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1、核不拡散条約(NPT)

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国際関係論演習 2006 年 1 月 13 日 青木孝典、安部愛、多和田成子

2005 年 NPT 再検討会議決裂の原因の考察

2005 年 NPT 再検討会議(以下、2005 年会議)は、そこで核不拡散および核軍縮に関するあらゆる問 題が議論され、条約の運用に関する検討を行い、条約の今後の方向を定めるという目標が設定されて いるにも拘らず、なぜ決裂したのだろうか。 それについて、まず NPT の歴史から今後の NPT 体制の重要性を考察する。次に、2000 年 NPT 再検 討会議(以下、2000 年会議)と比較して 2005 年会議では何が会議決裂の要因となったのかを見ていく。 そして、それらの要因を生み出した主体にとって 2005 年会議がどのくらいの重要性を持ち、会議が決 裂しないために相互に妥協がなされる余地が無かったのかについて考察する。

一、核不拡散条約(NPT)

NPT は冷戦の流れの中で誕生した。よって最初に冷戦における核兵器について述べる。 核戦争によって人類の滅亡や文明の終焉をもたらす可能性が出てきた。そのため、冷戦期には米ソ 間における核戦争やそれに繋がり得るような紛争の防止が大きな目標となっていた。米ソの相互抑止 と、その他の国々(ここでは「小国」とする)を含んだ小国統御がこの目標を達成させることとなっ た。実際に国際体系が維持され核戦争が回避される中で、相互抑止の効果によって国際危機の暴発が 抑えられる中に、規則、制度の形成を通じて核戦争の危険そのものを減らすことが有益と考えられる ようになった1 。そして 1960 年半ば代以降、米ソは勢力均衡をより安定的なものとする国際制度の創 設を始めた。相互抑止のために、1972 年に戦略攻撃兵器制限暫定協定(SALT Ⅰ協定)、1979 年には戦 略兵器制限条約(SALT Ⅱ条約)が署名された(SALT Ⅱ条約は発効されなかった)。また、1972 年 には弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約を締結した。小国統御を確実にするためには「小国」によ る核兵器やその他の大量破壊兵器の取得を阻むことが必要であった。その結果として、核兵器に関し ては米ソ主導の下、既存の核保有国(米ソ英仏中)の核軍備を差し当たり公認しつつ、それ以外のす べての国(非核兵器国)に対して核武装を厳禁するNPTの交渉が進み、1968 年に署名に至った2 。この ように、NPTは冷戦における核戦争防止のための制度化の流れの中で誕生したものであった。 次に条約の基本構造について述べる。NPTは 1965 年に交渉が始まり、1970 年 3 月 5 日に発効された。 この条約では核兵器国と非核兵器国が区分されている3 。条約に加盟することによって、非核兵器保有 国は核武装しないことを約束するとともに、国内の核物質について平和利用を保障するための国際原 子力機関(IAEA)の保障措置(査察等)を受け、また核の平和利用について援助を受けることができ 1 石田淳他(2004)『国際政治講座4』、東京大学出版会 2 同上 3 黒沢満(1999)『軍縮問題入門』、東信堂

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る。一方、核兵器保有国は核武装について非保有国を一切援助しない。非核兵器国はIAEAとの間で「NPT に基づく保障措置協定」を結ぶ。この保障措置の義務違反がイラクなどで問題となっている。NPTは発 効時に条約の有効期限について意見が対立したため、発効の 25 年後に会議を開催し、その後どのよう に延長するかを決定することになっていた。1995 年にニューヨークで延長会議が開催され、条約の無 期限延長が決定された。また条約はその運用を検討するための再検討会議を 5 年ごとに開いており、 ここでは前述の通り 2000 年と 2005 年の再検討会議に着目していく。現在 189 カ国がNPTに加盟してい る。加入せずに核兵器を保有または開発していると考えられている国は、インド、イスラエル、パキ スタンの三カ国である。 今後の展望としては、無期限延長されたNPTを基礎とした核軍縮措置の早期達成が必要となってくる。 具体的には、包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効やSTARTⅢの早期交渉開始、兵器用核分裂性物質 の生産停止(FMCT)の条約の作成、非核兵器地帯の設置、法的拘束力のある消極的安全保障などが上 げられる4 。また上述したインド、イスラエル、パキスタンの加盟も今後の重要な課題となっている。

二.2000 年 NPT 再検討会議

2005 年会議について検討する前に、その比較材料として、NPT が無期限延長された後の会議であり、 なおかつ最終文書の採択に成功した 2000 年会議について概観したい。 2000 年会議はニューヨークの国連本部で 2000 年 4 月 24 日から 5 月 20 日まで開催され、議長はアル ジェリア大使であるアブダラ・バーリが務めた。また、当時 NPT 加盟していた 187 カ国やキューバ、 IAEA 等の国際機関だけでなく、初めてオブザーバーとして NGO が参加して世間の注目を集めた。こ の会議では前述の通り、最終文書がコンセンサスで採択されている。 さて、最終的には「成功」に終わった 2000 年会議であるが、会議開始前においてはむしろ「成果に 対する悲観的な予測が一般的であった」5 。2000 年会議はどのような背景の下に行われたのだろうか。 特に注目しておくべきこととして以下の3点が挙げられる6 。まず、3 度にわたり事前に開かれた準備委 員会において実質的事項についての合意ができていなかった。そのため会議開始時においても、どのよ うな補助機関を設置するかについての合意がなく、会議の先行きが不透明であった。次に、NPT体制の 無期限延長がこの会議に大きく影響していた。前述の通りNPT体制とは核兵器国と非核兵器国を区別す る不平等な体制であり、この体制を核兵器国が正当化するためには自国の核軍縮状況をアピールする必 要がある。1995 年NPT再検討会議(以下、1995 年会議)以前においては、核兵器国の核軍縮状況に不 満であれば、非核兵器国はNPT体制の消滅を武器に一層の核軍縮を求めるという行動が可能であった7 。 しかし 1995 年会議によりNPT体制の無期限延長が決定されたことで、そのような戦術が取れなくなっ たため非核兵器国の交渉力が低下しているのではないかという懸念が存在していた。さらに 1995 年か らの世界情勢の変化もこの会議に影響をもたらしている。1995 年会議以来 1997 年までは、1996 年 9 月 4 黒沢満(2001)「核不拡散体制の新たな展開―核不拡散条約(NPT)の延長と今後の展望―」、 『人権法と人道法の新世紀:竹本正幸先生追悼記念論文集』 5 黒澤満(2000)「2000 年NPT再検討会議と核軍縮」、『阪大法学』50 巻 4 号、517 頁 6 同上、516-517 頁 7 黒沢、前掲論文(2001)

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にCTBTの署名が開始されるなど核軍縮・核不拡散の分野において進展が見られたが、それ以降は 1998 年 5 月のインド、パキスタンによる核実験、1999 年 10 月の米上院CTBT批准拒否8 などそれまでの流れ に逆行し、NPT体制の正当性を傷つける出来事が立て続けに発生した。そのなかで、戦力兵器削減交渉 (START)プロセスの停滞、FMCTの未交渉などの核軍縮分野における停滞がクローズアップされ、核 兵器国に対する非核兵器国や国際世論の批判が高まっていた。また、その核兵器国もアメリカが進める 戦域ミサイル防衛(TMD)や本土ミサイル防衛(NMD)開発をめぐって他の核兵器国が批判するなど、 一枚岩ではなかった。 そのような中、会議の初日において準備委員会では合意が達成されなかった補助機関について、核軍 縮を扱う補助機関と中東問題を含む地域問題を扱う補助機関の設置が決定される。これは議長の事前交 渉のなかで中東問題を扱う補助機関の設置を求めるエジプトに対しアメリカが譲歩するとともに、中東 問題以外の地域問題についても取り上げることにエジプトが譲歩した結果である9 。これにより、会議 の構造(図 1 参照)が決まった。 この会議では以前の再検討会議とは会議のアクターのあり方が大きく様変わりした。以前の再検討会 議では、核軍縮分野においては冷戦構造を反映して西側と東側の対立の間に非同盟諸国(NAM)が割 って入るという構図であり、核不拡散の分野では核兵器国とNAMとの二極対立の構図であったのだが、 2000 年会議ではどちらの分野においても、核兵器国と 1998 年 6 月に共同宣言を出して発足した7つの 中堅国(アイルランド、スウェーデン、ニュージーランド、エジプト、ブラジル、南アフリカ)の同志 連合である新アジェンダ連合(NAC)との対立を日本やカナダ、オーストラリアなどの中間国が取り持 8 批准拒否の詳しい経緯についてはテリー・L・デイベル「なぜ米上院は包括的核実験を拒絶し たか」朝日総研リポートAIR21、167 号 9 黒沢、前掲論文(2000)、518 頁

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つという構図がみられた10 。この構図の中でそれぞれのアクターがどのようなことを主張していたか、 以下に概観しておきたい。 まず前述の通り一枚岩でなかった核兵器国だが、核軍縮の停滞に対しての非核兵器国や国際世論から の激しい批判に対し、「釈明」のような形で会議 2 週目に「共同声明」を発表11 。その中で核保有国は 「NPTの強力かつ継続的支持を繰り返し、1995 年の決定・決議へのコミットメントを再確認し、普 遍性の必要性と遵守の重要性を強調している」。また「核兵器の究極的廃絶と全面完全軍縮条約への明 確なコミットメントを繰り返し、1995 年の行動計画には十分な進展があったと述べ」、核兵器の照準を いかなる国からも外していることを宣言した。さらに、CTBT早期発効を確保するための努力へのコミ ットメント、非核兵器地帯への支持、法的拘束力のない消極的安全保障の確認も謳っている12 。 このような核兵器国の主張に対して、NACは 1995 年会議からの核軍縮の停滞を指摘し、2005 年まで の加速された核軍縮交渉プロセスに取り組むことを核兵器国に求めている。また、「核兵器廃絶の明確 な約束」も核兵器国に対して求めており、その暫定措置として、「核兵器の使用を排除するような核政 策の変更、警戒態勢解除や核弾頭の運搬手段からの除去、戦術核兵器の削減と廃絶、法的拘束力のある 消極的安全保障の提供、透明性の向上、不可逆性の原則の適用」を行うよう要求した13 。 この核兵器国と NAC の対立の中で各中間国は様々な提案をしているが、共通するものとしては、 CTBT の早期発効、FMCT の早期交渉開始、透明性の拡大、不可逆性の強化が挙げられる。 さて、互いの主張が相容れないものであればそこに衝突が生まれるが、NPT 再検討会議ではコンセン サスでなければ最終文書が採択されないため、会議では全ての衝突に対して何らかの妥協が必要となる。 5 月 20 日に最終文書が採択されるまでの流れ(図 2 参照)とは妥協の過程ともいえる。以下、この会 議において重要な争点であった「核兵器廃絶の明確な約束」、「戦力の透明性」、「イラク問題」の 3 点に おいてアクターがどのように妥協したのかを整理する。 「核兵器廃絶の明確な約束」とは核兵器国が主張する「核兵器の究極的廃絶」に対する概念である。 そもそもこの「核兵器の究極的廃絶」という言葉は 1994 年に日本が国連総会議で提案した「核兵器廃 絶という究極目標」がもとで、1995 年会議においても言及されており、当時画期的なこととして世界 に迎えられた。しかし、その後核軍縮が停滞する中、この言葉は核廃絶を遠い将来の課題としてしまい、 現在の核軍縮に結びつきにくいという批判が非核兵器国から出てくるようになる。そこで、核兵器廃絶 が現在の課題であることを核兵器国に認めさせるため、NACは「核兵器廃絶の明確な約束」を核兵器国 にせまったのである。核兵器国はこれに対し強く反発したが、補助機関Ⅰにおいて草案にあった「2005 年までに核軍縮交渉を加速させる」とのくだりの削除をNACが認めたのを受け、「核廃絶の明確な約束」 を受け入れた14 。 「核戦力の透明性」もまたNACが核兵器国に対し主張したものであり、中国が核兵器国の中でも戦力 や安全保障状況が違うことを理由に一律の透明性確保に反対したため、大きな争点となった。しかし、 10 黒沢、前掲論文(2000)、520-521 頁 11『毎日新聞』2000 年 5 月 3 日 12 黒沢、前掲論文(2000)、525 頁 13 同上、525-526 頁 14 西村陽一(2000)「NPT再検討会議 穴だらけの合意」、『世界』677 号、29-30 頁

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最終的には中国が孤立する結果となったため、中国はFMCTの議論において自国の主張を受け入れさせ ることを条件に妥協した15 。 核開発疑惑がもたれていたイラクをIAEAの核査察に「非協力」であると名指しで批判する最終文書 案へのイラクの反対により生じたアメリカと中東諸国の対立が「イラク問題」である。NPT未加盟のイ スラエルを名指しで批判する文書案をアメリカが受け入れる際、イラクへの批判も盛り込むことをその 条件としたため、問題が複雑化した。結局、「二カ国間の利益のみを追求し、会議をご破算にしてはな らない」と他の参加国に諭されてアメリカとイラクが歩み寄り、批判の表現を緩和することで決着がつ いた16 。 このような経過をたどって採択された最終文書に対し、当時の世論は確かに成果文書の中で「核兵器 廃絶の明確な約束」を含む 13 項目の核軍縮措置や核不拡散分野の一定の進展がとられたものの、核軍 縮の具体的な日程が組まれておらず、その後の努力に結果が左右される面が大きかったため、採択に成 功したことを歓迎するとともに内容についてはある程度批判的に受け止めている。

三.2005 年 NPT 再検討会議

次に、2005 年 NPT 再検討会議について概観する。 2005 年NPT再検討会議は、5 月 2 日より 27 日の 4 週間にわたってニューヨークの国連本部において 開催された。そこには、北朝鮮を脱退保留国としたNPT加盟国 189 カ国とキューバ、IAEA、NGO各団 体が参加した。しかしながら、2000 年会議での合意にもかかわらず、この会議ではコンセンサスに達 15 登誠一郎(2000)「2000 年NPT運用検討会議を振り返る」、『外交フォーラム』145 巻、38 頁 16『朝日新聞』2000 年 5 月 22 日

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することはできず、その結果、会議は実質的な最終文書を採択することができなかったため、会議は 失敗であったと評価されている17 。 それでは、なぜ会議は決裂したのか、その要因を検討する。 まず、2005 年会議が円滑に進むように、準備委員会において会議の議題について合意が達成される 予定であった。しかし、2001 年の同時多発テロ発生により、アメリカにおいてブッシュ政策が強化さ れ、その結果アメリカはCTBTに強固に反対する立場になり、対弾道ミサイル(ABM)条約からの脱退 声明を出した。そしてアメリカは米国安全保障戦略および大量破壊兵器と戦う国家戦略を発表した18 。 そのため、準備委員会では非戦略核兵器を含む核軍縮、核不拡散義務の追従、条約の普遍化、「地域問 題」、IAEA保障措置、消極的安全保障、非核兵器地帯、核物質の輸送を含めた核燃料の平和利用、輸出 統制が焦点問題として議論されるはずであった19 が、アメリカなどは核不拡散を最優先させ、条約違反 の問題が最も緊急の重要課題であり、この問題を中心に議論すべきだと主張した。さらに進んでアメ リカは、核軍縮の義務を遵守していると述べ、核軍縮義務の履行、不履行は問題にならないと述べた。 それに対してNACを中心とする非核兵器国は、核軍縮の進展に重点を置くことを主張した20 。この焦点 問題の設定におけるもの別れのため、準備委員会で議題に合意をとりつけることは不可能になったと 考えられる。 その後議長を中心に合意達成のための精力的な非公式協議がなされたが、会議開催までに合意は達 成されなかった21 。前述の通り、本来ならNPTはいわゆる「不平等条約」であるため、核軍縮義務もバ ランスよく議題に織り交ぜることが、この条約の体制を維持するための前提となるはずである。その ため、今回の会議において核不拡散を最重要課題としようとしたアメリカなどの行動は、会議が決裂 した直接的な要素だと考えられる。そして、アメリカなどが 2005 年会議において核不拡散に重きを置 こうとしたのは、9.11 事件だけが原因ではないと考えられる。それ以外に、条約締約国であるイラク、 イラン、リビア、北朝鮮などが、NPTを十分に遵守せず、条約の違反あるいは不遵守という状況が現れ てきたことも含まれるであろう。 北朝鮮は 2003 年 1 月にNPTからの脱退を表明し、2005 年 2 月には核兵器の保有を宣言するに至って いる。リビアは 2003 年 12 月に米英との交渉により、大量破壊兵器の放棄を約束し、問題解決へと至 った。イラクは 2003 年のイラク戦争で、フセイン政権が崩壊したが、その後大量破壊兵器を保有して いなかったとの報告がなされている。イランの核兵器開発疑惑は、2003 年にウラン濃縮計画が 18 年に わたり秘密裏に実施されてきたことが明らかになったが、イランはあくまでもこれは締約国に認めら れている「原子力の平和利用」であると主張する22 。これらの中でも、特にイラン問題は 2005 年会議 における対立の一つの軸となっており、これらのいわゆる「ならず者国家」と並んで、テロリストな 17 黒沢満(2005)「2005 年NPT再検討会議と核軍縮」、『阪大法学』55 巻、267 頁 18 同上、269 頁 19

MCIS CNS NPT Briefing Book (April 2005 Edition), p.23 20 黒沢、前掲論文(2005)、270 頁 21 同上、274 頁 22 同上、268~269 頁

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ど非国家行為体が核兵器を取得し使用する可能性が危惧されるようになったのである23 。 次に、2005 年会議自体を概観する(図 3 参照)。2005 年会議では、まず手続問題が会議決裂の直接的 な要因となっている。手続問題とは、議題の設定、補助機関の設置に関する問題であり、会議が開始 されてもなお議題の設定に時間を要した。途中、議長案として暫定議題が示され、そこで採択される ことが予想されたが、エジプトが異議を唱えたために協議はさらに継続されるという結果に終わり、 最終的にエジプトが譲歩する形で、会議 2 週目終わりごろの 5 月 11 日に議題への合意が達成された。 加えて、並行して2日間の審議の期間が設けられたものの、各機関への議題の割り振りにさらに時間 を要し、主要委員会での議論が開始されるのは、予定より2週間遅れてからであった。このような手 続問題の背景に各国の意見の衝突があり、それが会議決裂の間接的な要因になっていると考えられる。 (図 3) それでは、各国の意見の衝突がどのように会議の進行に影響したのだろうか、主要委員会での議論に おける主な争点を取り上げてみる。 核軍縮全般に関しては、核兵器国は NPT 第 6 条の義務を遵守しており、核軍縮に積極的に取り組ん できたと述べているが、その中で中国は他の核兵器国の行動に対して批判的な態度を示した。他方、 NAC や NAM は核軍縮義務の早期の遵守を求めている。特にアメリカが核軍縮に関する 13 項目を含む 2000 年最終文書への言及を拒否したのと、核軍縮と全面完全軍縮との関係に関する意見の相違が、こ 23 同上、269 頁

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こでは問題となった。 CTBT に関しては、その早期発効と条約発効までの実験モラトリアムの維持が要請されているが、ア メリカは CTBT の批准について、一切拒否の態度を示している。 戦略核兵器の削減に関してはアメリカ、ロシアは START プロセスを放棄し、個別に 2002 年モスク ワ条約を締結している。そして、両国は、核軍縮は着実に進められているとコメントしているのに対 し、NAC、NAM は核兵器削減の状況に対してきわめて否定的である。 新型核兵器の開発に関しては、非核兵器国や中国は、新たな核兵器の開発は現存する兵器使用の敷居 を低くさせ、国際安全保障政策に新たな不安定要素を付け加えるだけであると述べているのに対し、 アメリカはそれを真っ向から否定し、核兵器使用の敷居は常に高いものであると述べている。さらに 新型核兵器開発を否定する言明に対しては削除を求めている。 消極的安全保障に関しては、法的拘束力のある消極的安全保障について核兵器国と非核兵器国との間 で争いがある。 核不拡散に関しては前述した問題と、それに積極的に取り組むことを要請するアメリカの意見が付さ れている。 原子力の平和利用に関しては、IAEA の保障措置機能とのバランス調整が争点となり、アメリカは権 利としての原子力の平和利用を制限し、核燃料サイクル技術へのアクセスを制限すべきだと主張して いる。 このように会議の主要なアクターに妥協の姿勢が全く見られなかったこと、核兵器国の間でも共通の 姿勢が提示されなかったこと、NAMやNACは、それぞれが他の議題との関係を利己的に主張し、さら にそれらのグループの見解を明確に代表しているとは考えられないエジプトが、中東問題に固執し会 議の進行を乱したこと、そしてアメリカとその他の国とで、過去の再検討会議における合意に対して 温度差が見られたことが、会議が決裂したと評価される理由として挙げられる24 。 合意を達成するためには、会議の主要国が妥協する態度を示すことが必要であることは言うまでも無 い。今回の会議で主要国がなぜ自らの立場に固執したのか、妥協する余地が果たしてなかったのかを、 2000 年以後の世界動向と各国の立場とを絡めながら、後述する。

四.2005 年NPT再検討会議失敗の原因の考察

2000 年会議は決裂を回避した。しかし、その結果としての最終文書は核兵器国とNACの双方にとっ て最良のものとはいえない。では、なぜ決裂しなかったのか。日本政府代表として 2000 年会議に参加 した登誠一郎氏は「(2000 年会議において)辛うじて合意が成立した背景には、この会議の失敗がもた らすであろう影響についての懸念が深刻に感じられたことが想起される」25 と語っている。つまり、2000 年会議の決裂により生じるコストが非常に大きかったことが決裂しなかった要因のひとつである。核兵 器国にとって、当時核軍縮の停滞に対する国際世論の批判が強まる中、「対立を抱え込んだまま、会議 24 同上、300~305 頁 25 登、前掲論文(2000)、34 頁

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決裂になだれ込めば、核保有国の責任が問われるのは目に見えていた」26 。また、非核兵器国にとって もこの会議はNPT体制の無期限延長後最初の再検討会議であったため、この会議で核軍縮に対して進展 させることができなければ、交渉力の低下が証明された形となり、今後核兵器国に対し核軍縮を求めて いくことがより困難になる可能性があった。 では、2005 年会議の決裂により生じるコストは低かったのか。日本の報道を見る限り、2000 年以降 の国際情勢の変化を捉えてこの 2005 年会議を今後の NPT 体制のあり方にとって非常に重要なものとし て位置づけている。そのような会議の決裂するコストが低いとは考えにくい。 NPT 再検討会議は妥協の場であり、各アクターが自国の利益が最大になるように行動する。つまり、 妥協することにより支払うコストより妥協によって得られるメリットの方が大きければ妥協する。しか し、登誠一郎氏の言葉によれば妥協によって得られるメリットよりも妥協せずに決裂することで生じる コストの方が重視されているようだ。そこで、「NPT 再検討会議において各アクターは決裂を回避する ための譲歩により生じるコストの総量と会議決裂により生じるコストの総量を比較して行動を決定す る」と仮定し、この観点から 2005 年会議を捉える。この仮定の下では、アクターにとって譲歩するコ ストが決裂により生じるコストより高ければ、そのアクターは譲歩せずに会議が決裂する。しかし、逆 の場合ではアクターが譲歩するため会議が成功することになる。 2005 年会議において決裂に対して積極的に貢献した国としてアメリカ、イラン、エジプトが挙げられ る。前述の通り、議題設定において激しく争ったのがアメリカとイランであり、アメリカとイランが妥 協した案を否定したのがエジプトであった。その後エジプトが態度を軟化することにより議題の合意が 達成されたものの、時間上の制約から主要委員会での議論が1週間弱しか行えなかった27 。そしてそれ は、2000 年会議においては非公式のものを含め3週間強も主要委員会でぎりぎりの交渉が行われてい た28 ことを鑑みると、合意に至るためには短すぎるというほかない29 。よってここでは、アメリカ、イ ラン、エジプトについてその譲歩するコストと決裂により生じるコストを調べ、比較することにする。 全てのアクターにとって当てはまる決裂により生じるコストとして「国際世論からの批判」、「NPT 体 制崩壊の危険性の上昇」、「テロ組織・破綻国家への核拡散に対する NPT 体制からの予防措置構築の失 敗」(以後、共通する 3 項目)が挙げられる。各アクターを個別に検討する前に、まず以上の 3 項目に ついて考察する。 まず「国際世論からの批判」であるが、これには 2 種類あると考えられる。ひとつは核軍縮・核不拡 散の現状について何も進展がなかったことに対する批判、そしてもうひとつは会議を決裂させるに至ら 26 西村、前掲論文(2000)、30 頁 27 紛糾が予想された、中東問題やイラン・北朝鮮の核開発問題を扱う第 2 委員会小委員会の討 議時間はたったの 6 時間であり、主要委員会も計約 18 時間の討議時間しかなかった。(『毎日新 聞』2005 年 5 月 26 日) 28 具体的な会議の雰囲気は登、前掲論文(2000)に詳しい 29 日本の美根慶樹ジュネーブ軍縮大使は 2005 年会議閉会後の記者会見で、決裂の理由について 核保有国の責任に言及するとともに、「日程の 3 分の 2 を手続きに消費し、実質審議にほとんど 時間が取れなかった」と指摘している。また一方的な主張を続け、合意を阻んだ米国やエジプ トの姿勢を「全会一致原則の乱用」と非難する声もある。(『読売新聞』2005 年 5 月 28 日夕刊、 『毎日新聞』2005 年 5 月 29 日)

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せた行動そのもの30 に対する批判である。前者の批判は会議時点での核軍縮・核不拡散の状態に対して の国際世論の満足度が小さいほど大きいものとなり、後者の批判はその会議の進展度、アクターの行動 の悪質さの程度、または会議の成功の可能性が大きいほど大きなものとなる。また両者は関係性を持ち、 前者の批判が大きければ後者の批判も大きくなり、さらに最終文書の内容によっては例え採択されたと しても前者の批判だけが発生することもありうる31 。核軍縮分野の状況は、2000 年会議最終文書の「核 廃絶の明確な約束」を含む 13 項目の核軍縮措置の一部が遵守されていない、アメリカが新世代の核兵 器の開発を提案している32 等、明らかに悪化している。しかし世論の注目の希薄化も主張されるところ であり33 、2005 年会議の核軍縮分野における前者の批判は 2000 年会議と同程度であったと考えられる。 核不拡散の分野においてはテロ組織・破綻国家が核兵器を手に入れる危険性がクローズアップされ、 2005 年会議をその危険性に対処するための試金石とする見方から、インド・パキスタンが核実験を行 いNPT体制の正当性が危ぶまれた 2000 年会議よりさらに高かったと考えられる。一方、2005 年会議の 準備委員会においてほとんど何も決まっていないという状況において、会議が成功する可能性が当初か ら 2000 年会議時に比べ低く見積もられており、後者の批判については非常に小さかったと考えられる。 実際、2005 年会議が決裂した後、この 3 国の会議時の行動に対して国際世論が何らかの大きな行動を とったことはない。 次に「NPT体制崩壊の危険性の上昇」であるが、これも小さかったと考えられる。なぜなら、すでに NPT体制の無期限延長が決定されているため、交渉の結果として直ちにNPT体制が崩壊するとは 1995 年会議以前に比べ考えにくいからである。NPT体制崩壊のシナリオとしては核兵器国の核軍縮の不履行、 または自国の安全保障環境の悪化等が原因で核兵器を持とうとする非核兵器国が増加し、それに対し NPT体制がなんらの打開策を打つことができず、結局事実上の核兵器国がNPT体制から多数登場するこ とによりNPT体制の正当性がほぼ皆無になることによる事実上の崩壊というものが考えられる。一方核 兵器国、特にアメリカが核軍縮を避けるためNPT体制を積極的に崩壊させるというシナリオも考えられ るが、現在のアメリカの核政策はテロ組織・破綻国家を念頭においてのものであり、核政策を重視し NPT体制を崩壊させることは、むしろ主権国家に核兵器が拡散してテロ組織・破綻国家対策に悪影響が 及ぶ恐れがあるため、現実的でない。やはり非核兵器国がNPT体制を崩壊させるかどうかの鍵を握って いることになる。その非核兵器国もNPT体制による核不拡散から自国への核兵器による攻撃可能性の低 30 例としては、2005 年会議の一般演説を、1995 年会議のゴア副大統領、2000 年会議のオルブラ イト国務長官に比べ、「明らかに格落ちな」ラドメーカー国務次官補(軍備管理担当)に行わせ たアメリカの行為や「本国と連絡が取りたい」と交渉を長引かせたエジプトの行為が挙げられ る。(『朝日新聞』2005 年 5 月 16 日) 31 2005 年会議について、土山秀夫・元長崎大学長は「2000 年の合意を反古にするような、後退 した合意が成立してしまうぐらいなら、私はこの方(決裂)が良かったと思う」と述べている。 (田崎智博(2005)「核廃絶を伝え続ける使命を再確認-NPT再検討会議を取材して」、新聞 研究 649 号) 32 第 1 委員会においてジャッキー・サンダース米大使は「NPTは核戦力の近代化を禁じていな い」と発言している(『読売新聞』2005 年 5 月 25 日) 33 阿部信泰・国連軍縮局長はインタビューで、1990 年代半ばをピークにNPTは衰退していると し、その理由を「一般の人が核軍縮の議論に興味を示さなくなった」ことに求めている。(『世 界週報』86 巻 22 号 22-23 頁)

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下という利益を得ている。1995 年会議において、非核兵器国がNPT体制の無期限延長に合意したのもこ の利益を重視したからである。2005 年会議の中、核の平和利用の促進を主張していたイランに対して、 その主張が自国の核兵器保有への布石となっている危険性から、「非核先進国からも懸念の表明が相次 いだ」34 。つまり、非核兵器国同士にも核兵器を新たに持とうとする国に対して抑止する力が働いてい る。さらに 2005 年会議までに 6 回再検討会議は開催されているが 1980 年、1990 年、1995 年の再検討 会議では合意が達成されていなかった。つまり、合意が達成されなかったがNPT体制がそのことによっ て崩壊しなかったという先例があるわけである。また、2000 年会議は成功しているため、NPT体制が無 期限延長になっても合意に至ることは可能であるという先例もすでに存在している。よって、2005 年 会議決裂による「NPT体制崩壊の危険性の上昇」は小さかったと考えられる。 最後に「テロ組織・破綻国家への核拡散に対するNPT体制からの予防措置構築の失敗」であるが、再 検討会議参加国の間ではそのコストが大きく見積もられたわけではないと考えられる。というのも、ま ずNPTは主権国家による核拡散防止を念頭に立ち上げられたものであり、そもそもテロ組織のような非 国家主体への核不拡散は念頭におかれていなかった。また、この問題に対しNPT体制から何らかの処置 をすることはもちろん有用であるが、2005 年会議の決裂を踏まえ、「今後、核拡散防止等の活動は、米 国を中心とする有志連合に期待する以外に、方策は無くなった」35 とする論調が見られたようにNPTだ けがこの問題に対応しうる唯一の枠組みというわけではない。実際、NPT以外の枠組みとしては「拡散 に対する安全保障構想」(PSI)が 2003 年のブッシュ米大統領の呼びかけにより発足し、現在 60 カ国以 上が支持を表明している。PSIとは、大量破壊兵器開発懸念国・非国家主体から輸出、又は大量破壊兵 器開発懸念国・非国家主体に輸入される大量破壊兵器もしくはその開発資材を輸送段階において阻止す るというものであり、成功例としては 2003 年 10 月のドイツ・フランスによるリビアの遠心分離器輸入 の阻止が挙げられる。この「活動」(activity)には、国際協定との調整が必要でその法的根拠もあいま いであるという問題点があり、核の平和利用の権利まで侵害しかねないとの批判もあるが、NPT体制と バランスをとりながら運用のあり方をつめていけば、テロ組織・破綻国家への核拡散に対する予防措置 のひとつになりえるだろう36 。 しかし、「テロとの戦争」を宣言したアメリカにとって、NPT体制設立当初の想定外の事態であるこ とや他の枠組みの可能性だけではNPT体制を用いたテロ組織・破綻国家への核不拡散対策への期待を薄 くする理由としては弱い。そこで、「不完全情報下では、核保有国や核不拡散体制の威嚇権力に十分な 信頼性が確立している場合には、非核保有国は核開発を断念し、核保有国は核不拡散体制を安定するこ とができる」37 という理論からアメリカにとっての現在のNPT体制を考えてみたい。前述の理論によれ ば、以下の式が成り立てば核兵器国はNPT体制を安定化することが可能になる。 34『読売新聞』2005 年 5 月 4 日 35 http://www.ryhcen.org/treebbs2/0/570.html(2006 年 1 月 11 日アクセス) 36 PSIの限界・問題点については、中井良則(2005)「ブッシュ政権の核不拡散政策とPSI」、『ア ジア太平洋研究』2 号に詳しい 37 詳しくは石黒馨(2002)「核不拡散体制の安定条件-NPT体制を超えて-」、『神戸大学経済学 研究』48 巻

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(d-c)÷x<Θ (d:核保有の利得、c:核開発のコスト、x:ペナルティの大きさ、 Θ:威嚇権力の信頼性) つまり、核兵器国がNPT体制をより安定化させることのできる状況を作るためにはc又はx又はΘを 大きくするか、dを小さくすればよい。以下に、2000 年からの 2005 年までの世界情勢によりこれらが どのように変化したのかを考察する。まずdであるが、これを減少させることで核不拡散体制を安定さ せようとするアプローチをディマンドサイドアプローチという。dを減少させるための手段としては、 例えば非核兵器国に対する法的拘束力のある消極的安全保障の付与や安全保障環境の改善が挙げられ るが、法的拘束力のある消極的安全保障は与えられず、安全保障環境にいたっては 9.11 事件後むしろ 悪化している。逆にcは増加する必要がある。cを増加させることで核不拡散体制を安定化させるアプ ローチをサプライサイドアプローチといい、CTBTやFMCTなどを発効させることにより、非核保有国 が核開発しにくい環境を作り出すことが目標である。前述のPSIも核兵器又はその開発資材の入手経路 を取り締まることでcを増加させる試みのひとつである。2000 年からの世界情勢を考えると、確かに PSIができるなど一定の進展も見られたが、CTBTやFMCTについてはいまだ発効の見通しが立たない状 態である。また「核の闇市場」やロシアのずさんな核管理が発覚し、想定されていたよりもcが小さか ったことが明るみに出たため、総合すると 2000 年会議時に比べて小さくなったと考えられる。次にx であるが、制裁には軍事制裁と経済制裁の 2 種類がある。軍事制裁においてはイラクが核兵器保持の疑 いでアメリカを代表とする連合軍により攻撃された。しかし、その後イラクにおける核兵器開発がなか ったことが明らかになるにつれて、アメリカがその開戦の理由をイラクの圧政に求めるようになったた め、軍事制裁としての側面があやふやなものになってしまった。そのうえ、経済制裁については政治・ 経済のグローバル化の進展によりその実効性に疑問が呈されるに至っており、総じてこれも減少してい ると考えられる。最後にΘであるが、これを増加するためにはNPT条約不遵守国に対して核兵器国が常 に制裁を与える必要がある。しかし前述のイラク戦争を除いて核兵器保持が原因の軍事制裁はなく、 NPT体制外で核兵器を保持しているインドとパキスタンに対しアメリカはアフガニスタン侵攻を境に 黙認の方向に動いているとされ、イスラエルに対するダブル・スタンダートと相まってその信頼性は改 善されていないようである。以上により全ての項目において悪化の傾向が見られるため、2000 年から 見て、核兵器国が核兵器国や核不拡散体制の威嚇権力に対する十分な信頼を基にNPT体制を安定化させ る余地は小さくなっている。このような場合、「NPT体制を超えて新たな国際レジームの形成を検討す る必要ことが必要になる」38 。PSIもこの流れの中でできたものだと考えられる。つまり、現在のアメ リカにとってNPT体制はより扱いづらいものとなっており、それを通したテロ組織・破綻国家への核不 拡散対策は魅力が薄くなっている39 。これと前述の要素があいまって「テロ組織・破綻国家への核拡散 に対するNPT体制からの予防措置構築の失敗」のコストは大きくなかったと考えられるのである。 以上のことから、共通する 3 項目は各アクター間ではその個別的事由から大小が異なったにせよ、一 38 同上、17 頁 39 前述した理由により、アメリカにとって今のNPT体制が扱いづらいものとなっているとはい え、自らNPT体制を積極的に崩壊させることはないと考えられる。

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様に大きくなかったことが分かる。以下ではとりあえずこれら 3 つを無視しえるほど小さいものであっ たと仮定して各アクターについて個別にみていくことにする。 核兵器国であり、今回特に注目されたアメリカの譲歩するコストとしては「自国の核戦略の変更」 (例:CTBT の早期批准、核兵器の一律削減)、「核の平和的利用の権利の維持・拡大」、「法的拘束力の ある安全保障付与の約束」、「最終文書によるイスラエルへの NPT 加盟要求」、「最終文書によるイラン への IAEA 検証措置の遵守要求という主張の取り下げ」があり、決裂により生じるコストとしては共通 する 3 項目のほかに「最終文書によるイランへの IAEA 検証措置の遵守要求の失敗」や「最終文書によ る北朝鮮の核兵器保有問題に対する非難の失敗」が挙げられる。 さて、以上の列挙の中で最終文書によるイラン問題への対応についての項目が譲歩するコストと決裂 により生じるコストの両方に入っている。この 2 つのコストは同じものであり、相殺しえるのではない か。しかし、そうではない。妥協のために主張を取り下げるということは決裂により生じる他のリスク の方を重視したことを相手に示す。一方この問題を重視するあまり会議を決裂させたということは決裂 することに生じる全てのリスクを犠牲にしてもこの問題について取り組む意思を相手に示すことにな る。イランが再検討会議のさなかウラン濃縮の再開を宣言し、この問題の深刻さは増していた。この状 況下では「最終文書によるイランへの IAEA 検証措置の遵守要求の失敗」よりも「最終文書によるイラ ンへの IAEA 検証措置の遵守要求という主張の取り下げ」のコストの方が、つまり譲歩するコストの方 が大きかった。 それでは「最終文書による北朝鮮の核兵器保有問題に対する非難の失敗」のコストはどうか。北朝鮮 は 2005 年会議に参加しておらず、北朝鮮に対する非難の採択に反対する国もなかったと考えられる。 また会議直前の 2 月に核保有を公式に認め、その核兵器保有疑惑が深まるという状況の下、北朝鮮問題 に対しても何らかの対策が求められていた。しかしここで考慮しなければいけないのは 2000 年会議の 最終文書でインド、パキスタン、イスラエルに対して NPT 体制への加盟が求められたが、全く問題が 解決していないという前例の存在である。このことにより最終文書による非難がどれだけの効果を持つ かについて疑問が生じている。また、北朝鮮問題のためだけに譲歩しなければならないコストは非常に 大きい。例えば核の平和的利用の権利の制限の主張は IAEA や PSI を利用してテロ組織・破綻国家・核 開発疑惑国に核兵器開発資材を渡さないためのものであり、北朝鮮問題だけのためにその主張を取り下 げるとは考えられない。 イランにおいて比較はより容易である。イランの譲歩するコストとしては「最終文書によるイランへ の IAEA 検証措置の遵守要求」、「法的拘束力のある消極的安全保障付与の主張の取り下げ」「核の平和 的利用の権利の制限」、「アメリカに対する 2000 年会議最終文書内容の履行要求の取り下げ」であり、 共通する3項目以外の決裂により生じるコストとしては「最終文書によるイスラエルへの NPT 加盟要 求の失敗」、「アメリカの核政策の維持」、「法的拘束力のある消極的安全保障付与の失敗」が挙げられる。 前述の通り、どちらにも共通する法的拘束力のある消極的安全保障の項目とアメリカの核政策の項目 については譲歩するコストの方が大きい。また最終文書による非難の効果が疑問であることから、いか にイランがイスラエルの核兵器に脅威を持っていたとしても、これだけのコストを回避するために自国 のエネルギー安全保障の要とする原子力発電開発の障害となる「核の平和的利用の権利の制限」を受け

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入れたとは考えにくい。さらに、仮にイランが核兵器開発までも視野に入れていたとすると、「最終文 書によるイランへの IAEA 検証措置の遵守要求」はそれ自体の効果が不明であっても、この不履行を理 由としてアメリカが攻撃するという可能性が出てくるためにそのコストは非常に大きいものとなる 最後にエジプトについて検討したい。その譲歩するコストは「最終文書によるイスラエルへの NPT 加盟要求という主張の取り下げ」、「最終文書によるイランへの IAEA 検証措置の遵守要求という主張の 取り下げ」、以上の二つから発生する「中東の盟主としての立場低下」、「アメリカに対する 2000 年会議 最終文書内容の履行要求の取り下げ」、「法的拘束力のある消極的安全保障付与の主張の取り下げ」が主 なものであり、決裂により生じるコストは共通する 3 項目のほかに「最終文書によるイランへの IAEA 検証措置の遵守要求の失敗」や「最終文書によるイスラエルへの NPT 加盟要求の失敗」、以上の 2 つか ら発生する「中東の盟主としての立場低下」、「アメリカの核政策の維持」、「法的拘束力のある消極的安 全保障付与の失敗」である。 2005 年会議の報道はエジプトの行動の理由として「中東の盟主としての立場」を強調した。エジプト はなぜそこまで中東の盟主としての地位にこだわるのか。エジプトはエジプト文明の中心としてオリエ ント文化の発祥の地である。また、現在も学術の中心であり、他国から留学生を多く受け入れている。 自分たちが中東の盟主であるというプライドもあるだろう。しかし、それだけだろうか。中東の盟主で あることによる実利はないのか。答えはエジプト政府の財政状況を見れば明らかになる。 エジプトの国家収入の約 5 割がスエズ運河通行料、出稼ぎ労働者の送金、観光収入、国際援助などの 外生的な収入でまかなわれており、一種の「レンティア国家」的性質を持っている。この国際援助のも っとも大きな支出者がアメリカであり、他の先進国やアラブ産油国からの収入も合わせると観光収入と 同程度の年間約 40 億ドルにもなる。この援助が与えられるのは、エジプトが中東の盟主としてイスラ エルとパレスチナの「仲介役」を勤める等、中東地域の安全保障の安定に寄与することが期待されてい るからでもあり、またアメリカとの密接な関係があるためである40 。つまり、中東の盟主としての地位 が危うくなれば、この国際援助が削減される可能性がでてくる。しかしこの中東の盟主としての地位は 確固としたものではない。第 4 次中東戦争後、イスラエルと和平を行ったことでアラブ諸国からの信頼 を失い、現在では「アラブ地域の中では比較的大きな人口構造と軍事力を有すること」や、「文明の中 心地という意味での象徴的な重要性」に依存しているに過ぎない41 。イランなど他に盟主の地位を狙い える国も存在する。また、例え選挙に直接関係しないにせよ、落ち目である与党国民党にしては国家収 入が減ることは避けたい。以上の理由によりエジプトは「中東の盟主としての地位の低下」には相当の 危機感を持っていたと考えられる。 そもそも 2005 年会議ではイラン・イスラエルの問題が注目されていた。イランについては前述した が、イスラエルについても 2000 年会議での最終文書でNPT加盟を要求されながらそれに従うどころ か、2002 年までに潜水艦に配備されるミサイルが核弾頭搭載可能なものに改良されるなどその軍拡が 伝えられており、非難の対象となっていた。また、リビアがアメリカ等の圧力により核兵器を含む大量 破壊兵器開発計画を放棄することを決定したことを受け、イスラエルの核兵器保持疑惑については黙認 40 池内恵(2004)『アラブ政治の今を読む』、中央公論新社、79-82 頁 41 同上、82-84 頁

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するというアメリカのダブル・スタンダートが浮き彫りになることで、よりイスラエルが非難の対象に なりやすい状態であった42 43 。この状態でイスラエルのことを最終文書に盛り込むことをアメリカと親 密であるエジプトがあきらめた場合、その中東の盟主としての地位は間違いなく低下していただろう。 それではエジプトがイスラエル・イラク問題で譲歩せずに決裂させた場合はどうなるのか。その場合、 イラン・イスラエル問題について妥協はしないという姿勢を中東諸国にアピールすることができるうえ、 その問題で妥協しなかったアメリカの方が核軍縮問題とあいまって非難されることになる。しかしその 代わり、親米であるエジプトがアメリカの譲歩を引き出せなかったということはアラブ諸国にエジプト の力に対する疑念を生じさせ、またアメリカとの仲にも悪影響が及ぶ。どちらにせよ低下は避けられな いという状況であるが、アメリカの譲歩するコストが決裂により生じるコストより大きく、他の問題で 決裂となる可能性が高いことを考慮すると譲歩する方のコストの方が若干高かったと考えられる。 以上のことと他の項目も譲歩するコストと決裂により生じるコストで共通していることから、譲歩す るコストの方が大きかったという結論になる。 以上、各アクターを個別的に見てきたがその全てのアクターについて決裂を回避するための譲歩によ り生じるコストの総量が会議決裂により生じるコストの総量よりも大きくなる。つまり検討した3国は 譲歩するよりも会議を決裂させようとする。これは 2005 年会議では妥協がほとんどみられなかったこ とと整合する。 以上の検討の問題点であり、今後 NPT 再検討会議を成功させていくための方策を考えさせてくれる ものは「国際世論からの批判」、「NPT 体制崩壊の危険性の上昇」、「テロ組織・破綻国家への核拡散に対 する NPT 体制からの予防措置構築の失敗」が無視しえるほど小さいものとした仮定である。無視しえ ないほどの大きさであったら、決裂により生じるコストが譲歩するコストより大きくなる可能性が出て くる。そしてそれは、この 3 項目のコストを大きくすれば決裂しにくい状態にすることができるという ことでもある。例えば、「国際世論からの批判」を大きくするためには、マスコミ等を通じ世論の注目 を集めさせることも重要であるが、準備委員会で議題、会議の構造までは必ず決めるというようにする ことも重要である。また、NPT 体制が核不拡散体制の中心であることを宣言させるなどして、アメリカ が他の枠組みに走ることを予防することは「テロ組織・破綻国家への核拡散に対する NPT 体制からの 予防措置構築の失敗」のコストを大きくする。3 項目とは直接関係ないが、決裂のコストを上げるもの として会議決裂に至った際、参加国に何らかのサンクションを与えるということも考えられる。 もうひとつ、この理論には欠陥があり、それはこの理論がコストの総量比較であることに起因する。 妥協は「All or Nothing」ではない。つまり一国がその問題に対し全てのコストを負うわけではない。こ の理論では残念ながらこのような細かい譲歩についてはカバーしきれていない。これについては展開型 のゲーム理論を用いて補足する必要があり、今後の課題であろう。 42 堀部純子「中東における大量破壊兵器不拡散問題-「9.11 事件後」の変化の考察」 http://www.iijnet.or.jp/JIIA-CPDNP/pdf/Report/pdf/08_ChapterEight.pdf (2005 年 12 月 8 日アクセス) 43 エジプトが「議事妨害」の印象を薄めるため、アメリカが譲歩しにくいイスラエル問題を主 張したとの見方も存在する。(『毎日新聞』2005 年 5 月 27 日)

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あとがき

2005 年 NPT 再検討会議の決裂の報道は当時福知山線の脱線事故があったにもかかわらず、新聞によ る報道がなされていたため、一介の大学生である私たちが知るところとなった。しかし、他国におい て報道はさほどなされていないようである。確かに一回の会議が決裂したからといって NPT の枠組み そのものが突然崩壊するという状態は想定しにくい。しかし、核軍縮・核不拡散のもっとも包括的な 枠組みが NPT であるという重要性を考えたとき、いたずらな決裂は回避すべきであるという思いにい たる。今回は前述したとおり総量比較であり十分な考察には至っていない。しかし、会議を決裂に至 らせないためにはどうすればいいかという問いに対する答えの一助になる可能性があると信じるとこ ろである。 (付録:1995 年会議からの簡略年表) 1995 年 12 月 東南アジア非核兵器地帯条約署名(1997 年発効) 1996 年 4 月 アフリカ非核地帯条約署名(未発効) 7 月 核兵器使用を違法とする ICJ 勧告意見 9 月 包括的核実験禁止条約(CTBT)署名 1997 年 5 月 IAEA モデル追加議定書が IAEA 理事会で採択 1998 年 5 月 インド・パキスタンが核実験 6 月 新アジェンダ連合(NAC)の結成 1999 年 3 月 NATO によるコソボ空爆 10 月 アメリカ上院が CTBT 批准を拒否 2000 年 4-5 月 2000 年 NPT 再検討会議 2001 年 9 月 同時多発テロが発生(ブッシュ政策が強化される) →CTBT に強固に反対、対弾道ミサイル(ABM)条約からの脱退を声明 2002 年 6 月 モスクワ条約締結 9 月 アメリカが、米国安全保障戦略および大量破壊兵器と戦う国家戦略を発表 2003 年 1 月 北朝鮮が NPT 条約からの脱退を表明 4 月 イラク戦争終結、フセイン政権の崩壊 →大量破壊兵器を保有していなかったと報告 5 月 ブッシュ米大統領が「拡散に対する安全保障構想(PSI)」を発表 8 月 イランのナタンズで高濃縮ウランが検出 →イランでウラン濃縮計画が 18 年にわたり秘密裏に実施されてきたことが明らかとなる 10 月 仏独によるリビアへの遠心分離器流入阻止 12 月 リビアが英米との交渉により、大量破壊兵器の放棄を約束 2005 年 2 月 北朝鮮、核保有を宣言 5 月 2005 年 NPT 再検討会議

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