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思想史研究における科学と哲学

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Academic year: 2021

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(1)思想史研究における柑学と哲学. science. and. 光*. 田. 古. in Studies. Philosophy. Hikaru. of intellectual. History. FuRUTA*. Ⅰ. いわゆる「思想史」に関する研究がさかんに行われるようになってきたのほ,比較的近 年のことであり,わが国でほとりわけ第二次大戦以後のことである.さまざまなすく小れた 成果も生みだされてきている。しかし,その「学問」としての基本的な性格がどのような. ものであるか,という点になるとあまり明確ではない。つまり,その研究の対象,方法, 範囲などがどのようなものか,という点については必ずしもはっきりしていないoそうし た点についてはあいまいなままで,哲学,歴史学,精神科学,社会科学など,諸学問にま たがる一つのインター・ディシプリナリ(学際的)な領域として研究が進められつつある, というのが実状であろう。しかし,反面からいえば,まさしくそうした点にこそ,この思 想史という学問のもつ特色と意義があり,豊かさと魅力が見い出されるのだ,ともいえる のではなかろうかoなぜなら,そのことほ,この思想史という研究領域が,哲学をも含め て,現存する諸学問にとって,そこで従来のあり方をとらえなおし,きたえなおしていく ための「共通の場所」という性格をもつということをも意味しているからである。私自身 も丁哲学」から出発して,この「思想史」というインター・ディシプリナリな研究に参加 してきたものの一人であるが,そうした研究そのものを通してつねにそのような反省をう. ながされてきた。むろん,すっきりした結論に達しているわけでほなく,考えあぐねてい ることがまだまだたくさんある。しかし,ここではそうした反省を通して浮びあがってき たいくつかの問題点について考察し,読者の参考に供したいと思う. ところで,この思想史という学問のもつ特殊な性格軒こついて,丸山真男氏は「思想史の 考え方について」. (武田清子編『思想史の方法と対象』1961,所収)という講演のなかで,次のよう. に述べている。 -これまでに行われてきた,また現に行われつつある思想史は,その対 of (a)教義史または学説史(History 象からみて,次の三重如こ大別できよう.すなわち, (c)時代精神 Doctrine, Dogmengeschichte), of Ideas), (b)諸観念の歴史(History または時代思潮の歴史(History. of. =Zeitgeist'')の三種である.しかし,. 「学問の独立. の分野」.としての思想史の自覚は,このうちの(b)と(c)においてほじめて現われてきたもの 「伝統的な人間活動の区 (a)のようなタイプにおける思想史の研究は,. である.なぜなら, *. 哲学・倫理学教室(Dept・. of. Pbilosopby〕.

(2) 28. 古. 田. 光. 分,学問の専問分科の区別」を前提とし,そうした枠組みのなかで行われるものであるの に対し, (b)や(c)のようなタイプの思想史の研究ほ,なんらかの形でそうした既成の枠組み を突破する必要が意識され,自覚されることによって, 「原初的な次元からの人間活動の 全領域を横断する思想史」として生み出されてきたものだからである。また.そうであれ ばこそこの(b)早(c)のようなタイプの思想史の研究は,さしあたり「多くの専問分野の協 力」という形で進められざるをえなかったのである。そして,この種の研究の必要が意識 され,要求されるようになってきたのほ, 違う」けれども,. 「国によってまたカルチュアによっていろいろ. 「大体において前世紀の終りごろから」のことである。. -. たしかに,ここで丸山氏が的確に指摘しているように,いわゆる教義史や学説史から区 別された意味での,学問の独立の分野としての「思想史」の研究というものほ,なんらか の形で従来の人間活動や学問の枠組みを突破する必要が意識されることによってはじめて 生み出されえたものであった,といえるであろう。言いかえれば,より広い歴史的な視野 のもとに,これまでの学問や人間活動のあり方を見なおしてみなければならない,という 意識がその背後にほたらいていたといえるであろう。はっきりと自覚していたわけではな いが・私自身が哲学から思想史の領域に足を踏み入れていたときにも,そのような志向が はたらいていたように思われる。. 私が哲学の研究に出発したのは第二次大戦直後のことであるが,それまでのわが国にお ける哲学研究のあり方ほ,総じて西欧における諸哲学思想の理論的・体系的な研究を主眼 とするものであった。むろん,哲学という学問は高度の抽象性と普遍性をもった学問であ って,その成果を理論的・体系的に考察し,検討するということは,ぜひとも必要なこと でほある。しかし,問題ほそれだ桝こ終ってしまっていいかどうかという点にある。問題 は究極的には,そのような研究を私たち自身の主体的な思索のモメソトとして生かしてい くためにほどうすればよいか,という点にあろう。そうした観点からふり返ってみると, 哲学をも含めて,いかに高度の抽象性と普遍性をもった理論や学説であっても,それらは けっして他の学問とまったく無関係な,自己完結的なものとして存在しているものでほな い,ということに気づかざるをえないoそれらほ,それぞれそれらが形成された時代と社 会における全体的な学問体系,意味体系,価値体系のなかで客観的に位置づけられ,意味 づけられているのである。とすれば,ある理論や学説といったもののもつ位置や意味をよ り客観的・全体的に理解するためには,特定の学問分野のなかでの理論史とか学説史とい った狭い枠組みを乗り超えて,より広い歴史的な視野のもとにそれらを考察するというこ とが,どうしても必要だといえるのでほなかろうか。のみならず,そのことほ,私たちがそ. れらの理論や学説をより主体的・内面的に把握するためにも,必要な手続きといえるので はないだろうか。なぜなら,それらの理論や学説ほ,それ自体としはいかに高度の抽象性 と普遍性をもったものであろうとも,実際には特定の時代や社会のなかで生きている現実 わ諸個人によって,その時付こおける客観的・全体的な学問体系,意味体系,価値体系と のかかわり合いを通して,さらにはその背後にあるより具体的・現実的な行動体系,生活 体系とのかかわり合いを通して,主体的に形成され,産出されてきたものであることもた.

(3) 思想史研究における科学と哲学. 29. しかだからである。そしてまた,それらの理論や学説を真に主体的・内面的に把握すると いうこと,つまり自己の主体的な思索のモメソトとしてそれらを組み入れるということほ, たんに既成の自己の思想や理論の枠組みを安易に前提して,そのなかにそれらを盗意的に (自己自身の思想や理論の既成の枠 位置づけたり,意味づけたりすることによってでほなく, 組みをも含めで)いったんそれらを前述のような意味での歴史的世界における歴史的な産物 として徹底的に客体化し,対象化するという,それ自身きわめて主体的な手続きを通して のみ達成されうるものではないか,と考えられるからである.必ずしもほっきりと自覚化 していたわけでほないが,はぽこのような観点と志向から,私ほ,これまでの哲学や哲学 史の研究の枠組みを乗り越えて,思想史というインター・ディシプリナリな鏡域に足を踏 み入れていったのである。そしてこのような志向や要求は,たんに私自身においてばかり ではなく,また哲学から出発した人びとにおいてばかりではなく,他の学問分野から出発 して思想史の研究に赴いた人びとにおいても,多かれ少なかれ,共通にいだかれていたも のといえるのではなかろうか。. このように,私の場合にほ,哲学から思想史の研究に入っていったといっても,必ずし も特定の哲学的な思想や理論を前提として,思想史に取り組んでいったわけではない。む しろ,思想史な研究や考察を通して,これまでの哲学的な理論や思想のあり方をとらえな おし,自己自身の思想や理論をきたえなおしていきたい,と考えていたのであるo. しか. し,そうほいっても,ある理論や思想についての歴史的な考察を進めていくということは, むろん,そのテーマに関連をもつデータをできるだけたくさん集めるといった作業だけで 可能なことではない。なんらかの形でそれらのデ-タをある全体的な脈絡のなかで統一的 に理解し,選択し,位置づけていく,といった理論的・構成的な作業を必要とする。こう した理論的・構成的な作業を行うことなしにほ,思想史の研究や叙述というものほ,膨大 な史料の井然たる羅列に終り,結局,わけのわからぬものとなってしまわぎるをえないで あろう。そうなってしまわないためには,思想史の研究者は,なんらかの形で,たとえ暫 定的・仮説的な形においてであれ,こうした理論的・構成的な作業を行なうことを避ける わけにはいかない。しかし,こうした作業そのものが思想史の独断的・主観的な解釈に導 いていく危険を含んでいることもまた,否定しがたいことであろう。だからといって,そ うした危険から逃れるためにあらゆる主観的構成作用を排除しまえば,遵に前述のような 雑然たる史料の羅列に終らぎるをえないことになる。言いかえれば,思想史の研究者ほ, かれが理論や思想というものをある歴史的・全体的な脈絡のなかで,しかも客観的・科学 的軒羊とらえていこうとする志向を捨てないかぎり・具体的な研究と叙述の過程において, っねにこのようなジレンマに悩まされざるをえないのである。このことは,思想史の研究 というものに内在する,一つの原理的なアポリアである,といえよう.むろん,こうした ァポ.)アは,たんに思想史の研究においてだけではなく!およそ「歴史」の科学的な研究 というものにおいて一般的に見い出されるものにほかならない.なぜなら,研究者による 主体的な構成の契機をまったく排除した,その意味での客観的・科学的な歴史の研究や叙 述というものは,漢際にはありえないからである。しかし,この主体的な構成の契機とい.

(4) 30. 古. うものほ, ら,. 田. 光. 「思想史」の研究や叙述において,とりわけ重要な意味をもっている。なぜな. 「思想」とは人間の内面的・意識的な活動とその所産のことであって,外面的・物質. 的な活動とその所産とは異なり,なんらかの形で研究者が自己自身の意識や思想の内部で それを再撞把し,再構成しないかぎり,それを理解するということは不可能なものだから であるo言いかえれば,. 「歴史」の研究一般に含まれているこの原理的なアポ.)アほ「思 想史」の研究において,とりわけ尖鋭な形をとって現われてくるのである。 このことほ,次のように言いかえることもできるであろう。一般に分析と総合とは,学 問所究にとってつねに不可欠のものであり,また相互に依存しあい,前提しあうものでぁ るo問題は,この関係をどのようにつかみ,どのように推し進めていくべきか,という点 にあるo思想史の学問的研究への道を開拓したのは--ゲルであるといってよいであろう が,. --ゲルほ,全体としての歴史を自由なる人間精神の客観的な自己展開のすがたとし てとらえることによって,言いかえれば,いわゆる「思想」をも含めて,すべての人間活 動とその所産ほ超個人的・全体的な「客観的精神」の自己表現として理解しうるものだと いう歴史観を設定し,これを前提することによって,いわゆる思想史的事実をも含めて, 個々の歴史的事実を相互に内面的なつながりをもったものとして総合的に理解する道を切 り開いたのであった。先に丸山氏が固有の意味における思想史研究のタイプとしてあげた (b)と(c),とくに(c)のタイプの思想史の研究対象とされている時代精神(Zeitgeist)という ものも,明らかにその源流をこうした--ゲル的な考え方にもっているのであるoこうし たヘーゲル的な歴史観が,人間の諸活動を歴史的に理解するために,わけても宗教,紘 律,芸術,哲学など,人間の文化的・精神的な諸活動とその成果を理解するために,きわ めて重要な貢献を行なったことはたしかである。しかし,多くの実証科学者たちが非難し ているように,全体としての歴史の根本的な主体であり,実体であるところの超個人的な 「客観的精神」なるものの存在が,個々の歴史的な事実の実証的・科学的な研究に先立っ て,いわばア・プリオリに想定され,前提されているという点において,こうしたヘーゲ ル的な歴史観が思弁的・形而上学的な性格のものである,ということもまた事実である。 これに対して,丸山氏のいう(c)のタイプの思想史研究は,こうした-y・.}レ的な歴史観, 人間観の流れを汲みながら,そのなかに含まれている思弁的・形而上学的な考え方を排除 し,より実証的・科学的な立場から,思想史ないし歴史というものをとらえなおそうとした 試みといえるであろう。例えば,この(c)のタイプの思想史の開拓者ともいうべきディルタ イは,かれの学問的立場について次のように語っている。. 「--ゲルが客観的精神を依拠 せしめた諸前提を,われわれは今日もはや保持することはできない。かれは共同体を一般 的理性的意志から構成した。われわれほ今日生の現実から出発しなければならない.へゲルほ形而上学的に構成したが,われわれは与えられたものから出発するのである。」(W. Diltbey,. Ges・. Schriften,ⅤⅠⅠ,. S】. 150・)デイルタイほ,このような見地からあらゆる生の現 実を「客観的精神」・の表現とみる--ゲル約な考え方を受け継ぎながら,個別的な生の現 実の内面的・心的構造の科学的な(いわゆる「構造心理学」的な)分析から出発し,その相互 閑適(いわゆるl「作用連軌)の構造をしだいにより深く分析していくことを通して,この全 ■.

(5) 思想史研究における科学と哲学. 31. 体的・統一的な「客観的精神」なるものの理解に到達しょうとした。これが,かれのいう 歴史的世界の「精神科学」. (Geisteswissenschaft)的な方法による理解の仕方であって,. いわゆる′「精神史」 (Geistesgeschite)としての思想史の研究ほ・このような観点と方法 にもとづいて自覚的に形成され,展開されてきたのである.こうした見地からみるなら ば,こうしたディルタイの試みを先駆とする。丸山氏のいう(c)のタイプの思想史研究は-ゲル流の精神史的思想史からその思弁的・形而上学的な要素を排除し!これをいわば科 学化していこうとした試みといえようo しかし,こうした試みは,はたしてその目的を十 分に達成しえているといえるだろうか。 先にもふれたように,分析なき総合は,独断的・主観的な総合となる危険をまぬがれえ ない。その意味で,総合は分析を前提とするものでなければならない。しかし,分析もま た,分析されるべきものがあらかじめどのようなものとして表象され,把握されているか ということによって左右されるo言いかえれば,総合が分析を前提とするように,必ずし も自覚的であるとはかぎらないにせよ,分析もまたある種の全体的・総合的なものの見方 (「世界一観」 Welt-anschauung)を前提とし,それによって規定されているのである.な. ぜなら,分析されるべき対象というものほ,分析に先立ってある.種の全体的にとらえら れるものであって,こうした直観的につかまれた全体的なものを前提をすることなしに 柊,またそれを理論的に再構成しょうとする主体的な意志によって支えられることなし には,分析という作業そのものが開始されえず,また推進されえないからである。このよ うな見地からふり返ってみるならば,ディルタイ流の精神史的思想史の試みは,意識的に 紘--ゲル流の精神史的思想史を科学化しょうとした試みでありながら,やはり--ゲル 的な精神史的歴史観を前提とし,これを導き.の糸として形成されたものであって,その意 味では--ゲル哲学の枠組みのなかで,これを科学的な研究と結びつけようとした試みで あった,といえるであろう.この--ゲル・ディルタイ流の精神史的歴史観は,言うまで もなく,あらゆる人間的現実を人間の精神的活動の所産,人間精神の表現として理解しよ うとする立場に立つものであるoマルクスほこれを批判して,人間の精神的生産活動その. ものが人間の物質的生産活動を基盤として,これによって条件づけられていると主張し, いわゆる唯物論的歴史観を打ち出した。もしこのような唯物論的歴史観を前提とし,導き の糸とするならば,言葉としてほ同じく「科学的思想史」であることをめざすといって ち,実質的にはかなり違った形での分析と総合が行なわれぎるをえないことになるであろ ラ.このように,思想史の研究というものは,あるいは一般に歴史の研究というものは, その根底において,人間的現実の総体というものをどうとらえるべきか,はたしてそれは 人間にとって可能なことであるか,もし可能だとすればそれほいか軒こして可能であるか, といった原理的・哲学的な諸問題を含んでおり,これらの問題についてどのように考える かということが,具体的な研究のあり方にもからんでくるのである。しかも,先にみたよ うに,こうした哲学的な諸問題は,思想史学を「実証科学化」することによって消滅して しまうような性質のものではなく,むしろ思想史学を「実証科学化」していこうとする試 みそのものを通して,いっそう明瞭に現われてこざるをえないような性質のものなのであ.

(6) 32. 古. 田. 光. る。. このことは,言いかえれば,. 「哲学」にとって「思想史」の研究というものは,たんに 総体としての思想史または歴史のなかで哲学というもののもつ位置と意味をとらえなおし てみるべき場面であるばかりでなく,逆に思想史または歴史というものを全体的・総合的. にとらえようとする共同作業そのものを通して,前述のような原理的・哲学的な諸問題を 問いなおさざるをえなくなるような場面でもある,ということを意味しているであろう。 むろん,そうした哲学的な諸問題は,それが解明されなければ,思想史的な考察や研究は 不可能である,といった性質のものではない。作業仮説という形でなんらかの全体観を設 定してお桝ぎ,ある程度研究作業を進めていくことほ可能である。むしろ,前述のような 原理的・哲学的な諸問題ほ,いきなりその究明に取りかかるよりも,そうした思想史的な 研究の作業を続けていくなかで,そうした作業を媒介としてそれまでの自己自身の観点や 方法を反省し,修正し,克服していくというやり方を取ったはうが,よりみのり多い結果 が得られるのではないだろうか。これまたはっきりと自覚化していたわけでほないが,私 自身も,そのような見地から,さし当り前述の(c)のタイプに属するような観点と方法に依 拠して思想史的な研究に取りかかり,それを通して自己自身の観点や方法を反省し,修正 し,克服していこうとつとめてきたし,現在もつとめつつあるわけである。 ⅠⅠ. ところで,私にとって,まず最初に「思想史」というものに対する関心をよびおこさ れ,これに対する問題意識と研究意欲をかきたてられるきっかけとなったものは,下村寅 太郎氏の諸著作と丸山真男氏の諸著作であった.下村氏の『科学史の哲学』. (1941)は,. 大まかにいって前述のドイツ流の精神史的・思想史の流れを汲むものであり,そうした観 点と方法を手がかりとしながら,西欧における哲学,科学,数学の相互連関的な成立と展 開の構造をさく小り,それを通して学問的精神のもつ西欧的・近代的な特質とその世界史的 な意義に照明を与えようと試みた,ユニークな労作であるo私ほ旧制高校在学時代にこの 書物を読み;諸学問の相互連関のあり方に目を開かれるとともに,そうした観点や方法そ のものに斬新さと魅力を感じた.大学で下村氏のもとで学ぶことにしたのも,一つにほこ の書物からの影響によるものであった。しかし,後からふりかえってみると,もともと 「精神史」という言葉はドイツ語の‥Geistesgescbichte=の訳語として大正期ごろから使 われだした言葉であって,そうした考え方を学問史とくに科学史の領域に適用したのは下 村氏が最初であるにしても,他の領域,とくに芸術史,文化史,日本思想史などの領域で は,すでにこうした手法による労作がかなり発表されていたのである。代表的な例として ほ,和辻哲郎『日本古代文化』 (1920),同『日本精神史研究』 (1926),村岡典嗣『本居宣 長』 (1928)・同『日本思想史研究』 (1930)などをあげることができよう。さらに昭和期に 入ってからは,前述のような唯物史観的思想史に属する労作もかなり発表されていたので あるが,私の学生時代にほすでに書店から姿を消してしまっており,戦後になるまで読む ことはできなかった.また,丸山氏の諸著作に接するこqとができたのも,戦後になってか.

(7) 33. 思想史研究における科学と哲学. らのことである。. このように,思想史に対する私の関心は,まず下村氏の仕事によって触発されたもので あったから,私自身の思想史的研究も,さし当り下村氏から学んだ精神史的な観点と方法 この. を手がかりとしながら,西欧における学問史を対象として進められることになったo 下村氏の観点と方法というものほ,前述のように,大まかにいえばドイツ流の精神史的思 想史の流れを汲むものでほあるが,細かくいえばディルタイよりもカッシーラーの仕事か らより多くの刺激と示唆を得ているように思われるo数学や自然科学と哲学との相互関連. の究明といったテーマについてほ,カッシーラ-のほうが注目すべき成果をあげているか らであろう。しかも,必ずしもドイツ流の精神史的思想史の観点と方法をそのまま受け入 れたものではなく,これを改作し,変容させたものである。少なくともそういう志向を含 んだものである。この点について,下村氏ほ, 『科学史の哲学』のなかの「科学論の方法」 という論文において,次のように語っている。 らみて,次の二種のものがあった。. -これまでのわが国の科学論は,方法か (1)認識論的方法と(2)社会科学的方法である。 (1)は「科. 学を一つの精神的事実としてとらえ,それらの内部構造を明かにしようとする」ものであ るo. これほ,科学を「意識の問題に還元すること」であり,. 「究極的には観念論を予想し. (2)ほ「科 ている」。ここでほ科学の社会的所産としての客観性が無視されている。次に, 学の社会的制約を明らかにすることを意図する」ものである。これほ,科学を「社会的制 約に還元しようとするのである限り一応,我々の知識或いは精神の自発性を否定ないし無 視するもの」であり,. 「唯物論を前提する」ものであるo. 「これらの二つの方法ほいずれも. それ自身の意義と権限をもつものであって,直ち軒こ一方を他方に還元しつくすことは出来 ない」が,. 「このことほ同時に,両者はそれだけでは具体的十全的な立場でないことを意. 味する。」 「この制限はこれらの方法が予想している哲学の制限である。」これらに対して, (3)精神史的方法による科学論が要求されねばならない。これは,前述の(1)ち(2)も「いずれ も科学を具体的に把挺し得ないことの自覚から,これらの両者即ち内在的な立場と超越的 な立場との綜合を索め,科学の歴史性社会性の把撞を意図するものである。」 性を契機として含まぬ社会的制約なるものはない」のであるから,. 「主観の自発. 「科学もまた主観的に. して客観的である所の歴史的社会的社会的なるものとして考察されねばならぬ。」 歴史的主体の客観的自己表現である。」. 「科学も. 「問題は先ず根本的に科学を自己の表現として形成. するその精神であり,その精神を自己の精神として自覚する社会-. 『客観的精神』の把. 握にある。」-. ここに示されているように下村氏における精神史的方法による科学論は,方法的にほ認 識論的方法と社会科学的方法の「総合」を,原理的・哲学的にはその前提をなす(ものと 想定された)観念論的立場と唯物論的立場の「総合」をめぎして構想され,展開されたも のである。こうした構想も,当時の私にとってほ,きわめて魅力的であった。科学から遊 離した世界観哲学のもつ非合理主義的・独断的な性格に反発を感じながらも,科学の後か らの認識論的・論理学的な基礎づけだけに自己の任務を限定しまうような哲学のもつ視野 の狭さにも不満をおぼえていた,当時の私の目にほ,こうした構想ほ,科学と世界観の再.

(8) 34. 古. 田. 光. 結合を達成するための,少なくとも一つの可能性を示唆するものとして映じたからであ る.しかし問題は,ここで下村氏のいう「総合」なるものがいかなる内容と性格のもので あるか,そのような「総合」ほはたして成立可能なものかどうか,といった点にあろう。. こうした点に関してまず注目されることの一つほ,新カント泥流の認識論的方法ばかりで ほなく,マルクス主義的な社会科学的方法をも,それぞれの一面性を批判しながらではあ るが,下村氏のめざす精神史的方法の(ある意味でほ不可欠な)モメソトとして組み入 れ,位置づけようとしていることである。このことほ,むろん,従来の--ゲル・ディルタ イ流の「精神史的思想史」の観点や方法をそのまま受け継いだだけでほ,不可能なことで あろう。それでほ下村氏は,いかにしてそれを可能ならしめようとしているのか。必ずし も明示されているわけではないが,下村氏ほ,西田哲学的な立場から従来の「精神史的思 想史」を改作し,修正することによってそれが可能になる,と考えているように思われる。 そのことほ,例えば前述の「科学論の方法」のなかで科学のもつ「主観的にして客観的」 な性格について,. 「構成即ち所産,被制約即自発性,生成即形成として考察さるべきこと が要求される」と述べていることや,この書物のなかで西田哲学に言及している諸文章か らもうかがいうるであろう。そして,西田哲学の(とくに後期の)目標ほ,まさしくここ で下村氏のいう観念論的立場と唯物論的立場の「総合」,すなわち両者を止場した「第三 の立場」の理論的構築にあったわけであるから,下村氏がそのなかに前述のような意味で の「精神史的思想史」再構成の手がかりを求めようとしたのも,あながち理由のないこと でほない。. しかし,そうだとすれば,哲学的・理論的には,西田哲学における観念論と唯物論の 「総合」なるものがいかなる内容と性格のものなのか,はたしてそれは「総合」の名に値 するものなのか,といった問題がさらに問われねばならないであろう。私も思想史的な研 究を進めてゆきながら,私なりにこの問題を再検討してみなくてはならないと思った0. 本人の産み出した最初の独創的な哲学思想ということで,以前から西田哲学に関Jbをもっ てほいたのだが,とくにマルクス主義哲学とのかかわり方においてこの哲学のもつ問題性 をみなおしてみょうと考え,いくつかの論文を書いてみたのも,一つほこうした問題意識 からのことであったo西田哲学における観念論と唯物論の「総合」の試みは,それ自身意義 ある試みであり,数々の注目すべき着想を含むものではあるが,結果として成功していい とほいえず,なお多くの問題点を含むものである,というのがこの問題に対する今ののと ころの私の暫定的結論である。だが,ここでこの問題に立ち入ると主題からはずれてしま うおそれがあるので,それは別の機会に譲り下村氏における精神史の方法の問題に立ちか えることにしょう。この点だけにかぎってみても,そこにはなお検討を要する問題点がい くつか含まれているように思われる.まず第一に,下村氏ほここで認識論的方法の哲学的 前提をなすものほ観念論であり,社会科学的方法の前提をなすものほ唯物論であるとして いるが,はたしてそう割り切れるものだろうか。むろん,下村氏もそう簡単に短絡させて いるわけではなく, 「究極的には」ということではあるが,それにしても実際には唯物論 哲学の立場からの認識論的考察というものも存在するし,必ずしも唯物論哲学の立場を前. 日.

(9) 思想史研究における科学と哲学. 35. 提としていない社会科学的考察というものも存在しているわけである。そもそも観念論と か唯物論という立場そのものが,いちおう意識と存在,精神と物質の相対的な区別を前提 とした上であらためて両者の根本的な関係を問いなおすことによって成立してきたもので ある。そうだとすれば,むしろ唯物論にとってほ意識の問題をその立場からどう解明して いくかということが,道軒こ観念論にとってほ自然や社会のもつ物質的客観性の問題をどう 処理していくかということが,理論的には最もシリアスな,不可避的な問題点として浮び 上がってこざるをえないことになろう。実際にそのような努力ほさまぎまな形で行われて. きているのである,こうした見地からみて,下村氏の前述のような見解は,いわゆる認識 論的方法といわゆる社会科学的方法との異質性や一面性を強調するあまり,両者の性格お よびそれぞれの哲学的前提のとらえ方において,一種の基底還元主義的な見方に傾いてい るいえるのではなかろうか。少くともそれらの方法とそれぞれの哲学的前提との関係につ いてほ,なお検討を要する多くの問題点が含まれているといわなければなるまい。 次に,いま述べたような問題紅関連することであるが,氏のいうところの認論論的方法 と社会科学的方法が,氏のいうところの精神史的方法のなかでどのような形で「総合」さ れていくのか,といった問題も十分明らかにされているとはいえないであろう。両者の異 質性や一面性が強調されているわりには,そうした異質的なものが実際にどのような形で 結びつけられていくのか,といった問題はあまり突込んで考察されていない。そのために, 社会科学的方法を組み込むという志向は示されてもいても,実際にどんな形で組み込まれ ていくのか,といった問題ほあまりはっきりしない。したがってまた,氏のいうところの. 精神史とか客観的精神なるものが,従来の--ゲル・ディルタイ洗の精神史や客観的精神 の考え方と,どのような区別と連関をもつものであるか,というような点もあまりほっき りしない。言うまでもなく,. --ゲルやディルタイの精神史的方法の前挺とする哲学的立 場ほ,ふつう「客観的観念論」とよほれるところのものである。そうだとすれば,下村氏 の精神史的方法の予想する哲学的立場なるものは,いったいどういう性格のものなのか。 へ-ゲルやディルタイとは異っているにしても,精神史とか客観的精神というかぎり,哲 学的にほやはり「客観的観念論」のカテゴリーに属するものといってよいものなのだろう か。もしそうだとすれば,観念論と唯物論の総合をめざすといっても,唯物論者からみれ ば,やはり観念論的な立場の一種ということになるのではないか。逆に,もし客観的観念 論をこ属するものではないというのであれば,とくに精神史とか客観的精神という言葉を用 いる根拠はどこにあるのか。下村氏の志向は理解しうるにしても,その内容に関してほ, こうした疑問が次々に湧いてくるのを禁じえない。そして,それらの疑問を解明していく た捌こほ,根本的にほ,下村氏の志向しているところの精神史において,意識と存在,精 神的事実と社会的事実の連関構造ほいかにとらえらるべきものなのか,という問題を,私 なりに検討しなおしてみるはかない,ということになろう。 以上のような見地から,私は,さし当り下村氏を通して学びとった精神史的な観点と方法 によって科学や哲学についての思想史的な研究を進めながら,こうした方法論的ないし哲 学的な問題についての再検討を行なっていった.そして,そうした歩みのなかで,まもな.

(10) 36. 古. 光. 田. く丸山氏の諸著作に接し,それらから新たな刺激と示唆を受けることになったのである。 ⅠⅠⅠ. 先にもふれたように,私が思想史研究の場に足を踏み入れていった背景にほ,それまで のわが国における哲学研究のあり方に対する不満があり,反省があった。つまり,第二次 大戦における敗戦ほ,総じてそれまでのわが国における学問研究のあり方に対する,とく にそれが現実の思想や社会の動きに対する批判性や指導性を欠いていたことに対する反省 の気運をよびおこしてきていた。そしてまた,そうした欠陥や弱点が生みだされてきたの ほ,一つにほ,哲学をも含めて,総じてそれまでの日本における学問のあり方が,西欧の 学問研究の成果を輸入し,検討することにのみ精力を費し,それを私たち自身がそのなか で生きている思想的・文化的・社会的な現実との関係においてとらえなおし,きたえなお していこうとする姿勢と努力に欠けてからでほないか,といった自己批判の声も現われて きていた。私たちほ,たんに西洋近代の学問の成果を学ぶだけでほなく,もっと私たち自 身がそのなかで生きる日本の思想文化社会のあり方,その歴史的な構造や特質についての 研究を進め,理解を深めなければならない.私の思想史に対する関Jbの根底には,そうし た反省や志向も含まれていた。つまり,たんに西欧における学問や文化のあり方について ばかりでなく,日本におけるそれらのあり方についての反省を行ない,それを通してその 進むべき方向や課題をさゃってみたい,という要求も含まれていたのであるo 私が学んだ下村氏の精神史的思想史の視野のなかにもすでにそうした問題意識ほ含まれ ていたし,また前述のように日本における学問や文化のあり方を対象とする精神史的な研 究としては和辻哲郎,村岡典嗣らによる先駆的な業績もあり,そのいくつかにほ私もすで に目を通してほいた。しかし,哲学を中心に,近代日本における学問や思想のあり方を根 本的に再検討してみたいと考えていた,当時の私にとってほ,それらほ直接の手がかりと はなりにくいものであった.また,政戦とともに従来の天皇制国家体制を分析し,批判す る論文もさかんに発表されだしていた。しかし,それらのほとんどは,マルクス主義の立 場からの,それも経済や政治の構造に対する分析であり,批判であった。そうしたなかで 私ほたまたま丸山真男氏の「超国家主義の論理と心理」. (『世界』1946. ・. 5,. 『現代政治の思想と. 行動』 1956-57,所収)と題する論文を読み,はじめて私の問題意識に対応する考察にぶっ. かったという感じを受けた。この論文は,これまでの天皇制国家体制を内側から支えてき た精神構造,思想構造を主題として取りあげ,これまでのマルクス主義的な立場からのも のとはやや異った手法で,それをあざやかに分析し,きびしい批判を加えていたからであ る。ここで丸山氏が取りあげているのほ,これまでの大多数の日本人の意識や思想をその なかに組み入れ,学問や芸術や宗教といった本来国家を超越した性格をもっているはずの ものをもそのなかに巻き込みながら清々としてファシズムと戦争の方向に突き進んでいっ た,総体としての天皇制ナショナリズムの精神構造とその特質という問題である。これこ そまさしく私がひそかにその解明を志向していた問題,すなわち近代日本における「時代 精神」ないし「客観的精神」なるものの構造とその特質という問題と基本的に同一のもの.

(11) 37. 思想史研究における科学と哲学. であり,直接につながるものではないか,という印象を私は受けたのである。このとき以 莱,私ほ丸山氏の著作の熱心な読者の一人となり,戦前の『国家学会雑誌』などに発表さ れた論文まで,図書館から借り出してきて読んだ。その後に丸山氏が発表した主な著作と 『日本の思 しては, 『日本政治思想史研究』(1952), 『現代政治の思想と行動』 (1956-57) 想』 (1961)などがあげられよう。. 丸山氏の思想史研究から私が学びえたものは数多いが,ここでほ方法論的な問題に限定 してふり返ってみよう。いったい,方法論的にみて,丸山氏の思想史研究ほ,いかなるタ. イプに属するものであろうか。こうした点について,氏自身はまだ明らさまには語ってい ない。だが,氏のさまざまな所説から推定してみると,先にふれた「思想史の考え方につ いて」という講演において,氏自身がこれまでの思想史の三つのタイプとしてあげている もののなかセは,大まかにいって(c)のタイプ,すなわちドイツ流の「時代精神ないし時代 思潮の歴史」を考察しょうとするタイプに属するものといってよいではなかろうかoこの 講演のなかで,丸山氏は,この(c)のタイプに属する思想史の実例として,まずディルタイ の精神史(Geistesgescbichte)をあげているが,それだけではなく,さらにそれから分岐 して出てきた二つの重要な流れをもあげている。一つは歴史学から出てきたマイネッケ (F. Meinecke)の理念史(Ideengeschte)にいたる流れであり,もう一つはマンハイム (H・ Freyer)らの知識社会学 Scheler),フライヤ(a. Manheim),シュ-ラー(M.. ないし文化社会学にいたる流れである。そして,とくにこの知識社会学についてほ,それ が「マルクスのイデオpギ-論から今日的な刺激を受け」て,これを「深く追求した」こ とが「思想史の方法の上にさまざまな示唆を与えた」ことを強調している。また,. 『日本. 政治思想史研究』の「あとがき」のなかでは,とくに示唆を受けた西欧の社会科学者とし て,ヴェ-バー(M.. Borkenau)とならんで,このマイ-イ. Weber),ボルケナウ(F.. ムの名をあげている。このような点からみても,丸山氏の思想史研究は,大まかにいって. (。)のタイプに属するものであり,そのなかでもとくに広義の知識社会学的な流れに属する ものとみてよいように思われるo. ところで,これらの広義の知識社会学的な流れに属する人びとは,いずれもマルクス主 義の唯物史観やイデオロギー論からの刺激と影響のもとに,いわゆる思想の「存在被制約 性」 (下村氏のいう「社会的制約性」)というモメソトを重視し,そうした見地からいわゆ. る「社会科学的方法」によって思想ないし思想史を考察し,研究しょうとした人びとであ ●. ●. ●. ●. る。しかしまた,かれらほいずれも(基本的にマルクス主義の立場に立つボルケナウをも 「上部構造」としての思想 含めて),いわゆる「反映論」にもとづいて,意識を存在から, をその「土台」たる物質的生産様式から,直接的に演鐸するような方法を取ろうとほして いない。なんらかの形で意識(「上部構造」)の社会的存在(「土台」)からの相対的な独立性を 認めるとともに,ある時代,ある階級の思考様式といったものを両者を媒介する中間項と してとらえ,そこからさまざまな観念形態を分析するような方法を取り,そうした方法を みがきあげようと試みている。そのような形で,いわゆる唯物史観的思想史の陥りがちな 平板さ,基底還元主義的な一面性を克服しょうとしているのであるo丸山氏もまたこのよ.

(12) 38. 古. 田. 光. うな志向を共有していることは,例えば次のような言葉からもうかがいうるであろう。 よそ思想史の方法において単なる『反映論』に陥らずいわゆる下部構造と上部構造の関連 を具体的に解明して行くことほ最も困難な問題であり, ---・思想の内在的な自己運動の 抽象的な否定でなく,そうした自己運動を具体的普遍たる全社会体系の変動のモメソトと ●. ●. ●. して積極的に把える努力を試みない限り,思想史的研究と社会史的研究とほ徒らに相交わ らぬ平行線を措くのみであろう。」 (同上「あとがき」)むろん,こうした志向が,丸山氏をも 含めて,かれらの著作においてはたして実現されえているかどうかということ紘,検討を 要する問題であろう。だが,この派の人びとが取り組んできたような問題が今日の思想史 研究者にとってもなお重要な問題であり続けていることは,否定しえないであろう。 こうした志向を内包する丸山氏の諸著作を読むことを通して,私ほ,その背後にある広 義の知識社会学的な流れに属する人びとのもつ,方法論的な問題意識のもつ重要性に目を 開かれていった。また,さらにその背後にあるマルクスの唯物史観やイデオロギー論のも つ重要性と問題性にも目を開かれていった。そして,先に下村氏が精神史的思想史の課題 として授示していたような問題,つまり,. 「認識論的方法」と「社会科学的方法」の総合と. いうような問題が,いかに複雑で困類な問題点を含むものであるか,ということにもしだ いに気づかされていったのである。それでは,この広義の知識社会学的思想史ないし「社 会科学」的思想史のもつ方法論的な意義や問題性ほどういう点に見い出されるであろうか。 まず--ゲル・ディルタイ流の精神史的思想史との対比において考えてみようoこうした 見地からみて,まず第一にあげられることは,この派の人びとが,歴史的・人間的・意識 的な諸事実というものを,たんにその外側からでほなく,その内側からとらえようとし, また,たんに個々ばらばらなものとしてでほなく,ある全体的なまとまりをもったものと してとらえようとしていることであろう。そうした点において,この派の観点や方法ほ,. いわゆる自然科学的・実証主義的なそれとほほっきり対立し, --ゲル・ディルタイ流の それを,少なくともそれ-の志向を継承している。しかし,こうした志向をどのような方 法で実現していくべきかという点についてほ,この沢の人びとほ,いずれも--ゲル.デ. イルタイ流のやり方をなお独断的かつ主観的なものとして批判し,なんらかの形で「社会 科学的方法」を導入することによって,それをより実証的かつ客観的なものに改作してい こうとするのである。まさしくこの点にこの派のもつ方法論的な意義と問題性を見出すこ とができよう。ところで,それほどのような形をとって行われたであろうか。まずヴェー. I(-やマン-イムの場合について検討してみよう. 先にふれたように,ディルタイは,精神史ないし精神科学というものほ,歴史における 人間の思想や行動の「意味」を理解しょうとする試みであって,そうした理解を体系化 し,全体化していくことによって,. --ゲルが「時代精神」ないし「客観的精神」とよん だものの科学的な把握にいたることができると考えていた.言いかえれば,こうした「精 神科学的方法」を取ることによって,. --ゲルのような「思弁的・形而上学的方法」のも つ独断性を克服しうると考えていたのである。その場合,ディルタイが,そうした「理 解」の基礎にすえていた、ものほ,かれが「追体験」とよぶ一種の心理的な共感関係であっ. 「お.

(13) 思想史研究における科学と哲学. 39. た。かれは,認識主体としての研究者は,これによって,先人または他者の思想や行動の 意味を直観的に理解しうるし,それにもとづいてその時代の意味体系を全体的に理解しう ると信じていた。ヴェ-バーも,そうした「追体験」による直観的な理解が,ある思想や 行動を理解するための基礎となることは承認する。しかし,かれは,そうした体験的直観 にもとづく知識ほ,それだけでほやはり主観性を免れえないものであって,それが客観性 を獲得するた捌こは,悟性による概念的な再構成の手続きを必要とする,と考えるのであ る。なぜなら,ある思想や行動というものはつねにある客観的な脈絡のなかで,しかもあ. る程度経験的に検証しうる「因果連関」のなかで生起してくるものであって,そうした客 観的な脈絡を理解するためにはなんらかの概念的思考を必要とするからであるoまたそう した手続きによってチェックされなくてほ,体験的直観による知識は主観性を免れえない ものだかからである。ヴェーバーが「理念型」. (Idealtypus)とよんでいるものほ,こう. した理論的構成ないし因果的説明を可能ならしめるために考察された,一つの概念的な構 成物(今日いうところのモデル〔Model〕)にほかならない。そして・ウニー/;一によれば, これまで歴史や社会についての理論とよばれてきたものは,すべてこうした理念型の一種 とみなされるべきものなのである。したがって,マルクスの唯物史観なるものも,そうし た理念型の一種としてとらえなおされることになる.かれによれば,マルクスは因果の連 関を経済的因子から精神的因子-とたどっていったのであり,それほそれなりの説明価値 をもっているが,これを道の方向にたどることを可能であり,さらに別の見方を取ること も可能なのである。それぞれの方法ほひとしく可能であるが,そのうちのどれかがすべて. を尽くすわ桝こはいかない。ただ,それらの方法によってとらえられたきまざまな因果連 関を相互に結びつけていくことによって,歴史のより客観的・全体的な理解にさらに接近 していくことは可能であろう,とヴュ-′ミーほみるoこのようにして,ヴューバーほ,塞. 本的にはディルタイ的な「理解」の立場を継承しながら,唯物史観をも歴史理解のための 「理解」の方法のなかにいわゆる「社 一つの発見的原理として相対化することを通して, ●. ●. ●. 会科学的方法」を拒み入れ,それによってこの方法ををより客観化していこうとした。こ うした志向のもとに成立したのが,いわゆる「理解社会学的方法」にはかならないo しかし,ここで見のがしてはならないのほ,こうしたヴューバーの方法論的考察が,汁 っしてたんにディルタイ流の精神史的思想史の方法をより客観的なものに精錬していった というだけのものではなく,そうした立場そのものの成立根拠にまで認識論的・原理的な 反省の限をむけ,そこにひそむ哲学的問題点をくっきりと浮びあがらせる役割をもはたし ている,という点であろう。ヴェ-,;-がデイルタイ流の精神史的思想史にあきたりなさ. を感じたのほ,それが歴史の客観的・全体的な理解を志向していながら・そうした理解の 成立根拠を体験的・直観的なものだけに求めているために,結局,内在的でほあっても,主 観的・部分的な理解に止まることを免れえない,という点にあったoそうであればこそ, 個々の意識や思想にとって外在的・超越的なもの(社会的・物質的なもの)のもつ重要性を認. め,それとの相互関係(相互限定の関係)において意識や思想のあり方をとらえなおそうと する悟性的な手続きを導入しなければならないことを強調したのであったoしかし・その.

(14) 40. 古. 田. 光. ような反省は・たんに思想史研究の客体としての思想や理論のあり方についてだけでほな く,その主体である研究者自身の思想や理論のあり方についても向けられるべきものであ ろうoなぜなら,研究者自身の思想や理論も,研究者の主観的構成の産物であると同時に 全体としての歴史の客観的な産物であり,特定の社会的・物質的な条件によって制約され ている(「存在被制約性」をもつ)ものであることは明らかだからである.ヴェ-バー自身も, このことはほっきり意識していた。そして・かれの場合には,こうした主観と客観,意識 と存在,知識と現実との動的・循環的な連関構造をはっきり承認するとともに,自覚的・ 積極的にこの循環のなかに入り込んでいこうとするのである。つまり,学問的研究の場に おいては・それが完全に客観的・全体的でほありえないことを自覚しながら,できるだけ 先入見(「価値判断」)を排除して客観的・全体的な知識をえようとつとめ,実践的選択の場 においてほ,それが理論的にほ完全に基礎づけえないものであることを自覚しながら,自 己の倫理的感覚にもとづく選択に情熱をこめて固執しようとするのである。言いかえれ ば・認識と行動の主体としての人間ほ,もし独断的でも逃避的でもあろうとしないなら ば・かれ自身がそのなかに生きている現実の総体に対してこのような態度を取るはかな い,というのがヴューバーの哲学なのであるoこうした問題意識や見解は,基本的には, マンハイムにおいても継承されている。かれもまた,マルクスのイデオロギー論を,すべ ての思考や知識のもつ存在被制約性をするどく指摘し,それらをたんに自己完結的なもの としてでほなく,それを外在的・超越的なもの,社会的・全体的なものとの関係において, 「社会学的」にとらえなおす道を開いたという点で,高く評価する。しかし,かれは,マ ルクス主義のイデオロギー論における意識の存在被制約性のとらえ方は,それをたんに階 級的利害関係による制約としてとらえているかぎり,なお一面的なものであると考え,そ れをもっと全面的にとらえなおし,マルクス主義をもーつの部分的・相対的なイデオロギ ーとしてとらえなおすことが必要である,と主張する.つまり,意識や思想のもつ存在被 制約性についての理論的自覚を深め,それらの部分性,相対性を明らかにしていくことを 媒介として,それらをより全体的・総合的にとらえなおしていこう,というのである。こ うした志向にもとづいて形成されたのが,いわゆる「知識社会学」である.。しかし,そう した志向にもかかわらず,その企てほ,現実にほこうした総合の担い手を「社会的に浮動 する自由なインテリゲンチャ」に求めることによって,それ自体,インテリゲンチャの存 在被制約性に依存する部分的イデオロギーに還元されてしまう結果に終った.しかし,忠 想や理論の部分性,相対性-の自覚を深めることを通して,全体的・総合的なものへの展 望をきり開いていこうとする志向そのものほ,明らかにヴューバーの志向を継承し,展開 させようとしたものといえるであろう。. そして・こうしたダニ-バー・マン-イム流の問題意識や志向は,明らかに丸山氏の考 え方のなかにも見い出しうるように思われるo例えば,丸山氏ほ先にあげた講浜のなかで, 思想史の研究というものについて,次のように語っているo一思想史ほ,思想論(歴史. 的思想を素材として自分の哲学を展開すること)と一般の歴史叙述(事実史)とのちょうど中間. に笹するものであるoなぜなら,思想史家の仕事というものは,歴史的に形成された思想.

(15) 41. 思想史研究における科学と哲学. のいわば「追創造」. (nachsch6fen)だからである.その意味で,音楽における演奏家の. 仕事に似ているこ「もちろんおよそ歴史一般においても,歴史叙述老による主体的構成の 契機を全く排除した『実証』主義というものほ実際にはありえません。出来事としての歴 史ではない叙述された歴史にほ多かれ少なかれ必ず資料の主体的なコンストラクションと いうものが入っているわけです。しかし思想史においてこの実機は,決定的に大きな意味 をもつo」だから「事実にだけ-ばりつくということにだけ閑}むがある人は思想史に向き ませんo」しかしまたこれと反対に「資料による客観的な制約,歴史的な対象それ自身に ょって枠をほめられることの厳しさに耐えられないところの『ロマンチスト』や『独創』 「思想史家の抱負なり野心というも 思想家もまた思想史家に向きません。」言いかえれば, のは,歴史のなかに埋没するにほあまり高慢であり,歴史離れをするにほあまりに謙虚な ものであります。」 「歴史によって自分が拘束されることと,歴史的対象に自分が働きかけ ることとのいわば弁証法的な緊張を通じて過去の思想を再現する。このことが思想史の本 来の課題であり,またおもしろさの源泉である。」 -. ここに示されているように,丸山氏は,思想史の研究というものを,研究主体である自 己と研究対象である「過去の思想」慶,るいは「歴史」との「弁証法的な緊張」を通じての 「再創造」としてとらえている.言いかえれば,自己と歴史,自己の主観的構成と歴史に ょる客観的制約との「弁証法的な緊張」を通じての歴史の再創造(一種の「総合」)の試みと してとらえているo. こうしたとらえ方は,明らかに,先にあげたヴェーバーやマンハイム. における思想してとらえて史またほ歴史の研究のとらえ方につながるものといえるであろ ぅ。丸山氏もまた,ヴェ-バのごとく,またマン-イムのごとく,思想史または歴史の研. 究そのものを,思想史または歴史における人間と歴史との動的・循環的な相互限定の作用 として,またその創造的な総合をめざす試みとしてとらえているからであるo思想史(普 たは歴史)の哲学的基礎づけというものがもし成り立ちうるとすれば,それはこうした歴. 史と人間(またほ存在と意識)の動的・循還的な相互限定から離れることによってではなく, そのなかに自分自身も積極的に入り込みながら,そうした相互限定作用そのもののもつ構 造や意味をいっそうはっきりと理論的に自覚化していく仕事としてのみ成り立ちうるであ ろう。思想史研究の根底にひそんでいる方法論的・原理的な問題に関して・私が丸山氏の. 諸著作から,またその背後にある広義の知識社会学的な流れに属する人びとの仕事から学 びえた最大のことほ,結局,以上のようなことであった。しかし,哲学的な視角からみれ ば,そこにほなお多くの検討すべき問題点が含まれているoそうした点について,なお若 干の考察をつけ加えておきたい。 ⅠⅤ. 前述のように,丸山氏は,思想史の本来の課題というものを,研究者が,. 「資料による. 客観的制約」を受けながら,それらの資料に「主体的な構成」を加えることによって,過 去の思想を「再現」またほ「再創造」するところに見い出している。言いかえれば,思想 史研究という仕事を,そういう意味での「客観的制約」と「主体的構成」という二つのモ.

(16) 42. 古. 田. 光. メソトを含み,両者のいわば「弁証法的な総合」をめざす仕事としてとらえている。こう した見解が,ニュアンスの差ほあるにしても,基本的にはヴェ-バーらの見解につなが り・ドイツ流の精神史的思想史の流れを汲むものであることは明らかであろう。だが,管 学的には・問題ほまさにこの「弁証法的な総合」なるものがはたして可能であるか,もし 可能だとすればいかなる構造においてか,といった点にあろう。もともとこの問題は,さ まざまな歴史的事実のもつ意味を全体的・総合的に理解しようとする--ゲル哲学の志向 を継承しながら,. --ゲル流の「総合」の仕方の形而上学的独断性を批判し,これをより 実証的・合理的な,その意味で「科学的」な仕方で達成しようとしてきた,ドイツ流の精 神史的思想史の系譜に属する人びとにとってほ,ディルタイ以来の哲学的課題であった し,今なお必ずしも解明されているとほいえない問題だからである。. ところで,こうした観点からふりかえってみると,丸山氏やヴューバーによる思想史研 究または歴史研究のあり方についての誠実な自己反省は,かえってこうした問題の解明が いかに困難であるか,ということを示しているように思われる。例えばヴューバーの場 令,かれが「社会科学的方法」によって思想史またほ歴史をとらえようとしたのほ,それ によってディルタイ流の「精神科学的方法」のもつ直観主義的主観性を克服しょうとした からであったoところが,かれの見るところでほ,この「社会科学的方法」なるものもや はり意識による歴史の「主体的構成」の方法なのであって,これによって得られる知識と いうものも,ある程度客観的なデータによる修正が可能であるにもせよ,そこから主観 的・非合理的な要素やそれにもとづく偏角を完全に取り除くということは,原理的に不可 能なのである。つまり,. 「社会科学的方法」によって得られる歴史的世界に関する知識と. いうものほ,けっして--ゲル哲学におけるような「絶対知」に到達することほできない のであるo言いかえれば,歴史的世界についての全体的・総合的な理解,その意味での全 体と部分,絶対と相対,主体と客体との「弁証法的な総合」にほ到達しえないのである。 ヴェ-バーは,こうした見地から,私たちにできること,なすべきことほ,私たちがこう した状況におかれていることをはっきりと自覚し,理論の上ではできるだけ独断を避軌 実践の上ではあえて独断を選んでいくはかない,という。こうした点からみて,ヤスパー ス(K・. Yaspers)がかれのなかに実存主義者の原型を見い出しているのも,あながち理由. のないことでほない。逆にいえば,実存主義の哲学もまた,こうした学問史的・思想史的 な状況のなかから産み出されてきたものなのである。 このようにヴューバーにおける哲学的な自己反省は,ある面でほ,むしろ歴史的現実の 総体に対して私たちのもちうる知識が部分性・相対性を免れえないものであり,またその 内部における主体と客体,思考と存在といった二元的対立が抜きがたいものであること を,私たちに示すものであるoだが,私たちほ,こうした考え方を全面的に受け入れるはか ないのだろうか。かれの考えのなかにほ,それをさらに徹底的に推し進めていくならば, 逆にこうした考え方そのものを内側から乗り越えうるようなキメソトも含まれているので ほなかろうか。例えば,ヴューバーは次のように述べている。. 「世界の出来事をどれほど 完全に研究しても,われわれにその意味を解説することができるわけのものではなく,む.

(17) 43. 思想史研究における科学と哲学. (Ges∂Ⅱ1melteAu-. しろわれわれほその意味をみずから創造しうるのでなければならない0) fs云tze. zur. wissenschftslenre,. S.. 154.. 〔岩波文庫版『社会科学方法論』21頁〕) 「いっさいの文化. の先験的条件ほ,われわれがしかじかの文化を価値ありとみなすということでほなく,め れわれが世界に対して意識的に態度を決定し,これにある意味を与える能力をそなえた 『文化人』 (Kulturmenscb)であるという事実である。」. (Ibid・ S・. 181,. 〔岩波文庫駄59頁〕). 「人間を動かす文化の諸問題は,つねに新たに異なった様相のもとに立てられ,したがっ て,個性的なものの無限な流れのなかでわれわれにとって意味と意義を受け取り,一個の. 歴史的個体となるものの範囲はつねに淀動的であって,それは,そうした歴史的個体が科 学の対象として考察され定立されることになる思考の連関が流動的なのと同様である。」 (ibid. S. 183. 〔岩波文庫版, 65貢〕). ここでヴューバーが述べているのは,全体としての歴史の脈絡やその意味といったもの 紘,出来事としての歴史のなかにあらかじめ存在しているようなものでほなく,むしろ私 たち自身がそれを主体的に構成し,創造しなければならないような性質のものだ,という ことである.たしかにその通りであろう。だが,反面では,ヴェ-バーも認めているよう. に,そうした意識の主体的な活動そのものも,全体としての歴史のなかに一つの出来事と して組み込まれているのである。意識の「存在被制約性」とか「イデオロギー性」とよば れていることも,根本的にほ,こうした意識の「歴史内在性」に由来するものといえよう。 このことほ,一面において,私たちの意識や知識のあり方に歴史的・客観的な制約を与え, 部分性,相対性,流動性といった性格を与えることになるoだが,他面では,全体として の現実的な歴史の場のなかで,私たちが私たち自身の意識や知識の偏よりや誤まりを検証 このように,ヴューバーにおい し,修正していく可能性をも与えてくれているのであるo ては,歴史と知識あるいは歴史における主体と客体との関係は,一種の循環関係にあるも のとしてとらえられている。つまり,全体として歴史についての私たちの知識ほ,それ自. 体としては主観的・相対的であることを免れえないものでほあるが,同時に,歴史そのも のの一つの産物として,具体的な歴史の場においてその客観性や真理性を絶えず検証し, 修正しなおされるべきものであり,それを通して絶えず自己の限界を乗り越えていくべき ものなのである。しかし,もしそうだとすれば,ここで指摘されているような歴史と私た ちの知識とのあいだの一種の循環関係は,必ずしもヴェ-,:-の場合のように一種の悪循 環としてほなく, --ゲルとほ異った意味においてではあるが,やはり真理の自己実現軒こ むかっての一種の「弁証法的な生成」のプロセスとしてとらえなおしうるものであり,普 たとらえなおすべきものだ,といえるのではなかろうか。なぜなら,歴史がそうした意味. での知識の創造と検証の場であるということは,言いかえれば,歴史というものがたんに 客体的なものではなく,そうした主体的なモメソトを本質的に含んだ,自己創造的・自己 理解的なプロセスであるということを意味するからであるoまた,歴史を理解しようとす る私たちの知的活動も,そうした歴史そのものの創造的自覚のプロセスとして,. -たんに主. 観的・相対的なものでほなく,ある種の客観性,絶対性を含んだものであるということを 意味するからである.そしてまた,ヴェーバーに見い出きれるよう7i:二元論的・相対主義.

(18) 44. 田. 古. 光. 的な考え方を乗り越えるということも,そうした考え方をさらに推し進めていくことによ ってのみ可能なのでほないか!と考えられるからである。 このように,いわゆる「社会科学的方法」をもそのなかに組み入れながら,思想史研究 の方法論的・認識論的な基礎を確立していくことは,従来の新カント派的な認識論あるい. はその単純な裏返しとしての「反映論」な認識論の枠組みのなかでは不可能なことであっ て・歴史的・弁証法的な見地から従来の認識論の枠組みそのものを根本的に組み変えてい く作業が必要なのであるo言いかえれば,全体としての歴史の脈絡とか意味といったもの 杏,たんに事実として存在するものとしてではなく,私たちの意識的な問いかけを通して, 歴史的に生成し,顧現してくるものとしてとらえなおすことが必要なのであるoその意味 でほ,私たちほ,もう一度--ゲルにもどって歴史と知識または歴史における主体と客体 との関係を考えなおしてみなければならないoしかし, --ゲルほ,結局,歴史と理性の一 致ということをア・プリオリに前提した上で,全体としての歴史を思弁的に再構成してみ せるにとどまった。前述のように,今日の思想史研究ほ,なんらかの形で思想史学をそう した独断的・形而上学的な性格から脱却させようとする努力としてほじまったものなのだ から,その意味では,私たちはもはや単純に--ゲルにもどるわ桝こはいかない.とすれ ば,私たちに必要なことほ,. --ゲル哲学からその独断的・形而上学的な性格を排除しな がら,諸科学との関連において,その歴史的・弁証法的な真理観を再生させうる道をさく.. りなおしてみることでほあるまいか.言いかえれば,. --ゲル哲学の批判的再検討を通し て,思想史研究における科学と哲学の関係を再検討することが必要なのではあるまいか。 こうした見地から--ゲル哲学への関心を強めていった私ほ,たまたま友人と会読した Klassen bewusstsein, ルカ-チの『歴史と階級意識』 (G・ Lukまcs, Geschichte und 1923) からきわめて大きな刺激と示唆を与えられた.この書物ほ,基本的にはマルクス主義の立. 場に立つものであるが,内容的にほ,マルクスの--ゲル批判を手がかりとしながら,. -. -ゲル・ディルタイ流の精神史的思想史の方法をマルクス主義的な立場から再構成してみ ようとする意図を含んだものであり,またそれを通して唯物史観に対する従来の客観主義 的・決定論なとらえ方を斥け,これに新しい解釈を与えようと試みたものである。こうし た試みが,この書物のなかで十分に成功しているかどうかは別として,私はほそうしたル カ-チの問題意識のなかに,前述のような私の問題意識と共通のものを読みとり,大きな 刺激と示唆を与えられたのであったoこの書物に対する私のこのような受け取り方ほ,必 ずしもたんをこ慈意的なものではなかったようである.例えば,後にメルロ=ボンティの 『弁証法の冒険』(M・. Merlenr-Ponty,. Les. Adventures. de. 】a Dialectque,. 1955)を読んだと き・かれがまったく同じような視角からこの書物の意義と問題性をとらえていることを知 ったoかれほ,この『冒険』のなかで,とくにその第1章,第2章において,こうした視角 からヴューバーの仕事とルカーチの仕事の内面的な連関と相違に注目し,その解明につと めているのであるoたしかにルカーチのこの書物のなかにほ,マルクスからの影響ととも に,ヴェ-バーやジンメル(G・. Simmel)からの影響も,かなり色濃く見い出される。こ. れも後から知ったことであるが,実際にルカ-チはかつていわゆる「ヴェ-バー.クライ.

(19) 思想史研究における科学と哲学 -ともかく ス」の一員であり,両者のあいだには相互的な影響関係があったのであるo 私はルカーチのこの書物から刺激を受けてかれの他の諸著作を読み,あらためて私なりに. へ_ゲルとマルクスの関係を吟味しなおしてみなければならないと感じるようになった。 また,思想史研究における科学と哲学の関係という問題についてほ,この初期ルカ-チの 観点や方法を受け継ぎながら,それをさらに理論的に精密化しょうと試みている,ゴルド マン(L.. Goldmann)の諸著作からも啓発されるところ大であった。それらの仕事を手が. かりとしながら,前述のような問題に対して,なんとか私なりの見解をまとめてみたい, というのが私のひそかな念頃である.この小論は,そのための一つの中間報告として受け 取っていただければ幸いである。. 45.

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