愛知工業大学研究報告 第34号A 平成11年
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異なる分類法による日本語動調の研究
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1.はじめに 動詞は動作、作用を表わし、名詞・形容詞と共に 言語生活の中に無くてはならない品詞であり、日本 語だけではなく、世界のどの国の言語でも、同様に、 コミュニケーションに不可欠な道具の一つである。 日本語では、動詞それ自体にいろいろな変化がある と同時に、他の品詞に密接と関係しているので、異 なった視点から、正確に動詞のさまざまな特徴を認 識、把握することは、日本語の学習や教育に、有意 義なことだと思う。 本稿では、日本語の動調を、活用による分類でな く、異なった立場から分類し、それぞれの特質を考 察するとともに、他の品詞との関係を検討すること にしてみたい。2
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意志動調、無意志動詞 意志の有無によって、動調は意志動詞と無意志、動 詞に分けられる。一般的に動詞の表わしている動作 愛知工業大学 基礎教育系言語文化教室 が意志でコントロールできる動詞は意志動詞であり、 それに対して、できない動詞は無意志動詞である。 外国語として、日本語を学習している中国人には、 「池には魚がいる」ということを「池には魚があるJ と言ってしまうことがよくある。それは母国の言語 の影響もあるが、主に日本語の動詞を明確に理解し ていないからだと思われる。「あるJと「いるJは共 に「存在する」という意味を持っているから、中国 語の「有」に訳せるが、実際には「ある」と「いる」の使 い方は同じではない。 f新日本語~ (人民教育出版社, 1 9 8 0)という教科書に、生命のある(あるいは動 ける)主体の存在を表す時に、「いる」を使い、生命 のない(動けない)主体の存在を表す時に、「ある」を 使うと書いであるが、『いる』と「ある」の区別は生命 の有無(動けるかどうか)に関係があるのではなく、 意志の有無に関係がある。木や花は生命があり、車 は動けるといっても、「いる」が使えないのである。 意志の有無によって、この区別は明瞭になる。 他の品詞(辞も含む)との関係を見ると、動詞の 意志の有無は、前に置かれた名詞に関係し、次にく るムードを表わす助動詞などにも関係する。意志動 調の後ろには禁止、命令、勧誘、希望などのムマド9
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愛知工業大学研究報告,第34号A.平成11年.Vol. 34-A.Mar. 1999 を表すものがくるが、無意志動認の後には来ない。 その量から見ると、無意志動詞は数が少なく、自然 現象を表す動詞に集中している。動詞の意志の有無 で分類できないものも多くありr
走る」のように、 意志動詞でもあり、無意志動詞でもあるものがある。 3. 動作動詞、状態動詞 以上は意志の有無によって、動詞を意志動認と無 意志動詞に分けたが、次に、動詞を、動作を表すか、 状態を表すかによって、動作動詞と状態動詞に分け たい。「読む Jr
考える Jr
借りる」など、動作を表わ す動詞は動作動詞であり、「あるJr
いるJr
できる」 など、状態を表わす動詞は状態動詞である。ところ が、「議えるJr
富むJr
優れる」などのような動詞は 「ている」を語尾にっけない形で用いられることはな く、いつも r~ ている」の形で状態を表わすので、い ろいろな性質から考えると、状態動詞に入れるのが 便利なので、ここでは、準状態動詞と呼びたい。 動作動詞は、さらに、いくつかの種類に分けられ る。動作の種類から、身体動詞と精神動詞に分けら れ、動作の方向から入向き(求心的)動詞と出向き (遠心的)動詞に分けられ、動作の持続する時間か ら、持続動詞と瞬間動詞に分けられる。「食べる Jr
歩 くJr
来るJのように身体的な動作を表わす動詞は身 体動詞であり、「感じるJr
喜ぶJr
恩う」のような精 神的な動作(感情などの心理活動、認識など)を表 わす動詞は精神動詞である。精神動詞に含まれる少 数の動詞(思う、悲しむなど感情に関するもの)で は、一般的にその主語が第一人称でないと、終止形 は用いられない。つまり、この類の動詞の終止形は 常に第一人称を伴っているのである。 「借りるJr
もらうJr
買う」などのような動詞は、 その動作の結果が最終的に発話者に戻ってくるので、 入向き(求心的)動詞と呼び、「貸すJr
あげるJr
売 る」などの動詞は、その結果が発話者に戻らないの で、出向き(遠心的)動詞と呼ぶ。入向き動詞は、 動作の対象に付けられる助詞「にJでも、「から」で も使えるが、出向き動詞は、その助詞として、「に」 しか使えない。 持続動詞とは、一つの動作或いは作用が一定時間 内続いて行われる動詞である。「読むJr
書くJr
生活 する」などの動詞のように、一定時間内続くのを常と する動詞は、これに属する。このような動詞は、「て いる」を語尾に付けることができ、それを付けると、 その動作が進行中であることを表わす。瞬間動詞と は、「死ぬJr
閉じるJr
卒業する」などの動詞のよう に、その動作、作用が瞬間的に終わってしまう動認 である。瞬間動詞の語尾にも「ている」が付けられ、 付けると、その動作、作用が終わってその結果が残 存していることを表わす。「人が死ぬ Jr
目を閉じ るJr
電灯が点く」という場合の「死ぬJr
閉じるJr
点 く」のようなタイプの動詞は、絶対的瞬間動詞と呼ぶ ことができ、「卒業する Jr
結婚する」のようなタイプ の動詞は、相対的瞬間動詞と呼ぶことができる目「卒 業するJr
結婚する」という動詞の場合、その動作が 実際には瞬間的に終われないことがあるからである。 しかし、人間の一生という時間から考えれば、卒業 や結婚にかかる時間はやはり瞬間的なものだと言え る。 動作動詞は、ある条件のもとで、状態動詞になる。 動作動詞には可能助動詞「れるJr
られる」が付けら れると、それは状態動詞になる。あらゆる可能動詞 が状態動詞であると言うべきであろう。また、上記 の瞬間動詞に「ているJがつけられると、動作を表 わさずに、状態を表わしていることになる。 次に動詞の活用、接辞から動作動詞と状態動詞の 差異を見てみたい。状態動詞は終止形では、「机に本 があるJr
あの人は日本語ができる」のように、「現 在」の意味があるが、動作動詞は一般的に「いつも」 「毎日Jr
時々」のような頻度副詞を付けないと、 「現在」の意味はない。「彼はアメリカに行く」の「行 く」は「現在」でなく、「将来」の意味をもっている。 さらに、動作動詞(上記の無意志動詞を除く)は命令 形があり、状態動詞は命令形がない。しかし、状態 動詞の中の「いる」は「部屋にいろ」という命令形 を持っているが、この場合は「外に出るな」という 意味で、「外に出る」という動作を禁止する命令であ り、動作動詞に近いものである。 他の接辞との関係から見ると、原則的に言えば動 作動詞には、「ている」が付けられるのに対して、状 態動詞には付けられない。しかし、前に述べたよう に、準状態動詞には「ている」が付けられている。こ の他に、動作動詞には「てしまう」が付けられるが。 状態動詞には付けられないと言えるロ 4.自動詞、他動詞異なる分類法による日本語動詞の研究
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動詞を分類する場合に,日本語学習者にとって特 に理解しにくいのは、自動詞と他動詞の区別である。 自動詞と他動詞は意味ばかりでなく、直接にその前 の助詞「に」とか「をJとか「とJとかなどに関係 しているので、外国語としての日本語学習者には分 かりにくいことが多く,この分類についての考察は 非常に重要である。 自動詞と他動詞に関しては、いろいろな学説があ り、代表的な三つの考え方がある。 第一は,安藤正次をはじめとした「他動詞は動詞の 動作を他の人物または物体に及ぼす動詞」という定 義によって、自動詞と他動詞を区別するものである。 「お茶を飲む」の「飲む」のように、他の物に動作が及 ぶのであるから他動詞であり、「人が寝るJr
風が吹 くJの「寝るJr
吹く」のような動詞は、他の人物や物体 に動作が及ばないので他動詞ではない、というもの である。 第二は、松下大三郎、後藤克己が提唱した「他動 詞は目的語を取る動詞」という統語的視点から自動 詞、他動詞を区別するもので、「空を飛ぶ」の「飛ぶ」 が「空をJという目的語の形を受けているから、 fお 茶を飲むJの「飲む」と向じで、他動詞であるとする ものである。 第三は山田孝雄を代表とした動詞の自他動の区別 を否定するもので、「それは人聞が勝手に設けた区 別で、大抵はそれで区別できるが、すべてを区別す ることはできない」とするものである。 それぞれに不充分なものがあり、第一の安藤正次 をはじめとしたものについては,r
ここで、妻と会うj の「会う」は「妻」という人物に及ぼしても、やはり 自動詞だと言わなければならない。第二の松下大三 姉、後藤克己が提唱した「空を飛ぶJの「飛ぶ」は、ど の辞書でも自動詞に規定されている。第三の山田孝 雄を代表としたものについては、日本語を母国語と する人にとっては、無意識に日本語が使え、自他の 区別をあえてしなくてもいいからかもしれないが、 外国語として日本語を学習する人は混乱する可能性 がある。筆者は、日本語の教育の立場から見て、動 詞を自他に分けたほうがいいと思う。それで、動詞 の自他をどういうふうに区別すべきか、以下に試論 を述べてみたい。この方法の適否については、日本 語界の諸先輩の御教示をいただければ,ありがたい。 上記の第ーと第二の論が、自他の区別の説明がで きない原因は、日本語が謬着語なので、動詞が動作 を及ぼす対象が必ずしも「をJ という目的格助詞で 示さず、他の格助認「にJr
とJr
が」で示してもよ いことや、対象の後に「をJという格助詞を要求する 動詞は、必ずしも他動詞ではないことにあると考え られる。 他動詞は客体に対する動詞であり、客体がないと、 他動詞が出てこない。言い変えれば、他動詞は動作 を人、物に及ぼす動詞に入るはずである。しかし、 動作を人、物に及ぼす動詞は、「会う」のようにすべ て他動詞とは言えない。他動詞とは、主体が客体に、 ある動作をやらせ、ある変化を起こさせ、ある状態 にする動詞である。これに対して、自動詞は、主体 が自らある動作をやったり、ある変化をおこしたり、 ある状態になったりする動詞である。 「字を書くJのように、人間の「書く」という動作 によって、「字Jという客体が紙の上に浮かび、上がっ てくるという変化が生じたから、「書く」は他動調な のである。「妻に会うJの場合は、「妻」が動作もせず、 変化もせず、主体の「会う Jという動作の帰着点にな るだけなので、「会う」は自動詞に入るのである。さ らに、「人と別れる」の場合は、「人」が動作の主体と 互動する対象になったので、「分かれるJはやはり自 動詞である。以上の考えは、いかがであろうか。 次は自動詞と他動詞を、形態と意味から検討して みたい。 日本語の自動詞と他動詞は形態から見れば、日本 語自身の特徴を持っている。自動詞と他動詞には、 (起こる 起こす、壊れる 壊す、集まる 集める、 付く 付ける)のような共通語根から、派生してき たもので、自他形態的に対立しているものと形態的 に対立する相手のない自動詞(行く、歩くなど)、他 動詞(読む、作るなど)があるのである。さらに、 一つの形が自動詞としても、他動詞としても使える もの(開く、閉じるなど)がある。ここで便宜上、 以上の三つのタイプをそれぞれ、有対自動詞・他動詞、 無対自動詞・他動詞、自他両用動詞と呼ぶことにした い。 無対自動詞・他動詞、自他両用動詞は中国語と英語 の(不及物、及物)とおおよそ対応するので、日本 語を学習している人にとっては、理解しやすいが、 問題になるのは有対自動詞・他動詞である。有対自動 詞・他動詞はその数も非常に多く、区別しにくい。そ の形態と意味から、見てみたいロ 有対自動詞・他動詞は、(集まる、集める)のよう98 愛知工業大学研究報告,第34号A,平成11年, Vol. 34-A. Mar.1999 に同じ語根から派生してきたので、同じ語幹(集ア ツ)を持っているが、その区別は、語尾(集ヱ止、 集メル)が違っていることにある。それで、有対自 動詞・他動詞の区