ISSN 0910-9436
山形県立博物館研究報告
第 2 9 号
BULLETIN
OF
THE YAMAGATA PREFECTURAL MUSEUM
NO. 29
山形県立博物館
YAMAGATA PREFECTURAL MUSEUM
はじめに
山形県立博物館は、明治百年を契機として昭和
46 年に設置された、自然系と
人文系からなる総合博物館です。また、本館は、昭和
51 年に自然学習園(琵琶
沼)
、昭和
55 年に教育資料館(旧山形師範学校:国重要文化財)を併設し、平
成
23 年度には創立 40 周年を迎える、歴史ある博物館であります。加えて近年
は、収蔵資料の整理とデジタル化を進め、データベースのウェブ公開を行うな
ど、各界の注目を集めておりますが、これまでの博物館刊行物等のアーカイブ
化をもあわせて推進するなど、未来を志向する博物館でもあります。
昨今の経済情勢の悪化にともない、博物館等の施設にとりましては、冬の時
代とも言えるような厳しい財政状況が続いておりますが、博物館法に示されま
すように、博物館は、資料の収集・保管さらには公開とともに、資料に関する
調査研究が重要な役割を持っています。したがいまして、学芸員にとりまして
は、資料の収集・保管・展示並びに調査研究にあたった業務の報告を行うこと
が、様々な収蔵品等の意味と価値を次代に伝える役割を担う、大切な任務の一
つであります。
本館では、厳しい財政事情を踏まえながら、研究報告の刊行は博物館の重要
な業務の一つとして位置づけております。簡易な製本の形ではありますが、今
年度も刊行を継続するとともに、全内容を山形県立博物館のホームページに掲
載することといたしました。県立博物館職員の調査研究の内容をひろく県民の
みなさまにご覧いただきますよう、祈念しているところであります。
今回刊行いたします「山形県立博物館研究報告第
29 号」には、地学・植物・
考古・歴史・民俗・教育の6部門から、計
9 編の論文を掲載することができま
した。東北6県で最大の収蔵資料数を持ちながら、最少の人数で企画運営を行
うかたわらの研究でありますので、不備な点も多々あろうかとは存じますが、
わが郷土山形をより深く理解していただくために、今後より一層の努力を重ね
てまいる所存でございますので、各位のご理解とご指導をお願い申し上げるし
だいです。
平成23年2月
山形県立博物館
館長 石 垣 立 郎
目 次
<地学部門>
高橋麻美 企画展「うつくしい鉱物や岩石」にむけてー展示品の紹介ー
・・・・・1
<植物部門>
川上新一 「山形県産変形菌類目録-List of Myxomycetes collected from
Yamagata Prefecture-」 ・・・・・5
<考古部門>
押切智紀 「企画展『縄文のキセキ』展を振り返って」 ・・・・・13
<歴史部門>
山口博之 「中世前半期の追善仏事とその周辺」 ・・・・・19
熊谷水緒 「近世山形に見る交通の一様相」 ・・・・・27
<民俗部門>
秋葉正任 調査ノート「米沢の土人形~相良人形と幻の下小菅人形~」
・・・・・31
<教育部門>
石垣立郎 「化学実験室ことはじめ」 ・・・・・35
菅野史郎 「
「地域資源のデジタル化推進事業」の取組み」
・・・・・41
青木章二 「明治期の評伝類にみる三島通庸の異名について」 ・・・・・47
- 1 - 山形県立博物館研究報告, 29:1-4, February 4, 2011
1.はじめに
平成 22 年度山形県立博物館第5回目の企画展 「うつくしい鉱物や岩石」(平成23 年 2 月 26 日 ~5 月 8 日)が開催されることとなった。そこで 本稿は、この企画展における展示構成といくつか の展示品を紹介します。2.ねらい
子供の頃、河原で小石を拾って遊んだり、気に 入った小石を持ち帰ってみたり…そんな思い出を もっているひとは少なからずたくさんいるのでは ないだろうか。今回の企画展は、山形県立博物館 の収蔵品を中心としながら、色鮮やかな色・ユニ ークな模様・形など、ひとつひとつ個性あふれる 鉱物や岩石を展示することで、いままでに鉱物や 岩石に興味のなかった方でも楽しむことができる 展示を目指している。3.展示構成
・うつくしい鉱物
このコーナーでは色彩豊かな鉱物を主に展示し、 そのほかにユニークな形をした鉱物などを紹介し ます。展示する鉱物の中でも人気・知名度ともに 高いのが水晶である(図 1、2)。水晶は無色透 明な自形結晶の石英のことをいう。石英とは最も 普遍的に産出する造岩鉱物の一つで、ほぼ100% の二酸化ケイ素からなり、花崗岩などの酸性の火 成岩・変成岩に含まれている。水晶(石英)は壁 開がないため加工しやすく、装飾品の材料として よく利用されている。古代から信仰や呪術、まじ ないに用いられ、現在でも占いなどで使われてい る。さらに、癒し効果を期待してか、ブレスレッ トなどのアクセサリーとして人気を博している。 水晶は“水精”とも書き、一年中雪を頂くアルプ スの山中から産することが古くから知られ、昔の ローマ人はこれを水の化石と信じていたという。 中国でも同じ考えがあり、これから水晶という名 前が生まれた。今回の企画展では、1992 年に開催 された企画展「鉱物の世界‐人とのかかわり‐」 で展示されて以来、収蔵庫に眠っていた誕生石な ども展示します。 次に、形がユニークで、山形県天然記念物に指 定された「ソロバン玉石」を紹介します(図3)。 ソロバン玉にそっくりなソロバン玉石は、産地で ある小国町十四ヶ森地域が山形県の天然記念物に 指定され、保護されている。新第三紀の海底火山 の活動によって流紋岩質マグマが噴出すると、小 さなボール状の球顆ができ、そのなかのすき間に ソロバン玉石はできる。このソロバン玉石は珪酸 を94%以上ふくみ、玉髄に該当する鉱物である。 もうひとつ、ユニークな形のもので異彩を放っ ているのが「砂漠のバラ」である(図4)。バラ *山形県立博物館嘱託職員企画展「うつくしい鉱物や岩石」にむけて
-展示品の紹介-
高橋 麻美
* Asami Takahashi- 2 - の彫刻のように見えるが、これは人の手によって つくられたのではなく、自然がつくりだしたもの である。この正体は石膏という鉱物がバラの花び ら状に結晶し集合したもので、バラのように見え るその姿から「砂漠のバラ」と呼ばれている。サ ハラ砂漠をはじめ、アメリカやメキシコなどの大 陸の乾燥地帯の砂の中から発見される。砂漠では、 古い海が塩湖として残されており、これが干上が ると、塩分が結晶して岩塩をつくるのだが、その なかの硫酸カルシウムは石膏として結晶し、時折 こうした姿となって砂の中に埋もれているのであ る。 ・
くらしを支える鉱物
資源として利用価値の高い鉱物は、現在私たち の生活に欠かせない電気製品や自動車などのあり とあらゆるものに使われており、まさに陰で支え る“縁の下の力持ち”である。このコーナーでは、 各々の鉱物がどのようなものに利用されているの かを紹介します。その中でも、山形県産の鉱物資 源として有名なのがベントナイトである(図5)。 ベントナイトは、堆積した火山灰などに温度や圧 力が加わることによって変質してできたモンモリ ロナイトという粘土鉱物を主成分としており、ほ かに石英や雲母、長石、ゼオライトなどの細かな 鉱物を含んでいる。大江町の月布鉱山から採れる ベントナイトは膨潤性が強く質がよく、全国的に も有名な鉱山である。主な用途として鋳物生型砂 の粘結材、土木基礎用安定液、ボーリング用泥水 や農薬基材があるが、最近では猫や小動物のトイ レ砂(ペットサンド)や化粧品への需要もある。・めずらしい石ころ
このコーナーでは山形県内外のめずらしい模様 や形をした岩石を展示します。山形県内で産出さ れた石ころのなかには、近くの河原で見たことが ある石ころがあるかもしれません。ここでは、そ のなかの球状閃緑岩を紹介します(図6)。この岩 石は閃緑岩を母体とし、その中に大小の球状体が 密集している。この球状体は白っぽい鉱物(斜長 石?)を核として、これをとりまく黒っぽい鉱物 (角閃石?)の部分と白っぽい鉱物の部分が交互 に重なっている。 図7、8の奇怪な形をしているこの岩石は、黒 鴨石とよばれる飾り石である。産地としては山形 県白鷹町が有名で、1960 年代には一時期ブームと なり、川沿いに落ちている黒鴨石を拾いに来る人 がたくさんいたという。しかし、その後白鷹町の 文化財として保護されたため、採集することはで きない。黒鴨石は、泥の堆積物が泥岩に変わる過 程で石灰質に富む部分が濃集して形成された泥灰 質ノジュール(泥灰質団塊)である。泥灰質ノジ ュールは、県内に広く分布する新第三紀の泥岩の 地層の中からもよく見つかっている。 ほかにも、卵、パン、玉葱のように見える石こ ろ、へび皮に似ている石ころなど、個性豊かな岩 石を展示します。4.おわりに
以上、企画展の構成や展示品についていくつか 紹介をしてきた。そのほか、今回の企画展では直 接鉱物や岩石に触れて、感触を確かめられるコー ナーを設けます。ガラス越しに見るだけではなく、 実際に手で触れて質感の違いを感じていただけれ ば幸いです。- 3 - 図1.水晶(両錐形) ブラジル産 図2.水晶(群晶) アメリカ産 図4.砂漠のバラ チュニジア産 図5.ベントナイト原石 山形県大江町産 図6.球状閃緑岩 山形県小国町産 図3.ソロバン玉石 山形県小国町産
- 4 -
図7. 黒鴨石 山形県白鷹町産
- 5 -
山形県立博物館研究報告, 29:5-12, February 4, 2011
1.はじめに
変形菌(Myxomycetes)とは、真性(真正)粘 菌(true slime molds)とも呼ばれ、アメーバ動
物類(Amoebozoa)に属する。このグループは植 物・動物・菌類などから独立した生物群であるこ とが明らかになりつつある。変形菌はアメーバ状 態になったり、鞭毛を形成したりする一方で、胞 子を有する子実体を形成するという、独特な生活 環を示す。日本でのフロラ的研究において、昭和 天皇、南方熊楠、江本義数などの研究が有名であ る。近年では、山本幸憲や萩原博光らの日本変形 菌研究会による調査により見出される種類が飛躍 的に増加した。現在までに日本では、変種・品種 を含めて500 種程度発見されている。
2.山形県産変形菌標本について
山形県産標本の多くが(独)国立科学博物館植 物研究部(茨城県つくば市)の標本庫に収められ ている。当博物館では、昨年まで変形菌の標本が 一つも収められていなかった。 今まで、県内のフロラに関しては断片的な報告 がある(参考文献 5-8)ものの、本報告のような まとまった目録が示されるのは初めてである。 3.標本リスト 本目録では、変種、品種を含めて計58 種類を 掲載した。本目録の分類体系は参考文献3 のそれ に従った。科内の学名をアルファベット順に整列 し、種・変種・品種名の前に通し番号を付した。 また、本目録では、現在標準的に用いられている 学名を採用した。syn.を頭に付した学名は以前用 いられていた学名(異名)である。cf.を種小名の 前に付した学名は、用いた標本が最も当てはまる 学名である。また、雪解けの環境下で採集された 種類には、和名の後に「好雪性」と付記した。 国立科学博物館の変形菌標本の番号は、変形菌 研究会コレクションには TNS-M-H、小畔四郎コ レクションには TNS-M-K、南方熊楠コレクショ ンには TNS-M-M、山本幸憲コレクションには TNS-M-Y が各々付されている。昨年筆者らが採 集し、本博物館に収蔵した標本には YAMA-M を 標本番号の前に付した。 以下の目録における記載で、標本番号の後、括 弧内に、採集年月日;採集場所;採集者;同定者; 備考の順に記載した。ただし、採集者と同定者が 同じ場合は同定者を省略した。また、次に示す氏 名はリストに頻出するため、張尾雅信を張尾、山 本幸憲を山本、萩原博光を萩原、小畔四郎を小畔 のように各々略した。さらに、以下の4つの記載 パターンが頻出するため、A~Dで代用した。 (A)1987.8.26.;朝日町朝日鉱泉;萩原 (B)1987.8.27.;朝日町朝日鉱泉;萩原;山本 (C)1987.8.27.;朝日町朝日鉱泉;萩原 (D)1987.8.27.;朝日町朝日鉱泉;萩原;山本 変形菌綱 Myxomycetes *山形県立博物館嘱託職員山形県産変形菌類目録
川上 新一
*List of Myxomycetes collected from Yamagata Prefecture, Japan
Shin-ichi Kawakami
- 6 - ツノホコリ亜綱 Ceratiomyxomycetidae ツノホコリ目 Ceratiomycales ツノホコリ科 Ceratiomyxaceae この生物群は、近年の分子系統学的解析により、 狭義の変形菌類に含まれない傾向にある。 1. Ceratiomyxa fruticulosa (Mueller) T. Macbr. ツノホコリ
TNS-M-H5178(C)
2. C. fruticulosa var. descendens Emoto エダナ シ ツ ノ ホ コ リ(syn. C. descendens (Emoto) Emoto)
TNS-M-H5179(C)
3. C. fruticulosa var. porioides (Alb. et Schw.) Lister タマツノホコリ(syn. C. porioides (Alb. et Schw.) Schroet.)
TNS-M-H5180(C)
モジホコリ亜綱 Myxogastromycetidae コホコリ目 Liceales
アミホコリ科 Cribrariaceae
4. Cribraria intricata Schrad. var. dictydioides
(Cooke et Balf.) Lister サラナシアミホコリ TNS-M-H5165・5166(B)
TNS-M-H5184・5185・5186・5187・5188・ 5189・5190・5191(D)
5. C. pyriformis Schrad. var. notabilis Rex マル ナシアミホコリ TNS-M-M3487(1926.9.22.;鶴岡市(旧温海 村);小畔;標本の破損が激しい) 6. Lindbladia tubulina Fr. フンホコリ TNS-M-H3587(1984.6.28.;川西町玉庭、小 林山荘庭;萩原)
7. Lycogala conicum Pers. イクビマメホコリ(図 1) TNS-M-H5181(C) 8. L. epidendrum (L.) Fr. マメホコリ TNS-M-H5164(B) TNS-M-H5182(C) YAMA-M7(2010.10.16.;山形市霞城町、霞城 公園;川上新一) 9. L. exiguum Morgan コマメホコリ TNS-M-H5183(C;Cribraria sp. もあり) ケホコリ目 Trichiales ウツボホコリ科 Arcyriaceae
10. Arcyria affinis Rostaf. クロエウツボホコリ TNS-M-H5200・5201(D)
11. A. cinerea (Bull.) Pers. シロウツボホコリ TNS-M-H5167(A) TNS-M-H5192(C) 12. A. denudata (L.) Wettst. ウツボホコリ TNS-M-H5194 (A) TNS-M-H5195・5196・5197・5198 (D) TNS-M-H5199(C) TNS-M-M4439(1924.9.22.;鶴岡市(旧温海 町);小畔;標本の破損が激しい)
13. A. obvelata (Oeder) Onsberg キウツボホコ リ(syn. A. nutans (Bull.) Grev.)
TNS-M-H5168(A)
ケホコリ科 Trichiaceae
14. Hemitrichia clavata (Pers.) Rostaf. ヌカホ コリ
TNS-M-H5170(A)
15. H. clavata var. calyculata (Speg.) Y. Yamam. ホソエノヌカホコリ (syn. H. calyculata (Speg.) Farr)
TNS-M-H5169(A) TNS-M-H5202(C)
TNS-M-H5203(1987.8.28.;朝日町朝日鉱泉; 萩原;未熟体白色)
- 7 -
(図2)
TNS-M-H5204・5205・5208・5209・5238・ 5239(C;5208 は子実体未熟、薄黄色) 17. Metatrichia vesparium (Batsch) Nann. -Bremek. ハチノスケホコリ
TNS-M-H5237(D)
18. Trichia decipiens (Pers.) T. Macbr. エツキケ ホコリ
TNS-M-H5171(A) TNS-M-H5207・5211(C)
TNS-M-H5230(D;T. cf. decipiens 未熟) 19. T. favoginea (Batsch.) Pers. ヒョウタンケホ コリ
TNS-M-H5210(C)
20. T. favoginea var. persimilis (Karsten) Y. Yamam. トゲケホコリ(syn. T. affinis de Bary)
TNS-M-H5206(C)
モジホコリ目 Physarales カタホコリ科 Didymiaceae
21. Diderma alpinum (Meylan) Meylan ミネホ ネホコリ:好雪性 TNS-M-H6966(1994.5.10.;米沢市天元台; 張尾) TNS-M-Y3932(1994.5.10.;米沢市天元台;張 尾;山本) TNS-M-Y3944(1994.5.10.;米沢市天元台、標 高約1350m;張尾;山本) TNS-M-Y3945(1994.5.21.;西川町大字志津、 標高約700m;張尾;山本) TNS-M-Y3946・3947・3948・3949・3950・ 3951(1994.5.21.;西川町月山、標高約 800m.; 張尾;山本) TNS-M-Y15244(1994.5.20.;西川町月山、標 高1100m;張尾;山本)
22. D. cf. alpinum (Meylan) Meylan f.
europaeum (Buyck) H. Singer, G. Moreno & Illana ナガレマルホネホコリ?;好雪性 YAMA-M1(2010.6.5.;西川町大字志津、スキ ー場;川上新一・小林美紀;山本;生ササ葉上) 2004 年にヨーロッパで新品種として記載さ れた種類で、日本ではまだ殆ど報告例がない。 本標本では正確な同定が困難である。
23. D. cf. chondrioderma (de Bary et Rostaf.) G. Lister キ ノ ウ エ ホ ネ ホ コ リ ? (syn. D. cf.
arboretum G. Lister et Petch)
TNS-M-M3492(1924.9.22.;鶴岡市(旧温海 村);小畔;標本の破損が激しい)
24. D. testaceum (Schrad.) Pers. マンジュウホ ネホコリ
TNS-M-H5172・5174 (A)
25. Didymium angularisporum J. Matsumoto
カクミカタホコリ(図3)(参考文献2、4、10) TNS-M-H3525 (ISOTYPE) ・ TNS-M-H3526 (HOLOTYPE)(1983.10.14.;川西町玉庭;萩 原;松本淳) 26. D. dubium Rostaf. ハイカタホコリ TNS-M-H6965(1994.5.9.;米沢市板谷;張尾; 山本) YAMA-M5(D. cf. dubium;2010.6.5.;西川町 大字志津、スキー場;川上新一・小林美紀;山 本;生ササ葉上)
27. D. minus (Lister) Morgan コカタホコリ TNS-M-H3581・3582(1984.6.28.;川西町玉 庭;萩原;松本淳氏へ永久貸与) TNS-M-H3583 ・ 3584 ・ 3585 ・ 3586 (1984.6.28.;川西町玉庭、小林山荘庭;萩原; TNS-M-H3586 の み 国 立 科 学 博 物 館 の 講 座 (1991. 2. 14)に使用) 28. D. serpula Fr. ヘ ビ カ タ ホ コ リ (syn. D.
complanatum (Batsch) Rostaf.)
- 8 - 小畔) TNS-M-M3490(1924.9.20.;鶴岡市鶴岡公園; 小畔;桜木につく) 参考文献1 の p.234 に分布県として山形県が 記載されている(参考文献 9)が、これらの標 本を根拠にしている可能性あり。
29. Lepidoderma alpestroides Mar. Mey. et Poulain ヤマキララホコリ:好雪性 TNS-M-Y16866(1994.5.8.;米沢市板谷、スキ ー場;張尾;山本) YAMA-M4(2010.6.5.;西川町大字志津、スキ ー場、標高約1200m;川上新一・小林美紀;山 本;生小枝上) 2002 年にヨーロッパで新種記載された種類 で、日本ではあまり報告例がない。
30. L. carestianum (Rab.) Rostaf. ハイキララホ コリ:好雪性 近年、この種の再定義がなされたため、再同 定が必要(参考文献14)。 TNS-M-Y8144・8145(1994.5.10.;米沢市天 元台;張尾;山本 31. L. granuliferum (Phill.) R. E. Fr. ツブキララ ホコリ:好雪性 TNS-M-Y8171(1994.5.20.;西川町大字志津、 西斜面;張尾;山本;雪の下の生枝に着生、ぬ れた状態で採集、雪の厚さ約1.4m) TNS-M-Y8172(1994.5.20.;西川町大字志津; 張尾;山本) モジホコリ科 Physaraceae
32. Craterium leucocephalum (Pers.) Ditmar シ
ロサカズキホコリ
TNS-M-H5173(A)
33. Fuligo septica (L.) Wiggers ススホコリ TNS-M-H6376( 1992.10.29.; 朝 日 町 朝 日 鉱 泉;伊沢正名)
34. Physarum conglomeratum (Fr.) Rostaf. オ シアイフクロホコリ
TNS-M-H5212(C);未熟
35. P. contextum (Pers.) Pers. ヨリソイフクロ ホコリ
TNS-M-Y10095(1986.8.1.;米沢市滑川;張尾; 山本)
36. P. digitatum G. Lister et Farq. タチフクロ ホコリ
TNS-M-H5213・5214(D)
37. P. globuliferum (Bull.) Pers. シロジクモジホ コリ TNS-M-H5215(C) 38. P. newtonii T. Macbr. ニュートンモジホコリ TNS-M-H5216・5217(D) 39. P. nutans Pers. シロモジホコリ TNS-M-K8718(1938.9.20.;鶴岡市鶴岡公園; 小畔) 40. P. penetrale Rex ツキヌキモジホコリ TNS-M-H5218・5219(D;子実体未熟) 41. P. pusillum (Berk. et Curt.) G. Lister コシ アカモジホコリ
TNS-M-H5220・5221(D)
42. P. tenerum Rex アシナガモジホコリ(図4)
TNS-M-H5222・5223・5225(D) TNS-M-H5224(C)
43. P. viride (Bull.) Pers. アオモジホコリ TNS-M-H5175(A)
TNS-M-H5227・5228・5229(1987.8.27.;朝 日町朝日鉱泉;萩原;川上新一)
44. P. viride f. aurantium (Bull.) Y. Yamam. ダ イダイモジホコリ
TNS-M-H5226(D)
ムラサキホコリ亜綱 Stemonitomycetidae ムラサキホコリ目 Stemonitales
- 9 -
ムラサキホコリ科 Stemonitaceae
45. Collaria arcyrionema (Rostaf.) Nann. -Bremek. ツ ヤ エ リ ホ コ リ (syn. Lamproderma arcyrionema Rostaf.)
TNS-M-H6433(1992.10.30.;月山;伊沢正名) 46. Lamproderma aeneum Mar. Mey. et Poulain
ヒカリルリホコリ:好雪性(図5) 2002 年にヨーロッパで新種記載された種類 (参考文献4、11)。山形県新産。 YAMA-M6(2010.6.5.;西川町大字志津字姥ヶ 岳、山形県立自然博物園、標高 845m;川上新 一・小林美紀;山本;生小枝上)
47. L. columbium (Pers.) Rostaf. ルリホコリ TNS-M-H5234(C;未熟体、白色、岩石上の コケに発生) 48. L. cribrarioides (Fr.) R. E. Fr. アミクロミル リホコリ:好雪性 近年、この種の再定義がなされたため、再同 定が必要(参考文献4、12、13)。 TNS-M-H6967・6968(1994.5.20.;西川町月 山;張尾;TNS-M-H6968 は 1997 年国立科学 博物館の企画展に使用) TNS-M-H12396(2004.4.13.;米沢市板谷;張 尾;枯イタドリ上に発生、細毛体白色、胞子完 全網目型) TNS-M-Y7518(1994.5.20.;西川町大字志津; 張尾;山本; 巨大胞子を含む) TNS-M-Y7523(1994.5.21.;西川町大字志津; 張尾;山本) TNS-M-Y7528(1994.5.20.;西川町月山、標高 約800m;張尾;山本) TNS-M-Y7529・7530・7531(図2)・7532・ 7533・7534(1994.5.21.;西川町大字志津、標 高約700m;張尾;山本 ) TNS-M-Y7535・7536(1994.5.20.;西川町月 山、標高800m;張尾;山本) TNS-M-Y7537(1994.5.20.;西川町月山;張尾; 山本) 49. L. echinosporum Meylan ヤマルリホコリ: 好雪性 TNS-M-Y7561(2001.4.28.;米沢市白布温泉; 酒井ひろみ;山本)
50. L. pseudomaculatum Mar. Mey. et Poulain
コアナルリホコリ:好雪性(図6) 山形県新産。 YAMA-M2・3 (2010.6.5.;西川町大字志津、 スキー場;川上新一・小林美紀;山本;生ササ 葉上) 51. L. sauteri Rostaf. ザウタールリホコリ:好雪 性 TNS-M-Y7691・7697・7698・7699・7714・ 7717・7700・7701(1994.4.26.;高畠町、標高 400m;張尾;山本;枯ススキ上) TNS-M-Y7700 は、M. Meyer 氏によると、L. cf ovoideum Meylan と同定された。 52. L. splendens Meylan シロイトルリホコリ: 好雪性(参考文献10) TNS-M-Y8053(1994.5.8.;米沢市板谷、スキ ー場;張尾;山本) TNS-M-Y8087・8088(1994.6.9.;米沢市白布 峠;張尾;山本) TNS-M-Y8098(1994.5.9.;米沢市板谷、五色 温泉;張尾;山本)
53. Stemonitis axifera (Bull.) T. Macbr. サビム ラサキホコリ (syn. S. ferruginea Ehrenb.) (図 7)
TNS-M-H5176(A) TNS-M-H5235(C)
TNS-M-K6233(1938.9.20.;鶴岡市(旧鶴岡 町);小畔;子実体小型)
54. S. axifera var. smithii (T. Macbr.) Hagelst. スミスムラサキホコリ
- 10 - TNS-M-H5177(B) TNS-M-H5236(D) 55. S. herbatica Peck クサムラサキホコリ TNS-M-H7416(1996.7.10.;朝日町朝日鉱泉; 田中弘美;?) 56. S. pallida Wingate イリマメムラサキホコリ (図8) TNS-M-M3486・4439・4506(1924.9.22.;鶴 岡市(旧温海村);小畔)
57. S. splendens Rost. var. webberi (Rex) Lister スカシムラサキホコリ
TNS-M-K5741・9918(1938.9.20.;鶴岡市鶴 岡公園;小畔)
58. Stemonitopsis typhyna (Wiggers) Nann. -Bremek. ダ テ コ ム ラ サ キ ホ コ リ (syn.
Comatricha typhoides (Bull.) Rostaf.) TNS-M-H5231・5232・5233(C) TNS-M-H10209( 1996.7.10.; 朝 日 町 朝 日 鉱 泉;田中弘美;川上新一) TNS-M-M3700(1924.9.22.;鶴岡市(旧温海 村);小畔;cf.)
3.おわりに
本目録には、変種・品種を含めて 58 種類を掲 載した。その中には再検討が必要な種類がいくつ か認められる。また、張尾雅信氏の標本には、こ こに掲載した種類以外の種類がいくつも認められ る(参考文献5-8)。今後の調査研究に期待したい。 一方で、山形県産標本にタイプ標本が存在する ことや好雪性2種が山形県新産として発見されて いることは特筆すべきである。 また、11 種類の好雪性変形菌が認められたこと は比較的多雪地帯である、山形県の環境を特徴づ ける点である。 今後の探索により少なく見積もっても100 種類 以上が山形県新産として得られるものと予想され る。こうして変形菌フロラを明らかにすることは、 その分類・生態学などの分野に寄与するものと考 える。変形菌の行動の研究はイグ・ノーベル賞を 2度も獲得している。このユニークな生き物が今 後、幅広く学際的研究に利用されることを期待す る。4.参考文献
1. Emoto, Y. 1977. The Myxomycetes of Japan. 263pp. +125pls. +3photos. Sangyo Tosho Publishing Co., Ltd., Tokyo.
2. Matsumoto, J. and Deguchi, H. 1999. Two new species of Didymium (Physarales, Myxomycetes) from Japan. Mycotaxon 70: 153-161. 3. 山本幸憲.1998.図説日本の変形菌.700pp. 東洋書林. 4. 山本幸憲.2006.図説日本の変形菌・補遺. 124pp.日本変形菌研究会. 5. 張尾雅信.1993.福島周辺の変形菌.変形菌 (11): 3-4. 6. 張尾雅信.1995.宮城・山形両県の変形菌2. 変形菌 (13): 12. 7. 張尾雅信.1995.好雪性粘菌を求めて.変形 菌 (13): 37-39. 8. 玉山光典・張尾雅信.1997.東北地方で観察 された変形菌の垂直分布.変形菌(15): 28-32. 9. 玉山光典.江本義数博士の『日本変形菌原色図 譜』に挙げられた採集地.変形菌 (15): 35-36. 10. 山本幸憲.2002.最近日本から記載された変 形菌の新分類群と和名. 変形菌(19): 8-14. 11. 山本幸憲.2003.ヒカリルリホコリ(新称) について. 変形菌(21): 31-32. 12. 山本幸憲.2005.ルリホコリ属の好雪種の新 学名と和名. 変形菌(23): 24-27. 13. 山本幸憲.2006.好雪性のハクモウアイルリ
- 11 - ホコリとタマゴルリホコリ類について. 変形菌 (24): 17-22. 14. 山本幸憲.2009.キララホコリ属の分類につ いて. 変形菌(27): 9-12.
5.謝辞
国立科学博物館植物研究部の細矢剛氏および保 坂健太郎氏には、収蔵標本の検索および観察にお いて便宜を図っていただいた。山本幸憲氏には、 昨年の採集標本のうち一種類(マメホコリ)を除 いて同定していただいた。また、山本氏と国立科 学博物館名誉研究員の萩原博光氏からは、本報告 に対して貴重なコメントをいただいた。山形県立 自然博物園には、園内における採集を許可してい ただいた。末筆ながら感謝申し上げる。 図 1 .Lycogala conicum イ ク ビ マ メ ホ コ リ TNS-H-5181.スケールバー:1mm. 図 2 .Hemitrichia serpula ヘ ビ ヌ カ ホ コ リ TNS-M-H-5239.スケールバー:1mm. 図3.Didymium angularisporum カクミカタホ コリ TNS-M-H3526 (HOLOTYPE). スケール バー:1mm. 図4.Physarum tenerum アシナガモジホコリ TNS-M-H5222.スケールバー:1mm.- 12 - 図5.Lamproderma aeneum ヒカリルリホコリ YAMA-M-6.スケールバー:1mm. 図6.Lamproderma pseudomaculatum コアナ ルリホコリ YAMA-M-3.スケールバー:1mm. 図7.Stemonitis axifera サビムラサキホコリ (syn. S. ferruginea Ehrenb.) TNS-M-K6233.ス ケールバー:1cm.小畔コレクションの標本箱も も合わせて示す。 図8.Stemonitis pallida イリマメムラサキホコ リTNS-M-M3486.スケールバー:1cm.南方コ レクションの標本箱も合わせて示す。 Summary
Fifty-eight taxa of Myxomycetes collected from Yamagata Prefecture, until 2010, are reported. Among them, two species,
Lamproderma aeneum and L.
pseudomaculatum, collected in 2010, are new to this area. In addition, it is worthy of special mention that type specimens of Didymium angularisporum, had been collected from Kawanishi, Yamagata Pref..
- 13 - 山形県立博物館研究報告, 29:13-18, February 4, 2011
1.はじめに
当博物館では平成 22 年 10 月 9 日から 12 月 5 日までの会期で企画展「縄文のキセキ―半世紀の 時を越えて―」を開催した。実際の事前調査・借 用依頼は 4 月以降から開始したため半年しか事前 の準備に費やせなかったが、会期中入場者の反応 はいたって良く、概ね意図した成果が表れたと思 える。 また、資料調査から資料借用にかかわって多く の県内外の機関・個人より御理解と御協力を賜っ た。この場をお借りして厚く感謝を申し上げたい。2.展示会が行われた経緯
今展示会は、奈良国立博物館(以下奈良博)と の考古資料相互活用促進事業により行われた。昨 年夏ごろから本格的に進み、奈良博から本県遊佐 町杉沢遺跡から出土した土偶(以下杉沢土偶)を 借用することとした。当初の企画展名は「50 数年 ぶりの里帰り遊佐町杉沢の土偶(仮称)」であった。 その後会議を重ねることにより企画展「縄文のキ セキ―半世紀の時を越えて―」が誕生した。展示 費用として、従来型の県費のみの予算編成と違い、 外部資金(芸術文化振興基金)の導入も行われた。 その後、本県から山形県立うきたむ風土記の丘 考古資料館(以下うきたむ資料館)所蔵の押出遺 跡の彩漆土器などを貸し出すことになった。 本年 10 月の会期前に奈良博、当館、うきたむ資 料館の三者による「覚書」が調印された。3.資料調査について
資料調査は、今年 4 月 13 日からの開始となった。 県内各地の機関・個人に向けて聞き取り調査をし た後に、現地に資料の所在と資料の状態を確認し た。結果的に縄文時代後半期の土偶の原状が明ら かになり、借用点数も 700 点と多くなった。 以下、主な資料調査の例を3つ紹介したい。 ① 真室川町正源寺所蔵釜淵遺跡結髪土偶 (1)資料確認 正源寺は、約 450 年前(天文 5 年)、鮭延典膳貞 綱の菩提寺として開かれた古刹である。山門は湯 殿山大日坊総門であったものを移築したもので、 町の指定文化財となっている。 事前に仲介役を通して日程調整を進め、写真撮 影を含めた資料調査を依頼した。住職である鮭延 氏の許可を得て、4 月 13 日に直接お伺いした。 結髪土偶は、最近は蔵に収められ、山門から外 に出されたことがない。保存状態も良く、持ち主 の思いが感じられる。 大正時代に釜淵地区の農家の方が耕作中に発見 されたものである。その後、正源寺が所有するに 至った。 保管用の箱の中には、メモ書きが入っており、 全て重要文化財指定以後に書かれたものである。 内容は、土偶の特徴や計測値などが記されていた。 その他、指定書と指定時の写真が額におさめられ ていた。 *山形県立博物館学芸員企画展「縄文のキセキ」展を振り返って
押切 智紀*
Tomoki Oshikiri- 14 - 箱内に土偶とともに入っていたメモ類 所属時期は、縄文時代晩期末で、該期の特徴で ある「工字文」が胸から背中にかけて見られる。 腰から臀部にかけてはパンツ状の区画に細かな 刺突文が施されている。全面に赤彩が認められ、 表面は細かな調整が認められる。昭和 40 年に国の 重要文化財に指定されている。 釜淵遺跡結髪土偶実測図1 (2)現地確認 釜淵C遺跡はJR釜淵駅の南約 800m、真室川 の上流である塩根川左岸の河岸段丘上にある。平 成 13 年に(財)山形県埋蔵文化財センターにより 発掘調査が行われた2。 この土偶の出土場所について、以前は五郎前遺 跡(釜淵D遺跡)と思われていたが、町の検証の ための発掘調査によって当該遺跡であることがわ かっている。現在、発掘調査の行われた箇所は、 整然とほ場整備がなされ、以前の面影が無い状態 であった。 ② 奈良国立博物館所蔵杉沢土偶 (1)現地確認 4 月 26 日に杉沢遺跡の現況確認と景観の写真撮 影を目的として調査に赴いた。現地での土地勘が ないため、地元、遊佐町教育委員会大川貴弘氏に 同行していただいた。ちょうど春の陽気にさそわ れるように桜が咲き誇っていた。遺跡近くに斜面 を利用して啓翁桜が栽培されていた。土偶出土地 点付近の農道沿いに今でも「土偶発掘の地」と刻 まれた石柱がたっていた。あたりを見渡すと、西 側から南側にかけて天狗森に囲まれ、北方面に向 かって鳥海山だけが映る景色が広がっている。こ の地は、祭祀的な用途で使用された土地ではなか ったかと想像してしまう。出土地点は、荒れ地に なっており、耕されてはいないようだ。 杉沢遺跡と鳥海山(丸く囲った部分が出土地点) この調査での大きな成果は、土偶発見者の関係 者と会うことができたことである。偶然、畑仕事 で来ていた個人と会い、発見当時のエピソードを 聞くことができた。 土偶は、昭和28 年 7 月に当時山間部の開拓の ため入植をした個人が、新築後に玄関前の小高い 場所を掘削した際に発見されたものである。地下 1mほど鍬やスコップで掘り下げた時に薄い扁平 な石が数枚あったそうである。その石を取り除き、 さらに少し掘ると完形の土偶があったようである。 鍬で掘った際に結髪と右脚が欠けたが、右脚はす ぐ見つかり接合された。その後、土偶は仏様とし て仏壇に置かれ、ご飯とお水を毎日あげられるよ うになったという。次第に町の評判となり、遠方
- 15 - から研究者が頻繁に訪れるようになった。翌年に は学会誌(考古学雑誌)に取り上げられるまでに なった。昭和 30 年に国庫に帰属し、現在奈良博 が所蔵している。 (2)資料確認 杉沢土偶は10 月 1 日に 50 数年ぶりとなる帰県 を果たした。館内にて、奈良博担当者同席の中、 資料を行った。 土偶は、高さ18.3cm を測る。右側結髪部と左 乳房の先端、右足先端を欠くのみの完形に近い中 空土偶である。頸部から脚部に篦ミガキ痕がみら れる。文様は縄文晩期後半段階(大洞C2段階) のフラスコ状の摩消縄文(雲形文)が腰部にみら れる。表面の調整が丹念で優品と言える。 遊佐町「杉沢土偶」実測図3 ③ 個人所蔵玉ノ木平A遺跡遮光器土偶 (1)資料確認 6 月 25 日に所有者である個人宅にお伺いして資 料確認と借用作業を行った。土偶は、箱に入って おり、内部には発見日などが書かれている。 遺物の遺存状態は良く、きれいに保管されてい た。頭部のみであるが、王冠状の結髪部が欠損し ている。遮光器土偶の頭部で、大きな目、眉間か ら下に配置された突起のある鼻、口などがある。 残存高が 7.6cm で、幅 9.4cm、全体の推定高は 30cm ほどになろうかと思われる。一部赤彩も残 る。 その他、同遺跡からの表採品として土器、石器 をご厚意でお借りできた。これらの貴重な採取品 に関し、主なものを実測し、資料として活用でき るよう本人に快諾を頂いた。また、許可を得て、 縄文時代の深鉢を復元して展示に供することがで きた。 玉ノ木平 A 遺跡遮光器土偶実測図4 (2)現地確認 展示開始後であったが、現地確認を行う。遺跡 は、最上川左岸にあり、大石田町の市街地の北西 2.5km にあたる。山道を西側に行くと、山腹の平 場に畑が広がる。以前から遺物が表採できる場所 としてあり、山形大学でも黒滝地区の踏査によっ て遺跡を確認している。近くに工事のための資材 置き場や重機などが置かれ、造成が行われたよう だ。今回復元した深鉢も斜面に露頭していたもの を採取したようだ。
4.借用した資料
今回の展示で借用した土偶や関連資料は700 点 である。中でも土偶の借用点数は、368 点を数え る。縄文時代後半期の土偶を集めた関係で、県内 での全出土量(管見では 975 点)の 3~4 割ほど におさまったが、後半期のものだけを一堂に集め たのが今回初めてとなったため大変反響があった。 今回、縄文後半期の土偶を県内4 地域に分けて、 遺跡ごとに展示するスタイルをとった。以下、4 地域の主な特徴を概観する。 (1)置賜地区 縄文中期の米沢市台ノ上遺跡にみるような爆発- 16 - 的な出土量は影をひそめ、後期を中心に一定量の 出土がある。 特に後期前半のハート形土偶の破片は米沢市は じめ高畠町など散見できる。米沢市の指定文化財 になっている竹井境遺跡の土偶は顔や左足を欠く のみの優品である。前につきだした首や胴長の形 状、そして妊婦をあらわす膨らんだ腹部は見る者 を圧倒する。福島県や北関東を中心とするハート 形土偶文化圏の広がりを把握するに好資料である。 後・晩期の出土量が薄かった同地区であるが、 近年小国町下叶水遺跡の土偶など後期を中心に出 土量の蓄積があった。 (2)村山地区 縄文中期から引き続き一定量が出土している。 特に最上川沿いに出土地点が広がる。後・晩期に ついても村山市宮の前遺跡や天童市渡戸遺跡のよ うに1 遺跡で 50 点前後の出土量のある遺跡があ る。また、晩期の終末期に登場する結髪土偶が一 定量見つかっているのも特徴である。 天童市渡戸遺跡からは、南部で見られるハート 形土偶に北の地域の特徴の刺突文を体部に付すも のが出土している。また、頭部に鉢巻き状の突起 を持つものも多い。顔に刺青をしている「鯨面土 偶」があるのも特徴である。中には、割れ口にア スファルトを塗っているものもあり、再利用され たと思われる。 遮光器土偶もあり、大石田町玉ノ木平A 遺跡や 村山市宮の前遺跡からも僅かに出土している。今 回、全容のわかる資料が県内から出土していない ため、岩手県立博物館所蔵の「豊岡土偶」をお借 りして参考資料として展示できた。大きな頭部に 不釣り合いな手足、体部には炎が上がっているよ うな文様まで細部にわたって観察できるよう立ケ ースでの展示とした。 同地区は、晩期半ばの資料も豊富で、村山市宮 の前遺跡や東根市蟹沢遺跡でも「杉沢土偶」と同 タイプの土偶が遺存状態も良く残っている。 晩期終末期の結髪土偶のタイプは天童市砂子田 遺跡、寒河江市高瀬山遺跡・石田遺跡、尾花沢市 漆坊遺跡からも出土している。 (3)最上地区 縄文中期の最上町水木田遺跡や新庄市中川原遺 跡、舟形町西ノ前遺跡にみるように 30 点以上の 出土があったが、後・晩期になると、最上町を中 心に散見される程度になる。近年発掘調査された 最上町かっぱ遺跡など後期半ばを中心とした土偶 の出土量が増えている。顔に粘土紐を使い眉毛か ら鼻筋にかけて表現したもの、体部で刺突文を使 い腹部から縦方向に文様を施しているものなどが 見られる。晩期でも重要文化財の結髪土偶を産し た真室川町釜淵C 遺跡はじめ、新庄市宮内遺跡な どがある。出土量も少ない。 (4)庄内地区 縄文中期では庄内平野東側縁辺を中心に出土し た遺跡が散見される。酒田市(旧平田町)山谷新 田遺跡では中期北陸系の土偶も出土している。後 期以降は他地区と同じように一定量の土偶の出土 を見る。鶴岡市(旧朝日村)砂川 A 遺跡からは、 縄文後期~晩期初頭にかけての土偶が 30 点ほど 出土している。丸顔の鼻筋に粘土紐をはった後期 末の土偶のほか遮光器土偶の頭部も出土している。 遊佐町神矢田遺跡や酒田市(旧平田町)高畑遺跡 からは遮光器土偶の頭部破片が出土している。小 型であるが遮光器土偶が一定量出土していること がわかる。晩期終末期になると、鶴岡市(旧羽黒 町)高森遺跡や同市(旧藤島町)添川開拓地遺跡 などの結髪土偶が散見される。高森遺跡のものは 頭部の全長が7.5cm あり、釜淵遺跡の結髪土偶と 同様に20cm 程度までの大きさの土偶が想定され る。 以上4地域の特徴や遺跡名をあげてきたが、時 代ごとの共通性もあり、北東北(亀ヶ岡文化圏)
- 17 - や北関東(ハート形土偶文化圏)などの影響を受 けながら、精巧な土偶を作ってきた祖先の歩みを 見ることができたと思う。それは、県内の後・晩 期の土偶を一堂に会したことで目的は明確になっ たように思える。
5.企画の成果
最後に、今回の展示会で行ったアンケート結果 をもとに主な項目について見ていきたい。 このアンケートは10 月 9 日から 12 月 5 日まで の会期中に行われた。集計方法は展示室前にアン ケート BOX を設け、展示を見学した入館者が任 意に記入し、投函する方法をとった。有効回答は 136 枚あった。 (1) 回答者の年代 総数136 名 全体の 50%近くを 50 代、60 代がしめる。20 代は少なく3%にとどまった。 (2) 住所 総数135 名 県内でも村山地区が約半分をしめる。また、宮 城県の方からの回答が多かった。入館者の中にし める割合も宮城県の方が多かった印象がある。そ の他、関東、東海地方の方の回答もあった。 (3) 本企画展を知ったきっかけ 総数145(複 数回答可) ポスターをみてとの回答が、30%近くをしめる 他は、HP やテレビ・ラジオなど 10%ずつとなっ た。その他という回答が40%をしめるが、内訳を みると、新聞を見てという回答が30%を超す。偶 然という回答も20%あるが、やはりメディアの力 が大きいことがわかる。 (4) 本講座はいかがでしたか 総数105 名 評価は概ね良く、「とても良かった」が 64%、 「良かった」が35%をしめた。 (5) 印象に残った展示品 展示室中央に配置したということもあり、舟形 町「西ノ前土偶」や遊佐町「杉沢土偶」、岩手県「豊 岡土偶」の3 点が多くの方の印象に残ったようだ。 (6) 企画展全体に関しての意見・提案 展示会そのものに関してのご意見や展示方法な どに関してのものもあった。特に印象に残ったの は「実物の土偶を見たのは初めて」というご感想 であった。また、展示方法などの要望は、出来る 限り対応した(キャプションの追加、照明の調整 など)。 以上アンケート結果を概観したが、印象に残る 展示をするという当初の目的は達成できたように 思える。また、それは協力機関・個人の方々、県 博職員一人一人の協力がなければなしえなかった ことだと思う。なお、集計結果の詳細は引用文献 の次に掲載している。参考にされたい。 県博の展示が終了すると、奈良博で1 月 18 日 から 2 月 13 日まで、うきたむ資料館保管の押出 遺跡の資料を展示する「縄文のタイムカプセル― 押出遺跡―」が開催される。 本県と他県の機関との益々の協力を祈念しつつ 筆を置きたい。 1 会田容弘,1979,「東北地方における縄文時代終 末期以降の土偶の変遷と分布」『山形考古』3 巻 2 号,山形考古学会 2 (財)山形県埋蔵文化財センター,2003,『釜淵 C 遺跡発掘調査報告書』同センター調査報告書 第111 集 3 阿部明彦,1998,「遊佐町杉沢遺跡出土の土偶」 『山形県立博物館ニュース第135 号』 4 大類誠,2000,「尾花沢盆地出土土偶 4 例」『山形 考古』第6 巻第 4 号,山形考古学会 ※土偶の所見については『企画展 縄文のキセキ ―半世紀の時を越えて―』(2010)によった。- 18 -
- 19 - 山形県立博物館研究報告, 29:20-26, February 4, 2011
1 はじめに
さきに追善仏事の中世前半の展開について石造 品銘文を手掛かりとして概観した(投稿中:山口 博之「中世前半期の追善仏事~石造物銘文より~」 『宗教考古学論叢』(藤澤典彦先生献呈論文集) 2011 年4月刊行予定:高志書院)。小稿では石造 品銘文の様相をさらに理解するために、文献資料 を使用しながら補足を図ろうとするものである。 行論の関係上前稿と多少の重複を含むがご寛恕賜 りたい。 中世の石造品(以下石造物)銘文は、歴史考古 学研究会の手により集成が試みられ、『歴史考古 学』第22・24・28・31・35号に集成(以 下「銘文集成」)が収録されている(歴史考古学研 究会 1988「石造品銘文集(一)」『歴史考古学』第 22号、同 1989「石造品銘文集(二)」『歴史考古 学』第24号、同 1991「石造品銘文集(三)」『歴 史考古学』第28号、同 1992「石造品銘文集(四)」 『歴史考古学』第31号、同 1994「石造品銘文集 (五)」『歴史考古学』第35号)。5冊には約 9000 件のデータが集録されている。採録の期間は奈良 時代辛巳歳(681)の群馬県高崎市山名町神山「山 ノ上碑」から南北朝前期の貞治 2 年・正平 18 年 (1363)に及び、日本国内を網羅するという重厚 なものである。集成に当たられた方々にこころよ り敬意を表したい。 石造物銘文の大きな特長は日本全国に存在する ため、広範な比較の中でその独自性を理解するこ とが出来ることであって、当時の追善供養などに ついて一般性(広域的要素)と特殊性(地域的あ るいは限定的要素)を理解することができる。ま た、中世前半でこうした全国的な情報を、数千件 という数量で知り得る資料は石造物銘文以外には 存在しない。 一方こうした特長を持つ反面、石造物に記され た銘文はあくまでも石造物の造立趣旨を記載する ものであり、例外はあるが記された追善などの行 為は3回忌や13回忌など単独で存在し、連続し た姿を理解することはなかなか困難(広範である が断片的)である。文献史料は、政治的内容は全 国に及ぶがその他の内容(仏事など)は、家族あ るいは一族との関わりが深いこともあり地域的に 比較的限定される。 小稿では石造物銘文の理解のために、石造物銘 文にはあまり記載されないでは追善供養を取り巻 く様相について文献資料を参考としようというも のである。なお、史料は石造物銘文集成の守備範 囲とほぼ同時代史料である『玉葉』と『吾妻鏡』 を主としている。2 銘文集成に見る追善仏事の概要
中世前半期の石造物銘文について、追善仏事の 忌日を表す次の語句を銘文集成に調査した。「初七 日」「二七日」「三七日」「四七日」「五七日」「六七 日」「七七日」「百日」「一周忌」「三年忌」「七年忌」 「十二年忌」「十三年忌」「十七年忌」「二十三年忌」 *山形県立博物館学芸専門員中世前半期の追善仏事とその周辺
山口 博之*
Hiroyuki Yamaguchi- 20 - 「二十五年忌」「二十七年忌」「三十三年忌」「三十 五年忌」「百年忌」である。この語句について銘文 集成から特徴的に得られたのは、「初七日(再考必 要)」「五七日」「七七日」「百日」「一周忌」「三年 忌」「七年忌」「十三年忌」「十七年忌」「二十三年 忌」「二十五年忌」「二十七年忌」「三十三年忌」「三 十五年忌」であった(異称を含む)。 なお、9000件の銘文集成を読むことはなか なか大変なことであった。今回の基礎的作業であ る忌日の採集は数字の既述を手がかりとしたため、 銘文表記が数行に分かれている場合や、十二年忌 などは十二年忌という語句が銘文に存在しないた め採集出来ないなど、多数存在した。また種子な どから忌日を調査する必要も当然あったのだが行 えていない。労作である銘文集成を活かす研究と してはまだまだ不十分であると深く感じた。 また『玉葉』と『吾妻鏡』についてはデータ版 (新訂増補国史大系本 吾妻鏡・玉葉 データベ ース CD-ROM 版 吉川弘文館)で検索を行い、適宜 刊本で補足したがこれまた十分な集成とは言えな い部分が残る。この反省はこれからの取組に活か していきたいと考えている。 (1)石造物銘文・文献史料の特徴 まずそれぞれの特徴について概観しよう。取り 扱う資料のうち、銘文集成の採録期間は奈良時代 辛巳歳(681)から貞治 2 年・正平 18 年(1363) である。『玉葉』は周知のように九条兼実の日記で あり長寛 2 年(1164)に始まり建仁 3 年(1203)に至 る記録が収められている。時期的に後続する『吾 妻鏡』は治承 4 年 (1180)に始まり、文永 3 年 (1266)に至る記録が収められている(諸本あり)。 このように比較資料には時期幅が存在し、かなら ~1260年 1261~1280年 1281~1300年 1301~1320年 1321~1340年 1341年~ 35日 100日 1年 3年 13年 33年 0 5 10 15 20 25 30 表1 石造物銘文に見る各忌日の時間的分布
- 21 - ずしも同時代の傾向を的確に把握することにはな らない。また石造物銘文、日記、編纂された文献 というそれぞれの性格が異なっているものが、お なじように比較の対象となるのかという資料批判 も本来は必要であるが、これまた小稿では十分に 扱えていない。こうした問題点は意識しつつも一 旦措き、中世前半期の資料としてまとめて扱って おくことにしたい。 「銘文集成」には忌日供養を表すと考えられる 記載を384件ほど見ることができる。この内訳 は「初七日(再考必要)」1件(0.02%)、「五七日」 82件(21,3%)、「七七日」28件(7.2%)、「百日」 81件(26%)「一周忌」36件(9.3%)、「三年忌」 43件(11.1%)、「七年忌」14件(3.6%)、「十三 年忌」47件(12.2%)、「十七年忌」3件(0.7%)、 「二十三年忌」1件(0.02%)、「二十五年忌」1 件(0.02%)、「二十七年忌」1件(0.02%)、「三 十三年忌」46件(11.9%)、「三十五年忌」1件 (0.02%)である。これを出現順で記せば、「五七 日」「百日」「十三年忌」「三十三年忌」「三年忌」 「一周忌」「七七日」「七年忌」「十七年忌」のこり は1回となる。「五七日」「百日」が圧倒的に多く 「十三年忌」「三十三年忌」「三年忌」がその約半 数、「一周忌」「七七日「七年忌」はやや多く、「十 七年忌」は少数、のこりは稀となる。下に触れる 「月忌」についてはほとんど見ることができない。 『玉葉』にはこのうち七日毎の追善仏事と「百日」 「一周忌」「十三年忌(建久四年正月十四日条「相 当高倉院十三年御忌」、建久四年十二月五日条「故 女院(皇嘉門院)御忌日也、今年当十三年」)」な どが特徴的に記されている。七日毎の追善は多く、 次第に減少し「十三年忌」は僅かである。このほ かに特徴的なのは、月忌という月ごとの忌日に行 う仏事と臨時の仏事である。こうしたことからす れば、追善仏事の中心は死後七日毎の中陰の仏事 +百日+年忌+月忌+臨時の仏事となる。 『吾妻鏡』にはこのうち、「初七日」「二七日」 「三七日」「四七日」「五七日」「六七日」「七七日」 「百日」「一周忌」「三年忌」「十三年忌」がある。 このうち「七七日」「一周忌」「三年忌」「十三年忌」 の記載が多い。また追善仏事の傾向は玉葉と同じ であり、追善仏事の中心は死後七日毎の中陰の仏 事+百日+年忌+月忌+臨時の仏事となる。おお まかには石造物と史料は、出現の傾向性を同じく していると見ておきたい。
3 玉葉に見る仏事
(1)藤原忠通の追善仏事 九条兼実の父である藤原忠通は永長 2 年閏 1 月 29 日(1097)に生まれ、長寛 2 年2月 19 日(1164) に死去した。摂政関白・太政大臣に任ぜられ法性 寺殿ともいう。忠通の追善仏事は、息子である兼 実により行われており、つぎのような記事を拾う ことができる。 仁安三年二月十九日(1168)「・・余出仕事、頗 有其憚、依為忌日也・・」、嘉応二年二月十九日 (1170)「・・故殿御忌日也、年来送法性寺堂、・・」、 嘉応三年二月十九日(1171)「・・参女院、故殿御 忌日也、於新御堂被修之・・」、承安二年二月十九 日(1172)「・・故殿御忌日也、下官於女院御方御 堂、修之如去年・・」、承安三年二月十九日(1173) 「・・今日、故殿御忌日也、於女院御堂、女院、 皇后宮、下官・・」、承安四年二月十九日(1174) 「・・忌日也、仏事於女院御方御堂修之・・」、承 安五年二月十九日(1175)「・・故殿御忌日也、仍 余参女院御方・・」、安元二年二月十九日(1176) 「・・故殿御忌日也、如例年、於女院御方御堂支 座同時行之・・」、安元三年二月十九日(1177)「・・ 今日忌日也・・参女院御方、仏事如恒・・」、治承 二年二月十九日(1178)「・・此日遠忌也、午刻参 女院(御于御堂)・・」、治承三年二月十九日(1179) 「・・依遠忌、参女院御堂、於此御堂、修仏事、- 22 - 年来之例也・・」、治承四年二月十九日(1180)「・・ 故殿御忌日也、如例参女院御堂(日来御于御堂)、 仏事了退出・・」、治承五年二月十九日(1181)「・・ 参女院御堂(日来御坐御堂)、今日、故殿御忌日 也・・」、養和二年二月十九日(1182)「・・、此 日、故殿御忌日也、女院御沙汰之御仏事猶修之前、 院庁沙汰也、是先例也、午刻参御堂・・」、寿永三 年二月十九日(1184)「・・此日、故殿御忌日也、 仍未刻参御堂・・」、元暦二年二月十九日(1185) 「・・依故殿御忌日向堂・・」、文治二年二月十九 日(1186)「・・故殿御遠忌也、仍未剋向堂・・」、 文治三年二月十九日(1187)「・・依遠忌・・」、 文治四年二月十九日(1188)「・・今日、故殿御也・・」、 文治五年二月十九日(1189)「・・故殿御忌日・・」、 建久二年二月十九日(1191)「・・先公遠忌也・・」、 建久三年二月十九日(1192)「・・故殿御忌日・・」、 建久四年二月十九日(1193)「・・依遠忌向九条堂 也・・」、建久五年二月十九日(1194)「・・次有 遠忌仏事(故殿)・・」などとなる。 二月十九日は年忌と位置付けられているようで あり、一部に記載の見えない年もあるが、仁安三 年二月十九日から建久四年二月十九日までの日記 を見れば、27年間にわたり年忌の追善供養を営 んでいることがわかる。しかしながら藤原忠通を 供養する月忌という形で毎月の忌日に追善仏事を おこなうことはあまり見られない。2月以外に忠 通への仏事は顕著ではない。ただし、月忌は女院 (皇嘉門院)への供養としておこなっていること が見える。寿永二年七月五日(1183)「・・依疾不 参女院御月忌・・」などと見え、月の5日には仏 事をおこなっていることがわかる。 供養は法住寺にて行われ前半では、女院(皇嘉 門院、崇徳天皇中宮、藤原聖子、忠通の長女、兼 実の姉)も参加していたが、治承5年(1181)に 亡くなっている。また仏舎利を供養する法会であ る舎利講も併せて行われていたが、これは「・・ 其後行舎利講、是自御故殿在世、毎月不闕事也、 故院相続而己行之給・・」と見え、故殿が存命中 には毎月欠かさずに行ってきたことであるためで あるという。
4 吾妻鏡に見る追善仏事
次に吾妻鏡を手掛かりとして追善仏事の様相を 見てみよう。 (1)源頼朝の追善仏事 源頼朝は源義朝の 3 男として生まれ鎌倉幕府の 創設者である。久安 3 年(1147)に生まれ建久 10 年(1199・4月改元により正治)の1月13日に 死去(享年 53 歳(満 51))している。源頼朝の死 の原因は、前年の暮れ建久 9 年(1198)12 月 27 日に相模川で催された橋供養からの帰路での落馬 によるものという。このことについての記事は吾 妻鏡には収められていない。 なお、この相模川にかかる橋であるが、大正1 2年9月1日の関東大震災及び大正13年1月1 5日の余震に伴う液状化現象により、橋脚の跡と 考えられる木材が水田の中から出現し「旧相模川 橋脚」として、大正15年に国史跡指定されてい る(神奈川県茅ヶ崎市)。 源頼朝の死去(建久 10 年1月13日)以降追善 仏事が営まれる。正治2年(1200)1月13日に は頼朝の1周忌が法花堂にて営まれた。「十三日庚 子。晴。入夜雪下。殆盈尺。椀飯。土肥弥太郎沙 汰也。迎故幕下将軍周闋御忌景。於彼法花堂。被 修仏事。北条殿以下諸大名群参成市。仏。絵像釈 迦三尊一鋪。阿字一鋪。(以御台所御除髪。被奉縫 之。)経。金字法華経六部。摺写五部大乗経。導師 葉上房律師栄西 請僧十二口 布施 唱導師 錦 被物十重 綾被物廿重 帖絹百疋 染絹百端 綿 千両 糸二千両 白布百端 紺布百端 藍摺二百 端 鞍置馬十疋 加布施 沙金三十両 五衣一領 請僧口別 錦被物五重 綾十重 帖絹三十疋 染- 23 - 絹三十端 綿五百両 糸千両 白布三十端。」 源頼朝の1周忌の仏事は法花(華)堂で行われた。 法華堂は法華三昧をおこなう道場であり、貴人の 納骨堂(平清盛など)としても使われた。仏事の 内容は、仏一鋪は絵像の絵像釈迦三尊であり、阿 字一鋪は御台所(北条政子)の髪でこれを縫って 捧げた。経は金字で描かれた法華経六部と摺写の 五部大乗経(華厳・大集・大品般若・法華・涅槃 の五経の総称)、導師は栄西である。栄西は、日本 臨済宗の祖であり入宋 2 度、博多に聖福寺、京に 建仁寺、鎌倉に寿福寺を開き禅を広めた。また請 僧は十二口であった。導師には布施の他に加布施 (一定の布施のほかに、たし加えて出す布施。)が 加えられ、さらに請僧にはそれぞれ布施が施され た。 この後法華堂では1月13日あるいは13日に 次の追善供養が営まれている。1月13日は頼朝 の追善供養を行う忌日として定められ、さらに1 3日もまた追善供養の日として定められていくよ うである。 正治2年1月13日(1200)「・・迎故幕下将軍 周闋御忌景。於彼法花堂。・・」、建仁1年11月 13日(1201)今日迎故将軍家御月忌。於法華堂。 建仁3年10月13日(1203)「・・於法花堂。被 修故大将軍御追善。・・」、建仁4年2月13日 (1204)「・・法花堂御仏事。導師摩尼房阿闍梨云 云。・・」、承元3年10月13日(1209)「・・当 于故右大将家御月忌。於法華堂。被修御仏事。・・」、 建暦1年10月13日(1211)「・・今日当于幕下 将軍御忌日。参彼法花堂。・・」、建暦1年12月 13日(1211)「・・将軍家御参法華堂。有恒例御 仏事云云。・・」、建保3年3月13日(1215)「・・ 御参法花堂。被修御仏事。・・」建保4年5月13 日(1216)「・・将軍家令参法花堂給。被修仏事云 云。・・」、建保4年12月13日(1216)「・・将 軍家御参法華堂。有恒例御仏事。尼御台所同御参 云云。・・」、貞永2年1月13日(1233)「・・武 州参右大将家法花堂給。今日依為御忌月也。・・」、 寛元4年10月13日(1246)「・・左親衛被参右 大将家法花堂。令聴聞恒例御仏事給云云。・・」宝 治1年9月13日(1247)「・・左親衛令詣右大将 家法花堂給。恒例御仏事。・・」、宝治2年閏12 月13日(1248)「・・相州。左親衛等令参右大将 家 法 華 堂 并 右 京 兆 墳 墓 堂 等 給 。 恒 例 御 仏 事 之 上。・・」、建長2年3月13日(1250)「・・右大 将家法花堂御仏事。雖為恒例。猶有別供養等事。・・」、 建長4年1月13日(1252)「・・右大将家於法華 堂被行恒例仏事。・・」、1月13日あるいは13 日には月忌として法要が営まれ、追善供養が半世 紀にもわたり連続して行われていることが判明す る。 興味深いことに、元久1年9月13日(1204) には法花堂御仏事のあと盗人が別当大学坊に入り 頼朝の御遺物など重宝を盗んだという。この盗賊 は同年11月17日に武蔵国で捕まり宝物は取り 返され、次の日18日には法花堂にあった御剣以 下の重宝は返された。ここは頼朝由緒の遺品が納 められる場でもあったのである。また文暦2年9 月1日(1235)には「右大将家法花堂湯屋失火」 と見え、法華堂には湯屋があったことがわかる。 建久3年3月20日(1192)には後白河法皇の御 追福として、山内において百ヶ日の温室を設け、 往反の諸人や土民等が浴すべきの由を立札を路頭 に立てて示したことが記されている。この湯屋も こうした働きがあったのかもしれない。 (2)北条義時の追善仏事 さらに追善供養の様相を北条義時の事例から見 ることができる。義時は鎌倉幕府の執権であり幕 府の実権を掌握した人物である。長寛 1 年(1163) に生まれ貞応 3 年 6 月 13 日(1224)死去している。 貞応3年6月13日(1224)「十三日己卯。雨降。
- 24 - 前奥州病痾已及獲麟之間。・・遂以御卒去。(御年 六十二。)・・」ついで6月19日には「初七日御 仏事」が行われ、6月26日には「二七日御仏事 被修之」、7月4日には「今日三七日御仏事也」、 7月11日「今日四七日御仏事」、7月16日「五 七日御仏事。」、7月30日「今日四十九日御仏事 也」、8月22日「故奥州禅室百ヶ日御仏事。今日 被修之。」、次の年嘉禄1年6月13日(1225)「今 日相当故京兆周闋。武州新造釈迦堂被遂供養。導 師弁僧正定豪。請僧二十口。相州已下人人群集。」 と見え1周忌が営まれている。さらに嘉禄2年6 月13日(1226)には「十三日丙申。晴。迎右京 兆第三年忌辰。依之。大慈寺釈迦堂被供養之。導 師求仏房。施主武州也。」と見え、さらに嘉禎2年 5月27日(1236)「廿七日壬午。武州被進発。是 依相当故右京兆十三年。於北条為被修御仏事也。」 として13回忌の追善供養が行われている。 義時の事例では、死去の後「初七日御仏事」→ 「二七日御仏事」→「三七日御仏事」→「四七日 御仏事」→「五七日御仏事」→「四十九日御仏事 也」→「百ヶ日御仏事」と連続して営まれ、さら に1年忌の「故京兆周闋」→3年忌「右京兆第三 年忌辰」→13年忌「右京兆十三年」と仏事が重 ねられている。この他に臨時の仏事や供養も行わ れている。こうした仏事の営まれ方は当然、地方 の在地権力を掌握している者達の参考ともなった であろうし、影響を受けたことは想像に難くない。 また、こうした者達が石造物造営の主体者でもあ ったのである。