ミツパテ科学15(1):25-28 HoneybeeSience(1994)
セイ ヨウ ミツバ チ と中国 の養蜂
中国には古 くは3000年前に ミツバチについ ての記録がある. しか し我々の祖先が ミツバチ (トウヨウ ミツバチApi
sc
e
r
an
a)を 「飼 い」始 めたのは1500年余 り前の ことであった. ここ でいう 「養蜂」 は, ミツパテに簡単 なすみかを 与えてや り,そこか らハチ ミツや蜂 ろうを採 る といったものにすぎない.今 日的な観点か らす れば,中国の養蜂の本当の出発点 は今世紀の初 め, セイヨウ ミツバチApisme
l
l
i
f
er
a が導入 された時に譲 るべ きであろう. したが って中国 の養蜂の歴史は,多 くの理 由か ら,実質的には セイヨウ ミツバチの登場 とその普及のそれであ るといわざるを得ない.Ⅰ
セ イ ヨウ ミツパ テ,可動 巣枠 式巣 箱 , 近 代 養蜂 の導 入 まず1896年 に, ロシアで近代的な方法で飼 われていた黒蜂が,黒龍江省に持 ち込 まれた. 安徽省合肥市の糞怖西 は1912年 にアメ リカか ら5群のセイヨウ ミツバチ(
A.m.l
i
gu
s
t
i
c
a) を持 ち帰 り,彼の農場で飼 い始めた.その1年 級,福建省の張品南が日本か らセイヨウ ミツバ チを導入 し,次いで,河北省新城郡の張伯衛 と 江蘇省の HuaYizhiも日本か ら数群の ミツバ チを買い入れた. これが中国におけるセイヨウ ミツバチ養蜂の幕開けである. おおよそ30万 群 のセイヨウ ミツバチが1917年か ら1931年 にかけて輸入 され,国を挙 げての養蜂機運が展 開 した. セイヨウミツパテは1930年代の終わ りまでに,内モ ンゴル,チベ ッ ト,および北西 部の一部の地方 (新涯,青海,寧夏省など)を 除 く全国に広が っていった. セイヨウ ミツバチの大量 の導入 と増加 にともⅩu
,
Z.D.a
ndY.H.玉i
e
ない,新発明,技術および蜂具 もまた続々と中 国に持 ち込 まれた.同時に中国の養蜂家が,揺 蜜器,焼煙器,可動枠式巣箱,隔王板,巣礎な どすべての蜂具を作 り始 め, また女王蜂の養成 や蜂病の防除などを行 った.中で も注目に値す るのは,彼 らが新 しい技術 と蜂具を用 いて トウ ヨウ ミツパテ養蜂の改良を試み,す ぐに大 きな 成果を収めたことである.河北省に住んでいた Wang Boya は トウヨウ ミツバチの蜂場を開 設 し,近代的な方法で飼育 していた.その後彼 は トウヨウ ミツバチの生物学的な特徴に合わせ た高窄式の巣箱を考案 し,-チ ミツの生産量を 増加 させ,より大 きな蜂群 を維持す ることに成 功 した. この巣箱 は中国全土 に普及 し,Wang の トウヨウミツバチ養蜂の改良への貢献 は計 り 知れないものとなった.
Ⅲ
養 蜂知 識 の普及 と中国養蜂 の発展 中国にセイヨウ ミツバチが導入 されると,節 しい養蜂の知識 と方法の普及が望まれるように なった.河北省保定の NiuXianzhoは海外お よび本国での最新 の養蜂 の経験 と技術 を基 に 1919年 に 「Apiology」を編纂 した. これが新 技術 を応用 した養蜂 に関す る最初 の文献 であ る.河北省の張徳田が1925年 に 「華北養蜂雑 誌」を編集発行 し, これが中国の養蜂史上最初 の定期刊行物 となった.同 じ河北省の張伯衡 は 1917年 か ら1928年 にわた って北京市内に多 目的養蜂場を開設 し, ここで,女王蜂,蜂具, 養蜂関連書籍を養蜂家向けに供給 していた.彼 は「EightMethodsofBeekeeping」を著 し,これが近代養蜂の波及の追 い風 となった.江蘇 省の Feng Huanwen が1923年 に 「Api
o-26
logy」を,次いで HuaYizhiが 「TheSimple ExplanationofBeekeeping」と「Honeybee」 を出版 した.
また斬江省の徐受誹 は最初の養蜂組織である 益群蜂研究会を設立 し, 「養蜂准」 や 「A Col -lectionofApiculturalData」を刊行 した,斬 江省では1928年 にGenralSocietyofJi ang-XheApiculturalAssociation.が設立 され,そ の後, この協会の支部 が四川,河北,江西,安 敬,広東,広西省に次々と開設 された. これが 地方の養蜂 に大 きな変化を もた らした. しか しその直後,中国の養蜂 の発達 は蜂病 と 10年 余 の戦争 のために頓挫 した.全国 の蜂群 数 は1949年 までに40万群 に達 したが, セイ ヨウ ミツパテはその うちの10万群 で しかなか った. しか しこのセイヨウ ミツバチが中国養蜂 の繁栄を促すよい基盤 にな った. 政府 の適切 な援助 と理解 を得て, 1950年代 には中国の養蜂 は急速 に発展 した. 1956年 に 35万群であ った蜂群数 は,翌1957年 には急速 に150万群 までに増加 し, 1950年代の終わ り には200万群 に達 した.これは養蜂史上最大の 飛躍であ った. Ⅲ セイ ヨウミツバ チ と トウヨウ ミツパ テ の競合 および養蜂の普及 トウヨウ ミツバチは数万年前か ら中国 に生息 している. セイヨウ ミツバチが導入 され るまで トウヨウ ミツバチが中国 における主要 な ミツバ チ種 であった.数千年 におよぶ養蜂の歴史 とい う場合,基本的にはそれ は中国 に土着の トウヨ ウ ミツパテによるそれを指す.「中国の養蜂 は 何代 も何代 も細 い轍 をた ど り続 けて きた」 と 1920年代 の華北養蜂雑誌 の記載 に もあるよ う に, ミツバチのすべての活動 は自然 まかせであ った.大がか りな養蜂組織 もな く,飼育方法 も あまり研究 されていなか った.事実,数千年 を 経て さえ,養蜂の方法 はほとん ど変わ っていな い. セイ ヨウ ミツパ テが導入 されて まだ1世紀 に も満 たないが,中国の養蜂 は大 きな変化 を遂 げた. セイ ヨウ ミツバチ, とりわけイタ リア ン 種 はその繁殖力 と適応力,子羊 のよ うにおとな しい性格 と卓越 した生産能力か ら中国の養蜂家 に好意的に受 け入れ られ, このわずか数十年の 間に中国の中心的な ミツバ チ種 になった.養蜂 史上 それはまった く驚 くべ きことである. トウ ヨウ ミツバチ とセイ ヨウ ミツバチの比 は1949 年 には4:1であ ったが,40年後 には1:2とな って いる. この間 セイ ヨウ ミツパ テの数 は10 万群か ら50万群 に増えた. セイヨウ ミツパテ は トウヨウ ミツバチの分布域を強力 に脅か して お り,南部 の山岳地帯や森林地帯 に追 いや りつ つある.周積教授 は 「両種 の間の争 いは激 しく, 現在 も継続 されている. トウヨウ ミツバチは過 去数十年間,負 け続 けて きた.主 な勢力範囲の うち北部中国の放棄 を余儀 な くされ,次 いで北 西部および中部 を失 い,南,南東,南西中国の 山岳部や森林地帯 に住 まざるを得な くな った
.
」
とい う明快 な説明を与 えている.長期 にわた っ た戦 いでのセイ ヨウ ミツパテの勝利 は以下の二 つの要素 に依存 している, ひとつは トウヨウ ミツバチが,過敏 な性質, 繁殖力の低 さ, スムシへの低 い抵抗力,および 高 い盗蜂性や分蜂性 などを弱点 と して持 ってい たことである. もうひとつ はさらに重要である が,養蜂家が意識的にせよ無意識 の うちにせよ セイ ヨウ ミツバチが トウヨウ ミツパテを打 ち負 かすのに手を貸 して きた ことである.少 な くと ち,養蜂家 は トウヨウ ミツバチをセイヨウ ミツ バチに置 き換え, その数 を増や し, さらに もと もと トウヨウ ミツバチ しかいなか った地域 にセ イ ヨウ ミツバチを導入 して きた ことは確かであ る. これによ りセイ ヨウ ミツバチの群数 と生息 範囲 は絶え間な く拡大 した.養蜂家 はセイヨウ ミツバチをより強力 に保護す る努力を していた ことになる. この種問戦争 の結末を理解す るの は難 しいことではない. それは トウヨウ ミツバ チにとっては壊滅的な打撃 を与 え, 自然生態系 を破壊す るもので もあ った. この点 は我 々 も関 心 を払わねばな らない. もっとも トウヨウ ミツバチ も可動巣枠式巣箱 と新 しい飼養方法の導入 の恩恵 は受 けている. この二つの応用が実際上重要 な役割 を果 た して27 いるが, トウヨウ ミツバチの細かな性質を人々 の知 ると ころ と した. トウ ヨウ ミツパ テ は
1
9
49
年 には40
年群飼育 されていたが, 1
991
年 までに2
40
万群に遷 した.この約半数が可動 巣枠式巣箱で飼われ,年 間に1
5
,
000t
の-チ ミツを生産 している. この ことは養蜂史におけ る別の大 きな進歩である.Ⅳ
総合 的生 産 物 生産 と その利 用 お よ び加工 伝統養蜂では-チ ミツと蜂 ろうしか採集でき ず,生産量 も低 い.セイヨウ ミツバチの導入以 降 はハチ ミツおよび蜂 ろうの生産量 と品質 は大 いに向上 し,生産の主戦力 にな った.全国のハ チ ミツ生産 は1
9
49
年 に は8
,
0
00t
で あ った が,1
9
5
8
年 には1
0,
000t
になり,1
991
年 には200
,
000t
を超えた. このように して中国は-チ ミツ生産では世界最大の国家になったのであ る. 中国の養蜂家は1
95
0
年半ばにローヤルゼ リ ー,プロポ リスと蜂毒の生産を開始 した. しか し当時 は大量生産 はで きなか った.60
年代 に な りローヤルゼ リーの生産方法 は急速 に広 ま り,年間一群 あた り2kg
の生産 が可能 とな っ た.これが1
9
80
年代の初めには3kg
に達 し,80
年代終わ りには4kg
にまで上昇 した. 斬江省のWa
ngWe
nc
a
i
は1
991
年 に,一 群当たり年間5.46kg(
60
群平均)という世界 記 録 を打 ち立 て た. 翌1
992
年 に は同 省 のⅩi
a
o
s
ha
n Be
eBr
e
e
di
ng St
a
t
i
on
のHong
De
xi
ng
が6
kg
(
1
0
0群平均)を生産 して, こ の記録を塗 り替えた. これは奇跡 と言 うしかな い.記録 はまたす ぐに更新 されるであろうが, 生理学的に見て も,すでに生産上限に近 いと思 われる. ミツバチの集めた花粉 はその価値が1
9
70
年 以降に人々に認め られるところとなり,す ぐに 商品化 され,大量生産が始 まった.花粉 ブーム は80
年代の初めには全国的に広が り, 花粉 ト ラップや採集技術が実用的に改善 され,生産は 着実 に伸びた.同 じ頃,プ ロポ リス,蜂毒,お よび雄蜂児などが生産態勢 に入 り,中国養蜂は 図1 セイヨウミツパテの養蜂 (rl:I)同蜂業」 よ り) 新たな繁栄の時を迎えた. 生産の増加 につれて,人 々は養蜂生産物の利 用 と加工 に関心を払 うようになり,滋養食品, あるいは健康食品 (薬品) としてあ らゆる種頬 の飲料, カプセル, アルコール飲料,キャンデ ィ,ケーキなどの商品が次か ら次へと生稚 され た. これ らの多 くが内外の品評会で金賞を得て おり,中国の養蜂生産物加工が世界で最 も進ん だ位置にいることを示 している.Ⅴ
ミツバ チ に関 す る科 学 的研 究 の高 ま りとそ の実績 今世紀以前には中国の ミツバチに関す る研究 は皆無であったといって もよい.当地では原始 的な養蜂が数千年 にわたって続 けられていたか らである.セイヨウミツパテと近代養蜂が導入 されてか らは,養蜂家 は,一方では外国か ら持 ち込 まれた先進の養蜂知識 と技術を学 び, また 一方では ミツバチをもっとよ く見てみようとす るようになり, 目前の具体的な問題,例えば女 王蜂養成や蜂病の予防や防除,蜂具の改良や生 産増加の方法などに関する研究を始めた. しか し体系的で組織だ った研究 はようや く50
年代 末 に始 まり,セイヨウミツバチを中心 に進め ら れ,3
0
年以上 をかけて数十 の満足のい く結果 が得 られた。 その中には,近代養蜂技術の トウ ヨウ ミツバチへの適用, ローヤルゼ リー多収技 術,雑種の有用性の研究 と応用,女王蜂の人工 授精, ダニの集中防除,サ ックブルー ド病の診 断 と防除,全国の塞源花粉源植物, はか り蜂の 運用法,プラスチック製人工王台の研究,花粉 媒介による作物,果樹の増産の研究など重要なW ものが含 まれる. こうした成果 は養蜂研究先進 国 と中国との差を縮め,中国養蜂に新たな活力 を注 ぎ込んだ. Ⅵ 中国養蜂 の将来 とセ イ ヨウ ミツバ チ セイヨウ ミツパテは中国養蜂の大黒柱 となっ た.その性質や能力,人々に与える利益によっ て築かれた地位 はもはや何 もの もこれを置 き換 えようがない.中国養蜂 はなお膨大な可能性を 秘めている.専門家 による推定では中国はその 花蜜花粉資源を基 にすれば2000万群を扶養で きる可能性があるという.中国の特色を活か し て養蜂を発展 させ るためには現状か ら始めなけ ればな らない. このような事情か ら将来以下の ような方向に全力を尽すべ きであろう. 1. 主力を養蜂の近代科学研究 に向けその成果 を生産力 に反映 させる. 科学技術は第-の生産力であり,現実に科学 研究は養蜂生産革命の常 に先駆 となって きた. 中国養蜂は現在, ミツバチ品種の劣化,蜂病の 危険,非効率的な生産,不揃 いな蜂具規格など いくつかの問題 に直面 し, これ らが養蜂の発展 の重大な妨 げとなっている。我々は現状を改善 すべ く研究 を強化 しなければな らない.加 え て,現在入手できる情報 の利用度を一層引き上 げ,できるだけ早 く新たな生産 に結 びっ くよう に役立てていかねばな らない. 2. 養蜂先進国か らの情報収集 と中国式近代養 蜂を確立する. セイヨウ ミツバチは養蜂先進国の中心 となる ミツバチ種である. したが って各地の成功例を 参考 とする価値 は充分にある.例を挙 げれば, 集中生産,機械化,高効率管理,優良品種の普 及などである.近代養蜂 はこのような特色を持 つべ きだが,中国はまだ発展途上国であり,将 来の養蜂 は中国 らしさを も取 り入れるべ きであ る.例えば,-チ ミツとローヤルゼ リーの生産 を主幹 とし,他の生産物を も確実に生産す る多 目的な統合的養蜂を確立す ること,定飼養蜂 と 転飼養蜂を組み合わせ,行 き届 いた管理 による 養蜂の確立である。 これ ら個々の要素の関連を 把握することによってのみ養蜂の近代化は実現 可能 となる. 3. 蜂病の予防と防除を強化する. セイヨウ ミツバチは多 くの蜂病 に感受性であ る. ここ数年,養蜂家が育種を軽視 して きたこ とで,品種の雑交 と劣化 は深刻なものとなって いる. すべての蜂病が1980年代の初めか ら連 続 して発生 しており, とりわけ蜂嫡病 (ウイル ス感染症) はセイヨウ ミツバチに重大な被害を もた らしている.同時にダニも日に日に増加 し ている.1990年以降, チ ョーク病 は全国に広 が り,感染の危険が常 にセイヨウ ミツバチを脅 か している.養蜂上の保健衛生の強化実施のた めに,我々は蜂病の予防 と防除に努めるべきで ある.一方では新 しい薬剤を探 しなが ら,同時 に別の方法をも探すべ きである. これが我々の 研究の主眼で もある. 中国養蜂の将来 はセイ ヨウ ミツパテを頼 りと している.その繁栄が中国の人々により多 くの 利益を もた らす ことになるだろう. (著者の住所は下記参照) (翻訳 中村 純)
XU, ZHENG-DtNG and YUIHENC XIE. Apis melLiferaandChineseApiculture.HoneybeeSci -ence (1994) 15 (1)二25128 1nstitute of ApiculturalResearch,CAAS,Bei)ing 100093. China.
Translationfrom themanuscriptforthePr o-ceedings of 33rd international Congress of Beekeeping,Beijing(inpreparation).
本稿は第33匝l国際養蜂会議総集録 (準備中)用の 原稿を著者の許諾の得て翻訳 したものである.地名 および一部の人名,書名などに関しては中国語表記 としたが,本文が英文のため残りは英語表記のまま とした.