食料農業植物遺伝資源条約の課題とわが国の品種保護制度の
あり方に関する考察
2013
食料農業植物遺伝資源条約の課題とわが国の品種保護制度の
あり方に関する考察
目 次 略 語 序 論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 第 1 章 食料農業植物遺伝資源条約への加入を可能とする条文解釈 ・・・・・・・・ 5 1. 検討の材料と方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 2. 条約で対象としている PGRFA が具体的に示すもの ・・・・・・・・・・・・・ 7 3. 「in the form」が「their genetic parts or components」を修飾するか ・・・・・・・ 9 4. 「in the form」の解釈 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11 5. DNA 関連特許における「円滑なアクセスを制限する知的財産権」の解釈 ・・ 13 6. 植物関連知的財産権における「円滑なアクセスを制限する知的財産権」の解釈 ・ 13 7. 小結 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15 図表(第 1 章) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17 第 2 章 食料農業植物遺伝資源条約の標準材料移転契約における金銭的利益配分に関する 考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25 1. 考察の対象とする資料 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25 2. SMTA の概略 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25 3. 多国間制度の対象とする PGRFA ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26 4. 多国間制度における利益配分の考え方 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27 (1)利益配分を受ける根拠に関する考え方 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28 (2)利益配分を行う場合の考え方 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28 5. SMTA における金銭的利益配分の要件(7 項方式による利益配分) ・・・・・ 29 (1)「成果物」と開発中の PGRFA ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30 (2)「制限なく利用できる」の解釈 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30 (3)「商業化」の解釈 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 31 (4)「売上高の一定割合」の解釈 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 32(5)利益配分義務の終了時点の解釈 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 33 6. 二つの利益配分方式の比較 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 34 (1)アフリカ方式の趣旨と概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 34 (2) 7 項方式とアフリカ方式の比較 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 35 7. 小結 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37 図表(第 2 章)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 38 第 3 章 食料農業植物遺伝資源条約の遵守と標準材料移転契約における紛争解決に関する 考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47 1. 検討の対象とする材料と方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 48 2. わが国の ITPGR 加入にあたっての遵守制度の問題点 ・・・・・・・・・・・・ 49 (1) 遵守制度の概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 49 (2) 遵守制度の特徴と問題点 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 50 3. SMTA の準拠法として国家法が指定されていない理由 ・・・・・・・・・・・ 51 4. SMTA の利益配分義務違反に対する紛争解決の想定される典型的な事例 ・・・ 53 (1) SMTA の監視制度と TPB の役割 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 53 (2) SMTA における具体的な紛争解決のシステム ・・・・・・・・・・・・・・ 55 (3)具体的な紛争解決の想定事例 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 56 5. 小結 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 57 図表(第 3 章) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 59 第 4 章 植物遺伝資源を巡る新たな国際状況における品種保護制度の課題とわが国の今後 の対応方向に関する考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 63 1. 特許が品種の保護制度としてなじまない理由 ・・・・・・・・・・・・・・・ 63 (1)発明の開示の問題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 63 (2)進歩性の問題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 64 (3)増殖過程の反復可能性の問題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 65 2. 品種保護制度としての UPOV 条約の問題点 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 65 (1)加盟国の裁量の範囲 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 66 (2) UPOV 条約の保護要件 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 67
(3)農家の自家増殖 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 68 3. ABS をめぐる UPOV 条約と CBD および ITPGR との整合 ・・・・・・・・・・ 69 (1) UPOV 条約と PGRFA へのアクセス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 70 (2) UPOV 条約と利益配分 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 70 (3) UPOV 条約と農民の権利 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 71 4. 小結 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 72 図表(第 4 章) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 74 第 5 章 農民の権利に関する国内外の情勢と今後のわが国の対応 ・・・・・・・・ 77 1. 農民の権利の出発点と考え方の歴史 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 78 (1)農民の権利の定義と議論の開始 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 78 (2) UPOV 条約における農民の権利 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 79 (3)「申し合わせ」改正作業における農民の権利の議論 ・・・・・・・・・・・ 80 (4) ITPGR における農民の権利 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 81 (5)その他の国際機関における農民の権利の議論 ・・・・・・・・・・・・・・ 82 2. 農民の権利の種類 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 83 (1)これまでの分類 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 83 (2)新たな分類の提案 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 85 3. 農民の権利の実現に向けて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 86 (1)諸外国における農民の権利の実現の事例 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 86 (2)わが国における農民の権利の実現にむけて ・・・・・・・・・・・・・・・ 88 4. 小結 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 89 図表(第 5 章) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 91 第 6 章 要約と結論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 97 1. 要約 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 98 2. 結論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 99 (1)ITPGR 加入の必要性 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 99 (2)ITPGR 多国間制度を品種保護制度の一形態として考える ・・・・・・・・・・ 100 (3) ITPGR 多国間制度をモデルにしたわが国における在来品種保護制度の提言・・ 100
3. 社会的意義 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 102 図表(第 6 章) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 104
引用文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 107
Summary ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 117
略 語
ABS(Access and Benefit-Sharing):アクセスと利益配分
CBD(Convention on Biological Diversity):生物の多様性に関する条約
CGIAR(Consultative Group on International Agricultural Research):国際農業研究協議グル ープ
CGRFA(Commission on Genetic Resources for Food and Agriculture):食料農業遺伝資源委 員会
CPGR(Commission on Plant Genetic Resources):植物遺伝資源委員会 ESA(European Seed Association):欧州種苗協会
EU(European Union):欧州連合
FAO(Food and Agriculture Organization):国際連合食糧農業機関
GRAIN(Genetic Resources Action International):国際遺伝資源アクション ICC(International Chamber of Commerce):国際商業会議所
IEEP (Institute for European Environmental Policy):欧州環境政策研究所
IISD (International Institute for Sustainable Development):国際持続的開発研究機関 IPGRI(International Plant Genetic Resources Institute):国際植物遺伝資源研究所 ISF(International Seed Federation):国際種子連盟
ITPGR(International Treaty on Plant Genetic Resources for Food and Agriculture):食料農業植 物遺伝資源条約
MAT(Mutually Agreed Terms):相互に合意する条件 OAU(Organization of African Unity):アフリカ統一機構
PGRFA(Plant Genetic Resources for Food and Agriculture):食料農業植物遺伝資源 PIC(Prior Informed Consent):事前同意
SMTA(Standard Material Transfer Agreement):標準材料移転契約 TK(Traditional Knowledge):伝統的知識
TPB(Third Party Beneficiary):第三者受益者
TRIPS 協定(Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights):知的所有権 の貿易関連の側面に関する協定
員会
UNEP(United Nations Environment Programme):国際連合環境計画
UNIDROIT(International Institute for the Unification of Private Law):私法統一国際協会 UPOV 条約(International Convention for the Protection of New Varieties of Plants):植物の新
品種の保護に関する国際条約
WIPO(World Intellectual Property Organization):世界知的所有権機関 WTO(World Trade Organization):世界貿易機関
要 約 第 1 章から第 3 章において,ITPGR の条文と内容に関して,わが国が ITPGR に加入 するにあたって重大な障害となる部分があるかどうか検討した. その結果,第 1 章においてわが国が ITPGR の採決に棄権する原因となった条文第 12 条 3 項(d)は,わが国の知的財産権制度と整合し,PGRFA からの DNA 関連発明は,特 許を取得できると結論した. また,第 2 章において ITPGR 多国間制度の利益配分方式では,成果物が特許で保護 された場合には利益配分が義務化され,育成者権で保護された場合は任意とする考え方 は容認でき,義務化された場合の利益配分率として採用される売上高の 0.77%は,わが 国の種苗業者にとって概ね適正な水準であることから,加入の障害とはならないと結論 した. 第 3 章において ITPGR における遵守制度では,締約国会議や遵守委員会が当該国に 対してとりうる明示的な措置はそれぞれ支援と助言に限られ,非遵守の問題に対して強 制的な実施措置をとることなく遵守の促進面を強調した制度になっていること,わが国 に求められることは 5 年に一度の国別報告書の提出,関係者への普及啓蒙,農民の権利 の実現等であり,SMTA における紛争解決のシステムについても手続きの透明性が確保 されていることから(大川ら,2012b),これらは加入への大きな障害にはならず,特 段の措置の必要なく条約に加入できると結論した. 第 4 章においては,ITPGR と UPOV 条約との関係および相互補完的な機能を検証し た.この結果,両条約の法制度上の不整合は生じないが,各国が条約の義務を履行する 段階で不整合が生じる可能性を指摘した.また,わが国の在来品種保護制度を確立する こと等を提言した. 第 5 章においては,ITPGR 第 9 条の農民の権利を実現する責任は各国政府にあるため, 農民の権利の内容の明確化とその実現方策を検討した.この結果,農民の権利を3分類 するとともに,わが国における農民の権利の実現のため,①在来品種および関連する TK を保存,利用または提供している農家,小規模種苗業者,趣味園芸家,NGO 等の活 動を支援する,②在来品種および関連する伝統的知識を活かした地域内消費の取り組み を支援すること,③農民の権利を実現する活動における意思決定過程への農民の参画を 進めること等を提言した.
- 1 - 序 論 世界人口は 2050 年には 92 億人にも達すると予想されている(国際連合, 2009).しかし,その人口を養うための食料の増産は,耕地面積の拡大が困難 なため,土地生産性の向上に大きく依存せざるを得ない.土地生産性を向上さ せるには,多収性,病虫害抵抗性,不良環境耐性などを備えた作物新品種の開 発が最も効果的であり,それには植物遺伝資源を積極的に活用していくことが 必要である(藤巻,2003). 国際的な植物遺伝資源の取得とその利用は,近代の育種研究がはじまって以 降 1980 年代までは,研究者間,あるいは研究所間でお互いの信頼関係のもとで 行われてきた.すなわち,国際連合(国連)食糧農業機関(Food and Agriculture Organization,以下「FAO」という.)において「植物遺伝資源に関する国際的 申し合わせ」(International Undertaking on Plant Genetic Resources,以下「申し 合わせ」という.)が議論された 1983 年頃までは,植物遺伝資源は「人類の共 有財産/遺産」(a heritage of mankind)という認識があり,広く収集され,利用 されてきた(山本,2001). しかし,その後,植物遺伝資源に対する考え方が徐々に変化し,植物遺伝資 源を利用して作物の品種改良が積極的に推進され,品質の向上や収量の増大に 対する遺伝資源の重要性が認められるようになると,植物遺伝資源あるいは育 成した新品種に対して,鉱物資源や海洋資源のような権利の考え方が芽生えて きた(磯崎,1997).そして,「自国の遺伝資源に対する権利」が主として開 発途上国を中心に主張されるようになった. このような経過において,植物遺伝資源に関するいくつかの国際的な条約が 採択された.1992 年に採択され 1993 年に発効した「生物の多様性に関する条 約」(Convention on Biological Diversity,以下「CBD」という.)は,「自国の 遺伝資 源に 対す る主 権的権 利」 を認 めた 最初の 国際 法で あり ( Andersen, 2008),遺伝資源へのアクセス(取得の機会)を決める権限は各国政府にある としている(磯崎,2000).そのため,CBD の下では,遺伝資源へのアクセス は,事前の情報に基づく遺伝資源提供国の同意(Prior Informed Consent)を必要 とし,提供国の利害関係者と受領者が相互に合意する条件(Mutually Agreed
- 2 - Terms,以下「MAT」という.)により行わなくてはならない.また,遺伝資 源の商業的利用等から生じる利益は,当該遺伝資源の提供国と公正かつ衡平に 配分する必要があり,その配分は相互に合意する条件で行うとされている.そ し て , CBD に お け る 遺 伝 資 源 へ の ア ク セ ス と 利 益 配 分 ( Access and Benefit-Sharing,以下「ABS」という.)を実効あるものにするため,2010 年 10 月に名古屋で開かれた第 10 回 CBD 締約国会議において ABS に関する名古 屋議定書が採択された.
食料農業植物遺伝資源(Plant Genetic Resources for Food and Agriculture,以下 「PGRFA」という.)については,農民によって野生種から長い時間をかけて 栽培種に選抜・育成されたものであり,かつ各国は他国の PGRFA に対する相 互依存性が高く,交換の歴史も長いという特殊性を根拠に,薬用植物や微生物 遺伝資源などの他の遺伝資源とは異なった取り扱いが必要であるとの考え方か ら,CBD の枠内に PGRFA を取り扱う新たな国際制度を作るべきであるという 意見が強まった(山本,2001).また,国際農業研究協議グループ(以下「CGIAR」 という.)は,CBD の発効にともない,その保有する約 50 万点の植物遺伝資 源は信託(in trust)という解釈で保有し,所有権も知的財産権も主張しないと した(山本,2001).そして,7 年間の長い交渉を経て,2001 年の第 31 回 FAO 総会において「食料農業植物遺伝資源条約」(International Treaty on Plant Genetic Resources for Food and Agriculture,以下「ITPGR」という.)が採択(2001 年 11 月 3 日)され,2004 年 6 月に発効した.この ITPGR は,CBD のように植物 遺伝資源を二国間の交渉により取得するのではなく,多国間で共通の内容の契 約により取得する方針をとっている.すなわち,締約国間で MAT をあらかじ め決定し,その条件を明記した標準材料移転契約(Standard Material Transfer Agreement,以下「SMTA」という.)により PGRFA へのアクセス促進と利益 配分を行う多国間制度(Multilateral System,以下「多国間制度」という.)が 採用された. わが国は,この条約の策定交渉に当初から代表団を派遣し,検討を継続して きたが,第 31 回 FAO 総会における ITPGR の採択の時点で,条文第 12 条 3 項 (d)に関して「PGRFA の利用から生まれる DNA 関連発明について特許を取得で きるかどうか曖昧であり,国内法と整合するか否かについて精査する必要があ
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る」として棄権した(FAO,2001c).2012 年 12 月の時点においてもわが国は ITPGR に未加入となっている.
次に,植物品種の保護に関する知的財産権制度としては,「植物の新品種の 保護に関する国際条約」(International Convention for the Protection of New Varieties of Plants,以下「UPOV 条約」という.)がある.UPOV 条約は,工業 所有権の保護に関するパリ条約の枠外の条約として 1961 年に締結され,1968 年にヨーロッパ 5 カ国で発効した.わが国は 1982 年に批准している.UPOV 条 約やパリ条約に基づく特許制度は,品種の遺伝的均一性を重視するとともに, 品種を個人財産として扱っている.一方,ITPGR は PGRFA の遺伝的多様性を 重視するとともに,PGRFA を共有財産として扱ってきた.このため,ITPGR の策定交渉において UPOV 条約等の新品種保護制度との整合関係が常に問題と されてきた.しかし,これらの制度は PGRFA の取扱いに関する制度として密 接に関連していることから,ITPGR の国内実施措置の検討にあたっては,これ らの諸制度間の整合関係を明確にする必要がある. また,既存の知的財産権制度が対応していない権利として,1979 年の FAO において「農民の権利」が初めて国際的に議論された.そこでは,「近代育種 家は知的財産権によって新品種の利益を確保できるが,遺伝資源の提供者であ る農民にはこのような保障制度がない」という現状に関する認識から「農民の 権利」が議論された(Esquinas 1998).ITPGR の策定交渉においても主要議題 の一つとされた.最終的には国際的な知的財産権としては認められなかったも のの,ITPGR 第 9 条において,このような農民の権利の考え方が国際的に認知 された.しかし,わが国では農民の権利はまだ社会的にも作物に関連する学会 においても認知されていない. 以上のように,遺伝資源を取り巻く国際的な情勢が急激に変化する中で,わ が国は,ほとんどの PGRFA を諸外国からの導入に頼っており(白田,2009), 今後も諸外国の遺伝資源への依存度は高まるものと予想される(白田ら,2008). したがって,PGRFA へのアクセスを可能な限り継続して促進する必要がある. そのためには,ITPGR へのわが国の早期加入が必要となっている. そこで,本論文は,わが国が ITPGR に加入するに際しての問題点を検討し, 加入に向けての障害を取り除くとともに,加入後における ITPGR の国内実施の
- 4 - ための具体的な施策を提示することを目的とする.また,研究の視点として, PGRFA の ABS 制度と植物に関する知的財産権制度との整合性の観点から問題 点の把握とその解決策を議論する.なお,これまで国内において公表されてい る ABS 制度に関する文献は,林(2007),磯崎(2011)等比較的多数あるが, ITPGR に関する論文は,山本(2001),白田ら(2008)等極尐数のものがある だけである.また,知的財産権制度に関する文献は多いが,農民の権利を扱っ た論文は,山名(1999)と西川(2012)のものがあるだけである.さらに ITPGR と知的財産権制度の整合の視点での論文は国内にはこれまで無いのが現状であ る.一方,海外では上記に関する論文や文献は多数公表されているが,わが国 での適用や国内実施対策の視点でまとめたものとはなっていない. 本論文の社会的意義としては,わが国が ITPGR に早期に加入することによ り,海外の PGRFA へのアクセスが促進され,国内育種産業の振興につながる. また,農民の権利が国内で認知されることにより,農家の種子利用に関する選 択の幅が拡大し,農家圃場における PGRFA の生息域内保存が促進される.さ らに,在来品種の保護制度が確立されることにより,生物多様性の高い農業が 振興されることがあげられる. 本論文の構成は,第 1 章において,わが国が ITPGR の採択に棄権する最大の 理由となった条文第 12 条 3 項(d)の解釈に関して,わが国の知的財産権制度と 整合するかどうかについて考察し,ITPGR への加入の可否を検討する.また, 第 2 章では,ITPGR の利益配分のうち,SMTA による金銭的利益配分方式につ いて,わが国での実施可能性を検討する.さらに,第 3 章では,ITPGR の遵守 と SMTA の紛争解決の仕組みについて,ITPGR 加入の障害になるかどうか検討 する.次に,第 4 章では,植物遺伝資源を活用して開発される品種の保護制度 に焦点を当て,新たな国際制度と整合のとれた品種保護制度の在り方について 考察する.第 5 章では,農民の権利に係る国際状況とわが国の現状を俯瞰し, わが国における農民の権利の実現に関する提言を行う.第 6 章では,第 1 章か ら第 5 章までの議論を踏まえ,わが国の ITPGR 加入の必要性の確認と加入後の 国内実施措置として在来品種保護制度に関する提言を行う.
- 5 - 第1章 食料農業植物遺伝資源条約への加入を可能とする条文解釈 これまでわが国はほとんどの PGRFA を諸外国からの導入に頼り,今後もそ の依存度は高まるものと考えられるため,PGRFA へのアクセスを可能な限り継 続して促進する必要がある.しかし,PGRFA を利用して得られる成果である DNA 関連特許の取得の可否が曖昧であり,国内法と整合するか否かについて精 査する必要があるとして ITPGR の採択時に棄権した経緯がある.その後,農水 省,経産省および特許庁などで検討がなされているものと思われるが,条約加 入に対して明確な方針が示されたとは言い難い.そのため,ITPGR には現在 119 カ国と 1 地域(EU)が加入しているが,2012 年 12 月現在も日本は未加入のま まである(FAO ホームページ).本章では,ITPGR の採択時に,条文の意味が 曖昧なままでは賛成も反対もできないとしてわが国が棄権する原因となった条 文第 12 条 3 項(d)の解釈について考察する.そして,わが国の知的財産権制度 と整合する本条文の妥当な解釈を提示し,ITPGR 加入の是非を論じることとす る. 1.検討の材料と方法 ITPGR の条文解釈にあたっては,CBD,「知的所有権の貿易関連の側面に関 する協定」(以下「TRIPS 協定」という.)および UPOV 条約を援用した.こ れら条約間の関係は図 1-1 のとおりである.なお,ITPGR 条文の和訳は,「食 料農業植物遺伝資源に関する条約(仮訳)」(農業生物資源研究所,2006)を 用いたが,一部について修正し私訳を作成した. わが国の ITPGR の採択を棄権した最大の理由であった条文第 12 条 3 項(d)の 解釈について,わが国の知的財産権制度と整合する妥当な解釈が可能か否かに ついて,関連した条約等を参考として次頁以降の論点に従って検討を行った. なお,各論点は条文第 12 条 3 項(d)において使用されている文言の意味とその 修飾関係を明確にするために抽出したものである.
- 6 - ITPGR では,PGRFA は多国間制度に従ってアクセスされ,CBD の場合とは 明確に異なっている.CBD における生物遺伝資源にアクセスする場合の原則 は,事前の情報に基づく遺伝資源提供者の同意を得た上で,当事者間での相互 に合意する条件により行うこととされている.一方,ITPGR では,CBD の二国 間の交渉によりアクセス条件を決める二国間制度は取らず,多国間制度を採用 している.このシステムの前提条件として ITPGR 第 10 条 1 項において,PGRFA へのアクセスを決める権限を含む各国の主権的権利を認めている.さらに,同 条 2 項において,各国は主権的権利の行使にあたっては ABS に関する多国間制 度の設立に合意するとされる.ITPGR が多国間制度を採用した理由は,PGRFA が農民によって長い期間をかけて選抜・育成されたものであり,相互依存性が 高く,交換の歴史も長いという特殊性から,他の生物遺伝資源とは異なった取 り扱いが必要であると考えられたからである(Moore and Tymowski,2005). 多国間制度の概要を図 1-2 に模式的に示す.このシステムの対象は,生息域 外の PGRFA のうち,「政府が管理監督しているもの」でかつ「パブリックド メインにあるもの」とされている.「パブリックドメイン」という用語は,植 物遺伝資源が「知的財産権に制限されることなく誰でも利用できる状態」をい い,「内外国格差のない状態で利用できること」を意味する.ITPGR の PGRFA は,締約国間で共通の SMTA により配布される. また,本章の主要な検討事項である ITPGR における知的財産権の対象は 「PGRFA と遺伝的部分もしくは構成要素(genetic parts or components)」であ る.しかし,植物遺伝資源に対する財産権の問題を扱うときには,種子のよう な物そのものに対する所有権(物権)と種子などに含まれる遺伝情報に対する 権利(無体財産権)を区別する必要がある(Correa,1994).遺伝資源の種子 を所有している者はその種子に対して所有権を有し,どのようにも使用し処分 をする権限がある.しかし,その遺伝資源が有している遺伝情報にはその所有 権の効力は及ばない.また,この遺伝情報は,基本的には誰でも自由に利用で きるものであり,特定の者の使用により他の者が使用できなくなる性格のもの ではない.一方,この遺伝情報が知的財産権で保護された場合には,その権利 者が遺伝情報の使用を独占できる(Correa,1994).このような知的財産権を 考える場合,植物体に関する知的財産権としては育成者権と特許権があり,
- 7 - DNA 関連の発明は特許権で保護されるのが通例である.以下では,前者を扱う 知的財産権を「植物関連知的財産権」,後者を扱うものを「DNA 関連特許」と 区別して扱うこととする. なお,ITPGR 条文の解釈にあたっては,条約の目的,前文の内容等の文脈に 沿った用語の解釈を行うとともに,曖昧さが残る場合には FAO の食料農業遺伝 資源委員会(Commission on Genetic Resources for Food and Agriculture, 以下 「CGRFA」という.)における ITPGR 条文策定交渉の経緯や採択時の事情等 を考慮した.このような条文の解釈に関しては,「条約法に関するウィーン条 約」(以下「条約法条約」という.1980 年 1 月 27 日に発効.わが国は 1981 年 に加入.)に定められた「準拠すべき解釈規則」に従った.すなわち,条約法 条約の第3節第 31 条(条約解釈の一般規則)において,条約は文脈によりかつ その趣旨および目的に照らし,用語の通常の意味に従って誠実に解釈するとし ている.また,第 32 条において,一般規則に従った解釈においても,なお曖昧 であるか常識に反した不合理な結果になる場合には,条約の準備作業や条約締 結時の事情等を条約解釈の補足的な手段として援用してもよいとしている.条 約法条約は,条約に関する国際法上の規則を統一したものであり,解釈の過程 で考慮されるべき要素,たとえば条約本文や準備作業の相対的な価値や重要性 を規定している.当事国の意思は条約本文に明らかにされているとする文言主 義解釈が優先され,当事国の意思を尊重し準備作業の援用を認める意思主義解 釈を最初の段階から援用することを避ける意図があるとされる(坂元,2004). わが国の ITPGR の採択を棄権した最大の理由であった条文第 12 条 3 項(d)の 解釈について,以下論点 1~4 の手順で検討した. 2.条約で対象としている PGRFA が具体的に示すもの(論点 1)
ITPGR 第 2 条の PGRFA の定義から判断すると,PGRFA には植物体およびそ の部分(種子,種苗等)が含まれることは明確である(表 1-1).
ITPGR 成立までの準備作業の経過を見ると,表 1-2 に示したように第 6 回臨 時 CGRFA 終了時点での交渉テキストでは PGRFA の定義に関して二つの選択 肢が示され(FAO,2001a),これらが第 121 回 FAO 理事会(2001 年 10 月 30
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日~11 月1日)に諮られた.交渉の最終段階においても,「遺伝的部分および 構成要素」は,植物由来の増殖材料に内包されているものとして明示しない表 現とするか(選択肢(A)),増殖材料とは独立に明示するか(選択肢(B)) で当事国の意見が二分されていた(FAO,2001a).この段階では,PGRFA の 定義として「その遺伝的部分および構成要素(its genetic parts and components)」 について言及しないこととされたが,ITPGR 第 12 条 3 項(d)において同様の表 現を維持するという妥協が成立し,第 31 回 FAO 総会(2001 年 11 月 2 日~13 日)で採択された(FAO,2001c).この結果,第 2 条の PGRFA の定義につい ては,「遺伝材料(genetic material)」という用語と,その「遺伝材料」の定義 として「遺伝的機能単位(functional units of heredity)」という用語が残った (ITPGR ホームページ).第 2 条の PGRFA の定義では「遺伝的機能単位を含 む(内包する)植物由来のすべての遺伝材料」とされており,単離・精製され た遺伝子は PGRFA に内包されないと考えられることから PGRFA でないとの解 釈も可能である.このような解釈がなされる背景には,多国間制度を通じたア クセスでは,遺伝子それ自体の配布を想定していないという事情がある(Moore and Tymowski,2005).一方,知的財産権制度の視点からは PGRFA の持つ遺 伝子やその機能性情報自体に本来の価値があると考えられ,植物由来の遺伝子 も PGRFA であると考えるのが合理的である.
なお,CGIAR は,cDNA クローンや DNA マーカー等の DNA を包含する研 究材料が PGRFA に該当するかどうかに関し,用途が研究材料としての使用に 限られ,PGRFA に組み込んで改良する目的で使用されないのであれば PGRFA に該当しないが,用途が曖昧な場合は PGRFA に該当する場合もあり得るとの 判断から SMTA を使用して配布することを 2007 年時点では勧めていた(SGRP, 2009).その後の検討で,研究材料が SMTA により配付されない場合,国内法 によりさらに厳しい条件が課される可能性があるため,当面,CGIAR 傘下の国 際農業研究センターが研究材料を配布する場合は,原則として SMTA を使用す ることを勧めている(SGRP,2009). 以上から,PGRFA とは,食料および農業のための現在価値または潜在的な価 値を有する遺伝子のような遺伝的機能単位それ自体を含めた植物体およびその 部分(種子,種苗等)と考えられる.
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3.「in the form」が「their genetic parts or components」を修飾するか(論点 2) ITPGR 第 12 条 3 項(d)の英文の条文(表 1-3)では,「or their genetic parts or components」の前後がコンマで区切られているため,後の句の「in the form received from MLS(多国間制度から受領したそのままの形態)」が「their genetic parts or components(遺伝的部分もしくは構成要素)」を修飾するかどうか明確 でないため,条文の意味が不明確となっている.もし,修飾しないと解釈する と,「their genetic parts or components」は主に遺伝子を意味すると考えられるの で,多国間制度を通じて受領した PGRFA から単離・精製した遺伝子は「円滑 なアクセスを制限する」知的財産権を取得できないという意味になる.しかし, この解釈は以下の理由から採用できない. その理由の一つは,ITPGR の前文に,「本条約は,他の国際協定の下での各 締約国の権利又は義務を何ら変更するものではないと解釈されなければならな いことを確認する」と記載されていることである(食料農業植物遺伝資源に関 する条約(仮訳),農業生物資源研究所,2006). また,知的財産権保護の最低基準を定めている TRIPS 協定の第 27 条(特許 の対象)1 項には,「新規性,進歩性および産業上の利用可能性のある発明は, いかなる技術分野であっても特許を付与しなければならない」との原則が規定 されている(尾島,1999).その上で,この原則の例外として同条 3 項(b)にお いて,「植物自体および本質的に生物学的な方法(たとえば交配による従来の 育種方法)については,特許の対象から除外できる」としている.すなわち, 特許の保護対象の例外が認められるのは植物自体であり,植物が有する遺伝子 やその DNA 配列については特許の対象にすべき義務を締約国は負っていると いえる.したがって,TRIPS 協定が認めている DNA 関連特許に関する締約国 の権利は,ITPGR においても変更されないと解釈できる.ただし,TRIPS 協定 では発明の定義がなされていないため,遺伝子等は自然界に既に存在する物で あり発明には該当しないとして特許により保護される対象から除外している締 約国もある.このように,TRIPS 協定では天然物を,たとえ単離した DNA 配 列であっても,単なる発見として特許の対象から除外することを禁止してはい ないとも解釈できる(Correa,1994).
- 10 - さらに,ITPGR 第 10 条 1 項において,PGRFA へのアクセスを決める権限(主 権的権利)の中には,PGRFA を知的財産権の対象にするかしないかを決める権 限も含まれていると考えられる.誰でも利用できるパブリックドメインにある ものを対象として,私的権利である知的財産権制度を導入することは,主権的 権利の行使の一形態であるからである(Correa, 1994).このため,TRIPS 協定 等の既存の知的財産権制度に関する国際協定や ITPGR の多国間制度と整合し ていれば,各国は自由に国内法により知的財産権制度を構築し,遺伝子等の特 許性を認めないことができる.たとえば,アンデス共同体5カ国の知的財産権 制度と TRIPS 協定との整合を図るため,2000 年に制定されたアンデス共同体決 定 486 ( the Andean Community Decision 486: Common Intellectual Property Regime) の第 15 条では,「発見並びに自然界で見いだされるすべての生物,自然界の生 物学的方法および自然界に存在する,又はすべての生物から単離することがで きる,ゲノム又は生殖質を含む生物材料は,発明(invention)とは見なさない」 としている.また,第 20 条では,「植物および植物を生産する方法は,特許の 対象から除外される」としている(GRAIN,2000). 一方,ITPGR 第 12 条 3 項(d)に関するフランス語の条文(表 1-3)を見ると「,sous la forme recue du Systeme multilateral」の前にコンマがあるのみであるから,こ の字句が「ressourcesphytogenetiques pour l'alimentation et l'agriculture」ou「a leurs parties oucomposantesgenetiques」の両者を直接的に修飾することがより明確であ ると考えられる.
次に,条約の準備作業の状況を時系列的に点検する.この準備作業は 1994 年 11 月の FAO 第 1 回臨時植物遺伝資源委員会(Commission on Plant Genetic Resources,以下「CPGR」という.1995 年に CGRFA に改名.)から開始され たが,1997 年 12 月の第 4 回臨時 CGRFA 報告の添付書 C の交渉テキストでは, 「受領者は取得した PGRFA へのアクセスの促進と利用を制限する権利を主張 しない」とする案と「受領者は受領した材料,又はその部分,又はそれらから 得た抽出物(extracts)に対して財産権を主張しない」とする案が併存している. その後の交渉では前者の案のみとなっていたが,交渉を促進する目的で 1999 年 9 月から 2001 年 4 月まで計 6 回行われた議長主催の尐人数(コンタクトグル ープ)会合の 2000 年 8 月にテヘランで開催された第 3 回会合において,ほぼ最
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終条文と同趣旨の案が作成された.この会合では,遺伝子配列の特許に反対す るグループから「or their genetic parts or components」の字句が追加提案され,こ の提案に対する対応として受領した遺伝資源から単離した遺伝子配列の特許を 認めるべきとするグループが「in the form received」の字句を追加提案してバラ ンスが図られた(ISF,2005). 本条項の交渉の最終段階(第 121 回 FAO 理事会(2001 年 10 月 30 日~11 月 1 日)と平行して開催された作業グループ会合)では,途上国側と先進国側の両 者の意見を反映した表 1-4 の案がアンゴラ国より提案された(IISD,2001). このアンゴラ国の調整案は,米国が各国の法律の違いを考慮していない等とし て反対したため最終案にはならなかったものの,自然界に存在する遺伝材料は たとえ単離されたとしてもアクセスを制限する知的財産権をとるべきでないと 考えている一方で,人の手による改変(innovation)を経たものであれば知的財 産権の対象になりうることを認めている.
また,EU(European Union)は ITPGR 第 12 条 3 項(d)の解釈に関して,表 1-5 の解釈宣言を付して条約を承認している(FAO ホームページ).すなわち,こ の解釈宣言では「in the form」の意味に関して,「have undergone innovation(新 しく改変された)」ものは「in the form」ではない,すなわち「in the form」は 「their genetic parts or components」を修飾すると解釈している.EU 各国も批准 にあたって同一の解釈宣言を行っている.
4.「in the form」の解釈(論点 3)
PGRFA の遺伝的部分または構成要素である遺伝子やその DNA は,既に自然 界に存在している化学物質である.この遺伝子を PGRFA から抽出して利用す る場合,どこまで人の手による操作を加えれば元の遺伝子やその DNA と比べ て「in the form」ではないといえるのかが明確ではない.また,「in the form」 について国際的な共通の解釈は確立しておらず,したがって各国は主権的権利 に基づく国内遺伝資源へのアクセスを決める権限により国内法で知的財産権を 付与する範囲を設定できる.そのため,各国で遺伝子やその DNA に対する知 的財産権による保護の水準が違ってくる問題点がある(磯崎,私信).そこで, わが国の特許法と整合する「in the form」の解釈について考察した.
- 12 - わが国の特許法では,DNA などを特許の対象から除外する規定はなく,生物 関連発明の審査基準(特許庁,2009)においても,遺伝子工学に関する発明と して遺伝子,ベクター,形質転換体などがあげられている.このように,PGRFA から分離した遺伝子は,新規性,進歩性および有用性の特許要件が認められれ ば特許が与えられる.有用性は,特許法第 29 条 1 項注書きの「産業上の利用可 能性」の特許要件にあたる.しかし,通常,有用性に問題がある場合は,特許 出願時の発明の詳細な説明において,当業者(通常の創作能力を発揮できる者) がその特許発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に発明が記載さ れていないとして,特許法第 36 条 4 項の「実施可能要件」違反の拒絶理由が通 知される.特許は,発明を公開する代償として発明者に与えられるからである. また,遺伝子やその DNA 断片の有用性が認められるためには,遺伝子に係る 発明を当業者が「使用できる」ように具体的に記載しなければならない.当業 者が発明を使用できるためには,遺伝子が技術的に意味のある特定の用途が推 認できる機能を有すること,たとえばある遺伝子によりコードされるタンパク 質が特定の機能を有することを明らかにする必要がある(辻丸,2004). また,特許法では,発明とは「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち 高度のものをいう」と第 2 条 1 項において定義されている.特定技術分野の審 査の運用指針によると,「単なる発見であって創作でないもの」は発明に該当 しない(特許庁,2001).その理由として,「発明」の要件の一つである創作 は,作り出すことであるから,鉱石等の天然物や自然現象等の単なる発見は「発 明」に該当しない.しかし,天然物から人為的に単離した化学物質は,創作し たものであり,「発明」に該当するとしている(特許庁, 2001). 発見と発明の相違に関しては,米国特許法第 100 条では「発明とは発明およ び発見をいう」と両者を区別せずに定義している(高林,2004).また,発明 と発見は連続的な概念であり,むしろ知的労働の成果に「特許に値する充分な 理由」があるか否かが重要であると考えられるとの指摘がある(平井,1997). なお,オーストラリアは,多国間制度を通じて取得された PGRFA の遺伝的 部分および構成要素は,単離し精製した場合には改変されたとみなされる(「in the form」ではない)ので,進歩性等の他の特許要件を満たせば特許の対象とな りうるという意見を表明した(FAO, 2001b).また,カナダは,ITPGR 第 12
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条 2 項に従えば多国間制度の遺伝資源は既にパブリックドメインにあるものの みを対象とするので,多国間制度から取得した遺伝資源は,「in the form(その ままの形態)」ではカナダの特許法の新規性の要件を満たさないので特許とは 認められないだろうという意見を表明した(FAO,2001c).
以上のことから,多国間制度から受領した PGRFA から単離・精製した遺伝 子は特許法上の「発明」に該当し,ITPGR における PGRFA に内包されていた 「in the form」の遺伝子ではないと解釈できる.
5.DNA 関連特許における「円滑なアクセスを制限する知的財産権」の解釈(論 点 4-1) 多国間制度から受領した PGRFA から単離・精製した遺伝子に対する知的財 産権(特許権)が取得された場合,その遺伝子を含む元の PGRFA の円滑な取 得に支障を及ぼすと解釈される可能性がある.この場合には,条文上当該遺伝 子に関連する特許は認められないことになる.しかし,図 1-3 における「A」 のような人為的手段の介在なしに天然に存在する天然物に含まれる天然物質が 「B」として単離され,化学物質特許が成立したとしても,その特許の成立が その化学物質が以前より存在するものと異なるものであることを要件としてい る以上,その特許権の効力が天然物にまで及ばないのは明らかである.たとえ ば,特許物質がグルタミン酸ソーダであれば,これを含む醤油などの公知加工 物を調味料などの従来の用途として使用する場合には,グルタミン酸ソーダの 特許権は醤油には及ばない(吉藤,1997).このような例と同様に,単離・精 製した遺伝子の特許権の効力は,取得した PGRFA には及ばないので,この場 合の特許権は「円滑なアクセスを制限する知的財産権」に該当しないと考えら れ,ITPGR と特許法は整合していると結論できる(図 1-3). 6.植物関連知的財産権における「円滑なアクセスを制限する知的財産権」の 解釈(論点 4-2) ここでは,論点 4-1 で議論した ITPGR 第 12 条 3 項(d)の解釈における DNA 関連特許の場合とは異なった取り扱いが必要な植物関連知的財産権に関する不 明な点を明確にしたい.すなわち,TRIPS 協定第 27 条(特許の対象)3 項(b)
- 14 - において,植物自体については,特許の対象から除外できるが,植物品種に限 っては,特許もしくは品種保護法等の効果的な特別の制度による保護または両 者による保護など何らかの手法で保護しなければならないとしている.つまり, TRIPS 協定の締約国では,植物遺伝資源を特許の保護対象とするか否かは各国 の判断に任されているが,尐なくとも植物品種に関しては何らかの権利保護が 義務づけられているといえる.このように植物関連知的財産権と一般的な特許 権が区別される理由として,植物育種では,①一定の材料と方法を適用しても 同一の品種が得られないという再現性の低さがあること,②新品種の植物体自 体を利用しないと更なる新品種を育成することができないことがあげられる. これらの要因が,各国が新品種を保護する知的財産権制度を導入するにあたっ て,特許制度の採用を難しくしている.なぜなら,特許制度は再現できること を発明の要件とするとともに,特許で保護した新品種を育種に利用するにあた り特許権者の許諾を必要としているためである.このような事情を反映して TRIPS 協定第 27 条 3 項(b)では,植物品種について特許以外の効果的な特別の 制度(sui generis system)による保護も本条項の義務履行の形態として認めてお り,そのような特別の制度として UPOV 条約に基づく品種保護制度が先進国を 中心に導入されている(図 1-1).以上のように,一般に植物に対する知的財 産権には, 特許法に基づく特許権と品種保護法(種苗法)による知的財産権(育 成者権)の二つがある. わが国では,種苗法において品種が新規性,均一性,安定性の要件を満たせ ば,その品種を育成した者に育成者権が付与される.また,特許法において, 植物は特許の対象となっており,一定の特許要件を満たせば特許が与えられる. これまでに植物自体の発明としては,1985 年に交配によってできた回虫駆除薬 サントニン高含有「ペンタヨモギ」および「ヘキサヨモギ」の特許「ヨモギ属 に属する新植物」(特公昭 58-3646 および特公昭 58-3647)などがあり,植物を 作出する方法の発明として,「桃の新品種黄桃の育種増殖法」(特公昭 59-34330) などがある. なお,ヨーロッパ特許条約では植物および植物から単離した DNA を特許で 保護することを認めているが,植物品種については特許で保護することを禁じ ている.植物品種の保護を特許で認めている国は,日本,オーストラリアおよ
- 15 - び米国の三カ国のみといわれている(Gepts,2004). 植物に対して特許権が発生すると,その植物の利用にあたっては特許権者の 許諾が必要になる.このような場合の利用には,育種の交配親としての PGRFA の利用も含まれる.PGRFA は育種に利用することが本来の目的であることか ら,特許権は PGRFA への「円滑なアクセスを制限する知的財産権」と考えら れる.一方,育成者権は育成した植物の新品種に対する知的財産権であるが, ある PGRFA に育成者権が発生したとしても,その PGRFA を育種の親として利 用する行為には育成者権は及ばない.このため,育成者権は PGRFA への「円 滑なアクセスを制限する知的財産権」でないと考えられる.したがって,多国 間制度から受領した PGRFA の中の1個体を選抜したものを新品種として育成 者権を取得することは,ITPGR とは整合しており可能と解釈できる. ITPGR では,アクセスした PGRFA の受領者は,研究,育種および教育の目 的のみで使用できる.受領した PGRFA を利用して新たな成果物(図 1-2 の「成 果物」)である新品種を育成し商業化して利益を得,かつその成果物を他者が 育種のために制限なく利用できない場合には,SMTA 第 6 条 7 項により売上額 の一定割合(0.77%)を FAO の利益配分基金に支払う義務を負っている(図 1-2 右端).こうして集められた資金は,PGRFA の保全や利用のためのプロジェク トに充てられ,特に生息域内で保全された PGRFA は将来,多国間制度の PGRFA として利用されることが見込まれることから(図 1-2 の上端),多国間制度は 全体として持続可能な PGRFA の保全と利用のための循環システムとなってい る.なお,PGRFA を受領した者がさらに第三者に配布する場合も,利益配分義 務を継続するために SMTA 第 6 条 4 項において SMTA により配布することが 義務づけられている. 7.小結 本章では,2001 年 11 月 3 日の第 31 回 FAO 総会において,日本が米国とと もに採択に棄権した理由であった ITPGR 第 12 条 3 項(d)のわが国の知的財産権 制度と整合して取りうる解釈を中心にして,ITPGR の多国間制度と知的財産権 制度との調整について検討した. 条約の文言は,時々の合意を表すのではなく,意見の不一致を隠すために使
- 16 - 用されることがあり,この場合には,文脈に依拠し,条約の目的に照らしても その意味を把握しがたい事態が生ずる(坂元,2004).ITPGR の準備作業の状 況なども考慮すると,ITPGR の条文の不明確さは,遺伝子特許に対する各国の 立場の違いを反映したために生じていると考えられる.PGRFA から単離・精製 した遺伝子はそのままの形態の PGRFA ではなく発明に該当し,有用性等の他 の特許要件を満たせば特許を認めるとの解釈をすること,すなわち,わが国の 知的財産権制度と整合する解釈をすることが可能である.このため,わが国と しては,本条文は多国間制度の PGRFA が有する遺伝情報を一律に特許の対象 とすることを禁止していると解釈すべきでない.このような条文解釈を採用す れば,わが国が ITPGR へ加入するにあたっての最大の障害を取り除くことがで きる.今後,ITPGR への加入に向け,種苗業者,大学・研究機関および政府が 連携して取り組むことと,わが国の解釈を明確に公表していくことが望まれる.
- 17 - 生物多様性条約(CBD) (1993年発効) ・天然資源に対する国の主権的権利 ・相互に合意する条件(MAT)と締約国の 事前の情報に基づく同意(PIC)に従っ たアクセスと利益配分 食料農業植物遺伝資源条約(ITPGR)(2004年発効) ・PGRFAのアクセスと利益配分のための最初の国際的な多国間制度 (多国間制度には,国際農業研究機関が保有する約60万点のPGRFAが含まれる) ・利益配分義務の免除 植物の新品種の保護に関する条約(UPOV) (1968年発効, 1991年最終改正) ・植物品種の育種の振興 ・植物品種保護のための特別の制度 ・育成者の権利の例外 (育成者権は育種目的での保護品種の利用に 及ばない) ・植物品種保護のため の特別の制度 (Sui generis system) TRIPS協定(1995年発効) ・動植物を除く,すべての発明に対する特許 ・特許,効果的な特別の制度,またはこれら の組み合わせによる植物品種の保護の義務 化 ・CBD は一般法でITPGRはその特別法 ・遺伝資源に対する考え方の調整 ・食料農業植物遺伝資源(PGRFA) のアクセスと知的財産権との調整 ・農民の権利の認知
- 18 - 図1-2 アクセスと利益配分の多国間制度の概要 PGRFA 標準材料移転契約 による配布 1 2 3 受領者は多国間制度を通じて受 領したPGRFA,またはその遺伝 的部分または構成要素,へのア クセスを制限するいかなる知的 財産権も主張してはならない 成果物について研究または 育種の目的での利用が制限 される場合は義務的な利益 配分,制限されない場合は 任意の利益配分 成果物 PGRFA (研究, 育種) PGRFA (改変) FAO 利益配分基金 PGRFAの保全・ 利用のためのプ ロジェクト (利益配分) (商業化) リスト作物 締約国が管理・監督し, かつパブリックドメイ ンにあるPGRFA(食料 農業植物遺伝資源) 資金戦略 (任意の貢献) 注:図は筆者作成.
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発明 発見
材料(そのままの形態) “in the form”
A
(DNA)B
( 単離・精製) (改変または革新) 特許権 (B
への特許権は天然に存在するA
への 円滑なアクセスを制限しない) (例:醤油とグルタミン酸ソーダ) 遺伝的部分または構成要素 (そのままの形態でない)not“in the form”
図1-3 天然に存在する材料の特許性とそれらの材料への 特許権の影響
(DNA)
- 20 - 表1-1 ITPGR第2条
“Plant genetic resources for food and agriculture” means any genetic material of plant origin of actual or potential value for food and agriculture.
“Genetic material” means any material of plant origin, including reproductive and vegetative propagating material, containing functional units of heredity.
These definitions are not intended to cover commodities in trade.
和訳:(「食料農業植物遺伝資源」(PGRFA)とは,食料および農業のため の現在価値又は潜在的な価値を有する一切の植物由来の遺伝材料をいう.ま た,「遺伝材料」とは,種子繁殖および栄養繁殖性の材料等,遺伝的機能単 位を含む植物由来のすべての材料をいう. これらの定義の範囲には,商品の取引は含めない.) 注:表は農業生物資源研究所ホームページのITPGR条文仮訳を基に筆者作成.
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表1-2 第6回臨時CGRFAの終了時点におけるPGRFAの定義(2001年6月25日~30日)
Option(A):“Plant genetic resources for food and agriculture” means any material of plant origin, including reproductive and vegetative propagating material, containing genetic parts and components, functional units of heredity, of actual or potential value to food and agriculture.
OR
Option(B):“Plant genetic resources for food and agriculture” means any material of plant origin, including reproductive and vegetative propagating material, and its genetic parts and components containing functional units of heredity of actual or potential value for food and agriculture.
“Genetic material” means any material of plant origin containing functional units of heredity. 選択肢(A)和訳:(「食料農業植物遺伝資源」とは,種子繁殖および栄養繁殖性の材料 等の,遺伝的部分および構成要素,遺伝的機能単位を含む,食料および農業に対して現在 価値又は潜在的な価値を有する一切の植物由来の材料をいう. または, 選択肢(B)和訳:「食料農業植物遺伝資源」とは,種子繁殖および栄養繁殖性の材料等 の食料および農業のための現在価値又は潜在的な価値を有する一切の植物由来の材料,お よび遺伝的機能単位を含むその遺伝的部分および構成要素をいう. 「遺伝材料」とは,遺伝的機能単位を含む一切の植物由来の材料をいう.) 注:表は農業生物資源研究所ホームページのITPGR条文仮訳を参考に筆者作成.
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表1-3 ITPGR第12条3項d)
Recipients shall not claim any intellectual property or other rights that limit the faciliated access to the plant genetic resources for food and agriculture, or their genetic parts or components, in the form received from the Multilateral System.
和訳:(受取人は,多国間システムから受領したそのままの形態での,食料 農業植物遺伝資源又はその遺伝的部分もしくは構成要素の円滑な取得の機会 を制限するいかなる知的財産権又はその他の権利を主張しないものとする. )(私訳)
フランス語訳
d) Les bénéficiaires ne peuvent revendiquer aucun droit de propriété intellectuelle ou autre droit limitant l'accès facilité aux ressources phytogénétiques pour l'alimentation et l'agriculture ou à leurs parties ou composantes génétiques, sous la forme reçue du Système multilatéral.
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表1-4 第121回FAO理事会と並行して開催された「申し合わせ」 作業グループ会合におけるアンゴラ提案
Recipient shall not claim any intellectual property or other rights that limit facilitated access to plant genetic resources for food and agriculture, or the genetic parts or components thereof, received from the MLS, including any genetic material as found in nature, even if isolated ; acknowledging that the plant genetic resources for food and agriculture received from MLS may be the object of intellectual property rights provided that they are the results of innovations that produce new plant products and that other criteria for such rights are met.
和訳:(受取人は,多国間システムから受領した食料農業植物遺伝資源又は その遺伝的部分もしくは構成要素の,たとえ単離されたとしても,自然界で 見いだされるすべての遺伝材料を含め,円滑な取得の機会を制限するいかな る知的財産権又はその他の権利を主張しないものとする.ただし,多国間制 度から取得した食料農業植物遺伝資源は,もしそれらが新たな植物を生み出 す改変の産物でありかつ知的財産権の他の要件を満たすならば,知的財産権 の対象となりうることを認める.) 注1:下線部分は,ITPGR第12条3項(d)に付加されている表現であり, 最終的に削除された部分を示す. 注2:表は筆者作成.
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表1-5 ITPGR第12条3項d)に関するEUの解釈宣言
Plant genetic resources for food and agriculture or their genetic parts or components which have undergone innovation may be the subject of intellectual property rights provided that the criteria relating to such rights are met.
和訳:(新しく改変した食料農業植物遺伝資源又はその遺伝的部分もしくは構 成要素が,知的財産権に関する要件を満たせば知的財産権の対象となる.)
- 25 - 第2章 食料農業植物遺伝資源条約の標準材料移転契約における金銭的利益配分に関す る考察 わが国が ITPGR に加入する場合,多国間制度の最も重要な契約である SMTA による利益配分方式に関して,国内の知的財産権制度と整合しているかどうか が問題となる.また,実際に利益配分を行う側の民間企業および大学等の関係 者にとって,その利益配分率等が現実的で納得できるものでなければならない. このため,本章では SMTA を用いた利益配分方式の運用上の問題点とその対応 について検討を行う. なお,ITPGR の条文における「利益」とは CBD と同様に「benefit(便益)」 という広い意味を持つ用語が使用されていることから(JBA,2005),利益配 分には,金銭的なもののほかに情報交換,技術移転または能力構築等の非金銭 的なものが含まれるが,本章では金銭的利益配分を中心に議論する. 1.考察の対象とする資料 SMTA を作成するための会議は,表 2-1 に示すように第 1 回 ITPGR 締約国会 議以前に 3 回の公式会合と 1 回の非公式会合が開催された.その後,第 2 回, 第 3 回の締約国会議と運用を議論した会議が 2 回開催された.公式会合におけ る SMTA に関する概要についてはホームページ上に公開されている議事録を 参考に,非公式会合については入手できた各種資料をもとに検討を行った.な お,第 1 回 ITPGR 締約国会議までの会議資料は FAO の CGRFA のホームペー ジ上で,それ以降の会議資料は ITPGR のホームページ上で閲覧できる. また,SMTA の各条項の解釈は,第 7 条において準拠法として指定されてい るユニドロワ国際商事契約原則 2004(UNIDROIT Principles of International Commercial Contracts 2004)の第 4 章(解釈)に定められた規則に従った.
2.SMTA の概略
- 26 - 議まで,具体的に多国間制度をどのように機能させるかの議論が行われた.そ の中で重要な課題は,SMTA の策定,遵守への対応(紛争解決)および財務規 則の策定であった.特に,SMTA において,金銭的利益配分の要件を規定する 条文の第 13 条 2 項(d)(ⅱ)では,「商慣行に従って,成果物の商業化から生じる 利益を公正かつ衡平に配分する」という抽象的な表現にとどまっていたため, 支払いの水準,形式および方法などについて具体的にどのような利益配分方式 を採用するかに関する議論が行われた.最終的には,2006 年 6 月の第 1 回締約 国会議において,SMTA における具体的な利益配分率が決定された.以下に, SMTA の概略を紹介する.
SMTA は,その前文で ITPGR の目的と多国間制度の趣旨および ITPGR と SMTA の関係が述べられ,続いて,第 1 条は契約の当事者の明示,第 2 条は主 に利益配分に関する用語の定義,第 3 条は配布される PGRFA の特定,第 4 条 は主に第三者受益者に関する規定,第 5 条は提供者の権利と義務,第 6 条は受 領者の権利と義務,第 7 条は準拠法,第 8 条は紛争解決,第 9 条は追加事項, 第 10 条は署名/承諾の事項で構成されている(農業生物資源研究所ホームペー ジ). 特に,第 5 条には「提供者の権利と義務」について,開発中の遺伝資源への アクセスはその開発者の裁量によること,知的財産権で保護されている PGRFA へのアクセスは関係する国際条約や国内法に従うことなどが規定されている. また,第 6 条の「受領者の権利と義務」については,本条と付属書 2~4 に PGRFA の用途が試験研究,育種および教育に限られること,開発中の遺伝資源 を配布する場合は新たな SMTA で配布する義務など利益配分に関する事項等 が規定されている.このように,多国間制度内の PGRFA へのアクセスは,SMTA を利用して簡単に行える仕組みが構築されている. 3.多国間制度の対象とする PGRFA 多国間制度の対象となる PGRFA は,ITPGR 第 11 条 2 項の第 1 文の規定によ って,ITPGR の付属書 1 の作物リストに掲載された 35 作物と 29 属の牧草類(以 下「リスト作物」という.)のうち,締約国が管理するとともに権限を有する (under the management and control of the Contracting Parties)ものであり,かつパ
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ブリックドメインにあるものとされている.そして,「under the management(管 理する)」という表現は,PGRFA の法的な地位とは関係なく,政府が直接にま たは監督下にある者を通じて間接的に,PGRFA の保存と利用の活動を実際に行 っていることを意味する(Correa,2009).また,「under the control(権限を 有する)」という表現は,政府が PGRFA の取り扱いを決める権限を有してい ることを意味している.たとえば,政府が外国に PGRFA を預けている場合は, 政府は管理していないが,権限を有していると言える(Correa,2009).さら に,パブリックドメインにある PGRFA とは,それが知的財産権に制限される ことなく誰でも利用できることを意味する. わが国では,独立行政法人の法的解釈と PGRFA への政府の権限の問題は残 るが,(独)農業生物資源研究所ジーンバンクが保有する PGRFA が,条約に 加入した際に多国間制度の対象となるものとして第一に考慮すべきと考えられ る.この理由として,その多くのコレクションを当時国立の研究機関として国 内から収集した経緯があること,現在ジーンバンク事業が主に国からの運営費 交付金で運営されていること,国内外に遺伝資源を配布できる体制を持ち,こ れまで配布した実績を有すること等を挙げることができる.一方,ITPGR 第 11 条 2 項の第 2 文には「締約国は,作物リストの PGRFA を持つ国内の他のすべ ての保有者に対し,これらの PGRFA を多国間制度に含めるよう奨励する」こ とが規定されており,多国間制度に自ら参加することを否定せず,奨励してい る. なお,多国間制度の対象となる PGRFA に関し,ITPGR 第 11 条 2 項は,生息 域外と域内の PGRFA を区別していない.このため,生息域内遺伝資源は多国 間制度から一律に除外されてはいないが,ITPGR 第 12 条 3 項(h)は,生息域 内の PGRFA へのアクセスは国内法に従い,国内法がない場合は ITPGR 締約国 会議が設定する基準に従うとしており,多国間制度では主に生息域外の PGRFA が対象と考えることができる.また,対象となる PGRFA が収集された時期に ついて CBD および ITPGR 発効の前後で区別していないため,ITPGR 条約発効 前に収集した PGRFA についても多国間制度の対象になると考えられる. 4.多国間制度における利益配分の考え方