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ナラティブの理論的再構成

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Academic year: 2021

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(1)92. 特集:社会実践のデザイン学. 三河侑矢 Mikawa Yuya 札幌市立大学. Sapporo City University. ナラティブの理論的再構成 原田実践と横溝実践の グラフィックレコーディングの読み解きを事例として Theoretical Recompositing of Narrative in Designing - A case study of decoding graphic-recording of two practices. 1.はじめに 1)京都に. り着いた. 本特集号掲載の「社会実践型ラホ ラトリーのそもそ も」の対話に参加した。開催が京都ということで、お 誘いいただいてから30分くらいで飛行機とホテルの手 配をした覚えがある。わかろうとする人として参加し た対話の場では、適宜ノートに記録しながら参加し た。 2)ナラティブ 本稿では、語り手自らが現場から得た生の体験や、他 者との対話によって自らの経験を回想・想起したこと に基づいて、対象社会と自己との相関や、それらから 知り得たことを語り伝えようとする行為のことを指す。 3)グラフィックレコーディング 清水、須永によると、「グラフィックレコーディング とは、人々が何かについて話し合う際に生まれる発話 を、1 枚の大きな紙に、図や文字や絵を組み合わせた グラフィックで、リアルタイムで描き出す手法のこ と」である。[注5]. 筆者は、これからこの特集号についてわかろうとする身分である。そもそ も、筆者は一読者である。と言っていいのかは定かではないが、ただのしが ない大学生である。普段は北海道の札幌の端の森の中にある、ひっそりとし た大学でデザインを学んでいるデザイナーの卵(自分で言うのは恥ずかし い)だが、この話をデザイナーの卵として知りたいと思った。実践とデザイ ンと知のはたらきがどうやって関わり合うのか。実践からしか得られないも のがあるのか。そもそもデザイン知って何だ。そのようなことを知りたいと 思い、この特集号、さらには京都に辿り着いた[注1]のである。 さて、何かに対してわかろうとした時に欠かせないのは記録である。本稿 ではナラティブ[注2]から生まれたグラフィックレコーディング[注3] (以下、グラレコ)を記録として用いる。その場の断片であるグラレコとい う記録から、語り手の言いたかったことをわかるために想像・推察し、読み 解いてみることとする。そして、「語らうデザイン」[注4]から生まれた 「それで?」の先に存在するであろう実践知を見つけようと試みた。. 2.グラレコを読み解く考古学的アプローチ 本稿で取り上げるグラレコでは、発表の要旨を模造紙に記され、参加者の コメントが付箋で上から付されている。清水、須永によると、グラレコを記 録するレコーダーは、ノイズが含まれた情報でも、身体で受け止められる限 り、未完成風な情報として伝える。 [注5]今回のグラレコにおいては、特 4)語らうデザイン(Designing Narrative). 社会実践の物語を持ちより、参加者と語らうことか ら、デザイン学研究の新たなかたちを見出す、社会実 践型ラボラトリーの活動の一つ。社会実践型ラボラト リーについては第1章「デザイン実践研究のかたちを 探る」を参照。これまで、2019年6月28日(語らうデ ザイン01)、2019年8月7日(語らうデザイン02)の 2回開催している。語らうデザイン02のレコーダー. に参加者のコメントの付箋が未完成風な情報として伝えられ、語らいによっ てもたらされた参加者の問いが事細かに記録されている。今回、この問いが 読み解きにおいて、とても重要と考えた。問いは語り手の発話に対しての疑 問であり、参加者がわかろうとする上で出てくるものである。それらの問い と答え、それに続く問いにある情報、その周辺にある図などの情報は、記録 紙上には記録されない「情報同士のつながり」をもって配置されている。. は、望月琴未氏、山川千晴氏(常葉大学 In & Out Lab.. これらの「つながり」を読み解こうとしたときに、ブルーノ・ムナーリの. が記録したグラフィックレコーディングの一部を取り. 視覚言語研究の1つである「空想のオブジェの理論的再構成」[注6]を参. 所属・記録当時)の両名が務めており、本稿では両名 上げる。. 5)清水淳子、須永剛司、話し合いの中でグラフィックレ コーディングがもたらす視点の意味:衝突や沈黙が議 論の可視化で創造的な場に変わる成り立ちと意味、そ の効用を探求する、日本デザイン学会第66回研究発表 大会概要集、36-37、日本デザイン学会、2019. 考にした。雑誌のアートディレクターとしても活躍していたムナーリは、こ の作品で考古学の復元作業のようなコラージュの表現をしている。例えば、 楽譜の一部を切り取り、それに繋がるような線を引くことで、その作品に潜 む物語を推察させるような表現をしているのだ。これを、グラレコというビ.

(2) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. ジュアルコミュニケーションデザインを読み解く際にも参考にできると考え た。ムナーリは線を描いているが、グラレコには「情報同士のつながり」が 描かれている。その情報の「つながり」をムナーリの考古学的なアプローチ を用い読み解くことで、グラレコに潜む当事者しかわからないコンテキスト を超えていく想像力と理論でグラレコに残された情報を再構成することがで きるのではないかと考えた。 このようなアプローチで、グラレコに記されたナラティブが推察できる、 わかるようになるのではないかと考え、実践する人を見ている1人のわかろ うとする人として読み解いた。. 3.原田実践の読み解き 1つ目に読み解くのは、原田の発表によるグラレコ(図1・2)である。 この発表は、本特集号掲載の「デザイン実践研究のかたちを探る」[注7] の論述のベースになっている。 目を向けたのは、「デザインの研究って新規性ないよねって言われる、ケ ド本当にないと思う(元木)」というコメント(図1- A)である。筆者が大. 学でデザインを学んできた中で、教員らに「プロジェクトに新規性がない」 「その研究に新規性はあるのか」などと問われる場面[注8]を多く見て来 た。そのことを踏まえると、デザインに新規性を問われるのだから、デザイ 6) Bruno Munari 『 Ricostruzione Teorica Di Un Oggetto. Immaginario』1984. 「空想のオブジェの理論的再構成」の1つ。このシリー ズは1984年から1985年にかけて制作され、全ての作品 が1つのコラージュ的作品となっており、個々の作品 名はない。 (写真:Danese Milano より2020年3月16日 採録,https://www.danesemilano.com/it/productDetails?. ン研究にも新規性があって然るべきでは、と筆者は考えていた。 だが、記録紙では、デザイン実践者自らが「デザイン研究は本当に新規性 がない」(図1- A)と語っている。その意図を読み解こうと周辺の情報を見 ると、そのコメントの横には「本当にないの?」という赤い付箋が付されて いた。(図1- B)そこには、「生きることに重なる、幸福さ、豊かさ、いか. idProduct=142). に幸せにできるか、論点はこっちだよね(新しさではなく)」とある。つま. ブから実践知を取り出す試み、日本デザイン学会誌. り、新しいものを求めることがデザインではない、だからこそ新規性のない. 7)原田泰、デザイン実践研究のかたちを探る:ナラティ デザイン学研究特集号 第27巻2号 通巻102号、日 本デザイン学会、2020 8)「プロジェクトに新規性がない」 一般的なデザイン教育における授業内で行われる、企 画デザインなどのプロジェクトの講評時によく質問さ れる言葉であり、授業評価の観点にも新規性が問われ ていることより、回避できない質問。新規性と雖も、 この言葉は表面的な新規性(焼き直しに見えないこ と)を意味することが多いと筆者は捉えている。 9)デザインの実践をこのようなラボとして残す意味 これについて、筆者の見解だけではなく、ラボメン バーの論述を紹介しておく。まず、本稿3章の冒頭の コメントの話者である元木は、本特集号にて、「デザ イン実践者が(中略)自分たち自身で自分たちのとっ た行動や活動の裏にあった訳を言語化しようとするこ とは、実践者自身が、かつての自分の実践に新たな意 味を見出し、次の実践に活かすことができるだろう。」 と述べている。[注10]また、本稿3章で読み解きの 対象にしたグラレコの語り手である原田は、「後輩デ ザイナーに、デザインに関わる(巻き込まれる)人 に、そしてデザインに興味を持つ人に向けて、『こん な時』『こんなやり方』『こんな考え方』『こんな事例』 を示し、参考にしつつ前に進んでもらうための手かが りこそ、形にして残していく」ことが今必要なデザイ ン研究と考えている、と述べている。[注7] 10)元木環、地域コミュニティの中でのデザイン実践で得 た気づき:大津市仰木地区における「地蔵プロジェク ト」としての活動経験を振り返る、日本デザイン学会 誌 デザイン学研究特集号 第27巻2号 通巻102号、 日本デザイン学会、2020. 領域にデザイン研究がなってしまう、ということを研究者自ら自覚している ということがわかる。 このことを踏まえ、記録紙右上にある図1- C を見ると、書いてある文字通. りの意味以上の意味が含まれているように思える。例えば、伝統や文化など. の「専門性が分断され社会が成立している」と記されているが(図1- C) 、 そこに研究領域が含まれていることに気づく。この研究領域とは何か。筆者 の解釈ではデザイン学を含む全ての研究領域と考える。その場合、いまある 社会とデザイン学研究をつなぎ合わせることがデザイナーの役割と見ること ができる。すなわち、新規性がない領域にデザイン研究が存在しているとい うことが図からも読み解くことができる。さらに、記録紙左上に記された 「自分も含まれた社会の中で考えてみないと…!」というコメント(図 1- D)にも目を向けるとどうだろうか。新規性がないからこそ論述の難し. い社会実践を自らで内省し、一人称研究のかたちを見える化し、さらには個 別のデザイン実践の語りをこのようなラボとして残す意味[注9]のような ものも見えてくるのではないだろうか。だからこそ、「自分事化、成果とし て次世代の人につなぐ」という言葉(図1- F)もこの記録紙に記されてい. るのではないか、と読み解くことができる。. これらを踏まえると、デザイン研究には新規性がないけれども、社会にあ る事柄と自分や次世代をつなぐデザインの役割には、これからの社会におい て重要となる知のはたらきがあり、豊かさや生きることがデザインと重なる. 93.

(3) 94. 特集:社会実践のデザイン学. 図1 語らうデザイン02における原田の発表でのグラフィックレコーディングの記録紙. 図2 図1の記録紙を読み解くために、図1の 1 - A∼ 1 - F の情報を再構成したグラレココラージュ.

(4) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. からこそ、これからの社会を見据えて研究する意味がある、というように解 釈できた。 11)ランブリングデザイン運動. 4.横溝実践の読み解き. 未知の現場に立ち、まちをぶらぶらとしながら出会う さまざまな事象の意味連関を探る生活世界ベースのデ ザイン活動のこと。他者とともに生活世界をぶらつ き、歩いて見てわかろうとし、わかったことを見せて 語ろうとする活動で成り立つ。[注12]. 2つ目に読み解くのは、横溝の発表によるグラレコ(図3・4)である。 この発表は、本特集号掲載の「ランフ. トを事例として、日本デザイン学会誌 デザイン学研 究特集号 第27巻2号 通巻102号、日本デザイン学 会、2020 13)ぶらデ運動 注11のランブリングデザイン運動のこと。語らうデザ イン02ではぶらデ運動(ぶらぶらデザイン運動)と呼 んでいた。 14)生活世界. テ. サ. イン運動[注11]. のすすめ」[注12]の論述のベースになっている。 目を向けたのは、「何をみて OK としているのか(小早川)」というコメン. 12)横溝賢、ランブリングデザイン運動のすすめ:青森県 浪岡地区におけるご当地包装紙のデザインプロジェク. リンク. ト(図2- A)である。その下には「(ぶらデ運動[注13]には)これをゲッ. トしたらおわり(ということ)はない(横溝)」と記されている(図3- B)。. これらのことから、ぶらデ運動にはゴールがないと言っているが、ゴールは ともかく、運動の先に何か目指すコト・モノがあるからこそ、運動が成り立 つのではないかと考えた。そもそも、何かを見るときには何らかの尺度と照 らし合わせることが多いと筆者は考える。綺麗などの感性的な評価はもちろ. 生 活 世 界(The Life-World) と は、 ド イ ツ の 哲 学 者. ん、既知の知識との結びつきが見えたとか、自分の知らないことでも納得で. と)の主観的な知覚によって構成される世界のことを. きたというように、人は意識的にも、無意識にも、自分の中にある何らかの. E. フッサールが提唱した、自然主義に根ざした人(び. 指す。この〈生活世界〉に対し、本稿で用いられる 〈産業社会〉とは、市場原理主義に根ざしたユーザー の客観的な知覚情報によって構成される世界のことを 指す。[注12] 15)志向的相関者 本稿では、生活世界をぶらつくことで、生活世界に潜 む様々な事象間の関係性や人々の営みとの相関を洞察 ができ、その存在の価値をわかろうとする人のことを 指す。[注12]. 尺度に照らして対象の事象を見ようとするだろう。そのような筆者の考えに 照らしてみると、運動にゴールがないことはいかにも不自然である。では、 何かしらの尺度が運動にはあるのではないだろうか。つまり「OK としてい. る」何かしらの基準があるからこそ、ゴールがなくてもぶらデ運動が成り立 つのではないか、それはぶらデ運動の先に目指すコト・モノがあるからでは ないかという推察するに至った。. 16)現場に在ることの意味連関 志向的相関者が現場に出て、価値をわかろうとする行 為を実践の中で継続すると、経験過程で見た事象の前 後間に意味の連なり、即ち意味連関を見いだせるよう になる。本稿ではこのことを現場に在ることの意味連 関が出来るということを指す。[注12] 17)従来のゴールを見据えたデザインプロセス 目標主導型設計(Goal-Directed Design)があるが、こ れは人間中心設計を基にして、対象のプロダクトを使 う人の目的にフォーカスした設計手法を指し、これに より過剰な機能追加や、使用する情報の肥大化などを. これらの推察を確認するために、筆者は先述のコメント周辺にある記述に 目を向けた。そこには、ぶらデ運動のモデルである「見てわかる、そして見 せて語る」という記述(図3- C)から「生活世界[注14]」(図3- D)へと. 向いた矢印が記されている。これと周辺記述(図3- E)を踏まえると、ぶ. らデ運動が目指すのは、生活世界・対象社会への見方や解釈の仕方を変え、 個々の生きる世界への相互理解を深めることが目指すことだ、というような 読み解きができた。 しかし、読み解くうちに、筆者の中で新たな問いが生まれた。なぜぶらデ. 抑制する狙いがある。同時に情報の取捨選択も行われ ているため、目標に達するに必要ない情報は切り捨て られることが多い。[注18]これに類似するように、 従来のゴールを見据えたデザインプロセスは、設計目 標をプロジェクトのゴールにする手法のことを指す。 予め問題をよく定義し、仮説設定やそれを検証しよう とするステップの実施、それらに基づき承認された計 画に従ってデザインが進められることが多い。このこ とを横溝は、「ゴールダイレクトデザイン」「産業社会 ベースのデザイン」と表現している。[注12]. 運動がデザイン研究に必要なのか(図3- F)。筆者の大学でのデザイン研究. の学びでは、ペルソナ法やコンセプトメイキングなど、下準備や仮説検証プ ロセスを学んだが、ぶらデ運動にはそれが無い。なぜそれらをせずにまちを ぶらつくのか。残念ながらその答えはこの記録紙から導くことが叶わなかっ た。そこで、次に筆者が目を向けたのは、横溝が執筆した本特集号の「ラン フ. リンク. テ. サ. イン運動のすすめ」の論述である。横溝曰く、志向的. 18)Alan Cooper, Robert Reimann, Dave Cronin『About Face. 相関者[注15]になることで、現場に在ることの意味連関[注16]が出来る. https://fall 14 se.files.wordpress.com/ 2017 / 04 /about_. ようになり、現場に在るあらゆる対象をデザインに用いることができるよう. 3: The Essentials of Interaction Design, Third Edition』. face_3__the_essentials_of_interaction_design.pdf、2017. になるという[注12]。一方で、従来のゴールを見据えたデザインプロセス. 19)筆者のこれまでの学びにおけるケーススタディや経験則. [注17]では、ゴールの対象のモノやコトに到達するための情報を得るため. (最終参照:2019年11月10日). 筆者はこれまでに、大学広報の活動でパンフレット ページの紙面制作や、地域のイベントのフライヤー製 作に従事してきた。その多くがクライアントと筆者と の依頼請負関係にあり、これらはモノを作るという明 らかな目標に基づき、目標を達せられるように、コン セプトメイキングや当事者へのヒアリングなどを計画 し、実施した。このような目的主導型のデザインプロ セスの方が、目的外の情報を収集しないため、手取り 早く制作ができうると考える。. に活動する。モノを作ることにおいて、筆者のこれまでの学びにおけるケー ススタディや経験則[注19]から後者の手法が手取り早いのだが、あえてラ ンブリングデザイン運動を選んだ理由はなんだろうか。横溝によると、生活 世界の住民らを巻き込むことで、デザイナーを含む共同体の形成と、そこに 知の営みが生まれるという[注12]。つまり、住民とのより深い共創を実現 するため、さらには現場に在るあらゆる価値を見つけるために、ランブリン. 95.

(5) 96. 特集:社会実践のデザイン学. 図3 語らうデザイン02における横溝の発表でのグラフィックレコーディングの記録紙. 図4 図3の記録紙を読み解くために、図3の 3 - A∼ 3 - F の情報を再構成したグラレココラージュ.

(6) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. グデザイン運動を選んだというように解釈することができる。 これらを踏まえると、ぶらデ運動はゴールを設定せずに地域を見ること で、住民との関わり合いが生まれ、対象世界に対しての深い理解が生まれ、 あらゆる情報をデザインに取り入れることができる。そのような情報を切り 捨てないデザイン活動がぶらデ運動の目指すコトだったのではないかと解釈 できた。. 5.読み解きから得たグラレコの役割とその見方 筆者は、グラレコの未完成な情報を起点に、記録紙に記された情報、本特 集号にて論述されている情報を再構成することでグラレコを読み解いた。そ れらを踏まえ、筆者が実践したグラレコを読み解く考古学的アプローチは、 以下の2通りの方法に整理される。 (1)記録紙にある1つの情報を起点に、記録紙にある情報を再構成する。 (2)1のアプローチを基にした情報を起点に、関連資料にある情報を再構 成する。 上記1は、本稿3章の原田実践の読み解きのアプローチである。筆者は記 録紙から、原田が抱くデザイン研究に対する考え方と、そこに至るまでの想 いを、記録紙に記された言葉を組み合わせて解釈することでわかろうとし た。その結果として、原田が残したナラティブを汲み取ることができたと考 える。 上記2は、本稿4章の横溝実践の読み解きのアプローチである。筆者は記 録紙にある情報を上記1のアプローチにおいて再構成し、それら複数の情報 を起点に、横溝の論述を確かめた。その結果、横溝がなぜぶらデ運動を始め たのか、その実践でわかった知のはたらきや運動の価値を知ることができた と同時に、筆者に生まれた問いの答えを横溝の実践知のまとめである、本特 集号の論述から知ることができた。このことから、グラレコというナラティ ブの記録からデザイン実践者の実践知に迫ることができたと考える。 これらに加え、今回の読み解きで重要であったのが、グラレコがもたらす 役割である。筆者はグラレコにある情報を理論的に再構成することでナラ ティブを読み解いたが、これはグラレコが半ば構造的[注20]な記録である が故に可能だったと推察できる。つまり、複雑な語りをレコーダーは自身で 再構成して記録しており、結果として不完全な情報をそのまま伝えようとし ている。このような不完全な情報を含むことで、グラレコは完全に構造化さ れておらず、記録紙にある情報を筆者自らの解釈と推察によって再構成でき たと考える。このことを清水、須永の言葉を借りて表現すると、そこに生ま 20)半ば構造的 デザインを語らうという複雑な事象に出会ったとき に、レコーダーはその事象との出会いを振り返り、自 らの経験を用いながら、語り手のナラティブを頭の中 で整理し、身体で表現しようとする。そこには全てに 共通するフォーマットはなく、語り手の様子を見なが. れたすべての視点を移動し、断片と全体を行き来しながら見ることができる という体験をリアルタイムではない読み解きの場においても、グラレコがも たらしてくれたと言える[注5]。この役割こそ、今回の読み解きにおいて 重要だったと推察できる。. ら、その場にいる人の空気感や、聞きながら書く内に 頭に残った記憶や情感を頼りに更なる表現をしてい く。加えて、レコーダーは無理して全てを明らかにし ようとせず、不完全な情報を複雑なままに残す。そこ にルールに則り適切に構造化して理解されたものはな く、半ば構造化された状態で記録される。その記録 は、複雑で半ば構造的なものであるからこそ、グラレ コの読み手が残された記録を通して、自らの解釈と推 察を加えることでそこにある情報を再構成することが 可能となる。. 6.終わりに、デザイン実践者の知を得るということ 本稿では、グラレコというナラティブなビジュアルコミュニケーションデ ザインを理論的に再構成した。再構成では、グラレコに含まれる様々な情報 の意味連関を見つけることで、デザイン実践者のナラティブを捉えた。捉え る中で、筆者のこれまでの学びや思考と、グラレコに記された情報との違い を捉え、なぜ違うのかに着目してグラレコを読み解いた。読み解く際には、. 97.

(7) 98. 特集:社会実践のデザイン学. 着目したコメントと、筆者の経験や知識との隔たりを周囲の情報や、語り手 の論述を確かめながら、あらゆる情報や筆者の考えをグラレコの一部を用い て整理した「グラレココラージュ」を作成することで、自らの知の補完をし ようとした。その結果として、「語らうデザイン」の中にある語り手の実践 知を見つけることができた。このようにして読み解くことで、語り手のナラ 21)塩瀬隆之、社会実践型ラボラトリーのそもそも:い ま、なぜこの活動をはじめたの?、日本デザイン学会 誌 デザイン学研究特集号 第27巻2号 通巻102号、 日本デザイン学会、2020 22)「違うじゃないか横溝!」. 性があるのではないだろうかと考える。 また、今回のグラレコの読み解きから、原田や横溝のような先輩デザイ ナーが、デザイン研究の意義やどのようにしてデザイン活動を推し進めるか. 23)(知らんけど) これらの言葉は、筆者がわかろうとする人として参加 した、本特集号掲載の「社会実践型ラボラトリーのそ もそも」の対話の中で出てきた言葉である。この注釈 であえて、その時の対話に潜む文脈を. ティブの理解を語りの現場に居ずしても、グラレコによって深められる可能. りながら、振. り返ることとする。 その対話の中では、わかろうとする人(三野宮・三 河)が、次のようなことを話した。 ─── 論述から「私はこれをした」と語られ、読み 手は「なるほど、この人はこんなことしたのか」と読 み解く。その後に読み手は、「で?」と思ってしまう。 この「で?」というのが、生々しい実践の話であり、 例えば語り手が伝えたいと思っている自分の実践に向 けて「こういう経験とか素地があってここに臨んでま す」というようなことを明らかにするもの。その 「で?」が書かれていないと、読み手は「わかったつ もり」になってしまうのではないかと。 これに対し、原田は ─── (で?の部分も)まず1回読んで、身体に入っ たら実践に使えるみたいな感じで、いいんじゃないで すか。 と述べ、追うように横溝がこう続けた。 ─── だから次の特集号は、ミッちゃん(三河)や さんちゃん(三野宮)たちが(で?の部分も含めて) わかった気になってやってみたら、実際はこうだっ た!っていうふうに続くといいね。 ただ、本当に「で?」の話が合っているかどうかは、 わからない。その語り手の実践、経験の話であるか ら、語り手のバックボーンによってうまくいっただけ かもしれない。そこで、富田がこの対話以前に話して いた「リミテーション(Limitation)」という言葉が思. い出される。これは、論文の最後に論述した内容に対 して、「この研究にはこういった限界があるよ」とか. 「それはおかしいでしょう」とツッコミ的な内容を書 き添えるとのことらしい。それを書くことによって、 真実味が増すような、生のものが伝わる気がする、と 富田は述べている。つまり、「で?」に書かれるよう な生の話と言うのは、ツッコミ的で、「まぁ知らんけ ど」的なものなのではないかと考えられる。 このことを思い出すように、原田や横溝の話に対して 塩瀬がこう述べる。 ─── 違うじゃないか。違うじゃないか、原田!って なるんじゃないですか。アンサーペーパー。アンサー. などの枠組みと、それらをどのように実践したかの手かがりを示してくれ た。このことで、筆者自身が実践していなくとも、実践によって見えるであ ろう、未だわからないデザインの知の存在(=実践知)をわかり得ることが できた。 このように、実践知を未知から既知にすることは、これからデザイン実践 をしようとするデザイナーにとって、重要な足がかりとなるだろう。社会実 践型ラボラトリーのメンバーらによると、デザイン実践者のデザイン知は、 やってみた気付きから仮説ができ、またやってみて気付く、という思考と実 践のサイクルを回しながら得られている[注21]。つまり、筆者が実践知を わかり得ようとした時、筆者自身が何かを実践しなければ得られない、とい うことになる。だが、実践しようとすると、どのように実践すればいいのか わからない、という状態に陥る。ましてや筆者のようなデザイナーの卵は尚 更である。この時、グラレコを読み解いた筆者のように、先輩デザイナーに よって実践知がわかり得られると、後輩デザイナーでもその知をわかって (わかった気になって)やってみる、実践することができる。そうすると、 実践知の先にある「それで?」「実際はどうだったの?」が、後輩デザイ ナーでもわかるようになるのではないだろうか。筆者は先輩デザイナーから わかり得た(気になった)実践知からどう実践の一歩を歩み出すのか、先輩 デザイナーの実践知を持って恐れずに、その模索をこれから始める。そして 筆者も、論述というデザイン研究のつらさを乗り越え、「やってみたら実際 はこうだった!」と、「違うじゃないか横溝!」[注22]と、楽しく残してい かなければならないと思う(知らんけど)[注23]。 最後に、実践するデザイナーのデザイン知を生々しくわかり得るという機 会を提供して頂いた横溝賢氏、京都の対話の場に迎え入れてくださった社会 実践型ラボラトリーのメンバーの皆様と上芝智弘氏、塩瀬隆之氏、富田直秀 氏、そして今回取り上げたグラレコのレコーダーである望月琴未氏、山川千 晴氏に感謝申し上げたい。なお、本稿はあくまでも筆者の現時点での解釈と 推察を基にした見解を記述していることを申し添える。. そうですよね。 それに応えるように原田はこう述べた。 ─── でも、まさにそういう意味で。だって知らん けど、って書いたじゃんって。 筆者はこれらの対話を聞き、実践には果てしない. 【参考文献】 塩瀬隆之:社会実践型ラボラトリーのそもそも ─ いま、なぜこの活動をはじめたの?、日本デ ザイン学会誌 デザイン学研究特集号 第27巻2号 通巻102号、日本デザイン学会、2020. 「やってみる」のパターンがあり、原田や横溝はたま. 清水淳子,須永剛司:話し合いの中でグラフィックレコーディングがもたらす視点の意味 ─ 衝. たまその1パターンがうまくいったのではないかと感. 突や沈黙が議論の可視化で創造的な場に変わる成り立ちと意味、その効用を探求する、日本デザイ. じた。だからこそ「で?」を聞きたいのであって、そ. ン学会第66回研究発表大会概要集、36-37、日本デザイン学会、2019. れが別に「知らんけど」でも構わないのである。その ことから、筆者もやってみた結果を「知らんけど」の 精神で記述し、それでアンサーが違ったら「違うじゃ ないか横溝!」と書き添える気持ちで実践に挑みたい と思う。. 原田泰:デザイン実践研究のかたちを探る ─ ナラティブから実践知を取り出す試み、日本デザ. イン学会誌 デザイン学研究特集号 第27巻2号 通巻102号、日本デザイン学会、2020 ブルーノ・ムナーリ,萱野有美(訳):『ファンタジア』みすず書房、2006 元木環:地域コミュニティの中でのデザイン実践で得た気づき ─ 大津市仰木地区における「地.

(8) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. 蔵プロジェクト」としての活動経験を振り返る、日本デザイン学会誌 デザイン学研究特集号 第 27巻2号 通巻102号、日本デザイン学会、2020 横溝賢:ランブリングデザイン運動のすすめ ─ 青森県浪岡地区におけるご当地包装紙のデザイ ンプロジェクトを事例として、日本デザイン学会誌 デザイン学研究特集号 第27巻2号 通巻 102号、日本デザイン学会、2020. Alan Cooper, Robert Reimann, Dave Cronin:『About Face 3 ― The Essentials of Interaction Design,. Third Edition』https://fall14se.files.wordpress.com/2017/04/about_face_3__the_essentials_of_interaction_ design.pdf、2017(最終参照:2019年11月10日). 99.

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