#*制# (EnvironmentResearchandControl),3I,2‑8(2009)
市民に とって 自然環境 とは何か
一百姓仕事 と田んぼのめ ぐみ一
宇根 豊
特定非理利活動法人 農 と自然の研究所 代表理事
〒819‑1631福岡県糸島郡二丈町田地原1168
総 説
1
、自然とは何か ・問題の所在「田んぼは自然で しょうか」 と尋ねると、首を ひねって、 しば し考 え込む人が多い。そこで、図 1を示 して、番号で答 えて もらうと、多 くの百姓 は"4"と答 え、多 くの都会人は "2"と答 える。
「最 も価値のある自然は どこですか?」 とい う問 いには、 ̀̀1" とい う答 えが、田舎で も都会でも ほとん どである。
こ うい う自然観 は果た して、 日本人の伝統的な 自然観だろ うか。難題は二つある。ひ とつは、 自 然のことを考 えた り、問 うときに、 「自然」 とい う言葉 ・概念を使用せ ざるをえないことに起因す る畏 (自然に対す る先入観 を与えて しま うこと) にほとん ど誰 も気づかない、 とい うことだ。図1 は、当然のように自然 と人間を分 けている。分け ているか らこそ、 「自然」 とい う概念が成 り立っ ていることを、 日本人は意識 しない。 もちろんこ れは ヨー ロッパか らの輸入思想であって、 日本人 の伝統的な自然観 (すでにこ うい う言い回 しが 自 家撞着に陥っているのだが、 「自然観」 とでも言
【1】 【2】【3】【 4】
【5】原生自然
図1 自然 と人間の関係モデル
わ ざるをえないのだか ら事態は深刻 なのだ) と は、まった く異なる。そのことを意識できない ぐ らいに、 ヨー ロッパ的な 自然観 に染 まって しま い、 とり入れて しまった、 と言 えるだろ うか。 も しそ うであるな ら、事態は案外簡単に整理できる だろ うO ところがそ うはいかないのである。 こ う した二分法 に どこかで違和感 を現代 日本人で あ っても、とくに年配者は抱いているのも事実であ る。だか らこそ、先の質問に簡単に答 えられない 人 も多い。
次の難題は さらに、根が深い。図1のような 「世 界認識」は、 自然に働 きかける農業の構造 を誤解 させ ることになったのではないか と、私 は考 え る。 "1"の原生 自然が最 も価値 ある自然だ とい う価値観 は、 (1)西洋では、 「神 が造 ったままの 自然だ」 とい う意味で理解 しやすいが、 (2)一方、
農業 とは人間がその 自然 を壊 してい く形態 だ と い う理解 も生み出す ことになった。 (もっ とも、
それ ゆえに農業 と環境 との関係 も早 くか ら問い 詰 め られてきた ことには敬意 を払いたいが)(3) それが、果た して科学的に証明できるのか、簡単 ではない。生態学か ら提案 された中程度擾乱説は む しろ伝統的な農業 を擁護す る理論 にな りつつ あるし、生物多様性は どち らか らも利用できる。
(4)さらに、 日本では 自然 と人間を対立的に とら えてこなかった伝統があるので、こうい う図式で は、自然の豊か さは表現できな くなる。つま り「自 然」 とい う概念 を生み出す ことがなかった仕事 と
くらしの評価はできな くなる。
このように、私たち 日本人にとっては、 「自然 とは何か」は、明治以降 (もちろんその前 も)本 格的に問われた ことはなかったのではないだろ うか。ましてや、農業においては、自然は 「農業 生産の制限要因」 としては研究対象ではあった が、農業によって豊かにな り、 日本人の好きな自 然になったことは、つま り日本人の 「自然観」を 形成 してきたことには、ほとん ど踏み込んだ研究 や考察はなかった。
それを私たちの農 と自然の研究所は、少 しずつ 限定的ではあるがやってきた。この成果の核心を 示 したい0
2 、世界認識の方法論
ところで、伝統的な百姓仕事や百姓暮 らしの中 にあった、農学や科学 とは別の 「世界認識」とは どのようなものであったのだろ うか。今 日は、四 つの局面で代表 させてみたい。
1) 「め ぐみ」 と して とらえる
落ち穂拾いの風景 をす っか り見かけな くなっ た。 もちろんコンバイン収穫になって、落ち籾は 拾いにくいことも理由だが、それ よりもそこまで して、米を積 らなくてもいい、とい う精神が落ち 穂拾いを廃れ させている。 しか し、もっと深い理
由にこの頃になって気がついた。
かつての百姓は米がた くさん穫れると 「天地の めぐみが大きかったか らだ」 と、天地 (自然)に感 謝 したものだった。現代では、 「自分の手入れが、
自分が採用 している技術が優れているか らだ」と 自分を褒める場合が多いO
米を天地か らの 「めぐみ」だ と思えば、めぐみ をおろそかにす ることは気が引ける。 「もったい ない」 と感 じるだろう。
一方、米の生産を自分の行為の結果だ と思 うな ら、落ち穂を拾 うか拾わないかは、自分が決める ことだ。 「もったいない」も落ち穂拾いの労賃 と 収益 とを天秤 にかけて決まることになる
。2
m2
に 一本の落ち穂が落ちているなら、 10アールに五百本で、約1kgになる。米の価格にすれば、約3 00円。 この収穫のために30分かかるな ら、時 給600円。 (さらに籾摺 り、精米の仕事 も必要 になる。)これではや る気になれない、とい う判 断は合理的だが、大事な世界を失 うことになるか
もしれないO
最近、驚 くようなことを地元の93歳になる百 姓夫婦に聞いた。これまでの 自分の不明を恥 じた ものだった。 「落ち穂は百姓以外の人な らだれで も、拾っていい とい う習慣だった。」百姓は決 し て拾わなかった、と言 うのだった。これは凄いこ とだったのではないだろうか。 「稲刈 りが終わる と、袋を持った人たちが待っていて、田で落ち穂 拾いに励んでいたものだった。」 と懐か しんでい た。
「消費者 との交流」なんてものではない。天地 の 「めぐみ」を、分かちあ う思想が健在だった時 代があったのである。決 して百姓から消費者‑の
「おめぐみ」ではなかった。
現在のコンバイン収穫では、落ち籾が
1
n引こ約 千粒 、つま りシイナや未熟粒が多いか ら約 10g、とい うことは十アールあた り約10kgにもな る。相当な量だ と言 えよう。 この 「めぐみ」を雁 や 白鳥や鶴 な どの冬鳥がいただいてい る意味 と 価値 をもう一度考えてみたい。‑羽の雁が食べる 籾は一 日に約100gだ とすると、一 日に約10 m2の田んぼが必要になる。 10アールで約100 日分の食べものが雁のために、めぐみ として提供 されている。
農が地元 にあた りま えに存在 しなければな ら ない最大の理 由は、農があればこそもた らされ る
「めぐみ」が、人間以外にも届けられ るとい うこ とだ。ここではわか りやすい 「落ち穂
」
「落ち籾」を例に挙げたが、これ以外にも 「めぐみ」は無尽 蔵にある。こうい う世界の構造を、この国の百姓 はつ くりあげてきた。
どうだろうか。内側か らの 「世界認識」は、天 地のめぐみに行き着 く。 「めぐみ」 とは、す ぐれ て農的な世界認識であった。 しか しこの 「天地」
とは 「自然」 とは、大きく異なることに留意 した い。近代化 された 「生産」か ら、こ うした 「めぐ み」がこぼれ落ちたことに 目をそ らさずに、この
「めぐみ」を拾いあげ、もういちど世界に戻 して い く学はない ものか。
2) 「できる」か ら 「つ くる」への変質
「米ができる」か ら、 「米 をつ くる」‑の転換 は、いつ始まったのだろ うか。た とえば 「安全性」 を求める心情は、当然 「トレーサ ビ リティ」 とい
う管理体制に行き着 くだろ う。それ も不断の立ち 入 り検査 と内部告発がない と、腐敗す る。 こうい う体制が、 10年後 も50年後 も続 くのだ ろ う か。そもそも、近代化の何がこ うした事態を招い たのだろ うか。
数年前 に隣の婆 ちゃんか ら、 トマ トを もらっ たD 「あんたの畑の トマ トは、今年は早々 と枯れ あがったね。 うちはまだなっとるか ら、持 ってき てや った とよ。」 と言 う。 ここで私は、 「農薬は いつ散布 したの ?何 を散布 したの ?安全使用基 準は守 って るよね ?残留基準 をク リア してい る か、分析 してみた?」な どと、安全性の トレーサ ビリテ ィ精神 を発揮 しよ うとは思わない。 うちの トマ トの不出来を気にかけ、持 ってきて くれた婆 ちゃんの優 しさに、感謝 してあ りがた くいただい た。
この場合の 「いただ く」対象は、もちろん トマ トだが、婆ちゃんの情愛でもあ り、天地のめぐみ でもある。婆ちゃんは トマ トを育て、 トマ トがで きたのである、婆 ちゃんが 「つ くった」のではな い、 と言い切れ るだろ うか。 もし婆 ちゃんが 「つ くった」のなら、安全性の責任は、婆 ちゃんにあ る。一方 トマ トが、 「できた」のな ら、責任は天 地にある。こ う考えて くると、婆 ちゃんが農薬 を 使用 してい るこ とは、決定的な分水嶺ではない が、た しかに 「できる」か ら 「つ くる」‑ と移行
していると言わ ざるをえない。
「農薬」 「化学肥料」の使用は、 「できる」か ら 「つ くる」‑の移行 を決定的に したのではない
だろ うか。だか ら有機農業は、 「つ くる」‑の違 和感 を持ち続 けてきたのではないだろうか。 もち ろん有機農業がすべて 「できる」感覚で営まれて いるわけではないが、 「できる」 とい うス タンス を堅持 しなければ、 「天地 ・自然のめぐみ」か ら 遠 ざか り、天地 ・自然 とい う 「世界認識」を失 う
ことになるのではないだろ うかO
「つ くる」ことは、 しん どいことである。すべ てに責任 を負わなければな らない。だか ら手が回 らず、眼が行き届かず、 「自然環境‑の影響把握」
がおろそかになった。安全性の確保 も難 しくなっ た。そのあげ く、 「トレーサ ビリテ ィ」のための 書類書きに専念 しなければな らな くなった。 「書 類」で 「数値」で、安全 を確かめなければな らな くなったのは、近代化農業の当然の帰結だろ う。
それなのに、なぜ有機農業までが、 「書類」を 「数 値」を要求 され るのは、冗談を通 り越 して悲劇 で はないか。
消費す る側が、あま りに近代化 されつ くしてい るか らである。食べ ものは 「できる」のではな く
「つ くられ」ていると思 っているか らである。 こ の間を どう照 らした らいいのだろ うか。
3)仕事論 と技術論のすれ ちが い
仕事にあって、技術 にないものは何だろ うか。
いっぱいあるだろ う。 「稲
」
「伝統」
「情念」
「情 愛」 「経験」 「人間関係」 「自然関係」 「天地有 情」
「カ ミ」
「伝承」
「子 ども」
「祭 り」
「民俗」‑‑‑・O 逆 に技術 にあって、仕事 にない ものは何だ ろ う かO もし、技術が仕事か ら抽出されたものな ら、すべて仕事の中に含まれているか ら、そんなもの は存在 しない、 とい うことになる。 ところが、農 業技術 の中には、百姓仕事の中には存在 しない も のが存在す る。それは、 「国家」や 「国民」 「近 代化」 「科学」 「生産性」などである。 これが、
新 しく付け加 えられたものなのか、それ とも農 を こ うい う節 でふ るって、節 の上 に残 った ものを
「技術」 と命名 したのか もしれない。
つま り 「技術」は、仕事に比べれば、普遍性 を
持ち、科学的で、国民国家にとっても有用なもの だ とい うイメージは、当然のことであって、そ う い うもの として形成 されているのである。
一つの象徴的な例で示 してみよう。畦の草刈 り の時にカエルが前を横切 る。その度に私は、草刈
りを椿賭 して、立ち止まることになる。 こうい う ことが、秋になると数 メー トルおきに続 く。この 椿蹄 して、仕事が滞った時間を累計すると、半 日 で10分になった。果た して、こ? 10分は私に とって、 日本農業にとって、 日本農政にとって、
日本国民にとって、国家にとって、無駄な時間な のだろうかO
現代の農学では、い とも簡単に、こう答 えるだ ろう。 この時間は、米の経済価値にとっては、何 の貢献もしない時間で、生産効率を落 としている 原因である、 と。また、生態学者に、カエル とい う生 きものを守 ってい る時間だ と弁護 してほ し い と懇願 しても、 「棒跨 しなくなっても、せいぜ い10アール あた り1000匹 もいる沼ガエル を 2、 3匹斬 り殺す ぐらいなら、カエルの密度に は影響はありませんよ」 と、冷静な返事が返って くるだろ う。
私が蹄跨す る行為は、学問的には、意味のない 行為だ とい うことになる。それは、国民にとって も、国家にとってもそ うだとい うことになるわけ だ。近代化社会では、こうして、こうした百姓仕 事の中の情愛を擁護 し、価値づける技術論 (思想) は衰えてきたのである。
しか し、別のまなざしもあってもいい。そこで 私が、もしカエルに瞭跨 しないで畦草刈 りをする よ うになれ ば、私は何 を失 うことになるだろ う か。まちがいな く私の百姓 としての、生きものの 情感に反応す る力は薄れ、生きものに包まれて生 きる情念は死ぬ、 と。そ うなると、稲のまわ りに 広がる天地有情の世界 と、稲の関係が見えなくな る。そ して、この関係 を語ることもなくなる。つ ま り、伝統的な世界認識 を失 うだろう。 「農業技 術」には、世界認識の道が通っていない。
3 、世界認識のための新 しい百姓仕事
「生きもの調査」が確実に広がっていこうとし ている。これで私たちの農 と自然の研究所 も心お きな く20 10年3月 には解散できる。 ところ で、 「生きもの調査」は科学的な世界認識 を目指 しているように見えるかもしれない。 しか し前述 したように、百姓が調べているのは、田んぼでも せいぜい100種に過 ぎないOこれ くらいの種の 実態をつかんで、どうして世界認識に持っていこ うとしているのだろうか。最後にこの事例を解析 しておこう。
1)生 きもの を、なぜ調べねばな らないのか 農学が 「世界認識」に手を染めなかったために、
田んぼで どうい う自然の生きものが育 っている かは、科学的にはわかっていない。た しかに 「害 虫」はまあまあ調査 されているが、益虫、ただの 虫にいたっては、ほ とん ど実態がわかっていな い。従来の農学では、それでも別に不都合がなか った とい うことだろうO しか し、
① 農産物以外の "めぐみ"を持ち出さない と、
農が地元に存在 しなけれ ばな らないわけが説明 できなくなった。 「安 くて安全な農産物なら、外 国産でもいい」 とい う意見に、説得力のある理 由 を示す必要が生 じてきた。
② 身近な 自然を代表 している農地の生きもの す らも、絶滅の危機に追い込まれてきた。殿様ガ エル、タガメ、丸タニシ、 ドジョウ、メダカな ど は絶滅寸前である。
こうい うことが、引き金 となって、 「田んぼの 生きもの 目録づ くり」 「生きもの調査」が始まっ たのだが、これを 日本で最初に 「農業政策」に組 み立てたのが福岡県の環境支払いであった (「県 民 と育む農の恵みモデル事業」 とい う)0
2)意外なタカラモノ
生きもの調査は、生きもの目録づくり (めぐみ 台帳づ くり)のための手段だが、驚 くべきことに、
調査 自体が 目的化 してきた。つま り調査 自体が楽 しくなってきて、調査 自体が仕事になってきたの
である。 ここか ら、二つの大きなタカラモ ノ(財 産)がもたらされた、 と言っていい。
① 「百姓の豊かなまなざし」が復活 した。それ は百姓仕事か らもた らされ る本来の能力だった のかもしれない。 「タイコウチを30年ぶ りに見 た」 と語っていた百姓の言葉は、タイ コウチの存 在 とともに、30年間の彼のまなざしの不在に眼 を開いている。つま り、自然 とともに仕事‑のま なざしが復活 してきている。
② 「田んぼの生きもの 目録」が 自動的にできあ がった。それは、紙の野帳や報告用紙の中にもあ るが、一番の所蔵庫は百姓の胸の中だろう0‑人 一人がタカラモ ノ (生きもの 目録つま り世界認識 の帳票)をこれか らは抱きしめて、生きていくこ
とになるのである。
(卦 田んぼの ̀̀めぐみ" (多面的機能)に対 し て、 「環境支払い」を本格的にや ろ うと思 うと、
当然ながら、ア) 「支払い根拠」を明 らかにしな ければな らない。次に、イ) どれ くらい以上の水 準に達すれば払 うのか とい う 「基準」が必要にな る。 さらに、ウ)その 「水準」を一人一人の百姓 が確かめる (調査する)方法がなければならない。
最後に、エ)その百姓の申請が妥当なものかをチ ェックする方法が必要になる。
福岡県の 「生きもの‑の環境支払い」は、この すべてに対応できる内容 に組み立て られている。
これ らの4つの項 目の うちもっとも重要なのが、
イ)の 「基準」であろう。残念なが ら、 3年間の 百姓の調査にもかかわ らず、県内全域に通用す る 画一的な 「基準」は明確にならなかった。しか し、
それ よ りももっ と豊かな もの (百姓 のまな ざし や、生きもの 目録な ど)がもた らされた、と言 え
よう。
3)多面的機能 を越 えた 「め ぐみ」
百姓にとって 「多面的機能」は外部か らやって きた言葉 ・概念である。 自分たちの実感 とはかな りずれている。普段は意識 しないコ トを、 「機能」
として意識せ よと迫 られたわけである。 「水 田に
は洪水防止機能があるO」 「水 田には生物育成機 能がある。」 と言われても、そ うい うコ トを目的 に 「稲作」をしているわけではなく、そ うい うコ トが 自分の百姓仕事の結果生 じていると、実感す ることもない。 ここが 「農」のす ごい ところなの だが、これを百姓が実感 し、自前の言葉で表現 し ないことには、この価値は誰にも伝わ らないだろ
う。
「落水の時に、生きものが気になるようにな り ましたか」とい うアンケー トに対 して、 「農めぐ」 の参加者の 57%が、そ うだ と答 えている。 (気 にならないとい うのは10%である)これは生き ものの 「生 ・いのち」を感 じているからである。
その生 と自分の落水 とい う百姓仕事が濃密 に関 わ り合っていることを意識 しているか らであるO こうして 「生物育成機能」は、落水 とい う百姓 仕事 と結びつ くことによって、 「機能」ではなく
「実感」 とな り、意識 される。 ここか ら人に伝 え る言葉が生まれれば、それは 「めぐみ」にな り、
家族や地域の人や消費者や県民 と共有できる0
4) 「表現」 「言葉」が一番大切
各地でよく聞かれることは、 「まだ、こんなに 生きものが生きていたのか」 とい う驚きの言葉で ある。 「ほん とうに、なっか しい」 とい う言葉 も 聞いた。それは 「今まで何を見ていたのだ」 とい う深い反省を伴 っているが、感動が過去の経験 と 結びついているところに最大の特徴がある0時の 流れの中で、百姓 も生きものも生きて来たが、両 者の関係はだんだん希薄になって、それは 日本社 会の近代化の流れの中で、どうしようもなかった ことだった。その流れの中で、いっの間にか姿を 消 した生きものも少なくなかったが、まだ生きの びて、こうして数十年ぶ りに顔 を見合わせ る生き
ものがいるO
このひ とときに、感動は生まれてくるものなの だ。そ してこの感動 ・感慨を言葉 に変えるものが、
「伝承 したい」 とい う百姓の伝統だろ う。なぜな ら、自分 も生きものとの関係を体験を通 じて、引
表 1 あなた に とって 田んぼの生 き もの調査 を実施 す る意義 は何 です か ?
福 岡県農 の め ぐみ地 区 宮城 県 の グル ー プ 実 数 (人 ) 割 合 (%) 実 数 (人 ) 割 合 (%) 1.減 農 薬 .有 機 農 業 の効 果 を確 かめるため 50 29.6 19 20.7 2.農 産 物 に付 加 価 値 をつ けるため 4 2.4 15 16.3 3.環 境 支 払 いの支 援 金 をもらうため 7 4.1 2 2.2 4.農 業 に対 する見 方 や農 政 を変 えるため ll 6.5 12 13.0
5.環 境 を守 るため 43 25.4 ‑
6.地 域 のタカラモノさが し 5 3.0 ‑
7.家 族 や地 域 の子 どものため 1 0.6 7 7.6
8.未 来 のため 6 3.6 14 15.2
9.生 きもの の名 前 や生 態 を知 るため 15 8.9 12 13.0 10.自分 の楽 しみ や勉 強 のため 6 3.6 ll 12.0
ll.その他 5 3.0 ‑
無 効 回答 16 9.5 ‑
き継 いできたか らである。生きもの‑の "まなざ し"は、時の流れ を超 えて伝 わってきた農の文化 である。 これ も 「めぐみ」の一種か もしれない。
さて、ここで生まれ る 「言葉」が とて も大切で ある。言葉 こそが、 「農のめ ぐみ」を伝 えること ができる。家族 を、住民を、消費者 を、田んぼに 誘 うことができる。 このことを従来の 「農政」は ほ とん ど重視 してこなかった。なぜな ら 「生産」
が中心だったか らだ。 ここに来て、 「食べ もの」
や 「自然環境」や 「生きもの」が話題 にあがるよ うになると、新 しい 自前の、地域か らの表現でな い と、実感が語れな くなった。その語 りを引き出 し、鍛 える場 を提供す るよ うな 「農業政策」がや っ と、地方か ら生まれたのである。
たぶん、この 「環境支払い」の最大の成果は、
ごはん 米 粒
=
E)
百姓 と地域住民の体の中に生まれた 「実感」と 「言 葉」だろ うと思 う。言い換 えれば百姓本来の豊か
な "まなざし‑世界認識"だったのだろ う。
4
、自然と人間の関係私たちは田んぼの生 きもの調査の結果を、図2 のよ うに表現 している。 ここでは、オタマジャク シに限定 したが、福 岡県の 「環境支払 い」では、
地域 ご とに数十種 の生 きものを この よ うなポス ターに している。私はこのポスターを小学生たち に見せなが ら、こ う尋ねることに している。 「み んなは、誰のためにごはんを食べてるの?」す る と 「自分が生きてい くため」 とい うよ うな答 えが 返 って くる。 「でもね、たまにはね、 自分のため じゃな くて、オタマジャクシを育てるためにごは
稲 株 オタマジャクシ
=
′1 杯 3000‑4000 粒
図2 人間 とごはん と生きものの関係
3 株 35 匹
んを食べ よ う、 と思 ってみた ら?」 と言 うと、笑 いが教室 中に広がってい く。 「信 じられない !」
「ウッソー !」 「馬鹿 みたい !」 と声 を上げ る。
「そ うだろ うね。大人たちは もっと、信 じて くれ ないか も しれ ないね。 もっ と想像 しに くい ことか も しれ ないね。 で も、田んぼに出かけた ときに、
稲 の ま わ りで オ タマ ジ ャ ク シ が 育 って い た よ ね。」 と私 は話 しかける。 いつの間にかイネ は人 間 のた めだ けに存在 す るよ うな錯 覚 を現代 人 は している。イネ 自身 も自然 のめ ぐみをいただいて 育 ってい る。 このイネ と自然 の生 きもの との関係 を支 えるためには、百姓 だけの力では足 りない も のがある。 た とえば、 このイネ とオタマ ジャクシ との関係 を支 えるためには、このイネ を毎年 きち ん と消費 して くれ る、人間が必要 なのだ。イネ は
「ごほん」となって、人間を 自然 と結んで くれ る。
この関係 が、見 えな くなったか ら、農 と自然 のつ なが りも見 えな くなった。米 を食べ ることは、農 の重要な一部 をな している。 これ を 「消費」では な く、 「自然保護 」 と呼ぶ こともできる し、 「食 農」 「自然観 の陶冶」 とも呼んで もいい。
私たちの新 しい役割 は、イネ と自然 の関係 を新 しくつ く りあげ る こ とで あ ろ う。 消費者 も含 め て、人間が 自然 と深 くつ きあ うか ら、自然は輝 き、
そ こか らはカネ にな る ものな らない もの も含 め て、計 り知れ ないめ ぐみが もた らされ る。そのめ ぐみの総量を計 る科学は、未 だに存在 しない。そ れ を少 しで もつ くるために、人間は生 きものの力 を借 りる しかない、 と思 う。 この関係 を支 えるた めに、ごほんを食べ る人間が育っ ことが、田んぼ
とイネ と自然 を守 ることになる。
参考文献
1. 「天地有情の農学」宇根豊 (コモンズ)2007 2. 「田んぼの生 きもの全種 リス ト」桐谷圭治編
(農 と自然の研究所、以下農 自研)2009
3. 「田んぼの生 きもの指標」宇根豊編 (農 自研) 2009
4. 「田んぼの草花指標」嶺田拓也、伊藤一幸編 (磨 自研)2009
5. 「ふ くおか農のめぐみ100」宇根豊編 (農 自
研)2009