社会科 教 育教 室 (― ) 筆者は
,前
稿 (第11巻2号
)で
学習指導要領社会科公民的分野の記載の問題点 について指摘 した が,本
稿 では学習指導要領の性格,特
にその法的性格 について検討 を加 えてみたい。 近年教育行政権 の限界 に関す る問題点の一つ として,学
習指導要領の法的性格 が問われている。 そ してその論点 は学習指導要領の「基準性」であ り「法的拘束 力」である。 こ うしたことを特 に問題 とす るにいたったのは,か
つて,教
育課程改訂 をひかえて,文
部省 が, 「学習指導要領 は,学
校教育法施行規則 第25条 によ って,法
的 に基準の意味 をもってお り単 なる 参考ではない。……教育的基準 は、通常の場合 これによるべ きものであって,…
…ゆえな くしてそ れに従 わないことは許 されない(1)」 とい う見解 を示 したためである。 学習指導要領 は,戦
後 アメ リカのコースオブ・ ス タデ ィ (coursc of study)に ならって編集 さ れたものであるが,も ともと,学
習指導 についてのべ るの を目的 としてつ くられた教師のための手 引書・指導書で あ り,教
師はそれに縛 られるのではな く,倉J意と工夫 をはた らかせ,そ こに示唆 さ れているもの を活用す ることが,た
いせつであると考 えて きたV) このことを学習指導要領の文語でみると〔
学習指導要領の目的〕「学習指導要領は児童や生徒の学習の指導にあたる教師を助けるために
書かれた書物であって
,教
師が各学校において指導計画をたて
,教
育課程を展開する場合に
,教
師の手びきとして
,教
師の仕事を補助するものとして
,役
に立つものでなくてはならない。」
0召和
26年改訂版『学習指導要領一般編』
1ページ
)〔
学習指導要領の使い方〕「学習指導要領は
,学
校が↓
旨導計画をたて, これを展開する際に参考
にすべ き重要 な事項 を示唆 しよ うとす るものである。 したがって,指
導計画の全部 を示す もので はない し,ま
たその とお りの ことを詳細 に実行す ることを求 めているもので もない。教師は常 に 創意 とくふ うとをもって,…
… これを創造的 に用いねばならない」(同書2ページ)と
している。 しか し,文
部省は昭和30年度改訂高等学校学習指導要領一般編 について「現行学習指導要領 が示 唆であ り,か
考 とすべ きもの と述べていることは,そ
の基準性 をあいまいなもの とし混乱 を起 した 大 きな原因の一で ある」ので,「今 回,改
訂 され た高等学校学習指導要領一般編では,示
唆,参
考 折 ロ 糸田指導書
,手
引書等の言葉 は,い
っさい用 い られていない。」「学習指導要領 に示 され る事項は,す
べ て基準 となるもので ある,
との前提 に立 って」,その書 き方 も,法
令の規定 に準 じて,「しなければな らない。」「す るもの とす る。」「す ることがで きる。」とい う表現 をとったと説明偲)している。 すなわち,学
習指導要領 か ら指導書的性格 をな くして法令 に準ず るものに変 え,そ
れを手がか り として,指
導行政 の対象であった教育課程 を,監
督行政 の領域 に移 そ うとしたので ある。その後文 部省は基準の内容やその妥当性 を説 くよ り,「学習指導要領の法的性格」 を強調す ることになった。 現行学習指導要領 が,教
育課程 の基準 として法的拘束 力を有す るか否か,法
規的 には,学
校教育 法施行規則25条の解釈 の問題 と,教
育課程 についての権 限 を国 と地方で どのよ うに分 けあっている か。すなわち学校教育法20条・38条 ,43条 と教育委員会49条の関係 の問題,こ
の二つが基準性問題 の論争の中心であった。 ここではまず前者,す
なわち学習指導要領の法的根拠 を考 えることにす る。 (二) 「学 習指導要領 は法 的 に基準 の意 味 をもつ」 とい う主張 は,学
習指 導要領 その もの が法規 で あ る か,法
律 の授権 または委任 によって法規 と しての性格 をもつ か いず れか を立証 しなければな らな い。 学習指導要領 は,法
規 としての手続・形式 をふんでいないか ら,そ
れを法規 と考 えることはで き ない。但) したがって文部省は専 ら後 の立場 か ら,、「学習指導要領 は,形
式的 には法令 その ものではないが, 法律で委任 された省令 に基づ き作成 されたものであるか ら,基
準 としての法的拘束力 を有す る」 と 主張 し,そ
の法的根拠 を次のよ うに説明す る。 学校教育法 によれば,「教科書 に関す る事項 は,監
督庁 がこれ を定 める」(同法20・ 38・40条)と
なっているが,同
法106条によ り,そ
の監督庁は,当
分の間文部大臣である。 したがって,文
部 大臣 には小・中・高等学校 の教科 に関す る事項 を定 め る権限 がある。 この権 限 にもとづ き学校教 育法施行規貝Jで,「教育課程 は,学
習指導要領 の基準 による」(同施行規則25・ 55。 65条)と
定 めた。 この25条は教育課程 の基準 の内容 を、文部省著作の学習指導要領 に委任 した ものである。 したが って学習指導要領 は,教
育課程 の基準 としての法的性格,拘
束力をもつ ものである。働としてい る。 しか し,施
行規貝J25条は,文
部省著作の学習指導要領 に教育課程 の基準 を委任 した規定である, とい う解釈 に対 しては次のよ うな反論 がある。 この点 について,渡
辺孝三氏 は次の二点 をあげて反論 して9い
る。第一 に,施
行規貝J25条は法 令であるか ら,一
般的抽象的 に,教
育課程 が学習指導要領 の基準 によるべ き旨を述べているだけ であって,行
政行為のよ うに具体的 な特定の ものへの委任 をいっているのではない。 したがって, 教育課程 の基準の内容 を特定の文部省著作の学習指導要領 に委任 した,と
い うことはで きない。 第二 にt,文部省著作の学習指導要領 は前 に述べたよ うに私文書であるか ら,
これへの委任 は法律 上不可能である。 なぜ な ら,私
人の著 した学習指導要領 が教育課程 の基準 となるとい うことは, 行政法上権 限のない私人の行為 が教育課程の基準 とな り,こ
れを支配す ることになる。 このよ う なことは行政法学生 も否定 されている無効な行為である。 したがって法律論 か らいって,学
習指 導要領の法的根拠 は薄弱で ある。このよ うに、省令25条による委任 とい う論拠 が弱いので
,そ
れ を補 うためか,文
部省はその経緯 を,「学習指導要領一般編 (試案)は
昭和22年3月21日 に発行 され・……学校教育法施行規則 は,昭
和 22年4月 1日 施行 として,同
年 5月13日公布 され、同規則第25条で,・……教育課程 の基準の内容 を 先 に出 された学習指導要領 に委任 したわけである。・―・・このよ うな経緯か ら、学習指導要領は省令 の委任 によ り,基
準 として法的性格 を賦与 された ものであって、・……基準 としての拘束力 をもつ」 と説明いしている。 しか し,当
時出 された教科書局長・学校教育局長の通達 (昭和22年7月25日発 教第110号)「学習指導要領の解釈及 び適用 について」 は,学
習指導要領 は学校教育法施行規則の公 布 によ り発行の時 と違い法的性格 をおびるよ うになった。 とい う注意 を一言 ものべていない。 また 施行規則25条で文部省著作の学習指導要領は法的性格 を賦与 された とい うな ら,昭
和26年学習指導 要領の全面的改訂の除,基
準 としての法的拘束性 を明瞭 にす るよ う書 き改 めなかったのは,な
ぜで あろ うか。む しろ昭和26年の改訂版 は指導書手引であることを強調 し,教
師 がこれに拘束 されるこ とを警めて さえいる。 当時の教育政策 から考 えれば,学
校教育法 が結1定されたころは,教
育課程 の国家管理 を排除す る ため,教
育内容 に関す ることは,全
面的 に地方教育行政機関 に移管す る方針 をとっていた。ただ, 教育委員会の構想がまだ具体化 しなかったので,教
科 に関す る管理権 の所在 を監督庁 とだけ述べ, 教育委員会成立 まで過渡的暫定措置 として,当
分の間文部大臣 としたのにす ぎない。 したがって, 施行規則25条の学習指導要領 も,国
の制定す るものだけでなく,教
育課程 の管理権 をもっている教 育委員会 が作成す るもの を当然含 んでいたと思 われる。昭和24年5月31日文部省設置法 が制定 され た時,そ
の附則6に,「初等中等教育局 においては,当
分の間,学
習指導要領 を作成す るもの とす る。 但 し,教
育委員会 において,学
習指導要領 を作成す ることを妨 げるものではない」 といい,翌
25年 8月 第二次 アメリカ教育使節団に提出 した文部省の報告書 も,「学習指導要領 の編集 とい う仕事 も, 本来 これは都道府県 または市の教育委員会 などで行 うべ きことである」 と述べている。 こうした教 育課程行政 の体制の下では,文
部省の学習指導要領 は指導書であることが本体 で,基
準 としての法 的意味は非常 に弱 かったのであ り,昭
和26年学習指導要領の改訂版発行の時 もこの方針 が続 いてい たと解せ られる。 (三) 教育課程 について国 と地方はそれぞれ どのよ うな権限 をもつかが論争の第二点であった。 この争 いは,文
部省が都道府県指導部課長会議 で,「教育委員会 が同法同条 (教育委員会法49条)第
二号の 教科 内容およびその取扱 いに関す る事務 を行 うにあっては,学
校教育法第43条に基づ き文部大臣の 定め る指導要領 によらなければな らない」「これによらない教育課程 を編成 し,…
…実施す ること は違法 である硼」 と述べたのに始 まりその論議の過程 を通 じて中央 と地方の教育行政の配分関係が 確認 されることになった。 す なわち,竹)文部大臣の権限は,教
育課程 の基準設定 だけで,そ
の編成や実施 には及 ばない。教 育課程 の編成権 。実施権 は教育委員会の権限である。(口)したがって,教
育課程 の編成 。実施 につい て,文
部大臣は指揮監督 がで きない。文部省の任務 は,基
準 を定めその実施 に関 して指導助言 を与 えることにとどまる (文部省組織令第9条
第1号
)。教育行政 の権限が国 と地方 の間で このよ うに分 れていることは,教
育 を権 力支配 か ら守 るため重要 なことであり,こ
のよ うな行政機構 では,国
と地方の相互理解 と協 力関係 を高めることが何 よ り大切で
,一
方的支配はあ くまで避 けなければなら ないとされた。 しか し,中
央 と地方の一貫 した行政組織 を確立 しよ うとす る立場 からは,こ
の協 力関係 は非能率 とみ られ,地
方の固有の権限は「つ まづ きの石」 とな り中央行政権 の壁 と感 じられ る。文部省は, いわゆる佐久間事件・偏向教育問題等 で,
この壁 にぶつ か り,「lt方教育行政 の組織及 び運営 に関す る法律」で,文
部大臣の教育長承認権 と措置要求権 を規定す ることになった。新 しい法 で も教育委 員会 が教育課程 の権限 をもっているが (同法23条 ),文部大臣が,違
法 もしくは著 しく道正 を欠 きか つ教育の効果 を阻害す ると認 め るときは,教
育委員会 に是正措置 を求めることがで きる し,ま
た自 らその措置 を行 うことがで きる (同法51条)の
で,教
育課程 の編成実施 について も,指
揮命令 と変 らない力をもつ ことになる。 学習指導要領の基準性問題 は,学
校教育法 。同施行規則・教育委員会法 ・文部省設置法 の解釈 が 問題 となる。基準 性問題の基底 には,国
(文部省)が
,教
育課程 をどの程度 まで統制 し,
どの範囲 まで規制で きるかの問題 があり,そ
れ との関連 において,学
習指導要領の基準 としての法的拘束力 が検討 の文↓象 となる。 すでに述べた如 く,も
ともと学習指導要領 は,そ
れによって現場の教育 を拘束す ることは考 えて いなかったので あるか ら,そ
れが基準 で あるとい うの も,「これを参考 として,こ
の基本的方向 に従 って考 えてほ しいとい う意味」で,学
習指導要領 を基準 とすれば,「学校 がその計画 をよ り道切 なも の とす ることが,容
易である°)」 とい うの にす ぎなかった。 ところが,昭
和30年には文部省の「基 準」の解釈 は次のよ うに変化発展 していった。 は潟0年2月,社
会科指導主事協議会 では,「一般 に全国的 に標準 としてよいだろ うと思 う程度の も の」 が基準 であ り,
したがって基準 は「相当大 きな幅 と弾 力性のあるものである。 だか らそんな に基準 とい うことに拘束 されるとい う心配 よ りも,…
…基準の趣 旨をじゅ うぶん理解 して,形
式 にとらわれない各地域 におけるところの指導計画立案 が必要ではないか」 と説明 してい る。10す なわち基準 は共通的一般的 なものの表示 であ り,教
師の意識 に影響 を与 える程度 の拘束 を及ぼす にす ぎない。 (口)同じ2月,高
等学校指導主事連絡協議会では,「教育的 な基準 は,そ
れ を中心 として,上
下 にふ れがある。」す なわちある線 を中心 に して幅のある範囲が基準 である。「教育的基準 は,通
常の場合 これによるべ きものであって,特
別 な必要のある場合 には,そ
の事情 を考慮す ることがで きる。」しかし
,「ゆえなくしてそれに従わないことは許されないよ
もといっている。ここでは,基準が正則
で,そ
れ以外 は例外である。 しか し正 当な理 由があれば基準 によ らな くとも例外 として許 される ので,基
準以タトのものが全 く禁止 されるのではない。 │→30年8月,全
国都道府県指導部課長会議では,「基準 は・……これを中心 としてある程度の幅 が認 め られるものである。 この ことは,通
常の場合 には,指
導要領 に定めるところによるべ きである が,地
域 または学校の特殊事情 によっては,指
導要領 にそのままよらず,認
め られ る幅の範囲内 で改 めることがで きる意である。…… この幅 をこえて,指
導要領 に定 め られた中心概 念 を無視 し た教育課程 を編成す ることは違法で ある。は2」 と答 えている。 件滑0年 12月,高
等学校学習指導要領一般編 が発行 されてか ら,そ
の取扱いにつ いて文部省 は次の よ うに説明 を加 えている。「改訂一般編 に示 されている事項 は,す
べて基準 となるものである。」「 基準 の幅,弾
力性,あ
るいはその拘束力の強弱は,学
習指導要領の示 し方 によって きまるものである。」「 したがって
,従
来 しば しば一般 には学習指導要領 の掲 げるところによるべ きであるが, 地域社会の特殊事情,学
校 の状況 によっては これによらな くて もよい。すなわち,基
準 その もの に幅 があ り,弾
力性 があるといわれて きたよ うなことは,今
回の改訂 された一般編 については, いえないことである。学習指導要領 自体 が弾 力性,幅
を示 しているばあいは,そ
の弾 力性 の範囲 内 によるべ きであ り,そ
れ以外 は,す
べて掲 げられた事項 その ものによらなければならないは0。 」 (前 出 『時事通信』33ペー ジ)と
している。 これ等 を見 れば文部省の見解 が学習指導要領の基準性・拘束性 をしだいに強調 して きていること が察知で きる。 しか し地域 の実情 を考 え,教
師の倉J意工夫 を生 か し,児
童生徒の個性 を尊重す るために,全
国的 に共通 に示す教育課程 は,画
一的 なもの としてでな く,幅
の あるものでなければならない。 したが って,前
の二つの説明 (“ X口″ヽ》 は,拘
束の強 さについては説 を異 にしていても,「基準」 はそれ を 中心 としてある幅 をもったもの をあらわす概 念で,学
習指導要領 が示す教育課程 は,基
準 としてそ れ自体幅 と弾 力性 を含むことを認めているが,妥
当 な見解 と云 えよ う。 ところが最後 の停)の説明で は,「基準」 とい う概 念の把握 が不適当であ り,か
かる「基準」の考 え方では,教
育 における教 師の 倉U意工夫や創造性 を減殺す ることになろ う。従 って筆者 としては「基準性」は前の三つの説明の意 味 に解す るものである。 なお天城勲氏 は「基準 の意味 については,ま
った く同一であるとい うのではな く,そ
れ を中心 と して考 えられ,一
定の幅 をはずれてはならないことを意味 している。労働基準 法 に規定す る労働基 蜂 のよ うに最低基準 といった一線 を画 しうる種類の ものではなく,教
育課程の本質および学 習指導 要領の内容 か らみて分 るよ うに,地
域社会の特質 に応 じて学校 の現場 において構成 されるべ き教育 課程の準則 を意味す る基準 である。 したがって,学
習指導要領の内容 には準則 として基準 性 のかな り強 い部分 と弾 力性の余地 の多い部分 がおのずか ら分 れてこよう」 といっている。 このよ うに「基準性」は弾 力性 と幅 を持 ったもの と解すべ きであり,こ
れによ り教 師は地域社会 の事情・学校 や子供 の実態 に応 じた教育 を展開 し得 ることになる。 (四) さらに近年,国
の教育課程 の基準 は「大綱的 な基準」 にとどまるべ きであるとす る見解 がみ られ る。すなわち福岡高裁 (福岡高裁昭39・ 12・ 14判決)は
,「学習指導要領 はなるべ く大綱的 な もの に 止 ることが望 ましく,そ
して これに対 して余 りに強 い強制力 を持 たせないことが望 ましい」 と判示 している。 また大阪地裁 は,「教育行政 は,教
育の 目的 を遂行す るに必要 な諸条件 の整 備確 立 をそ の本来的任務 とす る。……その主たる内容は,教
育施設の設置管理,教
育財政,教
職員の人事等教 育の外的条件 の整備 のほか,教
育事務 の処理 の適正 をはかるため,広
く教育 に関す る事項 (したが って教育内容等 をも合む。)1こついて,指
導・助言・援助 を与 えることである。・…・・したがつて,文
部大臣の前記『学科及 び教科 に関す る事項 』を定める権限は,そ
れが右 の指導,助
言 とは性質 を異 にした権 力的 な行政権限である以上,教
育基本法10条等の趣 旨か らして,教
育の自主性 を阻害 しな い範囲の,全
国的 な公教育制度の秩序 を維持 す るに必要 な教育課程の基準の設定 に限 られるべ きも の と解 され る。……のみならず,憲
法92条,94条
,地
方 自治法2条
3項 5号
,地
方教育行政法23条 等の規定 によると,我
国の現行教育法制は,基
本的 には教育 に関す る事務 をもって地方の権 限 に属す るもの としてお り
,教
育行政 における地方 自治の原理 は,教
育の民主化 の重要 な内容 をな してい る。……・ 学校教育法43条 (38条,20条
)に
い う文部大臣の『学科及び教科 に関す る事項 』を定める権限は 中等初等教育 における全国的画一性 を維持 す るに必要 な極 めて大綱的 な教育課程 の国家的基準 の設 定 (高等学校 については,教
科,科
日,授
業時間数,標
準単位数 など)に
限 られるべ きもの と解す べ きである。・……文部省の定める学習指導要領 も,右
大綱的基準の枠タトの事項 については法的拘束 力を有せず,単
に指導,助
言 としての意味 をもつ にとどまるものである」(大阪地裁昭41・ 4・ 13判 決)と
している。 この判決 は,教
育行政機 関の権 限は,主
として,「教育施設の設置管理等の教育の外的条件 の整備 に限 られる」 としているが,教
育は施設等の教育環境,教
職員の資質,教
育の内容,方
法等 が不可 分 に結 びあって,遂
行 されるものであり,い
ずれも重要 な教育の目的 を達 す るための条件 であるこ とには変わ りない。 したがって教育行政権 の教育への関与 を外的条件 に限定 しているのは問題 があ り,ま
た「大綱的 な」 とは どの程度の ものか不明である。 また教育課程 の基準 として大綱的基準説 を説 くもの として教科書訴訟の杉本判決 がある。杉本判 決 でこの見解 をとりあげた部分 をみ ると,ま
ず学問 と教育 が不可分一体 であ り,教
育が本質的 に自 由で倉J造的 な活動であることに注 目した部分で,「公教育内容の組織化 は法的拘束力のある画一的, 権 力的 な方法 としては国家 としての公教育 を維持 してい く上 で必要最小限度の大綱的事項 に限 られ, それ以外の面 については,教
師の教育の自由 を尊重 しつつ,こ
れに対す る指導助言,参
考文献の発 行等の法的拘束力 を有 しない方法 によることが十分可能 であ り,か
つ これ らが高い識見 とす ぐれた 学問的成果 に基づけばこのよ うな方法 によって も十分 な指導性 を発揮す ることがで きる」 とし,公
教育内容の組織化 は,「こ うした方法 によるべ きである」 とす る。 また教育基本法10条の趣 旨,つ
まり教育の自主性・自律性(1項
)と
教育行政の任務 と限界 (2 項)を
確認 したあとの部分では,「教育の『外的事項』 については,原
則 として教育行政 の本来の任 務 とすべ きところであ り,ま
た教育課程,教
育方法等のいわゆ る『内的事項』 については,公
教育 制度の本質 にかんがみ,不
当な法的支配 にわた らない大綱的基準立法 あるいは指導助言行政 の限度 で行政権 は権 限 を有 し,義
務 を負 うもの と解す るの力滸目当で ある」 と述べ ている如 く大綱的基準 説 は国の教育課程行政権 の限界 を画す る制度上の原則 として把握 されている。 一方学校教 育法 には「/Jヽ学校 の教科 に関す る事項 は,(中略)監
督庁 が,
これを定める」(20条)と
あり,そ
の監督庁 は「当分の間,こ
れを文部大臣 とす る」(106条)と
され,こ
れをうけて学校教育 法施行規則 では「/Jヽ学校 の教育課程 については,(中略)教
育課程 の基準 として文部大臣が別 に公示 す る小学校学習指導要領 によるもの とす る」(25条)と
定 め られている (中・高校 その他 の学校 にも 同旨の定 めがある。)したがって学校教育法 によって文部大臣に教育課程 に関す る,一
定限度の行政 立法権 が授権 されていることはた しかである。 しか し問題 は,第
一 にそれがどのよ うな限界・内容 の ものにとどまるべ きかにあ り,第
二 に学校教育法施行規則 によ り文部大臣に再委任 されている教 育課程基準 としての現行学習指導要領 がいかなるもので あるかにある。 学校教育法 にい う文部大臣力 ∼定めるとされる「教科 に関す る事項」 とは,文
部当局 は「教科」 を 教育課程 の意 に解 す る上 に,な
かにはこの学校教育法 の文理 をことさら強調 して文部大臣が教育課 程 に関す るすべ ての事項 を決定で きるとす る向 きがあるのに対 し,国
ない し教育行政機関は教育課 程 の基準 を作成す るものであって,教
育課程 その もの を編成す る地位 にあるのは学校 (但し校長)であるとす る者 もいるは'。 しか し
,い
ずれにせ よ両者 とも教職貝集団 による教育課程 の自主編成の 立場 を否定す るとい う基本的 な点 においては大同小異 である。 大綱的基準説の背景 には,教
育内容 に関す る教師の専門性,自
主性の確認,換
言すれば教師の教 育権限の独立説 に依拠す るものである。 これは戦後 日本の教育改革 の理念 にもとづ くものであると 同時 に,倉J造的で豊 かな教育活動 は教師の 自主性の保障 を不可欠 とす るとい う教育現場の通念や要 求 を背景 とす るものである。 さらに,教
師の教育権 限の行使 については,大
綱的 な基準立法 および 職員会議 。学内委員会 など学内教員組織の議決 に拘束 されるほかは,「職務上の独立」 を保障 されて お り,指
揮監督 。職務命令 を うけないとす るものであ り,こ
れは教育基本法10条ない し教育の精神 的 自主性 と教育の専門的 自律性 とい う教育条理 などか ら当然 に導 き出せ るものである10と す る。 こ の見地 からす ると,文
部大臣 による全国一律の基準立法 は,各
学校 の教員組織の教育課程編成権 を 不当に支配 しないものであることが要請 され ることになる。 このよ うな立場 か ら学校教育法の委任 による教育課程基準 は,「ごく大綱的 な基準 」,すなわち小・中学校教科 と時間配当,高
等学校では教 科・科 目,授
業時数,単
位数 などに限 られる,
とい う解釈 が成 り立つ とい うあけであるlη 。 大綱的基準説は,国
の教育行政権 を限定す る考 え方であるとともに,少
な くとも大綱的基準 以外 の,現
場の教育内容 を決定す る教育課程基準 が制度上参考や手引,つ
まり指導助言 としてはありう ることが うちだ されている見解 である。 そ して大綱的基準 に関 しては,第
一 に,性
質上全国的画一 性 を要す る度合 いが強 く,指
導助言行政 その他 国家立法以外の手段 ではまかない きれないよ うな事 項 に限 られる。第二 に,当
該事項 の広狭 は基準立法の制定手続 に教員代表 をは じめ教育関係者の代 表がどの程度 自主的 にか加 を保 障 されているかにも関連 して くる,
といわれる10。 しか し,大
綱的 基準の範囲 を現時点で,静
的 ,一 義的 に決定づけるとい うことはむず か しいのはた しかであろう。 ただ,そ
の範囲 を兼子仁氏 のいわれる如 く,教
科・科 目・時間配当・授業時数・単位数等 に限 るこ とは教育の内的事項への国家の介入 を排除す る見地 とは云 え,や
や狭 いのではなかろ うか。「教育課 程」 を如何 に考 えるかで あるが,児
童・生徒 がその発達段階 に応 じて学習す る教材内容 が大 きな要 素 を占めるものである限 りは,そ
れについての基準 は,当
然,教
材・教育内容 についての基準 であ ることになる。従 って大綱的基準の範囲は教育内容 に関す るもの を除外す ることは不当である。 ま たかかる基準 を全面的 に否定す ることも妥当でない。要 は教育課程 (教育内容)に
関す る基準 は必 要 なのであるが,問
題 はその基準 の性格 であ り範囲であり拘束力を教育の本質 との関係 で如何 に考 えるかである。 この点,基
準 の性格意味 についてはすでに述べたのであるが,教
育課程 の国家基準 としての学習指導要領 の基準 の範囲 とその拘束 力をみ ると,昭
和33年,文
部 当局 は学校教育法施行 規則25条を改正 したのにあわせて,そ
の再委任 に基づ く指導要領 を文部省「告示」 として官報 に公 示 し,そ
れによって学習指導要領 は教育課程 の国家的基準立法 たる法規命令であって事項 により強 弱 があるにせよ,全
体 として法的拘束力を有す ると説明 した19。 もっとも,文
部当局 は,教
育課程 は文部大臣の権限 に基づ いて定 める指導要領の基準 によるのだから「指導要領 によらない教育課程 を編成 し,こ
れによる教育 を実施す ることは違法である」 との公式見解 をすでに昭和30年に明 らか にしていた。昭和30年以前 には学習指導要領全体 が試案 であ り,参
考書・手引書 あるいは「指導上 の基準 」 にしかす ぎなかったのにこの時点から一転 して全体 として法的拘束力があるとされたので あった。 さて,現
在,教
育課程 の基準 に関 して教科・科 日,・ 小 中学校 の場合 は授業時間 まで学校教育法施 行 規則で規定 されている(24条・58条・57条など)のに対 し,学
習指導要領 はその上,総
則 をは じめ,各教科 の 目標や各教科 の学年別 目標 および内容 11)日標,(2)内容,(3)内容の取 扱 いに分 かれている) について詳細 に定 めている。 そ して目標 や内容項 目が単 に列記 されているとい うよ うなものではな く
,教
育方法や教材 についてまで細 か く書 いてい るのがその実際であり,A5判
,政
府刊行物 とし て小学校 の場合約200頁,中
学校約260頁,高
校 の場合は約440頁に及ぶ よ うなものである。 これ は教育内容についてある程度 の基準 を必要 とす るに しても,ま
た「大綱的」 とい う概 念が明確性 を 欠 き相対的流動的 な一面 を持 つ に して も大綱的基準 の範囲 としてはやや詳細 なもの と考 えられる。 かかる国家的基準 としての学習指導要領 はその規制の範囲 との関係 から法的拘束 力も,そ
の事項 に よ り強弱 があ り,同
時 に法的拘束力の対象 に適 しない事項 も有す ると考 えるべ きではなかろ うか。 学習指導要領 が学校教育法施行規則25条で法的根拠 を有す ることは明白で あるが,そ
のすべてが, 法的拘束力を有す ると解す ることは不当であろ う。 またその法的拘束力 も罰則 をともな う程 の強 い 強制力を有す るものではな く,教
育行政機関の教師の教育内容 についての指導助言監督権 の法的根 拠 をなす程度の拘束力と解 し度 いのである。 (五) この教育課程 の大綱的基準 とその拘束 力の点 について欧米諸国の例 を概観す るに大 きく二つの型 に分類出来 るよ うである。その一つは何 らかの形 で大綱的基準程度の事項 が国で中央集権的 に定 め られている場合で も,そ
の決定過程 には教師の大幅 な参加 な り,指
導助言 な りが前提 となっている こと,こ
れに対 し他 の一つは教育課程 を国が定 めず地方の教育行政当局 ない し教師 に地方分権的 に 委せている場合 には国の関与は指導助言の筋 でまかなっているとい うのが大勢であるとい う研。 も ちろん,こ
れは制度 を大 きくとらえて典型化 した ものであり,た
がいに我然 と区別 で きるものでな く,詳
細 において異 なることは当然である。しか しいずれも,たとえ教育課程基準 の国家的統一への 方向が目ざされているよ うな場合で も,教
育内容行政 のあり方 が拘束的ではな く専門的指導助言が その中心である。 たとえば前者の典型 として,フ
ランスの場合 には,初
等 。中等学校 とも各段 階 コースごとに授業 時数 および各教科 内容項 目が文部省令で,教
育内容要綱・教育方法 など日本 の指導要領 に相当す る ものは文部省通達 でそれぞれ定 め られているといわれる90。 しか し,こ
の よ うな教育課程基準 の制 定 には大幅 に教員代表の参加 が法 的 に保 障 されてお り,そ
の うえ視学制度 が法 規上 は教員人事具申 権 などをもつが,説
得 力ある教育上の指導助言者である実態 が一般 であるとい う¢D。 また後者の地 方 自治的 な国 においては大綱的基準 は言 うまで もな く教育指導上の決定 自体 が地方的 ない し学校 レ ベルにおいて広範 な教師の参加 を得て行 なわれ,そ
の うえ教育課程 について当局の指導助言がその 中心であ る9閉 といわれている。 たとえばイギ リスの初等・中等教育の教育課程 は,宗
教教育上の措置 を除 いては教科 の種類 とそ の時間数 を含めて基準設定 は原則 として各学校 の校長 が決定す るもの とされている一方,か
かる教 育内容・方法 は,一
般的 にいえば指導助言行政 によって統一 が保 たれている90。アメ リカの場合 は, 一般的 にいえば教育課程基準 は各州法 の規定 および)H教育行政機 関が定 め る基準 に基づいて地方教 委 が決定 し,多
くの州教育行政機関は指導要領や各教 師の指導書 を作成・配布す るが,
しか し州 は 教育課程 の大綱 を定 めるだけのよ うであ り,細
目について地方教委 にまかせ る場合 が多い20。 何 よ りも教師の自由な活動 を確保 す る見地 か ら教育関係者の協 力 を求 めるといった手続 がよ くとられると90い うことで ある。
以上の欧米諸国の例 に見 られる如 く
,教
育課程 の基準 は大綱的で あり,法
的拘束力の強 い もので はな く,指
導助言の性格 の強 いもののよ うであるが,こ
れはILO―
ユネスコ「教師の地位 に関す る翻告」(昭和41年)が
その61項で,「教職者は職業上の任務 の遂行 にあたって学問上の自由 を享受すべ きである。教員 は (中略
)承
認 された課程 の大綱 の範囲で (with the framework of approvedprOgrammes)教
育 当局 の援助の もとで,教
材の選択 と採用教科書の選択、教育方法 の採用 などに ついて主要 な役割 (essentЙ l role)を 与 えられるべ きで あ る。」 と記 されている点 にも うかがわれ るところである。 またILOと
ともに教 師の地位改善 に関心 を示 して きたユネスコの国際公教育会 議の勧告 もその端的 な一例であるといい得 る。 す なわち, 同会議 は昭和34∼5年
に初等 。中等学校 の教育課程 の作成 と発行 について勧告90したが,同
勧告 は教育課程基準 たる「教授細 目」 を発行す る権 限 をもつ官庁 が,中
央集権制度 と地方分権制度 をと る国 において必然的 にその あり方 力滸目違す ることを認 めつ つも,前
者の国では地方の要求 に応 じる ことがで きるよ う教育課程基準 に十分幅 をもたせ ること,後
者の国では,む
しろ教育課程 に地方 に よって不必要 な相違 が起 こらぬ配慮 を関係機関の協 力によってす ることをすすめている。 たとえば「教育課程 を中央行政機 関が発行す る国では地方 または地区の要求 に教育課程 が即応で きるよ うにじゅ うぶん幅 をもたせ ることが望 ま しい」,「教育の地方分権制度 をとっている国では教 授細 目を発行す る責任 をもつ各行政機関 に対 し,各
地域の教授細 目のなかで不必要 な相違 が起 らぬ よ うにす るため各機関相互の間で協 力す るよ う勧奨 (中略)す
ることが望 ましい」,「教授細 日は, 教員 が適宜応用 した り,自
由に使用す ることを認 めない規則 としてではな く,む
しろ手引書 および 具体的教授資料 として考慮 されることが望 ましい20」 としている。 かかる例 に見 られ る如 く,教
育課程 の基準 は「十分 な幅」 をもたせ ること,そ
の基準の内容範囲 は教育課程 の「大綱的範囲」であること,ま
た強 い法的拘束 力を持 つ ものでな く,「指導助言文書・ 教授資料」 として考 えられているよ うである。 教育の内面性・人格性・非権 力性・教師の 自主性 ・主体性・倉↓造性の尊重 。さらに地域社会 の実 状 と児童生徒の実態 に即 した教育 を展開す る為 には,教
育課程 の国家的基準 としての学習指導要領 の基準性 と拘束力は以上の如 く解す るのが望 ましいで あろ う。 ただいずれにして も教育課程の基準 は教育の外的事項 に限 ることなく,教
育の内的事項 について の基準 も必要 なのであり,そ
れが弾力的で大綱的で あるにしても,そ
の範囲で教師は,そ
れ を尊重 しなければな らず,違
反の事実 があれば,教
育行政機 関の指導助言監督等の方法 によ り是正 のため の措置 がとられ得 る根拠 を持つ ことになる。 注 (1)『中等教育資料』特別号「改訂高等学校の教育課程」183-4頁 (2)昭和22年版『幸習指導要領一般編』 2頁 (3)時事通信・内外教育版第 694号 特別附録昭和31年1月 6日付・33買 (4)飯塚浩二他編 。社会科教育の基本問題・明治図書,174買 (5)昭和30年11月3日『文部広報』130号。前出『時事通信』30-31頁 (6)渡辺孝三『学習指導要領の法的性格』 ―昭和31年日本教育学会報告附録 (7)時事通信・前掲書,31頁(8)飯塚浩二他編 ・前掲書177頁 (9)昭和26年改訂版 『学 習指導要領一般編』17頁
00
『広報資料』3号「改訂 された小・ 中学校社会科 の解説」29・ 126頁1'
「改訂高等学校 の教育課程」183-4頁19
「改訂高等学校 の教育課程」190頁10
時事通信 ・前掲書,33頁 住n
天城勲・教育関係法I・ 日本評論社,99-100頁19
神 田修・学 習指導要領 と大綱的基準 。法律時報 ・ 日本評論社,1972・ 6月 所J又・233頁 は0神
田修・前掲論文,234買 lη 榊 田修 ・前掲論文,234頁, くわ しくは兼子仁・教育法学 と教育裁判・50-51頁 住0
兼子仁 ・前掲書,51頁 住0
安達健二 『改訂版校長の職務 と責任』(昭和37年,第一公報社)105-6頁 ,兼子 。前掲 『教育法学 と教育裁 判』 50貢など90
神 田修 ・前掲論文,239頁 ¢ゆ 神 田修 ・前掲論文,239頁 ,兼子仁・前掲 『教育法学 と教 育裁判』6頁,岡津 守彦 編 『教育課程 』(昭和46年, 第1法規)277頁 (手塚武彦氏執筆)9D
神 田修,前掲論文,239頁,詳しくは兼子・前掲 『教育法学 と教 育裁判』11頁,平塚益徳編『世 界の教 師』(昭 和42年,帝国地方行政学会)292頁 (手塚武彦氏執筆)。 なお西 ドイツの場合,各邦 が教育課程 を決 定 公 布 と、「教科 の種類 と時間敷 および各教科 の内容は邦 ごとにま ちまち」 だといわれ る (奥田真丈編 『主要 国 の 学制 と教 育課程』(昭和42年,第1法規)36頁。 また,教育課程行政 に多 くの教 育関係組織 が参加 し,指導要 領基準 も比較的教師の 自由 に委せ られている状況 につ き深谷 昌志 「西独教育課程 の現状 とその社会的背景J 教育学研究26巻1号,昭和34年 3月)。931 H.C.dlent, The EducatiOnal system of Englend &VVales, 1963. p.p. 75∼ 77
90
神 田修 ・前掲論文,239頁T.M.Pierce i Federal, State, and LOcal Government in EducatiOn, 1964. p.p.58∼ 9
¢
9
神 田修 。前掲論文,239頁WV.E. Arnold i Administration and SupervisiOn of instruction(・ in “The Administration of Public EducatiOntt by」.T. Wahlquist and Others 1952)p.p.273∼ 4. S.T.Kneze、アich;Administration of Education, 1962, p.289
90「小学校教育課程 の作成 と発行 に関す る勧告J(昭34・ 7・ 15第 22回同会議
,勧
告46号)および「一般の中等 学校教育課程 の作成 と発行 について」(昭 35。 7・ 14第 23回同会議,勧告50号)文部時報昭和34年 9月号および35年10月号。