Title
NHK 朝の連続テレビ小説『純と愛』の放映と宮古島にお
ける受容
Author(s)
圓田, 浩二; 兼濱, 翔子; 玉寄, 彩乃
Citation
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of
Humanities and Social Sciences(16): 61-69
Issue Date
2014-03-05
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/11904
〈調査報告〉
NHK 朝の連続テレビ小説『純と愛』の放映と宮古島における受容
The broadcast of the NHK morning TV serial story "Jun and Ai",
and the reaction in MIYAKO island.
圓田浩二
ⅰ兼濱翔子
玉寄彩乃
キーワード:宮古島、朝ドラ、観光 1.沖縄を舞台とした朝ドラ 2012 年1月 20 日に、「宮古島を舞台に NHK 朝の連続テレビ小説の放映が決定した」という 内容の見出し記事が宮古島に存在する二つの地元紙『宮古新報』、『宮古毎日新聞』ⅱに掲載された。 2001 年に放映され、大ヒットとなった『ちゅらさん』に続く、沖縄を舞台とした2回目の NHK 朝の連続テレビドラマ(以下、「朝ドラ」と記述する)であり、地元宮古島だけでなく、 沖縄県民の期待も大きかった。 朝ドラ『純と愛』は、第一回の視聴率が 19.8%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)となり、 前作の人気作『梅ちゃん先生』(平均視聴率 20.7%)の第 1 回放映の視聴率を上回る好スタート を切った。しかし、全 156 回の平均視聴率が 17.1%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)となっ た。次回作の『あまちゃん』が平均視聴率が 20.6%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)となり、 視聴率だけ見ると、『純と愛』は朝ドラとしては視聴者の獲得に失敗したと言えるだろう。 本報告書では、1961 年から放映され続けてきた朝ドラの舞台が宮古島に決まり、放映が終了 されるまで、地元宮古島や島の人々がどのように、朝ドラ『純と愛』と関わり、受容してきた かを明らかにする。「朝ドラの舞台となることによる観光地化というのは、たびたび起こってい る現象である」[田幸 2012 p.234]と指摘されているように、宮古島が「全国区」として認 知されることに対して、宮古島の観光関係者や地元民はどのように、朝ドラの受容していった のかを探っていく。調査方法は、新聞記事や地元関係者へのインタビューによる。 2.朝ドラとは 2-1.朝ドラのはじまり 2011 年に 50 年を迎えた「連続テレビ小説」通称「朝ドラ」。国民的ドラマであり、日本人の 「幸せ観」の原点があると言われている朝ドラは、テレビの草創期である 1961 年、ラジオ番組 やテレビ番組をヒントにして誕生した。 朝ドラの記念すべき1作目となったのは、獅子文六原作の『狼と私』だ。昭和初期から戦後沖縄大学人文学部紀要 第 16 号 2014 の時代が、フランス人の先妻との間に生まれた一人娘が結婚するまでの成長を見守る父親であ る「私」の目線によって語られている。当時、まだ朝ドラが定着していなかったため、視聴率 はわずか 1.5%に満たなかった。しかし朝ドラは、工夫に工夫を重ねて始まってわずか4年で平 均視聴率を 30.2%にまで伸ばした。 そして、その中で1番ヒットした「朝ドラ」は、1983 年に放送された『おしん』であった。 最高視聴率 62.9%、平均視聴率 52.6%を叩き出した。物語は、山形の貧しい大家族の農家に生 まれた少女「おしん」が明治から昭和の激動の時代の中でさまざまな苦難に必死に耐え、必死 に生き、後にスーパー経営者として成功するといった内容となっている。しかし、2000 年以降 の朝ドラの平均視聴率は、20%台まで下がっていった。 朝ドラの最大の魅力は「家族」を描いているということである。朝ドラの「草創期」を知る『お はなはん』の演出を手掛けた齊藤暁は、「主人公が一部を除いてずっと女性であるというほかに、 最も大きな特徴として『家族を描く』ということがあるんです。そのときどきで、親子だったり、 夫婦だったりしつつも、日本の家族を描くということがベースにあり、『家族』を描くために、 都会よりも地方のほうが深く色濃いつながりがあるから、地方を描くことになるんです」[ 田幸 2012 p.210] と述べ、『おしん』、『はね駒』のプロデューサーの小林由紀子も「昔からずっと変 わらないのは 15 分という枠と、『家族』が描かれているということです。基本的にはちゃんと 『家族』が描けたら、朝ドラは成功します」「現代であれ、昭和であれ、朝ドラの根底にあるのは、 女性ひとりの生き方より、絶対に『家族』なんです。家族があるからこそ、そこから飛び出し たり、飛び出さなかったり、支えがあったりする。そこにドラマがあるんです」[ 田幸 2012 p.288] と述べている。 日本中のさまざまな場所に住む家族が半年から一年間をかけてみんなで見守る遠いけど近い、 家族のように親しみ深いごく普通の「ひとつの家族」[ 田幸 2012 p.211] の物語、それが朝ドラ なのだ。 2-2.沖縄を舞台に「朝ドラ」 50 年間途切れることなく、続いてきた朝ドラの中で、初めて沖縄が舞台となったのは 2001 年に放送された『ちゅらさん』だ。内容は、沖縄と東京を舞台に、国仲涼子が演じるヒロイン「古 波蔵恵里」の人間的な成長物語が中心に描かれている。脚本家である岡田恵和は、「僕が『ちゅ らさん』の中で描こうとしたのは、家族や親戚、近所の人たちが“干渉し合う人間関係”でした。 個人と家族という関係が、すごくいいかたちで沖縄には残っているということを強く感じた」[ 田 幸 2012 p.162] と述べている。『ちゅらさん』人気によって起こった沖縄ブームは、たいへんな 勢いがあった。視聴率は、平均 22.6%だったものの、沖縄地区だけでは最高 38%を越えた。そ して、劇中で出てきた『ゴーヤーマン』のグッズが発売されると、たちまち人気を集めた。そのブー ムはとどまらず、『ちゅらさん』の続編は朝ドラでの放送ではないが、パート4まで制作された。 『ちゅらさん』のブームから 11 年、2回目の沖縄を舞台にする朝ドラが制作されることになっ た。『家政婦のミタ』で高視聴率を叩き出した脚本家の遊川和彦による『純と愛』というドラマだ。 物語は、女優の夏菜が演じる、宮古島出身の「狩野純」が、大阪のホテルに就職し、人生の伴 侶となる「待田愛」と出会い、2人で人生の荒波を越え、成長していく姿を描くといった内容 となっている。宮古島を舞台とすることを提案した制作統括の山本敏彦チーフプロデューサー は、「宮古の海と空が非常に広いところにほれた」[ 宮古新報 2012.1.20 6 面 ] と宮古島の美しい 景観をポイントにあげた。また、制作過程について、「『純と愛』は、沖縄から大阪に来る話で すが、『沖縄本土復帰 40 周年だから話題になるのでは?』ということで、プロデューサーが考
えたんです。ただ、単に沖縄だけだと『ちゅらさん』ですでにやっているから、大阪をからめて、 みんなで話し合っていくうちに固まっていく感じですね」[ 田幸 2012 p.218] と述べた。 『純と愛』には、宮古島の市民をはじめ、多くの関係者が大きな期待を寄せていた。しかし、 放送終了後に NHK が発表した視聴者対応報告書では、放送開始直後から厳しい意見が多かった。 過去3作に比べると厳しい意見が2倍近く増え、特に 60 代の男女から、「内容が朝向きではな い」、「ドタバタと騒々しい」との意見が多かった。それでも、ドラマの放送が後半に進んでいくと、 30 代以下の世代からは、「前に進む勇気をもらった」、「どんどん展開に引き込まれた」などと 好評価を生んだ。 NHK が発表した視聴者対応報告書において、『純と愛』の賛否両論の意見に分かれていたが、 宮古の地元紙である『宮古新報』と『宮古毎日新聞』ではどう報道され、どう評価されたのか を見てみよう。 3.新聞報道から見た『純と愛』 3-1.『純と愛』の放送開始前の新聞報道 2012 年 10 月1日に『純と愛』の放送が開始された。宮古地元紙の『宮古新報』、『宮古毎日 新聞』の2紙では、『純と愛』の放送決定から、放送終了までに 68 の記事(『宮古新報』27 記事、 『宮古毎日』41 記事)が掲載された。この 68 記事が『純と愛』に何を伝え、どういった役割を 果たしたのかを見てみよう。 2012 年1月 20 日地元紙に初めて『純と愛』の記事が掲載された。その記事の内容は、2012 年秋スタートの NHK 朝の連続テレビ小説が宮古島出身の女性が明るく力強く生きる姿を描く 『純と愛』に決まったとのことだった。11 年ぶりに沖縄が舞台ということと、前回の『ちゅらさん』 がヒットしたということで、地元宮古島が『純と愛』にかける期待は非常に大きかった。 さっそく地元紙は、「番組関係者が市長表敬」との記事や、「NHK 朝ドラ効果に期待大」とい う見出しで、宮古島市推進協議会の発足の記事を掲載し、『純と愛』の放送へ向けて着実に準備 を進めていることを市民に伝えた。 3-2.『純と愛』の放送開始後の新聞報道 そして、10 月1日、ついに宮古島の人々の期待が込められた『純と愛』の放送が開始された。 地元紙は、放送開始と同時に行われた「第一回放送を見る会」についての記事が掲載された。 記事を見てみると、「宮古島の自然がすばらしく描かれていた」と市民の感想が書かれており、『純 と愛』の好スタートを思わせる記事に仕上げられていた。 宮古二紙は、10 月 17 日の記事に、出演者によるトークショーの模様を掲載した。加えて二 紙は第二次・第三次ロケの記事を報道し、1 月 1 日の宮古新報には『純と愛』のロケ地や、コ ラボ商品などについて二面を使い『純と愛』について大きく取り上げていた。ここまでの新聞 報道だけを見れば、『純と愛』が宮古島の人々の期待通りのものだと感じることができる。しかし、 それ以降は記事が掲載されるものの、宮古島の人々の声は少なくなり、新聞を通して市民の『純 と愛』への思いを感じることが難しくなってきた。 結局のところ、『純と愛』は宮古島の人々の期待に応えられた番組だったのだろうか。ドラマ が始まる前から、宮古島が全国放送されることによって、宮古島の知名度をあげ、宮古観光に つながるだろう、『ちゅらさん』のように大きな経済効果が出るだろうといった期待に応えるこ とができたのだろうか。このような期待の大きかった『純と愛』について、ネットには、賛否
沖縄大学人文学部紀要 第 16 号 2014 両論の意見が溢れていた。 この点について、新聞報道ではどうだったのか。この手がかりを知ることができる記事が2 つ掲載された。1つ目は、3月 26 日の『宮古新報』9面に掲載された記事で、その中で宮古島 市推進協議会の砂川恵助幹事長は「純と愛の放送は島の観光産業や経済に大きな効果をもたら した」と述べている。同じく『宮古新報』の4月6日の1面に掲載された記事の中でも、2012 年度の観光客数が過去最高の 41 万人を越えたことについて、入域数増加の要因として、『純と愛』 の放映があげられた。この2つの記事を見てみると、宮古島の人々の期待に応えることができ た番組だったのではないかと感じられた。 放送開始前は地元の人々をはじめ、関係者の中では『ちゅらさん』に続けと、期待が大きかっ た『純と愛』だった。しかし、放送開始後はその期待もなくなってしまったのではないだろうか。 確かにそういった新聞報道ではあったが、全体の記事を見ると番組を盛り上げるための役割と しては、しっかり果たすことができた新聞報道だったのではないかと感じられた。 4.『純と愛』ドラマ関係者へのインタビュー 2013 年6月8日から 10 日にかけて、宮古島で NHK 連続テレビ小説ドラマ『純と愛』の関 係者にインタビューを行った。私たちは関係者にアポイントメントを取り、宮古島におもむき、 地元の人たちが関わった『純と愛』について話をうかがった。以下、インタビューの一部を取 り上げる。 4-1.観光協会 Aさんインタビュー 2013 年6月 10 日、宮古島観光協会にてインタビューを行った。 圓田:ドラマはどうでしたか。 A:(ドラマは)期待したほどではなかったです。ドラマの内容はケンカばかりしていて、暗かっ たし、仕事に行く前に見るものではないと感じました。宮古でも賛否両論の内容でした。 最初は宮古島、後は大阪が出て、宮古島オンリーにしてほしかったです。 圓田:『純と愛』は観光に影響ありましたか。 A :放送自体は観光に影響があったかはわかりませんが、他の番組(宮古島での取材と撮影 以降)に影響があったかもしれないです。しかし、対前年比で観光客が増えているのは 確かです。 圓田:観光協会としての取り組みはどのようなことをしましたか。 A :(本土の)田園都市線の中吊り広告も2カ月入れ、NHK の ステラも 100 万円の広告費を入れて PR しました。楽天ト ラベルさんで「『純と愛』の舞台にいきませんか」ツアーを 企画しましたし、観光協会として 1000 万円の予算を組ん で活性化を図りました。大阪で舞台となった大正区には「ま もる君」ⅲを置いて PR しました。 圓田:お土産の方はどんな感じでしたか。 A :お土産は NHK の縛りが厳しくて、おとおりグラスと泡盛、 カレーなど既定のロゴを入れて売り出したけれど、売れた のは泡盛とおとおりグラスだけでした。視聴率がもう少し良ければ、お土産は売れたかも しれません。その他のイベントでパネルを使うのは難しく、やるなら5%(のロイヤリティ) [ 画像1 宮古まもる君 2011. 9. 6撮影 ]
を NHK エンタープライズに入れてほしいと言われました。 商工会の B さんにもインタビューを行った結果、ドラマについてはあまり良いイメージがな かった事や、NHK の縛りが厳しく、オリジナルのグッズ作成ができなかったなど A さん同様 な答えが返ってきた。 『純と愛』のロゴは、どうしても NHK を通さないと使用できなかったことと、ロイヤリティ を支払うことが条件でそのことが負担となって、お土産に結びつかなかったようだ。実際に、 私たちが宮古島で調査を行った 2013 年6月時点では、宮古空港の土産屋には『純と愛』関連の お土産やグッズは置いていなかった。 ドラマについては良くないという意見が上がった。ドラマの結末はハッピーエンドとはいか なかった。そのことについて不満を抱いた人も多く、納得がいかないという意見もあった。また、 その大きな背景には、2001 年に放送された朝ドラ『ちゅらさん』がある。この事例があるため、 今回のドラマ『純と愛』にも大きな期待を抱いていた。このミスマッチが、「どちらともいえない」 という感想となったのかもしれない。 その他に、『純と愛』は観光に影響はあったかの質問に対し、「他の番組に影響があったかも しれない」という回答があった。この番組というのは、2010 年に民放で放送された島田紳助の プロデュース番組のことである。番組内で宮古島が取り上げられて、宮古島に大きな反響を及 ぼした。2つが放送された時の観光への影響については、宮古島が出している入域観光客数デー タで確認できる。平成 22 年度に島田紳助のプロデュース番組、平成 24 年度の 10 月から3月 まで『純と愛』が放送された時期である。入域観光客数の年度別比較をみると、平成 22 年度 と平成 24 年度はどちらも観光客数が 40 万人を超えており、他年度よりも観光客数が増加して いた。月別比較では、『純と愛』が放送された 10 月以降から3月まで、観光客数が前年比で約 139%を記録するなど、4月から9月に比べ大幅アップしていたⅳ。メディアが関わることで観 光客増加に大きく影響することがわかる。 4-2.エキストラ C さん(自営業)インタビュー 2013 年6月9日、居酒屋「ぶんみゃあ」にてインタビューを行った。 圓田:ドラマはどうでしたか。 C :例えば『あまちゃん』(朝ドラ 2013 年4月から9月)であれば、海の良さ、地方の良さ がでています。脚本の違いもありますが、(『純と愛』では)宮古の自然をみせてほしかっ たし、沖縄の中でも(宮古島は)こんなに違うとみせてほしかったです。ドラマ自体の 評価は、自然がいっぱいあり、ハッピーエンドであってほしかったのに、最後は悲しかっ たですね。あれが宮古島に合っていたのか疑問に思います。宮古の気質でヒットしなかっ た可能性もありますね。 圓田:『純と愛』の放送後、経済効果はありましたか。 C :街の通りも『純と愛』の旗など出して盛り上げていたけど、経済効果があったかはわか らないです。制作サイドだけのお祭りで、宮古全体をあげてのという感じではなかった です。私のお店に『純と愛』のロケ地を巡りに来た人は、1%も満たないと思います。2、 3組いたかどうかかな。期待は凄かったけど、島でイベントをもっとやっても良かった と思います。宮古で一番影響を与えたのは紳助の番組ですね。 圓田:エキストラはどんな感じでしたか。
沖縄大学人文学部紀要 第 16 号 2014 C :エキストラとしての撮影は2日間でした。全て一発 OK でした。撮影は2月だったけど、(ド ラマの内容では)5月の設定で撮影したので寒かったのを覚えています。セリフの言葉づ かいについて NHK 側は「そういう言い方をしたら抗議の電話がくるんじゃないか」って 慎重に撮影をしていました。逆に、民放だと面白い言葉はないかなど、地元のネタを掴も うとしますが、NHK はやはり役所っぽいところがありますね。NHK はギャラが無いで す。民放のドラマでは一度ギャラをもらったことはあります。台詞があると、3、4万はも らえますよ。これからも、宮古のためなら、どんなロケでも参加したいと思っています。 C さんと同様に他のエキストラ出演者にもインタビューを行った。D さんは、沖縄の芸能事 務所に勤めていたこともあり、何かとドラマに関わって、自身もエキストラとして出演しながら、 他のエキストラのキャスティングにも携わっていた。宮古全体で 150 から 200 人がエキストラ として出演したという。 エキストラとして出演していた人も、A さん B さん同様に、ドラマについては良い印象を抱 いているという明確な発言はなかった。しかし、ギャラをもらうか、もらわないかということ ではなく、宮古のためにドラマ出演という話だった。メディアの撮影に対して非常に協力的で はあったが、ドラマの内容が宮古島の人々の感情にそぐわなかったのか、それについてはがっ かりしたようだった。住民の方々も、商店街の活性化を図ろうと『純と愛』を PR したものの、 やはり、NHK サイドの「役所っぽい感じ」がそれを妨げているようであった。 4-3.インタビューからみえた『純と愛』 入域観光客数を比較すれば、観光客が増加していることは確かだったが、インタビューでは『純 と愛』が「観光に影響があり、実感した」という意見はなかった。 『宮古新報』と『宮古毎日新聞』は、『純と愛』の舞台と決定した 2012 年1月から放送後の 2013 年3月までの期間中、それに関連した記事を掲載していた。内容は、番組ロケ、観光、関 連商品についての報道であった。2012 年4月 26 日の『宮古毎日新聞』の1面の記事には「地 域活性化や観光客誘致へとつなげていくのか」と記載されており、『純と愛』の放送開始による 地元の期待がうかがえる。また、2013 年3月 26 日の『宮古新報』の9面では、「純と愛の放送 は島の観光産業や経済効果にも大きな効果をもたらした」と述べ、宮古島にプラスの影響をも らしたのではないかとらえられる。 しかし、報道と現実の差は大きかった。その背景には、4-1でも少し触れたように、2001 年度に放送されていた朝ドラ『ちゅらさん』の影響がある。『ちゅらさん』は『純と愛』と同様に、 沖縄を舞台にした朝ドラであり、平均視聴率は 22.6% で、沖縄地区では最高 38%を記録し、続 編も出るなど人気の朝ドラとなった。劇中に登場した「ゴーヤーマン」は商品化され、沖縄土 産として大ヒットした。そのおかげで、ある物産会社は売り上げが 18%も増加した。『ちゅらさん』 は沖縄ブームに大きく影響したのである。『ちゅらさん』のように、『純と愛』に同じような経 済効果を期待していたようである。しかし、実際には、これぞといった影響を感じることはなかっ た。 エキストラのインタビューにもあったように、地元の人も積極的に撮影に取り組み、協力し たのに、ドラマ自体の内容が暗く、「いまいち」だったことに少なからずがっかりしていた。そ れから、観光協会と商工会へのインタビューから、『純と愛』を宣伝して、島おこしをしようと 思っていたのにも関わらず、NHK サイドの縛りが強く、多くのお土産やグッズを生産すること ができずに終わってしまった。1つ1つの要因が重なって当初島の人々が抱いていた、『純と愛』
に対する期待は次第に薄れていった。 とはいえ、『純と愛』の放映で観光客増加につながったことは事実であった。新聞報道でも『純 と愛』に期待し、経済効果があったと記していた。おそらく『純と愛』の宮古島ロケやドラマ の放映は、観光客増加と宮古島に経済的プラスをもたらしたと考えられる。しかし、舞台となっ た地元民の印象は少し異なっていた。ドラマに対して、「良くない」と言う声もあったし、「経 済効果が出た」と言えない人もいて、新聞報道とのギャップを感じさせた。宮古島住民の人た ちが、抱いていた期待の大きさと、放映された『純と愛』に描かれていた宮古島の姿との齟齬 が生じ、インタビュー調査においては朝ドラ『純と愛』に対する低評価につながったのかもし れない。 5.『純と愛』と宮古島 以上見てきたように、朝ドラ『純と愛』は、2012 年の1月ドラマ決定報道から続いた宮古島 における盛り上がりを、ドラマの放映自体が足を引っ張っていくという形となった。「大河ドラ マや朝ドラなどの NHK ドラマによるご当地の”観光ブーム”」[田幸 2012 p.199]が生じ、 宮古島観光への大幅な効果を見込んでいた宮古島の観光関係者の期待を裏切る結果となった。 その理由の1つは、ドラマのストーリーが「ドロドロ」とした人間関係を描いたもので、従 来のハッピーエンド型の朝ドラとは違っていたことがあげられるだろう。例えば、主人公が宮 古島で念願のホテル開業にこぎ着けるとオープン前に台風で破壊されるエピソードや、夫のた めのホテルを完成させると夫は脳腫瘍で倒れて植物人間状態のままでドラマが終了するなど、 脚本が従来の朝ドラとは異なり、「さわやかな朝」を演出するドラマではなかった。 もう1つの理由は、ドラマの舞台が前半の舞台は大阪、後半の舞台は宮古島となったことだ。 これには NHK の制作側の意図も絡んでいる。制作過程で、プロデューサーが「沖縄本土復帰 40 周年だから話題になるのでは?」と考え、沖縄を舞台とした『ちゅらさん』とは異なるストー リーでドラマを作ろうとしたため、前半の舞台は大阪、後半の舞台は宮古島となったようだ[田 幸 2012 p.218]。このことも、宮古島の人々にとっては、全ストーリーを宮古島で撮影して、 宮古島の美しい自然や宮古の人々の良いところを取り上げてほしかったのではないだろうか。 しかし、朝ドラ『純と愛』の放映は、宮古島への観光客の入 域観光客数を見ると、大いに宮古島のピーアールとなったよう だ。『純と愛』は 2012 年 10 月から全国で放映されたが、2012 年下半期(10 月から3月)までの入域観光客数は 214,337 人 となり、前年比約 139%の伸びとなった。また、ドラマ終了直 後の 2013 年上半期(4月から9月)も、石垣島の新空港完成 による観光客減少の影響も懸念されたが、前年比約 103%の伸 びを示した。ドラマによる「ご当地の観光ブーム」は存在した。 また、ドラマの撮影で使用されたロケ地が地元宮古島のバスツ アーに組み入れられるなどの効果もあった。それは「ハート岩」 と呼ばれる美しいビーチである。 しかし、結局のところ、二つの点で朝ドラ『純と愛』は宮古島を裏切ったのではないか推測 される。一つは、観光での大きな経済効果を期待した宮古島側が思い描いたような劇的な観光 への影響が得られなかったことである。本稿でいう「劇的」とは、『純と愛』のあと朝ドラ枠を 引き継いだ『あまちゃん』の観光への影響が、岩手県久慈市を訪れる観光客数が2倍以上にな [ 画像2 ドラマロケ地 ハート岩 2013. 6. 9撮影 ]
沖縄大学人文学部紀要 第 16 号 2014 ると予想されているような自体を指している。もう1つは、宮古島や「宮古人」の描き方に失 敗した点である。ドラマ放映開始前からの地元民の高まる期待や、地元民のロケでのボランティ アによる積極的な協力にもかかわらず、ドラマに描かれる「宮古人」に対して宮古島の人々が 違和感を抱くような形で放映された。また、宮古島の美しい自然、特に、海とビーチと、青い空を、 もっと朝ドラの中で放映してほしかったのではないだろうか。 結局のところ、朝ドラ『純と愛』の放映は、観光客増加に大いに寄与できたが、宮古島の人々 の心をつかむことはできなかったという結果になったのではないだろうか。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ⅰ 圓田浩二、沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授。 兼濱翔子、沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科4年生。 玉寄彩乃、沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科4年生。 本稿は、1節と5節を圓田、2節と3節を兼濱、4節を玉寄が担当している。 ⅱ 宮古新報は「宮古舞台に朝の連ドラ」、宮古毎日新聞は「宮古出身の女性を描く」となっている。 ⅲ宮古まもる君(みやこまもるくん)は沖縄県の宮古島警察署管内にあたる宮古島列島の道路等に配置され ている警察官型人形の愛称である。「宮古島まもる君」とも呼ばれ、2011 年現在 19 基が設置されており、 全員が兄弟と言う設定である。身長 180cm、体重5kg(足は 50kg の重り装着)。手作業で塗装を行って いるため、1 基ごとに顔が異なる。伝統的には「キモ」系の顔であるが、世代の新しいものは美系となる 傾向がある。(中略)宮古諸島の交通安全のシンボル的存在となっている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%8F%A4%E3%81%BE%E3%82%82%E3%82%8B%E5% 90%9B(一部引用) ⅳ「入域観光客数 年度別比較」※平成 25 年度の統計は 9 月まで 上半期(4 月~ 9 月) 下半期(10 月~ 3 月) 合計 21 年度 174,872 162,484 337,356 22 年度 216,670 187,474 404,144 23 年度 178,745 153,728 332,473 24 年度 199,317 214,337 413,654 25 年度 205,434 0 205,434 宮古島観光協議会が統計した入域観光客数のグラフから引用 「入域観光客数 月別比較」※ 24 年度は 23 年度と比較。25 年度は 24 年度と比較 23 年度 24 年度 25 年度 4 月 21,017 23,291(110.8%) 24,152(103.7%) 5 月 21,793 25,739(118.1%) 23,530(91.4%) 6 月 22,029 28,005(127.1%) 29,432(105.1%) 7 月 36,719 43,489(118.4%) 39,668(91.21%) 8 月 37,391 35,716(95.0%) 42,139(117.98%) 9 月 39,796 43,077(108.2%) 46,513(107.98%) 10 月 33,809 41,755(123.5%) 11 月 22,318 29,958(134.2%) 12 月 20,899 30,749(147.1%) 1 月 19,404 30,606(157.7%) 2 月 25,430 38,484(151.3%) 3 月 31,868 42,785(134.3%) 宮古島観光協議会が統計した入域観光客数のグラフから引用。 ⅴ「宮古の気質」について、仲宗根將二は次のように記述している[仲宗根 2003 pp.141-142] 。 「(前略)人頭税廃止運動という激動の時期であったことも軽視できないが、併せて人頭税運動が、同じ人 頭税社会でありながら八重山ではなく宮古で起きたということも、矢張り宮古が他地域と違っているらし
いことを示しているといえよう。擴悍も慓悍も、国語辞典によれば同じ意味のようである。『すばやくて 強い』『荒々しくて強い』という意味のようだが、平ったく言えば『野蛮』だということになりそうである。 ひとりよがりで、『直情径行』あるいは『積極果敢』とみることもできよう。本来の意味はともかく、近 年は『アララガマ精神』などといって、マスコミ等で評価されているようである」。 文献 宮古の自然と文化を考える会 2003 『宮古の自然と文化-永続的に繁栄する美しい島々-』 新星出版 黄馨儀 2010 「NHK 朝の連続テレビ小説に対する一考察-類型化された女性像:朝ドラのヒ ロインはどのように描かれているか-」 日本マス・コミュニケーション学会 黄馨儀 2013 「テレビドラマにおける戦争描写と戦時の女性表象- NHK 朝の連続テレビ小説 を例に-」 日本マス・コミュニケーション学会 田幸和歌子 2012 『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』 太田出版 参照 HP(2013 年 11 月 11 日 参照) 宮古島観光協会ホームページ http://www.city.miyakojima.lg.jp/gyosei/toukei/kankouyaku.html 宮古島入域観光客数 http://www.city.miyakojima.lg.jp/gyosei/toukei/files/H25-9.pdf NHK 朝の連続テレビ小説 http://www.videor.co.jp/data/ratedata/program/02asa.htm 「じぇじぇじぇ」流行、「あまロス」=「あまちゃん」現象、総ざらい http://www.jiji.com/jc/ zc?k=201309/2013092601153