「最後まで自分らしく生きる」
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(2) 目. 次. 1. 市民講座を開催して ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・. 2. 2. プログラム. 4. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・. 3. 講演内容 (第 1 部)基調講演 緩和ケア診療所「いっぽ」萬田緑平氏 ・・・・・・・・. 5. (第 2 部)パネルディスカッション 在宅看取り体験談 大塚まり子氏. ・・・・・・・・・・. 13. ・・・・・・・・・・. 15. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・. 17. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・. 19. 5. まとめ. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・. 22. 6.アンケート(本庄版). ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・. 23. 訪問看護ステーション「笑がお」 久保田小百合氏 萬田緑平氏 4.質疑応答. 《別 添》 当日配布講演者の資料 別添資料-1 別添資料-2. 別添資料-3. 1.
(3) 市民講座を開催して テーマ「最後まで自分らしく生きる」市民講座を開催しました。 150名募集のところ、申込み締切日の1週間前には定員となり、当日欠席者を見込み 175名の申し込みを受けつけ開催しました。 当日参加者は161名。一般市民が86名、他は医師、看護師、介護関係者、行政、 医療大学の准教授と学生、更に聴覚障がい者の参加希望もあり、手話通訳もお願い して、だれでも参加できる体制をとりました。 講座の第1部は緩和ケア診療所「いっぽ」の萬田緑平氏の基調講演、第2部は在宅 看取り体験談を基にしたパネルディスカッションで開催。 《第1部》 癌患者のターミナルケアをされている萬田先生のお話。 先生の「人生の最後のシナリオはなかなか自分に書かせてもらえない。人の書いたシ ナリオでは絶対に苦しいに決まっている。だから本人の意志にとことんこだわりますが 本人の意志を支えるのも、かなえるのも家族」という言葉は印象的でした。 本人がしたいという事を、出来る範囲でかなえてあげる。そうすると辛くなくなるもの。 家族の心のケア、そして本人の願いをかなえるお手伝いをするのが萬田先生の仕事と おっしゃっています。この様な考え方の萬田先生に、これまで看取られた患者さんとご 家族の様子を、19歳の男性から、一人暮らしの女性、認知症の方などいろいろなケー スを先生のお話とプロジェクターを使って患者さんと家族の写真や動画、生の声を通 して、自分らしく最期まで生きる姿を伝えて頂きました。 がん患者の終末期は最後まで治療を続け、病院で亡くなることが普通のように受け 止められていましたが、今回の講演では大切な時間を家族と一緒に住み慣れた家で 過ごし、最期を迎える事が出来る事が本人も納得でき家族も納得できるという事が分 かりました。映像を通して、在宅だからこそ出来るその人らしい生き方や仲間とのお別 れ会、家族との思い出づくりの時間、そしてその大切な時間に生まれる家族の強い絆 は、在宅でなければできないことだと思います。 そして、最期を何処で迎えるか、どうしたいかということは自分で決め、家族に伝え 理解してもらうことが必要だということも理解できました。 さらに、時間をかけて、ただひたすらうなづきながら話に耳を傾けるという傾聴の大 切さ、すると心が軽くなり、痛みも和らぎ、顔が穏やかになる。その様子も映像とお話 からよく分かりました。萬田先生が患者さんに寄り添い話をを聴く様子も感動でした。 今私たちの活動の「介護の悩み相談」「介護をしている人のサロン」に来られる人も全 く同じで、介護の悩みや困りごとをいろいろ話します。そんな時私たちはうなづきなが ら聴き役になり話が終わるのを待ちます。すると話すことで心が軽くなるらしく、帰る 2.
(4) 時は明るくとても良い顔になっています。同じことだなと思いました。 参加者の皆さんも感動し、在宅で最期を迎える良さ、それが出来るようになってき ているということを理解していただき、家で過ごすことも出来るという良いヒントになっ たのではないでしょうか。(詳細は講演録参照) 《第2部》 家に帰りたいという夫を在宅で看取った家族、その家族を支援した萬田先生と訪 問看護ステーション「笑がお」の訪問看護師、久保田小百合さんを招いてのパネルデ ィスカッションを行いました。 残された時間を家で過ごしたいという夫の希望をかなえ、家族ぐるみで支えた看取り 体験談です。(詳細は講演録参照) 萬田先生と久保田さんには終末期の9日間の様子を話して頂きました。 介護している妻の心のケアをされている様子は、萬田先生へのメールから、その様子 を萬田先生は久保田さんとのメールのやりとりで、何と50通以上とのこと。残された時 間を目一杯家族との思い出の時間に費やすよう計らってくださったこと、いざという時 にすぐに動ける体制が出来たことも知りました。大塚さんの話された、家族と一緒に 過ごした9日間の様子は大変なことだけではなく、お酒を飲んだり、親子が川の字に なって寝ることなどは、在宅でなくては出来ないことです。 大切な時間を家族で目一杯過ごした様子がうかがえました。 参加者の皆さんにも、在宅で過ごすことの意味やヒントになった事は、サポーター ズのアンケート集計からも見てとれました。 今回の目的、一般市民への在宅医療の周知という成果も得られたと思います。 更に、 在宅を考えている人や家族、自分らしく生きることを模索している人も多くなってきて いることは申し込みが殺到した中からもうかがえました。今後もこの活動は継続してい きたいと思いました。. 3.
(5) 公益財団法人 在宅医療助成 勇美記念財団助成による市民講座. 「最後まで自分らしく生きる」 日時:平成 25 年 10 月 19 日(土)13:30~16:30 会場:本庄氏児玉文化会館セルディ 2階大会議室. <プログラム> 第1部. 休. 基調講演「緩和ケア診療を通して」 13:30~15:20 講師:萬田 緑平氏(緩和ケア診療所「いっぽ」勤務医師). 憩. 第2部. シナプソロジー体験(遊びで脳トレ) 指導:織田澤好美(シナプソロジーインストラクター). 15:20~15:30. パネルディスカッション 15:30~16:20 パネリスト: 大塚まり子氏(市内在住 看取り体験者) 久保田小百合氏(訪問看護ステーション「笑がお」) 萬田緑平氏(緩和ケア診療所「いっぽ」勤務医師) コーディネーター:土谷裕子. 質疑応答. 16:20~16:30. 4.
(6) 講演内容 第1部 基調講演(13:30~15:20) 講師 在宅緩和ケア診療所「いっぽ」萬田緑平氏 今日の話は教科書的な話ではありません。すべてが勝手な解釈です。 僕は高崎インターの近くにある小さな診療所で、がん患者専門の訪問診療をして います。がん患者ばっかりです。全員亡くなります一日から数年で。 そんな患者さんたちが常にパソコンの中に20名くらい入れて出歩いています。 勉強ではありません。自分で考えてください。僕が教えるという形ではありません。 言いたいことは言いますが、基本的には自分で考えて下さい。 一番伝えたい事は、 体の為にいい事しましょう、悪いことしましょう。それを中心にしないでください。 体にいい事やっていれば、いくらでも長生きするわけではありません。絶対寿命がきま す。自分で体にいい事やりたければやればいい。悪い事はやりたくなかったら、やらな ければいい。あくまでも自分でして下さい。人にそれを押しつけても、決してうまくいき ません。だから自分らしく生きるのがいいと思う。認知症の人にも意志があります。普通 の人にも意志はあります。人生のシナリオを自分で書いてきました。自分で好きなよう に生きたはずです。今の日本で好きなように生きられない人はいません。何らかの決 断をし、自分で選んだ人生です。良かったか悪かったかも含めて自分で決めたことで す。結婚の相手を選ぶのもあなたです。 でも、人生の最後のシナリオは自分に書かせてもらえないものです。家族がシナリオ を取り上げて医者に持って行き、先生これで出来るだけ長くお願いします。そんな人 生最後は絶対苦しいに決まっています。自分で書いたシナリオでなく人の書いたシナ リオです。あくまでも自分たちのしている事は医療ではない。本人の最後の願いをか なえるお手伝いを、医療を使って行います。とことん本人の意志に拘ります。実は本 人の意志を支えるのも曲げるのも家族です。だから、僕らが支えるのは家族です。 僕らが家族を支え、家族が本人を支えるそんな仕組みです。とことん本人、体にいい 事、悪い事なんて関係ないです。こんな状態では家には帰れませんと言われても、本 人が帰りたいといえば帰ればいいんです。そういう考え方です。本人の好きなように生 きさせてあげましょう。それで命が短くなったり長くなったりするわけではないです。 むしろ本人の好きなようにした方がつらくない。つらくないから長生きする。という考え です。これが一番言いたい事です。最近の医療は本人の為でなくなっているような気 がする。こんな状態でああしてはいけない、こうしてはいけないという。僕にどうしていい かを聞かないで下さい。本人に聞いて下さい。正解なんてどこにもないです。一番長 生きして辛くない方法なんてないです。本人に聞いて、本人のしたい事を出来る範囲 でとことんかなえる、家族にもそういう考え方になってもらう、そうすると辛くないです。 5.
(7) 薬も必要なくなってきます。そういう考え方です。 ≪映像開始≫ 癌の苦しみがあるとしたら、癌が苦しいのではなく死ぬのが苦しいのです。当然です。 だれも死にたい人なんていません。みんな仕方ないなという気持とさよならしたいとい う気持ちが揺れ動いています。死ぬ時は皆一人です。死ぬ時は家族からは死んでは だめと言われ応援してもらえない、だから辛いんです。 最初の映像から・・・若い女性の癌患者さんの生の声 癌だから幸せだと思うし、幸せに感謝出来るようになった。 今日もみんなに感謝して、また明日ねという気持ちで寝られるの は癌だから。癌でなくても感じられる人はいるだろうけれども私は 出来なかったかもしれない。だから癌で良かったという気がする。 癌だから悪いこともあるけれど、いい事も沢山ある。朝起きて日が 昇り、ああ今日もと思える事は癌だからうれしいと感じられる。 医療の目的は良くすること、死なせないようにすることです。大事です。もちろん必 要です。でも最後まで死なせない医療にしがみついていたらどうなるかと言うと、最 後は必ず死にます。そしたら残念でしたという言葉で終わってしまう。だからどこかで 医療から離れた方がいいと思う、それが直前か何カ月も前かは本人が決める。でも どこかで離れないと残念でしたで終わってしまう。人間は100%どこかで亡くなるとい うことに気付いていない。100%亡くなることに備えていない。準備した方が良いし、 準備しなかったら辛いに決まっている。 現在の人の亡くなり方は家族主導型です。最後も家族が判断した時に許してもらえ る。医者も家族の味方です。僕らはあくまでも本人主導型に拘ります。そうすると命が 短くなるのではなく、長くなるように思う。亡くなるその日まで話している人、歩いてい る人もいる。おむつにならない人もいます。生まれてから亡くなるまでも自分らしく生 きたいと思います。それを支えたいと思う。 2例目・・・女性 一日一日を大切にし目一杯生きる。先生は明日会えないかもしれ ないから、今日さよならを言います。又明日もきます。一杯お別れ をすると、心が穏やかになる。亡くなる数日前にお別れ会を開い ている。 家族がさよならをみつめている状態だと本人も家族も本当に穏やかです。薬や酸素 は必要ありません。痛み止めを使ってもほんの僅かです。癌で死ぬことが苦しいので はなく、もっと生きたい、もっと生きて欲しい、死んではダメという気持ちがあれば辛い に決まっている。一番つらい時に頑張らなくてはいけないから。好きに生きていいよ 6.
(8) と言われれば、辛い中でも一番楽だと思います。 3例目・・・音声はない。普通に暮らしていた夫婦二人暮らしの夫。 ある時突然おなかが痛くなった。手術しても助からないと判断し 告知した。入院か在宅の選択を話す。もうじき意識がなくなる ことを話すと皆が集まってきた。家族は信じてくれて本人の好き なようにしたらいいという。さよならありがとうといえた時の写真。 その2時間後に亡くなった。あまりにも急だったので辛かった ろうと思い、1週間後にたずねた。すると奥さんはけろっとしてい た。お別れが出来たから良かったんです。以前から亡くなる準備 はしていた。財産の整理、お墓も準備していた。でも人生最大の プレゼント、娘や息子からお別れの言葉(お父さんの子どもで生 まれて良かった)をもらえたから良かった。だから完璧と妻がい う。 50年前は、自宅で亡くなる人の方が多かった。今はほとんどが病院で亡くなる。病 院で亡くなるという事は、医療にとっては失敗で残念でしたと葬られる。だからみんな 実は死を知らない。自宅でどう看取るかがわからない、だから怖いし逃げる。 だから、死の時期を知らせる事が必要。 4例目・・・オートバイ・ツーリングが好きな若い一人暮らしの独身女性。 仲間はバイカー。死の1週間前に来た手紙。 普通は手術・入院となるが、本人の希望でモルヒネを使って ツーリングに行く。死ぬのが怖い人はバイクを降りています。 彼女には死生観があった。どうしてこんなことが出来たかという と病気を知っても支えてくれる友達・仲間がいるから明るく生き られる。口の周りにコケが生えている。1週間食事もできない、 むくみもあり、黄疸症状もでている。意識障害も見られるが元気 に見せている。残り1週間と考え、二日後に緩和ケア病棟に入 院した。本人はほっとしたといっていた。バイク仲間が見舞いに 来て大騒ぎをして、帰った後呼吸がおかしくなり、また仲間に来 てもらい仲間に看取られ静かに亡くなった。 アパートの処理、仕事場への連絡、遠くにいる家族への連絡もすべて行い、自分の 体は検体に出すと決めていた。努力をして生き、支える人がいればできる自分の始 末まですべて決めていた。全くスキのない人生だった 5例目・・・認知症の人。自分が死んでしまうかわからないくらいの人。仏さまのような 人。「いいんです。私はもう十分」と言うような人は苦しまない。 7.
(9) 亡くなる姿は心の問題。 6例目・・・風呂に入りたいという男性の希望をかなえる。 帰りたい、お風呂に入りたいという本人を家に。家に帰る とすぐ亡くなるかもしれないと家族に話し、でも本人が帰りたいと いうのであればと家に戻る。ケアマネジャーに相談。 最近は延命治療にたいしてうわさが広がり、皆子供には延命治療はいらないと言っ ている。でもこれでは甘い。紙に書いてもダメ。どうしてか。亡くなる少し前まで元気 だったので、延命治療を家族が望み、まわされます。難しい。自分にもまだ分かりま せん。医療はそんなに進歩していません。治る病気が治るようになった。 限られた命を燃料切れの飛行機にたとえ、どうすれば安全に着陸できるかを参加者 に問う。安全に着陸できる場所を探す。安全に着陸するために身を軽くする。軽くな ると少し長く飛べる。人も同じ。安全な場所は家、辛くなく亡くなるために身を軽くす るという事は上手に痩せていく=食べられなくなる=痩せていく。これが老衰。 癌患者は大変。家族という山を乗り越えるのが大変。手術をすれば治ると思っている から。チャレンジャー合図の入院は帰ってこられるか分からない。 あくまで本人の意志です。頑張りたくない人は家にいればいいんです。僕らの仕事 は頑張りたくない人を支援する仕事です。頑張りたい人は病院に行けばいい。 7例目・・・自宅に一時帰宅した男性が病院に戻りたくないので、自分で病院に電話 をする。家族にとって病院は生きるところ、頑張る所。でも自分 で分かっている人は病院は死ぬところです。行きたくない場所で す。家を出るという事は年寄りには辛いこと。家にいたいです。 体にいい事・悪い事関係なく、本人の意志を引き継ぐ家族がい ればどんなに状態が悪くても、本人がお風呂に入りたいといえば 入れてあげます。訪問入浴を使って。皆、極楽極楽と喜びます。 普通は状態が悪いと入れませんが、自分たちは本人が入りたい といえば、入れてあげる。あくまで本人の意志に寄り添い最後の 願いをかなえる仕事だと思っている。看取り屋ではありません。 最後の願いをかなえる家族、その家族を支えるのが仕事。 8例目・・・耳が遠いのでほとんどしゃべらない89歳の患者さん 話をじっくり聴きましょうというテーマ。 病気が苦しくて医師に楽にして欲しいと頼んだことがあるという。 娘さんが「いっぽ」に相談に来たのがきっかけ。 患者の耳元でじっくり時間をかけて話を聞き出す。本当にもうや 8.
(10) り残したことはないのかと聞くともういいと言いながら、宝くじに当 たりたかったという。1億円で良い。家に給湯システムを設置し、 残りは親を早く亡くした子供に寄付をするという。自分がそうだか ら。子どもたちの為にもう一度起き上がりたいという。でも、お金が すべてではない。親子のおもいやりが一番だと思うという。 大病をして家族の温かみが分かった。娘さんたちと一杯話すこと 居なくなった時に娘さんが寂しくないようにね。 じっくり話すと自分で何がしたいか、言いたいかがわかる。 ゆっくり時間をかけ、そうだね、そうだねとただうなずく。大きな声で話す。人生の先輩 の話を聴くときには途中で遮ったりしてはダメ。あなたの話は全部聞きますよという姿 勢が大切。話をして行くと本人の話もまとまる。人に話すと気づくこともある。 話をすること、聴くことにはルールがある。 9例目・・・61歳。今までいろいろあったけれど、とってもいい人生だった。悔いはない という。いい人に囲まれて何時逝ってもいいと思っている。 この人は退院直後、初めて会って10分後の事。前日家に帰ると 大騒ぎをし、自宅に帰る。泣きながら病院の先生に謝りたい、ス タッフによろしくお伝えください。 あってから1時間後、家族に止められていたが本当の事、告知 をした。癌は治りませんと。その事を自分で納得すると穏やかな 顔になる。 先生は告知できない人は受けない。本人をだましている状況は決していい看取りに ならない。家族との心のつながりで決まる。本当の事を言わないとかわいそう。頑張れ 頑張れということになり本人が苦しい状態になるから。でも余命は言わない。当たらな いから。本当の事を言うとかわいそう。でも絶対乗り越える。言わない方が何十倍もか わいそう。 家族がなかなか聞いてくれない話を聞いてあげると、顔がだんだん穏やかになってい き、苦しさが減っていく。亡くなる前でなくても話を聴いてくれる人いると心が落ち着く うなずく人は聞き上手。次々に話したくなる。そこからいろいろなことが生まれてくる。 患者さんの最後の望みをすべてかなえてしまいましょう。出来る範囲でとすると初めて 痛くないようにするという緩和ケアにはいる。安定している時もあれば急に悪くなる時 がある。思いを本音で伝え合いましょう。これが亡くなる時につらいか辛くないかのカ ギになる。薬。で決まるのではありません。つらい事は先送りにしてはいけない。 (質問) 皆さんはお別れの場面は、どんなイメージですか 皆さん映画の1シーンのように考えている。亡くなる直前に感謝 9.
(11) の気持ちを伝えるという場面を目指している。皆まだまだと思っ ているから伝えられなくなってしまう。こんな状態では人生最大の プレゼントは出来ません 病気にならないと言えないのではなく、普段から感謝は必要。 大事な家族には思いを毎日伝えておくことが大切です。 10例目・・・おじいちゃん 先生に会いたかった。今日ほど早く聞きたいと思った。 おじいちゃんの状態がこれでいいのかを。いいんです。最高の状 態だと思います。家族も納得。おじいちゃん幸せだね。 病院は一人ぼっちです。病院で点滴をされて大変な時は思うよ うに話もできない。今は病人じゃないみたい。すべてやめて家に 帰ると本人の気持ちが元気になれる。家ならいつでも皆がいて、 いろんな人に会える。感謝の気持ちも伝えられる。おじいちゃん からの感謝の「ありがとう」も毎日聞ける。家で普通に暮らせる。 亡くなる前々日の話です。これが本当の人の亡くなり方だと思う。 好きに生きる事が大切です。 11例目・・・息子の嫁さんの話 数日前にお母さんにありがとうと伝える。おかあさんの意識はもう ろうとしている。「お母さん大事な息子をくれてありがとう」と言った ら、お母さんの顔が輝いた。この子が生まれた時は宝だ。息子を 大事にして欲しいという声が聞けた。ありがとうございました。 みんなでワイワイと最期を迎えて良かった。 12例目・・・ご主人が亡くなった直後の息子のインタビュー 自分は親孝行出来なかった。それで父を自宅で見るという事のあ たって、父は家に帰りたかった。それでいい先生、いい看護師さ んに巡り合えて、口下手な父に今まで言えなかったことが言えて ありがとうが言えた。家族皆で会話ができ、亡くなる時も苦しむこ ともなく、もういいたい事はみんな言えたから楽になっていいよて いえた。父は涙を流していたが、幸せそうな感じでした。親孝行 が出来た。最後は笑って送れるような気持にもなれた。人生の中 でこんなに感動することはありませんでした。亡くなる最後までい ろいろな事を教えられました。こういう素晴らしい事は多くの方に 知ってもらいたいと思いました。奥さんに言葉は「ありがとう。大好 10.
(12) きだよ」って、私も「お父さん、来世も又一緒に過ごそう」と約束し ました。もう少し面倒を見たかった。本音でお別れが出来たので 今は幸せです。 13例目・・・眠りに着く直前のインタビュー 血圧も酸素濃度も測れない状態でしたが家族とすごくうれしそう でした。この後半日後に亡くなりました。「先生幸せでした。長い 間ありがとうございました」と最期の言葉。心の状態が良いと、い い顔になるのです。 14例目・・・お尻に悪性腫瘍。一度心臓も止まった事もある19歳の男性。 遺書を残していた。そして先生と出会う。亡くなる寸前にも残して いた。下半身麻痺で、骨盤の骨が折れているので動かすと激痛 ベットからも動かせません。お尻のきずが化膿しているので毎日 消毒していました。毎日6人がかりで体位交換をしますが、痛く 大声で叫びます。病気を治す手段しか持たない病院は、患者か ら罵倒されても治療するしかない。彼とお母さんにとっては拷問 の日々。受け入れてくれる施設がない。6人態勢がとれるところも ありません。足を切った方がいいといわれる。お母さんはいろい ろな施設を探しました。桐生に住んでいるので、「いっぽ」から 1時間半から2時間かかるので無理だと思われていたが何とかお 願いしますと声がかかりました。お母さんに頼まれ病院に会いに 行きました。僕らに退院の要請があると、病院に会いに行き、希 望を聴きます。歩けない人は歩きたい、元気になりたいといいま す。でも、ゆうすけの希望は、友達に会いたい、タバコが吸いた い、お母さんのご飯が食べたい、夜遅くまでテレビが見たい、バ ーベキュー大会をしたいです。最後は苦しくないようにおねがい します。ヤンキーで暴走族ときいていたが可愛かった。この子は 市まで意識している。1日でも良いから家に帰りたい、死んでもい い、何があってもいいと泣かれました。本人の希望、遠いけど引 き受ける事にしました。「いっぽ」の近くに一度退院させて毎日看 てなんとか家に返せる状態にしようというアイデアが浮かんでき た。1ヵ月我慢を伝える。1ヵ月で家にかえせました。IVHの点滴 が原因で熱がでていた。点滴を辞めたら熱も下がり、ご飯が食べ られるようになった。直す消毒から状態をわるくしければいいとい うことになり、週2回にしました。退位変換も時間をかけて、痛いと 11.
(13) いわないようにゆっくりと返す。4人態勢で返せるようになり、医師 は週一回行けばいいと分かり家に帰すことにしました。 念願のバーベキュー大会はヤンキー仲間とのお別れの会でした 絆が強い仲間、お別れ会がしたかったのだ。みんな21歳の社会 人でした。お別れ会が済んで、一人一人を呼び出してお別れをし て亡くなっていきました。 人生の最終章、シナリオは自分で書きましょうよ。書かせてあげてあげましょうよ。そう するとその人なりに決めるんです。その人なりのキャラクターで。拍手を浴びてその 舞台の幕がしまるんです。シナリオを医師頼んで出来るだけお願いしますというと、 主演は知らない舞台で自分で書いたシナリオでないシナリオで踊らされて、そして途 中で心尽きてしまう。拍手も起きないし、残念でしたと言われるだけだし、幕も閉まら ないしそんな最終章美しくないです。僕らはそんな舞台を手伝う舞台係です。 時間オーバーしましたがここで終わります。(全文). 12.
(14) 第2部 パネルディスカッション(15:30~16:20)登壇者3名 コーディネーター:土谷裕子 1)看取り体験発表 (大塚まり子氏) 萬田先生に主人の看取りをしていただいた大塚と申します。癌と解ってからの闘 病生活のお話をさせていただきたいと思っています。今回、今まで心の中にしまっ ておいた主人のことなので、感極まって話が出来なくなってしまうかもしれませんが、 よろしくお願いいたします。 主人が59歳の時、目が見えずらいという理由で病院に行きました、胸の痛みも咳 も痰も出ていなかったのに、肺がん(進行性小細胞がん)で眼に癌が転移をしてい て、末期の癌で余命6ヶ月との宣告を受けました。私の頭の中は真っ白でした。 入院して抗がん剤治療・放射線・その他検査・点滴・採血あっという間に6ヶ月が 過ぎました。 余命はわずかです。これ以上治る見込みがないので一度退院して通院しながら、 様子を見たらどうかと主治医に言われ、私は主人を大好きな家に連れて帰りたい。 でも、今の医学は日々進歩している。もしかしたら、治る治療が見つかるかも知れな い。セカンドオピニオンも探そうかと考えましたが、主人は退院して自宅で普通の生 活をすることを強く望んでいたので、家に帰るという選択をしました。この時はまだ、 本人に余命は知らせてありませんでした。 私はありとあらゆる癌の本を読みあさりました。どの本にも小細胞癌は長くて8ヶ月。 それ以上生きたという事例はありません。と書いてありました。時間がありません。ま ず、息子の結婚式を早めました。家族全員で一泊旅行もしました。相談しながら伊 勢崎にお墓も作りました。普段と変わらず、ゆったりと時は流れて行きました。主人が 定年になったら、やりたいと言っていた事、例えば、畑を耕したり、ゴルフに行ったり、 自分の好きな時間を作りたい。しかし、だんだん身体が辛くなってきたようで、ゴルフ の練習後のお迎えの電話コールが1時間から30分に早まってきました。いよいよ癌 は股関節の骨もむしばみ始めてきました。歩くのがやっとの状態だったのですが、ゴ ルフ場に行きたいとの夢を叶えるため、知人にお願いをし、ゴルフの日程を組んで もらいました。グリーンに立たせてあげたい。それだけでも良かったのに、なんと、18 番ホールすべてまわったと喜んで帰ってきました。 また、疎遠だった高校の友達とも想い出の場所を車で回ったととても楽しそうでした。 そして、大好きなお蕎麦屋さん巡りもしました。前橋・本庄・熊谷・長瀞まで足を運 びました。 今思えるのは、大好きな町を見ておきたいという思いがあったのかも知れません。 私は最悪の時はやっぱり病院で看てもらいたい。その時まではそう思っていまし た。群大の主治医から「緩和ケア診療所いっぽ会」の萬田先生を紹介していただき、 13.
(15) 本庄の「訪問看護ステーション笑がお」の久保田さんに相談するように言われました。 お二人に出会ったことで全てお任せして、最期まで普段通りに生きてもらおうと決心 しました。子供達とも何度も話し合いました。 主人は少しづつ弱り始め、ある夜中の11時過ぎに2階のトイレでうなり声が聞こえ ました。状況が解らずトイレを開けて見ると、突然主人は頭を壁にガンガン打ち付け 足をつっぱり、壁に足の爪がのめり込み血が噴き出していました。80kgの体格です。 便座が歪み始めています。私は無意識のうちに、救急車ではなく、夜中にもかかわ らず、萬田先生の携帯に電話をしていました。左手は壁と主人の頭の間に入れ、右 手で電話をし、足で便座を固定していました。先生は穏やかな落ち着いた声で「い よいよ意識障害が強まりましたね。 それで奥さんは大丈夫ですか?そのまま待っていられるなら、すぐ行くからもう少 し辛抱して待っていて下さい」その声で私も我に返りました。息子と「笑がお」の久保 田さん・北川さんが来てくださり、4人で主人をトイレからベッドへ運びだし、程なく萬 田先生がいらして処置をして主人は眠りました。先生はご自宅で晩酌をされていた とかで、高崎から我が家まで奥様が車を運転してきて、2時間余り奥様は車の中で 待機していて下さいました。 翌日から本当の介護が始まりました。主人を1階に移し、ケアマネジャーが決まり、 貸しベッドを備え、一緒にトイレに行き、また、ベッドへ運ぶ。知識も経験もない私は テレビのコマーシャルでやっていた起こし方や、立ち上がらせる方法を思い出してど うにか、切り抜けました。主人は仕事人間で家に居る時間も少なく、会話も子供達の 事ばかりで自分たちの事は二の次でしたので、とても大切な時が流れて行きました。 ただ、今なら言える言葉、「ありがとう。とても幸せだったよ」とか「愛してる」とかは言 えませんでしたが。 いよいよです。萬田先生は子供達も集めて「お父さんはあと1週間くらいでしょう。 後悔しないようにいっぱい話をしましょう。そして伝えたい事は伝えておきましょう」と おっしゃいました。 子供達は会社に行ってやるべき仕事を我が家からにして、携帯電話で仕事をし ながら、父親の介護を始めました。父親を囲んで川の字で寝ました。何十年ぶりでし ょうか。機嫌の良い時は一緒にお酒を呑んだり、ご飯を食べさせたり、話もたくさんし たようです。主人は大好きな家で大好きな家族に囲まれてとても幸せな時間を過ご せたと思います。 そして、息を引き取る時息子は「親父お疲れ様。後は俺に任せてくれ。俺頑張る から」の言葉に安心したのか、安らかな眠りにつきました。愛犬も主人の身体の上に 置いたら、顔まで行き口を舐めていました。犬の大嫌いな主人がとてもかわいがった 子です。主人の事が大好きで主人も大好きで、歩けなくなっても愛犬の散歩だけは 行くと頑張っていました。そして主人の新盆の時、愛犬は主人の元へ逝ってしまい 14.
(16) ました。 肺がんと解った時、ある人が「肺がんはのた打ち回ってもがき苦しみながら死んで いくそうよ」と教えてくれました。けれど、主人は最期まで苦しむ事なく穏やかでした。 萬田先生は主人だけでなく、私の心のケアーもして下さいました。毎日のメールの やり取りが私を勇気づけてくれたり、元気にさせてくれたりしました。 肺がんと宣告されてすでに1年6ヶ月の月日が流れていました。享年61歳でした。 チューブだらけで生かされるのではなく、人間らしく最期まで人生を全うしたい!! そのためには今日を目いっぱい生きる。それを主人から教えてもらいました。 そして今でも傍にいてくれると信じています。 ありがとうございました。 2)看取りをされた看護師 訪問看護ステーション「笑がお」久保田小百合氏 みなさん、こんにちは。訪問看護師の久保田と申します。 大塚さん、ずっと心の中にしまっておいたご主人のお話をして下さいましてありがとう ございました。「笑がお」では緩和ケア診療所「いっぽ」さんとはじめてお仕事させて頂 きましたのが、大塚さんとの看取りだったと思います。 たった9日間の関わりでしたが大塚さんのご家族とともにご主人の大切な時間にかか わらせてもらいました。大塚さんの体験発表の感想と訪問看護師として、日々感じてい ることを話させて頂きます。 ご主人のしげとしさんと初めてお会いした時には、椅子にゆったりと腰掛け、大変 穏やかな表情をしていた事を記憶しております。 私に珈琲が冷めないうちにと気遣って下さったり、帰る時には病状で足が少し不自由 になっていましたが、車を誘導して下さって送り出してくれた事を思い出します。 今こうしてお話を伺い、しげとしさんが穏やかに過ごすことが出来たのは、その前に いろいろな思いを伝えていたからだという事を感じました。 初めてお目にかかってからほどなくして、病状の変化がありまして、トイレでの出来事 となりましてコールがありました。8時過ぎにコールがあって9時過ぎに北川と共に駆け つけました。普段は一人で伺いますが北川が訪問したことがありませんで、たぶん私も 北川もすっぴんで、萬田先生と初めてお目にっかったという状況だったと思います。 まり子さんは必死でご主人を支えておられました。それから一緒にベッドに運ばせて頂 いたんですが、そのうちに万田先生が来てくださいまして、24時間訪問診療・訪問看 護とつながっているという事は、ご家族にとっては非常に心強かったのではないかなと 言う風に改めて感じております。 しかし、私たちもいつでも駆けつけなくてはならない状況があるということも大変なこと なんだなと感じております。そして、その翌日から本格的な介護が始まるわけですが、 ご主人が非常に体格のいい方で、意識障害もあったので難しい介護であったという風 に思います。 15.
(17) まり子さんを中心に息子さん夫婦、それから娘さんと協力してお世話をして、それぞ れの役割を果たしていたなと言う事を感じました。最初まり子さんはお仕事も続けてい く予定っだたんです。その計画も立てていましたし、又まり子さんの体調も考慮しなが ら、次の策を考えながら見守っていたことが思い出されます。 少し頑張り過ぎるまり子さんにブレーキをかけましたが、その時はそのブレーキが分 かってもらえなかったのかなと思ったような出来事もありました。 10日足らずの関わりでしたが、家族のきずなのもとに、最期を自宅で迎えられた大 塚家の素晴らしいい介護だったと思っております。お亡くなりになる直前には、家族が 川の字になって寝るという事は在宅でしかできないことじゃないかと非常に感じました。 さた、在宅での私たちの訪問看護師の役割は、本人の病状の自宅ケアはもちろんで す。その他にも先生も先程のご講演でおっしゃっていましたが、ご家族への係わりも 大切な役割となってきています。その人が最後まで自分らしく生きる事を、ご家族が 支えているのでであれば、一歩下がった位置から見守っています。 ただ、ご家族が病状の変化などで対応できていないなと思った時には、その思いを 伺ったり、あるいは一歩踏み込んでこういうことなんだよと言う先生のご説明が理解でき ているかということを看護師ではありますけれども説明すると言うこともあります。 大塚さんのケースで初めて関わらせて頂いて3年がたちました。「いっぽ」さんと関わ らせて頂いて、そういうことが出来て来たのかなと言う風に少し感じております。 また、そういったかかわりの中で、とても大切で有意義だったなと言うことがあります。 先生の所のレジメにもあったのですが、私もカルテを見直してみたのですが、メール のやりとりが、たった10日余りでしたが、これは私は入っていなったのですが、まり子 さん、先生、笑がおのやりとりで、50通ほどとじてありました。短い期間でしたがいろい ろな思いと伝えたり、それに対して先生がお返事してくれたり、又私どももそういった お返事を返したのではないかなという状況が良く分かりました。メールというツールで なくてもその時々の思いを伝え合うことが非常に大切なことではないのかなと改めて 感じました。 また、終末期の特徴として、先生も頑張っていて急にがっくとなるというお話をして下 さいましたが、非常に展開が早い事があります。そうなると、そのスピードに対応でき ないこともあります。そういうことに対応できるスキルも大事だと感じています。 今、フットワーク良く動く事が出来る。そして、それに対応してくれる仲間も大事だ という事を日々感じています。ケアマネジャーさん、福祉用具の方薬剤師さん、訪問 介護さん、そういった方の協力があって出来る事ではないでしょうか。 先生は若づくりで、サッカーをするので、パス回しが早いのでついていくのが大変 なんですけれども、パスを何時も、もしかしたら外しているのではないかと思っていま す。あとで聞いてみたいと思っとります。 さて、最後に訪問看護ステーション「笑がお」、それから地域の状況についてお話しさ 16.
(18) せて頂きます。「笑がお」では常時30名くらいの患者さんを、常勤2名、非常勤4名 のスタッフで訪問をしております。患者は「いっぽ」と異なり、癌患者ばかりではありま せん。脳血管疾患、難病、認知症、寝たきりの方など様々な方がおります。 最後までは自宅で無理でも、自宅で過ごせるだけと言って帰ってこられる方もおりま す。そのような中で最期を自宅で希望する方の、少しでもお役に立ちたいと思ってお ります。しかし、私たちも人間ですので、限界があります。なかなかキャパがありませ ん。残念ながら、対応できずにお断りしてしまうこともあります。最近では地域の総合 病院の地域連携からも大変お問合せが多くなってきております。たぶん、本日ここに 参加して下さった方は家での看取りに大変興味があってご出席されている方だと思 います。最後まで自分らしく家で生きる。これは大変素晴らしいことだと感じています 私たちこんな涼しい顔をしていますが、実はこの講座の数時間前にもお一人の方 を看取ってまいりました。 そんな中で、だからこそ、私たちも少々きついことがあってもこの仕事が続けられるん だなと言う風にも感じております。しかし、現状は非常に厳しいものがあります。 この地域でも、先週土曜日の読売新聞に「延命治療は望まない」というのが一面に書 かれておりまして、関連記事が「在宅医療は一般市民にとってまだ身近でない。在宅 療養診療所や訪問するかかりつけ医、訪問看護師を増やす必要がある」という風に 締めくくられている記事がありました。 この地域もまさにその通りだと思っています。本日、ここに参加してくだった方々が 最後まで自分らしく生きる事を考えて、ご自分に出来る事を考えて頂ければ大変うれ しいなと思います。 ある訪問看護師、本も出されている有名な方が本に書いていました。一人で患者さ んのもとに行き、そこで起こっていること、次に訪問するまでに起こりうることまでも全部 ひっくるめて、そして病気の事だけでなく生活の細かいところまで沢山の対応に迫ら れ、それを一人で判断して行動に移すのだから、やはり大変大きなストレスがある。 それでもやめられないのは、それだけの魅力と醍醐味があるのではないかと言う風に 書かれていました。 私たちも微力ではありますが、自分達らしく心身の健康を維持して、訪看を続けて いければと考えております。本日ご参加して下さった方々、日頃笑がおの訪看にご理 解とご協力いただいている方々に感謝して、終りにさせて頂きたいと思います。 (全文) 3)緩和ケア診療所「いっぽ」萬田緑平氏 僕は、緩和ケア診療所で医師3人、ナース8人でやっていて、遠い患者さんは久保 田さんみたいに、地元の看護師さんにお願いしています。医師は週1回くらいしか行 かないので、ちょっと遠くまでいける。夜の当番は先生が8割がた、院長2割でやって います。僕は夜は365日お酒を飲んでいます。外には行かず、家で飲む。呼ばれたら 17.
(19) タクシーで行きます。あの時は女房に送ってもらいましたが、今はタクシーで行ってい ます。実は大塚さんの時のように、緊急で呼ばれる事は年に数回しかありません。 あとは全部呼ばれるけれど、亡くなった時です。赤い顔してても酔っ払っていても「酔 っ払っていてすみません」という。家族も分かってくれていて、365日待機している訳に はいかないですよねと分かってくれています。でも怒られる事はないです。 でも、悪くなるのをずっと待っているわけにもいかないので、普通の生活をしています でもその変わり、医師よりナースの方が多いんです。ナースの方が考えていてくれて、 先生を呼ばないように対処してくれている。何とか私たちでやって、どうしてもだめなら 呼ばれる。 かなりナースが頑張ってくれて、医師がいなくてもいいようにしてくれてい るのでこんな仕事が成り立っている。たいてい訪問診療医をしている人、開業医が一 人でやっている人は日中外来患者さんを見て、何かあったら医者が呼ばれてたぶん 大変だと思います。僕らは専門だからやっていける。片手間に患者さんを見ている人 は大変だと思います。15年後にはさっきのビデオの世界が普通の世界になると思い ます。家で過ごしたい人、おめでとうと言われて死にたい人が出来るようになる時代は 15年くらいかかると思います。今までの経験上。医者になった時からいろいろ考えて いましたけれど、まだそれが20年前に考えていた事が現実になっていません。 延命治療とか、あと15年から20年ぐらいかかると思います。まそれまで頑張ってくださ い。くれぐれも言っておきますけれど、延命治療はしないでね。そんなの甘いですから ね。自分の身は自分で考えてください。よーく考えて下さい。絶対来ることです。 先送りしたいけれど絶対にしないでください。 以上です。(全文). 18.
(20) 質疑応答 Q1) 質問者:上里町でサービス付き高齢者住宅で働くIさん 今日はいいお話を講演ありがとうございました。 サービス付き高齢者住宅は、自宅で生活出来ない方が、第2の我が家 として生活して頂く場をスタッフの人が応援しております。 これまでの萬田先生のさいごの看取りと言う事は、真逆の事でして、 やはり、病状とか重くなりますと病院や先生に相談し、そのまま入院し て最期を迎える人が多いです。その中でも利用者さんに最大限喜ん でいただけるようなケアが出来ればと常に思っています。今日お話を 聞いて、やはり、その人のお話を聞いたり、その人の事をよく知って その人らしく何か施設を利用している間、応援できればという思いが あります。自分たちが出来る事、ルールもあり出来る事に限度はある かもしれません。その中で出来る事、ご意見がありましたらお聞かせ下 さい。 萬田先生:施設でも看とりをしたいという施設はいっぱいあります。 全くできないという施設から、ほとんどがここで亡くなっていきますよと いう施設までいろいろな施設があります。こうしなさいというアドバイス はないです。経験ですから。医者だって人を看取った事のない医者 は怖くて看取れません。看護師だって人がなくなるのを見たことのな い看護師は自分の患者さんが亡くなったら怖くてやめて行ってしまう 看護婦だっています。やっぱり経験です。 看取りで家族の表情がどうだったか。気持ち良く送れたのかどうか。 家族の見送り方、表情でうまく対応できたかどうかを考えながら仕事を しています。やはり経験していかないと分からない。一般市民は死を 経験する機会が少ないです。でも施設や介護で働いているスタッフは 機会が沢山あります。一杯経験して「いいんです。これでいいんです よ。本人が望んでいるんですから、これでいいんですよ」と言ってあげ るスタッフになっていくしかないんじゃあないですか。あくまでも本人の 意思を、認知症だってあります。どんな人だってその人の意志がありま す。それを尊重して家族とともに手伝ってあげて、経験して下さい。 Q2) 感想. 一般の社会人でOと申します。本日は貴重なお話をありがとうございま した。私は今日の話を聞いて、自分の生き方に自信が持てました。 家族も自分の兄弟も変わっているからと言われますが、決してに変っ た考えでないことが裏付けられました。ありがとうございました。 萬田先生:大賛成です。僕が病院にいる頃は「先生この治療法でどうなんです 19.
(21) か、こうなんですか。私はこうしたいんです。」と言う人がいると面倒な んです。治療法にのってくれない人は変人扱いされるんです。特に 治療しないというと「あなた、命の方が大事でしょう」という。自分にはも っと大事なことがあるんですと言っても認められません。どうしてかとい うと「医者は命が大事。私に任せなさい」という前提を崩されると医者も プライドがなくなってしまします。「命が一番大事でしょ」と言い「はい」 と言わせないとプライドが保てません。すごい医者にとっては面倒な 人です。でも、ぼくもそう思っていました。でも否定はしませんでした。 ある程度話してそれでも治療したくないと言えばそれを応援していま した。でも、大変なんですよ。治療しない人を外来で読んでいたりする と、他の医者から「治療しないで看ている。お前はひどい。治療してあ げないから」と言われる。だからこっそり看るんです。でも、今、家で暮 らしている人を見ると「ああ、こういう人たちは、変な人ではなく、自分 で自分の生き方を考えている。こっちの方がいいじゃん」ておもう。 皆「はい、そうですか」と言ってベルトコンベアにのって行く人たちは、 自分の生き方を考えていない。最後にこんなはずではなかった」と後 で言う。いろいろな事を言う人は、それなりに自分の事を考えている ちゃんとした人だったんだと分かり、もう反省です。 Q3) 介護真最中の女性 夫の母親も意志の疎通が出来なくなってしまい何を話したらいいのか わからない、ある時夫が「かあちゃん」と言った時に母の目がきゅっと 動いたことをお話を聴きながら思い出しました。 外部のサービスを受けたがらないリュウマチの実母を 20 年以上お風 呂に入れています。食欲も少なくなり、今日のお話を聴きそう遠くない 時期に来ているのかと感じています。やはり、自分一人でやるのでは なく、みなさんと相談して、やって行きたいなと強く思いました。 又、地元で訪問医療と看護と言うところも調べて、あってもそこがこの お話を伺ったように対応してくれるのかな、先生が近くにいたらぜひお 願いしたいと思ってしまうのですが、これから包括やいろいろな所で進 めていきたいと思いました。 例えば、今は緩和ケアで癌の方、本当の最終のところでの話が多かっ たが、認知症の人が電車で亡くなってその請求が妻と息子に来てい る。損害賠償支払いの判決が出たというニュースを見ました。そんなも のなのかとがっかりしましたが、やっぱり全体で見なくてはいけないん だろうなと思いました。 20.
(22) 自宅でも施設でも自分らしく最期まで生きられればいいけれども、15 年・20 年かかるとお話をされましたが、私たちはそういう社会にするた めにどういう風に動いたらいいのかアドバイスをお願いします。 萬田先生:どうしたらいいですかと聞かないで下さいと先ほど言いました。 あくまでも本人の意志にこだわる。僕はそれだけです。そして、出来る 事はしてあげましょう。できない事までしてあげようとすると、絶対自分 の為にもお母さんの為にもならないと思うので、出来る限りのことでや った方がいいと思う。僕はあくまでも本人の意志に拘ります。そこにし か正解はないと思います。15 年後を考えるのではなく、地道に自分の 患者さんを看て、講演活動をしてちょっとでも広げる。僕は僕の出来る 地道にして行くだけです。 久保田さん:私も自分の出来る事を地道にしているだけです。開業して 8 年目を迎え いろいろ悩んだり、苦しんだりすることも沢山ありますし、家族に迷惑を かけていると思いますが、自分で出来る事、私も親をまだ 2 人抱えており ますので、その時どうするのかも分かりません。でも、足元の問題を一つ 一つ考えていけば、その先につながるのではないかという風に思って います。 以上(P15~P31)が講座録と質疑応答の全文です。. 21.
(23) まとめ 市民講座を開催して、参加申し込み者が締め切り 1 週間前に定員となりました。 平成 19 年にも在宅医療の映画(終わりよければすべてよし)と映画に出演されて いる太田秀樹医師をお招きして開催しましたが、今回ほどの参加者はありませんで した。この頃は、まだほとんどの方が病院でと言う選択をしていたのかと思います。 でも、参加された皆さんには、この時も在宅への意識づけは出来たと思っていました し、その様子は、その時のアンケートからも十分成果があったと記憶しています。 でも、そこから先には何も進みませんでした。 最近では、新聞やテレビでも在宅の事を取り上げる事が多くなり、一般市民も在宅 への関心が出てきて、本当に病院でずっと治療を続けることがいいのか、延命治療 はどうなのだろうと考えられるようになった丁度良い時期だったと思います。 萬田先生の患者はもとより、家族まで優しく支えてくれる姿は、会場の皆さんに十 分伝わり、涙する人も多かったです。 終了後も多くの方々からメールや電話でお礼のことばをいただきました。 家で看取るには、萬田先生の様な訪問診療医、そして 24 時間 365 日対応の訪問 看護師さんが必要です。在宅ケアの中心は看護師さんだと私は思います。 ぜひ、この地域にも久保田さんの様な方が沢山出てきて欲しいと思いました。 私たち一般市民に出来る事を伝えていこうと思います。今後も「最後まで自分らし く生きる」をテーマに活動を続けていきたいと思いました。 私たちが出前講座としてデイサービスセンターや自治会館などで高齢者を対象 に行っている「遊びで脳トレ・シナプソロジー」につきましては、今回皆様に知ってい ただきたいと思い休憩時間を利用して行いました。 好評ではありましたが、今講座の場合は講座開始前にやるべきだったと反省して おります。. 22.
(24) アンケート. 市民講座「最後まで自分らしく生きる」に参加して. ≪以下の設問で該当する□にチェックを入れてください(複数回答可)≫ 1.あなたの①性別、②お住まいの地域、③年代、④職業についてお聞きします。 ①性別. □男. ②□旧本庄市内. □女 □美里町. □神川町. □上里町. □その他( ③□30 歳未満. □30 代. □40 代. □50 代. □60 代. □70 代 □80 才以. 上 ④□会社員 □学生. □介護関係. □医療関係. □農業. □自営業. □専業主婦. □その他(. 2.本日の市民講座に参加された感想をお聞かせ下さい。 □良かった. □ヒントが見つかった. □あまり良くなかった. 3.あなたは終末を何処で迎えたいですか。 □病院. □自宅. □施設. 4.自宅と答えた方にお聞きします。 どのような条件があれば自宅で終末期が迎えられると思いますか。 □医療・介護を含めた在宅療養体制の充実 □介護してくれる家族がある. □医療・介護の専門職の連携. □サポートしてくれる仲間がいる. □その他( 5.問 4 のような条件が整ったなら、一人でも家で終末期が迎えられると思いますか。 □はい. □いいえ. 6.今後、参加してみたい、知りたいと思われる講座のテーマはどのような内容ですか。 □在宅医療(・今講座のパート 2 □認知症. □介護事例発表. ・在宅についての意見交換会 □介護の現状. ). □介護者支援. □その他( 7.講師にお呼びしたい方がおりましたら、教えてください。 (. ). 《その他》. ご意見、ご感想など自由にご記入ください。. *今後の講座案内を希望される方はお名前、連絡先をお書きください。 名前( 住所. ) 〒. TEL/FAX ご協力ありがとうございました。 ※いただきました個人情報は、情報提供以外には使用しません。 23.
(25) ~市民講座「最後まで自分らしく生きる」に参加して~ アンケート集計(参加者 161 名中回答者 125 名 回答率77.6%) 1.あなたの、①性別 ②お住まいの地域 ③年代 ④職業について お聞きします。. 24.
(26) 2.本日の市民講座に参加された感想を お聞かせ下さい。. 3.あなたは、終末を何処で迎えたいですか. 4.自宅と答えた方・・・どのような条件があれば自宅で終末期が迎えられると思いますか. 25.
(27) 5.問4のような条件が整ったなら、一人でも家で終末期が迎えられると思いますか. 6.今後参加してみたい、知りたいと思われる講座のテーマはどのような内容ですか. 26.
(28) 7.講師にお呼びしたい方は ・萬田緑平先生 ・日野原先生. 久保田小百合看護師. 野の花診療所の徳永進院長. 鎌田先生. ・地域で訪問診療に熱心な先生にお願いします ・地域包括ケアのついて話して下さる講師. 8.その他ご意見ご感想 ○独り暮らしの人間が自宅で終末期を迎えられる体制を早急に作ってほしい。 ○シルバー人材センターの市民後見人養成講座を履修しました。 認知症の人への関わりに関心があります ○何度か萬田先生のお話を拝聴しておりますが、毎回アドリブが異なるので 楽しく、気づきがあります。ありがとうございます。 ○ありがとうございました。 ○耳で聴く事だけでなく、文字を自分の目で読むことでとても伝わる気がしました。 シナプソロジーおもしろかったです。HP 見てみます。 ○本日はありがとうございました。母の介護に役立てたいと思います。 ○大変お手数をおかけしました。沢山の方々がお集まりになり、嬉しい時間を過ご され、微笑のお顔でお帰りになられこと、素晴らしいと思いました。 ありがとうございました。 ○現在、実母は要介護 2 です。終末は自宅で看取りたいとの気持ちが固まりました ありがとうございました。 ○何故、1F の大ホールを使用しないの?大ホールならばもっと多人数が入れたの に・・・ このような講座ならば当然使用料は無料にすべきだ。 ○ありがとうございました。今まで、テーマの事を考えたことはありませんでした。 夫、子供、家族と考えてゆきたいです。 ○本人の希望を受け入れるためには、家族の側の受け入れる姿勢も大事。 いろいろ考えますが、でも出来る事をすれば良いのかなと思いました。 ○私も、80 代後半で認知症になった実姉を婚家によび同居していました。 (93 歳で死亡。最後の 2 年間はグループホームにお世話になました) 自分の老後の事がいろいろ考えられます。老いの体験をいろいろしました。 ○今日はとても良い会を企画して頂きまして、ありがとうございました。 ○父がこの正月に、ぴんぴんころりで実家で亡くなり、母が入退院を繰り返して います。又、息子が映像の中の 21 歳の男性と同じなので、とても実感と真剣に 考えさせられました。 この先短い母の「家にいたい」気持ちを大切にしてあげたいと思います。. 27.
(29) 別添資料―1. 「最期まで目一杯生きる」 緩和ケア診療所 いっぽ 医師 萬田 緑平. 講演内容 今回は緩和ケアのテクニックの話しではありません。患者家族の写真、生の声、動画を 中心に「最期まで目一杯生きる」姿を伝えたいと思ってます。そして、そこから「あなた」 が「何が出来るのか」 「何をしたいのか」の、ヒントをつかんでもらえればいいと思ってい ます。 写真、音声、動画を中心に「最期まで目一杯生きる」自宅で過ごす癌患者さんの姿を伝 えたいと思ってます。そして、そこから皆さんが「何が出来るのか」「どうやって生きる か」などの、ヒントをつかんでもらえればいいと思っています。. 【講師経歴】. 平成3年 群馬大学医学部卒業 平成20年3月まで 群馬大学第一外科に所属 県内外の病院外科勤務 平成20年4月から 緩和ケア診療所・いっぽ 勤務 【緩和ケア診療所・いっぽ】 ペインクリニック小笠原医院を前身とし、平成3年の開設以来在宅緩和ケアに取り 組んできた。 平成 20 年 4 月「緩和ケア診療所・いっぽ」として「癌患者を中心とする在宅緩和ケ ア」を専門に再スタート。現在、小笠原院長以下、医師2人、看護師 8 人、事務4人の スタッフで、常時50 人程度の癌患者さんの訪問診療をしている。緩和ケア外来もあり、 通院できる方を支えています。看取ることが仕事じゃない。緩和ケアが仕事じゃない。 自宅で目一杯、その人らしく生きることを支援する事が仕事です。.
(30) 20年数前 私が医師になった頃。 患者さんには、告知はしませんでした。本当のことを言ったらかわいそう。という理由で。そして、 頑張れ頑張れといわれながら、最後の最後まで治療され、心臓マッサージと気管内挿管、人工呼 吸のフルコースをうけながら、亡くなって行きました。もちろんお別れなんかできません。人生の終 末期、一番大切な時に、自分の情報、本当のことを医師家族に握られ、延命のために頑張らされ るだけの人生の終わり方はしっくりいきませんでした。 僕は先輩の反対を気にせず、新米のうちから、告知しました。誰も教えてくれませんでした。余 命が短いと聞かされれば、平気なわけない。辛いに決まっている。その患者の人生の終末期を家 族と一緒に背負うようになりました。そして、それがだんだん負担にならなくなり、当然のことと感じ てきました。他の外科医仲間からすれば、そんなところに時間をかけている変な奴でした。 告知の辛さを避けると、そのつけは、自分の人生を自分で終わらせることの出来ない患者本人 に来ます。さらに、何も出来なかった家族の苦しみとしてずっと引きずられることになる。告知して、 きちんとフォローすれば、いつか自分が亡くなることを受け止められると思います。その時間は人 によってちがいますが。本人と家族が亡くなることを受け止められれば、人生を振り返ることが出 来るし、想いを伝え合うことができると思います。感謝の気持ちを伝えることが出来、お別れもで きます。 今日はそれを伝えたい。「よかったね」って言われながら亡くなっていった人たちを紹介いたしま す。決してめずらしいことではありません。たまたま動画や声を残せただけです。家族、本人から から、声や写真を是非講演で使ってください。といわれています。逆にこの声を伝えることが、僕 が患者さん、家族から託された使命だとすら思っています。 「生まれてきてくれてありがとう。なら、亡くなる時もありがとう」 っていいたい。これが僕の信念 です。 医療の目的である、「治すこと 良くすること」 これには限界があります。人は100%死ぬからで す。治すことを目的にすると、最終的には必ず達成できず、必ず失敗、悲劇に終わります。 目的(生きる方針)は家族や医師が決めるのではない。本人が決めるべきです。生きる目的を 「本人の希望を叶える」にすれば、実は必ず目的を達成することが出来るのです。成功できるので す。終末期、自分の体が衰えていることを肌で感じる本人は、かなえられない希望は言いません。 せいぜい「病院にいきたくない、トイレに行きたい」程度です。誰だって希望を叶えてもらえれば幸 せですよね。そうです、最後の願いをかなえてあげましょうよ。もちろん、本当の事を知った上で、 頑張りたい人は頑張らせてあげましょう。 介護の仕事も医療の仕事と似ています。大変です。頑張っても報われない時もあります。でも、 考え方、視点を変えれば、人が亡くなる場面(病院では最悪の場面)は、実は感謝される場面な のです。人生の最終章を演じる方の舞台係をやらせてもらえるのです。裏方の力次第では最終 章を拍手で迎えることもできるのです。そして舞台係は、ねぎらってもらえるのです。 看取りがう.
(31) まくいかない時、医師のせい、施設のせい、制度のせいにしないでほしい。「患者、利用者さん のために」と思うなら自分の出来ることをしてあげて欲しい。出来ないのなら人のせいでなく、そこ までしてあげたくはないという「あなた」の気持ちではないでしょうか。 今日の講演に何かヒントを見つけてください。 医師の仕事でも看護師の仕事でもないです。本 人の希望を叶えてあげたいと思う人、「あなた」の仕事だと思います。 私の戦略 医師を変えるのは無理。治すことが染みついているから。むしろ、病院医師はそうでなきゃこま る。治せなきゃ。治して貰いたい人がいっぱいいる。医療介護のスタッフ(あなた)は少し気づいて いる。医療と本人の希望にギャップがあることを、それにはさまれるジレンマに。「あなた」に今回、 そこを整理してもらい、確信を持ってもらう。「これでいいんだ」って。そして、「あなた」は家族を動 かす。「あなた」は家族を導く。そして結果的に「あなた」は本人の希望を叶える。スタッフに看取り で成功体験(素敵な看取り)をしてもらう。医師は家族に動かしてもらう。そして、医師も成功体験 をする。そして最期に医師が変わる。 そのために、私は講演活動をする。一人でも多くの「あなた」に知って貰いたいから、なるべく多 くの場所で呼んでもらいたいから、無償でする。私は私の出来ることをしています。制度のせい や、医師のせいにはしません。. 自宅で穏やかに亡くなれることを広める目的でツイッター、ブログ、講演、本などで活動していま す。 1.本日の「患者の物語」に興味ある方はブログでご覧下さい。 「緩和ケア診療所 いっぽ」で検索し、ブログにたどり着いてください。 70件以上のお話しを載せています。 2.「萬田の考え方」に興味のある方は 萬田緑平 twilog (もしくはtwitter) で検索してみてください。 700件近くの緩和ケアに関する140字の文章を載せています。 3. 講演 : 群馬県内で、50人以上集めていただけるなら喜んで(無報酬) 伺います。ご連絡ください。広めたいのです。私のプロデューサーとして手伝ってください。 お願いいたします。 4. 「穏やかな死に医療はいらない」 朝日新書 H25/2/13出版 800円 一般向け。 看取りというより延命治療の話しに近いです。 緩和ケア診療所 いっぽ : 027-353-3353 メール(メールの方がありがたいです):[email protected].
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