賃金鉄則批判とベルンシュタイン(下)-「賃金,価格および利潤」との関連で-
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(2) . 6巻 第2号 北海道教育大学紀要 (第1部B) 第4. 平成 8 年 2 月. i l i f Educa i t t ty o on(Sec onIB) Vo Journalof Hokkaido Univers .2 .46 , No. Februa ry ,1996. 賃 金 鉄則 批判 と ベ ル ン シ ュ タ イ ン -- 『賃金, 価格および利潤』 との関連で. --. (下) 荒. 川. 繁. はじめに -- ベルンシュタイ ンによるマルクス講演草稿の独訳 二‐ ベルンシュタイ ンによるラッサール賃金鉄則批判 L ルョ・プレソターノ氏の最新の成果 u‐ 賃金鉄則 皿‐ 人口法則 ‐ 賃金基金説 W ‐ 以上, (上). W‐ 賃金基金説 (結論) V‐ 資本主義的大規模生産の人口法則 W‐ 結 論 おわりに 以上, (下). W‐ 賃金基金説 (結論) この W で ベ ル ンシ ュ タイ ンは 「と こ ろ で賃 金 基金説 は一 体 どの よ うな 理 論 で ある のだ ろ うか. そ れ は正 し い の で あろ うか, ある い は正 しく な いの で あろ うか. 然 らず ん ば, いか な る 点 でそ れ は正 しく, ま た い かな. る点でそれは正しくないのであろうか」 と問題を提起し, 最初に, 先にみた賃金基金説にたいする諸批判を 整理する. これまでみてきた諸批判は問題に答えることなく, 混乱させるだけである‐ 労働者が, 毎回, 企業家が支 払うことができる賃金を得るとは, 古典派経済学は決して主張しなかった‐ ソーントンがこの主張にたいし 述べたことは, たんに古典派経済学の学説の説明を批判しただけで, それ自体を批判 したのではない‐ リ カー ドはその考察にさいし, つねに競争が無制 限に作用する生産での財について述べており, それゆえ独占 産業における賃金問題を全く考慮しておらず, また何十回となく利潤の犠牲による賃金の上昇について語っ ている. ソーントソは, リカー ドの賃金法則の基礎をなす賃金基金説を批判しなかった. これに反して, 実際の賃金支払い者としての消費者に関係する反証をもって, 賃金基金説を論駁した人々 の新しい考えを否認することはできない. かれらの思考の歩みは, リカー ドのそれに直接に対立する‐ すで にアダム・スミスは賃金基金の源泉としての収入および資本について語っているが, 消費者への言及がより 多いわけではない‐ 問題となるのは, 最終的に消費者が生産物の価格において賃金をも支払うのか ではな く, 消費者が労働者の要求した, どのような賃金をも支払うのかである. リカー ドは賃金引上げを消費者に 転嫁する可能性を否定した. 企業家ではなく, 消費者が賃金を支払うという理論の創始者たちは反証の責任 13.
(3) . 荒 川. 繁. をおう. かれらは, 生産者としての労働者と消費者とのあいだにある全ての中間項, すなわち全資本主義的 ) 経済制度をとりさることで困難を回避する純 . こうしてベルンシュタイ ンは, 従来の諸批判が賃金基金説を論駁しえていないことを確認し, 続いて消費 者について述べたヘルマンを再度とりあげる‐ ヘルマンの 『国家経済論研究』 は1832年に初版が出版された‐ 当時, ドイツでは固有の労働問題はまだみ られず, 産業の発展を妨げるあらゆる束縛から, 産業を解き放つことが課題であった‐ 企業家ではなく, 消 費者が賃金を支払うというかれの発見は, その矛先を, 当時政府官房においてしばしばあらわれた重商主義 の 情実 政治 に 向 けて い た. この こ とか ら, ヘル マ ンがま だ ブ ル ジ ョ ア ジ ー と プ ロ レタ リ ア ー トと の 階級 闘争 を知 らなか っ た と いう こと が 理 解 さ れる‐ ヘル マ ンの死 後, 1870年 にそ の 第二 版 が刊 行 され た. この 第二 版. で, 賃金基金説は確かに同じ論拠をもって, 初版と同様に論駁されたが, 資本にたいするいいまわしは, は るかに鄭重であり, 結論は, 今度その矛先を他に向けている.「不遜な資本家」 にかわって 「ストライキにお ける無知な労働者のわがままな行動」 があらわれる. 今や労働者に理性が与えられねばならない. どのよう にしてか‐ 相変わらず消費者へのいい古された指示によってである‐ しかし, 消費者は今では当時と全くか わってみえる. 確かに消費者は企業家に生産物の価格を支払うが, かれは価格を示すのではなく, 価格を命 じるのである. 消費者は誰それではなく, 市場であり, 市場の法則とは競争の法則 である‐ それによ っ て 我々は, リカー ドが出た同じ点に再び到達し, いまや生産物の分配がどのような諸原則に基づきおこなわれ るのかを最初に研究しなければならないであろう㈲. こう して ベ ル ンシ ュ タイ ンは, 消 費 者 が 賃 金 を 支払 う と いう ヘ ルマ ンの 主 張の 矛 先 が, 初 版 に おけ る 「不 遜 な資 本 家」 か ら, 第二 版に おける 「労働 者 の わ がま ま な 行動」 へ と移 っ て いる ことを 指摘 し, さ らに, こ. の消費者への言及は賃金基金説をほとんど論駁することはないと述べる‐ 「労働者と消費者とのあいだには 資本家がおり, 研究すべきは, 資本家の手のなかで, 労賃のために用いられる資本部分がどのようにみえる のかである. あるいは問題を社会的にみれば, 資本主義的生産制度のもとで, どのようにして, 社会的富の 6 ) う ち 労賃 に用 い られ る 部 分 が 形成 され たの か である」3 . 続 いて ベ ル ンシ ュ タイ ンは 「この 課題 に答 え るた め に は, どの よ う に して, そ もそ も社 会 的富 が 生産 され. るのかを最初に知らねばならない」 と述べ, 以下, マニュファクチュア的生産と機械制大生産との対比に基 づき考察をおこなう. 古典派経済学は, その確立においてマニュファクチュア的生産に対応した諸前提から出る. しかし, 資本主 義 的発 展 はマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ アのも と にと どま る こと はなか っ た‐ そ れ は機械装 置 に基 づ く 大工 業を う み だ. し, 大工業は次々と産業分野を征服し, 遂には決定的な生産様式となった. それゆえ最初に 「この生産形態 とその社会的反作用」 について考察をおこなわなければならない‐ ブルジョア経済学は, 機械をほとんど生 産過程の技術的変革の視点からのみ考察する‐ 機械は世界市場の拡大に対応するために, 労働生産性を高め る手段であった. ベルンシュタイ ンはここで 『資本論』 (第「部, 第二版) の最終章 「いわゆる本源的蓄積」 の から引用して, 産業資本家にとっての国内市場および世界市場の創造について述べる3 . しかし, 機械は労働生産性を高めただけではなく, 生産過程の個々の諸要素の諸関係をも完全にかえた‐ マニュファクチュアでは, 労働者の人格およびかれの個人的な熟練がなお決定的な役割をはたした. 労働者 たちは, 別々にあるいは集団で, 生産過程の個々の部分を, かれらの道具を用いておこなった‐「労働者が過 程 に 同化 され て いる とす れ ば, しか しま た, 前も っ て 過 程 が労働 者 に適 合 して い る の である」 (『資 本 論』 第. 一部)‐ 機械制生産では, この人間に基づく分業の原理は廃止される. 労働者がこれまで労働道具を用いてき .今や労働道具に仕えるのは労働者である‐ 注意力としなやかさによって, ますます職人の名技 たとすれば, と筋力とがおしのげられる‐ 機械装置が完成されるにつれて, 機械のもとで働く労働者の仕事は単調とな 14.
(4) . 賃金鉄則批判とベルンシュタイ ン. り, 労 働者 はつ い に意 志 をも っ た 生 物 である よ りも, 機 械 の一 部 に等 しく なる‐. 実際, 機械が生産に浸透するにつれて, 生産の主体的要素も変化する‐ 機械が筋力を無用のものとすると ころでは, 婦人または児童労働が男子労働と並んであらわれるか, あるいはかれにとってかわる‐「それゆえ 『資本論』 第一部)‐ 近代的な大 婦人労働と児童労働とは機械装置の資本主義的応用の最初の言葉であった」( 工業で, 児童の搾取がどのように恥知らずな仕方でおこなわれたのかを, また資本がどのような貧欲さでプ ロレタリアートの児童をとらえ, かれらの生き血を吸い, それを剰余価値にかえたのかを, 工業諸国の工場 監督官および衛生監督官の諸報告が示している‐ 今日, 多くの工業諸国では, なお不十分ではあるが法律に よって工場での未成年労働者の雇用のため年齢制限が定められ, またかれらの労働時間も制 限されるに至っ た‐ しかしあらゆる法の不備は安価な児童労働を産業に保持するために利用された‐ 産業にある婦人労働に とっても, 漸次に一定の制限が導入されたが, これは婦人労働がたえず 増大することを妨げるものではな 3 8 カ っ た )‐. 男子労働もまた近代的工場では手仕事およびマニュファクチュアにおけるときとは異なって見える‐ 熟練 労働者と未熟練労働者とのあいだの関係は, ますます前者の不利に推移する‐ そして, あらゆる技術の進歩 および機械の改良は熟練労働を圧迫し, かれらを単純で未熟練な労働階層へと導く‐ ところでマニュファク チュアでは, 新しい発見や改良の導入は, しばしば労働者の抵抗で挫折し, また手仕事に由来する慣習は技 術進歩にとっての大きな障害をなしたのであるが, 機械装置に基づく生産の特徴は絶えざる変革である‐ マニュファクチュアでは, 労働道具および原料などに用いられる資本部分と労賃に転化される資本部分と の比率はそのつど一定であるが, 機械に基づく生産あるいは機械によ っ て変革された社会では異な っ てい る‐ ここでは生産手段として機能すべき資本部 分と生きた労働力に転化される資本部分との比率は絶えず変 動しており, 前者の割合が相対的に高まっていく‐ 生産の技術的基礎, すなわち労働を節約する機械が絶え ず進歩しているだけではなく, 全労働過程が進歩している‐ ところで人間労働力の価格のあらゆる上昇は, 比較的短期間のうちに, 産業労働者の搾取の増大を可能とする新しい労働方法, 人間の労働生産性の上昇, その労働強化, および同時におこる労働者の過剰化によって調整される. しかし人間労働力自身もまた, も はやマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ アの と きと は異 な っ て いる‐ そ れ は手 仕 事 と む ら ぎか ら解放 さ れ と にかく 毎 日 ふ え ,. ている.「労働を節約」 する機械や諸方法が導入されるにともない, 生産のために自由になる労働力数は相対 9 } 的 に も絶 対 的 にも 増 加す る3 ‐. こうしてベルンシュタイ ンは, 機械制大生産がもたらした 「社会的反作用」 を論じたのち, 最後に, 以上 の考察を踏まえて賃金基金説について次のように結論する‐ 「こうした事情のもとで すでに個々の企業家にとって 『賃金基金』 については かれの経営資本の一部 , , , としてのごく 限られた意義しかないとすれば, その言葉あるいは概念は, 社会全体に適用されれば, あらゆ る合理的な意義を失う‐ 個々の企業家は, 一定の諸関係のもとで, かれがどれだけの額を賃金のために支出 しな けれ ばな らない の か を 少 なく とも 大 ざ っ ぱに 見 積 もる こと が で き る し, ま た 見 積 も ら な け れ ば な ら な い‐ しか し, か れ は, この 額 を 支出 で きる か どう か を, かれ の 財 布 の 額 で はなく 事業 の 予想 収益 によ っ て , 0 ) 決 め る で あ ろ う」4 ‐. 生産の絶えざる流動のもとで, また経済活動のあらゆる要素に分岐した信用制度のもとで, 実際に問題と なる資本の潜在力は, 生産の無政府状態で, あらゆる統制から免れる‐ マルクスは 「古典派経済学が, 社会 『資本論』 第一部) と 的資本を固定した作用度をもつ固定した大きさとして理解することを昔から好んだ」 ( 述べている‐ そのことはマニュファクチュア的生産に適合したが, 大工業の時代には絶対に不合理である‐ 社会的資本は蓄積を度外視しても, 絶えざる流動のうちにあり, その作用の度合いは際限がない‐ いわゆる 繁栄の短い時期においてさえ, 資本は部分的な展開に至るだけである. 資本の産業予備軍に, 絶えず増大し 15.
(5) . 荒 川. 繁. つつある準備金が, 物的生産諸力の過剰が対応する.「大工場組織の巨大で, 突発的な拡大ならびにその世界 市場への依存は, 必然的に熱狂的な生産とそれに続く諸市場の過剰をうみだし, その収縮とともに停滞が始 『資本論』 第一部). 「生産の資本主義的な組織と支配 資本家たちの手中における生産手段の独占 まる」 ( , , 世界市場の諸法則への労働者の依存, これが有名な賃金基金説の真の秘密であり, 唯一の実在する背景であ 4 1 ) る. 他 の こと は 『夢 の 如く はか な い』」 ‐. こうしてベルンシュタイ ンは, ラッサールの賃金鉄則を構成する基本法則, すなわち賃金基金説がマニュ フ ァ ク チ ュ ア 的 生産 に適 合す るも の であ り, 機械 制 大 生産 では不合 理 である と批判 す る. と ころ で, この ベ. ルンシュタイ ンの賃金基金説批判で特徴的であるのは, 資本の蓄積, すなわち剰余価値の資本への転化をま と も に 論 じる こと なく, あく ま で 「蓄 積を 度 外視 して」, す なわ ち手 仕 事 およ びマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア 的 生産 と. 対比しての機械制生産における資本の生産力の増大, およびそれが労働者の諸階層にたいして 及ぼす様々な 影 響 を 指摘 し, も っ て 賃 金 基金説 を 批判 してい る こと で ある. す でに n で ベ ル ンシ ュ タイ ン自身 が 述 べ て い. るように, 賃金基金説は労働組合による賃金闘争の問題と深くかかわるのであり, ベルンシュタイ ンの賃金 基金説批判が不十分であるのは, かれの絶対的および相対的剰余価値論の把握が不十分なことと重なり, 後 ) な お ベ ル ンシ タイ ン の ト にW でみる よ う に, 賃 金 闘争 の 評価 にた い して 重大 な 問題を 残 す こ とに なる姥 ュ . ムソ ン, ヘ ル マ ン, ロー ト ベ ル ト ゥ ス, ソー ント ソの 四人 の論者 に たいす る批 判 も, 総 じて, 資本 主義 的生. 産の特質の欠如を指摘するにとどまり, 同様に資本の蓄積の視点が欠けていることが注目されよう‐ V. 資本主義的大規模生産の人口法則 ベルンシュタイ ンはこのVで, 資本主義的生産に固有な人口法則, すなわち産業予備軍の創造について論 じ, もってmでみたマルサスの人口法則を批判し, あわせてラッサール賃金鉄則にたいする結論を述べる‐ 最初にベルンシュタイ ンは 「人口法則についても賃金基金説と同様である」 と述べ, ドイツ新歴史学派とマ ルサス人口法則との関連について論じる. この人口法則は, 古い手工業の要素を多く残し, ただ緩慢に発展した生産様式, すなわちマニ ュ フ ァ ク チュアに基づいてのみ生成することができた‐ 中世においても人口法則 が あっ た が, それは地方的なもの で, 全国的なものではなかった. 公道の改善および商業にかかわる諸制限の除去によって, 地方的な人口法 則はあらゆる意義を失ったが, 先入観はなくならなかった. それは再び一般的な人口法則として現れた‐ け れども, 蒸気船ならびに蒸気機関車によって遠距離の困難が解決され, また近代的な技術の応用および農業 科学, とりわけ農芸化学の進歩によって, 農業経済全体が変革され, 土地の収穫力の自然的限界にかんする 従来の全ての見解が倒されていらい, 古典派経済学が理解した人口法則はもはや問題とはなりえない. にも かかわらず国民経済学の, いわゆる実在論的歴史学派がマルサスの学説に固執するとすれ ば, そのことか ら, か れ らの 経 済 的研 究 が 過度 に ブル ジ ョ ア 的に しつ け られて いる と いう こと が 分かる‐ と ころ で一 面 で,. マニュファクチュアに基づいて生成した学説に, すなわち 「人間は食糧よりもいっそう急速に増加する傾向 をもつ」 にいぜんとして固執し, 他面で 「需要の相対的な後退あるいは不足の影響」 を 「産業形態学」 の決 3 ) 定的な要素として主張することは, 全てではあるが, ただ史的ではない観察方法を示している4 ‐ さらにベルンシュタイ ンは, 新歴史学派にみられる二つの過剰生産を批判する. 「需要の相対的な後退」 は もちろん 近代の工業にとって大変な苦痛である. この世に 「余りに多くの , , 人 間」 が い る の で はなく, 「余 りに 多く の」 食 糧や 唯好 品 が, 「余 りに多く の商 品」 が ある の で ある‐ 我々 は. 慢性的な過剰生産の時代に生きているのであり, 大衆の過少消費に基づく過剰生産の時代にのみ生きている の ではな い‐ こう した 事 情の も と で, 人 口法則 につ いて ま じめ に語ろ うとす れ ば, そ れ はマル サス の 学 説 と 16.
(6) . 賃金鉄則批判とベルンシュタイ ン. 4 4 は根 本 的 に相 違 せ ざる を えな い こと は明 らか で ある ) ‐ こう して ベ ル ンシ ュ タイ ンは, ドイ ツ 新 歴 史学 派 に み られ る 「需要 の相 対 的後退」 と マ ル サス の 人 口法則. とが両立しえないことを指摘したのち, さらにマルクスから引用 して, 資本主義的生産に・固有な人口法則 と これに対応する賃金法則について論 じる. もちろん近代の大規模な資本主義的生産様式もまたその人口法則をもつのであるが, 賃金問題と人口問題 との密接な関連から, いずれの特殊な, 歴史的に意義ある生産様式もまた, その特殊な, 歴史的に有効な賃 金法則をもつことを理解できよう. マルクスは 『資本論』 第23章 「蓄積の一般的法則」 で, 近代の資本主義 的生産とその絶えざる進展のもと, 労働力商品の需要と供給をきていする諸事 情を示した‐ その第一節は 「資本構成不変のもとで, 蓄積に伴う労働力にたいする需要の増大」 である. 資本の構成が同じままである なら, すなわち, 運転するために一定量の生産手段が常に同じ量の労働力を必要とするなら, 資本の増大は 同時に労働にたいする需要増大を意味する‐ 労働者はよい生活諸条件を営み, 新しい諸要求に慣れることが できる‐ けれども労働者が資本家に与える不払い労働量の減少は 「それが資本主義的生産過程の特徴を危う くする点の手前まで決して達することはできない」. 利潤が著しく損なわれる額の手前まで労賃 が上昇すれ ば, 利潤にたいする刺激は鈍化し, 蓄積は衰える‐ しかし, それとともに資本と搾取されうる労働力とのあ いだの不均衡は縮小する. 労働者にたいする需要は衰え, 労賃は 「再び資本の価値増殖要求に適した水準に まで下落する」‐ しかし, それは必ずしもその最低水準である必要がない. いまや蓄積が急速に進むと労働者にたいする需要が増大し, また蓄積が停滞すると労働者にたいする需要 は減 少 す る の で, マ ル サス に追 随する 経 済 学者 た ち は, そ こ か ら, あ る と き は余 りに少 なく, ま た ある と き. には余りに多くの賃金労働者があるという結論を引出し, そして労働者階級に, かれらが 「賢明で, 用心深 い 措置」 によ っ て, そ の繁 殖を調 整 し, 常 に資本 に と っ て 好ま しい 数 だ け ある ことを 勧 めるの である‐ ま さ に, この 二者 択一 こそ が 「賃 金 鉄則」 の 基礎 にな っ て い るも の に ほ か な らな いの である. ス ミス にと っ て,. 資本の増大に比例して労働者にたいする需要が増大することは自明の原理であったし, リカー ドもまた大体 5 ) に おいて この 仮定 を 踏 襲 して い た4 ‐. 第二節 「蓄積とそれに伴う集積の進展における可変資本の相対的減少」 で, マルクスはさらに考察を続け る‐ ここでは資本の増大に伴い, マルクスが不変資本と可変資本との比率と名づけた資本の 「有機的構成」 に, ある変革が起こることが証明される.「常に資本のより多くの部分が生産手段に転化され, 常に資本のよ り少ない部分が労働力に転化される」. この過程は集積の進展に伴いさらに強まり, 発展における中休みは 短くなる. いっそう多くの労働者が過剰に, すなわち 「遊離」 される‐ 資本がその増大の結果, 今日引き寄 せた労働力の増加を, 資本は明日にはきっと再び突き放つ‐ この過程は全ての産業で, 同時にまた同じ規模 で起こらないので, あるいは一方の, あるいは他の産業の労働者階級のかなりの部分が投げ出される‐ しか し, この過程が全ての大産業で発生するときには, 以前に吸引された労働者の不断の過剰化が起こり, そし て, この生産分野から投げ出された労働者たちは, 常に新しくつくりだされるので, 絶えず資本の自由にな る労働予備軍を創造する‐ 現存する生産手段や生存手段にたいして過剰人口があるのではなく, そのときどきの資本の価値増殖要求 にたいして過剰人口があるのである‐ ところで, 資本は非常に弾力的な力である‐ 資本は全力で活動し, 現 存労働者のほとんどすべてが雇用され, 一部には労働者の不足さえみられることがあるのにたいし, 資本は 突然に収縮し, 多くの労働者を街路に放り出し, そのため国家や社会が, よかれあしかれ, 飢餓や困窮者を 予防するために介入することをょぎなくされるようになるのである‐ この過剰人中は資本主義的生産の必然 的な産物であるだけではなく, また目的としても必然的である. 資本は, いつでも生産を自由に拡大し, さ らに就業労働者の賃金を, 資本の価値増殖要求にふさわしい水準に維持するために過剰人口を必要とする‐ 17.
(7) . 荒 川. 繁. それは 「資本の産業予備軍」 をなす. 賃金鉄則は次のことを前提する‐ すなわち, 賃金が労働者の供給不足のため必要生計費以上に上昇した場 合, 労働者は婚姻が容易となり, より急速に増加し, その結果, ある時期に労働力の供給増加がつくりださ れるが, それは賃金を再び引下げると. この推論は新 しい労働者世代の成長に一致する諸時期に 高々発達 , 『 を続けた生産様式を前提とする. 資本論』 が執筆されたとき, 産業循環の周期は--中位 活況 狂乱 恐 , , , 慌 およ びそ れ に続 く 停滞 - -約10年 で あ っ た‐ それ い らい この周 期 はま す ま.す短 く な っ て き て い る. 「賃 金. 上昇の結果, とにかく実際に労働能力ある人口の確かな増大が起こる前に, 産業的出征がなされ 攻撃がお , こなわれ, 決着がつけられねばならない期間が再三再四経過したであろう」. 第三節 「相対的過剰人口あるい は産業予備軍の累進的生産」‐ 産業予備軍は賃金鉄則の生きた反証であり, マルクスが初めて, その生成様 式, その増大, その存在諸形態および賃金へのその影響を, 賃金鉄則の明確な拒否のもとに論 じたのであ 4 6 る ) .. 最後にベルンシュタイ ンは, 産業予備軍との関連から賃金鉄則について結論する‐. 機械制大生産の支配下で賃金額に影響を及ぼす全ての諸要素は弾力的な力である. 必要生計費の概念です ら伸 縮 自在 ( l i t e as sch) で ある‐ そ れ は, なか ん ずく, ある 国 が 到 達 した 文化 段 階 に 依存す る の で, 上 昇 しつ. つある生産時期において, 労働者が新しい欲求に慣れ, それは遂に習慣的な生活要求の概念に入り込むこと 7 } 他方 いわゆる労働賃金の最低限にかんしては 繊維産業の労働者は それが恐ろ しく し が起こりうる4 . , , , なやかであること, すなわち労働者が餓死することなしに, 労賃がさらに低下しうることを, 資本家がどの よ う に新 た に発 見 す るの か を語 る こ と が で きる‐. こうした事情のもと 「賃金鉄則」 という言葉はただ混乱をもたらすだけである‐ 近代の資本主義的大生産 の賃金法則は, まさにそれが伸縮自在であるがゆえに, 鉄のように厳格であるよりもなお悪いのである‐ そ れは資本量と比べての絶対的な労働者人口数の増減によってきていされるのではなく, 資本の運動における 諸変動によってきていされる. それは, そのときどきの賃金額の決定だけではなく, 総じて, 労働者階級の ますます増大する部分の生死をも資本の価値増殖利害の転変に委ねるのである‐ 一言でいえば, それは資本 8 ) 主義的経済制度の全支配である‐ この 「賃金法則」 こそが粉砕されるべきである4 . こうしてマルサスの人口法則を批判した 「V‐ 資本主義的大規模生産の人口法則」 で, 先にNでみた賃金 基金説批判とあわせて, ベルンシュタイ ンのラッサール賃金鉄則にたいする理論的な批判は完結することに な る‐ そ して, この V で ベ ル ンシ ュ タイ ンは, ラ ッ サー ル賃 金 鉄則 の 基本 法則 を 構成 し マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ,. .なお資本の有機的構成の高度化にかんする理解の暖昧さ ア的生産において適合したマルサスの人口法則を, を残してはいるが, 資本主義的生産に固有な人口法則, すなわち相対的過剰人口の創造をもって批判し, さ 9 ) らに資本の蓄積と産業予備軍との諸関係によってきていされる資本主義的な賃金法則を展開するに至る4 . しかし, ベルンシュタイ ンの賃金鉄則批判の結論は, 機械制大生産では, 必要生計費の概念ですら伸縮自在 であり, また賃金の最低限も恐ろしくしなやかであること, さらに労賃の運動は資本の蓄積衝動に依存する がゆえに, 資本主義的な賃金法則は 「鉄」 のように厳格ではなく, むしろ伸縮自在であり, それゆえなお悪 い もの である こ とを 指 摘 した に と どま り, 従 っ て, 労 賃 が 労 働者 の 必 要 生計 費 に制 限され つ づ け ると い うラ. サール賃金鉄則は批判されず, ただ 「鉄」 のような性質をもつことが批判されたにすぎないのであった. 班. 結. 論. ベ ル ンシ ュ タイ ンはこの 班 で nか らV でラ ッ サ ール賃 金 鉄則 につ いて 手 仕 事 およ びマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ , ,. ア的生産と機械制大生産との対比に基づきおこなった考察を踏まえて, 1でプレソターノによって提起され 1 8.
(8) . 賃金鉄則批判とベルンシュタイ ン. た課題, すなわち賃金鉄則と労働組合との関連について検討する‐ ベ ルンシ ュタイ ンは最初に賃金鉄則と 「慣 習」 との 関連 につ いて 論 じる ‐ 「賃 金 鉄則 は 『も はや 慣 習 が賃 金 率 を きて い しな い』 と ころ で は 『依然 と して』 正 しい はず で ある」 と い. う命題をとりあげ,「ま さに逆である‐『慣習』 がなお賃金率に決定的に作用するところでは,『賃金鉄則』 の 概念はまず第一に資格がある」 と述べ, 慣習は, 賃金鉄則の信奉者たちの全ての定義で支配的な役割を演じ てきた. こと, また実際上でも, ながく賃金決定にさいし決定的な役割を果たしてきたことを指摘する‐ 第一 に, 中世の手仕事で, 次いで, 手仕事に基づくマニュファクチュアの時代で. しかし機械と近代的な大経営 とが, 直接あるいは間接に産業を変革したところでは, 賃金の決定にさいし風俗慣習へのあらゆる考慮は直 0 1 この よう ちに 終 わ り, ま た 「そ れ は, か の変 革 がま だ 生 じな か っ たと ころ での みな お発 言す る」 と述 べ る5. にベルンシュタイ ンは,「慣習」 が賃金鉄則の信奉者たちの定義においてだけではなく, 実際の賃金決定にお いてもながく支配的であったことを指摘し, 次いで労働組合によって賃金鉄則を止揚 しうるという プ レソ タ ーノ の 命 題 を 検 討 す る‐. 「ところで労働組合が比較的最も多く機能しうるのはまさにそれらの産業である (変革が生じなかった産 業--荒川). それとならんで, 労働組合運動にとって本来問題となるのは, なお次のような産業のみであ る, すなわち競争者仲間が体力や専門的修業への特別な要求によって一定の制限を受けるか, あるいは有効 な工場法÷÷ 『社会の, その生産過程の自然成長的姿態への, 最初の意識的かつ計画的な反作用』 (『資本 論』 第一部) --が超過労働への資本の際限のない要求にたいして労働者を支援する産業のいずれかであ る」. そしてこの後者の事情によって, 例え ばイギリス綿業労働者たちは, 恐慌の時期にもその組織を保持 し, さらにその活動範囲を拡大することができたのである‐ 労働者が, かれらの団結によ っ て 「生活必需 品」 概念の過度のしなやかさに歯止めをかけ, またかれらの生存を人間にふさわしいものとする賃金をたた か いと る こと が で きる 前に, 法律 によ っ て, マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア およ び 手 仕 事 の 時代 の 「風俗 習慣」 に 匹 敵. するものを, その産業で最初に再びつくりださなければならないのである. しかしながら通例, これらの重 1 1 要な諸要素が, 労働組合の有用性にかんする論議において看過されているのである5 ベルンシュタインは, こうして労働組合が有効に機能しうるのは 労働者相互の競争が制限されている産 , 業か, あるいは工場法の適用をうけた産業であることを指摘し, さらに, このことを詳細に検討するのであ るが, まず労働者相互の競争が制 限されている産業について, 植字業と建築業の実例をあげて論じる‐ 疑いなく労働者たちは, 組織的手段によって, しばしばかれらの労働諸条件の改善をかちとってきたが, 組織の可能性は決してどこでも同じではない‐ それ自体しばしば当該産業の性格や歴史的発展によってのみ 説明されうる特別に有利な諸事情の結果であるにすぎない‐ 例えば植字工たちが, つい最近にいたるまで, ほとんどすべての諸州で, かれらの比較的よい労働諸条件をまもることができたとすれ ば, 見たところ, か れ ら は この こと を, そ の 恵ま れた 組 織 に の み負 うて いる よ う で ある‐ しか し, よく み て みる と, か れ らの よ. い組織自体も, その有利な労働諸条件の結果であるにすぎないことがわかる‐ すなわち植字業は, 少し前ま でまだ排他的に営まれてきたし, 今日でもなお, かなりの程度, 職人に基づく協業として営まれている. 植 字業は一定の学校教育を必要とするので, その志願者たちは不十分な教育制度のもとで制限されている‐ 他 面で, 書籍業および新聞業の絶えざる飛躍はつねに労働市場を拡大している‐ さらにこのことに植字業が大 部分, 地方的に結びついているということがつけ加わる‐ そしてこれらの諸事情が重なり, 植字工たちはそ の組織によって失業の圧力を防ぎ, 賃金を一定の高さに 保持 しえた の である‐ しばしば似た状態にあるのは建築業である, そこでは同様に, 職人的協業がなお支配的であり, 必要とさ れる制作物の完成はその土地に結びついている‐ ここでは慣習がなお重要な役割をえん じ, 賃金を固定的な ものにしている.「建築シーズン」 の数ヵ月のあいだの労働時間の任意の延長にたいし, 自然的限界がひかれ 19.
(9) . 荒 川. 繁. るという事情がここで述べられる‐ しかし, 近代的な技術が慣習を終わらせるにつれて, また交通の便宜に よ っ て, 途上 国か ら労 働者 が急速 に引 き寄 せ られ る につ れて, 「自然 的労賃」 の 限界 は, ここ でもま す ま す し なや か と な る. そ して ドイ ツ の織 工 た ち が, 毎 年, か れ らの腹 帯を きつく 締 めな けれ ばな らない の にた い し, これま で佐. 官や大工たちがかれらの諸組織によって, しばしば有利な賃金諸条件をかちとってきたとすれば, このこと は, 織工たちがもとから組織の意義を重視しなかったのにたいし, 佐官や大工たちがそれをよりよく理解し ていたからではなく, 織工たちが, 機械が無制限的に支配する産業に属しているのにたいし, 佐官や大工た ちの 職業 が, 人 間 が なお価値 ある もの であると い う こと に 基 づ く の である‐ 工場法 によ っ てイ ギリス の織 工 2 } た ち が 再 び よ りよ い生計 費 を か ちと る こと が で きた こと につ いて はす でに述 べ た5 ‐. こうしてベルンシュタイ ンは, 植字業と建築業で労働組合が有効に機能しうるのは, これら二つの産業に 固有な諸事情, すなわち排他的で, 職人的協業に基づき営まれた労働諸条件に因ることを確認し, 続いて, 工場法の適用をうけない産業について述べる. しか し, 工 場法 がま だ 干渉 しなか っ た と ころ では, す な わ ち英 国 でも, も はや マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア 的 で は な い が, 旧来の マ ニュ フ ァ ク チ ュ アの 意 味 でマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア 的に営ま れて いる ほとん ど全 ての産 業 でそ. うなのだが, 労働者の状態は今日でもなお悲惨である. 労働組合の力は当該職業の成員数に比例することな く, それの賃金および労働関係への影響力はしばしばただ名目的であるか, あるいは一定数の工場にかぎら 5 3 れている ) ‐. ベ ル ンシ ュ タイ ンは 以上 の よ う に 今 日な お多く 残存す る が 工場法 の 適用 か ら除外され たマ ニ ュ フ ァ , , ,. クチュア的経営部門では, 労働組合の影響力が名目的にすぎないことを指摘し, 最後に労働組合が失業の圧 力を阻止できない場合を, 近代的家内工業を実例として述べる. そ して, 労 働者 の 組 織が 失 業 の圧力 を 防 ぐこと が で きない と ころ では, ま さ に プ レソタ ーノ の主 張 と は逆. に, 賃金鉄則はまたもや問題とはならない. 例え ば, 近代的家内工業では, 賃金がきせいされるいかなる慣 習的要求も存在せず, そこでは賃金が慣習的要求をきせいし, それを人間が絶対的にあるいは直接に餓死し ないために必要な--しばしばさらに低いことすらある--賃金の最低限に押し下げる‐ ‐労働者の状態を団 結の手段によって引き上げようとするあらゆる試みは, やはり失敗し, せいぜい特別に有利な諸事情のもと で, 前年のように一時的な緩和を実現することに成功する. しかし, 結局, ここでは団結は無力であり, 最 4 ) 初の恐慌が, おそらくさらに拡大した規模で, 本来の悲惨な状態を再生産するのである5 . こうしてベルンシュタイ ンは労働組合の有用性について個別に検討し, 植字業や建築業で労働組合が有効 に機能しうるのは, その特別に有利な諸事情に因ること, 他方, 工場法の適用から除外された産業部門, と りわけ機械制大生産とならんで, なお多く残るマニュファクチュア的経営および近代的家内工業では, 労働 組合の影響力は無力に近いことを指摘し, もって, 労働組合によって賃金鉄則を止揚 しうるという プレソ ターノの主張が一般的には妥当しないことを結論づけるのである. 続 いて ベ ル ンシ ュ タイ ンは 『資本 論』 第一 部 か ら工 場法 につ い て引用 する‐ 「よ、り高 い動 機 は べ つ に して,. それゆえ今日の支配階級の固有の利害が, かれらに, 労働者階級の発展を妨げる, 法的に処理しうるすべて の 障害 を と りの ぞく こと を 命 じる の である‐ そ れゆ え私 は, なか んず くイ ギリ ス の 工 場法 の歴 史, 内容 およ. びその諸結果に, この巻で委曲をつくしたのである. ある国民は他の国民から学べきであるし, 学 ばなけれ ばな らない」‐ 「本 文 か らの誤 解 を さけ る ため に, 私 は ここ で な お述 べ な け れ ばな らな い‐ イ ギリ ス の 綿 工業. は, 労働時間などのそのきせいにかんする18 50年の工場法にかれらが服していらい, イギリスの模範的産業 として示されなければならない. イギリス綿業労働者は, あらゆる点において, かれらの大陸の運命を同じ 5 ) く する 人 よ りも 高 い 状態 に ある」5 . 20.
(10) . 賃金鉄則批判とベルンシュタイ ン. 最後に, ベルンシュタイ ンは賃金鉄則批判の結論を述べる‐ まず, 資本主義的生産制度の支配のもとで, 賃金鉄則は問題とはならないことを指摘し, さらに労働者の 組織について次のように述べる. 「労働者が資本にたいし組織されているか, あるいは組織 されていないの かはどうでもよいことではない. なぜなら組織されていなければ, かれらはそれだけ多く賃金引下げにさら され る し, ま た, い か なる 国民 経 済 学 的 『法則』 に よ っ て も, ひ と りでに賃 金 が 再 び 元 の 高 さに引 き上 がる こと はな いか らで ある. しか し, た だ 団結 の 手 段 に よ っ て, か れ らの 状 態 が 耐え うる よ うに な る と いう 同 じ. 見通しが, すべての労働者にとってあるというのは同様にほとん ど正しくない. この可能性は労働者階級の 5 6 日々 僅 か と な っ て い る部 分 に と っ て の み ある」 1 ベ ル ンシ ュ タイ ンは こう して, 労 働 組 合の 意 義 とそ の 限界 とを 指摘 し, さ らに 工場法 につ いて 次の よ う に. 述べる‐ 「労働者保護法が搾取を止揚できないので, それが労働者階級にとっていかなる意義もないという のは正しくない‐ 労働時間の制限それ自体が, 個人としての労働者, あるいは階級としての労働者にとって 5 7 ) 有する意義を別としても, それはまた強められた賃金引下げを阻む可能性を高める」 ‐ このようにベルンシュタイ ンは, 工場法が労働者階級にとって有する意義を指摘し, 最後に, 労働者階級 の課題について次のように述べる‐ しかしまた他面で, 資本主義的発展が, 労働者の団結によっても, あるいは労働者保護法によっても阻止 しえないものであること, また絶えず労働者を過剰にし, その結果, 賃金引上げを困難にし, 賃金引下げを 押しつける失業者の大群がつくりだされることを我々はみてきた‐ このことは資本の集積および大生産者に よ る ・生産者の駆逐, ならびにより大規模な生産者による大生産者の駆逐と結びつき, 労働者階級の最終的. 解放としてただ一つの可能性だけを認める, すなわち 「生産手段の社会化, 社会による生産の調整」 であ る. 従って労働者階級は, 現在におけるかれらの利害を守り, 他面で, 国家や社会にたいするかれらの影響 力を用いて, かの必然的な社会改革, すなわちかの偉大な社会変革を促進し, 容易にするのに適した法制を つくらね ばならない.「我々は賃金法則の粉砕を追求するのではない, 我々は賃金制度の除去のみならず, 全 資本主義的経済制度の止揚を, すなわち人間による人間の資本主義的搾取の止揚, ならびに資本主義的経済 5 8 ) 制度と結合した生産無政府性の止揚を追求する」 ‐ ベ ル ンシ ュ タイ ンは この 頃 で 労働 組 合に よ っ て 賃 金 鉄則 が止 揚 しうる と いう プ レソタ ーノ の主 張を 批 , ,. 判し, もって彼の賃金鉄則批判の結びとするのであるが, では, ベルンシュタイ ンによる賃金鉄則批判の特 徴 は, どこ に求 め る こと が で きる の で あろ う か‐ そ も そ も ラ ッ サ ー ルの 賃 金鉄則 は, マ ルサス の 人 口法則 に. 基づき, 労賃が絶えず労働者の必要生計費に制限されつづけるというものであり, それゆえ賃金闘争の意義 を認めないものであった‐ ベルンシュタイ ンは, この賃金鉄則を二つの基本法則に, すなわちマルサスの人 口法則 と賃金基金説とに分けて考察し, これら二つの基本法則が手仕事およびマニュファクチュア的生産に 適合したが, 機械制大生産の時代には有効でないと主張する. すなわち, 今日, 賃金率をきていするのは, 絶えず変動する資本の蓄積衝動とこれによって創造された産業予備軍であり, 手仕事およびマニ ュ フ ァク チュア的生産に適合したマルサスの人口法則と賃金基金説とは不合理であるとする‐ 換 言す れ ば, 賃 金鉄 則 の批 判 に お いて ベ ル ンシ ュ タイ ンは, あく ま で手 仕 事 お よ びマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア 的. 生産と機械制大生産との対比に基づき, 賃金鉄則の歴史的意義ならびにその限界を述 べたにとどまり, 賃金 基金説を根本的に批判することで賃金闘争の意義を認め, もって賃金鉄則それ自体を理論的に批判したので はなかった‐ 資本主義的な賃金法則は 「鉄」 のように厳格であるよりもむしろしなやかである, がその結論 で あ っ た. 従 っ て ベ ル ンシ ュ タイ ンが, ラ ッ サ ール の 賃金 鉄則 は労働 組 合 に よ っ て 止揚 しうる とい う プ レソタ ーノ の 21.
(11) . 荒 川. 繁. 主 張 を批判 す る と して も, そ の批判 は, あく ま で機 械制 生産 と 手仕 事 およ びマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア 的生産 との. 対比によって得られた結論に基づくのであり, プレソターノによって提起された問題, すなわち労働組合運 9 ) いわ ば ベ ル ンシ タイ ンの プ レソタ ーノ 批 判 は 動 と労賃 との 関連 の研 究の 深化 に 因る も の ではない5 ュ ‐ , ,. 現代においても機械制大生産とならんで家内工業およびマニュファクチュア的生産が併存しており, 後者の 産業で労働組合が有効に機能しうるのは, 植字業や建築業のように, その産業が特別に有利な条件に恵まれ ている場合か, あるいは, 工場法によって保護されている場合のみである‐ しかし, 今日なお多くの家内工 業およびマニュファクチュア的経営部門は, 工場法の適用から除外され, ここでは労働組合はほとんど無力 に等 しいの である. す なわ ち, 機械 制 大 生産 と と も にな お多 く 残 存す る家 内工業 およ びマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア. 0 } 解決の方向は労働組合 的経営部門における労働諸問題を, 労働組合はほとん ど解決することはできない6 ‐ 運動ではなく, 政治的改良運動に, つまり工場法の設立と普及に, さらに生産の社会化に求められたのであ 1 ) こう して ベ ル ンシ タイ ンは労 働 組 合運 動 が 有 した さま ざま な 問題 を 鋭く と らえる の である が さ ら る6 ュ ‐ ,. に労働組合論を展開することなく, 従ってまた労賃が絶えず労働者の必要生計費に制限され続けるという ラッサールの賃金鉄則それ自体を批判するには至らなかったのである‐. おわりに ベ ル ンシ ュ タイ ン が ラ ッ サー ル賃 金鉄則 批判 の 延長 に 1898年マ ルク ス 講演草 稿 の独 訳を お こな っ こと , ,. は容易に推察しうるであろう. 蓋, 賃金闘争の意義を論じた講演草稿は, ウ ェ ストン批判であると同時に ラ ッ サ ール批判 を も 内包 して いた か ら である‐ で は 「賃金 鉄則 の 問題に よせて」 で導 出 された ベ ル ンシ ュ タ. イ ンの帰結, とりわけ賃金闘争にかんするかれの見解は, マルクスの講演草稿と矛盾するのであろうか‐ ベ ル ン シ ュ タイ ン は, 1890年 か ら1891年 にか けて 公表 され た 「賃 金鉄則 の 問題 に よ せて」 で, 剰 余価 値 論, と. りわけ絶対的剰余価値論の把握は不十分ではあるが,『資本論』 第一部から工場法の持つ歴史的意義, すなわ ち 「社会の, その生産過程の自然成長的姿態への, 最初の意識的かつ計画的な反作用」 をとり出すことに成 2 ) いわば マルクスの運動論を工場法を中心とした政治的改良運動として理解したのであり 従 功した6 ‐ , っ , 6 3 て, そのかぎりで経済闘争は補完的な役割を与えられたにすぎなかったといえよう ) . では賃 金 闘争 はマ ルク ス の 運動 論 で どの よ う に位 置 づ け られ る の か, と いう 問題 は, ベ ル ンシ ュ タイ ンに と っ て い ぜん 未 解決 のま ま 残 され る こと にな っ た‐ そ して この 課題 は, 1885年 に ベ ル ンシ ュ タイ ンがカ ウッ キ ーと とも にマ ルク ス の 『哲 学 の貧 困』 の独 訳を お こな っ た と きに 解決 され て い たの で あ る が, 『哲 学 の 貧. 4 ) しか 困』 では, 労働組合は労働運動の, すなわち労働者階級の団結の中核にすえられていたのであった6 ‐ し,『哲 学 の貧 困』 はマルク ス の1840年代 の作 品 であ り, 重 要 であるの は1860年代 の 経 済学 批判 との 関連 でマ. ルクスの賃金闘争論を把握することである‐ しかし,『資本論』 第一部には, これにたいする解答は見出しえ ず, 従 っ て ベ ル ンシ ュ タイ ン が1860年代 の マ ルク ス の賃 金 闘争 論を確 認 す る必 要性 が, と りわ け 『哲 学 の 貧. 困』 の内容に疑問が残るがゆえになおさら高まったのである. この課題は, 1898年に修正主義論争の さな 5 ) ベ ル ンシ タイ ンがマ ルク ス の 講演 草稿 の 独訳 をお こなう こと で 果た された の である が 講演 草 稿 は か6 ュ , ,. 労働者階級にとって賃金闘争のもつ意義を労働力の価値にまでさかのぼって理解し, 賃金最低限説を批判し たも の であ り,『哲学 の 貧 困』 と 同様 に, ベ ル ンシ ュ タイ ンに と っ て と うてい 容認 しうるも の でな か っ た こと. 6 ) は, 彼が講演草稿の独訳に付した訳者前文からも窺い知ることができよう6 . 『 ベ 189 9年に刊行された 社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』 で ルンシュタインは, 労働組合を 「産 業における民主的な要素」 あるいは 「民主主義の不可欠の機関」 としてとらえ, 労働組合の新たな機能を提 の この見地と剰余価値論および資本と賃労働の関係の再生産を基礎にして 労働 起するに至るのであるが6 , , 22.
(12) . 賃金鉄則批判とベルンシュタイ ン. 8 ) 組合の機能を位置づけたマルクスの見解との相違と関連についてさらに検討が必要となるであろう6. 503 i 189″1891 16 34 ) Di t ) e Neue Ze ‐ - ‐ . , 韮 Jg ,( , Nr ,S. , 1‐Bd 504f i 1890/1891 16 35) Di t ) e Neue Ze ‐ . - . , 区.Jg ,( ,S- , 1‐Bd , Nr i 1890月891 16 505 36 ) Di t ) e Neue Ze - . ‐ . . , 区.Jg ,S , 1.Bd , Nr ,( 16 505 i 1890/1891 37) Di t ) e Neue Ze . . . . . , 以‐Jg ,( ,S , 1‐Bd , Nr 506f 1890/1891 16 i t 38 )D ) e Neue Zei ‐ . . - , 以.Jg ,S- , 1‐Bd ,( , Nr i 507f 16 39 1890/1891 ) Di t ) e Neue Ze ‐ . - . , 以.Jg ,( ,S‐ , 1‐Bd , Nr i 508 1890/1891 16 40 ) Di t ) e Neue Ze ‐ . ‐ . , 獣‐Jg ,( , 1.Bd , Nr ,S‐ 16 508f i 1890/1891 t 41 ) Di ) e Neue ze ‐ , ,S‐ , K, 返り( , 1‐Bdつ Nr 4 2 ) 「W‐ 賃金基金説」 で, ベルンシュタイ ンは児童労働に関連して絶対的剰余価値論について述べているが, 必ず しも明示的ではな い‐ かれの関心はマニュファクチュア的生産と機械制生産との対比にあったといえよう‐ なお, かれの主著 『社会主義の諸前提』「第. 三章aマルクス価値論の意義についての若干の考察」 では, マルクスの剰余価値論が労働価値説とともに批判されている‐ なお, こ の点については服部英太郎 『賃金政策論の史的展開』 ( 1971年, 未来社)142ページ参照‐ i 189″1891 17 529 f 43) Di t ) e Neue Ze . . , 区.Jgり( , 1.Bdり Nr ,S. 1890/1891) 17 530 i t 4 4 )D e Neue Zei - . . . , 叱‐Jg ,( , 1.Bd , Nr ,S. 45 ) Di i 189″1891) 17 t 530一532 e Neue Ze ‐ . . ‐ , ぱ‐Jg ,( , 1.Bd , Nr ,S. i 46) Di 1890月891 17 532一534 t ) e Neue Ze ‐ . . - , 尻 Jg ,( , 1.Bd , Nr ,S.. 47 ) ベルンシュタイ ンは, 労働者が新しい欲求 に慣れ, 従ってそれが慣習的な生活要求にはいり込むことがあると, つまり賃金額が増 大しうることを指摘するが, この生活条件の改善を労働組合運動と関連づけて述べてはいない‐ なお 「慣習」 はそもそも賃金鉄則と 矛盾する‐ もし 「慣習」 が賃金額を決定するとすれば, 労働者の賃金額は労働者の要求の増大につれて増大しなければならないから である. これについては服部英太郎 『賃金政策論の史的展開』 ( 1971年, 未来社)134ページ参照‐ i 1890/1891 48 ) Di 17 534 f t Jg ( ) e Neue Ze . . . . . , ,獣. , 1-Bd , Nr ,S. 49 ) ベルンシュタイ ンは産業予備軍の創造を論 じ,「そういう表現が使えるとすれば同論文での私は, まだ厳密にマルクス主義的な議論 を お こ な っ て い た」 の で あ る‐ Eduard Bems i l i l i t i i 18 ten e n Entwi ck ungsgang Ei nesSoz a s pz g . . しか し, ベ ル ンシ ュ タ ,1930Le ,S. イ ンは資本の技術的構成の変化について述べてはいるが, 資本の有機的構成の高度化については明確に述べていない‐ かれは過剰人 口の創造を諸産業部門間での労働者の吸引と放出によって説明しており, この過程の背後で, 資本の有機的構成の高度化が進行して いることを明確には述べていない‐ この点については, ベルンシュタイ ンの次の文章が興味ぶかい‐ 賃金鉄則の問題にかんする論文の論旨はこうである. いわゆる賃金鉄則は発展した資本主義的生産の経済ではなく, 大工業の前段 階をなす経済制度, つまりマニュファクチュア時代の生産様式を前提とするのである‐「しか し最終章を書きあげてみると, この問題 にたいするマルクスのとりくみかたには, 経済史的にみて十分でないところがあり, また, 進歩 した労働組合組織と社会政策立法と の影響のもとで, この問題がどのような構成をとるかについては, 委曲をつく した教示が与えられていないことが明らかになった‐ それで私は, この見地から, 問題を調べなおしてみようという考えを抱くようになった‐ これは十年後,『社会主義の理論と歴史によ せて』 と題する論文集を刊行 したとき, その付録の二章において果たされることになった」‐Ebenda S 18 ‐ ‐ 実際にベルンシュタイ ン , はその補遺で次のように述べている‐ 賃金法則の最初の定式がマニュファクチュアの時期の諸事情を, すなわち主要には中規模な資 本家たちの支配のもとにある職人的労働あるいは中規模な資本家たち自身を前提にしているという基本的な考えは, 今日なお私に よ っ て保持され, ますます強く私の なか で固 ま っ て い る‐ Ed i d Berns te i lde i i n t r rag : Ei ua n r marx s schen ge Mange , W‐ Nacht Behand l d L h l 「 b i Z G h i h d T h i S i l i 190I Be ung es o npro ems n : ur esc c teun eore des oc l i 9 1 a smus r n , ‐ . 要約すると, 賃金基金説, 人 ,S. 口論, 恐慌論, 産業予備軍にかんする理論は残らず土台にたいする真の関係をなし, それらす べて は賃金問題 の現象の解明のため に, 一定の範囲内で近づきうる部分的な真理をなしているのであるが, 賃金問題を論じつく してはいない」.Ebenda 10 2 . ‐「賃金形 ,S 態はひとつの経済制度, ひとつの経済秩序のうちにあるひとつの環であるにすぎず, そこでは民主的あるい労働組合的な集産主義の 発達による変更が問題である‐ そして, この経済制度の変更を求める尽力が賃金制度に反する闘争として示されるときにさえ その , 環はひとつの象徴的な意義をもつにすぎない‐ 実際には, この環は賃金規定の制度のためのひとつの闘争である」‐ Ebenda 10 8 f . ‐ ,S 50 i 1890/1891 ) Di t ( i9 60o f ) e Neue Ze ‐ . . ‐ . ,KJg , , 1‐Bd , Nr ,S 51 ) Di i i890/1891) t e Neue Ze , 区.1gり( , 1.B. 19 601 Nr . ‐ ‐ ,S. 1890/1891 i t 19 602f 52 ) Di ) e Neue Ze . . . ‐ ‐ , K.Jg ,( , 1.Bd , Nr ,S i 1890/1891 603 t 19 53 )Di ) e Neue Ze . . . と こ ろ でマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア お よ び家 内 工 業 へ の 工 場 法 の 普 及 に つ い て , 区.Jgり( , 1‐Bd ,Nr ,S.. は, ベルンシュタイ ンが引用した 『資本論』 第一部, 第8章第7節 「標準労働日のための闘争 イギリスの工場法が諸外国におこし た反応」 で次のように述べられている‐「 19世紀の前半にはこの取締りはただ例外法として現れるだけである‐ それが新しい生産様式 23.
(13) . 荒 川. 繁. の最初の領域を征服しおわったときには, その間に他の多くの生産部門が本来の工場体制をとるようになっていただけではなく, 製 陶業やガラス工業などのような多かれ少なかれ古臭い経営様式をもつマニュファクチュアも, 製パ ン業のような古風な手工業も, そ して最後に釘製造業などのような分散的ないわゆる家内労働でさえも, もうとっくに工場工業と全く同じに資本主義的搾取のもとに おちいっていたということが見出された‐ それゆえ立法は, その例外法 的性格を しだいに捨て 去るか……」 と述 べ られていた‐ MEい, Bd‐23,S‐316. 603 19 i 1890月891 54 ) Di t ) e Neue Ze ‐ . . ‐ . , 区-Jg ,( , Nr ,S , 1.Bd 55 604 i ) Di 18 19 18 91 90/ t e Neue Z ) e ‐ ‐ ‐ マルクスは工場法の成立を絶対的剰余価値論のなかで位置づけ, その . . ,区.Jg ,Nr ,S ,( ,1‐Bd. 歴史的意義を述べているが, ベルンシュタイ ンには, この視点が欠けており, かれは工場法を社会改良の主要な手段とみなし評価し て い る. 19 604f i ) Di 189″1891 t ) 56 e Neue Ze . . . . . ,S , 獣.1g , 1‐Bd , Nr ,( 19 605 1890/1891 i t ) 57 )D e Neue Zei . . . . . , Nr ,S , 1.Bd , 区.Jg ,( 605 ) i 1890/1891 t 58 )D e Neue zei , , 1‐Bdつ NLI9 ,S‐ , K Jgつ(. 59 ) プレソターノの主張は, 賃金闘争は どのような制限もうけることなく, 国民所得にたいする労働者の分前は無限に増大するという ものである. 同じ主張をゾンバルトも述べているが, これにたいするローザの批判 について は服部英太郎 『賃金政策の史 的展開』 197 ( 1年, 未来社)136‐139ページ参照‐ ) 中小規模経営にたいする評価はベルンシュタイ ンにとって重要な論点をなしていた‐ かれは 『社会主義の諸前提』 の 「第三章近代 60 社会の経済的発展」 「b近代社会における所得の運動」 および 「c生産面での経営階層と社会的富の普及」 で, 資本の集中にもかかわ らず中産階級が増大すること, および中小経営が存続することを述べた‐ ところで諸資本の集中についてマルクスは 『資本論』(仏語 版) で次のように述べている‐「社会的資本の多数の個別的諸資本への分割, またはその諸構成部分の反発の運動は, 経済的進展の一 時点で, それらの相互吸引という逆の運動によって妨害されるようになる」‐ これはすでに形成されている諸資本の集積, より多数の ? 7 54 80年代まで 資本のより少数の資本への合併, 一言でいえば 「本来の集中である」‐ MEGA 亘/ ‐ . 一方 「ビスマルク帝国から19 ,S の ドイツにおける手工業と小売業の政治的動向を分析」 したものに, H‐ A. ヴィ ンクラー著, 後藤・杉原・奥田・山中訳 『ドイツ 1994年, 同文館) がある‐ さらに19世紀の ドイツ労働者階級形成を, 奉公人, 家内工業労働者, 中間層の政治社会史187 1一1990年』 ( 手 工業業 者 およ び集 中 経 営 に あ る労 働 者 な どの 多 様 な 視 点 か ら 論 じた も の に コ ッ カ の 次 の 研 究 が あ る ‐ Jargen Kocka i Arbe t l i i OBonn tn be i t t sverha s seund Ar ex s enz en e r . また19世紀末の労働組合の特徴についてホブズボーム, 野口建彦・野口照 ,199. 196 5年, 未来社) もあわせ 3‐ 17 5ページ参照‐ なお, 大野英二 『ドイツ資本主義論』( 子訳 『帝国の時代1』 ( 199 3年, みすず書房)17 て参照い 61 ) 社会政策立法についてはベルンシュタイ ンの次の文章が参考となる. 「合法的な立法は通常, その作業がより緩慢である‐ ふつう, その方法は妥協という方法であり, 既得権の廃絶ではなくてその補償という方法である‐ しかし大衆の偏見, 大衆の視野の狭さが社 会的進歩を妨害しているときには, この合憲的立法は革命よりも強力となる. そして, 永続的生存能力をもつ経済的制度をつくりだ すという場合には, 換言すれば, 積極的な社会政策的作業にとっては, 合憲的立法の与えてくれる利点のほうがより大きい‐ ……立 i f soc i縦sm, 1993 i t 法 は計 画 的な 権 力 と して 作 用 し, 革 命 は 始 源 的 な 暴 力 と して 作用 す る」. Bems t ons o e n The Precondi 『 「 dge 20 4一205 Camb i 1974年, ダイヤモンド社). 人々が一般に社会主 r . 佐瀬昌盛訳 社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』( ‐ ,pp b i dりp 190 義の最終目標とよんでいるものは私にとっては無であり, 運動が全てである」.l ‐ ‐ 62 ) マルクスは国際労働者協会の創立宣言で, 十時間法案が 「実践的成功」 にとどまらず 「原理の勝利」 であったこと, またこの闘争 は 「中産階級の経済学である需要供給の法則の盲目的な支配と労働者階級の経済学である社会的先見によって管理される社会的生産 11 とのあいだの偉大な抗争に影響を及ぼすものであった」 と述べている‐ MEW,Bd ‐ ‐ .16 ,S との関 1 3 7 1 4 0 i 一 またマルクスが経済運動と政治運動 t t 6 3 ) ベルンシュタイ ン主義と労働組合との関係についてはPe e IGa o c y p p p . , ‐- , . 『 「 と各国労働者党--マルクスの政治運動論-- ( 1 9 9 4 年 連をどのように理解していたのかについては拙稿 国際労働者協会 」 , マル クス・エンゲルス・マルクス主義研究』 第20号) 参照‐ 85年に出 6 4 ) マルクスの 『哲学の貧困』 は, カウツキーとベルンシュタイ ンによって独訳され, エンゲルスが校閲し, 序文を付して18 4 64 版された‐ MEW,Bd . . . ゲアリ・P‐ スティ ーンソン前掲著96ページ参照‐ またエンゲルスの付した序文がロートベルトゥス ,S i t l ISchel n uhd K釘I Kaut sky を批判 したものであることにつ いて は次の研究がある‐ Ti z-Brandenburg Edua ld Bems e , 1992 『 『 64, 新日本出版社)‐ 1987年, 科学と思想』 No Kb 9o f l n . . . 石原博 「後期エンゲルスの 哲学の貧困』 評価について」 ( ,S i l ISchel z一Brandenburg a e 6 5 ) 修正主義論争を, ベルンシュタイ ンとカウツキーとの往復書簡を資料に論 じたものにT i W‐ Di . .○. ,a Rev i i i t t s on e が あ る‐ smusdeba. 9世紀末に多くみられたマニュファクチュアおよび家内工業の労働 66 ) ベルンシュタイ ンが賃金闘争にたいして消極的である背景には1 諸問題があり, 他方, ウェストンが賃金闘争に反対した背景には,19世紀半ばの農業労働者の劣悪な状態があった‐ 両者はいずれも 労働組合が有した限界を鋭く指摘したのであった‐ 一方, リュベルは 「ドイツ労働者党綱領批判」 への注で,「実際ラッサールによる平均賃金の定義は, マルクスの定義あるいはマル クスがその定義でまさに述べようとしたことからずれてはいない. この点でラッサールは非常に悪い弟子ではなかった……」 と述べ IMa i 172 1 て い る‐ Ka r r s r x OEuvres Economie LI977Pa ‐ ‐ また 『共産党宣言』 への注で 「ここでマルクスは, エンゲルスがかれ ,p. 24.
(14) . 賃金鉄則批判とベルンシュタイ ン の 『原理』 でうちたてたこの 『賃金鉄則』 を自分の責任でとりいれているにすぎない」‐ 「マルクスがいわゆる窮乏化にかんするかれ の学説に最終的な形を与えるのは 『資本論』 にほかならない. そして絶対的および相対的剰余価値論は 『宣言』 で下書された命題を 1578 b i dリp 展開しているにほかならないことを確認できよう」 と述べている‐l . このようにリュベルは, マルクスの賃金論がラ ッ ‐ 60年代でも本質的に継承されていること サールの賃金鉄則に類似したものであること, また, マルクスの1840年代の賃金最低説が18 を指摘するのである‐ この点でリュベルが編集した 「賃金, 価格および剰余価値」 の 「結論」 は興味ぶかい. すなわち, そこでは 「労働者階級が自分自身を維持 し, 再生産 し」 が 「労働者階級がかれの生理的存在を維持し, 再生産し」 に,「これらの欠くことので きない生活必需品の価値」 が 「これらの欠くことのできない必需品の価値」 に変更されており, 総じてマルクスの賃金論が最低賃金 5 28 b i dりp 説に類似したものと理解されているといえよう.l . ‐ 67 ) ベルンシュタイ ンが労働組合について述べているのは 『社会主義の諸前提』 第四章 「c民主主義と社会主義」 の 「1民主主義と国 fS 13 9 i i l i 3Camb i dge onso oc a sm,199 r 民経済」 である‐ Bemstein The Precondit . ベルンシュタイ ンの労働組合論について関嘉 ‐ ,p 18 95年にベルンシュタイ ンの妻, レギナ 彦前掲著146‐14 7ページ参照‐ なおベルンシュタイ ンとフェ ビアソ主義との関連について は 「 が, その前年に発表されたウェッ ブ夫妻の共著 『労働組合運動史』 を独訳し, ベルンシュタイ ンがそれに注訳とあとがきを加えて出 97年にはフェ ビアン協会に招かれて 『マルクスの真に教えるもの』 という題で講演をするまでになっている」- 関嘉 版した. また,18 00ページ‐ またベルンシュタイ ンはウェッ ブ夫妻 『英国労働組合の理論と実践』 を 「産業民主主義に関する論文」 として高 彦前掲著1 139-140 l i i i fSoc i i t t a sm,pp onso い評価を与えている‐ Be r ns e n The Precond . ‐ 「 他方ベルンシュタイ ンにとって 民主主義とは手段であり, 目的である‐ それは社会主義のための闘争の武器であり, また社会主 142 b i d 義実現の形態である」.l p . . ‐「社会主義を実現するための不可欠の前提条件とは, 民主主義の勝利, 民主的な社会的諸機関およ , 245一246 i b i d 157 t t び民主的な政治的諸機関を創設することである」‐l c e rGa y ‐ . ‐ ‐ なお経済民主主義については, ヒル - ‐ ‐ Pe ,op ,pp ,p 『 83年, 新評論) 参照‐ またヒルフ ァ ファディ ング 「現代の諸問題」 (ヒルファディ ング 現代資本主義論』, 倉田稔・上条勇編訳19 ズ ン にみる理論と政策の関わりと国家論 21 国家と経済政策--ケイ ディ ングとケイ ンズとの関連については黒滝正昭 「 」(後藤洋・ ‐ 2年, 梓出版社) 参照‐ なお ドイツ社会民主党における修正主義の歴史的意義について 黒滝正昭・大和田寛編 『社会科学の世界』199 19 83年, 御茶の水書房) 参照‐ はハンスーヨー ゼフ.シュタイ ンベルク, 時永淑・堀川哲訳 『社会主義と ドイツ社会民主党』 ( 5年のマルクス講演草稿独訳について記載しなかったのは当然の結果で 68 ) ベルンシュタイ ンが 『一社会主義者の発展の歩み』 で,186 1966年, 御 あったといえよう. なお, 国際労働者協会での革命と改良の関連については飯田鼎 『マルクス主義における革命と改良』( 茶の水書房) 参照‐ (北海道教育大学教育学部釧路校. 助教授). 25.
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ンズ派経済学の核心的要素である賃金・価格の硬直性に,長期賃金契約,暗黙
第一節 師になるということ――自任への批判 第二節 弟子になるということ――好学から奔走へ 第三章
;以下、「APBO17」という)は、前節で考察した ARB24 および ARB43 の 次に公表された無形資産会計基準である。無形資産の定義は
下記の 〈資料 10〉 は段階 2 における話し合いの意見の一部であり、 〈資料 9〉 中、 (1)(2). に関わるものである。ここでは〈資料
そこで、本研究では断面的にも考慮された空間づくりに