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技能知の認知心理学的研究

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Academic year: 2021

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(1)

教育′い理学教室 高 取 憲 一 郎

Cognitive psychological study of gttο ―σカゲ

Kenlchiro′

PAKATORI

l

は じめ に 技能知 とい う用語 はあまりなじみのない ことばである。わた しは

,こ

の技能知 という概念 を

,渡

植彦太郎 の諸著作 を通 じて学 んだ(0。渡植 によれば,技 能知 は技術知 とは異なる意味 において重要な ものである。すなわち

,技

術知 とは科学技術 に伴 う知能 の ことであ り

,そ

の起源 は西欧文化圏にあ る。 さらに

,そ

れ は知識体系であ り

,そ

れゆえに学校教育 の対象 になる。一方

,技

能知 は前近代的 技術 としての技能 に伴 う知能であ り

,そ

の起源 を非西欧文化圏 に持つ。 さらに

,そ

れ は肉体活動で あ り

,知

的理解抜 きの繰 り返 しの肉体的鍛錬 によって獲得 され る。 したがつて

,マ

ンツーマンによ る訓練 と長い年季 を必要 とし

,学

校教育 の対象にはな らない とされる。 さらに渡植 は

,別

の所で は

,技

術知 を意識的知能 に対応 させ

,技

能知 をユ ングの言 うところの「潜 在意識的知能」 に相 当す るもの とみなしている。 さらにまた

,技

能知 というものを

,柳

田国男の言 うところの「常民の知恵」 において特 に発揮 されているとも考 えている。 この

,柳

田の「常民の知 恵」 は

,一

家 を切 り回す女性 において

,こ

とのほか頻繁 に観察 され るものであ り

,そ

の意味か ら言 って も

,技

能知 こそはまさに「妹 の力」の中核である。 その上 さらに

,渡

植 は

,技

能知が伴 うところの技能 とは

,日

常生活 における経験 の延長であ り洗 練であるとみなす。すなわち

,自

然環境 を傷 つけず

,人

間 と自然 との調和 を保つ ように機能す るも の として技能 を促 えているのである。 ここか ら

,い

ま一つの観点である

,技

能知 を「生活知」 と促 え

,そ

れ は「生活集団」の中で獲得 され るものであるとい う見解が引 き出され る。当然

,一

方の技 術知 は

,日

常生活 とは切 り離 された経済活動の場 において

,す

なわち金儲 け至上主義的な

,商

品の 世界 において獲得 され発揮 される知能である。それ はまた

,自

然 と人間を切 り離 し

,心

と体 を峻別 する ところに生 まれた知能である。 その意味で

,技

術知 は「仕事知」であ り,「仕事集団」において 獲得 され る。 以上のように技能知 を考 える渡植 は

,技

能知 は日本人 の伝統文化 の原点に位置す るものであ り, 技能知の獲得 とい う点 において は

,主

,芸

,職

人 には共通性があると言 う。 このような

,渡

植 と同様 な主張 は

,い

くつかあるが

,現

在 の ところでわた しの目に触れたものに 限って簡単 に概観 してお こう。 まず

,大

田尭t21は

,渡

植 の技能知 に相 当するもの として,「人格知」とい う概念 を使用 している。 大田によれば

,こ

つ とかんか ら成 る手わざは身体 の中にめ りこんだ知識 。技術すなわち「人格知」

(2)

高取憲一郎:技能知 の認矢酌b理学的研究 であ り

,そ

れ はな りわい (生業

)の

中で育て られ る。すなわち

,生

活 と労働 その ものの中で

,し

つ けられなが ら

,以

心伝心で

,見

よう見 まねでわざをおぼえるのである。 それ は

,理

屈 ぬ きにおばえ ることであ り

,事

物 その もの とある種 の関係 をつ くりだすための身体 の動か し方 についての知恵 を 獲得す ることであるとされ る。 その他では

,た

とえば

,中

村雄二郎

0の

「パ トスの知」「臨床 の知」「演劇的知」な どによって表 され るところの,「近代 の知」のあ りかたを乗 り超 える諸概念

,さ

らに

,イ

リイチ “上 山本哲士 (5)などの 「バナキュラー」 とい う概念 な どが

,技

能知や人格知 とほぼ同義 な ものであろう。 ところで

,近

,わ

が国の一部 の認知心理学者 たちが

,以

上 に述べて きた ような視点 に着 日して いるの は興味深 い ことである。 しか も

,一

層興味深い ことは

,そ

れ らの認矢臣い理学者 たちがいずれ もアメ リカのコールの影響 の下 に

,そ

のような観点へ と移行 してい るとい うことである。周知のよ うにコール は

,ネ

オ・ ヴィゴツキー学派 とも言 えるぐらいに

,ヴ

ィゴツキーの心理学 を継承

,発

展 させていることか ら考 えて も

,ヴ

ィゴツキー理論の文化・ 歴史的分脈で人間の行動 と意識 を捉 える という観点が

,ア

メ リカ経 由で はあるが

,わ

が国の認知心理学 の中に浸透 して きているのである。 た とえば

,ヴ

ィゴツキーや レオ ンチ ェフの思想 を独 自の仕方で咀疇 している佐伯酔 の「文化的実 践へのが加」 とい う考 えを見 てみよう161。 佐イ白は

,生

田久美子の著書

0の

補稿 の中で

,こ

の概念 を展開 してい る。それ によると

,子

ども(あ るいは初心者

)が

高い文化的状況 と接触 して学ぶ とい うのは大人 (熟練者)と ともに「文化的実践」 に加わること

,参

力日す ることによるのが

,人

間 にとって もっ とも自然であ り

,適

切 な ものだ とした うえで

,そ

の場合 に

,師

と弟子

,大

人 と子 どもの間 には命令 しそれ に従属す るというような

,非

対 等な関係 はあって はな らない という。む しろ

,両

者 の関係 は

,な

かば対等であ り

,互

いに助 け合 う 関係 にあるとい う。 とい うの は,「文化的実践」の中に新 しい価値 を創造す るという側面 も含 めるな らば

,大

人 あるいは教師の持 っているある一つの価値基準 を子 どもに押付 け

,強

制 し

,そ

の価値基 準で統一 して しまうことは

,か

えってマイナスになるとい う。 なん となれば,「文化的実践」におい ては

,

ときには異質 な ものをも取 り入れ

,さ

まざまな立場か らの「価値 を探 り出す」試みが許容 さ れ

,そ

れ らを通 してさらに活性化 されねばな らないか らである。 佐伯 の このような見解 は

,渡

植 の「生活知」 とか「生活集団」 とい う概念 と類似 してお り

,注

目 すべ きである。 さらに

,最

近出版 された高橋恵子 と波多野誼余夫の著書(9も

,本

稿 の問題意識か ら見て も,また心 理学 にお ける脱近代 を狙 った試み とい う点か ら見て も

,見

逃せない視点 を部分的にで はあるが提起 している。 高橋 と波多野 の著書の提 出 している論点の中で

,注

目すべ き点 は次の三点である。 まず第一 に, 従来の心理学 において優位 を占めて きた人間観 と発達観 を生産第一主義 に基ずいた近代西欧的な, 男性中心的な人間観 として否定 している。 その代わ りに

,社

会的弱者 (障害者

,患

,女

性 など) や文化人類学者がその研究対象 として きた第二世界 の人々の立場 も含 めた人間観・ 発達観 に依拠す べ きだ と主張する。この点で は,バ ル ト出身のブィゴツキー派の研究者であるヴァルシナーの観点191 とも共通す るものがある。第二 に

,先

ほど述べた佐伯 の見解 とも重 なるのであるが

,わ

れわれの知 識や技術 の獲得 の過程 は,共同体 の一員 として共同体 に参加す る中で行 なわれるとす る視点である。 共同体 における他者 との支 えあいによって こそ

,わ

れわれの有能 さは獲得 されると説 くのである。 これ は

,波

多野の別 の著書(10の中で は「参加 しつつ学ぶ」 と呼 ばれているが

,ま

さに佐伯 の「文化 的実践への参加」 と同義である。第二 に

,わ

れわれの言 うところの技能知 に触れているところも非

(3)

常に示唆的である。波多野 によれば

,技

能 の獲得 において は

,言

語的な教示 はあまり重要で はない こと

,教

え手 による手本 (演示

)が

重要であること

,学

び手が困難 を感 じた ときにのみ

,教

え手が 何回か介入す る

,

とい うことを確認 した上で

,そ

こに働 いているメカニズムは「文化 を通 しての学 習」だ と言 う。すなわち

,教

えるとい う意図な しになされているような環境設定が

,学

び手の学習 を促進す るし

,む

しろ

,学

校でのような言語的説明 によって教 えるとい う形式のほうこそが

,日

常 生活で はまれだ とす るのである。 以上 のように

,高

橋 と波多野の この著書 は

,な

かなか興味深い論点 を含んでいるのである。 ところで

,こ

れ まで触れて きたような諸見解 は

,わ

が国以外 のヴィゴツキー研究者 の中にも認 め られ る。すでに触れたヴァルシナーの他 に も

,オ

ラングのファン・ デル・ フェール も同様 の視点 を すでに提出 している(11ち 彼 はヴィゴツキーの もとでル リヤたちが行 なった例 の有名 な中央アジア調査 を批判的 に検討 して いる。 ファン・ デル・ フェール は

,ヴ

ィゴツキーやル リヤたちが

,そ

の調査 を行 なった とき

,彼

ら は明 らかに

,科

学・ 技術 によって代表 され る近代 ヨーロッパ文明の優位 とい う前提 の下 に研究 を進 めた と考 える。すなわち

,言

語や計算体系な どの記号の操作 こそが文化 の中核であ り

,そ

れ らによ って担われた科学・ 技術 の発展 こそが文化 の発展であるとみな した。当然

,そ

のような観点か らす れば

,中

央 アジアのイスラム文化圏 は文化的 には遅れた地域であ り

,ヨ

ーロッパ式の近代学校教育 を導入 して文盲一掃教育 を行 なわねば

,こ

の地域 の近代化

,当

然 その当時 においては社会主義化 の ことであるが

,は

あ りえず

,社

会主義的人間の創出 もあ りえない と考 えられた。 フアン・ デル・ フ ェール は

,こ

のようなヴィゴツキーの文化 の捉 え方 は

,果

た して正 しかったか とい う問題 を提起す る。ブィゴツキー は

,文

化の技術的進化 の側面 のみに文化概念 を限定 して しまって

,社

会的な側面 を軽視 してはいないか

,

と言 うのである。 さて

,以

上見て きたように

,わ

が国の認知心理学者の一部 も巻 き込んで

,従

,近

代西欧の知 の 一つの分野であった心理学の中で

,知

のパ ラダイム転換 とも言 うべ き知 の捉 え返 し

,あ

るいは人間 観の転換が

,い

ま着実 に進行 しているように私 には思われ る。 で は、 それ はどのように行 なわれているか。以下 に

,今

までの議論の中か ら出て くるそのイメー ジをまとめてお こう。 第一 は

,反

近代 あるいは超近代 の思想 を核 としている。 それ は

,反

科学・ 技術 であ り

,反

生産第 一主義であ り

,ま

た学校教育 とは無縁 な ところに成立す る知 を対象 としている。第二 に

,非

西欧で あ り

,第

二世界的であるような世界

,わ

が国の場合であれば伝統文化 の世界 を対象 とす る。 また, それ は庶民の「生活集団」における「生活知」 とか,「常民の知恵」の世界で もある。第二 に

,非

言 語的世界

,肉

体 の世界 を問題 とする。 それ はまた

,潜

在意識 の世界であ り

,以

心伝心 によ り

,パ

ト スの知 によ り伝達 され る世界である。第四に

,反

男性主義

,フ

ェ ミニズムの世界である。第五 に、 人間 と自然 との調和 の世界

,エ

コロジー と共同体 の世界である。 現在

,心

理学 の世界 に生 じているパ ラダイム転換のイメージは

,お

お よそ このような見取 り図に なるので はなか ろうか。 さて

,少

し横道 に逸れて しまったが

,本

稿 で は技能知 に焦点 を絞 って

,職

人 と伝統芸道 の場合 を 対象 にして

,以

上述べて きたようなことが当て はまるか検証 してい くことにしたい。

(4)

高取憲一郎 :技能知の認知心理学的研究

2方

法 職人で は

,畳

職人 (男・大正四年生 まれ・調査 当時七五歳

)と

,桶

構職人 (男・大正七年生 まれ・ 調査当時七二歳

)を

対象 に

,伝

統芸道で は琴 の教師 (女・ 大正十二年生 まれ・ 調査当時六七歳

)を

対象 にして

,聴

き取 りを行 なった。聴 き取 りに要 した時間 は一時間前後である。調査 を行 なった時 期 は1990年■月である。

3結

果 (1)畳職人の場合: 江戸時代か ら360年続 いてる畳屋で

,本

人が12代目である。現在

,妻

,息

子夫婦

,孫

と同居 してい る。以下 に

,イ

ンタビューの抜粋 を示す。 「小 さい ときか ら

,ご

自分の家 の由来 みたいな ものには興味 をお もちだったのですか?」 「そうですな

,お

堀 の前の所 に久松高等小学校 ちゅうのがあって

,そ

れ をしまって

,家

の仕事 を 手伝 いましたけえな。要す るに

,小

学校

6年

しまって

,高

等小学校 っていうのが

2年

あるですがな。 それで

2年

をしまって

,そ

して家 を手伝 えっちゅうことになって

,兵

隊 までな

,何

かす るにして も 兵隊 まで は家 の仕事 を手伝 って

,そ

れか らまた考 えが違 って何かす るだった らする として も

,兵

隊 まで は家の仕事 を手伝 えっちゃなことで手伝 い ましたな。覚 えましたな。 まあ

,結

,結

果 におい てそれが また他 のほうにせんな らんような状態 になって

,物

資が不足 してな

,な

かなか畳屋 もで き んようにな りして

,他

の所 の仕事 をした り

,二

,三

変 えましたけどな。鳥取の大火でみんな焼 けて しまって

,ま

あち ょうど親父 も歳 をとるし

,そ

れで まあや ろうかなあ とい うことで

,畳

屋 にまた も どりましたけえなあ。 そういう点か ら言 うちゅうと

,学

校 を結局

6年

2年

して

,そ

れか ら20まで 家 の仕事 を手伝 ったわけですけえな。」 「子 どもの頃か らお父 さんのお仕事 を見 てお られた?」 「ええ

,見

とりました。家の庭で仕事 をや りょうったです けえな。 うちの親父がや りょうった し, 職人がひ とりきょうりましたな。それで忙 しいけ

,ち

ょっと遊 びに出ずに手伝わないけんぞっちゃ な ことで しょうった こともあ りょったけどな。」 「それ はい くつ ぐらヤゝの ときか らですか?」 「畳 の床 をす る機械があ りましたろうが

,藁

を並べた りしとる

,あ

んなのが まあだいぶ進歩 した のです けども

,わ

しらが家の仕事 を手伝 う前後 つちゅうか

,高

等小学校 ぐらいかな

,の

当時 は

,ま

だ動力で回 らずに人間の力で回 しょうったけえな

,繕

ようつたけえな

,そ

いで

,あ

のハ ン ドルっち ゅうかなんか を

,こ

うやって回さなな らん ことがあ りょうりまして

,そ

んなことを手伝 つた りした ような記憶 はあ りますわな。」 「それ は

,自

分 のほうか ら意識 して手伝 っていたんですか?」 「いやいや

,そ

れ はないですわいな。遊ぶほ うに(笑い

),同

じようなもんが この町に もようけお った もんですけえな。 この町内のほうで遊 んだ り

,今

い うこの裏のほうがやげん堀 ちゃあなんがあ つて

,そ

こで魚 とつた りな

,そ

れか ら袋ナIIあた りにも遊 びに行 きょうったし

,ま

あ学校 の周辺で遊 び ょうりましたしな。それか ら

,お

城 の久松公園

,あ

の付近で もよう遊びに行 きょう りました しな。

(5)

まあ

,進

んで

,そ

の当時

,仕

事手伝 わないけんが ようちゃな気 はなかったなあ。」 「将来

,お

父 さんの仕事 を継 ぎたいなあってい うことは思われたですか?」 「将来なあ。 まあ

,さ

っ きお話 したような具合 に

,母

親がな

,職

は習 っておけばそれをずっ とや りゃあよし

,や

らなあや らいで

,ま

た他 の職 にすわって も

,兵

隊検査 まで は家の仕事 を覚 えとくが ええって言つてな

,家

の仕事 をさわったちゅうか習 つたつちゅうかな。 それで

,そ

の当時 は満鉄 と か北交通 とかな

,海

外 のそういうところに行かれ る人 の募集 をや りょうりましたわな。わ しらも, そんな もんで も行 きたいなあ

,

とい うような気持 ちを持 った こともあ りますな。 それが

,母

親が, 親が言 うことだ し

,ま

ず兵隊検査 まで は家 の仕事 を手伝お うつち ゅうことで

,手

伝 いましたな。」 「そうい う教わ り方 とい うのは

,順

序立 てて

,は

じめに道具 の使 い方か らとい うふ うにですか?」 「 まあ

,そ

うですな。わか らん ことは聞 くし

,教

えて くれ るし

,そ

れか らい きな り難 しい ことを 聞いて もで きんし

,ま

,で

きることか らで きることか ら

,こ

っちのほうが積極的に習 つてい き, 聞いてい き

,見

よう見 まねっちいて言い ますわな。 こんな時 にはこんなふ うに しょうるとかなん と かかん とかい うことで

,今

もう機械 でみんなやって しまうことです けえな。 この畳のへ りを縫いつ けるのにして も

,表

をこうやってはるのにして もな

,み

んな手細工でや りょうつたですけえな。20 で兵隊検査

,こ

れが昭和10年だろうかな

,昭

和10年の12月 10日に出 ましたけえな。」 「兵隊に行かれ るまでには

,技

術 的にはどれ くらいになってお られ ましたか?」 「技術 的にかな。 だいたい まあ

,何

にもこなせ るように

,何

にもで きるようになっ とりましたな あ

,え

え。だけえまあ

,こ

の畳屋

,そ

の当時で言 うっち ゅうと

,こ

の畳の台 を藁で

,藁

をたてよこ, たて よこにして並べた りして こしらえますわな。 それか ら

,そ

れぞれさして もらう家の部屋の寸法 を

,部

屋の大 きさを計 ってな

,部

屋 に歪みがないかってな ことを見 て

,そ

れに対 して寸法 を割 り付 けてな

,割

り付 けてつち ゅうか

,六

畳であればこうやって

,六

畳で こうやって畳 をひ くようなかっ こうにして

,こ

れの幅 はこうい うふ うに寸法 をしようとい うことを決 めて

,そ

れに向って

,表

をは った りへ りを縫 い付 けた り, まず縫 い付 けて。それか らこうやってひつ くり返 して, こんだあ

,こ

れをとめるとかい うような ことで

,ま

,兵

隊になるまでにゃ

,兵

隊 にでるまでにゃあ

,だ

いたい で きるようになっ とりましたなあ。」 (中略) 「初 めは,見よう見 まねで作 つていかれて,わか らない ことが出て きた時 にはどうされ ましたか?」 「そうですな

,そ

の寸法的な もの

,そ

れか らそのす る仕事 のほうでの

,ま

,わ

か らん こととい うような

,ま

あ結局

,親

父が知 っ とることは教 えて くれ ます しな

,だ

けえ

,他

のほうで技術 をあん まり習つた とい うことはないなあ。」 「 じゃあ

,わ

か らない ときは

,お

父 さんのほうに尋ね るとい うことですか?」 「まあ

,だ

いたいそうい うような ことだったですが よう。」 「自分がひ とりで作 られた ものを

,お

父 さんに見ていただいた ときに

,お

父 さんはなにかおっし ゃいましたか?」 「そうだな

,あ

んま りほめ られたっちゃなことはないな。 まあ

,そ

ういうふ うにで きりゃ普通だ ぐらいな ことで しょうかな。」 (中略) 「じゃあ

,あ

まり言葉で教 えるっていうような

,叱

った りとかつていうようなかたちで は?」 「ええ

,ま

あ包丁で落 とす ときはこういうふ うにして落 としたほうが ええとかな。 こういうふ う な具合の針 の持 ちようして繕わにゃ手 を傷するとかな

,い

うような ことで

,ち

ょいち ょい と聞いた

(6)

高取憲一郎 :技能知 の認知心理学的研究 りもしたことがあるけど

,ま

,や

っぱし

,し

ょうるのを

,職

人が

,ゆ

きっつ ぁんてい うのが

,職

人がおったですけえなあ。 そんなんの

,親

父やあの しょうるのを見 よう見 まねで。 それか ら

,忙

し い ときにはまた

,畳

の職人がおんさったです けえ

,そ

んなのに来て もらって手 ごうして もらった り しょうりました しな。 まあ

,見

よう見 まねっちゅうほうで しょうな。 まあ

,家

におるだけえな

,小

さヤ勇ときか ら見 とるだけ。」 (中略) 「お父 さんのほうか ら教 えて もらうときの思い出 とか,ぱっ と思い出すようなものがあ りますか?」 「そうだなあ

,ぱ

っ と思いつ くようなことはあんまりないで。」 「 じゃあ

,わ

りとたんたん と覚 えて こられたっていう感 じですか?」 「小学校 をしまい

,高

等小学校 を

2年

行 きて

,そ

れか らまあ

,家

の仕事 を手伝いだいたっちゅう ことですけえなあ。やっぱ し

,一

緒 に小 さい ときか ら寝起 きしちゃ

,店

で仕事 しょうったわけです けえなあ。前の家 もな

,こ

っちのほうが住 まいでそれか らその店 のほ うが仕事場 だったですけえな あ。必ず出入 りす りゃあその ところを

,仕

事 しょうるところを

,脇

を通 って外 に遊 びに出 ようった し

,学

校 に行 きょうった しな。だけ

,だ

いたい しょうることもわかっ とった しな。」 「仕事 と生活 の区別 みたいな ことはあま り感 じられなかったのですか?」 「何時か ら仕事 にかか るっちゃあな ことはなかったな。 まあ

,わ

しらもいたって横着なほうだし, 家か らそんな具合で しとるけえ。人 によった ら

,建

具 を習お う

,あ

るいは

,大

工 さんの仕事 を習お うっちゅうことになると

,そ

の家 に行 きて

,ま

,建

具屋 さんな ら建具屋 さんの家 に行 きて

,そ

ん ねで寝起 きさせて もらいつつ

,習

ようったです しな。わ しの場合 は

,朝

飯 を食べて

,子

どもが学校 に行 くのに間に合 うような具合 の朝 ご飯 を食べて

,子

どもは学校 に行 くし

,妹

や弟が。 それか ら, ま

,仕

事 を手伝 お うかっちゃなことか。それか ら

,夕

方 は

,ま

,暗

い ぐらい までや りょうったな, 仕事 は。昼 も

,昼

飯休 みが一時間 ぐらいあ りょうった し

,忙

しい ときにはもう

,ま

た何 日までには 納 めにゃいけんっちゃな ことで,急ぐ時 にあた りゃ,夕ご飯食べてか らで もまたや りょうったしな。」 (後略) 鬱)桶樽職人の場合: 祖父の代か らの三代 目である。妻 と同居 しているが

,二

人 の息子 は会社員 となって同居 している。 以下 に

,イ

ンタビューの抜粋 を示す。 「 この仕事 に興味 とか関心 とか を持ち始 め られたのはいつ頃ですか?」 「 もう関心 もへちまもない。親が

,後

を継 げって ことで

,つ

い抵抗 なしに仕事 にかかった もんで すけえね。後 を継 いだ もんですけえなあ。J 「子 どもの頃 は

,お

父 さんがやってお られたのをずっと見て こられたのですか?」」 「お じいさんや親父が しょうって

,そ

れに弟子 さんがな二人寄 った りして

,使

って

,教

えておっ た もんです。大勢 しょうったです。 なぜかっていった ら

,習

いたいってい う人があったそうです。 それをした頃 は

,親

戚 中が

,ま

,親

戚 中っていって も親父の弟

,お

じさんが

,こ

の職 を継 いどる し

,お

じさんっていうのがやっぱ り桶屋だ し

,そ

れの子 どもが桶屋 だ しって

,ま

,親

戚 中が桶屋 で

,そ

うい うことで大 きな仕事 しょうったですが。酒屋 さんの仕事 の

,こ

う大 きい仕事で

,背

の高 い六尺 くらいある大 きな,」 「酒棒

?J

(7)

「酒構 ってい うか

,仕

込み桶 ってい うかな。今で もあるか もしれんけどな

,福

寿海 や君司 に行か れると

,大

きな桶がある。 そうい う桶 をした り

,そ

れに使 う道具 をして くれ えって ことで作 りょう ったです けど。だけど

,だ

んだん時代が変わって きて

,酒

屋 さん も使われんようになって

,

ドラム 缶のような大 きな缶 に仕込むようになって

,使

う道具 もカネの もんがで きた リプラスチ ックの もん がで きた り

,酒

屋 さんが使われんようになった り

,庄

屋 さんで も桶 を使 ようつたです けど

,そ

れ も 使われんようになって。昔 は

,家

庭 に入 るっていうと

,桶

が どうで も必要な もんであって

,お

嫁 さ んに行 くときにはこういうた らいですな

,大

た らい

,中

た らい

,小

た らい と

,三

つ。嫁 さんに行 く ときには

,三

つ揃 えて もって行 きょうつたです。 まあ

,二

つの家 もあ りょうつたです け ど。 そうい うた らいが使 われ るし

,台

所 に入 るとおひつが あって

,ご

はんを釜で炊 いたのをおひつにあけて, そのおひつか らごはんをとって食べ ると

,ご

はんがおい しい し

,米

をとぐには米 とぎ桶 ってい うよ うな もんがあった り

,な

んぞかんぞ桶 の道具があつて

,顔

洗 うには`はんぞう〃っていつて

,顔

洗 う道具があった りして

,

どんねにもあった もんです。で

,

とて も繁盛 したってい うか

,忙

しかつた わけです。だけえ

,桶

屋 さんになるもん もた くさんあったわ けですけえなあ。」 (中略) 「 じゃあ

,お

子 さんの ときは

,お

じい さん とお父 さんがやってお られて

,お

弟子 さん もお られた という状況の中でお育 ちになったんですか?」 「お じいさんか ら親父が後 を継 いで

,そ

れが若い弟子 さんを教 えなが ら

,ま

,そ

の仕事 を発展 するように元気 だいてしょうったわ けだけど。」 「お子 さんの ときに

,お

弟子 さん と交 じつてや られた とい うような ことはあ りますか?」 「そうい うことで

,忙

しい ときは来て もらって, うちか ら仕事がはか どるか らな。大 きい仕事が ようけあるときは

,み

んなが寄 つて

,ち

ょっ と来て手伝 って くれえって言つて した り

,仕

事 をす る のに

,あ

あい う酒屋 さんや庄屋 さんや味噌屋 さんで大 きい仕事があるときは

,そ

んね に行 って大 き い仕事 をした り,」 「そういう所 に

,実

際に子 どもの頃行 かれたような思い出はあ りますか?」 「わ しか

,ま

,高

等小学校 ち ゅうと16ですかな

,卒

業 した ときに

,卒

業 した当時 はまあ

,教

え て もらうために

,あ

っちこつち連れていって もらって しょうったですけどな。」 「そうい う桶構屋 さん と一緒 に連れていかれてって感 じですか?」 「そうなんで

,ま

,な

んで も来 て もらった り行 きた りしょうったです。鳥取市 の旧市内に昭和 の初 め頃には

,34,5軒

もあったです。それが まあ

,年

寄 になって亡 くなった り

,若

い衆 はやめて, 一軒だけ大工 さんに変わつた りと

,現

在で はうち一軒 という具合で」 「 この仕事 をどうしてやつてい こうって思われたのです

?や

つぱ り

,も

ういやお うな しにみたい な感 じですか?」 「いやお うなしに。 まあ

,ご

っつい嫌 いで もなかった し

,親

がせ えつて言 った ことは親孝行 にも なるしって ことでずっとそれ を覚 えて したわ けです けど。」 (中略) 「技術的な ことを教 えて もらうっていうのは

,実

地で手 とり足 とりみたいな感 じで教 えて もらうん ですか?」 「仕事 をしなが ら

,あ

れをこうしない けんああせないけんって具合でな。 その道具 の使 い方か ら なにか らな。 これす るにはいろい ろ変わった もんがあるですけえな。だけど使 う道具 の使 い方か ら 教 えて くれ るんです。」

(8)

高取憲一郎 :技能知の認知心理学的研究 「 その仕事 を自分 の仕事 としてい こうと決 め られたのはいつ頃ですか?」 「 もう決めるも決 めん もないですけえな。学校卒業する とす ぐ

,学

校卒業す る前

,ま

んだ学校行 きょうる間か ら

,か

んなけず り教 えて もらった り

,自

分が した りしょうったわけです けえ。桶屋, 前か らしょうかって どころじゃないです。 はじめか らす るかっ こうで

,ず

っ と子 どもの時か らした わけですけえ。 自然 に後 を継 いで したわ けです けえ。」 「 もう

,お

父 さん とお じいさん とかお母 さん とか は

,も

,桶

屋 さんにな られるってい うふ うに 決め られてたんですか?」 「 ええ

,決

めておったで しようで。兄貴 だけ

,格

,後

を継 いで もらわにゃな らんちゃあなんで, 親父がな思 っ とったわけです。次男 も桶屋 はとて も困るようにならせんか らということで

,次

男の わ しのお とりも桶屋 をさせたわ けですけど

,途

中にプラスチ ックに変わったわけです けえ。転業す るようになったわ けです。 まあ

,う

ちはどうのこうの続 いて桶屋 しとって

,ま

,現

在 になっ とる わ けで。」 (中略) 「お父 さん と仕事 を一緒 にされているときに

,ご

自分か らすすんで仕事 をす るってい う感 じか, それ ともお父 さんが一緒 にしようってかたちで されたのか

,

どちらですか?」 「いや

,お

んな じことですが。親 は

,教

えるわけです し

,生

活があるわけだけ

,仕

事受 けて

,親

が受 けた らそれ をせないけんわ けだ し

,す

るっちゅうことは習いなが らしょうるわ けだけな。」 「手伝 って くれって ことは言わな くて

,自

然 に?」 「 自然 に桶屋 をしようと思 っ とるか らす るわ けだ し」 (中略) 「お父 さんか ら教 えて もらうとき具体的 にどんなふ うに?」 「 それ は難 しいな。話でで きることじゃない し

,実

地でせん とわか らんですけえ。道具 の研 ぎ方 か らなにか らって ことは

,い

ろいろ難 しい ことがいっぱいあるですけえ

,そ

んな ことは話せれんで すが。わか らんですが。ただ親か らこうい うふ うにせ えってい うことは

,仕

事 の内容 を聞 いて

,自

分で してみて

,仕

方が悪かった ら

,こ

れいけん

,こ

ういう具合 にせ えって

,つ

い手で教 えて もらっ た りす るぐらいな ことですけえ。」 (後略) ●)琴の教師の場合 : 女学校 の頃

,通

い弟子 として琴 を習い始 める。現在 は

,自

宅で琴 を教 えている。夫

,娘,娘

婿 と 同居 している。以下 に

,イ

ンタビューの抜粋 を示す。 「習い方 とい うのは

,順

序立てて

,初

めは礼儀作法か ら

,だ

んだん難 しいのをって感 じですか?」 「 自然 にお琴の前 に座 って両方が挨拶す るような,『これか らお願 い します』,『じゃあ どうぞ』っ てい うような

,そ

うい う挨拶 とかね。 そうい うことは

,も

う自然の常識で したか ら。 まあ

,そ

うい うことってい うよ り

,ま

ず昔だった ら

,最

,お

手本 っていうのを,`さ くら″か ら入 りましてね。 それで

,一

曲を何週間か何か月かかかって

,次

のにい きた もんで。その間に

,自

然 に礼義作法 とか, 相弟子 さんが来てお られた ら自然 に挨拶 してす るとかね。 それか ら

,帰

るときには

,あ

りが とうご ざいましたって帰 るのはもう常識 のことですか ら

,そ

ういうことは自然 に目で見て耳で覚 えるよう な時代で した。 ことさら

,お

茶やお花 と違 って

,こ

ういうほうで は礼儀作法っていうの はなかった

(9)

ようですけど。」 「 じゃあ

,先

生か ら教 えられ るときに

,こ

う向い合 つて

,先

生が され るのをまね してって感 じで すか?」 「ええ

,そ

うそう。 まず は

,耳

で音 をとらなきゃいけないんですね。 ま

,音

楽 つていわゆる音で しょ。まず

,先

生の弾かれ る音 ってい うか

,曲

の流れ と

,そ

れか ら手巧 ってい うか

,手

の使い方 を, そんなのをまず見た り目で見て耳で聴 きなが ら覚 えて きたつて感 じです けど。……Ⅲ……暗譜稽古っ てい うの と

,譜

本稽古 ってい うのが あ りましてね

,二

種類

,そ

れで

,暗

譜稽古 ってい うのは

,初

め か ら本 を見 ないで とにか く師匠のす ることをまねす るってい うかね。最初 の段階 はまねをして

,先

生が唄 って弾かれ るのを一生懸命見 てて

,そ

してその とうりにこっちで まねをしてい くつて感 じで す

,最

初 は。だか ら

,本

稽古 ってい うのは

,最

初か らちゃん と譜本 を前 に置い といて

,そ

して もち ろん先生 は暗譜です よね

,昔

の先生ですか ら。だか ら

,む

こうが弾かれ るのを

,そ

れ と照 らし合わ せなが らこうして弾 いてい くの と

,ま

,二

種類 あ りましたわね。」 「その際

,先

生 は

,

ここはこう弾 くんだよっておっしゃ りなが ら弾かれた りす るんですか?」 「音の先生 とい うのは

,

もう一世代前の先生で しょ。だか ら

,そ

の先生のお師匠さんってい うの は

,昔

いわゆる明治 の初期頃か らした方か らみんな習われた。……Ⅲ……昔 はだか らこうしてああし てなんていうのはなかった らし くて

,

とにか く弾 くだけです。 それを

,

こっちが 日で見て耳で聴 い て

,こ

ういうかっこうして こういうふ うに弾 けばで きるんだなあ とか

,よ

くよ くわか らん ときは, 先生 どうで しょうかって

,

こつちか ら質問するときはあ ります けど

,そ

うい うことは非常 に昔の先 生 は嫌われるんです よね。 だか ら

,わ

たしたち も

,先

生のなさることを

,一

生懸命 日で見て覚 えて きました。最近の若い人 ってい うのは

,理

屈ってい うのか学理 ってい うか

,講

義 っていうか

,そ

う いうもんを口で言いなが ら教 えない とついて こないんです よね。`さらり″なんて

,ど

ういうふ うに した らいい具合 にで きるで しょうか

,な

んて

,む

こうか ら質問す るんです よね。 ま

,だ

か ら

,最

河ヽ 限,`さらり″ってい うのは爪 をこうい うふ うにもって, こうい うふ うにした らで きるんですよって いう

,そ

の講義だけは一応 します けど。後 は,自分で練習 しな きゃどうしようもない ことで しょう。 ところが

,今

の若い子 は

,そ

ういうことか ら入 って実技 に入 るってい うかっこうです よね。」 「 ご自分が うま くで きたって思った ときとか

,う

ま くで きなかったな と思いなが らやってた とき の先生の反応 はどうで したか?」 「当然

,一,二

へんや三べんや五へんはへた くそで

,先

生 はなんだ もどか しいなって思われ るけ ども

,そ

んな昔の先生 とい うのは手 とり足 とりってい うふ うには教 えて ください ませんで したね。 とにか くその域 にい くまで は

,自

分で研究 して自分で こう登 ってい くってのを待 って るかっこうで ね。そんなに自分 のほうか らあ―だ こ―だ

,ほ

らほ らって ことは別 になかったです よ。だか ら当然 二へん三べんはへたなのはわかつて ます しね。 ぎこちないのはわかってお られ るか ら

,黙

って

,な

んべんか

,そ

れで最後 の仕上 げになって

,お

か しい ところがあればこうね

,ひ

ろって こう注意 はし て くださるけれ ど

,ほ

とん どそういうことは

,ま

,他

の先生 は知 りませんけれ ど

,わ

た しの習つた 先生 はそうで した。」 「 うま くで きたなってい うときにほめ られたことは?」 「たまにね。後で

,お

茶 を飲 みましょうかってい うような ときに

,だ

いぶ歌が うたえるようにな った とかね

,そ

れか ら

,だ

いぶ弾 けるようになったな とか

,だ

いぶ味が出て きたなっていうような ことは

,た

まには言われ ますけどね。お稽古の時 には

,そ

うい うことはいつさいあ りません。 ま, 当然

,へ

たなのがわかってます しね。たまに

,そ

れ ももう

,何

十年 もたってか らの話でね。」

(10)

高取憲一郎 :技能知の認知心理学的研究 (中略) 「表現の仕方 とい うような ことは

,ど

うい うふ うに習 った りしましたか?」 「曲についてですか。わたしは

,ほ

とん ど古曲のほうなんです よね。古曲 と新 曲 とい うのが

,お

琴で はあ りますけどね。明治か らこっちに作曲されたいわゆる新 曲

,今

で言 うと現代邦楽 ってい う んですか

,そ

うい うのになるともう洋楽 と一緒で

,こ

こがなん とか

,こ

こがち ょっ とあれにして と かいうような

,わ

た しはまことにそ ういうのが苦手で してね

,学

理 ってい うかそうい うものが。わ たしは

,古

典一般で きた ものですか ら。だけど

,た

,一

曲の中には山あ り谷 あ りっていうことが あ りますよね。 だか ら

,歌

のお しまい,ヤ勇わゆる手事 ってい うところに入 るときには

,ち

ょっとゆ るんでそこか らのせ なさい とか

,そ

こはち ょっ と弱 く弾いたほうがいいです よ

,そ

れか らそこは, 三弦場 に入 る音ですか ら

,そ

こはち よっ と軽 く弾いたほうがいいです よとかね。 そういうようなこ とはとにか く

,細

か く教 えて ください ます けれ ども

,そ

れ はもう何年 もたって

,自

分がだいぶ古典 とい うものが理解で きだ しての ことであってね

,初

めか らそんな ことごちゃごちゃ言ったって

,わ

か りゃしません。む こうさんはです よ

,む

こうはとにか く書 いてある譜 の音 を糸 に もって くるだけ がせいいっぱいで しょ。だか らとって もとって も

,そ

んな ことはもう

2年

3年

もしてか らじゃな い とね。………… どんな小 さな曲で も先生が弾かれて

,ゆ

るんで こう弾かれた りす るところがある と

,あ

あ, こうい うところがゆるいんだなって ことはわか るで しょ。む こうが何 もおっしゃらな く て もあ ります し,こ こはち ょっ と軽やかに弱で弾 くんかなあ,そうい うふ うに弾 きょうられるか ら, なあこっち も

,そ

うい うふ うにしましょうって ことで

,そ

うい う感 じで最初 の頃 は習い ます。」 (中略) 「お師匠さんに教 えて もらっている立場か ら

,ご

自分が 自立 したなあ と感 じられた境 目のような も のは何かあ りましたで しょうか?」 「 まあ

,最

後 の仕上 げになってね

,あ

そ こは先生 の手拍子外 した りしてがちゃがちゃしたなって 思 うと

,今

度お稽古 に行 くまでにそこ見 とってつ まんで一生懸命弾 くで しょ。 そして

,行

きて

,最

後 の仕上 げなんかで先生 と一つ も手が違わずにきれいに先生の とうりについていけた ら

,あ

,弾

けたな

,こ

れで手 に入 ったな と思 うし

,最

後 は合奏 ってい うので仕上す るわ けですね。お琴な らお 琴だけですんだ らはいさような らじゃな くて

,必

ずお琴 には三弦 ってい うものがあ りますか らね。 六段 の調ベーつで も三弦 とお琴 と両方あるか ら

,お

琴がすんだ ら先生が六段 の三弦 を弾いて くれ, それにさっ とこっちが合 わせ

,そ

れで きちっと両方があって

,そ

れで初 めて卒業 します よっていう ことですわね。だか らまず

,仕

上の段階で きちっ と弾 けた ら

,あ

あもう三弦 ともよ く合わせ るよう になったし

,そ

のうちに機会があれば

,尺

八 とも合奏 します よね

,そ

うい うときに きちっ と合 うと, ああこれで弾 けるようになったな と思って

,自

分 な りに喜ぶですがな。」 (中略) 「お稽古 をされていた ときの

,お

師匠さん とのや りとりなんかで

,思

い出かなにかあ りますか

?J

「 とにか く

,私

の師匠 は先生で したか らね

,そ

うい うや りとりなんてい うことは

,…

………叱 られ た ことはいっぱい覚 えて ます けどね え。だか らとにか く昔 のお師匠 さんの型 ってい うか

,

とにか く 黙 ってついていかな きゃいけんわけですわね。だか ら

,そ

んなや りとりをした とか

,ま

,弦

の上で は別です よ。わか らない ところはどうで しょうか, こうで しょうか

,こ

うい うふ うにとかっていう ような ことはた まにはききますけどね

,そ

れ以外の ことはち ょっ と。何 を言われて もはいはいで黙 ってるあれでわたしたちはきましたか ら。」 (後略)

(11)

4考

察 生田久美子 は

,技

能 と区別 された「わざ」(生田は,「わざ」 は身体的な ものである技能 に精神的 な ものが加わった もの として理解 しているようであるが

,そ

の点で は渡植 の「技能知」 と同 じもの をさしていると思われ る)の習得 プロセスを次の三点 にまとめている。第一 に,「わざ」は心身合一 の中で

,す

なわち

,全

体的な生 を営む もの としての人間において

,習

得 され る。第二 に,「わ ざ」は, 日常生活 と稽古 との境界が存在 しないような状況 の中で

,す

なわち

,生

活空間 と学習空間 とが連続 している中で習得 され る。第三 に,「わざ」の学習プロセスは

,見

よう見 まね

,以

心伝心である。 も っとも

,生

田の場合 は,「わざ」を武道 と芸道 に限定 して考 えていて

,職

人 とか主婦の場合 はまった く考慮 していないのであるが。 さて

,わ

たしたちが調べた職人 と伝統芸道 の場合 も

,生

田の指摘 している諸点がほぼ当てはまる ように思われ る。 まず

,職

人 のほうか ら見てい くと

,畳 ,桶

構 の両者 において共通であるが

,家

の職業すなわち父 親の職業の後 を継 ぐということを

,半

ば強制的 に

,あ

るい は自然 にそうするものだ とい うような感 じで受 け取 っているという点が

,注

目され る。 それ は

,彼

らの生 まれ育 つた家庭が

,そ

の親戚 も含 めて代々

,そ

の職業 を継 いで きた とい うことも

,大

きく影響 しているであろうし

,ま

,生

活空間 と仕事場が隣接 していて

,遊

びに外出す るときとか

,学

校への行 き帰 りに

,常

に父親 や祖父

,あ

る いは職人 たちが仕事 をしている傍 を通 らざるをえず

,父

親 や職人 の仕事がいわば家庭 生活 の一部で あった ことな ども大 きく作用 しているのであろう。そのような事情 は

,畳

職人 の次の ような表現 に よ く表 されているように思われ る。彼 は

,畳

屋 の技能 を習得することを,「家の仕事 をさわ る」と言 い表わ してい る。彼 にとっては

,家

庭生活か ら切 り離 された特別 な仕事が存在す るわ けで はな く, 家庭 の中にいわば埋 め込 まれた もの としての仕事 に とりかか るのは自然なことであった。 この点 は

,生

田が「世界への潜入」 と名付 けている概念 と同義である。すなわち

,生

田は

,伝

統 芸道へ入門 した弟子 は

,そ

れ は内弟子 だろうが通い弟子 だろうが問わないが

,師

匠の家で

,自

分が 稽古 をつけて もらう以外 に

,行

儀作法 を学び

,他

の弟子たち と会話 し

,稽

古 を見学 し

,師

匠のさま ざまな日常生活 と関わ り

,ま

た師匠の家 の中にあるさまざまな もの と関わるなかで

,師

匠の生活 リ ズムを体得 し

,そ

れが芸道の習得 に暗黙 の うちに大 きな影響 を与 えていると考 えて

,そ

れ らを,「世 界への潜入」 と総称 している。 わた したちが見て きた職人の場合 は

,こ

の「世界への潜入」がすでに生 まれた ときか らお こなわ れているのである。 次に

,習

得プロセスの点で も

,同

様 な特徴が見いだされ る。すなわち

,見

よう見 まねが基本であ り

,わ

か らない ときに尋ねるだけである。 そのために

,桶

構職人が言 うように, どの ように教 えて もらったかを言 え といわれて も

,そ

のような ことは「話で はで きない」のである。 ここは

,明

らか に非言語の世界である。 次 に

,琴

の教師の場合 も少 し見てみよう。わた したちの調査 した女性 は

,通

い弟子 として琴 を習 った場合であ り

,生

田の言 う「世界への潜入」 とい う部分 は明瞭 には出て きていない けれ ども

,習

得プロセスは生 田の説 とまった く同 じである。た とえば,ま ず耳で音 を捉 えることか ら始 まるとか, 目で見

,耳

で聞いて

,ま

ねる (暗譜稽古

)と

,ど

うして もわか らない ときに

,尋

ね るな どと述べ

(12)

高取憲一郎 :技能知の認知心理学的研究 ているのは

,

これ までわたしたちが述べて きた ことと符合す るのである。 これ らのプロセスは

,生

田が紹介 してい る次のような例 ともまった く同 じである(121。 「役者が芸 を教わ るって ことは

,正

面切 って教わ りに行 くとい うことより

,見

て覚 える

,っ

て こ とが本筋ですね。」(歌舞伎 。中村勘二郎談) 「.………ただぃ まのようにね

,さ

あ教 えてや るち ゅうて

,こ

,前

もって

,こ

うしな さい

,あ

しなさいちゅうにやないんです。ただ

,人

に稽古 してはんのを聴か して もらい

,そ

こで 『やってみ い』ちゅうて『そんな こと云 うてる』ち ゅうて

,叱

られ るのが試験 みたいなもんですね。」(三味線・ 鶴沢寛治談) 「叔母 の稽古 は

,私

たちは子 どもですか ら

,本

を使 い ません。無本の稽古です。」(鳴物 。田中伝 左衛門談) さらに

,わ

た したちの調べた琴 の教師が

,理

屈で はな く

,と

にか くお師匠さんに黙 ってついてい くと述べているの も注 目され る。生 田によれば

,伝

統芸道の習得プロセスで は

,入

門者 はまず

,師

匠の「形」の模倣 をとにか く懸命 に繰 り返す初期 の段階か ら

,そ

ういう自分 を客観化す る次 の段階, そして

,最

終的には

,前

の二つの段階 をさらに客観化す ることによって師匠の限界 を打 ち破 り

,自

分独 自の新 しい「形」を創造 してい く段階の三段階あるとしている。琴の教師が述べてい るように, 理屈抜 きで とにか くまねるとい う段階 は伝統芸道の世界で は必要不可欠なプロセスであったのであ る。 しか し

,

この点 は

,佐

イ白の「文化的実践への参加」 とは

,そ

の視点 を異 にしている。佐イ白の場合 は

,師

匠 と弟子 との間 に上下の関係が な く

,ま

った く対等の関係で

,

ともに文化的実践 へ参加 する ことにより

,新

たな創造的営みが促進 され るとい う点 を強調す るわ けで

,伝

統芸道 の場合 のような, 教 えるもの と教 えられ るもの というような

,身

分 の上下関係 は想定 していないのである。この点 は, 伝統芸道の教育 プロセスを評価するときに

,伝

統芸道の もつ限界 を表 しているか もわか らない。 最後 に

,本

稿 の結論および今後 の課題 をまとめてお こう。 ①技能知 は生活知である。すなわち

,仕

事空間 と生活空間が未分離のなかで習得 されている。大 田の言 うところの,`な りわい〃のなかで育 まれ る。 ②技能知 は

,心

身合―のなかで

,す

なわち

,生

田の言 うところの全体的な生 を営む もの としての 人間において

,習

得 され る。 これ はまた

,大

田の言 うところの人格知で もある。

③技能知の教授・学習プロセスは

,見

よう見まね

,以

心伝心を基本 としている。言語的教示はめ

ったになされない。また

,弟

子のほうから質問するということもめったになされない。

④職人の場合 と

,伝

統芸道の場合の共通点 と差異を明らかにしてい くことが

,今

後の課題であろ

う。 渡植彦太郎 『仕事が暮 らしをこわす :使用価値の崩壊』 農文協,1986 同

『技術が労働をこわす :技能の復権』 農文協,1987 同

『学問が民衆知をこわす :科学の内省』農文協,1987 大田莞 『教育 とは何か』岩波書店,1990 中村雄二郎 『魔女ラング考 :演劇的知 とはなにか』岩波書店,1990 イ リイチ 『シャ ドウ・ ワーク』玉野井芳郎

,栗

原彬 (訳)岩波書店,1990 献 文

(13)

151 山本哲士 『コンビビアルな思想│メ ヒコからみえて くる世界』日本エディタースクエル出瑯 ,1990 俗

)佐

r自絆 「なぜュいま『わざ』か」年)所収pp145-163

(7)生日久美子 『「わざ」か ら知る』東京大学出版会,1987

(0高

橋恵子

,波

多野誼余夫 『生涯発達の心理学』岩波書店,1990

(9)Va“工nerl J.Human development and culture i the social nature of p∝ sonaltty a■d itsStudy,LeXilagton BOOkSj 1989

1101 稲垣佳世子

,波

多野誼余夫 『人はいかに学ぶか:日常的認知の世界』中央公論社,1989

t'RenO van der Veer The concept of cultuFe h Vyttotξky's ctlituraltthistOrical theory,Paper pFttnted

at 7th European CHEIRON Conferencc,1988

1)生

田久美子 「か らだでわかる」)F岩波講座 教育の方法 B』 1987所収 pp76 107

(14)

参照

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の使用によって、「春であるから別れはそぐわない」からの想定(春なら

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