母親の受容的態度が情緒障害の治癒 に及ぼす効果
The Effect of Acceptance by the Mother
on Emotional Disturbance
情緒障害(emotionaldisturbance)は、喜び、怒 り、悲 しみなどの情緒の乱れ、 もつれ、あつれ き、 ない しそれ らに起因す る行動異常をい う。 また、 情緒的未成熟に よるもの も含め られ るが、身体的 ・知能的 な欠陥を もつ ものや、器質的な障害を も つ ものは除外 され るのが通例である。情緒障害児 の治療は、小松 (1980)の指摘す るよ うに、以下 の2点に集約 され るといえ よう。第1は、行動に 混乱を もた らす情緒の喚起を抑 えるため環鼻刺激 を調整 し、障害児の認知的評価のあ り方に影響を 及ぼ した発達初期の対人的 ・対物的関係を再学習 させ ることである。それ らの中でもとりわけ、母 子関係の再調整が重要 とされ る。第2は、行動に 混乱を生 じさせている情緒喚起状態 に対 し、十分 に耐える力(tolerance)を養 うことであ る。 ところで、受容(acceptance)とは、 Rogersに ょって強調 された治療概念で、 「自己」や 「他者
」
や 「環境的世界」などの特定の対象に対 して、評 価的 ・選択的認知を行なわず、暖かで好意的な信 頼の感情で、それ らを進 んで認め、受け容れ、尊 重 しようとす る態度である。 こうした治療的姿勢 は、 さまざまな技法 よ りも一層治療的に重要であ るとされている。そ して、治療者が受容的態度を とることに よ り、 クライエ ン ト (患者)は否定 し て きた脅威的な自己知覚を も自由に 自己概念の中 に同化 して、それを自己の所有物 として肯定的に 受 け容れ られ る よ うにな るこ とが知 られている (中野、 1974)0 上述の ような論点に鑑み るな らば、情緒障害児 に対 し母親 自身が受容的な態度を とれ るように指内
藤
哲
雄
Tetsuo Naito
導 し、治療を進めてい くのが有効ではないか と考 えられ よう。 とい うのは、 まず(1)障害児に とって 最 も重要な人物(significantother)であ り、かつ 接触時 間が最大なのが母親であ るか らであ る。 ま た、(2)母親が受容的態度を とることで、母親 自身 が情緒 喚起の刺激 となることが減少す るし、情緒 障害児 の防禦的 ・攻撃的反応を除去す ることにな る。 さらに、(3)母親の受容的言動は、あるが まま の患児を無条件に受け容れ承認す ることにな り、 交流分析(transactionalanalysis)でい うところ の 「無条件のス トローク」 となると考え られ る。 そ して、(4)母親 自身の価値を一時的に放棄 し障害 児の立 場に沿 って見 るのを繰 り返す ことで、母親 の態度 ・価値の変容 と人間的成長を招来す ること にな るといえ よう。以上の効果か ら、(5)母子関係 が再調整 され ることになるといえ よう。 本研究では、上述の ような背景か ら、母親-の カウソセ リングと 「受容的態度」に関す る指導に ょり情緒障害児の治療を試みた ケースを と りあげ る警注1'また、各回の面接で報告 されたエ ピソー ド や心理学的評価、母親-の指導内容を具体的に記 述す ることで、治療の進行状況や母親の態度変化 を分析す る。 脚注1)本 ケースにおけ る情緒障害の症状は、後述 の よ うに器質的障害や発達遅滞に よる可能性を否 定で きないが、少な くとも治療の段階では境界内 とみ なす ことができる。 また、主訴及び治療 目標 が情緒障害に限定 されていることか らも、情緒障 害のケースとして検討す ることが許容 され よ う。事
例
息 児 女児10歳 (小学校4年生)0 豪 族 父親 (41歳、小売業 自営)、母 (37歳、家業手 伝い)、兄 (11歳、小学校5年生)、本児、祖母 (72歳、無職)の5人家族。父親は、朝6時30分 (早いときは4時)から夜8時 まで、自宅か ら3 k冴程度離れた自営の店舗で働いている。母親は、 子供を学校に出したあと家業を手伝い夕方7時頃 帰宅 していたが、来所の1カ月前頃か らはなるべ く家にいるようになった。母親の留守中は、祖母 が子供の相手を した。両親の夫婦仲は良 く、祖母 との関係 も良好である。 生活史及び病歴 胎生期は真横の状態であった。妊娠8カ月頃に、 医師が腹の上か ら胎児の頭を探 って下にし、動か ない ように木をそえてサ ラシを巻いた。出産時は、 安産で、体重3.0009であった。生後7カ月での 検診の とき、足をツソツソと伸展 したまま交互に 動か さない し、-ソカチを顔にかけて もよけてと らず、保健婦から発達が遅れているといわれた。 発語は2歳頃で、初歩は2歳2- 3カ月頃。 夜泣 きがひどく、 3歳頃 まで続いた。当時陸在 の祖父と祖母が1階で寝てお り、祖父や父親が早朝 か ら働 くので、夜になると母親が本児をおんぶ し て家の外を歩いた りした。何 とか泣 くのをやめ さ せ るのに一所懸命であった。相の虫が屯 く、思 う ようにいかないことがあると、手足を硬直 させ う しろにひっ くり返 るので、いつ も蒲団を頭の うし ろに置かないといけなかった。また、 2歳2- 3カ 月頃 まで歩行 しなかったので、母親はノイ ローゼ 状態 とな り、中国針の治療やS病院での脳波検査 ・CT検査を受けさせ るため奔走 した。本児は神 経過敏で、薬 も使えず、脳波測定はできなか った。 CT検査の結果、脳の中心溝が深 く圧縮 されてい るといわれ、母親は病院か らどうや って帰ったの かわか らない程のシ ョックを受けた。 A病院の脳 性麻痔の権威に診断 して もらい、歩けないのは個 人差だか ら心配す るなといわれて、 ようや く落着 いた 。 く神経過敏 ・恐怖心の強 さ ) す ごく神経が どリピリした子で、寝て もす ぐ起 きた し、恐怖心が萄かった。父親 と兄 と3人で風 呂に入 っていた とき、父 と兄がそばでボール投げ をす ると恐いか らやめて くれ とさわいだ し、水か けの遊び も恐がった。 幼雅園のときも、はや く給食を食べた子 どもた ちがふ ざけていると、 「やめて くれ 」 と大声で さわいだ。 またプールを恐がるので、赤ち ゃん用 の小 さいバスに入れ られていた。 小学校に入 って もプールを恐が ったが、 1年か ら3年生 まで担任であった女の先生が、突 き落 と す ように した り、頭をつけるように厳 しく訓練 し た。恐 くて学校が嫌だ とか、登校す るのが嫌だ と さわいでいたが、結果的には良か った とみえ、水 を恐が らな くなった。 自転車に も恐怖心が強かっ たが、小学校2年生頃にやっと乗れ るようになっ た。 現在でも恐怖心が強いが、以前のような異常な 程の強 さはみ られな くなってきている。 く就学 ・進級について ) なかなか歩行 しなかったので足の発達 も遅れて いて、幼稚園の頃はよちよち歩 きであった。絵 も 発達の遅れを示 していた。 小学校入学のための就学指導の とき、両親は 「特 殊学級」に と思って相談 した ところ、知能テス ト の結果が境界線上にあることか ら、学校側の判断 で普通学級 となった。言語面は、親か らみればな まいきな ぐらい使用できたとのことである。 しか し、情緒の統制が困難で感情を強 く表出す ること もあ り、 1年生の頃は、学校か らの帰 りに同級生 に とり囲まれて、け とは された りしてい じめられ た。母親が 「兄ちゃんと行 くんだ よ」 といい聞か せ、だ ましだまし登校 させていた。 3年生か ら4年生になるとき、担任か ら 「特殊 学級」に進級 させてはどうか との話 しが出た。担 任は、本児が負けず ざらいで能力に くらべ期待が 高す ぎること、情緒不安定なことを問題に してい た 。 - 52-その当時 は、家で も思 うようにいかないことが あ ると、ひ っ くり返 って さわ ざ普通でなかった。 自分があち こちに置いた物を見つけ られない と、 ひ っ くり返 って さわいだ。母親が 「一緒に探 そ う ね」 といって も駄 目であった。 また、友達が書い た ものを見たが って 「どうして も見せろ」 としつ こ く食 い下が り、あや まって も許 して もらえない ほ どの怒 りをか った
。
「鬼 ごっこ」で も、 自分が 鬼 になると 「やめ る」 といって帰って しまう。 自 分 でで きないことがあるとす ぐやめ る。母親でさ え友達がで きないの もよくわか るとい う程、あま りに も自分勝手であった。 上述の ような理 由か ら、母親は少ない人数の中 で遅れを と りもどせた らとい う気拝 もあった。 し か し、父親 は、 3年間普通学級でや って こられた し、嫁に行かせ るとき不利だか らとい うことか ら、 特殊学級-の進級に反対 した。母親 も父親の考え に賛同 した。 その うち3年生 までの担任が転勤 し、教頭と 「こ とばの教室」のY
先生に よる家庭訪問があった。 両先生か らも、情緒不安定 と登校拒否傾向を理由 に特殊学級-の進級が勧め られた。親の側か らは、 普通学級の中で試練を受け ることで、協調性や共 感性が培われ人間関係の能力が身につ き、将来の 人間関係に役立つ ことも主張 された。最終的に学 校側は、知能が普通学級 と特殊学級の境界 とい う こともあ り、普通学級に進級 し、 「ことばの教室」 で情緒 の改善をはか ることを決定 した。 4年生に進級 した本児は、担任 もかわいそ うな 程 と感 じるまでにわか りたい とい う気拝が強 く、 算数の問題が解けない とき 「できない」 と大声を あげることもあった。担任は本児1人だけに時間 をかけ られ ないので、算数だけは 「ことばの教室」 のY先生の所に通級Ll対1で指導を受けた。通 級 しは じめた頃は、本児の気持 も楽にな り、登校 す るのを楽 しみに していた。 しか し、その頃で も、 夜 中に 「お母 さん助けて」 と大声をあげた りして いた。本児に意識はな く、身体を さす ってや ると 落着いた。歯 ぎし り、寝言が多か った。 現在 は夜中に大声をあげることはないが、同級 生か ら孤立 し、毎 日の よ うに登校 の しぶ りがみ られ_ 休み 明け な どに登校 を拒否す るこ とがあ る。 面 接 経 過 面接経過 は、母親の受容的態度の形成 とい う点 か らみ ると、 Ⅰ
∼ Ⅳ期に分け られ る。 Ⅰ、導入期 第 Ⅰ期は、本児の生活史や病歴等について聴取 す るとともに、受容的態度について簡単に説明 し、 実践す るよ うに指導を開始 した導入期にあた る。 第1E](1988年 2月 24El) 母親来所。既述の ような 「家族」
「生活史及び 病歴」について聴取。 また、以下の ような主訴が あった。 学力については何 とか クラスについていってい るので、感情をおだやかに させ ることだけが願い であ る。 また、毎 日の ようにあ る登校の しぶ りが な くなれば と思 う。 4年生になって、いい聞かせればわか る筈なの に、感情を抑 え られないで父親に叱 られ ることが 多い。母親 も商売を手伝い (と くに土曜 日は 「特 売」のため)疲れているのに、月曜 日か らの登校 を考 えて不安になるらしく、土曜 ・日曜 日は母親 と一緒に寝たい ときわいだ りす る。 本児は感情の起状が激 しく、大声で怒 りた くな った り、 しつ こ くして しま うのを抑え られ ない。 ことばの教室のY先生匹話 した ら、心理相談を受 け るように勧め られた。 (所 見 ) 本児の幼少時期か らの情緒不安定の原因につい ては不 明な点が多い。 しか し、「
いい聞かせて もやめない」
「しては いけないことがわかっているのに」 とい う発言か らも、 これ まで母親の態度 としては、祖父母への 遠慮 もあ り、パ ニ ックなどに対 しやめ る ように叱 ることが多か った といえる。別言すれば、本児の 不安や怒 り等の感情を受容す る態度が不 足 してい た と考 え られ る。 く母親への指導 ) 本児の幼少時か らの情緒不安定の原因には不明 な点 も多いが、養育にあた って次の点に注意す る よ う説明 した。 (1)感情は理屈だけでは コン トロールで きない こと。 (2)本児の感情を親が受け とめ ることで、本児の 不安や怒 りが減少 し、少 しずつ情緒を安定 さ せ ることができるようになること。 (3)父親が落着いて話を聞け る機会をみつけ、上 記2点について話 し合い、協力を得 ること。 (母親はは じめて聞いた と驚 き、 臨床心理士 (以下 Thと略記)が例をあげて説明す ると、 こ れ まで父親 ともどもそ うして こなか ったのは残念 だ と話 した。) Ⅱ、 受 容 的 態 度 を とる こ とへ の反 発期 Thか ら説明 された受容を実践 Lよ うとす るが、 す ぐに以前の叱った り説得す る対処法に戻 った り、 受容 と交換に親の期待に沿 った行動をす るよう暗 黙 の うちに心理的取引を して しまい、息児の情緒 喚起に直面 して うろたえる。 このため、 「受容的 感度」を とること自体-の反発が生 じて しまう時 期である。 第2回 (1988年 3月23日 ) 本児、母親来所。本児の身長は クラスで低い方 か ら2番 目であ り、雑談の際の印象 も小学校2年 生程度の ように感 じた。雑談 のあ とは、三輪車 と 砂場で遊 んでいた。 く本児との雑談 :遊戯室にて、母親同席 ) 1人で遊ぶのが好 き。 リカち ゃん人形 (母親談 :3年生 の ときの ク リスマスに親が プ レゼ ソ トし た もの)、 テ レビ、兄のファ ミコンゲーム (怪獣 と戦 って最後に主人公 の 「マ リオ」が死ぬ) のカ セ ットで遊ぶ。 兄 とは よ く喧嘩をす る。 1日2回は して、す ぐ 仲直 りす る。 友だちほ女の子が多 く、同 じクラスで同 じ町内 に住むYOの所に よく遊びに行 く。友だちの家の 中では 「お母 さんごっこ」、外では縄飛 びな どし て遊ぶ。 (母親談 :この春休みに入 ってか らは、 YOか ら誘いの電話がかか って くるようになった。 また、つい最近になって、土曜 日にバス停 まで祖 母に送 って もらい 1人でバスに乗 って 自営の店 ま で来て、洗 い物を手伝 うようになった。) 小学校3年生の夏休みに子 どもたちだけで佐渡 - 5 4 -にキ ャンプに行 った。その とき トイ レの鍵をかけ てあかな くな り恐か った。今で も トイ レの戸はあ けた ままである。 勉強は きらい。国語、算数、理科、社会が きら い。体育、図工、音楽が好 き。宿題は、算数は し ないが、国語はや る。 また、下を向きなが ら自分か ら次のことを話 し た。た またま友だちにい じめ られた りした ときは、 学校に行 きた くない ときがあった。 あんま りい じ め られないが、Nは他にい じめ る人がいないので、 ち ェっとした ことで怒 った りす る。 そんな とき頭 に きて翌 日休みたい と思 う。勉強がわか らないで うしろの席の人に聞いて も教 えて もらえない とき に も、学校に行 きた くない と思 う。本当は話 した くないが、YOさんに 「ブス」 といわれた ときも、 学校に行 くのがいやになる。 く母親よ り聴取 :判定室にて、本児は遊戯室 ) 子 どもの気持を受け とめるよ うに しなければい けないと父親 とも話 し合 った。 しか し父親は、つ いが まんできず怒 って しまって、あ とで本児の気 げんを とっている。母親 も、 「それでは、 どうす れば学校に行 くのか」 と問い詰め ることがある。 く所 見 ) 本児には、雑談の内容や話す ときの様子か ら、 恐怖心の強 さや劣等感情が窺 え る。 しか しなが ら 母親の前回来所後に、 これ までできなか った1人 で/;スに乗 ることができるようになった。 また、 同 じクラスで同 じ町内に住む友だちか ら電話がか かって くるようにな り、積極 さがみ られ るように なって きた。 母親-のカウンセ リングを継続 し、本児の不安 や恐怖を受容 させ、本児の積極性や交友関係が発 展す るよ う強化 させ ることが望 まれ る。 く母親への指導 判定室にて ) 子 どもの感情を受け とめ る努力をす ると、 「お 前の気持は十分に聞いてや った」、 「だか らく・ず らずに学校に行け」 と、気がつかない うちに心理 的に取引を して しまいがちであ ることに注意を う なが した。 (母親は、顔を紅 くして うなずいた。) ついで、親の側の不安や焦 りを抑 え、本児の不 安や恐怖 を しっか りと受け とめ ることが、本児の 積極性を引 き出す ことにつなが り、登校の しぶ り も弱 くなってい くことについて説明 した。
Ⅲ 、 「受 容 」 の 表 面 的 理 解 期 受容的態度を とること- の反発 はな くな るが、 「受容」 の理解 は表面的で、具体的に どの よ うに 行動 した らよいのかわか らない ことが多い。 この ため、 しば しば説得や叱責や哀願 とい う対処法 を 用 いて しま う時期であ る。 第3回 (1988年 4月 27日 ) 母親来所。 5年に進級 した直後 の本児は、 「勉 強や るか ら、 しっか りや るか ら」 と頑張 っていた。 部活で吹奏楽部に入 った。 これ まで親 は、楽譜 も 読 めずむずか しい し、無理を させ て劣等感 を もた せてはいけない とい うので、人 らせ なか った。 し か し吹奏楽部では土曜 日にお弁当を もっていって 練習す るので、本児 はそれをみて うらや ましくて 入 りたが った
。
「頑張 って よ」 とい って、入部 さ せ た。 ところが ここ最近 は、毎 日の よ うに 「学校 に行 きた くない」 とい うよ うになった。 さらに逃 げ腰にな り、本児 自身が特殊学級に行 きたい とい うよ うになった。張 り切れば張 り切 るほ ど うま く いかない状態が続いてい る。 クラスのYU
がみ んなにい じめ られていた とき、 事情 もわか らないのに正義感 を発揮 して、み んな に 「いけない
」 と注意 した。 ところが当のYU
か らも、 ど うしてそ うい うのか と文句をいわれた。 友 だちに 「遊 ぼ う」 と誘 って も, 「遊ばない」 と 拒否 され るよ うになった。 4月14日の晩に、新 しい担任 のH先生 (20歳代 の男性) か ら電話連絡があった。友 だち とい ざこ ざが あ り、のけ ものに されてい るよ うであった と の こと。 本児か らも 「夜一緒 に寝て話 しを聞いて」 といわれていたが、それを聞か ない うちなので事 情 が よくわか らなか った。夜に本児か ら上述の事 情 を聞いた。 翌4月15日は、本児が ど うして も学校 に行 きた くない とい うので、母親だけが学校 に行 き担任 と 会 った。担任 は 「ことばの教室」を担当 した こと もあ り、熱心 で、次の4月16日か ら家に も来て く れ た との ことであ る。 さらに担任は、本児が クラスの1人ひ と りに対 して ど う思っているのかを把握 しよ うとし、学校 で も何かあった ら相談す るように と話 して くれた。 「いいつけ」にな ると他児に思われない よ うに、 担任 の方か らも声をかけて くれ るとの ことであっ た。勉 強の遅れた所 もていねいに教 えて くれた。 算数について も 「ことばの教室」に まかせないで、 放課残 した り、家 まで来て教 えて くれ るほ ど熱心 であった。細かい所 まで 日を配 って くれ るので、 母親 は安心 してい る。 4月25日 (一昨 日)、本児は再び 「学校に行 き た くない」 といいだ して泣 いていた。友だち も遊 んで くれ ない。 いつ もは家 の近 くまで最後 まで一 緒 に帰 って くれ るYO
に、 「一緒に帰 ろ う」 と誘 った ら拒否 された との こと。
「引越 したい」 とい いだ した。母親 は、新 しい家 も買えない し、 引越 した ら家 もな くな るか ら困 ると答 えた。 祖 母 が 「どこに行 って も同 じだ よ」 とい うと、 本 児 は 「私は ど うなって もいいのか」 とパ ニ ック状態 に なった。母親 は、 「おばあち ゃん もういい
」 と祖 母 にい って席 をはず し植木 の方へ行 った。 その後 「病気だ」 とい うので病院に連れて行 くと、混雑 していたので午後に また行 くことに した。 ところ が本児 は、吹奏楽の部活が好 きなので午後 は登校 した。 夜にな ると本児は、母親 に 「心配だか ら一 緒 に寝 て」 と頼 んだo
J
昨 日は、本児の方か ら 「お母 さん、友だ ちがい な くて もいい」 とい って、お とな しく登校 した。 また この 日は家庭訪問 日で、担任 とことばの教室 の新任 のT先生 (女性、Y先生 の後任)が来た。 担任だけで うま くいか ない ときは、 ことば の教室 の方 で もみて くれ るとの ことであった。本児を ま じえた話 し合いの とき、母親 は吹奏楽の部活の こ とも話 したが、本児 は 「先生 も忙 しそ うで、先輩 も教 えて くれない」 とぶつぶつ不平をいいは じめ たそ うであった。 本 日は遠足の行事があることか ら、 自分 か ら登 校 した。母親は 明 日以降の登校が心配 な こ とを訴 えた。 (所見、母親への指導 ) 本児 は、 まだ まだ フラス トレーシ ョン耐 性の レ ベルが低 く、対人関係の能力 も低い。頑張 らせ る ことが、学業 での フラス トレーシ ョンや対 人関係 面 の トラブルを生 じやす く、不登校に結びつ きや す い。 本児 には持続的な不登校に至 る可能性が あ る。 本児の情緒障害の治療に閑 し学校担任 と母 親 のいずれに も熱意がみ られ るが、母親の方は フラス ト レーシ ョン反応や不登校に対 し依然 として説得 し ようとす る傾向が強 い。 母親 に対 し、(1)情緒 は理屈だけでは コン トロー ルできないこと、(2)ことは以外の動作や しぐさで の応答に も目を向け る こと、(3)長期間にわたる努 力が必要であ り、気長 に対処す ること、について 助言 した。 第4回 (1988年 6月 15日 ) 母親来所。 5月16日か17日の どちらかだ った が、学校を休 んだ。 こ とばの教室のT先生が迎え に来たが行かなかった。 担任 のH先生は、 「い じめ」 ではな く、本児の 人間関係のあ り方に原 因があると考えていた よう であるが、その 日に本児のために2時限分つぶ し て クラスで話 し合 って くれた。 い じめたのでない のにや り玉にあげ られ、半ペ ソをかいた子 どもも いたそ うであ る。話 し合いのあ と、 さらに担任は クラスの全員に、担任 や本児あての手紙を書かせ た との こと。 クラスの意見では、本児が友人に返 事を しなかった り、す ぐはねつけ る、思い過 ごし て悪 い方に とって (解釈 して) しま うとい うのが 多か った.本児は、 自分宛の手紙をみて、感激 し て泣いていた。 また、 自分のせ いで休 んだのでは ないか と心配 して、家 まで来て くれた子 もいた。 その 日の夜に電話を よこした友だちもいた。 それか らは学校に行 くようになった。 しか し、 お腹が痛いといって休 みたが る日もある
。
「いや だ」 といっているとき、 「また友だちに迷惑をか けてはいけない」 と叱 ると必ず登校す る。 6月のある暑 い日に、本児は 自宅近 くのプール に行 きた くて、友だ ちに連れて行 って と頼んだが ことわ られた。代 りに母親に連れて行 くように頼 んだが、 6月5日に母親の病気が再発 していたの で、 「病気なので連れ て行けない」 と返事 した。 す く・にパ ニ ックが起 き、仕方な く同行。本児 と同 じクラスのYOが、顔 色や身体の具合の悪そ うな 様子を心配 して、 「お母 さんの具合が悪いのに、 どうして引張 り出した の」 と本児を責めた。本児 は怒 って帰宅 した。母親にも執掬に愚痴をい うの で、 「お母 さんはあ りがたい と思ってい る」 と説 教 した。本児は、 ど うしようもなか った と泣いて - 56-いた。理屈はわか るが ど うしようもない と訴えたO 母親は、CT検査の結果か ら、一晩で済むが緊急 に入院 して手術 した方が よい といわれていた。本 児に話す と、 「お母 さんがいない とど うす るの、 お母 さんが入院す ると困る、死 ん じゃう」 といっ て泣いていた。 担任は、本児を放課後必ず残 して、算数を教え て くれ る。最近の本児は、母親 よ りも先生に教え て もらう方が よくわか るとい うよ うにな り、す ご くわか るよ うになった。今は、宿題 も母親に教え て もらお うとしないで、 自分 でや って しま う。担 任のH先生は、 も うす ぐみんなに追いつ くといっ ている。授業参観の 日も、今 まではまわ りの子 ど もや母親はか りみていたのが、授業に集中す るよ うになった。担任の先生に親子 とも救われた よう に思 うとの ことであった。学校か らの帰 りには担 任の所に必ず寄 って話す とい う約束になってお り、 いや なことがあると話 してい る。最近は、友だち の悪 口をい うことの 「後めた さ」 を感 じは じめた よ うである。母親 も楽になった とのこと。 く所 見 ) これ までの一連の面接での聴取 内容か ら、本児 には執物な爆発性や情緒不安定がみ られ る。 これ らの情緒障害の症状に、 2歳時のCT検査に より 発見 された脳の中心溝の萎縮が関与 している可能 性を否定で きない。 しか し、当面 の母親-の療青 指導においては、器質面の影響の可能性を指摘す るよ りも、母親の心理的安定 と本児の感情の受容 に関す る助言に よって、本児の改善を図ることに 焦点を置 くべ きであろ う。 目下の ところ、母親は言語に よる叱責や哀願に よって情緒喚起に対処 した り、本児を登校 させ よ うとしてい る。そ こで受容の具体例の説明を繰 り 返 し、 カウンセ リングを継続す ることが必要であ ろ う。 く母親への指導 ) 担任の尽力によ り現在は登校を続けているが、 本児の情緒の不安定 さや爆発性については もっと 改善 され る必要がある。 これ らの改善を進めてい かなければ、今の ところ本児を受けいれて くれて い る他児 も、再び反発す るようにな る危険性 もあ る。そ こで本児の感情を受容 しなが ら養育す るこ とが大切であること、 また本児が他児か ら受けいれてもらえないな どの問題が起 きた ら、 まず第1 に親が落ち着 く必要があ ることについて説明 した。 さらに、本児の感情を受容す るとい うのは、文 字通 りに要求の中身をかなえてや ることではない こと、言葉 の意味 よりも感情を受け とめなが ら、 フラス トレーシ ョソ耐性を高めてい くことが肝要 であることを、例をあげなが ら説 明 した。 ついで、母親 の入院について も本児に説 明 し、 パ ニ ックが生 じて も、感情を一旦受け とめてやれ ば本児が十分に納得 しな くて もよい こと、将来の 本児のめん どうをみ るために もす く・に入院すべ き であることについて助言 した。
Ⅳ
、 「受容」の深い理解 と実践期
受容的態度を とること-の心理的反発はないが、 は じめの頃は体得 と呼ぶにはほ ど遠 く、具体的に ど うすべ きかを意識的に考え、意図的に実践 しな ければな らない。 したがって緊張感 と精神的疲労 が著 し く高 まるが、やがて徐 々に受容的態度の効 果が障 害児に出現 し、相互作用に よ り母親 と障害 児の双方が ダイナ ミックに変化 し、成長 してい く ことになる。 第5回 (1988年 9月7日 ) 母親来所。前回来所以後 も、朝の登校時 に 「学 校に行 きた くない
」 とい うことがあった。担任の H先生に電話連絡す ると、先生は本児を出す よう に要求 した。本児は何 といっていいかわか らず、 理 由をい うのが苦痛な こともあ り、先生 と話 して いると行 く気にな った。 どうして も駄 目で休んだ ときは、休 んだ とい うことで気持が落着 き、次の 日は本児 自身が行かねば と思 うようであった。夏 休み前は、先生の働 きかけ もあ り、何 とか登校を 続けた。 夏休みに入 ると、 プールでの水泳練習な どで登 校 した とき、本児は算数の教科書や ノー トを持参 し、練習の前後に担任が教えて くれた。け っこ う 長い時 間で、午後1時か ら6時過 ぎとい うことも あった。は じめの3日位は喜んでいたが、他児が 遊 んでいるのでいやが るようになった。友だちに のけ ものに された とかで、母親に伝えるときパ ニ ックとな りひっ くり返 った りした。母親 は抱 っこ した り、なだめた りした。本児は、学校に 「行か ない」 といいなが らも、行かねは とい う気拝 もあ り、苛立 っていた。 3日位いやが っていたが、そ れ以降いわな くなった。弁当を持 ってい く日は、 それ を楽 しみにす るよ うになった。夏休み の途 中、 ことばの教室のキャンプや、家族で親戚に出掛け るとか、家族旅行のため中断があった。お盆 の頃 は先生の都合で休 んで、本児 も喜んだ。中断が何 度かあって休めた こともあ り、いやが っていたの が また納得 して習お うとす る姿勢がみ られ た。 小学校1年生の頃は頭 も洗えなか った本児が、 水泳大会 (記録会) の平泳 ぎで50m泳 ぎ通 した。 50m近 くなると、他の子 どもたち も前のことを知 っているので、 「頑張れ .′頑張れ ./」 と声援 して くれた。後で本児に聞 くと、友たちの声 も母親 の 声 も聞こえていた と喜んでいた。 25mの クロール も、 1度足をついた し、み んな よ りも遅か ったが、 泳 ぎ通 した。 2学期に入 って間 もな く、朝6時頃起 きて 「生 活記録 (何時か ら授業 とか食事 とか)」を書 き、 7時∼ 7時10分頃には家を出て (以前は7時30分 頃)、毎朝担任か ら算数を1問ずつ習 うよ うにな った (本児が強 くいやが るときは中止)。学校か ら帰 ると母親 と復習す るが、わか らない所があっ て も以前の よ うにひ っ くり返 るなどのパ ニ ックが み られな くなった。毎 日の生活に リズムが とれ る ようになった。 は じめは、担任の先生が一所懸命や って くれ る のに本児はわがままだ と思い、母親の方が ノイ ロ ーゼ気味になった。 また 「受容」については、Th に聞いた通 りに しようと、 自分 の感情を抑 えて力 んだ りした。一時は 自分の子なのに一緒にいるの に疲れ、 (手で押 しのけ るしぐさを しなが ら)将 来 もこの子 と暮 らした くない と思った。最近は本 児のパニ ックがな くなったので、母親 も落着 き、 そ うす ると本児が落着 き、 こち らもまた 落着 く (声 を大 き くして興奮気味に話 した)。 このまま いった ら最高だ と思 う。以前の本児の有様が うそ の よ うで、刺が とれて きた感 じがす る。今 はお互 いに穏やかに話せ、 うその ような気が している。 登校 をいやが ることもあるが、病的な極端 なパ ニ ックがな くなった。 担任のH先生や ことばの教室のT先生 は、友だ ちに本児に合わせてめんどうをみ るよ うに転んでくれてい る。友だちは 自分 の母親に文句をいい、 その母親か ら文句をいiっれ るとき、本児の母親は せつな くなるとのこと。 しか し何 といわれ ようと、 先生方に暖か く守 られていると満足 しているとの ことであ る。 く所見 と母親への伝達 ) 母親 の心理的安定 と本児の情緒の安定は、本児 の不得意 な算数の補習、登校-の働 きかけ、学級 全体-の働 きかけなどに関す る担任の努力 と、 こ とばの教室のT先生の支援に よるところが大 きい。 また、母親に よる本児の受容については、逆に 母親がThに話 して聞 かせ るほ どに変化 して きて いる。 これ らの効果か ら、母子の穏やかな相互受容的 な交流が促進 されて きている。 3カ月後の面談で問題がなければ治療終結 とす ることについて、母親に伝えた。 第6回 (1988年12月7日 ) 母親来所。本児はパ ニ ックを起 こす ことがな く な り、母親がびっ くりす るほ ど変わった。 最近は学校の宿題が多い。以前は母親が算数の ガイ ドブ ック (教科書 ガイ ド)を買って きて教 え ていた。今は、本児が 自分でガイ ドブ ックを出 し て勉強 している。ただ ス ピー ドが遅 く、時間がか か る。学校で毎 日国語 の ドリルをや っているが、 1つで きない と- 1点、 1本線が欠け るとかの部 分点は- 05点、そ して- 0.5点につ き2ページ の宿題 となる.その他に も宿題があ り、60- 100 ページもたまっている子 もいる。本児は全部済 ま ないといられ ない。学校か ら帰 ると寝て、夜中に や った りす る。 は じめは母親がそばについていた が、 「お母 さん寝ていい」 といいだ した。夜中に 起 こす ように頼 まれていて もかわいそ うなのでそ のまま寝かせてお くと、 自分で起 きてや ってい る。 全部できない と 「学校 に行 きた くな
い
」 といって いたが、母親のア ドバイスでも ノー トの端に 「夜 3時 までやって もできませ んで した」 と書 くよう になった。 この間小学校 の祭があった。その とき手作 りの 品や古切手を売 って、学校 の備品購入の足 しに し てい る。男子は ファミコンでゲームを させた りす るのだが、本児には女子の企画 した フェル トの着 1 58-地に綿をつめ人形を作 るの と、 しお りやイ ラス ト を作 る割 り当てがあった。間近に迫 らない と作業 しなか ったので、割 り当ての係の子に ど うしよう と何度 も電話をかけたため嫌われ、途 中で電話を 切 られた。結局兄か ら風邪を うつ された ことに し て学校を休み、母親 も徹夜 して手伝 いや っとの思 いで間に合わせた。祭には出たが った。家で店を 手伝 っているので売 るのが うま く、古切手1枚お まけな どして全部売 り切 って、喜んで帰 って きた。 友だち関係で も強 くな り、以前はいわれ るが ま まだ ったのが、 自分か らも主張す るようにな り積 極的になった。先 日、 クラスの女の子に友だちに なって くれ と手紙を書いた。昨 日返事が きて、本 児はわが ままだ し嫌い、他の子 と友だちになれ と 書いてあった。本児は シ ョックを受け、わいわい 泣 いていた。母親が抱いてや って、 「お母 さんの 育て方 も悪か った」 とあや まった。本児は、 「お 母 さんのせいではない。私が悪い」 といった。(母 親は 日を輝かせ感動 していた) 「学校に行かない」 とさんざん泣いていたが、夜になった らケロッと して父親に も訴えていた。今朝はケ ロッとして学 校-行った。 く母親の様子 ) Thと話す とき もゆ った りとていねいで余裕が 感 じられ、生 き生 きとエ ピソー ドを語 っていた。 また、 これ までのことを考え ると夢 の ようだ と感 動 していた。 (所 見 ) 本児は、深夜に1人で起 きて勉強す る自主性が み られ るようにな り、深夜の勉強中そばにいる母 親に 「寝ていい」 といった り、友人関係でシ ョッ クを受け泣いているときで も 「お母 さんのせいで はない、私が悪い」 と冷静に判断 し、母親-の思 いや りを示す ことがで きるようになっている。 (1)本児のフラス トレーシ ョン耐性、 自主性、他 者-の思いや り (共感性)が著 しく向上 して いる。 (2)母親の方 も、本児への愛情が強 ま り、本児 と の相互作用に喜びを感 じるように変化 してい る。 以上の状況か ら、治療終結の段階 に達 している といえる。く母親への指導 ) これ までの努力をはめ るとともに、 さらに本児 の 自主性を成長に合わせ伸ば してい くよう助言 し た。ついで、今後 とも問題が あれは相談に来 るよ う話 し、治療終結を伝 えた。 考 察 本研究は、母親 自身に 「受容的態度」を習得 さ せ ることで、情緒障害児の情緒的混乱の低減 と、 フラス トレーシ ョン耐性を高め る方法の効果 とポ イ ン トについて検討 しようとす るものである。既 述 の よ うに、受容的態度に よって母親 自身が情緒 喚起の刺激 となるのが減少す るし、結果的に無条 件 のス トロークを障害児に与 えることにな り、喚 起 され る情緒の レベルを低下 させ、 フラス トレー シ ョン耐性を高め ることにな る。 また、母親 自身 の態度 ・価値の変容 と人間的成長が期待 され る. と りあげた ケースでは、ほぼ10カ月の間に 6回 の面技が実施 された。母親 の受容的態度は、 「面 接経過」の部分で詳細に記述 した ように、情緒障 害 の治療に有効であるといえ よ う。 しか しなが ら 同時に、面接の初回時か ら具体例を豊富にあげな が ら 「受容」について説 明を繰 り返 したに もかか わ らず、真に実践で きるまでにはかな りの時間を 要す ることもあきらかに された。それは、以下の よ うなプロセスをた どるものであった。 (1)導入期 :受容的態度について簡単に説明 し、 実践す るよう指導を開始 した時期。 (2)受容的態度を とること-の反発期 :受容を実 践 しよ うとす るが、す く.に以前の叱 った り説 得 した りす る対処法に戻 る。 また、受容 と交 換 に親 の期待に沿 うよう暗黙の うちに心理的 取引を した り、情緒喚起 に直面 しうろたえて しま う。 (3)「受容」の表面的理解期 :受容的態度-の反 発はな くなるが、理解が表面的で具体的に ど うして よいかわか らず、 しば しは叱責や哀願 な どの旧来の対処法に折 って しま う時期。 (4)「受容」の深い理解 と実践期 :この段階の初 期 では、具体的に どうすべ きかを意識的に考 え、意 図的に実践 しなければな らない。受容 の理解は深 まってい くが、緊張感 と精神的疲 労が著 しく高まる。やがて徐 々に受容的態度 の効果が出現 し、障害児 と母親の双方が相互 作用に よりダイナ ミックに変化 し、人間的成 長を遂げる時期。 上述のプロセスは、母親の養育態度 ・価値観の 変化 と、 「受容」に対す る理解の深 ま りを示唆す るものである。 それ とともに、治療者の クライア ン ト-の受容的態度の成立について考察 した近藤 (1977) の指摘 したの と同 じよ うなプロセスが介 在 した と考え られ る。近藤は、受容的な態度は誤 解や行 き違いや反発を含 んだ相互的な コミュニケ ーシ ョンの過程で最終的に (あるいは徐 々に)現 われて くるものであって、最初か ら存在す るもの で も、そ うした相互過程 な しに出現す るもので も ない と述べている。本 ケースでの母親の障害児に 対す る受容的態度において も、同様なプロセスが あった と解釈す ることがで きよ う。母子の相互作 用の促進 と母親の受容的態度の深 ま りは、相互補 完的で表裏の関係にあ るとい うことができよう。 とす るな らは、情緒障害 の治療での母子関係の再 調整 とい う目標達成のためには、積極的に 「受容 的態度」に関す る指導を実施す るのが有効である ことを意味す ることにな る。本 ケースでの治療効 果は、 この点を裏付け るものであ るといえ よう。 ところで、本 ケースの治療効果には、母親に よ る受容的態度以外の要田が関与 していることをあ げねばな らない。それ らの うち最大の ものは、 5 年生時の担任に よる、本児-の算数等の補習、学 級集団の全員に本児を受けいれ させ るよ うに働 き かけた ことである。 これ らが、情緒喚起の環宅刺 激の調整における主要部分をな していた といえ よ う。 さらに母親側には、受容的態度を とるために 必要 な心理的安定を もた らすのに寄与 した といえ よう。 以上の考察か ら、情緒障害児の治療に際 しては、 母親に受容的態度を とらせ るための指導が有効で あ り、そのためには受容的態度の深化 プ ロセスを 踏 まえた母喝-の働 きかけが ポイ ン トとな ると結 論で きよう。 また、促進要因 としての情緒 喚起に かかわ る環境刺激 の調整が 重要 であ る といえ よ う。
引 用 文 献 小松教之 1980情緒障書児の心理 田中恩夫男 (編 著) 心身障害児の心理 福村出版 第 5毒、 95-112. 近藤邦夫 1977 受容 と自己一致 佐治守夫 ・水島恵 一 (編集代表) 心理療法の基礎知識 有斐閣、 188-189. - 60 -中野良顕 1974 受容 内山喜久雄 (監修) 内山喜 久雄 ・上 出弘之 ・高野清純 ・小川捷之 (編) 児童 臨床心理学事典 岩崎学術出版社,3091310・