山 の支 尾 根 の頂 部 を 削 り

,東

側 の 谷 を埋 め たて て造 成 され て い る。 調 査 区東 半 で は

,遺

構 の存 在 は

認 め られ な か った。 一 方,調査 区 西 部 に地 山 (花南 岩 風 化 土

)上

に溝 状 を呈 す る部 分 が あ り,円筒 埴 輪 が 見 つ か った。 周 囲 の地 形 は全 く平 坦 に削 られ て い た ため,円筒 埴 輪 の並 び を探 る方 法 で,古墳 の概 要 を把 握 す るに 至 っ た。

遺 構

検 出 した遺 構 は

,墳

丘 を囲 む 幅

4〜 6mの

周 涅 状 の溝 で

,深

90 cm前後 が 残

存 して い た。 墳 丘 本 体 は後 世 の 削 平 で完 全 に失 わ れ て い る。 違 は 外 周 で 一 辺 が 23〜

24m,内

周 で16〜 17mのほ ぼ 正 方 形 を呈 し

,東

辺 を除 く三 つ の辺 を確 認 し

た。 東 辺 は東 向 きの斜 面 沿 い に そ ぎ落 とす 形 の 大 規 模 な 削 平 で 墳 丘 と 同 時 に 破 壊 され て お り,こ の 上 に は炭 化 物 を多 く含 む 土 層 が堆 積 して い た。

古 墳 は

,尾

根 の 東 向 き斜 面 の頂 部 付 近 に あ って

,漫

は幾 分 東 に 向 か って低 く な る もの の,ほ ば底 部 が水 平 に な る よ うに作 り出 され て い る。 注部 に は約

25

mの

間 隔 で 円筒 埴 輪 が 一 列 に配 置 され て い た。 円筒 埴 輪 の 数 は一 辺 につ き

8本

,

各 辺 が 隅 の

1本

を共 有 す るので 合 計 28本 が 立 て られ て い た と考 え られ,こ の う ち 12本 が 原 位 置 で 発 見 され た。 蓋 形 埴 輪 (き ぬ が さが た は に わ)は

2本

あ り,

墳 丘 西 辺 の 南,南辺 の 東 で,そ れ ぞ れ 隅 か ら

2本

目の 円筒 埴 輪 に寄 り添 うよ う な状 態 で 出上 した。 ま た

,小

型 の鶏 形 埴 輪 が 西 辺 北 部 で

,大

型 の鶏 形 埴 輪 が, 西 北 隅 で 出 土 し

,大

型 の 鶏 形 埴 輪 以 外 は ほ ぼ原 位 置 を保 って 発 見 され た。 この 埴 輪 の年 代 か ら古 墳 の 造 営 時 期 は

5世

紀 中葉 と判 断 され た。

この 注 は

,古

墳 築 成 後 間 もな く埋 ま り始 め て い る。 この

Cと

は古 墳 を巡 る 円

‑ 35 ‑一

(11)

SK01

lom        SK02

12図

 

40次調査遺構(日高山一号墳)配置図(1:300)  

(Oは円筒埴輪

,0は

鶏形埴輪,▲ は蓋形埴輪)

筒 埴 輪 の 多 くが

,か

な り良 好 な保 存 状 態 で埋 ま って い た こ とや,違 を埋 立 て た 土 に, 6世紀 初 頭 の埴 輪 が か な りの量 含 まれ て い る こ とか ら

,判

断 で き る。 更 に,こ の 追埋 土 を切 った幾 つ か の土 装 が検 出 され

,須

恵 器・ 土 師 器 の 完 形 品 が そ れ ぞれ ま と ま って 出上 して い る。上 層 の状 況 か ら

,古

墳 の 削 平 が 行 な わ れ た の は,こ れ ら土 壊 が造 られ た時 期 か らそ う遅 くはな い時点 で ある可 能 性が強い。

遺物

日高 山 一 号 墳 に 関連 した遺 物 と して は,周 囲 に立 て られ た 円筒 埴 輪 が あ る。

円筒 埴 輪 は い ず れ も高 さ45 cn,下底 部 径 16〜18 cmで, 3条の 突 帯 を もち

,上

2段

目の 区 画 に

2つ

の 円孔 を うが つ。 外面 に は横 方 向 の刷 毛 目が つ き,内 面 は 口縁 付 近 だ け に刷 毛 目が あ る。 成 形 の特 徴 及 び焼 成 時 に黒斑 がつ くことか ら,

年 代 は

5世

紀 中葉 と推 定 され,当然 これ が 一 号 墳 の 時期 を示 す こ とに な る。 円 筒埴 輪 に は 口縁 部 外 面 に記 号 を もつ ものが あ る。

2個

の 蓋 形 埴 輪 は

,蓋

部 に わ

/ ″

‑36 ‑―

(12)

9       20cm

吾 キ :]ほ 必 □ ]を 粂 塁 各 号 檜 程 兵

6

13図

 

日高山一号墳出土埴輪 ず か な表現 の違 い はあ るが,同形・

同工 で

,径

50 cm,高 40 cm程である。

あ り

,小

型 の もの は体 長35 cmほ どで 尾 羽・ 翼 を線 刻 で 表 現 して い る。

この ほか

,内

注 に は, 6世紀 前 半 代 の 円筒 埴 輪・ 家 形 埴 輪・ 蓋 形 埴 輪 な どの破 片 が か な りの量 流 れ 込 ん で い る。涅 が埋 ま った後

,Cれ

を切 り 込 ん で

,土

壊 が 作 られ て い る。 南 辺 西 寄 りの土 壊

(SK01)か

らは

6世

紀 後 半 代 の須 恵 器 杯 。甕・ 提 瓶・ 長 脚

2段

透 し高 杯・ 無 蓋 高 杯 が 出上 し た。 南 辺 西 寄 りの 上 壊

(SK02)か

らは土 師 器 杯 。甕 。脚 付 杯

,須

恵 器

0      10cm

14図 上壊SK02出土土器 (1:4)

‑ 37 ‑―

(13)

杯 。短 頸 壺 。平 瓶・ 甕 な どが 出上 した (第 14図)。

SK02出

上 の 上 器 は, 7世

紀 初 頭 に属 し

,少

数 なが ら各 器 種 揃 った良 好 な一 括 資 料 で あ る。 埴 輪・ 土 器 類 以 外 の遺 物 と して は

,涅

埋 土 最 下 部 か ら出上 した馬 具 小 片 (木芯鉄 張 輪 鐙 か)

,最

上 部 に含 ま れ て い た金 銅 製 耳 環

1点

が あ る。

ま とめ

今 回検 出 した 日高 山一 号 墳 は

5世

紀 中 葉 に作 られ た方 墳 で あ る。 日高 山 の 北 西端 部 の尾 根 の頂 部 付 近 の 東 斜 面 を幅

4〜 6m,深

lm程

の掘 り込 ん で 区切 り

,一

辺 約18mの方 形 の墳 丘 を造 り出 して い る。 古 墳 の 南 北 軸 は,こ れ が 作 ら れ た尾 根 の方 向 に添 うよ うに

,北

北 西 を 向 い て い る。

埋 葬 主 体 部 を含 む 墳 丘 は後 世 の削 平 で 破 壊 され て い る。 削 平 は,旧地 形 に沿 って 西 か ら東 へ 斜 め に下 が る よ うに行 な わ れ て お り

,追

の東 辺 は残 っていない。

漫 の 西 半 部 は,ほ とん ど も との 深 さ を残 して い る もの と見 られ

,特

に 西 南 隅 付 近 は

,墳

丘 裾 の 一 部 も含 ん で 溝 の 旧状 を保 って い る様 子 が 認 め られ る。 涅埋 土 を切 って作 られ た土 墳 の 年 代 とを考 え 合 わ せ る と

,古

墳 の破 壊 が 藤 原 京 の造 営 工 事 に よ った もの で あ る可 能 性 は非 常 に大 きい。

これ まで 日高 山 北 裾 か ら藤 原 宮 にか けて の地 域 で は

5世

紀 初 頭 か ら

6世

紀 前 半 まで の各 時 期 の埴 輪 が 出上 して お り

この付 近 に埴 輪 を伴 う古 墳 が存 在 した

と推 定 され て き た。 そ の 際 日高 山 は第 一 番 の候 補 地 と して考 え られ て い た。

今 回 明 らか に な っ た 日高 山一 号 墳 は,こ の推 定 を実 際 に裏 づ けるものであ り, これ まで 古 墳 分 布 の空 白地 帯 で あ っ た藤 原 宮 域 周 辺 で,初め て遺 構 の上 で確 認 され た古 墳 とい う 乙 とに な る。 そ の ほ か, 6世紀 前 半 代 の埴 輪 や

6世

紀 後 半 〜

7世

紀 初 頭 頃 の完 形 の須 恵 器 群 。金 銅 製 耳 環 が 出土 し

,該

当 時 期 の 古 墳 の 存 在 を強 く暗 示 して い る。

今 回 の調 査 に よ って,日高 山 山上 に一 号 墳 を は じめ と して 各 時 期 の複 数 の古 墳 が 存 在 して い た確 証 を得 た こ と,そ して これ らの 古 墳 の破 壊 に

,藤

原 宮・ 京 宮・ 京 の造 営 が 深 く関 与 して い る様 相 が 明 らか に な っ た こ とは大 き な成 果 とい え よ う。

‑38 ‑―

(14)

右 京 二 条 二 坊 の調査

(第 42次

)

(1984年 4月 〜 5月)

この調 査 は

, 165号

線 橿 原 バ イパ ス建 設 工 事 に伴 う国 鉄 桜 井 線 の 高 架 工 事 に 関 連 して行 な った もの で,同関 連 調 査 と して は第

5次

目 に あ た る。 調 査 対 象 地 は醍 醐 の集 落 の北 西 で,国鉄 桜 井 線 の南 側 に そ って 幅

10m,東

西 長 約

180mの

範 囲 で あ る。 この うち,西側 か ら

I区 (5× 115m), 

Ⅱ区

(6× 9m),Ⅲ

(6× 77m),Ⅳ

(3× 15m)の

調 査 区 を設 定 した。

I区

は西 二 坊 大 路,

Ⅱ区 は藤 原 宮 西 北 隅 の調 査 (第36次

,概

報14)で検 出 した宮 北 面・ 西 面 外 濠 の 合 流 後 の流 路 の 北 延 長 位 置 に あ た る。 Ⅲ 区 は右 京 二 条 二 坊 西 北 坪 の宅 地 遺 構,

Ⅳ 区 は西 二 坊 坊 間 路 が 想 定 され た (第11図 参 照 )。

<I区 > 

堆 積 土 は,水 田耕 土・ 床 土 。遺 物 包 含 層 で あ り

,地

表 下 約85 cmで 自然 堆 積 上 の茶 褐 色 粘 質 土 とな る。 遺 構 は茶 褐 色 粘 質 土 面 で検 出 した。 検 出 し た遺 構 は南 北 大 溝SD 3720,斜 行 溝 SD3721の他

,南

北 小 溝 が あ る。

SD 3720

は,西岸 か ら幅 約

2m分

を検 出 した。 東 端 部 で の深 さ は約

lmで

ぁ る。 堆 積 土 は大 き く上 下

2層

あ る。 上 層 は さ らに灰 褐 色 砂 質 土 と黄 褐 色 砂 質 土 に分 け られ るが,いず れ も非 常 に堅 く しま って お り

,溝

を埋 め たて た土 と思 わ れ る。 下 層 は青 灰 色 粘 上 で あ る。 上 下 層 と も, 7世紀 〜 13世 紀 の土 器 類 が 出上 してい るが,

量 的 に は少 な い 。 上 層 で 三 彩 陶 器 小 片 が 出上 した。 調 査 区 の 中 央 北 か ら南 東 方 向 に か けて は

,不

整 形 で

,浅

い斜 行 溝 SD372と が あ る。SD3721の埋 上 の 暗 褐

色 粘 土 か らは縄 文 晩 期 の 上 器 が 出 土 した。 南 北 小 溝 は瓦 器 を含 む 。

<Ⅱ

堆 積 上 の 状 況 は

I区

と同様 で あ る。検 出遺 構 は南 北 大 溝SD3720

の東岸 部 の他,南北 小 溝が あ る。南北大溝SD3720は

,東

岸 か ら幅 約

3mま

で を検 出 した。 西 端 で 深 さ約

lmで

ぁ る。 堆 積 土 は上 層 が 茶 褐 色 粘 質 土 。暗 褐 色 粘 質 土

,下

層 が 暗 灰 色 粘 質 上 で あ る①

7世

紀 か ら13世 紀 まで の上 器 類 が 少 量 出土 し

た。 南 北 小 溝 は いず れ も瓦 器 を含 む 。

<Ⅲ

堆 積 土 は耕 土・ 床 土 。遺 物 包 含 層 。茶 褐 色 粘 質 土 だ が

,東

半 は茶 褐 色 粘 質 土 上 に薄 い灰 褐 色 砂 層 が あ る。 検 出 した遺 構 に は

,掘

立 柱 建 物

4,井

‑39 ‑一

(15)

15図

 

42次

調査遺構配 置図 (1:1000)

1,上

2,南

北・ 東 西 小 溝 な どが あ る。 この うち

,建

SB 3723,土 壊SK3727が藤 原 宮 期 と思 わ れ

,他

の 遺 構 は平 安 時 代 末 か ら中 世 にか けての もので あ る。掘 立 柱 建.物 SB3723

は異 行

1間

の 南 北 棟 と思 わ れ,桁行 は南 端

1間

分 を検 出 した。

柱 間 は

3m(10尺 )等

間 で あ る。 柱 掘 形 は 1.2〜 1.4m四方 と大 き い 。 掘 立 柱 建 物SB 3724・ 3725・

3728の

柱 穴 の い く つ か は東 西 。南 北小 溝 の堆 積 土 上 か ら検 出 して お り,こ れ ら の建 物 は小 溝 よ り時 期 的 に新 しい。柱 掘 形 は径 15〜20 cmの 円 形 を な す もの が 多 い 。

SB 3724は

桁 行

2間

以 上

,果

2間

南 北 棟 建 物 で,柱 間 は ほ ぼ 1.8mで あ る。SB3725は桁 行2 間以上,梁2間の身舎 に西庇 を持つ南北棟建物で

,柱

間 は桁行2

m,果行

2.6m,庇

の 出

2.lmで

あ る。

SB 3728は

桁 行

3間

,

梁 行

2間

の 東 西 棟 建 物 で,柱 間 は桁 行

2.lm,異

行 1.9mで

あ る。 土 壊SK3727は 東 西

2m,南

北 1.4mの 楕 円 形 を 呈

し,深 さ は20 clllで あ る。

7世

紀 後 半 〜 末 の土 師 器・ 須 恵 器 が

少 量 出上 した。 土 壊SK3726は径

lm,深

40 cmの 円形 で,

11世 紀 後 半 に属 す る土 師 器・ 瓦器 が 出上 した。井 戸 S E 3722 は東 西

lm,南

北 1.3mの 楕 円形 で

,深

1.5mの素 掘 りの 井 戸 で あ る。 土 師 器・ 須 恵 器・ 瓦 器 が 少 量 出上 した。 南 北・

東 西 小 溝 は いず れ も瓦 器 を含 む 。 大 半 は南 北 溝 が 東 西 溝 よ り 新 しい。 Ⅲ 区 出上 の そ の他 の遺 物 に は土 牛 脚 部,フ イ ゴ羽 口,

石 庖 丁 な どが あ る。

<Ⅳ区

Ⅲ 区東 半 と同 様

,茶

褐 色 粘 質 土 面 上 に灰 褐 色 砂 層 が の る。 検 出遺 構 は東 西 塀

SA3739,南

北 溝 SD3738で あ る。

SA 3739は 5間

以 上 の東 西 塀 で

,径

40 cmの 円形 柱 掘 形 を もち

,柱

間 は ほぼ

2.lm(7尺

)で あ る。 茶 褐 色 粘 質 土 面 で 検 出 したが

,灰

褐 色 砂 層 か ら掘 り込 ま れ て い る。 東 端 の柱 穴 は南 北 溝 と重 複 し

これ よ り新 しい。 南 北 溝SD3738は東 岸

∞剣卜 ∞∞∽     卜卜 中坤一

︵ ︲呻判︲

﹁日円

‑40 ‑―

(16)

か ら幅 約

lmを

検 出 した。 西 岸 は調 査 区 外 で あ るが,底部 の状 況 か らみ て

,溝

中高は 1.5mほ どで あ ろ う。 深 さ は15 cmと 浅 い 。

7世

紀 後 半 の 上 師 器・ 須 恵 器 が 出上 した。

<ま

とめ

今 回 の調 査 区 は東 西 に 長 い もの の

,南

北 幅 が狭 い こ と もあ り, 藤 原 宮 期 の ま と ま っ た遺 構 は 明 らか にで き なか ったが

,宮

北 方 地 域 の状 況 に つ い て,い くつ か の 点 が 明 らか とな っ た。

I区

で は 西 二 坊 大 路 の 西 側 溝 が 想 定 さ れ たが

,今

回 の調 査 区 内で は検 出 で き なか った。 調 査 区 の さ らに西 側 に な る と 思 わ れ る。

I区

東 端 及 び Ⅱ区 西 半 で検 出 した南 北 溝 は

,埋

上 の 快 況 や 深 さ,出

土 遺 物 な どか らみ て,同一 の溝 と考 え られ た。 そ うす る と,溝の 幅 は23mと な る。 藤 原 宮 西 北 隅 の調 査 (第36次

)で

は西 面・ 北 面 外 濠 の合 流 点 か ら西 北 方 向 へ 流 路 が続 くこ とが わ か り

,外

濠 の 水 は西 二 坊 大 路 の 東 側 溝 へ 注 ぐ こ とが 推 測 され た。 そ して,宮西 北 隅 で は 西 外 濠 に東 か ら自然 河 川 が 合 流 して お り,13世

紀 ご ろ まで 流 路 で あ っ た こ とか ら

,外

濠 の幅 は17m以上 に広 が って い た。 今 回 検 出 した南 北 大 溝SD3720は

この流 路 の 北 延 長 部 にあ たる もの と考 え られ る。

北 流 す るに つ れ

,溝

幅 が 徐 々 に広 が り,中世 に は西 二 坊 大 路 の 路 面 東 半 の位 置 に まで 及 ん で い たの で あ ろ う。 Ⅲ 区 で 想 定 した宅 地 遺 構 は

,今

回 の 調 査 区 内 で は極 め て少 な か っ た。 坪 の南 辺 に あ た って い る こ とに もよ るの で あ ろ う。

 SB

3723の

位 置 か ら南 方 約35mには「 長 谷 田土 壇 」が 存 在 して お り

,土

壇 北 辺 あ た りは坪 境 推 定 線 (二 条 条 間 路)と も な って い る こ とな どか ら

,今

,こ の周 辺 で の調 査 が 期 待 され る。 藤 原 宮 期 以 降 の遺 構 と して は南 北 。東 西 小 溝 の 埋 土 面 か ら検 出 した小 規 模 な掘 立 柱 建 物 群 が あ る。 これ らの 時 期 に つ い て は

,小

溝 出土 遺 物 か らみ て,13世紀 以 降 と思 わ れ る。 古 代 末 〜 中 世 以 降 の土 地 利 用 の点 か ら

,小

溝 と と もに今 後 そ の 時 期・Jl■格 を 明 らか に して い く必 要 が あ ろ う。Ⅳ 区 で検 出 した南 北 溝

SD 3738は

位 置 的 に は西 二 坊 坊 間 路 の 東 側 溝 に あ た る。

しか し

,溝

中 の 出土 土 器 は

,藤

原 宮 期 よ り古 い 時 期 の もの に限 られ て お り,こ

の溝 が宮 期 に は埋 ま って い た可 能 性 が あ る。 今 回 の検 出範 囲 は小 規模 で あ り, 小 路 の確 認 は 今 後 の調 査 に待 ち た い。

‑41‑

(17)

左京二 条 三 坊 の調 査

(第 41‑13次

)

(1984年12月)

調 査 地 は国 鉄 桜 井 線 の南

80m,市

道 耳 成 小 山線 ぞ い の 東 西 に細 長 い水 田で,

条 坊 の 呼 称 で は

,左

京 二 条 三 坊 西 南 坪 の ほ ぼ 中 央 部 を 占 め る。 今 調 査 地 に北 接 す る水 田で は

,か

つ て 小 規模 な調 査 を実 施 し (第

27‑1次 ,概

10),坪

を東 西 に三 分 す る位 置 に南 北 塀 を検 出 して い る。

調 査 は

,水

田東 端 (東区)と 先 の南 北 塀SA2610の南 延 長 線 上 に あ た る水 田 西 端 (西区)と に調 査 区 を設 定 し,坪 内宅 地 の利 用 状 況 を 明確 にす る 目的 で 実 施 した。

層 序 は

,耕

土 。床 土・ 灰 褐 色 上 で

,灰

褐 色 上 の下 が 藤 原 宮 期 の遺 構 検 出面 と な る。 検 出面 は西 に低 く

,東

に高 い傾 向 に あ り

,東

区 東 半 で は黄 褐 色 粘 上 の 地

0      10

山 が 露 呈 す るが

,東

区 西 半 か ら西 区 まで は

,地

山 の 上 に古 墳 時 代 初 頭 まで の遺 物 包 含 層 で あ る黒 褐 色 礫 混 り粘 土・ 灰 色 砂 が 広 が って い る。 な お

,西

区 南 半 に は, 上 記 包 含 層 の下 に, 地 山 を うが っ た暗 青 褐 色 粘 上 の深 い落 ち 込 み が あ り,沼状 を

な して い る。

検 出 した主 な遺 構 に は西 区 に藤 原 宮 期 の建 物

2棟 ,東

区 に

̲十 i

16図 41‑13次調査位置図 (1:3000)

‑ 42 ‑―

(18)

南 北 塀

1条

が あ る。

西 区 南 半 で 検 出 した掘 立 柱 建 物SB 01は

そ の 北 端 の一 部 を確 認 した に と ど ま るが,柱穴 の配 置 か ら

,東

西 に庇 を持 つ 南 北 棟 建 物 と考 え られ る。 柱 掘 形 は いず れ も方

1.2〜

1.4mと 大 形 で

,北

あ るい は東 か らの 長 大 な抜 取 穴 が あ る。

東 庇 北 端 の柱 穴 に は

,直

径 約29 clllの柱 根 が 長 さ30 cm余遺 存 して い た。 ま た

,北

妻 柱 抜 取 穴 に は一 部 掘 形 底 を突 き破 る状 況 で 建 築 部 材 が 遺 存 して い た。幅25 cn, 長 さ

1.2m,厚

12 cmの板 材 で

,短

辺 の一 方 は柱 径 に合 う半 円弧 を な し

も う 一 方 は直 線 を な す 。 ま た

,一

長 辺 は幅 2 clll,深 さ6 cmの 段 を な して お り

,床

を受 け る仕 口 と考 え られ る。

柱 抜 取 穴 お よ び柱 根 か ら復 原 され る柱 間 は身 舎 異 行 が

2.9m,庇

27m,

桁 行 2.4mで あ る。 この建 物 の柱 お よ び柱 穴 規 模 や構 造 は

,宮

の殿 舎 に匹 敵 す る もの で あ り

,藤

原 宮 期 の 同坪 内 で の主 殿・ 脇 殿 級 の建 物 とみ られ る。

SB01

の 北 に あ る

2個

の柱 穴 につ い て は

,掘

形 が方

1.2m,深

さ1.lmと 大 形 で,SB

01の

柱 筋 と ほ ぼ 揃 う位 置 に あ る。 北 庇 の 可 能 性 もあ るが

,SB 01の

東 庇 柱 の北 に柱 穴 は な く,ま た柱 穴 の深 さ と埋 土 が 建 物SB01の それ と異 な る こ と

,柱

384m ― ―――̲̲̲̲̲― ――

̲̲「 ̲̲T̲̲T T ー ー 甘 ― ― ィ ー ー 司 一 ― ― に 一 当 pm

13次 調査遺構配置図 (1:200) ‑43 ‑―

S B01

17図 41‑

(19)

の抜 取 穴 が 建 物 妻 柱 抜 取 穴 を壊 して い る こ とな どか ら,直

SB01と

一 体 を な す もの とは考 え が た い 。 そ の性 格 は不 明 で あ る。

西 区 北 東 隅 の 建 物

SB 02も

東 西 。南 北 各

1間

分 を検 出 しただ けで

,規

模 。構

造 は 明 らか で な い 。 柱 掘 形 は方

lm,深

45 cmで

,抜

取 穴 に は凝 灰 岩 質 砂 岩 片 が 含 まれ て い る。 東 西 柱 間

3m,南

北 柱 間

2m余

, SB 01と

は約

4.8m離

れ て い て

,柱

筋 は通 らな い 。

SB 01と

と もに 北 で や や 東 に振 れ る傾 向 に あ る。

西 区 の遺 構 には ほかに,灰色 砂 を埋 土 とす る古 墳 時 代 初 頭 の斜 行 溝SD2615,

直径20 cm程の 小 穴 が あ るが,第

27‑1次

で 検 出 した南 北 塀SA2610の南 延 長 部 は検 出 され な か っ た。

東 区 の 南 北 塀

SA03は

柱 穴

3個

を確 認 しただ けで あ り,建 物 の可 能 性 もあ る。

柱 掘 形 は方 形 を呈 し一 辺

lm,深

45 cmで

,北

か らの抜 取 穴 が あ る。 柱 は 直 径 20 cm余で あ る。 柱 間 は

2.6m等

間 に復 原 で き る。 柱 抜 取 穴 か ら藤 原 宮 期 の上 師 器 杯 。甕 等 が 出上 した。 塀 の柱 穴 埋 土 。規模 等 は西 区 のSB02の そ れ とよ く似 て お り

,両

者 は 同 一 時 期 の 遺 構 で あ る可 能 性 が 高 い 。 な お塀 は ,西 区の

SB

01東

庇 柱 列 と約

364m離

れ た位 置 に あ る。 東 区 に は この ほか に

,時

期 不 明 の

方 形 小 穴 や,中世 の遺 構 と思 わ れ る円形 小 穴 等 が散 見 す る。

今 回検 出 した建 物 と りわ けSB01は坪 内 の 中 心 的 建 物 群 の一 部 を構 成 す る も の で あ る。 そ の位 置 を推 定 条 坊 との 関 わ りで 検 討 して お く と

,妻

柱 が

,条

坊 道 路 心 々距 離 の三 分 の 一 に

,東

入 側 柱 列 が 道 路 分 を差 し引 い た坪 内 の 三 分 の一 に ほば 一 致 す る。 ま た

,北

側 柱 列 は

,推

定 二 条 大 路 心 の 北 約90mに あ って

,坪

三 分 の一 に一 致 して お り

,建

物 は坪 の ほ ぼ 中 央 部 を 占め て い る。 南 北 棟 建 物 が 坪 の 中 心 に位 置 す る こ との 理 解 に つ い て は

,南

北 棟 が 主 殿 とな る場 合

,坪

の 中

′しヽを は ず れ て 主 殿 が あ る場 合,宅地 が 坪 を越 え た範 囲 を 占め て い る場 合 等 々, さ ま ざ ま な可 能 性 が 考 え られ 現 段 階 で は確 言 で きな い。 今 調 査 で は

,宮

周 辺 の 坪 内 で 大 規 模 な建 物 を確 認 した の で あ り

,宮

を狭 ん で 対 称 位 置 に あ た る第39・

43次調 査 例 と と もに藤 原 京 の 宅 地 割 。建 物 配 置 を究 明 す る上 で 貴 重 な 資 料 とな ろ う。 実 態 の解 明 は今 後 の周 辺 地 の調 査 を待 って検 討 した い。

‑44‑一

(20)

藤 原 京 そ の他 の調査概 要

左 京 十 二 条 三 坊 東 南 坪 の 調 査 (第37‑15次)

(1983年12月)

この調 査 は住 宅 建 設 の事 前 調 査 と して 高市 郡 明 日香 村 雷 で 実 施 した。 調 査 地 は藤 原 京 左 京 十 二 条 三 坊東 南 坪 に あ た る。 ま た

,雷

丘 の 南 側 末 端 に位 置 し,山

田道 に面 して い る。 調 査 は東 西

4m,南

2mの

トレ ンチ を設 けて行 な ったが,

地 表 下 約25 cmで花 南 岩 風 化 土 (地 山

)が

現 わ れ

,遺

構 は検 出 され なか った。

左京 十 二 条 三 坊 西 南 坪 の調 査 (第37‑16次)

(1983年12月)

この調 査 は農 業 倉 庫 新 築 に伴 う事前 調 査 と して

,高

市 郡 朝 日香 村 雷 で 行 な っ た。 調 査 地 は藤 原京 左 京 十 二 条 三 坊 西 南 坪 に あ た る。 ま た

,調

査 地 は雷 丘 の東 南 約

120mの

地 点 で

,西

約70mに は飛 鳥 川 が 流 れ て い る。 調 査 は東 西

3m,南

3mの

トレ ンチ を設 けて実 施 した。 地 表 下 約 60〜70 cmは近 現 代 の遺 物 包 含 層 で,そ れ 以 下 は青 灰 色 砂・ 灰 褐 色 粗 砂 層 で あ る。 この青灰色砂層 を切 って灰色砂 混 リバ ラス を埋 土 とす る土 墳 状 の落 ち込 み を検 出 したが,出土 遺 物(瓦・ 土 器)

は細 片 で 極 め て摩 滅 して い る。 調査 地 は,地形 か らみ て 飛 鳥 川 の氾 濫 原 に あ た り

,検

出遺 構 は い ず れ も河 川 の氾 濫 に よ って形 成 され た と考 え られ る。

左 京 二 条 三 坊 の 調 査 (第37‑18次)

(1983年12月)

この調 査 は変 電 所 建 設 に伴 う事 前 調 査 と して

,橿

原 市 高 殿 町 で 行 な っ た。 調 査 地 は藤 原 京 左 京 二 条 三 坊 西 北 坪 に あ た り

,一

条 大 路 南 側 約30mに位 置 す る。

調 査 地 東 方 約15mの 地 点 は

1983年

に す で に 発 掘 さ れ て お り(第

36‑4次

),

一 条 大 路 南 側 溝 推 定 地 で あ っ たが,側溝 は確 認 さ れ て い な い 。 今 回 の調 査 は,

東 西

3m,南

北10mの発 掘 区 を設 け て実 施 した。 調 査 区 の 基 本 層 序 は上 か ら,

‑45 ‑―

(21)

造 成 上,旧水 田耕 土

,水

田床 土

,灰

褐 色 粘 質 土

,灰

色 砂 (地山)と な り

,遺

構 は灰 褐 色 粘 質 土 上 面 で 幅 45〜60 cm,深さ約15 cmの東 西 溝

1条

を検 出 した。 出土 遺 物 か ら

この 東 西 溝 は 中 世 以 降 の水 田耕 作 に か か わ る遺 構 と推 定 され る。 藤 原 宮 期 の 遺 構 面 は す で に削 平 され た もの と考 え られ る。

左 京 十 条 三 坊 の調 査 (第

41‑1次

)

(1984年4月)

この調 査 は住 宅 の 増 築 工 事 に伴 う事 前 の発 掘 調 査 と して

,高

市 郡 明 日香 村 大 字 小 山 において行 な った。調 査 地 は飛 鳥 岡 本 宮 推 定 地 の 西 に近 接 す ると と もに, 藤 原 京 左 京 十 条 三 坊 地 内 に あ た る。 調 査 は 東 西

6m,南

北 1.5mの調 査 区 を設 定 して 行 な っ た。 検 出 した遺 構 は

,東

西 。南 北方 向 の 小 溝 で あ り,こ の 中 か ら 近 世 の 陶 磁 器 が 出土 した。 この こ とに よ り婆調 査 地 は後 世 に大 き く削 平 され て

い る こ とが 判 明 した。

右 京 二 条 一 坊 の調 査 (第

41‑2次

)

(1984年4月)

本 調 査 は住 宅 建 設 の 事 前 調 査 と して 橿 原 市 醍 醐 町 で 行 な っ た もの で あ る。 調 査 地 は耳 成 山 の南 方 で

,藤

原 宮 の 北 約

200mに

位 置 し

,藤

原 京 条 坊 の右 京 二 条 一 坊 西 南 の坪 に あ た る。 調 査 は東 西

2.5m,南

北 1.5mの トレ ンチ を設 定 して 行 な った。 検 出 した遺 構 は柱 穴

1,土

1,溝 3で

あ る。

2本

の南 北 溝 は 中世 の耕 作 にか か わ る素 掘 り溝 で

,東

西 溝 は地 山 を切 り こむ 。 柱 穴・ 土 壊 は東 西溝 と重 複 す るが

,溝

よ り古 い。 柱 穴 は建 物 も し くは塀 とな るで あ ろ うが

,調

査 地

の制 約 に よ り拡 張 で きず

,ど

の よ うに ま とま るの か は不 明 で あ る。 出土 遺 物 も 少 量 で

,時

期 を確 定 す るに は い た らな い が

,柱

穴 は藤 原 宮 期 の もの と考 え られ よ う。 藤 原 宮 北 方 の地 域 は 園 池 の 存 在 が 考 え られ て い るが

,何

らか の構 築 物 が 存 在 した こ と を確 認 で き た こ とは意 義 深 い で あ ろ う。

―‑ 46 ‑―

(22)

右 京 七 条 二 坊 東 北 坪 北 部 の調 査 (第

41‑3次

)

(1984年 4月)

この調 査 は飛 騨 老 人 憩 の家 新 築 に伴 う事 前 の 発 掘 調査 と して,橿原 市 飛 騨 町 に お い て 行 な った。 調 査 地 は,藤

原京 右 京 七 条 二 坊 地 内 に あ た る。調 査 は南 北

20m,東

西

4mの

調 査 区 を設 定 して行 な った。 主 な検 出 遺 構 は藤原 宮 期 の南 北 塀 ・ 柱 穴 と土 壊 で あ る。他 に 中 世 の東 西 。南 北方 向 の小 溝 が あ る。 調 査 区 南狽1の柱 穴SX3830は ,一

辺 1.4mの方 形 掘 形 で,中央 に柱 根 (残存 高90 cm,直30 ca)が残 存 して い た。 この柱 は東 西 塀 か あ るい は東 西 棟 建 物 の北 側 柱 の 一 部 で あ ろ う。 調 査 区 の 中央 に は南 北 塀SA3829が あ る。 柱 間

2間

(柱間寸 法

1.7m)で

,柱

穴 掘 形 は直 径 50〜60 cmの 円形 を呈 し,中央 に柱 痕 跡 (直 径 20〜30 cm)が み られ る。 東 西 建 物 の梁 行 とな る可 能 性

もあ る。 これ らの柱 穴 の掘 形 か らは藤 原 宮 期 の 上 器 が 出 上 した。 調 査 区 北側 の 円形 土 墳S K 3827は 直径60 cm,深

30 cmで あ り,内か ら藤 原 宮 期 の土 器 が 出土 した。

今 回 の調 査 区 は狭 小 で あ った た め

,検

出遺 構 が い か な る こ とが で き な か った。

X16'120‑

0

│    

18図 

41‑3次

調査 遺構配置図 (1:200) る ものか を明 らか にす

右 京 二 条 二 坊 の調 査 (第

41‑4次

)

(1984年 5月)

本 調 査 は住 宅 新 築 に伴 う事 前 調 査 と して橿 原 市 醍 醐 町 で 行 な ったもので あ る。

調 査 地 は耳 成 山 の 南 方

,藤

原 宮 の北 約

270mに

位 置 し

,藤

原 京 条 坊 の右 京 二 条 二 坊 東 北 の坪 に あ た る。調 査 は南 北

8m,東

西 2.5mの トレ ンチ を設 定 して行 な った。 検 出 した遺 構 は溝

1,柱

1で

あ る。 溝 は床 土 直 下 か ら切 り込 む新 し い 時 期 の もの で あ る。 柱 穴 は径30 cmの小 規 模 な もの で,柱痕 を残 す が,杭程 度

の もの と考 え られ る。 本 調 査 地 で は

,付

近 一帯 で 認 め られ る中世 素 掘 り満 が 検

‑47‑

(23)

出 され て い な い た め

,後

世 の削 平 を被 っ た もの と考 え て い る。

上 の包 含 層 か らは藤 原 宮 期 と考 え られ る丸 。平 瓦 片 が 整 理 箱 1 り,さ して 瓦 の 出土 を み な い藤 原 京 域 と して は瓦 の 出土 量 の多

あ るい は付近 に想 定 され て い る醍 醐廃 寺 か も しれ ない。

右 京 十 条 一 坊 の調 査 (第

41‑5次

)

しか し,地山 直 箱 分 出上 して お さが注 目 され る。

と関 連 す る もの

m

(1984年5月)

この 調査 は露 天 駐 車 場 造 成 に伴 う事 前 の発 掘 調 査 と して,橿原 市

田 中 町 に お い て行 な っ た。 調 査 地 は飛 鳥 川 西 側 の水 田 で,田 中宮 跡 に近 接 す る と と もに, 藤 原 京 左 京 十 条 一 坊 地 内 に あ た る。 調査 は南 半 部 に逆

L

字 型 の発 掘 区 を設 定 して 行 な った。 南 北 方 向 の発 掘 区 は 南 北

265m,東

西

4mで ,北

1で東 に接 す る東 西 方 向 の発 掘 区 は東 西

8m,南

3mで

あ る。

 

水 田 下50 cmで 礫 敷

SX 3841,東 西 溝

SD3840,土

壊 SK3838を 検 出 した。

礫 敷 は拳 大 〜人 頭 大 の石 が南 北

4m,東

西

9m以

上 の範 囲 に広 が って お り

,特

に整 然 と敷 き並 べ た とい うよ うな 様 子 はみ られ な か っ た。 礫 敷 の 中 に は藤 原 宮 期 の 瓦や 土 器 が混 じって お り

,敷

石 の下 は地 山 が20 cmほ ど窪 ん で い る。 東 西 溝 は礫 敷 に接 して北 側 に あ り (幅

1.lm,深

18 cm),長

12m検

出 した。 溝 中 か らは藤 原 宮期 の上 器 が 出 上 した。土 壊 は発 掘 区 の南 側 に あ り,東側 の一 部 (南北

46m。

東 西

2m以

上,深 40 cm)を 検 出 しただ けで,西側 は発 掘 区 外 に拡 が って い る。 土 壊 中 か ら弥 生 式 上 器 (第V様式

)が

多量 に 出土 した。

今 回 検 出 した藤 原 宮 期 の 遺 構 の 性 格 に つ いて は 明 らか

X167995

19図 

41‑5次

調査 遺構配置図 (1:200)

‑48 ‑一

(24)

に しえ な か っ たが,こ の 近 辺 に 関連 遺 構 が存 在 して い る可能 性 が 高 く

,今

後 こ の周 辺 の地 域 で の調 査 を計 画 的 に お こな う必 要 が あ る。

西京 極 (十

)・

下 ツ道 の 調 査 (第

41‑6次

)

(1984年 7月)

この調 査 は貸 店 舗 レ ス トラ ン建 設 に伴 う事 前 の発 掘 調 査 と して,橿原 市 久 米 町 に お い て行 な っ た。 調 査 地 は藤 原 京 西京 極 に位 置 し

ま た大 和 古 道 の下 ツ道 に接 して い る。 調 査 は東 西

20m,南

4mの

発 掘 区 を設 定 して行 な った。 調 査 地 の 地 山 面 は西 側 に 向 けて傾 斜 して お り,こ の上 に厚 い堆 積土 が 見 られ る。 こ の部 分 の上 層 は

,床

上 の下 は灰茶 褐色 土層 (40 cm)で, 7〜

8世

紀 の 上 器 を含 ん で い るが,そ の 下 に は人 工遺 物 を含 まな い粘 性土・ 砂 質上 が

lm以

上 互 層 を

な して い る。

検 出 した遺 構 は南 北 方 向 の小 溝 (幅30 cm,深22 cm)で

,検

出 面 は灰茶 褐色 土 上 面 で あ る。 溝 中 か らは

7〜 8世

紀 の土 器 が 出土 した。

今 回 の 調 査 区 内 に お い て は藤 原 京 西京 極 。下 ツ道 に 関 連 した遺 構 を検 出 す る こ とがで き な か っ たが,こ の付 近 の 旧 地形 を知 る手掛 りを得 る こ とが で き た。

右 京 二 条 一 坊 の 調 査 (第

41‑7次

)

(1984年 7月)

調 査 地 は 橿 原 市 醍 醐 町 で,国道

165号

線 と国鉄 桜 井 線 との 間 の 南 北 2枚の 水 田で あ る。 調 査 は各 田の北 側 に20mの南 北 トレ ンチ (北 区 。南 区)を設 け た。北 区 は藤 原京 一条 大 路,南区 は二 条 一坊 東 北坪 の 宅 地遺 構が想定 され た。

北 区 は地 表 下 約70 cmで 自然 堆 積 上 の黄 褐 色 粘 質 土 とな り,こ の上 面 で遺 構 を 検 出 したが

,調

査 区 南 端

5mは

下 層 の灰 色 砂 層 が あ らわ れ て い る。遺 構 は多 数 の東 西・ 南北 方 向 の小 溝 と小 穴

5で

あ る。 小 溝 は幅 30〜50 cm,深さ10〜20 clllで,

東 西 溝 が お お む ね 古 い。溝 出上 の土 器 に は藤 原 宮 期 の もの も見 られ るが,いずれ も遺 物 が 少 量 で あ り,時 期 を決 定 す るのには十 分 で ない。 ノト穴 について もま とま り がな く,時 期 も不 明 であ る。遺 物 包 含 層 か らは土 馬 片(藤原宮期)が 出土 してい る。

‑49 ‑―

(25)

南 区 は北 区 の南 約40mで

,東

北 坪 の ほ ば 中 央 部 分 に あ た る。遺 構 検 出面 は北 区 と同 様 黄 褐色 粘 質 上 で あ るが,調査 区北 端

6m分

は灰 色 砂 層 とな る。 遺 構 面 の深 さ は地 表 下 約40 cmで あ る。

 

遺 構 は 南 北 塀 1

(SA01),井

1(SE02), 

南 北小 溝 な どで あ る。 塀SA 01は

4間

以 上 で

,柱

間 は約

1.8m(6尺

)

で あ る。 柱 掘 形 は50〜60 cm四方 で あ るが,深 さ は約 10 cmと ご く浅 い 。 出土 遺 物 が な く,時期 不 明 であ る。

井 戸

SE 02は

径 約

lmの

円形 素 掘 り井 戸 で,深 さ は

lmで

あ る。 埋 土 か ら藤 原宮 期 に属 す る土 器 が 少 量 出上 した。

今 回 の調 査 で は

,北

区 に想 定 した一 条 大 路 は検 出 す る こ とが で きな か った。 南 区 に く らべ て,自然 堆 積 土面 が約30 cmも低 く,ま た南 区 の 塀 の掘 形 の深 さ な どか らみ て

,後

世,こ の一 帯 はか な り削 平 を受 け たよ うで あ り

,大

路 の側 溝 も削 平 を受 け た可 能 性 が

2壇

籍 岳装 デ農窒闘衰

1:200)強

い 。南 区 で は建 物 は未 検 出 なが ら,藤原 宮 期 の素 掘 り井 戸 を検 出 した。 これ に よ り,井戸 周 辺 に藤 原 宮 期 の遺 構 の存 在 が 考 え ら れ る。 この 一 帯 は か な りの削 平 を受 け て は い る もの の

,今

後,周 辺 で の調 査 で

大 路

,坪

内宅 地 遺 構 の検 出 が 期 待 され る。

右 京 一 条 二 坊 の調 査 (第

41‑9次

)

(1984年9月)

調 査 地 は橿 原 市 醍 醐 町 の 国 道

165号

線 に 南接 す る水 田 で

,地

目変 更 で 埋 立 が 行 な わ れ る こ とに な っ た ため

,事

前 調 査 を実 施 した。現 地 は藤 原 京 右 京 一 条 二 坊 東 南 坪 に あ た り

,一

条 大 路 等 条 坊 に関 連 した遺 構 が 予 想 され たが

,今

回 の調 査 で は

,藤

原 宮 期 に さか の ば る遺 構 は認 め られ な か った。 調 査 区 は水 田東 部 に

2m×

18mの南 北 トレ ンチ,そ の 中央 部 か ら西 へ 延 び る2 m x13mの東 西 トレ Y17510

‑50‑

参照

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江口 文子 主な担当科目 現 職 消費者法 弁護士 現代人権論. 太田 健義