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La mort à Venise Mann, Visconti et Proust /Takaharu ISHIKI

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Academic year: 2021

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Title

fulltext )

Author(s)

石木, 隆治

Citation

東京学芸大学紀要. 人文社会科学系. II, 58: 69-86

Issue Date

2007-01-00

URL

http://hdl.handle.net/2309/65574

Publisher

東京学芸大学紀要出版委員会

Rights

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ヴィスコンティの『ベニスに死す』はよく知られているようにトーマス・マンの同名の作品の映画化であ る。しかもこの比較的短い小説をかなり忠実に再現しており,ヴェネツィアといういわば魔法の都市の片隅の 小さな島にある豪華ホテルを主要な舞台として展開する,同性愛の思いに満ちた精神のドラマを巧みに映像化 していることはいうまでもない。しかしながら,これも当然のことながらいくつかの細部,細かいといえば細 かいが,いくつかの細部に関してかなり重要な変更を加えていることも確かである。そうした変更は,もちろ ん文字で書かれた作品を映像に移し替えるにあたって必要であったのだが,また同時にヴィスコンティがこの 作品に持ち込んできた彼独自の思いを表しているものもあるわけである。ヴィスコンティは青年期を過ぎてか ら,ドイツ文学に傾倒し,同じ同性愛者としてトーマス・マンには私淑していたが,しかしそれでも彼にはマ ンとは異なった彼固有の思いがあったことは当然である。そうした彼の思いは奈辺にあったのだろうか。 また,そうした変更は具体的にはどんな点で,どのように行われたのであろうか。そのような点を追求する ことにより,ヴィスコンティはこの作品に自己のいかなる思い,いかなるあり方を込めたのか,そういった ヴィスコンティ独自のものを探り当てようというのが,拙論の野心である。 もうひとつ,これに関連して厄介な問題がある。実はヴィスコンティはこの『ベニスに死す』とほぼ平行し て,『失われた時を求めて』の映画化の計画を持っていたが,そのためにこのプルーストの作品と(というか, その映画化のプラン)と『ベニスに死す』はなにがしかの相互浸透を起こしている,という面がある。それは, さまざまなエピソード上の浸透と言ったレベルを超えて,この『ヴェネツィアに死す』という作品と『失われ た時を求めて』という作品の一部が海辺の豪華な避暑地で展開するという一致点を持っていること,もっと言 えばマン,ヴィスコンティ,プルーストが同じ世紀末的な文化を吸って生きたことに由来する。この問題は, かなり膨大な,そして忍耐強い作業を強いるものであるが,その突破口となる議論をある程度展開してみたい と考える。 第1章 まず,この『ベニスに死す』という映画作品におけるストーリー上の変更について吟味してみたい。 1,監督はこの作品の主人公が原作では文学者であったのを音楽家に変更している。これはもともとマンがこ の小説を構想するにあたってなにがしかマーラーからインスピレーションを得たことから,作品の源泉に立ち 戻ったと言うことさえ出来る。マンは11年のマーラーの死から大きな衝撃を受けて,この作品に着手したとさ え言われている。実際,ヴィスコンティはこの映画のシナリオを作成するにあたって,マーラーの伝記を読 み,またマンの『魔の山』等から,いくつかの重要な要素を借りてきているのである。なぜなら,『魔の山』 の主人公は作曲家だからである。しかしながら,マーラーはヴェネツィアで死亡したわけではないし,同性愛

『ベニスに死す』――マン,ヴィスコンティ,そしてプルースト

地域研究

**

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6年8月3

1日受理)

La mort à Venise―Mann, Visconti et Proust / Takaharu ISHIKI ** 東京学芸大学(184―8501 小金井市貫井北町4―1―1)

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的な志向があったようには思えない。従って,マンがマーラーからインスピレーションを得るものがあったと すれば,それは作品のなにか根本のところにある精神のようなものである。 小説家を音楽家に変えるという大きな変更の主たる原因は小説を映画に移す必要があってのことだろう。つ まり本作品のように主人公の内面的な葛藤が大きなテーマとなっている作品にあっては,小説ならばそうした 内面の葛藤をそのままたんたんと文字に移していけばよいことだが,映画の場合にはそうした葛藤を具体的 な,外的な事件を通して表現しなければならないからである。そのためには,指揮者を兼ねている作曲家を登 場させ,その演奏会の失敗などを通じて,彼の方法的な行き詰まり等を表現することは非常に具合のよい解決 方法であったことだろう。言いかえると,マンが『ヴェネツィアに死す』の創作に当たってマーラーから得た なにかエッセンス的なものを除くと,ヴィスコンティが映画の製作にあたって,マーラーの未亡人の回想記な どから得たものは,たとえば子供の死,心臓病などきわめてエピソード的な要素であり,作品の骨格に関わる ものではないと思われる。 2,主人公の家庭状況が決定的に異なっている。マンの原作では,主人公は「まだ若いときに学者の家の出の 娘と結んだ結婚生活はつかの間の幸福な時期ののちに,妻の死によって破れた。あとに残ったのは娘が一人だ が,これはすでに人妻となっている。息子はもったことがなかった」1小説『ヴェネツィアに死す』のなかで家 族に触れている箇所はこれだけであり,言いかえればこの小説の中では,主人公の家族はいかなる意味ももっ ていないということである。さらに言いかえれば,このような設定はマン独特の「市民」対「芸術家」という 図式にのっとっており,アシェンバッハの日常生活が典型的な市民性を持っていたことを物語っている。 これにたいして映画の中では若き主人公がババリアの別荘で若く美しい妻と,また娘と三人で平和で楽しい 別荘生活を過ごすシーンが展開するが,その後娘はチフスで死亡している。このことが彼の心にある悲嘆の感 情の大きな要因となっていることは言うまでもない(細君はどうなったかの説明はない)。こうした要素は映 画の中ではやや挿話的に作品の途中で説明されるのみであるが,小説では冒頭で語られる。 またそればかりではなく,原作で主人公は小説家としていくつかの秀作を書いたおかげで世間的には大きな 評価を受け,56歳の誕生日には皇帝から爵位を受け,フォンの貴族の称号をもてるまでになっていた。しか し,創作活動のほうはしばらく以前から行き詰まり,彼は方法的な停滞を感じていたのである。小説家の市民 生活が世間的には得意の絶頂にあるにも拘わらず,彼の内面には空漠たる風が吹き始めているのである。一方 映画では,主人公は冒頭から疲れ果て,死を抱え込んでいきなり登場してくる。したがって読者=観客が主人 公に最初に接する時の印象がだいぶ異なってくる。これについて,ヴィスコンティは,マンの原作の冒頭の主 人公紹介を忠実に映画に再現すると,それだけでだいぶ時間を取られてしまうことを挙げているが,それだけ ではあるまい。 3,旅出ちの理由,ヴェネツィアにやって来た理由が異なっている。小説の主人公は毎夏,当時のドイツの中 産階級の習慣として避暑に行くのだが,実は彼は山の避暑先が嫌いで場所の変更を考えていた。ところがある 日,ミュンヘンの街角でみすぼらしい身なりをした放浪者にであい,旅立ちの思いに強く心をゆさぶられて旅 にでるのである。しかし,ヴェネツィアに到達したのはまったくの偶然であった。当初トリエステに行き,次 にユーゴのポーラ,次いでイオニア海のブリオーニ島というように逗留にふさわしい場所を求めて彷徨した が,そうした土地の雰囲気,観光客の様子が気に入らなくてヴェネツィアにやってきたのである。ヴェネツィ アも,ここに落ち着く覚悟があって訪れたのではなく,よいと思わなければいつでもまた旅立つくらいのつも りでやって来たに過ぎない。つまりヴェネツィアに定着する必然性はなにもなかったのである。実際この小説 には,旅立ち,放浪のイメージが満ちており,作品中のこのミュンヘンの放浪者のほかにも,船上の化粧した 老人,辻音楽師のグループなども,実は放浪と異様のイメージを喚起するために使用されているように思う。 これに対して,映画の方では旅行というよりは,ヴェネツィアの場所のイメージが重要であることは言うまで もない。 こうした要素は映画の中でも失われてはいないが,映画ではやや他の要素が加わっているように思われる。 ヴィスコンティの映画の中では主人公がヴェネツィアにやってくるのは第一義的には重い心臓病を患って休養 のためなのだが,その背景には娘の死とそして彼の作る音楽作品の方法的な行き詰まりの問題がある。つまり

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原作の主人公はある意味,気楽なヴァカンス気分でヴェネツィアにやってきだけである(少なくとも,彼の内 面についてははっきりとは言及されていない)のに対して,映画の主人公は冒頭から,深い悩みと病苦を しょって療養のためにやってきたのである。世俗的な失敗と死のイメージを引きずってやって来たのである。 言いかえると文学作品にあっては,マンのごく短い原作のなかでもかなり大きな心情の変化があり,主人公は 次第に死の淵へと引き込まれていくのに対して,ヴィスコンティは2時間余の映画の中ではそうした変化を示 すことは無理だと考えて,最初から死のイメージをほぼ全開にしているのである。 4,前項と関係するが,主人公は途中でいちど気に入らないことがあって,ヴェネツィアを離れようとする が,駅に荷物が届かず,出発を断念するエピソードがある。これは原作では前日,ヴェネツィアの街に出かけ て,その街の退廃ぶり,混乱ぶりに辟易して,旅立ちを決意するのである。映画の方でも出発の理由はなにも 言葉では説明されていないので必ずしも明確でない。しかし,映画の中でこの出発を決意するまでの流れを見 てみると,さまざまなかなり直截な表現をみることができる。エレベーターの中でタジオ少年に出会い,強く 惹かれた後,部屋に戻ると妻の写真を眺めて気を静めようとするが,それもうまくいかず激しくものを叩く。 彼はすでにかなり激しているのである。そうして出発の前の晩に支配人に会計を求めるシーンの直後に回想 シーンが入り,友人が「おまえは逃避するのか」というのである。つまり彼は少年の美に惹かれながらもその 美によって破滅させられることを恐れて出発するように受け取れる。つまり,主人公はすでにこの段階で,自 己の破滅を予測していることになる。翌朝,ホテルでの朝食中にせき立てられて,突然怒り出すのは,タジオ を一目見てから出発したいからである。また,荷物がコモ湖方面に行ってしまったことを知って,リドのホテ ルに戻るとき,主人公はゴンドラのなかで回心の笑みを浮かべること,またホテルに戻ってから部屋から浜辺 の少年に手を振ること(これは心象であって,現実でないように思えるが)などから,彼の思いは明らかであ ろう。また,ヴェネツィアの駅で荷物のせいで帰国を断念するシーンで倒れる乞食が一瞬映し出される。この エピソードは原作には存在しない。もちろんこれはリド島への帰還が死を意味することを端的に物語っている のである。 これはヴィスコンティ自身が言及していることだが,彼はマンの原作でヴェネツィアの町中での体験が原因 でこの街を離れるようにしているのは単なる口実であって,ほんとうはやはりタジオの存在を恐れたからでは ないか,と述べている2。そして映画ではそういった口実,自己欺瞞などの面を忠実に再現している余裕はな い,と。実際にはマンはヴェネツィアの街の混乱を口実にしているが,ほんとうはアシェンバッハの出発の本 当の理由はタジオにあることをほのめかしている。マンの書きぶりは以下のようである。 アシェンバッハはうるさい催促を追い払ったのを喜びながら,ゆっくり食事を終え,そればかりか,給仕に 新聞をもって来させた。彼がいよいよ腰を上げたときには,時間はほんとうに切迫していた。偶然にもその 時,ちょうどタジオがガラス戸の所から入って来た3 つまりこの小説は,かなり物事を遠回しに示しているところがある。作者が主人公と距離をおく,という か,主人公が気が付かない内面の真実を作者自身もはっきりとは言わずにほっておくようなところがある。 5,これと関係するが,主人公は小説ではコレラで死亡するのに対して,映画では心臓が悪化しての死亡であ る。つまり原作では,比較的気楽な旅行者としてやってきたのにヴェネツィアで美少年の虜になって,居残っ たために予想通りコレラにかかって死亡する,という構図になっている。それにたいして,映画の方ではもと もと悪かった心臓が悪化しただけのことである。映画作品では,原作の構図(美のためには死をも賭す)とい う図式はそのまま温存しながらも,冒頭から存在した重苦しい死のイメージを完結させたと言うことであろ う。 このようにストーリー的にはあまり大きな変更がないように見えても,実はある重点の置き方の移動があっ て,マンの原作では,少年の美のために次第次第に命も賭けていくというような,ある意味英雄主義的な主張 があり,また作品途中で盛んにギリシャ時代の詩編を引用するなど,同性愛に対して正面切って擁護的であ る。周知の通り,ギリシャ時代にはひろく同性愛がおこなわれた。しかし,このようにギリシャ古典を頻繁に

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引用することは作品自体にある種衒学的な色彩を帯びさせ,小説家アシェンバッハの思いになにやら自己満足 的な肯定感を与えているところがあり,それを作者が笑っているようなところがある。これに対して,映画の 方では,冒頭から死のイメージが横溢しており,もっと重苦しく,またもっと不安に満ちている。それは同性 愛に対する態度でも同じである。必ずしも一方的に擁護しているのではなく,このように町中で美少年をス トーカーのように追い回している自己を笑っているところがあるのである。 6,映画の方のシナリオではシーン81として,「ミュンヘンのディスコ,《ブローアップ》」のシーンが予定さ れていた。これは原作の「ワルプルギスの夜」に対応するもので,具体的には洞窟に通じる長い階段を下りて いくと,長い道のりのあと,放縦な群衆が乱舞する底に出る。このなかは煙がもうもうとし,その中をサイケ な光線が引き裂くのである4 これは,『地獄に堕ちた勇者ども』のなかの《長いナイフの夜》に対応する,ヴィスコンティ好みのオージー パーティの類である。しかし,このシーンは最終的には削除された。作品の雰囲気を考えれば,このようなグ ロテスクなシーンの削除は当然であろう。そしてその代わりにコンサートでの大失敗(F−XII)が挿入される ことになる。 第2章 このようなストーリー上の変更を保証するものとして,映画のシーンに原作にはないもの,また原作ではご く簡単に触れているだけだが映画では重要な広がりを持って撮影されている箇所がある。そうしたもののなか でめぼしいものだけを追ってみると――, A,冒頭のシーン。宵闇の何も見えない画面のなかでマーラーのシンフォニー五番のなかのアダージェットの 楽章が滔々と鳴り響く中,画面がやや明るくなってきて,そのうちに(観客から見て)左手に煙らしいものが たなびいているのが見える。カメラが左にパンして,船らしいものの存在をとらえる。背景にはうっすらとし た朝焼けの赤い空が拡がっている。船は次第次第に大きくなり,ついには画面の中央に位置し,画面いっぱい に拡がった後,また小さくなり,画面の左手へと去っていく。船と海とが薄明のなかで溶け合って忘れがたい 印象をいきなり残す。そうして甲板の肘掛け椅子に座って毛布に包まれ,読書をするでもなくぼんやりとして いるアシェンバッハのなにやら悲しげな姿。その後の化粧した老人,悪魔の手先のようなゴンドラ乗りは原作 と同じである。同じであるが,冒頭の圧倒的な音楽と海の風景のせいでその持っている意味がいささか異なっ てくる印象がある。マンの原作ではすでに見たように,主人公はとくにどうという感情もなしにヴェネツィア に足を踏み入れたのである。そこで,ヴェネツィアという魔法の国のやり方にたじろがされただけのことであ る。 ヴェネツィアは15世紀に最盛期を迎えた後,18世紀以降は没落して,その後は主として観光で食べて行かざ るをえない街であるから,観光客を喰い物にしていろいろな悪さをする連中が多数跋扈するような土地柄であ る。そのことはトーマス・マン自身がはっきり意識していて,作品のなかで「観光客を物産品の店などに連れ 込もうとするゴンドラ乗り」と言って,21世紀の現在までも続く搾取行為に言及しているほどである。また, これはマン自身の体験に基づくエピソードであるらしい。旅行者は到着当初,神経質になっているのは当然の ことであって,そうした観光客を喰い物にしようとする行為には敏感に警戒するのは当然である。また,ヴェ ネツィアは時代によっては一年の半分をカーニバルで過ごしたとも言われるほどに祝典のまちで,この町では 仮面と化粧がまったく日常の行為であるから,となり町からやってきたこの老人が過剰反応して毒々しい化粧 をすることも理解出来ないこともない。いいかえればトーマス・マンの作品で冒頭に表れる老人とゴンドラ乗 りはそれ自体としてはせいぜい,ヴェネツィアの異様さを印象づける役割を持っているのであって,それがも つ本当の意味は,のちのちになって明らかにされていく。この小説は次第次第に認識が進化していくような作 りをしているのである。 映画の中ではこうした冒頭の闇,圧倒的な海の印象,そうして跳梁する小悪魔たち,さらにはマーラー5番 のアダージェットによって,なにやら死の国へやってきたという印象を与えることになる。なお,マーラー5 番のアダージェットは,葬送曲であることを確認しておきたい(筆者は1985年にパリのパリ管の定期演奏会で 当時主任指揮者であったダニエル・バレンボイムの指揮でこの曲を聴いたことがあるが,このとき指揮者は演

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奏に先立って,「この曲は数日前になくなったルービンシュタインを追悼するために急遽演奏するものであっ て,演奏後も拍手をしないように」と口頭で観客に訴えてから,演奏を開始したのである)。こうした葬送曲 のごく短いモチーフを繰り返し使用することによって,観客はすぐこのメロディーに慣れてしまいこの曲を受 け入れるし,まるでワーグナーのライトモチーフのようにこの曲が繰り返し鳴り響くシーンではその死のイ メージを受け入れることになる。またこうした諸要素の混交によって,この映画は現実をリアルに再現してい るのではなくて,なにか非現実的な夢想と死の空間を描いているという圧倒的な印象を与えることになる。 こうしたライトモチーフ的な楽曲の使用というテクニックはヴィスコンティが愛用したものであって『夏の 嵐』ではブルックナー8番のある一節を反復使用することによって,作品のなかの「あこがれ」「不安」といっ た気分をうまく表現しているし,『山猫』ではニーノ・ロータの手になるモチーフが反復使用されている。 つまりヴィスコンティの作品『ベニスに死す』にあっては,冒頭からそのテーマが全開状態で提示されてい るということになる。ヴィスコンティは映画という芸術の性格上,それが必要であると考えたかのようであ る。また,そのためにこの作品は冒頭からただならぬ緊張感を持つこととなった。 B,この豪華ホテル,オテル・デ・バン(原作ではエクセルシオール)はリド島に実在するホテルであるが, このホテルのサロンのもつ圧倒的な印象は映画だけのものである。小説上ではこのシーンではアシェンバッハ が夕食のために階下のレストランにおりていくと,時間が早いせいでまだ食堂があいていなかったので,サロ ンで新聞を読みながらまっている途中でおなじサロンにいる美少年を発見する。そうして,その三人の姉妹た ち,家庭教師を描写し,最後に遅れて入ってくる母親の上品なものごし,豪華な真珠をあしらった衣装に気が 付く,ということがごくそっけなく書いてあるのみである。 つまり(プルーストの場合もそうだが)ヴァカンス地を舞台とした作品では主要な登場人物を読者,観客に 巧みに紹介するということが重要な仕事になるが,ここでは主人公がサロンで夕食を待っている間に,英国, フランス,ロシア,東欧諸国など,様々な人種のひとたちが一堂に会して食事をまっているシーンを表現する ことによって,主要な役者たちを一挙に紹介してしまおうというのである。こうしたやり方は原作でも映画で もかわりない。また映画のシナリオを見ると,原作の記述を忠実に使用している(いろいろな人種が混交して いる,スラブ系が多い)ところもあるほどにヴィスコンティはマンの意図をそのまま流用しているのである。 しかしながら,ここで注目すべきなのはこうした人物たちを紹介する場となるサロン自身がある意味では重 要な登場人物である,ということであって,その点は原作には見て取ることができない。サロンは非常に贅を 尽くしたつくりであり,至るとところに大きな青磁の花瓶いっぱいに飾られたピンクの紫陽花の花花,また アールヌーヴォー調の大きなランプが天上からつり下がり,またテーブルに載っている。そうして夕食のため に正装して集った人々。1905年に大ヒットしたレハールのメリー・ウイドウの甘ったるい調べが楽団によって 奏でられているが,なにやらへたくそな演奏ぶりである。そうした人々の間を縫って主要登場人物たちが順番 に登場してくるのである。まず,アシェンバッハその人。彼は右手の奥から登場して画面を左に横切ってい く。そのためにサロンの中の上に述べた人々,家具,装飾の全てを観客は見せられることになる。彼はサロン のどん詰まりまでは行かず(そこにはタジオが座っているから)右へと反転して,人々の間をかき分け,新聞 を取り,やっと席を見つける。このように画面の右手から登場して,左へ,右へとずっと移動していき,キャ メラもそれを追って左へ,右へとパンしていくという動きがこの映画の一貫したスタイルであって,作品冒頭 シーンの船エスメラルダ号の動きもそうである。必要に応じて,登場人物は右へと反転し,キャメラもそれを 追っていく。この映画が製作されたのは1971年であり,当時流行し始めていたシネマスコープの幅広画面の登 場にあわせてこうしたテクニックを採用したのかも知れない。また,マーラーのアダージェットの反復使用と 同様に,類似のテクニック(左右へのパン)をたえず使用することによって観客をこの映画のもつスタイル, リズムに慣れさせてしまう働きがあるのであろう。 ところで,ヴィスコンティの師にあたるジャン・ルノワールは 『トニ』は,私が個人の優位という観念から訣別するのを早めた。互いに結びつきをもたない人間たちがば らばらに住んでいるだけの世界には,もはや私は満足できなかった。(中略)キャメラのパンを多用して, なるべく登場人物同士,また登場人物と周囲の状況を明確に関連づけることに意を用いた5

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と自伝で述べている。ヴィスコンティはこうした教えにきわめて忠実に,カメラをパンさせて,このホテルの 着飾った人々と,立派であでやかな調度を相互に浸透させあっているのである。 そのあと,当然にも少年のアップ。これはいうまでもなく,アシェンバッハの意識がこの少年に強く向けら れたことを物語っている。その直後には,なかば口を開いて目を見開いたアシェンバッハその人が写される。 このように,本作品にあってはキャメラは主人公の意識と密着したかたちをとっているのである。こういう撮 り方もルノワール的である。 そのあと,キャメラは少年とそのあまりさえない3人の姉妹たち,フランス人の家庭教師を映す。このあた りは原作とまったく同じことを言おうとしているようだ。その後,食事が始まって他の人々が食堂に移り,サ ロンはがらんとしてしまうのに,この家族だけは待っていると,そこにいよいよ母親が登場するという設定は 原作とまったく同じである。母親はアシェンバッハと同じように右手から登場してサロンの上述の様々な小道 具のあいだを横切って来る。この女性は原作では「灰色のドレスを身にまとい,政府の高官夫人と言っても良 いような高価な真珠をたくさん身につけている」と描写されているだけだが,映画ではもっと圧倒的な印象を 与える。夫人役のシルバーナ・マンガーノはすばらしい淡いピンクのドレスに身を包んでおり,またその輝く ようなブロンド,細くとがった鼻の美貌である。しかしながら,夫人の美貌をさらに引き立てているのは,彼 女が横切ってきたサロンのあじさいの花々,大きなランプ等であって,またこのサロン自体もこの美しい夫人 の存在によって引き立てられているのである。つまり作品冒頭と同じようにここでも音楽と視覚的な要素の, そして夫人と花という視覚的な要素同士の共感覚的な働きが認められる。このようにこのサロンとそこの調 度,そうしてそこに集う人々の姿は,世紀末からベル・エポックにいたる一次大戦前のヨーロッパのもっとも 華やかであった時代の華麗ぶりを見事に表象化していると言うことができるだろう。またヴィスコンティとし ては,こうした最高の豪華絢爛をここで示さねばならない必然性があったのである。というのはこうした豪奢 美が現代の「存在するだけで美しい」美の要素であって,それがアシェンバッハのドイツ中産階級の教養主義 的な美学観の解体をせまる要素となるからである。 このタジオ一家はなにがしかはかつてこのホテルに避暑に訪れたことのあるヴィスコンティ一家でもあるだ ろう。ヴィスコンティ一家の写真で,男の子はルキノだけであり,4人の女の子と母親が写っている写真が残 されているからである。 もうひとつ,このシーンで注目すべきはタジオが肘掛け椅子に肩肘を掛けて母親を待っているシーンがある ことである。実はアシェンバッハは正装してサロンに降りてくる前にホテルの部屋で,部屋に飾った妻と幼い 娘の写真に入念なキスをするシーンがあるのだが,その写真の娘はまるでベラスケスの王女のように幼い両肘 を肘掛け椅子の上に不自然に載せているのである。つまり,タジオはここでは亡き娘の記憶となにがしかオー バーラップしているのである。タジオは主人公を破滅へと誘う死の天使であるが,また同時に子どもという神 聖な存在性を体現してもいる面もあることを忘れることができない。 このようにキャメラが左右にパンすることによって,その場の雰囲気をうまく伝えることは,この作品のな かで他の場所でも行われている。たとえば,アシェンバッハの到着の翌日,タジオの一家らが浜辺で戯れる シーンなどにも使用されている。ここでは「タジオ」の名前が「タジウ」「タッジュー」などと聞こえていて, その音のバリエーションが主人公の耳に心地よく響くと同時にタジオという少年の家庭的な,そして親密な性 格を明らかにするのだけれど,それと平行して,キャメラは例によって浜辺を右から左にパンし,タジオの存 在を捕らえる。そして,今度は右にパンして鬼ごっこを楽しむタジオを写し,それを追いかけて転倒する家庭 教師のユーモラスな姿を写すのである。ここでは,そうした浜辺のタジオの一家ばかりでなく,このプライ ベート・ビーチに集った様々な人種の人々の家庭的な饗宴が繰り広げられるのである。浜辺のこうしたあり方 を撮るのにパンという方法は非常に具合のよいテクニックであるだろう。 C,おなじく共感覚的な働きの作用が露骨なまでに示されるシーンとして,娼婦エスメラルダとの出会いの シーンがある。この有名なシーンは原作にはなかったもので,また当初のシナリオではこの位置になかった が,編集段階でこの位置に据えられ,タジオが「エリーゼのために」を演奏するシーンと結びつけられた。こ こは言うまもなく,タジオの演奏を契機として,このババリアの娼館で同じ曲を弾いていたまだごく若い娼婦

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のことを思い出すシーンであるが,ここはまたヴィスコンティ自身が明言しているようにこの娼婦という存在 の喚起を通して,アシェンバッハのタジオへの思いが必ずしもプラトニックなものだけではないことを,ほん のちらっと示唆しているシーンでもある。ちなみにこの若くて童顔の娼婦がエスメラルダという名前で,主人 公を作品冒頭でのせている船と同じ名前をもっていることはよく知られている。この船がヴェネツィアという 地獄に主人公を引きずり込もうとしているのと同じように,娼婦エスメラルダもまた主人公の手を強く握っ て,性の蠱惑の世界へと引きずり込もうとしているかのようである。 ヴィスコンティにあっては,愛してはならないヒトを愛するということが主要なテーマとして登場する。 『郵便配達は二度ベルを鳴らす』では恩のある雇い主の妻を愛し,性の淵へと沈んでいく。『熊座の淡き星影』 における弟姉の近親相姦的な関係,その背後には母と義父が,父を亡き者にしたのではないかというハムレッ ト的な恐ろしい疑惑が浮かんでいる。『若者のすべて』では兄の恋人だった女性を恋人にする。そして兄は弟 の恋人を無理矢理犯す。『地獄に堕ちた勇者ども』では文字通り母を犯す。こうした物語はもちろんヴィスコ ンティの母親への近親相姦的な愛情の屈折した表れに過ぎないという退屈な結論に達することだろう。しか し,ヴィスコンティは一時期そうした欲望をあまりに露骨に示したことによって,かえって道を見失い,作品 の低迷を招いたように思われる。この『ベニスに死す』ではそうした情熱と同列に論じることはできないが, しかし,当時は肉欲の問題や同性愛は現在よりももっと強い禁圧化にあったことは想起されて良いだろう。た だ,『ベニスに死す』にあっては,可愛らしい娼婦の存在によってそうした欲望をごく遠まわしに見せるにと どめており,それによって作品に清潔感を与えることに成功しているということは言えるだろう。 D,すでに見たように,ふつうこの『ベニスに死す』に登場するホテルの支配人はプルーストから取られたと 言われている。この人物は慇懃無礼に客の相手をして,客によっては90度どころか,110度のお辞儀も辞さな い丁寧な対応を信条としているが,アシェンバッハのコレラに関する質問をはぐらかして真実を答えることは せず,当然にもこの滞在客の質問をはぐらかした後はきわめて不機嫌な顔をして立ち去る。 ところで,この人物はマンの小説では登場することはするが,ほとんど何の意味もない小柄な存在である。 この人物について,ヴィスコンティ自身,プルーストの『失われた時を求めて』の支配人のイメージを利用し た,と述べたことになっている6。たしかに『失われた時を求めて』のバルベックの章では,エメという名の 支配人が存在するが,これはこの『ベニスに死す』の支配人とはあまり似ているところがない。たしかにノル マンディーのホテルの支配人もなにやら恐ろしい権力をもった人物として,まだ若い主人公を恐れさせるのだ が,反対に映画の主人公アシェンバッハはこういう豪華ホテルに良くなれていて,不慣れなために従業員に怖 れを抱くことなどからはもっとも遠い人物なのである。それにプルーストのほうの支配人は根は善良な人物 で,最後には主人公の個人的な用事を務めるほどになり,逃げたアルベルチーヌをトゥーレーヌにまで迎えに 行ったりするのである。 ここのところは慎重に考える必要がある。ヴィスコンティの発言を正確に再現してみると マンとは逆に,虚言やどちらともとれるような言葉を吐く感じを出せる,少し口のうまい人物が私には必要 だったのです。つまり,マルセルのバルベックホテルの支配人をちょっと思い出させるような,典型的なイ タリアふうのホテルの支配人ですね7 つまりここでいっているのは,『失われた時を求めて』から若干のイメージを借りたということであって, おそらくこの直後から彼が製作を具体的に考えることになる『失われた時を求めて』のシナリオ作品の一部を 切り取ったとか,そういうことではないのであろう。 E,主人公はヴェネツィアの街でタジオをつけ回した後,井戸の脇で倒れ,疲労と絶望に泣く。そうして自己 の死を予感する。 これについてヴィスコンティ自身,こう言っている。

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たとえば主人公が一種のマリオネット,一種の繰り人形のように見え,音楽家が化粧する場面は(小説には それに照応するような場面はないが)パロディ風の調子がある。同じように彼がヴェネツィアを散策し,繰 り人形の糸をゆるめたときのように体をグラグラとさせて,井戸の脇にくずおれる場面で,私は押さえがた い哄笑を出すようにしたが,あれは主人公に対する皮肉の混じった一種の苦笑いのようなものである8 このシーンではすでにヴェネツィアは消毒のために火に包まれていて,それが地獄の炎を思わせるし,その 直後にはタジオ一家の出発と主人公の死を迎えるわけで,ここは単に主人公が弱っていき,死を予感するだけ であってもよかったはずである。この倒れて泣きながら哄笑するシーンはダーク・ボガートの提案で行われた という。そのために,この哄笑シーンはやや唐突な感もないではない9。しかしながらこのシーンによって主 人公は愛欲に溺れながらもきわめて明晰な意識をもち,自己の破滅までも冷静に見通していることが示されて おり,ある意味ではこれが作品を締めくくって,その後は付けたりだと言って良いほどに作品を要約している ように思われる。ヴィスコンティ自身は,こうしたことは原作の持っているパロディ性(たとえば,プラトン を盛んに引用するような)の映画的な等価物であると考えている。しかしながら,原作と映画では異なってい る点がある。原作で笑っているのは作者である。つまり主人公の滑稽さを笑っているのだが,しかし映画では 笑っているのは主人公自身である。つまりこの主人公は自己批評性を失っていない,ということなのだ。 F,この作品はどうみても同性愛的な志向を最後には何がしか肯定するにいたる物語として考えられるが,原 作ではそれが個人的な回心であると考えられるのに対して,映画ではなにか時代の展開,その時代の美学の大 きな展開と思わせるものがある。それは映画の中では,この展開はアルフリートとアシェンバッハとの間の理 論的な闘争,そしてアシェンバッハの敗北という形で展開するからである。また,こうしたある時代の終わり と新興の階級の勃興というテーマはヴィスコンティのお好みのテーマであり,そういう目で見ると『ベニスに 死す』も多々納得出来る点があるからである。『山猫』では,シチリアでの支配権が貴族からブルジョワに移 る様を描いたし,また『家族の肖像』のなかでも古典絵画に埋もれる教授の生活に闖入してくる新興のブル ジョワとヒッピーたちを描いた。こうした作品の中で特徴的なのは,二つの映画作品ともに古い階級の没落を 予言し,新興の階級の下品さを嫌悪しているのだけれど,しかし,同時に主人公は新興勢力の中にある種の魅 力があることを否定していないのである。 「時代が変わって,貴族の支配する社会から,ブルジョワの社会に移行する」という発想はおそらく,ヴィ スコンティにとっての個人的な感慨でもあり,またもっとも基本的な世界観でもあったろうが,それはまた ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』からきたものであるということもできるだるう。ヴィスコンティはこ の作品の助監督はしなかったが,ルノワールとの会話の中で,この作品の構想をさんざん聞かされていたので ある10 そうした基本図式をそのまま『ベニスに死す』に適応するのは危険かも知れないが,しかしながら,アシェ ンバッハの美学,芸術は人格の陶冶であり,また芸術の中にのみ美が存在するという考え方,またその論敵ア ルフリートがタジオの魅力を擁護して,現実と感性と,そして退廃を肯定する仕方には,新興階級の新たなあ り方,美を肯定するものである。 G,しかしながら,ヴィスコンティの映画の中で新たに付け加えられたものとしていちばん大規模なのはさま ざまに付け加えられたフラッシュ・バックの画面であることは言うまでもない。これらは数も多く,論じるべ きことも多いので,ここでまとめて論じてみたい。筆者の数え方では,こうしたフラッシュ・バックは7つ存 在する11。一部は上で説明した「新たに加わった要素」と重複しているものもある。こうしたフラッシュ・バッ クはいずれもかなり唐突な感じで登場することを特徴としている。フェイドアウトを入れたり,またモノクロ あるいはセピア色の画面によって回想シーンを示すことは通常映画でおこなわれるが,本作品では現在のホテ ル・デ・バンでの生活ぶり,つまり外部世界を写すのとまったく同じ資格で画面に登場してくるのだから,初 めて見た観客をかなり戸惑わせる要因となっている。それは本作が主人公の意識をそのまま追っていることに よるのだろう。つまり主人公の意識が過去を回想するときにはそれをそのまま映し出していることになる。 それでは,なぜ各フラッシュ・バックはこれこれの位置に置かれ,それが全体の流れの中でどう位置づけら

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れているのか,具体的に吟味してみたい。 G−I,ホテルの部屋に入ったアシェンバッハを映した後,ここでもやや唐突にミュンヘン時代のどこか演奏会 場の楽屋らしいところで,ソファに横になっている主人公を映し出す。おそらく心臓の発作で倒れたのであろ う。脇には友人であり,論争相手であるアルフリートが座っている。しばらくするとアシェンバッハはやや回 復した様子で長いすに座って,砂時計の思い出を友人に語る。自分が老境に入って,若い時代を必ずしも有益 に過ごしてきたばかりでない悔恨の思いの表白である。このシーンは,しかしながらヴェネツィアのシーンと は直接の関係はなく,かなり説明的である。この回想シーンによって,観客はなぜアシェンバッハがヴェネ ツィアにやってきたのか,わかるようにしてあるのである。 G−II,アシェンバッハがサロンで初めて見たタジオの美貌に驚嘆した後,食堂でタジオをちらちらと眺めて いるシーンでいきなりアルフリートとの論争の記憶が闖入してくる。ここでは食堂のシーンでタジオを映しな がらアルフリートの声がオフでかなり長い間続く。そこでかれが独自の理論を展開しているうちに画面が切り 替わって,ふたりの論争シーンが視覚的にも表れることになる。シナリオにはこう書いてある。「二人は純粋 美学の問題について論じているが,実際にはアシェンバッハが注視している対象について取り沙汰しているの である」12ここで,アルフリートは,美は芸術のなかにあるのではなくて,現実の中にあるのであり,それを感 性によって受け止めることが重要であるという。努力と勤勉に基づいた精神的な営為によって芸術家が美を練 り上げるのではない,といってアシェンバッハの創作態度を非難するのである13。ここで,「現実の中にある 美」というのがタジオのことを言っているのは明白であろう。ここでは主人公がタジオを見たあとの内面的な 動揺,葛藤を理論的に語っていることは,明かである。 また,このあたりではアルフリートはすでにかなり激しい調子でものを言っており,その葛藤がすでにかな り激しいことを物語っている。つまりここでは,まるで一目惚れのように主人公は混乱の中に巻き込まれてい るのである。また,原作でも「時間のかかるこの食事の間」に,アシェンバッハは「人間の美が生ずる必要な 法則的なものと個性的なものとの間の,あの神秘的なつながりのことを」14考えた,としていることからヒント を得て,この食事シーンに回想シーンをはさんだのであろう。しかしながら,マンの作品では全てが悠長に少 しずつ進んでいくのに対してヴィスコンティの場合には全てが単刀直入である。そしてアルフリートの態度は 例外的といってよいほど激越である。また,ヴィスコンティ自身は別のところで,原作ではパイドロスを数多 く引用して,さまざまな考察を加える箇所があるが,それに代替するものとして,「二人の音楽家の対話」を 与えてみた,と述べている15。しかしながら,それぞれの持っている雰囲気はかなり異なっている。原作にお けるパイドロスらの引用はかなり衒学的,学者的,自己肯定的であるのに対して,映画ではこのシーンは例外 的に激しく,その主体(アシェンバッハ)の深い葛藤,悩みをきわめてはっきりと表現しているからである。 言いかえればアルフリートとはアシェンバッハの分身であるに過ぎない。これはヴィスコンティ自信が認めて いることであって, アルフリートは単に主人公の悪い――あるいは良い――意識という「もう一つの自己」なわけで,精神的な 危機の間中ずっと自分自身の悪夢的な投影として,彼につきまとっているわけなのです16 またシナリオを書いたバルダッコもあるインタヴューで同じことを述べている。 小説にはこの人物(アルフリート)は登場しないといっても,私はこれを挿入ではなく改編と考えます。ア シェンバッハの友人,弟子,批判者,追求者であるアルフリートは,ある意味では主役の投影であると言う ことができます17 つまりこの映画とはただひとりの人物の頭脳に去来する思い,思想を述べた,まったく主観的な作品,極めて 美学的でありながら思想的な作品なのである。そのことはヴィスコンティ自身がはっきりと自覚していたこと であった。彼はこう述べている。

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『ベニスに死す』という映画では,唯一の登場人物,アシェンバッハがいるだけです18 G−III,アシェンバッハはエレベーターの中で見たタジオの圧倒的な美貌に動揺して,部屋に戻っても落ち着 くことが出来ず,家具をあらあらしく叩いたりしている。このあたりもかなり激しく,主人公の内面の葛藤が 尋常でないことを物語っている。そうこうしているうちにまたもや,アルフリートとの論争シーンに入る。し かし,このシーンでは彼は皮肉たっぷりのアルフリートに正面切って反論することはせず,おとなしく言われ るままになってる。彼は自己の精神的な混乱がかなり高まっていることを感じており,敗北を認めている。敗 北を認め,「外部に」存する美の圧倒的な支配力を認めたその結果,かれは翌日にはヴェネツィアを離れるこ とを決意するのである。つまり自己から逃げ出そうとするのである。 G−IV,アシェンバッハは結局,ヴェネツィアを離れることをあきらめて幸福な気持ちでホテルに戻ってく る。そこで出会ったタジオは浜辺を走り回り,ほかの子どもたちに慕われるごくごく家庭的な愛の化身として の人物であった。ここで,砂浜の画面にかぶるようにして,ちょうど少年の友達や家族たちが「タージオ」と 繰り返し呼ぶのと同じように,「グスターヴ」という呼び声がオフで聞こえ,そこから,チロルの別荘での幸 せそうな家族3人水入らずのシーンに入る。すでに見たようにタジオは死の天使でありながら,子どものよう な無邪気な側面をもっているのである。したがって,このフラッシュ・バックが挿入されてきたのはタジオの 砂浜での活動がもたらす幸福感がもとになっていることは言うまでもないだろう。というか,もっと正確に言 えば,アシェンバッハはタジオに対して父性的な愛情を抱いているのだが,その愛情の中に,なにか困惑させ るものが含まれている,と言った方が良いかもしれない。しかしながらこのチロルでの絵に描いたような家庭 的幸福感はすぐ崩れる予感がしてくる。あたりは風が吹き,空には黒い雲がゆっくりと広がってくるのだか ら。 このあと,画面は砂浜のシーンに戻る。シナリオには「タジオは黒い雲から逃れるように,陽に輝く砂の上を いつもの仲間のいる場所を目指して駆けていく」としてあるが,この黒雲は,映画では確認出来ない。そのあ と,浜辺の日常生活を写しながら,マーラー三番の第四楽章が流れ始める。この部分はニーチェの詩による歌 詞がついている, 深い夢から私は目覚めた 世界は深い 昼が考えたよりも深い とある。感性の世界(夜,夢)は,理性(昼)の世界よりも深く,またチロルの,そうしてリド島の幸福感に みちた日常のなかにもある深淵が口を開いていることを示しているのであろう。 実際,この曲が流れ始める中,アシェンバッハは小屋の前で,創作活動を始めるのである。 G−V,エスメラルダのシーンについてはすでに触れたようにサロンでタジオが『エリーゼのために』を弾く シーンから音楽の連想によって喚起される19。このサロンのシーンとその前の浜辺でのシーンとの関係はかな り唐突に思える。浜辺で赤い水着を着ていたタジオが,次のシーンではいきなり普通の服のままピアノを弾き 始めるからである。しかし,この浜辺のシーンは砂浜へむかう通路に立った何本もの柱の間をタジオがくるく るとまわって,アシェンバッハをはっきりと性的に誘惑するシーンであった。その誘惑の力に耐えかねて,主 人公は浜辺に並んだ小屋の後ろに立ちつくし,歩くことも出来なくなったのである。そのシーンと,このエス メラルダのシーンとの関係は明かである。アシェンバッハは性的に誘惑されたので,このミュンヘンの娼婦館 のことを思い出したのである。サロンでタジオがエリーゼを弾くシーンは,単に浜辺の誘惑と,そうして娼婦 館のシーンをつなぐために挿入されたものである。 G−VI,チロルでの娘の死。ここもその前後のシーンを考えれば,どうしてここに置かれたのか理解出来るよ うに思う。そのまえにアシェンバッハはヴェネツィアの本島に赴き,トーマス・クックで換金しがてら,ここ

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の実直そうな従業員からヴェネツィアに隠されたコレラの秘密を聞き出したところであった。しかし,彼は途 中からはもう従業員のコレラについての解説を聞いていなかった。従業員によるコレラの説明が必要以上にく どいのは,アシェンバッハがそれを聞いていないことを示すためである。彼はひたすらタジオ一家に向かっ て,この情報を流し,彼等に立ち去るように勧めることを妄想するのみである。実際,彼がタジオの母親に通 知する具体的な有様を夢想するシーンさえ挿入されるのである。そのあとに,この子どもの死が続く。つまり 子どもの死の悲しみを想起し,タジオが病に倒れたときの苦しみを想像していることになる。このように,日 常生活は日常生活として穏やかに推移しながらも,死はこのあたりから単なる想念ではなく,具体的なイメー ジとしてまたもや作品の中に登場してくることになる。そうして彼はタジオを子供のように慈しんでいること も忘れてはならない。 G−VII,大音響でのコンサートの失敗のあと大勢の人々の激しいブーイングの間を縫って主人公は控え室に戻 り,妻に抱きかかえられながらも倒れる。そうしてアルフリートに自己の音楽の完全な破産を宣告される。こ こは主人公の旧来の方法が決定的に失敗したことを示すシーンであり,それと平行して身体の不調も決定的な ものであることを確認する重大なシーンである。このシーンには実は,自身が受けた『若者のすべて』への大 批判の思い出の上につくられたことを,ヴィスコンティその人が淡々と語っている20。自己の方法的行き詰ま りと,身体の終焉を予告するシーンである。このシーンもその直前のシーンと結びついている。その前のシー ンでは,口紅を塗り,顔を白く塗ったアシェンバッハはヴェネツィアの町中をタジオ一家をつけ回し,最後は 井戸端の脇に倒れたのであった。つまり彼はコンサートの失敗の時に感じた死の予感と同じものを井戸の端で 感じたのである。これはもう具体的に身体が弱っており,近近の死を具体的に予告する第一弾となる。 このシーンでは井戸の脇に倒れたアシェンバッハが泣きながらも哄笑するシーンがあって,すでに見たよう に主人公の自己批判の能力の高さを示していて,これで映画を終えても良いぐらいの高揚を見せる。仮にこの 哄笑のシーンがないとすると,ここではアシェンバッハは自己の体力の衰えを自覚し,自己の惨めさを確認す ることになる。そのあとにミュンヘンでの演奏の失敗シーンに繋がるのである。つまりここでは死へと向かう 道程が具体的に始まったことを示すシーンとなる。そのあと,シーンはホテルに戻り,タジオ一家の鞄類が入 り口に並べられているのを見て,浜辺でのヤシュウとタジオの暴力シーンを見た後,興奮したアシェンバッハ の死に至る。原作では,年長であるにもかかわらずいままでタジオの子分扱いであったヤシュウの不満が,浜 辺の人々が少なくなったためにここに至って暴力に至ったと書いている。おそらくマンは例によってややぼか した書き方をしていてこうなったと思われるが,ヴィスコンティが明察しているようにここに描かれているの は同性愛的な性と暴力であって,そのためにアシェンバッハは興奮して心臓にきたのであろう。映画ではそう した説明は説明のしようもないし,ヴィスコンティ自身,説明する気持ちもなかったことだろう。 このように見てくると,実はこの7つのフラッシュ・バックはいくつかの機能をもっていることがわかる。一 つには共感覚的な回想でもあるが,また一つには主人公の内的な世界にある思い,あるいは思想的な葛藤,そ ういったものを表現する場であるが,そればかりでなく,作品の流れに絶えず干渉し,参加している死と敗北 のイメージである。それは主人公の過去のエピソードに取材しているのだけれども,つまりプルースト的な共 感覚である場合もあるし,また思想的な葛藤の場合もあるのであり,彼の意識がそこへ向かったからだと言う しかない。つまりこの作品はひたすら,主人公の意識に表象されるものを,そのまま視覚的に映し出している と言うしかないのである。 1章,2章をまとめてみると, マンの小説は当初はあまり深刻な状況設定なしに,ごくごくさりげなく始まる。そうして,ノンシャランな 旅立ちからスタートするのだが,それがヴェネツィアに至ってだんだんと現実の異常な美に気づかされ,次第 に同性愛と死の世界にはまっていく。しかし,彼は知的であり,ギリシャの古典に対する知識などをよりどこ ろに,こうした自己が新しく入っていこうとする世界に対して肯定的であり,自己満足的な評価さえ見せる。 これに対して,ヴィスコンティのほうは,なにやら冒頭から死のイメージが横溢しており,そうした極めて世 紀末的な雰囲気のなかで異常な美の世界にはまっていくのである。ヴィスコンティ自身は自作がマンの原作ほ

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ど物語の「進展」がないことを映画というジャンルの特徴としているが,しかし,彼の作品にはたとえばアル フリートとの議論のように非常に激しい苛立ち,闘争があるのであって,マンの場合と比べてそこにヴィスコ ンティの葛藤を見ることができるかも知れない。また自己の破滅的な運命に対して客観化して見ている面もあ る。もうひとつは,マンの場合には個人的な回心の問題として捕らえているのに対して,ヴィスコンティはこ れを時代の変化として見ている。ヴィスコンティは「遅れてきた世紀末」であるが,やはり時代が下ることに よって,よりはっきりと見えてきたものに対して,より自覚的であったといえるのではないだろうか。 第3章『ベニスに死す』と『失われた時を求めて』 よく知られているようにルキノ・ヴィスコンティは『失われた時を求めて』の映画化を構想しており,その ためにシナリオを完成していくつか試し撮りまでする段階になっていたのに,諸般の事情でこの計画を断念せ ざるを得なかった。一説には,この映画がプルーストの作品中の同性愛にまつわる諸問題を正面から取り上げ たために遺族の反対にあったといわれている。しかしながら,ヴィスコンティのこの断念は残念なものではあ るけれども,それほど残念に思う必要もないかも知れない。というのは,彼の他の作品の中で『失われた時を 求めて』はある意味で実現されているからである。 ヴィスコンティは14歳ですでに『失われた時を求めて』の最初の2巻(『スワン家の方へ』『花咲く乙女たち の蔭に』を読んでいた早熟ぶりであり,彼がこのフランス作家との間に非常な親近性を覚えていたことは疑い がない。彼はこの本に熱中したために「読みながら各ページの終わりが辛かった。巻末に近づくのがそれだけ 早まったから」と述べている21。ヴィスコンティの指示で『失われた時を求めて』のシナリオを書いたスーゾ・ チェッキ・ダミーコによれば,1969年にニコル・ステファーヌがこの作品を「映画化する具体的な話を持って きた時,ヴィスコンティはこれを断れないと考えました」22以下,ダミーコの証言によると,ヴィスコンティは すでに書かれていたシナリオを拒否し,彼自身でだいたいの構想を決め,それに基づいてダミーコがひとりで シナリオを書いた。そのかんにヴィスコンティ自身は「『地獄に堕ちた勇者ども』を完成し,『ベニスに死す』 を撮った」のである。1970年になるとヴィスコンティはダミーコと協力して最終稿を作り,製作者の了解を得 た。そうして美術担当のガルブリアと共にパリ,ノルマンディーへのロケハンに出かけた。しかし,資金面で 問題が生じたために製作が困難になり,撮影開始を数ヶ月延期せざるを得なくなった。 ヴィスコンティは『失われた時を求めて』は自己のライフ・ワークになるだろうといつも口にしていたが, そうした資金面の問題のために「『失われた時を求めて』のロケハンを終え,この作品に取りかかる前に『ルー ドヴィッヒ』を撮ることに決めた」23 また同書の191ページ以降にはロケハンに同行したマリオ・ガルブリアがどのような場所を訪れて,どのよ うな建物を利用することに決定したかを述べている。重要な役を演ずる城として,「ヴィルパリジの邸にはロ スチャイルドのシャトー・フェリエール」そして「ヴェルデュランの邸にはシャトー・カモンドがすんなり決 まりました」24またパリのめぼしい場所,シャンゼリゼ,ボワ・ド・ブローニュ,そしてラリュのレストランな どを決めた後,一行はノルマンディーに向かい,カブールのグランド・ホテルに投宿したが,ここでは「天井, 板張り,壁紙を全部取り替える必要を」感じた。これは『ベニスに死す』の撮影にあたってリド島のホテル・ デ・バンの撮影で大々的な改装を行ったのと同じである。また,外景としては「トゥルーヴィル,デピエ,カ パニーの海岸,小さな汽車が走る田園風景,バルベック駅,ドンシエール駅,カルクヴィルの小さな教会,海 の見える草地,アルベルチーヌとマルセルがドライブをして回る場所,ラスプリエール荘,メーヌヴィルの通 り,など,ノルマンディーを足にまかせて歩き回りました」25このロケハンでは40枚の写真が撮られたとい う26。この写真の一部は,Proust−Visconti に収録されている27。また,これと平行してローマでは美術担当のピ エロ・トージが絵コンテの作成を行っていたが,そうした絵はかなりの程度,ノルマンディーの海景画家ウ ジェーヌ・ブダンからインスピレーションを得ているように思われる28 記録がなくて残念だが1980年頃に東京のパルコで「ヴィスコンティの衣装展」が開かれたことがあり,筆者 も展示を見たことがあるが,その時に印象的だったのはヴィスコンティが往々にして,印象派やそれ以前の画 家たちの作品の複製(具体的には絵はがき)を利用して,衣装担当にデザインを指示をしていたことである。 その中にはモネの作品で海辺で,パラソルをさす婦人や,コロー?の描く女性像などがあったように記憶して

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いる。たとえば,『ベニスに死す』のような,あるいは『イノセント』のような19世紀末,あるいは20世紀初 頭を舞台にした作品の場合,ヴィスコンティは幼年時代に同じ文化の中で生きていたから,記憶の中でそうし た衣装を思い起こすことはできたろうが,それを具体的なイメージとして細部にまでわたって人に説明するこ とは,また別の正確さを要したことだろう。そういう意味ではカラーの絵はがきを使って衣装担当者に説明す るというのはきわめて合理的な方法であったと思われる29 また,訳者のあとがきによると,ヴィスコンティはある程度,配役も決めていたようで「マルセルにアラン・ ドロン,モレルにヘルムート・バーガー,オリアーヌ・ド・ゲルマントにシルバーナ・マンガーノ,シャル リュス男爵にマーロン・ブランドまたはローレンス・オリヴィエ,アルベルチーヌにシャーロット・ランプリ ング,出番は少ないがナポリ女王にグレタ・ガルボというだいたいの配役も決まっていた」30 ダミーコは資金面の理由で最終的にこの企画がつぶれた旨を語っているが,プルーストの遺族側はじつはこ のシナリオが同性愛の問題を正面から取り上げ,そのテーマに偏していることに強い違和感を感じていたので ある。最大の問題は資金面にあったと思われるが,ヴィスコンティはあるところで,映画化をするには原作者 の遺族がいない作品を取り上げるべきだと語っており,遺族の協力がない場合にはかなり製作に困難が生じた のかも知れない。 またこの映画化には版権の問題がからみ,『スワンの恋』は落とされ,また理由は不明だが『見いだされた 時』も含まれなかった。そうして,主として語り手=アルベルチーヌ,シャルリュス=モレルの2組の関係の みにしぼって展開する設定になった。したがって,ヴィスコンティの『失われた時を求めて』は『花咲く乙女 たちの蔭に』から『ソドムとゴモラ』までを対象としている,端的に言ってしまえば『ソドム』が中心である と言えるだろう。 このヴィスコンティの製作したかも知れない,失われた『失われた時を求めて』はヴィスコンティのライ フ・ワーク,「究極の作品」になったかも知れない作品であり,この作品が作られなかったことは,返す返す も残念という他はない。しかしながらごくわずかではあるが,こうした損失を回復出来る可能性を持ってい る。実は,あるインタビューに応じたピエロ・トージは『イノセント』の中でのあるサロンの音楽会はそのま ま『失われた時を求めて』のアイデアを使っていると述べている。実際これは,『失われた時を求めて』のな かのヴェルデュラン家の音楽会と比べると,その規模と言い,その雰囲気と言い,そっくりである。 また,『山猫』のなかでも『失われた時を求めて』をほのめかすシーンがある。この点に関してモニカ・ス ターリングはこう書いている。 一,二の批評家はヴィスコンティが『失われた時を求めて』の一部を映画化する計画をもっているのを知っ ていて,この[『山猫』の最後の]舞踏会の場面を「プルーストふう」と呼んだ。 これに対してヴィスコンティは次のようにコメントした。 [『山猫』の原作者である]ランペドゥーサが社会生活や人の生き様を観察する時の個性的な流儀は,ヴェル ガのリアリズムとプルーストの「記憶」をつなぐ輪の役割を果たす位置にあると言ってくれる人があれば, 私はその意見にまったく異存はない。私が原作を何度も読み直したのはそうした印象を抱きながらであっ た。そしてもしポンテレオーネ邸におけるタンクレーディとアンジェリーカがプルーストのオデットとスワ ンを思い出させるとすれば,[...]この映画を作った私のいちばん奥底の野心のひとつは満たされることにな る31 しかし,そればかりでなくヴィスコンティの2作品,『ベニスに死す』と『失われた時を求めて』の間にはあ る厄介な問題が存在している。それは両者は非常に似通った面を持っているということである。これは影響関 係というのではない。事実関係を言えば,70年にヴィスコンティは『ベニスに死す』を撮り,そのあと71年か ら『失われた時を求めて』に着手してその後これを放棄するのだから,後になって着手した作品から前作『ベ ニスに死す』に一部を取り入れられたりすることは時間的順序から言ってありえない。しかしながら,実際に はヴィスコンティは『ベニスに死す』の中で,ホテルの支配人を『失われた時を求めて』からインスピレーショ ンを得て撮っているのである。どうしてこのような倒錯した事態が起こるのかというと,『ベニスに死す』を

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