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館紀要第号〇 俳諧稿そ他分類俳諧枚 紙全紙折紙形式使用そ折袋入 第2期特徴袋付多 俳諧 明治 全紙折 所蔵俳諧枚概要 袋表題名ど込送手落款捺 付箋宛名記袋裏物所 俳諧稿そ他分類 所 蔵 俳 諧 枚 点 枚 干 支 だ 号 記 作 成 代 記 捺雲錦堂小朱東 物 内 容 等 代 推 定 補 編 順 覧

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五 七     はじめに   俳諧一枚摺は、一枚の用紙に印刷された俳諧関係の摺物で、俳人の 間でお互いに配られたものである。俳諧の文字だけでなく、多くは多 色摺の画が加えられていることが特徴となっている。寛政年間から文 化・文政年間にかけて急速な流行を見るようになり、幕末期に庶民の 間にも普及し、明治・大正・昭和期まで続いてい る (( ( 。   俳諧一枚摺は、各時代の俳風や絵画との関連、俳人の交流などを知 る た め に 大 変 貴 重 な 資 料 と い え る。 と く に 近 世 後 期 の 俳 諧 研 究 に は、 一枚摺は欠かせない資料とされる。しかし、資料が散逸しやすく、残 されていてもほとんど整理がされていないため、その研究は遅れた分 野となっていた。近年になり、美術館等の展覧 会 (( ( や 、専門誌の特 集 (( ( が あり、研究も進み、分野についても注目されてきているといえる。   ただ当時、かなり多くの俳諧一枚摺が作成されていたことを考える と、今の発見ではまだ十分とはいえず、研究発展のためにも、その資 料の発見、公開が望まれているところである。   筆者はすでに埼玉県立文書館に収蔵されている武蔵国横見郡久保田 村(現吉見町 ( の新井(侊 ( 家に残る絵入りの歳旦摺物について紹介 し た (( ( 。     本稿では、平成二十五年度から閲覧公開された中山道本庄宿(現本 庄市 ( の戸谷(中屋半兵衛 ( 家の俳諧一枚摺について紹介した い (( ( 。   戸 谷 家 は、 享 保 十 八 年( 一 七 四 三 ( に 本 庄 宿 で 小 間 物 屋 中 屋 を 開 き、代々半兵衛を名乗り、江戸にも出店をもつ、関東でも有数の豪商 として知られた家であ る (( ( 。 また、三代目光寿は、俳名双烏と号した俳 人で、高桑闌更・常世田長翠等の当時著名な俳人と交流があった。四 代 目 光 敬( 俳 号 清 風・ 其 椎 (、 五 代 目 光 孝( 俳 号 榎 蔭 ( も 家 業 の 傍 ら に俳諧に親しんでいる。三代目光寿は、文化期から天保中期にかけて 俳諧活動を一時中断するものの、戸谷家は、三代にわたって俳諧活動 をおこなう、武蔵国北部の春秋庵系の有力俳人の家として知られる存 在であっ た (( ( 。   安政五年(一八五八 ( 四代目光敬の時に御用金未返済を理由に店は 閉じられてしまうが、文書群は現在まで残されている。商業関係の文 書は勿論、俳諧関係の古文書も比較的よく残され、戸谷家文書の特色 となっている。   戸谷家文書は、商業文書を中心とする「Ⅰ一般文書の部」と俳諧文 書を中心とする 「Ⅱ文化の部」 の二つに分けられている。 「Ⅱ文化の部」 は、 A俳諧摺物、 B短冊、 C扇・扇面、 D俳諧書状、 E俳諧版本、 F

中山道本庄宿戸谷(中屋半兵衛)家所蔵の俳諧一枚摺

 

   

中山道本庄宿戸谷(中屋半兵衛 ( 家所蔵の俳諧一枚摺(兼子 (

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文書館紀要第二十七号(二〇一四 ・ 三) 五 八 俳諧稿本・その他の六つに分類されている。俳諧一枚摺は、 A俳諧摺 物と F俳諧稿本・その他のなかに分類されている。      戸谷家所蔵の俳諧一枚摺の概要   戸 谷 家 所 蔵 の 俳 諧 一 枚 摺 は、 七 七 点 あ る。 こ れ ら 一 枚 摺 に は、 干 支 だ け で 年 号 の 記 さ れ て い な い も の や、 作 成 年 代 が 記 さ れ て い な い も の も あ る が、 内 容 等 か ら 年 代 を 推 定 し 補 い、 編 年 順 に 一 覧 に す る と 別 表 の と お り と な る。 最 も 古 い 寛 政 五 年( 一 七 九 三 ( か ら 明 治 五 年(一八七三 ( までの約八〇年間のものである。ただ、この間全期に わたるわけでなく、寛政五年から文化十年(一八一三 ( までの期間の 第1期と天保十一年(一八四〇 ( から明治五年までの期間の第2期に 分 け る こ と が で き る。 数 と し て は、 第 1 期 が 一 二 点( № (~ (((、 第 2 期 が 六 五 点( № ((~ ((( で、 第 2 期 の も の が 八 割 以 上 を 占 め て い る。また、 第2期では、 年により全くない年から嘉永三年(一八五〇 ( の 一 二 点 ま で 様 々 で あ る が、 弘 化 五 年( 一 八 四 八 ( か ら 嘉 永 三 年 (一八五〇 ( の三か年は、一〇点以上と特に多い時期となっている。   第1期の一枚摺物の大きさは、奉書紙の全紙を使用したものがほと ん ど で あ る。 全 紙 を 六 つ 折 に し た も の と、 全 紙 を 折 紙 形 式 で 使 用 し、 それを六つ折や八つ折にしたものがある。また、№2は奉書紙を四分 一に切った中判で、四つ折にしている。   第2期になると、切紙が多くなり、安政二年以降になると、また奉 書紙の全紙を使用したものがほとんどとなる。切紙は、竪が一一㎝か ら二二㎝前後、横は一三㎝から長いもので五六㎝のものもある。切紙 は、二つ折から六つ折にされ、表題のついた袋に入れられている。奉 書紙全紙のものは、折紙形式で使用し、それを三つ折にして、袋に入 れられている。しかし、明治五年の№ ((〔春興〕は、全紙を四つ折に し、袋は付いていない。   第2期の特徴は、袋の付いたものが多いことである。   袋には、表題や連名などが摺り込まれ、送り手の落款印を捺したも の、付箋で宛名を記したものもある。また、袋の裏には、摺物所の印 が捺されているものもある。 「雲錦堂」という小さな朱印である。 「東 都住吉町   雲錦堂製」 (№ (((、「日本橋呉服町   雲錦堂」 (№ ((( と住 所のあるものもあるが、摺物所印のあるものは、嘉永二年と三年に集 中 し て い る。 № ((に は、 摺 物 所「 東 都 瀬 戸 物 町 飯 田 源 蔵 」 と「 彫 工   江川閏」の印があり、彫工の記載の唯一のものである。   袋の表題は、 「春興」 「三節」など摺物の内容を表したもの、内容や 季節にあった物の名やことばを摺り込んでいる。なかには 「底なし腸」 ( № ((( な ど 考 え さ せ ら れ る 表 題 も あ る。 ま た、 差 出 人 と 宛 先 人 の わ か る も の が か な り の 数 あ る こ と は 貴 重 で あ る。 ま た、 「 本 庄 連 」 な ど と 連 名 が 記 さ れ て い る も の や、 「 春 秋 」 の 朱 印 が 捺 さ れ て い る も の も あ る。 № ((の 袋 に は、 「 花 丘 連 」 と あ り、 「 春 秋 庵 」 の 朱 印 が 捺 さ れ、 裏に「雲錦堂」の朱印があることから、連の摺物を雲錦堂が摺って春 秋庵の名で配っていることがわかる。袋表の庵号等も、一枚摺に入集 する俳人名と結びつき、誰から配られたものかがわかる。この頃の春 秋庵は梅笠、無窮庵は太魯、焦林社は西馬、不如庵は寄三、佐倉梅雪 庵 は 如 升、 紙 葉 は 紙 葉 軒 で 音 好( 野 井 (、 橿 寮 閣 は 青 荷 で あ る。 袋 と 中身の摺物が離れずに多数残されていることは貴重であるといえる。

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五 九   内容は、正月に配られる歳旦・春興が多く、そのほか夏興・秋興な ど季節のものや、 改名披露、 追善などもある。絵入りのものが多いが、 模様のものや、文字だけのものもある。   第1期では、双烏の入集したものと、双烏と交遊のある巣兆 ・ 長翠 ・ 士 朗 な ど か ら の 一 枚 摺 で、 絵 が 添 え ら れ た も の も あ る。 № 1 ・ 7 は、 巣兆自身が描いた画を添えている。版下筆者は、 №7の其成のほかは、 記載がない。   第 2 期 で は、 戸 谷 家 の 四 代 目 清 風( 其 椎 (・ 五 代 目 榎 蔭 の 入 集 し た ものも少なくないが、はじめ催主が碩布・太魯関係、次に梅笠・太魯 関係、その後に梅笠・逸淵・西馬関係、さらに逸淵・寄三関係となっ ていく。第2期を通じて春秋庵の系統は変わらない。ただ、同一年に いくつもの連から一枚摺が配られている年が何年もある。また、江戸 の古武良、佐倉の如升が入集したものも多い。   絵は春関連が多いが、 画題は多様である。絵師としては原田圭岳 (四 条 派 (、 柴 田 是 真( 四 条 派 (、 山 形 素 真( 谷 文 兆 門 人 ( の 作 品 が 多 く、 三 人 の 合 作( № ((( も あ る。 他 の 絵 師 は 一、 二 作 品 ず つ で あ る が、 大 西椿年 (南画 (や佐竹永海 (谷文兆門人 (など著名の絵師の作品もある。   版下筆者は、第2期のほとんどの一枚摺に記載されている。前半は ほとんどが松 軒 (( ( の 書で、その後に得 斎 (( ( ・ 鴎 波 ((1 ( ・ 董 斎 ((( ( ・ 董 仙 ((1 ( の 書が多く なる。他に、繞岡輝 松 ((1 ( ・ 梅 素 ((1 ( な どの書もある。   第 1 期 で は 一 枚 に 入 集 者 が 三 人 か ら 二 〇 人 ま で で 遠 方 の 俳 人 が 多 い。第2期は入集者が一、 二人から四〇人くらいまでと様々であるが、 安政二年以降になると、一〇〇人以上のものもあり、最高は安政二年 の№ (1の「春興」で、一五四人の入集者数となっている。      本庄関係の俳諧一枚摺   次に、本庄関係の俳諧一枚摺について見てみたい。   第1期の頃の戸谷家は、三代目双烏が闌更や長翠と盛んに俳諧活動 を行った時期であり、寛政五年に双烏が出版した句集「此まこと」の 中にも本庄連の句を掲載してい る ((1 ( 。 また、寛政四年(一七九二 ( の常 世田長翠筆の「春日満興」は、双烏も含めた本庄連が発行した一枚摺 であ る ((1 ( 。 しかし、戸谷家所蔵のこの時期の一枚摺には本庄連としての 一枚摺は見当たらない。その後、双烏は俳諧活動を中断し、再開する のは第2期となる天保中期ごろと見られる。天保八年(一六三七 ( 二 月に本庄連が川村碩布の米寿の賀会を開き、同年六月には碩布の門弟 太魯を迎え、戸谷邸で双烏と子為春の三人で三吟歌仙を巻き、八月に も碩布・太魯・双烏・為春と女婿清風(其椎 ( の五吟歌仙を巻いてい る ((1 ( 。 九月・十月にも句会が催され、戸谷家では家族ぐるみの俳諧活動 となっている。当時、太魯は本庄に無窮庵を結び、この地の俳諧を指 導しており、碩布はたびたび本庄を来訪している。本庄連の活動も活 発となり、天保八年秋、同九年春、同十二年春に碩布・太魯を含めた 俳諧一枚摺を発行してい る ((1 ( 。 ただ、天保八年と九年の一枚摺には、戸 谷双烏も清風も入集していない。本庄連の一枚摺が何度発行されたか よくわからないが、経費もかかることからそう多くはないと考えられ る。   戸 谷 家 所 蔵 の も の で は、 № ((の 天 保 十 三 年( 一 六 四 二 ( の〔 春 興 〕 と№ ((の安政四年(一八五七 ( の〔春興〕の二点が本庄連として発行 された一枚摺である。 中山道本庄宿戸谷(中屋半兵衛 ( 家所蔵の俳諧一枚摺(兼子 (

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文書館紀要第二十七号(二〇一四 ・ 三) 六 〇   № ((の天保十三年の〔 春 興 ((1 ( 〕(図1 ( は、 袋 表 に 「 あ そ ひ く さ   本 庄連 」 と摺られている。 「あそびくさ 」 は 、 柳のことで 、 春の季語であ る。本紙は中判を三つ折りにしたもので、巻頭に碩布の句を載せ、大 西椿年が描く小鳥と手毬の形のしんこ飴二本を三色刷りで載せ、以下 一行明けて清風を先頭に知一 ・ 為春 ・ 恒女 ・ 鳳毛 ・ 士晦 ・ 楽只 ・ 紫好 ・ 寄亭・池月・辰夏・酔月・有志・清雪・一鶴・双烏まで一六人の句が 続 き、 巻 軸 が 太 魯 の 句 と な る。 版 下 筆 者「 半 僲 書 」 と 記 さ れ て い る。 本 庄 連 が 戸 谷 家 を 中 心 に し て 太 魯 の 指 導 の も と で 活 動 し て い た こ と が わ か る 。   № ((の「 丁 巳 春 」 と あ る 安 政 四 年 の〔 春 興 (11 ( 〕( 図 2 ( で、 袋 に「 初 ミまち   武蔵本荘連」と摺られ、奉書紙を横半分に切った長判を四つ 折りにした用紙に、素真画「琵琶図」が添えられ、其椎をはじめに 汶 平までの二五人の本庄連の連中の句が記され、 そのあとに青荷、 弘湖、 浪兮女、洒雄、ミきを、西馬と春秋庵系の各地の高弟の句が続き、巻 軸が逸淵となっている。版下は鴎波である。   天保十三年と安政四年の本庄連の構成は大きく変わっている。この 一五年間には、 天保十四年十一月に碩布が没し、 弘化元年(一八四四 ( 一月に戸谷為春が一八歳で没している。嘉永二年(一八四九 ( 四月に 双烏が没し、十月には太魯が三八歳の若さで没している。また、久米 逸淵が安政二年(一八五五 ( 六六歳の時に本庄に移住している が (1( ( 、 天 保十一年にも逸淵入集の一枚摺 (№ ((( があり、 嘉永二年の 〔春興〕 (№ ((、№ ((( にも、すでに清風とともに逸淵も入集しており、本庄との 関わりはあったとみられる。   安政四年ごろの本庄連は、逸淵の指導のもとで、 汶 平・其椎が中心 となり活動していたといえる。 汶 平は、本庄宿の飯盛旅籠羽生屋の主 人田村宗吉であ る (11 ( 。 № ((の安政四年の〔春興〕 (図3 ( は、 袋表に「か し の か け 」 と 摺 ら れ   「 橿 寮 閣 印 」 の 印 が あ り、   「 其 椎 様 」 の 小 札 が 付く。碩布ゆかりの橿寮庵発行のもので、奉書紙全紙に二段で一〇九 人 が 掲 載 さ れ、 巻 頭 の 上 段 最 初 に 汶 平・ 其 椎 の 二 人 が 載 り、 「 素 信 」 の朱印で蓬摘図が描かれ、 下段最初に梅笠、 西馬、 洒雄、 浪兮、 弘湖、 逸淵と続き、巻軸に橿寮庵青荷となっている。本庄連とのつながりが わかる。   № ((の 安 政 六 年 の 武 蔵 野 連 の〔 春 興 (11 ( 〕( 図 4 ( は、 右 下 半 分 に 素 真 が柳の下で海苔を干す女性と側で遊ぶ子供を彩色で描き、上下二段で 二八人の句と巻軸に逸淵の句を載せる。上段にある寄 三 (11 ( は 中瀬村(現 深谷市 (、笳 言 (11 ( は 上州今村(現群馬県伊勢崎市 (、真葛と漁友は上州樋 越 村( 同 前 (、 半 湖 は 伊 勢 崎 に 庵 居、 睡 虎 と 花 雄 は 上 州 群 馬 郡、 其 好 は上野台村 (現深谷市 (、 都丸は榛沢村 (現岡部町 (、 青荷は八幡山町 (現 本庄市 ( の人であり、 下段の木奴から保水まで七人は本庄の人である。 同年二月十日に瓢隠居(逸淵 ( 知事で興行がある が (11 ( 、 出席者二八人の うちのかなりの人が重なっている。   本 庄 連 と し て ま と ま り の あ る 一 枚 摺 は、 戸 谷 家 文 書 で は № ((・ № ((・ № ((の三点となる。他には本庄連の中心となっている 汶 平 ・ 其椎 ・ 榎蔭が入集する一枚摺はかなりあ る (11 ( 。   梅 笠 は、 戸 谷 家 に 来 る こ の 時 期 の ほ と ん ど の 連 の 摺 物 に 名 を 見 せ、 単 独 の も の も あ り、 戸 谷 家 や 本 庄 連 と の 強 い 関 係 が う か が い 知 れ る。 梅笠は、碩布の門人で、逸淵の後に春秋庵を継いだ宗匠であ る (11 ( 。   一枚摺に入集する経緯についてみると、№ (1の嘉永七年七月の〔秋

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六 一 興 (11 ( 〕(図5 ( は、 梅 雪 庵 如 升 を 中 心 と す る 下 総 佐 倉 の 連 の 一 枚 摺 で 、 逸淵・西馬とともに其椎も入集している。江戸神田の梅笠から本庄宿 の其椎に宛てられた同年七月六日付の書 状 (11 ( に 「扨さくら如升小摺出来 ニ付、玉句猥ニ加入備貴覧候、御笑受可被下候、尚如升方へ一封御恵 贈希候」とあり、本人の承知なしに句が入集していることもあり、作 成人からでなく、配られる場合もあったことがわかる。      太魯(魯仙)関係の俳諧一枚摺   次に本庄連と関わりの深い太魯関係の一枚摺について、 見てみたい。   太 魯 は、 文 化 九 年( 一 八 一 二 ( 生 ま れ、 比 企 郡 熊 井 村( 現 鳩 山 町 ( の人で、北原姓。別号無窮庵、川村碩布門で、二世六気庵を継いでい る (1( ( 。 師碩布の意志を継いで弘化二年 (一八四五 (に 『八翁六百題発句集』 を刊行、この集は小二、知足庵如是道人と戸谷双烏の三名の序で、春 秋庵梅笠が跋文を書いている。しかし、 太魯は、 嘉永二年(一八四九 ( 十月に三八歳の若さで没している。本庄宿や小川町栃本などを拠点に 活躍していたことが知られてい る (11 ( 。   前項で述べたように、太魯は天保八年頃から戸谷家や本庄連と関わ るようになる。戸谷家文書の一枚摺のなかにも太魯関係のものはかな り多く残っている。すでにみた天保十三年の本庄連の№ ((〔春興〕 は、 巻軸に太魯の句を載せている。   その三年後の弘化二年の№ ((「海晏寺山めくり六くさの楓探題」は 梅笠外四人と太魯の六人の句が載り、左端に「春秋」の印が押されて いる。袋には宛名の小札が貼られ「清風君」と記され、春秋庵梅笠か らの配り物といえる。品川鮫洲の海晏寺は紅葉の名所である。   弘化五年(一八四八 ( には太魯が入集する一枚摺は六点ある。うち 三点は巻軸を梅笠と太魯が並び、 残り三点は太魯が巻軸となっており、 太魯の指導を受ける連や個人の摺物といえる。俳名から人物がわかる ものでは、№ ((の曰二は西戸村(現毛呂山町 ( の山本坊徳栄で碩布門 人、誠廬は番匠村(現ときがわ町 ( の医者、№ (1の仙鳧は江戸の 人 (11 ( 、 № ((の大瓠は桃木村(現ときがわ町 ( の医者、№ ((の甫水は青山 村(現小川町 ( の人である。比企地方の俳人が多く、恐らく碩布の没 後に太魯が引き継いだものと思われる。   年号が記載されていない№ ((の歳旦の一枚 摺 (11 ( ( 図6 ( には、 袋に 「末 広   無窮庵」と摺られ、柴田是真が扇子に印章の図を描き、句ととも に「太魯改魯仙」とあり、太魯が魯仙に改称したことがわかる。   嘉永二年(一八四八 ( の四点の〔春興〕には魯仙の名が見え、同年 春には改名されている。前年春以降この間に改名したといえる。   魯仙名のあるものは五点で、すべて梅笠が巻頭か巻軸に句を載せて いる。№ ((の素雪は平村(現ときがわ町 ( の人で碩布の門人、№ ((の 五 雲 は 黒 山 村( 現 越 生 町 ( の 人、 № ((の 一 遊 は 白 井 沼 村( 現 川 島 町 ( の人、№ ((の楽水は今宿村(現ときがわ町 ( の人、有柳は川角村(現 毛呂山町 ( の人で、ともに碩布の門人である。   すべて表題の摺られた袋がつき、用紙は奉書紙を八分の一にした八 つ 切 判 や 横 半 分 に し た 長 判 な ど で あ る。 絵 師 は、 是 真、 圭 岳 な ど で、 版下は松軒が書いている。弘化五年(一八四八 ( の№ ((春興は、 「末 ひろ」と表題が摺られた袋に、竪三二 ㎝ × 横一一㎝の用紙を横二つ折 りにし、圭岳が末広を描き、金泥で縁取りされた扇面に成隣・太魯・ 梅笠の三人の句が書かれている。翌年の嘉永二年(一八四九 ( の№ (( 中山道本庄宿戸谷(中屋半兵衛 ( 家所蔵の俳諧一枚摺(兼子 (

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文書館紀要第二十七号(二〇一四 ・ 三) 六 二 の 春 興( 図 9 ( は、 「 春 興 」 と 摺 ら れ た 袋 が 付 き、 八 つ 切 の 用 紙 に 是 真が色紙の貼られた鶏の絵馬を描き、色紙の中に成隣・魯仙・梅笠の 三人の句が書かれている。   魯仙は嘉永二年十月に没し、一周忌となる翌三年冬に№ (1の魯仙仏 追 悼 の 一 枚 摺 物 (11 ( ( 図 7 ( が 出 さ れ て い る。 冒 頭 に 魯 仙 仏 の 句 が 載 り、 次に逸淵 ・ 見外 ・ 卓郎 ・ 西馬などの宗匠七名、次に大瓢 ・ 為一 ・ 曰二 ・ 誠廬など一七人、その次に知一・ 汶 平・榎蔭など本庄の門人六人、そ して梅笠と清風が詞をそえて句を載せている。金箔を散らした薄墨色 の用紙を使用し、袋表には「氷る露」と摺られている。戸谷清風が中 心となり発行しており、本庄連と魯仙との強い関係が窺い知れる。   太魯(魯仙 ( の没後、 本庄連の指導は逸淵、 西馬、 寄三と代わるが、 春秋庵を継ぐ梅笠との関わりは強かったと見られ、戸谷家文書には梅 笠関係の一枚摺が多く残されている。      是真関係の俳諧一枚摺   戸谷家所蔵の俳諧一枚摺にはほとんどに絵が添えられている。その 絵 を 描 い た 絵 師 を み る と 、 原 田 圭 岳 (11 ( が 一 二 点 と 最 も 多 く 、 次 に 柴 田 是 真 が 一 〇 点、 山 形 素 真 (11 ( が 八 点、 是 真・ 圭 岳・ 素 真 の 合 作 が 一 点 で、 他 の 作 者 は 一 、二 点 ず つ と な っ て い る 。 落 款 印 の み で 、 銘 の な い № (1 は、№ ((に同印を使用し是真銘があることから是真とした。なお、こ の印は後に素真に譲られたものか、№ ((安政六年の春興では素真が使 用している。   ここでは、とくに幕末から明治にかけて一枚摺物に掲載する絵とし て人気があった是真関係の俳諧一枚摺について見ていきた い (11 ( 。   柴田是真は、蒔絵師として著名で、鈴木南嶺・岡本豊彦に師事、円 山四条派の画家である。幕末から明治にかけて、一枚摺の絵として最 も人気があった絵師であり、とくに江戸の大通として知られる細木香 以とは親しく、香以の一枚摺の絵は是真が多く描いているといわれて い る (11 ( 。   年代をみると、嘉永二年が五点、同三年が二点、安政四年 ・ 同五年 ・ 明治五年が各一点、計一〇点である。前項でみた№ ((を除く九点は春 興である。   嘉永二年の№ (1(図8 ( は切紙に右半分から左下にかけて鉢植えの 黄 色 の 花 を 咲 か せ た 福 寿 草 と 注 連 飾 り を 描 き、 梅 笠 他 四 人 の 句 を 載 せ、 末に 「酉の春   松軒書 (印 (」 と干支と版下筆者名が記されている。 絵には落款のみで作者名がないが、№ ((と同じ落款であるため、是真 の作とわかる。袋には 「筆はしめ」 と摺られ、 「春秋」 の落款が捺され、 袋裏には摺所「雲錦堂」の朱印がある。春秋庵梅笠から配られた一枚 摺である。入集の旧左は青梅の俳人横川貞八郎である。   同年の№ (((図9 ( は、雄鶏の絵馬の上に金箔を散らした色紙がは られ、色紙に梅笠他二人の句と、年、版下筆者を記す。酉年に因み色 紙の下から雄鶏の尾がみえる。   同年の№ (((図 (1( は、右下半分に青畳の上に置かれた羽根箒と朱 肉入れを描き、梅笠他六人の句を載せる。誠廬は番匠村(現ときがわ 町 ( の小室玄長、素雪は平村(現ときがわ町 ( の峯岸寅次郎である。   同年の№ (((図 ((( は、上部から右端にかけ青竹を半分に割った竹 樋 を 渡 し、 水 が 流 れ、 落 ち る 図 を 描 き、 梅 笠 他 一 七 人 の 句 を 載 せ る。 入集者には、梅笠の師八十一翁梅室や、為一、逸淵、西馬がおり、巻

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六 三 末の梅笠の前には戸谷家の四代目清風の句を載せている。   嘉永三年の№ (1(図 ((( は、右半分に三色の菱形模様の袱紗の上に 置かれた能面と散らされた松葉を描き、梅笠他四人の句を載せる。巻 末の句は一遊で、 白井沼村 (現川島町 ( の小高元張である。袋には、 「い ねあくる」の表題と「春秋」の朱印が捺され、梅笠から配られた一枚 摺であることがわかる。   同年の№ (((図 ((( は、緑色の下敷きの上に紙が置かれ、右下に印 籠の付いた矢立と梅の花・蕾が散らされた図を描き、紙の部分に梅笠 他四人の句を載せている。   安政四年の№ (((図 ((( は、左端に満月と桜の木を描き、枝に「是 真」の木札を下げ、 右端にも桜の木が二本描かれ、 それぞれに「素真」 と「圭岳」の落款が書かれた木札を下げている。是真・素真・圭岳の 三人の合作となっている。中央に二段で一五人の句が載る。巻頭一句 と巻末三句には詞書が付いている。安政四年四月に細木香以が催主と なり、浅草の浅草寺裏山で開かれた桜花見の句会の摺物であ る (11 ( 。   同年の№ ((〔春興〕 (図 ((( は、香以とその取り巻きによるもので、 茶屋の主人武田屋馬平、戯作者柳下亭種員、幇間鳥羽屋小三治、俳諧 師の野村守一、牧冬映などで、絵師柴田是真も取り巻きにいた。香以 は、俳諧師、役者、関取、落語家、書画家などと広く交わり、別号が 鯉角、江戸新橋山城河岸の酒屋摂津国屋の子で、俳諧を鳳朗、逸淵に 学ぶ、書は松本董斎に学んだ。安政三年九月に父親が没し、跡目を継 いでいる。安政四年には鯉の絵の収集を始め、秋には永機を招いて鯉 の句会を開いている。   明 治 五 年 の № ((〔 春 興 〕( 図 ((( は、 朱 塗 り の 化 粧 台 を 右 三 分 の 二 に大きく描き、金具の部分などには金泥を使用し、赤色は洋赤が使用 さ れ て い る。 歌 舞 伎 役 者 の 三 代 目 沢 村 田 之 助 で 俳 号 を 曙 山 と 号 し た。 田之助は、幕末から明治にかけて、美人女形として人気を博した。描 かれた化粧台の柄鏡の入れ物には田之助の定紋の 釻 菊をあしらってい る。左に大相撲の関取・行事、新吉原遊郭の花魁、歌舞伎役者の句を 三段に載せている。最後に「梅素書」とあり、宮城玄魚が版下筆者と なっている。田之助は、この年一月に歌舞伎役者を引退し、芝居茶屋 紀伊国屋を経営し始めている。曙山の句の詞書に、引退と俳諧の道へ の出立のことをのべ、句を載せてい る (1( ( 。    おわりに   以上、戸谷(中屋半兵衛 ( 家所蔵の俳諧一枚摺の概観と、本庄関連 の一枚摺、本庄の俳諧指導者の一人太魯関係の一枚摺、幕末・明治期 に絵師としても人気のあった柴田是真関係の一枚摺について、見てき た。   戸谷家所蔵の俳諧一枚摺は、寛政期から明治五年にかけての七七点 の資料である。文化・文政期から天保十年までの空白はあるが、近世 後期から明治にかけての俳諧一枚摺の様相と変遷を知る貴重な資料と いえる。特に、戸谷家文書には俳諧一枚摺以外の俳諧資料も残されて おり、今後様々な角度からの研究が進めることができる。   幕末期の俳諧一枚摺についても、同一年にこれだけ複数のものが残 されている例は少なく、当時爆発的に流行したといわれる俳諧一枚摺 の実態を研究することのできる貴重な資料群といえる。   最後になりましたが、戸谷圭一郎氏には、本編作成にあたり、いろ 中山道本庄宿戸谷(中屋半兵衛 ( 家所蔵の俳諧一枚摺(兼子 (

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文書館紀要第二十七号(二〇一四 ・ 三) 六 四 いろご配慮いただいた。感謝申し上げます。 注 ( (( 雲 英 末 雄 「 多 色 摺 の 歴 史 と 俳 諧 一 枚 摺 を め ぐ っ て 」( 『 江 戸 文 学 』 二 五 、    二〇〇二年六月 (。同 「俳諧一枚摺について」 (柿衛文庫調査図録第三号 『俳    諧一枚摺』平成三年四月 (。 ( ((『俳諧のすり物一枚摺の美』 (平成三年、柿衛文庫 (、 『粋人たちの贈り物    江 戸 の 摺 物 』( 平 成 九 年 、 千 葉 市 美 術 館 (、 『 江 戸 の 華   浮 世 絵 展   錦 絵 版     画の成立過程』 (平成十一年、町田市立国際版画美術館 ( などがある。 ( ((『江戸文学』 二五―多色摺の歴史と俳諧一枚摺― (二〇〇二年六月 (。 『文    学』第六巻第二号―画と文の交響―(二〇〇五年三 ・ 四月 (。 ( (( 拙 稿 『 新 井 ( 侊 ( 家 文 書 に み る 絵 入 り 歳 旦 摺 物 に つ い て 』( 埼 玉 県 立 文    書館『文書館紀要』平成二十五年三月 (。 ( (( 埼玉県立文書館収蔵文書目録第五二集「戸谷家文書目録」平成二十五年    三月。 ( (( 拙稿「関東における地方商人の江戸進出―本庄宿中屋戸谷半兵衛家の経    営実態とその展開―」 (『埼玉県史研究』第二七号、平成四年三月 (。 ( (( 矢羽勝幸編「戸谷文庫俳諧資料集成」昭和四十三年十一月、同「戸谷文    庫 続 俳 諧 資 料 集 成 ― 戸 谷 双 烏 伝 ― 」( 昭 和 五 十 二 年 十 一 月 (。 本 庄 市 「 本 庄    市 史   通 史 編 Ⅱ 」 平 成 元 年 三 月 。 小 林 甲 子 男 「 埼 玉 俳 諧 史 の 人 び と 」( 平 成    三年二月 (。 ( (( 松軒は、文耕堂と号した江戸八丁堀住の書家、野沢氏か。 ( (( 原得斎は幕府儒者で、名は義胤、字は正道。 ( (1( 西村鴎波は丹後田辺藩の右筆と伝えられ、俳号青柿、為山門である。 ( ((( 松本董斎は中井董堂の門人で、通称正輔、正義、草書を得意とした。 ( ((( 薫仙は薫斎の長男、書家で、将棋の駒字を得意とした。 ( ((( 池 田 綾 岡 。 江 戸 日 本 橋 の 呉 服 屋 の 生 ま れ で 、 絵 を 柴 田 是 真 、 書 を 中 川 憲    斎に学ぶ。浮世絵師、書家。 ( ((( 宮 城 玄 魚 。 梅 素 亭 玄 魚 。 は じ め 経 師 屋 で 、 書 画 家 。 御 家 流 書 家 武 田 交 米    に師事。書画の版下を得意とした。俳諧は抱儀門。 ( ((( 戸谷家文書№七九四二。前掲 「戸谷文庫続俳諧資料集成―戸谷双烏伝―」    収録。 ( ((( 前掲「本庄市史   通史編Ⅱ」 。 ( ((( 前掲「戸谷文庫続俳諧資料集成―戸谷双烏伝―」収録。 ( ((( 前掲「本庄市史   通史編Ⅱ」 。 ( ((( 天保十三年   本庄連春興(戸谷家文書№七二〇三 (    (袋表 (「あそひくさ    本庄連」     見て居れハ殖る     様なり残雪    碩布         椿年 (朱印 ( 「楚南」 (しんこ飴図 (     鶏の声さゆるなり今朝の春      清風     数の子のめつらしき程ふえにけり   知一     太箸に三夫婦そろふ山家かな     為春     何事も忘れて清しはつ烏       恒女     田つくりや升て計りてふしの山    鳳毛     思ふ事晴てかすミを見る日かな    士晦     宿かして素顔か見たし懸想文     楽只     一りんて事のたりけり玉つはき    紫好     梅か香や不意と出来たる碁の相手   寄亭     春の水枕にしてそたのしまん     池月     一ツ家の大破風見えて日の長し    辰夏     七種や男世帯も不自由なき      酔月     若水や凡吉事の汲はしめ       有志

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六 五     人の顔計り朧の月夜かな       清雪     口ひるのかわく隙なき御慶哉     一鶴     つく

と見れハ蜆の動きけり    双烏     喰積のかいしきにせん夷帋      太魯       とらのとし      半 僲 書 (朱印 ( 「半后」 ( (1( 安政四年   本庄連春興(戸谷家文書№七二一一 (    (袋表 (「初ミまち     武蔵本荘連」       素真 (朱印 ( 「素真」 (琵琶図 (     雪とけの雫に青む野山かな      其椎     掃退けて鴬まつや散松葉       木奴     いさましきものゝはしめそ小松曳   知一     叱られた子か誉らるゝ真書かな    喜久丸     大空やわたかまりなき春の風     蓼虫     水曳をむすふ手にさす初日哉     蓼水     行もとり杖をはなれす飛小蝶     梅牛     相伴をかへてすゝむる雑煮かな    戸方     世なミよき年柄見えて門かさり    都丸     鴬の初音をミやけはなし哉      兼蔦     月と日を栞りに咲て福寿草      桃樵     薬子と呼れしも今ハむかし哉     月庵       うつくしう俵かさるや里の春     竹二       正月ハ翌日の遊ひの工夫かな     文岱       初鶏や家うち揃ひし朝きけん     文事       枝かへる間を鴬の綾音かな      竹丈       年々の枝のくはりや梅の花      文兼       めつらしき人に逢けり梅やしき    文紙       真直になひくとんとのけふり哉    飛歳       風の香やふと身をかはす藪の梅    軽重       おとろいて見直す夜の柳かな     竹林       取次の立派に出すや懸想文      保水       大箸を景物に出す旅籠かな      三好       初鶏に雛もましりてうたひ鳬     文川       眠らすに居しや初日のつくは山    汶 平       むつましき世にハいつかす削かけ   青荷       溜り井も水上ありてはるの水     弘湖       え方から夜ハしらむかと思ひけり   浪兮女       鴬や立年月のわすれ草        洒雄       長き日のまた

延るはなし哉    ミきを       立日からあふるゝ春のけしき哉    西馬       ちる露や花も及はぬ朝柳       逸淵        丁巳春       鴎波書 (朱印 ( 「昌点」 ( ((( 逸 淵 は 、 児 玉 町 久 米 家 の 養 子 と な っ た と い わ れ 、 川 村 碩 布 の 門 人 で 、 文    政 八 年 ご ろ に 高 崎 に 逸 淵 舎 を 設 け 、 俳 諧 師 と し て 独 立 、 文 政 の 末 年 に 碩 布    よ り 春 秋 庵 を 譲 ら れ 、 春 秋 庵 五 世 を 称 し た 。 天 保 八 年 ( 一 八 三 七 ( 江 戸 に    移住し、 春 秋 庵 を 弟 弟 子 加 舎 梅 笠 に 譲 っ て い る 。し の 木 弘 明「 俳 人 久 米 逸 淵 」     平 成 十年四月。 ( ((( 前掲「本庄市史   通史編Ⅱ」 。 ( ((( 安政六年   武蔵野連春興(戸谷家文書№七二一〇 (     (袋表 ( 「   蜷むすひ    武蔵野連」         素真 (朱印 ( 「霞」 (母子海苔乾し図 (     日すからの遊ひ相手や春の水      寄三     陽炎のうへにももゆるいとまかな    笳言 中山道本庄宿戸谷(中屋半兵衛 ( 家所蔵の俳諧一枚摺(兼子 (

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文書館紀要第二十七号(二〇一四 ・ 三) 六 六     寒かりも出揃ふ梅のちる日哉      真葛     色ふかくなる野の水のぬるミかな    漁友     香をしたふそゝろ歩行や闇の梅     巴静     昇る日の稲つむ顔をてらしけり     塘洲      外に眼のちり処なき初日かな      就淵     夜ハ門の梅もまもるか翁丸       半湖     それ

に色音尽して百千鳥      睡虎     初夢にミしやたしかに初さくら     花雄     蓬莱のうしろへまはる女かな      丈雪     捐火にもまかす旅寝や去年ことし    其好     茶一はい去年とことしのいとま哉    真瓢     水鳥の梢に遊ふ春日かな        真水     幸籠の中まて 餮 るからす哉       香節     花の留守秋のくれにも劣りけり     半 令     うたゝ寝ハ遊ひ労れか草の蝶      司水     松の香にむせて空見る子の日哉     脩太     蜷田にし転ひ合けりもとり水      都丸     しのはしきひとつや梅にほとゝきす   青荷     梅の木も見そへてふかし松飾      木奴     月花にむかふ戸口や藁合子       桃樵     風かをる歯朶のそよきや門かさり    窓蔦     聞人にある黄鳥の初音かな       知一      礼うけを待間匂ふや福寿草       竹女     輩の子を枝に剣けり桃の花       鏡山     身のうへの花咲せあふ睦月哉      汶 平     御降の名を一日のなかめかな      保水     熨斗目着てむかし姿やけさの春     夢香     ミつ輪くむ人もさそふて小松引     久女     こそことしすれあふ袖や日本橋     鴎居     節折もせぬ風ふくやつく

し     可洗     舞そめや扇になひくひとこゝろ     蕾風     古池のふる声なからはつ蛙       逸淵      己未春       鴎波書 (朱印 ( 「昌点」 ( ((( 内 野 勝 裕 『 埼 玉 俳 諧 人 名 辞 典 』 平 成 十 五 年 三 月 。 以 下 、 埼 玉 県 内 の 俳 人    について、特に断らない限りは同書を参考にしている。 ( ((( 前 掲 「 俳 人 久 米 逸 淵 」。 上 州 の 俳 人 に つ い て 、 特 に 断 ら な い 限 り は 同 書    を参考にしている。 ( ((( 戸谷家文書№八〇四四。 ( ((( 戸谷清風・榎蔭の句は以下のとおりである。    初そらの青ミたつるや池水面    清風(嘉永二年[春興]№七一九八 (    酒の酔醒る間もなし松の内     清風(嘉永二年[春興]№七二〇〇 (    眉の茎はらふて向ふはつ日かな   大齢     恵方の枝のにほふまつ風     清風(嘉永四年[春興]№七一七五 (    曳に出たこゝろ引るゝ小松哉    榎蔭    千枝八千枝春もとゝきて梅の花   清風    朝ほらけ眼のさやはつす花の山   其椎(安政二年[春興]№七一六一 (    若草の裏葉も見せぬそよき哉    其椎(安政二年[春興]№七一六八 (    若草の裏葉も見せぬそよきかな   其椎(安政二年[春興]№七二〇六 (    のほる瀬の魚にも月のしつく哉   其椎(安政二年[秋興]№七二一二 (    こつそりと先見て来るやはつ桜   其椎(安政二年[春興]№七二一四 (    若くさのうら葉を見せぬ戦き哉   其椎(安政四年[春興]№七二〇八 (

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六 七 ( ((( 内野勝裕「橿寮碩布と春秋庵をめぐる人々」昭和六十一年七月。 ( ((( 嘉永七年   佐倉梅雪庵秋興(戸谷家文書№七二〇五 (    (袋表 ( 「新涼    佐倉   梅雪庵」         応需   素真書  (朱印「素真」 (鐘旗図 (     飛鳥川よりたしか也天の川   逸淵     来る秋のとりつきかねし日さし哉   西馬     はつ秋や蜘手払ひし庭の松       苣麿     七夕や何にねくらをいそく鳥      音好      深草に声も忍はす啼うつら       其椎      平庭や吹井もミえて萩の花       心月      稲妻や草かけうつるさゝれ水      夷哉      きり

す昼鳴捨のくもりかな     波平      朝皃や花のつよミを蔓に見る      古武良           病後         立しほに箒とりけりけさの秋     梅笠           中川舟中         雰 晴に遠のく月の匂ひかな      如升         寅のふみ月     董仙書    (朱印 (「盛義」 ( (1( 戸谷家文書№七六五〇。 ( ((( 秋 季 三 題 手 合 」( 戸 谷 家 文 書 № 七 九 八 一 ( に は 、 無 窮 庵 季 蕩 に 「 太 魯 」    の印を使用しており、一時期「季蕩」の号も使用していたと見られる。 ( ((( 内野勝裕「橿寮碩布と春秋庵をめぐる人々」昭和六十一年七月。 ( ((( 一葉舎。版下筆者で、 『校正七部集』 『俳諧玉葉集』 などを刊行した。 (松    澤正樹「柴田是真の俳諧一枚摺」前掲『江戸文学』二五 ) 。 ( ((( 嘉永二年   太魯改魯仙披露(戸谷家文書№七一五六 (    (袋表 ( 「   末広     無窮庵」        (是真画扇子に印章図 (     立臼も神     あつかひや松廼内        太魯改魯仙        松軒書   (朱印 ( 「蜻印」 ( ((( 嘉永三年   魯仙仏追悼(戸谷家文書№七二〇一 (    (袋表 ( 「氷る露」      雪垣にへたて        られけり鶴と亀    魯仙仏     木兎の耳引たつる夜風かな      逸淵     吹ちるや古梅の木の葉枝なから    古むら     楮ひてゝやせる流や神無月      見外     聞ものにこゝろハふれす初しくれ   松什     鴨たつや闇に見えすく雨のあし    苣丸     茶のなきも今さらくやしはつ時雨   卓郎     人絶のしてから通る雪見かな     西馬     大空に雲ひとつなきかれ野哉     大瓢     やつと眼をはなして去りぬ帰り花   為一     氷るとハ氷もしらすや宵のうち    曰二     落る日の影雲に見るしくれかな    誠廬     柴凍て折る音遠くひゝきけり     楽水     入口のさくらもありて冬の山     有柳     眼の先の雪吹にくらき夜明哉     雪甫     膝に手をかさねて雪を待日哉     成隣     ちる紅葉窓つき上てなかめけり    玉我 中山道本庄宿戸谷(中屋半兵衛 ( 家所蔵の俳諧一枚摺(兼子 (

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文書館紀要第二十七号(二〇一四 ・ 三) 六 八     水際の草のミ青き氷りかな       一僕     常燈のさす影薄し雪仏         可笠     つなかれて馬ハ軒端にしくれけり    一遊     をし鳥をたゝせて並ふ千鳥哉      一詠     山のやミしはしたゝえて冬の月     如升     初雪の露ものこさす消にけり      青布     露を見し眼もかわかぬに時雨けり    青荷     しとやかな船の夜明て鴨の声      大齢     うきものハ浮ふ木の葉や閼伽の水    知一     立枯の紫苑なつかし雨の門       汶 平     月代や真白にたつ水けふり       鳳毛     挿そへた葉にはえもつや水仙花     有志     ついたてに影見るやうそ啼千鳥     つね女     藪の井の氷りをくたく手向哉      榎蔭       雪かせにへたてられけりといたつきの       経舌より出せし魯仙か遺声耳に       さらぬにはや辺哭のけふとハなりぬ     雪の鶴啼て我をも泣する歟       梅笠       一周忌いとなまんとこゝろさし侍る       むさしのゝ魯仙仏東都の客中に       来りしと見て夢さめけれハ     なき人と語りしハさて霜の声      清風       嘉永庚戌仲冬     得斎書 (朱印 (「飛中」 ( ((( 圭 岳 は 、 原 田 姓 で 、 字 は 林 広 、 名 は 甫 、 号 に 鉄 圭 ・ 後 素 ・ 賤 生 が あ る 。    三河出身で鈴木南嶺にまなび、江戸に住む四条派の画家である。   ( ((( 素 真 は 、 山 形 姓 で 、 江 戸 の 出 身 、 谷 文 兆 の 門 人 で 、 岡 本 豊 彦 、 鈴 木 南 嶺    に も ま な び 、 文 久 二 年 六 月 に 四 五 歳 で 亡 く な っ て い る 。 別 号 に 揺 月 斎 。 永     海 は 、 佐 竹 姓 で 、 名 ・ 字 は 周 村 ・ 愛 雪 ・ 篤 敬 。 会 津 若 松 城 下 の 蒔 絵 師 の 子    として生まれ、江戸で谷文晁の門人、のちに彦根藩御用絵師となる。 ( ((( 櫻 井 武 次 郎「 俳 諧 ― 最 後 の 光 彩 ― 」(『 江 戸 文 学 』二 一 、一 九 九 九 年 一 二 月 (。     松 澤正樹「柴田是真の俳諧一枚摺」 (前掲『江戸文学』二五 (。 ( ((( 森鴎外「細木香以」 。根津美術館「 ZESHIN ―柴田是真の漆工・漆絵・     絵画」平成二十四年十一月。 ( (1( 安政四年   香以春興(戸谷家文書№七二一三 (       むかし語りの花咲爺も有ふれたる樹にさかするのミ、ことし       浅草の御山にハいくほともあらぬに数千株の桜を現する事、       造花の神の工はものかハ     きのふまてしらぬ曇りや花の空   抱義      ( 中略 )       千もとの瓊樹ハ菩薩千手の不可思議をあふき、五百重の芳雲       ハ凡夫千眼の遊戯三昧にたりなん     踏ところ残らす花の台かな     西馬       きのふや花柳の前栽をはなれて、紫のわか

しき名をあらた       む     植かへし花や今としの方違     光女       けふや金龍の後林に入て花の宴の筵をはしめて開く     品定するも花には栄曜哉      香以 ( ((( 明治五年   三朝庵曙山春興(戸谷家文書№七二二九 (       おのれいまたみそしに足らねとも、有に甲斐なき身と成て俳       諧の道に立んことかたく、されは夢はかりなる若中に猶行末       の名こそをしけれと、御恵を蒙りし君連にま見ゆることもめ       てたく、此春を名残として身退くことのうたてけれは     行水のなかれも斯や百千鳥    三朝庵曙山

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六 九 中山道本庄宿戸谷(中屋半兵衛 ( 家所蔵の俳諧一枚摺(兼子 ( ᖺ᭶ ⾲㢟 ฟᡤ ⤮ᖌྡ ⏬㢟 ᭩ ᑍἲ䠄䟛䠅 ❿㽢ᶓ ᢡ⿄ ⾲ ᦾ≀ᡤ ⿄ᑍἲ䠄䟛䠅 ❿㽢ᶓ ᩥ᭩ ␒ྕ ᐶᨻⓍଢ଼㼇㻡㼉㻚㻠 㻚㼇 ኟ⯆㼉 ⛅㤶ᗡᕢ඙䚸㛗⩫䚸ᡂ⨾䚸እ㻝㻣ྡ 䛂⛅㤶䛃 ၈⨾ேᅗ 㻝㻤㻚㻞㽢㻠㻝㻚㻡 ≧䉰 㻣㻞㻝㻢 䛖䛧䠷ᐶᨻ㻡䠹㻚䜔䜘䜂㻚 㼇Ⓨྃ㼉 㛗⩫䚸䜏䛱ᙪ䚸┱ᒣ 㻝㻥㻚㻣㽢㻞㻢㻚㻡 ᅄ䛴 䉰㻣㻞㻞 㻝 䠷ᐶᨻ㻡 䠹㼇 Ⓨྃ㼉 㜑᭦䚸཮ⅲ䚸㌴⵹䚸┱ᒣ䚸඼ᡂ䚸 ᭶ᒃ䚸እ㻝 ྡ ᭷୔䛂⸨ཎ䛃䛂᭷ ୔䛃 ᱜᅗ䠄ᙬⰍ 䠅㻟 㻥㻚㻝㽢㻡㻟㻚㻜 භ䛴 䉰㻣㻞㻞 㻡 䠷ᐶᨻ䠹 㼇Ⓨྃ㼉 ኱Ụ୸䚸᭶ᒃ䚸཮ⅲ䚸୔ᕥ䚸 ኈ ᮁ䚸እ㻝㻞ྡ ᭷୔෗䛂⸨ཎ䛃䛂᭷ ୔䛃 ᴁᅗ䠄ῐᙬ 䠅㻟 㻤㻚㻥㽢㻡㻞㻚㻜 භ䛴 䉰㻣㻞㻞 㻢 ㎮䠷ᐶᨻ㻤䠹㻚 㻚㼇 ෤⯆㼉 㜑᭦䚸㮵ྂ䚸཮ⅲ䚸┱ᒣ䚸እ㻞ྡ ᮾ⨾䛂㟖ཎ䛃䛂ᮾ⨾䛃 ⚄ᐁㆤᦶ↏ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 㻟㻣㻚㻥㽢㻡㻝㻚㻣 භ䛴 䉰㻣㻞㻞 㻠 ᐶᨻ୤㎮㼇㻤㼉㻚㻚 㼇⛅⯆㼉 ி㜑᭦䚸඼ᡂ䚸Ụᡞ཮ⅲ䚸ᮌⴥ䚸 Ὀᫀ ࿋㱟෗䛂࿋㱟䛃 ▼ᇉ䞉ᡪᅗ䠄ῐᙬ䠅 㻟㻥㻚㻟㽢㻡㻞㻚㻡 භ䛴 ὜⳥⯋ 䉰㻣㻞㻞 㻣 䝭䠷ᐶᨻ㻥䠹㻚⛅㻚 ⛅⯆䠄㔠௧⯋᥈㢟䠅 䜏䛱ᙪ䚸཮ⅲ䚸எ஧䚸㛗⩫䚸ኈᮁ䚸 Ⳙ஧䚸஬ⰾ䚸䜏䛱ᙪ䚸እ㻢 ྡ Ⳙ஧䠄ᕢ඙䠅䛂㛵 ᓥ ≬⪋䛃 ၈ዪே䞉၈Ꮚᕸ᫹ᅗ 䠄ᙬⰍ䠅 㻠㻟㻚㻡㽢㻡㻣㻚㻠 ᢡ⣬ ᅄ䛴 䉰㻣㻞㻝 㻡 ୎ᕭ䠷ᐶᨻ㻥䠹㻚௰⛅㻚 㼇⛅⯆㼉 ኈᮁ䚸඼ᡂ䚸እ㻤 ྡ ᑿᙇ⍇⍈ᅬ὜ ඼ᡂ᭩ 㻟㻟㻚㻞㽢㻠㻢㻚㻡 ᢡ⣬ ᅄ䛴 䉰㻣㻞㻞 㻞 䠷ᐶᨻ䠹 㼇Ⓨྃ㼉 ୙஧ᗡ᱈ᒃ䚸኱Ụ୸ᪧᅜ䚸㞷୰ ᗡ᏶᮶䚸⴨㞷ᗡ༗ᚰ䚸௵໬ᗡ᭶ ᒃ䚸᱈ீ㜑᭦䚸እ㻠ྡ䚷䛂ᪧᅜ᡿༳䛃 㻟㻥㻚㻟㽢㻡㻞㻚㻡 ᢡ⣬ භ䛴 䉰㻣㻞㻞 㻟 ᐶᨻ㻝㻞㻚 㻚䛊 ṓ᪦䛋 䛚䛚䛸䜒኱Ụ୸䚸㞷୰䚸୙஧䚸እ㻞ྡ 㻟㻢㻚㻞㽢㻠㻥㻚㻞 ᢡ⣬ ᅄ䛴 䉰㻤㻜㻡 㻝 䠷ᐶᨻ䠹 㼇Ⓨྃ㼉 ช௝䚸ᗡ♸䚸⼗ᅜ䚸㈆⨾䚸䛸䜒ᅜ ⷧᅗ㻔✵ᦾ 㻕㻟 㻢㻚㻥㽢㻠㻥㻚㻝 ᢡ⣬ ᅄ䛴 䉰㻣㻞㻝 㻣 Ⓧ㓀䠷ᩥ໬㻝㻜䠹㻚㻚 㼇᫓⯆㼉 எ஧䚸ᡂ⨾䚸ᕢ඙䚸㐨ᙪ䚸㛗ᩪ䚸 ᨾኈᮁ䚸▼ᾏ䚸⵬⹹䚸㛵ཽ䚸እ㻝 㻝 ྡ䚸䛂▼ᾏ䛃 ㉺ྡྷ㟘ᮧ䛂㩃ᩪ䛃 ᑠ㫽ᅗ䠄ᙬⰍ 䠅㻠 㻟㻚㻤㽢㻡㻣㻚㻜 භ䛴 䉰㻣㻞㻞 㻤 ኳಖᗒᏊ㼇㻝㻝㼉㻚 ╬㼇 ᫓⯆㼉 㐓ῡ䚸ྐ᮶ ᱵᯘᅗ䠄ῐᙬ䠅 ༙௝᭩䛂༙Ⅼ䛃 㻝㻥㻚㻟㽢㻞㻢㻚㻡 ᅄ䛴 ᱜ䜒䛸䛝 㻝㻥㻚㻞㽢㻢㻚㻤 䉰㻣㻝㻤 㻞 ኉ᐥ䠷ኳಖ㻝㻟䠹㻚᫓ 㻚㼇 ᫓⯆㼉 ஑༑⪄☒ᕸ䚸᪥ᮾᮤⓑ ᯇ㘵ᅗ䠄ᙬⰍ 䠅 ༙൛㛩ே᭩ 䛂༙ྡྷ䛃 㻝㻤㻚㻢㽢㻞㻡㻚㻣 ᅄ䛴 ᗏ䛺䛧⭠ 㻝㻤㻚㻡㽢㻢㻚㻢 䉰㻣㻝㻤 㻡 䛸䜙䠷ኳಖ㻝㻟䠹㻚 㻚㼇 ᫓⯆㼉 ☒ᕸ䚸ኴ㩃䚸཮ⅲ䚸Ύ㢼䚸▱୍䚸 Ⅽ᫓䚸እ㻝㻞ྡ ᳺᖺ䛂ᴆ༡䛃 䛧䜣䛣㣩ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ༙൛᭩䛂༙ྡྷ䛃 㻞㻜㻚㻜㽢㻞㻣㻚㻡 ୕䛴 䛒䛭䜂䛟䛥䚷ᮏᗉ㐃 㻞㻜㻚㻜㽢㻥㻚㻠 䉰㻣㻞㻜 㻟 ᘯ໬㻞㻚ኟ 㻚 ᾏ᫷ᑎᒣ䜑䛟䜚භ䛟 䛥䛾ᴁ᥈㢟 ᱵ➟䚸㟢㓉䚸᱒୸䚸ኴ㩃䚸䛖䜑㞝䚸 እ㻝ྡ䚸䛂᫓⛅䛃 㻝㻟㻚㻜㽢㻝㻤㻚㻟 ୕䛴 䜋䛯䜙䛟 䚷䠄 ᮐ䛂Ύ㢼ྩ䛃 䠅 㻝㻟㻚㻜㽢㻢㻚㻣 䉰㻣㻝㻡 㻠 ୎ᮍ䠷ᘯ໬㻠䠹㻚⛅㻚 ⛅⯆䠄ୖ㔝䛻䛶䠅 ኴ㑻ᙪ䚸ᱵ➟䚸ぢእ䚸㔛㞷䚸 ༟ 㑻䚸ᩗ㯮䚸䛂᫓⛅ᗡ䛃 㻝㻞㻚㻤㽢㻝㻤㻚㻞 ୕䛴 ึ䜒䝭䛱䚷䛂᫓⛅ᗡ䛃 㻝㻞㻚㻤㽢㻣㻚㻞 䉰㻣㻝㻡 㻡 䛥䜛䠷ᘯ໬㻡䠹㻚 㻚᫓ ⯆ ᱵ➟䚸᭣஧䚸ᡂຌ䚸ㄔᘊ䚸ኴ㩃 ᱜⰼ䞉⣚ⴥ ᩥ㻝 㻞㻚㻤㽢㻝㻟㻚㻡 ஧䛴 ᫓⯆ 㻝㻞㻚㻤㽢㻢㻚㻥 䉰㻣㻝㻡 㻟 䛥䜛䠷ᘯ໬㻡䠹㻚 㻚᫓ ⯆ ᖐᬕ䚸ኴ㩃 䛂༙┴䛃 ᯇᅗ䠄ᙬⰍ 䠅㻝 㻞㻚㻥㽢㻝㻤㻚㻜 ஧䛴 ᫓᪥㔝 㻝㻞㻚㻥㽢㻥㻚㻞 䉰㻣㻝㻡 㻤 ⏦䠷ᘯ໬㻡䠹㻚䛿䜛 㻚㼇 ᫓⯆㼉 ኴ㩃䚸ᱵ➟䚸௝㫿䚸ụ␃䚸᭶⪃ ᆂᓅ䛂ᆂᓅ䛃 ᪫ᕹ⯪ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻝㻞㻚㻥㽢㻞㻣㻚㻠 ୕䛴 ᫂䜋 䛾 㻝㻞㻚㻤㽢㻥㻚㻢 䉰㻣㻝㻣 㻞 ᠾ⏦䠷ᘯ໬㻡䠹㻚 㻚㼇 ᫓⯆㼉 ᡂ㞄䚸ኴ㩃䚸ᱵ➟ ᆂᓅ䛂✚ᒣஅ⎛䛃 ᡪ㠃ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻟㻞㻚㻜㽢㻝㻜㻚㻥 ᶓ஧ 䛴 ᮎ䜂䜝 㞼㘊ᇽ 㻝㻢㻚㻜㽢㻝㻝㻚 㻞䉰 㻣㻝㻣㻥 ᠾ⏦䠷ᘯ໬㻡䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ྂṊⰋ䚸᱇⣲䚸ᯇொ䚸⋵⏠䚸እ㻞㻥ྡ Ọᾏ䛂ឡ㞷䛃 ⊷᭥ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ⴷ௝᭩䛂᐀⚟䛃 㻞㻝㻚㻞㽢㻞㻤㻚㻞 ୕䛴 ᐩ ㈗ᐤ 㻞㻝㻚㻞㽢㻥㻚㻢 䉰㻣㻝㻤 㻥 䛥䜛䠷ᘯ໬㻡䠹㻚 㻚㼇 ᫓⯆㼉 ኴ㩃䚸኱⎬䚸እ㻤ྡ ᆂᓅ䛂ᆂᓅ䛃 㫽⡲ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂⪋┿䛃 㻝㻥㻚㻢㽢㻝㻤㻚㻝 ஧䛴 ᫓䛾 ᮅ㻝 㻥㻚㻢㽢㻥㻚 㻡䉰 㻣㻝㻥㻜 䛥䜛䠷ᘯ໬㻡䠹㻚 㻚㼇 ᫓⯆㼉 ኴ㩃䚸⏠Ỉ䚸ᑐ㱟䚸ᾷዪ䚸ᮃ᭶ ὸỈ䛂ᏕᲷ䛃 㫽⟽䛩䜚㖊ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂⪋┿䛃 㻝㻥㻚㻣㽢㻝㻤㻚㻜 ஧䛴 ⓒ༓ 㫽㻝 㻥㻚㻢㽢㻥㻚 㻞䉰 㻣㻝㻥㻝 ᘯ໬ᠾ⏦㼇㻡㼉㻚Ꮧ᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᱵ➟䚸䛔䛴䝭䚸ᱵ➗䚸୕⚻䚸ᚰ᭶ ᆂᓅ䛂ᆂ䛃䛂ᓅ䛃 ᳜ᮌ㖊䞉㗑ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂⪋┿䛃 㻝㻥㻚㻣㽢㻞㻣㻚 㻝୕ 䛴䜂 䛸䛾᪥䚷䛂᫓⛅ᗡ䛃 㻝㻥㻚㻢㽢㻥㻚㻡 䉰㻣㻝㻥 㻟 ᠾ⏦䠷჆Ọඖ䠹㻚ᘺ 㼇᫓⯆㼉 ୍ල䚸ぢእ䚸す㤿䚸ᱵ➟䚸኱⎬ ἼᩥⰍ⣬ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻝㻟㻚㻟㽢㻝㻤㻚㻠 ஧䛴 ⰼ⟙ 㞼㘊ᇽ 㻝㻟㻚㻞 㽢㻥㻚㻞 䉰㻣㻝㻣 㻟 表 戸谷家文書俳諧一枚摺一覧       注: 「 」内は印文。

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文書館紀要第二十七号(二〇一四 ・ 三) 七 〇 ჆Ọ⏦㼇ඖ㼉㻚ኟ 㻚 䠷ኟ ⯆䚷 ᩥ㡢䚷 ᐈ ୰䠹 ඵ༑⩝ᱵᐊ䚸ᱵ➟䚸㞷⏠ ᡭ䜎䜚ᩥᅗ䚸ᯇⴥᶍᵝ 䠄✵ๅ䠅 ᯇ㌺᭩䛂⪋┿䛃 㻝㻞㻚㻥㽢㻝㻤㻚 㻞 ஧䛴 䜂䛸ኪ䛩䛧䚷䛂᫓䛃䛂⛅䛃 㞼㘊ᇽ 㻝㻞㻚㻥㽢㻥㻚㻞 䉰㻣㻝㻡 㻥 ⏦䠷჆Ọඖ䠹㻚⛅ 㻚㼇 ⛅⯆㻌ᐈ୰㼉 ᱵ➟䚸ዴ༖䚸㭬㬆䚸୚ර⾨䚸⥘ኴኵ 䚷 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻝㻡㻚㻞㽢㻝㻡㻚㻜 ஧䛴 䛛䜙䛻䛧䛝䚷䛂᫓⛅ᗡ䛃 㻝㻡㻚㻞㽢㻣㻚 㻣䉰 㻣㻝㻡㻣 䠷჆Ọ䠎 䠹㼇 ኴ㩃ᨵ㩃௝ᢨ㟢䛋 ኴ㩃ᨵ㩃௝ ᫝┿ ᮎᗈ䞉༳❶ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻝㻝㻚㻜㽢㻝㻠㻚㻣 ஧䛴 ᮎᗈ䚷↓❓ᗡ 㞼㘊ᇽ 㻝㻜㻚㻤 㽢 㻣㻚 㻡䉰 㻣㻝㻡㻢 㓀䠷჆Ọ䠎䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᱵ➟䚸┿ᑑ䚸⥤⥘䚸ᪧᕥ䚸௵ὒ 䛂㟘䛃䠄᫝┿䠅 ⚟ᑑⲡ䞉ὀ㐃㣭䜚ᅗ䠄 ᙬ Ⰽ䠅 ᯇ㌺᭩䛂⪋┿䛃 㻝㻟㻚㻟㽢㻞㻣㻚㻠 ୕䛴 ➹䛿䛧䜑 㞼㘊ᇽ 㻝㻟㻚㻞㽢㻥㻚㻞 䉰㻣㻝㻢 㻟 㓀䠷჆Ọ䠎䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᱵ➟䚸㩃௝䚸ᡂ㞄 ᫝┿䛂௧ဢ䛃 㭜䛾⤮㤿ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻝㻟㻚㻞㽢㻝㻤㻚㻞 ஧䛴 ᫓⯆䚷䛂᫓䛃䛂⛅䛃 㻝㻟㻚㻞㽢㻥㻚㻣 䉰㻣㻝㻢 㻥 㓀䠷჆Ọ䠎䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᱵ➟䚸㩃௝䚸㟷ᕸ䚸ㄔᘊ䚸እ㻟ྡ ᫝┿䛂᫝┿䛃 ⩚᰿⟨ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂⪋┿䛃 㻝㻟㻚㻞㽢㻞㻣㻚㻣 ୕䛴 ᫓⯆䚷 䛂᫓⛅ᗡ䛃 㞼㘊ᇽ 㻝㻟㻚㻞㽢㻥㻚㻢 䉰㻣㻝㻣 㻜 ᕫ㓀䠷჆Ọ㻞䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᱵ➟䚸㩃௝䚸ᴆ༡䚸཰࿅䚸஬㞼䚸 ⚽㇂䚸୍῱ ᆂᓅ䛂⏠䛃 ㈅ᱩᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻝㻟㻚㻞㽢㻞㻣㻚㻤 ୕䛴 ⰼ䛾᫓䚷䛂᫓䛃䛂⛅䛃 㞼㘊ᇽ 㻝㻟㻚㻠㽢㻥㻚㻡 䉰㻣㻝㻣 㻢 ᕫ㓀䠷჆Ọ㻞䠹㻚 㻚㼇 ᫓⯆㼉 ᱵ➟䚸㩃௝䚸㟷ᕸ䚸እ㻢ྡ ᆂᓅ䚷䛂᪉⏠䛃 ⅆ㖊ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺୺ே᭩䛂㟹䛃 㻞㻜㻚㻜㽢㻞㻣㻚㻟 ୕䛴 ึ᪥ᙳ䚷 䛂᫓⛅䛃 㞼㘊ᇽ 㻞㻜㻚㻜㽢㻥㻚㻠 䉰㻣㻝㻥 㻞 ჆Ọᕫ㓀㼇㻞㼉㻚᫓ 㻚㼇 ᫓⯆㼉 ඵ༑୍⩝ᱵᐊ䚸ྂṊⰋ䚸Ⅽᒣ䚸 す 㤿䚸㐓ῡ䚸ᚰ᭶䚸ᱵ➗䚸Ύ㢼䚸ᱵ➟䚸 እ㻥 ྡ ᫝┿䛂㟘䛃 ➉ᵽᅗ䠄ῐᙬ 䠅㻞 㻜㻚㻜㽢㻞㻣㻚㻢 ୕䛴 ึᡭỈ䚷䛂᫓⛅ᗡ䛃 㞼㘊ᇽ 㻝㻥㻚㻥㽢㻥㻚㻡 䉰㻣㻝㻥 㻤 ᕫ㓀䠷჆Ọ㻞䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ịె䚸Ύ㢼䚸༟㑻䚸㐓ῡ䚸୍ල䚸 ⏤ㄋ䚸ᱵ➟䚸ぢእ䚸ྂṊⰋ䚸Ꮩ➉䚸 እ㻟㻝ྡ 䚷 㻝㻥㻚㻤㽢㻞㻣㻚㻞 ୕䛴 䜟䛛䜏䛸䜚 㻝㻥㻚㻢㽢㻥㻚㻠 䉰㻣㻞㻜 㻜 ᕫ㓀䠷჆Ọ㻞䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᭣஧䚸㩃௝䚸ᱵ➟䚸እ㻝㻢ྡ ᚚ⠇ᩱ⌮ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂⪋┿䛃 㻞㻜㻚㻟㽢㻠㻟㻚㻟 ᅄ䛴 䉰㻣㻞㻜 㻠 ᕫ㓀䠷჆Ọ㻞䠹㻚ᱜ㻚 㼇᫓⯆㼉 ⚽ᬡ䚸ዴ༖䚸ᱵ➟䚸እ㻤ྡ䚸䛂᫓⛅ᗡ䛃 䚷㻝 㻡㻚㻝㽢㻞㻜㻚㻜 ஧䛴 ᘺ⏕✵䚷䛂⚽᭶㐃䛃 ᮾ㒔ఫྜྷ⏫ 㞼㘊ᇽ〇 㻝㻡㻚㻜㽢㻝㻜㻚 㻞䉰 㻣㻝㻣㻤 ᠿ㼇჆Ọ㻟䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᱵ➟䚸⪋⪔䚸㬅ᒣ䚸཭ᒣ䚸ᡂຌ䚸 ᡂ㞄䚸እ㻢 ྡ ᆂᓅ䛂ཎ⏠䛃 ⊧㌴䞉ᡭ䜎䜚ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻝㻟㻚㻜㽢㻞㻣㻚㻞 ୕䛴 䛿䛴༲䚷䛂᫓⛅䛃 㞼㘊ᇽ 㻝㻟㻚㻜㽢㻥㻚㻟 䉰㻣㻝㻢 㻞 ᠿ㼇჆Ọ㻟䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ୍㐟䚸ᱵ➟䚸㔛㞛䚸༓ᯞ䚸୍ャ ᫝┿䛂௧ဢ䛃 ⬟㠃ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻝㻟㻚㻜㽢㻝㻤㻚㻟 ஧䛴 䛔䛽䛒䛟 䜛 䚷䛂 ᫓⛅䛃 㞼㘊ᇽ 㻝㻟㻚㻜㽢㻥㻚㻟 䉰㻣㻝㻢 㻠 ᠿ㼇჆Ọ㻟䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ኱㱋䚸ᱵ➟䚸୍ᩘ䚸㐓ῡ䚸‣Ỉ䚸 እ㻡 ྡ 㟘ᡣ ⱝ㩗䞉Ỉᘬ䛝䞉ᱵⰼᅗ 䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻝㻟㻚㻝㽢㻞㻣㻚㻝 ୕䛴 䛻䛧⫲ 㞼㘊ᇽ 㻝㻟㻚㻝㽢㻥㻚㻢 䉰㻣㻝㻢 㻡 ᠿ㼇჆Ọ㻟䠹㻚 㼇᫓⯆㼉 ᱵ➟䚸ዴ༖䚸㭬㬆䚸⟪✚ ᆂᓅ䛂ཎ⏠䛃 ⚟ᑑⲡᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻝㻞㻚㻣㽢㻝㻣㻚㻤 ஧䛴 ᜨ᪉䚷ⰼ᭶㐃䚷䛂᫓ ⛅䛃 㞼㘊ᇽ 㻝㻞㻚㻣㽢㻥㻚㻜 䉰㻣㻝㻢 㻣 ᠿ㼇჆Ọ㻟䠹㻚᫓㻚 㼇ṓ᪦㼉 ᱵ➟䚸㐓ῡ䚸す㤿 ᯇⴥᅗ䠄✵ๅ䠅 ⴷ௝᭩䛂᐀⚟䛃 㻝㻟㻚㻞㽢㻝㻤㻚㻞 ஧䛴 ୕⠇䚷୕䝒≀䚷䛂᫓䛃 䛂⛅ 䛃 㻝㻟㻚㻝㽢㻥㻚㻝 䉰㻣㻝㻣 㻝 ᠿ㼇჆Ọ㻟䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᱵ➟䚸ⱱᯘ䚸඼Ỉ䚸ゅ୔䚸ᕸỈ䚸 ⏠Ỉ䚸እ㻡 ྡ ᆂᓅ䚷䛂✚ᒣஅ⎛䛃 ୐ⲡ㖊ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻝㻟㻚㻜㽢㻞㻣㻚㻞 ୕䛴 ᖾ⡲䚷䛂᫓⛅䛃 㞼㘊ᇽ 㻝㻟㻚㻜㽢㻥㻚㻟 䉰㻣㻝㻣 㻠 ᠿ㼇჆Ọ㻟䠹㻚 㼇ṓ᪦㼉 ᱵ➟䚸䛂Ọᑑ䛃䛂᫓⛅ᗡ༳䛃 㞷⤖ᬗᅗ䠄ᙬⰍ䠅 㻝㻤㻚㻥㽢㻝㻢㻚㻥 ஧䛴 䉰㻣㻝㻤 㻤 ᠿ㼇჆Ọ㻟䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᱵ➟䚸⪋⪔䚸ᒣ᫂䚸༓௦䚸ዴἨ䚸 እ㻣 ྡ ⣲┿䛂⣲┿䛃 ➹⣬ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂ኝ㞼䛃 㻝㻥㻚㻣㽢㻞㻣㻚㻠 ୕䛴 ஭㛤䚷ⰼୣ㐃䚷䛂᫓ ⛅ ᗡ䛃 㞼㘊ᇽ 㻝㻥㻚㻣㽢㻥㻚㻣 䉰㻣㻝㻥 㻢 ᠿ㼇჆Ọ㻟䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᱵ➟䚸ᡂຌ䚸஭Ⲕ䚸⪋⪔䚸ᡂ㞄 ᫝┿䛂ᑐᰗᒃ䛃 ▮❧ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂ኝ㞼䛃 㻝㻥㻚㻡㽢㻞㻣㻚㻢 ୕䛴 ᜨ᪉ 㞼㘊 ᇽ㻝 㻥㻚㻡㽢㻥㻚 㻡䉰 㻣㻝㻥㻥 ᗒᠿ䠷჆Ọ㻟䠹㻚ึኟ㻚 㼇ኟ⯆㼉 ⴱྂ䚸࿴ᰗ䚸ᐤ୕䚸す㤿䚸ᱵᙪ䚸እ㻡 ྡ 㞄᫓䛂⚽䛃 ㎙ᅗ䠄ᙬⰍᙬ䠅 ⧑ᒸ㍤ᯇᏊ᭩ 䛂⧑ᒸ䛃 㻞㻝㻚㻞㽢㻡㻢㻚㻟 භ䛴 㤿䛾䛿䛺䜐䛡䚷ᱵ ᙪ ஑⠨ᐙ኱ே 㻞㻞㻚㻜㽢㻥㻚㻥 䉰㻣㻞㻜 㻣 ᗒᠿ㼇჆Ọ㻟䠹㻚ኟ㻚 㧗㍯༶ ⯆ ᱵ➟䛂᫓䛃䛂⛅䛃䚸ⴱྂ䚸ⱛ୸䚸 㟼 ᒣ䚸䜒䛸ዪ䚸኱㱋 ᯇᩥ䠄✵ๅ 䠅㻝 㻞㻚㻡㽢㻝㻞㻚㻢 ஧䛴 ᪩䛩䛧䚷䛂᫓⛅ᗡ䛃 㻝㻞㻚㻡㽢㻢㻚㻠 䉰㻣㻝㻡 㻞 ჆Ọᗒᠿ㼇㻟㼉㻚෤ 㻚㼇 㩃௝௖㏣᝚㼉 Ύ㢼䚸ᱵ➟䚸㐓ῡ䚸ྂṊⰋ䚸 ぢ እ䚸ᯇொ䚸ⱛ୸䚸༟㑻䚸す㤿䚸 ᡂ 㞄䚸እ㻞㻞ྡ 䚷 ᚓᩪ᭩䛂㣕୰䛃 㻝㻥㻚㻤㽢㻞㻣㻚㻢 ୕䛴 ị䜛㟢 㻝㻥㻚㻣㽢㻥㻚㻠 䉰㻣㻞㻜 㻝 ჆Ọ㎞஻㼇㻠㼉 㻚㼇 ṓ᪦㼉 ᱵ➟䚸ᮌⰾ䚸ዴ༖䚸㭬㬆䚸⩲ᚿ ᆂᓅ䛂ཎ⏠䛃 ᮨᏊ䞉Ỉᘬᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻝㻟㻚㻠㽢㻝㻤㻚㻡 ஧䛴 ᚚ៞䚷 䛂᫓⛅ᗡ䛃 㻝㻟㻚㻟㽢㻥㻚㻟 䉰㻣㻝㻢 㻢 ㎞஻䠷჆Ọ㻠䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆䚷⾲༶⯆ 䚷᪊᫓⛅ᗡ᥈㢟㼉 ᱵ➟䚸኱㱋䚸Ύ㢼䚸䛴䛽㞝䚸ྂṊ Ⰻ䚸Ἴᖹ䚸㟼ᒣ䚸ᴮⶱ ⷋ䛾䛸䛖ᅗ䠄✵ๅ䠅 㻝㻟㻚㻜㽢㻝㻣㻚㻤 ஧䛴 䛿䛴 ◵㻝 㻟㻚㻜㽢㻥㻚 㻜䉰 㻣㻝㻣㻡 ᖺ᭶ ⾲㢟 ฟᡤ ⤮ᖌྡ ⏬㢟 ᭩ ᑍἲ䠄䟛䠅 ❿㽢ᶓ ᢡ⿄ ⾲ ᦾ≀ᡤ ⿄ᑍἲ䠄䟛䠅 ❿㽢ᶓ ᩥ᭩ ␒ྕ

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七 一 中山道本庄宿戸谷(中屋半兵衛 ( 家所蔵の俳諧一枚摺(兼子 ( ஻䠷჆Ọ㻠䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᱵ➟䛂Ọᑑ䛃䛂᫓⛅ᗡ༳䛃 䚷 㻝㻥㻚㻝㽢㻝㻢㻚㻣 ୕䛴 ᅄ᪉᫓䚷䛂᫓⛅ᗡ䛃 㻝㻥㻚㻜㽢㻡㻚 㻤䉰 㻣㻝㻤㻜 ஻䠷჆Ọ㻠䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᱵ➟䚸⏤ㄋ䚸୍ල䚸ほஅ䚸እ㻥ྡ ᪉ᒣᡙ⏬䛂᪉䛃䛂ᒣ䛃 㔝୍᭹ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂㟹༳䛃 㻝㻥㻚㻣㽢㻞㻣㻚㻤 ୕ 䛴ே 䛾᪥ 䚷䠄 ᮐ䛂඼᳝ྩ䛃䠅 㻝㻥㻚㻤㽢㻥㻚 㻡䉰 㻣㻝㻥㻠 ㎞஻䠷჆Ọ㻠䠹㻚ึኟ㻚 㼇ኟ⯆㼉 㐓ῡ䚸ᘯ†䚸㈆Ṇ ୕ᣋ䛂୕ᣋ䛃 ⥙䞉䜃䛟ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᚓᩪ᭩䛂ᚓᩪ䛃 㻞㻜㻚㻜㽢㻞㻣㻚㻡 ୕䛴 ␚䝭ᡪᏊ 㻞㻜㻚 㻜㽢㻥㻚 㻟䉰 㻣㻝㻥㻣 ჆Ọ኉Ꮚ㼇㻡㼉㻚Ꮧ᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 す㤿䚸ựᖹ䚸እ㻝㻟ྡ ⣲┿⏬䚷䛂㟘䛃 ᮏᰭᅗ䠄ᙬⰍ䠅 㻝㻥㻚㻤㽢㻞㻣㻚㻤 ᅄ䛴 ṑᮕ≀ㄒ䚷ⷀᯘ♫ 㻝㻥㻚㻣㽢 㻣㻚 㻝䉰 㻣㻝㻤㻢 ኉Ꮚ䠷჆Ọ㻡䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 㞞ⲡ䚸✵ᩪ䚸Ⅽᒣ䚸᱈᭶䚸እ㻤 ྡ䛂 ᯘ௝䛃 ᯇ᭥ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᯇ㌺᭩䛂⪋┿䛃 㻝㻥㻚㻡㽢㻞㻢㻚㻡 ୕䛴 䛯䛽䛚䜝䛧 㻝㻥㻚㻡㽢㻥㻚 㻜䉰 㻣㻝㻥㻡 ჆Ọ㻡㻚䛝䛥䜙䛝㻚 ㈡䠄୕ⰾ㔝ᕌ኱ᐑ ྖྩ፧ጻ⚃㈡䠅 ᱵ➟䚸኱㱋䚸୍➗䚸ᰗᅬ䚸እ㻝㻣ྡ ᆂᓅ෗䛂஧ᐉ䛃 㭯டᅗ䠄ᙬⰍ 䠅 ἲ║ⴷᩪṇ♸ ᭩䛂┒⩏䛃 㻞㻝㻚㻝㽢㻞㻣㻚㻥 ୕䛴 䛒䜂䛚䜂 ᪥ᮏᶫ࿋᭹ ⏫㻌㞼㘊ᇽ 㻞㻝㻚㻞㽢㻥㻚 㻣䉰 㻣㻞㻜㻞 ⏥ᐥ䠷჆Ọ㻣䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 す㤿䚸ⓑ஻䚸ᚓỈ䚸ựᖹ䚸እ㻝㻢ྡ ⣲┿ ⾪❧䞉ย䞉㰘ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 㬑Ἴ᭩ 㻝㻥㻚㻡㽢㻞㻣㻚㻟 ᅄ䛴 ༓㔛ྠ㢼䚷 ⷀ ᯘ♫┕ 㻝㻥㻚㻡㽢㻣㻚 㻝䉰 㻣㻝㻤㻟 ᐥ䠷჆Ọ㻣䠹㻚䜅䜏㻚 㼇⛅⯆㼉 ዴ༖䚸ᱵ➟䚸㐓ῡ䚸す㤿䚸ⱛ㯢䚸 ඼᳝䚸ྂṊⰋ䚸እ㻠 ྡ ᛂ㟂⣲┿᭩䛂 ⣲ ┿䛃 㚝᪝༳ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ⴷ௝᭩䛂ᡂ⩏䛃 㻞㻝㻚㻝㽢㻝㻤㻚㻠 ஧䛴 ᪂ᾴ䚷బ಴䚷ᱵ㞷ᗡ 㻞㻝㻚㻞㽢㻥㻚 㻟䉰 㻣㻞㻜㻡 ⏥ᐥ䠷჆Ọ㻣䠹㻚௰⛅㻚 㼇⛅⯆㼉 ᱵ➟䚸ዴ༖䚸ᚰ᭶䚸Ἴᖹ䚸ⓒ㔛 ⛅ⰼⲡᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ἲ║ⴷᩪṇ᭩ 䛂ṇ♸┒⩏䛃 㻝㻠㻚㻜㽢㻞㻣㻚㻞 ୕䛴 ⛅㞵ᬕ 㻝㻠㻚㻜㽢㻥㻚 㻟䉰 㻣㻝㻣㻣 㼇჆Ọ㼉 㼇ኟ⯆䚷┠ⓑྎₔ ⯆㼉 㐓ῡ䚸ⱛ୸䚸₻ᇽ䚸༙†䚸ᱵ➟䚸 ྂṊⰋ ➟ᩥᅗ ᚓᩪ᭩䛂ᚓ䛃䛂ᩪ䛃 㻝㻞㻚㻣㽢㻝㻢㻚㻥 ஧䛴 ⓠ᭶ᬕ䚷䛂᫓䛃䛂⛅䛃 㻝㻞㻚㻣㽢㻤㻚 㻡䉰 㻣㻝㻢㻜 எ༲䠷Ᏻᨻ㻞䠹㻚᫓㻚 䠷᫓⯆䠹 ྂṊⰋ䚸ⱛ୸䚸඼᳝䚸ᱵ➟䚸 ዴ ༖䚸Ἴᖹ䚸እ㻠 ྡ ⼖䞉⻴⺭ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ⴷ௝᐀⚟᭩䛂ⴷ䛃 㻝㻠㻚㻢㽢㻝㻠㻚㻢 ஧䛴 ⰼ䛾ᐟ 㻝㻠㻚㻡㽢㻥㻚 㻡䉰 㻣㻝㻢㻝 எ༲䠷Ᏻᨻ㻞䛃㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 Ἴᖹ䚸ᱵ➟䚸す㤿䚸ዴ༖䚸඼᳝䚸 ྂṊⰋ䚸㐓ῡ䚸እ䠕 ྡ ᒣཎᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ⴷ௝᐀᭩䛂ᯘ⩏䛃 㻝㻟㻚㻥㽢㻞㻢㻚㻡 ୕䛴 ᫓⯆䚷䠄ᮐ䛂඼᳝ྩ䛃䠅 㻝㻟㻚㻥㽢㻥㻚 㻜䉰 㻣㻝㻢㻤 ༲䠷Ᏻᨻ㻞䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 す㤿䚸㐓ῡ䚸㡢䜘䛧 ᑠ➉⏕䛂ᑠ➉䛃 ᱵᅗ䠄ᙬⰍ䠅 㻝㻥㻚㻤㽢㻝㻤㻚㻟 ୕䛴 ⋢⍞䚷⣬ⴥ 㻝㻥㻚㻤㽢㻢㻚 㻞䉰 㻣㻝 㻤㻠 ༲䠷Ᏻᨻ㻞䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᱵ➟ ᱵᅗ䠄ᙬⰍ䠅 㻝㻥㻚㻤㽢㻝㻟㻚㻥 ஧䛴 ᱵᬺ䚷䛂᫓⛅ᗡ䛃 ᮾ㒔ᮏ⏫஧ ୎┠㻌௒஭〇 㻝㻥㻚㻣㽢㻣㻚 㻜䉰 㻣㻝㻤㻣 Ᏻᨻ༲㼇㻞㼉㻚᫓ 㻚㼇 ᫓⯆㼉 Ꮩ༡䚸ᱵ➟䚸ⱛ㯢䚸඼᥎䚸኱㱋䚸 ὗ㞝䚸༟㑻䚸す㤿䚸⏤ㄋ䚸㐓ῡ䚸 ぢእ䚸㤶௨䚸ྂṊⰋ䚸እ㻝㻢㻥ྡ ᛂ㟂ᆂᓅ䛂᪉⏠䛃 ᱜᒣᅗ䠄ᙬⰍ䠅 㬑Ἴ᭩䛂↷༳䛃 㻠㻠㻚㻟㽢㻡㻤㻚㻜 ᢡ⣬ ୕䛴 ⳹䛴䛸䚷㞼ỈᏙ༡ 䠄ᮐ䛂඼᳝ྩ䛃 䠅 ᮾ㒔℩ᡞ≀ ⏫㣤⏣※ⶶ ᙮ᕤỤᕝ㛨 㻞㻞㻚㻝㽢㻝㻥㻚㻤 䉰㻣㻞㻝 㻠 எ༲䠷Ᏻᨻ㻞䠹㻚䛿䜛 㻚㼇 ᫓⯆㼉 ᱵ➟䚸඼᳝䚸ዴ༖䚸እ㻥ྡ ⣲┿䛂⣲┿䛃 ᕳ≀䞉ᱵⰼᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ⴷᩪṇ᭩䛂┒䛃 㻞㻝㻚㻡㽢㻞㻤㻚㻝 ୕䛴 ༲䛾 ᕳ 㻞㻝㻚㻡㽢㻥㻚 㻢䉰 㻣㻞㻜㻢 Ᏻᨻ㻞㻚ᬌ᫓㻚 㼇㟷ᯞዪ㑏ᬺ⚃㈡䠹 டᖺ䚸Ⲕ㞾䚸す㤿䚸Ⅽᒣ䚸㐓ῡ䚸 እ㻝㻣ྡ 㯳ᒣ䛂㯳ᒣ䛃 㣕㭯䞉ᅵᶫ䞉ⵦබⱥᅗ 䠄ᙬⰍ䠅 㻝㻥㻚㻤㽢㻡㻟㻚㻤 ᅄ䛴 ᱈䛾ᐗ䚷㜿㝧䚷ඃ↛⯋ 㻝㻥㻚㻤㽢㻝㻟㻚㻣 䉰㻣㻞㻜 㻥 Ᏻᨻஎ༲㼇㻞㼉㻚⛅ 㻚㼇 ⛅⯆㼉 ዴἨ䚸⏤ㄋ䚸㐓ῡ䚸ᱵ➟䚸ぢእ䚸 ༟㑻䚸す㤿䚸Ⅽᒣ䚸䛯䜘ዪ䚸ⱛ㯢䚸 ඼᳝䚸ᐤ୕䚸㤶௨䚸እ㻝㻠㻝 ྡ ጁ㞟䛂ᬒ᫬䛃 ᤂ⮻ዪᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ➉වᗃே᭩ 䛂༙⏣᫂䛃 㻠㻜㻚㻟㽢㻡㻡㻚㻡 ᢡ⣬ ୕䛴 ᑒኳ⧑ᴦ㻌ತ㣕䚷ዴἨ ኱㛛㏻ᒾ஭ ୖ⣡ᆅ䚷 ತ 㣕ᡤ䚷ዴἨ 㻞㻜㻚㻜㽢㻝㻠㻚㻠 䉰㻣㻞㻝 㻞 ᕭ䠷Ᏻᨻ㻠䠹㻚䛿䜛 㻚㼇 ᫓⯆㼉 㟷Ⲵ䚸ᱵ➟䚸す㤿䚸ὗ㞝䚸ᾉම䚸 ᘯ†䚸㐓ῡ䚸ựᖹ䚸඼᳝䚸እ㻝㻜㻜 ྡ 䛂⣲ಙ䛃 ⶇ᦬ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 㻟㻤㻚㻣㽢㻡㻝㻚㻠 ᢡ⣬ ᅄ䛴 䛛䛧䛾䛛䛡䚷䛂᷃ᑅ㛶 ༳䛃䚷䠄ᮐ䛂඼᳝ᵝ䛃 䠅 㻝㻥㻚㻟㽢㻝㻟㻚㻝 䉰㻣㻞㻜 㻤 ୎ᕭ䠷Ᏻᨻ㻠䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 㐓ῡ䚸す㤿䚸䝭䛝䜢䚸ὗ㞝䚸ᾉමዪ䚸 ᘯ†䚸㟷Ⲵ䚸ựᖹ䚸඼᳝䚸እ㻞㻟ྡ ⣲┿䛂⣲┿䛃 ⍇⍈ᅗ䠄ᙬⰍ 䠅 㬑Ἴ᭩䚷䛂ᫀ↷䛃 㻝㻥㻚㻠㽢㻡㻢㻚㻟 ᅄ䛴 ึ䝭䜎䛱䚷ṊⶶᮏⲮ㐃 㻝㻥㻚㻠㽢㻝㻠㻚㻟 䉰㻣㻞㻝 㻝 Ᏻᨻ୎ᕭ㼇㻠㼉㻚ዴ 㻚㼇 ᫓⯆㼉 㤶௨䚸䝭䛝䜢䚸す㤿䚸ᢪ⩏䚸እ㻝㻝ྡ ᫝┿䞉ᆂᓅ䞉⣲┿ ‶᭶䞉ᱜᅗ䠄ᙬⰍ䠅 㻠㻟㻚㻢㽢㻡㻤㻚㻞 ᢡ⣬ ᅄ䛴 䚷䉰 㻣㻞㻝㻟 ୎ᕭ䠷Ᏻᨻ㻠䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 㤶௨䚸✀ဨ䚸㤿ᖹ䚸እ㻥ྡ ᫝┿䛂ᑐᰗᒃ䛃 㩾ᅗ䠄ᙬⰍ 䠅 ᆞᒣ㐨ே᭩ 䛂ᆞᒣ䛃 㻠㻟㻚㻡㽢㻡㻣㻚㻟 ୕䛴 䉰㻣㻞㻟 㻜 ᕫᮍ䠷Ᏻᨻ㻢䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 㐓ῡ䚸ᐤ୕䚸㟷Ⲵ䚸ựᖹ䚸እ㻟㻜ྡ ⣲┿䛂㟘䛃 ẕᏊᾏⱏ஝䛧ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 㬑Ἴ᭩䛂ᫀ↷䛃 㻟㻥㻚㻤㽢㻡㻡㻚㻞 ᢡ⣬ ᅄ䛴 ⻱䜐䛩䜂䚷Ṋⶶ㔝㐃 㻞㻜㻚㻜㽢㻝㻠㻚㻞 䉰㻣㻞㻝 㻜 ኉ᠿ䠷ᩥஂ㻞䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ᐤ୕ 㰓㊊ᅗ䠄ᙬⰍ䠅 㻝㻥㻚㻢㽢㻝㻤㻚㻞 ୕䛴 㰓㊊䚷䛂୙ዴᗡ䛃 䠄ᮐ䛂ᴮⶱྩ䛃 䠅 㻝㻥㻚㻢㽢㻢㻚 㻠䉰 㻣㻝㻤㻝 ኉⏦䠷᫂἞㻡䠹㻚᫓㻚 㼇᫓⯆㼉 ୕ᮅᗡ᭖ᒣ䚸ቃᕝ䚸ᗉஅຓ䚸✄ᮏ ᴥᑠ✄䚸ᱵᖾ䚸ᑑ㍜䚸඼⟅䚸 ズ ༖䚸እ㻟㻜ྡ ᫝┿䛂ྂ‶䛃 ໬⢝ྎᅗ䠄ᙬⰍ䠅 ᱵ⣲᭩䛂ᱵ⣲䛃 㻠㻞㻚㻟㽢㻡㻡㻚㻜 ᅄ䛴 䉰㻣㻞㻞 㻥

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文書館紀要第二十七号(二〇一四 ・ 三) 七 二 図1 № 15 椿年画 本庄連春興 天保 13 年(戸谷家№ 7203) 図2 № 72 素真画 本庄連春興 安政 4 年(戸谷家№ 7211) 図3 № 71 素信画 橿寮閣春興 安政 4 年(戸谷家№ 7208)

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七 三 中山道本庄宿戸谷(中屋半兵衛 ( 家所蔵の俳諧一枚摺(兼子 ( 図4 № 75 素真画 武蔵野連春興 安政6年(戸谷家№ 7210) 図6 № 29 是真画 太魯改魯仙披露  嘉永 2 年(戸谷家№ 7156) 図5 № 60 素真画 梅雪庵秋興   嘉永 7 年(戸谷家№ 7205) 図7 № 50 魯仙仏追悼 嘉永 3 年(戸谷家№ 7201)

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文書館紀要第二十七号(二〇一四 ・ 三) 七 四 図8 № 30 是真画 梅笠他春興 嘉永 2 年(戸谷家№ 7163) 図9 № 31 是真画 梅笠他春興 嘉永 2 年(戸谷家№ 7169) 図10 № 32 是真画 梅笠他春興 嘉永 2 年(戸谷家№ 7170)

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七 五 中山道本庄宿戸谷(中屋半兵衛 ( 家所蔵の俳諧一枚摺(兼子 ( 図11 № 35 是真画 梅笠他春興 嘉永 2 年(戸谷家№ 7198) 図12 № 40 是真画 梅笠他春興 嘉永 3 年(戸谷家№ 7164) 図13 № 47 是真画 梅笠他春興 嘉永 3 年(戸谷家№ 7199)

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文書館紀要第二十七号(二〇一四 ・ 三) 七 六 図14 № 73 是真・圭岳・素真画 香以他春興 安政 4 年(戸谷家№ 7213) 図15 № 74 是真画 香以他春興 安政 4 年(戸谷家№ 7230) 図16 № 77 是真画 三朝庵曙山他春興 明治 5 年(戸谷家№ 7229)

参照

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東京都公文書館所蔵「地方官会議々決書並筆記  

ガーゼ、脱脂綿類、試験紙、紙おむつ、薬の外箱等、点滴バック、CAP Dバック及び付属のチューブ類、薬の梱包材料、注射器(プラスチック製 のもの)

変更事項 届出書類等 その他必要書類 届出期限 法人の代表者の氏名

10.業務経歴を記載した書類

(3) 貨物の性質、形状、機能、品質、用途その他の特徴を記載した書類 商品説明書、設計図面等. (4)

事業者名 所在地 代表者役職代表者氏名 本社代表電話番号 担当者所属・役職 担当者電話番号担当者ファクシミリ番号

1  第 52.11 項(綿織物(綿の重量が全重量の 85%未満のもので、混用繊維の全部又は大部分 が人造繊維のもののうち、重量が 1 平方メートルにつき

(補正)R2.2.21 (補正)R2.2.21 記載すべき内容 記載の考え方 該当規定文書