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村上春樹『海辺のカフカ』論 : 夏目漱石『坑夫』との関係性について

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Academic year: 2021

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村上春樹『海辺のカフカ』論 : 夏目漱石『坑夫』

との関係性について

著者

大岡 愛梨沙

雑誌名

清心語文

20

ページ

15-28

発行年

2018-11

URL

http://id.nii.ac.jp/1560/00000400/

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一五 清心語文 第 20 号 2018 年 11 月 ノートルダム清心女子大学日本語日本文学会 踏み入れる。この両者の構造に、共通点が見られることを明ら か に す る。 そ し て、 異 界 か ら 出 て き た 時 に、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 と『海辺のカフカ』の主人公であるカフカ少年の精神的な成長 の次元に差異があることに注目し、その結果、カフカ少年がど のような成長を遂げていると言えるのかを明らかにする。   村 上 春 樹 と 夏 目 漱 石 の 関 連 に つ い て は 、 尹 相 仁 氏 ( 注 2) 、 角 南 範 子 氏 ( 注 3) 、 上 田 穂 積 氏 ( 注 4) 、 白 岩 玄 氏 ( 注 5) 、 柴 田 勝 二 氏 ( 注 6) が 指 摘 し て い る が、 そ の 中 で も カ フ カ 少 年 と 夏 目 漱 石『 坑 夫 』 の関連について指摘しているのは上田氏のみである。その上田 氏 も、 『 坑 夫 』 よ り も 作 中 に お け る「 テ ク ス ト の〈 現 在 〉 を 形 成している「虞美人草」をどう扱うのかの方が問題」であると しており、 『虞美人草』に注目している。その結果、 「白樺派の 扱 い に 関 す る ハ ル キ の 展 望 」 に つ い て の 考 察 を 重 点 的 に お こ なっており、 『坑夫』の作品そのものとの比較は行っていない。 〈キーワード〉死   異界   成長 一   はじめに   『 海 辺 の カ フ カ 』 ( 注 1) は、 村 上 春 樹 の 一 〇 作 目 の 長 編 小 説 で ある。本作以前の作品は、二〇代後半から三〇代前半の人物が 主人公であったが、本作で初めて一五歳の少年が主人公となっ ており、 村上春樹作品の中でも転機となる一作であるといえる。   本論では、村上春樹『海辺のカフカ』の主人公であるカフカ 少年が夏目漱石の『坑夫』を読み、その主人公に共感を示して いる箇所に注目する。   ま ず、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 は 炭 坑 と い う 異 界 に 入 り、 未 知 と の 遭 遇 を 果 た す。 『 海 辺 の カ フ カ 』 の カ フ カ 少 年 は、 佐 伯 さ ん の 核 で あ る「 森 」 の 中 へ 入 る こ と で、 「 迷 宮 」 と い う 異 界 へ 足 を

村上春樹『海辺のカフカ』論

  

―夏目漱石『坑夫』との関係性について―

 

 

愛梨沙

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一六 その際に比較対象として挙げられるのは夏目漱石『三四郎』の 主人公である。 カフカ少年と大島さんは次のような会話をする。 「 君 が 言 い た い の は、 『 坑 夫 』 と い う 小 説 は 『 三 四 郎 』  み たいな、いわゆる近代教養小説とは成り立ちがずいぶんち がっているということかな?」   僕 は う な ず く。 「 う ん、 む ず か し い こ と は よ く わ か ら な いけど、そういうことかもしれない。三四郎は物語の中で 成長していく。壁にぶつかり、 それについて真面目に考え、 なんとか乗り越えようとする。そうですね?   でも 『坑夫』 の主人公はぜんぜんちがう。彼は目の前にでてくるものを た だ だ ら だ ら と 眺 め、 そ の ま ま 受 け 入 れ て い る だ け で す。 (後略) 」(傍線は筆者による、以下同) (第 13章一八二頁)   カフカ少年は香川に来る前に既に『三四郎』を読んでいるた め、 『 坑 夫 』 の 比 較 対 象 と し て『 三 四 郎 』 の 内 容 の 説 明 が 出 来 るのだと考えられる。このことから、カフカ少年が甲村記念図 書 館 に 来 て か ら 読 ん で い る『 坑 夫 』 と『 虞 美 人 草 』、 そ し て 香 川 に 来 る 前 に 既 に 読 了 し て お り、 『 坑 夫 』 の 比 較 対 象 と し て 名 前が挙げられる『三四郎』の三作品は、本作において重要な意 味が込められているのではないかと推測される。   『 三 四 郎 』 に つ い て 、玉 井 敬 之 氏 は 次 の よ う に 指 摘 し て い る ( 注 7) 。   そ こ で、 本 論 で は、 『 海 辺 の カ フ カ 』 と『 坑 夫 』 の 二 作 品 に 注 目 し、 『 海 辺 の カ フ カ 』 の 作 中 に『 坑 夫 』 が 登 場 す る こ と が ど の よ う な 意 味 を 持 つ の か に つ い て 考 察 し、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 とカフカ少年の道行きを比較し、カフカ少年が受けた影響につ いて明らかにしたい。 二   カ フ カ 少 年 と 夏 目 漱 石『 坑 夫 』 の 関 係 性 に つ い て   本 節 で は、 『 海 辺 の カ フ カ 』 内 に 登 場 す る 漱 石 作 品 に 込 め ら れた意味について考察する。カフカ少年は、香川にいる間、甲 村 記 念 図 書 館 で 夏 目 漱 石 の 全 集 を 読 ん で い る。 「 全 作 品 を 読 破 し よ う と 思 う く ら い 漱 石 を 気 に 入 っ て い る わ け だ 」( 第 13章 一八〇頁)と大島さんに問われると頷いていることから、漱石 作品に非常に思い入れを持っていることが分かる。また、カフ カ 少 年 は 甲 村 記 念 図 書 館 に 来 て か ら 読 ん だ 作 品 に つ い て 問 わ れ る と、 「 今 は『 虞 美 人 草 』、 そ の 前 は『 坑 夫 』 で す 」( 第 13章 一 八 〇 頁 ) と 返 答 し て い る た め、 『 虞 美 人 草 』 と『 坑 夫 』 の 名 前が作中で挙げられていることが確認できる。   そ の 後、 カ フ カ 少 年 は『 坑 夫 』 の 感 想 を 大 島 さ ん に 語 る が、

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一七 と速く読む読書家ではない。時間をかけて一行一行を追う タイプだ。 文章を楽しむ。文章が楽しめなければ、途中で 読むのをやめてしまう 。5時少し前に その小説を最後まで 読み終え 、 書架に戻し、 それからソファに座って目を閉じ、 昨夜のことをぼんやりと考える。     (第 13章一八六頁)   カ フ カ 少 年 は 読 書 に つ い て、 「 文 章 が 楽 し め な け れ ば、 途 中 で読むのをやめてしまう」と述べているが、 『虞美人草』は「最 後まで読み終え」ることが出来ている。このことから、カフカ 少 年 に と っ て『 虞 美 人 草 』 と は、 『 坑 夫 』 の よ う に 大 島 さ ん と 議論をおこなう程重要な作品ではないが、最後まで読もうと思 える程度には心が惹きつけられる部分があったのだと考えられ る。     『 虞 美 人 草 』 に つ い て、 遠 藤 祐 氏 は「 漱 石 が は じ め て 死 を 一 遍のモチーフとして取り上げた」作品であると指摘されている ( 注 8) 。 し か し、 こ の「 死 」 と い う モ チ ー フ は、 『 虞 美 人 草 』 に 留まらず、それ以降の作品である『坑夫』や『三四郎』にも引 き継がれていく。そのため、カフカ少年は『坑夫』に最も興味 を示しているが、 『三四郎』に顕著な「性格」の問題と、 『虞美 人草』に顕著な「死」の問題を、三作品に共通するものとして 感じ取り、自身の成長にあたって必要な要素として注目してい   小川三四郎のおかれた状況からみて、また漱石の意図か ら み て、 『 三 四 郎 』 の 小 説 作 法 は、 作 中 の 人 物 を 掌 中 に し て性格を専制的に規定し、因果関係で縛り付けた『虞美人 草』 とは異なるはずである。 『虞美人草』 の執筆中におこっ た「 性 格 」 と い う も の に つ い て の 反 省 は、 『 坑 夫 』 と な っ てあらわれている。 『坑夫』の主人公は、 「本当の事を云ふ と 性 格 な ん て 纏 ま つ た も の は あ り や し な い 」「 本 当 の 人 間 は妙に纏めにくいものだ。神さまでも手古ずる位纏まらな い 物 体 だ 」 と 考 え、 「 自 分 の ば ら ば ら な 魂 が ふ ら ふ ら 不 規 則 に 活 動 す る 現 状 」 を 記 述 す る こ と に よ っ て『 虞 美 人 草 』 の反省と、 同時に「性格」への模索をおこなったのである。   こ こ で、 『 三 四 郎 』 は「 性 格 へ の 模 索 」 が 行 わ れ た 作 品 で あ ると指摘されている。また、その「性格」というものについて の反省は、 『虞美人草』の執筆中に発生し、 『坑夫』で再検討が なされているため、 カフカ少年が『虞美人草』 ・『坑夫』 ・『三四郎』 に意識を向けることは、カフカ少年の抱える問題が、この三作 に描かれているテーマと共通するためであると考えられる。   次に、カフカ少年が『虞美人草』の続きを読み始め、読了す る場面を示す。   閲覧室に戻って 『虞美人草』の続きを読む 。僕はもとも

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一八 主人公のあり方に肯定的であるといえる。そのようなカフカ少 年に対して、 大島さんは、 「それで君は自分をある程度その『坑 夫』 の主人公にかさねているわけかな?」 (第 13章一八二頁) と、 カフカ少年が自身と『坑夫』の主人公を重ねている可能性を指 摘する。カフカ少年は大島さんの問いに対して首を振って否定 する。   そ の よ う な カ フ カ 少 年 の 反 応 に 対 し て、 大 島 さ ん は「 で も 人 間 は な に か に 自 分 を 付 着 さ せ て 生 き て い く も の だ 」( 第 13章 一八三頁)と返答する。この発言から大島さんは、カフカ少年 が『坑夫』の主人公とカフカ少年自身を「付着」させているこ とを指摘していると推測される。このことから、カフカ少年は 無自覚に『坑夫』の主人公に共感を抱き、自身と重ね合わせて い る と 考 え ら れ る。 ま た、 『 坑 夫 』 の 感 想 を 言 い 終 わ っ た カ フ カ少年に対して大島さんは「現実の家出少年の意見として聞け ば 一 段 と 説 得 力 が あ る 」( 第 13章 一 八 三 頁 ) と 述 べ て い る こ と から、家出をして炭坑に向かった『坑夫』の主人公と、家出を して香川に来たカフカ少年に共通点を見出していると考えられ る。   カフカ少年は『坑夫』の主人公に強く惹かれ、自身と重ね合 わせていることが窺える。そのことと関わる話題として、大島 ると考えられる。   以上のことから、カフカ少年は三作品に惹かれたが、最も興 味を示した作品は『坑夫』であると考える。ならばカフカ少年 が『坑夫』をどう読んだのか。以下分析する。   『坑夫』を読み終えたカフカ少年は、 『坑夫』の主人公のこと を「世間知らずの坊ちゃん」と述べ、炭坑を「社会のいちばん 底みたいなところ」 (第 13章一八一頁) と表現している。そして、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 の 炭 坑 で の 経 験 を、 「 生 き る か 死 ぬ か の 体 験 」 で あ る と 述 べ、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 が 重 要 な 体 験 を し た こ と に 注 目 し て い る。 そ の 結 果、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 に 成 長 が 見 ら れ な い ことを受けて、 カフカ少年は 「『なにを言いたいのかわからない』 と い う 部 分 が 不 思 議 に 心 に 残 る 」( 第 13章 一 八 二 頁 ) と 発 言 し て お り、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 の 体 験 に 対 し て 強 く 関 心 を 示 し て い る。また、カフカ少年は『坑夫』の主人公が「穴に入ったとき と ほ と ん ど 変 わ ら な い 状 態 で 外 に 出 て 」 く る こ と、 「 自 分 で 判 断 し た と か 選 択 し 」 て い な い こ と、 「 受 け 身 」 で あ る こ と を 指 摘している。しかし、カフカ少年は『坑夫』の主人公を否定す る の で は な く、 「 人 間 と い う の は じ っ さ い に は、 そ ん な に 簡 単 に自分の力でものごとを選択したりできないものなんじゃない かな」 (第 13章一八二頁)という感想を述べており、 『坑夫』の

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一九 人 公 の あ り 方 に は 不 完 全 さ が あ り、 そ の 不 完 全 さ の か た ち が、 カフカ少年の現状と類似していることで、その他の漱石作品以 上 に カ フ カ 少 年 が 重 要 視 す る の だ と 考 え ら れ る。 大 島 さ ん は、 続けて「シューベルトというのは、僕に言わせれば、ものごと の あ り か た に 挑 ん で 破 れ る た め の 音 楽 な ん だ 」( 第 13章 一 九 三 頁)と述べる。シューベルトの音楽が不完全であるが故に大島 さんの心が惹きつけられるとした時に、ここで言われる「もの ごとのありかたに挑んで破れる」という要素はシューベルトの 音楽に限らず、不完全な作品として登場する『坑夫』にも共通 す る と い え る。 『 坑 夫 』 の 主 人 公 は、 社 会 か ら 逃 げ る た め に 坑 夫になろうとするが、そこで坑夫にもなれない。そのため、カ フ カ 少 年 は、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 の 不 完 全 さ に 惹 か れ た 結 果、 坑 夫になりきれなかったその主人公の価値観に共感しつつも、 『坑 夫 』 の 主 人 公 と 同 じ 道 筋 を た ど り な が ら、 『 坑 夫 』 が 達 成 で き なかったことに挑戦しようという感情が働いていると推察され る。   佐々木充氏は、 『坑夫』の主人公が炭坑へ入ることについて、 「 死 を 心 の 何 処 か に 思 い つ つ、 ほ と ん ど 無 意 識 に 歩 い て い る 青 年 が 語 る も の は 」「 彼 自 身 の 無 意 識 閾 へ の 旅 程 」 ( 注 9) な の だ と 指 摘 し て い る。 ま た、 佐 藤 泰 正 氏 は、 『 坑 夫 』 を「 ひ と り の 青 さんはシューベルトを好む理由を語る。その箇所を示す。 「 曲 そ の も の が 不 完 全 な の に、 ど う し て 様 々 な 名 ピ ア ニ ス トがこの曲に挑むんですか?」 「 良 い 質 問 だ 」 と 大 島 さ ん は 言 う。 そ し て 間 を 置 く。 音 楽 が そ の 沈 黙 を 満 た す。 「 僕 に も 詳 し い 説 明 は で き な い。 で もひとつだけ言えることがある。それは ある種の不完全さ を持った作品は、不完全であるが故に人間の心を強く引き つ け る ―― 少 な く と も あ 、、 、 る 、 種 、、 の 、、 人 間 の 心 を 強 く 引 き つ け る、ということだ。たとえば 君は漱石の『坑夫』に引きつ け ら れ る。 『 こ こ ろ 』 や『 三 四 郎 』 の よ う な 完 成 さ れ た 作 品にない吸引力がそこにはあるからだ 。 君はその作品を見 つける 。べつの言いかたをすれば、 その作品は君を見つけ る 。 シ ュ ー ベ ル ト の ニ 長 調 の ソ ナ タ も そ れ と 同 じ な ん だ。 そこにはその作品にしかできない心の糸の引っ張りかたが ある」        (第 13章一九〇頁・一九一頁)   大 島 さ ん は、 「 あ る 種 の 不 完 全 さ を 持 っ た 作 品 は、 不 完 全 で あるが故に人間の心を強く引きつける」のだと説明し、 『坑夫』 には、 「『こころ』や『三四郎』のような完成された作品にない 吸引力」があることで、カフカ少年と『坑夫』という作品がお 互 い に 惹 か れ あ っ て い く と 語 る。 こ の こ と か ら、 『 坑 夫 』 の 主

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二〇 に登場する青年像と自己を重ねているといえる。また、三作品 とも死というテーマを意識していることが共通している。しか し、 カフカ少年は自己の成長とそのために必要な体験が『坑夫』 の 主 人 公 の 異 界 体 験 と 一 致 す る と 考 え た こ と で、 『 坑 夫 』 に 最 も共感を示したと分析した。 三   『 坑 夫 』 の 主 人 公 と カ フ カ 少 年 の 異 界 体 験 に つ い て   前 節 で、 カ フ カ 少 年 が『 坑 夫 』 ( 注 12) に 強 く 惹 か れ た こ と を 明らかにした。その後、カフカ少年は「森」という異界に足を 踏 み 入 れ、 そ こ か ら 出 て く る こ と に な る。 こ れ は、 『 坑 夫 』 の 主人公が炭坑という異界に入り、そこから抜け出すという構造 と一致していると考えたため、本節では、両者の異界体験の構 造に注目し、どのような差異があるのかについて分析する。   ま ず、 異 界 に 入 る 動 機 に つ い て 考 察 す る。 『 坑 夫 』 の 主 人 公 は炭坑に向かう際の心理を次のように述べている。   自分は今が今迄 死ぬ気でゐた 。死なゝい迄も人間の居な い所へ行く気でゐた。 それが出来損つたから、生きる為に 働く気になつた迄 である。        (二三頁) 年の自己回復」の物語であり、漱石が「アイデンティティを求 め て あ え ぎ、 苦 悩 し た 幼 い 青 春 の 彷 ほ う こ う 徨 の 日 々 の 内 面 」 ( 注 10) を 描く作品だと述べている。そして、この青年に関する指摘とし て 石 嶋 淳 子 氏 が、 『 坑 夫 』 は「 世 界 の ど こ に 位 置 を 占 め る べ き かわからない青年特有の迷いを象徴して」 (注 11) おり、 それは 『虞 美人草』 ・『三四郎』にも共通すると指摘している。このことか ら、カフカ少年と『坑夫』の主人公が持っている迷いは、人と して変化が起こる時期に生じる自己形成に関する迷いであると いう共通点があるといえる。カフカ少年は自分の不完全さを認 識し、 「世界でいちばんタフな 15歳の少年」 に成長したいと願う。 そ し て『 坑 夫 』 に 惹 か れ た 結 果、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 が 炭 坑 と い う異界に入ったように、自身の持つ迷いを解決するために「森 の中」という異界に足を踏み入れることとなったのだと考えら れる。   以上のことから、作中で『虞美人草』 ・『坑夫』 ・『三四郎』の 題名が挙げられるのは、この三作品には青春期を生きる人物が 登場するからだと考えられるのである。 この三作品の主人公は、 人として変化が起こる時期を過ごしている。カフカ少年も現在 の 自 身 に 迷 い が あ り、 「 世 界 で い ち ば ん タ フ な 15歳 の 少 年 」 へ と成長していこうと試みているため、カフカ少年はこの三作品

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二一   カ フ カ 少 年 は、 「 森 」 を「 迷 宮 」 と 言 い 換 え て い る。 大 島 さ んの「迷宮」の説明をふまえた時に、カフカ少年がこの場面の 後に 「森」 へと足を踏み入れる行為は、 人間の深層部である 「迷 宮」に入ることだと考えられる。また大島さんは「君の外にあ るものは、君の内にあるものの投影であり、君の内にあるもの は、君の外にあるものの投影だ。だからしばしば君は、君の外 にある迷宮に足を踏み入れることによって、君自身の内にセッ トされた迷宮に足を踏み入れることになる」 (第 37章二一九頁) と述べている。このことから、カフカ少年が森の中に入る行為 には、自己の深層部に入って、そこにいる他者と出会い、他者 の深層部に入ることで自己理解をし、自身の抱える問題に対し ての答えを解決するという意味があると推測される。 そのため、 カ フ カ 少 年 が 森 の さ ら に 奥 に 進 も う と し た 時 に、 「 こ こ か ら 先 に進もうとすれば、僕はより深くより挑戦的な迷宮に足を踏み 入れることになる」と述べるのは、 「森」の奥に入ることで「迷 宮」へと足を踏み入れ、自身の抱える問題に対峙することにな ることを理解していたからだと考えられる。しかし、カフカ少 年はそのことを理解した上で 「森」 の奥へと進んでいったため、 自身で選択を行って異界へと旅立っているといえるだろう。カ フカ少年は、 『坑夫』の主人公と同じように異界に入るが、 『坑   主人公は他者と摩擦が発生した結果、社会を拒絶し「死ぬ気 でゐた」が、死ぬことを目標としていたにもかかわらず、ポン 引 き に 声 を か け ら れ た こ と で 死 ぬ こ と す ら「 出 来 損 つ た か ら、 生きる為に働く気になつた」と述べており、坑夫となることに 積極性はないことが分かる。そのため、炭坑という異界へ足を 踏み入れるのも、そこに自身の意志は働いていないと推察され る。   『 坑 夫 』 の 主 人 公 に 対 し、 カ フ カ 少 年 は「 森 」 に 入 る 前 に 大 島 さ ん か ら、 「 僕 ら の 住 ん で い る 世 界 に は、 い つ も と な り 合 わ せ に 別 の 世 界 」( 第 37章 二 一 八 頁 ) が 存 在 し、 そ れ は「 迷 宮 」 であると知らされる。そして、その「迷宮」は生き物の腸のか たちが原型であり、 人間の内部に 「迷宮」 が存在することを知る。 カフカ少年は、大島さんから「迷宮」の話を聞いた後に、自分 の意思で「森」に入ろうとする。その箇所を示す。   僕はまた 森の中 に入る。 (中略)ここまでが安全地帯だ。 ここからなら問題なくキャビンに戻ることはできる。初心 者 向 き の 迷 宮 、 テ レ ビ・ ゲ ー ム で い え ば「 レ ベ ル 1」 、 簡 単 に ク リ ア で き る。 し か し こ こ か ら 先 に 進 も う と す れ ば、 僕はより深くより挑戦的な迷宮に足を踏み入れることにな る 。                  (第 39章二四四頁)

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二二 と云ふ考へが躍り出した 。 すぐに続いて、死んぢや大変だ と云ふ考へが躍り出した 。自分は同時に、 豁と眼を開いた。 (二一七頁)   主人公は、意識がどんどん遠のいていく変化に「嬉しさ」を 見 出 し て い る が、 元 々 死 ん で も 構 わ な い と い う 発 想 で 炭 坑 に やって来たため、意識が遠のいていくことで、現実社会に残し たままにしている問題について思い煩う必要がなくなるという ことに喜びを見出しているのだと推測される。しかし、自身の 意識が「愈零に近くなつた時、 突然として暗中から躍り出した」 と述べている。自身の意識がほとんど消えかかった状態の時に 突然出てきたものは、 「こいつは死ぬぞと云ふ考へ」 、そして「死 んぢや大変だと云ふ考へ」だった。主人公は、意識が薄らいで いくことによって現実社会から離れていくことに安らぎを感じ ていたが、意識が消えかかった時に無意識の自分と出会ったの だと考えられる。そして、無意識の世界での自分は、意識が薄 らいでいくことに対して、肉体が死を感じ取り、死に対しての 危機感から拒絶をおこなったのだと考えられる。そのため、 『坑 夫』の主人公は、炭坑という異界の中のさらに八番坑という最 も 深 い 異 界 の 中 で、 死 と 出 会 っ た の だ と 推 測 さ れ る。 そ し て、 死と向き合った時に、今まで考えていた「死のう」という意識 夫』の主人公は炭坑に入ることに意志や積極性が見られなかっ た。 『坑夫』の主人公に対して、カフカ少年は、 『坑夫』を読ん で自身と主人公を重ねることで、異界で待っている問題に立ち 向かうことが自分にとって必要な試練だという意識を持って異 界に入っていく。そのため、カフカ少年は『坑夫』を自身の成 長の手引きとしながら、積極的に問題に挑戦しようとしている ため、両者の異界に入る動機は全く違うといえると考察した。   次に、両者が異界に入った後にそこで出会うものについての 考 察 を お こ な う。 『 坑 夫 』 の 主 人 公 が 八 番 坑 と い う 最 も 深 い 穴 に入った場面を示す。   意識を数字であらはすと、平生十のものが、今は五にな つて留まつてゐた。それがしばらくすると四になる。三に なる。推して行けばいつか一度は零にならなければならな い。自分は此の経過に連れて淡くなりつゝ変化する嬉しさ を自覚してゐた。此の経過に連れて淡く変化する自覚の度 に於て自覚してゐた。嬉しさは何処迄行つても嬉しいに違 ない。だから理屈から云ふと、 意識がどこ迄降つて行かう とも、自分は嬉しいとのみ思つて、満足するより外に道は ない筈 である。所が段々と競り卸して来て、 愈零に近くな つた時、突然として暗中から躍り出した。こいつは死ぬぞ

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二三 で入ることで、死と向き合ったとき、無意識の自己からの働き か け が あ っ た。 そ の た め、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 は 無 意 識 の 世 界 に 入っていったとき、そこで死の危機感を持った。しかし、カフ カ少年の場合は、現実世界から切り離された「森」という「迷 宮」に入り、自己形成を試みた結果、そこには自身が最も強く 求める佐伯さんが待っていた。   このことから、カフカ少年の場合は、自分の無意識の世界に 入っていったにもかかわらず、カフカ少年自身が抱える問題が 他 者 と か か わ っ て い く こ と だ っ た た め、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 の よ うに、死と直接対面するのではなく、死の世界の住人である佐 伯 さ ん と 対 面 す る こ と に な っ た の だ と 考 え ら れ る。 両 者 と も、 自 己 形 成 に あ た っ て、 死 と の 接 触 が あ る。 し か し、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 の 場 合 は 死 と 向 か い 合 っ た 時 に 危 機 感 を 持 つ の に 対 し て、カフカ少年は、死の世界でそこの住人である佐伯さんと生 き続けることで命が落ち着いた状態になるため、死の世界に永 遠に留まることを選ぼうとすることに差がある。カフカ少年は ただ死と向き合うだけではなく、死の世界を、自身の求める他 者と補完しあうという理想の環境として受け入れようとしてい ると考えられる。   し か し、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 も カ フ カ 少 年 も、 最 終 的 に は そ の 以上に死に対して無意識の危機感を持ったと考えられる。その 結果、死を拒絶したのだと考察される。   カフカ少年は森に入ろうとするが、一度引き返す。カフカ少 年 は、 カ ラ ス が 鋭 く 鳴 く 声 が 自 分 に 宛 て た 警 告 音 だ と 感 じ る。 その警告音によって森に入る事をためらったカフカ少年の逃げ 場は「円形の広場」であり、 その場所は「ひそやかな安全地帯」 ( 第 39章 二 四 六 頁 ) と 言 い 換 え が さ れ る。 こ の こ と か ら、 「 円 」 とは、外界が遮断され、自身の身が守られる安全な空間を意味 していると推測される。 カフカ少年は、 ついに 「森」 の最も奥まっ た中核にたどり着く。そして、 そこで 15歳の佐伯さんと出会い、 二人だけの静寂な空間に留まろうとする。カフカ少年は、森の 奥深くで佐伯さんと二人だけで存在し続けている状態を「閉じ た円の中にいる」 (第 45章三五〇頁)と表現している。これは、 カフカ少年にとって、自身が求める存在である佐伯さん以外の 全てを遮断しきった状態が「安全地帯」ともいえる理想の空間 であることを表していると考えられる。しかし、 カフカ少年は、 「 森 」 の 中 で 佐 伯 さ ん と 居 続 け ら れ る 喜 び を 得 る か わ り に、 時 間や自分の名前などが意味を持たないものになっていることに 気 が つ く。 こ れ は、 「 森 」 の 奥 が、 現 実 社 会 と 切 り 離 さ れ た 空 間 で あ る か ら だ と 推 測 さ れ る。 『 坑 夫 』 の 主 人 公 が 炭 坑 の 奥 ま

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二四 ればそれは自分が存在していないことと同じであると考えてい ると推測される。そして、佐伯さんのいる空間であれば、自分 が必要とされるため居場所があり、存在していることに意味が 見いだせると考えて、佐伯さんの元に留まろうとしていると察 せられる。しかし、佐伯さんはカフカ少年に、現実世界に「戻 らなくちゃいけない」のだと伝える。佐伯さんはカフカ少年に 「 森 」 か ら 出 る こ と を 求 め、 そ し て、 「 森 」 か ら 出 た 先 で、 「 あ な た に 私 の こ と を 覚 え て い て ほ し い 」( 第 47章 三 七 九 頁 ) の だ という要求をする。誰かに求められた経験の無いカフカ少年に とって、補完を願うほどに強く求めている佐伯さんからの要求 はとても重要であるだろう。そのため、カフカ少年は、自身が 「 森 」 に 留 ま る 以 上 に、 佐 伯 さ ん の 要 求 を 叶 え る こ と が 重 要 で あると考えたのだといえる。   また、佐伯さんの願いは、結果的にカフカ少年を生へと導く ことだった。カフカ少年が佐伯さんのことを忘れずに記憶し続 けることで、佐伯さんはカフカ少年の中で生き続けることがで きる。それと同時に、カフカ少年は自身に目を向けてくれた佐 伯さんを心に留めておくことで、現実世界で生きていく意味を 見出すことが出来る。このような思考のプロセスを経て、カフ カ 少 年 は 森 を 出 る 決 意 を 固 め た の だ と 考 察 さ れ る。 『 坑 夫 』 の 異界から出ることとなる。そのため、両者の異界から出るきっ か け の 考 察 を お こ な う。 『 坑 夫 』 の 主 人 公 は、 八 番 坑 で 死 と 向 き合った瞬間について振り返ったとき、 「大切の手前迄行つて、 急に反対の方角に飛び出してくる。 消極へ向いて進んだものが、 突如として、逆さまに、積極の頭へ戻る。すると、命が忽ち確 実になる」 (二二一頁)体験をしたと述べる。     このことから、主人公は炭坑へ来る前までは意思が死へと向 かっていったが、いざ死が目の前まで迫ると魂が生に対して積 極性を持ち、意志が生きる方向に向いたと考えられる。そのた め、 『坑夫』の主人公は、 死ぬことを目的として炭坑に入ったが、 本当に死ぬことが出来ず、目的の達成が中断されたため、炭坑 を出ることとなったと考察される。   カフカ少年は「森」の奥でしばらく過ごした後、佐伯さんか ら も と の 世 界 に 戻 る よ う に 言 い 聞 か さ れ る。 「 森 」 を 出 る よ う に促す佐伯さんに対して、カフカ少年は「僕が 戻 、、 、 る 、 世界なんて ど こ に も な い ん で す。 僕 は 生 ま れ て こ の か た、 誰 か に ほ ん と う に 愛 さ れ た り 求 め ら れ た り し た 覚 え が あ り ま せ ん 」( 第 47章 三七八頁)と返答している。このことから、カフカ少年は、現 実世界に戻っても自分を必要としてくれる他者がいないのだか ら、それは自分の居場所ではなく、自分の居場所がないのであ

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二五 から仕方なく炭坑に留まったのだと考えられる。   カフカ少年は 「森」 から出た後に 「東京に戻ろうと思います」 ( 第 49章 四 二 一 頁 ) と 発 言 す る。 続 け て、 東 京 に 戻 っ た ら 学 校 に行き、家出をしている間に殺された父親の手続きをするため に警察署に行くと話しているため、現実世界ですべきことに目 が 向 い た 結 果 帰 る こ と を 決 意 し た の だ と 考 え ら れ る。 『 坑 夫 』 の主人公は、死ぬことも出来なかったが、現実世界に戻って生 きることも選ばなかったのに対し、カフカ少年は佐伯さんとの 関わりの中で、生きることを選択した結果、自分の意思で帰る ことを選択できたといえる。   これらのことを踏まえて、最後に、両者の異界に入ったこと の 意 味 に つ い て 考 察 す る。 「 森 」 か ら 出 た カ フ カ 少 年 が、 大 島 さんの兄からサーフィンの話をされる場面を示す。   彼 は 言 う、 「 ハ ワ イ に ト イ レ ッ ト・ ボ ウ ル と 呼 ば れ る ス ポットがある。そこでは引き波と寄せ波がぶつかって大き な渦ができているんだ。便器の水の渦みたいにぐるぐると まわっている。だから、ワイプアウトしていったん底に引 きこまれると、なかなか浮きあがってこられない。波の具 合しだいでは、ひょっとしたらそのまま二度と浮かびあが れないかもしれない。でもとにかく君は海の底で、波にも 主人公は、 死の危機から逃げるために炭坑から出ようとするが、 カフカ少年は他者を求めた結果、他者の願いを尊重するために 「 森 」 か ら 出 た。 そ の た め、 異 界 に 入 る と き と 同 様 に、 『 坑 夫 』 の主人公は積極的な選択ではないのに対し、カフカ少年は自分 の意思で決断を下し、積極的な意思を持って異界から出てきた といえると考察した。   次 に、 異 界 か ら 出 た 後 の 両 者 の 結 末 に 注 目 し た い。 『 坑 夫 』 の主人公は、 「死んでもいゝ、生きてもいゝ」から、 「此処にゐ る の が、 一 番 骨 が 折 れ な く つ て、 一 番 便 利 」( 二 六 五 頁 ) だ と 考えて炭坑に残ろうとしている。しかし、気管支炎によって坑 夫になれないことが分かる。その箇所を示す。   自分も早速堕落の稽古を始めた 。南京米も食つた。南京 虫 に も 食 は れ た。 ( 中 略 ) 自 分 は 四 円 の 月 給 の う ち で、 菓 子を買っては子供にやつた。然し其の後東京へ帰らうと思 つてからは、断然已めにした。 自分は此の帳附を五箇月間 無事に勤めた。さうして東京へ帰つた 。―自分が坑夫に就 ての経験は是れ丈である。           (二六九頁)   主人公は、炭坑に残ることを「堕落」という単語で表現して いる。このことから、自分で決断したというよりは、坑夫には なれないが、だからといって社会に戻りたくないという気持ち

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二六 四   おわりに   以上のことから、カフカ少年と『坑夫』の主人公の精神的な 差 異 に つ い て ま と め る。 『 坑 夫 』 の 主 人 公 は、 死 へ の 意 識 が 強 く働いた結果、 自身の意思が無い状態で坑夫になる。そして 「炭 坑」という異界に入っていく。しかし、最も奥の「八番坑」へ 入って死と向き合った時に、死ぬ事への危機感を持つ。 『坑夫』 の主人公は、死ぬことも決断できないが、炭坑から出て社会で 生きる決断も出来なかったといえる。カフカ少年は佐伯さんを 求 め た 結 果、 「 森 」 と い う 異 界 に 足 を 踏 み 入 れ る。 し か し、 佐 伯さんから、 「森」を出て外の世界で生きることを求められる。 カ フ カ 少 年 は、 自 己 を 形 成 す る た め に 他 者 を 求 め た。 し か し、 自身が最も強く求めた他者である佐伯さんの要求を聞き入れる ことが佐伯さんを救い、佐伯さんを救うことで自分が生きる意 味が出来ると考えたのだといえる。そのため、カフカ少年は自 分の意思で「森」から出るという選択をした。   カ フ カ 少 年 は、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 に 共 感 を 示 し、 自 身 が 成 長 する方法の手引きとして『坑夫』の主人公の異界体験を実践し た。 『坑夫』の主人公は自身の意思で何も選ばずに炭坑に入り、 そこで死と向き合うという貴重な体験をしたが、その経験が自 まれながらじっとしていなくちゃならないんだ。あわてて じたばたしたところでなんともならない。かえって体力を 消耗するだけだ。実際にそういう目にあってみると、こん なにおっかないことはちょっとほかにないね。でもそうい う 恐 怖 を い っ た ん 乗 り こ え な い こ と に は、 一 人 前 の サ ー ファーにはなれない。 死と二人きりで向かいあって、知り あって、それを乗りこえていく んだ。その渦の底で君はい ろんなことを考える。ある意味では 死と友だちになり、腹 をわって話をすることになる 」(第 49章四一四頁 ・ 四一五頁)   大 島 さ ん の 兄 は、 サ ー フ ィ ン を す る に あ た っ て、 「 死 と 二 人 きりで向かいあって、知りあって、それを乗りこえていく」こ と、 「ある意味では死と友だちになり、 腹をわって話をすること」 が重要だと語る。これは『坑夫』の主人公とカフカ少年の異界 体験を象徴していると考えられる。両者は、死が近づくほど苦 し い 困 難 に 立 ち 向 か い、 「 死 と 向 か い あ っ て、 乗 り 越 え た 」 と い え る。 し か し、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 は 死 と 向 か い 合 っ た 経 験 が 自身の成長に活かせなかった。カフカ少年は、死と向かい合っ た結果、乗り越えることができたため、大島さんによって「成 長した」と評価されたのだと考察した。

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二七 石・ 直 哉 そ し て ハ ル キ 」『 徳 島 文 理 大 学 研 究 紀 要 』 第 七 九 号(二〇一〇年三月)   5   白 岩 玄「 夏 目 漱 石 と 村 上 春 樹 」『 文 學 界 』 二 〇 一 〇 年 一二月号   6   柴田勝二『村上春樹と夏目漱石―二人の国民作家が描い た〈日本〉 』(祥伝社   二〇一一年)   7   玉 井 敬 之「 三 四 郎 の 感 受 性 ―『 三 四 郎 』 論 ―」 『 漱 石 作 品論集成   第五巻   三四郎』 (桜楓社   一九九一年)   8   遠藤祐「漱石の反自然主義をめぐって―『虞美人草』の 周辺―」 『漱石作品論集成   第三巻   虞美人草 ・ 野分 ・ 坑夫』 (桜楓社   一九九一年)   9   佐 々 木 充「 漱 石『 坑 夫 』 試 論 ― 坑 道 と 梯 子 ―」 『 漱 石 作 品 論 集 成   第 三 巻   虞 美 人 草・ 野 分・ 坑 夫 』( 桜 楓 社   一九九一年)   10   佐 藤 泰 正「 『 坑 夫 』 の 試 み 」 三 好 行 雄   他 編『 講 座   夏 目漱石   第二巻 〈漱石の作品 (上) 〉』(有斐閣   一九八一年)   11   石嶋淳子「 『坑夫』論」 『漱石作品論集成   第三巻   虞美 人草・野分・坑夫』 (桜楓社   一九九一年)   12   『 坑 夫 』 は 明 治 四 一 年 の 元 日 か ら、 東 京 の『 朝 日 新 聞 』 に九一回にわたって、 大阪の 『朝日新聞』 に九六回にわたっ 身の生に活かされなかったため、成長が見られなかった。カフ カ少年は自分の意思で異界に入り、自分の意思で選択して異界 から出たため、自分の判断が持てなかった『坑夫』の主人公に 比べて、自分で判断して選択することが出来たという成長が見 られる。また、カフカ少年は自身の求める他者である佐伯さん の意思を尊重し、佐伯さんを自身の記憶の中で生き続けさせる ことで、カフカ少年自身の生きる理由になるという発見をした 上 で 異 界 か ら 出 た た め、 『 坑 夫 』 の 主 人 公 が 得 ら れ な か っ た 成 長を果たしたという結論に至った。 注 1   二 〇 〇 二 年 九 月 一 二 日 に 新 潮 社 よ り 上 下 二 冊 分 で 刊 行 さ れ る。 本 論 の テ キ ス ト は『 海 辺 の カ フ カ( 上 )』 ( 新 潮 社   二 〇 〇 二 年 九 月 )、 『 海 辺 の カ フ カ( 下 )』 ( 新 潮 社   二〇〇二年九月)より引用する。   2   尹 相 仁「 日 本 近 代 文 学 に お け る〈 桃 源 郷 〉 モ テ ィ ー フ ―夏目漱石と村上春樹の場合―」 『 Ideal Places in History:

East and West

』第一〇号(一九九七年三月)   3   角南範子 「迷羊の恋人」 『緑岡詞林』 第二五号 (二〇〇一 年三月)   4   上 田 穂 積「 田 村 カ フ カ は な ぜ「 坑 夫 」 を 読 む の か ― 漱

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二八 て掲載された。本論のテキストは『漱石全集』第五巻(岩 波書店   一九九四年)より引用する。   本稿の内容は、平成三〇年五月二六日・二七日に台湾に て行 われた第七回村上春樹国際シンポジウ ム及び、六月一七日に本 学にて行われたノートルダム清心女子大学日本語日本文学会で の口頭発表に基づきます。発表に際し御教示を賜りました皆様 に、厚く御礼申し上げます。 (おおおか   ありさ/本学大学院博士前期課程)

参照

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