【要旨】 ポルノグラフィは、社会的にも社会学的にも議論の係争点であり、ジェンダーの平等が 論点となる場合にはとりわけそれが際立つ。その端緒となる反ポルノ派フェミニストの理 論が有する問題の 1 つに、女性によるポルノの「見方」の多様性を狭めてしまうがゆえに、 女性を「被害者」の位置に固定化してしまい、女性が消費者となるポルノグラフィの存在 をうまく説明できないという点がある。 しかし、女性向けポルノの先行研究が行ってきた、①「正しい」女性表象でないという 分析、②「女性」が揺るぎがたく持つ優位性があるという分析、③男性向けポルノと同様 の価値観で成り立つという分析、のいずれにも課題が残る。この解決方策として、本稿は 女性向けアダルトサイト研究の知見から、ジェンダー化されたジャンル区分そのものを問 う重要性を指摘した。そして「女性向けアダルトビデオ(以下 AV)のファンは男性向け/ 女性向け AV という区分をいかに捉えて視聴しているか」という問いのもとで 11 名へのイ ンタビュー調査を行った。 調査結果から、主流の AV に対するアンチテーゼとして生まれた経緯のある女性向け AV を視聴していても、ファンは単純に男性向け AV を批判するのではなく、「男優ファン」で あるがゆえに男性向け AV の視聴を自然にファン活動に組み込んでいたことが明らかになっ た。しかも男性向け作品を「仕方なく」視聴するのではなく、ある種のトラウマ経験があ る女性であっても、両方に良さを感じながら楽しんでいた。また男性向け/女性向けを越 境した視聴を行うだけでなく、そうした区分の必然性を揺るがすような捉え方もしていた。 こうしたファンの実践は、ジャンル研究の文脈では、デコーディングによるジャンルの脱 構築、第三波フェミニズムの文脈では、「被害者」ではなく「消費者」としての「女性」に 着目した、女性性の再構築ないし転覆の可能性の模索であるといえる。 【キーワード】 女性向けポルノグラフィ、アダルトビデオ、第三波フェミニズム、ジャンル
ポルノグラフィ消費者によるジェンダー
化されたジャンルの視聴と解釈
――女性向けアダルトビデオを視聴するファンに着目して――
*東京大学大学院人文社会系研究科社会文化研究専攻社会学専門分野博士課程/日本学術振興会特別研究員 DC1 論 文服部恵典
*【Abstract】
One of the problems with the anti-porn feminist theory is that it narrows the diversity of women’s “perspective” of pornography by forever considering them as a “victim.” The theory thus fails to explain the existence of pornography for female “consumers.”
Previous studies on pornography for women have found that (1) it does not reflect the “correct” image of women, (2) “women” have firmly distinctive sexual desires, and (3) it is based on the same values as pornography for men, but problems remain in its analyses. As a solution to these problems, this paper points out the importance of analyzing gendered genres and focuses on “how female fans interpret categories of adult video (pornographic film) for men/women and watch them.” 11 women were interviewed to conduct a survey.
Findings of the survey are as follows: the female fans did not simply criticize porn for men, but naturally incorporate it into their fan activities because they are the “male actor’s fan” even though they are watching adult video for women, which itself was born from a criticism of mainstream porn. They (even women with traumatic experiences) watch adult films for men willingly, not reluctantly. In addition to cross-border watching, they question the necessity of such distinctions. In the context of genre studies, such fan practice is to deconstruct the genre by decoding. Hence, in the context of third wave feminism, this study seeks the possibility of reconstructing or subversiving femininity by focusing on “women” as “consumer” instead of “victim.”
【Keywords】
Pornography for women, Adult video (pornographic film), Third wave feminism, Genre
Watching and Interpreting Gendered Genres:
A Study of Female Fans Watching Pornographic Film for Women
* Graduate School of Humanities and Sociology, The University of Tokyo / Research Fellow of Japan Society for the Promotion of Science
Article
1. 研究の背景・目的
ポルノグラフィは、社会的にも社会学的にも議論の係争点であり、ジェンダー の平等が論点となる場合にはとりわけそれが際立つ。その端緒は、A. ドウォー キン(1979 = 1991)や C. マッキノン(1993 = 1995)らを代表的な論者とする 反ポルノ派フェミニストにより、ポルノグラフィの表象が女性差別的なものであ ると問題化された第二波フェミニズムの時代であるといえる。 しかし、反ポルノ派フェミニストの理論が有する問題の 1 つに、女性のポルノ の「見方」の多様性を狭めてしまうがゆえに、女性を「被害者」の位置に固定化 してしまう点がある。つまり、「ポルノ表現を必然的に男性による女性への暴力 や収奪を引き起こすものとしてその見方を固定化すれば、逆説的に女性のセクシ ュアリティを――まさに特定の異性愛男性向けポルノが描き出すとおりに――暴 力と収奪の対象として普遍化することになる」のだ(清水 2016: 156)。 「見方」の多様性とは、視聴者の能力の問題でありかつ、表象の多様性の問題 でもある。瀬地山角(1992)は、性に関して抑制的な規範を前提としない限り、 マッキノンやドウォーキンのポルノ批判は「両性にとってよりよいポルノグラフ ィ」を目標に掲げうると論じた。つまり、彼女らによるポルノ批判の問題の 1 つ に、後に活発化した「女性が楽しむポルノグラフィ」という存在をうまく説明で きないという点がある。男性主流の文化であったポルノグラフィに「異なる見 方」を生み出した女性向けポルノによって、「女性」たちはポルノの読者・視聴 者にもなってきた。 こうした「女性が『性の商品化』を楽しんでいる現実」(堀 2009: 30)、「『女性 がポルノグラフィを楽しむ』という経験」(守 2010: 19)から立ち上がった問題 意識を背景に、堀あきこや守如子は、男性向け/女性向けのポルノコミックを比 較分析するという研究を行ってきた。しかし両者は、調査方法が似ているにもか かわらず、女性向けポルノの固有性を称揚するか、ジェンダーの固定化を避ける ためにそのオルタナティブ性を制限するか、という異なる結論と課題を残してい る。これは、ポルノグラフィ固有の問題ではなく、女性文化研究が陥りがちな隘 路とも重なっている。この隘路に至る共通する問題点として、男性向け/女性向 けというジェンダー化されたジャンルをどこまで前提できるのか、その前提が有 効なのかを問えていない点があると思われる。 そこで本研究は、「女性向けアダルトビデオ(以下 AV)を視聴するファンは男性向け/女性向け AV という区分をいかに捉えて視聴しているか」という問い を通じて、女性向けポルノ研究ないし女性文化研究の陥穽の乗り越えを試みる。 次節では、まず日本の女性向けポルノを扱った先行研究を女性文化研究の歩みに 沿って整理したのち、男性向け/女性向けという区分そのものを問う重要性を主 張する。3 節では、ジェンダー化されたポルノ・ジャンルの構築性を論じるにあ たり、女性向け AV を視聴するファンへのインタビュー調査を行うことが有効で あると主張し、調査概要を述べる。4 節では、インタビューデータの分析によっ て、ファンがその類型によらず男性向け/女性向け AV を使い分け、さらに区分 を曖昧化させていく実践を明らかにする。5 節では、そうした実践がいかなる含 意を持つのかを、ジャンル研究、第三波フェミニズムの文脈から論じる。
2. 先行研究
本節では、まず女性向けポルノを扱った研究を、女性向けメディア文化研究の 歩みに沿って整理する。次に、その隘路を突破する方策として、女性向けポルノ サイトの先行研究から、ジェンダー化されたジャンルの構築性に着目する分析を 主張する。 2-1. 女性向けポルノコミック研究とメディア文化研究におけるジェンダー 日本では、「レディース・コミック(レディコミ)」と呼ばれる漫画が 1980 年 代後半に市場を広げ、女性向け AV に先行して女性向けの性的表現として位置を 得た。しかし、日本における女性向けポルノ研究の先駆けとなった秋本雅代らの 研究は、レディコミが保守的な女性規範をなぞっており、日常を「少し刺激する 程度の嗜好品的な意味」しか持っていない「問題としての安全な “ 嗜好品 ”」で あるとし、読者に「大衆的な心性」をみている(秋本・奥山・諸橋 1987: 82)。 つまり、女性向けポルノは、その「正しくなさ」を受動的に受け入れる女性たち の従属的な位置への適合として説明された。 しかし石田佐恵子によれば、こうした女性文化研究に対抗して、80 年代アメ リカを中心に、ジェンダーが文化的につくられたものであることに同意しつつ、 その拘束力ゆえに変更が難しいものととらえる「ジェンダー本質主義」が現れ た。これは女性文化、女性性の逆説的な優位性を強調し、男性中心主義的な従来 の価値基準の転覆を目指すものである。ジェンダー本質主義は、男性中心主義的 であった文化研究を批判し、「女性」の文化の領域を研究対象として発見した点において評価されうる(石田 2000: 116)。 この潮流における女性向けポルノ研究として堀あきこ(2009)の研究が挙げら れるだろう。堀はレディコミに加え、「やおい」や「BL(ボーイズラブ)」と呼 ばれる男性同性愛を主題とした女性向けコミックも対象に加える。そして内容分 析の結果から、「女性向けメディアにおいて、男性はグラビア的単一存在として は性的対象とならず、彼を組み込んだ物語が生まれた時、ようやく性的身体と して認められる」(堀 2009: 231)と主張する。このような「〈物語性〉を組み込 む女性的な性的欲望」の存在理由を、堀はキャロル・ギリガンが主張した、コミ ュニケーション、愛情、ケアを志向する「responsibility」にもとづく女性の価値 観で説明した(堀 2009: 231-2)。こうして堀は、「男性中心的価値構造から離れ たところで〈関係性〉を追求する『性からの自由』という多様性を持っている」 (堀 2009: 236)女性的な性的欲望のかたちを肯定する。 しかし、堀のジェンダー本質主義的結論は、女性向けポルノという「異なる見 方」の価値を優先したことで、構築された男女の社会的性質の固定化につなが ってしまう危険性がある。つまり、「もはや『女性向け』ジャンルのメディアを 『大衆文化』ととらえ、そのオーディエンスを『受動的で愚か』として批判する わけにはいかない。かといって、『女性文化』の本質主義的な優位点を称揚する こともできない」(石田 2000: 118)のだ。 他方、守如子(2010)は、堀と同様に男性向け/女性向けポルノコミックを比 較分析するという方法をとっており、指摘する特徴も重なるところが少なくない にもかかわらず、導き出した結論は大きく異なる。守は、石田が整理した女性文 化研究の潮流に当てはめるのであれば、「カルチュラル・スタディーズ」の立場 であろう。守自身「本書も、メディアテクストの捉え方は、カルチュラル・スタ ディーズの見解を踏襲している」と述べ、「メディアテクストは、作者の意図を 受け手に押し付けるための媒介物ではなく、『意味をめぐる闘争の場」である」 と捉えている(守 2010: 95)。 カルチュラル・スタディーズの立場は、「メディアは女性の現実を『正しく』 反映していない」式の旧来のメディア研究を批判する。なぜなら、メディアが 「正しい」女性像を映していなかったとして、オーディエンスはそれを無抵抗に 受け入れるのではなく、能動的に解釈しなおして受容するのではないか、と考え られるからである(石田 2000: 118)。女性向けポルノコミックには、女性に対す るレイプや暴力的な性行為が正当化されるような描かれ方も時にあり、ある面で は「誤った」現実の表象であるともいえる。だが守はそれらにも、女性が楽しめ
るような書き手の「安全化」の工夫と、読み手の「ポルノ・リテラシー」がある と結論づけており(守 2010: 208-12)、その知見自体は有用であるといえる。 しかし他方で守は、ある種のポルノの読み方を持たない女性読者の「異なる見 方」を制限してしまう危険性がある。守は「ハードな BL」誌に寄せられた読者 アンケートを以下のように解釈する。 同じ雑誌の読者であっても、あくまでも恋愛を描く作品であることを強調す る「恋愛を強調する読者」と、そこにはこだわらない「ポルノ表現を歓迎する 読者」に二分化されることがわかる。ここから、ポルノグラフィに楽しみを見 出す自分自身を受容することが難しい女性の存在が見えてくる。女性にとって 快楽の性やマスターベーションそのものを肯定することはまだまだ難しいよう だ。「H がハード」な雑誌を購入していても、「愛があふれている」という別の 理由を持ち出さなければ表現を楽しむことができない女性も少なくないのであ る。(守 2010: 103-4) 一見、「ハードな BL」を楽しむ読者には、「恋愛を強調する読者」と「ポルノ 表現を歓迎する読者」の 2 通りあるかのように説明されている。しかし「恋愛を 強調する読者」は、本当はポルノ表現を楽しんでいるのだが、そのような自分自 身を認めることができないために、「愛」という言葉を言い訳として用いている のだと守は解釈している。つまり、あくまで「恋愛要素を楽しむ読者」と「ポル ノ表現を楽しむ読者」の 2 通りがあるのではなく、本来的、無意識的には「ポル ノ表現を楽しむ読者」のただ 1 通りが存在するのであり、しかし読者アンケート の書きぶり、「語り」が 2 通りあるとされているのだ。 たしかに、「性」と「愛」を強固に結びつけるロマンティック・ラブ・イデオ ロギーの存在が女性を縛りつけてしまうことの問題は、本研究を通じていくら強 調してもしすぎることはない。だが、「愛があふれているから好き」と書く女性 を、自分の気持ちに嘘をついてしまう抑圧された女性として解釈することは、こ の女性の語る能力を軽視することになってしまう。 堀と守の研究で、一番異なっているのはこうした点である。守は堀のジェンダ ー本質主義的な態度に対し、「男性/女性に配分されてきた物事のうちで女性側 に配分されてきたものの価値を積極的に認めることに意義があると考えているわ けではない」、「女性向けポルノコミックと男性向けポルノコミックが異なる価値 観によっているとはあまり考えていない」(守 2010: 23)と主張する。つまり、
堀が男女の性的欲望の差異を強調するのに対し、守は類似を強調する。このと き、「H がハード」な描写を歓迎しないことを「女性」への抑圧として解釈する 守には、女性向けポルノを扱っているにもかかわらず、ポルノ消費を「男性」を 原型に説明してしまいかねない危うさがある。 以上、女性向けポルノにとって、①「正しい」女性表象でないという分析、② 「女性」が揺るぎがたく持つ優位性があるという分析、③男性向けポルノと同様 の価値観で成り立つという分析、のいずれにも問題点があることが明らかになっ た。とりわけ、男性向け/女性向けポルノの特徴について、差異、類似のどちら を強調する場合も、それぞれ課題を抱えることがわかる。 2-2. 男性向け/女性向けという区分の構築性 このとき注目に値するのは、女性向けアダルトサイトを分析した T. シャウア ーの研究である。シャウアーは、女性向けアダルトサイトでは、男性 1 人の画像 はゲイ男性向けサイトと同様の特徴(男性身体へのフェティシズム)を持ち、2 人以上での性行為の画像は、ヘテロ男性向けサイトと同様の特徴(男性の身体は 画面外にトリミングされ、女性が中心に位置する)を持つことを明らかにしてい る(Schauer 2005)。つまり、シャウアーが示したのは、男性向けポルノが容易に 「女性向け」に引用可能であるということである。 シャウアーの研究は、J. バトラーの理論を通して、ジャンルを超えた引用性 を性の規範の攪乱と結びつけている点において、さらなる重要性がある。バト ラーは、マッキノンおよび R. ラングトンが言語行為論を議論に導入し、ポルノ を「発語内行為」(Austin 1962=2019)と捉えたことを批判した。なぜなら、「約 束します」という発語が「約束」という行為そのものであるのと同様にポルノは 慣習的にただちに女性を従属させるのだ、とその影響を単一化するならば、女性 を従属的位置に固定化させることになるからである。バトラーは代わりに、発 語行為や発語内行為の遂行によって別の意味の行為を遂行する「発語媒介行為」 (Austin 1962=2019)としてポルノを捉え直す(Butler 1997=2015)。たとえば、 「約束します」という発語は相手を納得させる行為になりうるが、逆に訝しく思 わせることもある。ポルノというテクストも同様に、慣習に回収されないさまざ まな影響を及ぼしうる。 ポルノは、発語行為同様、別のコンテクストに「引用」されることによってそ の遂行が意図に回収されない意味を持つ。J. デリダ、そしてバトラーによれば、 その意味のずれとは発語行為に本質的なものである(Derrida 1972[1990]=2002;
Butler 1997=2015)。シャウアーによれば、男性向けアダルトサイトでは異性愛と 男性同性愛は絶対に同居しないのだが、女性向けアダルトサイトというコンテク ストへの「引用」可能性により、性の規範が脱自然化されているのだ(Schauer 2005)。ヘテロ・ゲイ男性向けポルノが女性向けに「引用」可能であると述べる ことは、「類似派」の主張とは微妙に、しかしはっきりと異なる。前者は、ジェ ンダー化・セクシュアリティ化されたジャンルそれ自体の脆さ、曖昧さ、構築性 を表しており、男性向け/女性向けという比較の構図それ自体を問い返すもので ある。 このように、ポルノのジェンダー区分の構築性に焦点を当てるという視角は重 要であり、このとき画像・動画サイトを対象とするのは有望である。しかし、シ ャウアーの研究を引き継ぐ際には、以下の 2 点の課題がある。 第一に、バトラーに依拠してポルノの発語媒介行為としての側面に注目するの であれば、江口聡のいうように「ポルノグラフィ的表現がどのような帰結をもた らすのかを明らかにするために、ポルノグラフィ愛好者たちの現象論的な研究は 重要である」(江口 2007: 33)。言い換えれば、ポルノが単に女性を「被害者」に 固定化するものではないことが理論的に示唆されているのであれば、女性がポル ノの「消費者」としていかにそれを受け取っているのかに着目する実証的研究が 求められる。だがシャウアーは、あくまでサイト上の動画にのみ着目しているが ために、「オーディエンスの視聴者層、消費のパターンなどは分析の射程の外」 であり、「『女性向け』と掲げられたサイトを観ている大部分が実は女性ではない ということは十分ありえそうなことである」と限界を述べている(Schauer 2005: 61)。 そして第二に、現在の日本における市場の文脈を押さえたうえで女性向けポル ノを分析する必要がある。シャウアーが明らかにした、ヘテロ/ゲイ男性向けの ポルノが女性向けサイトに同時に引用されうるという事実は興味深いが、では その「女性向け」ポルノの特徴とは何なのかというと、「本研究が対象としたサ イトの範囲では[…]独自の表象的慣習を開発するには至っていない」(Schauer 2005: 59)とされている。しかし日本では、ソフト・オン・デマンド株式会社の 女性向け AV メーカー「SILK LABO」が 2009 年に販売を開始し、今に至るまで 販売を継続しながら象徴的な存在感を増してきており、事情が異なっている。A. ハンブルトンは SILK LABO 作品が既存の AV と異なる点として、男性アイドル やトレンディドラマなどすでに成功している文化の要素を用いることで、女性が ポルノを安心して消費できるために障壁を取り除いた点のほか、男優が女性視聴
者に見つめられる位置にあり、その身体が性的欲望とエロティシズムの対象、客 体として描かれている点を挙げている(Hambleton 2016)。つまり、このように 「女性向け」と括られる作品の特徴が指摘されている場合にこそ、それが「男性 向け」とされる作品群との本質的差異なのか、類似の範囲内と捉えるべきなのか という(本研究が見るに隘路が待つと思われる)問いが立ち上がるのであり、こ のとき初めて、男性向け/女性向けという区分それ自体を問う重要性が増してく るのである。 以上より本研究は、女性向け AV を視聴する女性たちが、その「男性向け/女 性向け」という区分をどのように受け止めているのかを明らかにすることを目的 とする。
3. 調査方法
本節では、女性向け AV を視聴するファンへの半構造化インタビューを調査方 法に選択する利点を主張し、調査の概要を述べる。 これまで述べてきたように、バトラーのポルノ論に沿うとき、女性消費者を対 象とした実証的調査は重要である。先行研究では、守(2010)がポルノコミック の読者を分析するにあたって漫画雑誌の読者アンケートを使用したが、この方法 では、その雑誌と 1 対 1 で結びついた読者の分析しかできないという限界があ り、本研究の目的に適さない。したがって本研究では、メーカーから離れ、さら に男性向け/女性向けという区分も越えて視聴する女性の姿を明らかにするため に、半構造化インタビュー調査を行う。 ただし、守にとっても読者アンケートはがきを資料として用いるのは次善策で あって、元々はインタビュー調査を試みていた。しかし、以下のように挫折して いる。 私の調査方法に大いに問題があったとは思うが、性的な話を女性に聞くこと が難しいことを思い知るという結果に終わった。ポルノグラフィが関係する 主題については、女性たちは否定的ないやな体験は語ってくれるものの(例え ば、「男の子向けのビデオは気持ち悪い」「性的なものだけが目的なのは、生々 しすぎて気持ち悪い」といったように)、それ以外の話を引き出すことはでき なかった。(守 2010: 96)インタビューがうまくいかなかった要因として、女性が自己の性的欲望につい て語ることが時代的に難しかったということもあるだろう(調査が試みられたの は 1990 年代である)。だが、「ポルノを楽しんでいるにもかかわらず語らなかっ た」のではなく、「事実ポルノを楽しんでいなかった」ということも大いにあり うる。そこで本研究は、女性向け AV を視聴するファンに半構造化インタビュー を行う。言い換えれば、視聴者一般あるいは女性一般の調査を目指すのではな く、オーディエンスの中でも特に解釈的能動性の点で文化研究において着目され てきたファンに焦点を当てる、という戦略をとる。A. マッキーによれば、ファ ンの能動的オーディエンスとしての側面は、もちろんファン研究にとっては繰り 返し主張されてきたことではある。しかし、ポルノ消費者はこれまで嗜癖・中毒 に陥る受動的存在として分析されてきているがゆえに、「ファン」という枠組み で捉える研究はほとんどされてきておらず、ポルノ研究においては依然としてフ ァン研究は重要であり続けている(McKee 2018)。 インタビューへの協力者のほとんどは、ソーシャル・ネットワーキング・サー ビス(SNS)の一種である Twitter を通じて募った。これは第一に、筆者が研究 以前から Twitter を通じてファンとラポールを築いていたからであり、第二に、 ハンブルトンが指摘しているように、SILK LABO 作品を視聴するファンにとっ て、Twitter はファン活動のための情報資源と同志が集まる重要な場だからであ る(Hambleton 2016: 434)。もちろん、他の視聴者と交流をもたず、男優自身へ の興味も薄く、ただ独り作品を視聴することを楽しみとする視聴者の存在も想定 可能であり、SNS 利用者を中心としたサンプリングには偏りが発生する危険性 がある。しかし本研究におけるインタビュー調査の役割は、能動的に映像を解釈 して意味づける女性の視聴実践に焦点を当てることである。そのためには、オー ディエンスの中でも特に活動的な「ファン」をインフォーマントとすることは、 研究戦略的に重要であろう。 調査協力者の募集は、2017 年 1 月に、「研究のために、女性向け AV(および その男優)ファンで、都内でのインタビューに答えていただける方」を募るツイ ートによって行われた。その際、筆者の性別、所属を明示し、インタビューは録 音されること、答えたくない質問に答える必要はなく、録音を止めることも可能 であることを伝えた。さらに、インタビューで得たデータは研究目的以外に使用 せず、流出させないこと、音声データの文字起こしを確認して、研究に使用して ほしくない箇所があれば削除できることも書き添えた。その結果、Twitter を通 じて 8 名の協力を得た。さらに、2 名とは紹介で出会い、1 名とは AV に関する
イベントを介して出会った(この女性は数年 SNS を使っていないと語っていた が、アカウントを持たずに Twitter を閲覧してはいた)。 こうして半構造化インタビューを行った 11 名の年齢1)、居住地、およびイン タビュー日時は表 1 の通りである。 インタビューを行う場所は、対象者の選好に合わせた。たとえば、自宅から近 いほうが話しやすい人もいれば、逆に遠いほうが話しやすい人もいるだろう、と いう判断である。また、周りに誰かいたほうが安心できる人もいれば、話の内容 が内容だけに、他人に聞かれないよう 2 人きりのほうが話しやすい人もいると考 えられる。そこで、基本的には個人でインタビューを受けてほしいが、グループ インタビューも可能である旨も伝えたほか、場所はインタビュイーの自宅、飲食 店、カラオケボックスなどから選んでもらった。結果として、すべてのインタビ ューは 2 人で行われ、その多くは主要駅近くのカラオケボックスまたは飲食店の 個室で、1 時間~ 2 時間半ほど行われた。 また、T. メイ(2001 = 2005)の指摘に倣い、半構造化されたインタビュー項 目は、当たり障りのない話題から順に聞くように努めた。たとえば年齢、職業な どの対象者の属性から始め、週にどれくらい視聴するか、観る際はどのメディア を使うかなどを尋ねたのちに、男性向け AV と女性向け AV のどこが好きでどこ が嫌いか、といった自己の性的欲望にかかわり一般的に語りづらいと思われる事 柄を質問した。 表 1 インタビュー対象者のリスト 年齢 居住地 日時 時間 A 30 代 関東 2017/02/08 1 時間 B 20 代 関西 2017/02/09 1 時間 C 40 代 関東 2017/02/20 1 時間 D 20 代 関西 2017/02/22 1 時間 E 40 代 関東 2017/02/22 1 時間 F 50 代 関東 2017/02/25 1 時間半 G 50 代 関東 2017/03/09 2 時間 H 40 代 関東 2017/03/18 2 時間半 I 40 代 関東 2017/04/19 2 時間半 J 40 代 北陸 2017/04/27 2 時間半 K 20 代 関東 2017/07/01 2 時間
4. 調査結果
本章ではまず、インタビュー調査のデータから、女性向け AV を視聴するファ ンであっても、男性向け AV の視聴がファン活動に自然に組み込まれていること を明らかにする。次に、このことが、最も男性向け AV に忌避感があると思われ たファンであっても当てはまることを示す。最後に、男性向け/女性向け AV と いう区分を跨いで視聴するだけでなく、その区分を曖昧化、無化させていくファ ンの語りを分析する。 4-1. 「女性」として男性向け AV を楽しむことの 2 つの意味 そもそも女性向け AV とは、国内外を問わず基本的に、主流の男性向け AV の セックス観へのアンチテーゼとして制作されている。もちろん、SILK LABO も また例外ではない。女性向けメーカー立ち上げにあたって、AD と宣伝の経験し かなく制作の経験がなかった牧野江里(社長、プロデューサー、監督を兼任) は、まずソフト・オン・デマンドの女性スタッフをできるだけ集め、男性向け AV への不満を集める「井戸端会議」を就業時間後に行うことから始めたという (Hambleton 2016: 429-30)。 実際、その作品はこれまでの日本の AV とは異なる新鮮な感覚を女性たちに与 えている。インフォーマントのなかでも、女性向け AV および、人気男優の一徹 の存在を初めて知ったときの感情を、従来の AV と比較しながらわかりやすく述 べているのが、G さんである。 G: 初めて女性向けを観たときに初めて、女の人目線っていうか女優さんに感 情移入したというか、自分が舐められてるような感じになって。[…]そ ういう観方を、今まで男性向けのやつで観たことがなくて。乱交ものとか 観てるときはくだらないと思いながら観てたりとか(笑)、レイプのやつ とかも、自分がレイプされてると思いながら観たことなくて、やっぱりそ ういうときも男の人目線っていう感じだったので。 G さんは、SILK LABO を知る以前に男性向け AV を視聴したことがあったが、 そのときは「くだらない」と距離をとったり、「男の人目線」で受容したりして おり、女性であっても「女の人目線」で性的表現を楽しむことはできていなかった。そんな G さんにとって SILK LABO 作品は、「今まで一度も観たことのない もの」であると感じられている。 しかし、インタビュー対象者は全員、「女性向け AV」というジャンルやメー カーのファンというよりも「AV 男優のファン」であることによって、彼らが出 演していた男性向けの過去作も視聴していた。なぜなら、当時最も人気であった 一徹、月野帯人という 2 人の男優は、2012 年 12 月に日本の AV 男優初のメーカ ー専属契約を SILK LABO と結んでおり(一徹は 2016 年 8 月 1 日に GIRLʼS CH とダブル専属契約を結んだ)、2017 年 1 月末に専属契約を卒業するまでの約 4 年 間は、他メーカーに出演しなかったために彼らの出演作品の供給量が少なかった からである。つまり、女性向け AV の視聴を楽しみつつ、元々はライバルと見な されているはずの男性向け AV も同時に観ているファンが、非常に多い。 しかも注意すべきは、ファン女性が、好きな男優が映っているから「仕方な く」男性向け AV を観ているというよりも、むしろ女性向け AV にはない良さも 男性向け AV に感じながら視聴していることである。上記の G さんは女性向けで 初めて女性に同一化して楽しむことができたと語ったが、「だから女性向け AV は良いもので、男性向け AV はつまらない」という単純な結論には至らない。 G: [男性向け AV は]なんかどれも、一緒に見えたので、全然興味がなかっ たんですけど。でも一徹さん……のを観るようになってからちょっと考え が変わったっていうか、観方が変わって。……面白いですよね。 *:観方が変わったっていうのはどんな感じですか。どう変わったんですか。 G: 男性向けを観てるときは、男目線で女優さんを観る、っていうのが、なん か楽しみみたいな感じになって。 G さんは元々、男性向けはどれも同じように感じられ、興味がなかったとい う。しかし、G さんは女性向け AV を通して一徹という男優のファンになったか らこそ、「男性向け」とひとことでいっても、その内容は多様であると感じるよ うになっている。特に、かつては「男の人目線」であることとくだらなさが結び ついていたが、今では男性向け作品による男性への同一化もまた面白く受け取れ るようになってきており、女性向け/男性向け AV を観るにあたって、男女の視 線をスイッチさせる楽しみを見つけている。 この男性向け AV を観る女性ファンの楽しみについて、より詳しく述べている のは C さんである。以下は、好きな作品はどんなものか聞かれたときの C さん
の語りである。 C: デートした帰りに、みたいなあれなので、割と自然な、身近な。 *:自然で身近な感じなのが、好き。 C: 好きですね。女性ものは特に。 *:男性向けでどういうのを観るとかってありますか。 C: 男性向けは(笑)、すごい恥ずかしい、笑えるんですけど、ほんとにこん なのありえないだろってほうが好きで、ハハハ(笑)。たとえば、温泉と かで、あるじゃないですか。ああいうのとか、絶対に日常ではありえない ようなことじゃないですか。 *:時間が止まるやつとかですか。 C: じゃなくて、乱交みたいなとか。お風呂場の外とかでとか、たまに面白く て観ますけど。エロっていうよりは面白い(笑) […] *:これは、どうして観るんですか。笑いたいから? C: とか、まあちょっと、欲求(笑)、ちょっとこうね、最近そういうのない なあみたいなときですよね、ぶっちゃけね。あと、外とかのやつとか。 *:自分ができないやつ。 C: そうそうそうそう。時間が止まるのはだめ、あれは。 *:あれはもう、馬鹿すぎる。 C: うーん。それは男の願望が詰まってるだけですよね、あれは。 *:じゃあ、夢があるけど、女性の願望もそこに投影して観ることができるよ うな。 C: そうですね、それが理想というか。 この C さんの語りは重要な点が 3 点ある。第一に、C さんは「女性もの」の場 合、「自然」で「身近」なものが好きであると語る。となると、「男性向け AV は 『自然』で『身近』ではないので嫌い」といった答えか、少なくとも「『自然』で 『身近』な男性向け AV だけは観る」という答えが予想されるだろう。しかし、C さんの男性向け作品の好みはむしろ逆で、「絶対に日常ではありえないようなこ と」が含まれているほうが良いのである。男性向け/女性向けというジャンルの 区分を跨ぐとき、C さんはまったく逆の視点から作品を評価するのだ。 第二に、C さんの語り方それ自体も注目に値する。男性向け作品での好みを聞
かれた C さんは、笑って誤魔化そうとするような語り方をする。これは、女性 向け作品について語るよりも、「乱交」や「外とかのやつ(青姦、野外性交)」が 好きであるという性的嗜好の「告白」、つまりより深い自己の暴露に繋がってし まうという語りづらさがあるからではないかと思われる。視聴の動機は、初めは 「面白くて観ます」「エロっていうよりは面白い」と語っていたが(これも嘘では ないだろうが)、尋ね直すと、新たに「欲求」が要因として「ぶっちゃけ」られ るのである。自己のポルノ消費の語りづらさは、インタビュー現場の問題であり かつ、内容の特徴と間接的に結びついて現れるのだ。 そして最も重要なのは、第三に、C さんは「男の願望が詰まっているだけ」の 作品はやはり好んでいないという点である。会話の流れからして調査者と C さ んの間で共通理解があると思われる「時間が止まるやつ」とは、男性主人公(女 性主人公は極めて珍しい)が、不思議な時計や呪文を用いて時間を止め、異性に 性行為をするというシチュエーションの AV 群である。これは、C さんにとって 男性主人公がいい思いをするだけの設定にすぎない。そうではなく、元は男性視 聴者に向けられている動画であっても、女性である自分の願望をそこに投影する 隙間を見つけるという能動的な解釈によって、C さんは別の快楽を生産している のである。換言すれば、前述の G さんの視聴は「男目線」にスイッチして女優 を観る楽しみであったが、C さんにおいては、男性向け AV に「女性」の目線を 導入する余地を見つける点に攪乱的な視聴がある。 4-2. 男性向け AV にトラウマがあった例 ただし、女性向け AV を視聴するファンも一枚岩ではなく、類型があることを 押さえる必要があるだろう。男性向け AV の視聴を楽しんでいる語りを上記で引 用した G さんと C さんはどちらも、「男優ファン」となったことを入口として、 今では「AV 監督ファン」「AV ファン」となっていることが、インタビュー中の 他の語りから示唆された。つまり、あくまで女性向け AV を視聴してはいても、 男性向け AV のファンでもあるのだ。 では他方で、あくまで「男優ファン」としてのアイデンティティ、楽しみ方を 保持し続けるファンは、男性向け AV をどのように視聴しているだろうか。たと えば I さんは、もともと男性向け AV にトラウマ的な嫌悪感があったと語る。と いうのも、I さんが初めてポルノグラフィを目にしたのは、数年前に夫が隠し持 っていた DVD を好奇心ゆえに観てみたときだったのだが、「オラオラで怖い」、 つまり男性の高圧的な態度への恐怖感などが原因で、「『もう、二度と観ない』っ
て思った」という。しかし、YouTube で見かけた一徹という男優に興味を持ち、 SILK LABO 作品を観てみたところ、「あ、私、最後まで観れた」という驚きと、 「ああ……なんか幸せな感じ」という癒しを感覚したのが、I さんがファンにな るきっかけであった。 トラウマ経験ゆえに、I さんは一徹が出演していない男性向け作品を視聴しな い。当然、その程度には男性向け AV の視聴の楽しみは限定的であるといえるだ ろう。だが逆に言えば、そのような嫌悪感があっても、「一徹君の作品だったら 男性用でも観られるわ」と感じている。それはなぜか。調査者が、一徹が出演す る作品は乱暴な性行為が少ないからか、という仮説を尋ねてみた返答が以下の語 りである。 I: [乱暴な性行為も]あると思うんですけど、私は、ずっとそれ……[本人に] 会うこともしましたし、メイキングも観てますし、普段の姿を見ているの で、それは本当の普段の姿かは分からないですけど(笑)、「あ、優しい感 じの人なんだな」っていうのは分かっていたうえで、ちょっとその、あの ……俺様的なものを観たとしても、オラオラ的なものを観たとしても、素 が分かっているので、別にそれを怖いと感じない。 I さんによれば、夫が隠していた DVD 同様「オラオラ系」に属する一徹出演 作品も、存在しないわけではない。しかし I さんは、SILK LABO が提供する情 報や、オフライン・イベントで出会った印象によって、男優の「素」、つまり演 技していない「普段の姿」が「優しい感じ」だとよく知っている(「本当の普段 の姿かは分からないですけど(笑)」という距離の取り方も重要である)。ゆえ に、「オラオラ的なもの」を観ても、それを演技、フィクションとして解釈する ことができるのだ。 しかも興味深いことに、I さんは、一徹が出演する作品に限り、今では男性向 け AV のほうが好きであると語っている。というのも、SILK LABO 作品はドラ マパートが多いために脚本が用意されているのだが、男性向け AV は「シチュエ ーションはだいたい決まってるんだろうけども、アドリブ」が多いために、より 一徹の「素」が出ているように I さんには感じられるからである。好きな男優が 出演する「オラオラ系」をフィクションとした読み解きと両立して、I さんは男 性向け AV にこそリアリティを感じている。つまり、リアル/フィクションをス イッチしながら観るというポルノグラフィのリテラシーを身につけているのであ
る。 R. リーベルマンによれば、フェミニスト・ポルノの視聴者は制作者にたいす る信頼があるために、フェミニスト・ポルノを通じて「逸脱」的とされる性的欲 望の領域(たとえば BDSM)も探求している(Liberman 2015)。このフェミニス ト・ポルノの研究と比較して重要なのは、ハンブルトンが指摘しているとおり、 SILK LABO が提示する性的欲望はロマンティック・ラブ中心的で女性が受動的 位置におり、バリエーションが少ないが(Hambleton 2016: 437-9)、SILK LABO を視聴するファンが、制作者ではなく男優への信頼によって性的ファンタジーを 開拓していくことである。要するに、フェミニスト・ポルノが、制作者や監督へ の信頼感によって、ファンをフェミニスト・ポルノ作品それ自体の視聴に導き 性の政治を行うのに対し、SILK LABO は、男優への信頼感によって、ファンを 男性向け他メーカーの作品の視聴に導いている。ハンブルトンは、SILK LABO でのフィールドワークによって日本の女性向け AV 研究に先鞭をつけたが、男性 向け AV の視聴もまた彼女らのファン実践にとって極めて重要な意味をもつこと を、見逃していたといえるだろう。 4-3. 男性向け/女性向けという区分の曖昧化 以上のファンの語りは、男性向け/女性向け AV を使い分け、両方を楽しんで いる例であった。だがファンはそれだけでなく、ジャンルの区分を曖昧化させる ような解釈も行っている。 たとえば、トレンディドラマを参考にしているという SILK LABO 作品の大き な特徴に、セックスシーンに至るまでと、セックスを終えてからのドラマパー トの長さがある。すなわち、堀が「〈物語性〉を組み込む女性的な性的欲望」(堀 2009: 231-2)という言葉で女性向けのコミックに指摘していた特徴は、女性向け AV の内容にも重なる部分があるといえる。しかし、ファンはこの特徴をそのま ま受け取るばかりではない。B さんは、女性向け AV の物語性について、以下の ように語り相対化する。 B: いっぱい世の中に有名なエロゲってありますけど、あれこそ! ストーリ ーが長くて、くっそ長くてセックスがすっごい短くてセックスは要るの か! っていう、逆に。[…][男は女性向け AV のことを]「こんな話長 いの男やったら観てられへんもん」って言うじゃないですか。でもエロゲ って男の人だって、てかなんなら男の人のほうがやってるじゃないですか。
B さんが述べているように、男性向けポルノグラフィのうち、AV ではなく「エ ロゲ」(アダルトゲーム)に目を向けてみれば、そのなかには「泣きゲー」「鬱ゲ ー」と呼ばれるような、シナリオ重視でセックスが二次的なものも少なくない。 SILK LABO 作品を観てみた男性は、ドラマ部分が長すぎるという感想を持ちが ちだけれども、エロゲの消費者の多くは男性であり、男性こそアダルトコンテン ツに物語性を求めているのではないか、という B さんの批判である。このよう に言うことで、B さんは物語性のあるポルノグラフィが女性の性的欲望を特徴づ けるという、世間、時にはファンの間でも支配的な語りに対抗している。ここま で述べてきたのは、主に男性向けポルノの「女性向け」への引用可能性であっ たのに対し、B さんは女性向けポルノの「男性向け」への引用可能性を示してお り、注目に値するだろう。 また逆に、インタビュイー 11 名の中でも特に「AV ファン」として視聴してい る側面の強い J さんは、「結局、女性向けというこの分野は『セックスに至るま でのドラマが大切』という呪いが解けないまま、マニア向けという分野にジャン ル分けされて、自然消滅するような気がします」と、女性向け AV メーカーを強 く批判する。つまり、B さんは「ストーリーを必要としている男もいる」という かたちで、逆に J さんは「ストーリーを必要としていない女もいる」というかた ちで、男性向け/女性向けというジャンル、および男性/女性の性を位置づけ直 している。 このジャンル区分の曖昧化において、特に興味深いのは F さんの語りである。 以下の F さんの語りに登場する「GIRLʼS CH」とは、SILK LABO と同じくソフ ト・オン・デマンド株式会社が運営する女性向けアダルト動画サイトである。こ のサイトは、女性向けに撮り下ろした作品も販売してはいるが、ほかにも、自社 の男性向け AV の一部分を切り取って、短めの「女性向け」動画として提供して いる。すなわち、「男性向け」の AV であったはずが、単に切り貼りする以上の 編集を加えずに、「女性向け」の動画になっているのである。つまり、映像内容 の差異だけでは男性向け/女性向けを判断することは不可能である、というジャ ンルの構築性が露わになっている。 *:男性向け AV とかっていうのは観ますか。 F: GIRLʼS CH は女子ですよね。 *:あー、まあ難しいですけどね。
F: はい。CH は観ました。だけど、男性向けって言われたら、どうなんだろう。 あ、でも、[ファンの名]さんとかがご紹介たまにしてるやつ、あれは男 性向けも入りますか。 […] F: 何ていうんだろうな、男性向け女性向けの差がよくわかんないっていう か、それを観てるのかもしれないけど、それが男性向けと思って観てない のかもしれないです。観るそこのチャンネルが CH だから観るけど、それ が男性向けなのか女性向けなのかの差がわからない。 AV 男優ファンである F さんは、他の男優ファンが紹介していたり、「女性向 け」に編集されてサイトで紹介されている「男性向け」作品も視聴しているのだ が、好きな男優が出演しているのであれば、もはやジャンルの区別など意識さ れていない。一応、サイト内では女性向けオリジナル作品と男性向けから切り抜 かれた動画は区別されているのだが、F さんにとってそれは興味のない区分であ る。男性的/女性的な映像、視線、欲望の区分といったものは、ほとんど無化さ れているのだ。
5. 考察
本稿は、まずジェンダーをめぐるポルノの問題系の 1 つに女性向けポルノが あることを指摘した。次に、先行研究の検討から、女性向けポルノにとって、 ①「正しい」女性表象でないという分析、②「女性」が揺るぎがたく持つ優位性 があるという分析、③男性向けポルノと同様の価値観で成り立つという分析のい ずれにも問題点があることを指摘した。この解決方策として、ヘテロ/ゲイ男性 向けポルノがその意図を超えて「女性向け」に引用可能であり、かつ同サイト内 に共存可能であるというシャウアーが主張した知見から、ジェンダー化されたポ ルノ・ジャンルの構築性に着目した。特に、「女性向け AV を視聴するファンは 男性向け/女性向け AV という区分をいかに捉えて視聴しているか」と問うこと で、シャウアーの研究を拡張した。 調査結果から、主流の AV に対するアンチテーゼとして生まれたという経緯の ある女性向け AV を視聴していても、ファンは単純に男性向け AV を批判するの ではなく、「男優ファン」であるがゆえに男性向け AV の視聴を自然にファン活 動に組み込んでいたことが明らかになった。しかも男性向け作品を「仕方なく」視聴するのではなく、ある種のトラウマ経験がある女性であっても、両方に良さ を感じながら楽しんでいた。また男性向け/女性向けを越境した視聴を行うだけ でなく、そうした区分の必然性を揺るがすような捉え方もしていた。 ただし、ジャンルの区分を曖昧化させていく可能性をファンは有するとはい え、性=男、愛=女という優先された読みの偏りをもつありあわせの表象をブリ コラージュすることしかできない現在の AV 市場には限界があると指摘しておく べきだろう。ファンがあくまで女性向け AV を「入口」とする以上、性の「初心 者」が「女性」、「上級者」が「男性」であると構築されてしまう危険性はやはり あるといえる。 それでは、こうしたジェンダー化されたポルノ・ジャンルの越境、再構築、 無化といったファンの実践は、性の政治にとっていかなる含意をもつのか。本節 は、石田佐恵子による「ジャンル研究」への着目を補助線に、以上の調査結果の インプリケーションをまとめる。 石田は、女性文化研究の潮流を整理したのち、メディアのジャンルに着目すべ き理由として、①エンコーディング/デコーディングモデル(Hall 1980)におけ る 3 地点(制作者、テクスト、オーディエンス)すべてにかかわる、②メディ アにはあるジェンダーに向けられたジャンルが多数かかわっている、③ジャンル によって、支配的なジェンダーは相対的に安定して再構築される(あるいはその 逆)、④ジャンルに注目することによって、ジャンルを脱構築するような読みが 可能になる、の 4 つを挙げる(石田 2000: 121-2)。以上 4 点はすべて、互いに絡 み合いながら本研究にかかわっていたといえる。 ジャンルとは、物理的に実在するものではなく、「メロドラマ」「少年漫画」 「スプラッター・ホラー」などといった作品群の境界があるかのように見え、任 意の作品は任意のジャンルに所属するかのように見えているにすぎない。にも かかわらず、ジャンルは「テクストの潜在的意味を限定し、オーディエンスを導 き、制作会社の商業的リスクを限定する」(石田 2000: 122)という重要性をもつ がゆえに必要とされている。つまり、「女性向け」と題されない限り元は「男性 向け」だった動画があったのであり、動画サイトはそのようなジャンル設定によ ってポルノ市場におけるブルーオーシャンである「女性」という視聴者層を取り 込むことができ、オーディエンスも安心して視聴することができる。まさしく 「全く同じ映像に対しても、ジャンルによって予期された解釈の水準が異なって いることがある」(石田 2000: 123)ことの例である。そして、ジェンダー化され たジャンルにおいて、「オーディエンスは、初めからそれに見合うかたちでジェ
ンダー化されていたのではなく、読みの行為のなかで同時にそのようなものとし て構築され、たち現れてくる」(石田 2000: 123)のであれば、そのジャンルの脱 構築とは、オーディエンス主体のジェンダーの脱構築でありうる。これは、シャ ウアーがバトラーを引きながら示唆していたことでもある。 本研究は、石田が重要性を指摘したジャンルの脱構築という研究手法を、その オーディエンスのデコーディングに着目して実践した研究例といえる。言い換え れば、男女の性的欲望の差異を強調する堀と、類似を強調する守に対し、本研究 は能動的オーディエンスとしての「ファン」に着目することで、両者とも異なる 結論を提出した。すなわち、内容の分析から明らかになる特徴と、その受け手の 「異なる見方」のずれに着目した。これにより、女性向け AV がもたらす男性向 け AV とは「異なる見方」を、セクシュアリティの別様な可能性を提示するオル タナティブなものとして一定程度評価すると同時に、女性向けメディアが内在的 に男性向けメディアへの通路を持ち、さらにジェンダー化されたジャンルを解体 する可能性があることを指摘し、ジェンダー本質主義からも距離をとっている。 これは、単に堀と守の結論の「間」をとったというよりも、ジェンダー化された 区分がファンにとっても有効でなくなることを部分的に明らかにし、ジャンルの 構築性から「男性」「女性」という主体の構築性を主張し、類似/差異の二項対 立そのものを相対化している。 本研究をより広い文脈に置きなおせば、「女性」を表象の「被害者」ではなく 能動的な「消費者」として研究するフェミニスト・カルチュラル・スタディーズ に貢献するものであり、かつシャウアーが依拠したバトラーの理論の実証的研究 でもある。つまり、フェミニスト・カルチュラル・スタディーズや「身体の脱構 築系」の合流地点である「第三波フェミニズム」(田中 2012: 19)の問題関心に 沿い、「女性」という主体を無批判に前提とせず、女性性の再構築ないしは転覆 の可能性の模索(Geraghty 1996: 317-320)を行ったといえるだろう。第三波フェ ミニズムは、「第二波フェミニズムによるポルノの分析を超えていると自身を位 置づけることによって、ポルノは無関係なテーマであると誤って主張することに なった」(Watars 2007: 252)と指摘されており、本研究はその欠如を埋めるもの である。 本稿の課題として、先行研究が指摘してきた女性向けポルノの特徴を踏まえな がら、「男性向け AV がいかに『女性向け』に編集されるのか」といった問いの もと、作品内容を分析する必要性が挙げられる。受け手の解釈は完全に自律して いるわけではなく、作品内在的に、C さんが語ったように「男の願望が詰まって
るだけ」と多くの女性が感じられるものもあれば、女性が欲望を投影しやすいも のもあるだろう。つまり、「男であるがゆえにポルノを見る」のではなく、その 様式が消費者に男性であることを要請するとし、男性の性的主体化の装置である と分析されたポルノ(赤川 1996)の内部に、ジェンダーを攪乱する要素が存在 する可能性が示唆される。これが具体的にいかなる事態なのかを明らかにする実 証的研究が、今後求められる。 【注】 1) ジェンダー化されたポルノジャンルの捉え方については、インフォーマントの属性との結 びつきは見られなかった。とはいえ、20 代から 50 代まで年齢が幅広いのは、女性向け AV を視聴するファン、あるいは本調査のインフォーマントの一つの特徴であると思われる。 また、20 代である B さん、D さん、K さんの 3 名が、いずれも大学でジェンダー、セクシ ュアリティについて人文科学あるいは社会科学的に勉強していたという共通点を持つこと も、注目に値する。というのも、女性にポルノ視聴経験を尋ねるという一般的には困難が 予想される調査において、彼女たちが「語る言葉」を持っていた原因として予想されるか らである。こうした、ファン(の語り)の類型と社会的属性の関係性や、調査可能性それ 自体の分析は、本論文のテーマとは稿を改めて行われる必要がある。 【参考文献】 赤川学,1996,『性への自由/性からの自由――ポルノグラフィの歴史社会学』青弓社. 秋本雅代・奥山妙子・諸橋泰樹,1987,「レディスコミックにみられる女性規範正統化の構造― ―内容分析・読者分析から」『女性学年報』(8):67-83.
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