Posted at the Institutional Resources for Unique Collection and Academic Archives at Tokyo Dental College, Available from http://ir.tdc.ac.jp/
Title
「かたちを捉えるということ」
Author(s)
橋本, 貞充
Journal
歯科学報, 115(4): 4i-4i
URL
http://hdl.handle.net/10130/3719
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「かたちを捉えるということ」
橋 本 貞 充
確かなのは,億兆もの生きた細胞の集まりが組織や器官をかたちづくり,統合された意識によっ て,ひとりの自分がここにいる,ということ。細胞の中で,日々,無数の物質が代謝・産生され,数 えきれないほどの細胞が生まれ,組織が新生し,そして,それに見合うだけの数多くの細胞たちが, みずから細胞死を選んでいく。大脳皮質のニューロンでさえその例外ではなく,それでも,生きてい る限り,自分の意識は統合され,ひとりの人間として存在し続ける,という感覚。 細胞形態学の研究は,この Live な細胞の動きや変化を,いかにあるがままのかたちとして捉え, 一枚の写真,一編の動画にとどめるかを考えるもの。確かに,ホルマリンで固定すれば,綺麗な組織 像が得られるが,それはマリネ液に漬けられた小魚。蛍光タンパクを遺伝子導入した実験から明らか になる事実は,新奇な知見を与えるが,これさえも,ナチュラルやありのままからは,遠い。 液体ヘリウムで絶対零度近くまで冷却した純銅ブロックに,生きたままの組織を圧着し急速に凍結 することで,生理的な細胞の動きを一瞬のうちに固定し,その形態を完璧に保持することができるが, それさえも,ごく表層のほんのわずかな細胞のみでのこと。組織全体を観ることは及びもつかない。 幾多の困難を乗り越え,あるがままの姿に近い美しい画像を,いかに手に入れるか。それが細胞形 態学の醍醐味。 その組織観察の基本となるのが,アカミノキとよばれる中米原産の常緑樹の幹の芯から抽出された ヘマトキシリンと,合成色素のエオジンによる H-E 染色。発表から150年の歴史を持ち,細胞や組織 構造を観察するための組織・病理学の基本。今も日常的に用いられ,何もかわらないという事実。 一枚のプレパラートは,バーチャルスライドシステムのなかで,倍率の異なる対物レンズを通して XY 軸方向に全面が連続撮影され,Z軸方向のデータが加えられることで,薄切された組織切片は, 厚みを持つ高精細なデジタルデータとなる。そして,蛍光標識された細胞の動態は,分光されたレー ザー光と高感度検出器によって連続的に捉えられ,ディスプレイの中で立体像となり,軽やかな動き を身に纏う。 アナログ的なものと,急速な変貌を遂げるデジタル環境との対比。 かつて,顕微鏡の接眼レンズを通して,自分の目で確かに捉えることができた銀塩写真やカラース ライドの写真は,細胞生物学における技術革新によって,高い感度と解像度をもつ,デジタル技術と いう Black Box の中で生成された精緻な画像へと変わっていき,そして,それは,アナログにはな い,バーチャル・リアリティの美しく強い説得力を持って,観るものに迫ってくる。 しかし,その見かけの美しさの中にこそ,実際の細胞や組織内にあるものではない人工産物・アー ティファクトが,真実のような顔をして入り込む隙間があるのだということ。一度デジタル化された データは,ディスプレーの上で,時に,研究者の意図を汲み取るかのように?,より説得力のある画 像へと変換されていってしまう。それ故に,デジタル化されたデータを扱うことの怖さを意識し,Positive control と Negative control をきちんと取り,本当に正しいか?との疑いを常に持ちながら,実験の行程を検証する気持ちを忘れ てはならない,ということ。
研究では,すぐに,思い描く仮説通りのデータが出るわけではないし,研究指導者の要求に沿った 結果が得られるものでもない。何度もなんども試行錯誤をくり返し,失敗の荒野の果てに,何かを得 ていく。たとえそれが思い通りものではなかったとしても,その結果こそが新知見。
�God is in the details. �「神は細部に宿る」の言葉のように,手抜きをすることなく,手間を惜しま
ず,細部に気配りをして研究を進めるなかに,ある瞬間,美の神に祝福されたうつくしい一枚の写真 と出会う機会が唐突に巡ってくる。それを信じて,チャレンジを続けることに意味があると,今,研 究のさなかでもがいている若い研究者たちに伝えたい。
成功したひとは,成功するまであきらめずに続けた,というただそれだけのことなのだから。