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De "Shinsei" a "Yoakemahe"
―sur les oeuvres de SHIMAZAKI Touson―
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氏に献 じる は じ め に 島崎藤村が1918年 (大正7年) 5月 1日よ り朝 日新聞に連載開始 した F新生』 (1919年10月23日 完結) は世 に衝撃的 であ った。む ろん、その理 由 は内容のためで、藤村 自らが姪 との性的関係を告 白 したか らであ る。それ まで、詩人 と して世 に知 られ 、 F破戒』 を著わ した後 、 自然主義作家 とし て 田山花袋 と共 に先頭を切 り、パ リ滞在中に第一 次大戦下 の フランスの様子 を新 聞に載せ る程 の有 名人であ った。に も関わ らず 、 自らの恥 あ るいは 罪 を告 白す る。 ひ とつ間違 えは、スキ ャンダル と な り、有名人 として ことを問われ 、致命傷にな り 得 る性質の ものであ る。当時 、物書 きである作家 が ア ウ ト・ロー的 な立場に置かれた存在 であ った がために許 されたのであるか も知れぬ。 とは言 え、 世間が容易に容認 し待ぬ ものであ ったに違 いない。 ま してや これ まで藤村 自身は 自伝的作品 F家』 の 中で も、近親者達をモデルに して彼等 の不始末を 描 いて さえい る。 こ うした中で、性 に まつわ るこ とが何 を意味 してい るか熟知 してい るはずであ る。 小説家 であ る藤村は 自らの肉親達を冷静に見 て、 人間の一面 を語 り続け 、今後は 自らを描 き出すの であ る。一 人の人間 として、果 た して餓悔の意味 で著わ したのであろ うか.む しろ積極的 な意味 を ここに見 出 してい きたい。I-1
F新生』 が朝 日新聞紙上に連載が開始 されたの は、大正7年5月1日か らで、フランスか ら帰国 して二年後 であ る。書 き出 しは主人公 の岸本宛に 書 かれた友人の手紙 で始 まる。序 の章 として五 回佐 々 木 涇
SASAKI Thoru
の連載 で完結 され るのであ るが、 この手紙 の内容 と手紙か ら連想 した思いが書 かれ ている。 ら んだ 手紙 の主は 「これ (倦怠 と鰍 情の生活)が生の さ んく 充実 といふ現代の金 口に何等の信仰 を も持 たぬ人 間の必定墜 ちて行 く羽 目であ ら う。それ な らそれ を悔むか といふに、僕にはそれす ら出来 ない。何 故か といふに僕の肉体には本能的には生 の衝動が 極めて微弱になって了ったか らであ る。永遠に墜 ちて行 くのは無為 の陥葬 であ る」 (註 1) と告 白 す る。 これ を きっかけに岸本は 自らの生活 の七年 間 を思 い出す。 「その間 、不思議な くらゐ親 しい ものの死が続 いた。彼 の長女 の死。次女 の死。三女の死。妻 の死。つ ゞいて愛す る甥 の死。彼のた ま しひは 揺 られ通 しに揺 られた。
」 (註2) さらに学校時代か らの友人の死 を知 り、会葬 の 時に交わ された友 人達 との会話を思い出す。 人生 に対 す る思 いを強調 しなが ら。「
F皆一緒に学校を出た時分 - あの頃は、 何か面 白さ うな ことが先 の方に吾斉 を待 って居 るや うな気が した。斯 うして居 るのが 、是が君 、 人生かねえ。』 言 出すつ も りもな く岸本はそれ を二 人 の学友 の前に言出 した。 F左様サ、是が人生だ。』 と菅は冷静 な調子で 言った。
F僕は左様思ふ と変な気 のす ることが あ る。』 Fも うす こ し奈様かいふ ことは無 い ものかね。』 と岸本が言ふ と、足立 はそれ を引 き取 って、Fそんなに面 白いことが有 ると思ふのが、間違 ひだ よ。』 足立 の部屋に菅 と集 まって見て、岸本はそこ に も不思議な沈黙が旧い馴染の三人を支配 して 居 ることを感 じたのであった。それほ ど隔ての 無い仲間同志にあって も、それほ ど喋苦った り 笑った りして も、互いに心が黙っていた。 Fどうして も期 の侭 ぢや、僕には死に切れない。』 岸本はそれを言はずに居 られなかった
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(註3) この序の章は次のように締め くくられ る。 「岸本の四十二 といふ歳 も間近に迫って来て居 た。前途の不安は、世に男の大厄 といふや うな 言葉に さ-耳を傾け させた。彼は中野の友人に 自分を比べて、斯様な風に言って見た こともあ る。友人のは生 々とした寛いだ沈黙で、 自分の は死んだ沈黙であると。その死んだ沈黙 で、彼 は 自分の身に襲 ひ迫って来 るや うな強い風 を待 受けた。
」 (註4) ここには岸本の沈んだ気分、彼 自身を襲 ってい る憂欝 さ、倦怠、そ してすでに四十歳を迎えた 自 らの歩みを思 うが故に生 じた暗い雰囲気が漂 って い る。連載が開始 された時点では、むろん読者に はその由縁は不明であるが、姪 との性的関係が、 ここに陰 を落 としていることは否めない。
「待受 けた」 とす る以上 、藤村 自身が告白す る決意は明 らかだ。 だが、注 目しておきたいのは手紙 の主であ る友 人が創作活動をせずに、 「僕の生涯 の紋 の上には 倦怠 と願情が灰色の手を置 いて居 るのであ る」
(註 5)とす るのを引 き合いに している点であ る。 こ の友人は 「芸術的生活 と宗教的生活 との融合を試 み ようとして居 る」 (註6)のであ って、言わば、 現実生活に追われてはいない。 まして 「相応 な資 産 と倹約な習慣 とを遺 して置いて行った父親があ って、この手紙に もよ くあ らほれて居 る静寂な沈 黙 を妹ひ得 るほ どの余裕 といふ ものが与- られて 居た」 (註 7) のであ る。俗な世界に振 り回 され ることな く、知の世界にあって、抽象的な次元に 身を起 き、人生を見ているのである。岸本は これ一 を 「生 々とした寛 いだ沈黙」が故に生 じた とす る。 そ して岸本 も同 じように倦怠に襲われている。 「合て彼の精神を高めたや うな幾多の美 しい生 活を送 った人達のことも、皆空虚 のや うに成っ て しまった。彼はほ とほ と生活の興味をす ら失 ひかけた。 日がな一 日伯 しい単調 な物音が 自分 の部屋の障子 に響いて来た り、果て しもないや うな寂実に閉 され る思ひを した りして、 しば ら くも う人 も訪ねず、冷たい壁を見つめたまゝ坐 った き りの人のや うに成って しまった。 これは そ もそ も過度 な労作の結果か、半生を通 してめ ぐりにめ ぐった原田の無い憂欝の結果か、それ とも母親のない幼い子供等 を控へて三年近 くの 苦難 と戦った結果か、いずれ とも彼には言ふ こ とが出来なかった。」 (註8) 倦怠に襲われた理 由 として三点が挙げ られてい る。いずれ も現実生活の中で生 じたが ものである が、 と りわけ 「原因の無い憂欝」に強い興味を覚 える。本論 では この点にいずれは焦点を絞 ってい きたい と考えている。 ともあれ、岸本は友人 と比 較 して 自らのは 「死んだ沈黙」 としてい る。 この よ うな状況にあって、おそ ら くは姪 との関係が生 じたのであろ う。作者 島崎藤村は序の章で岸本 と 友人のふたつの倦怠を提示 し、比較す るのは 「死 んだ沈黙」 こそが彼に とって必要であった とす る のであろ う。 自らを新 たに生か しめ るために。 F新生』 が連載 されて、一 ケ月近 く過 ぎると反 響が出始めた。藤村はそのことさえ も F新生』に 書 く。 「岸本の書 き溜めて置いた憤悔の稿はポッポッ 世間-発表 されて行った。岸本 と節子 との最初 の関係は早や多 くの人の知 るところ と成った。-かねて自分の身に集 まる噸笑 と非難 とは岸本の 期 していた ことで、それがまた彼 の受 くべ き当 然の応報 であった。」 (註9) 姪の父であ る作者 の兄や近親者達に強い衝撃を 与えた ことは言 うまで もない。兄か らは義絶を言 い渡 され さえ もす る。 しか し、 この小説は書 き続 け られ る。関心を抱いているのは近親者達だけで はない。文壇にあ る人達 も同様であ る。彼等の反応を見 よう。 先ず読売新聞 (大正八年二月二 日)に掲載 され た記事 であ るが、中村星湖が書 いている。第-部 が終 り、単行本 として出版 されたはか りで第二郡 は未だ発表 されてはいない時点 である。 (註lo) 中村 は、作者が 「恐 ら く生皮 を剥 ぐや うな苦 し みを今経験 しつ ゝある」 と思いを寄せ、真剣に受 け とめ る。そ して作者を、また この小説を書いた ことを理解 しようと試みている。 「わた しの友人達の一人は、合て、 F新生』が まだ単行にならない以前に、岸本氏の生活態度 に対 して、即ち普通の人間 として殆んど唾棄す べ き肉親相辱 の罪過及びそれの世間-の発覚を 恐れて逃亡 した卑怯な態度に対 して激 しい批評 の苔 を加えてゐた。その こ ゝろは、 もし岸本氏 に罪 の自覚 自責が強ければ強いだけ逃げ出 した りす るわけの ものではない といふにあるらしか っ た。 またわた しの或友人達は、岸本氏のあゝ した行為、あ ゝした心理 を諒解す ることは出来 る、けれ ども作者のあの程度 の暖味 な描 出を遺 憾 とす ると言った。恐 らく前者 は F新生』 の主 要人物に対す る倫理的批判の代表的な ものであ り、後者は同 じ作者に対す る技術的非難の代表 的な ものであら う。」 (註11) 中村星湖は この ように当時の代表的な批評を紹 介 してい る. どんな批評や非難があるにせ よ.、世 に衝撃的であった ことは事実であ る。大正九年-月号の 「婦人公論」は 「島崎藤村氏の懐悔 として 観た F新生』合評」 と題 して正宗 白鳥、小川未明、 徳 田秋声 ら28名の批評 (依頼に よる回答形式)を 掲載 している。 (註12)いずれ も厳 しい意見に基 づ く批評はな く、 「良 くぞ書いた」 とい う主 旨の ものが あ り、また読んでいないか ら批評は しない とい うもの もある。中には今後 ど うす るか とい う 指摘 もあ り、読んだ人々に何 らかの影響を与えた ことは疑 えない。 そ して芥川龍之介である。 「最後に 自然主義の巨撃た る島崎藤村氏は長編 F新生』 の一作に、全一年間の労作を傍注 した と云って も差支へない。 また F新生』は藤村氏 の如 き老大家が、空前 の努力を試むべ き好個の 材料を捉へた ものであ る。が叔姪の恋愛 と言ふ 如 き大問題であ りなが ら、 F新生』の主人公の 自己批判は余 りに容易なる感 じがある。従 って これを肯定 しようとす る主人公の心 もち も余 り に虫が良す ぎる観な きを得ない。忌弾な く云へ ば この観照上の甘 さが、今 日の文壇を して藤村 氏 を遠か らしむ所以ではあるまいか。」(註13) 当時公に発表 された ものである。倫理的側面か らのみ受け留めている。 ここに芥川固有の とらえ 方が あるであろ うが、 よ り一層芥川の考えを明白 に したのが F或 る阿呆 の一生』の中においてであ る
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「四十六号」 と題 した文章中にある。 「彼の姉の夫の自殺は俄に彼を打ちのめ した。 彼 は今度は姉の一家の面倒 も見なければな らな かった。彼の将来は少な くとも彼には 日の暮れ のや うに薄暗かった。彼は彼の精神的破産に冷 笑 に近 い ものを感 じなが ら、 (彼の悪徳や弱点 は一つ残 らず彼にはわかってゐた。)不相変い ろ いろの本を読みつ ゞけた。 しか し、ル ツソオ の像悔録 さへ英雄的な嘘に充 ち満 ちてゐたo殊 に F新生』 に至っては、 - 彼は F新 生』 の 主 人公ほど老恰な偽善者に出会った ことはなか った。が、フランソア ・ヴィヨソだけは彼の心 に しみ透った。彼は何篇かの詩の中に 「美 しい 牡」を発見 した。 絞罪を待 ってゐるヴィヨソの姿は彼の夢の中 に も現われた りした。彼は何度 もヴィヨソのや うに人生のどん底に落ち よ うとした。が、彼の 境遇や肉体的エネルギイはか ういふ ことを許す 訳 はなかった。彼はだんだん衰-て行った。丁 度昔ス ウイフ トの見た、木末か ら枯れ て来 る立 ち木のや うに。---・
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」 (註14) 『或 る阿呆 の一生』は芥川龍之介が36歳 で自殺 した後に友人であ る久米正雄 の手に よって、遺言 どお りに発表 された ものであ る。 ここにおいて も 同 じく倫理的な捉え方が強 く、 と りわけ芥川 自身 が危機的な状況にあったが故に、この よ うな表現 が強 くな ったのであろ う。少な くとも、 F新生』 を冷静に捉えているとは言 い難 い。専 ら自らの生を 肯定 し、真実なる心情を吐露す る作品を求めて いたのではあ るまいか
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F或 る阿呆 の一生』が晩 年の作品であることに注 目すれば、全体が陰欝な 雰囲気を漂わせてい るのほ、人生の様 々な事象に 対 して、悲観的 な側面 か ら本質を見出そ うとして いると言 え よう。芥川が F地獄変』 で示 した よう に、芸術至上主義を否定 しているか ら,藤村の『新 生』は唾棄すべ きもの となるか もしれぬ。芥川が 「虫が良す ぎる」 とす るのは、 F新生』において テーマの深め方が不足 していることにな るだろ う。 とは言え、 ここに 「生」に対す る姿勢 と、両者の それに対す る考え方の相違点があ る。藤村が 「私 のや うな もので もど うにか して生 きたい」 とす る ように、た とえ甘えが あ るに して も、生 を肯定 し、 生に執着 し、そ して秘 そかなる目的のために F新 生』 を著わ したのであろ う。 I- 2-(1) 岸本の心の動 きを中心に内容を辿 っておきたい。 同時に岸本の姪 であ る節子の心 もしくは行動 も追 うことにす る。 序の章に引き続 き、姪 の節子が F私の様子は、 もう叔父 さんには最早 よ くお解か りでせ う。』
(読 15)と切 り出す までは、人生 とい う流れか ら幾分 それた澱みの中に、岸本が措かれてい る。 この澱 みは四十歳にな ったばか りの岸本になん ら自信を 与えてはいない。む しろ情熱が失われてい る様子 が描かれ る。 「岸本は六年 の問の仕事場であった 自分 の書斎 を眺め廻 した。合 ては彼の胸の血潮を湧 き立た あく せ るや うに した幾多の愛読書が、 さなが ら欠び はこり をす る静物のや うに、-ばいに魔境の溜った書 棚の中に並んで居た。』 (註16) このよ うな澱みの原因 となるべ きもののひ とつ として妻 のことが思い起 こされ る。妻 と死別 して 三年が経過 しているが、それ以前の妻園子 との十 二年間の生活が影を落 としているのであ る。「
F父 さん_、私を信 じて下 さい - 私を信 じて 下 さい ・・』 左様言って、園子 が彼の腕 に顔 を埋めて泣い た時の声は、まだ彼の耳の底にあ りあ りと残っ て居た。 岸本はその妻の一言を聞 くまでに十二年 も掛 った。園子は豊な家に生 まれた娘 のや うでもな く、困難に もよく耐- られ、働 くことも好 きで 夫 を幸福にす るかずかずの好い性質を有って居 たが、 しか し激 しい嫉妬を夫に味 はせ るや うな 極 く不用意な ものを一緒に もって岸本の許-嫁 いで来た。 自分はあま りに妻を見つめ過 ぎた、 と左様岸本が心づいた時は既 に遅 かった。彼は 十二年 もか ゝって、漸 く自分 の妻 とほん とうに 心の顔を合せ ることが出来たや うに思った。そ してその一言を聞いた と思った頃は、園子は も う亡 くなって しまった。
」 (註17) この ことは岸本に種 々の縁談話が持 ち上が って も、男 と女の関係のため、ため らいを もた らす。 「岸本は もう準備な しに、二度 目の縁談 なぞを 聞 くことの出来ない人に成って しまった。独身 は彼に取って女人に対す る一種の復讐 を意味 し て居た。彼は愛す ることをす ら恐れ るや うに成 った。愛の経験はそれほど深 く彼 を傷つけた。」 (註18) それ故、彼は 「妻が残 して置 いて行った家庭を そのま ゝ別の意味の ものに変へ ようとした」ので ある。だがそれ も思 うようにな らず 、岸本 自身の 部屋の壁の よ うに立ちはだか り、 「早三年近 くも その自分の部屋 の壁を見つめて しまった ことに気 がついた。そ してその三年の終 の方 に出来た 自分 の労作の多 くがいづれ も F退屈』 の産物であるこ とを想って見た」 りもす る。 (註19) こうした状態 の中で、岸本親子 の細 々 した面倒 を見 るために一年程前か ら同居 していた姪の節子 は岸本の子供達か ら母親の ように親われている。 そ して不吉 な前兆 とも思えるよ うな出来事が起 き る。隅 田川に身 ごもった女の溺死体が発見 された こと、仏壇を片付けていた節子の手が、原因不明 の血で染 まることである。 ここまでが導入部であるが、岸本 の混沌 とした 気持、四十歳 とは言え、まだ人生に何かがあ るの ではないか と期待す る気持が描かれ てい る。そ して不吉 な出来事をそ こに交 えて読む者を引 きつけ てい る。 この後に先に引用 した節子 の言葉 で、節 子が 母 親 にな り、岸本が父親にな ることを知 る。澱みの 中に渦 が生 じたのである。 この性的関係は人生 と い う大 きな流れの中に踊 り出て、その当事者達を 共 に生 きよと励 ます もの とはな り得 なか った。近 親者 であ るがためである。 お よそ 「生」を肯定 し、 人生 を輝 か しめ るよ うな ものではない。 ま して非 難 され ることはあ って も、周囲か ら賛辞が与え ら れ 、祝 いを受け る対象 とはな らない。つま り澱み の中にい る岸本に とっては、生 と しての営みの原 動 力た らん とす るものにはな らない。書棚の情熱 を掻 きたて る愛読書を見て も、か っての よ うな若 き心情 を もはや持 ち得 なか った。岸本は 「早老人 の心を味 は」い、 「忌 々 しく思」 (註20)うのみ であ る。修道僧や兼好法師な どのス トイ ックに生 きる人 々を考えた りもす る。そんなであ りなが ら も節子 に妻 の残 した衣類を与 え、言わは妻 の位置 を与 え るか の ような行動を取 る。 人生 の流れの中で、岸本 自らが澱み とす る状態 に陥 ったのは何 も節子 との関係に よるものではな い。む しろ妻 との緊張関係が失せた ことが大 きな 理 由 と思われ る。激 しい緊張関係の中にあ って 自 らの存 在感 を保 ち得たのであ る。妻が亡 くなった 後に生 じた解放感に満た された状態 にあっては、 生 きるこ との支 え とな るべ きものが 、た とえそれ が意識 されず とも、失われたのであ る。だが節子 との関係は、むろん妻 とのそれ とはな らない。 い まや、澱み の中にあ って どこに引 きこまれ るか判 らぬ渦 に捲込 まれたのであ る。右に左に揺れ動 く 岸本が描 かれ るのみで、その心 の有 り様が どの よ うに節子 に伝わ ったか、そ して節子 の心情 も、 こ の導入部 までは描かれていない。 1- 2-(2) 節子 の告 白を受けて、 ことの処 し方に岸本は窮 す る。子供が誕生 して しま うか らだ。 「嵐 は到頭やって きた。彼 自身 の部屋 を トラピ ス トの修道院に愉へ、彼 自身 を修道院の僧侶に 愉-た岸本の ところ-
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」 (註21) 様 々な思 いが岸本の内部に湧 いて くる。 その沈 み込 んだ状態 ははために も分か って しま う。「
F旦 那 さんは今朝は奈何かなすったんですか。御飯 も 召上 が らず』」 (註22)と姿やに不審に思われ る. だが岸本の思 いは複雑だ。親戚縁者はむろんの こ と、友 人や岸本を慕 う人 々が知 った らど うなるか。 さらには新 聞記者の知 るところ となった らどうな るか。
「眼に見 えない石 が 自分 の方-飛んで来 る 時の痛 さ以上に、岸本は見物 の喝采 を想像 して見 て悲 し く思」 (註23)い、沈 んで しま う。発覚を ただ ひたす ら恐れ るのみ であ る。 時 には友人か ら料亭に誘われ て も、芸者 の謡 う 唄は心に染み るばか りであって、心底か らの寛 ぎ はな い。 「昼 と夜 とは長い瞬間のや うに思はれ るや うに 成 って行った。そ して岸本の神経 は姪に負はせ 又 自分で も負った深傷に向って注 ぎ集 るや うに 成 って行った。」 (註24) だが常 に節子 と顔を突 き合わせて生活 を しなけ れば な らない。 「七 日はか りも岸本はろ くろ く眠 らなかった。 独 りで心配 した。昼 の食事 の時だけは彼は家の もの と一緒 でな しに、独 りで膳に対ふ ことが多 かったが、左様 いふ時には極 りで節子が膳の側 -来て座った。彼女はめったに叔父の給仕の役 を姿やに任せなかった。それ を 自分 で した。そ して備 向 き勝 ちに帯の問-手 を差 し入れ 、叔父 と眼 を見合せ ることを避け よ う避け よ うとして 居 るや うな場合で も、何時 で も彼女の膝 は叔父 の方-向いてゐた。晩かれ早かれ破裂 を見ない で は止 まないや うな前途の不安が二 人 を支配 し た 。岸本は膳を前に して、黙 って節子 と対ひ合 ふ ことが多かった。
」 (註25) 節子 の体 をいたわ りなが らも、岸本は加害者 の ような気拝 を持 ち続け る。 「親類の女の客があった後 では、岸本 は節子 と 顔 を見合せ ることを余計に苦 しく思った。それ は唯 の男 と女 とが見合せ る顔 では無 くて、叔父と姪 との見合せ る顔であった。岸本は節子の顔 にあ らはれ る暗い影をあ りあ りと読む ことが出 来た。その暗 い影は、 F貴様は実に怪 しか らん 男だ』 といふ兄の義雄の怒った声を心の底の方 で聞 くに も勝って、 もつ ともつ と強い力で岸本 の心に迫った。快活な姉の輝子 とも違ひ、平素 か ら節子は 口数 も少い方の娘であ るが、その節 子の黙 し勝 ちに憂ひ沈んだ様子は彼女の無言の 恐怖 と悲哀 とを、 ど うかす ると彼女の叔父に対 す る強い憎 しみをさ-語った。 F叔父 さん、私は如何 して下 さいます 』 この声を岸本は姪の顔にあらはれ る暗 い影か ら読んだ。彼は何 よ りも先づ節子 の鞭を受けた。 一番多 く彼女 の苦んで居 る様子か ら責め られたQJ (註26) 岸本が発覚 を恐れているのは 自らの行動を性的 な衝動のため と捉えているがためであ り、常に 自 らのことのみを考え続けているためである。か っ て見た芝居を思い浮べ、自分に引 きつけて考え も す る。 「近代劇の年老いた主人公 をふ と胸に浮べた。 ビ 丁ノ その主人公の許-洋琴を弾 いて聞かせ るだけの 役 目で雇ほれて通って来 る若い娘 を胸に浮べた。 生気のあふれた娘 の指先か ら流れて来 るメロデ ィを聞か うが為には、劇の主人公は毎月金を払 ったのだ。そ して老年の悲哀 と寂実 とを慰 さめ や うとしたのだ。岸本は劇 の主人公に 自分を比 べて見た。時には静かな三味線の音 でも聞 くだ けのことを心や りとして酒のある水辺の座敷へ 呼んで見 る若草のや うな人達や、それか ら若い 時代の娘の心で 自分の家に来て居 るといふだけ で も慰 さめになる節子 をあの劇中の娘に比べて 見た。」 (註27) この気持は医者の診断が ことを否定す ることさ え も望む。あげ くに隅 田川の女の溺死体を思い出 して
、「
F節 ちゃんは彼様いふ人だか ら、ひょっ とす ると死ぬか も知れない』
」 (註28)とも思い 込み、さらに沈み込んで しま う。そ して この思い は自らの運命を呪 う方- と導 く。 「妻の園子 を失った後二度 と同 じや うな結婚生 活を繰返す まいと思って居た彼は、出来 ること なら全 く新規 な生涯を始めたい と原頁って居た彼 は、独身その ものを異性に対す る一種の復讐 と まで考へて居た彼は、 日頃煩は しく - しか も一人の小 さな姪のために斯 うした暗い ところ へ落ちて行 く自分の運命を実に心外に も腹立た しくも思った。」 (註29) その運命を甘受 し、開 き直 った考 え も彼に訪れ る。つ ま り罪を犯 した ことを謝罪 し、法の鞭を受 け ようとい うものである。だが決意 までには至 ら ない。 この時、岸本は 自らの若い頃の ことを小説に書 いていたのであるが、書 きかけの原稿を読みなが ら青年時代を思 い出す。 「止み難 い精神の動揺か ら、一年 ばか りも流浪 を続けた揚句、彼の旅す る道はそ の海岸 の波打 際へ行って尽 きて しまった。その時の彼は- 日 食はず飲 まず であったO-銭の路用 も看たなか った。身には法衣に以て法衣でないや うなもの を着 て居た。それに、尻端折、脚粋 、草牲穿 と いふ異様な姿 を して居た。頭は坊主に剃って居 た。その時の心の経験 の記憶が復 た実際に岸不 の身に環って来た。」 (註30) 岸は追 いつめ られている。か っての若 い時 と同 じよ うに。
「遠 い島」か、丁寺院」か。 「しか し、左様 した遁路を見つけ るには彼は余 りに重荷を背負って居た。余 りに疲れて居た。 余 りに 自己を蓋 ぢて居た。彼は四つ並んだ幻の 墓の方-否 で も応で も一歩づ ゝ近づいて行 くの 外はなかった。」 (註31) だが彼 自身の死、 自殺 の思いではない。何故な ら岸本の心 の底には常に 「ど うか して生 きたい と 思ふ」 (註32)気拝があるか らであ る。優柔不断 ではな く、 この気持はむ しろ、生 きることに自ら を追い込んで行 こ うとす るものであ る。
「唯、心 を決す ることのみが彼を待って居 た」
(註33)の である。一方、節子については ど うか。節子に関す る描 写は少ない。岸本の心情が中心で、節子のそれは 分か りに くい。だが、節子の心は岸本を慕 う方向 にあると言 え よう。先に引用 した節子 の岸本を責 め る眼は岸本の主観に よる判断で しかない。次の ような部分 もある。 「叔父を恐れないや うに成 ってか らの節子の睦 は、叔父に対す る彼女の強い悩みを語って居 る ばか りで も無かった。 ど うか とす るとその瞳は 微笑んで居 ることもあった。そ して彼女の顔に あらはれ る暗い影 と一緒に成 って動 いて居た。 F妙な ものですねえ。』 節子は斯 うした短 い言葉 で、彼女の内部に起 って来 る激 しい動揺を叔父に言って見せや うと す ることもあった。 しか し、岸本は不幸な姪の 憎みか らも、微笑か らも、責め られたOその憎 み も微笑 も彼を責め ることに於 いては殆 ど変わ りがなかったのである
。
」 (註34) 節子に心の変化 らしきものがあ って も、節子の 心を思 うことな く、岸本は常に 自らに責めを負わ せ ることで終 って しま う。 すでに岸本が フランスへ行 くことを決意 し、方 々へ話 した りした後のことである。 と りあえず、 岸本 自身が ど うす るかを決定 したがために、節子 を見 る眼に余裕が生 じたのであろ う。むろん、節 子 を今後 ど うす るか、兄に依頼す るに して もど う 切 り出すか を考えてはいる。 しか し頭 を悩 ますの みで、具体的に行動はせず、フランスへ向 う船中 で認め る手紙で告 白す るまで俊巡す る。 フランス 行を決意 したのは、料亭の酒の席での友人 とのや りとりが きっかけになっている。その決意を、家 に戻 った岸本は、 「好いことがあ る。 まあ明 日話 して聞かせ る」 (註35)と言 う。 自ら引き起 こし た過酷な運命か ら逃げ出す 自分のみの行動を 「好 いこと」 とす る勝手 さ。 これ まで見てきた ように、岸本は姪 との関係を、 そ してその後始末を、常に自らを中心に据えて考 えている。 自己中心的で自らの利 のみを考えてい ると言 って言い過 ぎではない。おそ ら く読者は、 なんて 自分勝手だろ う、 と言 うに違 いない。先に 述べた よ うに岸本の視点か らのみ節子 を判断す る のは注意 しなければな らない。岸本の旅立 ちの前 夜の一場面に次の ような部分がある。 「十二時打 ち、一時打って も、まだ部屋 の内は すっか り片付かなかった。
Fお前達はも う休ん でお呉れ。』 と岸本は節子や姿やに言った。 F姿や、お前は明 日の朝早い人だ。俺の方は店 はな くて も可い。遠慮 しないでお休み。』 F左様 でございますか。』 と姿やは受けて、 Fほん とに遠方-被入つ しや るといふ ものは、 御支度 ばか りで も容易ぢや ござ りません -旦那 さん、それでは御先に御免蒙 ります。』F
節ちゃん、お前 もお休み。』 と岸本が言ふ と、節子の眼は涙でか ゞやいて 来た。羅馬文字 で岸本の名を記 しつけた鞄を見 るにつけて も、悲 しい叔父の決心を思ひや るや うな女 らしい表情が彼女の涙 ぐんだ眼に読 まれ た。
F叔父 さん、 お休み。』それを冨ひなが ら、 すすりなき 彼女は激 しい畷泣 と共に叔父の別離の くちびる を受けた。
」 (註36) 節子の岸本を慕 う涙 と見た方が 自然であ る。岸 本を恨む気持があってほ涙は出ないだろ うし、 く ちび るを受け ることはあ るまい。 岸本を こんなにまで、 自己中心的に描 いた作家 島崎藤村 の真意は どこにあ るか。 自らの現実の問 題 として 自己中心的であ った 自分 自身を曝け出す とい うことで、謝罪 もしくは憤悔 の意味 もあるで あろ う。だが、四十歳に達 した人間を冷 静に見直 す ことで、人間の本質であるところの、程度の差 はあれ 、己の利を常に考 えている醜 さを描 きたか ったのではあるまいか。岸本の とった行動 を衝動 的な性行動 としてのみ捉 え、人間につ きものの心、 とりわけ節子の岸本に対す る心情が克明に描かれ てはいない。む しろ、岸本の動揺ぶ りは見 るも無 残であるが、現実の即物的な世界に埋れて、生活 し、事に振 り回 されてい る人間が描かれているの であ る。1-
2-(
3
)
東京を離れた岸本は、神戸で二週間余 もフラン ス行 の船を待つ。それ とい う、の も子供達 と節子を 節子 の両親に、つま り兄夫婦に預け るのであるが、岸本は上京す る兄嫁に逢 いた くなか ったのであ る。 その心 うちは理解で きるに して も、その行動は充 分に承知 してい る許 され ざる逃避行に他な らない。 そんな余裕 のない岸本に節子か ら手紙が来 る。神 戸に着 いてか ら四 ・五 日の頃であ る。 「す くな くも節子に起って来た不思議 な心の変 化がその中に書 きあ らは してあった。過 ぐる四 五箇月の問、あ る時 は恐怖 を もっ て、あ る時は 強 い憎みを もって、あ る時は また親 しみ を もつ で叔父に対 して来たや うな動揺 した心の節子に 比べ る と、その中には何 とな く別の節子が居 た。 岸本は 自分の遠 い旅に上って来た ことか ら、何 か急激 な変化が不幸 な姪 の心に展けて来た こと を感 じない訳にはいかなかったO」 (註37) それ までは 「動揺 した心の節子」 とあ るが、 ど の よ うに理解すれ ば良いか。手紙 を書いて きた節 子 の変化 を、岸本は 「感 じない訳にはいか なかっ た」 とす る点か ら考 えてみ る。罪 の意識 を もって 接 して きた岸本には、お よそ節子 の心 を当初か ら 知 り得 ていなか った と言 える。子供が生 まれ るこ とを知 った時点 では、一層節子 の様子が分か りに くくな ったのであろ う。岸本の狼狽ぶ りは先に引 用 した とお りであ る。そ して 自らを修道僧 の ごと く振 るまお うと考え もす る。姪や、 さらに兄夫婦 に対 しての罪意識 の中で心が混乱 していたのであ る。それは死んだ妻 、園子に対 して激 しい嫉妬心 を抱 くこととは逆 の思い込みであ る。 だが、今、 神戸 で独 りにな って節子 の手紙 を読む とこれ まで とは異 な る節子 の姿が浮かぶ。節子 の心が これ ま で語 られ ていないか ら、同時に読者に もその心が どの辺 りにあ るか この時点で読み取れ る。長 くな るが重要 な部分故に引いてお く。 「節子 は岸本の方か ら詫びてやった一切 の心持 を - 彼女に対 して気 の毒が る一切の心持を 打消 して よこ した。今 日までを考- ると、 ど う して 自分 は斯様 なことに成 って釆たか、それ を 思ふ と自分 なが ら驚かれ ると書 いて よこ した。 矢張 自分 は誘惑に勝てなかったのだ と思ふ と書 いて よこしたo Lか し期 の世 の中には、人情の 外 の人情 といふや うな ものがあ る、それ を 自分 は思ひ知 るや うに成 って来た と書 いて よこ した。 何故叔父 さんの手紙 には、 Fお前 さん』 と言ふ や うな、 よそ よそ しい言葉 で 自分 の ことを呼ん で呉れ るか、 Fお前』 で沢山ではないか と書 い て よこした。叔父 さんの新橋を発つ朝 、 自分 は 高輪の家の庭先か ら品川の方 に起 る汽車の音 を 聞いて、あの音が遠 く聞えな くな るまで何時 ま た たず で も同 じところに ボ ンヤ リ仔立んでいた と書 い て よこした。 叔父 さんの残 して行った本箱、叔 父 さんの残 して行った机 、何一つ として叔父 さ んの ことを想ひ起 させ ない ものは無 い、 自分は 今机や本箱の置いてあ る部屋 を歩 いて見て居 る と書 いて よこ した。 叔父 さんが外遊 ,D決心を聞 いてか ら、 自分はかずかず の話 したい と思ふ こ とを有っ て居 たが、 ど うして もそれが 自分には 出来なかった とも書 いて よこ した
。
」 (註38) 愛 の告 白であ る。 しか し、 これを読んだ岸本は「
Fあ ゝ、酷かった。酷かった。』」 (註39)と す るのみで、節子に返事 を書かず、 「彼女の一生 を過 らせ、同時 に拭 ひがたい汚点を 自身 の生涯 に 留めて しまったや うな、深 い悔恨の念」 (註40) に捉 え られていた。そ の上 、旅 だ ちの宿 を訪れた 節子 の父に も告 白を しない。 「到頭岸本は言はず仕舞に、兄に別れた。彼 は 姪に一言 の詫 も言-ず 、今 また兄に も詫 るこ と の出来ないや うな 自分 の罪過 の深 さを考-て、 嘆息 した。
」 (註41) 神戸か ら上海 に向 う船上で も手紙 を書けず 、上 海か ら香港に向 う途 中で よ うや く決意 して認 め る。 「何故に 自分 が母親 のない子供 を残 して斯 うし た旅 に上 って釆たか、その自分の心事は誰に も 言はずにあ るが、大兄だけにはそれ を告げて行 かねは成 らない と書 いた。多 くの友人 も既に こ の世を去 り、甥 も妻 も去った中で、 自分 のや う な ものが生 き残 って今 また大兄に まで嘆 きをか け る自分 の愚か しい性質を悲 しむ と書 いた。 -実に 自分は親戚に も友人に も相談 の出来 ないや うな罪 の深 い ことを仕 出来し、無垢な処女の-生 を過 り、そのために 自分 も食て経験 した こと の無いや うな深刻な思を経験 した と書いた。節 子は罪の無いものであ ると書 いた。彼女を許 し て欲 しい と書いた。彼女を救って欲 しいと書い この手紙 を受取 られた時の大兄の驚 きと悲 しみ とは想像す るに も余 りあ ることであると書 いた。 とて も自分は大兄に合せ得 る顔を有つ ものでは 無い と書 いた.書 くべ き言葉 を有つ もので も無 い と書いた。唯 、節子のために斯 の無礼な手紙 を残 して行 くと書 いた。 自分は違 い異郷に去っ て、激 しい自分の運命を突 したい と思ふ と書 い た。義雄大兄、捨吉拝 と書 いた
。
」 (註42) 日本を離れ る岸本の気拝は どんなであったろ う か。か っての先人達が した ような西欧文化吸収の ための旋 ではない。 自らを追 いつめ、身を隠すた めの旅 であ る。 自らを葬ろ うとす る旅である。 I- 3-(1) 新聞連載 は百三十回で第一部が終 了 した。 この うち五十二 回 目か らはフランス滞在中のことが記 されている。 この間、常に岸本は旅人であること が頭か ら離れない。むろん、節 子に対す る罪意識 も描写 されている。だが、それ もわずかな変化を 見せてい る。 この期問の岸本のJLlの動 きを追 って い く。 旅人であることは、先ず岸本に何を もた らした か。初 めて見 るパ リのマ ロニエ とプラタナスの並 木は森 の ようであった し、ル クサ ンプール公園を 好 んで散歩を した。岸本に とっては至 る所が 「旅 人 らしい散歩の場所」 (註43)であった。 とは言 え、パ リでの生活はそれ までの四十年間の 日本で の生活習慣の大部分を棄て ることに もなった。街 の中を歩 いているぶんには物珍 しさが手伝 って意 識 され なか ったであろ うが、生活 の場 としての自 らの部屋に戻 った時に違和感はかな りのものであ ったに違 いない。 「彼は全 く新規な、全 く異なった ものの中-飛 込 んで来た。それには長い年月の問、身に浸み ついている国の方の習慣か らして矯て掛 らねは 成 らなかった。彼のや うに静座す る癖のついた ものには、朝か ら晩 まで椅子に腰掛けて暮す と いふ ことす ら-難儀であった。 日がな一 日彼は 真実の休息を知 らなかった。立 ちつ ゞけに立っ て居 るや うな気が した。 日本 の畳の上 で思ふ さ ま新 の身体を横に して見た ら。 この考-は、ど うかす ると子供のや うに泣 きた く成 るや うな心 を さ-彼に起 させた。
」 (註44) そればか りではない。節子の出産のことを知 ら せ る兄や節子 自身の手紙、そ して偶然に も往来を 挟んでの産院があ.ることなどが 、岸本に常に罪意 識を覚え させ る。 ともすれば 自らの内面- と眼を 向け させてい くのが常 であるとは言え、一方に旅 人であるが故に別な体験 を も味わ う。 「あの島国の方に引込んで海の魚が塩水の中で も泳 いで居れば可いや うな無意識 な気楽 さを も って東京の町 を歩いて居た時に比べ ると、稀に 外 国の方か ら来た毛色の違 った旅人を見て F異 人が通 る』 と思った彼 自身の位置は丁度顛倒 し て しまった。否でも応 で も彼は 自分の髪 の毛色 ひとみ の違 ひ、皮膚 の色の違ひ、顔 の輪郭の違 ひ、路 の色の達ひを意識 しない訳には行かなかった。 逢 ふ人毎にジロジロ彼の顔 を見た。斯 うした不 断 の被観察者の位置に立たせ らる ゝこ とは、外 出す る時の彼 の心を一刻 も休 ませなかった。そ してまた斯様な骨折が実際何の役に立つ のだ ら うとさへ思はせた。
」 (註45) 異人 としてフランス人か ら見 られ ること、そ こ には罪意識を通 して内側か ら自らを見 るのではな く、異人種 として自らを意識せ ざるを得 ない状態 にあ った。 この自分を客観的に捉 えるこ とは、言 わは、旅人の特性である。確かに旅人は岸 本の よ うにホ ームシ ックに もなる。だが岸本は 「それを 考-た時は実に忌 々しかった」 (註46)とす る。 旅 の もた らす苦痛である。 とりわけ節子 や残 して 来た子供達か ら送 られた手紙 な どは、一層懐郷 の 念 を もた らす。 しか し、四十歳 を過 ぎて いるとは 言え、岸本は慣れを手に入れ、忘れ さえす る。「
F人はいかなる鼻涯に も慣れ るもの で、それ わ れら が また吾イ斉に与- られた る自然の恵であ る』 と言った人 もあった とや ら。ある人はまた、 F慣 れ るといふ ことほ ど恐 ろしい ものは無い』 とも 言った とや ら。岸本 はその二つの言葉 の意味に 篭 る両様 の気質 と真実 とを味ひ知った。所詮彼 とて も慣れずには居 られなかった。そ して高い 建築物 も左程気に成 らず、往来 も平気で歩かれ、 全 く日本風の畳 といふ ものも無い部屋に一 日腰 掛けて暮せ る頃は、 自分の髪の毛色の違ひ、自 分の皮膚の色の違ひを忘れ る時す らあるや うに 成った。」 (註47) そればか りではな く、 さらに超越 したかのごと き状態に もなった。 「不思議に も、外界 の事物に対 して是程彼が無 頓着に成った と同時に、外界の事物 もまた彼に 対 して無頓着に成った。彼は 自分 の部屋の窓の 下を往来す る人達 と全 く無関係に生 きて行 く異 邦の旅人 としての 自分 の身をその客会に見つけ た。あたか も獄裡に繋 がる ゝ囚人が全 く裟姿 と いふ もの と縁故の無 い と同 じや うに。」 (註48) 少な くとも、 日本に居 る時の ように、 自らの罪 を意識 しなが ら他人の限を気にす る必要のない状 態 であると言え よう。む しろ好 ましい状態である。 この ような岸本の状態 に、作者島崎藤村はフラ ンス人の知 り合 いを登場 させ る。 日本に関心を持 った老婦人は影響を与 えて しまった姪が 日本に行 って しまい、 日本人 と結婚 して しまった ことを悔 いている。むろん、そ の老婦人の姿は、事情は違 えて も、岸本の姿に重 な る。姪達の人生に大 きな 影響を与えて しまった とい う点では同一であ る。 このよ うな老婦人を登場 させ ることは、岸本が 自 責の念に捉われてい る姿 とその苦悩を補強す るこ とにな る。 この老婦人 との出会いは、罪意識にの み捉われていた岸本に新 たな感慨を もた らした。 き ぴ 「老婦人の手紙の中には可成過酷 しいことが書 いてあった。 しか し知 らない土地の人でそれだ け真実のことを岸本 の ところ-書いて よこして 呉れ る人す ら、めったに無かった。彼は異邦人 としての 自分の旅がそれほど土地の人達の生活 か ら縁遠いものであ ることを知 って来た。諸国 か ら巴里に集って来 る多 くの旅人 を相手に生計 を営んで居 るや うな人達の間に醸 され る空気が いん ぎん 非常に怒患 な もので険 しく冷たい ものを包んで 居 るや うな空気が、慣れては知 らずに居 るほ ど 職業的に成って しまったや うな空 気が、実に濃 と りま く彼 の身を囲続 いて居 ることを知って来た。仏 蘭西人の家庭 を見て来た眼で自分 の下宿を見 る 度に、何時で も彼は嘆息 して しまった。」(註4㊥ パ リで知 り合 った画家で、やは り日本 で女性関 係に苦 しんだ友人の岡は岸本に言 う。
「
F兎に角旅に来 ると、 自分 といふ ものを省 る や うに成 るね。A」 (註50) 「自分を省 る」 こと、まさしく岸本はその作業 を始めたのであ る。か ってそれに着手 していたの であ るが、再度 それを見直す ことに したのである。 「国の方に残 して置いて来た子供 のことも心に 掛って、遠 く離れて居 る泉太や繁 を養ふために も、岸本は果 したいと思ふ仕事 を客合 で急が う とした。七月 も下旬に入った頃であった。窓の 外-は時 々雷雨が来て、ど うかす ると日中に灯 火を欲 しいほ どに急に部屋の内を暗 くす ること も有った。岸本が稿を継が うとしたのは東京浅 草の以前の書斎で書 きかけた 自伝 の一部 ともい ふべ きものであった。部屋に居 て机に対って見 ると、その稿を起 した頃の心持が、まだ斯の旅 を思立たない前に恐 ろ しい嵐の身 に迫 って来た 頃の心持が、あの浅草の二階で これが 自分の筆 の執 り納めであるか も知れない と思った頃の心 持が、岸本の胸の中を往来 した。 巴里の客合に あって、 も う一度その稿を継 ぐことが出来 ると 考- るさ-不思議のや うであった。」 (註51) 「その稿」 とは F新生』の25章 の部分で、岸本 が読み返 した ものである。彼が どの ように した ら 良いか と節子の ことで混乱 していた時点である。 I- 31(2) 島崎藤村が小説 F桜の実』の一 部分を発表 した のは大正二年 で渡仏前であった。 (註52)だが渡仏準備 のため書 き継 ぐことがで きず 、読者に向け て
「
F桜の実』 の読者に」 と題 して、弁 明 し、パ リか らの寄稿 を約 した。 この約束 も果た されず、 大正三年五 月号 の 「文章世界」に F桜の実の熟す る時』 と改題 され て、連載が開始 された。 出版元 の博文館編集部長宛 の三月六 日付けの手紙には次 の ように記 され ている。 「・・・も う是 か らはず んず ん書 いて今 までの や うな御迷惑を掛けずに済む と思ふや うにな り ま した。原稿 は、以前二 回だけ 「文章世界」に 出ま したが、全部初めか ら新 し く書 いて送 りま す。題は F桜 の実の熟す る時』 と改め ました。 す こ し長 い題 ですがその方が内容に適す ると思 ひますか ら。
」 (註53) F桜 の実』 では主人公の種夫 はい きな り登場せ ずに、種夫 が育て られた岡田家の者達が長野か ら 戻 る種 夫 の ことを話題に してい る。つ いで戻 って 来 た種 夫の沈 んでいる様子 、 「亜米利加風 のカ レ ッヂ」 の寄宿舎に住む までの経緯 と、九月の新学 期 にな って も沈 んだ様子が描かれてい る。 (註54) F桜 の実 の熟す る時』 は、夏休み前に主人公捨 吉が人力車 に乗 った女性を見かけ、出会 いに期待 す る場面か ら始 まる。 「・・・過 ぐる一年 あま りの間、成 るべ く拾吉 の方 か ら遠 ざか るや うに し、達 はない ことを望 んで居 た人だ。その人が侍 で近づ いた。避け よ う避 け ようとして居 たあ る瞬間が思ひがけな く も造 って来たかのや うに。
」 (註55) 改題 した この作品で、言わは藤村 自身 の姪 、 こ ま子 との関係を整理す るため とい うよ り、 自らの 若 い頃の 自分 を見つめ ることで捉 え直そ うとした のであ る。 F新生 』第一部 の25章に引用 された部 分は この改題 され た2章の一部分 であ る。 この部 分がいつ書かれたかは不 明であ る。 しか し、 F桜 の実 』は主人公の学校 の夏休みが終 ろ うとしてい る場面か ら始 まってい ることを見れば、おそ ら く F新生 』に引用 された F暑中休暇が来て見 ると ・ ・ ・』 で始 まる部分 はパ リで書かれた もの と思わ れ る。 なぜ藤村 は F新生』 で岸本に この部分を読 ませ たのか。 この25章 の最後の部分に次の よ うに あ る。 「読 んで行 くうちに、年若 な 自分がそ こ- あ ら ほれた。何か しら胸 を騒 がせ ることがあ ると、 直 く小板が熱 くなって来 るや うな、まだ無垢 で初 心 な 自分がそ こ-あ らほれた。何か遠 い先 の方 に 自分等 を待受けて居 て呉れ る ものがあ るや う な、心持 で もって歩 き出 したはか りの頃 の 自分 が そ こ- あ らほれた。岸本は 自分 の少年 の姿 を 自分 で見 る思ひを した。
」 (註56) 岸 本が姪節子 の ことで苦悶 してい る時 であ る。 「無 垢 で初心な」若 き岸本に直面す ることは、絶 望の極みにあ って、未来に展望を見出 しえない 自 らを確認す るのみであ る。だが今は違 う。先 に述 べた よ うにパ リにあって、岸本は 自らを省み る作 業を開始 した。
F桜の実 の熟す る時』 を書 き続け たのであ る。 この作品はパ リ滞在 中に5章 まで書 かれ、 6章以降は、帰国後大正七年十一月号か ら 連載 が開始 され、翌年六月号で完結 され る。そ し て先 に触れた よ うに、 F新生』 は同年五月一 日か ら連 載が開始 とな る。 このパ リ滞在 中に書かれた五章 までの部分 を簡 単に概略 してお く。捨吉は、書 きだ しの部分での 女性 、繁子に も う逢わない と決意 したがために沈 んだ状態になっている。幼い頃から預か り育てた 田 辺の家の者達が、以前の捨書 と比較 し、変 りよ うを 気に もす るが、洋行 も辞 さぬ程の期待を彼 に掛け ていた。勉 強好 きの捨吉は夏休み 中の夏期 学校 で キ リス ト教- の造詣を深め る。だが一方 でバイ ロ ンの詩に感動 し、バア ンズやゲーテに も魅 かれ、 大 きな世界 のあ ることを知 る。
「もつ と もっ と胸 -は いに成 るや うな ものを欲 しい
」 (註57)とす る若 い捨舌が描かれ、繁子 を教会や講座 の中で捜 す捨舌 も描かれている。 そ して嘆息す る。 「神は何故に斯 く不思議 な世界 を造っ た ら う。 何故にあ るものを美 しくし,あ るもの を殊更醜 くした ら う。何故に雀の傍に麿 を置 き、羊 の側 に狼 を置 き、蛙 の側にいたちを置 いた ら う。何 故 に平和 な神の教会に まで果 しな き暗 闘 を付与 し、富 め る長老 と貧 しい執事 とを争はす だ ら う。捨舌 は斯 く思 ひ沈んだ。 姦淫す る勿れ、処女を侵す勿れ、姪 を盗む勿 れ、其 他一切 の不徳はエホバ の神の誠む るとこ であ る。バ イ ロソの一生は到底神の寡納す るも の とは思ほれ ない。英書利の詩人が以大利へ遊 んだ時 、ゴ ニスの町 で年頃な娘を もった家の母 親 はあの美貌 で放縦 な人 と見せ まい として窓を 閉めた といふではないか。それに して も、万物 を悲観す るや うなバイ ロンの詩が奈何 して斯 う 自分の心を魅す るだ ら う。あの魅 力は何だ ら う。 仮令彼 の操行は牧師達の顔を渋め るほ ど汚れた ものであ るに もせ よ、あの芸術が美 しくない と は奈何 して言-や う。」 (註58) 若 き捨吉は世 の全てを善 と悪 として捉 え るよ う に してキ リス ト教 に導かれている。 その教 えに導 かれた精神の気高 さを善 とす るのはそれで良い。 だがその教 えに反 した者が生み出 した芸術作品が 観 る者 の心を奪 うのは何故か。言 うまで もな く、 さまざまな苦悩や喜びな どに裏打 ちされた心が素 直に表現 され てい るか らであ る。何 ら、神 の教え に よる戒 めに捉われていないがために。人間の持 つ憶悩や感情表現が生 き生 きと伝わ って来 るか ら であ る。 ま してや この時期 の拾舌 は肉体的 な変化 の生 じている時 であ る。 「憂欝 - 一切の ものの色採 を変-て見せ る や うな憂欝が早 くも少年 の身にやって来たのは、 拾吉の寝巻 の汚れ る頃か らであった。何 もか も むし 一時に発達 した。丁度彼が篭 って居 る草 の芽の 地面 を割って出て来 るや うに、彼 の内部に萌 し た ものは恐 ろ しい勢いで溢れ て来た。髪 は濃 く なった。頬 は熟 して来た。顔 の何 の部分 と言は かゆ` ず癌い吹 き出 ものが して、膿み 、腫れあが り、 そ こか ら血が流れて来た。制-がた く若 々 しい 青春の潮は身体 中を駆けめ ぐった。彼は性釆の 臆病か ら、仮令 自分で 自分 に知れ る程度 に と ゞ めて置 いた とは言-、 自然を蔑視み軽侮 らずにはしいまゝ は居 られ ないや うな放韓な想像に一時身体を任 せた。」 (註59) か っては西鶴 の F一代女』 を引 き裂 いて捨てた こともあ り、大人 の情事に関心はない と偽 った こ ともあ る。そんな捨吉 を変人 として も、自らは「む しろあ る快感 を覚 え」 (註60)さえ したのであ る。 だが逆 に沈んで しまった拾書は、田辺の家族 と同 様に友人達に も変わ った ことを指摘 され る。 「思 ひ屈 したあ ま り、彼は ど うかす ると裸体 で 学校 の グラウソ ドで も走 り廻 りた いや うな気を 起 して、 自分 で 自分 の狂 じみた心 に呆れた こと もあ る。」 (註61) 精神 の気高 さと獣的 な肉欲 の狭間 にあ って、若 き捨舌は揺れ動 いてい るのであ る。 パ リ滞在中に これが書かれた こ とは、むろん、 こま子 との関 係が ここに影響 を落 と していること は言 うまで もない。 自らの若 い時 を見詰めなおす ことで、獣的 な肉欲に振 り回 された思いを、つ ま り罪意識 をどの ように克服 しよ うと してい るかが 推察 され よう。 ここで指摘 した いのは、克服 のた めにキ リス ト教を援用 しようと思われ る節があ る点 であ る0 7ベ ラ-ル とエ ロイーズの愛情について であ る
。
F新生』 の中に次の よ うな部分があ る。 「岸本に取っては旅 の心 を引 く一 つの事蹟があ っ た。他で もない、それは アベ ラアル と- ロイ ズの事績だ。英学 出の彼 はあの名高い学問のあ る坊 さんに就 いて精 しいことは知 らなかった。 で も彼が アベ ラアル の名に親 しみ始めたのはず つ と以前の ことであ る。 アベ ラアル とェ ロイズ の愛。何程青年時代 の岸本はその奔放 な情熱を 若 い心に想像 して見たか知れ ない。 あの学問の fLげう あ る尼 さんのためには男 も捨 て僧職 も捲 った と いふ アベ ラアルの名 は何程若かった 日の彼 の話 頭 に上ったか知れない。」 (註62) 友人の岡に墓参 した ことを告げ る。「
卜 ・・散 々僕等 は探 し廻 った揚句 に、古 い 御堂 の前-行 って立 ちま した。それが君、アベ ラアル と- ロイズの墓サ。二 人の寝像が御堂の 内に置 いてあっ て、その横手 の ところには文字 が掲げてあ りま した。期 の人達は終生変わ るこ とのない精神的 な愛情をかは したなんて書いて あ りま したっけ。 まあ比翼壕 のや うな ものですね。 で も君、青苔 の生 えた墓石 に二人の名前が 彫 りつけてで もあって、それ を訪ねて行 くんな ら比翼壕 の感 じもす るが 、 ど うして其様 な もの じゃ ない。男 と女の寝像が堂 々 と枕を並べて居 るか ら驚 く
n
「流石に アムウルの国だ」 なんて、 高瀬君が言 って笑 ひま したっけ。』」 (註63) 今や パ リに居 る藤村は この F新 生』 の中に描か れ てい る岸本 と同様に、性的な結 びつ きに よらな い愛情 に希望を見 出そ うともす る。むろん、 ここ には若 き日の 自らの姿 と重 なってい る。若 き日の それ とは異 なるのは、す でに罪 を犯 して しまって い るこ とである。対象が 肉親 の姪 であ るが故に 自 責 の念 が強 く、その反動 と して精神的な結 びつ き に対す る強 い願望が窺 え るO 第一 次大戟を迎 えて岸本 は リモ ー ジ ュに疎開 し た。 自 らを振 り返 る作業 は続 き、落 ち着 きを覚え る。 「何 といふ心 の狼狽を重ねた ら う。何 といふ一 生の失敗 だった ら う。斯 の深 い感銘は時 と共に ます ます はっ き りとして来 ることは有って も、 薄 らいで行 くや うな ものでは無かった。 しか し 一時 のや うな激 しい精神の動揺 は次第に彼か ら 離れ て行った。不幸 な姪に対す る心地のみが残 るや うに成 って行った。その時になって彼 は心 静かに 自分 の行為を振返 って見た。 ど うか して 生 きたい と思ふばか りに犯 した罪 を葬 り隠 さ う 穏 さ うとした彼 は、仮令いかな る苦難 を負ほ う とも、一度姪に負はせた深傷や 自分の生涯に留 め る汚点 を奈何す ることも出来 ないかのや うに 思って来た。彼 は 自分を責めれ ば責め るほ ど、 涙 ぐま しいや うな気に さへ成 った。
」 (註64) そ して都会にない 自然 の風景は心 を和 ませ る。 「岸本 は木の靴 なぞを穿 いて通 る人の足音を一 方 の抜道の方に聞 き、野菜 畠の中か ら伝はって 来 る耕作 の鍬 の音 を一方の裏庭 の方に聞 きなが ら、桃 や梨の樹 の間を歩 いて新 しい果実の香気 を喚 ぎ廻った。 あたか も成熟 した樹木 の生命を うに。 オ ー ト・ヰエ ソヌの秋は何 とな く柔か な新 し い心 を岸本に起 させた。彼 は長 い年月の間は と は と失 ひかけて居た生活の興味 をす ら回復 した。 仮 令罪過は依然 として彼 の内部に生 きて居 るや とな もので もあって も1彼 はい くらか柔 かな心 で もって、それに対ふ ことが 出来 るや うに成 っ た。
」 (註65) (以下 次号) 読 1)r藤村全集第七巻J 筑摩書房版、昭和53年ーP. 4 (以下 r新生EIに関する引用はすべてこの書をテ クス トとし一ページを記すのみにとどめる。) 2)P. 7 3)p. 10- ll 4)P. 13 5)p.4 6)P,6 7)P. 6 8)P.12 9)P. 446 10)中村星湖 明治17年生まれ。後期自然主義の中堅 的存在の作家o ll) 「藤村全集別巻 上」 筑摩書房版、昭和53年、P
。 231- 235 12)同 上 P. 236- 244 13)初出 大阪毎日新聞社 ・東京日日新聞社編纂r毎 日年鑑 - 大正九年版 - J 1919 (大正八 ) 年12月5日発行。 r芥川龍之介全集第三巻E. 岩波苔店ー 1977年発 行ーP.282 14)同上全集 第九巻ーP. 334 15)P.
40 16)P. 34 17)P。 31- 32 18)P.32 19)P.33 20)P。 34 21)P.43 22)P. 45 23)P.46 24)同 上 25)P. 5726)P. 55 27)P. 34 28)P. 61 29)P. 61 30)P. 65 31)P. 66 32)P. 68 33)P. 66 34)P. 79 35)P. 69 36)P. 90 37)P. 97 38)P. 98 39)P. 98 40)P. 99 41)P. 101 42)P. 109 43)P. 116 44)P. 117 45)P. 118 46)P. 145 47)P. 128- 129 48)P. 129 49)P. 162 50)P. 173 51)P. 174 52)「藤村全集第五巻」 筑摩書房版 昭和53年ーP 612- 622に所収