社会に開かれた歴史教育はどうありうるか
-歴史政策問題学習に基づく社会形成教育-
A Possibility of History Education Open to Society:Developing Critical Judgement on History Policy for Society Building: 服 部 一 秀* HATTORI Kazuhide 要約:社会に開かれた歴史教育はどうありうるか。本稿は,民主主義社会形成に開か れた批判的な政治的判断の形成としての歴史教育の可能性を切り拓くため,ドイツに おける国民哀悼の日に関するオリバー・ジモン教諭(StR Oliver Simon)の授業を事例 として取り上げ,歴史政策問題という社会の問題の学習に基づく社会形成教育として の歴史授業の基本方略を明らかにするものである。 キーワード:歴史政策,社会問題,メタ・ヒストリー学習,歴史教育,社会形成教育
1.はじめに
社会系教科は社会とどう関わるか,社会に開かれた社会系教科教育はどうありうるかが今改めて 問われている1) 。社会との関わり方を通して,社会について取り扱う社会系教科教育の根本的な在 り方が問い直されている。新しい 2017 年・2018 年版学習指導要領の前文における「社会に開かれた 教育課程」の要請を契機に,社会系教科教育の再構築のための根源的な問いが再発見されたわけで ある2) 。本稿では,歴史教育の再構築に向け,社会に開かれた歴史教育はどうありうるかを考察し よう。 社会に開かれた社会系教科教育の基本要件は,民主主義に基づく社会の形成に開かれた政治的判 断形成,すなわち,批判的な政治的判断の形成ととらえられる3) 。人々が集団で生きていくための 秩序の維持や変更に係る政治的判断の形成という政治教育としての社会系教科教育の基底を,民主 主義社会形成に開かれたものにすることである。民主主義社会を遂行できる市民の育成に向け,無 批判的な政治的判断を教化するのでなく,批判的な政治的判断を形成し,それによって民主主義社 会形成に寄与するわけである。そのためには社会系教科教育において社会認識教育や社会形成教育 を実現しなければならない。最低限でも,社会形成の前提となる社会認識の教育において,批判的 な政治的判断を間接的にであっても形成する必要がある。さらに,社会認識を一環とする社会形成 の教育において,批判的な政治的判断を直接的に形成することにより,民主主義社会形成にとって の社会系教科教育の意義を最大限拡大させることができよう。 それは勿論,公民教育や地理教育だけでなく,歴史教育にも求められる。けれども,歴史教育で どうするかは難題と受けとめられている。歴史授業は多くの場合,過去についての学習に留まり, 現在についての学習を組み入れることすら容易でないといわれる。既存の社会をわかる社会認識の 教育はまだしも,社会を新たにつくる社会形成の教育を歴史教育でどう実現しうるかは,とりわけ 難しい課題と受けとめられていよう4) 。 * 生活社会教育講座そのような課題の解決策の1つと考えられるのが,社会のなかの広義の歴史(歴史ナラティブ) に関するメタ・ヒストリー学習である5) 。社会と相互形成的な関係にあり,既存の社会においてう みだされる一方,社会を新たにうみだしうる広義の歴史について取り組む学習が,それである。そ のなかでも,記念日・記念碑や記念演説,歴史博物館・文化財保護や歴史教育,歴史祭りや歴史観 光振興など,国政レベルや地方政治レベルまた国際政治レベルなどでの過去についての公的な取り 扱いに係る歴史政策6) を自明視せず,その維持や変更をめぐる問題に関して批判的に判断する学習 は,一種の社会問題学習でもあり,社会形成教育としての歴史教育を可能ならしめうる。それは社 会の問題について取り組む社会形成の一環として,社会としての歴史の行い方すなわち過去の用い 方や取り扱い方を問うことで社会の在り方を探る学習であるからである。 本稿では,その事例となる授業を取り上げ,歴史政策問題の学習に基づく歴史授業の基本方略を 明らかにし,社会形成教育としての歴史教育の1つの可能性を提示したい。その授業事例とは,ド イツのオリバー・ジモン教諭(StR Oliver Simon)が2019年12月,ラインラント・プファルツ州コブ レンツ市の勤務校アイヒェンドルフ・ギムナジウム(Eichendorff-Gymnasium Koblenz)で第 12 学年 生 ( 後期中等教育段階 ) を対象に実施した授業であり,国民哀悼の日(Volkstrauertag)の問題を主題 とするものである7) 。 国民哀悼の日8) は,ドイツで第一次世界大戦後の 1920 年代,同大戦において戦死したドイツ人兵 士を顕彰するために設けられた。ナチズム政権下で英雄記念日(Heldengedenktag)へ変更されたこ ともあった。現在では,「戦争と暴力の全ての犠牲者のための記念日」として位置づけ直されている。 毎年 11 月の国民哀悼の日には式典が催され,連邦議会で悼辞,「私には戦友がいた (Ich hatt' einen Kameraden)」の演奏などが行われ,中央追悼施設ノイエ・ヴァッへで献花が行われる。「全ての犠牲 者」を一緒にまとめて追悼するという考え方には反対の意見もある。ジモン教諭は今回,かつて歴 史教育誌『Praxis Geschichte』誌上で発表した国民哀悼の日に関する自らの授業構想9) を再構成し, 授業を実践した。それは生徒たちが国民哀悼の日という歴史政策の維持や変更をめぐる問題につい て取り組むものである。筆者はその全4時間中の前半2時間を 2019 年 12 月 9 日に参観する機会を得 た。本稿では,この前半2時間の授業について取り上げたい。 以下,2で,国民哀悼の日に関する授業の前半2時間の展開を整理し,歴史政策問題という社会 の問題について取り組む授業の基本論理を把握した後,3で,そのような歴史政策問題の学習に基 づく歴史授業のための基本方略を明らかにする10) 。そうして最後に4で,以上の考察を踏まえ,社 会に開かれた歴史教育の可能性について検討しよう。
2.歴史政策問題学習に基づく歴史授業の基本論理
-オリバー・ジモン教諭による国民哀悼の日に関する授業の場合-
先ず,ジモン教諭による国民哀悼の日に関する授業の前半2時間の展開を整理し,歴史政策問題 の学習に基づく授業の基本論理をとらえよう。 (1)国民哀悼の日に関する授業の展開 国民哀悼の日に関する授業は,ドイツの近現代史について扱う第 12 学年の歴史科11) において,第 一次世界大戦に関する先行の授業を踏まえて実施された。その中心目標は,ジモン教諭によれば, かつての授業構想の場合と同様,「20 世紀の振り返りと将来の展望」の一環として,生徒が「ドイツ 人兵士と動員された国民の死の意味づけ」に関して取り組み,「死者の記念の形式や伝統についての 価値判断をつくりだす」12) ことである。そのような目標に基づく授業のうち,前半にあたる1・2時 間目の概要を筆者がまとめたものが,表1である。時間/ パート 発問・指示 資料 学習活動 基本構成 主題 考察内容 基本構成 1時間目 パート1 「これはちょうど3週間前の 2019 年 11 月 17 日 の こ と で す。 それじゃあ,まず皆で観てみ よう。」 「他に気がついたことは?」 国民哀悼の日の式典 (2019.11.17) の 映 像( 大 統 領 の 悼 辞, 「私には戦友がいた」 の演奏) 式典の映像視聴 による国民哀悼 の日とその式典 の存在の確認 国民哀悼の日の現状維持の是非の問題 国民哀悼の日 の存在の確認 学習課題の設定(問題の主題化) 国民哀悼の日 の問題の主題 化 ◎「なぜ私たちは第一次世界 大戦を想い起こすのか」 ◎「この祭日や式典ははたし て今の時代にふさわしいも のなのか」 2時間を通して の学習課題(国 民哀悼の日の存 在理由の分析を 踏まえた現状の 妥 当 性 の 判 断 ) の把握 国民哀悼の日 の現状維持の 是非という主 題の把握 パート2 [電子黒板により提示] ①その歌の歌詞を2枚の画像 の一方に関係づけなさい ②その歌にうたわれている友 情を特徴づけなさい ③どうしてその歌が国民哀悼 の日を具体化するために選 ばれたのでしょうか 配布プリント1 ・「私には戦友がい た」の歌詞 ・軍事郵便の絵葉書 (「私にはいた…」) ・西部戦線の兵士た ちの遺体の写真 各自・隣同士で ①~③の考察 教師の進行によ り意見交換(① →②→③) 演奏曲の歌詞 の読解に基づ く国民哀悼の 日の分析 学習課題の解決(問題の判断づくり) 国民哀悼の日 への対応の判 断のための現 状と理由の認 識 2時間目 パート3 [電子黒板により提示] ④ 1961 年,1973 年,2012 年 の 死者の顕彰における重要な 変化を明らかにしなさい。 ⑤なぜそうした変化が生じた のかについて説明しなさい。 ⑥この国民哀悼の日は今の時 代にふさわしいものですか。 配布プリント2 ・1961 年の国民哀悼 の日の悼辞 ・1973 年の国民哀悼 の日の悼辞 ・2012 年の国民哀悼 の日の悼辞 各自・隣同士で ④~⑥の考察 生徒の進行によ り意見交換(④ →⑤) 悼辞の読解に 基づく国民哀 悼の日の分析 パート4 「今日の授業の最後の問いね。 あと約 10 分あるから,ちょう どいい。・・・・・ 国民哀悼の日は 今の時代にふさわしいのかと いう問いが残っているね。」 教師の進行によ り意見交換(⑥) 国民哀悼の日 の現状維持の 是非の判断 国民哀悼の日 への対応の判 断と更なる主 題の把握 「次の時間は先にも言った通 り, 英 国 と フ ラ ン ス を 見 て, その次の時間には ・・・・・ 自分た ちならどう改善したいか,国 民哀悼の日の在り方について どんな提案をしたいかを考え たいと思います。」 3時間目・4時 間目の学習課題 ( 英 国・ フ ラ ン スにおける戦没 者追悼の分析吟 味を踏まえての 今後の在り方の 判断)の把握 国民哀悼の日 の代案という 更なる主題の 把握 表1 オリバー・ジモン教諭による国民哀悼の日に関する授業(前半2時間)の概要 (授業の逐語記録をもとに筆者作成) 前半2時間の授業(計 90 分)は,18 名の生徒を対象に,2枚の配布プリントの資料を用いて進め られた。1時間目と2時間目は,休憩を挟むけれども,一連のものであり,4つのパートに分ける ことができる。 〔国民哀悼の日の問題の主題化〕 パート1は,学習課題の設定であり,生徒が国民哀悼の日とその式典の存在について確認し,現 状維持の是非という問題を主題として把握するパートである。 2019 年の 11 月 17 日に実施された国民哀悼の日の式典におけるシュタインマイヤー大統領の悼辞,
「私には戦友がいた」のトランペット演奏の映像を皆で視聴し,第一次世界大戦後に設けられた記 念日としての国民哀悼の日とその式典の存在について確認することから,授業は始まった。 存在の確認を踏まえ,2時間を通して取り組む学習課題として教師から投げかけられた問いは, 「なぜ第一次世界大戦を想い起こすのか」,「この祭日や式典ははたして今の時代にふさわしいものな のか」という問いである。国民哀悼の日の現状維持の是非という問題に取り組むことをねらいとし, その前提として現行の国民哀悼の日の存在理由をとらえることも求めるわけである。 後続のパート2~4では,このパート1で設定した学習課題に基づき,国民哀悼の日の問題に取 り組んでいくことになる。 〔国民哀悼の日の現状と理由の認識〕 そのうち,現状維持の是非の問題という主題の把握を受け,判断のための前提として,国民哀悼 の日の存在理由を探るべく,その有り様を分析するのが,パート2・3である。 パート2は,存在理由の認識という1つ目の学習課題の解決に向け,先ずは第一次世界大戦後に 国民哀悼の日が設けられた理由について,当初より式典で用いられている「私には戦友がいた」の 分析によってアプローチするパートである。 このパートでは,1枚目の配布プリントの「私には戦友がいた」の歌詞,及び,第一次世界大戦 中の軍事郵便の絵葉書,西部戦線の兵士たちの遺体の写真という3つの資料を用いた。①「その歌 の歌詞を2枚の画像の一方に関係づけなさい」,②「その歌にうたわれている友情を特徴づけなさ い」,③「どうしてその歌が国民哀悼の日を具体化するために選ばれたのでしょうか」という教師が 電子黒板に提示した3つの問いについて,時間をとって各自・隣同士で考えた上で,教師の主導に よって全体で考察を進めた。 ①は,「私には戦友がいた」の歌詞が軍事郵便の絵葉書と兵士たちの遺体の写真とのどちらに合致 するかを問うことで,歌詞の意味内容の理解を促すものである。生徒たちは,銃弾に倒れた戦友を 置いたまま前進する様子を描いた絵葉書に歌詞の内容が合致することを確認した。 ②は,「私には戦友がいた」でどのような友情がうたわれているかを問うことで,歌詞を通しての メッセージを読解させるものである。負傷して戦力にならなくなった兵士を放置して戦いつづける ことが戦術上必要なことであったというメッセージを読み解いた。 ③は,第一次世界大戦後にこの歌が式典のために採用された訳を問うことで,国民哀悼の日の 元々の理由を考えるよう求めるものである。大戦期の軍国主義的な社会の様子と敗戦後の動揺や未 曾有の戦死者という当時の状況,戦死を尊い犠牲として意味づけて顕彰し正当化しようとする趣旨・ 意図や,ナショナル・アイデンティティの維持をねらう基本立場という当時の理由をなす諸点につ いて生徒たちはとらえた。生徒たちは国民哀悼の日がつくられたものであると意識することができ たであろう。 今も用いられている「私には戦友がいた」の歌詞とともに,この歌が当初に採用された訳を分析 し,国民哀悼の日が第一次世界大戦の敗戦後に設けられた理由を認識することで,国民哀悼の日の 存在や現状の記念の有り様を疑問視してみるのが,パート2である。 パート3は,存在理由の認識という1つ目の学習課題を解決するため,現在における国民哀悼の 日の存在理由について,現在の悼辞を過去の悼辞との比較において分析することでアプローチする パートである。 このパートでは,1961 年,1973 年,2012 年の各年における国民哀悼の日の悼辞という2枚目の配 布プリントの3つの資料をもとに学習が進められた。④「1961 年,1973 年,2012 年の死者の顕彰に おける重要な変化を明らかにしなさい」,⑤「なぜそうした変化が生じたのかについて説明しなさ い」,⑥「この国民哀悼の日は今の時代にふさわしいものですか」という教師が電子黒板に提示した
3つの問いについて,時間をとって各自・隣同士で考えた上で,④⑤という2つの問いに関して, 進行役を申し出た生徒を中心に全体で考察を進めた。全体での考察では,④の考察に多くの時間を 使ったため,⑤の考察は急ぎ足となった。 ④は,3つの悼辞を時間的に比べることで,過去の悼辞と異なる現在の悼辞の特色をつかむこと を求めるものである。生徒たちは,誰のための哀悼かなどの観点から,1961 年から 1973 年にかけて の大きな変化,2012 年にかけての更なる変化を数多く指摘した。2012 年の悼辞において,兵士より も先に,また自国の犠牲者よりも先に,「暴力と戦争の犠牲者」について最初に言及していること, その上で現在までの暴力と戦争による様々な犠牲者について挙げていること,また,悼辞が「死者 の顕彰」ではなく「死者の追悼」へ変更されていること,最後に世界の平和についての「責任」に ついて述べていることなどを確認した。 ⑤は,悼辞の変化の訳を問うことで,「なぜ私たちは第一次世界大戦を想い起こすのか」という学 習課題に答えさせるものである。美化せず非難すべきものとしての第一次世界大戦をはじめとする 戦争の否定的見方,顕彰するのでなく様々な犠牲者を追悼することで負の過去に向き合うよう促そ うとする趣旨・意図,それを現在の社会の諸問題の解決に向けて生かそうとする基本立場,それら の背景である第二次世界大戦後からのドイツ社会の変化など,現在の理由をなす諸点が挙がった。 第一次世界大戦の敗戦後に設けられた理由を認識したパート2を踏まえ,悼辞の変化とその訳を 分析し,第一次世界大戦後とも第二次世界大戦後とも異なる現在における国民哀悼の日の存在理由 について認識することで,現状の記念の有り様を対象化するのが,このパート3である。 〔国民哀悼の日への対応の判断〕 パート4は,2つ目の学習課題でもある⑥「この国民哀悼の日は今の時代にふさわしいものです か」という問いに取り組み,既存の国民哀悼の日という歴史の行い方が妥当か否かを考えることで, 現状維持の是非という問題について判断し,今後の望ましい在り方という更なる問題を把握する パートである。 教師の進行によって,全体で意見交換し,半数以上の生徒が発言した。現状の維持に賛成する意 見も反対する意見もあったが,多くは現状の維持に反対する意見であった。 賛成する意見は,負の過去の想起や平和の保障の意義,そうした趣旨・意図や基本立場と現在の 悼辞の内容との結びつきを肯定的に評価づけるものである。 一方,反対意見は多岐にわたったが,2つのタイプを見出すことができる。1つは,現在の趣旨・ 意図や基本立場からみて,国民哀悼の日の実際が適切でないとする意見である。歌の選択や演奏が 軍隊的な視点に基づいている点,式典が限定された場所で,一部の人たちによって開催されている 点,儀礼的で形式化・形骸化が疑われる点などが,その批判点である。もう1つは,国民哀悼の日 の趣旨・意図や基本立場そのものが適切でないとする意見である。批判点は,加害者も被害者も含 めた全ての戦没者や暴力支配の犠牲者を同列化し一括で追悼すべきと考えている点,個人的なつな がりを見出しがたい時間的に随分隔たった過去の事柄を取り上げて追悼しようと考えている点など である。 このパートでは,ジモン教諭が判断のために吟味する観点を明示しなかったこと,また発言者を 挙手に従って無作為に指名していったこともあって,いろいろな意見が入り交じりながら出されて いった。けれども,先行のパート2・3で式典の内容とその理由とを繰り返し考察させたためであ ろうか,生徒たちの意識は存在理由にとっての実際の式典内容の妥当性と,存在理由そのものの妥 当性とに向かったようである。 現状維持に賛成する意見と反対する意見とでは,国民哀悼の日の存在理由にとっての実際の式典 内容,存在理由そのものに対する評価づけが異なっている。現状維持に反対する意見には,実際の
式典内容の適合性を否定的に評価づけるものだけでなく,存在理由そのものの正当性を否定的に評 価づけるものもあった。追悼のための演奏曲の変更,街中での記念行事の開催,一般市民の参加, 教育との連携,ヨーロッパ議会での式典開催など,今後の在り方に関する提案に及ぶ意見もあった。 現状維持の是非の判断の後,教師は,「次の時間は先にも言った通り,英国とフランスを見て,そ の次の時間には ・・・・・ 自分たちならどう改善したいか,国民哀悼の日の在り方についてどんな提案を したいかを考えたいと思います」と3・4時間目の予告をし,1・2時間目を終えた。 国民哀悼の日の現状維持の是非すなわち問題性の有無について判断した1・2時間目を踏まえ, 第一次世界大戦でドイツと戦った他のヨーロッパ諸国における戦没者追悼の行い方を分析吟味し, それらを参照して国民哀悼の日の今後の在り方について判断する3・4時間目へとつづくわけであ る。後日に実施された3・4時間目は参観できなかったが,1・2時間目に僅かながら現状の維持 を支持する意見もあったこと,また,反対意見も様々な理由からであったこと,反対意見には変更 の提案も数多く含まれていたことから,国民哀悼の日の今後をめぐって多様な立場から活発に検討 がなされたことであろうと考えられる。 (2)歴史政策問題学習に基づく社会形成教育としての基本論理 以上の通り,ジモン教諭による国民哀悼の日の問題に関する前半2時間の授業は,第一次世界大 戦に関する先行の授業を踏まえ,記念日としての国民哀悼の日とその式典の存在について確認し, 現状維持の是非という問題を授業の主題として把握するパート1から始まった。そして,第一次世 界大戦後の当初より採用されている「私には戦友がいた」の分析,第二次世界大戦後に変化してき た悼辞の分析により,国民哀悼の日の現状と存在理由をとらえるパート2・3を経て,存在理由に とっての現在の記念の為し方の適合性,存在理由そのものの正当性を吟味検討し,現状維持の是非 という問題に対して判断するパート4へ進んだ。 この授業で生徒たちは,国民哀悼の日の問題に取り組むことにより,この既存の歴史政策の存在 に気づき,第一次世界大戦による多数の戦死者の追悼をその趣旨・意図や基本立場まで掘り下げて 分析吟味し,現行の政策を是とするか非とするかという対応を判断した。自分たちの社会における 第一次世界大戦という過去についての公的な取り扱いに問題性があるかどうかの政治的判断をつ くった。問題性の解決に関する判断は後半2時間の授業で取り組むこととし,この前半2時間の授 業では問題性の有無に関する判断に照準をあわせているものの,それもよりよい社会づくりのため の記念の為し方の探求であり,生徒たちは国民哀悼の日という歴史政策に関する批判的な政治的判 断をつくりだしたわけである。 そこで生徒たちが学んでいるものは,未曾有の戦死者をうみだした第一次世界大戦そのものに関 する認識ではない。すでに先行の授業で学んだ第一次世界大戦の認識を生かしつつ,そのような第 一次世界大戦という負の過去についての記念の為し方,とりわけ多数の戦死者の追悼の行い方に関 する判断を生徒たちは自らつくりだすことで学んでいる。「死者の記念の形式や伝統についての価値 判断をつくりだす」という目標の一環において,国家による過去の戦争で亡くなった戦死者につい ての公的な取り扱いについて価値レベルまで遡って分析吟味しつくりだす批判的判断やそのつくり 方が主たる教育内容となっている。歴史政策という広義の歴史の存在とその存在理由をとらえ,そ れらが適切か否かを吟味することで,社会としての歴史の行い方,社会にとっての歴史の在り方に ついて判断することが,この授業の中心内容である。 このように生徒たちが歴史政策の問題に取り組み,社会としての歴史の行い方の批判的な政治的 判断を教育内容として学ぶ授業は,既存の社会を鵜呑みにして受容することなく,一旦突きはなし て分析吟味し,その既存の有り様や望ましい在り方についての判断を批判的につくりだす社会形成 の教育に位置づくものである。公共的判断による社会の形成を基本原理とする民主主義社会を遂行
できる市民の育成に向け,歴史授業であっても歴史政策問題という広い意味での現在の社会の問題 を直接的に取り上げる。そうして,自分たちの社会としての歴史の行い方を問い,それを通して社 会の望ましい在り方を探ることができるようにする。過去に関する歴史政策を現在や未来の社会に 関わるもの,そして別様にもありうるものとして扱い,既に存在するものを自明視せず,批判的に 分析し判断できるようにするわけであり,社会形成教育と呼べる授業である。 それは社会秩序の維持や変更に係る政治的判断のなかでも,無批判的な判断を教化する教育では なく,批判的な判断を形成する教育である。歴史政策問題学習に基づく社会形成教育としての歴史 授業は,社会としての歴史の行い方という社会の在り方に関する批判的な政治的判断の直接的形成 として働く。社会形成教育による批判的な政治的判断の形成をその実質とし,民主主義社会形成に 開かれた歴史教育を可能にするのが,歴史政策問題学習に基づく授業である。 それでは,このような授業をいかにすればつくることができるのか。歴史授業の何をどうすれば, 社会としての歴史の行い方の批判的政治的判断を教育内容として学ばせることができるのか。次章 では,歴史政策問題学習に基づく社会形成教育としての歴史授業のための基本方略を考察しよう。
3.歴史政策問題学習に基づく歴史授業のための基本方略
歴史授業の何をどうすれば,社会としての歴史の行い方に関する批判的判断を教育内容として学 ばせることができるのか。基本方略を教材,授業過程,学習方法の3点から明らかにしていこう13) 。 (1)主題としての歴史政策問題 第1の方略は,教材において,過去についての公的な取り扱いに係る歴史政策の問題を主題とす ることである。 歴史政策は,社会のなかの広義の歴史(歴史ナラティブ)の一種である。国政レベルや地方政治 レベルまた国際政治レベルなどにおいて,様々な領域でとられる。それらは何らかの政治的社会的 立場に基づいて過去について取り扱い,その社会としての歴史認識や自己認識を直接的・間接的に 内外に示す。とともに,人々の意識や判断に作用し,社会の方向性を左右していくことになりうる。 だからこそ,歴史政策をめぐって,しばしば公的論争が顕在化する。そのような歴史政策の維持や 変更をめぐる広い意味での社会の問題を主題とすることで,学習者が社会としての歴史の行い方, 社会にとっての歴史の在り方についてアプローチできるようにすることが,第1の方略である。 ジモン教諭の今回の授業の場合,それは国民哀悼の日という歴史政策の現状維持の是非という問 題である。この授業では,「この祭日や式典ははたして今の時代にふさわしいものなのか」を中心課 題とし,現行の国民哀悼の日は妥当か,問題性があるのかどうかを生徒たちに考えさせようとする。 自国の歴史政策における第一次世界大戦の戦死者の記念について扱い,生徒たちが社会としての負 の過去との関わり方という社会の在り方の問題について取り組めるようにしている。 主題とする歴史政策問題の選定では,「死者の記念の形式や伝統についての価値判断を生徒がつく りだす」ことをジモン教諭がねらい,国家による戦争で亡くなった戦死者の記念の為し方の批判的 な政治的判断を学ばせるために,国民哀悼の日の問題について取り上げているように,その授業で 目指す教育内容との関係すなわち教育内容にとっての適合性が重要である。と同時に,社会との関 係,学習者との関係もまた重要である。 社会との関係では,社会的な重要性があること,つまり学習者にとって取り組むべき問題である ことが必要である。ドイツにおいて戦争の記憶や記念をめぐる問題関心は第二次世界大戦に集まり がちであるが,その他の戦争に関しても等閑にされてよいわけではない。特に,「1790 年から 1914 年 までの戦争における全死者の2倍という多くの人々が亡くなった第一次世界大戦における意図的で残酷な大量死は,勝利と敗北,友と敵,栄誉,名誉と勇敢という古くからのカテゴリーを全くもっ て疑わしいものにした」14) 大惨事であり,そのような痛ましい過去とどう関わっていくかは社会的 に重要といえる。実際,第一次世界大戦の戦死者だけでなく「戦争と暴力の全ての犠牲者」を一緒 にまとめて追悼しようとする現在の国民哀悼の日の考え方をめぐっては,賛否両論がある。ナチズ ム体制のための兵士もナチズム体制による被害者も含め,全てを同列化し,意味を曖昧にしてしま いかねないためである。ナチズム体制による被害者のための記念日の創設,ドイツ連邦軍の再編な どもあり,その在り方が問い直されつつある15) 。生徒たちもドイツ社会を構成し運営する者として, 国家による過去の戦争の記念,とりわけ戦死者の追悼について考える必要があるとジモン教諭は考 える。 学習者との関係では,学習者にとって取り組める問題,取り組みたくなる問題であることが重要 である。社会的に重要であるからといって,学習者にとって取り組めるものであるとは限らない。 国民哀悼の日は現在,「戦争と暴力の全ての犠牲者を記念するための日」とされており,その考察の 課題によっては,第一次世界大戦だけでなく近現代史上の様々な戦争や暴力についての一定の認識 が必要となる。前期中等教育段階の年代史的な歴史教育課程であったら,第一次世界大戦について 学んだばかりの生徒たちがそのような問題に取り組むのは容易ではない場合もあろう16) 。しかしな がら,年代史的な歴史教育課程を経た後期中等教育段階であれば,仮に第一次世界大戦について学 んだばかりであったとしても国民哀悼の日の問題に取り組むことは可能であり,今回の授業でも支 障はなかったといえる。 一方,そのような国民哀悼の日やその式典は,授業中の発言によれば,生徒たちにとってあまり 馴染みのないものだったようである。そこで演奏される「私には戦友がいた」という歌を知ってい る者も少なかった。授業の開始時から,生徒たちにとって,国民哀悼の日の問題が取り組みたい問 題であったわけではない。けれども,パート2で「私には戦友がいた」の歌詞を知り,そのメッ セージ内容や当初の理由を分析することで,そうした歌を今も用いつづけている国民哀悼の日の現 状維持の是非は,教師から提示されたものであるけれども,生徒たちにとって自分自身の疑問に なったのではないか。それだからこそ,つづくパート3で悼辞にも疑問の眼をもって熟考的に向き 合うことができたのであろう。現状維持の是非を判断するパート4では,この歌の採用やその演奏 の仕方も批判点として取り上げられた。学習者にとって取り組みたい問題であることは能動的な追 究のために重要であり,授業の開始時からが難しいのであれば,このように途中からでも取り組み たい問題となるようにすることが求められよう。 このように歴史政策の問題について取り上げる上では,教育内容にとっての適合性,社会にとっ ての重要性,学習者との関連性,すなわち,教育内容・社会・学習者との関係が重要である。 (2)メタ・ヒストリーに基づく判断づくりのための問題追究過程の構成 第2の方略は,歴史政策の問題を主題とする授業過程の構成において,社会における歴史の在り 方を探るメタ・ヒストリーとしての社会問題学習を基軸とし,歴史政策における過去の取り扱いの 内容の把握と理由・背景の認識とを踏まえて,そのような過去の取り扱いに関する対応について考 えられるよう,歴史政策問題の判断づくりのための問題追究過程を進めることである。 歴史政策問題の判断づくりといっても,政策の現状や提案の問題性の有無について判断する場合 もあれば,更にその代案となる新たな政策について判断する場合もある。何に何がどう表されてい るか,そう表されているのはなぜか,それをそのままに受け容れてよいかまでで留めることもあれ ば,どうあることがよいかまで更に考察を進めることもある。とはいえ,何れにしろ,判断を求め る学習課題の設定と問いの展開に基づく解決とにおいて,歴史政策の現状や提案における過去の取 り扱いを自明視せず,分析し判断する過程として授業過程を構成する。このような授業過程は,現
在の社会において過去を扱った既存の歴史の内容の把握,理由・背景の認識,対応の判断というメ タ・ヒストリー学習として,歴史政策問題という社会問題の学習を展開させるものである。 ジモン教諭の前半2時間の授業の過程は,現状維持の是非という問題の主題化に基づき,その判 断をつくるための2つの主要な学習課題の解決を通して,国民哀悼の日の現状とその存在理由を認 識し,それを踏まえて現状の是非という対応を判断するものであり,メタ・ヒストリーとしての社 会問題学習を基軸にして構成されたものとなっている。既存の歴史である記念式典において何がど う扱われているか,それはどうしてか,そのまま存続させてよいかどうかを検討し,現行の国民哀 悼の日という歴史の行い方の問題性の有無について判断するわけである。つづく後半2時間の授業 の過程は,それを踏まえ,どうありうるか,どうあるべきかを検討し,より望ましい今後の行い方 について判断する過程として構成されることになろう。 このように歴史政策問題という社会問題の学習を,過去を扱った既存の歴史について取り組むメ タ・ヒストリー学習を基軸に展開させるには,その過去そのものについて取り組むヒストリー学 習が必要となる場合がある17) 。ヒストリー学習を前提にメタ・ヒストリー学習へ移行させたり,メ タ・ヒストリー学習の一環にヒストリー学習を組み込んだり,ヒストリー学習の一環にメタ・ヒス トリー学習を組み込んだりするなど,メタ・ヒストリー学習とヒストリー学習をどう有機的に結び つけるかは一通りではない18) 。今回の授業の場合は,第一次世界大戦に関するヒストリー学習を前 提に,国民哀悼の日に関するメタ・ヒストリー学習へ移行させている。ヒストリー学習をメタ・ヒ ストリー学習のために完全に手段化し,ドラスティックに歴史授業を変えるよりも,ヒストリー学 習をベースにしつつ,メタ・ヒストリー学習において有用化し,過去についてとらえるだけでなく, その過去との関わり方や向きあい方についても考えられるよう,歴史授業を改めようとしている。 尤も,その場合でも,メタ・ヒストリー学習を現在の問題に関する判断づくりの過程として展開 させている点は,重要なポイントである。実は,ジモン教諭がかつて誌上に発表した授業構想は, 最後には現在の国民哀悼の日の問題について扱うけれども,自他国における第一次世界大戦後から 現在までの戦没者記念すなわち社会における過去の取り扱いについて通時的に認識する学習を主軸 とするものであった19) 。それに対して,今回の授業は国民哀悼の日の問題を主題とし,現在の社会 における過去の取り扱いについて判断する学習を主軸としている20) 。その授業過程の実質は,歴史 政策問題という現在の社会の問題の判断に取り組む過程であり,過去についての公的な取り扱い方 を問うことで社会の在り方を探る社会形成の過程である。歴史政策問題の判断をつくる社会形成の 営みに学習者を導き入れるのが,このようなメタ・ヒストリーとしての社会問題学習の授業過程で ある。 (3)議論の論理に基づく批判的形成としての学習 第3の方略は,そのような授業過程において歴史政策問題に取り組む学習方法として,議論の論 理に基づく学習者自身による批判的形成を重んじることである。 これは,歴史政策問題の判断をつくる社会形成の営みを学習者自身が議論の論理21) に従って遂行 できるようにするための方略である。歴史政策における過去の取り扱いを,D ( 過去の事柄やその理 解 ) -W ( 趣旨・意図 )・B ( 政治的社会的立場 ) -C ( 過去の取り扱い ) という論理構造によって対 象化すること,そうして,これを事実と価値の両レベルで吟味することで批判したり,あるいは更 に代案となる新たな論理構造をうみだしたりし,批判的に判断をつくることである。 ジモン教諭自身がトゥールミン図式それ自体を意識しているわけではないとしても,授業は基本 的に批判的な議論形成に則ったものとなっている。前半2時間の場合,パート1~3が国民哀悼の 日における過去の取り扱いの論理構造を分析するパートとなっている。パート1,パート2の①②, パート3の④でCを把握し,パート2の③とパート3の⑤で先行の授業を踏まえてDを確認すると
ともに,WやBを探っている。それらによって対象化される論理構造について,W・Bという存在 理由にとってのCの適合性,また,W・Bという存在理由そのものの正当性を吟味し判断している のが,パート4である。また,パート4で変更の具体的提案に及んだ意見は,W・Bにとっての望 ましいCについて考え,D-W・B-Cの修正を試みたものとなっている。そのような事実と価値 の両レベルでの吟味判断,修正の試みに基づき,更に代案となりうる新たな論理構造を探求し,自 分たちのよりよい社会のために過去のよりよい取り扱いの在り方を判断するのが,後半2時間であ ろう。議論の論理に基づき,過去の取り扱いの論理構造を分析吟味し,その妥当性の判断や代案の 妥当性の判断を形成するわけである。歴史政策問題の判断づくりという社会形成の営みに導き入れ るだけでなく,それを学習者自身が遂行できるようにするための学習方法が,議論の論理に基づく 批判的形成である。 ジモン教諭がパート4で妥当性に関する吟味判断の観点を指示しなかったにも拘わらず,生徒た ちが存在理由にとっての実際の取り扱い,存在理由そのものに着目したのは,普段の授業において 評価づけることや判断することに慣れていることもあろうが22) ,パート1~3で過去の取り扱いの 内容をとらえることだけでなく,存在理由まで掘り下げることにより,取り扱いの内容と存在理由, それらの関係に意識を向けることができたからであろう。とはいえ,パート4では,実際の取り扱 いの適合性に関する意見,存在理由そのものの正当性に関する意見,また,変更の提案意見が分け られず,混交するように提起されていった。現状の妥当性の判断や代案の妥当性の判断に取り組ま せる際,吟味検討のポイントを学習者が明確に意識できるようにすれば,批判的な判断づくりをよ り確かなものにすることができるだろう。
4.おわりに-民主主義社会形成に開かれた社会形成教育としての
歴史授業の可能性-
社会に開かれた歴史教育はどうありうるか。歴史政策問題の学習に基づく社会形成教育としての 歴史授業の基本方略についてまとめ,社会に開かれた歴史教育の可能性について検討しよう。 歴史政策問題学習に基づく社会形成教育として歴史授業を構成し,社会としての歴史の行い方の 批判的政治的判断を教育内容として学べるようにするための基本方略は,次の3点にまとめられる。 第1は,教材において,歴史政策問題という自分たちの社会のなかの歴史をめぐる問題を取り上 げ,現在の有り様や未来の在り方についてアプローチできるようにすることである。 第2は,授業過程の構成において,メタ・ヒストリーとしての社会問題学習を展開の基軸とし, 問題の判断づくりのための追究過程を進めることである。 第3は,学習方法として,議論の論理に基づく批判的形成に取り組ませ,批判的な判断づくりと いう社会形成の営みを学習者自身に遂行させることにより,過去の取り扱いの論理構造を分析吟味 させ,その適否の判断をつくらせたり,代案となる新たな論理構造をつくらせたりすることである。 このような基本方略をとり,歴史政策の問題を主題とし,判断づくりのための問題追究過程にお いて,メタ・ヒストリーとしての社会問題学習を展開させ,議論の論理に基づく批判的形成を学習 者自身に遂行させることにより,社会としての歴史の行い方の批判的な政治的判断を学習者自らが うみだすことで学べるようにする。社会としての歴史の行い方という社会の在り方を探求する社会 形成の教育が可能となり,批判的な政治的判断の直接的形成を歴史授業において実質化させること ができるわけである。 確かに,そのような歴史授業が民主主義社会形成に開かれた批判的政治的判断形成を実現できる 唯一の解決策というわけではない。例えば,現在の社会の問題を取り上げ,その問題をめぐって対立する考えのそれぞれについて,歴史上の事例に基づいて吟味し,望ましい解決に関する判断をつ くりだすことをねらう歴史授業がある23) 。これも社会形成教育としての歴史授業であり,批判的な 政治的判断の直接的形成を実質化させることができる。とはいえ,現行の年代史的な編成を改めな ければ,それをそのまま位置づけることは難しい。一方,メタ・ヒストリー学習としての歴史政策 問題学習に基づく歴史授業であれば,仮に年代史的な編成を維持したままであるとしても可能であ る。教育課程レベルの再編まで待たずとも,実施可能である。しかも,ヒストリー学習を生かすこ とができる。歴史政策問題学習という歴史教育ならではの新たな社会問題学習に基づき,歴史教育 だからこその社会形成教育を展開できるのである。 それはジモン教諭の今回の授業のように後期中等教育段階でしかできないというものではない。 歴史政策問題学習に基づく授業は,初等教育段階の小学校でさえも,けっして不可能ではない。例 えば,小学校第6学年の授業例として,「お札の顔の昔と今」24) ,「『県民の日』の授業」25) などを挙げ ることができる。「お札の顔の昔と今」は,小学校第6学年における歴史学習全体の終結単元として, 紙幣の図柄として歴史上の人物の肖像画を用いる政策について扱い,「今のお札の顔を昔のお札の顔 と比べ,今のお札で3人の人物が選ばれた訳を考えましょう」,「今のお札の顔は別の人物の顔にか えるほうがよいでしょうか,それとも今のままのほうがよいでしょうか,それはどうしてでしょう か」という課題を追究するものである。また,「『県民の日』の授業」は,山梨県内の小学校におけ る明治前期単元の一環において,廃藩置県により甲府県から山梨県へ改称された 11 月 20 日を山梨県 民の日とする 1980 年代以降の政策について扱い,「県民の日は,どういう日として設けられているの だろうか」,「山梨県で県民の日がつくられたのはどうしてだろうか」,「山梨県の県民の日は,今の ままでよいだろうか」という課題を追究するものである。勿論,過大な目標を掲げることは禁物で ある。小学校第6学年では,身のまわりの歴史が「過去をうつしたものではなく,現在の社会にお いてつくられたものであり,社会の未来にかかわるもの,社会にとってよりよくつくりかえられる べきもの,そのために自分たちが吟味判断する必要があるもの」26) であると児童たちが気づけるよう にすることを先ずは重視すべきであろう。とはいえ,小学校第6学年における歴史学習の終結単元 だけでなく,通常の単元でも,成り立ちうるのである。 尤も,歴史政策問題の学習に基づく社会形成教育としての歴史授業を小中学校でも実際に可能に していくためには,少なくとも2つの前提条件を整える必要があろう。 その1つは,歴史政策問題の学習という社会のなかの歴史の今後の在り方を判断するメタ・ヒス トリー学習だけでなく,社会のなかの歴史の既存の有り様を分析するメタ・ヒストリー学習も展開 させることである。それは現在の社会における広義の歴史を分析することで対象化する社会認識教 育としての歴史授業である。例えば,小学校第6学年の歴史学習で,身近な複数の歴史マンガを取 り上げ,織田信長や豊臣秀吉,徳川家康の取り扱いについて分析する学習27) ,中学校の歴史的分野 で,銅像をはじめ,地元で英雄視されている歴史上の人物を扱った現在の様々な事物を取り上げ, 身近な地域に溢れる既存の歴史を分析する地域探究としての「身近な地域の歴史」の学習28) などを 事例として挙げることができる。歴史政策の他にも,社会では様々な歴史が作られ,使われている。 それらに呑み込まれないよう,既存の歴史の有り様を分析する学習を進め,現在における過去の取 り扱いを醒めた眼でとらえられるよう育んでいくことは,学習者が歴史政策問題学習において歴史 の行い方を批判的に問うための大きな支えとなる。 もう1つは,小学校中学年(第3・4学年)という社会科の始発段階から,社会のなかの歴史に 関するメタ・ヒストリー学習をスタートさせ,身のまわりの広義の歴史を過去そのものと混同せず, 虚実を見極めようとする疑問の眼を育むことである29) 。それは,過去の見方,史料の見方とともに, それらとの関係において歴史の見方を学ばせることであり,歴史の人為的構築性に気づかせること
である。中学年の児童も,教室外の広義の歴史に接して日々生活しており,それらを鵜呑みにしな いように育むことは重要である。とともに,そうした既存の歴史との熟考的な関わり方の基礎とな る疑問の眼を始発段階で育むことは,メタ・ヒストリー学習に基づく社会認識教育や社会形成教育 を小中高の歴史教育に渡って進めていくための重要な基盤をつくることになる。 社会に開かれた歴史教育はどうありうるか。このようにして条件を整えつつ,本稿で明らかと なった方略に応えるならば,歴史政策問題学習に基づく社会形成教育としての歴史授業を可能にし, 民主主義社会形成に開かれた批判的な政治的判断の形成を歴史教育において進めることができる。 今後,小学校から中学校,高等学校までの歴史教育における歴史政策問題学習を含めたメタ・ヒス トリー学習の段階的展開の論理を明らかにすること,そして,それも踏まえて,小中高のそれぞれ における歴史政策問題学習に基づく社会形成教育としての歴史授業の論理や方略を精緻化し,その 実践可能性をより高めていくこと30) が更なる課題となろう。 註 1) 例えば,全国社会科教育学会の第 67 回全国研究大会において,シンポジウム「『社会に開かれた 社会科教育』の課題と展望-社会科は社会とどう関わるか」が催された(2018 年 10 月 20 日)。ま た,『教育科学社会科教育』誌(明治図書)では,2019 年4月号より 2020 年3月号までの1年間, リレー連載「社会科は社会とどのように関わるのか-社会に開かれた社会科とは」が展開された。 2) 社会との関わり方を問う意味については,服部一秀「社会科は社会とどのように関わるのか- 民主主義社会形成に開かれた批判的な政治的判断の形成」,『教育科学社会科教育』2019 年4月号, 明治図書,120 頁。 3) 本段落の論述は,服部,同上論文,122-123 頁に基づいている。また,服部一秀『現代ドイツ社 会系教科課程改革研究-社会科の境界画定』,風間書房,2009 年,参照。 4) この点については,服部一秀「社会問題学習としての社会科-小学校ではどうするか,歴史教 育ではどうするか」,『教育科学社会科教育』2018 年 10 月号,明治図書,20 頁でも言及している。 5) 服部一秀「社会のなかの歴史に関するメタヒストリー学習の意義」,社会系教科教育学会『社 会系教科教育学研究』第 28 号,2016 年,服部一秀「メタヒストリー学習に基づく社会形成教育と しての歴史授業」,社会系教科教育学会編『社会系教科教育学研究のブレイクスルー』,風間書房, 2019 年,参照。 なお,過去に関するナラティブ(語り)としての歴史の把握については,野家啓一『歴史を哲 学する』,岩波書店,2007 年,参照。
6) 本稿では,歴史政策(History Policy, Geschichtspolitik)を特定の立場にたつものや特定の領域に おけるものに限定せず,過去についての公的な取り扱いに係る政策全般を歴史政策ととらえる。 近藤孝弘『自国史の行方-オーストリアの歴史政策』,名古屋大学出版会,2001 年,p.ⅵ,近藤孝 弘「東アジアの歴史問題とヨーロッパの歴史政策」,同編著『東アジアの歴史政策-日中韓 対話 と歴史認識』,明石書店,2008 年,pp.240-241,仲正昌樹「歴史認識の根っこ ドイツ編 下」,『朝 日新聞』2015 年1月 26 日夕刊,仲正昌樹「『過去の反省』と現実政治」,『朝日新聞』2015 年8月 15 日夕刊,柴田育子「『公的な歴史認識』の基準をめぐって-ドイツ歴史家論争」,筑波大学倫理 学原論研究会『倫理学』第 14 号,1997 年,pp.86-87,他,参照。 7)この授業を筆者は,二井正浩研究代表「生徒と歴史教育との学習レリバンス構築に関する事例 収集・分析とそのデータベース化」(令和1~3年度科学研究費助成事業・基盤研究 (B))の一環 において参観した。授業の逐語記録(日本語訳)は,この科研費研究のウエブサイト上に掲載さ れる予定である。
なお,本稿作成にあたり,本稿においてオリバー・ジモン教諭の氏名・勤務校を表示し,この 授業について取り上げることについて,改めて承諾を得た。
8)国民哀悼の日については,Alexandra Kaiser, Von Helden und Opfern: Eine Geschichte des
Volkstrau-ertags, Campus Verlag, 2010, S.9-16 usw.
9)Oliver Simon, Von Helden und Opfern, in: Praxis Geschichte, 6/2013, Westermann, 2013, S.39-43. なお,同誌での紹介によれば,ジモン教諭は 1976 年生まれであり,担当教科目は歴史科・ドイ ツ語・哲学である。 10)筆者はすでに前掲論文「メタヒストリー学習に基づく社会形成教育としての歴史授業」,『社会 系教科教育学研究のブレイクスルー』,風間書房,2019 年において,メタヒストリー学習に基づく 社会形成教育としての歴史授業の基本方略について論じたことがある。本稿では,社会のなかの 歴史に関するメタヒストリー学習のなかでも歴史政策問題学習に焦点化し,授業実践例の分析を 通して,社会形成教育としての歴史授業の基本方略について論じる。 11)ラインラント・プファルツ州におけるギムナジウム上級段階の歴史科では,第 11 学年におい て「ヨーロッパ史の基盤」,「近代世界の成立」,第 12 学年において「民主制へのドイツの道の り」,第 13 学年において「国際関係」について取り扱われる。Ministerium für Bildung, Wissenschaft, Weiterbildung und Kultur des Landes Rheinland-Pfalz, Lehrplananpassung, Gesellschaftswissenschaftliches
Aufgabenfeld, 2011, S.50. https//lehrplaene.bildung-rp.de/(2019年12月1日確認)
12)Oliver Simon, a.a.O., S.40. ただし,かつての授業構想の場合は,その前提として,「兵士の死に関 するヨーロッパでの意味づけを主要な記念式典を事例にして様々な視点から比較することができ る」ことも重要な目標となっている。
13)服部,前掲論文「メタヒストリー学習に基づく社会形成教育としての歴史授業」,参照。 14)Oliver Simon, a.a.O., S.39.
15)「全ての犠牲者」を一緒にまとめて追悼しようとする現行の国民哀悼の日の考え方については, ジモン教諭はかつて『Praxis Geschichte』誌上で発表した前掲の授業構想のなかでも項目を設けて 扱っており,今回の授業でも生徒たちが検討すべき1つの論点として意識していたと考えられる。 16)ドイツの前期中等教育段階の歴史授業では,身近な地域に残る第一次世界大戦の戦没者記念碑 の扱いについて取り上げられることがある。 17)ヒストリー学習/メタ・ヒストリー学習という対概念は,生島博「対抗イデオロギー教育とし ての歴史教育」,鳴門社会科教育学会『社会認識教育学研究』第 18 号,2003 年で用いられている。 ヒストリー学習とは,過去について取り組む学習であるととらえるとすれば,メタ・ヒストリー 学習とは,過去を扱った既存の歴史について取り組む学習であるととらえることができる。 18)服部一秀「年代史的カリキュラムにおいて過去の取り扱いの探究能力を育成する方略」,日本社 会科教育学会『社会科教育研究』No.123,2014年,他,参照。 19)Oliver Simon, a.a.O., S.40.
20)かつての授業構想とは異なる授業展開をとった理由を参観後に尋ねたところ,ジモン教諭は 「Gegenwartsbezug(現在との関連)」という概念を用いて,今回の授業では現在の問題を直接的に 取り上げ,生徒たちが現在の問題について取り組む学習を中心にすることをねらったと語った。 21) 議論の論理については,足立幸男『議論の論理』,木鐸社,1984 年,福澤一 『議論のレッス ン』,日本放送出版協会,2002 年,また,尾原康光「社会科授業における価値判断指導について」, 全国社会科教育学会『社会科研究』第 39 号,1991 年,他,参照。 22) ドイツ各州のギムナジウム上級段階における歴史科の授業では,大学入学資格試験であるアビ トゥア試験における歴史科の学力像との関係もあり,生徒が歴史資料の解釈,歴史叙述の検討,
歴史叙述の形成において自分の考えをつくることや議論することが重んじられる傾向にある。歴 史科の学力像については,服部一秀「ドイツの後期中等歴史教育における学力像」,日本教科教育 学会『日本教科教育学会誌』第 36 巻第1号,2013 年。 23) 池野範男「市民社会科歴史教育の授業構成」,全国社会科教育学会『社会科研究』第 64 号,2006 年。この歴史授業論について,服部,前掲論文「メタヒストリー学習に基づく社会形成教育とし ての歴史授業」,217 頁でも言及したことがある。 24) 服部一秀・浅尾和世・神戸博貴「身のまわりの歴史に関するメタヒストリー学習としての終結 単元-主題としての紙幣」,山梨大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要『教育実践学研 究』No.23,2018年。 なお,この「お札の顔の昔と今」をもとに,二井正浩によって実践された第6学年の歴史授業 として,「お札の顔と私たち」がある。二井正浩「提言 これからの『歴史授業』とは何か-学び の意味の視点から考える 『他人事』から『自分事』の学びへ」,『教育科学社会科教育』2020 年 11 月号,明治図書,4-5頁。 25) 佐藤貴史・服部一秀「小学校社会科におけるメタ・ヒストリー学習-『県民の日』の授業」,山 梨大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要『教育実践学研究』No.25,2020年。 26) 佐藤・服部,同上論文,243 頁。 27) 服部一秀・小笠原咲「小学校歴史授業における語りとしての歴史マンガの取り扱い-安土桃山 時代単元の場合」,同上誌No.23,2018年。 28) 服部一秀・矢ヶ崎憲「中学校歴史教育におけるメタヒストリーに基づく『身近な地域の歴史』 の学習」,同上誌No.24,2019年。 29) 服部一秀「小学校中学年社会科におけるメタ・ヒストリー学習の方略」,日本社会科教育学会 『社会科教育研究』No.140,2020年。これがメタ・ヒストリー学習をどこから始められるかを考 察したものであるとするならば,本稿はどこまで進められるかを授業実践例に基づいて考察する ものともいえるだろう。 30) その萌芽的な研究として,服部・浅尾・神戸,前掲論文「身のまわりの歴史に関するメタヒス トリー学習としての終結単元」が挙げられる。同論文では,小学校第6学年と中学校歴史的分野 のそれぞれの終結単元におけるメタ・ヒストリー学習の共通点と相違点の検討が試みられている。 謝辞 本研究は,オリバー・ジモン氏のご理解とご協力により可能となったものです。記して厚く感謝 申し上げます。 本研究は,JSPS 科研費 19H01683 の研究助成,及び,JSPS 科研費 19K02836 の研究助成に基づく研 究成果の一部です。