現代日本語に伏流する漢文脈
―― 中島敦『山月記』――
鈴 木 義 昭
キーワード
漢文訓読文/『山月記』と「人虎伝」/漢文脈/
漢字出現率
はじめに
明治期に公的に採用された漢文訓読文(=普通文)は現代に至っても伏流と なって、その命脈を保っている。林巨樹が指摘した ように、江戸期から明治 初期にかけて、詔勅や公用文は漢文訓読文体(の独特に発展した候文)を主と した文体であったが、明治中期になると、漢文訓読的な要素を取り入れた「明 治普通文」になっていく。そうした流れの後代の文章への流入を辿る一環とし て中島敦『山月記』をとりあげて、検証していってみたい(『中島敦全集』第 一巻 筑摩書房 1976年版による)。
一
『山月記』が唐代伝奇小説「人虎伝」を下敷きにして書かれたものであるこ とについては、多くの指摘があるとおり であって、本稿では、敢えてそれに 文学的解釈を行なうつもりはないが、『山月記』の漢文脈を辿っていくと、同 じ結論が導かれるように思われる。乾一夫の指摘 に従って、『唐代叢書』本 系(これを本稿では、「人虎伝A」と呼ぶ)と『太平広記』本系(同じく「人 虎伝」Bと呼ぶ)の両本を同時に扱ってみたい。前者の訓読文としては『国訳 漢文大成』・文学部第十二巻「晋唐小説」(国民文庫刊行会 1920 塩谷温訓訳 注)、後者については『新釈漢文大系』・44「唐代伝奇」(明治書院 1971 内 田泉之助・乾一夫訓訳注。『人虎伝』は乾が担当)によることにする。
まず、「人虎伝」Aにあって「人虎伝」Bにない場面を挙げてみると、以下 のようになるであろう。
1.李徴が婦人を食べる場面;
2.袁 が李徴に肉を贈ろうとする場面;
3.李徴が袁 に詩を贈る場面;
ただ、1では食べる対象が婦人であるのに対して、Bでは「 然其肥」(でっ ぷりと太った人)になっている点が異なっているが、説話としては、Aの形の 方がセンセーショナルではある。その婦人の首飾りが隠してあるという件りで は、李徴の人間性が今も残っていることを象徴化させている。原「人虎伝」
(あったとすれば)の説話化の道程を物語っているのではないか。2で、袁 が馬肉の施しを残そうとするのを李徴が拒否する場面も、あらずもがなではあ るが、人の部分が残っていることを強調する意味では、「異類譚」の類型化を 促進する働きをしているであろう。3の詩は、1・2の場面を取らなかった中 島『山月記』はこれを引用するが、実際は原詩(白文)のみを記すだけで、訓 読文を作っていない。ただ、こうした、詩によって一文の主題を語らせる手法 は、後代の章回小説風のそれに似てきている。詩の主題の在りようが自らの小 説と微妙に違うところを慮って、中島は敢えて訓読文を作らなかったのかも知 れないが、今は推測の域を出ない。
次いで、「人虎伝」A・Bにあって、「山月記」にない記述を挙げておく。
1.呉楚に遊ぶ場面(A・B);
2.発狂して僕者を鞭打つ場面(A・B);
3.婦人を捉えて食う場面(Aのみ。Bは太った人間を殺す);
4.袁 が李徴に食料として自分の馬を与えようとする場面。羊の干し肉 を贈ろうとする場面(Aのみ);
5.南陽の郊外で不倫をし、家族に咎められ、その一家を焼き殺したこと
(Aのみ);
6.袁 が李徴の妻子の面倒を見る場面(A・B); 7.後、袁 が高位に昇ること(A・Bともに兵部侍郎);
1では、呉楚に遊び、当地の人々に下にも置かぬ扱いを受けたことを描く。2 は、下僕を鞭打つ異常な姿を描写し、虎に変わらざるを得なかったことを暗示
する。3・4は、すでに述べた。5は、不倫(女犯)と殺人という二大罪悪を 犯したことを告白する。6では、袁 が献身的に李徴の妻子の面倒を見るこ と、7では、袁 が後に兵部侍郎にまで栄進したことを述べる。読み方によっ ては、袁 の積善の功徳、応報説話にも読まれかねない。いずれも、中島敦
『山月記』では、除かるべくして除かれているわけである。
二
ところで、漢文脈とは、漢文訓読を通じて得られた文脈・文体のことを言 う。私は「漢文訓読文体の特徴は、文の内部に漢文独特の語法を残存させてい ると同時に、漢字の使用率が高く、時制の語や尊敬語が見られず、一文自体の 長さが比較的短いところに在る」と書いたことがある 。この方法を利用し て、中島敦『山月記』を分析することにするが、中島の場合、欧米語の翻訳文 体をも考慮に入れなくてはならない。
中島敦『山月記』では、総センテンス数179(今、各センテンスに1〜179の 番号を付けておく)、総字数(以下、(文字総数・漢字数・読点、句点の総数) の順で記入し、[ ]内は、漢字の総字数の占めるパーセンテージを記入す る)5672字で、センテンス平均31.51字。各センテンス当たり10.23字の漢字が 出現している。漢字の各センテンスに出現する比率は32.50%である。その中 で、センテンスの最長のものは、
134.人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短 いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露 するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭ふ怠惰とが己の凡てだ つたのだ。(97・37・五)[38.1]
の97字であり、次いで、
9.嘗ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけ なかつたその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の 自 尊 心 を 如 何 に 傷 つ け た か は、 想 像 に 難 く な い。(84 ・ 35 ・ 五)
[42.0]
の84字である。漢字の出現率は( )に示したように、前者が38.1%、後者が 42.2%である。これは後で触れることになるが、漢文訓読文体というより、
「〜ぬ(ない)には余りにも〜ない」、「如何に〜かは想像に難くない」といっ た、欧米語の翻訳文体であると考えられる。その意味では、文の長短は必ずし も漢文訓読文を意味しないということになろう。というよりはむしろ、ある種 の簡潔さを持ったものの方が漢文訓読文体と考えることが多かったのであ る 。
漢字の出現率が最大級のものは、以下の通りである。
15.翌年、監察御使、陳郡の袁 といふ者、勅命を奉じて嶺南に使し、途 に商於の地に宿つた。(41・22・五)[53.7]
100.長短凡そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡さを 思はせるものばかりである。(44・22・四)[50.0]
126.共に、我が臆病な自尊心と尊大な羞恥心との所為である。(27・14・
三)[51.9]
15については、「〜という者〜」、「途に〜に宿る(次す)」という漢文訓読文体 が使われているし、100については、「格調高雅」、「意趣卓越」という四字句の 対句の配列が漢文訓読文体を形成する。126については、「臆病な自尊心」、「尊 大な羞恥心」という対句仕立てになってはいるが、ともに近代的な語彙であ り、近代的な語彙、「所
せ
為
い
」という読み方は、この文が和文脈化されているこ とを示しており、漢文訓読体であることを疑わせる。
一方、最小のものは、漢字が全く出現しない、
111.さうだ。(4・0・一)[0]
141.どうすればいいのだ。(10・0・一)[0]
である。『人虎伝』A・Bの訓読文の一文あたりの平均字数が19.53字であるか ら、4字、10字という字数は、訓読文体であることを拒否するかに見える。
また、漢字が一字出現するものは、
59.分らぬ。(4・1・一)[25.0]
であって、その前の58に
58.しかし、何故こんな事になつたのだらう。(19・3・二)[15.8]
と自問したことに対して、回答を保留したもので、60で、
60.全く何事も我々には判らぬ。(13・6・一)[46.2]
と繰り返している。心理的には、連続したものである。111は、漢字が全く使
われていない。ある事柄に思い至った時の発語の辞であって、後ろの
112.お笑ひ草ついでに、今の懐を即席の詩に述べて見ようか。(26・9・
二)[34.6]
113.この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きてゐるしるしに。(26・6・
三)[23.1]
を引き出す働きをしている。「さうだ」は、113、114を元の形に改めたものと して、
111,.さうだ、お笑い草ついでに、この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生 きていたしるしに、今の懐を即席の詩に述べてみようか。(56・14・
六)[25.0]
を想定することができるであろう(助詞「に」の多用が気になるが)。また、
141は、自問自答の形を取りながら、現状への危惧(140)と取り返すことので きない過去(142)とを繋ぐ言葉でもある。と同時に、141と142とは倒置の関 係になっている。倒置構文も漢文訓読文脈の特徴の一つである。同様の働きを しているものに、例えば、以下のようなものがある。
16.次の朝未だ暗い中に出発しようとした所、駅吏が言ふことに、これか ら先の道に人喰い虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。
(61・23・五)[37.7]
17.今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでせうと。(27・
7・二)[25.9]
23.驚懼の中にも、彼は咄嗟に思いあたつて、叫んだ。(23・8・三)
[34.8]
24.「その声は、我が友、李徴子ではないか?」(20・6・三)[30.0]
29.ややあつて、低い声が答へた。(14・3・二)[21.4]
30.[如何にも自分は隴西の李徴である]と。(19・8・一)[42.1]
16と17、23と24、29と30とはいずれも「いふことに、〜と」、「答えた〜と」の 構文であって、句点を乗り越している。中国語修辞学で言うところの「句 段」 である。
なお、「人虎伝」Aは、総センテンス数187、総字数3841字、漢字数1684字、
1センテンス当たりの字数は20.54字である。また、「人虎伝」Bは、総センテ
ンス数143、総字数2937字、漢字数1267字、1センテンス当たり20.54字であ る。各センテンスに占める漢字の割合は、前者が43.8%、後者が43.1%にな り、両者の平均値の43.5%が漢文訓読文の標準となるであろう。これに近いも のとして、
1.隴西の李徴は博学才頴、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、つい に江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤吏に甘 んずるを潔しとしなかつた。(75・33・八)[44.0]
6.この頃から其の容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒に炯炯 として、曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処に求めや うもない。(67・30・五)[44.8]
7.数年の後、貧窮に堪へず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び 東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになつた。(54・23・五)
[42.6]
99.袁 は部下に命じ、筆を執つて叢中の声に随つて書きとらせた。
(29・12・二)[41.4]
116.時に、残月、光冷やかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に暁 の近きを告げてゐた。(41・18・五)[43.9]
179.虎は、既に白く光を失つた月を仰いで、二声三声咆哮したかと思ふ と、又、元の叢に入つて、再び其の姿をみなかつた。(56・23・六)
[41.1]
等がある。いずれもセンテンス当たりの字数は20字を越し、漢字出現率は、40
%前後である。1は、漢字出現率は42.9%で、しかも、「人虎伝」Aのアン ダーラインの部分、
隴西李 ,皇族子,家於 率 略 少博學,善屬文,若冠從州府貢焉 時號 名士 天寶十五載春,於尚書右丞楊元榜下,登 士第 後數年,調補江南 尉 性疏 ,恃才倨傲 不能屈跡卑僚,嘗鬱鬱不樂 同舍會既酣, 謂 其群官曰,生乃與君等爲伍耶 其僚友咸側目之
を巧みに利用したというか、換骨奪胎した文になっていることが一見して看取 される。読者は、「隴西」、「李徴」、「博学才頴」、「天寶」、「江南尉」、「狷介」、
「賤吏」等の漢語系の名詞語彙に引き付けられ、「若くして」、「〜を〜に〜す
る」、「〜せらる」、「〜所」、「頗る」、「〜に甘んずる」、「〜を潔しとせず」等の 語法に漢文訓読調を感じていくであろう。因みに、「人虎伝」Aの訓読も、
隴西の李徴は皇族の子にして 略に家す。(19・10・一)[52.6]徴少くし て博学、善く文を属す。(14・7・二)[50.0]弱冠州府貢に従ふ。(9・
6・一)[66.7]時に名士と号す。(8・4・一)[50.0]天宝十五載春、
尚書右丞楊元の榜下に於て進士に登第す。(26・19・二)[73.1]後数年、
調せられて江南尉に補す。(16・8・二)[50.0]徴性疎逸、才を恃んで倨 傲なり。(15・8・二)[53.3]跡を卑僚に屈する能はず。(12・5・一)
[41.7]嘗に鬱鬱として楽しまず。(12・4・一)[33.3]同舎の会既に酣 なる毎に顧みて其群官に謂つて曰く、生は乃ち君等と伍を為さんやと。
(39・18・二)[46.2]其僚友咸な之に側目す。(11・7・一)[63.6]
となり、総字数181字、漢字総数96字。その占有率は53.0%となる。Aのこの 段における漢字総字数が124字であるから、漢字28字分を仮名=助詞・活用語 尾に置き換えて読んでいるだけである。先に挙げた例、135と9とは、38.2
%、42.2%であるから、「人虎伝」A・Bの訓読文に近い値を示していると言 えよう。中島の念頭には、この訓読文が去来していた可能性がある。
三
では、中島『山月記』の中の漢字出現率の低いものから順に眺めていくこと にする(「人虎伝」A・Bに記載のあるものには*、一文の長さが20字以上の ものには△、漢字の出現率が40.0%以上のものには○を付けておく)。
1)漢字出現率が0〜9%のもの 111.(前出)
141.(前出)
が最も低い。次いで、
77.いや、そんな事はどうでもいい。(15・1・二)[6.7]
がある。いずれも和文脈である。
2)漢字出現率が10〜19%のもの
35.*△どうして、おめおめと故人の前にあさましい姿をさらせようか。
(29・4・二)[13.8] 吾已爲異類 使君見吾形 則且畏怖而惡之 矣 我今不爲人矣 安得見君乎
53.△夢の中で、これは夢だぞと知つてゐるやうな夢を、自分はそれまで に見たことがあつたから。(42・8・三)[19.0]
57.しかし、何故こんな事になつたのだらう。(19・3・二)[15.8]
80.△ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思つてゐるだら う!(31・5・六)[16.1]
85.所で、さうだ。(7・1・二)[14.3]
89.他でもない。(6・1・一)[16.7]
123.△しかし、それは臆病な自尊心とでもいふべきものであつた。(27・
5・二)[18.5]
131.虎だつたのだ。(7・1・一)[14.3]
172.勇に誇らうとしてではない。(13・2・一)[15.4]
がある。35を除けば、いずれも、「人虎伝」A・Bには出現しないもので、漢 字出現の比率も低く、中島が創作したものと考えられる。
3)漢字出現率が20〜29%のもの。
14.△其の後李徴がどうなつたかを知る者は、誰もいなかつた。(26・
7・二)[26.9]
17.*△今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでせうと。
(27・7・二)[25.9]今 早。願且駐車,決不可前。(「人虎伝」A・
B、ともに同じ)
28.*△しのび泣きかと思はれる微かな声が時々洩れるばかりである。
(28・7・一)[25.0]虎呼吟數聲。若錯嗟泣 。
29.*ややあつて、低い声が答へた。(14・3・二)[21.4]人聲而言 曰,…
32.*△そして、何故叢から出て来ないのかと問うた。(21・6・二)
[28.6]願展拜禮。乃再拜。雖然執事何爲不見我。而自匿于草木中
38.*△どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な今の外形を厭わず、
曾て君の友李徴であつたこの自分と話を交してくれないだらうか。
(59・17・四)[28.8] ○雖然君無遽去。得少盡款曲。乃我之幸也。参 49.*△気が付くと、手先や肱のあたりに毛を生じてゐるらしい。(26・
7・二)[26.9] 其肱髀則有毛生焉。
50.*△少し明るくなつてから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎 となつてゐた。(36・10・三)[27.8] 既而臨溪照影。已成虎。
52.次に、これは夢に違ひないと考えた。(17・4・二)[23.5]
54.△どうしても夢でないと悟らねばならなかつた時、自分は茫然とし た。(31・7・二)[22.6]
56.△全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。(26・
7・三)[26.9]
58.分らぬ。(4・1・一)[25.0]
64.これが虎としての最初の経験であつた。(18・5・一)[27.8]
70.△今迄は、どうして虎になどなつたかと怪しんでゐたのに、この間ひ よいと気が付いて見たら、己はどうして以前、人間だつたのかと考へ てゐた。(65・13・五)[24.6]
75.△一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだつたんだらう。
(28・7・三){25.0}
76.△初めはそれを憶えてゐるが、次第に忘れて了ひ、初めから今の形の ものだつたと思ひ込んでゐるのではないか?(50・10・三)[20.0]
78.△己の中の人間の心がすつかり消えて了へば、恐らく、その方が、己 はしあわせになれるだらう。(43・10・四)[23.3]
79.△だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐ろしく感じてゐ るのだ。(34・8・四)[23.5]
81.己が人間だつた記憶のなくなることを。(18・5・一)[27.8]
83.誰にも分からない。(8・2・一)[25.0]
86.*△己がすつかり人間でなくなつて了う前に、一つ頼んで置き度いこ とがある。(34・9・二[26.5]我與君真忘形之友也。而我將有所託 可乎。
101.△しかし、袁 は感嘆しながらも漠然と次のやうに感じてゐた。
(28・8・二)[28.6]
103.△しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常 に微妙な点に於て)欠ける所があるのではないか、と。(55・15・五)
[27.3]
108.△詩人に成りそこなつて虎になつた哀れな男を。(21・6・一)
[28.6]
112.△この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きてゐるしるしに。(26・
6・三)[23.1]
118.△何故、こんな運命にまつたか判らぬと、先刻は言つたが、しかし、
考へやうに依れば、思ひ当ることが全然ないでもない。(55・14・六)
[25.5]
121.△実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなか つた。(33・8・三)[28.5]
124.△己は詩によつて名を成そうと思ひながら、進んで師に就いたり、求 めて詩友と交つて切磋琢磨に努めたりすることをしなかつた。(58・
17・三)[29.3]
125.△かといつて、又、己は俗物の間に伍することも潔しとはしなかつ た。(30・7・三)[23.3]
135.△己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがた めに、堂々たる詩家となつた者が幾らでもゐるのだ。(54・14・三)
[25.9]
137.△それを思ふと、己は今も胸を灼かれるやうな悔を感じる。(26・
7・二)[26.9]
139.△たとへ、今、己が頭の中で、どんなに優れた詩を作つたにした所 で、どういふ手段で発表できやう。(45・12・五)[26.7]
143.己は堪らなくなる。(9・2・一)[22.2]
145.△この胸を灼く悲しみを誰かに訴へたいのだ。(20・5・一)[25.0]
147.誰かにこの苦しみが分つて貰へないかと。(19・4・一)[21.1]
148.△しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。
(29・7・四)[24.1]
152.△己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。(24・6・二)
[25.0]
155.最早、別れを告げなければならぬ。(14・4・一)[28.6]
156.△酔はねばならぬ時が、(虎に還らねばならぬ時が)近づいたから、
と、李徴の声が言つた。(41・10・四)[24.4]
157.△だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。(20・4・三)[20.0]
158.それは我が妻子のことだ。(12・3・一)[25.0]
162.*△決して今日のことだけは明かさないで欲しい。(21・5・一)
[23.8]但云我己死。無言今日之事。/愼無言今日之事。
167.△本当は、先ず、此の事の方を先にお願ひすべきだつたのだ、己が人 間だつたなら。(37・11・四)[29.7]
168.△飢ゑ凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩集の方を気 にかけてゐる様な男だから、こんな獣に身を堕すのだ。(54・15・三)
[27.8]
がある。この中で、明らかに『人虎伝』から摂取した形跡のある、17、28、
29、38、49、50を除けば、44例中、6例が漢文訓読文系の語彙を持つのみで、
残りの殆ど(86.3%)は中島敦の創作部分と言える。
4)漢字出現率30〜39%のもの
2.*△いくばくもなく官を退いた後は、故山、 略に帰臥し、人と交を 絶つて、ひたすら詩作に耽つた。(44・15・五)[34.1] 謝秩則 歸 間 。不與人 餘。後 衣食。乃東 楚間。
3.△下吏となつて長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家として の名を死後百年に遺さうとしたのである。(49・18・二)[37.4]
4.*△しかし、文名は容易に揚がらず、生活は日を追うて苦しくなる。
(28・10・三)[35.7] 謝秩則。 歸間 。不與人通 余。
後 衣食。
8.△一方、之は、己の詩業に半ば絶望したためでもある。(24・8・三)
[33.3]
12.*△或夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分からぬ ことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駆出した。(56・
21・四)[37.5] 夜聞 外有呼吾名 。 應聲而出。
13.*彼は二度と戻つて来なかつた。(14・5・一)(38.4) 家僮跡其去 而伺之。盡月而竟不回。
17.*△○前出
21.*△虎はあはや袁 に躍りかかると見えたが、忽ち身を翻して、元の 叢に隠れた。(35・11・三)[31.4] 果有虎自草中突而出。 驚甚。
22.*△叢の中から人間の声で「あぶない所だった」と繰返し呟くのが聞 えた。(32・10・一)[31.3] 俄而虎匿身草中。人聲而言曰。異乎 哉。幾傷我故人也。
23.*其の声に袁 は聞き憶えがあつた。(16・5・一)[31.3] 聆其 音似李 。
24.*前出豈非故人隴西子乎。
32.*△袁 は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐かしげに久闊を 叙した。(33・13・三)[39.4] 乃下馬曰。
40.△後で考へれば不思議だつたが、其の時、袁 は、この超自然の怪異 を、実に素直に受容れて、少しも怪まうとしなかつた。(55・21・六)
[38.2]
43.*△青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それ等 が語られた後、袁 は、李徴がどうして今の身となるに至つたかを訊 ねた。(63・22・五)[34.9] 君何由至此。且 始與君同場屋十餘 年。情好歡甚。愈於他友。
44.*草中の声は次のやうに語つた。(14・5・一)35.7 而自匿于草木 中。
47.*覚えず、自分は声を追うて走り出した。(18・7・二)[38.9] 不 覺以左右手 地而 。
52.自分は初め眼を信じなかつた。(14・5・一)[35.7]
61.△理由も分からずに押付けられたものを大人しく受取つて、理由も分 ら ず 生 き て 行 く の が、 我 々 生 き も の の さ だ め だ。(52. 17 ・ 三)
[36.7]
64.△再び自分の中の人間が眼を覚ました時、自分の口は兎の血に塗れ、
あたりには兎の毛が散らばつてゐた。(47・18・三)[38.3]
66.△それ以来今迄どんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍び ない。(33・12・二)[36.4]
68.△さういふ時には、曾ての日と同じく、人語も操れば、複雑な思考に も耐へ得るし、経書の章句を誦んずることも出来る。(55・20・四)
[36.4]
69.△その人間の心で、虎としての己の残虐な行のあとを見、己の運命を ふりかへる時が、最も情なく、恐しく、憤ろしい。(53・17・六)
[32.1]
70.△しかし、その、人間にかへる数時間も、日を経るに従つて次第に短 くなつて行く。(37・12・三)[32.4]
73.△今少し経てば、己の中の人間の心は獣としての習慣の中にすつかり 埋れて消へて了ふだらう。(43・15・三)[34,9]
75.*△さうすれば、しまひに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎とし て狂ひ廻り、今日の様に途で君と出会つても故人と認めることなく、
君を裂き喰らふて何の悔も感じないだらう。(80・27・五)[33.8]
使回日。幸取 他郡。無再 此 。吾今日 悟。一日都醉。則君 此 吾既不省。將碎足下於齒牙間。
83.この気持は誰にも分らない。(13・4・一)[30.8]
85.己と同じ身の上に成つた者でなければ。(18・6・一)[33.3]
89.声は続けて言ふ。(8・3・一)[37.5]
92.*△曾て作る所の詩数百篇、固より、まだ世に行はれてをらぬ。
(29・9・三)[31.0] 我有舊文數十篇。未行於代。
94.*遺稿の所在も最早判らなくなつてゐよう。(19・7・一)[36.8]
雖有 槁。當盡散落。
95.*△所で、その中、今も尚記誦せるものが数十ある。(22・7・三)
[31.8] 我有舊文數十篇。
96.*これを我が為に伝緑して戴き度いのだ。(18・6・一)[33.3] 君
爲我傳 。
97.*△何も、之に仍つて一人前の詩人面をしたいのではない。(25・
9・二)[36.0] 誠不能列文人之口閾。
98.*△作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂はせて迄自分が生 涯それに執着した所のものを、一部なりとも後代に伝へないでは、死 んでも死に切れないのだ。(72・24・五)[33.3] 然亦貴傳於子孫也。
106.△羞しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今で も、己は、己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれてゐる様を、夢 に見ることがあるのだ。(71・22・六)[31.0]
107.岩窟に横たはつて見る夢にだよ。(17・6・一)[35.3]
108.嗤つて呉れ。(6・2・一)[33.3]
112.*△お笑ひ草ついでに、今の懐を即席の詩に述べて見ようか。(26・
9・二)[34.6] 吾欲爲詩一篇。蓋欲表吾外雖異而中無 異。亦欲以 吾懷而據吾憤也。
120.*△人間であつた時、己は努めて人との交を避けた。(22・8・二)
[36.4] 謝秩則 歸間 。不與人 余。
128.△己の珠に非ざることを懼れるが故に、敢て刻苦して磨かうともせ ず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌碌として瓦に伍する ことも出来なかつた。(70・21・五)[30.0]
130.△人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だと 言ふ。(33・13・三)[39.4]
133.△これが己を損ひ、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形 を斯くの如く、内心にふさはしいものに変へて了つたのだ。(57・
18・六)[31.6]
134.△今思へば、全く、己は、己の有ててゐた僅かばかりの才能を空費し て了つた訳だ。(37・13・四)[35.1]
135.前出
137.△虎と成り果てた今、己は漸くそれに気が付いた。(22・8・二)
[36.4]
140.△まして、己の頭は日毎に虎に近づいて行く。(20・7・五)[35.0]
150.△山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂つて、哮つてゐるとしか考へ ない。(33・11・三)[33.3]
152.△丁度、人間だつた頃、己の傷つき易い内心を誰も理解して呉れなか つたやうに。(36・14・三)[38.9]
155.△木の間を伝つて、何処からか、暁角が哀しげに響き始めた。(27・
10・三)[37.0]
161.△固より、己の運命に就いては知る筈がない。(20・7・二)[35.0]
162.*△君が南から帰つたら、己は既に死んだと彼らに告げて貰へないだ らうか。(33・10・二)[30.3] 君自南回。爲齎書訪吾妻子。但云我 已死。無言今日事。
164.*△厚かましいお願だが、彼等の孤弱を憐れんで、今後とも道塗に飢 凍することのないやうに計らつて戴けるならば、自分にとつて、恩 倖、之に過ぎたるは莫い。(71・22・六)[31.0] 吾於人世。且無資 業。有子 稚。固難子謀。君位列周行。素秉風義。昔日之分。豈他人 能右哉。必 念其孤 賑 之。無使殍死於 。亦恩之大者。
170.*△さうして、附け加へて言ふことに、袁 が嶺南からの帰途には決 して此の途を通らないで欲しい、其の時には自分が酔つてゐて故人を 認めずに襲ひかかるかも知れないから。(77・24・四)[31.1] 虎又 曰。使回日。幸取 他郡。無再 此 。吾今日 悟。一日都醉。則君
此吾既不省。將碎足下於齒牙間。
171.*△又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上つたら、此 方を振りかへつて見て貰ひ度い。(44・16・五)[36.4] 君前去百餘
。上小山。下視盡見。此將令君見我焉。
174.*△我が醜悪な姿を示して、以て、再び此処を過ぎて自分に会はうと の気持を君に起させない為であると。(46・18・三)[39.1] 非欲矜 勇。令君見而不復再 此。
175.*△袁 は叢に向つて、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上つた。
(27・10・三)[37.0] 敘別甚久。 乃再拜上馬。
176.*△叢の中からは、又、堪へ得ざるが如き悲泣の声が洩れた。(26・
10・三)[38.5] 回視草茅中。悲泣 不忍聞。
ここでは55センテンス中、「人虎伝」に典拠を持つものが27文である。また、
漢文訓読文体独特の表現を持つ、3.68.128を含めれば、その比率は54.5%に 上る。
5)漢字出現率が40〜49%のもの 1.△○前出
5.○李徴は漸く焦燥に駆られて来た。(15・7・一)[46.7]
6.△○前出 7.*前出 8.前出
10.*△○彼は怏怏として楽しまず、狂悖の性は愈々抑へ難くなつた。
(27・11・二)[42.3] 嘗鬱鬱不樂。
11.*△○一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿つた時、遂に発狂 した。(31・14・四)[45.2] 西歸 略。未至舍。於汝墳 旅中。忽 被疾發狂。
14.*△○附近の山野を捜索しても、何の手掛かりもない。(22・9・二)
[40.9] 莫知其 。
19.*△○袁 は、しかし、供廻りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥け て、出発した。(35・14・五)[40.0] 後騎極多。山澤之獸。能爲害 耶。 命駕而行。
20.*△○残月の光をたよりに林中の草地を通つて行つた時、果して一匹 の猛虎が叢から躍り出た。(40・18・二)[45.0] 去未盡一里。果有 虎自草中突而出。
25.前出
26.*△○袁 は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かつた李徴にと つては、最も親しい友であつた。(43・18・三)[41.9] 昔與 同登 進士第。分極深。/往 吾與執事。同年成名。交契深密。異於常友。
27.△○温和な袁 の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかつたためで あろう。(44・14・二)[42.4]
31.*○「如何にも自分は隴西の李徴である」と。(19・8・一)[42.1]
已而謂曰。我李 也。
34.○李徴の声が答へて言ふ。(11・5・一)[45.5]
41.△○彼は部下に命じて行列の進行を停め、自分は叢の傍に立つて、見 えざる声と対談した。(39・18・三)[46.2]
46.*△○声に応じて外に出て見ると、声は闇の中から頻りに自分を招 く。(29・12・二)[41.4]
夜間 外有呼吾名 。 應聲而出。
48.*△○無我夢中で駆けて行く中に、何時しか途は山林に入り、しか も、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫んで走つてゐた。(53・23・
四)[43.3] 走山谷間。不覺以左右手 地而 。
49.*△○何か身体中に力が充ち満ちたやうな感じで、軽々と岩石を跳び 越えて行つた。(35・15・二)[42.9] 自是覺心愈狠。力愈倍。
60.△全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。(26・
7・二)[26.9]
62.○自分は直ぐに死を思うた。(12・5・一)[41.7]
63.△○しかし、その時、眼の前を一匹の兎が駆け過ぎるのを見た途端 に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。(46・19・四)[41.3]
67.*△○ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還つて来る。
(26・12・三)[46.2] 吾今日 悟。一日都醉。則君 此吾既不省。
74.△○丁度、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するやうに。(24・10・
二)[41.7]
88.△○袁 はじめ一行は、息をのんで、叢中の声の語る不思議に聞き入 つてゐた。(33・14・三)[42.4]
91.△○自分は元来詩人として名を成す積りでゐた。(20・9・一)
[45.0]
99.*△○袁 は部下に命じ、筆を執つて叢中の声に随つて書きとらせ た。(29・12・一)[41.4] 即呼僕命筆。隨其口書。
105.△○旧詩を吐き終わつた李徴の声は、突然調子を変へ、自らを嘲るが 如くに言つた。(35・16・三)[45.7]
100.○李徴の声は叢の中から朗々と響いた。(15・7・一)[46.7]
110.△○袁 は昔の青年李徴の自嘲癖を思出しながら、哀しく聞いてゐ た。(30・14・二)[46.7]
114.*○袁 は又下吏に命じて之を書きとらせた。(19・8・一)[42.1]
復命吏以筆授之。
116.○前出
118.○李徴の声は再び続ける。(11・5・一)[45.5]
121.○人々は己を倨傲だ、尊大だといつた。(17・7・二)[41.2]
123.△○勿論、曾ての郷党の鬼才といはれた自分に、自尊心が無かつたと は云はない。(35・14・三)[40.0]
129.△○己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、噴悶と慙恚とによつて益々 己の内なる臆病な自尊心を飼ひふとらせる結果になつた。(55・23・
三)[41.8]
139.○己には最早人間としての生活は出来ない。(19・9・一)[47.4]
143.○己の空費された過去は?(11・5・一)[45.5]
147.○己は昨夕も、彼処で月に向つて咆えた。(18.8・二)[44.4]
151.△○天に躍り地に伏して歎いても、誰一人己の気持を分つて呉れる者 はない。(33・14・二)[42.4]
154.○漸く四辺の暗さが薄らいで来た。(15・6・一)[40.0]
160.*○彼等は未だ 略にゐる。(11・5・一)[45.5] 吾妻孥 在 略。
豈知我化為異類乎。
165.*○言終つて、叢中から慟哭の声が聞えた。(18・8・一)[44.4] 言 已又悲泣。 亦泣曰,…。
166.*△○袁も亦涙を泛べ、欣んで李徴の意に副ひ度い旨を答へた。
(27・11・二)[40.7] 與足下休戚同焉。然則足下子亦 子也。當力 厚命。又何虞其不至哉。
172.*○自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。(19・8・一)[42.1]
此將令君見我焉。非欲矜勇。令君見而不復再 此。則知吾待故人之不 薄也。
177.*△○袁 も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。(24・
11・二)[45.8] 乃再拜上馬。回 草茅中。悲泣 不忍聞。 亦大
慟。
179.*△○忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見 た。(30・13・二)[43.3] 行數里。登嶺看之。則虎自林中躍出咆哮。
がそうである。全46センテンス中、「人虎伝」に典拠を持つものは 20、漢文訓読文体3例(6.34.116)を加えると、その比率は50.0%
となる。
6)漢字出現率が50%以上のもの
15.*△○翌年、監察御史、陳郡の袁 といふ者、勅命を奉じて嶺南に使 し、途に商於の地に宿つた。(41・22・五)[53.7](前出) 至明年陳 郡袁以監察御史。奉詔使嶺南。乘傳至商於界。
127.△○共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。
(27・14・三)[51.9]
131.△ ○ 己 の 場 合、 こ の 尊 大 な 羞 恥 心 が 猛 獣 だ っ た。(20 ・ 10 ・ 二)
[50.0]
167.△○李徴の声は併し忽ち又先刻の自嘲的な調子に戻つて、言つた。
(28・15・二)[53.6]
がそうである。
終わりに
このようにして分析してみる時、以下の諸点を挙げることができるであろ う。まず、字数が最も多いからといって、必ずしも漢文訓読文系のものではな く、欧米文の翻訳文体系のものも多い。また、漢字の出現率の多いものについ ては、ここでも必ずしも漢文訓読文体系のものとは限らない。それは例えば、
三の6)に挙げたように、「人虎伝」に典拠を持たないもの、一文の総字数が 多くないものが含まれているからである。『山月記』において、漢文訓読文体 系が最も多く出現するのは、漢字の出現率が三の4)の30%台、三の5)の40
%台のものということができる。これは、「人虎伝」の訓読文と漢字の出現率 に似ているが、そのパーセンテージが低下するのは、古文を用いた訓読文体 と、あくまで近代小説の意識の下に書かれた『山月記』との違いに求められる
であろう。なお、「人虎伝」に典拠を持つものの比率は、両者とも過半を占め ている。
先に「文学的解釈を行うつもりはない」と述べたが、無記号のもの、△、○
の付いているものに、中島敦の文学的な部分が多く語られていると言うことが できる。*印(「人虎伝」からの引用)は、主としてプロットを展開させる役 割を持っているのであろう。こうした分析については、稿を改めて試みたい。
注
林巨樹『近代文章研究』・四「明治普通文と 美文 の消長」(明治書院 1976 3)
による。
『近代文学鑑賞講座』第十八巻「中島敦 梶井基次郎」福永武彦 編 所収、福永武 彦による作品鑑賞等。
『新釈漢文体系』・44「唐代伝奇」(明治書院 1971)
拙論「徳富蘆花『自然と人生』――美文としての漢文訓読調――」(早稲田大学大 学院文学研究科紀要)第44輯・第3分冊 1992 2)
同上
朱徳 等編『中国語学大辞典』(江西教育出版社 1991)によれば、
也叫 句群 、 句 、 句段 、 群句 。由 或 以上的句子前后 接 貫、
表示一 明晰中心意思的 言 位。
とある。