ä Ó ように準備する、あの時間はほんとうに独特なん です。だから、古川さんたち一行の、描かれなか った帰り道がどんなだったろうと知りたかったん ですよ。 古川 書きはじめからほとんど選択肢がない書き かたをしていたというか、この話は小説にふつう ある ﹁ こうなればいい ﹂﹁ ああなればいい ﹂ と か がなかったんです 。﹁ ここでどう展開させよう か﹂も、登場人物の出し入れも。そもそも語り手 が消えるわけにもいかないですよね。だから、エ ンディングで語り手が消えたのはびっくりしまし た 。 だから 、﹁ 描かれなかった帰り 道﹂は、作 品 のなかにはないんです。 実際の帰り道は、四人で車のなかにいて、ただ ﹁長 い な あ﹂と。 印象的だったのは 、 高速に乗る ときに﹁避難のかたですか?﹂って訊かれたこと で、牛一郎がいないバージョンのエンディングに 書けるのは、その一言かもしれませんね。ただ、 それはまったく考えていなかった。どこで終わる かわからなかったし、何が起き、何が取材対象で 観察対象なのかもわからないままだった⋮⋮ただ、 いま思うと﹁場所から観察されている感じ﹂は強 かったですね。タイトルにも入った﹁光﹂のイメ ージです。光に上から周りから見られている感じ で、それがほんとに意外だった。その意外さこそ がこの作品を押し進めていったし、そこからズレ ようとすると戒めの声が聞こえてくる感じでした。 重松 福島に行く前に ﹁ お前は見るべきだ ﹂﹁ 来る べきだ﹂という声に導かれますよね。その後﹁お 前はここに残るべきだ﹂って声はありませんでし たか? 古川 出発する前 、 いろいろなことを考えました 。 福島の父母を引き受けるとかはもちろんありまし たけれど、政府が放射能の影響を科学的に考えな いで意味なく全員退去をさせるならそこに自分が 住めばいいんじゃないか、と考えました。移住し、 そこで発信する。ただ、それってヒロイックなん ですよ。そんなことをして誰が救われるんだろう、 と。もともといる人が発信するのはいいと思うん です。でも、わざわざ被災地に足を運んでやるこ とかといったら、それは違う。では何をしたら、 ナルシシズムやヒロイズムから離れてものを見て、 言葉を届けて作品にまでできるのか⋮⋮どうした ら﹁小説を書いていい﹂と自分に対して認められ るのかが難しかった。 ふつうに考えたら、この話でいちばん異様なの は、ぼくが実家に寄ってないところじゃないかと 思います。もちろん、取材からしばらくたったあ とでは、行きました。半壊認定されていた実家の 家屋は見たときに愕然とするぐらい酷かったけれ ど、家族はなんとか立派に生きていた。でも仕事 が専業農家なので⋮⋮もし書く前に見ていたら、 そうしたことを書いたと思うんですよ。でも、自 分が一人称の﹁被災者の物語﹂を入れてはいけな いという覚悟はずっとあったので、終わるまで行 けなかった。もちろんその間もずっと連絡をとっ て、あんなに実家とまめに連絡をとりあったのは 初めてですけれど、それでも﹁一人称﹂を入れな いことでしか、あそこで起きたことを人に届けて よいという自分への許可ができなかったんです。 重松 この作品 で﹁私﹂ に特権があるとすれば 、 ﹁ 小説家であること ﹂ だけなんですよね 。 被災地 の出身であるとか、身内が被災したといったこと は、一切特権にするまいという態度が貫かれてい る。 古川 書かないのもおかしいからデータとしては 入れるけれど、そこには寄りかかるまい、と。そ うしているときの軋みは自分で読むと﹁本当は叫 んでるな、それをなんとか押さえ込んでるな﹂っ てわかるんです。でも、わかるということは、そ こまで誠実に封印できたことだろう、推敲しただ けの意味はあったんだ、と思いました。それで、 あのエンディングの五、六枚を書いたとき、すべ てはスチールのように止まった⋮⋮。 重松 ﹁私﹂すらいない場所ですよね。 古川 それができたことが大きかったですね 。 多 くの言説が﹁当事者か当事者でないか﹂という問 題一色になっているとき 、﹁ 当事 者﹂も﹁当 事 者 でない人﹂もいない場面を描くことができた。震 災のあとに起きた現実を慰撫するようなものを、 物語=想像力でやりたいと願って、やれると思わ なかったですけれど 、﹁ やれたかも 。 い や 、 や れ た﹂という感じがしたのはうれしかったです。 重松 前半で 、 宮沢賢治について書かれた梅原猛 さんの言葉を引用していますよね 。﹁ 小説は 、 や はり人間中心の物語﹂であり、対して宮沢賢治は ﹁ 人間だけが世界において特別な権利をもってい るとは考えない。鳥や草や木、獣や山や川にいた るまで、すべてが人間と同じように永遠の生命を もっている ﹂ と考えてい る、と。 ﹃ 馬たちよ ﹄ は 小説だけれども最後には人間中心ではなくなるわ けで、それが梅原さんの言葉に対する回答にもな っているのではないですか。 古川 原発事故のことが大きいと思うんですが 、 震災がただの自然災害ではなくて﹁人災﹂でもあ ったということは 、﹁ 人間が 、 人間以外のものを 巻き込んでしまった﹂ことだと思うんです。それ を写すとき、人間が人間を書いたところで、外側 に立つことはできない。動物たちの目線や、動物 たちに届ける言葉でない限り、われわれ自身を大 きく捉えることはできないのではないか ― そう いう気持ちはありました。それが、二種類の動物 しかいないエンディングに向かわせたのかもしれ ません。 重松 原発を挟んでどちらに立つかではなく 、 等 しく罪悪感があり、等しく許されている感もある、 そういうところに立とうとしている気がします。 古川 一旦書いたけれど削ったものはあります 。 ﹁ なんで唯一の被爆国が原発先進国になったん だ﹂と、いちどは書いたんですよ。でも、それだ と﹁誰が悪い﹂とか﹁自分らが悪い﹂ということ になってしまう。それを否定はしないけれど、自 分のなかで咀嚼できないまま出しちゃうことはす ごく怖いし、そこを話している限りはり着けな い場所があるのもわかる。 重松 そこでは ﹁ 語らない ﹂ という選択肢も当然 考えられたと思うけれど、古川さんはその選択肢 を認めながらも、でも語る側を選んだ。 古川 語らない選択肢は当然ありました 。﹁ 一人 称﹂に戻って実家に行って手伝えばいい。でも、 書くことで同じぐらい物理的に貢献するところま で行けないだろうか、と。しかし、自分のやりか たを崩さずにそれをやることが、なにを意味する のか ― 苦しかったのは、いままでやってきたこ とが間違いだったと気づかされたことで 、﹁ あの 作品も間違っていた、これも間違っていた、お前 のこの数年間ほとんど駄目だ﹂と自分を検証しな がら否定していく過程はきつかったです。 重松 否定したあと 、﹃ 馬たちよ ﹄ を書いて救えま した? 古川 いや 、 過ちは過ちとしても 、 救えない部分 もあります。わかりやすく現象面だけをっても、 震災前から書いてる作品が三つあったけれど、ひ とつはもう駄目になりました。もう書けない、だ から最終回にする。しかも最後に、ぜんぜん関係 ないのに福島の話をして終わろうとしている。も う一個は、書けなくなるとは思わなかった作品だ けれど、それすら突っかかってしまった。でも、 本になるのは二年後になるかもしれない長いもの だから、震災から二年経った人々が読みたいもの に変えられるんじゃないか、そこに必死に縋って います。もう一作は現代を舞台にしていて、その ぶんむしろ逆にこのままいけるかもしれないけれ ど⋮⋮。 重松 震災も取り込んじゃって。 古川 そう 、 消化していけるかもしれない 。 で も 、 いまもう通じない作品があり、二年後に出しても 通じない部分が見えたとき 、﹁ お前がやっていた ことは、地震が来たら崩れる程度のことだったん だよ﹂と認めざるを得なかった。単純に、エゴの ために書いていたものがあるとわかったんです。 ﹁ 自分はすごいんだ ﹂ と人に言わせたかった 、 そ ういうものを書いていたんじゃないか。そのこと にガッカリしました。 重松 そこまで言うのは 、 自分に厳しすぎる感じ もしますけれど⋮⋮あれらの作品はぜんぶエゴで 古川日出男 ÕÀÕ>Ü>Ê`i ++年生。 ﹃ I N Dゴシック﹄ 、﹃ A D K :﹄︵第一九回三島由紀夫賞︶ほか。
ä Î すか? 古川 わからないです、 ほんとうのところは。ただ、 そのことについてはいまも考えます。周囲では、 だんだん震災や被災の空気がなくなって、復旧に 向かっていると思うんです。でも、自分のなかで は進行形のまま、小説家として小説に対して内部 被曝している。これを認めていくしかないと思っ ています。
時間
が
壊
れた
重松 ﹁三・一 一﹂ というのは 、 たしかに地震が起 きて津波が来た日付です。でも、いまやそれらは 日付を離れた現在進行形ですよね。 古川 だって漏れつづけているし。 重松 その ﹁ 日付が混乱しているこ と﹂が、作 品 にとっては、じつは大きな意味があると思うんで す。日付が失われた状況に定点観測的に日付を打 ち込んでいくことがルポルタージュであり、日付 をより無化していくのが小説である、という点で。 古川 小説は 、 どこかで永遠に読まれることを欲 望するものだと思うんです。消費されるものでは ない、という。時間に対するその意識が、ルポの ように日付を楔として打ち込むのではない仕方を 選ぶんでしょうね 。﹃ 馬たちよ ﹄ にとっても 、 そ れはかかわっていると思います。 重松 ルポルタージュは 、﹁ 震災から何ヶ月 ﹂﹁ 百 日目﹂とか、どんどん変わる日付によって、描く 風景もどんどん変えていきます。そのことは、地 震や津波の被災地にとっては、意味がある。復興 が進み、仮設住宅が建ち⋮⋮と、観察日記のよう な日付が必要なんです。でも原発に関しては、百 日目と二百日目でどう変わるかが見えない。つま り 、 ルポができないんですよね 。 そこで行使で きるのは想像力であり 、 さっきの古川さんの言 いかたを借りれば ﹁ 光を見るか 、 見ないか ﹂ に なってくると思う。 古川 たしかに 、 地震や津波は時間を壊さなくて 書けますよね。 重松 そのぶん 、 再生の物語もつくりやすい 。﹁ 何 日目でこれが生まれて 、 これが戻っ た﹂と。 ﹃馬 たちよ﹄の作中に出てきた水族館の﹁アクアマリ ンふくしま﹂でも、いまは魚が戻ってきましたよ ね。でも、原発事故という意味では、福島という 土地に日付が戻ってくるのは、数十年後かもしれ ない。その意味で、作品の描きかたも、何通りも ある気はするんですが、古川さんは﹃馬たちよ﹄ で被災地に立つことを全うしましたか。それとも 別のかたちで被災地との向き合いかたがはじまり ますか。 古川 後者だと思います。それが ﹁小説家として﹂ なのかはわからない。ただ、次は﹁一人称﹂だろ うとは思います。つまり、いまぼくは福島に戻る と ― こんな感情を口にしていいのか ― ﹁福島、 美しい﹂と思うんです。次にやるとしたら、そう いうことでいいんじゃないか。自分のいままでを 完全否定しつつ転向しないで書くために、まず最 初に﹁二人称﹂としての﹃馬たちよ﹄をやったか ら、このあとはもっと本当に個人的なことを、と。 作品でも言及した、出身の小学校の校庭に、先週 行ったんですが、剝き出しの削り取った表土が山 になっていて、ビニールシートもかけられていな かったんです。それに近寄って﹁ああ、こういう ことか﹂と思う ― そのことを語ってもいいんだ ろうな、と。震災直後にみんながかかわったやり かたを、これからは、やってもいい気がする。 重松 それは 、 いちど違うやりかたをできたから ですか。 古川 それもあるけれど 、 福島以外は復興がはじ まって、あのかかわりかたをやめていくと思うん ですよ。でも、福島はそうじゃない。だからその かかわりかたをしていくんだろう、という予感で す。ルポと小説の話で重松さんが言われたように、 福島の場合、壊されたのは﹁時間﹂でした。地震 と津波は空間を壊したけれど、それは壊された物 を埋めて、直せるんです。ちゃんと日付が再生の 重松清 - }i>ÌÃÕÊÞÃ +(年生。 ﹃ポニーテール﹄ 、﹃十字架﹄ ︵第四四回吉川英治文学賞︶ほか。ä { 日付になる。でも、時間を壊された世界はどうす ればいいのか。ぼくは、そこにもういちど入って いくために、まず馬たちを見たような気がします。 時間が壊れていることを全身で浴びて、作品にで きるならこうやって作品にしてみて、そのあとで、 再び壊れた体で入っていって、時間のない世界を 肉や土や緑のあるものとして描くことになるんじ ゃないかと。 重松 いま古川さんが言われたことは 、 よくわか ります。ぼくは三日前までウクライナで取材をし ていたんですが、チェルノブイリの三〇キロ圏内 では何カ所も検問があるんですが、検問を越えて も越えても風景が変わっていかない。 チェルノブイリに行く前は、ずっと津波の被災 地を回っていました。津波を受けたところは、カ ーブを曲がったら瓦礫が目の前に広がっている、 その風景の変わり具合に絶句していたんです。と ころが、チェルノブイリでは風景が変わらないこ とに絶句した。風景が変わらないと、時間の感覚 がなくなるんですね。時間が進んでいないような 気がする。 しかもウクライナなんかはまだ、放射線の影響 を単純な同心円でやっている 。﹁ 二〇キロ圏内 ﹂ とかね。でも、たぶんホットスポットがいっぱい あるはずです。そうなると今度は、コンパスで測 る距離感もなくなる。 古川 なくなりますね 。 時間が狂うことが空間そ のものも歪めている。 重松 そこに生まれるものはなんだろう 、 と思う んです。そこに住み着く人もいるかもしれない。 チェルノブイリにイノシシがたくさんいたんです。 動物は他にもいっぱいいた。プリピャチという町 は、ぼくが見てきた資料では本当にゴーストタウ ンだったんだけれど、二五年経つと並木が建物を 越えて覆っていて、建物の屋上から町全体を見る と、不謹慎な言いかただけれど、森のなかにリゾ ートマンションが点在しているような、そんな感 じだった 。 そこから 、﹁ ああ 、 人間の痕跡がなく なって二五年なんだね﹂とわかる。でも、それは 五年や一〇年ではわからない。もっと言うと、セ シウムの半減期のスパンは半端じゃないから、短 いスパンでは描きようがない。 いまはどのメディアでも震災ものや原発ものは 必要とされているから、人は次々に取材に行くし、 記事が書かれる。でも一〇年後、二〇年後は⋮⋮。 古川 なくなりますね 。 一〇年も保たないと思い ますね。 重松 少なくとも一〇年が経つと 、 津波の被災地 は﹁これだけよくなりました﹂と示せますよね。 でも 、 原発の被災地は 、 時間の失われたままの 一〇年になるでしょう。そのとき、時間や空間の 感覚が失われたものをルポルタージュが書くのは、 とても難しい。それこそが、さっき古川さんの言 われた﹁想像力﹂の果たすべき役割なんだと思い ます。それをいち早く古川さんがやった感じがす る。 古川 時間も狂って 、 空間でもコンパス的なもの が狂っていく場所というのは、よく言えば、原初 の状態、宇宙がこれから生まれるような状態とし てあるんでしょうね 。 その土地を 、﹁ 終わってい く場所﹂じゃなく、神話的な﹁始まりの場所﹂と して捉えなおすことが大事になってくると思うん ですよ。 いまは悲劇が起きたばかりだから、悲劇を言う ことが必要だと思うんです。でも一〇年、一五年 経ったとき、悲劇を言いつづける報道はたぶんな くなるんですよ。あまりにも悲劇を言いすぎると、 かえってみな触れたくなくなってしまう。拉致問 題とかがおそらくそういう構図なんだけれど、そ れと同じことがおそらく福島にも起きる。それを どうやって、 ﹁こんなに酷い﹂ではなく、 ﹁見てみ ればわかるように、きれいなだけだよ﹂と言うか。 ﹃ 馬たちよ ﹄ でぼくは ﹁ 美しい ﹂ と書いているけ れど、まだなにかがズレている。そこが言葉とし て届くところに行かない限り、あの場所の一〇年、 一五年を同時代に届けることはできないんでしょ うね。 重松 タイトルにもある ﹁ 無 垢 ﹂ という言葉は 、 悲しい言葉でもあると思います。それは、誕生の 美しさに含まれていると同時に、死にも含まれて いる。じつはそれ、ノンフィクションではなかな か難しいんじゃないかと思うんです。調査報道な どは特に 、﹁ 無垢 ﹂ を受け容れてしまったら取材 が終わってしまう。一見﹁無垢﹂を装っているも のの化けの皮を剝ぐのがノンフィクションの一つ の醍醐味ですが、だからこそ逆に﹁無垢﹂を無垢 のまま、いわば﹁無垢なる無垢﹂を描くのは難し いと思うんです。 古川 ノンフィクションの論理として無理なんで しょうね。 重松 そう 。 だから 、﹃ 馬たちよ ﹄ のようなかたち で無垢なるものを、生と死が同じになっているこ とを描くのは、やっぱり小説の力だと思いました。 とくに、最後の一行で﹁自分﹂が戻ってくるかた ちがね。 古川 あそこでやっと、言葉を出せたんですよね。 重松 ここで終わりはじまる 、 という ― まさに 死と生の一体感。 古川 どう終るのかはわからなかったし 、 最後に なって﹁自分﹂が語ることに戻ってくることもわ からなかったし、そのフレーズも用意していなく て、ほんとうにあそこで初めて出てきた言葉なん です。もともとこの作品はタイトルが先にありま した。福島に行って見たその日のうちにじっと考 えて出来た作品で、あそこで見たことを十数文字 ぐらいでまとめるとしたらこれしかない、そう感 じたところからスタートした。そのことだけが、 あのエンディングの言葉を語らせてもらえる何か につながった気がしますね。 バイブル 、 ビンラディン 、 新婚ホヤホヤ 、 椎茸農家と ベストセラー ⋮ をめぐって広がるこの対談の続きは 、 発売中の ﹁ 早稲田文学④ ﹂ に掲載 ! 対談後 、 研ぎ澄 まされたふたりが挑む書き下ろし作品も必読 !! 詳しくは、本誌 15頁の広告をご覧ください。 重松
﹁そ
こ
に
生
ま
れ
る
も
の
は
なんだ
ろ
う
﹂
古川﹁時間
が
狂
う
こ
と
が
空間
そ
の
も
の
も歪
め
て
い
る
﹂
ä x 居酒屋の前の往来、路のまんなかでが酔っている。 ﹁たーこたーこ 、たーこたーこ﹂と地面を手で叩いて拍子を つけながら、が声高に唄う。 花風の吹く夕 、往来に面して油染みた暖を出す居酒屋の 、 店先にはビールケースが積まれ 、立て看板 、一升壜 、牡蠣殻 が並ぶ 。朱塗りの行燈の明りの先に 、が八本ある足をだら りと伸ばし 、腹を兼ねた頭を横様に倒しながら 、墨吐き口を 突き出して唄っている。 唄う合間に 、﹁ういーっ ﹂と一つ吐く 。また唄う 。それを 繰り返す 。行き交う人々は 、﹃あれは何だ﹄という様な眼で 見ている。 青年が一人 、なだらかな肩をまっすぐに起こしつつ 、電気 屋、 乾物屋、 鳥肉屋と並び、 居酒屋に続く商店街を歩いて来た。 下へ向けた視線の先にはが酔っている。 ﹁おっ、そこの兄さん。どうだい景気は﹂とはねめすえた。 ﹁いや 、まあ﹂と青年は細面に呆れた顔付を見せて 、足をと めた。 ﹁いや 、まあ 。か 。いいねえ 。いや 、まあ 。まったく 、世の なか、 何事も ﹃いや、 まあ﹄ くらいがちょうどいいってもんだ﹂ ﹁そうですね 。それでは﹂と青年は素っ気なく相を打って 立ち去ろうとする。 ﹁おっ、どこか用でもあるのかい﹂ がいずって引きとめた。 ﹁別に、家に帰るところです﹂ ﹁おお 、そうかい 。そりゃ奇遇だ 。おれもこれから家に帰る ところよ﹂ ﹁そうですか 。では﹂と話を切ろうとする青年の足下にが 滑り寄った。 ﹁いやいやいや 、ちょっと待ちなって 。どうせなら一緒に帰 ろうじゃないの。 兄さん、 あれだろ。 小川さんところの子だろ﹂ ﹁え、ええ﹂と青年はたじろぐ。 ﹁だろ。 おれはあれだよ。 山本。 知ってるでしょ。 向う横丁の﹂ ﹁ええ、一応﹂ ﹁おれは山本の所で間借りしてんだ 。と言っても壺だけどな 。 アッハッハ﹂ 青年が歩き出して 、も並んでついて行く 。地をう大柄 なヒトデの様である。 ﹁いやあ 。今日は昼間っから飲んだ 、飲んだ 。日の暮れねえ うちの酒はこたえられねえな 。コマーシャルでやってる様な 酒は大抵だめだが 、明るいうちから飲みゃ甘露だな 。見てよ 。 顔真っ赤でしょ 。茹でなくても赤くなっちゃった 。アッハッ ハ。腰も抜けてます。でも肩は借りません。だから﹂ は足をしならせて 、からからと笑い 、青年へ顔を向ける と別の話へ飛ぶ。 ﹁しっかし 、あの 、暗渠の流れの角のマンション建設もどう なるのかね 。ずうっと空き地のまんまだよ 。この辺の者は残 らず反対しているし 、一昨日通りかかったら 、建設許可証が 外れていたけどね。諦めるのかね﹂ ﹁あそこは 、景観に気を配りながら通りより引っこめて 、緩 やかな段々畑のようなマンションに設計し直しているらしい ですよ。壁も淡いクリーム色にするとかで﹂と青年は答えた。 ﹁へえ 、そうなの 。しかし 、皆景観保全とか言っちゃって 、 あのマンションの向いのアパート見ろ 。壁なんか 、どピン クだよ 。それが塀もなくて 。その隣は玉子色に塗っちゃった 家とかが 、往来いっぱいにまで迫り出して 、それがまた赤だ 緑だっつうのぼり立てて景観守れってやってんだから 、どっ ちがどっちだか、わかりゃあしないよ。そう思わない﹂ ﹁え、ええ、そうですね﹂ ﹁その点 、小川さん家は立派だ 。今でも生垣を結いめぐらせ ている 。いいねえ 。うちの隣の毛糸屋なんか 、家ごと立て直 すってんで 、どうするのかと思ったら 、マッチ箱みたいな三 階建てで 。まあ 、手ぶらで挨拶に来るくれえだから 、ろくな もんは建てねえだろうと思ってたけどよ 。せっかくの地面も コンクリートで塞いじゃって 。生垣はもちろん 、塀もなし 。 門もなし 。そのくせ 、いっちょまえに車止める所は拵えてよ 。 この間なんか 、路を渡ったとっつきで 、いきなり警笛鳴らし やがって 、まるで犬猫扱いよ 。しかし毛糸屋って 、そんなに かるのかね﹂と青年に向く。 ﹁毛糸を仕入れて並べておくだけですから﹂ ﹁毛糸屋を閉めた際は 、老夫婦 、これで御隠居だ 。ご苦労様 でした 。あとは 、長年暮らした家でごゆっくりって思ってい たら 、普請って話だ 。他にけ口を持っていたのかもな 。住 宅メーカーの若い営業の他に 、上役みたいなのがついて来た から 。一括で払ったんだよ 。でもあれだな 、やっぱりいくら 立派に築いても 、門がねえと締まらねえな 、家は 。見た有様 は蔵か櫓だな 。うちの素人下宿なんかでもよ 、門開けてその まま一歩も入らずに玄関の戸を引けるからね 。それほど狭く ったって 、やっぱり門があるといいわな 。帰ってきたって感 じがあるはずよ﹂ ﹁そうですねえ。門があった方が 出 入 りが気楽でしょうね﹂ ﹁ありゃ 、一つ間があるんだな 。玄関の出端に往来じゃ 、そ わそわしちまうんだよ 。自分の身が内から外へ出んとするの に 、つかの間でもあると違うんだよ 。それが庭なり 、アパー トの廊下でもいいわな 。そういう 、内と外の間があれば神経 が楽なんだ 。帰りも同じことよ 。往来からいきなり家だと 、 外の気が入り込んで来る様で落ち着かないんだな 。と 、そう いえば 、小川さんのご主人最近遅いんだって﹂との口から 洩れる話の流れはまた変る。 ﹁ええ、残業が多いようで﹂ ﹁本当に 。コレなんじゃないの﹂とは小指のつもりで足の 先を一本立てた。
親
爺︵
1︶
雅
雲すく
ね
ä È ﹁そんな甲斐性ないか。 アッハッハ。 いや、 これは失敬。 でも、 体はいたわった方がいいよ。今、歳は関係ないから﹂ ﹁おじさんも、気をつけて下さい﹂と青年も気を遣った。 ﹁おじさんか 。へへっ 。そうなんだよ 。おれはこう見えてお じさんなんだ 。この間までは 、背広を着て会社に通っていた のになあ 。どうしてこうなったか 。我が身ながら見当がつか ねえ。 になっちゃ、 人の見方が違うからねえ。 この間なんて、 家賃入れるの怠ったら山本のかみさん 、大家だな 。それが帰 ったら壺がおっぽり出されてたんだ 。往来に 。驚いたね 。 慌てて拾って家に入ったら 、﹃ 月 末 までに 、三万 。きちん 、 きちん 、と入れてもらわないと困りますやね﹄とかぬかすん だ 。いくら家賃を納めねえからって 、いきなり壺を放り出 すこたあねえじゃねえか﹂ ﹁下宿住まいもつらそうですね﹂ ﹁おう 。おれが晩飯食ってる傍から掃除機かけやがるからな 。 おれの行く所、出る所ばかり掃きやがる﹂ そこに黒い犬を先にして 、ジャージ姿の男と女が歩いて来 た 。鎖をつけていない 。男の飼い主がゴム毬を投げた 。電柱 の手前で止まったところに犬がかけ寄った 。ボールを行き過 ぎ、夢中で電柱の臭いをかぐ。ゴム毬は飼い主が拾った。 青年は犬連れが行き過ぎるまで、とどまっていた。 青年は目をに移し、 ﹁おじさんは、どうしてになったんですか﹂と問うた。 ﹁それよ 。おれもさっぱりわからねえんだが 、あれは蒸し暑 い日で 、ホームで電車を待つ間にのぼせ上りそうなほどだっ た 。会社もひけて 、甲武線に乗っていたんだ 。妙に電車が揺 れる日で 、進んだり止ったり 、下手ッくそな運転だな 、と思 っていたら 、駅の手前で滞っちまって 、五分も十分も動かね えのよ 。ホームはそこなんだからよ 。降ろして歩かせろ 、っ て言いかけたら動き出して 、そしたらまた 、﹃キキィーッ ﹄ っとレールの軋む音が耳をつんざいたんだ 。頭がぐわあんと なった 。たまらず目を瞑ったら腰が抜けちまってて 、床に滑 り落ちていてな 。今度はけしきが虚ろなんだ 。途端にみんな ぐるぐる回り出して、ひっくり返ったかと思った。 まわりは靴ばかり見えた 。慌てたね 。とにかく動こうとし たら 、床に足が投げ出される感じで 。目の前にの足が見え るんだよ 。常に三 、 四 本 。手はどうした 、手は 。と思って手 を動かそうとしても 、やっぱり足が動いちまう 。三 、 四本が うねうねと 。あっとたまげて 、これはになっちまったんだ な。おれは思ったね。 何しろラッシュアワーだ 。考える間もなく人が押し寄せて 、 とにかく電車の外に出たよ。出たはいいが、 さて、 どうしよう。 駅を出てよ 。硬い地面の上を歩いたね 。これが痛いんだ 。歩 くうちにするすると行けるようになったがな 。はじめのうち は慣れねえから 、足をぶん投げる様に歩いたわ 。松の廊下を 行く大名の如きだな 。公園まで来て 、少し落ち着くかと思っ てベンチに行ったら 、植え込みに猫がいた 。葉っぱを食って てな 。﹃あっ猫だ﹄と思ったら 、猫も気がついて 、こっち見 たからさ 、話しかけてみたよ 。何しろこっちはだ 。猫にだ って話が通るかもしれないってね 。﹃こんばんは﹄って挨拶 してみた 。そしたら 、猫は身を震わせて 、目を丸くしている んだ 。おれは通じたのかと思って 、手を挙げて近づいたら飛 び跳ねて、逃げて行っちまった。 その後は 、浄水場までたどり着いて 。表は車や自転車で険 呑だから 、路地へ入った 。角を折れると一本道だ 。浄水場の 板塀を右に離れれば 、神社の森だ 。くろぐろとした道が伸び た片側には 、鳥居や石灯籠や 、杉の木立がただの黒い物とな って並んでいる 。化け物屋敷の廊下を行く様な心持だ 。烏が まとめて十羽ほど 、森から飛び立った時は一度こらえたが 、 出し抜けに犬が吠えた時にゃ 、肝を抜かれて腰が抜けかけた わ 。腰は無かったんだけどな 。へへっ 。それでびっくりした 拍子に板塀の破れ目から浄水場入りこめちまって 、足一本入 る程度の隙間だったが 、骨も殻もねえ軟体動物にゃわけねえ さ。 入りこんだ所にあったのが貯水池よ 。妙なものでやっぱり なんだなあ 。水を前にしたら 、体が誘われる様で 。身を躍 らせて貯水池へ飛び込んだ 。いや 、習慣てのは無益なことを させると思ったよ 。何をしたと思う 。息を止めたんだよ 。こ れが 。もちろん 、ぜんぜん苦しかないんだよ 。足を八方に広 げてな 。落下傘のていでふわりふわりと底まで下りて 。月の 光が射し込んで 、水の底が蒼く漂っててさ 。体は自在さ 。す るすると底をって 、あちらこちらに行ったり来たり 。飽き たら、吸盤と吸盤を合わせたり離したりして。 ふと 、腹が減ったな 、は何食うのかと思ったけれども 、 なんでも食えそうだ 。まあいいや 、戻ろう 。と水の上に顔を 出すと 、壁が遙かに上まで続いている 。今こそ 、この吸盤が 役に立つだろう 。たやすいこった 。吸盤つけときゃ落ちやし ないからな 。まずは吸盤をくっつけてさ 、二本目も投げる様 に 、ぺたって 、貼りつけて力を入れ 、体を引き上げようとし た途端に水に落ちたのよ 。吸盤ってのは妙なもんでさ 。力を 入れなくとも吸いつくのよ 。ところが 、力を入れても吸いつ く力が強くなるわけじゃないんだな 。焦ったねえ 。重ねてや っても同じことよ 。壁のコーティング剤が相性悪いのか 、吸 盤にぴたりとこねえのよ 。上るのは止して 、水底へ潜ってさ 。 手立てはないかと思いめぐらせて 。水の上に顔を出してみれ ば 、コンクリートの壁が聳えていて 、区切られた夜空がある だけ﹂ ﹁満月って言いましたっけ﹂と青年はしるこ屋の角を曲がる。 ﹁そう言ったっけか 。何にせよ 、物陰でもあれば落ち着ける んだが 。もちろん生きた物なんていないし 。と思った矢先に 何かが動いて 、来るんだ 。太いのが来るな 、と見れば歯の鋭 いうつぼよ 。なんでうつぼが来るのよ 。飼われていた奴だ 。 頸に革紐が巻いてあったからな﹂ ﹁どうしてうつぼが貯水槽に入り込んだんでしょうか﹂ ﹁さあな 、どこかの奴が 、浄水場に放り入れたんじゃねえか 。 とにかく 、うつぼだ 。大きく口開けて 、のたくりながら近づ いて来る 。うつぼにゃ勝てねえ 。うつぼがおれを食いに来た さ。おれを食うのかって聞いたら、 ﹃くう。 ﹄ って言ったからね。 口開けて﹃くう。 ﹄って頷いたわ。丸い目をして。 おれがうつぼに食われる 。その寸前に 、﹃どぼん﹄って何 かが降って来たのよ。それが甲胄の如き伊勢エビでさ﹂ ﹁おじさん、それは実際の話ですか﹂ ﹁そうよ。ここにいるおれがなら、ありゃ夢じゃねえ﹂ ﹁航空便から落ちてきたんですかね﹂と青年は考察した。 ﹁どうだかな 。丈夫な伊勢エビだ 。それがうつぼの前に立ち
ä Ç はだかった 。泳いでな 。どうも 、うつぼの奴は伊勢エビがい けすかねえらしいのよ 。斜に構えて伊勢エビの方をチラチラ 見ていたからね 。おれはおれで 、だんだん伊勢エビを食いた くなってな。 それで三竦みよ 。おれが伊勢エビを食ったら 、おれがうつ ぼに食われる 。伊勢エビがうつぼを倒したら 、おれが伊勢エ ビを食うだろうな 。うつぼが動いておれを食っちまったら 、 どうもうつぼはいやだろうな 。伊勢エビと二人きりで 。スト レスたまりそうだ 。うつぼの奴 、おれに近づきながら神経は 伊勢エビに向いていたからね﹂ ﹁伊勢エビは、うつぼの視線が気にならないんですかね﹂ ﹁時折 、跳ねていたな 。うつぼはその度に引き返して行く 。 それでよ、 いい加減、 ぢっとしてても仕方がねえ。おれがまず、 うつぼに踊りかかった 。うつぼは壁や底に当たると引き返す 癖があるらしくてな 。その隙に乗っかって 。いや 、勝てると 思っちゃいなかったが 、こっちはでも頭は人間だ 。うつぼ 如きになめられてたまるかって気を奮わせて 。それに伊勢エ ビの奴も助太刀をしてくれるだろうと当てこんでいたから 。 そうしたら 、伊勢エビの奴 、どっかに行きやがった 。おれが 食われたら自分の天下だと思っていやがるのか 。おれだって 気を遣ってやったのよ。 うつぼは強え強え 。の力じゃどうにも太刀打ちできねえ 。 革紐で締めつけてやろうと思ったんだが 、頭から抜けちまっ た 。うつぼの目が光ったと思ったら 、振り落とされた 。伊勢 エビを具足煮にして食っとくべきだったと観念した間際 、地 の割れる様な音がし出して 、地面が引き抜かれた気がした 。 行き着いた先が暗くてな 。見通しが利かねえ 。ふと 、何かに しがみつきたくなってさ 。水のなかでやたらめったら足をう ねらせた 。出口の知れねえ貯水池で頭が痺れてきて 、しまい に墨でも吐いてみたが、何にもならない﹂ は俯いて、 青年に後頭部を見せながら、 胴震いを一つした。 ﹁それがな 、正気に返ったら蒲団で寝ているんだ 。何だ夢か 。 やっぱりあれだな 。昼に弁当食った後で 、割り箸を折らずに 捨てたのが間違いだった﹂ ﹁そのお呪い、民俗学の授業で習いましたよ﹂ ﹁そういうところから隙が出るのよ 。おかげで狐か狸に化か されちまったな 。恐ろしい夢だったって 、蒲団を摑んだら 、 手がなのよ﹂とは足の一本を挙げてくねらせた。 ﹁それで起きたはいいが頭が働かねえ 。廊下を行く音がした なと思ったら 、女房が来て 、おれを見るなり 、短く叫んで廊 下に下がったと思ったら 、箒と塵取りを手にして出て来た 。 ﹃何だ﹄と言う間もなく 、おれを塵取りと箒で挟みつけて 、 そのまま塵取りごと 、庭の焼却炉に叩き込みやがった 。すぐ に煙突からい上がって 。女房の奴は家に入っちまったか 、 だめだこりゃ。当分話にならねえって、出たわ﹂ と青年は、一軒の家の前で立ち止まった。 ﹁おじさんの家はここですよね﹂ 青年の言った先には 、勝手口の様な門構えの家がある 。細 い門柱には御影石を刻んで ﹃山本﹄と印して 、下に ﹃貸間ア リ 䤅 ﹄の札が下がる 。めぐらされた板塀の隙間に顔を出した 岩蓮華は、たそがれに色を失ったまま動かない。 ﹁おう、そうだな。じゃまたな。今度遊びに来てくれよ﹂ ﹁はい、さようなら﹂ 青年は会釈して去った。 めぐらされた板塀を押し退けんばかりに家が建つために 、 塀と壁の間は 、帯ほどの地面があるばかり 。門と玄関の間は の頭ほどもない 。一歩入って門を閉めればの頭がつっか える。 は往来に立ったまま門を開け 、玄関の戸を開け 、敷居を 二つながら跨いで門を閉め、玄関の戸を引いた。 家の内からは 、﹁あーあ﹂という山本のおかみの溜息が 、 外では街燈が明滅して夜になった。 ︿つづく﹀ 果たして親爺は人間に戻れるのか !? 戻る気があるのか !? さらなる 混迷と脱力へと誘う第二話は 、 11月中旬に小誌サイトにて公開 ! 毎月 、 更新するかも︵親爺次第︶ 。 www .bung aku.net/wasebun/ 雅 雲 す く ね >ÕÊ-ÕÕi ,&年生 。﹁ 不 二 山 頂 滞在 記﹂ で 第 '&回 早 稲 田 文学新人賞 受 賞 。 骨抜き の ユ ル さ と 奇想 が 魅 力 。 +年以上 の 冬眠期を経 て 、 本 作を 発 表 。
ä n 鰐見物に出かけて行った男が鰐にすっぽり丸 みにされ、 それなのに男は鰐の中で生きており
︱
というドタバタし た話である。 鰐の飼い主がオレの鰐によくも入り込んでくれたなと怒 り出し 、鰐の中の男は理路整然と妻や友人に指示を出し 、 事情を聞いた同僚はあの男は進歩主義者だからいずれこん なことになると予感していたと言い、語り手である友人は、 まれたのではなく鰐の腹に﹁派遣された﹂ことにして給 料を出してやるわけにいかないものかと同僚と相談を始め る。ともかく、悲劇的なはずの事故がぜんぜん悲劇として 扱われずにどんどんズレていく。 鰐にみ込まれた男が最初に気にするのは外聞 。﹁外国 旅行の許可を得てゐながら 、鱷 わに の腹の中に入つてぐづく
してゐると聞いては、どうも気の利いた人間のやうに は思はれまいて﹂ 。そして 、いったん家に帰ることにする 友人に鰐の中から男は声をかける 。﹁晩にもう一遍来てく れ給へ。君は忘れつぽいから、直にハンケチに結 むすび 玉 たま を一つ 拵へてくれ給へ﹂って、友達が鰐にまれた衝撃的事実を 半日やそこらで忘れる人があるものか。鰐に消化されない 理由は 、男によればまずはロシア製の服や長靴に守られ 、 次に自分が﹁意志の力を以て﹂抵抗しているからだそうで、 緊張を解くと﹁僕の体が馬 じ や が 鈴 いも や挽肉と同一な運命に陥る まいものでもない﹂と 、やはりそのへんは気になるご様子 。 この鰐の中の男がドストエフスキーの登場人物だけあって 、 鰐の内側の空虚さからロシアの抱える諸問題にいたるまで 、 旺盛にしゃべる、しゃべる。 ﹁鱷﹂を森鷗外が翻訳しているとは 、青空文庫をチェック するまで知らなかった 。 ドストエフスキーには珍しいユー モア小説と言われているが 、鷗外訳はかなり笑いポイント が高いような気がする 。ロシア語↓ドイツ語↓日本語の孫 訳になるわけで 、原卓也訳などと比較してみると 、どうも オリジナルと少し違うんではないかとか 、誤訳かもと思わ れるところもある 。でも 、明治のちょっと古めかしい言葉 遣いが不条理な雰囲気と妙にマッチして 、独特のユーモア を生んでいるところに抗しがたい魅力がある。 青空文庫には翻訳作品は少ないけれど 、﹁世界の名作リ ターンズ﹂なので海外文学を選んでみた 。ドストエフスキ ー×鷗外と、夢の競演っぽいところもお得感満載。中
島
京
子
>>>ÊÞ +)年生 。田山花袋から &%%年後の現代を舞台にリメイクし た﹃ ; J I D C﹄でデビュー 。花袋版では一人だった煩 悶する男が二人になり 、情けなさも倍増 。後の直木賞受 賞作 ﹃小さいおうち﹄にも繫がる 、 林芙美子らの女中小 説を本歌取りした ﹃ 女中譚﹄など 、ブッキッシュかつエ ンタテインメント性の高い作品は、多方面で評価される。ä
フョードル・ドストエフスキー
Þ`ÀʰÊÃÌiÛà 一八二一 ― 一八八一 。言わずと知れたロシアの大文豪 。明治 の昔はもちろん 、現代でも新訳 ﹃ カラマーゾフの兄弟﹄がベ ストセラーとなるなど 、日本でもっとも愛されている小説家 のひとり 。﹁ 長はハードルが高い﹂という人には 、﹁鰐﹂を はじめとしたユーモア短篇小説集がおすすめ ︵講談社文芸文 庫刊︶ 。 ﹁鱷﹂は 、電子図書館 ﹁青空文庫﹂ ︵ http://www .aozora.g r.jp/ ︶で 全文を読むことができます。また、 ﹃鷗外選集 第一五巻﹄ ︵岩波書 店︶に、解説とともに収められています。£ ä ︵﹃美しき町﹄の誤記?︶にも似た﹁詩的なファンタジー﹂の匂いがあると指 摘しているが、 ﹃美しき町﹄ が ﹁上半身のユートピア﹂ を夢想する物語なら ﹃青 べか物語﹄に描かれた浦粕は﹁下半身のユートピア﹂だろう。 すると問題は、観察者ないし記録係に徹しているかのような語り手の位置 である 。売れない作家が俗世と隔絶された異郷に赴いて一時の癒しを得る 、 という構造を考えれば 、これは川端康成 ﹃雪国﹄ ︵一九三七年︶や永井荷風 ﹃ 東綺譚﹄ ︵一九三七年︶ と同質の物語なのだ。ただ ﹃雪国﹄ や ﹃ 東綺譚﹄ の主人公が妙齢の女性とネンゴロになるのに対し 、﹃青べか物語﹄の語り手 に与えられたのは一艘のボロ舟にすぎない。 ﹁私﹂と青べかの関係は微妙である。杭を離れて行方不明になるわ、ぶっく れ舟と罵られるわ、漕ごうとすれば抵抗するわ、思い通りにならない青べか を ﹁私﹂が ﹁彼女﹂と呼ぶくだりがある 。︿私が彼女に対する憐れみや 、愛 情や劬りをかなぐり捨て、悪童どもと同じように、それが正しく青べか にす ぎないと認めたとき、初めて彼女は私に身を任せた﹀ ほんとに舟だったのォ? あやしいー! なんて余計な索したくなるけ ど 、それはまあどうでもいい 。作中で青べかならぬ ﹃青巻﹄ ︵青い本︶とい う翻訳書を読んでいる語り手はしょせん﹁上半身の世界﹂の住人で、だから 最後は舟も捨て 、浦粕を逃げるように去るのである 。三〇年後 、﹁私﹂はす っかり変容した浦粕を訪ねるが、かつて親しくしていた人々は不思議なくら い誰も﹁私﹂を覚えていない。ラストのこの非現実感は独特で、かつての浦 粕が実在しない﹁おとぎの国﹂だったように思えてくる。 ﹁沖の百万坪﹂は現在は埋め立てられてベッドタウンとなり、一九八三年以 降はその一角にTDRもやってきた。まるで性質の異なる舶来の﹁おとぎの 国﹂の出現はやや皮肉。しかし、ウォーターフロントの広大な埋め立て地ほ ど工場に適した場所はなく、浦安も一時は工場排水に悩まされていた。三月 の震災では激しい液状化現象に見舞われた浦安市。その立地ゆえの自然との 長い格闘の歴史を思うと 、﹃ 青べか物語﹄の呑気さは小春日和のよう 。幸福 なご当地文学なのだ。この立地を﹁下半身﹂にからめて読み解くことも可能 だけれど、ま、下品になるのでやめておこう。 千葉県浦安市、といったらみんなが思い出すのは東京ディズニーリゾート ︵TDR︶だろう 。しかし 、文学ファンを気取るなら ﹁浦安 ? そりゃもう ﹃青べか物語﹄の土地でしょう﹂と答えていただきたい。 ﹁べか ︵べか舟︶ ﹂とは貝や海苔採りに使うひとり乗りの小舟のこと 。時代 小説の書き手として知られる作者の山本周五郎はまだ二〇代だった昭和初期、 足かけ三年 、浦安でひとり住まいをしていた 。﹃青べか物語﹄ ︵一九六一年︶ はその頃の経験をもとにした作品といわれている。 小説は︿浦粕町は根戸川のもっとも下流にある漁師町で、貝と海苔と釣場 とで知られていた﹀と書き出され、田畑と海と川と﹁沖の百万坪﹂と呼ばれ る海側の荒地に囲まれたこの町が︿孤立していた﹀こと、また貝の缶詰工場 や貝殻を焼いて作る石灰工場のほか 、釣客目当ての釣舟屋と ﹁ごったくや﹂ といわれる小料理屋︵は表向きでじつは私娼窟︶が多いことを伝える。 売れない作家の﹁私﹂は、ある日、地元の老人から青いペンキで塗られた べか舟を買わされる。小学生にまで﹁あのぶっくれ舟か﹂と軽蔑されるよう なボロ舟だ 。﹁私﹂は気が重くなるが 、それでもやがては青べかを漕ぎ出し て釣りや読書をし、町の人々の身の上話に耳を傾けたり、話をメモしたり、 町を写生したりしながら暮している。テキストの大部分はこうして町の人々 から伝え聞いた話であり、三〇あまりの短い小話を集めたその印象は、小説 というより文字で描いたスケッチ集に近い。 が、一見随想ないしルポ風のこの作品をノンフィクションと思ってはいけ ない 。浦安町ではなく ﹁浦粕町﹂ 、江戸川ではなく ﹁根戸川﹂とわざわざ命 名されているのは、これがフィクションであることの証し。 さらに注意すべきは 、艶っぽい逸話が妙に多いことである 。︿この土地で は 、どこのかみさんが誰と寝た 、などという話は家常茶飯﹀で 、︿この土地 で恋といえば、沖の百万坪にある海苔漉き小屋へいって寝ることであった﹀ 。 性に対しておおらかなことが ﹁ 浦粕﹂の特徴で 、 実際ここでは ﹁ええー っ!﹂というような色恋がらみの悲喜劇が平然と語られているのである。近 代的な恋愛のルールの外にある、孤立した海辺の町! 平野謙は新潮文庫版の解説で 、﹃青べか物語﹄には佐藤春夫 ﹃美しい町﹄
斎
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子
->ÌÊ> *+年生 。 .)年 、﹃妊娠小説﹄で評論活動を はじめる 。古典とベストセラー 、時事問 題からマンガ ・ アニメまで 、題材の硬軟 を問わず舌鋒鋭く論じる著作には 、 読者 の物の見方をひっくり返す ﹁目からウロ コ﹂が満載。 ﹃文芸誤報﹄ ﹃本の本﹄など。 『青べか物語』 (新潮文庫)旧作異聞
ご当地文学
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て
う つ み そ う こ£ Ó F施 草 子 ちゃん に は こ れ ま で 4冊紹介 し て も ら い ま したけれど 、 みなさん 、 お 気 に 入 り の ブ ッ クガイドは どれ ですか? M田 トルー マ ン ・ カ ポ ー テ ィ ﹃ テ ィ フ ァ ニ ー で 朝 食 を ﹄ が、 かわ い い 絵 で 紹 介 されて い ましたよね︵ 第 3︱ 4 話︶ 。草子 の 想 像 で 、 世 界 が 豊 か に 広 が っ て い く⋮⋮ あ の場 面 を 見て 、 ﹁ 本に浸る っ て こ う い う こ と だ よ ね﹂ って 思 い ま し た 。 Y山 金 髪 のカツラ を 被 っ た 草 子 ち ゃ ん が か わい いん ですよね! M田 私は絵が す ご い 苦 手 で 、生徒 に 配 るプ リ ン トにさらり と 描 け る とい いな とい つ も 思 っ て い る の で 、 あ んなふうに 表 現 できる の は 羨 ま し い し 、 ﹁ありがとう!﹂ っ て ︵笑︶ 。 Y山 先生 、草子 ち ゃ ん が 描 い て る わ け じ ゃ な い で す よ ︵ 笑 ︶。 そ う い え ば 、 読 書 感 想 画 っ てあ りませんでし た? 本を読ん で、そ の 一 場 面を絵に す る 課 題 。 F施 ﹃ 宝島﹄ で 財 宝 ま で み っ ち り 描 い た ! 自分 の 物 に す る よ う な 気 持 ち でニヤニヤ し て 。 ﹃ 草 子 ブ ッ ク ガ イ ド ﹄ で も ﹃ ロ ビ ン ソ ン 漂流記﹄ の ﹁ 船 からと っ てき た物﹂ ﹁自 分 で 作 っ た物﹂ がぜんぶ 絵 に な っ て い て ワ クワ ク す る ん だ よ ね 。 Y山 でも ﹃ 草 子 ブ ッ クガイド ﹄ と 違 っ て 、 絵 を 描い ても ﹁ 頭 の 中 のイメージ は も っ と き れいなのに ﹂ って イ ラ ッ と き た り 。感想文 の ほ う が 、自分 が ど う 考 え た か を 入 れ や す か っ た か な 。 た だ 、感想文自体 が 嫌 い だ っ た ん で す け ど ︵笑︶ 。 F施 本当 ? め ち ゃ め ち ゃ 好 き だ っ た な 。担任 の 先 生に宛て た 手 紙 の感 覚で ﹁私は こ の 物 語を こ う読ん だ ん で す が 、先生 は ど う 思 い ま す か ﹂ みた い に み っ ちり 書い てましたね 。 M田 草子 み た い だ ね ︵笑︶ 。 Yキ 草 子 は本を自 分に引き つ け て 読ん で い る よ ね 。 私 は 読書 と は 個人的 な 作 業 だ と 思 っ て る ん だ け ど 、 そ の自 分 だ け の 体 験 が他 人に も伝わ る と い う の は ど う い うこと な ん だ ろ う 。 Y山 教 師 や親 の期 待に合わせ た ﹁ 優等生 ﹂ っぽ い 読書感想文 は 、表彰 さ れ た と し て も あ ん ま り 伝 わ ら な い ですよね 。 Yキ そ う 。草子 は 誰 か に 紹介 し よ う と い う 気持 ち で は 読 んでいるので は な いし 、 ブ ッ ク ガ イ ド も 自 分 が 感 じ た こと を 書 いている 。 だ か ら こそ お も し ろ い 。 M田 物語 の な か に 出 て き た ブッ ク ト ー ク ︵第 4話︶ 、 私も よ く や る ん で す 。 基 本 的 に 生 徒 が 好 き な 本を紹 介 し て も ら う の。 ﹁ い い本 だ﹂ よ り 、 ﹁ 読 ん で 感 動 したから 伝 えた い﹂ のほうが、 生 徒 は 話 しやす い ん ですよね。 だ か ら 江波先生 と 草 子 の ブ ッ ク ト ー ク に ﹁そうなんだ よ! ﹂ って 。 * * * F施 草子 ち ゃ ん は 古本屋 の 青 永 遠 屋 で捕ま ら なけ れ ば︵ 第 1話 ︶、 ず っ と ひとりで 読 ん で 、 誰 に 宛 てる でも な く ブ ッ ク ガ イ ド を書 い て た か も で す ね 。 棚 の本を黙 っ て 借 り て ⋮⋮。 M田 そうそう 、 ち ょ っ と 悪い顔 をし て 。 Yキ あ れ 、万引 き で す よ ね 。書店 で 働 く者 と し て は 、 ま っ たくおすすめ できな い ︵ 笑 ︶。 F施 ヘ タ レ な の に 大胆 な と こ ろ が あ る ︵笑︶ 。 Y山 逆 に 、 お 父 さ ん に 売 ら れ ち ゃ っ た 本 を 青永遠屋 に 取 り 返 しに 行 く ときも 、 おどおどしながら 我 を 通 し てますしね 。 Yキ 草子 は す ご い 頑固 だ し 、柔軟性 も な い ︵笑︶ 。 M田 図書委員 に は い っ ぱ い い ま す よ 、 そ ういう 子 。 ね え 、 Y山? Y山 ﹁ ここ だ け は 絶 対 に 曲 げ ない ! ﹂ と押し出す く せ に 、そ B田 :高校司書教諭。科目は現代文と古典。 Nキ :都内某所の書店員。 ;施 :﹃草子ブックガイド﹄の担当編集者。 N山 :大学生。 B田先生の元教え子。
れ を周り に わ か っ て も ら う 努 力 の苦 手な子が多 い ⋮ ⋮ っ て 、私 の こ と じ ゃ な い で す か ︵笑︶ 。 M田 そ の く せ 、自分 の 主 張 が 他人 に ど う 影 響 す る か 、 ﹁あんな こ と 言 っ ち ゃ っ た ! どうしよう ど うしよ う !?﹂ っ て どきどきし て る ん ですよ。 Y山 草子 を 見 て い る と 自分 の 過 去 を 反省 さ せ ら れ ま す 。あと現 在も ち ょ っ と ︵ 笑 ︶。 M田 私も小さ い こ ろ は 人 付 き合 い が 下 手 で、 本が き っ か け で話せ る ようにな っ た タイプな の で 、 ﹁ そう だ っ た 、こ んな 世 界 に い る と い い んだよ﹂ っ て 思い出 し ました 。 Yキ 私 は こういう 子 に は 会 っ た こと ないな ⋮ ⋮ 。 M田 気 づ い て くれ てなか っ ただけかも ︵ 笑 ︶。 * * * Y山 草 子 ち ゃ ん っ て 、い ろんな 小 説の世 界 に 入 り 込 ん で 、 コ スプレをし て 紹 介 する じ ゃ な い ですか 。 F施 物 語 の世 界に自 分が自 然に馴 染ん で い く 感 じ が 伝わ っ て き て 、す ご く 好き ! Y山 あ れ を 読 ん で 、中高生 の こ ろ 、文体 に 癖 の あ る 本 を 読 む と 、自分 の 思 考 の 文体 ま で 影響 さ れ た の を 思 い出 しました 。 そ れで 授 業 中 に こ んがらが っ ち ゃ っ て ⋮⋮。 F施 あるある 。 Y山 読 書 も 、 ﹁本が自 分に入 って く る ﹂ という よ り ﹁自 分が 本に入 っ て い く ﹂ 感 覚 で 読 ん で たん ですけどね 。 Yキ 大人 に な る と 、比較対象 も 増 え る し 、 一 歩 引 い て 読 む よ う に な る よ ね 。中高生 の こ ろ の 読書感覚 っ て 、 今 の 自分 に は も う な い ん だ ろ う な ⋮ ⋮ 逆 に 、草子 の 読 み 方 が こ れからどう い うふうに 変 わる のか 、 変 わらな い の かも 気 に なりますね 。 M田 高 校 生 と付き合 っ て い て 気 づ く の は 、 ﹁ 外に世 界が ある ﹂ と わ か っ て る ん だ け ど 、家族 と か 友人 と の 関 係 が彼ら に と っ て す ご く 大き い ぶ ん 、 そ こ で完 結す るん ですよね 。 大 人 には ﹁ほん の い っ とき﹂ のこ と が 草 子の歳 く ら い だと 本 当 に 長い時 間で 、 人 生 の重 大 事項 に な る ん だ よ ね 。 Y山 高校 の と き は 、家 と 学 校 か ら 逃 げ ら れ な い 感 じ が強か っ た で す 。 他 人に興 味が持て な い わ け じ ゃ な い けど 、 範 囲 が狭く て 、そ の ぶ ん草 子ち ゃ ん み た い に 本 を 読 ん で ま し た 。大学 で い ろ ん な 人 と 会 っ て た く さ ん 気 に かけられる ようにな っ た とき 、 本 の読 み 方 も 切 り 替わ っ た の か も と 思 い ま す 。 M田 ⋮⋮成長 し た な あ 。 Y山 先 生 にはすご い ご 迷 惑 をかけましたよね 。 図 書 館か ら出て こ な い し 、 こ っ そ り相 談も し た し⋮ ⋮ 恥 ず かし い。 M田 そんな こ と 言 われると 泣い ちゃう よ ︵笑︶ 。 * * * F施 草子 ち ゃ ん 、授業中 に 読 ん で た 本 を 没 収 さ れそうにな っ て 逃 げ 出 し 、青永遠屋 さ ん に 行 っ て サボりますよね 。 そんな 子 っ て 多い ですか? M田 そ こ ま で は い か な い け れ ど 、図書館 に は 司書 が 必 ず い て 、 生 徒 を 受 け 入 れ て い ま す 。 い わ ば ﹁避 難所 ﹂ なん ですよ。 私 たち 教 員 は、 つ ね に 生 徒 を 評価 す る 役目 で し ょ う ? で も 、司書 と か 保健室 の 養 護教諭 は 、生徒 を 評 価 し な い か ら 。 F施 評価 な し に 、自分 を 受 け 入 れ て く れ る 場所 な ん ですね 。 M田 学校 に は 来 ら れ な く て も 司書室 に は 来 ら れ る 子 も い て 。 うち の学 校の司 書 室に は お 茶 と お 菓子が い つ もあ っ て 、生徒 が 食 べ て い て も 教 員 に 叱 ら れ な い ︵笑︶ 。 Y山 ﹁ 司書室 は 治外法権 ﹂ み た い に勝 手に思 っ て い ま し た 。 F施 ま さ に 青永遠屋 で す ね 。 M田 草子 た ち も ﹁ 居場所 ﹂ っ て 言 葉 を 使 い ま す よ ね 。 そ れ っ て 大事 だ と 思 う ん で す 。彼女 の 場 合 、青永遠屋 の店 主さ ん が ア ジ ー ル を作 っ て くれ る 人 だ よ ね。 F施 親と か友 達と か の 縦 横 の 関 係じ ゃ な く 、 斜め か ら店 主が入 っ て く る 、 あ の 関 係 が い い な あ っ て思 い ま すね 。 Y山 青永遠屋 で 働 く前 の 岬 く ん が 、店主 さ ん が つ く った ﹁西 行 の 棚﹂ に 惹 か れ る 場 面︵ 第 6話︶ が あ り ますよね 。 F施 棚の前 に 座 り 込 ん で 読 む ん ですよね 。 お 茶 ま で 出 し て も ら っ て ︵笑︶ 。 Y山 す で に 読ん で い た本も あ る の に 、 改め て棚に並 べ ら れ て 、 本 と本 の つ な が り が 見え て き た場 面 。 あれ、 いい な あ っ て 。 F施 お も し ろ い 書 店 さ んの 棚 は 見 て いる だ け で も 楽 し い ですよね 。 誰 か と い っ し ょ に 行 っ て 、 ﹁ こ れ 読 ん だ?﹂ ﹁あれ 読 んだ?﹂ みた い に 話 す の も 楽 し い ! Yキ お店で も 、 男 の子が 一 緒に い る 女 の 子に熱く 語 っ て い る のをよく 見 かけますね 。 Y山 男 子 は 語 りがち ですよね 。 Yキ そう ! つ い 盗み聞き し た く な っ て 、 近く に行 っ ち ゃ う ︵笑︶ 。 F施 語 ら れた い ですよね 。 Y山 そうですか !? みんな ﹁ど や顔 ﹂ で 自信満々 に ⋮⋮。 Yキ その わ り に、 喋 っ ている と ﹁あれ 、 何 だ っ け か な﹂ と か 言 っ て 、結構 い い か げ ん 。 M田 昨日手 に 入 れ た 知識 を 、 さ も 昔 か ら 知 っ て る よ う に ︵笑︶ 。 Yキ でも 、 それが い い ! ﹁ 初々 し く て 素 敵、今 し か できな い わー ﹂ と思 っ て 、 聞 い て る ︵爆笑︶ 。 M田 店 主に聞 い た 話を 、 自 分 が 発 見 したか の ように 岬 く ん が 草 子に語る、み た い な 感じ ? Y山 ﹁たかが ロ ビ ン ソ ン に 何 日 かけ てんだ ? ﹂ と言 っ た ら ﹁ ロ ビ ン ソ ン は 三部作 だ よ ﹂ と ツ ッ コ ま れ ︵笑︶ 。 Yキ ツ ッ コ ま れ て い る 男子 ! いいで す ね !! * * * Yキ 草子 は ず っ と 今 の よ う に 読 ん で い く の か な 。 私、 高 校 の 一 時 期 ぱた っ と 本 を 読 ま なく な っ たん ですよね 。 Y山 離 れ る時 期 も あるかもしれませんね 、 私 はまだ だ け ど ⋮⋮。 Yキ 人と の 関 わ り の な か で 変わ る の か も し れ な い し 、 何 か の 本 をき っ か けに 変 わ る の かもしれな い 。 F施 そ れこそ、 彼 氏 がで き た ら 読 ま な く な る か も し れ な い ︵笑︶ 。 Y山 同級生 の 潮 崎 く ん と の 関係が ア ヤ シ イ ですよね ︵第 4話︶ 。 Yキ こ こ ま で 本 の 中に入り浸 っ て い る 子 が 、 さ て 世間様 の 波 に ぶ つ か っ たとき、そ れ をどう 乗り切 っ ていく ん だ ろ う 、 というの は 気 に なる よね 。 F施 現 実 で挫 折す る と か、 逆に彼 氏が で き る と か。 M田 そ こ 、 こ だ わ る ね ︵笑︶ 。 Yキ な ん で あ れ 、世間 の 波 に ぶ つ か る と 、本 の 読 み 方も本と の 接 し方も変わ る で し ょ う ? 以前 と 同 じ よ うには 読 めなく な る
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成 長 と言う の か変 化と言う の かわからな い け れど 、 草 子 にはまだき てな い ですよね 。 M田 そうする と 、 読 む 本 も 変 わ っ た りしますよね 。 みなさん 、こ れから 草 子 に 読 ん で ほし い本 とか 、 紹 介 し て ほし い本 っ て ありますか? F施 潮 崎 く ん の キ ャ ラクターを 深 め るために 、 ﹁ ギ ムナジ ウ ムもの﹂ を紹 介し て ほ し い で す ! ﹃車輪 の 下﹄ と か 、 ド イ ツ の 神学校 の エ リ ー ト で 線 の 細 い 少 年 を 潮 崎 く んにやらせると 、 愛 着 のある キ ャ ラ とし て 定 着す る ん じ ゃ な い か と 。 Yキ そ う し て 彼氏 に 、 で し ょ う ? ︵笑︶ M田 私 は 、飲 ん だ く れ の お 父 さ ん と 草子 の 関 係 が 気 に な る の で 、幸田文 と 森 茉莉 を ぜ ひ 。 そ れ ぞ れ 幸田露 伴 と 森鷗外 が 父 親 で す け ど 、 ﹁ 厳 し い 父 ﹂ と ﹁ 愛 の父 ﹂ だから 。 Y山 尾崎 ! ﹁パ ンなんか 食べ てな い で 、 詩 の 世 界だ け で 生き て い き た い ﹂ という 女 の 子 を 草 子 が ど う 読 む か 、 気 に なります 。 F施 中南米文学 は ? つま り ⋮ ⋮ ガ ルシア = マ ル ケ ス! Yキ 読 む の が た い へ ん 、読 む の が ︵笑︶ 。 F施 じ ゃ あ 、 いま 流 行 っ て る ところ で 、 ハ イ ン リ ヒ ・ フ ォ ン ・ ク ラ イ ス ト の ﹃ チ リ の 地震﹄ と か 。 Y山 関東大震災 の と き 、芥川龍之介 が 触 れ て た 人 で す よ ね 。地震 つ な が り で す か ? F施 う う ん 、中南米 の 民族衣装 を 着 せ た ら 、 コ ス プ レ と し て 映 え る 気 が し た か ら ︵笑︶ 。 Yキ いま まで 草 子 が 紹 介 し た 本 は S Fがな い ですよ ね。 ヴォネ ガ ット の ﹃ スロー タ ー ハウ ス 5﹄と か 、 い いと 思 う ん だ け ど な 。 ハ ー ド S Fではな い んだよね 、 草 子 のイメージ っ て 。 Y山 ケータイ の使い方 もわか っ てな い く ら い ですか ら ね ︵笑︶ 。 F施 ハー ド S Fの格 好も 捨て が た い⋮ ⋮ 。 M田 未 来 から 過 去 に 戻 れ ば 、西 行 も や っ たし 、﹃ とり か へ ば や 物語﹄ や ﹃雨月物語﹄ み た い な 物語系 の 古 典 も 紹 介 し て ほ し い な 。 柳田國男 ﹃遠野物語﹄ も 話 が 広 がりやす い か も 。 Yキ ﹃伊勢物語﹄ や ﹃日本霊異記﹄ は ? ﹁牛に な っ てしまえ ! ﹂ っ て 言 っ たら 、 早 くも 次の行で牛にな っ て た り ︵笑︶ 、古典 は 無茶苦茶 な 話 が 多 い で す よ ね 。 M田 因果関係 の 説 明 が な い で す か ら ね 。 F施 牛 も 大 きくて い い ですね ! でも 、 だ っ た ら モ ー パ ッ サ ン ﹃脂肪 の か た ま り ﹄ も ⋮⋮。 Yキ 太ったコ ス プ レ さ せ た い だけ じ ゃ な い の ? Y山 だ っ たらまず 潮 崎 く ん の 好 み を 聞 か ないと ! ︵ 笑 ︶£ { ※W B '.号 の 表紙 を飾 っ た ﹃草子 ブ ッ ク ガ イ ド ﹄ の 生原画 を、 ''月 *日か ら ﹁ O W^ee オ ー ク シ ョ ン ﹂ で チ ャ リ テ ィ と し て 出品 し ま す 。 ぜ ひ ご 入 札 く だ さ い 。 詳 し く は 、本誌 (&頁の 広 告 に 記 載 さ れ て い ま す 。
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