Title
慶良間を事例として−
Author(s)
松鷹, 彰弘
Citation
沖縄短大論叢 = OKINAWA TANDAI RONSO, 9(1): 77-108
Issue Date
1995-03-01
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10666
観光の発展段階と旅行商品についての考察
-沖縄本島と慶良聞を事例としてー
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はじめに ( 目 次 ) 1.はじめに2
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西欧と日本の観光の発展2
- 1
西欧における観光の発展2-2
日本における観光の発展3
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沖縄本島と慶良聞の観光状況 3 - 1 沖縄本島の観光の状況 3 - 2 慶良間諸島の観光の状況 4.観光の発展段階と旅行商品松 鷹 彰 弘
小稿では、日本にお砂る観光の発展段階と旅行商品の関連性を考察する。旅 行商品は、旅行業の創始者であり「近代観光事業の父J
とも呼ばれるイギリス のトーマス・クック(Thomas.Cook)
の考案によるといわれる。日本では西欧 諸国に比べ旅行業の発達は遅れ、大正から昭和初期にかけては、ターミナル駅 の駅前案内所などとして鉄道を補完する業務を行なっていた。ところが戦後の 高度経済成長時代に入札顧客の依頼により予約・手配をする受注生産から、 あらかじめ予約を行い旅行の形にして顧客に提供するという見込生産が業界で 企画旅行の名で行なわれるようになり、これが日本の旅行商品の原型となった。 また、海外旅行でも日本航空のパッケージツアー「ジャルパックJ
が人気を博 すなど旅行商品の普及が進み、観光の発展に大きな影響を与えたばかりでなく、旅行業自体の体質も変えて現在にいたっている。 高度成長時代にはじまる沖縄観光は、日本の観光産業の成長と並行して拡大 を続ける。観光に実績ゼロの沖縄に、本土観光企業のコンセプトにあわせた観 光開発が続々と行なわれ、旅行商ー品にパックされて大量販売された。沖縄県『観 光要覧』などから推計すると、純然たる観光目的入域者の約8割が旅行商品を 利用するという、日本国内では他に類例をみない観光地になったのである。そ の沖縄から本テーマに取り組むことが小稿の独自性である。 なお、パッケージツアーは主催旅行とも呼ばれ、旅行業法第
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条で次のよう に定義されている。「旅行業者があらかじめ、旅行の目的地および日程、旅行者 が提供を受けることのできる運送または宿泊のサービスの内容、並びに旅行者 が旅行業者に支払うべき対価に関する事項を定めた旅行計画書を作成し、これ に参加する旅行者を公告その他の方法で募集して実施する旅行j。旅行商品の特 色は、①旅行の専門家が旅行日程を作成し、旅行サービス提供機関を選択して いるので、時間をむだにせず効率よく観光などができ、しかも安心して旅行が できる、②他人との混乗による団体旅行のため、旅行費用がはるかに低廉であ る、③参加者の多少にかかわらず、旅行代金が定額である(手配旅行では参加 者数によって旅行費用が変動する)、④自分が気に入ったものを選択し、しかも 一人でも参加できる、⑤添乗員が同行したり、現地でのミーティング・サービ スがあるため、外国旅行でも言葉の心配がなく、出入国手続き、チップなどに 煩わされることがない、などの長所がある反面、①不特定多数を対象としてい るため、訪問箇所が限定される、②旅行の実施が必ずしも保証されていないた め、休暇計画が狂うことがある、等の短所が指摘される場合もある(財団法人 日本交通公社『現代観光用語事典.])。 また、小稿における観光の構造については、小谷達男著『観光事業論』で示 すように、観光主体、観光客体、観光媒体の各要素による三角型の構造ととら えている(図-1)。図1 観光事業の基本構造 小谷達男『観光事業論』から転載 小稿ではまず、西欧の観光史に簡単に触れたあと、沖縄の主要な観光市場で ある日本の観光発展段階を概観し、沖縄本島と慶良聞の観光状況の比較を行う。 最後にまとめとして観光の発展段階と旅行商品の関連性を考察してみたい。
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西欧と日本の観光の発展 観光の起源について、観光研究の先覚の一人であるA
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マリオッティは「観 光は、もし、われわれがそれを今日存在しているような形と発展の中でとらえ ようとするならば、それは最近にだけ見られるー現象と考えてよいだろう。実 際、観光の第一の本質は移動し、旅行し、知識を得ょうとする必要と欲求に求 められ、そしてそれゆえに、それは人類の歴史とはいわないまでも、少なくと も文明発達の歴史と同じように古い」と述べている。人類が共同生活を営み社 会を構成していく過程には広義の交通の発達があり、その発達の程度はその社 会におげる文化の発達とも深い関係をもっている。初期の原始的な旅が、やが て物々交換から商人の旅へ、神々への崇拝から巡礼の旅へ、そして観光的な要 素をも含んだ旅の形態へと進んで、観光の時代を迎えるのである。2 - 1 西欧における観光の発展 世界で最も早く近代的観光現象が現れるのは西欧社会においてであるが、
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世紀後半の産業革命がその契機になっている。工業の機械化、大規模な工場制 生産、そして生産技術の発展などによる経済的・社会的改革のなかで、人々は 労働により賃金を得、その余暇によって自由を得ることになった。これがのち の観光の発展に大きな影響を及ぽすのである。旅へのあこがれ、近代観光の発 展はこうした労働のなかから発生したものであり、仕事と余暇をはっきり区別 したうえでおこなわれてきたのである。 ヨーロッパの観光史では、近代観光が成立する19世 紀30年代以前を①観光前 史またはI
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の時代とし、近代観光成立以後を2
分して②I
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の時 代(19世 紀40年代 第2次大戦前)、③I
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の時代(第2次大戦 現 在)と区分する(表 1 。) 表 -1 観光の発展段階 段 階 区 分 時 期 観 光 客 層 観光動機 組 織 者 組織動機 “t
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古代から19世 貴族・僧侶・ 紀の30年代末 武士などの特 宗 教 心 教 iヨミ』 宗教心の の時代 まで 権階級と一部の平民 向上 “t
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代初めから第19世紀の40年 特権階級とー部の裕福な平 業 利潤の追 2次世界大戦 民(プルジョ 知 識 欲 企 求 の時代 前まで ワジー) “m
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第2次世界大 企業・公 利潤の追 の時代 戦以降現在ま 大衆を含めた全国民 保養と娯楽 共団体・ 求と国民厚生の増 (social tourism) で 国家 大 〔塩田正志〕 註:鈴木忠、義編『現代観光論j より転戦 旅に関する記録は、古代オリンピックと紀元前5
世紀のギリシャの歴史家へ ロドトスによるギリシャ・中近東・ヨーロツパ南部・北アメリカ各地の観察記録にはじまる。ローマ帝国滅亡後の長い中世には、楽しみを目的とする観光的 な旅(tour)も見られなくなるが、長い空白のあと十字軍の遠征、大航海時代を 経て、ヨーロッパの貴族や作家・詩人たちが見聞を広め、知識を深めることを 目的として旅行をするグランドツアーの時代に至る。しかし、そうした旅は最 初の人が歩いたあとが道になり、道しるべとなった枝折はもとへ戻る目印とい うような心もとないものであり、いつ到着するか、どれだけの費用を要するか などはまったく不明だったのである。 旅 (tour)から観光 (tourism)への発展には鉄道と旅行業など観光媒介(観 光主体と観光客体をつなぐ機能)の発達が必要であった。ヨーロツパで鉄道は 登場
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以来急ピッチに路線網が拡大され、人々の旅行を容易にした。産 業化の進行とともに楽しみのための旅行を行いうるだけの経済的・時間的余裕 をもった層も増大していた。トーマス・クック創始(
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年)による旅行業が 旅の企画や予約を行うようになり、北アメリカからヨーロッパへの旅行が盛ん になる(ヨーロッパへの旅の時代)。アメリカ人観光者による大きな経済効果が 注目されるようになり、イタリア、ドイツなどで観光統計がとられ観光研究に 発展してゆく。 第二次大戦中は観光の空白時代であるが、戦後まもなく疲弊した先進各国の 経済力が回復し国民の可処分所得の増加も顕著になる。それに加えて余暇の増 大、マスコミの発達、交通機関の発達と多様化(航空機、観光パス、マイカー など)が行なわれ、大衆による大量の観光 (masstourism)の時代に入る。各 国は外貨獲得の手段として国際観光を重視し、外国客向けホテル建設や対外宣 伝に力を入れる。このためマスツーリズムの条件が急速に整備される。また、 観光による国民厚生の増大と地域開発の効果を評価する西欧各国の政府・自治 体は、さらに積極的に観光促進の諸方策を取るようになる (socialtourism)。 こうしてマスツーリズムは大いに拡大するが、最近では観光の急速な拡大が受 入地域の自然や文化環境に無視できない影響を与え問題になっている。2-2
日本における観光の発展 江戸時代の日本では庶民の旅が盛んであった。五街道の整備など交通の改善がきっかけとなったが、伊勢詣などの巡礼の旅では「代参」や「講
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という日 本独特の旅行システムがその隆盛に寄与した。一方でこれらは団体行動、ぞろ ぞろ歩き、みやげもの漁りといった日本独特の旅の習俗を作りだしたともいわ れる。湯治を中心とする温泉治療もかなり普及していた。それは庶民に許され た数少ないレクリエーションの一つであった。 明治になると関所が廃止され、新橋・横浜に開通した鉄道は、全国各地にそ の路線網を伸ばしてゆく。これにより巡礼や湯治だけでなく、海水裕場(大磯 など)、避暑地(軽井沢など)、山岳(日本アルプスなど)への旅行も行なわれ るようになった。 観光の大衆化・大量化 (masstourism)が到来するための本質的条件は経済 的・時間的余裕を一般大衆がもてるようになる、すなわち高度大衆消費社会が 成立することである。日本は、戦後の高度経済成長時代のはじめ、 1950年代中 ごろにこの段階に達したとされる。以後、日本人のマス・ツーリズムは次のよ うな段階を経て現在にいたっている。 1 )職場慰安旅行の時代(昭和 30年代・ 1955年~) 経済成長の思恵により1955年ころから国民生活にも余裕が出てくる。余暇活 動では映画・テレビといった受動的なものから旅行やスポーツなど積極的なも のまで幅広く行なわれるようになる。京都などの観光地では50年代中ごろから 職場・学校などの団体客の増加が顕著になる。①職場単位の男子中心の慰安旅 行と湯治、②交通機関は鉄道と観光ノてス、③旅館に宿泊して親睦をはかること が主目的、などがこの時期の観光の特徴である。大きな団体や長距離旅行の場 合、旅行業者が利用されることもあったが、手配旅行のみで主催旅行(パッケー ジツアー)は行なわれていない。観光渡航が禁止されていたので観光はもっぱ ら圏内観光である。 2 )国家イベントと旅行業の躍進(昭和40年代・ 1965年~) その後も経済の高度成長は続く。 64年には観光渡航が自由化され、日本もマ ス・ツーリズムの時代に入る。この時期には東京オリンピック (64年)、大阪万博 (70年)、沖縄の本土復帰 (72年)、沖縄海洋博開催 (75年)など観光促進に つながる国家的出来事が続々と行なわれる。私鉄系の旅行業者に次いでマスコ ミ系の旅行業者が参入し、予約のコンビューター化や旅行商品の発売が開始さ れ、 70年の大阪万博を契機に観光が国民生活に定着してゆく。 観光の定着は第一次石油危機のあとのいわゆる「成長のひずみ
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への国民的 反省気運とも無関係ではないだろう。佐藤誠は、ビクトリア後期のイギリスの 労働者家族の大自然に接したりソート体験が、その後のナショナル・トラスト 運動やグリーン・ツーリズムにつながったという。わが国でも旅行商品による ノfック旅行が多かったとはいえ、観光の体験が自然環境の破壊や消費者物価上 昇、複雑化する現代社会における緊張感、孤立感、疎外害などの実感を生んだ はずである。当時のアンケート調査では「仕事一途J
はl割以下となり、「生活 での充実感jでは「家族園祭J
や「ゆっくり休養しているときJI
友人や知人と 会話しているとき」が多数を占めている。人間性回復や真に豊かな価値ある生 活へのあこがれ、物質的豊かさから精神的豊かさへの志向もこのころすでに起 こっている。 3 )旅行商品と国内・海外旅行(昭和50年・ 1975年~) 石油危機後も所得は安定的に増加したが、余暇時間は横這いが続く。海外観 光は旅行商品により急成長するが、圏内観光では旅行業離れが起こり、観光者 個々人の観光行動も多様化する。a
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圏内観光の旅行商品離れ 経済の安定成長時代を通じて圏内宿泊観光の国民 1人あたり年間1.2回(観光・ 兼観光を含む・総理府『観光白書』による)という状況が続く。一方で日帰り 観光レクリエーションの回数は約 3倍(日本観光協会編『平成 4年度・観光の 実態と志向.1)になっているので、観光や行楽の全体の回数は増加したと考えて よい。石油危機後の「成長のひずみ」に対する反省気運は、人々の仕事志向を 家族・友人志向に変え、生活の重点を「余暇生活j に置く者が多くなり、余暇 活動では観光を希望する者がもっとも多くなって行く。 日本で国内観光を行なうためには、旅行費用が割高であることが最大のネツクである。一方で、自家用車普及率が高く道路網が発達している、大都市では 鉄道はじめ交通手段の選択肢が多いなど観光をするためのプラス材料もある。 国土が狭い日本では少し移動すれば山、海、温泉などの自然や観光施設に到達 できる。この条件下でもっとも合理的な観光行動は、自家用車で、あまり遠く ないところに短期間行くことである。統計数字では家族・友人と一緒に (70%)、 自家用車で出かけ (44%)、ホテル・旅館に (69%) 1 ~
2
泊 (76%)が圏内観 光の標準パターンになっており、実際に合理的な観光行動がとられたことを裏 付けている(拙稿「日本人のマンツーリズムに関する一考察j参照)。 観光でかかる費用が諸外国に比べて高いとの指摘に対してだろうか、経済企 画庁物価局はr
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遊びJ
の値段(レジャー料金の国際比較)jを92年に出してい る。同書の圏内観光の料金比較は表-2
の通りであり、東京が必ずしも高くな いという結果になっている。しかし問題は、調査が日本人の旅行パターンに合 わせて、 3泊の圏内旅行を前提にしていることである。欧米人の余暇での平均 旅行日数はフランス 15 日、ドイツ 2~3 週間などであり、長期滞在のための割 安で多種多様な施設が準備されている。日本のリゾートで1
日l
人当たりにか かる費用はプランスの6倍になるなど、朝永彰等のいう「日本のリゾートの利 用料金は高い」との指摘は依然として正当なのである。 表-2 圏内旅行の料金比較 (単位:円) 交 通 費 宿泊・食事料金(3泊分) 出 発 地 行 き 先 宿泊料金 乗 用 車 鉄 道航 空 (朝食込)夕食料金 d口"- 計 東 尽 京 都 39,010 24,940 26,500 31,920 19,590 51,510 (100) (100) (100) (100) (100) (100) ニ ュ ー ヨ ー ク ボ ス ト ン 6,280 17,030 53,730 41,060 9,020 50,080 (16) (68) (203) (129) (46) (97) デュッセルドルフ ミュンへン 16,(9436)0 21,(3868)0 ( 481,4830)0 42(1,3742)0 9,(4697)0 52(1,0329)0 ロ 、J ド ンエジンノfラ 16,130 22,080 40,420 39,960 9,190 49,150 (41) (89) (153) (125) (47) (95) ノf リ リ ヨ ン 24,05016,890 44,710 36,400 12,870 49,270 (62) (68) (169) (114) (66) (96) (注) 1. ( )内は東京を100とした指数。 2.経済企画庁物価局編r
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遊びjの値段jより転載家族・友人など小人数グループによる、自家用車を利用した比較的短距離の 旅行は、圏内観光における旅行業者や交通機関の必要性を薄くした。テレビや 雑誌などマスメディアの多彩かつ懇切丁寧な観光情報の提供も旅行業の出番を 少なくしている。沖縄や北海道など一定の地域および特定のイベントに関する 旅行を除き、圏内観光で旅行商品が利用されることはだんだん少なくなって行 く。また、圏内観光は料金が高く、割ける時間も短いので、観光の満足度を上 げるためには旅行目的を絞り込み、目的に対して最大の費用と時聞を割くこと が合理的である。これも旅行業者の現場などで「目的型観光」の傾向として確 認されている。 個々の目的にそって自分で企画し手配した場合の観光行動は当然合目的的な ものになり、何度か繰り返すうちに観光行動の成熟化、個性化、洗練化につな がって行く。圏内観光ではたとえば「カネを落とす」というような大盤振舞も 少なくなっている。
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海外観光は旅行商品で拡大 日本と西欧諸国の近代観光史でもっとも異なる点は、①わが国にはもともと 講・学校・会社など団体単位で旅行が行なわれる習慣があり、旅行業の発達が 遅れたこと、②地理的事情や江戸時代の鎖国、戦争前後の渡航規制などにより 海外観光の普及が遅れたことである。しかし観光渡航自由化(
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年)以来、 旅行業と海外観光は強く結びつき発展を遂げてゆく。渡航自由化当時すでに国 際航空路線ではジェット機が導入されており、日本から海外観光地への時間的 距離は短縮されていた。7
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年以後はジャンボ機が運航され輸送力が増加、輸送 コストが低下し経済的距離も短縮される。海外観光は渡航手続きや日程表作成 などに専門的知識を要するので、パッケージ・ツアーの利用が便利である。日 本航空の「ジャルパックJ
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年)を皮切りに日本交通公社の「ルック」など 旅行業者からも続々と旅行商品の発売が行なわれる。 ノfッケージ・ツアーは運輸機関の指定席券や宿泊施設の客室をあらかじめ旅 行業者がプロックで予約し、これを組合せて完成した旅行をつくって販売すも のである。パッケージなど旅行商品の普及により海外観光は拡大を続ける。ま た旅行業者をめぐる環境も以下のように変わってゆく。① 自ら企画・造成した商品を販売することは、企業の体質を「待ちの体質」 から「積極的商法」へと転換させる。 ② 企画と宣伝いかんによっては、潜在需要、とくにオフシーズンの需要を 喚起する手段として有効である。 ③大量仕入・集中送客によってコストダウンが可能であり、旅行を廉価に 提供できる。 ④宿泊施設・運輸機関をあらかじめ予約しておくから、品質管理が可能で ある。 ⑤顧客の立場からすると、各社の企画商品の内容を比較検討することがで きる。 ⑥ 大量造成なので省力化に寄与できる。 その後も旅行商品の数量は増加し自らの庖舗ネットで売るだけでなく、コミッ ションを支払って他業者にも販売してもらう、「卸
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(ホールセラー)と「小売」 (リテーラー)との機能分化が進む。 国民の海外観光の条件はその後、以下のようにきわめて恵まれたものになっ てゆく。 ① 円高…変動相場制の導入 (73年)からプラザ合意 (85年)そして昨今に 続く。 ② 航空座席数…成田空港開港後に外国航空会社の航空便数が増加し航空座 席数が過剰気味になりダンピングが行なわれるようになった。 ③ 競合…旅行業界に多くの新規参入があり競争が激化し価格競争が起こっ た。これも海外観光価格の低下につながった。 ④ テンミリオン計画…80年代半ばから顕著になった日本の貿易黒字に対す る海外の批判をかわす目的もあり、政府は87年に「テンミリオン計画J
を 打ち出した。その後も米国への旅行者倍増計画など、政府は観光による黒 字減らし政策を継続している。海外観光をすることが国策に協力すること にもなっている。 ⑤ 海外観光投資…日本企業のアジア太平洋地域への観光投資も積極的に行 なわれている。とくに85年のプラザ合意以後の円高時には、圏内のカネ余り現象もあり、ハワイのホテル客室数の約 60% 、高級ホテルの 80~90% が 日本人所有といわれるほどのホテル投資が行なわれた。ハワイやグアムは じめ東アジア太平洋地域の多くの観光地において日本人観光者は最も重要 な顧客になっている。 現在では日本発の国際航空路線の日本人利用者の
80%
が観光目的である。海 外旅行者数は圏内宿泊観光総回数の6%
にすぎないが、観光消費額ではすでに40%
近くになっている。現在の年間海外旅行者数約1
,2
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万人は人口の10%
に相 当するが、日本の経済力からすればこの 2~3 倍はあってもおかしくないとの 分析もある(拙稿「日本人のマンツーリズムに関する一考察J
参照)。 3.沖縄本島と慶良聞の観光状況 戦後の日本人の海外観光渡航は米軍施政下にあった沖縄に始まる。日本交通 公社が1
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年に扱かった沖縄慰霊団がその鳴矢だといわれるが、5
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年刊行の石 野径一郎の小説『ひめゆりの塔J
の影響なども大きかったらしい。以後、海外 観光渡航自由化までの約1
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年間、沖縄は日本人に公認された唯一の海外観光地 であった。この時期は航空業・旅行業など日本の観光産業の生育期でもあり、 各観光企業は沖縄観光を通して海外旅行のノウハウを積んでいったといわれる。3-1
沖縄本島の観光の状況 沖縄本島の観光の状況については、拙稿「団体入込表による入込分析(団体 旅行は沖縄観光にどう寄与したか)j,沖縄短大論叢第6
巻,1
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年。同「沖縄 観光の推移と土産品業j,沖縄大学地域研究所年報N
o
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,1
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1
年。同「沖縄観光 産業の特質j,観光リゾートデータファイル,第一法規1
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年。同「沖縄観光事 業の国際競争力(ハワイ観光との比較において)J
,沖縄短大論叢第7
巻,1
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3
年。同「沖縄観光事業試論J
,沖縄経済学会機関誌・経済と社会,1
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年などで 考察したので、ここでは要点を列記するに留める。 1 )観光事業の沿革 ① 日本政府は早くから「沖縄が圏内唯一の亜熱帯地域にあることから、復帰後は国民のレジャー基地にしよう」との構想を持っていたという。 72年 の本土復帰直後から、 75年開催の沖縄国際海洋博覧会に向けて集中的なイ ンフラ整備が実施され、そこに本土資本を中心とする積極的な観光投資が 行なわれる。 ② 観光産業は、生産即消費の生産形態(航空座席、ホテル客室などの貯蔵 がきかない)、不連続的生産形態(季節別・月別・週別の来訪変数が大きい)、 労働装備率が高い(従業員1人あたりの有形固定資産が大きい)などの弱 点をもっ。観光産業にとって沖縄は、これら弱点克服のための実験場にも なった。集中的品質管理を効率よく行なうために一定の場所を囲い込んで、 なかを人工的施設で固めることはとくに重要である。このため思納村など 本島の景勝地が囲い込まれ、そこにカリフ、海やハワイなど海外の観光施設 を真似た施設群がテーマパークのように建設された。 ③ リゾート地としては欠陥のある沖縄の気候(夏蒸し暑く、冬は季節風で 肌寒い、春は梅雨、秋には台風など)も、たとえば冬対策としてゴルフ場 をつくるなど、施設による補強が行なわれた。 ④ これら施設群やサービスは画一化され、旅行商品にパックされて大量販 売された。県内の自治体や地元観光業者も積極的にこれに協力し現在に至っ ている。
2
)観光入込状況 ① 本土復帰の72年の入込数44万人が海外旅行と歩調をあわせるように成長 を続け、 85年では208万人になっている。同年のプラザ合意を契機とする円 高以降、入込数の伸び率は圏内成長を少し上回る程度となっていたが、 90 年以降は横這い、 94年実績では前年をやや下回る317万人であった。 ② 入込数の月別・季節別変動はかなり小さく、変動係数(標準偏差÷月平 均)で14%台である。きめ細かな内容をもっ旅行商品の造成・販売をめぐ る規模や顧客層の異なる多数の観光企業による棲分的誘客活動の結果であ る。旅行商品を構成する各施設における年間平均稼動率も高く、季節変動 も少さくなっている。③ 夏は若者や家族によるリゾート滞在、その外の季節は修学旅行を含む多 様な客層による観光とコンペンション&コングレスである。業務旅行以外 は旅行商品の利用が一般的であるため、観光者側は個人旅行のつもりでも、 受入側では団体旅行として対応している。平均滞在日数は
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年で4
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日で あるが長期的には短縮化傾向にある。 l人当り観光消費も長期低迷状態に ある。3
) 課 題 地元で指摘されている主要問題点は次の3
点である。 ① 入込数の低迷…円高による海外観光地との競合が最大の原因だと考えら れている。県をはじめとする各自治体は対策として観光宣伝に重点を置い ている。 ② 観光施設の収益性低下…競争激化が旅行費用の低下をもたらしている。 受入側の損益はもともと薄利多売であった。不況による法人需要の減少も 収益低下の一因だと考えられる。 ③新規ホテルの開業と全体的客室稼動率の低下…平成不況に入っても大型 ホテルの新規開業が続いている。一方で沖縄トロピカル・リゾート構想(
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年リゾート法承認)に配置された4
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の民間開発プロジェクトの半数以上が まったく進展していないことを問題視する意見もある。 旅行商品の造成のためには、旅行業者があらかじめプロックして予約するこ とのできる一定量以上の航空座席指定券や客室の存在が前提になる。沖縄の場 合、本土の大都市からの航空直航便があり大型ホテルがあるのは沖縄本島・宮 古島・石垣島のみである。慶良聞をはじめとする離島での観光の状況は以下の ように、本島などとは基本的に異なっている。3-2
慶良聞諸島の観光の状況 那覇から西へ3
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に点在する慶良間諸島は慶良間海峡をはさんで渡嘉敷 島(渡嘉敷村)、座間味島・阿嘉島(座間味村)など大小合わせて3
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余島からな る、沖縄海岸固定公園に指定された地域である。住民は昔から海洋思想に富み、琉球王朝時代には明国への進貢船の船頭も出している。かつてのカツオ節の名 産地であり、カツオ節をつくるために木材が伐採され大きな木がなくなってい る。近年になって産業的基盤を観光産業に移している。沖縄戦では座間味村に 米軍が最初に上陸し、渡嘉敷村と共に多くの戦争犠牲者を出した土地でもある。 人口・面積など地理的データは表
-3
に示した。 表-3 塵良間諸島の地理的データ 位 置 島 名 世帯数 人 口 面 積(
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)
地 形 慶良間海峡の東 渡嘉敷島 294 708 15.64 大部分山岳地帯 (渡嘉敷村) 座間味島 208 535 6.71 慶良間海峡の西 阿 嘉 島 121 255 3.96 丘陵地状の山地 (座間味村) 慶 留 島 28 63 l. 22 計 357 853 1l.89 +無人島=合計30 筆者が93-94年に行なった調査(観光者、観光業者、自治体の観光行政担当 者に対するヒヤリング)では、同地域の観光の状況は以下のとおりである。 1 )観光事業の沿革 ① 68~69年ころ、座間味村に島外企業(山一物産)がレジャーボートを持 ち込み観光開発を試みた。 ② 観光の本格的幕開けは、復帰直前に渡嘉敷村が新造した村営船・けらま 丸(151トン、定員 165人)が就航し、泊・渡嘉敷聞が 1時間30分で結ばれ て以来である。③
当時は、沖縄本島の婦人会を中心にした団体による日帰り観光がほとん ど。週末や母の目前後は予約に応じきれないことがあった。③
本土復帰にともない渡嘉敷島に国立沖縄青年の家が設置され、老人クラ ブや会社の社員旅行、夏休みになると中・高校生のキャンプなどで宿泊観 光者が増加する。④ 続いて本土から若者(当時カニ族といわれた)がやってきて、県内客数 を上回るようになる。 ⑤
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年に日航ジェットプラン(旅行業者)が渡嘉敷島をディステイネー ションにした旅行商品を発売した。 ⑥ このため宿泊施設が不足し一般民家への分宿が行なわれた。 ⑦ しかし観光の経験ゼロの一般民家では対応が難しく、観光者からの不満 が出て翌年はツアーが取り止めになった。 ⑧8
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年代以降、本島中・北部に大型リゾート施設が多数建設されたため、 観光入込数の横這い状態が続いた。 わが国にスキューパダイビングが普及するのは7
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年代の初頭からである。 レジャーとしてのダイビングは、フランスのジャック・イプ・クストーと エミール・ガニヤンが、1
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年にダブルホース型のレギュレーターを開発 して、戦後「アクア・ラング」の商品名で発売したことで可能になった。 アクア・ラングは日本には4
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年に輸入されたが、あまり普及しなかった。7
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年代はじめに水中浮力調整器具が登場し、ライフジャケット型からベス ト型に改良されて体力のない人でもダイビングが可能になり、普及が進ん だ。慶良間各地は、映画や写真などでダイビングの舞台として紹介され、 全国のダイパーの注目を集める。8
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年代にはダイパーの間でC
カード(認 定書)の取得が一般的となり、 85年にはダイビング器具がカラー化され、 これを契機にダイビングブームが起こる。 ⑨ そして、慶良聞にはダイパーたちがやってくる。 ⑩ 後継者に悩む漁師は副業としてダイビング船の提供を行ない、農家も民 宿を兼業した。 ⑪ しばらくして若者のUターンが増える。彼らは宿泊施設整備を行い、ダ イピング・ショップを開業した。 ⑫ 現在では渡嘉敷村にフェリーけらま、座間味村にはクイーンざまみの高 速船が導入され泊港との聞を1
日1"
-
'
2
往復している。また那覇・慶良間 空港聞にはRAC
アイランダー機が運航している(1日6-8
便)。なお両 村の定期交通路線は各々那覇市と結ぼれており、両村聞の定期便はない。⑬
9
0
年代になるとホエールウォッチングが冬の観光対象となる。座間味島 は9
2
年2
月に「クジラの里」宣言、続いて渡嘉敷島でも「鯨海峡」宣言が おこなわれ、両村それぞれホエールウォッチングのプログラムを提供して いる。 慶良聞の観光事業は次の3段階に分けることができる。①村営船により那覇 市との時間的距離が短縮し、まず本島諸国体の日帰り行楽地、続いて青年の家 などを利用した県内宿泊研修地となる。②海水浴・キャンプなどを目的とした 本土の若者が増加し、大手旅行業の旅行商品にパックされるが失敗する。③ダ イビングという新たに登場した観光目的への特化が行なわれる。まず漁業者が 副業として船を出し、 Uターン組中心にダイビングサービスが開始される。な お、座間味・渡嘉敷両村の観光事業は必ずしも連携しておこなわれているわけ ではない。 2 )観光資源 ① 慶良間諸島およびその周辺海域は沖縄海岸固定公園に指定され、大小の 有人、無人島からなり、内海的風景と海中景観に優れている。海底は変化 に富み6
0
種類にもおよぶサンゴのまわりを熱帯魚がおよぎまわっている。 沖縄県などによる県内30市町村、 274海域の赤土汚染調査によれば、慶良 間(渡嘉敷島周辺の2海域)の赤土(微粒子)濃度の平均値がもっとも小 さくなっている。濃度のもっとも高い沖縄本島北部と自然的条件は同じだ が、渡嘉敷では山地開発が行なわれていないことが濃度の低い原因だと同 調査は報告している(表-4
)
。 ② このため、海水の透明度もよく、サンゴ、生物、地形、中性浮力、どの ダイビング目的にも合致した高級ダイビング・ポイントになっている。県 内のポピュラーなポイント6
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の内の約半分がこの海域に存在する。 ③ 慶良聞のダイビングシーズンは梅雨があける 6月から台風が来る前の8 月いっぱいがベストシーズン。1"
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'
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月は風向きが1
日に何度も変わるこ とがあり条件はよくないが、それでもスポット数が多いのでどこかに潜れ るところカ宝ある。表
-4
地域別底質中赤土(微粒子)温度平均値 地 域 名 海域数 平 均 値 北 部 離 島 17 30.8km/m' 沖 縄 本 島 北 部 92 51. 2 沖縄本島中南部 26 32.3 渡 嘉 敷 2 4.0 久 米 島 16 29.9 宮 古 9 9.5 J¥ 重 山 71 45.8 全 体 233 40.1 註 :I沖縄県内各地の海域における赤土汚染の現状J(第2報)より転載 ④ 沖縄本島から近く交通の便がよいこと、宿の前からスタンパイできる便 利さもよい。ボートダイビングでも乗っている時聞は平均して 10分くらい である。 ⑤ 1~4 月のホエールウォッチングも観光目的のひとつになりつつある。 ⑥ フイツシング(沖釣り・磯釣り)や無人島での海水浴も観光目的である。 ケラマジカなどの天然記念物があり、座間味島の北の海岸は海亀の産卵地 としても知られている。 3 )観光入込状況 表 - 5のように 93年の観光入込数は渡嘉敷村58,600人、座間味村54,200人、 合計112,800人となっている。 表-5
慶良聞の観光入込推移(人) 註:座間味・渡嘉敷両村の観光統計より作成① 渡嘉敷村では総入域者数の6割が一般観光客、 3割が国立青年の家利用 の研修生、残りの1割が村民および業務来村者である(船舶の旅客定員集 計上、
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歳未満は0
.
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人で集計)。 ② 同村への一般観光客の内民宿利用客は6
割、日帰り観光客3
割、キャン プ場宿泊客は1割である。 ③ 座間味村の観光入込数算出方式は総入込数から村内居住者を差し守│いた 数である。 ④ 月別変動については渡嘉敷村で9
3
年の場合、最高が8
月で1
3
,5
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0
人、最 低が1
2
月の2
,8
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人、変動係数(標準偏差/月平均x
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)
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1.1
と沖縄観光 全体の1
3
.
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とくらべてかなり変動が大きい。 ⑤ 座間味村ではダイビングの通年化傾向がみられる。オンシーズンが早期 化し6月下旬からになり、オフシーズンにはリピーターがやってくる。年 末年始のダイビング客も増加している。同村ではホエールウォッチングを アフターダイビングに結び付けたいとしている。 ⑥ 送客は旅行業者、ダイビングショップ、個人手配に3分される。旅行業 者からの送客での手数料は規定どおりの10%
、本土ダイビングサービスに は旅行業を兼ねているところもある。一部ホテルで本土大手旅行業者の旅 行商品にパックされているところがあるが、大きな影響を与えるまでには 至っていない。座間味島ではかつては本土旅行業者の送客比率が高かった が、9
3
年には数千万円の未回収がでるなどの問題が続出、旅行業者に対す る警戒感が強まっているという。 ⑦ 平均滞在日数とリピーター比率の調査は両村とも行なっていないが、座 間味村での民宿業者への聞き取り調査では平均滞在日数で3泊4日、少な くとも40%
がリピーターである。年間数回も来訪する者もいるという。渡 嘉敷島でも民宿が固定客をもっており年に 2~3 度来訪する顧客もあり長 期滞在者が増加している。4
)観光施設 ① 渡嘉敷村の宿泊施設数は2
3
(定員1
5
名から5
0
名の民宿・ペンションと9
2
名のコテージ)、総収容人員は771名、その他に国立青年の家がある。 ② 座間味村の宿泊施設数は53(座間味島32・阿嘉島21、ホテル
x
2、旅館× 2、ペンションx
3、民宿X46)、客室数408室・収容人員1,201人 (2室6 人の民宿から35室90人のホテルまで)である。座間味村の民宿のオーナー は農業やカツオ漁業との兼業が多いが、年々観光の比重が高くなっている。 ③ 渡嘉敷村のダイビングサービス数は13。座間味村のダイビングサービス 数は27であり、内 11が島外資本。地元ダイビングサービスのオーナーのほ とんどがUターン組である。島外資本のダイビングサービスは宿泊施設を 保有しないので、民宿との相互依存関係が保たれている。 ④ なお渡嘉敷村にはキャンプ場と青少年旅行村施設、座間味村にはくじら の里などのキャンプ場がある。 ⑤ 宿 泊 料 金 は1泊2食付きで年聞を通して5,000"'-'6,000円、食事でグルメ は期待できないが他地域の民宿の食事に引けをとらない。ダイビングが必 要とする宿泊施設は豪華なロビーや長い廊下ではなく、客室からすぐのと ころに器具を洗ったり干したりできる屋外スペースがあることであり、民 宿がこのニーズに合致している。 5 )顧客満足度 ダイパーへのヒアリングにダイビング雑誌の記事を加え、利用者の声を列記 すると次のようになる。 ① オーナーもインストラクターもウミンチュだから、慶良間のことはAか らZまで何でも知っている。 ②気難しいところがなしやさしいおじさんたちだが、海を大事にしない ダイパーやタカビーなダイパーには手厳しい。 ③ 年に数度、それも何度も続けて通っていて訪れるたびに海の良さを改め て知り人の良さを知る、そんなファミリアな関係が都会に住むダイパーと の聞にできている。 ④ 一度仲良しになれば、ダイビングのリクエストやポイントの設定まで細 かな注文に応じてくれる。初心者でもファンダイビングしながらそれとなくレベルアップを図ってくれる。 (慶良間観光はダイビングに特化しているので、ダイビング以外の目的の観 光者の評価は異なるはずである。しかしこれには配慮を要しないだろう) 以上のように、慶良聞は、 ① 三拍子そろった高級ダイビングポイントであり、そのサンゴ礁資源には 多様性があり通年ダイビングを可能にしている。ホエールウオッチングも 「クジラと泳げる
J
イメージでダイビングを盛り上げている。 ② 親は民宿、 Uターンした子供はダイビングサービス、島外資本も地元施 設との連携が不可欠であるなど協力関係がうまく働いている。 ③観光業者は単なるダイパーへの奉仕者ではない。潜水の技量においても、 海についての知識においても顧客にまさる友人でありインストラクターで ある。高い顧客満足度はこの信頼感がもとになっている。 ④ 上記に加えて本島からの交通の便がよいこともあり、年に何度もくる(リ ゾートの意味でもある)ファンが増え通年化が進んでいる。季節波動が大 きいことは、同地域の観光施設の労働装備率が低く、農業や漁業との兼業 者も多いので決定的な問題点になっていない。 ⑤施設独自の固定客増加が旅行業者など島外資本に対し優位な状況をつく りだしている。 6 )観光振興政策 ① 渡嘉敷村は観光行政が経済課商工観光係、業界組織として商工会がある。 観光産業を中心とした村興こしが基本であり、泊・渡嘉敷聞を1
時間で結 ぶ「フェリーけらまJ
(旅客定員600名で県内最大)もその一環として導入 された。飛行場開港も計画している。現在、土地利用計画を策定中である。 ②座間味村の観光行政では最近経済課が建設課と振興課に分離され、振興 課に観光担当が置かれている。商工会・観光協会など業界組織はない。そ の原因を村振興課では、観光業者相互の競争が激しいこと、リゾートホテ ル建設問題(後述)をめぐっての対立の後遺症だと分析している。この結 果、村全体としての観光宣伝などの振興策は行政が単独で行なう結果になっている。 ③座間味村では土地利用計画を含むマスタープランを現在作成中であるが、 村としての基本的イメージを「きれいjであることに置き、構想をつくり ながらイメージを膨らませているという。路地のプロック塀をカツラやプー ゲンピリアで覆い、建物の色や形を整える。赤瓦の多用なども検討してい る。また、現在慶留間島・阿嘉島聞に橋が建設中だが、橋種選定委員会を 設けデザインを審議している。 ④座間味村ではサントピア沖縄と連動したダイビング、クジラ祭りなどの イベント開催も予定している。 ⑤座間味村経済は観光産業が突出しており、村では観光業と農業・水産業 とを連動した形で発展させてバランスのよい体質にしたいと考えている。 しかし小さいものでは
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坪からの農地の集約が難しい課題である。漁 業では保冷施設がないため那覇からの魚貝類の仕入も少なくない。保冷施 設の建設が課題であるが、これは計画されている。 ⑥ 国・県の観光事業に対する支援はハードウェアに関するものが多く公園、 遊園地、展望台、山の散策もできる林道の建設など。前述のくじらの里も 国の助成金によりつくられた。固定公園の中にあるので開発行為は大幅に 制限されている。 ⑦ 座間味村では島外資本によるリゾートホテル建設にはきわめて慎重であ る。しかし島外資本による土地所有が虫食い状態になっているという。 ⑧ 一方、座間味村の観光業者への聞き取り調査では、人口が少ないので、 観光協会などの業界団体がなくても支障がない、みんなで協力してやって いる。狭い土地なので相互協力なしではやっていけないという。サンゴ礁 の状態についての情報交換やオニヒトデ退治(年間予算1
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万円)も観光 業者が行なっている。下水排水パイプの海洋汚染防止効果に期待している。 村当局の観光施策は後手後手だとの批判もある。 ⑨ 座間味村では観光入込数の急速な増加は望んでいない。人手も少ないし 食料品など現地調達物にも限度があるからである。パプル時代に島外資本 による多数のホテル建設計画が持ち込まれたが阻止している。慶良間海域には戦前からザトウクジラが1月から4月にかけて毎年やっ てきた。夏は北太平洋でエサを食べ、冬は気候の温暖な慶良間海域に回遊 して求愛・交尾・出産・育児を行なう。ほかにハワイ・メキシコ・小笠原 などがクジラの回遊で知られている。同海域が第二次大戦の戦場となり一 時クジラも途絶えたが、 80年代なかごろになって回遊の復活が確認されて いる。座間味村でホエールウオッチングに取り組んだのは役場職員と海上 タクシーの運転手。二人はホエールウオッチングの先進地・小笠原に出か げで、ホエールウオッチングの仕組みなどを学んだという。 ⑩ 91年3月、ダイビングショップ、民宿、役場職員など60人による座間味 村ホエールウオッチング協会が創設され、同時にルール集を発表した。「ク ジラを追い回さない
J
r50メートル以上近付かないようにする」などがルー ルの内容である。協会の仕事はシーズン中のクジラの識別、ルールを守ら ない船を監視することなどである。 ⑪ 目下のところ、ダイビングはもともとカツオ漁から転身した漁師中心、 ホエールウオッチングは協会中心で行なわれている。しかしダイビングと ホエールウオッチングはどこかでつながると考えられている。 ⑫渡嘉敷村のホエールウオッチングは村内の若者がプログラムを立案して スタートした。座間味村と同じ様なルールも制定されている。7
)観光の諸効果 ①座間味村では北部覇税務署のデータにより観光収入を分析している。チッ プなど申告されない収入もあるようで、実質観光収入は表面額以上になる とみている。 ② 同村では県都・那覇市とのアクセスの向上、人口の増加(U
ターンが増 加し、また島外者との結婚がすでに40組近くになっている)を観光の効果 にあげている。村人口1.000人の到達も間近いが、そうなれば伊良部町に続 き過疎指定が解除されることになる。 座間味村では観光のマイナス効果として、 ① ゴミ処理問題②上・下水問題…住民と観光客の増加により、生活排水量は住民 1万人規 模になっている。座間味島では
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年から下水工事が行なわれ阿嘉島も対象 になっているが、村財政を圧迫している。 ③ 自然破壊…アンカリングなどダイパーによるサンゴ礁の破壊(後述)。現 在のところ水質汚染によるサンゴ礁およびサンゴ礁生物に対する被害は観 測されていなし) 0 8 )慶良間観光の課題 ① 島外ダイビング業者との攻防 慶良間諸島におけるダイビングやホエールウオッチングが脚光を浴びる につれて、那覇市など沖縄本島の観光業者との車L
擦が増加している。前述 のホエールウオッチングのルール制定は那覇からのウオッチング船に対す る牽制でもあった。a
.
本島のダイビング業者…沖縄本島には那覇市を中心にダイビングサー ピスが約7
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業者ある。しかし本島周辺のダイビングポイントだけではダ イパーの満足を得られないのが実情である。b
.
本島側の業者によれば、慶良聞にくるダイパーは、年に数回は訪れ3
~4 泊は滞在してゆっくりダイビングをするファインダイパーであり、 20歳代後半から30歳代のサラリーマンが中心になっている。本島のダイ パーは多様であり、船で慶良聞にわたるのでなくもっと手軽にダイビン グをしたい、昼はダイビングで夜は那覇市のナイトライフ、出張のつい でにダイビング、豪華ホテルからダイビングなど様々なニーズがあるが、 それに応え得るのは本島側であるという。 C.最近のダイビングスクールでは、学科とプールでの訓練を東京でやり 海洋実習のみを沖縄でやるなど低コストでライセンスが取得できるプロ グラムに人気が集まっている。ライセンス取得後は費用の安い海外に出 かける者が多く、本島側に多い初心者が減っている。ダイピングサービ スは新規参入が容易であるため競合の多い業界である。このため大手旅 行業者と提携して顧客の確保をはかる傾向が強まっている。d
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慶良間海域のポピュラーなダイビングポイントには慶良問側・本島側 双方のダイビング船による投錨がおこなわれている。座間味村では、周 辺海域のダイビングにあたって「座間味の習慣」を守るようにとのアピー ノレを1
T
なっている。 e.93年 4月には村長、議長、漁協長が県庁で会見し、次のように訴えて いる。• 6
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ヵ所のダイビング・ポイントは村民が先に見つけ利用してきた0 .発見者に所有権があるという座間味の習慣を守ってほしい。 -事故などのトラプルを防ぐためにも村民以外のダイパーや夕、イビン グ船は既存のポイントに近付かないでほしい。 ・本島側のダイビングショップとは話し合いに応じる。 f.これに対して那覇市などの6
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業者でつくるダイビング船ショップ連絡 会議(任意団体)は次の項目の自主規制案と、加入ダイビング船の番号 入りの黄色三角旗の掲揚などの申し出でを行なっている。 ・西浜・ウフタマ・ぶつぶつサンゴは座間味側優先。 ・アンカーリングの方法。 ・餌づけの規制。 ・ダイビングポイントでのトイレの使用禁止。 .連絡会議のメンバー船はフラッグを掲げる。 ・プイ設置、オニヒトデ退治など自然環境保護に関する協力…その他。 g. またダイビング業者団体のひとつである安全対策協議会の海域有効利 用委員会でもサンゴ保護を中心とした自主ルールを検討中であるという。 h. 座間味村側は、現在那覇市泊港に建設中の大型ホテルにも神経を尖ら せている。ここを起点とするダイビングの増加が予想されるからである。②
その他島外資本との攻防a
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那覇・慶良聞の不定期船問題…那覇市内のあさひ観光が12人乗りの高 速艇を座間味と渡嘉敷に不定期運航を就航させようとしたもの。 93年 5 月に表面化し問題になった。 12人以下の場合、総合事務局に届けでるだ けで運航ができる。渡嘉敷村と座間味村はそれぞれ、村営の船と競合するなどとして反対している。
b
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座間味リゾート訴訟…座間味村でリゾートホテルの建設を進めていた ケラマリゾート社(本土資本)が、一部住民の反対でホテルの建設がで きなかったとして、反対派住民11人に対して 2億円の損害賠償を求めた 裁判。同社は鉄筋コンクリート 3階建て 22室・定員60人のホテルを建設 するため90年10月に着工した。そこに反対運動が起こり住民が二分され た。このため村議会は同年11月、ホテル建設中止の要請決議を全会一致 で採択している。訴状によれば、反対派住民らは90年10月ころから約1 年間、工事現場前に車両を放置するなどして生コンや建築資材の搬入を 実力で阻止。さらに「自然を守る会j を結成、自然破壊などを理由に反 対運動を展開した。その聞にバブル経済がはじけ資金繰りが困難になっ たが、住民の妨害がなければ建設は完了していた、というものである。 訴えに対して住民側は、実力行為はなく村を挙げての運動だった。企業 の資金の枯渇が建設中止の原因で経営の失敗を住民に転化していると主 張。住民側代理人は訴え自体が不当だとして、逆にケ社に約3千万円の 損害賠償を請求する訴えを起こしている。 ③ 地域容量 (SpaceCapacity) 地域容量には交通機関や宿泊施設の容量から算出する入込地域容量 (Entering S.C)と生態系の状態などを基準にする受入地域容量(Recieving S.C.)がある。座間味村では入込地域容量では宿泊定員で現在+数百人と考 えている。受入地域容量の算出は困難であるが、ありのままの自然が観光 対象なので慎重に考えている。4
.
観光の発展段階と旅行商品 近代観光は観光主体(観光者)と観光客体(観光資源)を媒介する観光媒体 (観光産業)の発達によって可能になったものである。その後欧米先進国では 大衆社会化が進み、国民一般にも観光が普及し、観光産業も大型化してゆく。 こうした観光現象はマス・ツーリズムと呼ばれ、大衆観光と訳されることもあ るが、参加するツーリストの特定の範鴎や特殊な観光現象を示すのでなく、単に多数の観光往来を意味する、すなわち大量観光がより本質的な意味である。 マス・ツーリズムは観光の大量生産と大量消費により構成されている。 テクニカル・タームとしての観光の概念にいまだ定説はないが、たとえば、 井上万寿蔵の「観光とは人が再び戻る予定で、日常生活から離れ、レクリエー ションを求めて移動すること」のように、概念を構成する基本要素は、①日常 生活圏・日常生活からの離脱(交通機関発達、生活時間変化等により影響を受 ける)および②行為・活動の内容ないし対象(観光活動の多様化・個性化によ り影響を受ける)の二要素からなっている。 人がなぜ観光をするかについては「ほとんど本能的なもの」とする見方もあ るが、一般には心理学の助砂を借りて次のように説明されている。人間の欲求 はある特定の行動に対応するのではなく、普遍的に存在するものであるが、観 光という行動によって欲求が充足されると主体が認めたときに、欲求は動機と して顕在化して観光行動を生起させるエネルギーとなる。心理学者の
A
・H
・ マズローの「欲求段階説j に従えば、人間の欲求は生理的なレベルから所属と 愛情といった社会的レベル、そして自己実現のレベルまで階層をなしている。 観光はこれら各段階の欲求から生起しうる。マズローはまた、低次の欲求が満 足されると次の段階の欲求が顕在化し、さらに、その欲求が満たされることに よって、より高次の欲求があらわれると考え、最終的には、自己実現の欲求(潜 在的能力の発揮、自分がそうありたいと願うこと)がもっとも強い力をもつよ うになると説明している(図-2)。 図2
欲求の構造(マズローによる) 〈低次〉 生理的欲求 ) 生理的レベル 安全の欲求 所属と愛情の欲求 ) 社会的レベル 承認の欲求 〈高次〉 自己実現の欲求 自己実現のレベル 註:前田勇著『観光概論』より転載したがって、成熟化・個性化・洗練化など観光の高度化とは欲求段階の高度 化に則したものであると考えることができる。 観光の概念を構成する基本要素の一つは日常生活からの離脱である。日常生 活のなかで比重の高いものは、生存に必要な物資を得るための働きかけ、すな わち労働である。西欧では、産業革命以後の経済・社会改革で人々は労働によ り賃金を得、その余暇によって自由を得ることになった。西欧における近代観 光は労働と余暇をはっきり区別したうえで、余暇活動として行なわれてきたの である。 日本のマス・ツーリズムの発展は西欧とは趣きを異にする。経済中心主義を 特徴とする戦後の日本では以下に述べるように、観光を含む旅行サービスは、 供給のみならず需要についても経済活動に関連する部分が大きい。日本人の観 光をみる場合、経済活動を含む日常生活からの離脱を条件にすると、重要な部 分が研究対象からこぽれてしまうことも少なくないのである。 日本型経済システム構築による工業化過程の進行とともに、戦後の日本経済 は復興し高度成長が始まる。人々の旅行も終戦直後の買い出しにはじまり、交 通事情が好転するにつれて様々な業務旅行が行なわれ、修学旅行も復活する。 高度成長期に入ると職場の団体慰安旅行が急増し、海外渡航自由化
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年) 以後次々に発売される海外旅行パッケージ・ツアーの主要需要者も法人であっ た。 石油危機以後の日本経済は4 %成長の減速経済の軌道上に軟着陸する。 87年 には1人あたりのGDPで米国を抜き、追い付き追い越せの目標を達成、押し も押されぬ経済大国となる。経済成長至上主義・大企業中心主義が国民の聞に 浸透し、何でもカネで買えばよいの風潮も現われる。石油危機後の国民生活は 仕事より生活、職場より家庭志向が高まり、旅行では団体旅行より個人旅行の 需要が高まる。旅行・観光に対する法人需要はさらに多種多様(業務出張、海 外研修、プラントや工事建設などプロジェクト単位の旅行、業界の視察旅行、 大会・会議、交際費・接待費がらみの旅行…)になって行く。 観光需要の拡大に対し、どのような供給政策がとられたであろうか。数々の 政策の内もっとも有効に機能したのは航空運賃の団体包括運賃制度を基礎とする旅行商品政策であつったと考える。 交通サービスの特質の一つに需要の波動性がある。たとえば都市部の鉄道に おける朝夕の混雑と早朝、日中、深夜の空席、観光地でもオン・オフのシーズ ン波動は大きい。需要の大きな変化をできるだけ平準化し、投資される設備の 有効な利用を図ることを運賃面から行なう方法がピーク・ロード・プライシン グ (peak-loadpricing)である。ピーク時に運賃を上げ、オフ・ピーク時に運 賃を下げれば需要の変動は少なくなり、必要とされる基礎施設も少なくて済む。 ピーク・ロード・プライシングではオフ・ピーク時の利用者は設備の維持・運 営に関する費用のみを負担し、ピーク時の利用者はそれに加えて設備そのもの に関する費用も負担する。 日本では公式には航空運賃は運輸大臣の認可事項であり、往復割引やスカイ メイトなど割引制度の利用だけが航空券を安く手に入れる方法になっている。 実際には航空運賃にはピーク・ロード・プライシングが採用されているが、た とえば東京・沖縄問で最高65%引きという割引航空券を消費者が直接購入こと は法律で禁止されている。割引航空券は旅行業者に卸されて、宿泊など地上手 配と組み合わされたG 1 T (group inclusive tour,団体包括運賃)として消費 者にわたる。このため日本では航空機と競合する交通機関がないか、競合の少 ない目的地に旅行をする場合、個人で旅行手配をするよりは旅行商品を利用し た方がかなり割安な旅行ができるのである。 経済の発展に応じて観光需要は一斉に増大する。しかし観光欲求は生理的レ ベルから自己実現のレベルに至る各階層から生じるものであり、本来の観光需 要はきわめて個人的かつ多様である。このような一つ一つの需要に対応するき め細かな供給はすぐには不可能である。とりあえず画一的な供給システムが構 築されて一時的にせよ需給ノfランスが保たれる。フランス人のバカンス拡大に よるリゾート需要に対しフランス政府はラングドック・ルシオン地方のリゾー ト開発で対応した。日本人の観光需要の急増に対して政府は、旅行商品による 供給政策をとったのである。一億総中流社会といわれ、法人の接待旅行などの 需要も多い日本では、旅行商品を利用した相対的に安い価格での短期・豪華型 の旅行、画一的ではあるが安全な旅行方法が好ましいと考えられたのかもしれ
ない。 旅行商品は欧米先進国に比べて発達が遅れていた旅行業の体質を、待ちの商 法から能動的商法に変え、観光産業における影響力を大いに高めるにまでに発 展させた。しかし、旅行商品による観光の供給はあくまでも仮のものであり、 本物の供給体制が整うまでの臨時措置だと考えられる。 個々の観光需要は、ファッションでいえばオーダーメイドまたは高級ブティッ クなどでで販売される一品モノである。しかし、それでは大量観光のディベロッ パーは対応不可能なので、モードの共有が着目される。ライフスタイルによっ てセグメントされた顧客層と、かかる顧客層を説明するキーワーに言い換え れば、商品設計の核としての最小公倍数的概念の探求が行なわれる。そして、 共有されたモードを外示する意欲が高揚され、外示可能な商品としてのリゾー ト商品が完成する。この仕掛けが当たれば、あきらかに売れ筋となる。旅行商 品はマズローの欲求の段階における所属と愛情の欲求や承認の欲求など社会的 レベルの欲求により対応したものだといえよう。 平成不況を契機に戦後経済と社会の根幹の見直しが行なわれている。不況を 抜け出した先には西欧先進国のようなポスト工業化社会、成熟社会が待ってい るといわれる。時代は平均的で優秀な労働力にかわって個性的で創造的な人間 を求めている。これからは一人ひとりがきちんとした自分自身の価値観を持つ ことが重要だなどともいわれている。 ポスト工業化社会とはロストウの言う「高度大衆消費社会」であり、ガルプ レイスの「ありあまる社会j であろう。加藤秀俊はこれを
i
(
完成はまだだが) 工業社会を達成してしまった社会。合目的的生産の論理を押し切ることに無理 が出て、社会の余剰エネルギーが生産という社会目標とかかわりないろころに 大量に放出される社会」だという。 そのように成熟した社会での観光は、日常生活からの離脱を基礎とする本来 のものになるだろう。観光行動は自己実現のレベルなど、より高度な欲求段階 から生起したものとなり、それに対応した供給も行なわれる。これには、パソ コン通信など高度情報技術の普及が一役買うはずである。圏内旅行はもちろん 海外旅行の分野でも旅行商品の存立基盤は限定されたものになるだろう。マス・ツーリズムで肥大した観光媒体も正常化に向かい、小量需要・小量供給を内容 とする小量観光が特徴のーっとなる社会が予想される。 イギリスのグリーン・ツーリズムなど西欧の事例をみるまでもなく、日本で も小量観光の傾向はすでに多数現われている。たとえば、国内観光における洗 練された観光者の一部は慶良間諸島にやってきてダイビング観光のリピーター となり、あるいは沖縄の離島でホ何もしない汐観光者になっている。 慶良問と那覇市との問、 30~50kmの海峡は大量観光と小量観光の接点、として 注目される。周辺の海域の自然を観測し、具体的に保護活動をすることができ るのは、まずは地元の人間である。彼らの地域活性化と環境保全に観光がどの ように貢献できるかの試みは大いに支持・支援されてしかるべきである。 しかしさらに重要な点は、 M.チクセントミハイのいう「多数のいかなる報 酬も生まない数多くの没頭している人々に出会う」場を沖縄のどこかに持ちう るか、そこでのレジャーが「レクリエーション、すなわち労働に戻る能力・体 力を回復するのでなく、我々の精神的なもの自体を開発する時間、宗教的なも のにゆっくりふれる時間、それに思いを馳せる時間、そして天の一角からより よきものを与えられるものを待つ時問、よりよきものを与えられる状況、より よくするために自己を深める時間
J
(ヨゼフ・ビーバー)となりうるかである。 ことは、日本政府の「沖縄が圏内唯一の亜熱帯地域にあることから、復帰後は 国民のレジャー基地にしようJ
のレベルを越えて、成熟化社会における沖縄の 存在に関する命題へとつながってゆくのである。[註]