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西ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち-香川大学学術情報リポジトリ

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香 川 大 学 経 済 論 叢 第63巻 第3号 1990年12月 91-132

西ドイツ職業教育の改革と

外国人の若者たち

はじめに I 職業の準備と選択 1 職業準備 2 職業選択 II “外国人の若者たちの専門工養成を 支援するためのモデル・プロジェクト" l 経営の保守性 2 アウディ自動車株式会社の事例 III “ハンディを負った人々のためのプログラム" I 養成課程を補助する諸措置 (ABH) 2 ラインガウ・タウヌス成人学校の事例 むすびにかえて は じ め に

佐藤

日本という空間は日本人のためにだけに用意されているのではない。非日本 人もこの同じ空間のなかで自分の夢とか人生の可能性とかを賭けることができ る。自分の生いたちゃ過去から引きず、ってきている問題のうらみをこの場で晴 らし,ここから彼らも将来を設計し展望することができる一一そうした認識の 上にたつとき,日本もようやく“国際化"を語ることができるのではないだ、ろう カ〉。 難民条約への遅まきながらの加入 (1982年)は,国際化の波がようやく日本 を襲ったことを意味している。まず同年さっそく,国民年金・児童手当にかん

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-92 香川大学経済論叢 474 する社会保障立法が改正され,国籍条項が撤廃された。これによって「日本に 住所を有する(すべての)者」が日本の社会保障を亭受しうることになった。 これは,建前上においてもやはり画期的な出来事といわなければならない。数 世代にもわたって日本のなかで生活を営む在日韓国・朝鮮人のような人々です ら,外国人であるというだけで,社会保障の坪外に放りだされてきたのだから。 つづいて1985年には国籍法が改正され,父母両系主義が採用された。これに よると日本人の母親と外国人の父親とのあいだに生まれた子供は,申請にもと づいて自動的に日本国籍を取得することができる。約12万人と推計される子供 たちに国籍の選択権が付与されたことになる。彼らはもはや法務大臣の自由裁 量にもとづく帰化審査という同化政策に翻弄されることなく,日本国籍を選択 し,取得できるのである。 つまり外国人のままでいることによるあからさまな不利益が一方では矯正さ れつつ,同時に他方で外国人の日本国籍化にも道が聞かれようとしているので ある。日本という生活空間における日本国籍のある種の相対化といってよいか もしれない。 ところが,生活空間への参与とその新たな創造とにあたって,最も基礎的な, そして枢要な契機は,就職である。この就職が在日外国人にとっては依然とし て遮断機のあがらない踏切である。ここに問題の根っこがある。たとえば次の ごとくである。 「……ところが就職の段になった時に踏切があって必ずぶつかりますからね。 そこで一切がっさいがパアですわ。僕の親なんか言っていたんですけど,いい 大学行けば何とか就職でいいところにいけると。それこそサラリーマンになれ るということで,それを半分否定しながらも半分何とかそういうふうに日本社 会も変わってくれないかな,という気持ちがあって,勉強せなアカンというこ とできたんですけど,結局踏切へ来たら,足留めくって,遮断機下りたままで (1) 田中 宏『虚妄の国際国家・日本一アジアの視点から』風媒社 1990年, 7'-33頁および 157-181頁参照。

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475 西ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち (2 ) いっこうに上がってこない。"い 'J 93-在日外国人97万人のうち韓国・朝鮮籍は7割をしめる。そのほか中国人,フィ リピン人,タイ人を加えるとアジア人は定住外国人の9割以上にもなる。神奈 川県の 1984年抽出調査によると,県内に在住し就労している 20歳 以 上 の 韓 国・朝鮮人および中国人について,自営業者と被雇用者の比率は1対L4であ る。日本人の場合その比率はl対8何5であるから,定住外国人がいかに企業か ら排除されているか推測、できるであろう。商社マンとか銀行員といった,普通 の日本人がめざす,実のところ苛酷だが,手堅いコースは彼らにはまず無理で ある。実力と資格の世界に活路を求めるか,さもなければ同族の営む零細経営 で働くかである。いずれにしても日本人の平均的キャリアーは彼らには縁がな しユ。 日本の大手企業も近頃では在日韓国・朝鮮人に門戸を聞き始めたといわれて いる。その場合にも本名ではなく通名で採用するケースが多い。兵庫県下の公 立高校を卒業した在日韓国・朝鮮人生徒のうち,わずか1割程度のみが本名で 就職しているにすぎない。高校で本名宣言をした生徒までも就職して通名に逆 戻りしてしまうケースもあるという。本名を尊重できないということはいうま でもなくその人の人格が認められないということである。日本の企業社会では ひょっとするとそれに似たような事態が日常的に横行しているのかもしれな しユ。 朴 時 夫 ( パ ク シブ)という人は,ある乳業会社の本社事業所に勤務し, 本名を名のり,そしてただ一人の第一組合員である。つまりそこに勤める他の 労働者はすべて会社寄りの第二組合に所属している。彼はそうした職場環境を (2 ) 朴時夫「職場社会における本名とは」兵庫在日朝鮮人教育を考える会編『兵庫の在日 朝鮮人生徒にかかわる教育と運動 III 一文剛君追悼一~ 1990年, 82頁。この報告集は,外 国人登録証を足もとにおいて首吊り自殺を遂げたある在日韓国人高校生の5周忌追悼集 会のために編集されたものである。ぜ、ひ一読されたい。文剛(ムンガン)君は当時17歳 であり,ちょうど本稿が対象としている世代の夢多きこれからの若者であった。 (3 ) 田中前掲書,246頁。試みに西ドイツで働くトルコ人についてその比率を求めてみると, だいたい1対16となる。 (4) r在日韓国・朝鮮人の就職j C朝日新聞J1990年、7月 26日, 3頁。

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94 香川大学経済論叢 476 次のように伝えている。 ,..一一本名を名乗って朝鮮人や打ち出していることは陰がない。陰がなくて 組合もやるというのは,これはすっかり恐ろしい朝鮮人だということになるわ けです。(たいていの人は)組合パンパンやっているけど,朝鮮人だということ を隠して通名でやっている。まあまあ振り上げた拳を9割ぐらいで止めておく から,そこそこええのと違うかと。/通名とか朝鮮人を隠しているというたがが ないんで,どこまでもやるのと違うやろか。会社を潰すくらいにね。ぃ…職場 全体に日に見えないところでそういうデマがものすごく流れました。一...J 最近とくにマスコミにとり上げられているのは,上記の定住外国人ではなく, 資格外活動などにより生計を営む,とりわけアジアからの人々,いわゆる不法 就労・滞在者である。

1

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万人から

2

0

万人と推計されている。日本社会が外国人 労働者と呼ぶとき,一般に連想されているのはこの人々である。故郷に残して きた家族を養うためにもぐりを承知で日本で働くことを目的として入国してい る人々もいれば,日本で勉学をつづけるために働いて生活費をなんとか捻出し なければならない人々もいる。彼らは職場において違法な存在であるがゆえに 法的な保護をうけることがない。自分の体だけを頼みの綱に生きる人々である。 改定入管法

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1

日施行)は,この種の不法就労にたいする取り締 まりの強化を打ちだすとともに,他方では研修制度の整備・拡充にもはずみを 与えている。 外国人の研修自体は目新しくはない。研修に名をかりた安価な労働力の調達 (5 ) 朴 前 掲 稿 , '78頁。 (6 ) 駒井 洋「外国人労働者必然論鎖国論・開国論を超えてJ Wエコノミスト11989年8 月

2

2

日以降連載,参照。 日本企業が海外進出のための要員として熱いラブ・コールを送っているのは,外国人留 学生たちである。昨年の一年間で彼らのうち707名が日本の先端企業へ“外国人社員"と して就職している。その数は 4年間で 35倍にもなる。その規模はまだ萌芽的な水準にあ るが,将来にむけて確実に膨脹してゆくであろう。外国人社員が華々しく活躍すればする ほど,彼らのサクセス・ストーリーが広まれば広まるほど (Wキャリア・インフォーメー ション 外国人留学生のための就職情報誌JNo 3 1990年9月号参照),笑のところ圧倒 的多数の定住外国人や不法就労の外国人たちは,その存在を規定している社会的な諸条 件とともに,ますます日本社会の異物として扱われ,葬り去られてしまいかねない。

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477 西ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち 95 として 1970年代以降みられたところである。現在労働省を中心にして構想され ている研修制度は

2

回にわたって技能試験を実施し,研修実態をある程度公 的にコントローノレし,それによって外国人の熟練形成にむけて実質的な政策的 規制を試みようとしている点に新しさがあるように思われる。今後の帰趨に注 目したい。 ただしその場合にも払拭しえない問題がある。とくに研修によって達成され るべき熟練は,日本の労働市場のなかを生き抜くに十分なt武器となるものでは なしまたそれを予定した階梯の第一ステップでもないということである。あ くまで研修後の帰国を前提にした熟練形成であり,また日本人のそれとは別個 のものだからである。この制度のもとでは外国人が日本人の労働者と労働市場 のなかで,対等な競争関係に立つことはまずありえないといってよいであろう。 日本の労働市場がごく普通の非日本人にたいするときかくも差別的になるの はなぜ、だろうか。その仕組みを解くひとつの鍵は,日本における熟練形成のあ りかたの特異性にあると,思われるが,それは別稿の課題としたい。 本稿の対象は,こうした日本の現状を念頭におくとき,ちょうど正反対の方 向に針路をとっているかにみえる西ドイツの, 1980年代における社会的実験で ある。そこにわれわれは,国境を超えた存在と共に未来を指向しようとする社 会の,剖目すべきひとつの営為をみるであろう。 I 職業の準備と選択 1 職 業 準 備 職業教育を受ける年齢(通常15歳から 18歳)にある外国人の人口は1986年 時点、でおよそ 21万人である。このうち 8%はギムナジウムに通学している。残 りは本来ならば職業教育課程にあるはず、であるが,

37%

は就学していなし

h

基 幹学校を卒業して直接に労働市場にはいり,かつ就学義務を免除されている者 たちがその大半をしめている。いわば丸腰で戦場にでる兵士のようなものであ (7) 落合英秋『アジア人労働力輸入』現代評論社1974年,参照。 (8) 外 国 人 労 働 者 問 題 研 修 制 度 輸 に 調 整J~日本経済新開.J 1990年7月30日。

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-96- 香川大学経済論叢 478 る。この割合は81年のときよりも 7ポイント減少しているが,ドイツ人の場合 のおよそ 10%と比べると,著しく高い。 外国人の平均55%にあたる 12万人が職業教育課程にある。外国人のなかで もスペイン人の就学率が69..2%と最も高い。トルコ人の場合は平均より少し高 い57.9%である。職業教育課程にあるが,訓練市場から落ちこぼれ,職業学校 ないし職業専門学校にフルタイムで通学している者が31%である。訓練市場に 身をおきながら,パートタイムで職業学校に通う,本来の職業教育課程にある 外国人は24%である。この比率を訓練比率とよぽう。それはドイツ人の場合に は629%である。 外国人の訓練比率は1982年の 19..3%から 1987年の254%へと上昇がみら れるが 4人に一人の壁をなかなか越えそうにない。外国人のなかでもユーゴ スラビア人の 39.3%が最高であり,トルコ人の場合は2L5%である。女子の訓 練比率(17%)は男子のそれ (30%)よりもさらに低い。 被傭者総数のなかにしめる外国人の比率が7.8%のとき(1985年),訓練生総 数のなかの外国人比率はその3分のlの26%でしかない。またドイツ人被傭 者のなかのドイツ人訓練生の比率が9 3%のとき,外国人被傭者のなかの外国 人訓練生の比率はやはり同様に3分の lの2れ9%である。 職業教育の機会におけるこうした不平等にもひとつの転機がおとずれようと している。 ベビーブーム世代の訓練市場への参入が1980年代中葉にピークを迎えたあ と,訓練市場は一転して訓練生に有利に展開しつつある。1990年には16歳入口 (ドイツ人および外国人)は1980年代中葉のときよりも 60%も減少する。この 傾向は今後もしばらく続くことが予測されている。訓練生から敬遠されがちな (9) Laszlp Alex, Auslandische Jug巴ndlich巴inder Bundesrepublik Deutschland, in: Berufsbzldung in Wissenschajt und Praxis 6/84, S. 193-196; BALD, Bildungsarbeit mit auslandischen und deutschen Arbeitnehmer, in: lnfo 5/6 (1988) S 22叩24;Josef

Rutzel, Facharbeiter von Morgen? Berufliche Chancen auslandischer Jugendlicher in den 90-er Jahren, in: INTERK UL TURELL, Forumf加 interkulturellesLernen in Schule & Sozialpadagogik Heft 1/2, 1988, S 11-13

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479 西ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち -97-建設業,小売業は早くから訓練生の募集キャンペーンに熱を入れはじめた。こ うした状況のもとで経営は,従業員の継続教育とならんで,外国人の訓練比率 の向上にも積極的に努めざるをえなくなっている。雇主団体,労働組合,連邦 労働庁そして商工(手工業)会議所の連名による, 1988年 3月の共同声明はこ うした背震のもとでとらえることができる。それは,外国人の訓練比率を低位 にとどめている諸要因の除去と,それによる外国人とドイツ人との職業教育に おける機会の均等性の実現とをめざそうとするものである。 職業教育における機会の均等性に関連して,労使のあいだにひとつのコンセ ンサスが形成されている。すなわち,第2級の専門工は養成しないということ である。外国人もドイツ人と同様に認定済みの職業を規定されている質と内容 において修得する。一段質の劣る養成課程を外国人のために特別に設定すると いう安易な妥協には労働組合の組織をかけた抵抗がある。職業教育は不平等を 克服する手段であって,それを再生産するものであってはならないのである。 この頑固なまでの平等主義は,疑いもなく外国人一人ひとりにとって職業教育 のハードノレを高いものにしている。それゆえこの平等主義は,その言葉に忠実 であるためには,同時に設定されたハードルをこえるために必要な援助を一人 ひとりに提供するということを前提としなければならない。さもなければ,そ の平等主義は差別のためのアリバイにすりかえられる。 訓練市場に入る前の段階で提供される特別の援助には多種ある。ドイツ語集 中特訓コース,職業学校における“職業基礎教育課程"ないし“職業準備課程 あるいは連邦労働庁の実施する各種のコース,たとえば基礎訓練コース (Grund -ausbildungsjahrgang)がある。 なかでも最もよく知られているのが, MBSEと略称される“若い外国人の職 業準備と社会的統合のための措置"である。それは西ドイツに渡航して間もない (10) Vgl Ein Ausbildungsvertrag mit Wohnung, in :Prankfurter Allg,ωneine Zeitung 7 10. 1989:Gemeinsamer Aufruf Chancengleichheit fur junge Auslander durch berufliche Bildung, in: Gewerksch

:

a

βliche Bildungψolitik6j88, S..178 (11) B Gravalas, F.. Braun, Die beruflicheηund sozialen Chancen auslandischer Jugendlicher lntegratzon oder Segregation Eine DokumentatiOn1982, S.. 141-143

(8)

-98ー 香川大学経済論叢 480

1

5

歳から

1

8

歳にある外国人を一年間のなかで職業教育に向けて能力づけると ともに,その修了者に特別労働許可(

5

年有効)をも付与する。参加者一人あ たり

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DM

の予算が計上され,その財源の

4

分の

3

を連邦労働庁が,そして 残りを労働省と各州政府が半分ずつ分担している。参加者総数はその発足(1

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年)以来のべおよそ

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人に達する。いずれの年についてもトルコ人が参加 者の9割をしめている。講習のなかで作業実務と一般教育(特にドイツ語)と はだいたい6対4の比率で配分され,前半は 3つの職業群を,そして後半には そのうちひとつを選ぶ、というようになっている。 MBSEの実績は,それを担当 する教育機関によって異なる。参加者のその後の訓練市場への参入率は,商工 (手工業)会議所が担当しているときに最も高く,およそ3人に一人の割合で ある。経営,労働組合,成人学校はこれにつづき,およそ

4

人に一人という実 績をあげている。参加者のおよそ半分はMBSEを修了したあと,労働市場に不 熟練労働者としてはいっている。

1

9

7

0

年代の中葉以降,西ドイツの各州政府は若年失業者たちの雇用創出のた めに研修契約(Betreuungsvertrag)なるものを導入している。基幹学校を修了 ないし中退したのち失業している若者たち(だ、いたい

2

0

歳まで)に職場を提供 する企業にたいして,それによって引き起こされる労働協約上の労賃コストの 6割を半年間州政府が負担し,そのさい研修契約が結ぼれる場合には,さらに 一人当り

1

2

0

0DM

を企業にたいして補助するというものである。失業手当の支 給よりもこの方がはるかに将来に向けて生産的であると判断されたことはいう までもない。企業はその反対給付として,研修期間(通常

1

年)のあいだに, 研修生を労働市場もしくは訓練市場にむけて動機づけ,かっそのために必要な 技能と知識とを伝達するよう期待されている。職業の準備にあたるという目的

(12) Peter Konig, Berufsvoァbereilendeund berufliche Bzldungsmasnahmen fur Aωlan

-der;Verlag Neue GeseIIschaft 1985, S. 96-ll2; Karen Schober, Heinz Stegmann,

Auslandische Jugendliche-Demographische Entwicklung sowie Ausbildungs-und Beschaftigungssituation, in: Elmar Honekopp (hrsg), Aψekte der Auslanderbe -schajtigung in der Bundesretublik Deutschland Beilrage iur Aγbeitsmarkt -und

(9)

481 西ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち -99 はMBSEと共通しているが,研修生は企業と契約関係にあり,一定の報酬をう けとるという点で, MBSEとは異なる。 1977年のノ/レトライン・ヴェスト アァーレン州では, 17,554人の若年失業者のうち 38%が研修契約を締結した。 研修期間をおえて企業に従業員として採用された者はおよそ 3割であった。 訓練契約への移行に成功した者はわず、か

2%

にすぎなかった。 こうした移行率の低さとならんで,つぎのような問題が指摘されている。 応急的な雇用の創出に力点がおかれたため,研修に要する設備・スタッフが 適格かどうかを慎重に吟味するまでにはいたらなかった。また研修の実態につ いてもそれを監視する体制に欠けていた。研修の大部分は従業員20人未満の小 経営においてなされたことがそれに拍車をかけたと思われる。フォードのよう な大経営は研修にあたって一定の予定表を作成しているが,それはやはり例外 的といってよいであろう。研修生への報酬もたいてい労働協約によって定めら れている訓練生にたいする報酬よりも下回っていた。 労働組合は,こうした研修の実態を労働協約の規制下におこうと試みている。 金属労働組合についてみると, 1975年 8月初日の協約地区ププアルツのケー ス(,職業生活への統合が困難な若者のためのプフア/レツ金属産業における労働 協約」に始まり, 1980年 9月 4日には協約地区ノルトライン・ヴェストファー レンの鉄鋼業において(,職業教育法の適用範囲における専門工養成の準備にあ たる援助措置への参加者のための労働協約J),そしてさらに最も新しいものと しては,上記協約地区プフア/レツにおける 1988年 4月 26日の協約改訂(,若者 (13) Paul Hild, Beschaftigungshilf巴n,in: WSI Mitteilungen 1/1980, S.27-29

(14) Vgl Helmut Silber, Bildungsangebote fur Lemschwache deutsche und auslandi -sche Jugendliche - am Beispiel der Ford-Werke AG, in・W.Schlaffke, R Zedler (hrsg.), Die. zweite Aus.landergeneration, Deutscher Instituts-Ver1ag 1980, S 187-209 (15) P Kδnig, 0.βιi,..tS..1l5 (16) Tarifvertrag fur schwer in das Berufsleben einzugliedernde Jugendliche in der Metallindustrie Pfalz vom 28. 08 1975 (17) Tarifvertrag fur Teilnehmer an Forderungsmasnahmen zur Vorbereitung auf eine Berufsausbildung im Geltungsbereich des Berufsbildungsgesetzes vom 4 9.. 1980

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-100← 香川大学経済論叢 482 のための職業準備の教育措置にかんする労働協約J)が,それである。 これらの労働協約はいずれも研修のプロセスをコントロールし,研修生の地 位を保証することをめざしている。企業は研修生とのあいだに研修契約をむす び,経営評議会との協議にもとづいて研修計画を作成し,それにしたがって訓 練を施し,労働市場あるいは訓練市場にたえうる理論・技能上の素地を養う。 最新の労働協約によれば,研修は1ヶ月から 3ヶ月までの試周期間で始まり, 通常は 1年,最長で 2年を要する。研修の方法,研修後の処遇は経営評議会と の協議事項である(第4条第1項)。研修時聞は金属産業における週労働時間の 短縮に合わせて,週 38引5時間をこえてはならない(第 8条第 2項)。訓練生に たいする訓練手当と同じく, 1989年4月1日以降の研修生がうけとる月当りの 報酬はl年目 1020D M, 2年目 1076D Mと定められている(第6条第1項)。 以下に,研修契約の模範を抜粋しよう。 6つの項目からなり,研修目的,研 修期間,研修中および研修後の地位の変更,報酬,経営および研修生の義務が, I 1債に,規定されている。 研修契約 企業"",…………ゅ…(以下,甲と呼ぶ)と 研修生“……"……川'" (以下,乙と呼ぶ) 生年月日" 住所川一"わ とのあいだに,若者を職業に向けて準備させるための教育措置にかんする労働 協約(1988年8月26日)の第3条第2項にしたがい,次の研修契約が締結され る。 l 乙は,専門実技および専門理論の指導をうけ,ならびにそれにともなう 社会教育:学上の諸措置をつうじて,職業教育法の意味における専門工養成 (18) Tarifvertrag ub巴rberufsvorbereitende Bildungsmaβnahmen fur Jugendliche vom 26, 4 1988

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483 西ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち -101 課程ないしはふさわしい職業活動にむけて準備させられる。この枠内で, 乙は単純作業に従事させられる。 b)試周期間は… り る ま わ 始 終 月 ケ 2 ω a)契約関係は…ぃ この中で契約関係は解雇予告期間を遵守することなしかっ事由を 挙げることなく,破棄されうる。 c)試用期間の経過後,乙が研修関係をやめたいとか,所期の目的を達 成しえない場合には,契約関係は

1

ヶ月の解雇予告をもってその月 の末日に解約されうる。 3.. a)乙は研修関係にあるあいだにも認定済みの職業における訓練関係に 応募す町ることができる。

b

)

乙が研修期間に引き続いて雇用され,そのさいこの点にかんして明 確ななんらかの取り決めがもたれていない場合には,その雇用関係 は無期限とみなされる。 c) a)ないし b) による雇用の継続が許されない事由のある場合に は,乙とその教育担当官とは研修期間の経過する 3ヶ月前にそれに ついて知らされる。

4

.

.

報酬は,プフアノレツ金属産業の

1

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7

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2

8

日付け労働協約のなかの 若者にたいする訓練手当にかんする

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日の改訂にしたがって 決められる。 乙は次の月当り組報酬を受け取る。 研修1年目……・………,..……D M 研修

2

年 目 … … … …u …川い

.

.

.

D

M

5

甲はつぎの義務を負う。 a)乙の研修を適切な人物に委託する。

b

)

経営評議会と取り決めた研修計画が履行されるよう取り計らう。 c)若者たちの利益となるような法律上の諸規定を尊重する。

(12)

-102- 香川大学経済論叢 6 乙はつぎの義務を負う。 a)研修の枠内で乙に委ねられた作業および課題を慎重に遂行する。

b

)

職業学校の授業に規則的に参加する。 c)上司の指示にしたがう。 484 その他の点については 1988年 4月26日の若者を職業にむけて準備させるた めの教育措置にかんする労働協約の諸規定が効力をもっ。 2わ 職 業 選 択 基幹学校を卒業する年齢(およそ 15歳)になると,生徒たちはいやおうなく 訓練市場という市場の強制力の前にたたされる。そのなかで職業を選択しなけ ればならない。だから職業選択に自由裁量の余地ははじめから限られている。 希望どおりの職業を選択できる保証はない。なによりも訓練契約の締結にあた る一方の当事者である経営の決定に大きく依存している。 事務部門と現場部門とで数値に大きな聞きがあるが,現場部門の職業につい て訓練契約をむすんだ訓練生のうちおよそ8割は,それが本来希望したものと はちがうとしている。その原因のおよそ半分は契約時の経営による選別と振り 分けである。これにたいして労働局の職業相談を通じて職業を変更したケース はず、っと少ない (13%) 。これは 1970年代の調査にもとづく数値であるから, 訓練市場に極度の逼迫がみられた 1980年代の前半には職業選択にはたす経営 の影響力はもっと高くなっていると考えてまちがいないで、あろう。職業選択の 主体性をいかにして回復し,そして確保するか,それが問われる所以である。 訓練生のおよそ

3

分の

l

は独力で訓練契約を獲得している。そのさい最も効 果的な援助は両親ないし父親から得ている。つまり親が自分の働く職場の上司 と直接話をつけるのである。親の圧力に比べると,教師や労働局の役割は,市 場メカニズムのなかに放り出された生徒たち一人ひとりにとって,比較になら ないほど小さしコ。親の援助をおよそ 6割の訓練生が高く評価するとき,教師や (19) Evelies Meyer et al, Betriebliche Aus.bildung und ges.ellschaftliιhes.B

ω

ω

sezn Die beruflzche Sozialisation fugendlicher, Frankfurt 1981, S. 149-151, 336

(13)

485 西ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち -103 労働局のそれはl割にみたないほどである。 経営と親のともにインフォーマノレな力が若者たちの職業選択を大きく左右す るとき,それは外国人の若者たちにどのような影響をおよぼすのだろうか。経 営による選別については次項で述べよう。 外国人の親たちは子供の将来をどのように考えているのだろうか。ごく一般 的にいうと,どの親も子供たちにできることなら医師,教師といったアカデミッ クな職業を望んでいる。それがダメな場合にも自分たちと同じような不熟練労 働者にしてはならないと考えている。そのためには職業教育が不可欠で、あると いうことも,いまや外国人家族のなかに浸透しているといってよい。 外国人が訓練市場のなかで選択する職業は,周知のように

8

割以上が現場関 係である。ドイツ人の場合その比率はおよそ半分くらいである。訓練生のなか の外国人の比率をみると,前述のように平均2..6%の時,自動車機械工6..2%, 電気整備工4..9%,ガス・水道配管工47%である。それらの職業は,訓練生の 学歴が向上しているなかにあって,いずれも基幹学校の修了生を主たる供給源 とするブルーカラーの伝統的な職業である。一方,実科学校の修了生が半数を こえるラジオ・テレビ技士 (Radio-und Fernsehtechniker)にも外国人訓練生 の比率は平均より高い4..9%である。アビトゥリエンテンが4割をしめる,かな りハイクラスの歯科技士 (Zahntechniker)にも外国人訓練生は意外に多く, 3. 2%に達する。 訓練市場のなかで一定の職業を選択するとき,外国人家族に特有とみられる 現象があらわれる。すなわち職業選択における帰還志向がそれである。選択す る職業は親の故郷においても十分に通用するものでなければならない。いつか 帰還するとき,そのときに親の資金と子供の職業とは故郷における共通の生活 (20)W Schlaffke, R Zedler, Die vorberufliche Bildung aus der Sicht der Industrie, in: Lothar Beinke (hrsg,).ziωischen Schule und Berufsbildung, S..364.

(21) Ursula Boos ~Nünning, Berufswahlt白~rkzscherJugendlicher Beitr'age zur A rbeits -markt~und Berufsforsじhung121, S 21~27

(22) J osef Rutzel, Die Berufsausbildung auslandischer Jugendlicher;Leuchturm ~ Ver -trag1989, S.125~133

(14)

-104ー 香川大学経済論叢 486 基盤を築くための財産である。たとえば男子の場合には自動車機械工,電気整 備工,女子の場合には理髪師,裁断工といった職業が上記の観点から好んで選 択される。故郷でそもそも職業訓練を必要としないような職業たとえばパン職, 菓子職,塗装工などは第三者からいくら薦められでも拒否されやすい。そんな ところから外国人の職業選択は非弾力的というような嘆きとも非難ともいえる 声が聞かれるのである。 職業選択における帰還志向は,動揺する将来設計のなかでそれを克服しよう とする外国人家族の戦略であると解したい。 1980年代初頭の調査によると,トルコ人労働者とその子供たちの将来計画は およそ次のとおりであった。 3年以内に帰還すると言明している者と,帰還の 意思はあるがいつのことになるかわからない(したがって残留しつづけるかも しれない)者とを合わせて帰還志向派とよぶ、と,

4

0

歳以上の層の

2

人に一人は これに属する。これにたいして

2

0

歳以下の若者たちで帰還志向派は

3

分の

l

で あり,やはり減少している。これに照応して,定住志向派は後者において9..1% と前者の

4

.

.

7

%

よりも高くなっている。

2

0

歳以下の若者たちについて特に変化 がみられる点は,帰還と定住のいずれかを志向するのではなしそのどちらも 射程におこうとしている人々が増加していることである。

5

7

.

.

6

%

がこれに属 する。 親たちの世代が抱き続けている帰還の夢は,多くの場合,幻滅に終わってい るが,その場合にも帰還志向は外国人として生活し労働する毎日に一種の精神 的な安定剤を与えてくれる。外国人ゆえの(と受けとめられやすい)不利ない し不遇からの心理的逃避を可能にしてくれるのである。 子供たちが職業選択にたいして考慮する帰還の可能性は,親の場合とは少し 様子を異にするだろう。ここでは外国人ゆえの不利にかわって,あるいはそれ に加えてといった方がよいかもしれないが,外国人としてのチャンスという前 (23) U Boos-Nunning, op.cit, S.43-51

(24) Manfred Werth, Ruckkehァund Verbleibabsichten turkischer Arbeitnehmer, Saar -brucken 1983, S..59 92

(15)

487 西ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち -105-向きの視点が登場しているように思われる。職業教育は外国人家族にとって帰 還の現実的可能性を拡大こそすれ,狭めるものであってはならない。職業教育 のなかに帰還の可能性を探ることは,職業教育をおえて,しかし西ドイツの社 会に外国人として生きていくことを否定するものではない。むしろ外国人とし て生きてゆくためにこそ外国人としてのチャンスを職業教育のなかにはっきり と確保しておきたいとする戦略なのである。 ところで外国人家族のそうした戦略はこれまでのところ彼ら自身の私的な領 域に属している。親の力が子供たちの人生を大きく左右するとき,外国人の親 たちの力がドイツ人の親たちの力よりも小さいのは,けだし当然だろう。自分 の従事している仕事や自己の職業経験にもとづかずして,親は子供たちを説得 することはできないのだから。訓練契約の獲得にはたした親の力は外国人の場 合ドイツ人のおよそ3分のlと低い。外国人の場合にはむしろ労働局の職業コ ンサルタントや学校の教師のはたす役割が大きい。それはドイツ人の場合の ちょうど親の力に相当する。外国人家族に適切な情報と納得のいく助言とを提 供するためには,それゆえ労働局と学校に多くの期待がかけられているのであ る。 連邦労働庁は

1

9

8

7

6

月に外国人の職業相談についてひとつの通達をだし ている。そのなかで各労働局は外国人家族の職業相談に専任する職業コンサル タントを少なくとも一人配置するように指示されている。担当の職業コンサル タントは,外国人の西ドイツにおける生活境過を熟知していなければならない。 訓練キャパシティを有する経営の住所録を手渡すという従来のなおざりなやり かたは克服されようとしている。職業選択の幅の拡大にむけて外国人家族を説 得し,外国人家族の信頼をかちとるためには,担当の職業コンサルタントは同 時に外国人家族の故郷における労働市場についても正確な情報をもっている必 要がある。たとえば西ドイツで獲得した資格が現地でどのように評価されてい るか,どのような資格が現地でもとめられているか。そのために必要な情報交 (25) Klaus Schweikert, Berufsbzldungssit仰 tionder' auslandischen ]ugendlzchen in der Bundesretublzk Deutschland, 1984, S 45-46

(16)

-106 香川大学経済論叢 488 換,担当職業コンサルタントの現地研修の機会についても,連邦労働庁はトル コの職業紹介機関とのあいだに協定を締結している(1985年

4

月)。 II “外国人の若者たちの専門エ養成を 支援するためのモデル・プロジェクド' 経営の保守性 ここでまず,職業教育において経営のはたすニ面性について触れておこう。 職業社会を構成するひとつひとつの職業は,技術と組織の変化に歩調を合わ せなければならない。継続教育は新しい技能・知識の追加的な獲得をたすける。 職業の構造という根本にかかわる調整は,専門工養成規定の改正作業のなかで おこなわれる。ある職業は養成の社会的な意味を失うであろう。またある職業 は新しい養成内容と方法のなかに編成されるであろう。あるいはまた新しい職 業が誕生するであろう。たとえば環境問題に従事する専門工として, 1985年以 降,廃棄物処理官

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という職業が新設されている。 職業教育は,明日の経済を支える熟練を形成するだけにはとどまらない。働 く者すべてが一人前の職業人としてそれぞれの職務を自己の責任のもとに自律 して遂行する。職業人たちの自主的な共働が上からの管理・統制にとってかわ る。そうした経営のありかたに一歩一歩近づくことをめざして,職業教育は次 代をになう若者たちのなかに職業人としての自律性を陶冶するのである。それ は,職業教育のなかで獲得した資格にふさわしい職場を請求し,現実の職場を よりよく改善するための主体的な条件となる。しル功hえれば経営の民主化に働 きかける行動能力が職業教育のなかで養成されるのである。 職業教育のこうしたこ重の役割は,とくに経営のなかで,しかし労働市場か ら相対的に独立した訓練市場において遂行される。職業学校,職業専門学校あ るいは企業外の公益の訓練施設は経営に対抗しそれを補完するという意味で職 (26) .4mtliche Nachlicht仰 derBundesaηstalt

r.4rbeil 35

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Nr 7, 1987, S 951-965

(27) ¥¥'olfgang Lempert, Leistung沙 問1Zit und Emanzi戸,ation,Suhrkamp 1971, S.. 138 150

(17)

489 西ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち 107 業教育のなかで重要な機能をはたすが,経営の独自性にとってかわることはで きない。 経営はなによりも修得した職業が適用される場である。またそこでは技術と 労働の編成のありかたをめぐって諸利害が直接に対立しあう。明日の職業在会 についてアノレタナティヴに思考するうえで,絶好の素材と機会とがそこにある のである。だが同時に経営は,社会的な不平等を再生産する場でもある。 ヲ ヲ '-'-がいまの肝心なポイントである。社会的に不利な立場にある人々は経営のなか においてもやはり不利な地位におかれている。つまり職業教育のなかに包摂さ れた経営は,したがって訓練市場は,労働市場の現状を保全しようとする力と それを変革しようとする力とが相克し合う場であるといってよい。 15歳から 24歳の外国人を対象とした 1985年の全国抽出調査からつぎのこ とがわかる。訓練契約を手に入れるために応募すらしたことのない者が56%に ものぼる。ポルトガル人の71%が最高値を示し,トルコ人の場合には 59%であ る。応募したことのある者のうち,ちょうど半分が訓練契約を獲得している。 そのさいユーゴスラビア人の76%とトルコ人の 39%が成功率の両極を代表し ている。平均すると,外国人の若者たちの4分の lが訓練市場に参入している (28) ことになる。それはドイツ人の場合の4分の

3

に対応する。 このように訓練市場への参入が外国人にとって厳しいのは,訓練生を採用す るさいの経営による選別のありかたとかかわっている。 外国人を訓練生として採用することはしないとはっきり表明している経営も みうけられるようであるが,たいていの経営は外国人の採用に中立的であると いってよい。つまりドイツ人との競争に勝ち残るような,はじめから優秀とわ かっているような外国人を拒否するようなことはまずない。 (28) Forschungsinstitut der Friedrich-Eb巴rt-Stiftung,Situation der auslandischen Aァー beitnehmer und ihrer Familienangehongen in der Bundesrepublik Deutschland Retresentativeunterschung'85, 1986, S. 63, 69

(29) Karト日巴inzN eumann, Gunter Pohlmann, Fallstudien zur Praxis der betrieblichen Ausbildung auslandisιher Jugendliιher in der Bundesre:戸ublikDeutschland Ben正hte

(18)

108 香川大学経済論議 490 経営にとって最も重要な選別基準は,訓練生が一定の養成期間をへて検定試 験に合格しうるかどうかである。不合格者をだすことは経営の信用問題にかか わる。また養成にかかわるコストは原則として経営が自己負担するから,でき るだけ余計な負担とリスクを避けたいと考えるのも当然かもしれない。 できるだけトラブ/レを避けようとする保守的な動機に支えられた選別基準 は,それゆえ外国人にたいして過敏にならざるをえない。外国人のドイツ語能 力,学歴上の諸問題は,それが検定の合否に致命的かどうかにはかかわりなし 偏見となって,採用の拒否につながる。そうしたケースが積み重ねられると, そもそも外国人のほうから応募することをためらうようになるのである。 この悪循環をたちきるためには,経営の保守性が打破されねばならない。そ れはいかにして可能だろうか。 国家が経営のリスクを分担し,養成の過程を批判的に追跡する。それをつう じて経営による偏見の自己認識を手助けし,改善すべき諸問題を解明する。そ うした試みが

1

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8

0

年代を一貫して西ドイツ全土をカバーして展開された。“外 国人の若者たちの専門工養成を支援するためのモデノレ・プロジェクト"(Mode

l

1

-versuche zur Forderung der Ausbildung von auslandischen Jugendlichen in anerkannten Ausbildungsberufen)が,それである。以下でプロジェクトとい う場合,この社会的な試みをさす。 プロジェクトは,ひとことでいえば, ドイツ人と外国人との対等性を明日の 労働の世界に実現することをめざし,職業教育の現在を改革するための一つの 社会的な実験である。社会民主党の主導する革新政権下の

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0

年夏に文部省に よって構想され,

1

9

8

2

年における保守中道への政権交代をのりこえて展開され た。 (30) 以下の叙述は次の文献にもとづいている。 DagmarBeer, Der Ubergang ausl,占!ndi -s ιher Jugendlicheγ von der 5chule zn die Berufsausbilduηg Modellversuche zur beruflichen Bzldung Heft 24, 1988; dito, Ubersicht uber berufliche Qua1ifizierungsprojekte auf Bundesebene, in: Henning Schierhelz (hrsg.), Ausbilden oder Au.s.steigen-Ausla"ndzsche Jugendliche ohne Chanιen zur Beruflichen Qua!zβzieru刀~g ~ 1988, S 185-237;Berufsbzldungsbencht1987, S 117-125

(19)

491 西ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち -109-プロジェクトの実施に要するコストは 4分の 3を文部省が,そして残りの 4 分のlをその経営が立地する州の政府が負担する。支援された計 25のモデノレ・ ケースは,その担当責任がどこにあるかによって,二つのタイプに分けられる。 ひとつは経営がみずからこの社会的実験の担当者となる場合である。アウディ (後述), BMW,フォノレクスワーゲンといった著名な大経営がこれに属する。 ここでは各経営がそれぞれ独自のスタッフをもちいてモデル・ケースを考案し, 実施する。いまひとつは,成人学校などの公共の教育機関が実験を計画・作成 し,そこに経営が協力者として参加する場合である。たとえばマンハイム成人 学校の考案したモデノレケースにはダイムラー・ベンツ,ジーメンスといった経 営が協力している。いずれの場合にも外国人のプロジェクト参加者たちは認定 済みの職業について経営と訓練契約をいわば政策的にむすぶ。そしてまたいず れのケースも養成のプロセスは第三者の研究者によって批判的に観察される。 たとえばフオルクスワーゲン社の場合にはハノーファ一大学教育学の研究者た ちによって中間・最終報告書が提出されている。ひとつひとつのモデル・ケー スをこえる,プロジェクト全体にわたる調整は連邦職業教育研究所がおこなう。 プロジェクトの開始はちょうどトルコにおける軍部の蜂起 (1980年 9月 12 日)と重なっている。この時期トルコの学校では生徒たちのあいだに政治的な 対立が深刻化している。多くの学校は閉鎖されるか,もしくは左右いずれかの 集団の支配下におかれた。こうしたなかで生徒どうしによる殺傷事件が相次い で生じている。とりわけ高等学校がその紛争にさらされた。高等学校在学中の 16/17歳という志半ばにして故郷をあとにし,親のいる西ドイツに避難せざる をえないトルコ人の若者たちが急増したのはこのためである。上記の年齢でノ ノレトライン・ヴェストファーレン州に渡航してくるトルコ人は1978年の 1,956 人から 1980年には 7,482人にも達している。 プロジェクトに参加した外国人は980人である。そのうち 83%と圧倒的多数 (31) Ursula Neumann, Auslandische .Jugendliche zwischen Schule und Beruf, in: Atilla Yakut et al, Z:ωischen Elternhaus und A rbeitsamt T古,rkische

.

f

ugendliche suchen einen Beruj, Berlin 1986, S.. 14

(20)

110 香川大学経済論叢 492 をトノレコ人がしめている。彼らはこのプロジェクトがなければ訓練契約を獲得 できなかった若者たちである。 参加者の属性をみよう。参加者の3分の2は上述の事情もあって18歳のとき に西ドイツに渡航している。西ドイツの職業教育に乗り込むには遅すぎるとみ られる年齢である。義務教育年齢の途中(7歳から 12歳)で渡航した者が2割, そして就学年齢以前からの滞在者がおよそ

1

割をしめている。渡航時の年齢が 高いため,参加者のおよそ3分の1 (35..5%)はプロジェクトに参加するまで 西ドイツの一般学校に通った経験をもたない。就学経験者のなかで,基幹学校 修了の資格をもっ者はわずか3分の lである。参加者のほとんど (873%)は 渡航前に出身本国において学校に通っている。なかでも中学校,高等学校の修 了者が382%もいる。 また西ドイツにおける滞在期間も同様の理由で短い。およそ半数 (54.2%) は3年以下である。参加者の 4人に 3人は渡航してからすぐ,あるいは一般学 校を卒業(退学および修了)したのち, ドイツ語集中特訓コースやMBSEなど の種々な職業準備の講習に通っている。 西ドイツに生まれ,基幹学校を修了したドイツ人の若者たちに照準を合わせ た職業教育ははたして上述のような属性をもっ外国人の若者たちにとって見込 みがあるだろうか。 最終検定試験の合格率926%はそうした危慎を一掃している。 合格率を参加者の属性によってさらに細かくみると,次のようになる。 13歳 以降に渡航した者たちの合格率は944%であり,それよりも早い時期から西ド イツに滞在している者たちよりも高い。就学年齢以前から西ドイツに生活して いる者が92..9%とつづき 7歳から 12歳のあいだに渡航してきた者が90.0% と最も低い。つまり滞在期間の長さは合格率の目安とはならないのである。 就学経験,学歴との関連をみよう。出身本国で中学校を修了したのち西ドイ ツに渡航し,西ドイツの一般学校に通うことなく職業準備の講習のみをへた者 の合格率(946%)は,西ドイツで基幹学校を修了している者の合格率(948%) と,ほとんどかわらない。最も低い合格率は,西ドイツに早くから生活し,長

(21)

493 西ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち 111 い就学経験をもつが修了していない者

(884%)

によって達成されている。西 ドイツで実科学校を修了している例外的ケースを除けば,最も高い合格率は, 出身本国で高等学校を修了したのち何の準備もなくプロジェクトに参加した者 たちの

9

5

.

8

%

である。 つまり検定合格にとって重要な前提は,体系的な学習を積んでいるというこ とである。それが西ドイツとトルコのいずれでなされたかという点は,さして 問題ではない。体系的な学習を積んでいれば,例えば言葉上のハンディは養成 課程のなかで克服されうるのである。例えば検定試験の成績にそれがあらわれ ている。西ドイツに長く滞在し就学しているが修了していない者の成績が実技 3..0,理論 3..3と最低のとき,西ドイツでまったく学校に通っていない集団のそ れは実技26,理論31である。基幹学校修了者はほぼ両者の中間にある。 検定試験に合格したあと,参加者のおよそ

8

(

7

98%)

は資格を獲得した 職業ないしそれに関連する職業に専門工として就職している。このほか不熟 練・半熟練労働者として就職している者が

62%

,さらに継続教育にある者が

2

.

.

2%

である。失業率は11川

8%

である。当時,専門工になりたての若者たちの平均 でおよそ

15%

が不熟練・半熟練労働者として就職している。このように専門工 の労働市場へのスムーズな移行がきわめて困難な時期にあっただけに,プロ ジェクトは全体として成功したと評価されねばならない。 なお,職業選択にさいして認められた帰還志向は,検定に合格し西ドイツの 専門工となったあとにも,けっして弱まっていない。過半数以上はその可能性 を保持したままである。現実の諸条件のなかで最善の判断がとれるよう,自己 の視野と行動半径をできるだけ広げようとしていると思われる。 2引 アウディ自動車株式会社の事例 (32) Jurgen Zabeck, Die Berufsausbildung auslandischer Jugendlicher als betriebliche Aufgabe und als Gegenstand wissenschaftlicher Analyse, in: Unferrichtswissenschajt No 1/1987, S.77

(22)

-112 香川大学経済論叢 494 アウディ自動車株式会社(以下,アウディと略称)には

1

9

7

9

年時点で従業員 総数の

16%

にあたる

4

8

0

0

人の外国人従業員が働いている。彼らはネッカース ウルム (Neckarsulm)とインゴルシュタット (Ingolstadt)の工場にほぼ同数ず つ配分されている。前者では外国人の約6割がトルコ人である。後者ではユー ゴスラビア人が約半数と最も多く, トルコ人はそれについで約4割をしめるO アウディは毎年だいたい

4

0

0

名を訓練生として採用している。アウディがプ ロジェクトを開始した

1

9

8

0

年の訓練生総数は

1

2

5

5

人である。この年,

4

0

名の プロジェクト対象者と

3

7

0

名の正規訓練生の合計

4

1

0

名がアウディと訓練契約 を締結した。訓練キャパシティは不変であるから,正規のノレート、で応募してく る若者たちにとってみると,プロジェクトによってアウディの門戸が狭められ たことになる。プロジェクトのためにアウディの訓練市場から排除されたドイ ツ人の若者たちがいることを思うとき,プロジェクトは強力な政治的意思に支 えられているばかりでなく,同時に政治的なリスクをもおかしているといって よい。 プロジェクト対象者たちはどのように採用されたのだろうか。

1

9

8

0

年度採用 者の主たる給源はアウディがみずから実施する

MBSE

の参加者であった。こ の年にはプロジェクトについてまだ十分に広報が行き届いていないこともあっ て,プロジェクトの特別採用枠に通常の窓口をつうじて応募してくる件数は限 られていた。インゴルシュタット工場

2

4

名,ネッカースウノレム工場

1

6

名の計

4

0

名のうち,みずから応募してきた者は

1

2

名である。

MBSE

からの

1

8

名が最 も多い。この年には定員を埋めるためにさらに労働局からまわされてきた

1

0

名 も含まれている。 翌年の

1

9

8

1

年度の特別採用枠には外部から

7

0

名もの応募があった。そのう ち実際に採用されたのは

2

5

名であるから,相当の選別がここでなされたことに なる。残りの

1

5

名は

MBSE

の修了者である。

MBSE

の出身者がこのように多 学のスタッフによる報告書にもとづいている。 JurgenZabeck.,SiegIinde Schmid-Hopf -ner, Wolfgang Schollhammer, Berufsausbildung auslandisιher ]ugendlicheκEsprint 1986

(23)

495 酋ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち -113ー いのは,インゴルシュタット工場の訓練生採用委員会の方針のためである。実 技指導教官をはじめ職業教育に携わるスタッフから構成されるこの委員会は, 外部からの応募者より能力的に劣ると想定される MBSE出身者の比率を5割 とあらかじめ設定することによって,プロジェクトの主旨に忠実であろうとし たのである。 また特別枠採用者の8割はアウディ従業員のなかに何らかの縁故・親類を もっている。採用にあたっては会社とのつながりも考慮されたのかもしれない。 プロジェクト対象者の専攻する職業は自動車整備工,旋盤工,機械整備工な ど 11種あり,すべて金属関係である。養成は各職業ごとに同期採用のドイツ人 訓練生と一緒になって進められる。外国人だけからなるクラス編成はしない。 たとえばネッカースウノレム 1980年度採用者の工作機械工の班にはプロジェク ト対象者の外国人 5名の他に 23名のドイツ人が加わり,計 28名が養成課程に おける学習のプロセスを常に共にする。 アウディは他の訓練生と同じようにプロジェクト対象者にも職業教育に先 立って適性テストを課している。本来アウディではこの適性テストに合格しな い者とは訓練契約を結ばないことにしている。なぜなら彼らには専門工になり うる基本的な素質に欠けており,それゆえ検定試験にも合格し得ないと判断さ れているからである。プロジェクト対象者のテスト結果は,しかしながら訓練 契約締結の可否とは関係なしただプロジェクト遂行上の参考資料として供さ れているだけである。 非アカデミックと分類される職業に要する基礎的技能をあらかじめ測定する ために,インゴルシュタット工場は BETと略称される職業適性テスト (Berufs -eignungstest)を,ネッカースウノレム工場では知能構造テスト (1ST),機械工学 的理解テスト (MTVT)などが利用されている。たとえばBETには試験項目と して次の 12点がある。1.工具の識別, 2日立体の作図, 3 住所の識別, 4“算 数, 5..図形の理解, 6.計算の応用問題, 7.同義語・反義語, 8.線描, 9“ピ ボットの挿入, 10..ピボットの回転, 11ド座金の取付け, 12 座金の取外し。 それらは形状の把握能力,空間の表象力,識字力,計算能力,言葉の表現能力・

(24)

-114 130 120 110 100 90 80 70 '"、、ー" , 一 司、〆 香川大学経済論議

"

1 1

ベ〆\~-ノ ーーー〆 496 2 4 5 6 7 8 9 10 11 12テスト Jf{目 第 1図 適性テストの結果

(出典 JurgenZab巴ck,Sieglinde Schmid Hopfner, Wolfgang Schollhammer, Be

-rufsausbildung auslandischer fugendlzcher, Esprint 1986, S 245 (注) 1 テスト項目については本文をみよ。 2 -一ーーーープロジェクト対象者 ドイツ人訓練生 一一一一ボ、一夕、ーライン 抽象力,指先・手の器用さを測定する。 各項目についてプロジェクト対象者の平均点をみると,合否のボーダーライ ン以下は6(計算の応用問題)と 7(同義語・反義語)にみられる。言葉の壁 がここに影響している。この2つの項目に対象者の7割から8割が不合格と なっている。他の項目の平均点はすべてボーダーラインより上にあり,とくに

9

1

0

が高得点を示している。 すべての試験項目にパスしないかぎり適性テストは不可となるため,BET合 格者は結局のところ4人しかいないことになった。ネッカースウルムでもほぽ 同様に6人のみが適性テストになんとかクリアしている。適性テストに合格し たうえで訓練契約を獲得しているドイツ人訓練生の平均点と比較してみると (第1図), 12項目中9つについて著しい相違が確認できる。 プロジェクト対象者

8

0

名中,

7

0

名はこのようにしてすでに門前払いのはず で、あった。適性テストに一応ノfスしている残りの

1

0

名も訓練市場が極度に逼迫

(25)

497 西ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち 115-していた当時の状況下ではやはり振り落とされていたとみてまちがいない。 以下では商工会議所の最終検定試験にいたる彼らの学習のあゆみを,養成課 程におけるいくつかの節目をとりながら振り返ってみよう。養成課程は商工会 議所の実施する中間試験を大きな節目として前期と後期に分けられる。経営の 実技指導教官と職業学校の教師とは前期と後期のそれぞれ終了時点で訓練生の 学習状況をチェックするために,非公式な形で試験を実施している。それらの 試験は,中間試験もそうであるが,最終検定試験にたいして何らかの内申書の ような働きをもつことはなく,訓練生個々人の技能・知識の集積度を把握し, 養成課程の効果を測定するための純粋に内部資料である。 実技指導教官による作業能率の採点を前期試験と後期試験とで比較してみよ う。平均点は前期

7

7

点,後期

7

6

点で変化はない。前期には全員が

5

0

点以上で 合格点をとっている。マル優(点数 100~92) が 2 人,優(点数 91.. 9~81) が 24 人, 良(点数

8

0

9~67) が 36 人,そして可(点数 66 9~500) が 8 人いる。後期 には

4

0

人が前期と同じ評価を得ているが,

1

ランク以上の評価の変動を

3

1

人 が経験している。 13人は評価ランクを上げているのにたいし,

1

8

人はそれを下 げている。そのうち一人は前期の司から不可への転落であった。 職業学校の前期と後期の成績をみると,上にみた作業能率の評価と同じよう に,各人の成績は必ずしも確実に向上しているわけではないことがわかる。一 般教養科目(ドイツ語,政治,経済・社会)についてみると,前期より後期の 方が成績の上がっている者が

2

5

人いる。とくに不可から可になった者が

1

7

人 いる。一方,前期よりも成績の下がっている者も 11人おり,そのうち6人は可 から不可となっている。こうした上下の,とりわけボーダーライン線上におけ る激しい変動は,しかしながら同時に生徒たち全体の学力の顕著な底上げをと もなっている。これを見落としてはならない。不可の者は前期の

3

8

人から後期 には

2

9

人となっている。専門理論,専門実技を加え,すべての科目に可以上の 評価を得た者は前期の

1

6

人から

2

6

人となっている。すべての科目に不可の者 は

2

1

人から

1

7

人へと減少している。 本番の最終検定試験には専門実技と専門理論とがある。実技試験は

2

日間の

(26)

-116 香川大学経済論叢 498 べ12時間にわたり,受験生はそのなかで用意された資料と工具とを使って一つ の製品を作らなければならない。専門理論の試験は工業数学,工業製図,テク ノロジー,社会・経済論について,多岐選択式と記述式の2通りの問題群によっ て構成されている。筆記にくわえて口述が課せられることもあるが,その場合 には筆記と口述は7対3の比重をもっ。筆記試験の配点は工業数学30%,工業 製図30%,テクノロジー30%,そして社会・経済論10%である。 プロジェクト対象者80名のうち, 10名は養成課程を中退している。 8名はl 年目のうちに中退し 1名は自殺,そして 1名は訓練契約を締結したあと参加 を辞退している。結局70名が受験したが,ストレートの合格は56名,第一次 再試合格

5

名,不合格

9

名であった。実技の平均点は78点で不可

1

名,理論の それは62点で,不可9名である。 これを中間試験の結果と比べてみよう。中間試験のときの実技の平均点は72 点で不可 3名,理論のそれは56点で不可 23名,全体の不合格者は24名もいた。 一人ひとりの成績をみると,中間試験のときには実技で80点以上の好成績を 上げても理論で不可をとる者が6名もいたりするというように,熟練形成にお ける理論と実技との肢行性がみられた。最終試験ではそうした問題性は姿を消 し,理論水準の技能水準への著しいキャッチ・アップと全体のレベノレ・アップ とがはっきりみてとれる。中間試験のときに実技で不可をとった

3

名はいずれ も1人ずつ可,良,さらには優へと向上し,とりわけ良から優へのアップが20 名もいる。また理論についても中間試験のときに不可だ、った 23名のうち 17名 は最終試験で良ないし可となっている。 プロジェクト対象者の最終試験の結果をアウディのドイツ人訓練生のそれと 対比してみよう(第l表,次ページ)。アウデ、ィで学ぶドイツ人訓練生は明らか に地域における優等生であるから,彼らの成績は当該商工会議所が管轄する地 域における平均点を上回る。実技80..4: 78..2,理論74“3:7L9。だから彼らと 比較すると,いわばゲタをはいてやっと訓練生の地位を手にいれた外国人の成 績は見劣りしてあたりまえとも想像されるが,現実にはけっして遜色のないも のである。実技はほとんど同水準にある。理論にやや隔たりが認められるが,

(27)

499 成績 ⑮ 優 良 可 不可 計 西ドイツ職業教育の改革と外国人の若者たち 第1表 最 終 検 定 試 験 の 成 績 実 技 理 外人数国(%人) 人 数ド イ ツ 人(%) 外人数国(%人) 1(14) 9(123) 35(50) 32 (43 8) 5(7 1) 26(37 2) 24 (32 9) 23 (32 9) 7(10) 8(1l) 33 (47 1) 1(14) 9 (12 9) 70 (100) 73 (100) 70(100) (出典) J Zab巴ck,et a,.lop.. cil, S 280 -117ー 5 両d岡〉、 ドイツ%人) 人 数 ( 5(68) 19(26) 31(42 6) 18 (24 6) 73(100) それでも大方の予想をこえてドイツ人訓練生に肉薄しているといってよい。 ところで,最終検定試験の成績を適性テストの結果と照合してみると,両者 のあいだに想定される相関性はみあたらない。プロジェクト対象者一人ひとり の実技の成績の分布は,

BET

の結果とまったくといってよいほど符合していな い。本来実技の能力を予測するのにもっとも適していると思われていたテスト 項目(ピボットの挿入・回転,座金の取付・取外し)ですら何らの相関性も示 していない。

BET

のなかで最も高い相関性を示すものは算数のわずか

5%

であ る。つまり実技の個人別成績分布の

95%

は適性テストの結果によっては説明で きないのである。理論の成績は実技の場合よりも適性テストによる予測司能性 が高くなる。算数の結果は理論の成績分布の30%を,住所比較はそれの45%を 予測している。算数の結果がボーダーライン以下にあった

1

0

人のうち,

3

人は 事実検定に不合格となっているが,残りの 7人は合格している。住所比較の結 果によって検定不合格を予測されていた 16人のうち, 8人は合格している。も し適性テストが何の疑いもなく適用されていたとすれば,本来検定試験に合格 し専門工になりうる能力をもっ若者はその機会を剥奪されていたことになるの である。 かくして,プロジェクトは検定合格という否定しえない事実をつきつけるこ とによって適性テストの問題性を白目の下にさらしたのである。

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118 香川大学経済論叢 500 III “ハンディを負った人々のためのプログラム" 養成課程を補助する諸措置 (ABH) 西ドイツ政府が実施したいまひとつの社会的実験は,“ハンディを負った人々 のためのプログラム"(Benachteiligtenprogramm)である。それは主として企業 外の公的な非営利団体一一労働組合,商工会議所,成入学校などーーのおこな う職業教育を財政的に支援することを目的としている。以下では,この社会的 な実験をプロジェクトと区別するためにプログラムと呼ぶ、ことにしよう。それ らの公益訓練施設は,訓練市場に参入する見込みがそもそもないと思われてい るような人々,もしくはそのハードルをこえることに失敗した若者たちを対象 とし,それゆえ訓練市場の外で専門工を養成し,労働市場に送り出さなければ ならない。つまりこの場合には熟練形成に市場の論理が制度的に内在していな いのである。形成される熟練の労働市場における通用性はここでは外から創出 されねばならない。 プログラムの対象者をみると,ハンディの強いほうから順にA, B, Cの 3 つの集団に分けられる。A集団は,学歴,素行の点で最も問題ありとみられる若 者たちであり,プログラムの本来の対象者である。基幹学校中退者が半数以上 をしめる。基幹学校を修了している場合にも麻薬常習歴,犯罪歴をもっ者がお よそ2割いる。また特別養護学校の卒業生が27%いる。この集団に属するドイ ツ人の37%が特別養護学校の卒業生である。外国人はこのA集団のなかで31% をしめる。 学歴・素行のうえでは問題はないが,訓練市場の競争メカニズムに押し流さ れて訓練契約の締結に失敗した若者たちはB集団を形成している。この集団の 特徴は女子が7害jと過半数をしめることである。

A

集団と

B

集団とは公益訓練施設において専門工養成課程に参加している。 1988年度では前者に14,000人,後者に5,200人が属している。 これらのA,B集団にたいしてC集団は,企業とのあいだに訓練契約をむす び司H練市場に首尾よく参入したが,養成課程を中退するおそれのある者たちか

参照

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