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体制移行の経済学 : 形態論的アプローチ(梶田公教授退官記念論文集)

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体 制移 行 の経 済 学

一形態論的アプ ローチー I は じめに 20世紀は経済体制移行 の時代 である。資本主義か ら社会主義への移行 と社会 主義か ら資本主義への移行 とい う二重の意味での移行 の時代 である。資本主義 へ の離陸期 にあったロシアは,第 1次 世界大戦 とロシア革命 をスプ リング ・ボ ー ドに して戦時統制経済の性質 を色濃 くもつ管理社会主義ヘ ジャンプ した。第 2次 世界大戦 とソ連の ヨー ロッパ進攻 とソ連の威 を借 りた人民民主主義革命は, 資本主義化 の途上にあったバルカンの東欧諸国ばか りでな く,資 本主義がすで に定着 していた東 ドイツ,ポ ー ラン ド,チ ェコスロヴァキアお よびハ ンガ リー の中欧諸国 をも管理社会主義へ と強制 した。戦争 と革命 とい う名の暴力が社会 主義 を生み出 した。 ソ連 ・中欧 。東欧の社会主義は短命に終わった。その崩壊 をもたらした直接 の契機 はペ レス トロイカ と東欧革命であった。 ポス ト東欧革命は資本主義への 移行 の時代 である。 ロシア,中 欧お よび東欧諸国は,1990年 代 に入 ると,一 斉 に資本主義への移行 を開始 した。 よ り正確 に言 うと,こ れ らの国々の うち中欧 は先祖帰 りを始めた。資本主義への復帰の道 を選択 したのである。中欧各国で

打ち出された 「ヨーロッパに帰る」というスローガンがこのことを端的に示し

て い る。 現 存社会 主義 の崩壊 を もた ら した原 因は何 か。詳細 は後述 の通 りであ るが, あ らか じめ筆 者 の考 え を示 してお くと,第 1原 因は社会 主義 の低効率 に起 因す る経 済の停 滞 であ った。 その経 済の停 滞 がペ レス トロイカ と東欧革命 を誘発 し, 共産 党独 裁 が崩壊 した。議会制 民主主義へ の政 治 システムの転換 に伴 って資本 浩 敏 田 福

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田 公 教授退官記念論文集 (第305号) 主義へ の移行 が開始 され た。経済 の停 滞→政 治 システムの転換→ 資本主義へ の 1 ) 移行 とい う因果連鎖が今次の体制転換の一大特色 をな している。 現在進行 中の体制移行 は過去に例がない。バルツェロヴィチ (L.Balcerowicz) 2 ) に即 してその個性 を描 き出す と,次 の 5点 に集約 で きる。 ①転換の規模 が大 きいこ と。 ②最初 に民主主義が成立 し,そ の後に資本主義が登場す るこ と。す なわち, “democracy first,capitalism later"であるこ と。補足 してお くと,こ の コンセプ

トは欧米諸国の近代化 と対比す る形で持 ち出されている。つ ま り,欧 米諸国で は まず資本主義の建設が先行 し, しか る後に民主主義の形成が行 われ,こ の意 味 でこれ らの国の近代化 は“capitalsm first,democracy lateずであったが,今 次 の体制転換は丁度その逆であると言 うのである。 このような捉 え方 をす る論者 3 )

は比較的多い。

③市場志向の改革は民主主義の政治システムのもとで実施されていること。

④ルーマニアを別 として暴力なき移行であること。

⑤経済的移行の一般的方向は私企業 ・市場志向であること。

現在 進行 中の体 制移行 に関 してはす でにお びただ しい数 の研 究書や論文 が刊 行 され て きて い る。 それ らを筆 者 な りに整理 す る と,次 の二つ に分 類 す るこ と 力章できる。 第 1は 経 済体 制 の移行 に関す る一般 論 であ る。 その 内容 は社会 主義 の崩壊 を もた ら した原 因の究 明,経 済体制移行 の方 向の確 定 お よび経済体制l移行 の予想 な どで あ る。 第 2は 経 済体 制 の移行 に関す る政 策提案 で あ る。 その 内容 は大 き く資本 主義 へ の移行 戦略論 と政策各論 に区別 され る。移行 戦略論 は社会 主義 か ら資本主義 への移行の基本方針,ス ピー ドおよびタイミングを問題にする。このような移 行戦略論には二種類のものがある。グラデュア リズムとラディカリズムである。 1)詳 しくは福田 〔9〕 第 4章 を参照 されたい。 2)BalcerOwicz〔1〕pp.146,150,155. 3)た とえば Berger〔2〕 pp.296-297を参照されたい

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体制移行の経済学 51 グ ラデュア リズムは,社 会 主義 か ら資本主義へ の移行 は時間 をかけてゆ っ くり と,か つ着実に行 うべ きである, と主張す る。 これに対 し, ラディカ リズムは 資本主義への移行 は可及的速やかに,か つ最短時間で実現すべ きである, と説 く。政策各論は資本主義の建設論 と経済安定化の二つに区別 され る。建設論は 資本主義の制度的フレームワー クの形成にかかわる提案であ り,内 容的に私有 化,市 場化,競 争化および貨幣化の四つに分類す ることができる。 これ らのそ れぞれについては多 くの論者か らさまざまな提案が提出されている。経済安定 化 はシ ョー ティジフレー ションの解決 をめ ざしたマ クロ的安定化政策の謂であ るが,ポ ー ラン ドやチェコスロヴァキアで実際に採用 されたのはマネタ リス ト の提案 であった。金融 ・財政の引 き締め,賃 金規制の所得政策,価 格の 自由化 お よび通貨の交換性の回復 とその切 り下げのポ リシー ・パ ッケー ジが実施 され た。 第 3は 国別 の実証 的研 究 お よび各 国間の実証 的比較研 究 であ る。 内容 的 には 各 国の経 済体 制移行政策 の実 際 を時系列 的 に フォ ロー した ものが ほ とん どであ る。 筆 者 は これ まで第 1の 経済体 制移行 の一般論 と第 2の 移行 戦略論 に関心 を寄 せ,機 会 あ るご とに,試 論風 にではあ るが,他 の論者 の説 と比較 しつつ筆者の D 考 え を述べ て きた。 それ らを踏 まえて本稿 では筆 者 の現在到達 した結論 を提示 してみ たい。 もっ とも,以 下 に示 され る筆 者 の説 は最終 的 な ものではない。 い まだ試論 の域 を出 ない中間的結論 であ るこ とを断 ってお きたい。 H 経 済体 制移行の一般論 1.政 治経済学的アプロ…チ 経 済体 制移行 の一般論 を提示 してい る論者 は少 ない。 とも体 系 的 な説 を主張 してい るのは コルナ イ (J.Kornal) 筆 者 の知 る限 り, もっ 0 で あ る。 コル ナ イ 説 の 4)詳 しくは福 田 〔9〕 第 4章 を参照 されたい。 5 ) 福 田 〔8 〕, 福 田 〔9 〕 第 4 章 , 福 田 ( 1 0 ) , 福田 〔11〕. 6 ) コ ルナ イ説については福 田 〔9 〕 第 4 章 で詳 しく検討 しておいた。

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特徴 は政 治的 フ ァクター を重視 す る ところにあ る。 それ は,東 西 の現存経済体 制 を分 類 す るさいに政 治 システム を最 重視 す るこ とと,社 会 主義 か ら資本 主義 へ の移行 を もた ら した原 因 を東 欧革命 に求め てい るこ とに示 されてい る。 コルナ イは社会 主義 を二つ に区別 す る。 ソ連 型の古典 的社会 主義 とハ ンガ リ ー に代表 され る市場社会主義 であ る。両者は ともに共産党独裁 とい う政治権力 の集 中 を根幹 としてい る。 また,両 者 は ともに生産 手段 の国有 をベ ー スに して い る。両者 を分 けてい るのは需給 の調整方式 であ る。古典 的社会 主義 の調整方 式 が官僚 的調整 であ るのに対 し,市 場社会 主義 の それ は市場 的調整 であ る。 コルナ イに よれば,資 本主義 は政 治権 力の分散 つ ま り民主主義 を根幹 とし, 生産 手段 の私有 と需給 の市場 的調整 を基本的構 成要素 とす る経済体 制 であ る。 1990年代 に入 ると,古 典的社会主義 と市場社会主義は同時に崩壊 し始めた。 何 がそ うした崩壊 を誘発 したのか。 コルナ イの解答は東欧革命 であった。 コル ナ イは東欧革命 を政治革命 と見た。つ ま り,共 産党独裁の崩壊 と見た。 コルナ イの立場か らすれば共産党独裁の崩壊 は取 りも直さず社会主義の崩壊 を意味す る。古典的社会主義 に して も市場社会主義に して も共産党独裁が根幹 を成 して いたか らである。 ではポス ト社会主義諸国は どこへ向かお うとしているのか。 コルナイの解答 は,資 本主義へ,で あった。 コルナイによれば,東 欧革命によって各国の政治 システムは民主主義へ移行 し始めた。 このことは取 りも直 さず資本主義への移 行 を意味す る。資本主義 の根幹 を成すのは民主主義 だか らである。 コルナ イと同様の政治経済学的アプローチを採 る論者はほかに もいる。 た と えば, シュヴァルツ (G.Schwarz)はポス ト社会主義諸国の体制l転換 を招いたの は東欧革命による権威主義か ら民主主義への政治 システムの転換であると捉 え, 現在 これ らの国々の経済体制は非 自由秩序か ら先進国型の福祉国家へ移行 しつ つあると見ている。 シュー ラー (A.Schuller)は, ゴルバチ ョフ (M.Gorbachev) によるブ レジネフ ・ドク トリンの放棄が資本主義への体制転換 をもたらした と 7)Kornai〔 14〕pp.xxv,90,389. 8)Schwarz〔 23〕

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体 制 移 行 の経 済学 5 3 り 考 えて い る。 2.形 態論的アプローチ 経 済体制 問題 に対す る筆 者 の接近 方法 は形態論 (Morphologie)であ る。形態 論 の故 国は ドイツであ る。歴 史学派以来 の伝統 を もつ。筆 者 はかねて よ りそ う した ドイツの形 態論 の立場 を取 って きた。 中で も ドイツ新 自由主義 の父 として 知 られ るオ イケ ン (W.Eucken)と ウィー ンの経済学者 ピュ ッツ (T.Putz)の説 か ら多 くの教 え を受 け てい る。筆 者 は筆 者 自身の説 を 「所有,相 互 。上下調整 の三 元論」 と呼 んで きた。経 済体 制1は基本 的 に,所 有方式,需 給 の相互調整 方 式 お よび上 下調整 方式 (つま り,国 家 の個別経済へ の干渉方式)の 二つか ら構 成 され る とす る説 であ る。 筆 者 の 「所有 ,相 互 ・上下調整 の三元論」 を もって ポス ト社会 主義諸 国にお け る経済体制の移行 を提 えるとどうなるか,試 みてみ よう。 ①体制移行 の方向 社会主義諸国におけ る東欧革命直前の体制l状況は次のごとくであった。一方 の極 には管理社会主義があった。 この体制の基本構造は国有,中 央管理経済お よび指令方式の組み合 わせか ら成 る。 その代表国は東 ドイツとチェコスロヴァ キアであった。他方の極 には市場社会主義が位置 していた。 これには二つのタ イプがあった。社会有,市 場経済お よび誘導方式の組み合 わせか ら成 るユー ゴ スラヴィアの市場社会主義 と,固 有,市 場経済および誘導方式の組み合 わせか ら成 るハ ンガ リーの市場社会主義 である。管理社会主義 と市場社会主義の中間 にあったのはポー ラン ドとソ連である。 よ り正確 に言 うと,両 国は管理社会主 義か らハ ンガ リー型市場社会主義への体制転換政策 を展開 していた。 1989年の東欧革命によって以上の体制状況は一変 した。共産党独裁の崩壊後 に登場 した各国の新政権 は,1990年 代 に入 るとただちに私有化,市 場化,競 争 化お よび貨幣化 を柱 とす る経済体制移行政策 を実行 した。中で も各国政府が重 9)Schuller(22〕 p.47. 10)筆 者の説の細 目については福 田 〔5〕 第 6章 お よび福 田 〔6〕 第 1章 を参照 されたい。 11)詳 しくは福 田 〔9〕 第 1章 を参照 されたい。

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田 公 教授退官記念論文集 (第305号) 視 したの は私 有化政策 であ る。 どの国の政府 も国有企業 の私有化 (国有企業の所 有権の民間への移転)と 私企業 の新 設 を推進 し始め た。所有方式 に よって社会 主 義 と資本 主義 を区別 す る筆 者 の立場 か らすれば,国 有 か ら私有へ の転換 は社会 主義 か ら資本主義へ の移行 を意味す る。筆者が今 次 の経済体制移行 を 「社会 主 義 か ら資本 主義へ」と捉 え るゆ えん であ る。 よ り具体 的 に言 うと,(東 )ド イツ は言 うに及ばずポー ラン ド,チ ェコ,ス ロヴァキアお よびハ ンガ リーの中欧四 カ国は西欧型誘導資本主義 (私有十市場十誘導)の制度化 に取 り組んでいる。(束) ドイツでは言 うまで もな く(西)ド イツ型の社会的市場経済 (Soziale Marktwirt‐ schaft)とい う名の誘導資本主義の制度化が実施 されている。中欧四カ国政府 も 当初 は ドイツ型社会的市場経済 をモデルに しようとす る動 きを見せ ていたが, 最近 ではそ うしたスタンスは後退 し,他 の欧米諸国の経済制度 をも参考 に しよ うとす る姿勢に転 じつつある。 ロシアやバル ト三国やバルカンの東欧諸国 も, 中欧ほ ど鮮 明ではないが,政 府声明な どで判断す る限 り,西 欧型誘導資本主義 を志向 しているように思われ る。 ②体制移行 の原因 社会主義か ら資本主義への移行 を誘発 した原因は何か。筆者は主要 な原因は 二つあった と考 える。経済的原因 と政治的原因である。 もっとも両者の重みは 同 じではない。経済的原因の方が よ り決定的,か つ よ り根本的である。 経済的原因 とは経済の停滞にほかならない。 ソ連や東欧諸国で経済の停滞が 頭著 になったのは1960年代 であるが,そ の決定的な原因は当時制度化 されてい た管理社会主義の機能低下 であった。 このため ソ連や東欧諸国では一斉に経済 改革が行 われたが, ソ連や東 ドイツや ポー ラン ドなどでの経済改革は管理社会 主義の部分的改革に終始 したために結局 は失敗 した。供給の需要への不適合, 高 インプ ッ ト・低 アウ トプ ッ ト,低 品質,企 業の予算制約のソフ ト化 などの宿 弊 は除去 されない ままに終 わった。 市場社会主義への路線転換 で活路 を見出そ うとしたハ ンガ リーの経済改革 も 結局は挫折 した。 この国の改革者たちは,社 会主義の根幹たる国有方式 を温存 12)詳 しくは福 田 〔9〕 第 3章 を参照 されたい

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体制移行の経済学 55 した ままで市場経済 と誘導方式 を制度化す るな らば効率が大幅に改善 され ると 考 えたのだが,現 実 はその ようにはならなかった。別の機会 に詳述 しておいた よ うに,失 敗の究極の原因は,効 率 の問題 を深 く考 えることもなしに国有に市 場経済 と誘導方式 を無造作 に接合 した ところにあった。ハ ンガ リーでは国有が 市場のブ レー キ となって しまった。効率 の見地か らす ると,国 有 と市場,国 有 と誘導は両立 しえないことが分かった。1980年代のハ ンガ リー で私有化政策が 実施 され ざるをえな くなったこ とが何 よ りの証拠 である。ユー ゴスラヴィアの 市場社会主義 の失敗 も社会有 と市場 と誘導の組み合 わせ に起 因 した。 市場社会主義の失敗 は,市 場経済の円滑な作動 のためには私有が不可欠であ るこ とを教 えている。すでに第 2次 世界大戦の前か ら市場 と両立 しうる所有方 式は私有 のほかにないことを主張 して きた ミーゼス (L.v.Mises)やハ イエ ク (F. A.v.Hayek)やオイケンに代表 され る新 自由主義者の見解の正 しさは,市 場社会 主義の失敗 で実証 された と言える。 今次の体制移行 に果 た した政治的ファクターの役割は軽視できない。 コルナ イらが主張す る通 りである。 ポー ラン ドにおけ る自由労働組合 「連帯」の民主 化要求運動,ペ レス トロイカお よび東欧革命が社会主義の崩壊 をもた らしたこ とは否めない事実である。 しか し,こ れ らの政治的事件が社会主義か ら資本主 義への移行 の触媒 の働 きをしたのは事実 だ として も,そ れ らが決定的な役割 を 果 た した と言 うこ とはで きない。む しろ経済の停滞の方が よ り決定的,か つ よ り根本的な役割 を果た した。 経済の停滞が表面化 した1960年代か らお よそ30年間社会主義は生 き延 びた。 その問,停 滞か らの脱却 をめ ざした経済改革が試み られたが,経 済は回復 しな か った。今か ら振 り返 って見 ると,社 会主義の歴史は効率 とい う冷厳な経済原 則に追 い立て られた受け身的 な体制改革の連続であった。 ポー ラン ドにおける 「運帯」の民主化要求運動に象徴 され るようにオー トクラシー (共産党独裁)は 徐 々に窮地に立たされていった。 その ような状況の中でハ ンガ リー とソ連は政治改革で事態 を打開 しようとし 13)福 田 〔9〕 第 3章 ,第 7章 。

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田 公 教授退官記念論文集 (第305号) た。ハ ンガ リー では1983年に選挙法が改正 され,非 共産党員に も議会 に進出す る道が開かれた。 このことによって共産党員による議席独 占とい うオー トクラ シーの基盤が徐々に切 り崩 され,1989年 のオー トクラシーの崩壊 を招 いたので あ る。 ソ連では1980年代後半にペ レス トロイカが実施 された。経済面では1987年の 後半か らハ ンガ リー型市場社 会主義の制度化が,政 治面では1989年にハ ンガ リ ー と同様の選挙法の制定で民主化が開始 された。同時に実施 されたグラスノス チに よって情報面でのプルー ラ リズムが容認 された。 しか し,ペ レス トロイカ は ゴルバチ ョフの意図に反 して,経 済の悪化 と民心の離反 とオー トクラシーの 動揺 と民族独立 を加速 した。 東欧革命は この ような状況の中で勃発 した。 その直接の きっかけ となったの は ソ連の内政お よび外交の方針転換であ った。ペ レス トロイカとブレジネフ ・ ドク トリンの放棄 である。 これ らによって東欧諸国のソ連に対す る恐怖心や警 戒心が薄れ,1989年 にはポー ラン ドを皮切 りに東欧六 カ国でオー トクラシーが 倒壊 した。東欧革命は今度はソ連に衝撃 を与 え,1990年 の共産党独裁の放棄, 1991年の共産党の解散 とソ連の消滅などの大事件が続発 した。 以上 を整理す ると,次 のように 言えるであろ う。社会主義か ら資本主義への 移行の直接の原因は東欧革命によるオー トクラシーの倒壊 であるが,そ の決定 的かつ根本的 な原因は経済の停滞 である, と。管理社会主義お よび市場社会主 義 の低効率 に起 因す る経済の停滞 こそが よ り根源的な原因であった。経済の停 滞が政治 を不安定に し,政 治の不安定がペ レス トロイカ と東欧革命 を誘発 し, ペ レス トロイカと東欧革命が触媒 となって社会主義が倒壊 した と見るべ きであ る。 IH 体 制移行の戦略輪 社会主義か ら資本主義への移行 にかかわる戦略論には二つの ものがある。 グ ラデュアルな戦略論 とラディカルな戦略論 である。以下,代 表的な論者の説 を 例 に とって両論の内容 を紹介 し,併 せ て筆者の考 えを提示 してみ よう。

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体制移行の経済学 5 7 1 . グ ラデュア リズムの戦略酷 グラデ ュアル な戦略論 を代 表す るのは コルナ イの説 であ る。 コルナ イは,東 欧革命 の直後 に出 Lンた著書 の 中で,ビ ッグバ ンの経済安 定化 とグラデ ュアルな 私有化政策 のパ ヽ/ケ ー ジで資本主義へ の移行 を図 るべ きであ る, と主張 した。 シ ョック ・セ ラ ピー の安定政策 でマ クロの インバ ランス を一挙 に解決 しておい て体 制移 行 あ障 害 を取 り除 き, しか る後に時 間 をか けて私有化 を行 い,資 本北 義へ の ソフ ト ・ラ ンデ ィン グ を実 現 すべ きで あ る とい う提 案 で あ った。 コルナ イの安 定化案 はサ ックス (J.Sachs)やリプ トン (D.Lipton)らのマ ネタ リス トと同様 の提案 であ り,格 別 目新 しい ものtまない。 コルナ イの戦略論 の個 性 はむ しろ私 有 fヒ案 の方 に見 られ る。 コルナ イに よれば資本 主義 の制 度化 の成 否 は私 有 化 にかか って い る。 彼 の言 う私 有化 (pnvaはzadOn)と は,狭 義 には現 存 国有 企 業 の所 有権 の民 間へ の移転 を意 味 し,広 義 に は私 的 セ クター の技大 を 意味す る。広狭二様 の私有化 とも漸進的に行 うべ きだ とい うのが コルナ イの主 張 なのであるが,そ うしたグラデュア リズムが採 られた背後にはポス ト社会主 義諸 国には企業家が不在 であ るとい う現状認識がある。 そ うした現状 では魂存 国有企業の私有化 は性急に行 うべ きでな く,所 有彩態に 占め るその割合 を時間 をかけて徐 々に減 らしてい くほかないこと,む しろ戦略の力″まは企業家の育成 と市場規律 の強化 を通 して私的セ クターの拡大 を図る方にお くべ きである, と 言 うのである。 ポス ト社会主義諸国で私有化政策が展開 され るようになってか らもコルナイ の立場 はいささか も揺 るぎを見せていない。いやむ しろ最近 ではその立場はい っそ う徹底 され,教 条的 とも言えるグラデュア リズムが主張 され るに至 ってい る。コルナ イの最近の主張で日につ くのは進化経済学 (ev01udonary econorlnたs) とハ イエ クの学説の影響 である。 コルナイの最近の議論 は, どのように して私的セ クター を制度化すべ きか, をめ ぐって展開 されている。結論 を言 うと, コルナ イは進化経済学の立場 に立 って私的セ クターの有機的発展プ ロセス (prOcess of organic development)の

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田 公 教授退官記念論文集 (第305号) 戦 略 を提 示 した。つ ま り,私 的 セ クター の制度化 は政府主導 の官僚 的 ・t規制 的 な方法 に よるの では な く, 自発 的 ・分権 的 ・有機 的 な発展 プ ロセスに委 ね るべ きで あ る とい う戦略 であ る。先進諸 国の歴 史が教 えてい るよ うに,資 本主義 に お いては私 的 セ クター お よびそれ を担 う所有 者や 自営 層や企業家 は長期 にわた る時 間の経過 の 中で 自発 的 に形成 され,登 場 したのだか ら,ポ ス ト社会 主義諸 国 もそれ に見 習 うべ きであ る, と言 うの であ る。 ポス ト社会 主義諸 国で実 際 に行 われ た私有化 は,政 府主導の上 か らの私有化 で あ った。 コルナ イに よれば,上 か らの私有化 は 「ハ イエ クの言 う設計主義 の 好例 であ る」。中で も現存 国有企業 の所有権 をいわば一夜 に して民間に移転 しよ うとす るバ ウチャー型大量私有化案は設計主義の最 たるものである。行政サイ ドで設計 された私有化案は資本主義に馴染 まない。「資本主義的発展のバ イタ リ ティは,そ の存命力のあ る諸制度が強制 な しに, 自然 に発生す る ところにあ る」。だか ら,上 か らの私有化 は避けなければならない。 コルナイ と同様のハ イエ ク的グラデュア リズムを主張 しているのはハ ンガ リ ーの経済学者チャバ (L.Csaba)である。チャバはポス ト社会主義諸国で実施 さ れたラデ ィカルな移行戦略は失敗 した と見 る。 その失敗の原因は移行政策の任 にあたったショック ・セラピス トの社会工学的スタンスにあると言 う。チャバ に よれば,シ ョック ・セラピス トのスタンスは社会主義時代の計画主義者 よ り ももっ と社会工学的であ り,資 本主義的な制度や行動パ ター ンをそれ らが存在 しなか った社会へ短期間に導入で きると考 えている。 ところが,先 進諸国の歴 史が教 えているように,資 本主義 はデザインによって制度化 されたのではな く, 有機的に生成 した 自発的秩序 である。 こうであるならば資本主義への移行戦略 はグラデュア リズム以外 に選択の余地はな く,今 後は商業精神の涵養 と市場 シ ステムの制度化 に移行戦略の軸足 を移すべ きである, とい うのがチャバの到達 15)Kornai(15〕p.87, 16)Kornai〔16〕p.38. 17)Kornai〔16〕p.38. 18)Csaba〔 4〕p.124. Kornai〔 16〕p.38.

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体制移行 の経済学 59 1 9 ) した結論 であ った。 ' マー レル (P.Murrdl)の戦略論 もグラナュァ リズムに分類 される。マー レル は進化的立場 に立 ち,ポ ス ト社会主義諸国が採 ったラディカルな移行戦略 を批 判 した。 ラディカルな戦略は資本主義への移行 を旗印に しているが,そ の実は 社会主義 を破壊 しようとす るものであ り,私 有化はその手段にほかならない, と言 う。現存国有企業の所有権の民間への移転 とい う意味での私有化は破壊の ための私有化 であって,建 設的でない。古い組織は慣性の法則に支配 されるの で環境が変わったか らといって急にその行動パ ター ンを変えることはできない。 その ようであれば新 しい私的セ クターの育成に力″点をお く戦略の方が資本主義 への移行 に とって有効 である。新 しい私的セクター と市場 システムの制度化に よって 「入退場のプ ロセス」―新組織の登場 と旧組織の退場―が機能す るように なる。つ ま り,移 行 の初期局面でそれな りの役割 を演 じる国有企業 も,や がて 新 しい私的セ クター との競争に晒 されて徐々に排除 されていき,資 本主義が徐 々に形成 され ることになろ う, とい うのがマー レルの描いたシナ リオであった。 2 . ラ デ ィカ リズムの戦略論 筆者の知 る限 り,最 も体系的なラディカ リズムの戦略論 を唱えているのはバ ルツェロヴィチである。バルツェロヴイチは経済学者であると同時に実際家で もある。彼が ポー ラン ドにおけ る体制移行の初期局面で副首相兼蔵相 として陣 頭指揮にあたったことはわれわれの記憶 に新 しい ところである。バルツェロヴ ィチの戦略論 は実務体験に裏打ちされているだけに現実的である。 バルツェロヴィチは体制移行の初期条件 を重視する。ポス ト社会主義諸国に 共通す る初期条件 としては,政 府による経済の コン トロール,国 家セクターの 支配,マ クロ経済のインバ ランス,私 的経済のインフラス トラクチャーの欠如, 資本市場の欠如,工 業偏重の産業構造, コメコン中心の対外貿易構造が挙げら 2 1 ) れ て い る。 これ らの初期 条件 の制約 の もとで資本主義へ の移行 を図 るには有効 19)Csaba〔 4〕 pp.176,298-300. 20)MIurrell〔19〕pp.85-86. 21)BalcerOwicz〔1〕pp.190,200,312-316.

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田 公 教授退官記念論文集 (第305号) な経済政策 を実施 す る必要 が あ る。バ ル ツェ ロヴ ィチが重視 してい るのは,マ クロの安 定化政策, ミ クロの 自由化政策 お よび御l度転換 の二つ であ る。安定化 は シ ョー テ ィ ジフ レー シ ョンの解 消 をめ ざ した金融 ・財政 の引 き締め政策 であ る。 自由化 は市場 の制度化 の ため の政策 であ り,価 格 の 自由化,私 的経済活動 の制 限の撤 廃,貿 易 の 自由化 な どが その主要 な内容 であ る。制度転換 は経済制 度 の根 本 的 な転換 にかか わ る政 策 であ り,私 有化 ,金 融・財政制度 の改革,反 独 占政 策 な どが その主要 な内容 であ る。 移 行戦略 に とって問題 とな るのは,安 定化, 自由化 お よび制度転換 の ポ リシ ー ・パ ッケー ジの実施 の タイ ミング とスピー ドであ る。 これ らの問題 に対す る バ ル ツェ ロヴ ィチの解 答 は,三 つの政策 を同時に,か つ可及的速やかに実施す べ きであ る とい うもの であ った。 体制移行 のスピー ドに関 してバ ルツェロヴ ィチは,最 高実行可能速度 (maxi… mum possible speed of implementattoll)とい うコンセプ トを持 ち出す。 これは 政策の開始か ら終了までに要す る理論的に可能な最短時間 を意味す る。それ を どの ように計!RJするかについ ての説明はないが,最 高実行可能速度 を究極的に 決定す るのは人間の情報加 l 能力お よび学習能 力であると言 う。最高実行可能 速度 は政策 ご とに異なる。 よ り多 くの情報量お よび学習量 を要求 され る政策ほ どその 目的実現 までに時間がかか る。最高実行可能速度の速い方か ら並べ ると, 安定化, 自由化,制 度転換 とい うこ とになる。バルツェロヴィチは最高実行可 能速度に近 い政策 オプ シ ョンをラディカル と呼ぶ。実際に施行 され る政策の速 度 は最高実行可能速度 よ りも遅 く, しか も国ごとに違いが出て くることは言 う まで もない。 政策実施のタイ ミングに関 してバルツェロヴィチは二つの政策の同時実施 を 主張す る。安定化→ 自由化→制度転換の ように順 を追 って実施す るとい うグラ デュア リズムは退け られ る。 グラデュア リズムは,国 有企業におけ るソフ トな 予算制約や隠 された失業 (hidden unemployment)を温存 し,マ クロ経済 を不安 定に し,歪 め られた価格 を温存 し,細 目的で無定見な国家干渉 を招 き,行 政 に 22)BalcerOwicz〔 1)p.320.

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体制移行の経済学 61 対す る経済エー ジェン トの レン ト・シー キングを増幅 させ るとい う理由か らで あった。 バルツェロヴィチの戦略論は一言で言 うと,体 制l移行の出発の時点で安定化, 自由化お よび制度転換 を同時に, しか も トップスピー ドで実施すべ きであると い うことになる。バルツェロヴィチは,こ の ようなラディカルな戦略 を採 るに 至 った理 由 として次の三つ を挙 げている。 第 1は ポー ラン ドにおけ る過去の経済改革の教訓である。過去の経済改革 は こ とごとく失敗 したが,そ の原因はいずれ もラディカルな改革ではな く,体 制 転換の関値 に到達 していなか ったこ とにあると言 う。第 2は 理論的理 由である。 バルツェロヴィチが依拠 したのは社会心理学者フェスティンジャー (L.Festin‐ ger)の説である。人間は環境が根本か ら変化す ると行動パ ター ンを変えるとい うものである。第 3は ポス ト社会主義諸国におけ る1990年代初頭の社会心理的 お よび政治的状況である。一般 に非常時には人々は平時 よりもよ り強 く公益の ために考 えた り,行 動 した りす る社会心理学的傾 向がある。その ような状況の もとでは通常 は受容 されそ うに もない経済政策 を人々が受 け容れ る蓋然性が高 まる。 同時に旧政治エ リー トと利害集団 との利害のネ ッ トワー クが崩れ,利 害 集団の圧力か ら解放 された政治状況が出現 し,テ クノクラー ト的政治エ リー ト の活躍す る場が与えられ る。バルツェロヴィチは,東 欧革命直後のポス ト社会 主義諸国の状況が この ような状況に該 当す ると見た。 ところが,歴 史は非常時 は長続 きしないことを教 えている。非常時のメ リッ トを活か した戦略の実行可 能 な期 間は限 られ,せ いぜ い 1年 か ら 2年 しかない。 グラデュアルな道 を選ぶ と,時 間の経過 とともに公益優先の社会心理が後退 し,利 害集団の抵抗 も強 く な り,体 制移行戦略は皿簿 をきた し,ば あいによっては挫折す る可能性 も出て くる。バ ルツェロヴィチが安定化, 自由化お よび制度転換 を同時に,か つ可及 的速やかに実施すべ きだ と考 えたゆえんである。 バルツェロヴィチのほかにサ ックス,シ ュナイダー (H.K.Schneider),コヴァ 23)BalcerOwicz(1〕 24)BalcerOwicz〔1〕 pp.160, 162, 247, 256, 326. pp.209,311-312,342.

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田 公 教授退官記念論文集 (第305号) ― チ (J,M.Kovacs),グ ロスフェル ト (I.Grosfeld)らもラディカ リズムの戦略論 を主 張 して い る。 3.筆 者の見解 以上,代 表的 な体 制移行 の戦略論 を概観 して きたが,最 後 に筆 者 の立場 か ら 論評 を加 え,併 せ て筆 者 の戦略論 を述べ てお こ う。 グラデュア リス トの うちコルナイ とチャバはハ ンガ リーのエ コノ ミス トであ るが,か れ らの戦略論 はハ ンガ リーにおけ る体制移行政策の実践 と無縁 ではな い。今か ら振 り返 って見 ると,ハ ンガ リーは東欧革命のはるか以前か ら体制移 行政策 を実践 していたことが分か る。つ まり,こ の国は1968年か ら22年間にわ たって市場社会主義の制度化 を行 っていたのである。 この時期 は資本主義への 移行の助走期 であった。 その間に共産党政権 は,市 場化 (財市場および労働市場 の制度化,価 格の自由化),貨 幣化 (二層バンキング・システムおよび社債・株式の導 入),私 有化 (従業員500人以下の私企業の設立,国 有企業の自発的私有化,外 国企業 の誘致)を推進 し,資 本主義への移行 の基盤 を着々 と築いていたのである。東欧 革命以後 に登場 した民主 フォー ラムを中核 とす る連立政権 は,こ のような漸進 戦略 をその まま踏襲すれば よか った。 コルナイ とチャバのグラデュア リズムは, この ようなハ ンガ リー政府の漸進戦略 をハ イエ ク的進化経済学の論理 をもって 合理化 し,理 想化 しようとした もの と言えな くもない。 グラデュア リス トは,す べ てのポス ト社会主義国でグラデュアルな移行戦略 を実施すべ きである, と主張す る。 この ような見解 は容認 しかたい。戦略論 は 経済政策の実践に資す るものでなければならず,実 現可能性 こそがその生命線 である。実現可能性の面か ら見 ると,グ ラデュアルな戦略論は どの国に も適用 で きるとい う性質の ものではないことがす ぐ分か る。体制移行 のスター ト時点 での条件が国ごとに異なるか らである。チェコスロヴァキアのように東欧革命 の直前 まで管理社会主義に回執 していた国でグラデュアルな戦略 を採用できた であろ うか。 グラデュアルな戦略 を採 ると,資 本主義の基本的フレームワー ク の制度化 までに非常 に長い時間がかか ることはハ ンガ リーの1968年以降の経験

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体制移行の経済学 63 が示す通 りであ る。 この国では政府主導 で制度化 が行 われ たに もかか わ らず, 基本 的 フ レー ム ワー クの建 設 は未完 の ままに終 わ って しまった。 資本主義 の制 度 的条件 が ほ とん ど不在 の 国にお いて,グ ラデ ュア リス トの言 に したが つて, 資本 主義へ の移行 を政 府 な しの 自然生成 的 な有機 的発展 プ ロセ スに委 ね る とし た らどうなるであろうか。 そ うした道が選択 された とすれば,資 本主義への移 行 には途方 もな く時間がかか り,そ の国の経済はカオスに陥 るであろ う。体制 移行期 は過渡期 であるが,過 渡期 は短 いほ どよい。過渡期 は新 旧の体制が交差 す る不安定 な時期 だか らである。 ハ ンガ リーが グラデュアルな移行戦略 を実施 で きたのは,ス ター ト時点です でに資本主義の基本的フレームワー クのい くつかが形成 されつつあったか らで ある。 しか し,そ のハ ンガ リーにおいてさえ固有企業の私有化は難航 している。 ハ ンガ リー政府が選択 した国有企業の私有化 (所有権の民間への移転)の 主たる 方法 は,国 有企業の株式の資本市場 での売却 であった。政府はこの方法に よっ て 4, 5年 以内に所有形態に 占め る国有企業の割合 を50%に 縮減す るとい う目 標 を立てていたが,結 局 それ を実現す ることはで きず, 日標期間 を10年に延長 した。資本市場 での株式の売却 による私有化 は時間がかか る。財務状態が良好 な国有企業の株式でなければ買い手がつかないか らである。 ところが,ハ ンガ リーの国有企業の多 くは赤字体質であった。国有企業の50%私 有化の 目標期間 が延長 され ざるをえな くなったゆえんである。 ハ ンガ リーの私有化は政府主導の上か らの私有化であった。上か らの私有化 でさえグラデュアルな戦術 を採用す ると,私 有化は大幅に遅れて しまう。ハ ン ガ リー政府は最近 このことに気づ き,国 有企業の株式 を一挙に,か つ大量に民 間に移転す るとい うラデ ィカルな大量私有化 に軸足 を移 そ うとしている。国有 企業の私有化 はラデ ィカルな方が有効 であることがはつきりした。 グラデュア リス トの言 うように,上 か らの私有化 な しに 自然生成的な有機的発展のプ ロセ スで私的セ クターの拡大 を図るとどうなるだろうか。予想 もつかないほ ど長い 時間がかか るであろ うし,成 功す る確率 も高 くはな らないであろ う。 バルツェロヴィチの戦略論は,ポ ー ラン ドの体制移行政策の リー ダー として

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64 梶 田 公 教授退官記念論文集 (第305号) の体験に裏打 ちされているだけに説得力がある。国ごとの初期条件の違 いを認 識 しつつ, 自身の戦略論の妥当性 を慎重に見極め ようとす る姿勢は好感が もて る。ハ イエ ク流の 自然生成主義に呪縛 され,初 期条件 を無視 してその戦略論の いわば普通妥当性 を主張す るグラデュア リス トよ りもはるかに経験科学的態度 であると言わねばならない。 もっ とも,グ ラデュア リス トもラディカ リス トも自由主義者であることに変 わ りはない。両者 とも資本主義 を支持す ることに変わ りはない。異なるのは資 本主義へ の移行戦略である。 グラデュア リス トは市場主導の下か らの移行 を主 張 し,ラ ディカ リス トは国家主導の上か らの移行 を提唱す る。 このような意味 で前者はハ イエ ク的なレッセ ・フェール 自由主義の立場 を取 り,後 者は国権的 自由主義 (etatist liberalsm)の立場 に立つ。 筆者の立場 は国権的 自由主義 である。 ポス ト社会主義国におけ る体制移行 の 初期局面では上か らのラディカルな戦略 を採用すべ きであるとい う意味におい てである。 とりわけスター トの時点で資本主義的制度が不在の国では私有化, 市場化,競 争化お よび貨幣化 を同時に,か つ トップスピー ドで実施すべ きであ る。不安定 な過渡期 は短 いほ どよい。 資本主義の根幹 を成す私有方式は早急に制度化すべ きである。 中で も国有企 業の所有権 の民間へ の移転は大量私有化 に拠 るべ きである。チェコスロヴァキ アにおけ るバ ウチャー私有化の実践が示 しているように,大 量の国有企業の株 式 を一挙 に民間に移転す ると,資 本市場が急速に拡充 され る。 この国では1992 年 3月 か ら12月にかけて 1回 日のバ ウチャー私有化が実施 され,お よそ1490の 中 。大型国有企業の株式が民間に渡 り,そ の取引を仲介す る投資会社が一挙 に 436も登場 した。1993年1月 にチェコとスロヴァキアはそれぞれ独立 した。チェ コ共和国では1993年4月 にプラハ証券取引所の営業が開始 されたが,同 年の う ちに約1000の私有化 された企業の株式が取引され るようになった。その後チェ コでは1994年3月 か ら11月にかけて 2回 目のバ ウチャー私有化が実施 され,お よそ850の国有企業の所有権が民間に移転 した。その結果,プ ラハ証券取引所で 26)Kornai〔 16〕p.38.

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体制移行の経済学 65 株 式 が取 引 され る企業 の数 は増 え続 け,1995年 6月 には約 1700社に達 した。 こ れ に対 し,ス ロヴ ァキア共和 国では主 として政治的理 由か ら第 2固 目のバ ウチ ャー私 有化 の実施 は延期 され た。この ため に,加 えて約 160の投 資会社 の活動 も 政 府 に よって規制 され たため に,1994年 4月 に営業 を開始 したブ ラテ ィス ラヴ ァ証券 取 引所 で株 式 を取 り引 きされ る企業 の数 は少 な く,同 年 4月 現在 でわず かに80社であった。 これ らの事実が証明 しているように,大 量私有化 で多数の 国有企業の株式 を一挙 に民間に移転す ると同時に投資会社 の設立 ・活動 を自由 にす ると,資 本市場が きわめて短期 間に拡充 され るようになる。逆に資本市場 の拡充は国有企業の私有化 を促 し,所 有権が民間に移転 した企業の営利会社化 を促進す る。資本市場によるコー ポレー ト・ガバナ ンスは民間への所有権移転 が完 了 した企業の財務 ・組織面の リス トラクチャ リングを促 し,営 利会社への 転換 を加速す るであろう。 グラデュア リス トの私有化案は,国 有企業の所有権の移転の手続 きを飛ば し て,い きな り私的営利会社化 を問題 に しているような印象 を受け る。国有企業 の営利会社化は国有企業の 自助努力だけでは不十分 でファイナ ンス市場 による コー ポレー ト・ガバナ ンスを必要 とす る。 この限 りではグラデュア リス トの言 うように市場 の有機的発展プ ロセスに期待す るほかない。 しか し,有 機的発展 プ ロセスが始動す るためにはその前段階 として国有企業の所有権 を一挙 に,か つ大量に民間に移 してお く必要がある。 グラデュア リス トの私有化案はそ うし た手続 きを省略 した実効性の乏 しい観念論である。 最近 の体制移行論 を見渡す と,ハ イエ クの三分法が流行 していることが気に かか る。資本主義は 自発的秩序 であ り,社 会主義は設計 された秩序 であるとい う二分法 であ る。 グラデュア リス トが好んで口にす る論法である。資本主義は 自然に生成 した秩序 なのか。1940年代末に ドイツは二つの経済体制 を選択 した。 東 ドイツは管理社会主義 を,西 ドイツは誘導資本主義 を選択 した。西 ドイツ政 府 は,エ アハル ト (L.Erhard)やミュラーアルマ ック (A.Muller一Armack)ら を

2 7 ) B o r i s h , N o ёl 〔3 〕p.32. 2 8 ) B o r i s h , N o ёl 〔3 〕p.40,

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2 9 ) デザ イナーに して,社 会的市場経済 を設計 したのではなかったか。後発の資本 主義諸国の政府は,先 行 の欧米資本主義 を手本に して,そ の国の実情に応 じた 資本主義 を設計 したのではなか ったか。ハ イエ クの資本主義観 は疑問な しとし ない。 筆者の体制移行 の戦略論 はラデ ィカ リズムに分類 され る。 その基本方針 を一 言で言 うと,体 制移行 の初期局面では国家が前面に出て資本主義の基本制度 を 建 設すべ きであるが,そ の建 設が完了 したな らば国家は徐 々に経済の運営か ら 身 を引 き,そ れ を市場 と市民に委ね るべ きである, とい うものである。 この よ うな意味で筆者は delayed liberalis撚の立場 を取 る。 も とよ り筆者の立場 は筆 者一人の ものではない。チェコの クラウス・グループやハ ンガ リーの コヴァーチ の立場 と同様 である。筆者の戦略論の背後には,国 家の役割は原則 として制度 的フレームワー クの形成 ・維持 ・改変 とい う経済秩序政策に限定 し,生 産 。投 資 ・貯蓄 ・消費な どの経済経過 はで きるだけ市場に委ね るべ きであるとい うオ イケン流の考 えがあ る。 オイケンを祖 とす る ドイツ新 自由主義のモッ トー 「可 能 な限 りの市場,必 要 な限 りの国家」は,筆 者のモ ッ トーで もある。 体制移行のスター トの時点で資本主義 の制度的条件が不在 の国では当面国家 が,民 間主導の経済運営が可能 になるような制度的フレームワー クを可及的速 やかに形成すべ きである。 そのためには私有化,市 場化,競 争化お よび貨幣化 の ポ リシー ・パ ッケー ジを同時に,か つ トップ ・スピー ドで実施 しなければな らない。資本主義 はそ うしてこそ成立 し機能す るのであ り,政 治 システムがオ ー トクラシーか らデモクラシーに転換すればひ とりでに生成す るというような ものではないのである。 29)詳 しくは福 田 〔7〕 を参照 されたい。 30)Kovacs〔 17〕p.40. 31)コ ヴァーチは,移 行の初期局面では政府が前面に出て資本主義への移行政策を積極的に 展開 し,資 本主義の経済的 ・法的インフラス トラクチャー を整備 したならば退場すべ きで ある, と述べている。Kovacs〔17〕p.40. 32)Mdller一Armack〔 18〕p.17.

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体制移行 の経済学 67 参 照 文 献

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参照

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