道内大規模酪農場における HACCP の考え方に基づいた
システムマネジメントの実際と課題
「牛も人もどんどん育つ牧場を目指して~富良野 藤井牧場」
有限会社 藤井牧場 代表取締役社長 藤井 雄一郎 はじめに 牛群の規模拡大、口蹄疫をはじめとする伝染病の多発、配合飼料の史上最高値の更新、TPP 交渉の開始と酪農を取り巻く環境は急速に変化しており、いままでの延長線上で酪農経営を語る ことは難しくなってきています。これからを生き抜くための酪農経営モデルを新たに創出していくこ とが、今まさに求められています。 今講演では、はじめにヨーネ病清浄化への取り組みから学んだことをもとに、なぜ「農場 HACCP」 を牧場に導入しようとしたか?そして「農場 HACCP」とはどういうものか?についてお話します。そ して次に実際、認証取得に向けどのように動いたか、取得後にどのような効果があったかという 点についてお話いたします。最後に、「農場 HACCP」認証制度の推進について、酪農場で農場 HACCP が必要とされるシチュエーションと普及することで得られるメリットについてお話いたしま す。 国際競争に否が応でもさらされるなかで、最も必要なことは消費者目線での畜産物の安全性、 信頼性の確保、言い換えますと、「なぜ日本の牛乳を買わなければならないか?」の問いに答え ることだと私は考えております。「農場 HACCP」が、これからの国際競争の波を乗り越えていくた めの酪農経営の主柱として活用されることを期待しています。 演者紹介 --- 藤井 雄一郎 先生 (有限会社 藤井牧場 代表取締役社長) 1978 年富良野市生まれ。2001 年帯広畜産大学卒業。米国酪農場への研修を経 て有限会社 藤井牧場入社。2009 年より現職。2010 年に牧場内にチーズ工房を設 立、市内レストラン、フラノマルシェ等で販売。2010 年、HACCP 指導員資格、翌 2011 年には HACCP 審査員資格を取得。2012 年、自身の牧場が日本初の HACCP 認証農場として認定された。「牛も人もどんどん育つ牧場」を掲げ、高い生産性と6 次産業化を両立させる新しい酪農経営を展開、2013 年農水省「食料・農業・農村」 政策審議員に任命される。 ---藤井牧場の概要 創業 明治37年(1904 年) 法人化 平成2年 社員数 12名(加工部門2名含む) 年間生産乳量 3303トン(24年度) 経産牛頭数 310頭 経産牛一頭当乳量 11571kg(24年12月時成績) 平均分娩間隔 397日 初産分娩月齢 21ヶ月 なぜ「農場 HACCP」を導入したか? 10年間の悪戦苦闘 平成10年12月に当牧場で9頭のヨーネ病患畜が摘発されました。総頭数の20%を超え る感染率、しかも育成牛の感染がかなり進んでおり、清浄化にはオールアウト(全頭淘汰)し かないといわれるほどの深刻感染牧場となっておりました。 チームの必要性 2ヶ月に一回のヨーネ病の全頭検査で次々に患畜が発見され牧場の牛がどんどん淘汰さ れていきました。発生が一向に収まらないため藤井牧場は十分な防疫対策が取っていない、 このままでは周辺の酪農家にも感染が広まってしまうと不安を招いてしまい、地域、関係団 体との関係性も悪化してしまいました。清浄化に向けて多くの改善項目があり、それを独力 でこなすことは不可能で外部からの協力が必要だったのですが、相談できる専門家も知らず、 途方に暮れ、離農を考えたこともありました。 最終的には10年の年月をかけ、完全に清浄化を果たすことができましたが、この経験から 牧場にとって必要な対策に優先順位をつけて指導できる外部からの協力者の獲得と、経営 者と一緒になってその清浄化に携わってくれるスタッフの育成、そして継続する為の仕組み の構築が牧場経営の肝であると痛感しました。 酪農経営を今後30年続けるためには? ヨーネ病の清浄化が達成され、牧場としての一区切りがついたことで、前社長である父より、代 表を変わるよう命じられました。それならば今後30年間続けることができる酪農を目指そうという 考えで、一から経営を見直すことにしました。当時は TPP という言葉ありませんでしたが、やはり 外部の環境が大きく変わりだしてきていることを肌で感じていました。考えられる脅威は以下のも
のでした。 WTO,日豪 FTA→消費者は日本の牛乳を選択するか? 当時の為替でキロ当たり30円と言われるオーストラリア産に日本の酪農家はどう対抗すればよ いのか?生産性の向上はもちろんですが、それだけでは太刀打ちできない、質という面ではどう でしょうか?「なぜ日本の牛乳を買わなければならないか?」と消費者に問われたときに、酪農家 はどう答えればよいのでしょうか? 伝染病リスク→ヨーネよりも深刻な伝染病が次々に・・・。 BSE,鳥インフルエンザ,口蹄疫等々、家畜伝染病が世界の大きな問題になってきています。大規 模化や流通のグローバル化により深刻な被害が想定されていますが、どのように牧場を防衛す ればよいのでしょうか? 人のマネジメント 大規模化により雇用を抱えるようになりましたが、人の問題は牛よりも難しいと言えます。一頭 当たりの乳量を増加させ、さらに繁殖や周産期の問題をクリアするためには、スタッフの技術の向 上が必須条件。しかし労働力の確保だけでも精一杯という状況で、どうやったら、スタッフが牧場 の方針をしっかりと理解し、本気で取り組んでくれるようになるのでしょうか? どうやったら、これらの脅威と向き合い、30年後も続けることができる酪農経営を作り上げること ができるか?この命題に答えることができたのが、農場 HACCP でした。
農場 HACCP は、そのベースには食品安全マネジメントシステム(ISO22000)
があり、これは HACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point 危害
要因分析・必須管理点方式)という衛生管理システムと、ISO9001 マネジメ
ントシステム(人・組織の管理技術、PDCA サイクル)を融合させたものでし
た。また国の定める法規制を遵守するため飼養衛生管理基準(23年10月
に改訂)が徹底されます。これにより、食の安全、人の管理、そして伝染病
の予防というそれぞれのリスクに対応するシステムということができます。
伝染病から牛達を守り、品質、工程の保証ができ、さらに人のマネジメントを行うことがで きるという「農場 HACCP」はまさにうってつけのマネジメントシステムといえました。システム の導入を図るため、上川家畜保健衛生所に協力を依頼しました。22年の3月には上川家 畜保健衛生所に紹介され、農場衛生指導員の講習に参加し、その場で農場 HACCP の制 度設計に携わり、指導されていた講師の西村獣医にも牧場の指導をお願いしました。 農場 HACCP とはどういうものか? 全員参加のチームを作る キックオフミーティングを全員で行い、生産部と搾乳部の担当を決めました。その後、一人 一人からそれぞれの日常の作業の聞き取りを行い、原材料の確認、日常作業の文章化、フ ローダイアグラムの作成を進めました。あらかじめ決められていることを上から押し付けるの ではなく、いまやっていることをしっかりと把握するということ、そしてこの取組に対して、全員 が関わっているという雰囲気をつくることを重要視しました。 CCP を設定する 原材料と各工程一つ一つについて、危害分析を行いました。食品の安全性に対しての影響 を重大さと頻度について分析し、影響が大きいものを CCP としました。品質に大きな影響を 与える工程に、管理を集中することで、安全性を高めることができました。農家にとっても、何 をしっかり確認すればよいかわかり、時間を集中して使えることになり、HACCP の為に人員 を増加などせずとも、運営できることを知りました。 認証取得に向けて 文章作業作成の詰めの段階に入ったときに、乾乳牛舎の倒壊がありました。積雪の重みに 牛舎が耐えられなかったのです。認証文章審査の締め切りが迫っており、後の処理を考える と到底間に合わないと思い、断念しかけましたが、スタッフに励まされ、文章を提出し無事審 査を通過することができました。この2年間で、スタッフの成長を改めて知る機会となり嬉しく 思いました。その後実地審査にも通過し、平成24年4月に国内初となる農場 HACCP 認証を 取得することができました。(全畜種で14農場の認証、酪農では藤井牧場の他、静岡の佐野 牧場)
認証取得!藤井牧場の実例報告 スタッフの意識変化 認証に向けて2年間取り組むなかでなにより変化したのはスタッフの意識でした。各部門の 責任者はリーダーとして自覚し、他のスタッフに良い影響を及ぼせるようになりました。目標と して掲げた数字に関しても、どん欲にこだわりを見せる姿勢ができてきました。外部との関わ りから牧場が注目されているという意識がよりスタッフを本気にさせる要因となったと考えて います。 乳房炎における事例 慢性型の乳房炎が増えて体細胞が下がりにくくなってきていました。課題の分析などを行い、 搾乳部がチームとして乳房炎の治療と体細胞の低下に向け努力しました。結果は乳房炎の 発生数が、前年と比較して 50%低下することができました。 蹄病における事例 趾皮膚炎(DD)が冬期に多発していました。これは冬場に蹄浴ができないことが原因で、毎 月の削蹄時にも多数の治療牛がでておりました。さらに、育成牛や乾乳牛にも多くの感染牛 がおり、生産性を低下させていました。この問題をしっかりと捉え、対応策を構築し、継続して 治療、抑制にあたることで、削蹄時の治療牛を激減させることができました。 乳製品の加工、販売について 現時点でこの認証が、即販売増につながるようなものではありませんが、バイヤーとの交 渉時に有利に働くこともあります。また、安全に体するスタッフの意識の違いが自然と品質に でてきているとも考えられます。 続けるための仕組み PDCA サイクルをまわす 一度認証を受けると、半年に一度の内部監査、1年半に一回の中間審査などがあります。 これは牧場を後退させないための強力な推進力になります。牧場の運営が行き当たりばった り、人任せにならず、着実にステップを重ね発展していくために重要であると感じ、認証取得 に向けての原動力になりました。結局のところ、ついつい忙しさにかまけて、改善を後回しに してしまう自分自身が一番信用できないと思っているので、自分以外の強制力を置くことで、 経営に規律ができることが大きな利点であると思っています。
課題の分析の効果 農場 HACCP には課題の分析という項目があります。これは先ほどご説明いたしました乳 房炎の取り組みなどにも利用しています。さらに注射針についての取り扱いを決定するため にスタッフ全員でおこなったところ、非常に高い学習効果をだすことができました。 全員が声を出すミーティング 毎日30分程度かけて行うミーティングでは、ほぼ全員が発言し、社内の問題を解決してい きます。ここに牧場の情報が集約されるので、その日出勤しているスタッフには、すべての担 当でおこなわれていることがわかるようになります。大規模化による分業化が進んでいく中で、 牧場全体の動きに興味、関心をもたせるためには必須だと思っております。 どんどん進化する牧場 平成18年の役員会議(チーム F)では、社員の自主性をいかに引っぱりだすか?ということ が、命題としてあげられていました。しかし、現時点では、社員は自ら目標をもち、仕事をおこ なえるように、進化することができました。 何故、スタッフが勝手に動きだすのか? アメリカの経営コンサルタントで、大学教授でもあったカッツェンバッグは、スタッフのコミットメント を引き出す5つの要素をあげていますが、業務プロセスと尺度の明確化、認知および賞賛、MVP パス(ミッション、バリュー、プライド)などの点において、農場 HACCP 導入により、スタッフのコミッ トメントを得る効果を生み出したと考えています。 どのような効果が期待できるか?〜農場 HACCP が日本酪農を救う! 農場 HACCCP の導入が有効だと考えられる状況 後継者のために 規模拡大した牧場が、代替わりをする場合、その後継者には相当な重圧がかかります。自 分の身の丈合わせて経営規模を拡大していった先代と比べ、いきなり大牧場の社長をまか される後継者は、技術も経験も、人間性も不足しており、非常な困難を伴います。そういった 場合に社内の統治システムとして「農場 HACCP」の導入が有効であります。 人のマネジメント 働き手が長続きしない、募集に人があつまらない、スタッフ同士の意思疎通ができていない。 雇用を抱えた酪農場で、人の問題が皆無だという牧場を聞いたことがありません。人は牛よ
りもよっぽど厄介な存在です。社内に方向性をつくり、生産性を向上させるためにも、人のマ ネジメントが必要です。 伝染病リスク 口蹄疫、鳥インフルエンザ等々国際的な交流がますます広がっていく一方で、国をまたぐ 伝染病の防疫は年々難しくなってきています。他の畜種とくらべて、もっとも取り組みが遅れ ていると言われて久しい酪農現場ですが、23年に改訂された飼養衛生管理基準をベースに した牧場内防疫体制を構築することは、経営を存続させるためのリスクマネジメントとして、 最も重要な項目になるのではないでしょうか。 六次産業化 今後、国の方針としてさらに六次産業化が推進されることになると考えられます。既に道内 にも50件近くのチーズ工房がある状況です。実際に自分たちでも六次産業化を行ってみて 思うことは、味がおいしいというのは当然ですが、安全性への要求が非常に強くなってきてい るように感じます。むしろ自分たちが行っている管理などを、しっかりと小売店や卸業者にア ピールするために積極的に認証を取得することで、六次産業化を行う農家全体の安全性、 信頼性を守っていくということが必要になると考えております。 農場 HACCP の普及が及ぼす影響 改善効果があがりやすい 農場 HACCP 導入以後、藤井牧場ではいくつもの改善について取り組んできましたが、改善 効果があがりやすくなってきました。これは、実際に作業を行うスタッフの理解の深まりやモ チベーション向上などが大きく影響しているのではないかと思っています。改善活動を行う意 味をしっかりと捉えること、そしてその評価を数値化することで、効能感が得られること、さら に改善の成功体験をすることにより、さらに自信や自主性を引き出すことができているからで す。 汎用化しやすくなる 農場 HACCP 取得農場による改善事例は、手法、問題点などの記録が残るため、他の牧場 でもより具体的な情報が伝わりやすく、生産性の向上につながるのではないかと思っており ます。また、それを受け入れる側牧場でも農場 HACCP の手法を用いた管理をしていると、そ の技術の伝達はよりいっそう高速化し、日本酪農の生産性の向上に大きく寄与するものと考 えられます。
治療から予防へ 牛群が大規模化するにつれ、疾病の予防技術の重要性が飛躍的に高まります。予防とは システムを作り出すことであると思います。モレやムダがなく、また継続的に農場の疾病リス クを押さるために農場 HACCP は効果的に利用できると考えられます。 日本の競争力を生み出すことができる グローバル化により農畜産物の流通網は際限なく広まっていくでしょう。コスト的に競争力 がない国の農産物は安いものに駆逐される運命にあります。ただし、国民の健康、食の安全 性を確保するための主権はそれぞれの国が持つことになります。これは SPS 協定のなかで、 科学的に合理性がある安全基準を優先するということが明記されています。また、14億人の 市場がある中国になぜ北海道の牛乳の輸出ができないか?これは BSE の発生がその発端 となっていますが、その後の輸出再開交渉のなかでヨーネ病の清浄化証明を要求されてい ることが原因となっています。国際貿易の中で、自国の交渉を有利に引き出すために、伝染 病がもちだされるのは既に常套手段となっています。コスト面で競争力をだせないのであれ ば、品質、安全性で勝負するしかない日本酪農にとって選択は限られているように感じます。 最後に、リスクを取らないことが、最もリスクになる いま日本酪農は大きな岐路に立たされていると認識しています。たとえ目先の TPP 交渉がどう なろうとも、国際競争のなかで生き残ることができる経営を構築しなければ、将来がありません。 穀物の高騰から北海道のプール乳価は3年連続の値上げとなりましたが、このことにより、国際 競争力が減少したということを忘れていけません。我々酪農業界は、牛群の生産性を上げより低 コストの生乳を産出することとともに、消費者にとって価値のある商品を作る出す努力が求められ ています。 農場 HACCP はまだ歴史もなく、社会的な認知はこれからですが、積極的に推進、普及がなされ ることで、牧場の生産性向上、人のマネジメント、そして食品の安全性向上に寄与するものと信じ ています。今講演をお聞きの方には是非、農場 HACCP の推進、普及にお力を貸していただき、日 本酪農の発展につなげていただきたいと思っております。 中央畜産会 農場 HACCCP について http://jlia.lin.gr.jp/