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南アジア研究 第19号 003舟橋 健太「仏教徒として/チャマールとして」

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南 ア ジア研 究 第19号(2007年)

仏 教 徒 として/チ ャマ ール として

― 北 イ ンド、 ウ ッタル ・プ ラデ ー シュ 州 に お け る 「改 宗 仏 教 徒 」 の 事 例 か ら―

舟橋健太

1.  序 論― 「運 動 」と して の 仏 教 か ら 「生 活 」と して の 仏 教 ヘ ― 「ナ モ ・ブ ッダ ィ」。 これ は、 「ブ ッダ に帰 依 します」 を意 味す る。 この言 葉 が 、 あ る人 た ちの 問で 、 「ナマ ス テ ー」 や 「ラーム 、 ラー ム」 とい った あい さつ 言葉 に とって代 わ り始 めて い る。そ のあ る人 た ち とは 「改 宗仏教 徒 」1であ り、元 「不可 触民 」2である。 1956年10月14日 、 マハ ー ラー シュ トラ州 の ナー グ プル市 におい て、B . R.ア ンベ ー ドカ ル(Bhimrao Ramji Ambedkar、1891∼1956)が 、彼

自身 の カー ス ト(ジ ャー テ ィ)3で あ るマハ ー ル をは じめ、30万 人 を超 え る といわ れ る 「不可 触民 」 の人 び とを と もなって仏 教へ と改 宗 した。 ア ン ベ ー ドカル 自身 は この大 改 宗 か らお よそ2ヶ 月後 の12月6日 に夭 折 す る が 、以 降、マハ ー ラー シュ トラ州 を中心 に、イ ン ド北 部の他 州 にお い て も「不 可触 民 」 たち の仏教 へ の改宗 の動 きは引 き続 いて お り、漸進 的 にで はあ る が 人 口的 に増加 してい る4。 本 稿 の 目的 は、北 イ ン ドの ウ ッタル ・プ ラデ ー シュ州(以 下UP州)に お け る事 例 を基 に、 こう した 「改 宗仏教 徒 」 たち の 自己意識 の あ りようを 検 討す る こ とにあ る。す な わち、村 落 内 におい て もまた姻 戚 関係 にお い て も周 囲の 大多 数 は ヒ ン ドゥー教 徒 で あ り、「宗 教 」 的 に圧 倒 的 少数 で あ る 状況 にお いて、 かれ ら 「改宗仏 教徒 」 た ちが、 自 らを仏教 徒 と して、 そ し て またチ ャマ ー ル5と して認識 し、 さ まざ まに生 活実 践 を行 なっ てい る様 相 につ いて 、 と りわけ儀礼 実践 を中心 に描 き出 す こ とにあ る。特 に本 稿 で は、仏 教へ の改 宗 を、 ヒ ン ドゥー イズ ム6との断 絶 や対 抗 と して解釈 して きた先行研 究 の視 座 に対 して 、そ の空 間的 ・時 間的 な 「連 続 性」 に焦 点 を あ てて検 討す る。 この こ とは、以 下 の よ うに言 い か える こ とが で きる。多 くの先行研 究 に お い て、 仏教 改 宗 運 動 とは、 ヒ ン ドゥー イ ズ ム にか わ っ て 「仏 教 」 とい う新 た な理念 に寄 り添 うアイ デ ンテ ィテ ィ希 求 の試み と して描 か れて きた 。

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仏教 徒 と して/チ ャマ―ル として― 北イ ン ド、 ウ ッタル.プ ラ デー シュ州 に お ける 「改宗 仏 教 徒 」 の事 例 か ら― これ に対 して、本 稿 では む しろ、 かれ ら 「改 宗仏教 徒 」 たちが 、血 縁や 地 縁 をは じめ とす る さま ざまな 関係 性 を背 景 に、 自分 に とって重 要 な もの を 模 索 しつ つ選 び と り、 そ の時 々の場 に応 じて多層 的 な関係性 を保 持 してい こう とす る さ まを こそみ てい く。 あ くまで理念 的 にみ る な らば、 のち にみ る ような、仏 教徒 としての 自己 意識 とチ ャマ ー ル と しての 自己意識 が ともにみ られ る状 況 は、 運動 のそ し て信仰 の 「未 成熟 な状 態」 とみ る こ と もで きる だろ う。 だが、 この ように 異 なる 自己意 識が ともにみ られ る状 況 は、仏教 とい う 「実践 」 がす で に生 活 の 中 に深 く浸 透 してい るか らこそ の状態 で あ り、運動 と して も新 た な段 階 に入 りつつ あ る と考 え る ことがで きる。つ ま り、エ リー ト層 主導 の運動 の初期 段 階か ら、 運動 のい わ ば 「周辺 部 」 に位 置 す る 「普通 の 」人 び とへ と拡 大 して い く段 階 で あ る。 これ は、本 稿が 対象 とす るUP州 のみ な らず、 仏 教改 宗運 動 の 中心 地域 で あ るマハ ー ラー シュ トラ州 にお い て も、理 念 に 基 づ い て運 動 を主 導す るエ リー トたち ばか りで はな く、 「普通 の 」改 宗仏 教 徒 た ち も多 数存 してい る と思 われ る こ とか ら、広 く全 イ ン ド的 に も参 照 しうる もの とな ろ う。 また 、結論 部 の最後 で触 れ る よ うに、世代 的 に も第 三 世代 が 中心 とな りつ つ あ る現状 にお いて 、 「実 践 」 と して の仏教 の生活 へ の深 い浸 透 は、よ り顕 著 な現象 と して とらえ られ るだ ろ う。つ ま り、「運 動 」 としての仏 教 か ら、 「生 活」 と して の仏教へ の視座 の転換 であ る7。 以 下、2で 「不 可触 民 」 の仏教 改 宗 に関 す る先行 研 究 を整理 して本 稿 の 論 点 を明確 に した のち 、3で は本稿 の舞 台 とな る調 査村 落 ・対 象 を概 観 す る。 その上 で 、4では仏 教徒 と して、次 いで5で はチ ャマ ール としてあ る 「改 宗 仏教徒 」た ちの様 相 を、 それ ぞれ 、言説 な らびに実践 の両 面 か ら検 討 す る。最 後 に、 それ らの議 論 を受 けて結 論 を提示 す る。 2.  先 行 研 究 の 検 討 一 断 絶 か ら 連 続 性 ヘ ― 「改宗仏 教徒 」 に 関す る先行研 究 の主 要 な傾 向 と して、その対 象 、分析 手法 、 理 論 的視座 の それ ぞれ につ いて 、以下 の ような点 を指摘 す る こ とが で きる。 まず対 象 であ るが 、地域 的 には マハ ー ラー シュ トラ州 を舞台 と した研 究が 大 多数 で あ る[Beltz2004,2005;Burra1996;フ ィ ッツジ ェラル ド1994; Fitzgeraid1997;Zelliot2001な ど]8。これ は、 マハ ー ラー シュ トラ州が 仏 教へ の大改 宗 を主 導 した ア ンベ ー ドカル の 出身 州で あ り、 ゆ え に こそ、 イ ン ドにおけ る仏教 改宗 運動 の 中心地 で あ り、実 際 「改 宗仏 教徒 」 たち が

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南 ア ジア研 究 第19号(2007年) 多 く住 んでい る こ とか ら、 必然 の傾 向 とい え よ う9。ジ ャーテ ィで い えば、 マハ ー ルを対象 と した研 究が そ の ほ とん どを占め てい る。 また 、 これ まで の研 究の多 くは改宗 運動 そ の もの に焦 点 をあ てて きた ため に、特 に都 市 部 に住 む運動 の主 導者 た ち を主 な対 象 と して きた。運 動 の理念 的側 面 に、 よ り重 点が おか れて きた ともい える。 研 究手法 と して は、上 に述 べ た とお り運 動 自体 に焦点 をあて て きたた め に、 ア ンベー ドカル 自身の言 説 を は じめ 、改宗 運動 の理 念 や主導 者 た ちの 言 説 を分析 す る傾 向が 強い[Beltz 2004,2005;Kantowsky2003;Zelliot 2001]。 つ ま り、 「改宗 仏 教徒 」 た ちが現 実 に どの よ うな生 を送 って い る か とい う こ とよ りも、 どの ように生 を送 るべ きと考 え られ てい るか/主 張 され てい るか とい う点 に関す る、エ リー トの 言説 を 中心 的 に と りあ げて き た とい う こ とに なる。 最後 に、理論 的 な視座 で あ るが、上 述 した ように、差 別解 放運 動論 の 文 脈 で理 念 や言説 を主 に取 り扱 うこ とか ら、「改宗 仏教 徒 」た ちの ヒ ン ドゥー イ ズ ム との 断絶 や対 抗 とい う側 面 ば か りが 強調 され て きた[Beltz2004 2005;フ ィ ッツジ ェ ラル ド1994;Fitzgerald1997;cfBurra199610]。 こ れ は、 ア ンベ ー ドカル 自身 が 、不 可触 制 を、 そ してそ の根 拠 とみ た ヒ ン ドゥー教 自体 を強 烈 に批 判 し、改 宗 とい う決 意 ・行 動 を とっ た こ とに も由 来 しよう。 ア ンベ ー ドカ ル と同様 に、多 くの 「不可 触民 」 た ちが不可 触 制 の根 深 く根 強 い差 別性 に苦 しんで お り、 ゆえ に、 「不 可 触民 」 た ち は根本 的 に ヒン ドゥー教 自体へ の 強い 反発心 を もってい る とす る研 究者 が抱 く視 座 ともい えるだ ろ う11。例 えば フ ィ ッツジ ェ ラル ド[フ ィ ッツジ ェラ ル ド 1994;Fitzgerald1997]は 、 理念 や 言 説 だ けで は な く、マ ハ ー ラ ー シュ トラ州の村 落 部 にお ける 「改 宗仏 教徒 」 た ちの労働 形態 や儀礼 実践 に関 す る調 査 を行 なっ た。 しか しそ こで も、 「仏 教徒 が 社 会 関係 の支 配 的構 造 お よびそ の背 後 にあ る イデ オロギ ー的原 理 との かか わ りを絶 っ て きた とい う 証 拠 を…提 示 す る」[フ ィ ッツ ジェ ラル ド1994:214]こ とを 目的 にす え てい る。 この よ うに、先行 研 究 にみ られ る議論 で は、 「改 宗 」 を大 きな 「転 換 点」 とと らえ、特 にそ れ以 降 に着 目 して い るため に、改 宗前 とのつ なが りに関 して は、軽 視す るか、 時 には否定 に向か うこ ととな る。 しか し、以 下 に詳 し く述べ る よ うに、「改 宗 」 を一 回 的 な出来 事 と して のみ で は な く、 長期 的 な過 程 と して と らえ、儀礼 と して の改宗 を 「通過 点」 とみ るこ とが必 要

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仏 教 徒 と して/チ ャマ―ル と して― 北 イ ン ド、 ウッタル ・プ ラデ ―シ ュ州 にお ける 「改 宗 仏教 徒 」 の 事例 か ら― で あ る。 こ う した視 点 を もつ こ とで、 連続 性の 中で 生 じて いる変化 が 、 よ り明 白な姿 を もっ て浮か び上 が って くる はずで あ る。 以上 の先 行研 究 に対 して、 本稿 で は次 の 手法 を とる。 まず 対象 と して は、北 イ ン ドのUP州 を と りあ げ る。 理 由 と して は、 第 一 に、 「改宗 仏 教 徒 」の 人 口が比 較 的少 な く、先 行研 究 が手 薄 であ るUP州 の事例 を検討 す るこ とは、主 にマハ ー ラー シュ トラ州 を対象 と して きた先 行研 究 との比 較 とい う点 で、 意義 が あ る と思 われ るか らで あ る。 つ ま り、周 囲の大 多数 が ヒ ン ドゥー教 徒 であ る とい うUP州 の現状 にお いて、かれ ら 「改宗 仏教徒 」 た ちが いか に社 会 的 関係 性(空 間 的連 続性)を 構築 し、 保 持 して い るか とい う点 に 関 して、従 来 とは異 質 な事 例 を提供 しうるか らで ある。 第二 に、 BSP(Bahujan Samaj Party)12の 躍 進 に代 表 され る よう に、UP州 にお い て、近年 「不 可触 民 」が 政治 的 に非 常 に活発 化 して い る こと も理 由 と し て挙 げ る ことがで きる。つ ま り州 レベ ル での政 治 的 な変 化 が、村 落 にお い て、「改 宗仏 教徒 」を含 む「不可 触民 」に対 す る視 線や 態度 に、そ して また、「不 可 触民 」 自身 の政治 的 な意識 に、少 なか らぬ影 響 を及 ぼ してい る と考 え ら れ るか らであ る。 以上 か ら、本 稿 では、 ジャー テ ィ としてはチ ャマ ー ル を対象 とす る。 ま た、都市 部 にお い て仏教 改宗 運 動 を主 導す るエ リー ト層 に焦 点 をあ てて き た先 行研 究 とは異 な り、村 落 部 に暮 らす いわ ゆる普 通 の 「改宗 仏教 徒 」 た ちにつ い て検 討 してい く。 また研 究 手 法 と して は 、か れ ら 「改 宗仏 教 徒 」 た ち の意 識 の あ り よう を検 討 す るので あ るが、 かれ ら自身の語 りの分析 の み な らず 、か れ らがい か に仏教 徒 と して、 また チ ャマー ル と して生 きてい るか 、 とい う点 に着 眼 し、実 際の生 活実 践 につ いて も分析 の対 象 と してい く。つ ま り、 ベ ルツ も 認 めて い る ように、「言説 実践 と他 の社 会的 実践 とは異 なっ てい る」[Beltz 2004:250]の で あ り、 その 両面 を検 討す る こ とで は じめ て 、か れ らの 生 活 のあ りよ うに関す る深 い分析 に至 る こ とが で きる もの と考 え られ るか ら で ある。 最後 に、Heredia[2004]やViswanathan[2001:xix]と 同 じく、「改 宗 」 とい うもの を出来事 や 結果 と して では な く 「過程 」 とと らえ、 改宗前 後 の 「連続 性」を考 察す る。 つ ま り、先 行研 究 にみ られ る よ うな ヒン ドゥー イズ ム との断絶 ・対 抗 の強調 で は な く、 む しろそ れ との連続 性に着 目す る [cf関 根2006a]。 被 差 別状 況 か らの離 脱 が 、単純 に 「断絶 」 に求 め られ

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南 ア ジア研 究 第19号(2007年) る もの で はな く、 交渉 や折衝 を行 ない なが ら、 いか に多層 的 な関係 性 を保 持 して い くか とい う 「連続 性」 にこそ求 め られ る と考 えるか らで あ る。 この こ とか ら、「改 宗仏教 徒 」 たちが 、 「仏 教徒 と して 」あ りつ つ、 また 同時 に分 か ちが た く 「チ ャマ ール として」 もあ る様相 を、そ の両面 ともに うかが え る断絶 と連続 の 表れ か ら検 討 す る ことに なる。 す なわ ち、一 方で 、 被差 別状 況へ の即 効 的対応 か ら 「断絶 」 を志 向 しつ つ も、他 方 で、現 実 に 生 活す る上 で、多 様 な 「連 続性 」 を交 渉 し、 保持 して い る 「改 宗仏 教 徒 」 たちの 姿 を検 討 す るの であ る。そ こにお いて は、地縁 関係 をは じめ とす る 空 間的 連続 性 とと もに、かれ ら自身の 来 し方(過 去)、現 在 、そ して行 く末(未 来)に 対 す る意 識の連 続 性、す な わち時 間 的連続 性を も考 察す るこ とに なる。 以下 、具 体 的 な事 例分析 を行 な う。 3.  調 査 概 要 ・調 査 対 象 概 略 3-1.  調 査の概 要 本 節 で は、 本 稿 の 基 とな った 現 地 調 査 の概 要 を述 べ た い。 現 地 調 査 は、2003年3月 な らび に2005年4月 か ら2006年2月 ま で の 計12ヶ 月 問 行 な っ た。 調 査村 落 で あ るV村 は、UP州 西 部 の ム ザ ッ フ ァル ナ ガ ル 県 (Muzaffarnagar District)に 位 置 し、 イ ン ドの首都 で あ るニ ュー デ リー か ら北 北 東 に お よそ120km、 主 要 な 国道 か ら1kmほ ど西 に入 っ た と こ ろ にあ る。県 の 中心 地 であ る ムザ ッフ ァルナ ガ ル市 へ は、 さ らに約5km、 同 国道 を北上 す る(図1参 照)。 村 の周 囲 には、国道沿 い か ら続 く、鉄 工場 、 製紙工 場 な ど、各種 工場 が 多 く林 立 してい る。そ の ため、村 へ の電気 の供 給 は安定 してい る。 V村 は、 総 人 口3,982人 で あ り、 う ち、 最 多 数 がOBC(Other Backward Classes、 そ の 他 の 後 進 諸 階 級)と さ れ る デ ィ ー ワ ル(約 30%)で 、 次 い で 指 定 カ ー ス ト(約21%)、 ム ス リ ム(約17%)、 土 地 所有 層 であ る ジ ャー ト(4.5%)、 富裕 層 であ るバ ニヤ ー(約4%)と 続 く。 指 定 カー ス トは847人 で、 そ の大 多 数 が チ ャマ ー ルで あ る13[Registrar General and Census Commissioner,India2001お よび現地 調査 に基 づ

く]。その うち、本 稿 の対 象 とす る 「改宗仏 教徒 」 は、33世 帯 の146人(男 性77人 、女 性69人)で あ る。村 落 内総 人 口 比 で は約3.7%、 指 定 カ ース

ト内比 で は約17.2%を 占め る。つ ま り、V村 内 にお いて はい うまで もな く、 同 じチ ャマ ー ル内 におい て も少 数 であ り、周 囲 の大多 数 は ヒ ン ドゥー教 徒

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仏 教 徒 と して/チ ャマール と して―北 イ ン ド、 ウッタル.プ ラデ ―シ ュ州 にお ける 「改 宗 仏 教徒 」 の 事例 か ら― であ る こ とが わか る。 V村 内 にお け る居 住地 で あ るが、 チ ャマー ルた ち は二 箇所 に分 か れて集 住 してい る(図2参 照)。 す なわ ち、村 の南東 端(コ ロニ ーA)と 北 西端(コ ロ ニーB)で あ り、 そ れ ぞれ 、 同程 度 の人 口 を有 してい る。 た だ し、 「改 宗 仏教 徒 」 に関 して は、そ のほ とん どが南 東端 の コ ロニーAに 住 んでお り、 コロニ ーBに は わずか2世 帯が住 んで いる のみ であ る。 次 節 におい て は、 この 「改 宗仏 教徒 」 た ちにつ いて 、 よ り詳細 にみて い くこ とにす る。 3-2.  「改宗 仏教 徒」 につ い て V村 の 「改宗 仏教 徒 」た ち は、い か に して仏 教徒 とな ったの であ ろ うか。 背 景 と して、大 きく二 つの 要 因が考 え られ る。 ひ とつ に、先 に出て きた ア ンベ ー ドカルの存在 で あ り、い まひ とつ が、 イ ン ド仏教 徒協 会 とい う仏教 組 織 で ある。 B.R.ア ンベ ー ドカル は、 マハ ー ラー シュ トラ州 の 「不可 触民 」 とされ る カース トで あ るマハ ー ルの家 に生 まれ た。 その 出 自に もかか わ らず、 コ ロ ンビァ大学 とロ ン ドン大学 で博 士号 を取 得 す る とい う、 当時 と して は異 例 ともいえ る学 歴 をつ ん だ。 イ ン ド帰 国後 は、特 に彼 自身 を も苦 しめ て き た不 可触 制の撤 廃 を 目指 し、強 力 に社 会改 革 運動 を推 し進 め た。彼 が不 可 触 制 の根拠 とみ た ヒ ン ドゥー教 の教 えや ヒ ン ドゥー教 自体 へ の反発 、攻 撃 図1ウ ツ タ ル ・プ ラ デ ― シ ュ 州 お よ び ム ザ ッ フ ァル ナ ガ ル 県 (http://www.lib.utexas.edu/maps/india.html お よ びhttp://www.mapsofindia.com/よ り作 成)

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南 ア ジァ研 究 第19号(2007年) は す さ ま じ く、1927年 に ヒ ン ドゥ ー 教 の 古 典 と さ れ る 『マ ヌ 法 典 』 を 焼 き捨 て る と い う行 動 に 出 た の ち 、1935年 、 つ い に は ヒ ン ド ゥ ー 教 棄 教 宣 言 を す る に至 っ た 。 一 方 、政 治 家 と し て も精 力 的 に 活 動 し、イ ギ リ ス に 「不 可 触 民 」 の 分 離 選 挙 権 を要 求 す る な ど 「不 可 触 民 」 の 政 治 的 地 位 の 向 上 に も 努 め た 。 イ ン ド独 立 後 は 、 ネ ル ー 内 閣 に法 務 大 臣 と して 名 を 連 ね 、 独 立 イ ン ド憲 法 起 草 委 員 会0委 員 長 も務 め た 。 そ し て1956年 に は つ い に 仏 教 に改 宗 す る こ と と な る[山 崎1979;Rodrigues2002]。 こ う した 「不 可 触 民 」 と し て は未 曾 有 の 学 歴 と能 力 、 指 導 力 を も っ た ア ン ベ ー ドカ ル は 、 現 在 に至 る ま で 、彼 自身 の 出 身 カ ー ス トで あ る マ ハ ー ル は も と よ り、 せ ま くマ ハ ー ラ ー シ ュ トラ 州 に と ど ま らず 、 全 イ ン ド的 に き わ め て 多 くの 「不 可 触 民 」 た ち か らの 、 非 常 に 強 い 崇 敬 の 的 と な っ て い る 。 そ れ はUP州 に お い て も例 外 で は な く、 チ ャ マ ー ル に と っ て も 、 「偉 大 な る父 祖(babasabab)14」 と して 尊 ば れ て い る 。

も う ひ とつ の 要 因 で あ る イ ン ド仏 教 徒協 会(The Buddhist Society of India)は 、 ア ンベ ー ドカ ル 自 身 が1955年 に 設 立 した 組 織 で あ る 。 本 部 は

ム ンバ イ ー に お か れ て お り、 現 代 表 は 、 ア ンベ ー ドカ ル の 義 理 の 娘(息 子 の 妻)に あ た る ミー ラ タ イ ・ア ン ベ ー ドカ ル で あ る 。 こ う した 経 緯 か ら、

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仏 教 徒 と して/チ ャマ ―ル として― 北イ ン ド、 ウッ タル ・プ ラデ ー シュ州 にお ける 「改 宗 仏 教 徒 」の 事 例 か ら― ア ンベー ドカルの系 統 を継 ぐもの と して 、強 い正統性 を主張 し うる組織 で あ り、UP州 やマ デ ィヤ ・プ ラデー シュ州 な どにお い て も盛 ん に活 動 して い る。組織 の 目的 は、仏 教 につ い て学 び、仏 教 を普及 す る とい う、「宗教 的 」 活 動 に限 られ てい る。 V村 の 「改 宗 仏 教徒 」 た ちの 「改 宗 」 は、 この イ ン ド仏 教 徒協 会 メ ー ラ ト支 部 に よ って な され た。1992年 、近 在 す る メー ラ ト市 よ り、 か ね て よ りの知 り合 い であ っ た幹部2名 が 訪れ 、V村 の人 び とを中心 に、 集 団 で デ ィー ク シ ャー(Diksa、 入 信 儀礼)を 受 け る に至 っ た15。改 宗 の単 位 と して は、 父系 親族 が 中心 とな り、 ゆ え に居 住 地域 として も、一 村 落 ご と、 また村 落 内にお い て も比較 的 まと まった居住 地 区で の改宗 とな った。改 宗 の 理 由 は、 人 それ ぞ れで はあ るが16、共 通 してい るの は、 ア ンベ ー ドカ ル に対 す る強 い崇敬 の念 と、布教 活動 な どか ら知 りえて深 い共感 を抱 く、仏 教 の主 張す る平等 思想(カ ー ス トの否定)ゆ えであ る こ とが指 摘 で きよ う。 デ ィー ク シ ャー は、 「改 宗 仏教 徒 」 の場合 、僧 侶 あ る い は指 導 的 な在 家 信徒 の先 唱 に続 いて 、三帰 五戒 と、二十 二 の宣誓 を唱 える こ とによっ て果 たす こ ととな る。三帰(三 帰依 、Trisaran)とは、ブ ッダ(仏)、 ダ ンマ(法)、 サ ンガ(僧)の 三 宝 に帰依 す る こ と、五戒(Pancsila)とは、不殺 生(ふ せ っ しょ う)、不楡 盗(ふ ち ゅ うと う)、不邪 淫(ふ じゃいん)、 不妄 語(ふ もう ご)、 不飲 酒(ふ お ん じゅ)の 五 つ の戒 めで ある。特 筆 すべ きは、二 十二 の宣 誓 (Pmtijna)で あ ろ う。 これは、 ア ンベ ー ドカルが独 自に付 け加 え た必 須項 目であ り、 内容 としては、 ヒ ン ドゥーの神 々を信 じない こ とや ヒン ドゥー 的儀 礼 を行 な わ ない こ と、 ブ ッダ の教 えに従 って 生 きる こ とな ど、 ヒ ン ドゥー教 か らの脱却 と、仏教 へ の入信 を強 く宣言 す る もの となって い る17。 4.  仏 教 徒 と して ― 消 極 的 記 号 と して の 「チ ャ マ ― ル 」 に 抗 して ― 本 章 と次 章 で は、V村 に お け る 「改 宗 仏教 徒 」 た ちの 自己意 識 の あ り ようにつ いて 、そ の言説 と実 践 の両面 か ら検討 す るが 、そ の際 に特 に着 目 したい の は、「過 去 」 に関す る意識 で あ る。2に お い てす で に検 討 したが 、 改 宗 を 「過 去 か ら脱 して よ りよい未 来 を選ぶ こ と」[Beltz2004:249]と す るベ ル ツの議 論 に代 表 的 にみ て とれる よ うに、 これ まで は、 ヒ ン ドゥー イズ ムあ るい は過去 との断絶 や対抗 ばか りが強 調 され る傾 向に あっ た。 し か し、 改宗 とは、過 去 を完全 に否 定 した り、そ こか ら脱 しよ う とす るだ け の もの で はない 。 「不 可 触性 」 や それ に基 づ く被 差別 的 な社 会 的地 位 な ど

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南 ア ジァ研 究 第19号(2007年) の過 去 につ いて は否定 しつ つ も、そ う した来 し方 を受 け止 めつ つ 、 よ りよ い現 在 、 さ らに は未来 へ の変 容 を希 求 してい く過 程 こそ が、 「改 宗 」 とい うこ とに な る。そ こでみ られ るの は、上 野 が記 す よ うな、 「過去 の わ た し との 同一化 を 『忘 却』 す るこ と な しに、現 在 の異 なる わた しへ の 『変 容』 を肯 定す る、多元 的 自己 の技法 」[上 野2005:317]で あ る と も考 え られ る。 4-1.  起 源 に関 する語 り 本 節 で は、 「改宗 仏教 徒 」 た ちの 、仏教 徒 と しての 語 りにつ い て検 討 し て い く。そ の際 に注 目したい の は、か れ らの 「起 源 」 に関す る語 りで あ る。 これ に関 して重要 なの は、 ドゥリエー ジ ュ とチ オ ッテ ィの研 究で あ る。 ドゥリエ ー ジ ュ[Deliege1993]は 、 タ ミル ・ナ ー ドゥ州 にお け る事 例 を中心 に取 りあ げて、 「不 可触 民 」 た ちの 「起 源神 話 」 に注 目す る。 そ して、多 くの起源 神話 に共 通す る要素 と して、 もと もと、 自分 たち 「不 可 触民 」 の祖先 とブ ラーマ ンの祖 先 とが 「兄弟 」 であ っ た こ と(大 方 にお い て 、 自分 た ちの祖 先 が 「兄 」 とされ る)、 そ して何 らか の 「誤解 」 に よる 牝牛 の死 骸 との接 触 な どか ら、 自分 たちの祖 先 が劣位 に既 め られ るに至 っ た こ と、 とい う二 点 を挙 げて い る18。後 者 の 強調 か らみ て とれ るの は、 か れ らの現 在 の地位 が 、決 して かれ ら自身の 過 ちや悪行 か ら くる もの で はな く、誤解 や不 運 、 ご まか し、悪 戯 、 さ らには騙 し とい った、 や む をえ ない 所 以 に よる もの だ とい う主張 で ある。 しか し、 こう した異議 申 し立 てにお い て、そ れが あ くまで カース ト制度 の枠 組 み に沿 った 内部 にお ける位 置へ の異 議 であ り、 カー ス ト制 度 その も の につ い て で はな い とい うこ と も指摘 され て い る。端 的 にい っ て、 「シス テムそ の もの の転 換 で はな く、シス テ ム内で の地位 上昇 を図 る」[Deliege 1993:546]と い うこ とで あ る。 一方、 ドゥリエ ー ジュ は、 さ らに こ う も述 べ て い る。 「低 カー ス トが 自 らの地 位上 昇 を図 る と き、通 常、 そ の試 み に合 った新 しい起 源神 話 の採用 か ら始 ま る こ とに なる」[Deliege 1993:541]。 そ こで 次 に、 現代 イ ン ド 社 会 にお け る「不 可触 民 」た ちの高 学歴 化 を受 けて登 場 して い る、新 たな 「起 源神 話 」 を取 りあげ たチ オ ッテ ィ[Ciotti 2006]の 研 究 を参 照 して み よ う。 チ オ ッテ ィは、 本稿 と同 じくUP州 を対 象 と し、 ヒ ン ドゥー教徒 であ る チ ャマ ー ルの教 育 に焦点 をあて て、変 わ りつつ あ るか れ らの意識 や地 位 を 検 討 した 。チ オ ッテ ィに よれば、 折年 、北 イ ン ドにお け る中-下 位 カー ス

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仏教 徒 と して/チ ャマール として― 北イ ン ド、 ウ ッタル ・プラ デ― シュ州 に お ける 「改 宗 仏 教 徒 」 の事 例 か ら― トの政 治 的 な活発 化 と歩 を同 じ くして、「象 徴 的」 過去 の再創 造 が行 なわ れ てお り、 自尊心 の希 求 に応 え うる起源神 話 が求 め られ てい る とい う。 そ こでは特 に 「不 可触 民 」知 識層 を中心 に、 よ り 「科 学 的」 な起 源神 話が 普 及 して いる。 す なわ ち、 カー ス トの不 平 等 は、 アー リア人 の侵 略 と、 それ に ともな う先住 民 の抑圧 、従 属化 に よって うまれ た とす る 「アー リア人 理 論」 であ る[Ciotti2006:908;Beltz2005:141-142]。

この「先住 者 で あ るヒ ン ドゥー とい う説 明(Adi Hindu Theme)」[Ciotti 2006:908]は 、 「不可 触民 」 の過去 を、不 浄 との 関連か ら説 くので は な く、 抑 圧 の歴 史 と して とらえ る見 解 であ る。 チオ ッテ ィは、不浄 とされ る行為 を した こ とに よってチ ャマ ール に なった とい う 「神 話」 と、 自分 た ちが先 住 民 であ り、侵 略者 に よって 支配 され 、下位 に追 いや られた とす る 「科 学 的」 説 明 とが ともにみ られ るのが 現況 で あ り、 む しろ後 者が 好 まれ る こ とを指 摘 す る。 この 「神 話 」 か ら 「科 学 」へ の移行 は、チ ャマ ー ルの高 学歴化 と 識 字率 の 上昇 に よる もの で あ る と、チ オ ッテ ィはみ て い る[Ciotti2006: 908]。 さて 、 こ こで翻 って 「改宗仏 教徒 」 の言説 をみ てみ よ う。 「改宗 仏教 徒 」 た ちが 自 らの 「歴 史(神 話 的過 去)」 を語 る際 に、チ オ ッテ ィが 指摘 した よ うな 「先住 者 であ る ヒ ン ドゥー 」 と同型 の言 明が な され るこ とは しば し ば見 受 け られ る。 つ ま り、 「イ ン ドは、 も とも と仏 教徒 の国 で あ った」 と い う もの で あ る[Beltz2005:142-143]19。 筆 者 もあ る集会 にお い て、都 市 に住 む 「改宗 仏教 徒 」 の知 識 層 か ら次 の よ うな説 明 を受 け た。 「ダ リ ト の 人 び とは、 も とも と、み ん な仏 教 徒 だ った。 そ れ が、 アー リア 人、 そ してム ガル(ム ス リム)、 ク リスチ ャンの侵 略 に よって、仏 教 は抑圧 され、 侵 略者 自身の宗 教 を押 し付 け られ る ように なっ た」。 同様 の解 釈 は、V村 にお いて もみ られ た。例 えば、 ブ ッダの生 涯 を なぞ るVideo-CDを み て いた ときの こ と、登 場 す る人 び との うち、 ブ ッダ に初 め に帰 依す る人 た ち を さして、 「チ ャマ ール だ」、 また、 ブ ラー マ ンた ちに 抑 圧 され る、厳 しい状 況 にあ る人 た ち につ い て も、 「チ ャマー ル だ」 とい う解 説 が な されて いた。 つ ま り、特 に 自分 た ちチ ャマ ール こそが 、他 な ら ぬ ブ ッダへ の最 初 の帰依者 であ り、 その後 の ブ ラーマ ンに よ る抑圧 の被害 者 で もあ る とい う解釈 であ る。 ここか ら、 「改 宗仏 教徒 」 の 言説 の場 合 、 チオ ッテ ィにお ける 「科学 的 説 明」 にみ られ た先住 者 と しての正 統性 に加 えて、先 住 者 と して、そ して

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南 ア ジア研 究 第19号(2007年) もと もとあ った宗教 に正 し く帰依 す る者 としての全 き正 統性 とい う非 常 に 強い 自己主 張 が な され る こ とにな る。 また、 ドゥ リエ ー ジュの事 例 にお い て は、システ ム(カ ー ス ト制 度)そ の ものは 問わ ない とされて いたが 、「改 宗仏教 徒 」の解 釈 で は、 カース ト制度 自体 の無 根拠 性 ・抑圧 性 が訴 え られ る こ とにな る。 次節 では、 こう した仏 教徒 と しての 自己意識 の 表明 となる、仏 教 的 な生 活実践 につ いてみ て い くこ とにす る。 4-2.  仏 教徒 と して の実践 先 に も触 れたが 、周 囲 の大多 数が ヒ ン ドゥー教徒 であ る中 にお いて、 あ えて積極 的 に仏教 的 な生活 実践 を遂 行す るこ とは、他 者 に対 して、 そ して また 自己 に対 して、 「自分(た ち)は 仏 教徒 で あ る」 との意 識 を再 認、 強 化 させ る もの とな るだ ろ う。以 下 、具体 的 にみ てい く。 仏 教 徒 と して の実 践 と して は、 まず 、 きわ め て 日常 的 で あ り、 ゆ え に 頻 度 も高い もの と して、 冒頭 に記 した あい さつ言 葉 を挙 げ る ことがで きる。 す な わち、「ナモ ・ブ ッダィ」そ して 「ジ ャイ ・ビー ム(ア ンベ ー ドカル万 歳)」 とい った あい さつの 、意識 的 、積極 的 な使用 で あ る。 また、仏教 徒 と しての 実践 の うち、重 要 な年 中儀礼 と して、 ア ンベ ー ド カル ・ジ ャヤ ンテ イー(ア ンベ ー ドカル 生誕 祭)、 ブ ッダ ・プー ルニ マ ー (ブ ッダ生誕 祭)、 ダ ンマ ・ヴ ィジ ャヤ ー(ア シ ョーカ王/ア ンベ ー ドカル の仏教 改宗 日)な どを挙 げ る こ とが で きるが、 このいず れ にお いて も必ず 行 なわれ る儀 式 に、 ブ ッダ とア ンベ ー ドカル の 肖像 画 を前 に した、帰 依 の 誓 い20と三 帰 五戒 の唱和 とい う ものが あ る。 この うち、 ダ ンマ ・ヴ ィジャ ヤー の場合 を例 に とってみ てみ よ う。 ダ ンマ ・ヴ ィジ ャヤー(Dbmma-Vijaya)と は、 アシ ョー カ王 が紀 元前 3世 紀 に、 ヒ ン ドゥー教 の ダシ ャ ラー祭10日 目(勝 利 の10日 目、Vijaya― Da勉mi)に 仏教 に改 宗 した こ とか ら名付 け られ、祝 わ れて い る祭 典 であ る。 ア ンベ ー ドカル も、1956年 に当該 日に合 わせ て仏 教へ の改 宗 を行 な った こ とか ら、二 重 の意 味 を もっ て、毎 年 アー シ ュ ヴ ィ ン月(9∼10月)の 同 日に行 な われ る こ とに なった[Ahir2000:30]。 つ ま り、 ヒ ン ドゥー教 徒 が 、 ダ シャ ラー祭最終 日で ラーマ に捧 げ るプー ジャー を行 なっ てい る中、 仏 教徒 たち は、 ブ ッダ とア ンベ ー ドカ ルに崇敬 の念 を表 してい るの であ る。 儀 礼 手順 と して は、上述 の通 り、帰依 の誓 い と三帰 五戒 の唱和 の の ち、ブ ッ

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仏 教 徒 として/チ ャマール と して― 北 イ ン ド、ウ ッタル ・プラ デー シ ュ州に お ける 「改宗 仏 教 徒 」 の 事例 か ら― ダ と ア ンベ ー ドカ ル の 肖像 画 そ れ ぞ れ に 献 花 す る 。 この ダ ン マ ・ヴ ィ ジ ャ ヤ ー に お け る儀 礼遂 行 か ら は 、 非 常 に 明 確 な仏 教 徒 と し て の 自己 の 表 明 を み て と る こ とが で き る。 す な わ ち 、 改 宗 前 に は 自 身 も行 な っ て お り、 ま た 現 在 、 周 囲 の ヒ ン ドゥ ー教 徒 の 問 で 多 く行 な わ れ て い る ダ シ ャ ラ ー 祭10日 目 の お 祝 い の 日 に 、 ブ ッ ダ に対 す る 信 奉 の 意 を 再 確 認 す る と い う 実 践 は 、 仏 教 徒 と し て あ る 自分 た ち の 強 い 再 認 行 為 で あ る とい え る 。 これ は 、 多 くの 先 行 研 究 が 指 摘 す る よ う に 、 確 か に 過 去(ヒ ン ド ゥー 教)と の 断 絶 を 表 して い る とい え る か も しれ な い 。 し か し一 方 で 、 か れ ら 「改 宗 仏 教 徒 」 た ち に は 、 過 去 と の 「連 続 性 」 とい え る 「チ ャマ ー ル と して 」 の 自己 意 識 や 実 践 が み ら れ る こ と も、 ま た 事 実 で あ る 。 そ こ で 、 次 章 に お い て は 、 こ の 「チ ャ マ ー ル と し て 」 の 側 面 に着 目 して み た い 。 5.  積 極 的 意 味 と し て の 「チ ャ マ ー ル 」 を 求 め て 5-1.  詩 聖 人 ラ ヴ ィ ダ ー ス に 対 す る 信 奉 V村 の 「改 宗 仏 教 徒 」 た ち は 、 自 身 の 信 奉 の 対 象 と して3つ を挙 げ る 。 す な わ ち 、ブ ッ ダ 、ア ンベ ー ドカ ル 、そ して ラ ヴ ィ ダ ー ス で あ る 。こ の ラ ヴ ィ ダ ー ス と は 、 い か な る 存 在 な の か 。 まず は 、 ラ ヴ ィ ダ ー ス と い う人 物 に つ い て み て い きた い(図3参 照)[Briggs1999;Caiiewaert & Friediander 1992;Hawiey & Juergensmeyer 1988;Zelliot & Mokashi-Paunekar 2005]。

ラ ヴ ィ ダ ー ス(Ravidas、 ラ イ ダ ー スRaidas)は 、 中 世 北 イ ン ドで 活 躍 し た バ ク テ ィ思 想 の 流 れ を く む 詩 人 ・聖 人 で あ る 。 生 年 、 没 年 と も 定 説 は な く、 百 年 以 上 生 き た と も い わ れ る が 、 お お よ そ1450年 か ら1520年 頃 が 一 応 の 生 没 年 と さ れ て い る[Callewaert & Friedlander 1992:28]。 ヴ ァ ー ラ ー ナ シ ー に チ ャマ ー ル と し て 生 ま れ 、 生 涯 、 当 地 か ら 出 る こ と な く、 皮 革 業 に従 事 した と さ れ る 。 ラ ヴ ィ ダ ー ス の 詩 は 、 シ ク教 の 聖 典 で あ る 『ア ー デ ィ ・グ ラ ン ト』 に41詩 節 収 録 さ れ て い る 。 ま た バ ク テ ィ思 想 の系 譜 を継 ぐ もの と し て 、 カ ー ス ト制 度 や そ れ に 基 づ く差 別 に 反 対 しな が ら も、 一 方 、 「不 可 触 民 」 で あ る 自 分 の 母 親 の 乳 は 飲 まず に ブ ラ ー マ ンの 乳 母 の 乳 で 育 っ た 、 あ る い は 、 皮 膚 の 内 側 に 聖 紐 を持 っ て い た な どの 「ブ ラ ー マ ン化 」 さ れ た 伝 説 もあ る 。 ヒ ン ド ゥ ー の 神 々 に 対 し て は不 信 心 を 強 調 す るV村 の 「改 宗 仏 教 徒 」 た ち で あ る が 、 同 時 に 、 ラ ヴ ィ ダ ー ス に 対 す る信 奉 心は 公 言 して は ば か ら

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南 ア ジァ研 究 第19号(2007年) ない。 そ れ は ひ とつ に、 ラ ヴ ィダー ス が、 カー ス トを否 定 した平 等 思 想 の 持 ち 主 で あ っ た こ と と、 も うひ とつ 、 自分 た ち と 同 じチ ャマ ー ル の 出 自を もっ てい る こ と に 由来 す る と考 え られ る。 そ れ はか れ ら が、 ラヴ ィ ダース につ い て説 明 す る際 に、 二 言 目に は 「ラヴ ィダ ー ス もチ ャマ ー ル だ」 とふ れ る ことか らもうかが え る。 以 上 の よ うに、 「改宗 仏 教徒 」の 問 で は、 仏教 徒 で あ る との意 識 と と も に、 自分 た ち の祖 先(過 去)に つ い て の 意 識、 す な わ ち チ ャマ ー ルで あ る とい う意識 に も非 常 に 強 い ものが あ り、 そ れ らが 時 に は相 反 しなが ら同居 してい る のが現 状 で あ る。 次 節 に お い て は、 そ う した複 合 的 な意 識 と人 間 関係 との錯 綜 した あ りよ うが み て と られ た、 ラヴ ィダース ・ジ ャヤ ンテ ィー (ラヴ ィダース生 誕祭)の 様相 を取 りあげ たい 。 5-2.  チ ャ マ ー ル と して の 実 践 ― ラ ヴ ィ ダ ー ス ・ジ ャ ヤ ン テ ィ ー か ら― 3-1  で み た よ う に 、V村 の チ ャ マ ー ル た ち は 、 二 箇 所 に 分 か れ て 集 住 して い る 。 す な わ ち 、 ほ と ん ど の 「改 宗 仏 教 徒 」 が 住 む コ ロ ニ ーAと 、 仏 教 徒 は2世 帯 の み の コ ロ ニ ーBで あ る 。 そ れ ぞ れ に 、 独 自の ラ ヴ ィ ダ ー ス ・マ ン デ ィ ル(ラ ヴ ィ ダ ー ス 寺 院)を 有 して い る 。 コ ロ ニ ーAの 寺 院 は 、ラ ヴ ィ ダ ー ス の み が 祀 られ て お り、一 方 、コ ロ ニ ーBで は 、ヒ ン ド ゥー 神 で あ る シ ヴ ァ ら と と も に ラ ヴ ィ ダ ー ス が 祀 ら れ て お り、 通 称 シ ヴ ァ ・マ ン デ ィ ル と も呼 ば れ て い る(図2、 表1参 照)。 以 下 に 、2006年2月13日 に 観 察 さ れ た 、 ラ ヴ ィ ダ ー ス 生 誕 祭 の 様 子 を 、 時 を 追 っ て み て い く こ と に し た い(表1参 照)。 ま ず 、 生 誕 祭 当 日、 な ら び に 当 日 に至 る ま で で あ る が 、 祭 り を企 画 、 進 行 す る 実 行 委 員 会 が 、 そ れ ぞ れ の コ ロ ニ ー で 独 自 に存 して お り、 各 々 資 金 集 め も行 な っ て い た 。 ま た 、 両 実 行 委 員 会 の 問 に 、 積 極 的 な 情 報 交 換 な ど は 確 認 さ れ な か っ た 。 つ ま り、基 本 的 に 祭 りは 別 々 に 行 な わ れ た とい え る 。 コ ロ ニ ーAの 実 行 委 員 は 、 図3  ラ ヴ ィ ダ ース 像 (V村 コロニ ーAラ ヴィダース ・マンディル 内、筆 者 撮 影)

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仏 教 徒 として/チ ャマ―ル と して― 北 イ ン ド、ウ ッタル ・プラ デ ーシ ュ州に お ける 「改 宗仏 教 徒 」 の 事例 か ら― 主に 「改 宗仏 教徒 」で あ り、コロニ ーBの そ れ は、主 に ヒ ン ドゥー教徒 で あ っ た。生 誕祭前 夜 か ら、 いずれ の寺 院 におい て も電飾 に よる ライ トア ップが され音 楽が流 され てい た。 また、各 家庭 にお いて も、 ロウ ソ クな どに よる ライ トア ップが されて いた 。 コロ ニーAで は、 ラ ヴ ィダース を称 え るCD が、 コ ロニーBで は、流 行歌 のvideo-CDが 流 されて いた 。 生誕 祭 当 日は、朝 の うちか ら、 そ れぞ れの寺 院 に、そ れ ぞれ の コロニ ー の住人 が、特 に女性 と子 ど もを中心 として、ハ ル ワー、 プ ー リー、金銭 な どを供 えにお参 りを してい た。 そ う した参 拝者 に対 しては、 そ れぞ れの実 行委員 が、 供物 の受 理 とお下 が りの授 与 を行 な ってい た。 コロ ニーAで は、正 午 前 に、 近郊 の町 ム ザ ッフ ァル ナ ガル か ら、 ロ ー ド ・ブ ッ ダ ・ク ラブ の メ ンバ ーで もあ る弁 護士 と他1名 が来村 した。 実行 委員 を は じめ とす る コロニ ーAの 主要 な村 人 た ち(「改 宗仏教 徒 」た ち)は 、 歓待 の意 を表 しつつ 、 来賓 たち に花輪 を奉 じてい た。来 賓 た ちは、 ご く短 い演説 を した のち 、 ほんの数 十分 間の滞在 で帰 って行 った 。 コロニ ーBで は、正午 頃 か ら、寺 院敷地 内 に住 むP氏 主 導 ・主 唱 の も と、 男性 と子 どもた ち とで プー ジ ャーが行 なわれ た。 ラヴ ィダース とア ンベ ー ドカルの 肖像 画 を設置 し、 その前 で火 をお こ して 、木屑 や ギー を くべ つ つ、 ラヴ ィダー ス とア ンベ ー ドカルへ の讃 辞 が叫 ば れた 。そ の後 、P氏 が楽 器 を演奏 して、 ラヴ ィダース や ガネ ー シャ を称 え る讃歌 が歌 わ れた。 午 後 か らは、 コロニ ーBの 男 性 住 人 を中心 に、 コ ロニ ーBの 寺 院 を発 着地 と して 、 トラ ク ターが引 く荷 台 にCDデ ッキ と大型 ス ピー カー を載 せ て、村 中 を踊 り歩 き始 め た。上 でみ て きた よ うに、 こ こまで は別 々 に祭 り の進 行 を行 なっ てい たが、 この行 列 に は、コロニ ーAの 住 人 も多数 加 わ っ た。 つ ま りは、「改 宗仏教 徒 」も含 め た村 のチ ャマ ー ルの男性 たちが 、そ ろ っ て村 中 を躍 り歩 くこ と とな った° 行 列 の 当初 は、 コ ロニ ーBが 出発 点 で あ る こ とか ら、 コロニ ーBの 住 人 が 主 であ っ たが 、次 第 に コロニ ーAの 住人 も加 わ り始 め、つ い に は両 者入 り混 じって の大行 列 となった 。折 々で 、 「聖 人 ラ ヴ ィダー ス 師!」 「われ わ れ と と もに!」 「偉大 な るア ンベ ー ドカ ル博 士!」 「万歳!」 といっ たか け声 が 入 った。 以 上 の ラヴ ィダー ス生誕 祭 の様子 か ら、 次の ような こ とが指 摘 で き よう° す な わち、 「改 宗仏教 徒 」 中心 の コ ロニーAに お いて は、 ラ ヴ ィダー ス を 祝 いつ つ も、仏教 と関連 した 来賓 を招 くとい う ように、 そ こに何 らか のか た ちで仏 教 的要素 を盛 り込 もうと してい た。そ して、そ れが また企画 のす

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南 ア ジァ研 究 第19号(2007年) べ てで もあ っ た。一 方 、 コロニ ーBに お い て は、プージャーを担い うる 人 物が い た こ ともあ り、積極 的 に ラヴ ィダー ス に敬 意が 表 され てい た。 ま た、金 銭 的 な問題か ら音 楽隊 を手 配す るには至 らなか ったが 、行 列 ・行進 を企画 し、 主導 してい た。 この よう に、 い わば互 い に分断 されて いる ともい える よ うな企 画 を行 な いなが ら、 結局 、最 終 的な踊 りの段 階にお い ては、 両者 間の積 極 的 な交流 が み られ てい る。 もち ろん、 普段 の生 活 におい て も両者 の 問に あ る程 度 の 交流 はみ られ、 単 にあ る段 階 まで 別 々に祭 りを行 なっ てい るだ け とい うこ ともで きよ う。 しか し、 この年 に一度 の ラヴ ィダ ース生誕 祭 にお い て、そ れ ぞれ の差異 を意識 しつ つ も、 同 じラヴ ィ ダー ス を信 奉 す る者 、 ひ いて は 同 じジ ャーテ ィの 出 自を もつ者 とい う認識 もまた、新 たに され てい る と も 考 え られ るだ ろ う。 6.  結 論 一 仏 教 徒 と し て/チ ヤ マ ー ル と し て ― 「改 宗仏教 徒 」に関す る これ までの研 究 の多 くにおい て は、マハ ー ラー シ ュ トラ州 を対象 と して きた とい う地域 的要 因 もあ り、 ヒン ドゥー イズ ム との 断絶 や対 抗 とい う側面 ば か りが 強調 されて きた よ うに思 う。 そ こで は、そ れ ぞれが 不可 避 に身 に負 って いる はず の 「過 去」 へ の視 点 は、 ほ とん ど省 み られ なか った。 そ こで本稿 では、「改宗 」にみ られ る 「連 続性 」に着 目 して、 UP州 を舞 台 に、 仏教 徒 と して 、そ してチ ャマ ー ル と して生 きる 「改 宗 仏 教 徒 」 たちの姿 を描 い た。 表1  V村 の ラヴィダース寺院 と生誕祭の流 れ

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仏 教 徒 と して/チ ャマール と して― 北 イ ン ド、 ウッタル ・プ ラデ ーシ ュ州 にお ける 「改 宗 仏教 徒 」 の 事例 か ら― これ までの検 討 か ら、 自 らの起 源 に関す る語 りを通 して、仏 教徒 として の正統 性 を主張 し、自他 に向 けて仏 教徒 で あ るこ とを表 明 し、実践 す る 「改 宗 仏教 徒 」た ちの姿 が み られた。 また同時 に、 自 らの祖 先や 来 し方 を重視 す る姿 勢 か ら、 ラヴ ィダー ス を信奉 し、他 のチ ャマ ー ル と関わ るか れ らの 姿 も確 認す るこ とがで きた 。 この よ うな 「改 宗仏 教徒 」のあ りよ うにつ い て、 他 と関 わる中 で常 に生成 ・変 容 して い る とい う 「アイ デ ンテ ィテ ィ」概念 を用 い て分析 す る こ とも、 もち ろん可 能 であ ろ う[cfホ ー ル2001;細 見 1999]。 しか し、 アイ デ ンテ ィテ ィ とい う語 を使 用 す る にせ よ しな い にせ よ、仏 教徒 で あ り、か つチ ャマ ー ルであ る とい う 自己意 識 のあ りよ うが み られ るの が現状 で あ り、そ う した状況 をつぶ さに検 討す る ことを通 して こ そ、 自己変容 の、 そ して社 会変動 の 一端 を うかが い知 る こ とが 可能 となる と思 わ れる。 冒頭 に述べ た よ うに、先 行研 究 の多 くは、 仏教へ の 改宗 を 「ヒ ン ドゥー 教徒 か ら仏教徒 へ 」 とい う、 ア イデ ンテ ィテ ィの転換 や新 た な獲 得 と して 解釈 して きた。 だが 、本稿 でみ て きた よ うに、「改 宗仏教 徒 」 たち の多 くは、 地域社 会 のつ なが りや親族 関係 な どさま ざま な関係性 の網 の 目の 中 にあ り つ つ、 具体 的 な生 活 の 中で 、 自分 や家 族 に とっ て大切 な もの を選 び と り、 よ りよい生 き方 を探 究 してい る。 こう した 中で 浮か び上 が って きた、仏 教 徒 で あ り、か つ チ ャマ ー ルで あ る とい う 自己意識 の 分析 は、 「運 動 」 と し てだ けで はな く、 「生 活 」 と して宗 教 を と らえる こ とで あ り、そ れ は また、 運 動 の中心 部だ け では な く、 大 きく広 が る運動 の 「周 辺 部」へ の視 点 を も っ こ とで もあ る。 本稿 にお けるV村 の 「改 宗 仏 教徒 」 の場合 、 大 多 数 が ヒ ン ドゥー教 徒 であ る社 会 に生 きる中 で、否応 な く自 らの 来 し方、 す なわ ち 「チ ャマ ー ル 性 」 につ いて深 慮せ ざる を得 な い状 況 に ある。 また、現 実 に生活 を営 む 中 で、他 の ヒ ン ドゥー教 徒 で あるチ ャマ ー ル、 あ るいは他 ジャー テ ィの人 び とと も頻繁 な交 流が 生 じ、ゆえ に 「仏教 徒 と して」 の意 識 とともに、「チ ャ マー ル と して」 の意 識 もまた、再 認 されつ つ あ る とい える。 これ らはす な わち 、序論 で述 べ た、時 間 的 ・空 間 的連続 性であ る。 主要 イ ンフ ォー マ ン トであ り、 ホス トフ ァ ミリー の家 長で あ るS氏 と行 動 を ともに してい る際、 筆者 は時 に、 次 の ような場 面 にで あっ た。す な わ ち、初対 面 で ある人物 に向か っ て、S氏は わた しを指 して こう言 うの であ る。 「彼 は 日本 人 で、 わ れ われ と一緒 に住 んで い るん だ。彼 は仏 教徒 だ よ。私

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南 ア ジア研 究 第19号(2007年) も、 仏教徒 なん だ。」 UP州 西部 におい て、「仏教徒 」 とい えば、ほ ぼイ コー ルで 「チ ャマ ール」 で あ る とみ な され てい る。 つ ま り、S氏 の言 葉 は、 自 らがチ ャマ ール、 す な わち 「不 可触 民 」の 出 自 を もつ と、 わ ざわ ざ周 囲 に知 らせ る もので あっ た とい える。通 常 「不可 触民 」たち は、自身の ジ ャー テ ィを知 られ る こ とを、 最 大 限 忌避す るこ と21か らす れば 、 この表 明 は、 きわ めて例 外 的で あ りか つ重 要 な行為 であ っ た と考 え られ る。つ ま り、 「チ ャマ ー ル であ る」 との 公 言 とと もに、 され ど今 は 「仏教 徒 であ る」 との 強調 がみ て とれ るか らで あ る。 このS氏 の言 葉 に、「改宗 とは、来 し方 を受 け止 めつ つ、よ りよい現在 、 さ らには未 来へ の変 容 を希求 してい くこ と」 とい う姿勢 の一端 が表 れて い る もの と思 わ れ る。 本稿 で は、主 と して 「改宗 仏教徒 」 た ちの 自己意 識 のあ りよ う、 な らび にその 表 れで もあ る実践 を取 りあげ て検 討 して きた。そ のた め、例 えば、「改 宗仏 教徒 」 た ち を取 り巻 く、 政治 的情勢 、経 済 的状 況 な どの 面 か らの、村 落 内 にお ける他 チ ャマ ール との、 そ して他 ジ ャー テ ィ との 関係 につ いて は、 触 れず にお くこ ととな った。 また 、「改宗 仏教 徒 」内 にみ られ る、例 え ばジ ェ ンダー や世代 、社 会 的立場 に よる差 異 な どにつ いて も、対象の焦点化か ら 取 りあ げて こなか った。 これ らの 点 に関 して は、 また稿 を改 め て論 じたい 。 ヒン ドゥーの神 々で はな く、 ア ンベ ー ドカル とブ ッダの 肖像 画 が飾 られ た家 で 、三歳 の男 の子 が見 よ う見 まね で、 それ らに向か って手 を合 わせ て い た。本稿 では、終 始 「改宗 仏 教徒 」とい う語 を用 い て きた。 しか し現実 に、 す でに この男 の子 の よ うに、「改 宗」 で は ない第三 世代 が生 まれて きて い る。 そ うした 「仏教 徒 」 たち の意識 、 な らび に実 践 のあ りよ うは 、 どの よ うに な って い くので あろ うか。今 後 と も、注視 して い きたい。 本稿 の 執筆 にあ た って は、京都 大 学の足 立 明教授 、 日本 女子 大学 の 関根 康 正教 授 、 な らびに京都 大学 の 田辺 明生准 教授 か ら、 非常 に適切 か つ示 唆 深 い ご助 言 とご指 導 をい ただい た。 また、本 稿の基 とな った調査 は、平 成 15年 度 文 部科 学 省 ア ジ ア諸 国等 派 遣留 学 生 制度 に よ り可 能 とな っ た もの であ る。 ここに記 して謝 意 を表 した い。

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仏 教 徒 として/チ ャマール と して―北 イ ン ド、ウ ッタル ・プラ デ ーシ ュ州に お ける 「改 宗 仏教 徒 」 の 事例 か ら― 註 1彼/彼 女 ら を示 す 言 葉 と して 、 従 来 、 「新 仏 教 徒(Neo-Buddhist)」 とい う呼 称 が 用 い られ て き た 。 し か し、 この 言 葉 が 、 当 人 た ちか ら強 い 拒 絶 の 対 象 に な って い る こ と、 また 「新 」 の 意 味 す る とこ ろが 不 明 瞭 で、 一 方 的 な 名 づ け で あ る と思 わ れ る こ とか ら 、 本 稿 で は 、 「改 宗 仏 教 徒 (Embraced(Converted)-Buddhist)」 とい う語 を 使 用 す る こ と に す る(英 語 を 話 す 人 た ち は 、 改 宗 を`embraced'で 表 して い る)。 た だ しこ の 語 も決 して最 適 な選 択 とは い え な い が 、 「改 宗 」 に 焦 点 を あ て る本 稿 の 目的 に も合 致 す る こ とか ら、 こ こで は 「改 宗 仏 教 徒 」 とい う呼 称 で 統 一 す る。 2い わ ゆ る 「不 可 触 民(Untouchable)」 を指 す 語 として は 、他 に 、M.K.ガ ン デ ィー が 提 唱 した 「ハ リジ ャン(Harijan、 神 の 子)」、留 保 制 度 との 関 連 か ら、行 政 用 語 で あ る 「指 定 カ ース ト(Scheduled Caste)」 、そ して、近 年 メ デ ィア な ど に お い て 主 に使 用 され て い る 「ダ リト(Dalit、 抑 圧 され た 者)」 が あ る。 3本 稿 で は 、カ ース ト(caste)と ジ ャー テ ィ(jati)を 互 換 的 に使 用 す るが 、主 に、前 者 は 制 度(社 会 制 度 、 政 策 な ど)に 関 わ る 場 合 、 後 者 は 実 際 の 社 会 集 団 を指 す 場 合 に使 用 す る。 4イ ン ドの 仏 教 徒 人 口 は 、1951年 の189,577人(総 人 口 比0.052%)か ら、1956年 の ア ンベ ー ドカ ル に よ る大 改 宗 を 経 て 、1961年 に は3,250,227人(同0.74%)と 急 増 、2001年 時 点 で は、7,955,207人(同0.77%)と な って い る[Ahir2003:47;Kantowsky2003:20;Registrar

General and Census Commissioner,India2001]。 5チ ャマ ー ル(Chamar)は 、 北 イ ンドー 帯 で 最 大 の 「不 可 触 民 」 カ ース トとされ 、 伝 統 的 に 、 家 畜 や 動 物 の 死 骸 の 処 理 、 皮 革 業 な ど に 従 事 して きた とされ る 。 チ ャマ ー ル に 関 す る代 表 的 な 研 究 と して は、[Briggs1999]、[Cohn2004]、[Khare1984]な ど を、また 、チ ャマ ー ル の サ ブ ・カ ー ス トとさ れ るが 、 独 立 し た カ ース トを主 張 す る ジ ャー タ ヴ(Jatav)に 関 して は 、[Lynch1969] を参 照 の こと。 6本 稿 で は 、 慣 習 的 行 為 や 儀 礼 を 含 め た 「広 義 の ヒ ン ドゥー 教 」 を 指 して 、 「ヒ ン ドゥー イズ ム」 と い う語 を用 い る こ とに す る 。 す な わ ち 、「ヒ ン ドゥー 教 」 とい う語 の 使 用 に 際 して は 、特 に ブ ラ ー マ ン的 な 「狭 義 の ヒ ンドゥー 教 」 を 念 頭 に お い て い る こ とに な る。 7ア シス ・ナ ンデ ィの 、 「イデ オ ロギ ー として の 宗 教/信 仰 としての 宗 教 」[Nandy1990]に な ぞ ら えて、 「イデ オ ロギ ー としての 宗 教/実 践 としての 宗 教 」 と表 す る こ ともで きよう。 8マ ハ ー ラ ー シ ュ トラ 州 以 外 を 対 象 とした 研 究 の うち の 重 要 な もの と して は、 リンチ に よるUP州 の アー グ ラー に お け る ジ ャー タヴ の 「改 宗 仏 教 徒 」 に 関 す る研 究 を 参 照 の こ と[Lynch1969]。 92001年 時 点 で 、 マハ ー ラ ー シ ュ トラ州 の 仏 教 徒 の 人 口 は5,838,710人 と、 州 内 人 口 比 で は 、 約 6.03%を 占め る(総 人 口 は96,878,627人)。 イ ン ド全 国 で は 、 仏 教 徒 の人 口 比 が 約0.77%で あ る こ とを 考 え る と、 か な り高 い 割 合 で あ る こ とが 分 か る 。 なお 、UP州 に 関 して は、 約0.18%と (総 人 口:166,197,921人 、 仏 教 徒 人 口:302,031人)、 全 国 値 よ りも低 くな って い る[Registrar General and Census Commissioner,India2001]。

10ブ ッラ[Burra1996]は 、マ ハ ー ラー シュ トラ 州 の 村 落 部 に お け るア ンケ ー トな らび に イ ンタ ヴュ ー 調 査 を 基 に 、 「改 宗 仏 教 徒 」 た ち の アイデ ン テ ィティの 諸 相 に つ い て 考 察 して い る 。 この ブ ッラ の 研 究 は 、 仏 教 とヒ ン ドゥー イズ ム が い か な るか た ちで あ らわ れ て い る か とい う点 で 、 参 考 に な るデ ー タ を提 示 して は い るが 、 実 践 と慣 習 、 意 図 の 不 分 明 な ま まの 分 析 や 、 「アイデ ン ティテ ィ」 とい う概 念 の 一 面 的 な使 用 に 基 づ く考 察 に は 、 首 肯 しか ね る もの が あ る 。

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南 ア ジア研 究 第19号(2007年)

11[関 根1997]は

、 こうした ア ンベー ドカ ル の 解 釈 や 姿 勢 、 な らび にそ れ を 看 過 す る 研 究 者 の 無 反 省 的 な 姿 勢 につ い て、 「分 化 の本 質 化 」 とい う語 で 問 題 点 を 指 摘 し、 批 判 的 に 検 討 を行 な っ て い る 。

12 BSP(Bahujan Samaj Part

y、大 衆 社 会 党)に つ い て は 、[Chandra 2004]、[Jaffrelot 2003]、[Pai 2002]な ど を参 照 の こと。

13チ ャマ ー ル 以 外 で は

、 主 に清 掃 を 担 うチ ュー ラ ー(バ ンギ ー)が1世 帯 い る の み で あ る 。 14本 稿 に お ける ヒ ンデ ィー語 の アル フ ァベ ッ ト表 記 に 関 して は、 オ ックス フ ォー ド大 学 出 版 局 の ヒ ン

デ ィー 語 ―英 語 辞 書 に従 う(R.S. Mcgregor(ed.),1993, The Oxford Hindi-English Dictionary, New York: Oxford University Press.)。

15 V村 内 に は 、 中 心 的 な 「改 宗 仏 教 徒 」 の 人 物 が 数 名 い る もの の 、 僧 侶 は もち ろ ん 、 村 落 内 外 に 強 い 影 響 力 を 及 ぼ す ほ ど の 仏 教 指 導 者 もい な い 。 た だ 、 近 郊 に メー ラ ト市 とムザ ッフ ァル ナ ガ ル 市 が あ り、 また 両 市 を 結 ぶ 交 通 の 途 上 に あ る こ とか ら、 僧 侶 を は じめ 、 指 導 者 の 訪 問 が し ば しば み られ る 。 16例 え ば 、V村 の 「改 宗 仏 教 徒 」 の 中 心 的 な 人 物(男 性)は 、 仏 教 改 宗 以 前 は ア ー リア ・サ マ ー ジの 活 動 に 参 加 ・従 事 して い た が 、 ア ー リア・サ マ ー ジ 内 に もカ ース トに 基 づ く差 別 が あ る こ と に幻 滅 し、 万 人 の 平 等 を説 く仏 教 に傾 倒 す る ように な っ た とい う。 17三 帰 五 戒 の 唱 和 、 な らび に 二 十 二 の 宣 誓 に つ い て は、 次 を 参 照[山 崎1979:132,136-137; Vimalkirti 1994: 26-31; Ahir 2000: 7-9, 39-55]。 18同 様 の 構 造 が み ら れ る チ ャマ ー ル の 起 源 神 話 に 関 して は 、 ブ リ ッグ ス を 参 照[Briggs 1999: 15-16]。 また 関 根 も、 自 らの フィー ル ドで あ る タ ミル ・ナ ー ドゥ州 に お い て 、 昔 、 ブ ラ ー マ ンと 「不 可 触 民 」 が 兄 弟 で あ った とす る 、 同 様 の 構 造 の 起 源 神 話 を確 認 して い る[関 根1995:264, 358-359]。 19「先 住 者 で あ る 仏 教 徒 」 とい う解 釈 ・説 明 は 、 もと も とは ア ンベ ー ドカル が な した もの で あ り [Rodrigues 2002:396-405]、 お そ らくは 、 そ こか ら敷 衍 して い る もの と思 わ れ る。 20帰 依 の 誓 い は 、 次 を 参 照[Vimalkirti 1994:26-29;Ahir 2000:7-9]。 21例 え ば 、 「不 可 触 民 」 で あ る詩 人 ・文 芸 評 論 家 のOmprakash Valmikiの 自叙 伝 に は 、 そ うし た 「カ ース ト」 をめ ぐる話 が 多 数 出 て くる[Valmiki 2003](こ の 自叙 伝 の 題 名 で あ るJoothan とは 、 ヒ ンデ ィー語 で 「(のち に 「不 可 触 民 」 に 与 え られ る)残 飯 」 とい う意 味 で あ る)。 参 照 文 献

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参照

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