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〈東北地方の民俗〉津波の記憶

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Academic year: 2021

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(1)津 波の 記憶. 津 波 の記 憶. はじめ に. 藤. 井. 弘. 章. 平成 二一 二年 (二〇 一 一) 三月 一 一日、 午 後 二時 四六 分 、 東 北 地 方 太 平 洋 沖 で マグ ニチ ュー ド九 と いう 巨 大 地 震 が. 発 生 、 そ の後 、 東 北 太 平 洋 沿 岸 に大 津 波 が 押 し寄 せ た 。 と く に、 三陸 沿 岸 は、 津 波 の常 襲 地 帯 と し て津 波 の記 憶 が. 記 録 、 伝 承 さ れ 、 訓 練 な ど も 行 わ れ てき た 地 域 であ った 。 そ れ にも か かわ ら ず 、 一〇 〇 〇 年 に 一度 と いわ れ る よう. な 大 津 波 によ って、 甚 大 な 被 害 が 出 て しま った 。 震 災 の体 験 は個 々人 に よ ってさ ま ざ ま であ る。 自 治 体 な ど が 中 心. と な っ て、 多 く の方 々 の体 験 を 記 録 し て いく 作 業 が 進 め ら れ て いる 。 今 後 の防 災 のた め に は 、 一人 で も 多 く の体. 験 、 記 憶 を 語 り 継 い でお く 必 要 が あ る。 わ ず か で はあ るが 、 筆 者 が 被 災 地 の方 々 から 聞 かせ て いただ いた津 波 の体. 験 談 を 報 告 さ せ て いた だ く 。 あ わ せ て、 筆 者 が 震 災 前 に訪 れ た 沿 岸 地 域 の写 真 も 可 能 な 限 り掲 載 す る。. 一 青森県八戸市. 八 戸 市 鮫 地 区 は港 町 と し て栄 え てき た と こ ろ であ る。 平 成 二 四年 (二〇 一二) 八 月、 港 を 望 む高 台 にあ る浮 木 寺 住 職 の中 村 好 伸 氏 に津 波 の話 を う か が った 。. 平 成 二 三年 (二 〇 一 一) 三 月 一 一日 の 地 震 は 長 か った 。 大 き な揺 れ と は 思 わ な か った。 仏 像 は 一つも 倒 れ な. 漸.

(2) か った 。 燭 台 が 一つ倒 れ た だ け だ った 。 J R 八戸 線 よ り も 下 は津 波 が 来 た。 流 さ れ た 家 も あ る。 水 産 加 工 関 係がやられた。船も流 され た。 人 的 被 害 は少 な か っ た 。 時 間 帯 が よ か った。 夜 中 だ った ら 大 変 だ った。 線. 298. 路 ( 八 戸 線 ) の上 ま で逃 げ た ら ま ず 助 か る。 普 通 は蕪 島 を ぐ る っと 回 って津 波 が 来 る。 今 回 は 回 ら な い で ま っす ぐ 来 た 。 流 れな か っ た 船 も あ った 。 蕪 島 の横 に あ る海 水 浴 場 の防 波 堤 が 壊 れ た (写 真 2)。 八 戸 は 震 源 と 震 源 の問 。 ま る 二 日停 電 し た。 情 報 は な か った 。 最 初 は こ の辺 りだ け 停 電 だ. 戸 市鮫 地 区. 地 図1八.

(3) 69801(CS2)tanaka07藤井.indd. 299. 2013/09/09. 21:04:02.

(4) ほ りな い. 段 丘 の上 に位 置 す る堀 内 や 黒 崎 で は 被 害 は 少 な か った が 、 低 地 に位 置 す る太 田名 部 や 普 代 で は 被 害 が 甚 大 で あ った 。 桜 田 の ﹁採 集 手 帖 ﹂( 成城大学 民 俗 学 研 究 所 所 蔵 ) に は、 太 田名 部 だ け で明 治 二九 年 に は 二 三 〇 人、 昭 和 八 年 に は 一〇 二人 も の人 が 亡 く な った と 記 さ れ て い る。 二度 の大 津 波 に 襲 わ れ た 太 田名 部 で は 、 物的な被害も大きく、集落が 壊 滅 す る ほ ど で あ った と い う 。 そ の後 、 成 城 大 学 民 俗 学 研 究 所 主 催 で海 村 調 査 の追 跡 調 査 を 行 った 際 に は、 平 成 二 年 (一九 九 九 ) に筆 者 が 普 代 村 を 調 査 し て い る。 当 時 に撮 影 し た 写 真 と 震 災 後 に撮. 300. 代村. 地 図2普.

(5) 69801(CS2)tanaka07藤井.indd. 301. 2013/09/09. 21:04:04.

(6) 巨 大 な 水 門 か ら 出 入 り す るよ う にな って い る。 太 田名 部 の 防 潮 堤 は 高 さ が 一五 ・五 m、 全 長 一五 五 mあ る。 普 代 で は 防 潮 堤 建 設 後 にさ ら に外 側 に 学 校 が でき た た め 、 昭 和 五九 年 (一九 八 四)、 普 代 川 河 口 に新 た に長 さ 一〇 五 m、 高 さ. 302. 一五 mの防 潮 堤 と 水 門 が 築 か れ た (写 真 7)。 建 設 当 初 は 批 判 も あ った と いう が 、 平 成 二一 二年 の震 災 で は、 太 田名 部 の港 に津 波 が 押 し寄 せ た が 、 人 家 が 流 失 す るよ う な こと は な く 、 集 落 内 の人 命 も 失 わ れ る こと は な か った 。. 古市鍬 ヶ崎地 区. 地 図3宮.

(7) 69801(CS2)tanaka07藤井.indd. 303. 2013/09/09. 21:04:06.

(8) た 際 、 浜 を 散 歩 し て いた お じ いさ ん に話 を う か が った 。 こ の方 に よ る と 、 震 災 前 には 石 浜 に は 三 三軒 あ った が 、 津 波 で⊥ハ軒 流 さ れ た と いう 。 平 成 一 一年 に撮 影 し た 写 真 と 平 成 二 四年 に撮 影 し た 写 真 を 比 較 す る と、 浜 に近 い家 や 倉 庫 が. 304. な く な って いる 様 子 が う か が え る (写 真 12、 13 、 14 )。 ま た 、 浜 に立 ち並 ん で いた 石 塔 も 流 さ れ て い る (写 真 1 5、 16 )。 全 体 に 土 地 が 五 〇 ㎝沈 下 した と いう。 石 浜 は港 が 残 ったが 隣 の集 落 は な く な っ. 昭 和 の津 波. た と いう 。. 3. 平 成 一 一年 (一九 九 九 )、. 古 市重 茂石 浜地 区. 地 図4宮.

(9) 津 波の記 憶. \ \、. 宮 古 市 赤 前 出 身 で大 謀 網 の 網 元 を し て い た. 堀 内 良 司 氏 (大 正 九 年 生 ま れ )・イ セ 氏. (大 正 一二年 生 ま れ ) 夫 妻 に 三 陸 の 漁 村 の. 習 俗 に つ い て聞 き 取 り を し て いた 。 津 波 の. こと は意 識 的 に聞 い て いな か った が 、 自 分. の調 査 ノ ー ト を 見 直 す と、 わず か では あ る. が 津 波 の こと も 話 題 に出 て いた 。. 昭 和 八 年 の津 波 のと き に は 沖 が 光 った. と いう 。 逃 げ 帰 ろ う と す る と 津 波 の ほう が 先 に き た。. 昭 和 八 年 三 月 三 日 の大 津 波 で 出 荷 直 前. の カ スダ マ ( イ ワ シを 脱 水 し て か ら く だ. い て 乾 か し た も の) は ほ と ん ど 流 さ れ た。. 自 分 (良 司 氏 ) は 昭 和 五年 か ら 二〇 年. ご ろ ま で網 元 を し て い た。 宮 古 湾 には 秋. に南 下 す るイ ワ シが 入 り、 アグ リ 網 で こ. れ を と った 。 九 月 か ら = 一 月で、三月 か. 踊.

(10) ら 八 月 は 湾 内 に は 漁 が な い。 昭 和 八. 年 の 大 津 波 後 、 イ ワ シが と れ な く な. り 、 商 売 が う ま く いか な く な っ て南. に 出 て行 って定 置 網 を す る よう に な った 。. 自 分 (イ セ 氏 ) は 生 ま れ た 年 に 白. 浜 の 人 た ち が 伊 勢 参 宮 を し た こと に. ち な ん で命 名 さ れ た 。 イ セ さ ん 自 身. も昭 和八年 の三月ごろ に伊勢 に行 っ. た 。 下 関 に いた と き に大 津 波 の 連 絡. 四. 箱崎白浜. 岩手県釜石市. が あ った 。. 1. 平 成 一二年 (二 〇 〇 〇 ) に、 箱 崎 白. 浜 に あ る と いう ﹁亀 供 養 ﹂ の石 碑 を 訪. ね て、 同 地 の佐 々 木 長 七 氏 を 訪 ね た こ. と が あ った 。 震 災 後 の平 成 二 四 年 (二. 〇 一二 ) 八 月 に、 再 び 佐 々 木 氏 の お 宅. 脳.

(11) 津 波の記 憶. を 訪 ね た と ころ、 長 七氏 は 震 災 前 に 亡 く な ってお ら れ た が 、 長 七 氏 の妻 の佐 々木 ピ サ 氏 (昭 和 六 年 生 ま れ) と息 子 の佐 々木 利 久 氏 (昭和 二 ⊥ ハ年 生 ま れ ) に話 を う かが う こと が でき た。 ま ず 、 ピ サ氏 の話 であ る。. 307. 長 七 氏 が いた と き は 、 白 浜 は = 二〇 何 軒 か あ った 。 津 波 で 四〇 何 人 亡 く な っ た。 地 震 の と き は、 家 の 二階 に いた 。 あ ん ま り揺 れ る か ら 、 べち ゃ ん と家 で つぶ さ れ る よ り は、 畑 に行 って 死 ん だ 方 が い いと 思 って 降 り てき た 。 津 波 の放 送 が あ っ た と いう 人 も いる 。分 ら な. 石 市 箱崎地 区. 地 図5釜.

(12) /. ヘ ノ零. 一 晦蠣1. -一 糟 1冒冒. 鐸. か った 。 足 元 ま で水 が 来 た 。 水 道 が 破 れ て 水 が 来 た んだ と 思 った。 明 日 か ら 水 道 を 使 う の が 大 変 だ と 思 って い. た 。 ﹁津 波 は 川 を た ず ね て 上 が る﹂ と い う。 そ のう ち に、 膝 ま で水 が 来 た 。 隣 ま で流 れ て、 泳 い で いた ら 、 引 き. 水 が 来 た 。 角 ま で流 れ て、 はね て家 へ入 った 。 茶 ダ ン ス の場 所 が 変 わ って いた 。 下 駄 箱 が な か った の で、 裸 足 で 避 難 し た 。 家 ま で津 波 が 入 った 。. 畑 で 一晩 泊 った 。 む し ろを かぶ って 寝 て いた 。 寒 か った 。 み ん な 流 れ て 死 ん で し ま った のか な と 思 って いた 。. 朝 にな ると 、 あ そ こ にも い る、 こ こ にも い ると い ってわ か った 。 う ち で はだ れ も 死 ん で いな い。 下 の お じ いさ ん. は 昼 寝 を し て い て流 さ れ た 。 本 家 で は蔵 も 人 も 流 さ れ た 。 隣 も 流 れ た 。 ど んど ん水 が 入 ったけ ど 、 う ち は流 さ れ な か った 。 畳 を 五〇 何 枚 替 え た 。. 308. 罵. き量. 罰. 佐 々 木 氏 の 家 に 残 る津 波 の 跡 (2012年8月 撮 影). ▲写 真21. 一確 堅 ㌦ ▽ 甕!.

(13) 津 波の記 憶. あ れ 忘 れ た と い って、 取 り に戻 って生 き た 人 はな いか ら 、 そ う いう こ と はす るも ん でな いと聞 いて いた。 今 回. も 、 取 り に戻 って生 き た 人 は いな い。 お じさ ん の 子も 、 店 のね えさ んも 流 さ れ た 。 あ れ を 持 ってく れば よ か った と 戻 った 人 が 流 さ れ た 。 昔 の人 が 言 って いた の は本 当 だ った 。. 夜 に起 き た ら 、 泣 き 声 で寝 ら れ な か った 。 起 き た ら だ れ も いな い。 窓 を 開 け ても だ れ も いな い。 笑 った り、 泣. いた り し て い る。 息 子 が カ セ ット を 入 れ て い る のか と 思 って、 見 た け ど な か った 。 そ の とき は、 み んな 亡 く な っ. て い る か ら 、 魂 が 来 た 。 息 子 も泣 き 声 で寝 ら れ な か った と いう 。 安 藤 が 浜 の 人 は 、 ﹁助 け て ー 、 助 け てー ﹂ と い. う 声 が 聞 こえ た と いう 。 娘 が 大 槌 に 嫁 に 行 って い る。 (白 浜 は 大 槌 の対 岸 に あ た る の で、 大 槌 か ら ) 白 浜 に赤 い. 昭 和 八 年 の 津 波 は 知 ら な い。. も水 道 も な か った ので行 った 。. 花 巻 の温泉 に三 か 月 いた。 電気. と 思 って いた ら 花 巻 ま で行 った 。. 巻 に 避 難 し た 。 そ の へん に 行 く. 富 だ った 。 そ れ か ら 、 ヘリ で 花. て、 食 べ 物 を 運 ん で く れ た 。 豊. 白 浜 の学 校 は 最 後 ま で ヘリ が 来. に ぎ り を 一つ も ら っ て 食 べ た 。. そ の 後、 学 校 に 泊 ま った 。 お. 思 う。. 火 が 一回燃 え る のが 見 え た と いう 。 白 浜 が 火 事 だ と 思 った と いう 。 白 浜 だ よ、 おら は 死 んだ よ、 と い って いた と. 防 波 堤 か ら大 槌 湾 を望 む(2012 年8月 撮 影) ▲ 写真22. 鵬.

(14) \ 箱 崎 白 浜 の 港 と 集 落(2000年7 月 撮 影). る。. 母 さ ん の 話 で は、 だ れ か を 産 ん. で か ら 寝 て いた と いう 。 流 れ て. き た大 し た着 物 を 拾 った と いう 。. 昭 和 三 五 年 の津 波 は 知 って い. る。 上 ま で は 津 波 は 来 な か った 。. 水 が な く な っ て、 さ ん ぼ し の ほ. う で船 が ご ろ ご ろ し て い た 。 み. ん な で ア ワビ、 ウ ニを採 った。. 嫁 に 来 た こ ろ だ った 。 ご 飯 炊 き. を し て いた の で自 分 は 行 か な か った。. 思 う 。 大 槌 、 鵜 住 居 に上 が った 津 波 が 、 崩 れ て こち ら へ来 た と しか 考 えら れ な い。 ふ つう は津 波 は湾 の外 から 来. う のす ま い. で、 上 は 白 く な って いた 。 大 槌 の ほう か ら 来 た 。 大 槌 か ら 来 ると は思 わ な か った 。 引 き 潮 が 来 た の で はな いか と. い、 終 わ り と 思 った 。 三 波 が 来 た と き 逃 げ た 。 八 mも 一〇 mも あ る 波 が 来 た 。 そ れ を 見 て 逃 げ た。 下 が 真 っ黒. 波 は防 波 堤 を 乗 り 越 え た 。 一波 は 海 岸 だ け 。 二波 は避 難 道 路 の 下 ま で来 た。 倉 庫 の屋 根 ま で来 た。 これ で来 な. 自 分 は 海 岸 に いた 。 一波 、 二波 はた い した こと はな か った 。 一波 は 三 mぐ ら い、 二波 で六 mぐ ら いだ った。 二. 息 子 の利 久 氏 にも 話 を う か が った 。. ▲写 真24. ㎜.

(15) 津 波の 記憶. 倉 庫 の下 に いた 人 はそ のま ま 流 さ れ た 。 避 難 道 路 が 高 く な って い る。 自 分 は そ こ で見 て いた。 逃 げ う と い って. 逃 げ た が 、 一〇 mも 走 ら な いう ち に流 さ れ た 。 ご ろ んご ろ ん と流 さ れ た 。 浮 き 玉 が あ った の で つかま った。 つか. ま っても だ め だ った 。 泳 ぐ こと が でき な い。 木 の根 が あ った の で、 つか ま えた 。 か か ( 妻 ) と息 子も 一緒 に逃 げ. た 。 足 が 速 い の で、 息 子 はな ん と か 逃 げ 切 った 。 か か は自 分 より も 足 が 遅 く 、 遅 れ た 。 そ のう ち 、 軽 ト ラが 流 さ. れ てき た 。 そ れ に乗 れ と 叫 ん だ 。 か か はそ れ に乗 った 。 そ のう ち に、 引 き 潮 が 来 た の で、 軽 ト ラ から 降 り う と叫. ん だ 。 ま た ご ろ んご ろ ん と 流 さ れ た 。 ロー。 フが あ った の で つか ま え た 。 も し手 を 離 し て いた ら そ の ま ま 流 さ れ. た 。 流 さ れ て い る と き に が れ き に ぶ つか って亡 く な った 人 も いる 。 自 分. は近 く に流 れ て い る のが 浮 き 玉な ど だ った の で助 か った。. 三波 から あ と は知 ら な い。 う ち へ来 れ な いか ら 学 校 に 上 が って 行 った 。. 母 親 は畑 で寝 た と いう 。 夜 中 にも 津 波 が 来 た かも し れな いが 分 ら な い。. 自 分 は 車 の エンジ ンを か け て ラ ジ オ を 聞 いて いた 。 三 mか ら 六 mの波. が 来 る と い って いた 。 放 送 で は 三 m、 と い った と ころ で 切 れ た 。 そ れ を. 聞 い て いた 人 は 三 m の波 が 来 る と 思 って いた 。 三 mだ と流 さ れ な い。 防. 波 堤 が そ れ 以 上 あ る か ら な ん と も な い。 六 mだ と 防 波 堤 は越 え てく るが. 家 は流 さ れ な い。 今 度 の津 波 は 二 一mのと ころ の地 面 が 濡 れ て い る。 こ. の家 は 二〇 mぐ ら いあ る。 倉 庫 が 流 さ れ た。 車 も 流 さ れ た。 一階 の壁 に. 津 波 のあ とが 残 って い る ( 写 真 21)。 外 の壁 も ず いぶ ん 洗 った 。. 311. た 。 水 が 引 い てぽ と ん と 落 ち た 。. ▲ 写 真26箱. 崎 白 浜 の 港 と 集 落(2012年8. 月 撮 影). 白 い のを 着 て い ても 真 っ黒 にな った 。 頭 は砂 だ ら け にな った 。 前 の 日 に入 った 風 呂 の水 を 頭 から かぶ って洗 っ. 臨.

(16) 地 形 によ って、 低 く ても 残 って い る家 も あ る。 潮 の 回り で波 の強 さ は違 った 。 屋 根 へ登 った人 も いる。 流 さ れ. て、 気 が 付 いた ら 海 の中 に浮 か ん で いた と いう 人 も い る。 流 れ て いた 船 に乗 って助 か った人 が 二人 いる。 一人 は. 箱 崎 に 上 が った。 一人 は 根 浜 の宝 来 館 の 辺 り に上 が った 。 足 が 悪 く て逃 げ ら れ な い人 、 つな い で い た 手 を 放 し て、 流 れ て行 った 人 、 な ど い ろん な 人 が い る。. 命 てん でん ば ら ば ら 。 泳 い で助 け ら れ る状 況 で はな い。 自 分 も 死 ん で しま う 。 車 に乗 れ と いう ぐ ら いし か でき. な い。 自 分 は 木 の根 っこを つか ま え て い るだ け で必 死 だ った 。 自 分 の命 は自 分 で守 る し かな いと思 った。. だ れ し も チ リ 地 震 津 波 のと き の感 覚 が あ った 。 津 波 が こ んな と は思 わ な か った 。 漁 師 は海 岸 に財 産 が あ る。 津. 波 が あ ると 流 さ れ な いよ う に上 へ上 げ る。 津 波 だ と いう と 下 が って いく 。 何 年 か は逃 げ る と思 う 。. 白 浜 で 四〇 何 人 亡 く な った 。 ま だ 一六 遺 体 上 が って いな い。 夫 婦 で亡 く な った のも 何 組 か いる。. 津 波 のあ と 、 二 日ぐ ら い し て学 校 に集 ま った 。 学 校 は廃 校 にな って いた 。 校 庭 が 広 いの で、 運 動 会 の とき に使. う も の で物 を 運 ん だ 。 津 波 にか か ら な い家 も あ った 。 電 気 が 来 な い から 、 お いても 冷 蔵 庫 のも の は腐 る から 、 み. ん な で分 け た 。 そ れ を みん な で食 べ つな いだ 。 不 自 由 はな か った 。 電 気 が な く ても 、 船 で使 う 発 電 機 を も って い た 。 部 落 全 部 が 流 さ れ た の で はな いか ら 、 協 力 し てや った 。. 海 上 保 安 部 の ヘリ が 通 った 。 服 を 脱 い で振 った 。 何 日か た って ヘリが 校 庭 に降 り た。 大 槌 は火 事 にな った。 車. も 真 っ黒 にな って いた 。 箱 崎 か ら 向 こう は行 け な か った 。 自 衛 隊 が 山 を つた ってき た 。 自 衛 隊 の人 に、 白 浜 は孤. 立 状 態 だ か ら 、 大 槌 の火 事 が 飛 び 火 した ら ヘリ も 降 り ら れ な く な る、 ど う しま す か、 と いわ れ た の で、 全 員 避 難. し た 。 自 分 は 飛 び 火 は な い と 思 った が 、 自 衛 隊 に いわ れ た 。 四、五 日 ぐ ら いし て ヘリ で避 難 し た 。 二日 が か り で. 釜 石 の体 育 館 に避 難 した 。 年 寄 り 、 病 人 を 先 に花 巻 、 北 上 に送 った 。 そ れ から 健 康 な 人 が 体 育 館 に行 った。 自 分. は 七 月 ま で いた 。 遅 い ほう だ った 。 家 が 流 さ れ て仮 設 に 入 る 人 も いた 。 八 月ご ろ ま で に は 仮 設 が で き て 入 れ た 。. 麗.

(17) 津 波の記 憶. 白 浜 の学 校 にも 二棟 でき た 。 四組 ぐ ら い入 って い る。 釜 石 の仮 設 に行 った り 、 鵜 住 居 の仮 設 に行 った り し た。 第. 一希 望 、 第 二希 望 と いう よ う に希 望 を 出 した 。 そ れ で割 り 振 ら れ た 。 第 一希 望 を 白 浜 にす る人 は少 な か った。 子. ど も た ち が 学 校 に行 く のが 大 変 と いう こと で。 そ れ ま で小 、 中 学 校 は鵜 住 居 ま で行 って いた。 子ど も たち は み ん. な 逃 げ て助 か った 。 山 さ 逃 げ た 。 学 校 に い て、 一緒 に行 動 した 人 は助 か った 。 休 ん で いた り、 早く 帰 った人 は分. ら な い。 自 分 の孫 は 、 当 時 小 学 校 五年 の女 の 子と 、 幼 稚 園 の 子が 二人 い る。 全 員 助 か った。 地 震 のあ と幼 稚 園 は. 帰 る時 間だ った が 、 全 員 で小 学 校 へ行 った 。 小 学 校 と 一緒 に 行 動 し て助 か った 。 ﹁奇 跡 ﹂ と いわ れ る が 、 子 ど も. ろ 向 小.  . う 。 寒 か った と いう 。. お 互 い の安 否 は 三 日 も 四 日も 分 ら な か った 。 そ のう ち 、 山 を 越 え. て 歩 い てく る 人が いた 。 た ま た ま 会 う 人 が い て確 認 し た。 行 った り 、. き た り し て い て 、 あ れ も 生 き て いた 、 こ れ も 生 き て いた 、 と いう よ. う にな った 。 避 難 所 を 訪 ね る と だ れ が い た と 分 か る 。 夜 に帰 ってき て 周 囲 の人 に 伝 え た 。. 行方 不明者 は部落 の人が白浜 で探 した。まず は人を探 した。何 日. か し て か ら が れ き を 片 付 け た 。 日当 が 出 た 。 が れ き を し な が ら 遺 体. を探 した。何組 か分か れて合同 で葬式 をした。最初 、土葬 にしよう. と い って 、 大 き な 穴 を 二 か 所 ぐ ら い掘 った 。 市 か ら 土 葬 と い ってき. た 。 今 の時 代 、 土 葬 も な いだ ろ う と いう こ と で、 や め て火 葬 に な っ. 313. た ち は 奇 跡 では な いと いう 。 い つも 訓 練 を し て い るか ら 、 同 じ こ とを や った だ け と いう 。 子ど も たち は、 釜 石 の. 、 -.. 欝. 撮 影: 学校 が ある)(2012年8月. 若㍉ 雌 ⇒ 鴨. ゴ. ㌘ 霧 鳶. 畷. 潔. 繋轄. 藁繋. [IIF鳳. ト ンネ ルを 抜 け た と こ ろ の中 学 校 に行 った と いう 。 両 石 より 向 こう 。 車 で行 った か。 新 聞 紙 を かぶ って寝 た と い 険. P. 住居(一 段 高 くな った と こ がJR山 田 線 の 線 路 跡 。 そ の こ うに釜 石 東 中学 校 と鵜 住 居 ▲ 写真27鵜. ー. 一瀾 薩糧 ニ 恥賦 ・之_㌻ ζ環 灘.

(18) た 。 火 葬 場 が あ く のを 待 って持 って行 った 。 市 で は、 一気 に遺 体 を 焼 く と思 った が 、 ぽ つんぽ つん と し か出 て来 な か った の で焼 く こと にな った 。. 家 の中 は が れ き の山 だ った 。 海 で使 って い るも のも 入 ってき て いた 。 川も が れ き で い っぱ いだ った。 梅 雨 の時. 期 にな る か ら 、 川 だ け ボ ラ ン テ ィ ア に 片 付 け ても ら った。 遠 野 のま こ こ ろ な ん と か と いう と こ ろ か ら来 て いた 。. 今 でも 来 て い る。 沖 縄 か ら も 来 て いた 。 外 国 人 も 来 て いた 。 台 湾 から も 来 て いた 。 一回 目 は 三〇 〇 人 来 た。 何 人 か 帰 ると 何 人 か 来 る。 交 代 だ った 。. 空 き 屋 に な った と こ ろを 狙 って 盗 難 が あ った 。 大 槌 で は 歩 い て い る と、 脅 さ れ て 金 を 出 せ と 言 わ れ た と いう 。. そ う いう う わ さ が た った 。 夜 に 一人 で歩 く な と い った 。 そ れ で、 一回避 難 した け ど 、 若 いも んが 五人 でも 一〇 人. でも 学 校 に泊 った 。 家 を 流 さ れ た 人 は食 べ るも のが な いか ら 、 釜 石 で は商 店 街 に入 って、 食 料 品 を 取 って食 べ た と いう 。. 自 分 は 友 達 や 先 輩 に助 け ら れ た 。 探 し探 し し て こ こ へ来 た 。 何 が ほ し い か と聞 かれ て、 タ バ コと言 う と、 タ バ. コを 持 ってき て く れ た 。 自 分 は 七 月 に は 家 に 戻 った 。 盆 に は 戻 っ て いた 。 ふ す ま 、 畳 も 友 達 に早 く し て も ら っ た 。 みん な に助 け ら れ た 。. 白 浜 は 七 〇 何 ㎝沈 下 し て い る。 養 殖 組 合 は八 〇 何 人 いた 。 今 は 三〇 人 にな った 。 お父 さ んが 流 さ れ た、 う ち が. 流 さ れ た 、 な ど でや め て い った 。 復 興 のた め 、 団 体 で ワ カ メ、 ホタ テ の養 殖 し て いる。 ホタ テ はま だ 売 って いな. い。 一 一月 か ら 来 年 に売 る。 これ で団 体 は終 わ り 。 あ と は個 人 で養 殖 を や り な さ いと いう こ と にな った。 施 設 が. 足 り な い の で、 国 の 援 助 を も ら って作 って い る。 今 年 の ワカ メ に 間 に 合 う よ う に 。 ワ カ メ は 一 一月 に 種 を 蒔 い. て、 三月 に出 荷 す る。 ホタ テ は 一 一月 過 ぎ に北 海 道 か ら 入 ってく る。 一年 かけ て養 殖 。 以前 は、 玉ね ぎ 袋 に入 れ. て 四年 か け て養 殖 し た 。 津 波 で網 も 流 さ れ た か ら 、 小 さ いも の でも 売 る。 網 を 洗 う 機 械 も 流 さ れ た。 簡 単 な の は. 143.

(19) 津 波の記 憶. 買 って育 て て売 る。 今 日 は暑 い の で、 仕 事 は終 わ り に した 。 今 は、 個 人 で養 殖 す るた め の棚 を 作 って いる。. チ リ 地 震 津 波 と のき は、 川 か ら ち ょ っと 上 が った 。 下 の木 より も ち ょ っと上 。 海 の中 に水 が な く な って、 ザ ル. 市街地. て い る。 朝 七 時 ぐ ら いだ った 。 危 な く な か った 。. を 持 って行 ってウ ニ採 った り 、 ア ワビ を 採 った り した 。 魚 が ぱ た ぱ た し て いた 。 学 校 に行 く こ ろだ った の で覚 え. 2. 平 成 二 四年 (二〇 一二) 八 月 、 ホ テ ルサ ン ルー ト 釜 石 の従 業 員 に話 を う かが った 。. 精 い っぱ いだ った 。. 撮 れぼ よ か った と 思 う が 、 悪 い と いう気 持 ち が あ って、 写 真 を 撮 る のが. 場 所 に いた が 、 そ れ ぞ れ 逃 げ た。 向 か い の携 帯 の写 真 を 撮 った 。 動 画 を. ホ テ ル の従 業 員 は全 員 助 か った 。宿 泊 のお 客 一人 も 助 か った 。 別 々 の. た 。 赤 い屋 根 の家 が 流 れ てき た 。 大 き な 船 が 、 港 に 打 ち 上 が って いた 。. に な って いた 。 そ の車 は津 波 で流 さ れ た 。 道 路 は ア ー ケ ー ド にな って い. ラ ン の中 は ぐ ち ゃぐ ち ゃ に な った 。車 で 逃げ て いた 人 が 、 前 の道 で渋 滞. と 、 み ん な 逃 げ た 。 引 く 波 も す ご か った と 思 う が 、 見 て いな い。 レ ス ト. 地 響 き が し て、 ホ テ ル の 横 の 道 を 津 波 が 流 れ て き た 。 これ は 危 な い. て思 えば 逃げ て いた のだ と 思 う 。. パ ー マを す る頭 を した ま ま 歩 いて いた 。 な ん だ ろ う と 思 った が 、 今 に し. 自 分 は 地 下 室 に いた が 、 相 当 揺 れ た の で 、 棚 を 押 さ え て い た。 津 波 は 来 な いと 思 って いた 。 美 容 室 のお 客 が 石 市街 地(左 の 建物 は ホテル 、 海 は右 側 、 津波 は道 路 の 奥 か ら 流れ て きた)(2012年8月 撮 影) ▲ 写真28釜. 緬.

(20) 今 で は こ ん な に し ゃべ っ て い るが 、 最 初 は話 し か け ら れ な か った。 地 元 のお客 で、 い つも 三 人 で来 て いた 方 が い た。 二 人だ な と 思 っ ても 、 話 し か け ら れ な か っ た 。 二人 です ね、 と話 し か. 316. け る と、 一人 は亡 く な った. とう に. 唐丹小白浜. と いわ れ た 。. 3 唐 丹 小 白 浜 の盛 岩 寺 に は 江 戸 時 代 のウ ミガ メ供 養 塔 が あ るた め 、 平 成 一二年 (二 〇 〇 〇 ) に調 査 で訪 れ た。 震 災 後 、 平 成 二 四年 (二 〇 一二 ) 三月 と 八 月 に供 養 塔 の状 況 を 確 認 す る た め に盛 岩 寺 を 訪 れ る と 、 供 養 塔 は 折 れ て いた 。. 石 市唐丹 小 白浜 地 区. 地 図6釜.

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(22) で写 真 を撮 っ て いた 。 三時 一五分 に 波 が 防 潮 堤 を 乗 り越 え てき た 。 盛 り上 が って き た 。 大 し た こ と は な か った 。. そ れ が 引 い て、 ま た 大 き い のが 来 た 。 ま た 引 い て、 ま た 三波 が 乗 っか ってき た 。 そ の とき 山 門 が 流 さ れ た。 住 職. は 逃 げ て いた の で山 門 が 流 さ れ た の は見 て いな い。 向 こう の人 は、 寺 の山 門 が 流 さ れ る のを 見 て いた。 地 震 のあ. と 、 津 波 来 るよ な 、 と いう こと で、 みん な で海 を 眺 め て いた 。 引 いた の で慌 て て逃 げ た 。 墓 が 山 な の で、 墓 へ逃. げ た 。 寺 の向 か い にあ った 二階 建 て の家 が 、 地 蔵 さ ん のと こ ろ に突 き さ さ って いた。 海 側 の道 路 から 来 た津 波 の. ほう が 速 か った 。 こ のあ た り は湾 の 一番 奥 な の で、 両 側 か ら 津 波 が 来 て、 ぶ つか って高 く な る。 道 路 から 来 た津. 波 で、 流 さ れ た 人 が い る。 そ の 人 は 助 か った 。 下 に 五〇 何 軒 あ った 家 で、 一、二軒 は ま る ま る 上 の道 路 ま で流 さ. ミ. サ. 騰 ン. 撮 復 中 の 盛 岩 寺(2012年3月 ▲ 写 真32修. ず  あ すワ ア  む. 鷲. 影). 年 寄 り が 亡 く な って いる のが 多 い。 昭 和 のと き に は こ こ ま で こな か った. コ ンビ ニに、 ト ラ ック が 突 っ込 ん で火 事 にな った 。. 上 に空 いた 家 が あ った の で そ こ に い る。 三 鉄 (三 陸 鉄 道 ) の 駅 (唐 丹 ) の. 復 興 地 と し て沢 を 埋 め て 住 宅 に し た 。 住 職 は 一晩 だ け 避 難 所 に いた 。 墓 の. 昭 和 八 年 の 復 興 地 。 そ れ ま で は 高 台 に は 寺 し か な か った 。 昭 和 八 年 以 降 、. 震 で ひ び 割 れ て い た の で使 え な い。 み ん な 国 道 へ上 が った。 上 の住 宅 は 、. 合 、 親 戚 を 頼 って避 難 し た 。 中 学 校 は 体 育 館 の床 ま で波 が 来 た 。 校 舎 は地. デ ー サ ービ スセ ンタ ーが あ った 。 そ こ に避 難 し た 。 上 に親 戚 の家 が あ る場. て いた と いう 。 隣 の 港 ま で 流 さ れ て い た と い う 。 国 道 沿 い に農 協 関 係 の. な い。 夜 中 に 大 き な のが 来 た と いう 。 夕 方 あ った 船 が 、 朝 に な る と 流 さ れ. を 出 し て助 か った と いう 人 が 二、三 人 い る。 三 波 以 上 の大 き な 波 は 来 て い. れ た 。 あ と は 、 家 同 士 が 重 な り 合 って、 ひ っく り 返 った り し て いた 。 引 き 潮 ま で 五分 も な か った。 天井 の上 に顔. 」. / /. 鴨. 「" 一 釜禦繋 蕪 ∬:紳. 一. 谷ボ辺. 、! `. 為 藁距 」1薪. 撃9扇 一 弾一 ・ 毒墓諜 驚 ,穰. 謹. 揖虐' ・ 壕. 二 、. 嶺. 讐 ㌃巽 リ. ベ. ヒ ト ジ ム. 鵬.

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(24) が つく 。 携 帯 が 通 じ た のは 彼 岸 す ぎ 。唐 丹 の出 身 者 で内. 陸 に い る人 た ち が 来 て、 写 真 を 撮 って 配 信 し て いた 。 そ. れ で被 害 が 伝 わ る よ う にな った。 寺 ま で や ら れ て い る と いう こと も 伝 わ った 。. 南 は 大 船 渡 ま で 行 け た 。 大 船 渡 で は 一 一日 か ら 商 売 を. し て いた 。 自 家 発 電 で明 か り を つけ 、 外 に 出 し て、 豆 腐. な ど は た だ で 配 っ て いた 。 一四 日 に な って、 釜 石 ま で道. 路 が 通 じ た。 そ れ ま では 、 買 い出 し に 行 く の に、 三鉄 の. ト ンネ ルを 歩 いて 行 った 。 住 職 は 一五 日 に 電 話 を か け に. 行 った。 釜 石 の駅 か ら 西 の ほ う は 、 一八 、九 日 、 彼 岸 に 入 る ぐ ら いに 電気 が つ いた 。 電 線 も 流 さ れ た の で、 こ こ. ら は 三月 末 に電 気 が ついた 。 そ れ か ら 水 道 が ついた 。 最 初 は し ょ っぱ い海 水 が 入 って いて飲 め な か った。 四 月末. ま でか か った 。 五月 の連 休 明 け に飲 め るよ う にな った 。 片 岸 川 の伏 流 水 を 使 って いる。 沈 下 し て潮 水 が 入 って い. た 。 こ こは け っこう 湧 水 が 多 い。 寺 の下 にも 湧 水 が あ る。 そ の周 り に家 はな く な った の で、 寺 とも う 一軒 で そ の. 湧 水 を 使 って いた 。 寺 の西 側 にも 水 が 湧 い て い る。 上 の人 た ち は、 自 衛 隊 の給 水 車 が 来 て いた。 ガ ソ リ ンが な い の で大 変 だ った 。. 釜 石 は 火 葬 場 と ゴ ミ処 理場 は 水 に つか ら な か った 。 大 船 渡 の火 葬 場 も 大 丈 夫 だ った。 陸 前 高 田 も 山 のほ う に. あ った 。 宮 城 県 か ら も 遺 体 を 運 ん でき た 。 東 松 島 市 か ら 一関 ま で火 葬 に来 て いた 。 各 火 葬 場 に は和 尚 さ んが ボ ラ. ン テ ィ ア で入 った 。 最 初 は携 帯 が 通 じ な いし 、 火 葬 す る のは 一人 か 二人 だ った 。 消 防 団 の 人 が 車 か ら 運 ん で い た 。 火 葬 場 の人 数 が 足 り な か った 。 市 民 課 の人 が 来 て、 遺 体 を 窯 へ入 れ た り した 。. 320. 岩寺 に建 て られ た 津 波 記 念 碑(2012 年8月 撮 影) ▲ 写真34盛.

(25) 津 波の記 憶. 一 一日 の 四時 ご ろか ら 遺 体 回収 が 始 ま った 。 車 の中 か ら 出 す のが 大 変 だ った 。 硬 直 し て いて大 変 だ った。 回収. の手 が 回ら な か った 。 廃 校 にな った 中 学 校 が 二 つ、 釜 石 にあ った 。 全 部 、 遺 体 を そ こ へ運 んだ 。 日が た つと次 々. に上 が ってく る。 自 衛 隊 が 来 て、 が れ き を 撤 去 す ると 出 てく る。 遺 体 は 目 の周 り が 黒 く な って いる。 処 理 用 の寝 袋 に入 れ て、 番 号 を つけ て、 ジ ッパ ー を 開 け て見 た 。. 釜 石 では 一日 に 一四体 ず つ、 朝 ⊥ハ時 か ら 夕 方 五時 ま で焼 いた 。 窯 が 三 つあ る。 それ でも 間 に合 わな か った。 急. ぐ 人 は 自 分 で内 陸 の ほう の火 葬 場 を 見 つけ てき た 。 釜 石 市 は秋 田県 の横 手 市 、 大 仙 市 に運 んだ 。 市 で は土 葬 に し. ま す と 発 表 し た 。 し か し、 も う 一回見 て みよ う と いう 人 が 多 か った の で、 土 葬 を や め た 。 志 津 川 で は土 葬 に し て. 掘 り 返 し た 。 身 元 不 明 の人 が 多 か った 。 顔 が ふ く れ て るか ら 分 ら な い。 目が 腫 れ た り し て いる。 友 人 な ど が 見 る. と、 似 て い る と い って、 あ って い る 場 合 が あ った 。 家 族 は 似 て い な い、. と いう こと が 多 か った 。 損 傷 が 激 し い 遺 体 は、 写 真 を 撮 っ て火 葬 に し. た。 身 元 不 明 者 を いか に早 く 火 葬 す る か が 問 題 だ った 。 ど こ で発 見 さ れ. た か 、 死 亡 時 刻 は 何 時 か を 書 い て いた 。 ほ と ん ど 三 時 二五 分 ご ろ にな っ て いた。. 防 潮 堤 は 震 災 前 一二 ・五 mだ った 。 そ れ を 一四 ・五 mに す る と いう 。. 国が 決 め た 。 地 元 では いら な い と い って いる 。 今 のを 直 せ ば い いと い っ. て いる が 、 国 が 決 め た 。 地 元 で は、 金 を使 う ん だ った ら 、 団 地 を 作 って. ほ し いと い って い る。 五軒 ま とま れば 団 地 と み な す と いう 。 五 千 万な ら. い いが 、 そ れ 以 上 は 造 成 費 を 出 さ な いと いう 。 一軒 に 一千 万 以 上 か け る の はだ め と いう。. 謝.

(26) 家 を 建 て る のを あ き ら め て い る人 が 増 え て い る。 七 〇 代 の人 は、 ロー ンも 組 め な いし、 建 て ても 子ど も たち も. 帰 って こな い の で 。 去 年 の今 ご ろ (平 成 一二二年 八 月) は み ん な 家 を 建 て る と 頑 張 って いた 。 風 呂、 ト イ レ つき. で、 二間 ぐ ら い の家 な ら 一千 万 で建 てら れ る。 震 災 アパ ー ト に入 ろう と いう 人 が 多 く な った。 こ れ から 作 る。 ど. こも 作 って いな い。 来 年 、 釜 石 で第 一号 が でき る。 ほか の市 町 村 も 住 民 の こ と は進 ん で いな い。 こ こら に は、 こ. れ 以 上 の高 台 が な い。 釜 石 は山 が 急 峻 。 造 成 も 難 し い。 小 白 浜 で は、 公 民 館 の向 か いに震 災 アパ ー トを 建 て る と. いう 計 画 が 出 て い る。 一人 ぐ ら し は 一フ ロア。 リ ビ ング が 広 い の であ と で仕 切 れ る と いう 。 地 域 のな か で住 み た. いと いう 人 が 多 い。 小 白 浜 の人 は小 白 浜 に住 みた いと いう 。 市 でも 丁寧 に住 民 の希 望 を 聞 いて いる。 片 岸 で は小. 白 浜 の アパ ー ト に入 り た いと いう 人 が 出 て い る。 今 のと こ ろ、 公 民 館 の向 いと、 国道 の上 の仮 設 を 取 っ払 った と. こ ろ に 二棟 ぐ ら い建 て ると いう 。 小 白 浜 と 片 岸 を 入 れ て、 ぎ り ぎ り な ん と か入 れ る。 市 は 丁寧 に聞 いてく れ て い. るが 、 示 さ れ た 分 だ け でそ れ 以 外 にな い。 個 人 の土 地 の所 有 者 に交 渉 も し て いな い。 じ ゃあ こう し よう と いう こ と を 半 歩 でも 示 さ な いと いけ な い。. 震 災 ア パ ー ト は 、 入 った 人 が 亡 く な る と 空 き 部 屋 に な る 。 次 に 入 る 人 は いな い。 ど んど ん 過 疎 地 に な って い. る。 今 は 商 店 が な い。 一軒 だ け 。 町 の仮 設 に入 る人 も い る。 病 院 に通 った り す るた め に、 町 の仮 設 を 選 ん で入 っ. て い る。 こ の前 の盆 に寺 へ来 て、 こ っち へは帰 ら な い、 と いう 八 〇 代 の お じ いさ んが いた。 町 の震 災 アパ ー トを. 申 し込 んだ と いう 。 店 と 病 院 が 近 い。 こ こは 交 通 が 不 便 。 人 が 入 って雨 風を し のげ た ら い いと いう の で は な く 、. 盆 、 正 月 に子 ど も た ち が 帰 ってき た と き に使 えた り 、 息 子た ち が リタ イ ア した とき に入 っても い いと思 う よう な. 建 物 を 建 て ても い いと 思 って い る。 今 朝 、 墓 参 り にき た 七 六 の人 は、 年 金 生 活 で、 月 に 二 万七 千 円程 度 の年 金 で. 暮 ら し て い る。 アパ ー ト 家 賃 は 二 万 円と す ると 七 千 円 で生 活 しな い と いけ な い。 収 入 に よ って家 賃 が 決 ま る。 安. い の で 一万 八千 円 ぐ ら い。 市 会 議 員 が 淡 路 、 大 阪 の ほ う に 震 災 住 宅 の視 察 に 行 ってき た。 孤 独 死 が 多 いと いう. 謝.

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(28) 子 た ち に家 を 建 て て や っ た 。 そ の 人 た ち が 今 回 の津 波 でや ら れ た 。 明 治 二九 年 の津 波 で は檀 家 で 一⊥ハ八 〇 人 亡 く な って い る。 昭和 八 年 に は 三六 〇 人 亡 く な って い る。 今 回 は 小 白 浜 で は 病 気 の人 が 二 人 亡 く な った 。 唐 丹 全 体 で は 一二 人亡 く な った 。 檀 家 で は 二六 人 亡 く な った。 檀 家 で亡 く な った 人 のう ち、 釜 石 で 働 い て い た 人 は 一五 人 。 釜 石 で は 海 を 見 て いな い の で、 足 元 ま で 波 が 来 て、 膝 ま で来 て逃 げ た 。 唐 丹 は七 五〇 ∼ 七 六 〇 戸。 そのうち被災 したのは 三八 〇 戸 ぐ ら い。 床 上 浸 水. 324. 仙 沼市. 地 図7気.

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(32) 大 き な 重 油 の コンビ ナ ー ト が 燃 えた 。 す ご い音 でぼ ー ん、 ぼ ー ん と鳴 った 。 船 が 外 浜 に流 さ れ てき て火 が 山 に 燃 え 移 った 。 大 島 神 社 も 危 な か った 。 神 社 の神 輿 を 一時 、 薬 師 の と こ ろ へ持 ってき た。. 船 が な く な った の で物 資 が 来 な か った 。 大 変 だ った 。 長 く 、 電 気 、 水 道 が 止 ま って いた 。 海 底 の水 道 管 の上. に、 大 き な 船 が 突 き 刺 さ った。 五 〇 日 間、 ろ う そ く で 生 活 し た 。 田 尻 の公 民館 では 危 な い の で、 学 校 に 避 難 し. た 。 自 分 は 家 が あ った の でよ か った が 、 家 が 流 さ れ た 人 は、 下 着 の替 えも な か った。 自 衛 隊 が 来 て物 資 を 運 ん で. く れ た 。 アメ リ カ の海 兵 隊 も 来 た 。 自 衛 隊 の風 呂 に入 った 。 飲 み水 が な いの で、 薬 師 の前 の清 水 を 一〇 〇 人 の人. が 汲 み に き た (写 真 40)。 並 ぶ の で、 夜 に汲 み に き た 人 も い る。 自 分 の家 に は 井 戸 が あ った 。 学 校 のプ ー ル の水 も 浄 化 し て飲 ん で いた 。 ろう そ く も 足 り な く な って、 寺 の ろう そ く を も ら った 。. 広 島 か ら フ ェリ ー を 貸 し てく れ た 。 広 島 か ら カ キ 養 殖 のた め の孟 宗 竹 三〇 〇 〇 本 を 贈 ってく れ た。 カキ いかだ. 一〇 〇 台 分 に な る 。 フ ロー ト も 一二〇 〇 く れ た 。 広 島 か ら の援 助 は あ り が た か った 。 三陸 のカ キ が だ め に な る. と 、 広 島 のカ キ の値 段 が 上 が る の に、 助 け てく れ た 。 広 島 か ら の援 助 は、 津 波 前 の実 績 で配 分 し た。 カキ は出 荷. でき るま で 三年 か か る。 こん な に海 に何 も な く な った ら 一年 で育 つ。 い つも は過 密 だ から 三年 か か る。 何 にも な いと 早 い。. 三、四 、五月 は生 き るた め に夢 中 だ った 。 今 も 忙 し い。 一段 落 した ら 心 が お か しく な る の で はな いか と思 って い る。 心 のケ アが 必 要 にな ってく る。. つと め て 海 さ 行 か な い よ う に し て いる 。 悲 し く な る。 自 分 の船 の マ ス トが 灯 台 に か か って い る (写真 41 )。 倉 庫 のと こ ろ で は、 大 き な 木 の 一五 mか ら 一七 mほど の高 さ に畳 が 引 っ掛 か って いる。. 息 子 は仕 事 を や め るよ う に言 って い る。 年 な の でや め よう か と思 って い る。 政 府 の支 援 だ と 五年 間 仕 事 し て返 済 し て いか な いと いけ な い。. 謝.

(33) 津 波の記 憶. 六. 田尻 地 区 の行 事 は す べ てや って いな い。 学 校 の行 事 だ け や って い る。. 福島県相馬市. 相 馬 市 の 松 川 浦 は 景 勝 地 と し て 知 ら れ て い た 。 松 川 浦 に 面 す る 尾 浜 地 区 に は 旅 館 が 多 い。 平 成 二 四 年. (二 〇 一二 ) 一 一月 に 相 馬 市 を 訪 れ た 。 旅 館 を 経 営 す る 久 田 浩 之 氏 (三 〇 歳 ) は 、 津 波 の体 験 を 以 下 のよ う に 語 る 。. 尾 浜 も 津 波 が き た 。 津 波 はな め て いた 。 寝 た き り の じ いさ んが い る の で逃 げ な か った 。 おぼ あ さ んも 一緒 に逃. 329. げ な か った 。. 丘 の 向 こ う が 尾 浜)(2012年11. 月 撮 影). \\ 嚇. 原 釜 (尾浜 の北 側 の地 区 で外 海 に 面 し て い る) は津 波 で 家 が 流 さ れ た (写真 43 )。 = 一 〇 人 ぐ ら い亡 く な って. 波 が通 っ た跡(船 越 と呼 ぼ れ る 原 釜 と尾 浜 の 中 間 地 点 付 近) (2012年11月 撮影) ▲ 写真44津. 真奥に見える 釜 の 集 落 跡(写 ▲ 写 真43原.

(34) い る。 引 く 波 と次 に来 た 波 が ぶ つか って、 山 を越 え て 亀 屋旅 館 のほう ま で来た。 津 波 は細 い道 を通 って き た (原 釜 か ら 尾 浜 に 抜 け る に は 小 高 い丘 を 越 え る 。 そ の あ た り を 船 越 と いう )。 そ こ は何 も な く な って いる. 330. (写 真 44 ・45)。 旅 館 は玄 関 ま でき たが 、 被 害 は な か っ た 。 灯 台 (鵜 ノ 尾 崎 灯 台 ) のあ た り に山 が あ った の で こ こ に は 直 接 こ な か った 。 津 波 は砂州 も越 え てきた。 砂 州 はず たず た で 通 れ な い (写 真 46)。 深 く え ぐ ら れ て い る。 景 色 の き れ いな と こ ろ だ ったが 、 見 る と ころ は な く な った。 湾 の奥 に あ る. 馬市 松川 浦. 地 図8相.

(35) 津 波の記 憶. コンビ ニのあ た り ま で波 は入 った 。 湾 の左 側 は手 つか ず にな って い る。 松 が た ま って いる。 右 側 の ほう は松 を 撤. 去 し た 。 も と も と は 自 然 の砂 州 だ った 。 砂 州 の間 に海 と の通 路 が あ った が 、 そ こを 埋 め て、 灯 台 のあ た り の山 を. 掘 って、 船 が 通 れ るよ う に した 。 津 波 の前 に、 灯 台 の下 の辺 り に港 を 作 った 。 それ ま で は、 砂 が 出 た り入 った り. し て いたが 、 港 を 作 った の で砂 が 入 ら な く な って いた。 ア サ リ 、 ホ タ テ、 ク ロノ リ な ど が 育 た な く な って いた 。. 津 波 のあ と 、 一年 ほ ど 海 の水 が 入 った の で、 湾 の中 が よ み が え った 。 アサ リ 、 ホ タ テ、 ク ロノ リ が 育 つよ う に. な った 。 と こ ろが 、 川 が 流 れ 込 ん で い る付 近 で セ シウ ム の数 値 が 高 く 出 た 。 今 は砂 州 の と こ ろ に、 石 を 入 れ て海. と 隔 て るよ う にし た 。 漁 業 は試 験 操 業 を し て い る。 震 災 後 に捕 って いな か った の で、 いろ いろ捕 れ る。 検 査 を し て 一部 売 って い る。 収 入 は国 に入 る の で、 漁 師 はや る気 が 出 な い。. 旅 館 は 一か 月 ほ ど し て再 開 し た 。 仮 設 住 宅 を 作 る 人 た ち を 泊 め た 。 最 初. に 泊 め た と き は、 ま だ 電 気 が き て いな か った。 昼 間 働 い て、 暗 く な った ら. 寝 る だ け だ った。 テ レ ビ も な か った 。 スー パ ー に食 べ るも の が 売 って いな. いの で 、 食 事 を 用意 でき な か った 。 支 援 物 資 の カ ップ ラー メ ンを 出 し て い. た。 食 堂 で 一緒 に食 べ て い た。 電 話 は 四、 五 か 月 し てか ら 通 じ た 。 火 力 発. 電 所 も 津 波 で破 壊 さ れ て燃 え た 。 これ を 壊 し て 、 作 り な お し た 。 五 〇 〇 〇. 人 規 模 で 工事 関係 者 が 来 た。 火 力 発 電 所 の 関係 者 を ず っと泊 め て いた 。 今. は 少 な く な って いる 。 原 発 は 五 〇 キ ロあ る の で、 原 発 の関 係 者 は 泊 って い な い。 除 染 の 人 た ち は泊 って いた 。. 磯 部 は こ の あ た り で 一番 被 害 が ひど か った 。何 も な く な って いる 。. 謝.

(36) -. 七 豊間. 福 島 県 いわ き 市. いわ き 市 豊 間 は、 昭 和 初 期 に行 わ れ た 海 村 調 査 の際 に は 、 山 口弥 一郎 が 訪 れ た 地 区 であ る。 山 口は 柳 田 国 男 に 津 波 を 民俗 的 に調 査 す る こと を 勧 め ら れ 、 昭 和 一〇年 (一九. 332. 三 五) 以 降 に意 識 的 に 津 波 の ことを聞き取りを した人物 で あ る。 こ の山 口も 昭 和 一四 年 (一九 三 九 ) に 豊 間 で 聞 き 取 り を し た 際 に は、 以 下 のよ う な こと を 聞 いた だ け であ っ た。 何年 頃カ ワカラヌガ、正 月 七 日 ニア ッタ ト イ フ 十 月 二十 日 ノ エビ ス講 二、 四十 年 前 家 ガ 流 サ レ ナ. わ き市 豊 間、 中之作. 地 図9い.

(37) 69801(CS2)tanaka07藤井.indd. 333. 2013/09/09. 21:04:24.

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(40) 川 町 の浜 口梧 陵 が 稲 藁 に火 を つけ て住 民 を 避 難 さ せ た 話 ) を 習 って いた 。 津 波 は必 ず 来 る と思 って いた。. おわり に. 民 俗 調 査 では さ ま ざ ま な 生 活 にか か わ るお 話 を う か が う 。 しか し、 意 識 を しな いと薄 い内 容 し か聞 き 取 る こ とが. で き な い。 筆 者 は東 北 以 外 で も 多 く の沿 岸 地 域 を 回 って き た が 、 と く に東 日本 大 震 災 後 、 そ の こと を痛 感 し て い. 明 日 への 一歩. 卜。O= 畠 ωヒ 東 日 本 大 震 災. 岩 手 の記 録 H﹄ 岩 手. る。 津 波 に限 ら ず 、 人 々が 災 害 にど のよ う に向 き 合 ってき た のか を 考 え るた め に、 災 害 の民 俗 と いう も のを 強 く 意 識 し て いく 必 要 を 感 じ て い る。. (参 考 文 献 ) ﹃大 津 波 復 興 への 証 言. ﹃津 波 のま ち に 生 き て ﹄ 冨 山 房 イ ンタ ー ナ シ ョナ ル. 二〇 一. 二〇 一二. 岩 手 日報 社 編 日報 社 川島秀 一. (付 記 ). 東 日本 大 震 災 前 の聞 き 取 り 調 査 、 お よ び 写 真 撮 影 は、 平 成 一 一年 (一九 九 九 ) 五 ・八 ・九 月、 平 成 一二年 (二〇. - 柳 田国 男 主 導 ﹃海 村 調 査 ﹄﹃離 島 調 査 ﹄ の追 跡 調 査 1 ﹂ に よ る調 査 であ った。 震 災 後 、 平 成 二 四. 〇 〇 ) 七 ∼ 八 月 に筆 者 が 実 施 した も の であ る。 これ は、 成 城 大 学 民 俗 学 研 究 所 の研 究 プ ロジ ェク ト ﹁沿 海 諸 地 域 の 文 化 変 化 の研 究. 年 (二〇 一二 ) に は 、 近 畿 大 学 民 俗 学 研 究 所 のプ ロジ ェク ト と し て、 三 月 ・八 月 ・ = 月 に 東 北 沿 岸 部 を 回 った 。. な お 、 調 査 の 一部 に、 近 畿 大 学 平 成 二 一 二年 度 卒 業 生 の奥 村 芙 美 氏 、 水 口小 百 合 氏 、 山 下 洋 平 氏 も 同行 し た。 お話 を. 鰯.

(41) 津 波の 記憶. う か が った 方 々 に感 謝 す ると と も に、 被 災 にあ わ れ た す べ て の方 々 に哀 悼 と共 感 の意 を 表 し た い。 一日も 早 い復 興. を 祈 り つ つ、 こ のた び の震 災 を 忘 れ る こと な く 、 自 分 自 身 が 次 世 代 に伝 え て いく こ とを 肝 に銘 じ て おき た い。. な お 、 写 真 に つい て は、 注 記 のな い限 り はす べ て筆 者 の撮 影 であ る。. 337.

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参照

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