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象への関態度(3) 指導観因果関係を問う発問を設定し, 仮説 - 検証の過程を通して 説明的知識や概念的知識を獲得していく学習として単元を構成した 様々な資料を目的に応じて活用し 効果的に読み解く子どもの育成を目指したい 資料から自分の考えをまとめる 班活動により深めていく 初めの段階で自分の考えを

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Academic year: 2021

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社会科(歴史的分野)学習指導案

平 成 1 8 年 1 0 月 2 4 日 ( 火 ) 第 5 校 時 さ い た ま 市 立 城 南 中 学 校 1 年 1 組 男 子 2 0 名 女 子 1 8 名 さいたま市立城南中学校 教諭 渡部智昭(T1) さいたま市立七里中学校 教諭 大原照光(T2) 1 単元名 中世の日本 ∼ 武士の台頭と鎌倉幕府 ∼ 2 単元について (1)単元観 本単元は、学習指導要領の「(3)中世の日本 武士が台頭し武家政権が成立したこととその 後の武家社会の展開を鎌倉幕府の成立,南北朝の争乱と室町幕府,応仁の乱後の社会的な変動を 通して理解させるとともに,元寇,日明貿易,琉球の国際的な役割など,その間の東アジア世界 とのかかわりに気付かせる。」に基づき設定したものである。本単元は、日本における「中世」 といわれる「鎌倉」と「室町」の2つの時代を中心に扱う。この時代の学習のねらいとして、武 士勢力がそれまでの貴族勢力に取って代わる背景から、東国を中心に本格的な武士政権を樹立し、 武家社会を展開していった過程を理解すること。そして、農業をはじめとして諸産業が発達し、 民衆の成長とともに武士や民衆が中心となる活力ある文化が展開されていったことを理解すると いう2つが挙げられる。 武士は京都においては、皇族・貴族に仕え、朝廷の警固や地方の反乱をしずめるために戦うと いった任についたり、武芸をもって朝廷に奉仕したりした。また、地方の有力な農業経営者など も自衛のために武装し、次第に武士となった場合もあり、地方にあっては農業経営にあたり領主 化していったといえる。武士の成長の過程で、地方の豪族に注目させ、土地をめぐっての動きに 気付かせたい。鎌倉政権は、荘園・公領という古代の国家機構を受け継いでいる一方、領地を媒 介とした主従関係を通して成り立っている封建社会である。土地(領地)の重要性、領地のため に命をかける姿につなげ、「鎌倉」「室町」の2つの時代だけでなく、その後の「安土桃山」・ 「江戸」の時代に見通しをもてるようにしたい。 (2)生徒観 本学級の生徒は、明るく素直な子が多く、授業に対しても積極的に取り組む生徒が多い。また、 歴史に対する興味・関心も高く、1学期に実施した調べ学習では図書資料などを活用し、各自の 課題を解決しようと意欲的に取り組んでいた。しかし、通常の授業においては、自分の考えを発 表する段階で、特定の生徒を除き、なかなか自分から挙手・発言ができないのが現状でもある。 生徒は小学校6年生の社会科学習の中で、平清盛、源義経、源頼朝、北条時宗等の人物の動きを 通して、武士の誕生や鎌倉時代の様子について学習してきている。しかし、武士に対するイメー ジとして、テレビの時代劇や「信長の野望」といったゲーム等による影響から戦国時代や江戸時 代を中心とするイメージが強い。そこで、武官としての武士の存在とともに、農民から武士へと 成長していく者の存在に気付かせ、土地に対するこだわりや土地をめぐる主従関係などからその 後の社会へのつながりにも気付かせ、文化の特色とともにこの時代についてとらえさせたい。

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(3)指導観 因果関係を問う発問を設定し,仮説−検証の過程を通して、説明的知識や概念的知識を獲得し ていく学習として単元を構成した。 様々な資料を目的に応じて活用し、効果的に読み解く子どもの育成を目指したい。資料から自 分の考えをまとめる、班活動により深めていく。初めの段階で自分の考えをもてない生徒も話し 合い活動後にもう一度考えをまとめる時間を設けることで、自分の考えをもてるようにし、自信 をつけさせたい。課題解決の作業を通して、社会的事象に絶えず問いかけながら「より調べたい」 「より知りたい」といった自ら学ぶ意欲を喚起していくとともに、生徒の学習意欲や問題意識、 さらに学習経験に基づいた社会的見方や考え方の創造につなげたい。

3 本研究課題と手だて

「平成18年度 さいたま市教育研究所 教科等研究委員会 中学校社会科研究委員会」の研究 課題は「

資料から自分の考えを書くことができる子どもを育てよう

」である。この課題に迫るため 以下の手だてを講じて指導の工夫の研究を進めている。 (1)複数の資料を準備 個人の興味・関心に対応する複数の資料を用意し、多様な情報から必要なものを選択し、活 用できるようにする。 (2)付箋紙の活用 資料を読み、自分の考えの根拠を付箋紙に簡潔にまとめる。 (3)学び合いで自分の考えを深める 友達の考えについて付箋紙を見ながら視覚的にもとらえ、様々な根拠の求め方のよさに気付 き、自分の考えを再構築させる。 (4)TT(ティームティーチング)導入 ロールプレーイングなどの導入により、生徒の関心・意欲をより引き出すとともに、生徒一人 ひとりにきめ細かく支援する。生徒一人ひとりに目を行き届かせ、生徒の個性を生かす指導を 行う。 4 単元目標 ・平安時代の社会から生まれた武士が次第に力をつけ、ついに鎌倉幕府が成立するに到った経緯の あらましを理解させる。 ・守護・地頭の設置や承久の乱などを経て、幕府の支配が次第に全国に広まったことを理解させ、 武家政権の特色を考えさせる。 ・鎌倉時代の武士の生活や民衆の動きに関心をもたせ、その様子を資料からとらえさせる。 ・鎌倉時代の宗教と文化に見られる新しい動きを理解させ、当時の社会との関連を考えさせる。 5 単元の評価規準 観点 単元の評価規準 学習活動における具体の評価規準 ア 社 会 的 事 象 へ の 関 心 ・ 意 欲 ・ 態 度 ・武士が台頭し武家政権が成 立したことや鎌倉時代の武 士や民衆の動きに対する関 心を高め、意欲的に学習し ている。 ・鎌倉時代の新しい仏教と文 化に対する関心を高め、今 日の文化とのつながりを意 欲的に学習している。 ①武士の生活や生き方に関心をもち、資料の文章・絵・写真など を積極的に活用しその姿をとらえワークシートに記入しようと している。また、発表しようとしている。 ②平清盛、源頼朝、源義経、北条政子などの登場人物に関心をも ち、それぞれの人物の生き方を通して時代の大きな流れをとら えようと努力している。 ③新しい仏教の特色について関心を高め、今日の文化とのつなが りについて意欲的に見付けノートに記入している。

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観点 単元の評価規準 学習活動における具体の評価規準 イ 社 会 的 な 思 考 ・ 判 断 ・武士が台頭し、武家政権が 成立して、武士の支配が次 第に全国に広まり、武家社 会が発展していった歴史の 流れを、幕府と朝廷の関係 や土地制度の変化などから 多面的・多角的に考察して いる。 ・鎌倉時代に新しい仏教と文 化が生まれたことを、武士 や民衆の動きと関連させて 多面的・多角的に考察して いる。 ①武士が成長していった理由を、荘園と公領からなる新しい土地 制度や政治の動きと関連させながら多面的に考察している。 ②「北条政子のうったえ」を読み、朝廷と幕府の勢力関係、将軍 と御家人の関係を考察しワークシートに記入している。 ③鎌倉仏教が中世を通して多くの人々の心をとらえて広まった理 由を、教えの特色や社会の動きと関連させて考察している。 ④武家政権成立の流れや土地制度の変化、鎌倉時代の文化につい て考察させるペーパーテストの問いに対し、授業での成果を基 に解答している。 ウ 資 料 活 用 の 技 能 ・ 表 現 ・武士が台頭し、武家政権が 成立したことと、その後の 政治の動き、鎌倉時代の武 士や民衆の動き、文化に関 する様々な資料を収集し、 適切に選択して活用すると ともに、追究した結果をま とめたり説明したりしてい る。 ①「一遍聖絵」や「男衾三郎絵詞」の場面や「御成敗式目」から 武士の生活の様子を想像し、ワークシートなどへの記入を通し て説明ができている。 ②課題解決に必要な資料を適切に選択して、自分の考えを理由・ 根拠とともに発表することができている。 ③「東大寺南大門」などから鎌倉時代の文化の特色を見いだし、 説明している。 エ 社 会 的 事 象 に つ い て の 知 識 ・ 理 解 ・武士が台頭し、武家政権が 成立して、武士の支配が次 第に全国に広まり武家社会 が発展していったことを理 解し、その知識を身に付け ている。 ・鎌倉時代の新しい仏教と文 化の特色を理解し、その知 識を身に付けている。 ①平安時代の中頃に登場した武士が次第に勢力を広げたことを、 地方や都で起きた戦乱の様子などから理解し、その知識を身に 付けている。 ②鎌倉時代の農業技術や手工業・商業の発達とそれにともなう生 活の向上について理解し、その知識を身に付けている。 ③鎌倉時代の新しい仏教の宗派名、開祖、特徴や文化の特色に関 する知識を身に付けている。 ④武士の台頭から武家政権成立までの流れ、武家社会の発展、鎌 倉時代の文化の特色についての理解を問うペーパーテストに対 し、授業での成果を基に解答している。

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6 単元の指導と評価の計画 【ア=関心・意欲・態度 イ=思考・判断 ウ=技能・表現 エ=知識・理解】 時 学習内容・学習活動 評価(評価の方法) 1 ︵ 本 時 ︶ ○地方で有力農民が土地を開墾し、土地を守る必要から武力をも つようになったことを資料に基づいて考え、自分の意見として まとめ、話し合いか活動において発表する。 ○話し合い活動において自分の意見を発表する。 ○平安時代の中頃に登場した武士が次第に勢力を広げたことを、 地方や都で起きた戦乱の様子などから理解する。 ○荘園や公領からなる新しい土地制度の広がりと、武士の成長と の関連について考える。 ア①(付箋紙) ウ①(付箋紙) ウ②(観察) エ①(ワークシート) イ①(ワークシート) 2 ○武家政権が東国に生まれ、支配力を広げていった様子を、幕府 と朝廷の関係などから理解する。 ○将軍や執権と御家人の関係に注目して、武家政権の特色を考え る。 ア②(観察) イ①(ワークシート) イ②(ノート) 3 ○鎌倉時代の武士の生活の様子を、絵巻物や「御成敗式目」など の資料を通して理解する。 ○農業技術や手工業・商業の発達による生活の向上がもたらした 社会の変化について考え、理解する。 ウ①(ノート) エ②(ノート) 4 ○鎌倉時代の新しい仏教の特色を理解し、それが人々の心をとら えて広まった理由を考える。 ○建築物・彫刻・文学作品のいくつかを具体的に調べ、鎌倉時代 の文化の特色を理解する。 ア③(ノート) エ③(ノート) ウ③(ノート) ※ ○ペーパーテストの実施(単元テスト・定期テスト) イ④(ペーパーテスト) エ④(ペーパーテスト) 7 本時の指導(1/4) (1)目標 ・地方で有力農民が土地を開墾し、土地を守る必要から武力をもつようになったことを資料に 基づいて考え、自分の意見としてまとめ、話し合い活動において発表することができる。 ・平安時代の中頃に登場した武士が次第に勢力を広げたことを、地方や都で起きた戦乱の様子 などから理解する。 ・荘園や公領からなる新しい土地制度の広がりと、武士の成長との関連について考える。

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(2)展開 過程 学 習 内 容 ・ 学 習 活 動 ・指導上の留意点 ○評価 課 題 の 把 握 (T2は「武士」の格好で登場) ・「武士」という身分に気付く。 ・武士に関する建物に関心をもつ。 ・「武士はもともと○○であった。」 ↓ ・○○に入る言葉を考える。 ・身に付けたものから、武士の身分に気付かせる。 ・武士についての関心を高める。 ・3枚の写真を活用し、武士に関する建物の変化に関 心をもたせ、学習に意欲的に取り組めるようにする。 ・小学校での学習を思い起こさせるようにし、提示し た「武士の館」の特色をヒントに「農民」だったこと に気付かせる。 課 題 の 追 究 *予想を発表する。 *資料から導き出した自分の考えを 付箋紙に簡潔に書く。 ・他の考えを参考にして自分の 意見をまとめる。 ↓ ・自分の考えを全体に発表する。 *資料集を見て、ワークシートの年 表を完成させる。 ・ワークシートの年表を確認する。 ・「どのようにして」の部分の補助発問として「なぜ農民 が武装する必要があったのか」 ○ア①及びウ①(付箋紙に記入した内容)を分析する。 ○ウ②(観察)課題の解決に迫る考えが導き出せたか を発言により分析する。 ・T1、T2でクラスを半分に分けて机間指導を行う。 ・地方の武士は、平時は農民と共に田畑を耕し、時に は土地をめぐって戦うことに気付かせる。 ・土地は財産であり、土地を守ることの重要性に気付 かせる。 ・一所懸命の意味について武士の気持ちと関連させな がら理解させる。 ○ウ①(ワークシート)友達の考えを聞き、自分の考 えを再構築することができているか、ワークシート に記入させ分析する。 ・武士がどのようにして歴史の表舞台に登場していっ たかその流れを年表でつかませる。 ・源氏と平氏に注目させる。 ・摂関政治が弱まり、武士もまだ実権を握れない狭間 に政治の実権を握ったのが上皇による院政だった事 に気付かせる。 課題1

「どのようにして農民が武士になっていったのだろうか」

付箋紙に書いた自分の考えを 基に、意見の交換を行う。 課題2

「武士が成長した過程」を年表にまとめよう

・自分の土地を守るため ・部下を従えるため武力をもつ ・開墾するために体を鍛えた ・戦がないときには食料を作っ ていた。後に戦が多くなった。 ・土地が財産だから ・敵に領地を奪われないため ・自分の土地を守る必要性から 武力をもつようになり、次第 に農民が武士になった。 ・935年 平将門の乱 ・1051年 前九年の役 武士の館・金閣・姫路城 ・複数の資料を準備し、どの資料の、どの部分から 導き出したものかもワークシートに記入させる。

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○エ①(ワークシート)成長の過程をワークシートに 記入させ分析する。 課 題 の 追 究 *ワークシート資料の荘園の図を見 て考える。 ・どこにあった荘園だろうか。 ・絵図は、どこに保管されたもの か。 ・武士が自分の土地を守る方法の一つとして、有力な 寺社に土地を寄進して自らは荘官となっていったこ とに気付かせる。 《T1、T2 でロールプレーイングを行う》 ・以前から行われていた国による土地支配と両方が存 在していたことに気付かせる。 ○イ①武士と荘園の関係及び荘園と公領からなる新し い土地制度について考察できている。 整 理 *本時の学習をまとめる ・武士は自分の土地を守るために 有力な寺社に土地を寄進し荘官 となった。 ・荘園と公領からなる新しい土地 支配のしくみができた。 ・武士の中から源氏と平氏が台頭 し、平氏が勢力を広げた。 ・鎌倉幕府の成立や元寇など、その後の動きでは必ず 「土地」をめぐって対立が起こってくることから、「土 地」をめぐる武士の動きに注目させ、今後の学習に つながるようにする。 【使用した資料】 課題3

「武士と荘園」はどのような関係だったのだろう

・1086年 白河上皇による院 政が始まる。保元・平治の乱へ ・紀伊の国の荘園と書かれている ・紀伊の国は、今の和歌山県 ・京都のお寺に保管されていた 「百姓は、飢饉のため、恥を忘れて盗賊となるにちがいない。」(「続日本後紀」840年) 「(武蔵国では)悪者が集まって党をつくり群盗が山にうようよしていた」(「三代実録」861年) 「おおよそ坂東の諸国は、悪者たちがいたるところであばれまわり、道路において物をとり人を殺す、このよう なことは日夜たえることがない」(「朝野群載」) 荘園というのは、貴族や大きな寺院や神社の領地です。大化改新の時から、土地はすべて国家のもので、人々に この土地を割り当てるしくみになっていました。国家の土地がなぜ貴族たちの私有地になったのでしょう。 奈良時代のころから人口が増えて、田畑がたりなくなりました。それで、朝廷は新しく土地を開発しようとしま したが、うまくいかず、8世紀中頃、ついに土地を開発したら、開発した人のものにすることを許すようになりま した。 この許しで、もともと力のある貴族や寺社は、自分のところで働く農民や、貧しい農民を集めて開墾をはじめ、 自分の土地にしていきました。 貴族や寺院などは、この開発した土地を管理するため、荘という建物を置いたので、次第にこの土地を荘園とい うようになり、持ち主は荘園領主とよばれました。 貴族たちは、自分の荘園に、国家の租税がかからないようにしましたので、小さな荘園領主はもっと力のある領 主に年貢の一部を譲って守ってもらうようになりました。藤原氏はもっとも力のある貴族で、また領主でしたので、 沢山の荘園が集まりました。 農民の中には、自分の土地を開墾するものや、荘園の土地を耕すことを請け負う者がいました。これらの土地は、 その農民の名をつけてよんだので、その土地を名田、農民を名主というようになりました。 荘園の中の農民は、今まで国に納めていた租税を領主に納めるようになり、領主である貴族らは、それでぜいた くな生活を都で送ることができたのです。 荘園領主は、力のある名主を荘官という代官に任命して、荘園の管理をさせるようになりました。荘官は荘園を 守ることも必要だったので、次第に武力をたくわえるようになり、武士となりました。 (小学館・1974 年刊「小学館の学習百科図鑑6 日本の歴史」より)

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「反乱をおこした平将門」 939年のこと、東国(関東地方)で大変な事件が起こりました。平将門という武将が、関東地方の国々を従え、 「新皇」の名で一帯を治めることを宣言したというのです。 将門は、平安京をつくった桓武天皇の五代目の孫であったといいます。祖父の高望王の時に、上総国(千葉県) の国司(受領)になって東国にくだり、子孫はそのまま、東国にいつくようになったのでした。 東国には、自分で開拓した土地を、自らの武力で守ろうとする人々(兵つわもの=武士)がいました。また、そ の人々は、将門のように家柄のよいものを頼って、まとまるようになりました。将門は、多くの武士を従える頭領 でもあったのです。 その将門も、はじめは都にあこがれました。摂政・藤原忠平に仕えて、高い位をもらおうとしたこともあります。 そうすれば、東国に帰ったとき、みんなから一層信頼されるからです。 ところが、都の貴族たちは、「言葉遣いがおかしい」「教養のない、卑しいやつだ」などとばかにします。怒った 将門は、故郷に帰ってきてしまいました。 そののち、あちこちの国司との争いが起こり、ついにその戦いに勝って、「新皇」と名乗るようになったのです。 朝廷は、将門の討伐を命じ、将門はついに討たれて、都でさらし首になりました。ところが、その首は、何日た っても目を見開き、色も変わりません。「われに肉体さえあれば、もう一度戦ってみせるのに…」と、毎晩のように 叫んだといわれています。 (小学館・1974 年刊「小学館の学習百科図鑑6 日本の歴史」より) 武士の登場 藤原氏が都でさかえていたころ、藤原氏以外の貴族や、藤原氏でも道長の系統以外の人々は、都では高い位にな れないので、地方の国司となっていきました。 地方の農民の中でも、地主となって力をたくわえた人は、国司に仕える地方役人となり、上総介とか、大宰少弐 という低い位をもらいました。彼らは武装して、軍隊と警察を兼ねていました。荘園の代官たちも自分の領地を守 るため、刀や弓で武装していました。彼らが武士の始まりです。 武士は、都のはなやかな文化に強いあこがれをもっていました。それで、地方へくだってくる貴族は、たいへん 尊敬されました。 国司として地方へくだった貴族の中には、任期が終わっても、都へ帰らないものがいました。都へ戻っても良い 官位につけるあてがなかったからです。この人たちの中には、地方の武士をまとめ、大将となり、自分たちの世界 をつくろうとした人がいました。 (ほるぷ出版 家永三郎編「日本の歴史」より) 武力をもつ豪族 さきの「地方の長者たち」の話でははぶいたが、種松は、自分の娘を生んだ天皇の皇子を、立派な御殿で養って いた。この御殿は、三重の垣に囲まれ、垣ごとに陣屋があり、兵士が護衛にあたっていた。これも物語のうえのこ とで、実際の豪族は、広い範囲にわたる農民を支配し、外からの侵略を防ぐために、武力を養っていたのである。 11世紀の中頃、伊賀(現在の三重県)名張郡に藤原実遠という豪族がいた。一国の各郡に所領をもち、郡ごと に所領を支配する事務所を置き、農民に田地を割り付けてつくらせていた。農民はみな彼の「従者」で、収穫は全 部取り上げられ、小作料を出すことはなかった。明らかに実遠は私営田領主であるが、また、後々まで語りつがれ たほどの有名な「猛者」であったという。農民を「従者」のように服従させる武力をもっていたのであろう。しか し、課役をかけてくる国司には抵抗できなかった。農民は実遠と国司から二重に搾取されて、逃げ出し、耕地は荒 れ果てて、実遠は没落した。 伊賀ばかりではない。どの国でも、国司は、領主にとっても農民にとっても、一番いやな人間であった。すでに 9世紀、いたるところで国司に対する大小の反抗が沢山起こっていた。 (ほるぷ出版 家永三郎編「日本の歴史」より) 「豪族の家」(「粉河寺縁起絵巻」) (絵画の内容) 堀や垣で囲まれた豪族の館で、 門の上に小屋をつくり、家来を見 張りにあてている。 「豪族の争い」(「法然上人絵伝」) (絵画の内容) 実際の領主として人々を支配 し始めた地方豪族が勢力範囲を 広げるため他の豪族の館に侵入 している。 農作業の様子(イラスト) (イラストの内容) 地方の有力な豪族が勢力範囲の 農民を家来とし、農作業をさせてい る。

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