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高等学校における伝統的な言語文化の指導-生徒の学習意欲の育成を中心として-

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Academic year: 2021

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(1)Title. 高等学校における伝統的な言語文化の指導−生徒の学習意欲の育成を中 心として−. Author(s). 青山, 昌弘. Citation. 国語論集, 15: 72-80. Issue Date. 2018-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/9742. Rights. 19. Hokkaido University of Education.

(2)      . 高等学校における伝統的な言語文化の指導 十生徒の学習意欲の育成を中心として十. 一、 は じ め に. 現在、高等学校における古典 の指導方法は、様 々な工夫 ・ 開発 が成されている。その背景の 一つは、現行の学習指導要領で新設さ 、言語活動の れた﹁ 伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項﹂ 充 実 、アク ティブ ラ ー ニング 等 が あ る。教 育 現 場 では、﹁ 学 び 合 い﹂. ﹁ など、多様 共同学習﹂﹁ 群読﹂﹁ 演劇化﹂﹁ 古典詩歌の創作と交流﹂ に実践されている。このような学習活動は、従来の古典文法や語句 の注釈を中心とした学習、一斉指導中心型の授業、教師 の講義形. 式 を 中 心 と した古 典 の授 業 から の転 換 を 促 したと いえ る。ただ、生 徒 全 員 に古 典 への学 習 意 欲 を 育 成 す ること 、アクティブ ラー ニング. 型 の活動に抵抗感を持 っている生徒への対応、国語科 固有の学 力 ︵ 言語能力から活用型学力︶の向上などの課題も現れて来ている。 このことは、高等学校国語科の古典の学習指導が、基礎基本の習得 から活用へ の学習過程が明確でなかったり、生徒に身に付けさせる 国語科の学力や言語能力が暖昧であったりしたことが原因の 一端 ではな いかと 考 え ら れ る ︵ 注 1︶。後 述 す るが 、何 より、現 状 の高 等. 学校の古典 の指導において、生徒の古典に対して学ぶ意欲が低下し 古典の学習意欲とは、古文・ 漢文等を自ら進んで学びたいと心に. ていることが、最 大 の課 題であ る。. 抱 き 、親 しむ態 度 であ る。そ のためには、今 、改 めて、国 語 科 授 業 の. 中で、生徒 一人 一人に明確に古典 ︵ 伝統的な言語文化︶を学ぶ意. 青山昌弘. 科・ 科 目に おいても 学 ぶ意 欲 を 育 て、さ ら に高 めること は容 易 では. 義を、教師が明確に伝えることが求められる。古典 ︵ 国語︶ を学ぶ 意義を生徒が実感を持った時、学習意欲は育まれ高まるのではない か。古典に限らず、現代文や国語科 の全領域 の学習内容、他の教. ない。だが、国語科授業や 日々、生徒と接する中で指導することが できた時、生徒 の﹁ 人間性 ・ 社会性﹂等 の育成、教育基本法 ﹁ 第一. 教 育 の目 標 ﹂にあ る ﹁ 章 ﹂﹁ 伝 統 と 文 化 を尊 重 し、それら を はぐ くん. あ る。. できた我が国と郷土を愛する﹂ 態度の育成にも繋がるだろう。 本稿は、高校生に﹁ 古典の学習意欲﹂の育成をする指導のあり方 を、具体的な教材開発とその指導 の実際を通して述べていくもので. 二、求められ ている古典 の指導と評価 の改善と 工夫 中央教育審議会答申 ﹁ 幼稚園、小学校、中学校、高等学校 及び 特別支援学校 の学習指導 要領等 の改善 及び必要な方策等につい 第2部 第 て二平成 二十八年十 二月二十 一日の第 一〇九回総会︶﹁. 2章 各 教 科 ・ 科 目等 の内 容 の見直 し﹂に次 のよう に述 べら れている。 な お、便 宜 上 、ABCに整 理した。. A 高等学校では、教材への依存度が高く、主体的な言語活動が 軽視され、依然として講義調の伝達型授業に偏 っている傾向 があり、授業改善に取り組む必要がある。. 2 7.

(3)          . に活 用 す ること 、多 様 な メデ ィアから 読 み 取 ったこと を踏 まえ. B また、文章 の内容や表現の仕方を評価し目的に応じて適切 て自分の考えを根拠に基づいて的確に表現すること、︵ が課題 とな っている。︶. 習 意 欲 が低 いことなどが課 題 とな っている。. C 国語の語桑 の構造や特徴を理解すること、古典に対する学 ︵ 括弧内の補筆および傍線部は引用者︶ この答申は、現在 の高等学校国語科 の課題を端的に示している。 Aの部分は、教師 の語句や文章表現などの 一方的な説明から言語 活 動 の充 実 への転 換 、アクティブ ラー ニング型 の授 業 改 革 を より迫 る も のであ る。Bの部 分 は、いわゆ る活 用 型 学 力 の育 成 が 二〇 〇 八 年. 性 が読 み 取 れ る。よ って、Bの部 分 はAの部 分 と の関 連 も 深 い。Cの. 版学習指導要領で示されたものの、その育成が十分ではない。より 生徒自身 の考えを発信することのできる授業を保証していく必要. では、. 部分は、学習指導要領のいう ﹁ 伝統的な言語文化と国語の特質に 関する事項﹂へ の課題である。現行の高等学校学習指導要領国語編. ﹁ 伝 統 的 な 言 語 文 化 への興 味 ・関 心 を 広 げ る﹂ためには,古 文. ︵ 傍線部は引用者︶. と漢文だけでなく,古典に関連する近代以降 の文章や,伝統 芸能,年中行事など,多様な方面からアプローチすることが大 切である。現在,我が国は 一層の国際化に向かい進んでいるが, その中にあって我が国の伝統的な言語文化の独自性と価値を 知り,それを尊重する態度の育成は,これまで以上に重要にな っていることを 認 識 す る必 要があ る。 伝 統 的 な 言 語 文 化﹂ と述 べら れている。二文 構 成 であ る。後 半 部 は ﹁ を 通 して、日本 人 としてのアイデ ンティティを 確 立 していくことを 目. 指している。生徒に育成すべき態度を明確に示しており、古典を指. 導 す る上 で、このことを 教 師 が意 識 す るだけ でも 、生 徒 一人 一人 に 伝 わるも のはあるだろう 。. 注意すべき点は、傍線部である。これは、先に触れた中央教育審 古典に対する学習意欲が低 議会 の答申 の課題として挙げられた﹁. い﹂こと と 、密 接 にかかわ っている。な ぜ な らば 、現 行 の高 等 学 校 学. 必 要があ るということだ。答 申 は、この吟 味 を より求 めているも のと. 習指導要領国語編の記述は、教科書に掲載されている古典文学作 品の指導だけでなく、それ以外の教材 の開発や学習指導 の工夫を を高め 求めるものであるからだ。生徒 の﹁ 古典に対する学習意欲﹂ るためには、教科書に掲載されている古典の指導だけでは保証され ないと見るべきだ。より明確に言えば、古典の指導には、各学校の生 徒の実態や学校の特色を踏まえ、学習する内容を相当に吟味する. そして、この答 申 より 以 前 に発 表 さ れ た、文 部 科 学 省 設 置 の妻臼. 読み取れる。. るo. 内容と評価の在り方に関 成すべき資質 ・ 能力を踏まえた教育 目標 ・ における﹁ 2,今後育成すべき資質 ・ 能力 する検討会﹂ の丞剛点整理﹂ について ︵ 3︶ 今後、初等中等教育 段階において育成すべき資質 ・ では、次のように述べられてい 能力欠平成 二十六年三月三十 一日︶. 特に、①グローバル化や情報通信技術の進展など今後の社会の 変化も見据えながら、自立した人間として、他者と協働しな がら、新しい価値を創造する力を育成する観点から求められ る資質 ・ 能力について検討する必要がある。具体的には、例え ば、﹁ 体 に関わる ﹁ 対人関 能 二他者と協 主 性 ・ 自 律 性 力 係 力 ﹂ 創造する力﹂ 働する力三 課題を解決し、新たな価値を主導 ・. ﹁ 持 続 力 等 ︶﹂﹁ 情 報 活用能 力﹂ 学 びに向 かう 力 金恩欲 ・ 集 中力 ・ ﹁ グ ロー バル化 に対 応 す る力 ︵ 外 国 語 によるコミュニケ ー ション能. など 力、② 日本と外国の伝統や文化に対する深い理解など︶﹂. −73−.

(4)        . について、今 後 求 められる資 質 ・ 能 力と して重 視 しつつ、検 討 す る必 要があ ると考 え られる。. ︵ 傍線部は引用者。なお便宜上①と②の符号を付けた。︶ 今後、数十年後の日本と世界を取り巻く状況をどのように捉え るべき か。そ のこと を 傍 線 部 ① は端 的 に示 している。より詳 しく 述 べ るな ら ば 、グ ロー バリゼ ー ションがさ ら に進 み、英 語 によるコミュニケ ー ションも 論 理的 に考 え て話 したり聞 いたりす る能 力 が 必 要 にな る と 捉 え ること であ る。また、来 たる 二〇 四 五 年 、シンギ ュラリ ティー. を迎え、 工 ︵ 技術的特異点︶ を えると言われ 人 知 能 人 が 類 の 能 知 超 ており、第四次産業革命が到来する。払綱点の整理﹂ には、その時に 求 めら れ る 必 須 の能 力 を 列 挙 さ れている。そ の中 で、注 目 す べき は. 検討会等が示した今後数十年後の日本と世界を取り巻く状況を 踏まえると、生徒 一人 一人に学力保証として古典に対する学習意. 欲 を 育 成 す る必 要 があ る。日本 人 と してのアイデ ンティティの確 立 に繋 が るから であ る。それが 延 いては、シンギ ュラリ ティー を 迎 え た 社 会 においても 活 躍 でき る資 質 の基 盤 とな り得 るのであ る。. 三、近年 の実践研究 の把握 古典に対する学習意欲﹂、生徒自らが ﹁ まずは、﹁ 伝統的な言語 文化﹂ に親しむ態度を、近年においてどのような研究や実践が成さ. ﹁ 古典に対する学習意欲が低い﹂ ことは、言い換えれば、古典の授. れているのかを 見ていくところから始 めたい。. 業 に苦 手意 識 を 持 つ生 徒 が多 く いること を 示 していること であ る。. この点に着目した野田千格 ・ 若杉祥大 ・ 林徳冶の 一連の研究は、こ の実態を勤務校で調査した上で、どのような学習指導が有効かを. 日本と外国の伝統や文化に対する深い理解﹂ 傍線部② ﹁ である。外 国の言語や文化を理解するにも、やはり日本 の伝統文化をしっか りと 自 信 を 持 ってこそはじめて可 能 にな る。国 語 科 で言 えば ﹁ 伝統. 講 義 形 式 中 心 の授 業 を イメー ジでき る。そして三 つ目は、これ ら を. 解﹂﹁ 筆者 の主張の読み取り﹂﹁ 時代背景や文化に関 主語の把握﹂﹁ する知識﹂に整 理している。詳細は、野田千格 ・ 若杉祥大 ・ 林徳冶 ﹁ 高校生 の国語に対する苦 手意 識に関する調査研究﹂によるが、 ﹁ 文法の理解 、すなわち古典文法の学習事項が際立って多い。次い ﹂ で﹁ 漢字 ・ 語句 ・ 単 語の意味;筆者 の主張の読み取り﹂である。これ らの苦 手意識を持 つ学習内容から、古典 の学習指導で 一斉指導 ・. 手な のかを 示 したこと であ る。﹁ 単 語 の意 味 ﹂﹁ 漢 字 ・語 句 ・ 文 法 の理. による内省は、高校の古典 の学習指導をより改善すべきだというこ とを我 々に訴える。もう 一つは、具体的にどのような学習内容が苦. に対 してアンケ ートによって明 確 に示したことであ る。この生 徒 自 身. 示したも のであ る ︵ 注 2︶。 この調 査 ・ 研 究 で注 目 す べき 点 は、大 き く 三点 であ る。 一つは、七. 割 以上の生徒が古典 への苦 手意識を持っていることを、実際の生徒. ら の社 会 においても 、生 き ていく中 で基 盤 と なる資 質 を育 成 でき る. 的な言語文化と国語の特質に関する事項﹂ の学習指導を中心に培 うことのできる態度であろう。高等学校国語科の﹁ 伝統的な言語文 化と国語の特質﹂の学習は、科学技術がより進展して行く、これか と思われる。日本の伝統や文化に自信や誇りを持つためには、先に 触れた、中央教育審議会答申の指摘するところの﹁ 古典に対する学 状 の では、不可能であると判断して過言では 習意欲が低い﹂ 態 ま ま あるまい。﹁ 伝統的な言語文化﹂ に興味を持ち、自らが学び親しむ. こと は、日本 の伝 統 文 化 への誇 り ︵日本 人 的 アイデ ンティティ︶を 実 感 した時 ではな りだろう か。 ﹁ 論 点 整 理﹂の﹁ 5.指 導 方 法 の扱 い等 について﹂では、﹁ 指導 方 法 と. 併せて、資質 ・ 能力を効果的に高めることができる教材の在り方に ついても 研 究 が 必 要 であ る﹂と 述 べている。単 に小 集 団 によるグ ルー. プ学習や話し合いや演劇化などの学習活動にシフトするのではなく、. 4 7.

(5) 実施など成績上位者もより学習に対して意欲的になるような働き かけが必要かも知れない﹂﹁ 成績上位者 の学習意欲が高まったにも かかわらず成績が向上できなかった﹂ という。授業の学習内容を成 績上位者に合わせるというのではなく、古典の指導内容のどのよう な課題が、グループでの学習活動で取り組ませるかをより吟味して、 授業計画や学習内容を精選する必要があることを我 々に示すも のと考えられる。次に、協 同学習自体に抵抗を感じている生徒への 対応である。また、﹁ 他者との関わりを苦手とする生徒はグループ. 性 を 生 かしたよりよい授 業 を 考 え ていき たい﹂と まと めている。グ ル. した点 は大 き い。ただし、野 田 ・ 若杉 ・ 林 ら は、大﹁後 もグ ループ学 習. は古典により興味関心を抱く﹂ と結論付けたことである。 研究成果として、集団で学習する環境にいるのならば、個人の学 び︵ グループやクラス全体︶へ 自分の考えや意見︶から集団の学び ︵ と 展開することの有効性を、高校の古典の学習においても有効だと示. グ ルー プ学 習 が 必 要 であ り ,グ ルー プ学 習 を す ること によ って生 徒. を取り入れた授業を行い、一斉授業とグループ学習型 の授業 の特. 導に比べて、古典の学力や学習意欲の上昇が見られたことは事実で ある。けれども生徒全員がすぐ共同学習に馴染むことはできない. 踏まえて授業改善を実施して、野田・ 古典 の学習には 若杉 ・ 林は、﹁. ープ学習型の授業と 一斉指導型の授業とのバランスを課題とした。 野田・ ・ 究において、古典 文法をグループ学習に取 若 杉 林 の 実 践 研 り入れている。たしかに﹁ 文法の理解﹂ が苦手意識の筆頭に挙がって. から活用へ の学習段階を踏まえた指導が必要だろう。. ないだろう か。. 回することによって、﹁ 古典に対する学習意欲﹂ を育成することは明 らかだが、なお課題が残る。授業の方法論も大事ではあるが、根本 的に古典 ︵ を学ぶ意義を指導する視点が、やや欠如してはい 国語︶. このよう に古 典 の授 業 を アクティブ ラー ニング への指 導 に改 善 ・ 転. だろ う 。アクティブ ラー ニング 型 の授 業 を 実 施 す るには、基 礎 基 本. 内 ではあ まり話 さ ず 、黙 々と 一人 で進 める場 面も 見ら れた﹂とも 述 べら れている。アクティブ ラー ニング 型 の授 業 が、 ﹃斉 授 業 中 心 の指. いるため、グルー プで学 習 さ せること で、そ の意 識 を 取 り払 っていく こと を 目指 したのだろうが、 一時 間 の授 業 の中 で学 習 の核 心 部 が何. か分かりにくくなる面もあるように思われる。 また、熊谷圭 二郎 ・ 河村茂雄による研究論文は、古典 の授業で ﹁ 共 同学 習 ﹂を 実 施 した効 果 を 知 ること ができ る ︵ 注 3︶。公 立 高 校. 二年生を対象に、協同学習型の授業と通常の講義中心型の 一斉授 業とを三カ月間、継続して受講し、その成果を比較 ・ 考察するとい. 四、教材開発の視点と指導内容 の明確化 教材へ の依存度が高﹂ いと指摘する。ただ、高等学校の授 答申が ﹁ 業計画はあくまでも教科書に掲載されている教材を基盤に扱う必 要があるのも事実である。限られた授業時間数の中で、﹁ 多様な方. う も のであ る。 この研 究 によって注 目 すべき は次 の二点 であ る。 一つは、校 内 で行. われた考査における古典 の学年偏差値が、協同学習を実施したク ラスは講義中心型 一斉授業のクラスよりも成績が向上したことであ. 面 から アプロー チ﹂を す ることは、実 際 には難 しい面も あ る。そこで、. まず留意すべき点は、二時間から三時間以内に完 了する学習指導 計画を立てることである。一見、学習内容が十分に指導できないと 思われる。だが、数時間で学習を完了した方が、指導する内容を精. る。も う 一つは、生 徒 間 の相 互 作 用 が進 む に つれ て、苦 手意 識 を 持 っていた生 徒 も 予 習 をしっかり行 い意 欲 的 に参 加 していることであ る。. ただし、熊谷 ・ 河村は、研究論文の考察で課題も述べられている。 まず、成績上位者 の成績を向上させるための対応である。﹁ 成績上 位者にあった学習課題のレベル設定や要点をまとめた簡潔な授業の. 5 7.

(6)    . に入る前に、生徒に﹃十六夜 日記﹄の概略について板書を通して説明 する ︵ 注4︶。. 選することができる。それは、﹁ 古典に対する学習意欲﹂ に焦点を当. そして、生 徒 の実 態 や 学 校 の特 色 を 生 かす ことも 求 めら れる。勤. てた学 習 内 容 に絞 り 込 むこと ができ ること でも あ る。また、生 徒 に. とっても学習内容を定着させるのにも有効な考え方である。 務する高等学校では、教育 目標に﹁ ものづくりを通して、地域社会 に貢献できる人材 の育成﹂に重点を置いて日 々の指導に当たってい る。このことを基盤とした指導 ・ 支援が各分掌や教科に求められる。 国 語 科 に おいても 、新 しい教 材 開 発 で押 え るべき 点 は ﹁ も のづく 地 域 社 会 ﹂と いう 視 点 を 持 つこと であ る。﹁ 地 域 社 会 ﹂と いう 視 り﹂﹁. は教材としては用いず、あくまでも東三河の地名が詠み込まれた和 歌に焦点を当てる。すると、指導内容は次のように明確になる。. 理解 しや す いも のとな るはず であ る。そこで﹃十 六夜 日記 ﹄も 地 の文. 古典文学 の中でも物語 ・ 随想などの長文を扱うよりは短い文章で あり、教師による説明や 発問をシンプルにすれば、生徒にとっては. 。 ﹁ ﹁ ﹁ で を 嘆 す 二 わ た め や の は 詠 表 句 目 たかしの浜 が や 間 投 助 詞 ﹂ ﹂ む ﹂の文 法 的 説 明 であ る ︵ な ら む ﹂は、推 量 の助 動 詞 ﹁ 注 5︶。だが、. 和歌の学習指導は難しいといわれる。和歌の修辞 ・ 助詞 助動詞 ・ などを踏まえて 一首のロ語訳と解釈までには時間もかかると捉え るからであろう。阿仏尼の和歌の場合も同様に捉え得る。一句目. わがためや浪もたかしの浜ならむ袖の湊の浪は休まで. たも のがあ ること を 説 明 す る。そして、次 の阿 仏 尼 の和 歌 を 板 書 し た。. 次に、阿仏尼は東海道を通った旅の中で歌枕ごとに和歌を詠ん でいることを述べた上で、その和歌の中には現在の東三河の地を用い. ていると 見ら れている。. ・ 作者 =阿仏尼 ・ 鎌倉時代中期に成立したと考えられている。 ジャンル︵ 文種︶=紀行 日記 ・ 主な内容 =作者である阿仏尼が弘安 二︵一二七九︶ ・ 年の十月二十 六日から二十九日までの期間、京都から東海道を通 り鎌倉に下った時 の紀行 日記である。阿仏尼は年老 いた身体で自身 の子・ 藤 原為相の遺産相続に談判を するために鎌倉に向かう。そこには母性愛が貫かれ. 点は国語科 の古典指導においても生かしやすい。これまでの研究で 開発されてきたように、生徒が暮らしている地域に根ざした作品を 取り上げることである。具体的には地名が登場する古典文学を教 材 と して取 り上 げ ること であ る。 一方 で、﹁ も のづく り﹂と いう 視 点. はやや 国語科の教材化に苦慮するだろう。﹁ ものづくり﹂ という視. 点 を 、今 回 の実 践 研 究 では、﹁ 人 の手 によ って形 作 ら れ たも の﹂と 捉 え ること と した。この捉 え 方 によ って、歌 碑 を 教 材 と して用 いること を 構 想 した。. 東 三河の文学ー表現と伝統十﹂ 五、授業 の実際 ﹁ 第 一学年の国語総合 ︵ 二単位︶ で実際に行った二時間の指導計画 を基に、順に扱 った古典 文学作品の特徴を踏まえ、教材化の視点 と指導のポイントについて述べていく。なお、単 元名 ﹁ 東 三河の文学 本時から東 三河に関 ー 表現と伝統ー ﹂ と設定 ・ 板書し、その上で﹁ わりの深い文学作品を学習する﹂ ことを伝える。 ︵ たかしの浜ならむ﹂ 1︶阿仏尼 ﹃十六夜 日記﹄所収 の和歌 ﹁ 阿仏尼が著わした﹃十六夜 日記﹄ に所収されている東三河の地名 が用いられた和歌を実際の授業で学習指導した。和歌自体の学習. ー. 6 7.

(7)    . 二句 目 の﹁ たかし﹂は平 仮 名 による表 記 から 掛 詞が 用 いら れている. ことが読み取れる。阿仏尼が和歌に﹁ 浪﹂ を用い、東海道を通った中 にあ る歌 枕 から 判 断 して ﹁ たかし﹂とは、波 が コ働い﹂と いう 状 態 と 三 河 国 の歌 枕 の地 コ局師 ﹂と を 掛 け ていると 容 易 に読 み取 れる。よ って、 一首 は ﹁ 私 が来 たためであ ろう か。高 師 の浜 の浪 も 高 いのは。私 の袖 の涙 の浪 は休 まな いでいるが。﹂と 口語 訳 でき 、阿 仏 尼が単 身 、息 子. のために遠方まで来た悲しみや辛さを内 面に抱えていると解釈で き る。 ただし、ここで注 意 すべき 点 があ る。それは コ局師 ﹂と いう 地 名 が、. ても 聞 き 馴染 み のあ る地 名 としては、和 泉 国 のコ局師 ﹂であ る。海 岸. ﹃ 金葉和歌集﹄ に載り、﹃小倉 百人 一首﹄ にも採録されている祐子内 親王家紀伊の和歌 玄白に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれ もこそすれ﹂ に詠まれるように、和泉国 ︵ 現在の大阪府︶ にも同じ地 。祐子内親 王家紀伊だけでなく、阿仏尼にとっ 注6︶ 名が存在する︵. それ は観 念 と して捉 え ていること であ る。しかし京 都 から 東 海 道 を. のことを生徒に指導する。. と して見 ること ができ る。ただ 、実 際 には校 訓 の刻 ま れ た 石碑 を 授. 2︶校訓 ﹁ ︵ 切瑳琢磨﹂ 指導計画における二時間目の授業である。校 訓である﹁ 切瑳琢 磨﹂ を用いた。ほぼすべての高等学校で、校訓は学校の敷地内に石碑. 業で学習する機会はあまりないだろう。単に就職試験を前に覚え させるのではなく、教育 目標を鑑みると、授業で扱うべきだろう。 しかも、国語科固有の指導内容に繋がるのがよい。後述するが、歌 碑との関連は極めて有効であると考えた。石碑や歌碑は、その成り. 立 ち を 後 部 に記 す 。本 校 の校 訓 には ﹁ お 互 いに励 ま しあ い向 上 しよ う 贈 昭 和 六 十 四 年 三 月 卒 業 生 一同 ﹂と 刻 ま れ ている。この当. く り﹂の現 場 において、第 一線 で活 躍 さ れる世 代 であ る。校 訓 ﹁ 切瑳. 時の卒業生は現在では、生徒 の保護者世代や企業 ・ 工場の﹁ ものづ. る。. 生 徒 に 四句 目 ﹁ いらごが崎 ﹂とは、現在 のどこを 指 す か発 問 す る。 この発 問 は、生 徒 にと ってす ぐ に 田 原 市 の﹁ 伊 良 湖 岬 ﹂のことだと 理. 今 もな おそ の大 君 のあととめて いらごが崎 のたまも をぞ かる. ︵ 3︶糟谷磯丸 の歌碑と万葉歌碑 生徒は校訓 ﹁ 切瑳琢磨﹂の石碑に触れたことによって、歌碑 へ の学 習が移行しやすくなった。そこで次の歌碑に刻まれた和歌を板書す. メノo. および周辺の松林は景勝地として古くから有名である。阿仏尼は、 琢 磨 ﹂を 自 分 の親 世 代 と 共 有 している のであ る。この事 実 を 生 徒 に 和歌の素養として三河国の歌枕の地 ヱ局師﹂ を知り得たはずである。 伝えることは﹁ 伝統的な言語文化﹂の指導として極めて大事である 通り実際に三河国の歌枕の地 コ局師﹂ を眼前にした時、阿仏尼は涙. す る。そ の発 端 と な る のは、﹁ タカシ﹂と いう 同音 と コ局師 ﹂と いう 同 じ漢 字 を 用 いていること を 直 接 体 験 す ること によ ってであ る。三 河. 国 二局師﹂ という地は、自ずと阿仏尼に故郷で自分が為相と過ごし 得 た、そ の付 近 に位 置 す る和 泉 国 のヌ局師 ﹂を 想 起 さ せる。この二つ の歌 枕 を想 起 さ せることこそ、阿 仏 尼 の和 歌 の巧 みさ が際 立 つ。. ﹁ 高師﹂ という地名は豊橋市東南部に現在も残る。在学する生徒. にと って ﹁ タカシ﹂と 発音 す る言 葉 は、地 元であ る コ局師 ﹂を 連 想 しや. 脈 々と 維 持 してき た人 々の努 力 によ って現在 も 残 るのであ る。以 上. すい。そして、鎌倉時代に阿仏尼が訪れた場所であり、今もなお見 た景観を垣間見ることができる。豊橋市高師 の風景は、その歴史を. ー. 7 7.

(8)    . 解 でき る。. 湖 岬 の玉 藻 を 採 っている のだ ﹂と 平 易 に現 代 語 訳ができ る。生 徒 に. ︻首 の意味も実に分かりやすい。和歌の修辞的な技巧や古典文 もなお、その大君の跡を留めて伊良 法で分かり難い箇所はない。太﹁ も簡潔な説明でロ語訳まで可能であるので、抵抗感なく和歌の意 味 を 捉 え ることができ る。ただし、結 句 ﹁ たま も をぞ かる﹂が生 徒 に 玉藻 ﹂であ と ってはや や 理解 し難 い。﹁ たまも ﹂は漢 字 で表 記 す ると ﹁ かる﹂ る。栄 養 のあ る美 味 しい海 藻 と いう 意 味 だと 説 明 した上 で、﹁ が﹁ 刈 る﹂ことだと 捉 え る。これで 一首 の 一通 り のロ語 訳を 終 え るこ. 糟谷磯丸によ とができる。そして、作者である田原市伊良湖出身 ・ って江戸時代に詠まれたものだと説明する。. そ の大 君 のあ ただ し 一首 には 一つ不 明 瞭 な点 が残 る。第 二句 目 ﹁ あ と と めて﹂が 尽﹁ と と めて﹂であ る。﹁ そ の大 君 ﹂と は誰 のこと か。﹁. 、すなわち、糟谷磯丸が生きた江戸時代を指すのは明らか もなお﹂. であ る。﹁ あ と と めて﹂と は、糟 谷 磯 丸 が 生 き た時 代 以 前 であ る。. ﹁ は指示語であるから、本来は直前の文章や語句に着眼すれ その﹂. ばよいが 、 一首 にはな い。そこで、糟 谷 磯 丸 の歌 碑 云﹁も な おそ の六 君 のあ と と めてi ﹂の付 近 に次 の歌 碑 があ ること を 板 書 により 示 す. 打ち麻を麻続の王海人なれや伊良虞の島の玉藻刈ります. ﹁ では右 の は﹁ 菌葉集﹄ 打ち麻を﹂ 麻続の王﹂にかかる枕詞である。﹃. 麻 続 王は海 人でいら っしゃるのか。 歌 の 一例 のみ使 用 さ れる。 一首 は ﹁ そう ではな いのに伊 良 湖 の島 の玉 藻 を 刈 っていら っしゃる。﹂と ロ語 が﹁ 麻 続 の王﹂で そ の大 君 ﹂ 訳でき る。この歌 に触 れ ること によ って、﹁ あ ると 分 かる。奈 良 時 代 、﹁ 麻 続 王 ﹂と いう 人 物 が存 在 して、現 在 の. 王﹂な る人 物 が歌 を 詠 んだ。このよう な 作 歌 事 情 がわかる。ただし、. 麻続 王﹂の姿を 伊良湖付近に流された。命惜しさに玉藻を食べる﹁ 麻続 見た、当時伊良湖に住む人が歌を詠んだ。その歌を受けて﹁. 注 8︶。 ないと 捉 え ていることを 生 徒 に伝 える ︵. 麻続 王﹂の作では 現在の﹃菌葉集﹄研究においては、二十 四番歌は﹁. 糟 谷磯丸の歌碑から万葉歌碑を読むことを通して、生徒にどの もなおその ような伝統的な言語文化を教えるのか。糟谷磯丸の忍﹁ 菌葉集﹄ 巻 犬君のあととめてー﹂の和歌に用いられている語句と、﹃ う つせみの命 二十 四番歌を比べた時、江戸時代、糟谷磯丸が ﹁ 一・. を 惜 しみ ﹂を 踏 ま え て自 身 の和 歌 を 詠 んでいること は明 ら かだ。糟. も のづく る職 人 、加 工 す るためには電 子 機 械 を 作 る 人 。そこには ﹁. 。 。 は ん 菌 の 歌 を 学 だ ﹃ 高 葉 集 ﹄ の 和 歌 が 詠まれた奈 注7︶ 谷 磯 丸 ﹃ 葉 集 ﹄ 和 ︵ 江戸時代︶ でも伊良湖で 良時代から、糟谷磯丸は自身が生きる今 ︵ の玉藻を刈る伝統が脈 々と続いていることへの感動が読み取れる。 うつせみの命を惜しみ波に濡れ伊良虞の島の玉藻刈り食む 菌葉集﹄巻 一・ 二十四番歌は、田原市 だが、それだけではない。﹃ 鈴木翠軒 の書による。昭和中頃に歌碑が伊良 菌葉集﹄ 二十四番歌から採られた 一首である。 出身 の文化功労者 ・ 右 の和歌は﹃ 巻 一・ ﹁ う つせみ の﹂は ﹁ 私 は命 惜 しさ に 湖岬に完成した。糟 谷磯 丸の和歌が歌碑として刻まれた書が、現 命 ﹂にかかる枕 詞 。 一首 の意 味 は ﹁ 平成︶ になり、田原市に在住する 一般の書道愛好家の手による 在︵ 波 に濡 れて伊 良 湖 の島 の玉藻 を 食 べている﹂と ロ語 訳でき る。この和 ものだと生徒に伝える。歌碑にするには、単に和歌を詠むだけでは 歌 の作 者 ﹁ 私 ﹂が ﹁ そ の大 君 ﹂であ る。け れ ど も ﹁ そ の大 君 ﹂が誰 を 指 終わらない。書道という 一つの芸術家 の表現の有り様、石を加 工す. 番 歌 に応 じた歌 であ る。そこで次 の和 歌 を 板 書 す る。. 巻 一・ 二十四番歌は、二十三 菌葉集﹄ すのかはまだ明らかでない。﹃.  . 8 7.

(9)                  . り﹂に携 わる人 々の技 術 が確 かに息 づいている。す なわち、奈 良 時 代. から平成 の今 日にまで、田原市の伊良湖に関する事柄が各時代の. ど、高師や伊良湖みたいに身 近なところにもあるのだと驚. ⑥ 昔 の文 化 と かは学 校 の授 業 で習 って終 わ りだと 思 っていたけ. ⑦今 日の授業で、古くから今までのどの時代にも伝えたい想い. き ま した。京 都 と かにも 行 って歌 碑 と か探 してみたいと 思 い ま した。. 事実を生徒に教え、各自 の感想をノートに記述させ、二時間の授 業を終えた。. った 。. があ り 、そ れ を 受 け 継 がれ ていると いう ことが 分 か った。意 外 と身 近 な ところでもこのよう に受 け継 がれていること と か があ る ので面 白 いと 思 いました。他 にも 何 かあ るのか気 にな. 人 々の想 いや 技 術 によ って、連 綿 と 受 け 継 がれてき た のであ る。この. 六,指導 の考察ー 二時間 の国語科授業 で何を教えるかー 授業を通して東三河の文学に触れた生徒がどのような感想を持. 古典 の学習意欲は、生徒の感想に見られるように、自分たちが 生活する地域に根ざした古典 文学への驚きや素晴らしさを、自分 自身が実感した時に育まれていくものだろう。身近な地域の事実を 教材として学び、日本の伝統文化へ の誇り ︵ 日本人的アイデンティテ ィ︶を実感できたといえよう。そして、古典を学ぶ意義を明確に実. ⑧ 今 回は地 元 の詩 を 読 んでと ても楽 しかったです 。自 分 のそこ には行 ったことがあ るのです が意 味 がわ から なく 帰 ってしま っ た ので今 年 も う 一度 行 き たいです 。. った のか。生 徒 の感 想 を 一部 ではあ るが 、分 析 す ること を 通 して考. 察としたい。なお、便宜上①∼⑧の番号を付けた。傍線部はすべて 筆者によるものであり、生徒の記述は、誤字や脱字等は添削した。 ① 自 分 の知 っている場 所 で、長 く 受 け 継 がれ ている文 化があ る こと を知 ってとても驚 き ました。歌 碑 を 見 ること はあ っても、 見 るだけ で終 わ ってしま う ので、これ から はも う 少 し気 にし て、歌 碑 の歌 を 調べてみたりしたいと 思 いました。. ②昔の有名な人が高師や伊良湖に来ていて、万葉集にも載って. 古 典 の学 習 意 欲 ﹂と は形 作 ら れ、自 分 か 感 でき たと き 、はじめて、﹁ ら進 んで親 しむことができ るといえ る。. いる事 に驚 き ま した。こう いう こと は今 ま での人 みたいに大 事 に語り継 ぐべきだと 思 いました。. ③何度も田原の伊良湖に行ったことがあるので、伊良湖がすご. らず、新たに教材を開発する視点も必要であり、伝統的な言語文 と指導過程にステップを付け 化を習得させるという学習から活用へ. 学ぶ意義を具体的な教材を通して指導できることが、生徒の古典 国語︶へ の学習意欲に繋がるのである。 ︵. ていく ことが 求 めら れている。そ の中 で、ま ず 教 師 が 明 確 に古 典 を. の学 習 の 一助 にな ることは確 かであ ろう 。そ う した授 業 方 法 のみな. 七,まとめ 古典の学習において、グループ活動や演劇化による学びが、生徒. く 好 きでしたが、文 学 的 にもはるか昔 から 受 け 継 がれている 歴 史 はとても す ば らしいな と 感 じま した。次 行 く時 もそ のこ と を 頭 に 入 れ ておき な がら 、伊 良 湖 を 楽 しみ たいと 感 じま した。 ④ 1つの歌 を 通 じて人が興 味 を 深 めていき 感 心 した。しかも 、1 つ1つの歌 が 互いを 打 ち 消 す ことがないのです ご い。. がわきました。. ⑤今 回の授業で文学について学びました。僕はいままで文学に 全く興味がありませんでしたが、今回の授業ですごく興味. ー. 9 7.

(10)                . 勤務する高等学校の教育 目標と生徒の実態に合わせ、東三河の 地 名 や それに関 係 す る人 物 を 中 心 に読 み解 く という 指 導 を 通 して、 ﹁ 古 典 の学 習 意 欲 ﹂の育 成 を 日指 す ため の 一例 を 示した。各 地 には、. 必ず何らかの﹁ 伝統的な言語文化﹂ となり得る教材があるはずであ る。本稿で示した教材開発や指導 の 一端が、各校の生徒の﹁ 古典に 対する学習意欲﹂の指導の 一助となれば幸甚である。. 注. 系 中世日記紀行集﹄金石波書店 一九九〇年︶所収の福 田秀 。 翠釈 、日 ・ 一・ ′注 注﹃ ﹃ 十六 六夜 一 十 日記 記﹄ によ 校 の の解 よる る。 ・に 5︶阿仏尼の和歌を板書した後、﹁ ︵ 湊﹂の語句の意味を確認し、動. な る﹂の文 法 的 説 明 、口語 訳 も 板 書 した後 、全 員 で音 読 し 詞﹁ た。. た。和 泉 国 にも ﹁ 高 師 ﹂と いう 地 名 があ ること を 説 明 す る のみ. ︵ 6︶実際の授業において祐 子内親 王家紀伊 の和歌を提示しなかっ. るためであ る。. とした。学習内容の中心である阿仏尼の和歌に極力着 目させ. ︵ あおやま・ まさひろ/愛知県立豊橋工業高等学校︶. コ \\ け0き \き 0こぎ\き 百 害 \官 房 P コ 要転け片 モ ミ ≦ ﹄ の o ﹄行目10もPB\の ロ ロ                 . 1︶ こうした捉え方は、早くに中学校国語科の実践研究で、兵藤 ︵ ︵ 7︶ 授業での﹃万葉集﹄の和歌は、﹃ 岩波新 日本古典文学大系 菌 佐藤洋 一﹁ 中学校国語科における学力保障と ﹁ 伸彦 ・ 人間性 ・ 葉集 一﹄の訓釈 を 用 いた。 社会性の育成﹂ ー 到達 目標 ︵ 学習過程論 ・ 評価基準︶論 ・ 生徒 ︵ 8︶村 田右富実 ﹁ 麻続 王をめぐる歌 二首: ﹃女 子大文学 国文 問題意識﹂ の﹁ を軸にー 口﹃愛知教育大学教育実践総合センタ 篇﹄二〇〇二年三月︶ は、歌の作者を ﹁ 麻続王 に極めて親しい ﹂ 第九号 二〇〇六年三月︶ で指摘されていた。高校古 ー紀要﹄ 人物と捉える。授業では、作者未詳と板書したが、﹁ 麻続王﹂ 典 の学習指導ではないが、学習過程を明確にすることは高等 が村 田論 文 のよう に捉 え られると補 足説 明 した。 学校国語科に示唆に富む。現状の高校 の古典 ︵ 伝統的な言語 文化︶指導も、評価基準が暖味で学力を明確に身に付けるこ ︻ 付記︼ と のでき ない活 動 主 義 型 の学 習 にな る恐 れも あ る のではな いか。 本稿は、平成 二十八年度 現職研修 ﹁ 工業高校における古文読 解﹂での研究授業によるものである。また、授業計画は愛知県総合 教育センター愛知県文学資料館 ︵ 平成十九年度科学研究費補助金 奨励研究 ﹁ 継続的な学力調査に基づく国語力育成のための郷土文 学資料の活用方法もの成果を基にしている。. ︵ 2︶野田千格 ・ 若杉祥大 ・ 林徳冶 コ局校生の国語に対する苦手意識 に関 す る 査 究 日 教 調 研 口 本 育 情 報 学 会 ﹃ 年 文 会 論 集 ﹄三十号 二〇 一四年︶および、三 の古 に対 局 校 生 典 す る 苦 手 意識の改 善に関する検討ス 日本教育情報学会﹃ 三十 一号 年会論文集﹄ 二〇 一五年︶ ︵ 3︶ 河村茂雄 コ局校生に対する協 同学習の効果に関 熊谷圭 二郎 ・ する検証ー 古典における協同学習実施クラスの3ヶ月後の変 化ー メ﹃早稲 田大学大学院教育学研究科紀 要別冊﹄二十四 号 一巻 二〇 一六年九月︶ ︵ ﹃十六夜 日記﹄の本文や現代語訳などは、﹃ 4︶ 新 日本古典文学大. −80−.

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参照

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