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インドにおける草の根の民主主義 -- 西ベンガル州の事例から (特集 インド民主主義体制のゆくえ -- 挑戦と変容)

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(1)

インドにおける草の根の民主主義 -- 西ベンガル州

の事例から (特集 インド民主主義体制のゆくえ

--挑戦と変容)

著者

森 日出樹

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

194

ページ

14-17

発行年

2011-11

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00004114

(2)

S C ︶・指定部族 ︵ S T ︶ 二三万九五八二であり、その議員 の数は二八一万八二九〇人。 うち、 SC 、 S T の議員がそれぞれ五二 万一六一八人 ︵一八 ・五 % ︶、三 一万七四七九人 ︵一一 ・三 % ︶、 また、女性の議員は一〇三万九〇 五八人 ︵三六 ・ 九 % ︶ を数える ︵イ ンド政府パンチャーヤティ・ラー ジ省のホームページより︶ 。   最近では、パンチャーヤトでの 女性の留保を五〇 % に引き上げる 動きも見られ、すでに法改正した 州もある 。村民会議に関しても 、 二〇〇九∼二〇一〇年を﹁村民会 議の年﹂とするなど、その強化が 図られている。   インド各州の中でも、ケーララ 州などと共にパンチャーヤト改革 に積極的に取り組んできた州とさ れ て いるの が 西 ベ ン ガ ル 州 で あ る 。

●西ベンガル州の

パンチャーヤト制度

  西ベンガル州では一九七七年に 左翼戦線政権が発足し、翌一九七 八年に、西ベンガル州パンチャー ヤト法にもとづく初めてのパン チャーヤト選挙が実施された。同 政権が、農村開発政策の大きな柱 として位置付けていたのが地方政 治への住民参加を促すパンチャー ヤト改革であった。同州では、そ の後五年おきにパンチャーヤト選 挙が実施されてきた。同州のパン チャーヤト組織は、県レベルのジ ラ・ポリショッド、中間レベルの パンチャーヤト・ショミティ、複 数の村︵選挙区︶で構成される村 レベルのグラム・パンチャーヤト ︵以下 、 G P と略す︶の三層から なり、それぞれ住民の直接選挙に よって議員が選出される。   西ベンガル州でもパンチャーヤ ト法の改正により、一九九三年の 選挙より SC ・ S T ならびに女性 への留保議席が導入された。村民 会議の規定も同改正で盛り込まれ たが、その後の一九九四年の改正 法では、全 GP レベルでの村民会 議︵グラム・ショバー︶と、 GP 内の選挙区レベルでの村民会議 ︵グラム ・ションショッド︶の二 層の村民会議の規定が設けられた ︵図 1︶   グラム・ショバーは年一回、グ ラム・ションショッドは年二回の 開催が義務づけられている。会が 成立するための定足数は、 グラム ・ ショバーで全有権者の二〇分の一 以上、 グラム ・ ションショッドでは 一〇分の一以上である。 また、 二〇 〇三年の改正法では、法に照らし て問題がある場合を除き、 GP が (出所) 筆者作成。 (注) 「パンチャーヤト」の語以外は、ベンガル語の発音に従ったカタカ    ナ表記にした。 図1 西ベンガル州のパンチャーヤト組織 (選挙区レベル) (全GPレベル) グラム・ションショッド グラム・ショバー 〈村民会議〉 (村レベル) (中間レベル) (県レベル) グラム・パンチャーヤト パンチャーヤト・ショミティ ジェラ・ポリショッド

ゆくえ̶挑戦と変容

民主主義

西

例から

森 

(3)

グラム・ションショッドの意見を 無視あるいは拒否できないことが 明文化され、 グラム ・ ションショッ ドに大きな権限が付与された。   さらに、同年の改正法では、グ ラム ・ションショッドにおいて 、 住民参加による公正な開発政策の 実施に責任を負う﹁農村開発委員 会﹂を設置することも義務づけら れた。二〇人ほどで構成される委 員会の構成員には、当該選挙区内 の G P 議員、次点で選挙に敗れた GP 立候補者、ボランティア組織 や協同組合等の公的団体のメン バー 、自助グループのメンバー 、 公務員︵退職者も含む︶ 、教員︵退 職者も含む︶が含まれなければな らず、また、構成員の三分の一は 女性でなければならない。構成員 選 出 の た め の グ ラ ム ・ シ ョ ン ショッドが開催され、構成員はそ こで選出される。委員会の長は当 該選挙区から当選している GP 議 員が務め、 GP 議員とともに開発 政策の実施において重要な役割を 担う委員会書記は構成員の中から 互選される。   以上のような改革を通して、同 州では地方政治への住民参加を促 す制度が確立 ・強化されてきた 。 では、そのような制度は現実にど のように運営され、機能している のか 。筆者が調査している東メ ディニプル県に位置するひとつの GP ︵ここでは B ・ GP と呼ぶ︶ を取り上げてみよう。   B ・ GP 区では一九七八年以来、 西ベンガル州の他の多くの地域同 様、左翼戦線政権の中心的政党で ある﹁インド共産党︵マルクス主 義︶ ﹂︵以下 CPM と略す︶が GP での多数派を占め政治を担ってき た。しかし、二〇〇八年度のパン チャーヤト選挙では、 CPM は 大 敗し、それまで野党であった﹁草 の根会議派﹂ ︵以下 TMC と略す︶ が B ・ G P での政権を奪った。二 〇〇八年選挙では一四の選挙区か ら計一五名の議員が当選した。う ち、一一名が TMC 、三名が CP M 、一名が無所属である。 GP レ ベルでの政党の参加が認められて いる西ベンガル州では、政党政治 が村レベルにも深く浸透してい る。 B ・ GP 区においても他の地 域同様、支持政党による住民の分 断や党派意識がこれまで強く見ら れてきた。

●B

・GPにおけるGP議員

と農村開発委員会

  左翼政権下の西ベンガル州で は、パンチャーヤトによる貧困層 の政治参加が促され、 B ・ GP 区 においても、一九八〇年代にはそ れまでの大土地所有地主層に代わ り、広く農村での中・下層の人々 がパンチャーヤト議員として活躍 するようになる。留保議席の導入 は、女性をはじめさらなる新たな 層を村の政治の表舞台に連れ出し た。その一方で、 GP 政治に参入 する政治家の入れ代わりが激しく なったのも事実である。経験の乏 しい議員の中には、有力な政治家 の傀儡となり、名前だけの議員に なってしまっているケースや、女 性議員の場合 、その夫が妻に代 わって議員としての仕事をしてい るというケースはインドのパン チャーヤト議員に関する事例研究 でしばしば指摘されてきた。   B ・ GP においても、二〇〇八 年選挙では議長は女性に留保され ていたため、女性の議長が誕生し ており、週末には夫が仕事の手伝 いをしている。しかし、彼女の仕 事に対する姿勢は決して消極的で はなく、 GP 事務所への通勤はも ちろんのこと、面会に来る村人と の対応も自ら行い、積極的に外回 りの仕事もしている。また、ある TMC の女性議員は、 CPM 支 持 者からの嫌がらせを恐れて村の人 たちは集会や行列に参加すること を憚ったため、選挙戦では一人で 村内を積極的に歩き回り、自らの 主張を訴え続けたという。政治に 臨む姿勢や意欲において決して他 の議員に引けをとらない女性議員 も存在し、留保制度が女性の積極 的な政治参加を促してきたことを うかがわせる。   とは言え、新規に GP 政治に参 入した議員にとって、自らの選挙 区内の開発政治においてリーダー シップを発揮し、村人からの様々 な意見や要求を調整していくこと は必ずしも容易なことではない 。 そうした状況の中で、農村開発委 員会書記の果たす役割は大きい 。 B ・ GP の農村開発委員会書記の プロフィールを見てみると、元 G P 議員や党で何らかの役職をもっ ているなど、政治経験の豊富な人 物 、 あるいは 、︵退職︶教員など で住民からの信望の厚い人物など の存在が目立つ。   農村開発委員会の委員は特別に 開催されるグラム・ションショッ ドで選出される。二〇〇八年の選 挙後、同年八月に筆者が観察した 例では、候補者名が挙げられ、ほ とんど議論はなく、その場で出席 者の挙手によって採決がなされ た。それぞれの党支持者が候補者 を擁立する場合もあるが、対立す る党の支持者の出席がほとんどな

インドにおける草の根の民主主義 ― 西ベンガル州の事例から

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GP 議員と同じ政 。︵同様の ︶ 議員たちも強く感じてい CPM がっていることが背景としてあ る。 CPM 支持者からも、地域の 党指導者が貧困層を顧みず自分た ちの利益だけで行動するように なったとの批判の声が聞かれる 。 こ の よ う な 人 々 の 不 満 が パ ン チャーヤト選挙で与野党の逆転を もたらした大きな原動力にもなっ ていた。農村開発委員会の委員選 びが曲がりなりにも公開で行われ ること、さらには、これまでの C PM の政治を変えたいという人々 の思いが、農村開発委員会のメン バー︵特に書記︶の質をある程度 保証するものとなっている。農村 開発委員会の制度は、その書記の 資質によっては、留保制度がもた らした経験不足の議員を助けると ともに、公正で民主的な開発プロ グラムの実施を実現していく上 で、一定の役割を果たしえると言 えよう︵参考文献②︶ 。   さて、 GP 議員も含めた農村開 発委員会はグラム・ションショッ ドでの議論や意見を受けて、開発 プログラムの実施を進めていかな ければならない。

●B・GPにおける村民会議

  先述のように、グラム・ション ショッドは GP の選挙区内の村民 会議 ︵下位の村民会議︶である 。 上 位 の 村 民 会 議 と し て グ ラ ム ・ ショバーも存在する。しかし、全 GP の選挙民を対象にした同会議 は、開催地から遠いところに居住 する住民は足を運びにくい。 また、 自らの選挙区内のことだけではな い全 GP に関する議題でもあり 、 グラム・ションショッドの内容の 寄せ集めでもあるので、住民の関 心は薄れる。そのため、 B ・ GP においてはグラム・ショバーに対 する村人の認知度や出席経験者率 はかなり低い。それに対して、法 的にも強い権限が与えられ、より 身近な問題を扱うグラム・ション ショッドのほうが住民にとっては 重要であり、その認知度・出席経 験者率ともに高い︵参考文献①︶ 。   筆者が観察した二〇〇八年一一 月のグラム・ションショッドの主 な議題・報告事項は、①二〇〇八 年度上半期の GP の収支報告と② 今後の各選挙区内での開発事業計 画︵事業のリスト化︶についてで あった。 定足数を満たすためには、 それぞれの選挙区でおよそ七五人 から百人程度の出席が必要であ る。 定足数を満たす数のサイン ︵非 識字者の場合は拇印︶が会場︵小 学校の教室︶から集められた後 、 会が開催される︵会議風景につい ては本誌表紙写真を参照された い︶ 。サインはしても途中で帰っ てしまう人たちもいるため、時間 とともに定足数を切ってしまう ケースが多い。   会議は概ね騒然とした中で進行 していく。必ずしも、一人ひとり 順に発言し、全参加者が静かにそ れに耳を傾けるといった具合に会 が進行するわけではない。あちら こちらから複数の参加者たちが思 い思いに言いたいことを言い出す ため 、会場はすぐに騒然となる 。 GP 議員、 GP 事務局書記、農村 開発委員会書記たちにも、それを 制御し、 静めることは困難である。 選挙区によっては、 GP 議員、農 村開発委員会のメンバー、あるい は G P 事務局職員に詰め寄り、質 問や意見・要求を述べる者なども 現れる。そうなると、会場内のあ ちこちで同時並行して複数の質問 や意見のやりとりが喧々囂々と行 われ、会場はますます混沌とした 様相を呈する。会議は、参加者全 員に開かれた議論や意見交換の場 というよりは、個々の個別交渉の 場と化してしまう場合もある。   西ベンガル州での村民会議の研 究では、参加者が少ない︵特に女 性の参加者が少ない︶こと、参加 者は議員と同じ政党支持者で多数 を占められていること、参加者が

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議員や党員から言われるままに出 席している、あるいは、既に党に よって大切なことは決められてい るといったことが報告されてき た。 B ・ GP 区での事例において も、確かに、女性も含め参加者は 多いとは言えず、議員と同じ政党 支持者が多数派を占めている。ま た、ある程度、農村開発委員会が 原案を事前に用意していることも 確かである。しかし、会場での様 子を見る限り、参加者は決して受 身ではなく、反対党支持者も含め 参加者たちが積極的あるいは情熱 的に発 言 する 姿 が 印 象 的であ っ た。   会議では、 主に道路整備、 配電、 飲料水用の管井戸の設置、火葬場 の整備、植林事業などに関する意 見や要求、貧困世帯の認定や事業 の遅れなど対する苦情や不満など が参加者から出された。参加者た ちの多くは、一人で発言するにせ よ、騒然となったときに皆と一緒 にまじって叫んだり愚痴をもらし たりするにせよ︵その場合、女性 も積極的に参加する︶ 、何らかの 形で発言をしたり、不満をぶつけ たりしていた。   ある選挙区のグラム ・ション ショッドでは、様々な意見や要求 が飛び交うなか、最終的に元教員 の農村開発員会書記が、参加者に まず自分たちで集落を回って開発 事業の案をまとめるよう促す場面 も見られた。ともすれば収拾がつ かなくなるような会議において 、 参加者の主体性を尊重しつつ、会 が取りまとめられていった例であ る︵参考文献②︶ 。

●左翼政権後の村の政治

  さて、西ベンガル州では二〇一 一年度の州議会選挙で左翼戦線政 権が大敗した。選挙で選ばれた左 翼政権が三四年間の長期にわたり 政権を担っていたことは世界的に 見ても珍しい。政権発足当初に進 められた土地改革やパンチャーヤ ト改革は農村貧困層の動員を促す と共に、その社会的地位の上昇に 貢献した。その結果、政権与党の 左翼政党は農村部での強固な支持 基盤を維持し続けてきた 。また 、 八〇年代の高収量品種と灌漑の普 及による飛躍的な農業生産の増大 は、農村部での左翼政権支持を後 押しした。ところが、九〇年代中 頃からは農業はかつての勢いを失 い、州政府も工業化政策やサービ ス部門産業の育成に力を入れ出し た。しかし、工業化にともなう農 地買収や立ち退きの問題がやがて 深刻化し、二〇〇七年には、抵抗 する一般住民へ警察が発砲し一四 名の犠牲者を出す事件が起こっ た。これを期に州政府に対する批 判の声が一気に広がった。 すでに、 長期にわたる政権でかつてのよう な社会改革への情熱が失われる一 方で、社会生活の隅々にまで影響 を及ぼすようになった党︵特に C PM ︶支配に対する不満が広く 人々の間でくすぶっていたことも 確かである。野党の TMC は、土 地買収問題で一気に吹き出た人々 の不満をうまく利用し、選挙での 勝利を手にした。   B ・ GP 区において、 CPM は 政治的な動員やミーティングなど を通して、人々の民主主義的な意 識の涵養に大きな貢献をしてき た。ただ、その民主主義の実践は より包摂的なものに向かうという よりは、多くの人々の排除を伴っ たまま 、時間と共に形骸化して いった感がある。それまでの村民 会議が CPM 議員の仲間内だけで 開催されていたといった人々の批 判からは、住民が感じていた強い 疎外感と政治への不信感がうかが える。 GP での政権交代は閉塞し た民主主義を新たに活性化させる 契機でもある。政党から距離を置 こうとする農村開発委員会書記の 存在、反対党支持者からの積極的 な意見が飛び交う村民会議など は、その可能性を垣間見せてくれ ている。社会・政治改革に対して かつての CPM が持っていたよう な強い意志が、今 TMC に求めら れている。 ︵もり   ひでき/松山東雲女子大学︶ ︽参考文献︾ ①森日出樹 [二〇〇九] ﹁インドに おける草の根の民主主義と開発政 治│カルナータカ州と西ベンガル 州でのパンチャーヤトにおける住 民参加の事例から│﹂ ︵近藤則夫 編  ﹃インド民主主義体制のゆく え│挑戦と変容│﹄研究双書 № 五 八〇   アジア経済研究所︶ 。 ②森日出樹 [二〇一一] ﹁インド西 ベンガル州における農村政治の転 換 │ 左 翼 政 党 の 敗 れ た グ ラ ム ・ パ ン チ ャ ー ヤ ト の 事 例 か ら │ ﹂ ︵﹃ 松 山東雲女子大学人文科学部 紀 要﹄第一九巻︶ 。

インドにおける草の根の民主主義 ― 西ベンガル州の事例から

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