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■ 報 告 ■
南 アジア研 究集会
報告記
● 水 野 裕 子 ・野 口 浩 史1 毎 年 の 夏 の 恒 例 行 事 とな っ て い る 南 ア ジ ア研 究 集 会 は2004年 度 に は37 回 目を数 え,7月 の17・18日 の両 日に わ た っ て東 京都 ・八 王 子 市 の 大 学 セ ミナ ーハ ウ ス を 会場 と して 行 な わ れ た.参 加 人 数 は75人 前 後 を数 え た.南 ア ジ アの イス ラー ム 文 化 とイ ン ダス 文 明 を 中心 と して,会 場 に は様 々 な専 門 分 野 の 大 学 院 生 ・学 部 生,社 会 人 の参 加 が多 数 見 られ,本 研 究 会 へ の 関心 の 高 さが うか が えた.研 究 集会 は,つ ぎに示 す よ うに個 人 発 表 ・シ ンポ ジ ウ ム I・IIと い う3つ の構 成 で行 な われ た(以 下,敬 称 略). ◆7月17日(土) <個 人発 表 司 会:外 川 昌彦> 1 杉 本 浄 「オ リ ッ サ 州 設 立 にお け る境 界 問 題(1932-34年)何 が 境 界 を決 定 させ たの か?」 2 宮 本 隆 史 「19世 紀 の海 峡 植 民 地 にお け る流 刑 監獄 制 度 」 <シ ンポ ジ ウ ムI「 イ ス ラー ム文 化 と南 ア ジ ア世 界 」> 基 調 講 演 加 賀 谷 寛 「南 ア ジ ア にお け る イス ラー ム の 諸 問 題」 司 会:山 根 聡 個 別研 究 発 表 司 会:子 島進 1 本稿 について は,第1日 目の報告 を水 野裕子,第2日 目の執筆 を野口浩史が担当 している. 水野裕子 みずの ゆ うこ,広 島大学大学 院国際協力研究科. 野口浩史 の ぐち ひろ し,(財)神 奈川県公 園協会.南 アジア研究集会 報告記 199 1 榊 和 良 「神 観 念 の 表 象 ス ー フ ィ ー 道 に お け る 『神 の 名 号 』と 『導 師 』 シ ャ ッ タ ー リ ー 教 団 を 中 心 と して 」 2 臼 田 雅 之 「ベ ン ガ ル 近 世 の イ ス ラ ー ム 意 識 」 3 渡 邉 真 理 「イ ス ラ ー ム 法 学 派 の 分 布 と 法 判 断 の 一 例:タ ー ナ ヴ ィ ー 著 『天 国 の 装 身 具 』 に 見 ら れ る 北 イ ン ドの ム ス リ ム 女 性 の 婚 姻 お よ び 離 婚 に 関 す る 法 規 か ら」 4 塗 木 理 恵 「植 民 地 期 に お け る イ ン ド ・ウ ラ マ ー 協 会(Jamiat al-UIama-e Hind)の 思 想 と 活 動 」 5 村 山 和 之 「南 ア ジ ア の 黒 人 ム ス リ ム 集 団 に つ い て:舞 踏 パ フ ォ ー マ ン ス に 見 る ス ィ ー デ ィ ー た ち 」 コ メ ン ト ・デ ィ ス カ ッ シ ョ ン ◆ 7月18日(日) 〈シ ン ポ ジ ウ ムII「 イ ン ダ ス 文 明 イ ン ド ・ア ー リ ヤ と 南 ア ジ ア 世 界 」〉 司 会:小 磯 学 「趣 旨 説 明 」 1 近 藤 英 夫 「イ ン ダ ス 文 明 神 々 の パ ン テ オ ン」 2 堀 晄 「バ ク トリ ア の 青 銅 器 時 代 ・初 期 鉄 器 時 代 の 文 化 」 3 深 尾 淳 一 「ド ラ ヴ ィ ダ と ア ー リ ヤ 南 イ ン ド原 史 時 代 の 文 化 に お け る"ア ー リ ヤ"的 要 素 」 4 藤 原 達 也 「イ ン ド ・ア ー リ ヤ に 関 す る 諸 問 題:イ ン ダ ス 文 明 か ら ガ ン ダ ー ラ ま で 」 5 上 杉 彰 紀 「南 ア ジ ア 考 古 学 に お け る 「イ ン ド ・ア ー リ ヤ 」 の 現 在 」 コ メ ン テ ー タ ー:小 西 正 捷 ・後 藤 敏 文 コ メ ン ト ・デ ィ ス カ ッ シ ョ ン 最 初 の 個 人 発 表 と な っ た 杉 本 浄 は,オ リ ッサ 州 境 界 の 画 定 の 歴 史 的 な 難 し さ に つ い て の 報 告 で あ っ た.は じ め に,杉 本 は オ リ ッサ 統 合 運 動 に お け る2 つ の 境 界 意 識 の 存 在 を論 じ た.1つ め は,言 語 領 域 に お け る 境 界 意 識 で あ る. こ こ で は オ リ ヤ 語 話 者 の 多 い 領 域 を1つ の 「州 」 と し て 統 合 し よ う と す る 要 求 が 形 成 さ れ る 過 程 を 論 じ た.2つ め は,歴 史 的 な 境 界 意 識 で あ る.具 体 的 に は,ヒ ン ド ゥ ー 諸 王 朝(12∼16世 紀 中 ご ろ)に お け る 軍 事 的 制 圧 領 域 や ム ガ ル 時 代 の 行 政 区(ス ー バ)を 取 り 上 げ た.最 終 的 に,こ の2つ の 境 界 の 重 な り が 意 識 さ れ た こ と の 統 合 運 動 へ の 影 響 が 論 じ ら れ た.つ ぎ に,境 界 を 決 定 す る 過 程 で 生 じ た 様 々 な 反 発 や 対 立 に 関 し て 論 じ た.オ リ ヤ 人 統 合 推
200 南 ア ジ ア研 究 第16号(2004年) 進 派 が 意 識 した 言 語 領 域 に よ る境 界 は,境 界 地 域 に お け る オ リヤ語 以 外 の諸 言 語 人 口 の 割 合 が 予 想 以 上 に 高 か っ た こ と に よっ て,言 語 とい う 同 一 性 を もっ て境 界 を 設 定 す る こ との 限 界 を指 摘 した.さ らに,1936年 の イ ン ド統 治 法 の施 行 に よ って オ リ ッサ 州 が 誕 生 す る まで の過 程 を,オ リ ッサ 境 界 委 員 会,3月 白 書,イ ン ド担 当 国務 大 臣(=イ ン ド憲 政 改 革 両 院 合 同 委 員 会)に よっ て提 出 され た境 界 画 定 案 を通 して検 討 した.し か し,実 際 に統 合運 動 に 使 用 さ れ た境 界 に は含 まれ なか った 領域 の 問題 や他 州 に マ イ ノ リテ ィー と し て取 り残 さ れ た オ リヤ 人 問 題 な ど を取 り上 げ,境 界 設 定 は あ くま で未 完 で あ る こ とを指 摘 した.ま た,イ ン ド独 立 後 は,分 離 運 動,統 合 運 動,オ リヤ ・ ナ シ ョナ リス トに よ る新 た な展 開 をみ せ て お り,オ リ ッサ州 境 界 問題 は今 後 も継 続 す る こ とが 指 摘 され た.会 場 か らは,他 の 地域 との比 較 や イ ン ド史 研 究 に お け る位 置 付 け につ い て 質 問 や コメ ン トが な され た. つ ぎは宮 本 隆 史 に よ る発 表 で あ っ た.宮 本 の 発 表 は,19世 紀 の 海 峡 植 民 地 の流 刑 監 獄 制 度 にお け る囚 人 の 管 理 方 式 ・諸 規 則 を検 討 す る こ とで,海 峡 植 民 地 体 制 が 囚人 を どの よ う な カテ ゴ リー を通 して把 握 し よ う と した の か を 考 察 す る もの で あ っ た.最 初 に宮 本 は,英 領 イ ン ドに お い て流 刑 が 刑 罰 と し て導 入 さ れ る こ とに な った 背 景 を述 べ た.つ ぎに,海 峡植 民 地 に お け る 囚人 管 理 政 策 に 関 わ る諸 規 定 を検 討 した.具 体 的 に は,ベ ンク ー レ ン準 知 事 時 代 の ラ ッ フル ズ(在 任1818-24)が 定 め た ベ ン クー レ ン規 定(1818年 頃)か らバ ター ワー ス 規 定(1845)に い た る ま で の 諸 規 則 の 変 遷 を取 り上 げ た.こ れ ら 規 定 変 遷 の過 程 の なか で,宮 本 は と りわ け 囚 人 の 「等 級 分 け の制 度」 を分 析 す る こ とで,生 産 的 な労 働 者 につ く り変 え る た め の 「有 益 な労 働 」,そ れ を 正 当 化 し補 完 し うる 道 徳 的 な 矯 正 を 目指 す 「矯 正 」 とい う2つ の 企 図 を, 体 制 が規 定 の 中 に巧 妙 に組 み 込 み 「発展 」 を試 み る過 程 を論 じた.制 度 が 両 企 図 の対 象 を健 康 な男 性 囚 人 の み に絞 り,監獄 制 度 内で 周 縁 化 され た 者 た ち, す な わ ち女 性 ・老 齢 者 ・傷 病 者 を対 象外 と して い た とい う点 を宮 本 は 明 らか に した.後 者 を 「他 者 」 と して 生 産 ・矯 正 ・自由 を課 す対 象 か ら切 り離 す こ とに よっ て,効 率 ・生 産 的 な労 働 者 と して 期待 され た前 者 の み が,海 峡植 民 地体 制 に とっ て は諸 規 定 の 「主 体 」 と して 想像 され え た の だ と議 論 され た. 会場 か らは,分 析 の枠 組 み につ い て や,ア ン ダマ ン流 刑 地 な どの そ の後 の監 獄 制 度 との 関係 につ い て質 問 が な され た. 第1日 目 の午 後 は 「イ ス ラー ム文 化 と南 ア ジ ア世 界 」 とい う テ ー マ で シ
南 アジア研究集会 報告記 201 ンポ ジ ウ ムが 行 なわ れ た.最 初 は加 賀 谷 寛 に よ る基 調 講 演 で あ った.は じめ に司 会 者 か ら基 調 講 演 者 の これ まで の イ ス ラ ー ム研 究 につ い て の 貢 献 が 簡 単 に紹 介 され た.ま ず,加 賀谷 は南 ア ジ ア にお け る イ ス ラー ム研 究 史 を概 観 し, 南 ア ジ アの イス ラー ム 的現 象 を理 解 す る た め の分 析 概 念 を論 じた.具 体 的 に は,「 正 規 の イス ラ ー ム」 と 「民 間信 仰 」 とい う二 項 対 立 や小 伝 統 を担 うイ ス ラー ム の 民 間信 仰,さ らに は イ ス ラ ー ム の民 間信 仰 が ヒ ン ドゥー教 の そ れ と多 くの 部 分 で 共有 され て い る事 実 を取 り上 げて 論 じた.ま た,民 間信 仰 に は改 革 運 動 を活性 化 させ る要 素 も含 ん で い る こ と を指摘 した.加 賀谷 は,ジ ンや 邪 視,聖 者 の奇 蹟 な どの具 体 例 を取 り上 げ なが ら,民 間信 仰 に分 類 され る 儀 礼 的 実 践 の 特 徴 を 考 察 し た.イ ン ド ・ウ ッ タ ル ・プ ラ デ ー シ ュ 州 Bahraichに あ るGhazl Miyann聖 者 廟 で は,'ursとJeshth Melaと い う2つ の 年 祭 が 執 り行 な わ れ る こ と に よ っ て,民 間 信 仰 の 実 践 に お い て は ヒ ン ドゥー とイ ス ラー ム とい う宗 教 の境 界 を越 えた 儀 礼 的 実 践 が 共有 され る例 を 紹 介 した.最 後 に加 賀 谷 は,デ ー オバ ン ド派 や バ レー ル ヴ ィー 派 の概 観 を述 べ,南 ア ジア で有 力 な ス ンナ派 ウ ラマ ー に よ るマ ドラサ 活 動へ の見 解 を述 べ て 講 演 を終 了 した.ム ス リム社 会 にお け る邪 術 の カテ ゴ リー に 関 して の 質 問 や 「正 規 の イ ス ラー ム」 と 「民 間信 仰 」 の 関係 な ど,南 ア ジア の ム ス リム社 会 を理解 す る視 点 に 関 わ る 質疑 が な さ れ た. 午 後 の 部 最初 の個 別研 究発 表 とな っ た の は榊 和 良 で あ った.榊 の発 表 は, シ ャ ッ ター リー 教 団 の思 想 と儀 礼 に つ い て の 報 告 で あ っ た.15世 紀 初 頭 に ア ブ ドゥ ッ ラー ・シ ャ ッ タ ー リー(1485年 没)に よっ て 創 始 され た シ ャ ッ ター リー教 団 は,南 ア ジ ア に お い て ヒ ン ド ゥー との 融合,密 接 な 関係 を もっ て い る こ とで 知 られ て お り,南 ア ジ ア全 域 だ けで な く東 南 ア ジア に も広 が っ た ス ー フ ィー教 団 で あ る.榊 の報 告 は,こ の イス ラー ム ・ス ー フ ィー道 に お い て,神 観 念 の 表 象 と して の 「神 の 名号 」や 宗教 儀 礼 に み られ る 「神 の御 名 」 が,ど の よ うに展 開 ・実 践 さ れ た のか を論 じる もの で あ っ た.さ らに神 の威 光 の 顕 わ れ と され る預 言 者 ・導 師 と彼 らを 「見 神 の作 具 」 とみ な す弟 子 との 関係 を考 察 す る もの で あ っ た.榊 は まず,神 観 念 の表 象 と して の 「神 の 御 名 」 に関 し て考 察 を 行 な っ た.「 名 前 を もた ぬ 」 神 の御 名 は,神 の 内 在 的 側 面 を 表 す属 性,世 界 と神 の 関係 性,さ らに神 の 顕 現 そ の もの を示 す もの で あ る こ とが 明 らか に され た.つ ぎに,宗 教 儀 礼 にお け る神 の 名 前 が取 り上 げ られ た. こ こで は,礼 拝,祈 願,ズ ィク ル の対 象 と して の 「神 の御 名 」 が,神 を直 証
202 南 ア ジア研 究 第16号(2004年) す る ため の 実 践 法 と して発 展 した こ とが 明 らか に され た.さ らに,ス ー フ ィー 修 道 で は神 の段 階 的 顕 現 の 中 で 「世 界 の諸 事 象 は神 の名 前 の 反 映 で あ る」 と 理 解 され てい る点 を指摘 した.最 後 に榊 は,預 言 者 と導 師,弟 子 の 関 係 とい う視 点 か ら,神 の 不 可 知 な側 面 を唱名 ・念 想 とい う内 的行 に よ り自己 の 内 に 見 出 し,顕 われ た 側 面 を理 想 的 人 間像 と して の ピー ルや ム ル シ ドと呼 ばれ る 導 師 の姿 に求 め る,と い う思 考 法 を明 らか に した.そ の うえ で,こ の よ う な 思 考 法 が,グ ル ・バ クテ ィや神 名 の憶 念 に共 感 す る民 衆 を取 り込 む宗 教 運 動 を可 能 に した こ とが 指 摘 され た. つ ぎは,臼 田雅 之 に よ る発 表 で あ っ た.臼 田 の報 告 で は,ベ ンガ ル史 にお け る近 世 の 問題 を ムス リ ム文 化 との 関係 の な か で論 じた.は じめ に,ラ ムモ ホ ン ・ラ エ(1772・74-1833)の 肖像 画 が な ぜ ム ス リ ム貴 族 の衣 装 を 身 につ け て い る の か と問 いか け る こ とで,イ ギ リス の植 民 地 支 配 が た だ ち に近 代 へ の移 行 を意 味 した わ けで は な く,ペ ル シア語 教 育 の本 格 化 や亡 命 者 の流 入 に よるペ ル シ ア文 化 の拡 大,中 世 的 な身 分 制 度 が 強化 され た 時代 で あ る こ とが 指 摘 され た.す な わ ち,ム ガル 貴 族 や ヨー ロ ッパ 人 に よっ て無 法 状 態 の退 廃 期 とみ な され た18世 紀 を中 世 的 な要 素 が 残 存 しな が ら全 体 と して は近 代 へ の歩 み を みせ た時 代 と して と ら え る こ とで,そ の狭 間 に み られ る ム ス リム意 識 を と らえ る こ との意 義 が 論 じられ た.具 体 的 に は農 民 の 間 に み られ る聖 者 賛歌 や ム ス リム農 民 に よ る運 動 が 議 論 され た.こ の よ うな前 提 を も とに して 後 半 で は,イ ギ リス で最 初 に英 文 著作 を出 版 した イ ン ド人作 家 と して知 られ るDean Mahomet(1759-1851)の 生 涯 を事 例 と し,そ の な か に見 られ る ム ス リム意 識 が論 じ られ た.具 体 的 に は,特 に ヒ ン ドゥー とム ス リム との相 互 の 意識,ヒ ン ドゥー の ヴ ァルナ 観 念,ム ハ ッ ラム祭 に お け る ヒ ン ドゥー ・ム ス リム 関係 に 関す る記 述 な どが 取 り上 げ られ た. 次 に 渡 邉 真 理 に よ る発 表 が あ っ た.渡 邉 の報 告 は,1900年 前 後 に ア シ ュ ラ フ ・ア リー ・ター ナ ヴ ィ ー に よ って 著 され た 『天 国 の装 身具 』 を通 して, デ ー オバ ン ド派 に よる イ ス ラ ー ム復 興 の 草 の根 的 な活 動 へ の考 察 を試 み る も の で あ っ た.渡 邉 は,北 イ ン ドの ムス リム 女性 に 向 け た指 南 書 と して の 同書 を,イ ギ リス支 配下 に あ っ た イ ン ド ・ス ンナ 派 ウ ラマ ー に よる イ ス ラ ー ム復 興 活動 の 一端 と位 置 付 け た.そ の う えで,デ ー オバ ン ド派 の本 著 作 に み られ る 法規 を分 析 す る こ とに よ っ て,イ ン ド ・ム ス リム と して の復 興 運 動 の在 り 方 を考 察 した.ま ず 渡 邉 は,学 術 的 な注 釈 書 と して で は な い本 書 の読 み易 さ,
南 アジア研究集会 報告記 203 法 規 を記 す る 際 の表 現 方 法 ・文 体 の特 徴,一 般 の 女性 を読者 の対 象 とす る こ とが 充分 に 配慮 され て い る点 な どを取 り上 げ て,本 書 が なぜ 広 く民 衆 に浸 透 す るに 至 っ た の か を論 じた・ ま た,ア ラ ビ ア文 字 を読 め な い ム ス リム の た め にイ ン ド諸 言語 や英 語 に よっ て も刊 行 され て い る点 を指摘 し,北 イ ン ドに お け る本 書 の浸 透 と影 響 を論 じた.つ ぎに,本 書 に見 られ る法判 断 の指 標 とな る語 句 につ い て,具 体 例 を交 え なが ら分 析 を行 な った.さ らに,法 判 断 の事 例 と して 本 書 第4章 にお け る訓 示 の 内 容 を3点 に大 別 して 分析 を行 な っ た. す な わ ち,(1)イ ス ラー ム の 教 え を イ ン ドの 事 情 に 置 き換 え た もの,(2)イ ン ドの ムス リム社 会 固 有 の慣 習 に対 して新 た な イス ラー ム的 解釈 を行 な っ た も の,(3)イ ン ドの ム ス リ ム社 会 固有 の慣 習 を 誤 っ た もの と して是 正 す る も ので あ る・ 終 わ りに,イ ン ド大 反乱 後,非 イ ス ラ ー ム的 要 素 と折 り合 い をつ けつ つ も ムス リ ム権 威 回 復 を 目指 した デ ー オバ ン ド派 が,そ の 著 作 『天 国 の 装 身具 』 を いか な る意 図 ・戦 略 を もっ て普 及 させ た のか が 議 論 され た. つ ぎに塗 木 理 恵 に よ る発 表 が な され た.塗 木 の発 表 は,イ ン ド ・ウ ラマ ー 協 会(Jamiat al-Ulama-e Hind)が 独 立 運 動 時 の イ ン ド ・ム ス リ ム の思 想,活 動 に お い て重 要 な役 割 を果 た して きた に も関 わ らず,こ の宗 教 団体 につ い て の研 究 蓄 積 と運 動 後 の 動 向 の 資 料 ・分 析 が 欠 如 して い る とい う問 題 意 識 か ら,同 協 会 の設 立 背 景,思 想,活 動 を整 理 し,さ らに は 同協 会 が どの よ う に イ ス ラー ム とイ ン ド ・ナ シ ョナ リズ ム を整 合 させ た の か を 明 らか にす る もの で あ っ た.ま ず塗 木 は,同 協 会 に 関連 す る先 行研 究 や 資料,史 料 を紹 介 した 後 に,同 協 会 の 設立 背 景 に 関 して論 じた.イ ギ リス植 民 地 支 配下 で イ ン ド ・ ム ス リム に よる教 育領 域 に お け る イ ス ラー ム改 革 運 動 が 活発 化 す る 中 で,ム ス リム の教 育機 関 と して デ ー オバ ン ド学 院 が 誕 生 し,南 ア ジア に お い て最 大 の イ ス ラー ム 学 院 ネ ッ トワ ー クが 展 開 され る過 程 の 説 明 が な され た.と くに, デ ー オ バ ン ド派 ウ ラマ ー に よる政 治 領 域 へ の 接 触,南 ア ジア ・西 方 イ ス ラ ー ム 世 界 との 宗教 的 ネ ッ トワ ー ク をベ ー ス に した 政 治 活 動 が展 開 され る よ うに な り,1919年 の イ ン ド ・ウ ラマ ー協 会 の設 立 に至 る まで の 過 程 を考 察 した. つ ぎ に塗 木 は,ナ シ ョナ リズ ム に 関す る 同協 会 の 見 解 を分析 した.す な わ ち, イス ラー ム とム ス リム 同胞 へ の忠 誠 とい う理 念 を掲 げ なが ら,ヒ ン ドゥー と の 共 闘 を選 択 した 同 協 会 の 「複合 的 ナ シ ョナ リズ ム(Muttahida Qaumiyat)」 の 在 り方 を論 じた.そ の な か で,イ ン ドを イ ス ラ ー ムの 故 地 とみ なす 領域 的 ナ シ ョナ リズ ム に依 拠 す る こ とで,言 語 や宗 教 の違 い を越 えた 「イ ン ド民 族
204 南 ア ジ ア研 究 第16号(2004年) (Hindustani qaum)」 の概 念 の も とで 民 族 運 動 に参 画 した 同 協 会 を考 察 した. 会 場 か らは,デ ー オバ ン ド派 が 政 治 活 動 を展 開 す る に至 っ た背 景,特 に ア ー ザ ー ドの影 響 につ い て質 疑 が な され た. 第1日 目の最 後 は村 山 和 之 に よ る発 表 で あ っ た.村 山 は南 ア ジ ア(と りわ け イ ン ド及 びパ キ ス タ ン)に お け る,ス ィー デ ィー と呼 ばれ る ア フ リ カ系 黒 人 ム ス リム に 関 しての 報 告 を行 な っ た.村 山 は フ ィー ル ドの先 々 で 出会 っ た ス ィー デ ィーへ の 参 与 観 察 を行 な い,彼 らの 宗 教 的パ フ ォー マ ンス(音 楽 や 舞 踏)を 通 して観 察 され るス ィー デ ィー 特 有 の イ ス ラー ム 的 実 践 の在 り方 を 明 らか に した.ス ィー デ ィー とはサ イ イ ド(預言 者 ム ハ ンマ ドの親 族 に 対 す る一 般 的 尊 称)が 変化 した 呼 称 で,イ ン ド西 部 か らパ キ ス タ ン南 西 部 にか け て み られ る ア フ リ カ系 黒 人 集 団 を指 し,9世 紀 か ら19世 紀 中葉 まで 続 い た 奴 隷 貿 易 が 起 源 と され る.彼 らは イ ス ラ ー ム教,ヒ ン ド ゥー教,キ リス ト教 を信 仰 す るが,と りわ け 聖 者信 仰 と神 秘 主 義 教 団へ の 傾 倒 が 顕 著 で あ る こ と を明 らか に した.発 表 の 後 半 で は ス ラ イ ドや ビ デ オ資 料 を用 い て 具 体 的 に調 査 報 告 を行 な った . 実 際 の 舞 踏儀 礼 や音 楽 集 会 の 映 像 と共 に,ス ィー デ ィー に よ る宗 教 的 実 践 の特 徴 が 説 明 され た.最 後 に村 山 はス ィー デ ィー研 究 の 意 義 を述 べ て 発 表 を締 め く くっ た.ス ィ ー デ ィ ー は南 ア ジ アの 中 で も取 り扱 わ れ る こ とは 非 常 に 少 な く,こ の よ うな南 ア ジ ア にお け る ア フ リ カ系 黒 人 ム ス リ ム に関 す る報 告 の 資料 的 な意 義 が 議 論 され た. 2日 目の シ ンポ ジ ウ ムII「 イ ンダ ス文 明 イ ン ド ・ア ー リヤ と南 ア ジ ア 世 界 」 は,司 会 の小 磯 学 が主 旨説 明す る こ と に よ って 幕 を開 け た. 小 磯 は,現 在6社 か ら出版 され て い る教 科 書 に 「紀 元 前1500年 頃 に カ イ バ ル 峠 を越 え て外 部 か らイ ン ド ・ア ー リヤ(人)が 南 ア ジア に侵 入(来 住)し , 現 在 の 南 ア ジ ア 一帯 を 占 め て い る」 と書 か れ て い る状 況 を鑑 み た うえ で,果 た して この 記述 に最 新 の研 究 か らメス を入 れ る こ とが で きる の か ど うか を, シ ンポ ジウ ム の柱 と した.小 磯 は 「イ ン ド ・アー リヤ」 に 関 す る研 究 史 を概 観 す る こ とに よっ て,現 在 こ の 問題 が 置 か れ て い る状 況 を端 的 に説 明 して い る.研 究 史 は18世 紀 の 言 語 学 の 萌 芽 に遡 る.サ ンス ク リ ッ ト語研 究 が 盛 ん に な る と,19世 紀 前 半 には 欧 州 諸 語 とサ ンス ク リ ッ ト語 な い し イ ン ド北 部 の 共 通 の 言語 で あ る 「イ ン ド ・ヨー ロ ッパ 語 族」 か ら派 生 した と考 え られ る よ う に な った.19世 紀 後 半 に はそ れ に人 種 論 が 加 わ り,ア ー リヤ(人)が 前
南アジア研 究集会 報告記 205 1500年 頃 に イ ン ドに侵 入 した た め 彼 らの 言 語 体 系 が 南 ア ジ ア に 広 ま った と 考 え られ る よ う に な っ た.そ して20世 紀 に入 る と言 語 学,人 種 論 に さ らに 考 古 学 が 加 わ る.イ ンダス 文 明 が 発 見 され,文 明 が もつ 未 解 読 の文 字 が 「アー リヤ以 前 」 とされ たの で あ る.こ こか ら,ア ー リヤ は 「イ ンダ ス文 明滅 亡 後 に南 ア ジ ア に入 っ て き た外 部 か らの 文化 」と絡 め て論 じられ る よ う にな っ た. た だ し 当該 期 の 遺 跡 が 近 年 新 た に発 見 され つ つ あ る が,そ れ らが ア ー リ ヤ (人)の 所 産 に よ る もの か ど うか は定 か で は な い。 こ う した 考 古 学 の 成 果 が ア ー リヤ(人)を どの よ う に解 明 して い くの か現 在 の研 究動 向 を各 研 究 者 に呈 示 して い た だ くこ とを本 シ ンポ ジ ウム の 目的 と した. 近 藤 英 夫 は,「 イ ン ダス 文 明 神 々 の パ ンテ オ ン」 と題 して イ ン ダス 文 明 に お け る宗 教 の 問題 を論 じた.近 藤 は,イ ン ダス 文 明 の滅 亡 とそ の後 の イ ン ド都 市 の 成 立 に は 時 間 に して800年 の ブ ラ ン ク が あ り,短 絡 的 に 結 びつ け る こ とは現 状 で は 困難 で あ る と した.そ の う えで イ ン ダス文 明研 究,そ し て初 期 歴 史 時代 イ ン ド研 究 を個 別 に深 化 させ そ の 成 果 を相 互 に照 合 させ て い く こ とが重 要 で あ る と し,そ の ひ とつ の 要 素 と して 宗教 研 究 を挙 げ て い る. イ ン ダス 文 明 に お け る 印章 を は じめ と した 遺 物 には 「神 」や 「神 話 的 な 表 現」 が 描 か れ て い る もの が少 な か らず 存 在 す るが,近 藤 は そ れ を分 類 し,整 理 し た.近 年 の研 究 で イ ンダ ス文 明 の前 段 階 に はボ ダ イ ジ ュの 葉 と動 物 の角 の モ チ ー フが個 別発 生 し,そ れが 融 合 して さ らに 「人 物 」 と組 み合 わ さっ て神 格 化 され,文 明期 へ 移 行 す る とい う系 譜 が 確 認 され て い た が,近 藤 は そ の系 譜 を含 み さ らに 数種 類 の系 譜 の 「神 」 表 現 が存 在 す る と した.そ の 内訳 は(1)有 角 で か つ 角 の 問 に植 物 が 表 現 さ れ る 人 物 坐 像,(2)有 角 で か つ 角 の 間 に植 物 が 表 現 され る 人 物 立 像,(3)有 角 で 尻 尾 をつ け た 人 物 像(「牛 男」),(4)シ ンメ トリ ー に 描 か れ た ボ ダ イ ジ ュ,(5)有 角 の 半 人 半 獣 像,(6)両 側 の獣 を押 さ え 込 む 人物,(7)水 牛 の7系 譜 で あ る.こ の う ち(4)と(6)は西 ア ジ ア,メ ソ ポ タ ミア起 源 で あ る と示 唆 し,(3)は神 話 が 図像 化 され た もの で あ る と した.ま た, そ の 他 信 仰 に関 わ る 図柄 と して,犠 牲 獣 と しての 水 牛,神 と接 す る行為,神 をみ る行為 な どが挙 げ られ る と して い る.会 場 か らは,印 章 に描 か れ る 一 角 獣 に関 す る質 疑 お よび角 と植 物 の信 仰 が ヴ ェ ー ダ時 代 に も引 き継 が れ て い る 可 能 性 の 指摘 が あ っ た . 堀 晄 は 「バ ク トリア の 青銅 器 時代 ・初 期 鉄 器 時 代 の 文 化 」 と題 して 中 央 ア ジ ア,バ ク トリア 地 方 に興 隆 した 文 化 の 概 要 を論 じた.こ の 地 域 で は1904
206 南 ア ジ ア研 究 第16号(2004年)
年 の ポ ン ペ リ ー に よ る ア ナ ウ 遺 跡 の 発 見 を 契 機 に 新 石 器 文 化 か ら 初 期 鉄 器 時 代 に い た る多 くの 遺 跡 に お い て 発 掘 調 査 が 行 な わ れ て き た.こ の 地 域 の 青 銅 器 文 化 はBMAC(Bactoria-Margiana Archaeological Complex)と 呼 ば れ て い る.BMACは ナ マ ズ ガV期 を 母 体 に し て マ ル ギ ア ナ,バ ク ト リ ア で 急 速 に 発 展 し,交 易 が 盛 ん で あ っ た と さ れ る.そ して バ ロ ー チ ス タ ー ン や イ ラ ン に 多 大 な 影 響 を 及 ぼ し て い る こ と が,指 摘 さ れ て い る.こ のBMAC後 期 に は 限 定 的 で は あ る が,ウ マ が 導 入 さ れ て い る.そ して 初 期 鉄 器 時 代 へ 移 行 し, 鉄 器 は 広 範 囲 に 浸 透 し た が,こ れ ら広 範 囲 に 広 が っ た 鉄 器 文 化 は そ れ ぞ れ 土 着 文 化 を 基 礎 と し て 緩 や か な 共 通 性 を も つ と,堀 は 指 摘 し た.ま たBMAC 期 か ら 比 す る と 美 術 的 表 現 や 印 章 が 消 失 す る な ど の 社 会 変 化 が み ら れ,馬 の 飼 育 が 定 着 す る と さ れ る.堀 は,「 ア ー リ ヤ 」 に 関 し て は 語 ら な か っ た が, バ ク ト リ ア の 当 該 期 に お い て は,民 族 移 動 の 痕 跡 は 不 明 で あ る と し て い る. 深 尾 淳 一 は 「ド ラ ヴ ィ ダ と ア ー リ ヤ 南 イ ン ド原 史 時 代 の 文 化 に お け る "ア ー リヤ"的 要 素 」 と題 して ,南 イ ン ドの 原 史 時 代 文 化,メ ガ リ ス 文 化 の, 「ア ー リ ヤ 的 」 な 要 素 を 探 っ た .メ ガ リス 文 化 は前1千 年 紀 初 期 か ら後1世 紀 に か け て 南 イ ン ドを 中 心 に 広 が っ た,巨 大 石 材 を 用 い た 埋 葬 関 連 施 設 を特 徴 と す る 初 期 鉄 器 時 代 の 文 化 で あ る.遺 跡 出 土 の ブ ラ ー フ ミ ー 文 字 資 料 な ど か ら,ド ラ ヴ ィ ダ 諸 語 を 使 用 す る 民 族 集 団 が そ の 主 要 な 担 い 手 と 考 え ら れ て い る が,「 ア ー リ ヤ 」 的 文 化 と の 関 連 が 深 い と み ら れ る 鉄 器,馬 具,火 葬 は 見 ら れ る と い う.ま た 出 土 人 骨 の 自 然 人 類 学 的 所 見 で は,メ ガ リ ス 文 化 の 担 い 手 は 多 様 な 形 態 的 特 徴 を 示 し て お り,単 一 の 人 種 に よ る も の で は な い と さ れ る.深 尾 は,メ ガ リ ス 文 化 に 関 し て は ド ラ ヴ ィ ダ 系 が 多 数 派 を な す が,ア ー リ ヤ 系 も 混 入 す る と し て い る.一 方 で,北 イ ン ドの サ ン ス ク リ ッ ト文 学 に も 南 イ ン ドの 要 素 が 介 入 し て い る 事 実 が あ る と し た.深 尾 は 概 観 と し て,北 イ ン ド に広 く 「ア ー リ ヤ が 定 着 し た 」 時 期 に 北 と 南 の イ ン ドで は 相 互 に 交 渉 を も つ 異 な る 文 化 が あ っ た こ と を 示 唆 し て い る. 藤 原 達 也 は 「イ ン ド ・ア ー リ ヤ に 関 す る 諸 問 題:イ ン ダ ス 文 明 か ら ガ ン ダ ー ラ ま で 」 と題 し て,主 に 言 語 学 の 観 点 か ら イ ン ド ・ア ー リ ヤ に つ い て 論 じた.藤 原 は ま ず,イ ・マ タ ス(i Matas)が 提 唱 し た ア リ派 と ス ー リ 派 と い う イ ン ド ・ア ー リ ヤ の2派 を,現 行 リ グ ・ヴ ェ ー ダ(以 下Rv.)に 混 在 す る 「1-方言 」 と 「r-方 言 」 を そ れ ぞ れ 自 分 た ち の 方 言 と す る イ ン ド ・ア ー リ ヤ 語 の2つ の 言 語 集 団 と 重 ね て 考 え た.後 者2方 言 の 新 旧 に つ い て は,「1-方 言 」
南 アジア研究集会 報告記 207 集 団 は 「r-方 言 」成 立 以 前 に イ ン ド=イ ラ ン集 団 を 離 れ て イ ン ドへ 入 っ た ア ー リ ヤ で あ る と 考 え る の を 妥 当 と す る.こ の 第1派 に 遅 れ て イ ン ドへ 入 っ た 第2派 の ア ー リ ヤ が 「r-方 言 」 集 団 で あ り,後 者 が 北 西 イ ン ドま で 進 ん で Rv.編 纂 を 開 始 し た 時 に は,前 者 は 東 イ ン ドに 進 出 して い た の で あ る.次 に, 以 上 を 受 け て,「l-方 言 」 集 団 と 「r-方 言 」 集 団 そ れ ぞ れ の 非 ア ー リ ヤ 先 住 民(イ ン ダ ス 文 明 人/原 ド ラ ヴ ィ ダ 語 族)と の 接 触 を 考 え た.そ の 根 拠 は4つ あ る.第 一 に は,Rv.が 「r-方 言 」 の み ば か り で は な く 「l-方言 」 を も取 り込 ん で 編 ま れ た こ と で あ る.第 二 に はRv.に お け る 反 舌 音 の 存 在 か らRv. が,ア ー リ ヤ 「l-方言 」 集 団 と の 接 触 に よ っ て ア ー リ ヤ 化 し た イ ン ダ ス 文 明 の 人 々 の,習 得 言 語 と し て の ア ー リ ヤ 語 で あ る 可 能 性 が 高 い とす る.第 三 に は,「 習 得 言 語 と し て の ア ー リ ヤ 語 」 が あ っ た な ら ば,そ の 数(400種)か ら イ ン ダ ス 文 字 が2種 の 全 く異 な る 言 語(膠 着 語 で あ る 原 ド ラ ヴ ィ ダ 語 と,屈 折 語 で あ る ア ー リ ヤ 語)を 表 記 す る の に 用 い ら れ て い た と想 定 し得 る と す る. 第 四 は,「l-方 言 」 集 団 と イ ン ダ ス 文 明 の 人 々 と の 接 触 と い う 想 定 が,rl一 方 言 」集 団=ア リ派 とす る 想 定 と合 致 す る と い う こ と で あ る.Rv.は,「 ダ ー サ 」 /「 ダ ス ユ 」(ま ず 確 実 に イ ン ダ ス 文 明 の 人 々)と 親 交 ・結 託 す る ア ー リ ヤ と し て ア リ 派 を 非 難 し て い る か ら で あ る.最 後 に 藤 原 は,上 述 した イ ン ド ・ア ー リ ヤ の2派 が,後 代 で も 言 語 的 ・地 理 的 ・文 化 的 に イ ン ドの2大 趨 勢 を担 っ て い た と し て 締 め く く っ た.そ れ は 下 の 表 の よ う に 示 さ れ る.藤 原 の 発 表 は 以 上 の 推 論 に お い て 論 拠 を 明 確 に し て お り,こ れ ま で の 明 確 な 論 拠 が 提 示 さ れ な か っ た 学 説 お よ び 既 往 の 了 解 に 疑 問 を 投 げ か け る も の で あ っ た. 上 杉 彰 紀 は 「南 ア ジ ア考 古 学 にお け る 「イ ン ド ・ア ー リヤ」 の現 在 」 と題 して南 ア ジ ア考 古 学 に お け る 「イ ン ド ・ア ー リヤ 語 族 」 「ア ー リヤ 文 化 」 の 研 究 を概 観 し,考 古 学 の 分 野 に お け る この 問題 に どの よ うに取 り組 むべ きか の 展 望 を論 じた.ま ず 上 杉 は 前2千 年 紀 の 社 会 を と らえ た研 究 史 を,当 該 期 の 事 象 を全 て アー リヤ に結 び付 け,ア ー リヤ以 前 と以 後 が 文 化 断 絶 に よ っ
208 南 ア ジ ア研 究 第16号(2004年) て 分 け られ る とす る 「ア ー リヤ文 化 」 積 極 的肯 定 派 と,パ ン ジ ャー ブ平 原 の 後 期 ハ ラ ッパ ー 文 化 遺跡 の発 掘 調 査 結 果 を踏 ま え て,当 該 期 に は在 地 の 文 化 が 変 容 した だ け で,文 化 の 断 絶 は な い とす る 「ア ー リヤ文 化 」 実 在 否 定 派 に 二 分 し た.前 者 はPGW(彩 文 灰 色 土 器)が 外 来 の 土 器 で あ る と し て これ を 「ア ー リヤ の土 器 」 とす る もの で あ り,後 者 はPGWを 外 来 の 土 器 で は な く 後 期 ハ ラ ッパ ー 文 化 自体 の なか か ら生 ま れ 出 た 土 器 で あ る とす る見 解 で あ る.し か しこれ らの 説 に は考 古 学 的 な 証拠 が不 十 分 で あ る と し,そ の うえ で 自身 は こ の時 期 にお け る北 西 イ ン ド,バ ロー チ ス ター ン高 原,パ ンジ ャー ブ 平 原 ・ガ ンジ ス平 原,中 央 イ ン ドの 出 土 遺 物 を,特 に 土 器 を主 眼 に お い て 総 合 的 に考 察 した.そ の なか で 彩 文 灰 色 土 器 は北 イ ン ド内 の,諸 々 の 要 素 が 統 合 され て成 立 した もの で あ る可 能 性 を指 摘 した.た だ し上杉 は,土 器 が 表 す 一 定 の ス タイ ル は そ れ を もつ 集 団 同士 の コ ミュニ ケ ー シ ョンの ネ ッ トワー ク に よ る もの で あ る とす る視 点 を述 べ,土 器 そ の 他 の 物 質 文 化 を考 察 す る こ と に よっ て相 互 の 関係 は あ らわせ て も,そ こで 民 族 を語 る こ と は非 常 に難 しい と論 じ,安 易 に 「ア ー リヤ」 と結 びつ け る こ とはで きない と した.上 杉 は南 ア ジ ア 北 半 部 に お け る前2千 年 紀 は,大 き くは高 原 ・山 岳 地 域 と平 原 部 に 分 か れ る もの の,南 ア ジ ア北 半 部 が 緩 や か なつ な が りを形 成 し,そ れ が 前2 千 年 紀 後 半 の社 会 に展 開 す る素 地 とな っ た と推 測 す る.そ して これ らの 相 互 関係 ネ ッ トワー クが どの よ うに物 質 文化 の ス タイ ル に反 映 して い くか をみ る こ とに よ って 「アー リヤ 」 な らず と もそ の 文化 実 像 を解 明 し得 る と した.会 場 か らは,埋 蔵 銅 器 の 評価 に関 す る質疑 が な され た. 最 後 に小 西 正 捷 と後 藤 敏 文 が 総 括 を行 な っ た.小 西 は 考 古 学 の視 点 か ら, 「アー リヤ 」の物 質 文 化 が 未 だ不 明 確 な もの で あ るた め ,考 古学 と「アー リヤ」 は結 びつ け る こ とが 尚早 で あ る と した.ま た,後 藤 は 文献 史学 の視 点 か ら, ヴ ェ ー ダ文 献 は未 だ解 読 中で あ り,そ の 断 片 的 な 引 用 で 考 察 を進 め る こ とは 危 険 で あ る と した.こ の シ ンポ ジ ウ ム にお い て 全 体 を通 して の発 表 者,コ メ ンテ ー ター の 意 見 と して は,「 現 状 で物 質 文 化 は解 明 しつ つ あ るが,そ れ を す ぐ さ まア ー リヤ 問題 と結 びつ け る こ とは安 易 で あ り,文 化 の 実 像 を把 握 し て い くこ とで そ こか ら見 え て くる ものが あ る」 と,現 状 の 進 捗 を踏 ま えつ つ 慎 重 な姿 勢 を とる こ とが必 要 で あ る と締 め く く られ た. 末 筆 で はあ るが,本 研 究 集会 の事 務 局 ・幹 事 と して運 営,準 備 を担 って 下
南 アジア研究集会 報告記 209
さっ た,小 磯 学 さん,小 磯 千 尋 さ ん,古 賀 万 由里 さ ん,外 川 昌 彦 さん,名 和 克 郎 さん,東 海 大学 お よび広 島大 学 の学 生 ス タ ッ フ に全 参 加 者 を代 表 して, 感 謝 の 意 を述 べ た い.