お酌で世界とつながる日本酒 フィリップ・ハーパー/CEL【大阪ガス株式会社 エネルギー・文化研究所】
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(2) 外国人初の資格取得を﹁当時のおやっ. う 南 部 杜 氏 資 格 選 考 試 験 に 合 格 す る。. 地酒専門の居酒屋に通い、個性豊かな さ ん に﹃と り な さ い﹄と 言 わ れ る と、. 酒好きということで気の合った3人で. の文化とも積極的に関わっていくこと 日本酒の奥深さを知っていく。やがて. 勢で日本語を学んだハーパー氏は日本 になる。 年間. 当 主 の 木 下 善 人 氏 だ。. 年以上酒造を. 支えたベテラン杜氏が亡くなり、天保 ︵1842︶年より続いた酒蔵の廃. ったと話す。. く、公立の学校に赴任したこともよか. ハーパー氏は最初に語学学校ではな. . 日本の伝統産業を 支えたい. ひとりの伝で酒蔵を手伝った。. 蔵人 として就職していた酒好き仲間の. 酒屋で働きながら、先に奈良の蔵元に. が、終了後も昼間は語学学校、夜は居. J ETの派遣期間2年の滞在のつもり. などにも参加するようになった。当初. 蔵元見学や酒造り体験、酒米の田植え. ハーパー氏は2007年、銘柄酒﹁玉. 蔵人から杜氏へ。着実に修業を積んだ. 後、再び大門酒造に戻り杜氏となった。. 茨城の須藤本家でも酒造りに携わった. その後、大阪の大門酒造で杜氏補佐、. 破であろう。. 酒造り一筋であったからこその難関突. 掛 け る 蔵 は、全 国 で も 僅 か し か な か っ. 製造リスクの高い酵母無添加の酒を手. 添加するより手間暇と高い技術を要し、. ﹁自 然 仕 込﹂の 酒 だ。培 養 し た 酵 母 を. き酵母と呼ばれる酵母で発酵させる. 商品のひとつが、蔵に住みついた家付. 業を考えていた時期だった。. ﹁語学学校は外国人講師のサポートに す で に 清 酒 の 売 り 上 げ は 減 少 傾 向、. ぎ合う習慣がないので最初は驚きまし. 込 め た。 ﹁イ ギ リ ス で は 互 い に 酒 を 注. にお酒を注ぎ合うだけでその場に溶け. 続かなかった。しかし、宴会では互い. 語を話せる人が少なかったため会話が. 初同僚教師とは笑顔は交わせても、英. を注ぎ合う﹁お酌﹂という習慣だ。当. さん︵杜氏︶は絶対的な存在で、食事. また、現場の最高責任者であるおやっ. が ら の シ ス テ ム が 出 来 上 が っ て い る。. ﹁仕事は厳しいですが、酒造りは昔な. 制度など、戸惑いはなかっただろうか。. 制の労働状況だ。さらには慣れぬ杜氏. の蔵人たちと寝食を共にし、. 日本酒の仕込み期間は半年以上、他. 入ったのである。. として入ることとなった。. 川﹂をつくる京丹後の木下酒造に杜氏. そ れ を 受 け て ハ ー パ ー 氏 が 提 案 し た. 力を入れますが、その分、生の日本の 若い世代の担い手不足は深刻になって. たが、これは言葉がなくても年齢や先. 氏の﹁木下酒造はマジョリティに向け. 上/酒蔵に眠る古道具や 古家具を蘇らせ 昨年新装された店舗。 奥には試飲ができる カウンターも。 下/社長の木下善人氏。. だいもん. 姿に触れる機会は少なくなる。公立の いた頃だ。いつしかハーパー氏の中で、. くらびと. 学校で働くことで一般的な日本人の暮 日本が誇る伝統産業に対する危機感が 歳で奈良の梅乃宿酒造に蔵人として. 輩・後輩の別なくコミュニケーション でも先に箸をとるまで他の蔵人は手を ﹁初対面の私に、ハーパーは滔々と日 た酒をつくりたいのですか。2、3割. 時間体. ができる道具だと思いました﹂と話す つけないといった決まりも、階級がは 本 酒 は ど う あ る べ き か を 語 り ま し た。 であっても確実にこの味を好む人がい. ハーパー氏が日本酒にのめり込んだ. 本酒へも興味を寄せていく。 梅乃宿酒造に入って. た﹂ ました﹂と話すのは、木下酒造. と思い切って挑戦することにした。. という不安もあった。しかしハーパー. 下氏にはこの時代にそれが受けるのか、. がしっかりあり、濃いのが特徴だ。木. ー氏が造る酒は苦味・渋みなどの五味. いの酒が主流の時代にあって、ハーパ. た。さらに、国内では若くて軽い味わ. ハーパー氏は、お酌を通した非言語コ っきりしていてわかりやすい。古いと その情熱たるやすごいもので、この人. る酒を目指したほうがいい﹂という熱. のは、現在も親交のあるふたりの友人 01年、ハーパー氏は合格率5割とい. 日本酒業界の 歴史に残る存在. ミュニケーションを体験し、自然と日 いうよりむしろ機能的だと思いまし な ら 何 か や っ て く れ る と、﹃あ な た が. の存在が大きいという。同じ音楽好き、. の製造法を再現した﹁タイムマシーン﹂. 新商品を生み出し、現在では江戸時代. 存在﹂と評するハーパー氏は、次々と. 対する情熱も知識も業界の歴史に残る. 下氏が﹁とにかく勉強熱心、日本酒に. 路を広げることとなった。その後も木. 酒は、日本国内だけでなく外国へも販. と思います。その素晴らしさをもっと. ってもらうためにも大きな武器になる. である和食に合う日本酒は、日本を知. さらに普及させること。無形文化遺産. ﹁当 然、日 本 が 誇 る 伝 統 的 な 日 本 酒 を. ハ ー パ ー 氏 自 身 が な す べ き こ と は. きだと考えているだろうか。. 今の日本をどう感じ、今後何をなすべ. の年月の方が長くなったハーパー氏は、. 来日して. くことは必要だと思います。互いにつ. もっといい意味での話し合いをしてい. ﹁和を大事にすることはいいのですが、. うことだ。. 日本人が積極的な議論を好まないとい. ーパー氏が気づいたことがあるという。. さらに、長く日本に暮らすなかでハ. 強く語る。. すべきものは残しておかないと﹂と力. が残るところはある。今からでも、残. る ハ ー パ ー 氏 は、﹁ま だ 日 本 の 原 風 景. かな自然が残る大阪府北部に住んでい. 現在、仕込みのない時期は、今も豊. ているのを嘆く。. 日本に親しみ、酒造りを通して日本と. を通した非言語コミュニケーションで. ニケーション法が通底すること、お酌. 異文化圏である大阪と母国のコミュ. 因かもしれないともハーパー氏は話す。. 近いことが、 日本になじめたひとつの要. コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 法 が 母 国 の そ れと. 相手との関係構築から始まる関西の. ね﹂. むしろアメリカに似ていると感じます. はイギリスとの共通点を感じ、東京は. モアをもって会話をする関西の文化に. 本題に入るのが一般的です。常にユー. 少し笑いをまじえた世間話をしてから. マンはいきなり商談に入るのではなく、. ているんです。例えば、大阪では営業. ﹁関西は、会話でのコミュニケーショ. など数十種に上るという。. 伝えたい﹂と語る。. ぶし合うのではなく、思ったことをき. いう国を多面的に知るハーパー氏が創. 茶屋町などの大阪市街を走りながら目. 出荷量が倍増した海外向けの日本酒の. また、海外からの観光客にあふれる. ちんと話し合う機会がもっと必要だと. 年となる20. 結果、酵母無添加で行う﹁自然仕込﹂. PRにも力を入れており、ハーパー氏. 現在の日本には﹁経済的にはよいでし. 思います﹂. ン法がイギリスやオーストラリアと似. は仕込みのない夏期を利用し、国内で. ょうが、例えば心斎橋でも香港と同じ. にした﹁日本らしさ﹂が急速に失われ. の試飲会やイベント等での販路拡大に. ようなブランド店が並び、ここはいっ. り出す日本酒は、世界と日本を結ぶコ. ほかにも木下酒造では、この. 年で. の商品を含め、ハーパー氏が手掛けた. 留まらず、海外でも日本酒のセミナー. 一方で、コミュニケーションの方法. ミュニケーションツールとしても大き. 年、日本で. を行っている。しかし﹁倍増といっても、. たいどこの国だろうと思います。昔な. 自体には、母国との共通点を見出すこ. 年、酒造歴. 海外輸出量は全出荷量の数パーセント. がらの日本の風景がなくなっているの. 中/ハーパー氏が 最初に挑戦した、 玉川の ﹁自然仕込﹂ シリーズのひとつ。 下/江戸期の製法による タイムマシーンシリーズ。 ラベルに当時の酒蔵を描いた ﹁1712﹂︵左︶ と 3年熟成の ﹁ビンテージ﹂。. な役割を果たしそうだ。. に過ぎない。満足すべきレベルではな. の酒の醸造は1年目から成功、またた. 日本に思うこと、 今後なすべきこと. 24. とができるという。. 10. が残念﹂と、来日当時自転車で谷町や. い﹂とハーパー氏は語る。. ﹁タイムマシーン﹂を ソフトクリームにかけた 人気商品。 濃厚で芳醇な甘さに 驚かされる。. 28. 25. く 間 に 売 れ た。 ﹁自 然 仕 込﹂シ リ ー ズ. 代目. 意に、もとより廃業も考えたのだから. そのひとつが職場の宴会で互いに酒. らしにじかに触れることができまし. やるしかなかった﹂と笑うが、. 40. 膨 ら ん で い っ た。そ し て 1 9 9 1 年、. 飲むだけに飽き足らず、滋賀や奈良の. 13. た﹂. 10 11. 造りたい酒を造ってください﹄と言い. 25. 14 CEL November 2016 CEL November 2016. 15. 10.
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